Krishnamurti Subtitles

AM81T1 - 思考と時間が恐怖の根源である home
第一回
オランダ アムステルダム
1981年9月19日


1:30 非常に残念な事に 講演は二回です ですから話すべき事を 生命の全ての 存在についてを 凝縮せねばなりません これは何かのプロパガンダでは ありません ある特定の考えに方向付け 説き伏せるのではなく 何かを説得しようと しているのでもありません これは非常に 明確にすべきです 東洋から何か風変わりな 事を持ち込むのではありません 教祖と言う名の下の 戯言ではなく インド訪問後におかしな事を 書く人達でもありません 私達はそのような集団に 全く属しません しかしこれは指摘致したいのです この二回の講演の間 私達は共に考えます 単に講演を聞くだけではなく 何かの考えを聞くだけでなく それに賛同反対する と言う事ではなく 何かの議論 意見 判断を 創造するのではありません しかし一緒に -共にです あなたと話し手が共に 世界のあり方を考察します 西洋の世界だけでなく 東洋についてもです 深刻な貧困 困窮 そして爆発的な 人口増加 ここ西洋において 政治家は 起きている惨事に 対応する能力がありません 4:23 政治家はみな 部族主義的に考えます 部族主義は国家主義の中で 美化されてきました ですからどんな政治家にも 指導者にも または宗教について書かれた 本にも頼る事は出来ません このような人達に 頼る事は到底できません 科学者も生物学者も 心理学者にもです 彼らは人間の問題について 解決できていません 皆さんそれについて 賛同されると思います どんな教祖達にも 頼れません 残念な事に 西洋に来る彼らは 人々を搾取し 富を得て 彼らは宗教と何の 関係もありません
5:48 述べました通り私達 あなたと話し手が 共に考える事が 重要です 共に考えると 言う事は 単に意見や評価を 受入れるのはありません 共に考察するのです 外面的だけでなく - 世界で何が起きているのか と言う事を - 心の中に心理的に 何が起きているかと言う事もです 外面的に外的には 大きな不安 混乱 戦争 または戦争の危険な兆候があります 世界の地域によっては 戦争が続いており 人間が互いを 殺し合っています ここ西洋では 起きていませんが 核戦争の恐れが 存在します 核爆弾そして 戦争の準備です そして我々一般人に それらについて 出来る事は 何も無いようです デモやテロ ハンストなどがあります これが実に世界で外面的に 起きている事です; ある部族が他の部族と 対抗する; 西洋アメリカが 他国と対抗するなどとです 科学者達はこれに 加担します そして哲学者達は それらに反論をしているようですが 内面的には 自分たちのキャリアに 応じて国家主義者を 継続しています よってそれが表面的世界に 起きている事で それは聡明な人は誰でも 察する事ができます
8:59 そして内面的に私達の心理 そして私達の心も 大変混乱しています 安定はありません 恐らく私達のみならず 我々の未来もまた 未来の世代にもです 宗教は人類をキリスト教や ヒンドゥー教 イスラム教や仏教 などと分断してきました
9:50 これらを考慮すると 客観的に冷静に 何も偏見なく 考察するに 私達が共に考える事が 当然重要となります 共に考えます 別の反対意見を 持つのではなくです; 一つの結論に対して 別の結論を持つのでもありません ある理想に対して 別の理想を持つのではなくです; 寧ろ一緒に考え 私達に何が出来るのかを確かめます 危機とは経済や政治の中の 世界ではありません 危機とは私達の 意識の中にあります 11:20 お気づきの方は 殆どいないと思います 危機は私達の心理 心の中にあります つまりこの危機は 私達の意識にあるのです 我々の意識とは私達全ての存在で 私達の信念 私達の結論 私達の国家主義 人の持つ全ての恐怖心や 喜び 明らかに解決できない 悲哀の問題 いわゆる愛と呼ばれる事 慈悲心 そして死についての問題 それにまだ先に 在るとしたら 瞑想についての 問題 そして時間を超える 思考を超える何かの存在 永久な何かの存在です 13:02 それが我々の意識の 中身です それが全ての人間の 中身です この国に住もうと アジアに住もうと インドやアメリカ ロシアであろうとです 意識の内容は全ての人類 の共通の土台です これは最めに非常に 明確するべきかと思います
