Krishnamurti Subtitles home


BR76CTM1 - 私たちは、自分たちが断片化していることに、気づいているのか。
ボームとシャインバーグとの議論、第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月17日



0:14 クリシュナムルティ(K): 私たちは、何について、話をしましょうか。 あなたたちは、何が、私たち三人が話をできる 最も重要なことだと、思いますか。
0:28 シャインバーグ(S): 私は、近頃アイディアを持っている一つのことは、 ずっと私の念頭にあったし、 私たちが前に話したときから、それを思いつきつつありました - 思考や仕事や、何かそのようなものではなく、 生が初めに来る、と、あなたは伝えてきた、 という感じが、あります。言い換えれば、私は自分自身にそれを見るし、 ほとんどの人々がその事実に 捕らわれていると、私は見ますが、 そうね、あなたはかつて、私たちは受け売りの生を生きる、と言われました。 もしも私たちが、それについて、私たちの生が受け売りなことについて、 話せたらなあ、と思います。
1:07 K: あなたはどう、仰りますか。 ボーム(B): まあ、それとの関係で、 おそらく私は、全体性という問いについて、話をしたいでしょうね。
1:18 K: 私たちは初めに、それについて話をし、それから、あなたのを、含めましょうか。
1:21 S: いいですよ。これはそれの一部である、と私は思います。 受け売りであることは、全体性ではないことが、分かります。
1:27 K: 全くです。 私たちはどのように、この問いへ接近できるのか、と思われます - ほとんどの人々は、断片化し、砕けていて、 全体的でないことを、知って、 私たちは、この問いへ、どのように取り組みますか。または、接近しますか。
1:56 S: 断片化への直接的な気づきをとおして、です。
1:59 K: いえ。私はむしろ・・・私はただ訊ねています。なぜなら・・・ 私たちはそれについて、理論的に議論していますか。
2:08 S: いいえ。
2:10 K: 言語的に、ですか。または、私たち自身 - あなた、私たち三人ですが - 私たち自身を、ありのままに取って、 断片化とは、どういう意味かを、検討していますか。 そのとき、そこから働く。 全体とは何か、です - 理論的にとか、言語的に、ではない。 そのとき、 それは活力を持つ、それは何か意味を持つ、と私は思います。
2:34 S: まあ、断片化が見えるなら、 全体性はそこにありますね。
2:39 K: ああ、何も想定しないでください。

S: はい。
2:42 B: それはあまりに速すぎます。

K: すると、私たちは理論へ逸れています。
2:45 S: いいです。そうです。
2:50 K: 私たちは、ここの(学校の)たくさんの学生と 話をしていました - この問い、です。 ボーム博士も、そこにいました。 私たちはいったい、自分自身に気づけるのかどうか、です。 または、私たちは、断片化の総体ではなく、 継ぎはぎに、気づくだけですか。 私がこれを伝えているのかどうか、分かりません。
3:27 S: 進んでください。
3:31 K: 様々な断片に気づく、それらを意識できる、 知られるでしょうか - 一つずつ、一つずつ、検討して、です。 そして、検討者は誰なのか。 彼もまた、断片ではないですか - 権威を決め込んだ断片ではないですか。 で、私たちは、断片について気づくことについて、話すとき - 社会的、道徳的、倫理的、宗教的、ビジネス、芸術、 活動全体が、断片化しています。 自らは、これら断片の動きに、 気づけますか。気づきますか。 または、一つの断片を取って、それを検討したり、 「ええ、私はそれに気づいている」と言うが、多くには、気づいていないのか。 私の言っていることに、付いてきていますか。
4:36 S: 付いていっています。私は、ほぼ気づいていると、思います・・・ あなたが仰っていることについて、考えるとき、私は、一種、多くの断片に 気づいているようです。

K: そうですか。
4:48 S: 一時に一つ。そのように、機関銃のように、拡がります。
4:54 K: ええ。で、あなたは本当は、一つずつ、気づきます。
4:57 S: そうです。諸断片の動きに、捕らわれてしまっている。
5:01 K: 一つずつ。そうですか。 そうであることは、確かですか。
5:11 S: ええ。そのようだと、思います。 まあ、それから、時々、一歩下がったりもあります。 一歩下がるようです。 または、私は一歩下がるようだし、これら多くに気づきます。
5:25 K: いいえ。ボーム博士が、「この全体性(ホウルネス)の問いについて、 私たちは話をできませんか」と訊ねたとき、 それは、聖性(ホウリネス)、健康、健全さ、正気、それらを、含意しています。 彼は何の根源から、その問いをしているのかと、思われます。
5:46 S: ええ。彼は、断片化した地位から来ているのか、または、 彼は、全体的な地位から来ているのか、という意味です。
5:51 K: いえ、いえ。 彼が、全体的な地位から訊ねているなら、何の疑問もありません。 で、私はよろしければ、お訊きしたいのです - 私たちは、全体として、諸断片に気づいていますか - 諸断片の集積に、です。 または、私たちは、毎回、一断片に気づいていますか。 どう仰りますか。
6:24 B: 一般的に、ものは、それ自体を表示します - まず第一には、一断片として、・・・
6:29 K: 一時に、一断片。

B: ・・・他の断片すべての背景を、 おそらく、その中にぼんやりと表示させて、です。 私がいうのは、始まりには、 気づきにおいて、一断片が 強調されたり、突出したりするようです。
6:46 S: その一断片は、すばやく断片化して、 多くの小さな断片になりませんか。 私は観念を持つ。そのとき、その観念は、他の観念と対照的です。 で、私は即時に、そこで二つの断片へ、捕らわれてしまいます。 そのとき私は、もう一つ、観念を持つが、 それは、あの初めの観念の反復です。 で、私はむしろ、諸断片の動きに、捕らわれています - 私の態度は、断片化しています。 私の関係は、断片化しています。 私の動きの実質こそは、断片化の感じです。 自分が断片化しているとき、私は中心を持ちません。私は・・・
7:28 K: それは確かではないですね。

S: それが疑問です。
7:32 K: あなたが断片化しているとき、 中心がないことは、私にはまったく確かではない。
7:37 B: 明確に中心はあると、思います。

K: あります。

B: それが、あなたが気づく主要な断片です。
7:41 K: 主要な断片 - そのとおりです。
7:43 S: では、もっとそれへ入りましょう。
7:48 B: まあ、中心があるとは、思うんです。 それは、どこにでも、感知されるかもしれません - ここだとか、ここだとか、言う。 それは、あらゆる物事の中心だと、見えます。 それは、あらゆる物事へ連結しています。ですね?
8:04 S: 仰っていることは、分かりますが、 断片化が進んでいるとき、 それは、中心がそれ自体を探しているように、私は感じます。 それは、自らが中心でないように、感じます。
8:13 K: あなたは、断片化に気づいていますか。 「断片化が進んでいる」ではない。
8:18 S: ええ、私は気づいていません。
8:20 K: すると、私たちは何に気づいていますか。
8:24 S: 私が思うに、それはすごい問いですね。なぜなら、 断片化があるとき、私たちが気づくことは、 もっと多くの断片へ、吸い出されていくように、思うからです。 言い換えると、それは、一種、もっと多くの断片化の動きです。 もっと多くの断片化 - それが、私たちが気づいていることです。 あなたが、楽しみということに立って、話してきたこと - それは、楽しみが私たちを、もっと多くの断片へ、引き出しているようです。 これが、私は楽しみを与えるだろう。 あれが、私に楽しみを与えるだろう。 それは、あの切れ切れの感じです。
8:56 K: 楽しみという問いへ入る前に、 私たちは実際に、 「私は断片化している」と言う中心から、気づいていますか。 それが、問いなのでしょう。
9:15 B: ええ。

