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BO84T2 - 行為と反応の終わりなき循環 home
公開講話、第2回
インド、ボンベイ(ムンバイ)
1984年2月5日


0:50 あの雑音が過ぎ去るまで、 私たちは、少し待てますか。 さあ、私たちは、 始められます。
2:41 私たちは、話そうと していましたね - 私たちは、この世界に 生きられるのか、どうか - そこは、 かなり狂気です。 葛藤なく生きることは、 可能なのかどうか、です。 私たちは、あらゆる種類の 努力をすることが、 慣習になってきました - 生物学的に、 だけではなく、 また、外面的にも、 達成するために、です。 私たちの社会は、 こう構築されているので、 私たちは、ものすごい努力を しなくてはいけません - 模倣の天職を 持つために、です。 私たちは、互いに 静かに、話せますか。 私たちは、こう言っています - 私たちの社会は、 私たちの一人一人が 大変多くの努力を しなくてはいけないように、 作られている、と。 職を持つため、 経歴を持つため、 安全のために、お金を 貯蓄するなどのために、です。 大変の多くの努力が、 必要です - 学校、専門校、 大学などです。 4:38 また、私たちは、自分たちが、 内的にもまた、ものすごい努力を しなければならないとの 概念をも、持っています。 努力は、制御を 含意しています。 努力は、葛藤を、 含意しています - 内的に、心理的に、 そして、外的に、です。 物事のこの状態が、 私たちの慣習に、なったのです。 宗教的な人々、あらゆる種類のビジネスの 人々は、努力しなければなりません。 その努力の中に、大変多くの エネルギーが、関与しています。 葛藤などの中に、です、
5:47 私たちは、ともに 話し合おうとしています - ここは、何と 騒がしい所なのでしょう - 私たちはともに、この問いに ついて、話し合おうとしています - なぜ私たちは、 葛藤の中に生きるのか、 なぜ私たちは、このように 生きることが、慣習になったのか、 なぜ、世界中の人間は、 騒動すべて、 心配、痛みすべてなしに 日々の生を生きる道を、 見つけてこなかったのか。 そして私たちは、天職の訓練を されています - それは、模倣です。 なぜ私たちは、外部的に努力をしなくては いけないのかを、理解できます。 7:01 このような 人口過剰の国では、 ひどい運営が される政府など、 私たちは、生きるため、職を持つ ために、努力をしなくてはいけません。 それは、理解されます。 私たちは、訊ねています - なぜ、私たち人間たちは、 内的な努力をしなくては いけないのかを、です。 そこには、制御、葛藤と、 様々な形の格闘、 心配などが、 含意されています。 私たちは、問うています - なぜ人間たちは、 そもそも、 内的な努力をし、 内的、心理的な葛藤を、 持たなくてはいけないのかを、です。 その問いは、 明らかですか。
8:12 私たちは、訊ねています。 人間たちは、 互いとの関係において - なぜなら、私たちはとうてい、 一人で生きられないからです。 たとえ、あなたが隠者であっても、 あなたはいつも、誰かに関係しています。 で、私たちは訊ねています - 外部的に、無量の騒動、無量の複雑さの この世界に、生きることは、 可能であるのか、 私たちは、単一の葛藤もなく、 生きられるのかどうか、ですね? それが、私たちが訊ねようと している疑問です。 語り手が、その疑問を訊ねていません。 あなたが、訊ねています。 なぜなら、私たちのどちらもが、 ともに、旅を行っているからです。 それが、きわめて明らかであるなら、 私たちは、私たちのどちらも、 気をつけて、この疑問を、 探究しようとしています。 9:28 私たちが、昨日の晩に 言いましたように、 私たちは、講義を 行っていません。 ありがたい! 講義は、特定の主題に ついて、あなたに、 一定の情報を与えることを、 含意しています - 教示すること、情報を与えることや、 どの種の宣伝を行うことも、です。 私たちは、どの種類の宣伝をも、 していません。 私たちは、あなたに、何をも 説得しようとしていません。 ですね? 私たちは、あなたに 教示しようとしていません。 だから、どうぞ、私たちのほとんどは、 服従するよう、訓練されているので - 従うよう、訓練され、 受け入れるよう、訓練されています。 あなたの頭脳が、そう 条件づけられているなら、 あなたは、このとても複雑な 疑問を、とうてい探究できません - この世界に、 葛藤の感覚なしに生きることは、 可能であるのかどうか、 ですね?
