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BR76CTM2 - 機械的な生き方は、無秩序へつながる。
ボームとシャインバーグとの議論、第2回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月18日



0:13 クリシュナムルティ(K): 私たちは、昨日止めたところから、つづけてもいいですか。 または、あなたたちは、何か新しいことを、始めたいのでしょうか。
0:22 ボーム博士(B): 昨日議論していたとき、全面的には 明らかでない点が、あると、私は思いました。 すなわち、私たちはむしろ、安全、心理的な安全は 間違っている、幻惑であることを、受け入れました。 しかし、一般的に、私たちはそれをきわめて明らかにしたとは、 私は思いません - なぜそれが幻惑であるのかを、です。 そうね、ほとんどの人々は、心理的な安全は 実在物で、全く必要だ、と感じます。 そして、それが動揺させられるときとか、 或る人物が怯えたり、 悲しんでいたり、とても動揺しているときも・・・ 彼は心理的に動揺していて、治療を必要とするかもしれません。 彼は、何をしはじめる前にさえ、 心理的な安全が必要であると、 感じます。

K: ええ、そうです。
1:06 B: それはまったく明らかでないと、私は思います - それは 本当は物理的安全ほど 重要でないと、なぜ言うべきなのか、です。
1:16 K: ええ。いや、私たちはそれを、相当に明らかにしたと、思いますが、どうですか。 それに入りましょう。

B: ええ。
1:22 K: 本当にそもそも、心理的な安全が、あるのでしょうか。
1:28 B: 私たちは前回それについて、十分に議論したとは、思いません。
1:30 K: もちろんです。誰もそれを受け入れません。 しかし、私たちは、それを探究しています。 それの問題へ、入ろうとしています。
1:39 シャインバーグ博士(S): でも、私たちは昨日、さらに深い何かを言った、と私は思います。 それはすなわち - 少なくとも、私は自分自身で、要約していたように、 すなわち、私たちが感じた・・・ ここで私が間違っていると思うなら、訂正してください。 すなわち、条件づけが・・・ 条件づけは、心理的安全の 重要性のために、舞台を設けます。 それが今度は、不安全を創り出す。 心理的な安全を、焦点として 創り出すのは、条件づけです。 あなたはそれに、同意されるでしょうか。
2:13 K: 私たち二人は、何か違ったことを言っている、と私は思います。
2:16 S: それはどういう意味ですか。
2:21 K: まず第一に、私たちは、 心理的な安全があることを、当たり前だと、受け取ります。
2:30 S: いいです。まあ、私たちは、それを得られると、考えますね。
2:34 K: 私たちは、それがあると感じます。

S: そうです。そのとおりです。
2:39 B: ええ。もしも、精神的にきわめて動揺を感じている誰かに対して、 心理的な安全はない、と 語ったなら、彼はさらに悪く 感じるだけだろう、と私は思います。

K: もちろんです。崩壊します。
2:49 S: そうです。
2:50 K: 私たちは、相当に健全で理性的な人々について、話しています。
2:55 S: いいよ。
2:56 K: 私たちは、そもそも心理的な安全が あるのかどうかを、問うています - 恒常性、安定性、 心理的に、しっかり基礎づけられ、 深く根ざした存在の感覚が、です。
3:14 S: たぶん、私たちがもっと言えたなら・・・ 心理的な安全とは、何でしょうか。
3:19 K: 結局、私は信じています。 私は何かを、信じています。 それは、最もバカげた信念とか、
3:27 S: そうです。
3:29 K: 神経症的な信念なのかもしれません。 私はそれを信じています。
3:32 S: そうです。
3:34 K: それは、ものすごい存在、 生きていること、活力と安定性の感覚を、与えてくれます。
3:42 B: 私は二つの例を、考えられるか、と思います - 一つは、 もしも私は、死んだ後、天国へ 行くだろうと、本当に信じられ、 それは確かだと、すっかり思えたなら、 何が起きようとも、私は とても安全でいられるでしょう。

S: それは、気持ちを良くしてくれるでしょう。
3:53 B: 私は本当に悩まなくていいと言えるでしょうね。すべては、 一時的な紛糾であるからです。 私は、時間の中で、すべて とても良くなるだろうことが、かなり確かだと思いますね。分かりますか。
4:00 S: そうです。

K: それが、多かれ少なかれ、全アジア人の態度です。
4:03 B: または、私が共産主義者であるなら、私は、共産主義が、 時間の中で、あらゆることを解決するだろう、と考えます。 私たちは今、たくさんの紛糾を経て行っているが、 それは、すべて甲斐があるだろう。 それはうまく働くだろうし、終わりには、だいじょうぶになるだろう、と。
4:14 S: そうです。

B: 私は、もしもそれは確かだと思えたなら、 内側で、とても安全に感じるでしょう - たとえ、諸条件がきついとしても、です。
4:22 S: ああ、いいですよ。

K: で、私たちは問うています - 自らは、安全、恒常性の感覚を与えてくれる、 これら強い信念を、持っているけれども、 真実に、実際にそういうものがあるのかどうか、です。
4:40 S: それは可能でない。 問いは、それは可能か、です。

K: それは可能ですか。
4:47 K: 私は神を、信じているかもしれません。 それは、私に、この世界のものすごい 無常性の感覚を、与えます。 が、少なくとも、他のどこかに、恒常性がある、と。
5:00 S: ええ。でも、私はディヴィッドに、何かを訊ねたいんです。例えば、科学者を、 毎日研究所へ行っている人を、 取り上げてください。または、 医師を取り上げてください。 彼は、安全を得ています。 彼は、自らの生の 「課業化」こそから、安全を得る。
5:20 K: 自らの知識から。
5:21 S: ええ、自らの知識から。 彼は、これをしつづけるなら、感じる・・・ 科学者たちの中で、彼はどこに安全を得ますか。
5:28 B: まあ、彼は、自分が、自然の永遠の法則を、学んでいるふりを、します - 本当に、何かを意味する何かを、得ている。 また、社会の中で 地位を得ている。 確実であり、有名であり、 尊敬され、金銭的に安全です。
5:45 S: 彼は、これらの物事が自分に、そのものを与えてくれるだろう、と信じています。 母親は、子どもが自分に安全を与えてくれるだろう、と信じています。
5:53 K: あなたは心理的に、安全を持っていませんか。
5:57 S: ええ、いいです。それは良い点です。 私は、自分の知識から、安全を得ます - 自分の課業から、自分の患者たちから、 両親に会うことから、自分の地位から、得ます。
6:09 B: でも、そこには葛藤があります。 なぜなら、私は少しそれを考えてみると、 それを疑う、それを問うからです。 私は言います - それはそんなに安全に見えない、 何が起きるかもしれない、と。 戦争があるかもしれないし、 不景気があるかもしれないし、洪水があるかもしれない。
6:23 K: 世界には、まったく突然に、正気の人々がいるかもしれない!(笑)
6:27 S: 見込みがある、とお考えですか。
6:32 B: で、私は、自分の安全には、 葛藤と混乱がある、と言います。 なぜなら、私はそれが確かでないからです。
6:39 S: あなたは、それが確かでない。
6:40 B: ですが、もしも私は、神と天国へ絶対的な信念を、持っていたなら・・・
6:45 K: これはとても明白です!
6:47 S: それは明白です。私はあなたに同意します。 でも、私は、それは・・・言い換えるなら、それは本当に、 すっかり感じられなくてはいけない、と思います。
6:53 K: しかし、あなた、シャインバーグ博士、あなたは餌食です。
6:58 S: 私は餌食になりましょう。
6:59 K: 当面の間は、ね。 あなたは、強い信念を持っていませんか。
7:03 S: そうです。まあ、私は言わないでしょうが・・・
7:05 K: あなたは、恒常性の感覚を、 どこか内側に、持っていませんか。
7:10 S: 持っていると思います。