13:47 世界のこの地域に住む人間として 彼は苦しみます 身体的な事だけでなく 内向的にもです 彼は不安で不確かで 恐れ混乱し 不安で深い安心感が ありません アジアにおいても同様に 人類みな同様にです インドでも同じで アメリカでもロシアでもです つまり我々の意識とは 全人類共通なのです どうかお聞きください これを初めて お聞きかもしれませんが どうか放棄しないで下さい 共に調査しましょう 共に考えましょう 家に帰ってからではなく 今です 15:21 あなたの意識 - 何を考え何を感じ あなたの反応 不安感 孤独感 悲しみ 痛み 単に物理的な何かの 探求はなく それを超え全ての思考とは- インドやロシアやアメリカに 住む人みな同じです 皆あなたと同様に 問題を抱えます 同様に人間関係の問題 男女の問題 私達はみな同じ土台に 立っています - 意識 我々の意識は みな共通です ですから私達は 個々ではありません これをどうか考慮してください 16:41 私達は宗教的にも学問的にも しつけられ教育されてきました 私達は個別の魂 個人であり自分の為に努力すると しかしそれは錯覚です なぜなら意識とは 全人類に共通だからです 私達は人間です 私達は自分の為に戦う 個別の個人ではありません これは理論的で 合理的で真っ当です 私達は別々の心理を持ち 自分の為に苦闘する 個別の存在ではありません 私達一人ひとりが 実に残りの人類です
17:57 ですから理論的にたぶん 頭では受入れるでしょうが もしあなたが心から 理解すれば 私達の活動は 根本的な変化を遂げるでしょう それが私達が一緒に考える 最初の問題です: 私達の意識とは 私達の考え方 生き方 多分もっと心地よく 豊かに もっと楽に旅をする などとです それを除けば 内向的に心理的に あなたは何千キロも 何万キロも遠く 離れた人達と 全く類似します
19:19 ですからこれらの諸問題を 共に考えるのです 最初に人間関係の 問題です: 全ての生命は結びつき 存在そのものが関係しています 親密であろうと 無かろうと 二者の間 男女の間であろうと 私達のなしてきた人間関係 を考察するにあたり 極めて大きな闘争対立や課題が 存在します - なぜでしょうか? 何万年以上も生きて来た 私達人類が 人間関係の問題について 解決し来ていないのでしょうか? 20:26 それは二人の人間が対立無く 共に生きる事です 明らかに 解決していません ですから今朝 この一時間程の間 共に考えましょう 共に男女の間 人間関係とは何かについて 考察しましょう 社会全体は人間関係の上に 成り立っています 人間関係が無ければ 社会は存在しません すると社会は 抽象的概念となります ですから今朝 共に 私達の人間関係とは実に 何かを共に考えるべきです
21:51 深く考察すれば 男女の間に対立があります 男性は自身の理想 探求心や野心を持ち 世界で大物になろうと 成功を常に追い求めます また女性も奮闘しています ひとかどの人になろうと 自身を満たそうと 何かになろうとします お互いに自身の方向性を 追求しています ですから二つのレールが 平行に走り交わる事はありません 恐らくベッドの中で そうでなければよく考察すると 男女は向かい合う事はありません 心理的 内向的にです - なぜですか? それは一疑問です なぜかと問うとき私達は常に 原因を問います 私達は因果関係の 観点から考えます 原因を理解すれば 恐らく 結果は変わるだろうと 望みます 23:43 お尋ねします - 皆さん 英語がお分かりですよね でなければ私の独り言で それは馬鹿げています この国に来るのは 十年ぶりで また来る事ができて うれしく思います しかし英語が 分らなければ 私達のコミュニケーションは 不可能です ですから出来る限り明瞭に 英語を理解されると望みます 残念ですがフランス語や イタリア語を話します しかし同様に 難しい事です
24:53 ですから非常に単純しかし 大変に複雑な質問をします: なぜ私達人間は 何百万年も何百万年以上もの間 この地球に生きてきて 人間関係の問題についてを 解決できて いないのでしょうか? 各々が思考によって 造られた自分固有の イメージを持ち人間関係が その二つのイメージだけが 基礎となるからでしょうか: 男性が女性に対して 造るイメージ また女性が男性に対し 造るイメージでしょうか? 25:52 つまり私達の人間関係は: 二つのイメージが共存します それが事実です ご自分をよく観察 してみてください あなたは彼女に対する イメージをつくってきました そして彼女も同様に 男性の描写を逐語的な構造をつくりました ですから人間関係とはこれら二つの イメージの間です これらのイメージは思考によって つくられてきました そして思考は愛と 関係しません