10:49 で、どうぞ、あなたが、あなた自身に、 これらの質問をしています。 語り手は、鏡として 作用しているだけです - そこに、あなたは あなた自身が、見えます。 あなたが鏡に、自分自身を見るとき、 - 正しく反映したのを、です - そのとき、あなたは 鏡を、投げ捨てられます。 鏡を破壊できます。 なぜなら、あなたは、自分自身を きわめて明らかに見てしまったからです。 で、あなたはもはや、鏡、 翻訳者を、持たなくていい - 説明したり、分析したり する人物を、ですね。 私たちは、今まで、互いに 理解し合っていますか - すなわち、私たちは、どの種類の 宣伝をも、していない、 私たちは、あなたに、何をも 説得しようとしていないことを、です。 11:55 反対に、私たちは、 こう言っています - あなたは、疑いを 持たなければならない。 あなたは、大変に 懐疑的でなければならない、と。 なぜなら、疑いは、精神を 解き放つからです - すべての蓄積された伝統、 すべての蓄積された戯言、宗教と 呼ばれるものより、自由に、です。 宗教は、何か全然、 違ったものです。 私たちはそれに、 少し後に、入るでしょう。 が、この問題を 理解する - すなわち、私たちは、 この世界に、 単一の葛藤の息吹もなく 生きられるのかどうか、です。 たぶん、あなたは一度も、この疑問を 訊ねたことが、ありません。 たぶんあなたは、 それは不可能だと、言うでしょう - この世界で、葛藤なく 生きることは、です。 13:07 それは不可能だと言うなら、あなたは 扉を閉じてしまったのです。 ですね?  ですが、 それは可能だと、言うなら、 そのときもまた、あなたは 扉を閉じてしまいます。 理解されますか。 しかし、あなたが、「私たちは きわめて、きわめて複雑な問題を、 探究しようとしている」と 言うなら - なぜなら、私たちの生すべては、 子ども時代から、死ぬまで、 それは、一連の格闘、 一連の葛藤であるからです。 果てしなく続く痛みと、 悲惨、混乱です。 ですね? で、どうぞ、あなたが、 この質問をしています。 気をつけて、それに 入りましょう。
14:11 私たちの生には、なぜ 葛藤が、ありますか。 私たちは、生存するために、葛藤、格闘が なければならないことを、理解できます - 社会は、現在時に 構築されているように、です。 そこでは、一人一人の人が、 自分自身のために、頑張っています。 ですね? あなたは、そうでないですか。 あなたのビジネスにおいて、 あなたの宗教的な事柄において、 あなたの救い、覚りの 概念において、 一人一人が、自分は 分離していると、考えます。 この分離は、 外的にも、内的にも、 葛藤の主な要因の一つです。 ですね? 私たちは、昨日、少し それに、入りました。 私たちは、互いに 付いてきていますか。 私たちはみんな、日曜日の 午後に、眠っていますか。 15:19 安らかな一日を過ごすことは、 気持ちよい。 おそらくあなたは、娯楽でもてなされる ために、ここに来るのでしょう。 私たちは、 娯楽の奴隷です - 映画、雑誌、 常なる宗教的な式典。 それらは、一つの形の 娯楽、刺激です。 おそらく、日曜日の晩は、 もう一つの形の娯楽です。 が、これは、 娯楽ではありません。 これは、きわめて 深刻な事態ですし、 大変多くの、 知的能力だけではなく、 探究し、押し、駆けていく 頭脳の性質をも、必要とします。
16:31 この世界に平和に 生きるには、 あなたは、大変多くの 智恵が、必要です。 宗教的な生を生きることは、はるかに 大きな智恵を、必要とします。 私たちがいうその言葉(インテリ ジェンス)は、辞書が言うこと - すなわち、 行間を読むこと、 情報を集めることだけ ではありません。 それは、知能の機能です - 行間を読む、 情報を集める、 それを貯える、 そして、その情報、知識を、 巧みに使う。 ですね? で、私たちは、知的な能力 だけではなく、必要です。 深みを理解するには、そして 判別する、見守る、 何が事実であるのかと、 何が事実でないのかを、 きわめて明らかに 観察するには、です。 17:54 事実とは、 起きてきたこと、 過去であることです。 それは、事実です。 また、今、起きつつあること - それもまた、事実です。 あなたは、そこに 座っていているし、 語り手は、ここに座っている。 それは、事実です。 昨日、美しい日の入りが あったかもしれません。 あなたは、それを見ました。 それは、事実です。 が、未来は、 事実ではありません。 未来は、 「あるもの」、今です。 これは、少し複雑です。 私はそれに、入りましょう。
18:42 私たちは、過去です - 私たちの記憶、 私たちが憶えていること、 私たちの知識の蓄積など、 過去に起きてきたこと すべて、です。 その過去が、 現在に、出会います。 それ自体を修正し、 未来へ進んでいきます。 で、未来は、 現在です。 ですね? 理解されましたか。 すなわち、現在は、過去を 収容しているだけではなく、 現在と、また未来をも、 (収容しているの)です。 これが、見えますか。 それは、現在がすべての 時である、という意味です。 私はそれを、錯綜させないでしょう。 私たちは、ゆっくり進んでいくでしょう。 で、あなたが観察するように、 私たちは、過去に生きています。 19:55 私たちの記憶、私たちの知識、 私たちの憶えていることは、過去です。 そして、現在は、 過去です - それ自体を修正し、 未来へ、進んでいきます。 ですね? 文化、この国の いわゆる文化は、 消え去ってしまいました - 古代の文化は、です。 それは、現代の条件に 適応してきましたね - 金銭、権力などに、です。 適応してきて、 未来へ進んでいきます。 で、未来は、 修正された過去です。 ですね?  ですね? で、この動きの 全体が、時です。 それが、進化です。
21:02 これらをお分かりになるのか どうかと、思われます。 それは、利巧ではない。 それは、利巧な説明ではない。 これが何と利巧だと考えて、 逸れていかないでください。 私たちの日々の生の 事実を、見てください。 私たちの日々の生は、過去から 構成されているだけではない - 過去の出来事、 過去の事故、 過去の傷、負傷から、 心理的に、です。 また、過去の、歯痛が あったのを憶えていること。 そのすべてが、過去です。 その過去に、私たちは生きます。 ですね? その過去は、いつの時も それ自体を、修正しています。 なぜなら、新しい出来事、 新しい事故、 新しい印象が あるからです。 ゆえに、それは、 適応しています。 が、それはいつも、過去の動きです。 過去に根づいています。 ですね? これが、見えますか。 私は、これをもっと、さらに 説明しないといけませんか。 そうしましょう。それは、 とても錯綜しています。
22:24 で、私たちの生は、過去が 現在に出会うことです。 ゆえに、過去が、 現在に出会うことが、 葛藤の要因の一つです。 理解されますか。 世界の現在の状態を、あなた 自身で、観察してください - 特に、インドの、 あなたの国の世界を、です。 それは、私の国では ありません。 私の国は、ヨーロッパやアメリカでは ありません。 私は国を持ちません。 そのようであるのは、 良いことです。 パスポートを持たなくては いけないこと以外は、です。 が、パスポートは、あなたをインド人 にしません。 それは、紙切れですね。 で、この国で、何が起きつつ あるかを、見てください。 古代の文化は - 三千年から 五千年の古さですが - 全く消え去って しまいました。 23:39 それが、正しいのか、間違っているのか - それは、論点ではありません。 バラモン文化、それについて興奮しないで ください。 それは、去ってしまいました。 西洋文明は、文化的でも、 美的でも、テクノロジー的でもあり、 この国を 侵略してきました。 で、あなたは、その様式へ 適応してきました。 ですね? それが、見えますね。 で、過去は、持続的に、自体を 修正しつつあります。 ですね? そして、過去と現在の 間の分割は、 葛藤の要因の一つです。 これが分かりますか。 どうぞ。 ゆえに、日々の生を 生きることは、可能ですか - 理論上の生ではない。 言葉と行いは、 二つの別々のことです。 24:48 私たちにとって、言葉のほうが、 重要です - 行いが、ではない。 あなたは、これらが 聞こえます。 それは、言葉になりますし、 それは、理論になります。 あなたは、自分の日々の生を、 続けていきます - あなたが聞いたり、 読んだり、理論化したりしてきた ことより、全的に離別して、です。 で、言葉と行為、行いとの間に、 分割が、あります。 それもまた、葛藤の 要因の一つです。 ですね? 理解されますか。 誰かが、「はい」と言います。後生です。 あなたたちはみな、眠って見えます!