K: 心理的に、です。
7:12 S: ええ、持っています。私は自分の意図について、恒常性の感覚を、持っています。
7:17 K: 意図、自分の知識

S: 自分の仕事、自分の知識、自分の・・・
7:22 K: ・・・地位。
7:23 S: ・・・自分の地位、自分の興味関心の継続。 私がいうのは、分かりますか。
7:30 K: ええ。
7:33 S: 安全の感覚が、あります - 自分は誰かを助けられると感じるところに、です。
7:36 K: ええ。

S: 私は自分の仕事をできる、と。いいですか?
7:40 K: それは、あなたに安全を、心理的な安心を、与えてくれます。
7:42 S: そこには、安全である何かが、ある。 私が「安全」と言うとき、私は何を言っているのか。 私は、自分はさびしくならないだろう、と言っています。
7:50 K: いえ、いえ。安全だと感じる。 すなわち、あなたは、何か不滅のものを、持っています。
7:56 S: その意味は・・・ いや、私はそのように感じません。 私は、それをもっと、時の中で 起ころうとしていること、という意味で、感じます。 私は、依存しなくてはいけなくなろうか。 私の時は、どうなろうとしているのか。 私はさびしくなるだろうか、それは空っぽになるだろうか、と。
8:12 K: いいえ。

S: それは安全ではないですか。
8:14 K: ボーム博士が指摘したように、 輪廻転生へ強い信念を持っているなら - アジア世界全体が持っているように、です - そのとき、何が起きるかは、大事ではない。 来世では、もっと良い機会に恵まれるだろう。 今生では悲惨であろうとも、来世で、もっと幸せになるだろう、と。 で、それは、「これは重要でない。あれが重要だ」 という大きな感覚を、与えてくれます。
8:41 S: そうです。
8:43 K: それは私に、大きな慰めの感覚を、与えてくれます。 まるで、「まあ、これはどうせ、移りゆく世界であるが、 結局、私は、そこへ、恒常的な何かへ、到るだろう」というように、です。 これは人間的な・・・
9:00 S: これは、アジア世界にあるが、 西洋世界にはそれがない、と私は思います。
9:04 K: ああ、いいえ、それはあります。

S: 焦点が違っている。
9:06 K: もちろんです。
9:08 B: それは違っていますが、安全への探求は、いつも持ってきました。
9:10 S: そうです。そうです。 でも、あなたは、安全とは何だと、思いますか。 例えば、あなたは科学者になりました。 あなたは研究所へ行きました。 あなたはいつの時も、書物を拾い上げました。 あなたは、一度も研究所へ行かなくて、 自分の研究所を、持ってきました。 あなたはいったい、何を、安全と呼びますか。
9:26 K: 安全ですか。
9:28 S: ええ。彼は、何を自分の安全と呼びますか。 知識ですか。
9:33 K: 何かを持っていること・・・ それへ、あなたは縋りつけるし、それは、消滅可能でない。 それは、最終的に消滅するかもしれませんが、 当分の間、それはそこにあって、取りすがれます。
9:46 B: それは恒常的であると、感じられます。 過去に人々は、金を蓄積していたものです。 なぜなら、金は、消滅不可能なものの象徴である、と感じられたからです。
9:54 S: いまでも、金を蓄積する人々が、います。 ビジネスマンがいます。 彼らは金銭を持っています。
9:58 B: それが本当にそこにある、と感じます。

K: そこに。
10:01 それはけっして、腐食しないでしょう。 それはけっして、消失しないでしょう。 あなたは、それを当てにできます。
10:08 S: で、それは、何か私が当てにできるものです。
10:11 K: 当てにし、取りすがり、縋りつき、執着できる。
10:15 S: 信じられる - 「私」です。

K: そのとおり。

S: 私は、自分が医師であることを、知っています。 私は、それに依存できます。
10:24 K: 知識、経験、です。

S: 経験。
10:28 K: 他方では、伝統です。
10:30 S: 伝統。私は、自分が患者について、これをするなら、 この結果得るだろうことを、知っています。 私は、何も良い結果を得ないかもしれないが、この結果は得るだろう、と。
10:38 K: で、私は、それは相当に明らかである、と思います。
10:41 B: ええ。私たちがそれを持っていることは、十分に明らかです - すなわち、それは私たちの社会の一部である、と。
10:45 K: 私たちの条件づけの一部です。

B: 私たちは、何か、 安全で恒常的なものが、欲しい。 少なくとも、私たちはそう考えます。
10:55 S: 東洋世界についてのクリシュナジの視点ですが・・・ 西洋には、不滅性を欲しがる感じがある、と私は思います。
11:03 K: それは同じことです。

S: 同じことです。
11:06 B: 思考は、時を投影できるかぎりは、 それは、可能なだけ、未来へ、 だいじょうぶな物事すべてを、投影 できるようでいたいと、仰るのでしょうか。
11:14 S: 私がさびしさを言ったとき、それが、意味していたことです - 私は、自分のさびしさを持たなくていいなら・・・
11:18 B: 言い換えるなら、来ようとしていることの予期は、 すでに現在の感じです。 何か悪いことが来るかもしれないと 予期できるなら、すでに、悪く感じます。
11:28 K: そのとおりです。
11:29 B: ゆえに、あなたはそれを取り除きたいと思うでしょう。
11:31 S: で、あなたは、それが起きないだろうと、予期します。
11:33 B: すべて良くなるだろう、と。

S: そうです。
11:35 B: 安全は予期だろうと、私は言うでしょうね - あらゆる物事が未来に良くなるだろう、との予期だ、と。
11:39 K: 良くなる。あらゆる物事がだいじょうぶだろう、と。
11:41 S: それは継続するだろう。

B: それは、もっと良くなるだろう。 今、さほど良くないなら、それは確実に、より良くなるだろう、と。
11:46 S: すると、安全は、なることですか。
11:50 K: ええ、なること、完璧にすること、です。
11:54 S: 私は、先日あなたが、バラモンについて、 仰ったことを、考えていました。 誰でもバラモンになりうる。 そのとき、それが、彼に安全を与える、と。
12:03 K: すなわち、投影された信念、 投影された観念、慰め満足させる概念、です。
12:16 S: 私はいつの時も、患者を診ます。 彼らの投影された信念は、こうです - 私は、なるだろう、私は、自分を愛してくれる誰かを、 見つけるだろう、と。 私は、こう言う患者たちを、診ます - 「私は、部門の長になるだろう」、 「いつの日か、私は、最も有名な医師になるだろう」、「私はなるだろう・・・」 彼の生全体が、そのように進みます。 なぜなら、それはまた、 一番良いテニス選手になることへ、すべて 焦点を合わせているからです - 一番良く、と。

K: もちろんです。もちろんです。
12:42 B: それは、生が良くなるだろうとの予期へ、すべて焦点を 合わせているようです。そう仰るでしょうか。

K: ええ、生は良くなるだろう、と。
12:50 B: しかし、生はさほど良くないという経験を、たくさんしていなければ、 その質問は出ないだろうと、私には思われます。 それは、失望の、苦しみの経験を多く したことへの反応である、ということです。
13:04 K: 私たちは、思考の動き全体を 意識していないと、仰るのでしょうか。
13:13 B: いえ。私がいうのは、ほとんどの人々は、それはまさに自然だ、と 言うでしょう - 私は 苦しみと失望と危険の経験を、 たくさんしてきて、それは不快だが、 私は、あらゆる物事が良くなるだろうと 予期できるようになりたい、と。
13:29 K: ええ。
13:32 B: 一見すると、それは本当に全く自然だと、思えるでしょう。 しかし今、そうではないと、仰っています - それには、何か深く間違ったことが、ある、と。
13:39 K: 私たちは、心理的安全といったものはない、と言っています。 私たちは、安全とはどういう意味かを、定義してきました。
13:47 S: ええ。
13:47 K: 私たちは何度も何度も、それを叩かなくていい。
13:49 S: ええ。私たちはそれを捉えたと、思います。