S: それが問いです。
9:18 B: 私たちは、中心にも気づき、中心からも、気づいています。
9:21 K: そうなんです。
9:23 B: この中心は、あなたが仰るように、支配している断片とか、 支配しようと試みている断片だ、と見えます。
9:30 K: その中心が、支配的な要因です。
9:32 B: ええ。言い換えると・・・
9:34 K: それは自体が、断片です。
9:36 B: ええ。この中心は、ですね・・・ それは、あなたの存在の中心だと見えます。 まるで、それが、自我や自己の中心であるかのように、です。 自らは、それは全体である、と考えるかもしれません。
9:48 K: 全く、です。
9:50 B: なぜなら、それは、あらゆる物事と接触しているからです。言い換えると・・・
9:55 K: あなたは、中心を持つことが、 断片化のまさに原因であると、仰るんでしょうか。
10:01 B: そうでしょうね。 一見して、それは、 全く違って見えますが。
10:05 S: 一見して・・・それは重要だと、思います。 その間の違いは・・・一見して、そのようには見えません。
10:11 B: 一見して、中心は、 あらゆる物事を全体へ 組織しつつあるものだと、見えます。

K: ええ。
10:16 B: 自らは、中心に、あらゆる物事を全体へ 持っていってほしい、断片化を止めてほしいと、感じます。
10:22 K: ええ、統合をもたらそうとする。 全体性とそれらを作ろうとする。
10:27 S: そのとおり。 断片化を感じるなら、 そこに中心を置いて、 「私は、断片化すべてが見える」と言う。 しかし、それはやはり中心です。
10:34 K: いえ。私は訊ねています - 中心があるとき、 それは、諸断片を作り出しませんか。
10:41 S: それは分かります。 仰っていることは、分かります。 ですが、私はそれを、捉えようとしていて・・・ 断片化があるとき、経験とは何でしょうか。 中心があるようには、見えません。

K: 矛盾です。
10:54 S: そうです。でも、それは中心のように感じません。
10:58 K: ええ。矛盾です。 諸断片があるとき、 私は、矛盾ゆえに、 諸断片に気づいています。

S: そうです。
11:06 K: 対立しあう要因のためです。
11:09 B: あなたのいう矛盾とは、また葛藤という意味で・・・
11:12 K: 葛藤です。矛盾の中から、葛藤がある。 そのとき私は、諸断片があることに、気づきます。 私は、諸断片の区域で、働いています。
11:23 S: ええ、そうです。でも、そのとき、私は事実に、気づいていません - 自分が実は、中心を持っている、という事実に、です。 それは自己欺瞞です - まさにそこに、です。
11:36 K: いえ。提案してもよろしければ、 葛藤があるところ、そのときだけ、 あなたは葛藤に、矛盾に気づく、と思いませんか。 すなわち、葛藤があるときだけ、気づきます。 ですね? そのとき、次の気づき、次の動きは、こうです - 葛藤は、断片化の中から、生じます。 対立する諸要素、対立する欲望、 対立する願い、対立する思考の中から、です。
12:25 B: でも、あなたは、こう仰っていますか - 自らが気づく前に、これらが初めに対立し、 それから、対立の不快さや痛みをとおして、突然、気づく。 すなわち、葛藤は不快である、と。
12:38 K: ええ、葛藤は不快です。 ゆえに、気づきます・・・
12:42 B: 何かが間違っている、と。

K: ええ、間違っている、と。
12:46 B: 何かが間違っている。 単純に間違っているだけでなく、 全体について、間違っている、と。
12:51 K: もちろんです。 結局、自己意識は・・・ あなたは、痛みや、 激しい楽しみがあるときだけ、自分自身に気づきます。 さもなければ、あなたは自分自身に気づきません。 で、断片化は、その葛藤とともに、「私は気づいている。 私は葛藤の中にある」との、この感覚を、もたらします。さもなければ、気づきはない。
13:29 S: ええ。進んでください。あなたは、まさに断片化自体が、中心を生み育てる、 と仰っている。

K: 中心を生み育てる。
13:38 S: 中心は、断片化を生み育ててきた。 だから、それはまるで・・・
13:41 K: ええ、行きつ戻りつ、です。

S: ええ。
13:44 B: 中心がある前に、思考は自体で 葛藤を生み育てる、と仰るんでしょうか。 または、中心の前に、思考がありますか。
13:52 K: ああ、中心の前に、思考です。
13:56 B: ええ。 一つの見解は、中心と思考はいつも共存していて、 いつも一方が他方を生み育てる、と言うものです。
14:02 K: 一方が他方を生み育てる。全くです。
14:04 B: もう一つの見解は、初めに思考があるかもしれない。 それが葛藤を生産し、それから、それが中心を生産する、と言うものです。
14:11 K: 少しそれへ入りましょう。

B: ええ。
14:13 S: (笑) それは、良いものです。
14:19 K: 葛藤の前に、思考は存在しますか。
14:23 B: 中心の前に。

K: 中心の前に。 葛藤があるときだけ、中心に気づきます。
14:30 B: ええ。なぜなら、それは見たところ、 再び全体性をもたらそう、あらゆる物事を 担当しようとして、入ってくるからです。
14:36 K: 中心は、担当しようとする。または、全体性を創り出そうとする。
14:41 B: ええ。すべての要因を、まとめるため、です。
14:43 K: しかし、中心自体が、断片です。
14:46 B: ええ。でも、それはそれを知りません。
14:48 K: もちろんです。それは、知りませんが、自らがすべての断片を まとめられる、それを全体にできる、と考えます。 で、ボーム博士は、問いを訊ねています。すなわち、 思考が、中心の前に存在しましたか。 または、中心が、思考の前に、存在しましたか。
15:05 B: または、二つは一緒になのか。

K: または、二つは一緒になのか。
15:09 S: そうです。 彼はまた、訊ねています - 思考が、中心を創り出しますか。
15:13 K: 思考が中心を創り出します。
15:14 S: それは、行為に、まさに創造に、なるでしょう。 一種、思考の残余効果です。 言い換えると、有機組織は・・・思考の生産が、 まさに中心の原因ですか。 それは、それを持ち運ぶとは、思います。なぜなら、そのとき・・・
15:32 K: ええ。この点についても、明らかにしましょう。 私たちは訊ねていますか - 思考が、中心を創り出しましたか。
15:41 B: ええ。中心の前に、一種の思考が、ありましたか。
15:44 K: ええ。中心の前の思考 - それです。
15:47 B: それが、矛盾になった。
15:49 K: ええ。思考が、中心を創り出した。 または、思考の前に、中心は存在していた。
15:55 B: あるいは、中心があった・・・- それは、ありふれた見解です。 中心は、初めにあった「私」である、と 人々は考えるんです。
16:02 K: 「私」が初めのものだ。
16:03 B: それから、私が考えはじめる、と。 ですね?
16:06 K: いいえ。中心より前に思考が存在する、と私は思います。
16:10 S: ええ。そのとき私たちは、質問しなくてはいけません。 - たぶんこの瞬間に、ではないんでしょうが - なぜ、思考があるのか、思考とは何か、の問いです。
16:20 K: ああ、それは別の事柄です。 私たちは、それに入りますか。
16:23 B: それは、長い物語なのかもしれません。
16:25 S: ええ。それは今であるとは、思いませんが、 それには、取りかからなくてはいけない。