26:55 思考は愛ですか? お互いのこの関係の あらゆる記憶 お互いについての回想 描写 結論 私が深く偏見なく 考察するに これらが思考の産物です これらが様々な記憶の 結果であり 経験やいら立ち 孤独感です 従って互いの人間関係とは 愛ではなく しかし思考が構成した イメージです
28:03 ですから私達が 人間関係の実際について 理解するにあたり 思考の全ての活動について 精査し理解すべきです 私達は思考によって生き 私達の全ての行動は思考に起因します; 世界のあらゆる優れた建物は 思考によって造られました 全ての大聖堂や教会 お寺やイスラム教寺院は 思考により構築され 存在します 宗教的建築物の中は 何でしょう - 内装や肖像 シンボルやイメージ - 全ては思考の 発明です それに反駁はありません ですから思考が 最高に素晴らしい 建築物 それら建物の 内容だけでなく 戦争の機器をも 造り出してきました 爆弾 様々な型のその爆弾 29:50 思考はまた 外科医 とても繊細な手術に使う 素晴らしい機具をつくり そして思考が大工を 造りました 大工は木や機具を 学ぶなどとです よって思考がこの全てを 行ってきました 教会の内装や執刀医 美しい橋をつくる 工学の専門家 全ては思考の結果です 反駁はありませんが 多くの人が論争するかもしれません ですから思考とは何かを 精査すべきです なぜ人類は思考に 基づき生きるのか なぜ思考が世界に このような惨事をもたらしてきたのか - 戦争 互いの人間関係の欠如 非常なエネルギーをもつ 思考の偉大な能力 31:29 そして何百万年を通して 思考が何をして来たか 人類に悲哀をもたらしました これをどうか考察してください 共に精査しましょう 話し手への反論ではなく 一緒に精査しましょう 話し手が 云わんとする事を 全人類に実に何が起きているのかを 共に理解する為にです 私達は自身を破壊しています
32:12 ですから思考の問題について 非常に注意深く進むべきです 思考とは記憶の 反応です 記憶とは過去の 回想のみならず 未来の希望としてそれ自体を 投影する思考でもあります よって思考は記憶の反応で 記憶は知識であり 知識は経験です つまりそこに経験があり その経験から知識が存在し その知識から記憶 または回想が存在します そしてその記憶から 行動するのです その学んだ行動が 更なる知識です 私達はこのサイクルの中に生きます- 経験 知識 記憶 思考 行動 このサイクルの中に 人間は生き 常に知識の領域の中に 生きます 33:41 退屈でなければいいのですが 退屈でしたら 申し訳ありません もしあなたを喜ばせる ロマンティックで 感傷的な何かを求めているなら お聞きにならないで結構です しかし私達の話しは 非常に真面目な事です 週末の何かカジュアルな 視聴ではありません 人間の意識の根本的な変化を 懸念しているからです よってこの事全てを共に見て 考察し確認しましょう なぜこの地球上に 何百万年も生きて来た 人類は未だ 同じなのでしょうか 技術的に進化をして 来たかもしれません より良い通信 より良い交通 衛生面などとしかし 内面的には事実上同じです 不幸で不安 孤独で悲哀の 重荷を終わり無く背負っています 35:11 これに立ち向かう真面目な人は 誰でも反応するはずです 背を向けて 気軽に捉えられません ですから今朝と明朝の 会議は非常に真剣なのです なぜなら我々の意識の中の 根本的変化の解明に 私達の意識と心を 傾けなければなりません 意識とはつまり私達の 活動や行動です