B: ええ。しかし、これらの望みは本当に、 虚しい望みであることが、今や明らかですか。 それは明白であるべきでしょう。
13:56 S: それは良い疑問です。 それは、ですね・・・ クリシュナジ、彼は良い疑問を 出しています。それは、あなたが仰っているこの事柄全体です - 安全を探すことは、意味があるのか。 そういうものは、あるのか、と。
14:09 K: あらゆる物事の終わりには、死があります。
14:12 B: ええ。
14:15 K: あなたは、次の十年間、 安全でありたいと思います。 それですべてです。または、五十年間です。 後は、大事ではない。 または、大事であるなら、何かを信じています - すなわち、神がおられる。 自分は、彼の右手に座るだろう、と。 または、あなたの信じることが、何であっても、です。 で、私は、見出そうとしています - すなわち、心理的に恒常性がない、ということだけではない。 それは、心理的に明日はない、という意味です。
14:45 B: それはまだ、出てきていません。

K: もちろんです。もちろんです。
14:49 B: 私たちが、安全へのこれらの望みは虚偽であると 知っている、と経験的に言うとき - なぜなら・・・まず第一に、死がある、第二に、何をも当てにできない、と あなたは、仰る。 物質的に、あらゆる物事が変化します。
15:00 K: あらゆる物事が、流転しています。
15:02 B: 精神的に、頭の中のあらゆる物事が、 いつの時も、変化しています。 自分の感情は、当てにできません。 今楽しむ一定のものを 楽しむことを、当てにできません。 健康であることを、当てにできません。 お金を、当てにできません。
15:16 K: あなたは、妻を頼れません。 何をも頼れません。
15:20 S: そうです。

B: で、それは事実です。 ですが、私は言っています - あなたは、より深い何かを、提示している、と。
15:24 K: そうです。
15:26 B: しかし私たちは、その観察だけに、基礎を置きません。
15:28 K: ええ。それはきわめて表面的です。
15:31 S: ええ。私はそこで、あなたとともにいます。
15:36 K: で、本当の、基礎的な深い安全が、ないのなら、 そのとき明日が、ありますか- 心理的に、です。 そのときあなたは、望みすべてを、取り去ります。 明日がないなら、望みすべてを、取り去ります。
16:00 B: あなたのいう明日とは、物事が より良くなるであろう明日ですか。
16:05 K: より良く、より多く - より大きな成功、より大きな理解、より大きな・・・
16:12 B: ・・・より多くの愛。
16:13 K: ・・・より多くの愛。 そうね、全部の事柄です。
16:18 S: それは少し速いと、私は思います。 その飛躍は・・・ そこには、飛躍があると、思います。 なぜなら、お聞きするように、あなたは、安全はない、と仰っているからです。
16:33 K: ですが、そのとおりです。

S: そのとおりです。 しかし、私にとって、「ほら、私は、安全はないのを知っている」 と言うこと - 本当に言うことは・・・
16:43 K: なぜあなたは、そう言わないのですか。
16:45 S: それが、私が取りかかっていることです。 なぜ私は、そう言わないのか。
16:48 B: まあ、それは第一に、事実でないですか - 心理的に当てにできるものは何も無いという、 観察された事実だけです。
16:57 S: そうです。しかし、そうね、そこには行為がある、と思うんです。 クリシュナジは言っています - 「なぜあなたは、言わないのか。 なぜ、安全がないと言わないのか」と。 なぜ私は言わないのか。
17:12 K: 私が、言ってもいいですか。 あなたは、私たちが安全について言っていることを、合理化しますか。 観念として、「はい」と言う。 または、実際にそうですか。
17:32 S: 実際に私は、「そのとおりだ」と言いますが、そのとき、私は言う・・・ 私はそれをしつづけるだろう、それをしつづけるだろう、と。
17:37 K: いえ、いえ。 私たちは訊ねています - あなたは、安全がないことを聞くとき、 それは、抽象化された観念ですか。 または、実際の事実ですか - あのテーブルのように、 そこのあなたの手や、あれら花々のように、です。
17:57 S: それはほぼ、観念になる、と私は思います。

K: まさにそうです。
18:00 B: なぜそれは、観念になるのでしょうか。

K: そうなんです。なぜですか。
18:03 S: それが疑問だ、と思います。 なぜそれは、観念になるのか。
18:08 K: それは、あなたの訓練の一部ですか。
18:11 S: ええ、一部。 私の条件づけの一部です。
18:13 K: 物事をありのままに見ることへの、真の反対の一部です。
18:19 S: そのとおりです。それは動くからです。 それは、そこで動くように、感じられます。 あなたはそれを、感じますか。
18:27 B: 安全がないことが、見えるなら、 そのとき、自己は・・・思うに・・・ まず第一に、それを表そうとしましょう - すなわち、何かがある。 そこには、それ自体を 保護しようとしているものが、あるようです。すなわち、いうならば、 自己がそこにあることは、事実であるように、見える。 私が何を目指しているかは、分かりますか。
18:49 K: もちろんです。
18:50 B: 自己がそこにあるなら、それは、安全を必要とします。 ゆえに、これは、抵抗を創り出します - それを事実として受け入れることへの抵抗、です。 そしてそれを、ただ観念として、置いておく。 私の言うことがお分かりなら、自己がそこにあるとの 事実性は、否認されなかったと、 見えます。見かけの事実性、です。
19:13 S: そうです。しかし、なぜそうされなかったのか。 なぜそうされなかったと、お考えですか。何が起きますか。
19:20 K: それは、あなたが、物事をありのままに見るのを、拒否する、ということですか。 それは、自らが愚かであることを見るのを、拒絶する、 ということですか。あなたが、ではなく、自らは愚かである、という意味です。 自らが愚かであることを、認識することは、すでに・・・付いてきていますか。
19:39 S: ええ、ええ。それはまるで・・・あなたは私に言います - 「あなたは、自分が愚かであることを、 認識するのを、拒絶する」と。 それは私だ、と言いましょう。 そのとき、それは、私が何かをしなくてはいけない、 という意味です。そんな感じです。

K: いいえ。
19:52 S: 何かが、私へ起こります。
19:54 K: いいえ、まだです。 行為は、知覚をとおして来ます。 観念化をとおして、ではない。
20:03 S: あなたがこれへ入ろうとしていることが、うれしいです。
20:08 B: 自己の感覚があるかぎり、自己は、自らが 完璧である、永遠であるなどと、言うにちがいないと、見えませんか。分かりますか?
20:15 K: もちろんです。もちろんです。
20:18 S: あなたは、それは何だと、思いますか。 言うことは、なぜこんなに難しくなるのか・・・ 創造における 破壊について話されるとき、これが、あなたのいわれる意味ですか。
20:26 K: ええ。
20:27 S: 言い換えると、ここには、私がいないとの 破壊について、何かが、ありますか。
20:31 K: あなたは、それを破壊しなければなりません。
20:33 S: 私は、それを破壊しなければならない。さて、私にとって破壊するのは、なぜ難しくなるのか。 すなわち、安全へのこの必要を破壊する。 なぜ私は、それをできないのか。
20:42 K: いえ、いえ。それは、あなたがどうやって、それをするのか、ではない。 そうね、あなたはすでに、 行為の領域へ入りつつあります。
20:48 S: それが決定的な点だと、私は思います。
20:50 K: でも、私はそうではない。 私は、初めにそれを見なさい、と言う。 その知覚から、行為は回避不可能です。
21:01 S: ええ、それは決定的です。 さて、いいです。不安全を見る - あなたは、不安全が見えますか。 実際にそれが見えますか。
21:16 K: 何ですか。
21:17 S: 不安全が、です。

K: ああ、いいえ。あなたは実際に見えますか。
21:24 S: ・・・安全がないことが、です。
21:26 K: いえ。自らが何かへ、縋りついていることが、です - 安全を与えてくれる 信念、その他へ、です。