K: いえ。
16:28 S: 私たちが始めたことに、留まりましょう。
16:32 K: ええ。私たちは、訊ねることを始めました - 私たちは、生の全体性について、話すことができますか。 自らが断片化しているなら、 どうして、その全体性に、気づけますか。 それが次の問いです。 私が小さな穴をとおして、見ているだけなら、 全体には、気づけません。
16:58 S: そうです。でも、他方では、実際に、あなたは全体です。
17:04 K: ああ!それは理論です。
17:08 S: そうですか。そこには・・・
17:09 B: ええ、仮説です。

K: もちろんです。 自分が断片化しているとき、 あなたはどうして、自分が全体であると、想定できますか。
17:16 S: まあ、それはすばらしい・・・それは主題です。なぜなら・・・ 私は、自分が断片化しているのを、どうやって知るべきでしょうか。
17:25 K: それが、私たちが訊ねていることです。

S: ええ。
17:27 K: あなたは、自分が断片化していることに、いつ気づきますか。 葛藤があるときだけです。
17:33 S: そうです。そのとおりです。
17:36 K: 二つの対立する欲望、 対立する動きの要素が、あるとき、 葛藤があります。 そのときあなたは、痛みとか、何であっても、持ちます。 そのときあなたは、意識します。
17:51 S: そうです。でも、それらの瞬間には、 葛藤を手放したくない、ということが、 しばしば起こります。 自分の断片化を感じます・・・
17:57 K: いえ。それは別の事柄です。

S: そうです。
18:00 K: 私たちが訊ねているのは、 断片はそれ自体を、解消できるのか、です。 そのときにだけ、全体が見えることは、可能です。 あなたは、断片化していて、それから全体を願うことは、できません。
18:17 S: そうです。 あなたが本当に知っているすべては、自分の断片化です。
18:21 K: それが、私たちが知っているすべてです。 ゆえに、それに拘りましょう。 藪を叩いて回り、「全体について話そう」とか その他すべてを、言わずに、です。
18:34 B: 全体がある、という仮説は、 見たところ、合理的かもしれませんが、 あなたが断片化しているかぎり、けっしてそれは、見えません。 それは、ただの想定でしょう。

K: もちろん、そうです。
18:44 S: そうです。そうです。
18:45 B: あなたは、かつて自分がそれを経験したと、考えるかもしれないが、 それもまた、想定です。 なぜなら、それは、すでに去ったからです。
18:50 K: 絶対にそうです。全くそのとおり。
18:53 S: 私が自分の断片化に気づくとき、 ものすごい痛みがないのかな、思います。 または、何かがつづいている。 それは、どうやら、さびしさですが・・・
19:04 K: ごらんください。あなたは、自分の断片に、気づけますか。 すなわち、自分はアメリカ人だ、 私は、ヒンドゥーだ、あなたはユダヤ人だ、共産主義者だ、と。 あなたはただ、その状態に生きます。 あなたは、「まあ、私は自分がヒンドゥーだと知っている」とは言いません。 それは、あなたが挑戦されるときだけ、「あなたは何者ですか」と 言われるときだけです。 そのときあなたは、 「ええ、私はインド人です」とか、ヒンドゥー教徒だとか、アラブ人だとか、言います。
19:35 B: 国が挑戦されるとき、あなたは戦争をします。
19:39 K: もちろんです。

S: そうです。 で、あなたは、私は全的に反応の生活をしている、と仰っています。
19:49 K: いえ。あなたは、全的に、一種の・・・何ですか。 毒気、混乱に生きています。
19:56 S: 一つの切れ端から次へ、 一つの反応から、次の反応へ。
20:01 K: その動きの中の、賞罰です。 で、私たちは、実際に今、気づけますか - 今、です - 様々な断片に、です。 すなわち、私はヒンドゥー教徒だ、私はユダヤ人だ、 私はアラブ人だ、私は共産主義者だ、 私はカトリックだ、私はビジネスマンだ、私は結婚している、 私は責任を持っている、私は芸術家だ、私は科学者だ。 付いてきていますか。 この様々な社会学的な断片化です。
20:37 S: そうです。
20:38 K: 心理的な断片化とともに、です。
20:41 S: そうです。それがまさしく、私が始めたところです。 自分は断片であるとのこの感じ、それが、私が吸収されるところ、 これは、断片であり・・・
20:52 K: それが、個人と呼ばれます。
20:54 S: それを私は、重要だと呼びます!個人というだけではなくて、です。
20:57 K: あなたは、それを重要だと呼ぶ。

S: そうです。私は働かなくてはいけない、と。
21:02 K: 全くです。

S: それは意義深い、と。
21:05 K: で、私たちは今、ともに話し合う中で、 自分がそうであることに、気づけますか - 私は断片であり、ゆえに、 もっと多くの断片を、創り出している -もっと多くの葛藤、 もっと多くの悲惨、もっと多くの混乱、もっと多くの悲しみを、です。 なぜなら、葛藤があるとき、 それは、あらゆる物事へ影響するからです。

S: そうです。
21:31 K: 私たちが議論しているとき、あなたは、それに気づけるでしょうか。
21:39 S: 私たちが、これについて議論しているとき、私は、少し気づけます。
21:42 K: ああ、少しではない。

S: そこが厄介です。 なぜ私は、それに気づけないのか。
21:51 K: いいえ。あなたは、葛藤があるとき、それに気づくだけです。 それは今、あなたの中の葛藤ではありません。

S: ええ。
21:59 B: 葛藤なしに、それに気づくことは、可能でしょうか。
22:02 K: ええ、それが次のことです。 それは、全く違った接近を、必要とします。
22:07 B: 私たちは、この違った接近を、どう考えるのでしょうか。
22:10 K: 全く違った接近、です。
22:13 B: 私は、一点を見つめることを、考えていました - すなわち、これら断片の重要性は、 私が自分自身を同一視して、「私はこれだ」「私はあれだ」と言うとき、です。 私の全体、ということです。 言い換えると、私の全体が、豊かだとか、貧しいとか、 アメリカ人だ、とか、何だとか、です。 ゆえに、それのみが重要です。なぜなら、それは全体であるからです。 面倒は、断片が、自分が全体である、と主張し、 それ自体を、とても重要にすることである、 ようだと、私は思います。
22:40 S: そうです。生全体を取ってしまい、これが生である、と。
22:43 B: そのとき、矛盾が来る。 そのとき、別の断片が来て、自分が全体だ、と言う。
22:48 K: 何が起きつつあるかを、見てください - 北アイルランドで、アラブ世界で、 中東世界で、です。 イスラム教徒とヒンドゥー教徒。 この世界全体が、そのように壊れています - 外側と内側で、です。
23:06 S: 私とあなた。
23:07 K: 私とあなた。我らと彼ら、その他すべてです。
23:12 B: でも、違いがある、と私は言おうとしています - すなわち、私たちは部屋に、たくさんの異なった物体を、 持っていて、それらが分離などしていて、私たちは それらを取り扱えるのと言うのと・・・