25:41 で、日々の生を、 生きることは、可能ですか - どうぞ、理解してください - 日々の生を、です。 それで、過去と未来と現在の間に、 何も分割が、ないように、です。 理解されますか。 すなわち、 頭脳は、記録しています。ですね? そこの、あの 録画機のように、です。 あらゆる出来事、 あらゆる事故、傾向、 印象、物理的な傷、 心理的な負傷。 そのすべてが、テープに 撮られています。 頭脳は、 記録する機械です。 それが、 記録しているかぎり - すなわち、 過去ですが - その記録は、あなたが、新しいものを 見つめるのを、阻止しています。ですね? 27:00 これらを理解されるのか どうかと、思われます。 さて、ごく単純な例を、 取ってください。 心理的に、あなたは 傷つきます。 子ども時代から、 家族の中、学校、専門校、 大学をとおして、あなたは、 傷つきます - 心理的に、です。 おまえは、兄さんほど 良くない。 おまえは、試験で、うまく やっていない、などと、です。 これらの過程が、心理的に、 傷つく要因です。 その負傷は、過去です。 ですね? あなた自身を、見つめてください。 自分が負傷しているか どうかを、見出してください。 もちろん、あなたは 負傷しています。 28:00 あらゆる人間は、 心理的に 負傷しています - 父親から、母親から、夫、妻からの きつい言葉によって、です。 それは、負傷として、 作用します。 さて、心理的に 負傷が、あるところ、 あなたは、抵抗の壁を、 築きます。 自然です。ですね? で、その負傷は、あなたがさらに 他の人たちに出会うのを、阻止します。 それであなたは、けっして 二度と、傷つきたくないのです。 これらに注目したことが ないですか。 はい? または、あなたたちは、 とてつもない人間であり、 あなたたちは、一度も 傷ついたことが、ない。
28:58 で、その負傷は、 過去です。 その負傷は、頭脳に 記録されてきたのです。 さて、その記録が、留まっているかぎり、 恐れが、あるにちがいありません。 分かりますか。 ゆえに、葛藤です。 で、私たちは、記録 しないでいられますか。 私は、記録しなくては なりません - どう車を運転するか、 言語を学ぶか、歪んだ ビジネスをするかを、です。 私は、物理的に生きるために、あらゆる 種類の知識を、持たなくてはなりません。 そこで頭脳は、記録しなくては いけません。 ですね? 私たちは、問うています - なぜ頭脳は 負傷を記録すべきなのかを、です。 理解されますか。 なぜなら、記録があるかぎり、それは 継続するにちがいありません - さらに負傷しないことの 恐れにおいて、ですね?
30:22 で、私たちは 質問を、しています - 複雑です。 それは、気をつけた 検討を、必要とします - 心理的に、内的に記録しない ことは、可能なのか、どうかです。 理解されますか。 あなた自身に、 その質問をしてください。 どうぞ、 見出してください。 誰かが、あなたにへつらいます。 あなたは何とすばらしい人物なんだ、と言います。 なぜあなたは、 それを記録すべきですか。 そして、誰かが、やって来て、 「おまえはばかだ」と言います。 あなたは、即座に 記録します。 この記録することは、葛藤の 要因の一つです。 ですね? あなたが、それを理解するなら、 そのとき、そもそも記録しないことが、 可能であるのかどうかが、 分かるでしょう。 なぜなら、自己、 自我、「私」は、 人類の記録すべての 集積であるからです。 31:39 ですね? よろしいですね? あなたたち、みなさんは! 頭脳は、二つの機能を 持っています - 一つは、それが必要である ところで、記録することと、 それが必要でないところで、 記録しないことです。 で、そのとき、頭脳は、 取り散らかっていなくて、自由です。 ゆえに、あなたは、もはや 過去に、生きていません。 ゆえに、葛藤はありません。 ですね? 理解されますか。 語り手が言っていることを、 受け入れないでください。 後生ですから、または、 ご自身のために、です。 あなた自身で、事実を 理解してください。 事実は、あなたが考えることでは ない。 事実は、「有るもの」です。 あなたは、それについて 考えられます。 あなたがそれについて考える ことは、事実ではありません。 ですね? 事実は、「有るもの」です。
33:15 で、あなたは、そこに、 とてつもないエネルギーがあり、 ゆえに葛藤がない生を、 どう生きるのかを、 見るなら - 葛藤は、この記録する過程が、進んで いるかぎり、存在します。 ですね? そのとき、あなたは、必然的に 質問を、するでしょう - これはどうして 可能ですか、と。 ですね? それは、理論的には 優秀に聞こえますが、 これはどうやって、起きる ことになりますか。 ですね? あなたが、この質問を しています - 当然です。 さて、あなたが「どうやって」と訊ねる とき、その問い「どうやって」には、 何が含意されていますか - その言葉「どうやって」には。 あなたは、体系がほしい。 あなたは、様式がほしい。 あなたは、方法がほしいのです - それは、過去です。 これが見えますか。これをご覧に なるのかどうかと、思われます。 34:30 そうね、私たちは いつも、頼んでいます - 何かをどうするかを、 教えてください、と。 私が大工であるなら、理解できます。 私は、 大工の親方へ、行かなくてはなりません。 彼は、色々なやり方を、私に示して くれるでしょう - 木目を見なさい、 それはまっすぐな木材 なのか、などなどです。 が、私が、内的に、 「どうやって」と訊ねるとき、 私は、自分が従える様式を、 ほしがります - ですね? - 私が真似をできる方法を、 です。 で、方法、体系、実践は、 頭脳に、記録されつつあります。 ですね?  これに 付いてきておられますか。 