S: いいです。
21:39 K: 私はこの住宅へ縋りつく。 私は安心です。 それは、私に、「私の住宅、私の父」との感覚を、与えてくれます。 それは、私に誇りを与え、所有の感覚を、与えてくれます。 それは、物理的、ゆえに 心理的な安全を、与えてくれます。
22:00 S: そうです。 そして、行くべき所、です。
22:02 K: 行くべき所です。ですが、私は出歩いて、殺されるかもしれません。 私は、あらゆるものを、失ってしまいました。 地震があるかもしれません。 あらゆる物事が、去ってしまいました。 あなたは実際に、それが見えますか。
22:26 S: 私は実際に・・・
22:32 K: 貧しい人へ、行ってみてください。 彼は、もちろん 「私は安全を持たない」と言いますが、彼はそれが欲しい。 彼は、「まあ、私に、良い職、ビールと、定職と、住宅と、 良い妻と子どもたちを、ください。 それが、私の安全です」と言う。
22:54 S: そうです。
22:56 K: ストライキがあるとき、彼は迷った感じです。 でも、彼は背後に、組合を持っています。
23:02 S: そうです。でも、彼は、自分は安全である、と考えます。
23:05 K: 安全だ、と。その安全の動きは、 心理的な分野へ、入り込む。 それは私の妻だ。私は、神を信じている。 私は、神を信じていない。 私は、良い共産主義者であるなら、 良いものを、得るだろう - 付いてきていますか。全部、です。 あなたはそれが見えますか。 そうね、それを見ること、知覚は、 安全に関して、全的な行為です。
23:41 S: それが全的な行為であることは、分かります。
23:44 K: いいえ、それはやはり、観念です。
23:46 S: ええ。そのとおりです。 私は、見えはじめます - この信念、この構造全体が、私が世の中で あらゆる物事を見るさま全体になりかけることが、です。 私は彼女が、妻が見えはじめます。 私は、これらの人々が見えはじめます - 彼らは、その構造へ、填まり込みます。
24:18 K: あなたは彼ら、妻が見える - あなたが彼らについて持っているイメージをとおして、です。
24:24 S: そうです。そして、彼らが果たしている役割へ、です。
24:26 B: ええ、彼らの私への関係です。

K: ええ。
24:29 S: そのとおりです。 それが、彼らが果たす役割です。
24:33 K: 映像、イメージ、結論が、安全です。
24:37 S: そのとおりです。
24:39 B: ええ。でも、なぜそれは、そんなに実在のように、表示されますか。 それがある - 私は、それが思考として分かりますね。

K: 全くそうです。

B: 継続的に、駆りつづけていく思考の過程です。
24:52 K: あなたは、こう訊ねていますか - なぜ、このイメージ、この結論、その他すべては、 奇抜なほど実在らしくなっているのか、と。
25:01 B: ええ。それは、そこに実在として立っているように見えます。 あらゆる物事が、それへ参照されます。
25:06 K: 大理石より、丘より、実在的です。
25:09 B: ええ、何よりも、です。

S: 何よりも、実在的です。
25:11 K: なぜですか。
25:21 S: なぜかを言うのは、難しい、と思います・・・ 見えるという以外に・・・それは、私に安全を、与えてくれるだろうからです。
25:30 K: いえ、いえ。私たちは、それよりはるかに行きました。
25:32 B: なぜなら、仮に、抽象的に、観念として、私たちは、 全部のことはまったく安全がないと、見える、とします。 それを理性的に、抽象的にただ見つめる、という意味です。
25:42 S: それは、本末転倒です。
25:44 B: いえ、私はこう言っているだけです- もしもそれが単純な物質であったなら、 それほどの証拠を与えられて、すでにそれを受け入れていただろう、と。
25:52 S: そうです。
25:54 B: しかし、これとなるとき、どの証拠も働くように見えません。
25:57 S: そうです。何も働くように見えません。
25:59 B: なぜなら・・・あなたはそれらを言われますが、 ここで私は、堅固な実在性を、提示されています - 私自身と私の安全のそれであり、それが否認するようで・・・ 一種の反応がある。 それは、こう言うようです - 「まあ、それはもっともらしそうだが、 本当はそれは言葉だけだ。 実在物は「私」だ」と。分かりますか。
26:15 S: でも、それよりもっと多くがあります。 なぜそれは、こういう効力を持っているのか。 なぜそれはこういう重要性を帯びるようなのか、ということです。
26:24 B: そうかもね。でも、私は、実在物は「私」であると見える、と言っています - そればかりが重要である、と。
26:34 S: それについて疑問はありません。 「私」、「私」、「私」が重要です。
26:37 K: それは観念です。
26:39 B: でも、それは・・・私たちは抽象的に、それが観念であることを、言えます。 問いはこうです - どうやって、この過程に割り込みますか。
26:46 K: いえ。私たちは、ただ知覚をとおして、 それに割り込めるとか、それを突き破れるとか、 それを乗り越えられる、と私は思います。
26:59 B: ええ。 なぜなら、さもないと、あらゆる思考が、そこに関与していて、ゆえに・・・
27:05 S: 私はそれを突き抜けたいから、 そのほうが、私を気持ち良くしてくれるだろうからです。ええ。
27:09 B: 面倒は、私たちが話してきたことすべては、 観念の形になっている、ということです。 それらは、正確な観念なのかもしれませんが、 これへ割り込まないでしょう。

S: そうです。
27:17 B: なぜなら、これは、思考の全体を支配するからです。
27:19 S: そのとおりです。あなたは、なぜ私たちがここにいるのかをも、訊ねられるのでしょう。 私たちがここにいるのは・・・
27:23 K: いいえ、見てください。 もし私は、 自分の安全が、自分が持っている或るイメージに、 映像、象徴、結論や理想などにある、 と感じるなら、私はそれを、 抽象として置くのではなく、それを引き下ろすでしょう。 分かりますね、そのとおりです。 私は何かを信じています - 実際に、です。さて、私は、「なぜ私は信じているのか」と言います。
27:58 B: まあ、あなたは実際に、そうなさったんですか。
28:00 K: いえ、私はしていません。なぜなら、私は信念を持っていない、私は映像を持っていないからです。 私は、それらすべての種類のゲームに、加わりません。 私は、「もし」と言いました。

S: そうです - 「もし」と。
28:10 K: そのとき私は、抽象化されたものを、知覚的な実在へ、持ち込むでしょう。
28:24 S: 自分の信念を見る - そういうことですか。

K: それを見てください。
28:27 S: そうです。自分の信念を見る。 その「私」が作動中なのを、見る。
28:36 K: ええ、そのように表したいなら、です。 ちょっと待ってください。 単純なことを、取り上げてください。 あなたは何かについて、結論を持っていますか - 結論、概念を?
28:47 S: ええ。

K: ああ?
28:48 S: ええ、持っていると思います。

K: さて、ちょっと待ってください。 それはどのように、もたらされますか。

S: まあ、それは・・・
28:55 K: 単純なことを、取ってみてください。 錯綜したことではなく、単純なことを、取ってください。 私はイギリス人であるとの概念。
29:05 B: 面倒は、私たちはたぶん、それらの概念に 執着を感じないだろう、ということです。
29:09 K: いいです。
29:12 S: 私にとって、真実なものを、取ってみましょう。

K: あなたにとって。どうぞ。

S: 私が医師であることについてのそれを、取ってみましょう。それは簡単だ。
29:19 K: 概念です。
29:19 S: それは概念です。それは結論です -訓練に基づき、 経験に基づき、仕事の楽しさに基づいています。
29:32 K: それはどういう意味ですか。 医師とは、結論とは、彼は 一定の活動の能力がある、という意味です。
29:39 S: そうです。いいです。それを、具体的に取り上げましょう。
29:41 K: 具体的に。それに取り組んでください。
29:43 S: で、今、私は事実を持っています。 具体的な事実が、あります - すなわち、私はこの訓練を受けてきた。 私は仕事から、この楽しみを得る。 私は一種、フィードバックする。 私は、フィードインする共同体全体を、持っている。 私が書いてきた書物、書類、地位。
29:56 K: 動いて、動いてください。
29:57 S: いいですよ。それらです。 さて、それは私の信念です。 私は医師であるとのその信念は、それらに基づいています - その概念は。 よし。さて、私は継続的に行為します。 それを継続します。
30:11 K: そうです。それは理解できます。