K: それは違ったことです。
23:22 B: そこに問題はない。 でも、私たちが、 「私はこれだ。私は全体的にこれだ」と言うなら、 私もまた、「私は全体的にあれだ。 私は全体的にあれだ」と言います。
23:29 S: あなたはそこに、何か違ったものを、持ち込んでいます。 それはまさしく、私たちがこれら断片を 信じ込むに到るさまなのです。 なぜなら、私たちは物体を見て、「それらは分離したものだ。 ゆえに、私は分離したものだ」と言うからです。
23:42 K: 私はそれを問うのです。 例えば、アラブ人とイスラエル人。 彼らは、自分たちが、「私はアラブ人だ。 私は、そうでない他のあの誰かと、闘いたい」 ということに、気づくでしょうか。 または、私は観念を持っている- よろしいですか - 観念を、です。
24:03 B: どういう意味ですか。 私はアラブ人であるとの観念ですか。
24:05 K: ええ。
24:06 B: でも、観念は、それがまたとても重要でもある、ということです - 私は全的にアラブ人だ、と。
24:11 K: ええ、私は全的にアラブ人だ、と。
24:13 B: それのみが重要だ。 それが、その観念の形なのでしょう。
24:16 K: ええ。
24:17 B: さて、他の誰かは、私はユダヤ人だ、それのみが重要だ という観念を、持っています。 ゆえに彼らは、お互いに破壊しあわなければなりません。
24:24 K: 全くです。どうしようもない。 政治家たち、宗教者たちは、 これらを助長している、と私は思います。
24:34 B: でも、彼らもまた、諸断片により、動いていきます。
24:36 K: 彼ら自身が断片化しているからです。 そうね、それが全論点です。 権力に就いている人々は、断片化しているので、 断片化を維持します。
24:48 S: そうです。権力に就く唯一つの道は、断片化していることです。
24:51 K: もちろんです!
24:54 B: 彼は、「私が政治家になること、成功を収めることなどのみが、 重要なんだ」と言います。

K: もちろんです。
25:02 S: 断片化へのこの動きは、ほぼ、 何かにより引き起こされるように、見えます。 それは、見たところ・・・
25:17 K: これが、あなたが訊ねていることですか - この断片化の原因は、何でしょうか。
25:23 S: そうです。 断片化の原因は、何でしょうか。 何がそれを生み育てますか。
25:28 K: それはとても単純です。

S: 何が私たちを、そこへ吸い込むのか。
25:32 K: いえ。何が断片化を、もたらすのか。
25:40 S: さて、そうね、母と子が・・・ 子どもが母親から分離するとき、 何がそれをもたらすのか。いいですね?
25:51 K: 生物学的に。

S: いいえ、心理的に、です。
25:53 K: 生物学的だけでなく・・・
25:55 S: 子どもは、歩くことができるようになり、 子どもは歩いていけるが、それから、 駆け戻ってくる。 そのとき、彼は、 駆け戻ってくる。彼は、振り返り、「彼女はまだいるのか」と言う。 次第に、離れていく。 さて、手放すことができない母親は、 「おーい、ここに戻っておいで!」と言う。 それから、子どもを死ぬほど、怖がらせる。 なぜなら、子どもは、「私はそれをできない」と考えるからです - 母が、「それはできない」と言うなら、自分はできない、と。
26:19 K: 全くです。 いや、私たちは、何かとても重要なことを、訊ねています。すなわち、 この断片化の原因は、何でしょうか。
26:27 S: ええ。そういうわけで、私はそれへ、入ろうとしていたんです。 そこには、何か原因がある。 それはそこで、始まる - この「私は何かへ取りすがらなければならない」は。
26:36 K: いえ、ただ見てください。 何が、あなたの中の断片化を、もたらしてきましたか。
26:46 S: 私の即時の応答は、何かへ取りすがる必要ですね。
26:50 K: いえ、それよりはるかに深く、です。 はるかに、です。見つめてください。 ゆっくりそれへ、入りましょう。 即時の応答、ではない。 何がこの葛藤を、もたらすのか -私が断片化していることを 標示するこの葛藤を、です。 そのとき私は質問をします - 何がこの断片化を、もたらしますか。 その原因は、何ですか。
27:20 B: あなたは、こう仰っていますか - 葛藤があって、 そこに何かが起きる。 葛藤の中、断片化を引き起こす何かが、と。
27:27 S: いいえ。彼は、断片化が葛藤を引き起こす、と言っています。
27:30 B: ・・・葛藤の原因です。 では、断片化の原因は、何ですか。 そうです。それが重要です。
27:36 K: ええ。なぜあなたと私と、世界の大多数は、断片化しているのか。 それの起源は、何なのか。
27:46 B: 私たちは、時の中で、一定の出来事へ戻っていくことによっては、 原因を見つけないだろう、と思われます。
27:51 S: 私は、遺伝学を探していません。 私は、ちょうどこの秒に、探しています・・・ 私は出くわす・・・ そうするためには、 私の動きの内側で、焦点化とか、 または、何かへの取りすがりが、あるように、見えます。
28:11 K: それを見てください。 まるで・・・ シャインバーグ博士の視点からでなく、ただ見てください。 いわば、それをテーブルに載せて、客観的に見てください。 何が、この断片化をもたらしますか。
28:29 S: 恐れ、です。

K: いえ、いえ。もっと多くです。
28:34 B: たぶん、断片化が恐れを、引き起こします。
28:36 K: そうです。そうです。 なぜ私は、ヒンドゥー教徒なのか。 そうであるなら、です。 私はヒンドゥー教徒ではない。 私はインド人ではない。 私は民族性、国籍を持ちません。 ですが、仮に、私は自分自身をヒンドゥー教徒と呼ぶ、とします。 何が私を、ヒンドゥー教徒にしますか。
28:56 S: まあ、条件づけが、あなたを、ヒンドゥー教徒にするんでしょう。
29:01 K: すなわち、背景は何ですか。 その感じは何ですか。または、 私をして、「私はヒンドゥー教徒だ」と言わせるのは、何ですか。 明白に、それは断片化です。 何が、そうさせますか。 私の父、私の祖父、私の前の世代に世代が、 - 一万年か、五千年かの後 - 「あなたはバラモンだ」と 言いました。私は、「いいよ、私はバラモンだ」と言います。
29:31 S: あなたは、「いいよ、私はバラモンだ」と、言いません。 あなたは、「私はバラモンだ」と言います。
29:35 K: 私はバラモンです。
29:36 S: そうです。それは全く違っています。 あなたは、「私はバラモンだ」と言う。 なぜなら、それはまるで・・・彼らは、そのようにあなたへ働きかける。
29:42 K: 私はバラモンです - あなたが、「私はキリスト教徒だ」と言うように、です。
29:44 S: そうです。
29:46 K: それは何ですか。
29:48 S: それは、伝統、条件づけ、社会学、歴史、 文化、気候、あらゆる物事です。
29:57 K: でも、その裏で、それは何ですか。
30:00 S: その裏には、人の・・・

K: いえ、いえ。理論化しないで、 それをあなた自身において、見てください。
30:10 S: まあ、それは私に、場所、身元・同一性を 与えてくれます。そのとき私は、自分が誰かを知っています。自分の小さな窪みを、持っています。
30:18 K: 誰がその窪みを、作りましたか。
30:21 S: まあ、私がそれを作ったし、彼らは、私がそれを作るのを助けました。 言い換えると、私は、まさにここで、協働しています。
30:25 K: あなたは、協働していません。 あなたは、それです。
30:28 S: 私はそれです!そのとおり。 でも、私がいうのは・・・そのとおりです。 全体のことが、私を穴へ入れるのへ向かって、動いています。
30:35 K: で、何があなたを作ったのか。 遡って、曾祖父母、高祖父母が、 この環境、この文化、人間存在のこの構造全体を、 創り出しました - その悲惨すべて、 その乱れすべてとともに、です。 誰が、何が、それをもたらしてきましたのか。 それは、断片化です - 葛藤すべてとともに、です。
31:02 S: それから、同じ行為が、今もある。
31:05 K: 今、です。それが、私が訊ねているすべてです。
31:07 S: ええ。今、ちょうど今、人を作る同じ行為、です。
31:09 K: そのとおり。バビロニア人、エジプト人、古代の人。 私たちは今、まさしく同じ猿です。
31:15 S: そうです。 これが、始まりに私が取りかかっていたことです。 これはすべて、私に、自分の受け売りの存在を、与えます。
31:28 K: ええ。前進してください。 それに入りましょう。 なぜ人は、この状態を生み育てたり、 もたらしてきたのかを、見出しましょう。 私たちはそれを受け入れます。 付いてきていますか。 喜んでか、嫌々ながらか、です。