35:53 前途の通りに思考とは 経験と知識の産物です ですから思考は神聖なものでは 全くありません 実利主義的で 思考とは事象の過程です 我々の全ての問題を解決するのに 思考に依存してきました 政治 宗教 人間関係などとです 私達の脳 心は条件づいています 問題の解決に教育されています 思考が問題を生み すると脳が心が問題を 解決するよう訓練されています 工学の課題があれば それを解決し 病理の問題があれば それを解決するなどとです 37:13 私達の心理は問題解決に 訓練されています これら諸問題は思考によって 心理的に内向的につくられます お解りでしょうか? 思考が問題を 心理的に生み そして心理は問題を解決するよう 訓練されています ですから思考が 問題を生み 思考が問題を 解決しようとするのです よって同じ古いプロセスに捕われ 習慣的に繰り返されます ですから問題はもっと 更に複雑化し 解決できなくなっていきます ですから私達は この人生のアプローチに 異なる方法があるのか それが可能かを探るべきです 思考を通してではなくです 思考は私達の問題を解決していませんから 38:20 反対に思考はより大きな複雑さを もたらしてきました 可能かどうかを 探るべきです 人生に全く異なる 側面 異なるアプローチが 存在するのかについてです ですから思考の本質について 私達の思考の特質を 理解する事が重要なのです 思考は記憶 過去の記憶に基づきます 先週起きた事 について考えます それについて考え 現在に編集します そして未来へと投影されます これが人生の動作で それが実際です 39:27 そこで知識が我々に 全て重要となってきました しかし知識とは 完全ではありません どんな知識についても 今だ未完であり 常に未完成のままです ですから知識は常に 無知と平行します 知識は常に無知の 影に生きます それは事実です これは話し手の発明でも 結論でもなく しかしそうなのです
40:11 よって愛は知識ではありません 愛は記憶ではありません 愛は喜びでも欲求でも ありません 欲求 喜び 記憶は 記憶に基づきます よって我々の互いの 人間関係は 如何に親しくも近しくも よく考察すれば 記憶に基づき それは思考です よって実にその 人間関係において 妻を夫を彼女などを愛すると 言うでしょうが 実際には記憶で それは思考に基づいています 従ってそこには 愛は存在しません この事実をご理解しますか? もしくは 41:37 'なんと酷い事を言うのか 私は妻を愛している' - しかしそうですか? 嫉妬 独占欲 執着が 存在する中で 愛が存在しえますか お互いが自分独自の 野心や欲や方向性を 追求しながらにです 二本の平行線が 交わらないようにです それは愛ですか? 実存の問題について 真剣に心から深く 追求するなら 欲望とは何かを 問い 精査すべきです なぜ人間は欲望に 動かされて来たのか この話を 続けますか? すみませんがご自身の責任で ここにいるから我慢ください! 43:01 そしておそらく 話し手のせいでもあるでしょう! 共に考え考察していると 願います 二人の友が その道を共に歩き そして 周囲を見て 至近にある事 直に把握される事だけでなく 遠い先の方を 見て なぜなら私達は旅を 伴にするのですから おそらく愛情をもち 手を取り合い または二人の友人として友好的に 人生の複雑な問題を分析します そこにリーダーや教祖など 一切存在しません なぜなら私達の意識とは 残りの人類の意識である と言う事を実際に 理解すれば すると私達はお互いに 師匠であり弟子であり 先生であり生徒であると 気がつきます なぜなら私達はみなそうであり 私達の意識の中にあります 44:44 それは非常に偉大な 気付きです 自分を深く 理解し始めると 自分が自身の光となり 誰に頼らず どんな本や権威者にも頼りません 話し手も含めてです そしてこの人生の問題の全容を 理解する事ができ そして自分自身が 自身の光となります
45:30 ですから欲望とは何かを 調査すべきです 仮に欲望が愛であれば 欲望は問題を生みます 愛は問題を持ちません そして自身の知性を伴う 愛と慈悲の本質を 理解するには 私達は一緒に欲望とは何かを 理解すべきです 欲望とは異常な 活力を持ちます 桁外れの説得力 衝動 達成感 そして成功の全行程は 欲望に基づきます - 欲望が私達を互いに比較し 真似をし同化させます ですから私達自身の本質を 理解するにあたり 欲望についての理解は 非常に重要なのです 抑圧するのではなく 逃避するのではなく 超越するのではなく 理解するのです 見るのです 全体のその勢いを理解するのです 47:14 共にしましょう それは話し手から学ぶという 意味ではありません 話し手が教える事は何もありません どうかご理解ください 話し手は単にご自身を見る鏡として 行動するだけです すると自分自身をはっきりと 理解すれば その鏡を捨てる事ができます 重要なものではありません あなたが壊せばいいのです