S: よし。
30:13 K: ゆえにあなたは、結論を持っています。 あなたは、概念を持っています - すなわち、自分は医師である、と。
30:18 S: そうです。
30:19 K: それは、知識、経験、毎日の活動に、基づいているからです。
30:23 S: そうです。そうです。

K: 楽しみ、その他すべてに、です。
30:25 S: そうです。

K: で、そこにおいて、何が実在でしょうか。 そこにおいて、何が真実、実在でしょうか。

S: それはどういう意味ですか。
30:34 K: 実際的、という意味で、です。
30:37 S: まあ、それは良い疑問です。 何が実際的なのか。
30:40 K: いえ、待ってください。それは単純です。 そこにおいて、何が実際的ですか。あなたの訓練。
30:43 S: そうです。
30:45 K: あなたの知識、 あなたの日々の診療。 それがすべてです。 残りは、結論です。
30:53 B: でも、残りとは何ですか。
30:55 K: 残りとは、「私は、他の誰かよりはるかに良い」。
31:00 B: または、このことで、私は良いさまで、職務に没頭できるだろう。
31:05 K: 私はけっして、さびしくならないだろう。

S: そうです。私は、Xへ何が 起きようとしているかを、知っている。 私はこの知識を持っているからです。
31:11 K: ええ。それで?
31:13 B: まあ、それが、その一部です。

K: もちろんです。もっと多くが、です。
31:16 S: ええ、進んでください。私は、あなたから、お聞きしたい。
31:19 B: でもまた、一定の恐れもないですか- 私がこれを持っていないなら、 物事はかなり悪くなるだろう、と。
31:28 S: そうです、ええ。

B: その恐れは、拍車をかけるようです。
31:33 K: もちろんです。もし、患者たちが現れなかったなら・・・
31:37 B: すると、私はお金がない。

K: 恐れ、です。
31:39 S: すると、活動がない。

K: それで、さびしさ。またも、です。
31:43 S: またもや、です。そうです。

K: で、没頭しろ、と。
31:47 S: これをすることに、この概念を完遂することに没頭しろ、と。いいですか。
31:52 K: 没頭しろ、と。

S: そうです。 それはとても重要だ!と。 それが、人々にとってどんなに重要なのか、悟られますか - みんなにとって、 すべての人々にとって、没頭することが、です。

K: もちろん、そうです。
32:04 S: その骨子は分かりますか。

K: もちろん。
32:07 S: 没頭することが、人々にとってどんなに重要なのか。 彼らが走り回っているのが、見えますよ。
32:13 K: 主婦は没頭しています。

B: まさにそうです。
32:18 K: その没頭を取り除くと、彼女は、「どうか・・・」と言います。
32:21 B: ・・・私は何をしようか、と。
32:22 S: 私たちは事実として、それを持っています。 電気器具が家々に入ってから、 女たちは、狂おうとしています。 彼らは、自らの時間で、何もすることが、ないんです。
32:30 K: いえ。これの結果、子どもたちの放置、です。 それについて、私に話をしないでください!
32:36 S: (笑)いいですよ。 つづけましょう。 さて、私たちは、この事実を持っています- 没頭している。
32:41 K: 没頭している。さて、 この没頭は、抽象でしょうか、実際でしょうか。
32:51 S: これは実際です。

K: どちら?
32:53 S: 実際、です。私は実際に没頭しています。

K: いえ。
33:02 B: それは何ですか、と私は言いました。
33:08 K: あなたは実際に、没頭しています。
33:10 S: ええ。

K: 日々、です。
33:11 S: 日々、です。
33:15 B: 没頭している、といわれるのは、本当はどういう意味ですか。分かりますか。
33:18 S: どういう意味ですか。
33:20 B: 私は、自分が実際に業務すべてを、している、と言えます。それは明らかです。 私は医師として、患者たちを診ています。
33:25 S: 自分のことをしようとしています。
33:27 B: 私は自分のことをしていて、報酬などを得ています。 「没頭した」とは、私にとって、 それ以上に、心理的な意味を持っているように、見えます。 すなわち、私の精神は、相対的に調和的なさまで、そのことに、あるんです。 かつて私はテレビで、見たことがあります - 大いに動揺している女性の何か、です。 それは、脳の造影図に、示されました。 彼女が算数の足し算に、没頭しているとき、 脳の造影図は、みごとに平坦になりました。 彼女は、足し算を止めました。 すると、それは大いに乱れました。 ゆえに、彼女は、頭脳を正しく働かせつづけるために、 何かを、やりつづけなくてはいけなかった。
34:03 K: それは、どういう意味ですか。
34:05 S: 進んでください。

B: それはどういう意味ですか。
34:08 K: 機械的な過程です。

S: そのとおりです
34:13 B: 頭脳は、このことを持っていないなら、 いたるところに跳びはねはじめると、思えます。
34:17 K: 常に・・・

B: 常に・・・
34:22 K: で、あなたは、自分自身を機械へ還元してきたのです。
34:26 S: そう言わないでください!(笑) いや、それは公平でないが、でも、それは真実です。 機械的なものがある、と私は感じます・・・

K: 応答です。
34:38 S: ああ、そうです。参与です。

K: もちろんです。
34:41 B: でも、なぜ頭脳は、 没頭していないとき、そんなに荒れはじめるのか。
34:45 S: そのとおりです。
34:48 B: 頭脳は、没頭していないとき、荒れて跳びまわりはじめます。 それは、普通の経験だと思えます。
34:53 K: なぜなら、没頭には、安全があるからです。
34:56 B: 秩序があります。

K: 秩序、です。
34:58 S: 没頭には、一種の機械的な秩序が、ある。
34:59 K: 機械的な秩序、です。
35:01 B: で、私たちが感じるのは、自らの安全は本当に・・・ 私たちは秩序が欲しい、という意味です。 それは正しいですか。
35:04 K: そうなんです!

B: 私たちは、頭脳の内側に秩序が欲しい。 私たちは、未来へ秩序を投影できるのを、望みます - 永久に、です。
35:11 K: そのとおりです。

S: そのとおりです それは、機械的秩序により、得られる、と仰るのでしょうか。
35:15 B: でも、そのとき、私たちはそれに、不満足になる。あなたは言う - 「私は、それにうんざりし、飽きつつある。 この機械的な生には、うんざりだ。 何かもっと興味深いものが、欲しい」と。
35:22 K: それが、導師たちが入ってくるところです!(笑)
35:25 B: そのとき、そのものはまたもや、荒れはじめます。 機械的な秩序は、それを満足させないでしょう。 なぜなら、それは、しばしの間、働くからです。
35:31 S: 私は、そこへ何かが滑り込んでくるさまが、好きでありません。 あなたは、私たちが一つのものから、もう一つへ行こうとしている、と言われます。 私は、満足を探しています。 そのとき、私は満足していません。
35:41 B: 私は、何か良い規則的な秩序を、探しています。 私は、医師としての自分の職により、それを得つつある、と考えます。
35:48 S: ええ。
35:50 B: でも、しばらくした後、私は、それはあまりに反復的だ、 と感じはじめます。 私は飽きつつあります。
35:54 S: いいよ。でも、仮に、それが起きない、とします。 仮に、或る人々は、機械的な秩序に満足する、とします。
35:59 B: 彼は本当はそうでない。 そのとき、彼らは鈍くなる。
36:01 K: 全くです。機械的です。 機械的なので、彼らは・・・ その機構を止めると、 頭脳は荒れます。

S: そのとおりです。
36:08 B: で、彼らは、自分たちがちょっと鈍いと感じるかもしれなくて、何か娯楽が 欲しくなるでしょう。 または、何かもっと興味深くて興奮するものが、です。 ゆえに、矛盾がある。 全部のことに、 葛藤と混乱が、あるんですね。 この女性を、取ってみてください - 彼女は、算数の足し算をすることで、 いつも、すべてのことを正せたのです。 でも、足し算をやりつづけることはできません!(笑) 彼女はどこかで、これら足し算を 止めなくてはいけない、ということです。