S: それを愛している。愛している。
31:50 K: 私は進んで、誰かを殺そうとしています。 なぜなら、彼は共産主義者、または、 社会主義者や、何やらであるからです。 まさしく、北アイルランドで、中東でつづいていることです。
32:02 S: まあ、あらゆるところで、です。 そうね、医師、弁護士たちが・・・
32:05 K: もちろんです。もちろんです。 同じ問題です。
32:33 S: それへの私の感覚は、それが私を止める、というものです - それは、私を閉め出す。 それは動きをつづける。そうね、 それはまるで・・・樹は、入ってきません。 私は、自分が誰かを知っているなら、樹を見つめません。
32:53 K: そうです。ですが、あなたは私の問いに、答えていません。
32:58 S: 私は、幾つか答えを持っていますが・・・
33:03 K: それは、安全への欲望ですか - 生物学的とともに、心理的な安全へ、ですか。
33:14 S: そうだ、とも言えるでしょうね。
33:17 K: 私は何かへ所属しているなら - 或る組織へ、或る集団へ、或る派へ、 或る思想上の共同体へ、所属しているなら、 私はそこで安全です。
33:31 B: それは明らかでありません。なぜなら、あなたは、安全だと感じるかもしれませんが・・・
33:34 K: そこで、私は安全だと感じます。 でもそれは、安全ではないかもしれません。
33:37 B: ええ。しかし、なぜ私は、自分が本当は安全でないことが、見ないのですか。
33:40 K: なぜなら、私はそんなに・・・何ですか。 それは来ようとしています。それに入ってください。それは来ようとしています。
33:49 S: 私はそれが見えません。

K: ただ見てください。私は共同体に加わります。
33:53 S: そのとおり。私は医師です。

K: ええ、あなたは医師です。
33:55 S: 私は、これらすべての観念を、得ました。
33:58 K: あなたは、医師です。あなたは、社会の中で、特別の地位を持っています。
34:02 S: そうです。私は、物事がどう働くかについて、たくさん観念を、持っています。
34:05 K: あなたは社会の中で、特別の地位を持っています。 そこであなたは、完全に安心です。 安全です。
34:10 S: そうです。
34:11 K: あなたは、医療過誤、その他すべてを、するかもしれない。 ですが、あなたは、他の医師たちにより、 よく保護されています- 他の組織、 医師の集団によって、です。 付いてきていますか。
34:21 S: そうです。

K: あなたは安全だと感じます。
34:24 B: でも、私は安全だと感じるには、あまりに 探究すべきでないことが、本質的なのでしょう。 言い換えるなら、私は一定の点で探究を止めなければなりません。
34:33 K: 私は医師です - 終了です。
34:34 B: 私は、それについて、多くの質問をしませんが、 もしも、あまりに多くの質問をしはじめるなら・・・
34:38 K: ・・・そのとき、あなたは外れています!
34:40 B: そのとき人々は、「質問をするな」と言います。それは・・・
34:43 K: 私は、自分の共同体について、その共同体への関係、 世の中への関係、 隣人への関係について、 質問をしはじめるなら、 私は終了です。私は、共同体を外れています。 私は迷っています。
34:57 S: そのとおりです。
34:59 K: で、安全、安心で、保護されていると感じるために、私は所属します。
35:06 S: 私は依存します。

K: 私は依存します。
35:08 S: そうです。
35:10 B: 私は或る意味で、全体的に依存します - 私はそれを 持っていないなら、全部が沈んでしまうと感じる、といった意味で、です。
35:16 S: これは良い。 そうね、私は依存するだけでなく、 私が今持っている問題すべては、 この依存に関連しています。 私は、患者について、何も知りません。 私は、患者がいかに私の体系に 填まり込まないかを、知っているだけです。
35:35 K: 全くです。全くです。

S: で、それが私の葛藤です。
35:37 K: (笑)彼はあなたの餌食です。
35:40 S: そのとおり、私の餌食です。 (笑)彼はそれが大好きで・・・
35:46 B: なぜ私がそれをつづけていくのかは、いまだに、明らかではない。 言い換えると、私は質問しないかぎり、快適に感じられます。 でも、私は質問をするとき、不快適に感じます - きわめて深く不快適です。 なぜなら、私の状況全体が、挑戦されているからです。 しかし、そのとき、私はそれをより広く見つめるなら、 全部が、基盤を持っていません。 それはすべて危険です。 言い換えるなら・・・ この共同体自体が、めちゃくちゃです。 それは、崩壊するかもしれません。 たとえ、その全体が崩壊しないとしても、 そうね、学問的職業は、もはや 当てにできません。 大学へは、お金が与えられないかもしれません。
36:25 K: 全くです。(笑)
36:26 B: あらゆる物事が、速く変化しつつあるので、 自分がどこにいるのかが、分かりません。 で、私はなぜ、質問をしないのを、つづけるのでしょうか。
36:35 K: なぜ私は、質問をしないのか。 恐れのためです。
36:38 B: 恐れです。でも、その恐れは、断片化からです。
36:40 K: もちろんです。で、それが この始まりでしょうか - 安全を探し求めているとき、 断片化が、起きるのでしょうか。
36:55 S: でも、なぜ・・・
36:56 K: 生物学的にも、心理的にも、です。 まず第一に心理的に、それから生物学的に、物理的に、です。
37:05 B: でも、物理的安全を探し求める傾向は、 有機組織に、組み込まれていませんか。
37:09 K: ええ、そのとおりです。そうです。 私は、衣食住を持たなければなりません。 それは、絶対的に必要です。

S: そうです。
37:21 K: それが脅かされるとき - 例えば、もしも私が、 (ソビエト・)ロシアに生きていて、 共産主義体制をすっかり問うたなら、 私は非人物です。
37:38 S: ですが、ここでは、少しゆっくり行きましょう。 あなたは提起しています- すなわち、 生物学的に、安全への必要の中、私は 何か断片化を、持たなければならない、と。
37:51 K: いいえ。 心理的に私が安全を欲しいとき、 生物学的に、断片化が起こります。 不安全が起こります。

K: 話が明らかになっているのかどうか、私は知りません。一分間、待ってください。 すなわち、私は心理的に、集団に所属しないなら、 私は、その集団の外に、出ています。
38:23 S: そのとき、私は不安全です。

K: 私は不安全です。 集団は、私に安全を、物理的安全を、与えてくれるから、 私は、彼らが与えてくれる物事、言ってくることすべてを、受け入れます。
38:41 S: そうです。

K: しかし、私は心理的に、 社会や共同体の構造に 反対した瞬間、私は迷っています。 これは明白な事実です。
38:53 S: そうです。

B: ええ。
38:56 S: あなたはそのとき、提示なさっています - 私たちがそこで生きる基本的な不安全は、 条件づけられていることである。 これへの応答、これへの答えは、 条件づけられた断片化である、と。
39:12 K: 部分的に、ね。