で、けっして、「どうやって」を 訊かないでください。 それは、最大の 発見の一つです。 - 心理的に、けっして誰にも、 「どうやって」を、訊かない。 35:44 もちろん、あなたは、「私は、どうやって この場所を出て、自分の住む部屋へ 行くべきか」を、訊ねるでしょう。 私は、「どうぞ、言ってください」と 頼まなくてはいけません。 それは、違った事柄です。 が、導師に訊ねること - みなさんがするように・ ・・ そうですね。 みなさんは、 様々な人々を、見てきました - 奇妙な衣装を着たのを、です。 あなたは導師を、持ってきました。 彼らは導師に、どうやって 覚りに到達するかを、訊ねます。 そして、哀れなやつは、あなたに、 どうやるかを、語ります。 あなたがするすべては、 反復することです。 それで、あなたの頭脳は、記録 しています。 よろしいですか。 それで、その記録は、あなたに 明瞭さを、阻止します。ですね?
36:35 さて、あなたが、どうやってを訊ねない なら、あなたが、その言葉を全的に 自分の意識より、外してしまえるなら、 そのとき、何が残っていますか。 そのとき、あなたは 自分自身を、見つめています。 あなたは、自分の活動を 見つめています - 過去が現在へ作動して、自体を 修正し、進んで行くのを、です。 この循環。 ですね? 行為・ 反応(作用・反作用)と、 反応・行為の循環、です。 ですね?  これが、私たちが 生きるところの循環です。 それは、潮が引いてゆき、同じ水が 満ちてくるのに、似ています。 ですね? これが、私たちの生です。 さて、私たちは、別の質問を しようとしています。 すなわち - 私は、あなたに あまりに迷惑を、掛けていますか。 37:44 それは、 あなたしだいです。 すなわち、私たちの生は、行為と反応 (作用と反作用)です。 ですね? それは、潮が引いてゆき、 満ちてくるのと、似ています。 挑戦、応答、 問い、答え。 さて、水が出てゆき、 水が入ってくるように、 行為と反応(作用と反作用)が 何もないとき、 精神、頭脳の状態は、 ありえますか。 これには、あなた自身への観察が 大変多く、必要とされます。 私は、それに入らないでしょう。 当面の間、それは、あまりに複雑です。
38:36 で、記録しないことは、 可能ですか。いいですね? 侮辱やへつらいを、記録しないこと、 誰かが、「おまえは馬鹿だ」とか、 「まぬけだ」とか言うのを、 記録しないこと - あなたが、自分は利巧な人だと 考えるとき、です。 記録しない。 記録過程が生において 何をするかを、 あなたが見るときだけ、 それは、可能です。 ですね?  仮に、あなたが 結婚していると、します - または、 結婚していないとか、 彼女と生活しているなど、と。 その関係での あらゆる出来事が、 それが性的などであっても、 あらゆる出来事が、 その言葉が、記録されます。 テープに撮られ、記録されます。 ですね?  そのとおりです。 そうでしょう。 その記録は - あなたは、 夫の記録を、持っています - それらの二つの記録が、 記憶です。ですね? 40:02 ゆえに、あなたは、過去に 生きています。当然です。 で、何が起きますか。 あなたたちは、けっして、 互いに、新鮮に出会いません。 ですね?  あなたは、けっして、 何も、新たに見えません。 ですね?  そこに 葛藤が、あるのです。 古いものが、いつも、 新しいものに、出会っていて、 新しいものを、変化させています - 過去へ順応するように、です。 新しいものを、 過去へ順応させたり、 同化させたりすることは、 葛藤の過程です。 これらを理解されるのか どうかと、思われます。 私たちは、自分の頭脳を、働かせて いますか。 または単に、聞いていますか。 あなたは、自分の頭脳の能力を、使って いますか。で、私たちは戻ってきます。
41:12 いつの時も、記録しているとき、あなたは エネルギーを、むだにしています。 なぜなら、あなたは、自分が私に 言ったことを、憶えており、 私はそれについて怒るからです。 よろしいですか。 で、あなたは、記録することすべては、 エネルギーのむだであると、発見します。 ですね?  あなたは エネルギーが、必要です! 偉大な学者であり、たくさん 読書してきて、 多くの物事を知っている人々 - あなたは 彼らに会ったことが、ないですか。 ものすごく、です。 すべてが 頭脳に、貯えられています。 なぜ、そのすべてを、あなたの 頭脳の中に、持ち運びますか。 それらは、書物に載っています。 あなたは、それらを読めます。 なぜそれを、ここに 持ち運びますか。 いいえ。 探究し、それに入って ください。あなたは、見るでしょう。 あなたは、それを、この中に 持ち運びます。 なぜなら、それは、 あなたに、権力、地位を、 与えてくれるからです - 学者らしい。 ですね? 偉大な パンディット(学識者)です。ですね? で、あなたの頭脳は、そのとき、 知識の重荷を、こうも負います。 そして、知識は、愛の敵です。 ああ、後生ですから! 42:45 あなたは、これを、知的にはでなく、 自分の心から、理解するなら、 そのとき、知識は その所を、持っていますが、 心理的に、それは、いかなる 所をも、持っていません。 ですね?  あなたは、 そのように生きられますか。 あなたは、日々の生を 生きられますか - けっして心理的に 記録しないで、です。 あなたは、それを 試してみるでしょうか。 あなたは今、そこに座っていながら、 そうするのでしょうか。 または、家に帰り、 それについて考えますか。 あなたがそれについて、考えようと しているのは、存じています。 たぶんあなたは、そうしています。 あなたは、それについて考えています。 その考えることは - それは、知識から生まれます - 愛を阻止しようと しています。ですね?