S: そうです。
36:41 B: そのとき、彼女の頭脳は、再び荒れるでしょう。
36:43 K: 彼は、何が自分を動揺させているかを、訊ねています。 彼は、自分がそれに食い込めていない、と感じます。 何が彼を、動揺させていますか。
36:53 S: そのとおりです。

K: 何が、あなたを動揺させていますか。
36:56 S: まあ、それは、この感じです・・人々はこう言うでしょう・・・
37:01 K: いえ、あなたが言います。あなたが、です。

S: 私が言うでしょう。 私はこの秩序を得られる、と言いましょう - ええ、この機械的な秩序を、私は得られます。
37:09 K: ええ、得られます。
37:10 S: 好きな何かへ没頭することから、です。
37:13 K: 進んでください。前進して。
37:14 S: 私はそれをできます。 私は、自分が好きな何かをしますが、 それは退屈になる。または、それは反復的になるかもしれない、と言いましょう。 でもそのとき、私はその新しい部分を、見つけるでしょう。 そのとき私は、それを、もう幾らかするでしょう。 なぜなら、そうね、それは私に、楽しみを与えてくれるからです。 私はその中から、満足を得ます。 で、私はそれを、もっとやりつづけます。 それは、蓄積的な過程のようです。
37:34 K: いいえ。あなたは、一つの機械的過程から動きます。 それに退屈し、もう一つの機械的過程へ、動きます。

K: それに退屈する。 そして、つづけていく。

K: そして、それを、生きることと呼ぶ!

S: そのとおりです。そうなんです! それが、私が生きることと呼ぶものです。
37:49 B: そこでの面倒は、たとえ私がそれらを、受け入れるとしても、 私が今、自分がこれをやりつづけられるのを確かめようとすることです。 なぜなら、私は、自分がそれをできないだろう未来を、 いつも予期できるからです。 分かりますか? 私はその職には、ちょっと年老いすぎているだろう。 あるいは、私は、失敗するだろう。 職を失うだろう。 言い換えると、私は、その秩序の中にもやはり、不安全を持っています。
38:09 K: もちろんです。本質的に、それは機械的な無秩序です。
38:17 S: それ自体に、秩序の仮面を被っています。

K: 秩序の、ね。

K: さて、ちょっと待ってください。 これは見えますか。 または、それはやはり、抽象ですか。 なぜなら、そうね、ボーム博士が 語るだろうように、観念は、観察を意味しているからです。 元来の根本の意味は、観察です。 あなたは、これを観察しますか。
38:58 S: ええ、それは見えます。 私は、自分が・・・ 私は、自分は見えると思います。 ああ、いや、それは見えます。 私が実際に見えることは- これは見えます - これをしつづける動きです。 (心理学者)ピアジェの理論に、大いに似ています。 同化、適応があります。 それから、合わないものを見ることと、 それとともにやっていくことが、ある。 それから、もっと同化と適応と、 それとやっていくことが、ある。 心理学者、(ジャン・)ピアジェ、フランスの心理学者は、 これを、人間頭脳について規範的と、叙述します。
39:36 K: ええ、ええ。

S: あなたはこれをご存じです。
39:40 K: 私は、ピアジェを読まなくてもいい。 私はそれを観察できます。
39:43 B: そのとき、論点はこうです - あなたは、頭脳の不安定性に怯えているから、 これへ駆り立てられていますか。 それは、これに没頭している、という意味でしょう。 そのとき、無秩序がある、と見えるのです。 あなたは、何かをしているなら、 頭脳の不安定性より逃げ去ろうと しているから、それはすでに、無秩序です。
40:05 S: ええ、ええ。
40:06 B: 言い換えるなら、それは単に、無秩序へ、仮面を付けるだけでしょう。
40:09 S: ええ。そのときあなたは、これは、頭脳の自然な無秩序である、と 提起しています。 あなたは、自然な無秩序を、提起していますか。
40:16 B: いいえ。私は、頭脳は無秩序になっていると見える、と言っています。 これは事実のように見えます。ですね? すなわち、没頭なき頭脳は、 無秩序へ入って行きがちだ、と。
40:25 S: 機械の力学なしに、これは得られます。 それが、力学なしに、私たちが知っていることです。
40:29 K: で、頭脳は、それに怯えています。
40:31 B: それは実際には危険ですね。 なぜなら、これをしつづけるなら、 何が起きようとしているかを、知らないと感じるからです。
40:36 K: もちろん、それは危険です。
40:38 B: 私は、あらゆる種類の狂ったことを、するかもしれない、という意味です。
40:41 K: ええ。神経症患者のすべて - それらの事柄は、ご存じです。
40:45 B: 主な危険は内から来ると、私は感じます。
40:49 K: 絶対にです。 さて、あなたは、それが見えるとき、観察するとき、 行為があります - それは、断片化していません。
41:08 B: この無秩序は止まりうるのかどうか、自分は 知らないと、感じられます。言い換えると、もしも、それが止まりうるのが、 確かだったなら、その宗教、その神とか、 何かが、その世話をしてくれるだろうなら、 そのとき、安全があるんでしょう。

K: 全くです。
41:23 B: その神が、永遠の至福を、与えてくれるでしょう。
41:28 S: あなたは、何にも 依存できる、とは感じません。
41:32 B: 何も、その無秩序を制御できません。 これは本当に、そのことだと見えます・・・ すなわち、その無秩序を制御できるものは、何もない、と。 錠剤をとったり、様々なことをしてもいいが、 それはいつも、そこに、背景にある。
41:44 S: そうです。

K: 全くそうです。
41:47 B: 私たちが言うべきかどうか、分かりませんが、一つの問いは、 なぜ私たちは、この無秩序を持っているか、ですか。 もしも、それが、頭脳の構造へ組み込まれていたなら、 これが人間の本性であるのを、見ると、 抜け出す道は、ないでしょう。
42:00 K: ええ。私たちが、つづいている機械的過程であるとき、 初めに、無秩序が生ずる、と思います。 その機械的な過程の中、頭脳は安全だと感じます。 その機械的な過程が、 動揺するとき、それは、不安全になる。
42:21 S: そのとき、再びそれをやる。
42:23 K: 再び、何度も、何度も、です。
42:25 S: それはけっして、その不安全とともに居ません。
42:27 K: いえ、いえ。 それは、この過程がやはり機械的であり、ゆえに 無秩序であると、知覚するとき、です。
42:39 B: 問いはこうです - 頭脳はなぜ、機構に捕らわれるのですか。 言い換えるなら、その状況の中、 頭脳は、機械的な過程に、捕らわれるようです。
42:47 K: なぜなら、それは、最も安全な、最も安心な生き方であるからです。
42:50 B: まあ、そのように見えますね。 でも、実際にはとても・・・
42:53 K: 見える、ではない。 当分の間、そうなのです。
42:55 B: 当分の間は、ね。でも、長い間には、そうでない。
42:57 K: ああ、長い間には・・・
42:58 S: 私たちは時に束縛されている、束縛されるよう条件づけられている、と仰っていますか。
43:04 K: いや、時に束縛されるよう、条件づけられています。 自分たちの伝統により、教育により、 私たちが生きる文化などなどにより、条件づけられています - 機械的に作動するように、です。