47:48 欲望を理解するには 注意 真剣さが必要です これは非常に複雑な問題です なぜ人間はこの並外れた 欲望のエネルギーに思考のエネルギーとして 生きて来たのでしょう 思考と欲望の関係は なんでしょうか? 欲望と意思の関係は 何でしょうか? 私達は意思に非常に 大きく依存し生きます 欲望の動き欲望の根源 その源とは何でしょうか? 観察しますに その根源とは 欲望とは感覚 感覚反応に始まります 感覚反応とは その接触や興奮 そして思考がイメージを造ります その瞬間に欲望が始まります 49:33 非常に注意深く みてください 窓に何かが 見えます ドレス シャツ 車 スカーフ 何であっても 見て感じて そしてそれに触れます そして思考が言います 'そのドレスやシャツを着たら どんなに似合うだろう' 思考がイメージをつくります すると欲望が始まります そうですよね? お解りでしょうか? ご自身でみてください とても単純です 何か素敵な物を目にすると 神経反応を通して 感覚がつくり出されます 視覚反応 そして思考が 'ドレスやシャツやコートを着たら どんなに素敵だろうか' それが何であれ そこで要望が始まります 50:51 ですから欲望と思考の関係性は 非常に密接しています 思考がなければ 感覚だけが存在するでしょう 全ての問題が欲望による ものではありません 皆さん互いに 合致していると願います
51:15 よって欲望とは 意思の真髄です 思考が感覚を支配し 衝動を生み 所有の欲望を生みます 私の独り言でしょうか ご理解していますか? 恐らくこれは皆さんに 新しい事かもしれませんが この事を共に 考えるべきです 個々人として 独自の結論を持つのではなく これを共に精査し 非常に明確にするのです
52:16 よって人間関係においては 思考が作用します それは記憶がお互いについての イメージを造り 思考によりつくり出された イメージに愛はありません または欲望が存在すれば 性的や別の形の欲望 それが愛を阻みます なぜなら欲望とは思考の一部ですから
53:03 そして共に 精査するにあたり 恐怖の本質も考慮すべきです 私達はみなこの不快な 恐怖心に捕われています それを解決 できないようです 私達は恐怖心と生きます それに慣れるなり逃避するなり 娯楽を通し 崇拝を通し あらゆる娯楽や 宗教などを通してです ですから恐怖の構造についても 共に精査すべきです 恐怖とは 私達みなに共通します この整った清潔な 国に住もうと 不潔で汚く過度な人口の インドに住もうとです 54:33 同じ問題を抱えます 恐怖心 何千年も何千年もそれと共に 人間は生きてきました そしてそれを解決して きていません 可能でしょうか -最も 真剣に問います- 完全に恐れ無く 生きる事は可能でしょうか 物理的な恐怖心のみならず もっと非常に微妙な 内面的な恐怖もです 意識的な恐怖心と 深く未開拓の恐怖心 私達の意識に 深く根付いる恐怖心の 存在はこれまで一度も 精査されてきていません
55:34 精査とは分析を意味しません 何か問題が在れば 分析者に頼るのは 流行だと存じています ここにはいないと願います! 分析者も私やあなた同様で 彼らはあるテクニックを持つだけです しかし私達は観察と分析とは 何かを精査すべきです 分析はそこに分析者がいると 示唆します 分析者は分析する事象と 異なるでしょうか? または分析者が 分析されますか? この質問を理解しますか? 分析者が分析されます それは明白の理です 56:45 私は自分を分析します '私は分析すべき'と言う 自分の中の分析者は誰でしょう 分析者が未だ自身を分析者と 分析される側に分けます そして分析される事を 精査します - ですよね? ですから分析者が 精査し分析しています 両方とも同じです 思考によるトリックです ですから私達が観察する際 そこに分析は存在しません 単にそのものを 観察するだけです 何かを実際に観察するには その何かを分析するのではありません 分析のプロセスにおいて 自分自身を欺く事ができます 57:45 仮にそのゲームが お好きなら 永遠に死ぬまで 分析し続ける事はできます そして自身の中に抜本的な変化を もたらす事はありません 一方 観察 見る事 現在の世界をありのままに見る事 オランダ人イギリス人 フランス人などとしてではなく 何が起きているのかを 実際に見る事です それが観察です ありのままの純粋な観察です