44:05 で、私たちは、別の問いに 入ろうとしています。 あなたが何かについて考えるとき、あなたが いう考えるとは、どういう意味ですか。 私は、あなたについて 考えます - 私の妻、私の夫に ついて、です。 私は、自分のビジネスについて、 考えます - 考える。 考えるとは、 どういうことですか。 何かについて、考える。 ですね? そして、考える - 何かについて、 ではない。 違いが、分かりますか。 ああ、神様! 私たちは、進んでいいですか。 あなたは、疲れすぎて いませんね。 日曜日の午後です。 あなたは、月曜日の朝、 もう一度、始められます。 オフィス。 課業が始まります。 少なくとも、今晩、あなたは、 多かれ少なかれ、自由です。 あなたは、これらのごみを 聞いて、楽しくできます。 しかし、それは ごみではありません。 それは、何かひどく 深刻なことです。 なぜなら、人は、自分自身を、 破壊しつつあるからです。 そして、知識は、 破壊の要因の一つです。 ゆえに、愛があるところ、 破壊は、ありません。
46:05 私たちは、一定のことを、理解し なければなりません - すなわち、 考えるとは何であり、何かについて 考えるとは、何ですか。 ですね? 何かについて考えることは、 一つの要因です。 そして、考えることは、別の 要因です - ですね?  考える。 で、私は、ヨーロッパやレバノンに ついて、考えられます - 破壊、殺害、進んでいる おぞましいこと、です。 または、私は、探究しましょう - 考えるとは、何ですか。 理解されますか。 あなたは、この ゲームで、私に加わるでしょうか。 私たちはともに、働いて、 これを解こうとしています。 私は、自分の面白さのために、 それをしていません。 私たちはともに、 それをしています。 考えるとは、何ですか。 あなたが、「私は、あなたが言った ことについて、考えよう」と言うとき - ですね?  それは、私が言ってきた ことについて、考えることです。 または、あなたは実際に、 対象なく、考えています。ですね?
47:30 さて、考えるとは、 何ですか。 なぜなら、思考は生において、最もとてつも ない物事を、創り出してきたからです - 偉大な寺院、神殿、偉大なモスク、 すばらしい大聖堂、 あれら、すばらしい構築物の壮麗さ、 空に聳え立っています。 偉大な絵画、彫刻、 偉大な詩歌、ですね? また、思考は、戦争のとてつもない 兵器をも、創り出してきました。 思考はまた、寺院、神殿の中、 モスクの中、教会の中の、 物事すべてをも、 創り出してきました。 48:23 ですね? これらは、事実です。 あなたは、こう言うかも しれません - 「いいえ。 それらは、神からの 直接的な啓示です」と。 あなたが、そう言うとき、 それもまた、思考です。 ですね? で、思考は、最もとてつもない ことを、してきました。 そしてまた、最もおぞましい ことをも、してきました。 思考は、人々を焼いてきました - 彼らを 異端者と呼び、彼らを焼き殺します。 そして、思考は、こう 言いました - 「あなたは、マルクス、エンゲルスに 従わなければならない」などと。 思考は、私たちの生において、 とてつもなく重要であったのです。 ですね? これを 理解されますか。
49:16 さて、思考とは何ですか。 考えるとは、何ですか。 見て、探究し、それを見つめてください。 自分自身の考え方を、見つめてください。 あなたは、自分の妻に ついて、考えます - 仮に、あなたがそもそも そうする、としてです。 あなたは、自分の妻や 夫について、考えます。 あなたが、彼女や彼について考える とき、その考えるのは、何ですか。 あなたは、 その人物の経験を、 その人物のイメージを、 持っています。 その人物の本性、ようす、 構造、見映え - それは、記憶です。 ですね? よろしいですか。 その記憶は、その人物の知識に、 基づいています。 ですね? その知識は、その人物との 経験に、基づいています。 50:28 ですね? これは見えますか。 で、考えるのは、経験から 生まれます。 ですね? 知識は、経験に由来し、 頭脳に、記憶として貯えられる。 その記憶への反応が、 思考です。 ですね? で、思考は、 物質的な過程です。 ですね?  それは、 見えるでしょうか。 よろしいですか。 で、思考は、 神聖ではありません。 それが創り出す何も、神聖では ありません - あなたのウパニシャッド、 あなたのギーター、あなたのバイブル、 コーランは、神聖ではありません。 あなたが何を、受け入れて いるかを、見てください - あなたが、思考は物質的な過程 であると、言った瞬間に、です。 それは、物質的な過程です。 なぜなら、 頭脳、脳細胞は、過去の記憶、 過去の知識、過去の経験を、 収容しているし、そこから 思考が、生ずるからです。 51:52 もしもあなたが、何も経験、知識、 記憶を、持っていなかったなら、 何も思考は、ありません。 ですね? で、気をつけて、それを見つめてください。 あなた自身で、それが見えるでしょう。 で、思考は、 物質的な過程です。 ですね?  それが 見えるでしょうか。 で、思考は、神を創造してきました。 それから、思考は、神を崇拝します。 そうですよ!  あなたは、 そうしてきました! これは、とても重要です。 どうぞ、それを見つめてください。
52:42 思考が、物質的な過程であるなら、 私たちは、何ですか。 質問を 理解されますか。 私たちは、何ですか - 心理的に、です。 思考は、「あなたはヒンドゥー 教徒である」と、言います。 思考は、「あなたは 偉大な人である」と、言います。 思考は、「あなたは覚りを達成し なければならない」と、言いますね。 思考は、「あなたは冥想しなければ ならない」と、言います。 思考は、「服従しろ、従え、他の 誰かのようになれ」と、言います。 で、思考は、「なれ」と言います - 外的にも、です。 あなたが事務員であるなら、 「課長になれ」。 あなたが課長であるなら、 「重役になれ」。 あなたが重役であるなら、 「会長になれ」、と。 また、思考は、「あなたは 弟子である」と、言います。 「あなたは、最終的に大師に、 究極的に導師になるだろう。 さらに先に、 覚りを開くだろう」と。 思考が、これらを 構築しています。 あなたがこれらを悟られるのか どうかと、思われます。