S: 私たちは、たやすい道をとる。
43:16 K: たやすい道です。
43:18 B: でも、こう言うのもまた、一種の誤りです・・・ 始まりには、機械的な道が、 より安全である印を、示すと、言いましょう。 始まりに、頭脳は、 誤りを犯して、「このほうが安全だ」と言う。 でも、そのとき、どうやらそれは、自らが 誤りを犯したことを、見逃して、 この誤りへ、取りすがる。 始まりに、あなたはそれを、 無邪気な誤りと呼ぶかもしれません - 「このほうが安全に見える。 私はそれに従おう」と言うことは、です。 でも、それから、しばらくした後、 それはさほど安全でないとの証拠を、得つつあります。 しかし、頭脳は、それを拒絶しはじめ、それから離れていはじめます。
43:52 S: まあ、その主題を出すことはできよう、と思います - 育児において、 一定の与えられた事実が、ないのかどうか、です。 母親が感じるとき・・・赤ちゃんが泣いていて、 母親が乳首を含ませるとき、 それは、赤ちゃんに教えている、という意味です - あなたは黙って、たやすい出口へ行きなさい、と。
44:09 K: かわいそうな赤ちゃん。(笑) 乳首を含ませるとき、それは、赤ちゃんに・・・ 望まない母親だけです。
44:18 B: それは、条件づけの一部だと、いうことでした - それがいかに伝播されるかを説明するもの、です。 でもそれは、やはり、頭脳が なぜ、何らかの段階で、自らが間違っているのを、見ないのかを、説明しません。
44:32 S: なぜそれは、何らかの段階で、自らが間違っているのを、見ないのか。
44:36 B: 言い換えると、それは、自らが間違っていると見るより、 むしろ、この機械的な過程の中で継続します。
44:41 K: あなたは、なぜそれは見ないのか、と訊ねています - この機械的な過程が、本質的に無秩序であることを、です。
44:48 B: それは、無秩序で、危険です。
44:50 K: 危険です。
44:51 B: それは、完全な幻惑です。 その安全は、全的に幻影です。
44:56 S: なぜ、或る種のフィードバックがないのでしょうか。言い換えると、 私は何かをします。 それは間違いだと分かる。 或る点で、私はそれを悟るべきです。 例えば、私は、自分の生が機械的であるのを、見てきました。
45:10 K: さて、待って。あなたはそれが見えますか。

S: でも、見えません。
45:13 K: 待って。なぜそれは機械的なのか。
45:20 S: まあ、それはこのように進むから、機械的です - それは、すべて作用と反作用です。
45:28 K: なぜそれは機械的ですか。
45:32 S: それは、反復的です。
45:33 K: ええ。それは機械的です。

S: それは機械的です。 私は、それをたやすくしたい。それもまた、機械的です。私は、それを楽にしたい。 それは、最も安全を与えてくれる、と私は感じます - それを機械的に保っておくことが、です。 私は境界を得る。私は、それは、自分は住宅を持っている、と仰るようなものだと、知っています。 私は、自分の機械的な生を、持っている。 それが私に安全を与えてくれる。 それは、反復的であるから、機械的です。
46:02 K: でも、あなたは、私の問いに答えていません。
46:04 S: 答えていないのは、知っています!それは機械的なんです。 私は、ご質問が何なのかが、はっきりしません。 あなたの問いは、なぜ・・・
46:13 K: ・・・それは機械的になったのか。

S: なぜそれは、機械的になったのか。
46:16 B: なぜそれは、機械的に留まるのか。
46:18 K: なぜそれは、機械的になり、留まるのか。
46:21 S: それは、機械的に留まると思います。 それは、私たちがそこから始めることです。
46:27 K: ああ、いえ。あなたは・・・それを追求するなら、です。 なぜそれは、機械的に留まりますか。
46:33 S: 私は、それが機械的であるのが、見えません。
46:37 K: いえ。何が、私たちに、この機械的な生き方を、受け入れさせてきましたか。
46:46 S: 私は、自分がそれに答えられるのか、確かではありません。 その感じは、私は不安全を見るだろう、というものです - 私は見るでしょう・・・
46:53 K: いえ、見てください。もしもそれがなかったなら、あなたは、怯えないでしょうか。
46:58 S: 私は不安全が、見えるでしょう。
47:00 K: いえ、いえ。 自らが生きる生の 機械的な過程が、もしも突然に止まったなら、 あなたは、怯えないでしょうか。

S: ええ。
47:09 B: 何か真正の危険が、ないのでしょうか。
47:12 K: もちろんです。危険はあります。 すなわち、物事が・・・
47:16 B: ・・・バラバラになる。

K: ・・・バラバラになりかねない。
47:21 S: ええ、それより深い。

K: 待って!私たちは見出そうとしています。さあ!
47:24 S: それは、私が怯えるであろう、真正の、 危険がある、ということだけではない。 物事が、ひどく瞬間瞬間の効果を 帯びるように、感じます。
47:35 K: いえ、見てください。 全的な秩序は・・・ それに完全な安全を、与えるのではないでしょうか - 全的な秩序が、です。

S: ええ。
47:55 K: 頭脳は、全的な秩序が欲しいのです。

S: そうです。
47:58 K: さもないと、それは、適切に機能できません。 ゆえに、それは、機械的なものを、受け入れます。 それが災難へ繋がらないだろうと、願って、です。
48:09 S: そうです。
48:10 K: そこに秩序を見つけるだろう、と願って、です。
48:12 B: おそらく始まりに、 頭脳は、この機構が無秩序をもたらすだろうと 単純に知らなくて、 これを受け入れたと、言えるんでしょうか。 それはただ、無邪気な状態により、そこへ入っていった、と。
48:22 K: ええ、そのとおり。
48:23 B: でも、それから後で・・・

K: ・・・罠に捕らわれた。
48:25 B: それは、罠に捕らわれた。 どうにか、それは、この無秩序を維持します。 それは、そこを抜け出したくない。
48:30 K: それは、より大きな無秩序に、怯えているからです。
48:33 B: ええ。それは、「私が築き上げてきたこと すべてが、バラバラになるかもしれない」と言う。言い換えると、 私は、初め罠に入ったときと、 同じ状況にいない。 なぜなら、今 私は、大きな構造を築き上げてきたから。 私は、その構造がバラバラになるだろう、と考えます。
48:46 S: そのとおりです。 私は、或る人が言うのを、聞きました - 私は、座席から跳び出すところでした。 私は、或る人が他の一人へ、彼の同僚の一人へ、 言うのを、聞きました。 彼は、「私はちょうど自分の、 十三冊目の本を、出版したよ」と言います。 彼はちょうど、そのように言いました。 (笑)彼のその言い方は、捨てばちでした。
49:02 K: いえ。私が取りかかろうとしているのは、 頭脳はこの秩序が必要だ、ということです。 さもないと、それは機能できません。 それは、機械的な過程に、秩序を見つけます。 なぜなら、それは、子どもの頃から訓練されているからです。 「あなたは言われたとおりにしなさい」等々と。 たちまち、つづいている、条件づけがある - 機械的な生を生きるように、です。
49:26 S: そうです。
49:28 B: また、この機構をあきらめることへ、 恐れが、同時に誘発されたように。
49:31 K: もちろんです。
49:32 B: あなたは、いつの時も考えている、という意味です - すなわち、 これなしでは、あらゆる物事が、バラバラになるだろう、と。特に頭脳を含めて、です、
49:39 K: ええ、頭脳です。 で、彼らは、この機械的な事柄を 離れて、共同体に加わります。 そうね、やはり機械的な過程すべて、です。
49:51 S: そうです。そうです。
49:54 K: それは、頭脳は秩序を持たなければならない、 そして、機械的なさまに、秩序を見つける、という意味です。 さて、私は見えるでしょうか。 あなたは実際に、見えるでしょうか - 機械的な生き方が、無秩序へ繋がることが、です。 それは、伝統です。 私は全面的に過去に生きるなら- それは、とても秩序立っています。 それはとても秩序立っている、と私は考えます。すると、何が起きますか。 私はすでに死んでいます。 私は何にも出会えません。

S: 私はいつも、自分自身を反復しています。
50:54 K: で、どうか、私の伝統を動揺させないでください、と。 共産主義者はそう言います。 カトリックはそう言います。 付いてきていますか。 同じことです!あらゆる人間が、言います - 「私は、秩序を与えてくれるものを、 何か見つけた - 信念、望み、あれやこれや。 どうか、私を放っておいてくれ」と。