58:34 ですから恐れとは何かを 精査または観察すべきです 恐怖心の原因が何かではなくです -それについては間もなく見ていきます - 何が恐れの原因かではありません それは分析を示唆します その深くその後ろ 恐怖心の根源です -それについてはすぐに 判ります - 観察の美学を学びます 観察した事の解釈ではありません 観察する事の説明でもありません ただ観察するのです 美しい花を 観察するようにです 個々に引き裂いた瞬間に 花ではありません それは分析です しかし花の美を 観察するには 雲がかった光 夕方の光 森の中の一本の木 ただ観察します 59:41 それと同様に恐怖心を 観察します 何が恐怖心の根源なのか? 恐れの様々な側面ではなくです 先に進めていいでしょうか? つまり 仮に私が恐れるとします 仮にです - 恐れていません- 私が恐れています この点を私は 明確にすべきです 話し手が言う事です 生きています でなければ壇上に立ち 話す事はしないでしょう この60年そうしてきました 話し手は自身を欺きません しかし話し手は 非常に深く追求してきました 話し手が言う事は 彼にとってそれが事実です 単なる錯覚や逃避では ありません
1:00:47 完全に恐怖心から 自由である事は 可能かと問うています 心理的に内向的にです 何が恐怖心の根源ですか? 恐怖の意味はなんですか? 痛みを受けた 何かの恐怖 何かが起るかもしれない恐怖 それは過去でありまた 起るかもしれない事 -ですよね? 今何が起るでしょうか 今そこに恐れは無いですから しかしご自身で解る通り 恐怖とは時間の経過ですよね? 先週に起った事の 恐怖 心理的または身体的な痛みを もたらした事件 そしてまたそれが明日 起るかもしれない恐怖 職を失う 望む事を達成しない 啓発されない などとあらゆる事です 1:02:27 よって恐怖心とは 時間の中の動作ですね? 過去から現在を 通しての動き それ自体を未来に編集します 即ち恐怖心の源とは 思考です そして思考は時間です 思考とは経験を通した 知識の蓄積です 記憶や記憶の反応 思考や行動です ですから思考と時間は一つで 思考と時間が恐怖心の根源です それは極めて明らかです そうなのです
1:03:35 そこで思考や時間を止める という問題ではりません 勿論止める事は 不可能です なぜなら'思考を止めるべき' と実在が言うのです それは不条理です 実在とは思考の一部ですから お解りでしょうか? ですから思考を止めるという アイディアは不可能です それは思考をコントロールしようとする 管理者を示唆します 管理者は思考により うまれます ただ単にお聞きください ただ観察してください 観察とはそれ自体が 活動です 恐怖に何かすべき と言う事ではありません ご理解されて いますでしょうか?
1:04:35 いいですか仮に何かを 私が恐れるとします 暗闇や妻に去られる または孤独だなどと 私は深く恐れます あなたが来てこう言い説明します 恐怖心の 動きとは 恐れの根源は 時間です 痛みがあったまた 何か事故に遭ったと 事故が恐怖をうみ 脳内に記録し その記憶がまた過去の事故が 起きるかもしれないと 従って恐怖心が存在します あなたはそう私に 説明しました 私は注意深く その説明を聞きます その理論を健全さを 理解します 拒否をせず 耳を傾けます 1:05:47 すると傾聴が 芸術になると意味します あなたの言う事を拒否せず 受け入れずしかし観察します すると時間と思考について 私は観察しそれは実際です '時間と思考を止めるべき'と いいません しかし私に説明しました 止めるのではなく 単に恐怖心がどう起るかを観察します それは思考と時間による動作です ただこの動作を観察し それから動かないでください 逃避せずその中に生き それを見てください エネルギーを注ぎ 注視してください すると恐怖心が解消し始めるのが わかるでしょう それについて 何もしないで 単に観察し そこに注意を向けたのですから 1:06:59 その注意が恐怖へ差す 光のようです 注意とはその観察に全エネルギーを 注ぐと言う意味です これは多少明確ですか? 皆さん残念な事に 講談は二回のみです もっと話ができれば 良いのですが 質問を問いだしたら 何か違うものになるでしょう ですが先を進めたいと 思いますが よろしいですか?