S: 部分的に、ね。

S: そして、断片化の動きが条件づけである、と。
39:19 K: 見てください。 もしも断片化がなかったなら- 歴史的にも、 地理的にも、民族的にも、 国家もないなら - 私たちは、完璧に安全に生きるでしょう。 私たちはみんな、保護されるでしょう。私たちはみんな、 食べ物を持ち、みんな住宅を持つでしょう。付いてきていますか。 戦争はないでしょう。 みんな、一つであるでしょう。 彼は、私の兄弟です。 私は彼です。彼は私です。 しかし、この断片化は、それが起きるのを、阻止します。
39:54 S: そうです。で、あなたはそこで、さらに提示なさっています - 私たちは互いに助け合うだろう、と提示なさっています。
40:03 K: 自然に、私は助けるでしょう。明白です!
40:07 B: 私たちはまだ、円周をぐるぐる回っています。なぜなら、あなたが仰る・・・
40:10 K: 私は、円周を回っていません。 私は、何かへ戻りたいと思います。すなわち、 もしも、民族性、国籍、 思想上の集団などなどが、なかったなら、 私たちは、完璧に・・・つまり、 私たちは、欲しいものすべてを、持つでしょう - 軍備、その他すべてに費やす代わりに、 適切な教育、それら、です。 それは阻止されます。なぜなら、 私はヒンドゥー教徒であり、あなたはアラブ人であり、彼はロシア人であるからです。 付いてきていますか。 そのすべてが、阻止されます。 私たちは訊ねています - この断片化は、なぜ起きますか。 その起源は何ですか。
41:06 それは知識ですか。 そうです!
41:20 S: それは知識であると、あなたは思います。
41:23 K: それは知識ですか。 きっとそうだと私は思いますが、(笑) 私はそれを、問いとして表しています。
41:32 S: 確実にそうであるようです。
41:34 K: いえ、いえ。それを覗きみてください。見出しましょう。
41:41 S: あなたのいう知識とは、どういう意味ですか。 そこであなたは、何について話していますか。
41:45 K: 知る、という言葉。 私はあなたを知っていますか。 または、 私はあなたを、知ってきましたか。 私はけっして、「私はあなたを知っている」 と言えません - 実際に、です。 「私はあなたを知っている」と言うことは、忌まわしいでしょう。 - 「私はあなたを知ってきた」と。 なぜなら、その間に、あなたは変化しつつあるからです。 あなたのすべてが・・・よろしいですか。あなたの中には、 大変多くの動きが、進んでいます。

S: そうです。
42:36 K: 「私はあなたを知っている」と言うことは、 私は、あなたの中で進んでいる動きを、知悉しているとか、 それに親密である、という意味です。 「私はあなたを知っている」と言うことは、私の方での不遜でしょう。
42:49 S: そのとおりです。 なぜなら、それだけでなく、 それは、私へのあなたの影響を、否認することでしょう - それは、私に引き起こしています・・・それは、あなたを知ることから、 あなたと一緒にいることからの変化です。
42:57 K: それで、知っていること、知ることは、過去です。 あなたは、そう仰るでしょうか。
43:04 B: ええ。私たちが知ることは、過去である、ということです。
43:06 K: 知識は過去です。

B: 危険は、私たちがそれを、 現在と呼ぶ、ということです。 そうですか。 危険は、私たちが知識を現在と呼ぶ、ということです。
43:15 K: まさにそうなんです。

B: 言い換えるなら、もしも私たちが、 過去は過去である、と言ったなら、 それは断片化しなくてもいい、と、仰らないんでしょうか。
43:25 K: それは何ですか。すみません。

B: もしも私たちが、過去は過去であり、 それは過ぎ去ったこと、ゆえに、私たちが知っていることは 過去であることを、言ったなら、認識、認知したなら、 それは断片化を導入しないでしょう。
43:35 K: ええ、しないでしょう。全くそうです。

B: でも、私たちが、自分の知っていることは、 今現在あることである、と言うなら、 私たちは、断片化を導入しつつあります。
43:42 K: 全くそうです。そのとおり。
43:44 B: なぜなら、私たちは、この部分的な知識を、全体へ課しつつあるからです。
43:49 K: で、あなたは、 知識は断片化の要因の一つである、と仰るのでしょうか。 それは、ひどいことを言うことです。 付いてきていますか。 それは、飲み込むには、大きな錠剤です!
44:03 B: でもあなたは、他にも要因がある、とほのめかしておられます。
44:05 K: ええ。(笑) それは、唯一つの要因なのかもしれません。
44:12 B: でも、私たちはそれを、このように見つめるべきだ、 と思います - 人々は知識をとおして、 断片化に打ち勝ちたいと望んできた。
44:17 K: もちろんです。
44:18 B: それをすべてまとめるだろう 知識の体系を、産出したいと望んできた、と。
44:21 K: (科学史家の)ブロノフスキの(テレビ番組)「人の向上」のように、 知識をとおし、知識を強調し、知識、知識と・・・ それは、断片化の主な要因の一つか、おそらく まさに要因でないのでしょうか。 私の経験は、私に、「私はヒンドゥー教徒だ」と、語ります。 私の経験は、私に、「私は神が何かを知っている」と、語ります。
44:49 B: 知識の役割についての混乱が、 断片化の原因なるものである、と 言ったほうが、良くないでしょうか。 言い換えると、知識自体は・・・ 知識がいつも原因である、と言うなら・・・
44:59 K: いいえ。私は言いました・・・私たちは訊ねることから、始めました・・・
45:02 B: それを明らかにしましょう。
45:03 K: もちろんです。それが、私たちが昨日、話の中で言ったことです - 芸術(アート)は、物事をその正しい所に、置くことです。 で、私は知識を、その正しい所に置きます。
45:13 B: ええ。それで私たちは、それについて、もはや混乱していない。
45:15 K: もちろんです。

S: そうです。そうです。 私はちょうど、私の患者のこのかなり興味深い 事例を、持ち込もうとしていましたよ - 彼女は先日、私に何かを教えていました。 彼女は言いました - 「私はこういう感じがしています。医師として、 あなたの対処法は・・・一定種類の患者たちを 診てきた医師の集団がいるが、 もし自らが彼らにXをするなら、 一定種類の効果が得られるだろう、 色々と達成される、というものです」と。 彼女は言います - 「あなたは、私へ話していない。 あなたは、この結果が得られるだろうと望んで、私にこれをしている」と。
45:44 K: 全くです。

S: それが、あなたが言われていることです。
45:48 K: いえ。それより、もう少し多い。 私たちは言っています- ボーム博士も、私も、 私たちは、知識はその持ち場がある、と言っています。
45:58 S: それに入りましょう。
45:59 K: 車を運転する、言語を学ぶなどのように、です。
46:02 B: なぜそれは断片化ではないのか、とは言えるでしょう。 それは明らかにできるでしょうね。 言い換えるなら、私たちは知識を使って、車を運転しているなら、 それは断片化ではありません。
46:10 K: しかし、知識が心理的に使われるとき・・・
46:14 B: 違いが何なのかを、もっとはっきり見るべきです。 車自体は、私が見るところ、一部分です。制限された部分です。 ゆえにそれは、知識により操作できます。
46:22 S: それは、生の制限された部分だ、ということですね。
46:25 B: ええ、生の、です。でも、私たちが、「私はこれこれだ」と言うとき、 それは、私の全体、という意味です。 ゆえに私は、部分を全体へ適用しています。 私は部分により、全体へ及ぼうとしています。
46:33 K: 知識が、自らは全体を理解すると、想定するとき、
46:37 B: ええ。
46:38 K: そのとき、誤りが始まります。