54:19 で、私たちは 思考により、生きます。 経験は、制限されているので、 知識はいつも、制限されています。 それが、科学的な知識、 生物学の知識、 算数の知識など であっても、です。 すべての知識は、いつも、 永遠に制限されています。 未来の知識は、制限されています。 ですね? これは見えますか。 いえ、見えませんね。 よろしいですか。 知識は、制限されています。 なぜなら、それは、経験に 基づいているからです。 そして、それは、経験であるから、 制限されています。 ゆえに、思考は、 制限されています。 思考は、無制限のものを、 想像できます。 自分が無制限のものを、 達成するのを、想像できます。 55:27 ですね? これらに 付いてきておられますか。 思考は、言葉です。 ですね? 思考は、象徴です。 で、覚り、測量なきものは、 言葉です。 言葉は、実際のものではありません。 これらを理解されますか。 で、頭脳は、言葉のネットワークより 自由でありえますか。 そうですよ・ ・・ 自己、「私」、自我は、 知識です。 ですね? よろしいですか。 あなたたち、パンディット(学識者)、 あなたは、それに同意されるでしょうか。 自己、「私」は、 知識の本質です。いいえ?
56:47 いいですよ。逆の方から、 表しましょう。自己とは何ですか。 あなたは、何ですか。 さあ、どうぞ。 あなたは、何ですか。 あなたの名前、あなたの姿形、 あなたが着ている服 - あなたが、特殊な種類の サンニャーシであるなら、です。 あなたは、銀行口座を 持っています。 あなたは、ビジネスマンです。 あなたは たくさんの経験を、してきましたね。 あなたは、大変多くの 楽しみ、痛み、心配、 さびしさ、悲しみを、 持ってきました。 ですね?  あなたは、 それです。そうでしょう? ですね?  あなたは、それを 認知するのでしょうか。 または、「私はアートマンだ。 何か はるかに優れたものだ」と言いますか。 ああ、はい。 みなさんが、そうします。 もしあなたが、「私ははるかに 優れている」と、言うなら、 それもまた、 思考の創案です。 ですね? あなたは、それについて、読んできたから、 「おやまあ、上の自我がある」と言います。 58:06 または、或る導師が、 やってきて、「超意識が、ある。 あなたは、それを降ろして こなければならない」と、言います。 ですね? で、そのすべての過程は、 思考の動きです。 そして、思考は時です。 ですね? なぜなら、知識を取得することは、 時を必要とするからです。 知識を取得することは - たとえば ロシア語や英語やスペイン語や フランス語ですが - 大変多くの 時を、必要とします。 あなたは、三ヶ月か、一年を使うかも しれません。 それは、時です。 で、内的か外的に、知識を取得する ことは、時を必要とします。 ですね? あなた自身について学ぶことは、 時を持つことです。 ですね? これを理解されますか。
59:17 あなたが自分自身と、どういうゲームを やっているかを、見てください。 私は、自分自身について 学びたい - 自己認識です。 私は、それについて 大変多く、話してきました。 自己認識、自分自身を知ること。 自分自身を知るには、 私は、究明しなければなりません。 私は、観察しなければなりません。 私は、分析しなければなりません。 私は、内省をしなければなりません - よろしいですか。 見守る、学ぶ、観察する、 自省している、気づく。 そのすべては、 時が、掛かります。 ですね?  それに同意される でしょうか。それは見えますか。 そのすべては、 時を必要とします。 月について知ることは、時を、 必要とします。 ですね? これは、単純です。 また、私自身を知るために、 私たちは、「私は時を必要と する」と言ってきました。 ですね? それは、 どういう意味ですか。 ああ、あなたたちは、 多くを見逃しています。 あなたたちは、どうして しまったのですか。
1:00:33 時は、人の敵です。 啓明は、時をとおした 覚りではありません。 それは、段階的な過程、 成功に次ぐ成功ではありません。 あなたは、思考が時であるのが、 見えるとき - もちろんです。 理解されますか。 思考は、 動きですね。時は、動きです。 明らかですか。 で、 思考と時は、相伴います。 それらは、 分離していません。 思考は時です。 時は思考です。 で、思考は、こう言います - 「私は 覚りを開かなければならない。 「私は、自分のあるがままから、自分のある べきものに、ならなければならない」とね。 すなわち、やれまあ。 私は、これらすべての ことを、説明しなくてはなりませんか。 私は、暴力的です。 人間たちは、暴力的です。 あなたは、暴力的です。 そうでないですか。 1:01:58 あなたは、「私は暴力的で あってはならない」とか、 「非暴力的にならなければ ならない」と言います。 で、非暴力的になることは、 時が、掛かります。 非暴力的になっていく、その間隔の間に、 あなたは、暴力的でいつづけます。 で、非暴力は、戯言です。 ですね? 事実であるのは、 暴力です。 で、私たちの頭脳は、 なっていくよう、訓練されます。 あなたが、事務員になり、 梯子を登るように、 同じことが、心理的な世界へ 拡大されます。 付いてきておられますか。 そこで私たちは、言います - 「私は無知だ。 私は、自分自身について 知識を持たなければならない」、 「私は暴力的だ。 私は、非暴力的に ならなければならない」、 「私は怒っている。私は、怒りなしに ならなければならない」と。