1:07:50 分析の無い 観察とは あなたの全ての注意を その問題に向ける事です 人間関係の問題 恐怖心の問題 そして享楽の問題も 見て行くべきです 今 何時ですか? 何ですか? 12時15分です 一時間ほど 話しましたね 残り30分を 続けますか? 耐えられそうですか? 私ではなく 皆さん次第です
1:08:57 あとすみませんが 写真はお控えください お願いします これは真剣なのです 一日試して止めるといった 類いの事ではありません 私達の生命 全存在の懸念です 皆さんが真剣であれば これに全注力を注ぐべきです
1:09:42 なぜ人間は享楽を 求めてきたのでしょうか? ご自身に問うてみてください 喜びとは痛みの反対ですか? 少し進めましょう 違いはあれどみな 苦痛があります 身体的にも心理的にもです 心理的に多くの人が 幼少期から痛み傷ついてきました それは苦痛です 苦痛の結果が 更に傷つかないようにと 背を向け 個人を孤立させてきました 幼少期から心に傷を負います 学校では 自分より優秀な人と 比べます 1:10:50 自分自身を傷つけ 他人も私達を傷つけてきました 叱られたり小言や ひどい事を言われたり 残忍な事を言ったり 恐怖をおぼえます これらの結果で 深い傷を負い それが孤立や反発となり もっと更に背を向けます そしてその反対が 享楽だと考えます 苦痛とそれに対極するのが 享楽です そうでしょうか?
1:11:37 ですから入念に精査すべきです 気力があれば 時間があれば ご希望であればです 良い事とは良くない事の 対極でしょうか? もし仮に良い事が 対極であれば その良い事はそれ独自の 反対を含みますね? 従って良くない事です 良い事はその良くない事 とは完全に別です 享楽とは -どうか ただお聞きください これについて非常に 敬意を持ち聞いています 享楽とは苦痛の 対極でしょうか? または対比でしょうか 私達は常に対照や対極 を追求します ですから享楽とは 完全に別でしょうか 善良のように - それは楽しくない? お解りでしょうか? 1:13:11 または享楽とは脳による 汚染でしょうか? 享楽を注意深く見るとそれは 常に記憶ではありませんか? 自分が幸せな時は そういいません 'なんと幸せなのか' とは喜びを与えた その記憶 享楽の記憶の 常にあとに きます 夕日のように 美しい夕方を見る際 非常に美しい光 そこに非常な享楽 大きな喜びがあります そしてそれは記憶され 享楽がまれます ですから享楽も思考の一部です 非常に明らかです
1:14:24 次の問題は - あらゆる人類の問題同様 とても複雑です - 全ての悲哀を終える事は 可能でしょうか? 悲哀が存在する所に 愛はありません 悲哀がある所には明らかに 知性も存在しえません 非常に複雑な知性について お話しします 知性
1:15:10 人間関係 恐怖心 享楽 悲哀の理解には 自身の住処に 秩序が必要です 秩序なくして 瞑想はできません その単語をおわかりですか? 残念な事にこの単語 瞑想は東洋から 西洋に持ち込まれました では話し手は瞑想を 講義の最後に置きます なぜならご自身の心理的住処に 秩序がなければ 正当な瞑想とは 存在し得ないからです 心理的住処が無秩序であれば それがあなた自身です 秩序がない瞑想をする 意味はありますか? 1:16:22 それは単なる逃避です あらゆる錯覚に導きます あぐらで安座したり 逆立ちをしたりと 残りの人生そうできるでしょうが それは瞑想ではありません 瞑想とは自分自身に完全な 秩序をもち始めるべきです つまり人間関係の秩序 欲望の秩序 享楽などとです