B: でも、それはしばしば、とてもややこしい。 なぜなら、私は、自分が全体を理解するとは、 明示的に書き表していませんが、「私やあらゆる物事はこのようだ」とか、 「私はこのようだ」と言うことにより、それは暗示的であるからです。
46:48 K: 全くです。
46:49 B: それは、全体がこのようである、という意味合いです。 - 私の全体、生の全体、世界の全体が、です。
46:53 S: クリシュナジが言っていたこと - 「私はあなたを知っている」というように、 それが、私たちが自分たち自身を取り扱うさまなんです。 私たちは、新たな出来事へ開いているより、むしろ、 「私は自分について、これを知っている」と言います - または、断片化に気づいているのよりも、です。
47:06 B: ええ。すると私は、あなたについて、すべてを知っていると、言うべきではない。 なぜなら、あなたは、機械のような、制限された部分ではないからです。 それが、含意されていることです。 機械は相当に制限されていますし、私たちはそれについて、 ともあれ、関連することすべてか、ほとんどすべてを、知ることができます。 時にそれは、壊れてしまいます。
47:19 K: 全くです。全くです。
47:21 B: しかし、もう一人の人物となるとき、それは、 本当に知ることができることを、無限に越えています。 過去の経験は、本質を語ってくれません。
47:34 K: ボーム博士、あなたは、 知識が心理的分野へこぼれるとき、 と言っていますか。
47:46 B: まあ、私が一般的に全体と呼ぶ、 もう一つの分野へも、です。 時にそれは、哲学的な分野へこぼれるし、 それから、人は、形而上学的な見解を作ろうとします - 万物、宇宙全体について、です。

K: もちろんです。 それは純粋に理論的ですし、 私個人にとっては、何の意味もありません。
48:03 B: でも、私がいうのは、それは、それが起こるさまの一つだ、という意味です。 それは間違ってしまう。 或る人々は、自らが 万物・宇宙全体の形而上学について議論しているとき、 それは心理的でない、と感じます。 たぶんそうなのでしょうが、 その裏の動機は、心理的です。 或る人々は、自らは心理について 議論しているのでなく、万物・宇宙の理論を 作っていると、感じるかもしれません。 それは、言語を得るという事柄だ、と私は思います。
48:26 K: 全くです。言語です。
48:28 S: まあ、そうですね、 あなたが言われていることや、彼が言っていることは、 他の人々のあり方へ、拡張できますよ。 彼らは、他の人々について、形而上学を持っています。 「他の人々すべては信用されるべきではないと、私は知っている」と。
48:40 K: 全くです。

B: あなたは、自分自身について、 形而上学を持っています - 「私はこれこれの人物だ」と言って、です。
48:44 S: そうです。私は、生はどうしようもない、私はこれらに 依存しなければならない、との形而上学を、持っています。
48:49 K: いえ。私たちが言えるすべては、私たちが断片化している、ということです。 それは事実です。私は、それら断片化に、断片化した精神に、 気づいています。 葛藤のために、断片化した精神への 気づきが、あります。
49:07 S: そのとおりです。
49:10 B: あなたは前に、仰っていました - 私たちは、まさにそのために、 気づいていないところで、接近を行わなくてはいけない、と。
49:15 K: ええ、そのとおりです。

B: それへ来ようとしていますか。
49:17 K: ええ、来ようとしています。 で、そこから、葛藤です。 私は言います - この葛藤の起源は何ですか。 明白に、起源は断片化です。 さて、何が断片化をもたらしますか。 これの原因は、何ですか。その裏で、です。 私たちは、おそらく知識だ、と言いました。

K: 知識です。心理的に私は知識を使います。 「私は自分自身を知っている」 - 本当は私は知らないときに、です。なぜなら、私は変化しつつあり、動きつつあるからです。 または、私は、自分の満足のために、知識を使います - 自分の地位のため、自分の成功のため、 世の中で大物になるために、です。 私は偉大な学者である。 私は百万冊を読んできた。私はあなたに、それについてすべて語れる、と。 それは私に、地位、威信、身分を、与えてくれます。 それで、こういうことですか - 安全への願望があるとき、 断片化が起きる。 心理的な安全へ、です。 それが、生物学的な安全を、阻止します。
50:42 S: そうです。
50:45 K: あなたは、そうだと言います。ゆえに、 安全は、要因の一つなのかもしれません。 知識における安全が、間違って使われた。
50:56 B: 或る種の間違いが、なされたので、人は生物学的に 不安全だと感じる、と言えるでしょうか - それで人は、 「私は何をしようか」と考える。 彼は、知識により 心理的な安心感を獲得しようとする という意味で、間違いを犯す、と。
51:15 K: ええ、知識によって、です。

S: 知ることによって、です。
51:20 B: ええ。

S: 自分自身を反復することによって、 これらの構造すべてに依存することによって、です。
51:27 K: 人は、理想を持つ中で、安全だと感じます。
51:30 S: そうです。それは真実です。
51:32 B: そうね、でも、私はいつも、或る人物はなぜ この間違いを犯すのかを、訊ねます。 言い換えるなら、もしも思考は、 もしも精神は、絶対的に明晰であったなら、 けっして、そうしなかったでしょう。 それは正しくないですか。
51:45 S: もしも精神が、絶対的に明晰であったなら、 ですが、私たちはちょうど、 生物学的な不安全がある、と言ってきました。それは事実です。
51:53 B: でも、それは、自分自身を幻惑しなくてはいけない、という含意ではない。
51:56 K: 全くそうです。
51:58 S: しかし、それは、有機組織が・・・ いや、そのとおりですが、それは、それに応えなくてはいけない、という含意です。
52:04 B: ええ。でも、幻惑はそれに応えません。
52:07 S: そうです。それが、主題の骨子です。
52:10 K: さらに進んでください。 分かりますよ・・・
52:11 S: 私の常なる不安定という、 その生物学的な事実が、ある、ということです。 常なる変化の、生物学的な事実です。
52:20 K: それは、心理的な断片化をとおして、創り出されます。
52:27 S: 私の生物学的な不安定さが、ですか。
52:29 K: もちろんです。私は明日、職を失うかもしれない。 お金を持たないかもしれない。
52:36 B: さて、それを見つめましょう。 私は明日、お金を持たないかもしれない。 そうね、それは実際の事実なのかもしれませんが、 今、問いは、何が起きるのか、です - あなたは、何と仰るのでしょうか・・・ もしも、その人が明晰であったなら、彼の応答は、どうなのでしょうか。
52:49 K: あなたはけっして、その立場に置かれないでしょう。
52:52 B: 彼は最初に、そこに到らないでしょう。

S: 彼はけっして問わないでしょう。

B: でも、仮に、彼は自分自身がお金がないと知る、とします。
52:58 K: 彼は、何かをするでしょう。
52:59 B: 彼は、何かをするでしょう。 彼の精神は、バラバラにはならないでしょう。
53:02 K: 悪夢の循環に入らない。
53:04 S: 彼は、自分が持たなくてはいけないと考えるお金すべてを、持たなくてもいいでしょう。
53:07 B: 加えて、彼は、この混乱の世界に、入らないでしょう。
53:09 K: ええ、絶対的に、です。
53:11 S: 問題は、時間の99パーセント- 私は確かに同意しますが - 私たちみんなが、自らはもっと多くが要ると、考える。 私たちは、自らが持つべきものについて、この理想を持っている、ということです。
53:18 K: いいえ。私たちは、一点に 拘ろうとしています。すなわち、 この断片化の原因は、何ですか。
53:26 K: 私たちは、知識が、入るべきでない分野へ、 こぼれている、と言いました。
53:33 B: でも、なぜ、そうなりますか。
53:34 K: なぜ、そうなりますか。 それは相当に単純です。
53:37 B: なぜですか。
53:39 K: あと、五、六分あります。 それは相当に単純です。 進んでください。
53:49 S: 私のその感覚は、ですね - 私たちが言ってきたことから、 それは、安全の幻惑の中でそうなる、と。 それが考えるのは、そこに・・・ 思考は、そこに安全があるとの幻影を、創り出します。
54:06 B: ええ。でも、なぜ智恵は、 安全がないことを、示さないのか。 それは明らかでない。
54:10 S: なぜ智恵は、それを示さないのか。
54:13 K: 断片化した精神に、智恵はありますか。
54:16 B: まあ、それは智恵に抵抗します。
54:18 K: それは、智恵があるふりをできます。
54:21 B: ええ。でも、あなたは、ひとたび精神が 断片化するとき、智恵は去った、と仰っていますか。
54:25 K: ええ。