1:03:10 さて、気をつけて、 それを見つめてください。 あなたは、暴力的です。 暴力は あなたより、分離していません。 それに、同意されるでしょうか。 いいですか? ヒンドゥー教徒は、 とても利巧な連中です。 彼らは、或る点まで、同意するでしょう。 私はそれを、彼らの顔に見られます。 が、彼らは、その裏に、 「私」は観察者より 違っているとの観念を、 持っています。 目撃者、目撃する人物は、 違っている、と。 ですね?  ご自分がやっておられる ゲームを、ご存じですね! それは、事実ですか。 怒りより異なった観察者があると いうのは、事実ですか。 気をつけて。それに答えないで、 気をつけて、見つめてください。 1:04:14 怒りは、私です。私は 怒りより、異なっていません。 ですね? 暴力は、私です。 非暴力は、 私ではありません。 ですね? それは、観念だけです。 事実は、私は暴力的である、と。 それは、事実です。 非暴力は、非事実です。 が、私たちは、非事実を追求します。 なぜなら、私たちは、「有るもの」を どう取り扱うかを、知らないからです。 これに付いてきておられますか。 で、観察者は、観察されるものより 異なっていません。 ですね? いいえ、これは困難です。 やれまあ! 私はそれに、入りましょう。
1:05:17 あそこの、あの樹が見えますね。あなたが そもそも、樹を見つめる、としてです。 あなたが、樹を見つめるとき、樹は 明白に、あなたより異なっています。 ですね?  夕方の雲。 光と美しさに 満ちたのは、あなたより、異なっています。 しかし、あなたが、あの樹を 見つめるとき、何が起きますか。 樹を見つめてください。 何が起きますか。 あなたは即時に、その言葉を 使います。 ですね? で、その言葉は、それを 見つめるのへ、介入します。 彼女は私の妻だ、とか、 私の夫だ、と。 終了です。 ですね?  これらを、 ご存じないですか。 で、その言葉は、あなたが 観察するのを、阻止しています。 ですね? また、その言葉は、 そのものではありません。 「樹」という言葉は、 樹ではありません。 1:06:41 「私の妻」という言葉は、妻ではありません。 これをご覧になるのかどうかと、思われます。 これが見えるなら、 あなたの、妻との関係は、 全然違っているでしょう。 ああ、みなさんは・・・ で、時は思考です。 思考は、「私はこれだ。 私は、あれに ならなければならない」と、言います。 ゆえに、なることは、 時を含意しています。 あなたは、何に なっていっていますか。 あなたたち、パンディット (学識者)は、これに答えてください。 あなたは、何に なっていっていますか。 もっと覚りを開く? より良い人間になる? あなたは、良くないが、あなたは、 「私は良くなろう」と言います。 あなたが、良くなりつつあるとき、 あなたはけっして、良くないでしょう! それをご覧になるのか どうかと、思われます。 で、なっていくことは、ないのです。 それは、葛藤の要因の一つです。 1:07:59 が、あなたが、「いいよ。 事実は、暴力は私である、と。 暴力は、私より分離して いない」と言うなら - ですね? それは、事実です。 「私」は、私の顔です。 「私」は、 私の性格、私の、その他すべてです。 が、私たちは、起きつつあるものより、 「私」を分離してきました。 ですね? すなわち、思考は、思考者より 暴力を、分離してきました。 ですね?  あなたは、 疲れつつありますか。 ああ、いいえ。 あなたは、 疲れているにちがいありません。 あなたはただ、協働し、 働いていないから、 そういうわけで、あなたは、「私は 疲れていない」と言うのです。 あなたは、協働し、 働いているなら、 あなたの頭脳において、何ととてつもない ことが、進みつつあるかが、分かるしょう。
1:09:11 ご覧ください。暴力は私です。 貪欲は私です。怒りは私です。 後で私は、「私は怒っていた」と 言いますが、事実は、怒り、 嫉妬、憎しみ、心配などは、 私であるのです。 で、観察者は、 観察されるものです。 ですね? よろしいですね?  これが見えますか。 ああ、いいえ、見えません。 葛藤の要因の一つは、 私たちが、思考より思考者を、 分割してきたことです。 ですね? 思考なしには、思考者は、 ありません。 ですね? が、私たちは、思考者を、分離して きました。 経験より経験者を、です。 私たちは、分析されるものより、 分析者を、分離してきました。 ですね? これに注目したことが、ないですか。 で、永続的な葛藤、分割が、あります。 で、観察者は、 観察されるものです。 経験者は、 経験です。 その問いに、入ってください。 私は、時間がありません。
1:10:54 みなさんは、 経験したいのでしょう。 涅槃や 他の何かの要因、 セックスや、他のどれでも、 あなたは、経験したい。 経験とは、何ですか。 あなたは、それが経験であると、 どうやって知りますか。 あなたは、それを認識するとき、 それを知るだけです。 ですね? で、何が起きつつあるかを、 見てください。 あなたが、それを認識するとき、 それは、新しくありません。 が、けれども、あなたは、そう呼び、 「私は新しい経験をしなければならない」と。 で、経験すべては、認識されたとき、 単に、過去の思い出です。 そうです。 これを、あなたの 血に入れてください。 すると、何が起きるかが、 分かるでしょう。 そのとき、あなたの精神は、こうも 鋭敏で、気づき、注意深い。 まったく経験が、ありません。あなたは これらを、理解しないでしょう。