1:17:11 更に私達の秩序を阻む 原因の一つは悲哀です これは共通の要因で 全ての人類共通の現実です 皆この悲哀の悲劇を 通ります ここやアジアでも 西洋でもです 再度ですがこれは 人類共通です 所謂個人の悲哀だけでは ありません 人類の悲哀も 存在します 戦争がもたらした 悲哀 五千年もの 歴史の記録の中 毎年戦争があり 互いを殺し合い 暴力 テロ 残忍行為 重傷を負い 手や目を失う人々 これら全ての恐怖 戦争の残忍行為 数えきれない悲劇を 人類にもたらしました 1:18:56 それは個人の悲哀ではなく 人類の悲哀です 何も全く持たない 布切れ一つ そういう人を目にした時 その人は残りの人生を そのように送ります 西洋ではそうではなくとも アジアの国々はそうです その人をみて そこに悲哀が存在します 錯覚に捕われた時の 悲哀もあります ある教祖や他の教祖などへと それは自身から逃避しています それは悲哀です これを観察するにあたり 1:19:51 利口な人達は 東洋へ向かいます それについて本を書き どこかの教祖を称賛し 皆そのナンセンスに 陥ります それもまた悲哀です 世界で政治家が 行っている事を見ると 生じる悲哀 部族生活主義の考え それもまた悲哀です
1:20:23 よって個々人の悲哀と 大変大きな人類の悲哀の雲があります 悲哀とは空想的でも 感傷的でも 非合理でもなく そこに存在します 息子が亡くなり 人生が打ちのめされたと そして私達はこの悲哀と 計り知れない間生きてきました 明らかにこの問題を 解決してきていません 人は苦しむと 慰めを求めます それはその悲哀の 事実からの逃避です その悲しみが存在する際 あらゆる娯楽を試します 逃避です しかし悲しみは常にそこにあります そして人類は明らかに それを解決してきていません 1:22:07 そして 問います そこから完全に 自由になる事は可能なのか? 避けるのではなく 慰めを求めるでもなく 何か非現実的な理論に 逃避するのでなくともに生きるのです 'ともに生きる'の意味について 理解しましょう 習慣にするのではありません 多くの人がそうするように; 彼らは国家と共に生き それは非常に破壊的です 分離した自分達の 宗教的結論の中に生きます 自分たちの非現実的思想や 理想の中に生きます そしてそれはまた自身の 対立をもたらします 1:23:22 よって何かと生きる 悲哀と生きる 受入れるのではなく それに慣れるのではなく つまり注視するのです 逃避なく観察するのです 何の質問もせずその先を超えようと するのではなくです 手の中に持ち 単に見るのです それは悲哀はまた非常に 大きな孤独感の一部です 友達がいるかもしれません 結婚しているかもしれません あらゆる物を 所有しているかもしれません しかし内面的にこの 完全な孤独感が存在します そしてそれは悲哀の一部です その孤独感を方向性なく 観察するには その先を行こうとせず その代替を探そうと するのではなく それと共に生きます 崇拝でなく心理的に病むのではありません 1:25:02 つまりあなたの全ての注意を その苦痛に向けるのです その悲しみ その悲哀にです 息子が亡くなる 愛すると思う人が亡くなると そこには大きな嘆きがあり 逃避するのではなくです 苦痛を理解するのは 非常に良い事です すると悲哀からの自由が存在し そこに慈悲の心が存在します どんな信念でも あなた独特の宗教的象徴に 固定される限り あなたは慈悲的ではありません 慈悲の心は悲哀から 自由です そこに慈悲があれば 愛があります その慈悲の心で 知性があります 狡賢い思考の 知性ではなく その修正でなく 何でも我慢する 能力でもなくです 1:26:39 慈悲の心は悲しみの 終結を意味します そこで初めて 知性が存在します
1:26:51 よろしければ明日は 死について 死後に何が起るかについて 続けたいと思います 死の 重要性とは何か そして瞑想とは何かを話します 明日までに 耐えられたらですが
1:27:27 最も敬意を持つお願いです どうか拍手をしないで下さい 皆さんの拍手が 私への激励ではありません
1:27:52 皆さん自身を理解した上で ご自身への拍手です
🢁