B: でも、今、それは・・・
54:27 S: 彼は、「ええ」と言いました。
54:29 B: でも、今、あなたは、深刻な問題を、創り出しています。 なぜなら、あなたはまた、断片化には、 終わりがありうることをも、言っておられるからです。
54:37 K: そのとおりです。
54:39 B: 一見すると、それは、矛盾のように思えるでしょう。 それは、明らかですか。

K: そのように見えますが、そうではない。
54:45 S: 私が知っているすべては、断片化です。 それが、私が持っているものです。
54:49 K: それに拘って、それが終わりうることを、見ましょう。それを通り抜けましょう。
54:53 S: 私は・・・
54:54 B: でも、断片化した精神は・・・ そこで、智恵は作動できない、と言うなら・・・
55:01 K: ええ。

S: 私が感じるのは、あなたの問いへの一つの答えは - 私たちは、条件づけということに立って、 それについて話してきましたが -私は、自分が餌食のように、感じます。 または、私はこの提案に捕らわれている、と。 あなたは私に提案します。 私に言います - 「ごらんよ、 これは君を助けられると、私は思うよ。 ここに断片がある。来てください」と。 そうね、私は、思考がそうするように、感じます。私の母や父は、 「ごらん、医師になるのが良い」と、言います。 または、このものは、「こうするのが良い」と言います。
55:36 K: 心理的な安全のほうが、 生物学的な安全より、重要でしょうか。
55:43 S: そうね、それは興味深い問いです。

K: それを変えずに、進んでください。 もう、五分間、あります。 それへ来てください。
55:49 S: いえ、まあ、一つのことは・・・ 私たちはどうやら、納得しています。 私が思うに、社会は・・・
55:53 K: いえ。私は訊ねています。動いて、問いを離れないでください。私は訊ねています - 心理的な安全のほうが、 物理的な安全、生物学的な安全より、はるかに 重要でしょうか。

S: そうではないが、そうであるように感じます。
56:05 K: いえ、いえ。動いて、それを離れないでください。 私は、あなたに訊ねています。 それに拘ってください。あなたに、です。
56:10 B: あなたは、事実とは何か、と訊ねていますか。
56:12 K: 事実とは何ですか。
56:13 S: 私は、ええ、と言うでしょう。 心理的な安全は・・・
56:17 K: いえ、今は・・・

B: 実際には、何が真実ですか。
56:20 S: 実際には真実に見える。いいえ、生物学的な安全のほうが、重要です。
56:25 K: 生物学的なほう - 確かですか。
56:30 S: いえ。私はそれを、ひっくり返してきました。 いえ。心理的な安全が、私が実際に一番、気に掛かることだ、と思います。
56:37 K: 心理的な安全です。
56:39 S: それが、私が実際に一番、気に掛かることです。
56:41 K: それが、生物学的な安全を阻止します。
56:43 S: そうです。私は、生物学的な安全について、忘れます。
56:46 K: いえ、いえ。 私は、観念に、知識に、映像に、 イメージに、結論に、その他すべてに、 心理的な安全を探し求めているから、 それは、私が生物学的、物理的な安全を 持つことを、阻止します- 自分のため、 自分の子どものため、自分の兄弟のために、 私はそれを持てません。 なぜなら、心理的な安全は、「私はヒンドゥーだ」と言うからです - 小さな片隅の、忌々しい誰か、です。
57:21 S: 疑問はない。私は心理的なのが・・・
57:24 K: で、私たちは、心理的に安全でありたいとの願望から、自由でありえますか。
57:36 S: そのとおりです。それが疑問です。
57:39 K: もちろん、そうです。
57:41 S: それが、その骨子です。
57:46 K: 昨夜、私は、(テレビで)数人の人々が、話すのを、聞いていました。彼らの一人 (ジャーナリストの)マゲリッジが、司会をしていましたが、 彼らはみんな、(北)アイルランド(問題)、様々なことについて、話していました。 一人一人が、そうね、完全に確信していました。
58:06 S: そのとおりです。私は毎週、会合で座っています。 一人一人が、自分の領域が一番重要だと、考えます。
58:14 K: で、私たちは、人は、 生物学的、物理的な安全へより、 心理的な安全へ、重要性を与えてきました。
58:25 B: ええ。でも、なぜ彼がこのように、自分自身を幻惑するのかは、明らかでありません。
58:29 K: 人は自分自身を幻惑してきました。 なぜですか。答えはそこにあります。なぜですか。 もう二分間、あります。私たちは、止めなくてはいけないでしょう。
58:39 S: イメージ、力・・・
58:40 K: いいえ。はるかに深いのです。 なぜ人は、重要性を与えてきましたか。
58:45 S: 人はそう考えるようです。人ではなく、私たちは、です。私たちは、 それが、安全のあるところだ、それが最も重要だ、と考えるようです。
58:53 K: いいえ、もっとそれを覗きみてください。 「私」は、最も重要なものです。
59:07 S: そうです。それは同じことです。
59:10 K: いえ、いえ。「私」です! 私の地位、私の幸せ、 私のお金、私の家、私の妻。 「私」です。
59:19 S: 「私」。
59:21 B: ええ。それは、各人物が、自分は全体の本質である、 と感じる、ということではないですか。 「私」は、全体のまさしく本質である。 もしも「私」が去ったなら、残りは 何も意味しないだろう、と私は感じるでしょう。
59:30 K: それが、全部の論点です! 「私」は、私に、完全な安全を、与えてくれる - 心理的に、です。
59:36 B: それのみが重要に見えます。

K: もちろんです。
59:38 S: 全く重要だ、と。

B: ええ。なぜなら、人々は、 私が悲しいなら、世界全体は何の意味も無い、と言うからです。ですね?
59:43 S: それだけではない。 「私」が重要でないなら、私は悲しい、と。
59:50 K: いいえ。私は・・・ 私たちは、「私」の中に、 最大の安全がある、と言っています。
1:00:00 S: そうです。それが、私たちが考えることです。
1:00:03 K: いえ。私たちが考えるのではない。 そうなんです。
1:00:06 B: そうなんです、というのは、どういう意味ですか。
1:00:07 K: 世の中で、起きつつあることです。

B: それが、起きつつあることです。 でも、それは幻惑です。 それが起きつつある。ですね?
1:00:12 K: 私たちは後で、そこに来るでしょう。

B: ええ。
1:00:14 S: それは良い点である、と思います- そうであること、「私」が・・・ 私は、その取りかかり方が、好きです - 「私」が、重要なものです。 それが、それなるすべてです!

K: それがすべてです。心理的に、です。
1:00:25 S: 心理的に、です。
1:00:28 K: 「私」、私の国、「私」、私の神、「私」、私の家、などなど。
1:00:31 S: それを入れることは、とてもきついね。そうね・・・
1:00:33 K: で、十二時です。 私たちは、止めたほうがいい。
1:00:35 S: (笑)少なくとも、私たちは、あなたの論点を、捉えました。
1:00:37 B: そうです。