1:11:59 で、私たちは、葛藤の原因を 探究しています。 葛藤の原因の一つは、 二元性です。 ですね? 暴力と非暴力、 それは、二元性です。 善と悪、 憎しみと愛。 なぜ私たちは、二元性を 持っていますか。 それを、アドヴァイタ(不二一元論)や、 何か他のサンスクリット語に、翻訳して、 免れてしまわないで ください。 なぜ私たちは、二元性を持っていますか。 二元性は、何ですか。 あなたは、女です。 私は、男です。 あなたは背が高い。私は低い。 あなたは色白です。 他の一人は、白いか、 もっと白い。それが何でも、です。 ですね?  比較があるとき、 二元性は、存在するだけです。 これらに 付いてきておられますか。 私は、自分自身を、あなたと比較する とき、二元性を、創り出したのです。 いいですか? よろしいですか。 で、私は比較しないなら、 二元性は、ありません。
1:13:23 ですね? すなわち、私は 非暴力を、考案してきました。 この国は、それで 満ちています - 非暴力です。 少なくとも、彼らは それについて、話します。 が、事実は、彼らは 暴力的であるのです。 事実、です。 事実は、 二元性を、持ちません。 ああ、私はそれが分かります。 私はそれを 発見したばかりです。理解されますか。 事実は、対極を 持ちません。 私は怒っている。 それは、事実です。 が、私が、「私は怒ってはならない」 と言うとき、二元性が、生じます。 で、とても興味深い。 あなたたちの頭脳を、使い、 これらに入ってください。 で、私は怒っています。 それは、事実です。 私は、 何をすることに、なりますか。 私は、「私は怒っては ならない」と、言わないでしょう。 そのとき私は、葛藤の中に います。 理解されますか。 私は、それを 抑圧しないでしょう。 抑圧がない。逃避がない。 それを超越することが、ない。 1:14:52 で、何が起きますか。 進んでください。 事実より離れた動きが ないとき、何が起きますか。 進んでください。 すなわち、それを離れた動きは、葛藤を 創り出す、二元性を創り出すのです。 そして、二元性については、 利巧なインド人たちにより、 多くの書物が、 著されてきました。 語り手は、始まりからずっと、 二元性がないと、言ってきました。 なぜなら、事実だけが あるからです。 しかし、私が事実を乗り切りたい とき、私は二元性を創り出します。 よろしいですか。 ご覧ください。 そのとき、何が起きますか。 どうやって、事実とともに 留まるのか。 理解されますか。 事実から 動いて離れない。 事実から離れる、どの動きも、 葛藤と二元性です。
1:16:07 で、あなたが事実とともに 留まるとき、何が起きますか。 あなたが働いて、 解いてください。 私が働いて、解きつつありますが、 あなたが、働いてください。 あなたが、事実に留まるとき、 何が起きますか。 それは、どういう意味ですか。 あなたは・・・ 私はあなたに語れます。 あなたは、「はい、 はい」と言い、行ってしまうでしょう。 あなたは、専注しません。 ご覧ください。 私が事実より動いて離れる とき、私はエネルギーを、失ったのです。 ですね? それが見えますか。 私は事実より、動いて離れるとき、 それは、エネルギーのむだです。 ですね? で、事実より離れた動きが、 何もないとき、 すべてのエネルギーが、 そこにあります。 それは、事実とともに、そこに 完全な注意が、という意味です。 完全な注意があるとき、 それは、光に似ています。 強力な光が、事実に 放たれている。 そのとき事実は、その内容 すべてを、開示します。 理解されますか。 そのとき、 事実は、何の意味もありません。 ああ、さあ、どうぞ! 理解されますか。
1:17:55 さて、見てください。私たちは、 知識は愛の敵であると、言いました。 そして、愛は、 対極を持ちません。 が、私たちは、対極を 作ってきました - 憎しみ、です。
1:18:25 すみません。 軽い引きつりです。 私は、あなたのために、一生懸命 働いています。まさにそういうことなのです。
1:18:45 で、みなさま、私たちは、きわめて、 きわめて複雑な問題を、検討してきました。 私たちは、ともに 検討してきました。 語り手は、検討してきませんでした。 あなたが、検討してきました。 語り手は単に、あなたの声として 作用しているだけです。 語り手は単に、「有るもの」を 示しているだけです。 あなたは、それを見つめています。 あなた自身を、見つめています。 あなたが、気をつけて、 あなた自身を見つめるとき、 あなたは、過去に 他なりません - 過去の記憶、過去の思い出、 過去の楽しみ、です。 あなたが苦しむとき - ほとんどの 人間は、不幸にもそうです。 またもや、それより 逃避する。 で、あなたが、事実に 留まるとき、それは、蕾を 見つめるのに、似ています - バラの蕾を見つめている。 あなたは、バラの蕾が開くのを、 見るでしょう - それの好い香り、 それの美しさ、それの性質、 優しさ、柔らかさ、です。 あなたが、事実を観察するとき、 それは、消え去ります。よし。
1:20:35 私たちは、次の週末に、 継続するでしょう。 恐れ、悲しみについて、 宗教とは何なのか、 冥想とは何なのか、 死とは何なのかについて、話します。 なぜなら、これらは、 私たちの生の部分であるからです。 あなたは、一方より 他方を、分離できません。 あなたは、「私は冥想しよう」と言って、 愚かな人物ではいられません。 生を理解するには - この 複雑な生の問題全体を、です - あなたは、大きな辛抱が 必要です。 時の辛抱、ではなく、 辛抱、です。 あなたは、生きて、問い、訊ね、 疑っている頭脳が、必要です。 そのときあなたは、自分自身で、 言葉なしに、見出すでしょう - 言葉により測量されて いないものを、です。
1:21:48 私があなたたちを、引き留めて おいたなら、すみません。
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