S: そうです。
51:16 K: 生は彼らを、放っておいてくれないでしょう。 それで、彼は怯えます。 そして、もう一つの機械的な習慣を、確立します。 さて、あなたは、このこと全体が、見えますか。 ゆえに、即座の行為が、 それらを晴らしてしまう。 ゆえに、秩序です。 頭脳は、「ついに私は秩序を持っている」と言う。 「それは、絶対的に破壊不可能だ」と。
51:58 B: まあ、あなたが仰ることからは、これが起きるだろう、ということは、 付いてこないと、思います。

K: もちろんです。
52:02 B: 言い換えるなら、あなたは、こう言っています。
52:04 K: 私はそう言っています。
52:06 B: でも、それは論理的には、付いてきません。
52:09 K: でも、あなたがそれへ入るなら、それは論理的に、付いてくるでしょう。
52:12 B: 私たちがそれに入るなら、です。 私たちは、それが 本当に必然的に付いてくる地点に、至れますか。
52:18 K: 私たちはそれへ入れる、と思います - ただし、頭脳が発達させ、執着し、養成してきた 機械的な安全を、あなたが知覚するときだけです。
52:33 S: あなたが話しているとき、私は 何かを、あなたと分かち合えますか。 私自身は・・・ 私はそれを、一定のさまで見ます。 このように、見ます。 あまりに早く私に、辛抱を切らさないでください!私はそれが、このように見えます。 私は、その機械性が見えます。 ですね?私は見ると見えます・・・ 私の精神には、閃いています - 人々の間の様々な種類 の交流、です。 パーティ、 カクテルパーティでの彼らの話し方、 私の彼らへの話し方。それはすべて、前に起きたことについて、です。
53:09 K: 全くです。
53:10 S: 彼らが、自分は誰なのかを、語ってくるのが、見られます - 自分の過去ということに立って、です。
53:15 K: または、彼らがなるだろうもの・・・

S: 彼らがなるだろうもの、です。 私があなたに叙述したばかりの、この人は、 「私はちょうど十三冊目の本を出した」と言いました。 彼はそのように言いました - 私がその情報を得ることが、 とても重要なんです。 私は、この精緻な構造が、分かります。 この人は、それを自分の頭に入れていたんです - すなわち、私が彼について、これを考えるだろう、 それから、自分は自分の大学へ 行くだろう、そして、自分はそれを考えてもらうだろう、と。 彼はいつも、そのように生きています。 構造全体が精緻です。ですね?
53:41 K: あなたは、それをやっていますか。
53:56 S: あなたはいつ、奥さんを叩くのを、止めましたか!(笑) もちろん、私はそうしています。 私はちょうど今、そうしています!ちょうど今、 私は、構造が見えています- 私はこれらです!
54:11 K: でも、あなたは、私たちが昨日言っていたこと、 断片的な行為が機械的な行為であることが、見えますか。
54:19 S: そのとおりです。 クリシュナジ、それはそこにある。 そこにある。 それが、私たちのあり方です。
54:24 K: いや、ゆえに、政治的な行為は、どの問題をも、人間の問題を、 けっして解決できません。 また科学者も、断片として、できません。
54:36 S: でも、あなたは、自らが何を仰っているかを、悟られますか。 あなたが仰っていることを、本当に見つめましょう。 これが、そのあり方です。 これが、生のあり方です!
54:42 K: そうです。
54:43 S: いいですか。これが、そのあり方です。 何年も、何年も、何年も、です。
54:48 K: ゆえに、あなたは、なぜそれを変化させないのですか。
54:54 S: そのとおりです。 しかし、これがそのあり方です。 私たちは、自らの構造ということに立って、生きます。 私たちは、歴史ということに立って、生きます。 私たちは、自らの機械的力学ということに立って、生きます。 私たちは、自らの形態ということに立って、生きます。 これが、私たちの生き方です!
55:06 K: 私たちが、オーハイで言っていたように、 過去が現在に出会って、 そこで終わるとき、全然違ったことが、起きるのです。
55:21 S: ええ。しかし過去は、そうしばしば、現在に出会いません。
55:27 K: これは今、起きつつあるのです!
55:29 S: 今、ちょうど今、それは来ようとしています。 私たちは今、それを見ています。
55:34 K: ゆえに、あなたはそこで止まれますか。

S: それが、全的に見えなければなりません。
55:38 K: いえ。事実、単純な事実です。 過去は現在に出会います。それは事実です。
55:48 B: 過去はどのように、現在に出会いますか。それに入りましょう。
55:51 K: あと四分間、あります。
55:52 S: 過去が現在に出会う、とあなたはどのように言いますか。 今、あと二分間、あります。(笑)
56:06 B: 手短には、過去が現在に出会って、止まる、と思いますね。 過去は一般的に、現在において、活動的です - 未来へ向かって、です。 さて、過去が現在に出会うとき、 過去は、行為するのを、止めます。 それが意味するのは、 思考が行為するのを止めて、それで秩序が訪れる、ということです。
56:35 S: 過去が現在に出会うと思いますか。 または、現在が過去に出会うのか。
56:39 K: いえ。あなたはどのように、私に出会いますか。

S: 私は現在に、あなたに出会います。
56:45 K: いいえ。あなたはどのように、私に出会いますか - すべての記憶、すべてのイメージ、 評判、言葉、映像、象徴、それらをもって、です。それらは過去ですが、 それらをもって、今、あなたは、私に出会います。
57:02 S: そのとおりです。私があなたへ来るのは、快適さをもって・・・
57:05 K: いえ、いえ。 過去が現在に、出会っています。
57:11 B: あなたは、こう言われていませんか・・・

S: そのとおりです。進んでください。
57:15 B: 過去は現在に出会うのを、止めるべきだ、と。
57:17 S: いえ。彼はそう言っていません。 それは言えません!
57:20 K: 私は、何かを言っています。 彼は正しい・・・
57:22 S: (笑)分かりますが、彼に言ってもらいましょう。
57:25 K: 私が言おうとしているのは、過去が現在に出会う、ということです。
57:29 S: それから?
57:30 K: 過去は、そこで終われますか。 先へ動かない。
57:34 S: 止まれますか。しかし、それは正しい問いですか。 過去が現在に出会うのは、何ですか。 その行為は、何ですか。
57:44 K: 私は、映像をもって、あなたに出会います。

S: なぜ私は止まるんでしょうか。
57:49 K: 私はあなたに示しましょう。 私は、過去、自分の記憶をもって、あなたに出会います。 しかしあなたは、その間に、それらを変化させたかもしれません。 で、私はけっして、あなたに出会いません。 私は過去をもって、あなたに出会います。

S: そうです。それは事実です。
58:09 K: それは事実です。さて、私は、つづいていくその動きを、持たないなら・・・
58:16 S: でも、私は持っています。

K: もちろん、あなたは持っています。 ですが、私は、それは無秩序だ、と言います。 そのとき、私はあなたに出会えません。
58:24 S: そうです。あなたはそれを、どうやって知りますか。
58:29 K: 私はそれを知らない、と知るだけです。 私は、事実を知るだけです - すなわち、過去が現在に出会い、継続するとき、 それは、時の動き、束縛、すべての恐れ、 その他すべての要因の一つである、という事実、です。 過去が現在に出会うことが、あり、「そうだ」と言って、 私がこれに十分に気づく、 完全にこの動きに気づくとき、そのとき、それは止まります。 そのとき、私はあなたに、まるで 初めてかのように、出会います。 何か新鮮なものが、あります。 それは、新しい花が咲くのに、似ています。
59:18 S: ええ。
59:24 K: 私が思うに - 私たちは明日、つづけるだろうと、思います - 私たちは本当に、これらの根に、 取り組んだことがないのです - この動揺、この騒乱、 苦労と心配すべての 根、原因、根本に、です。 付いてきていますか。
59:50 B: なぜ、頭脳は、この荒れた無秩序に、あるのでしょうか。
59:53 K: 分かります。荒れています。 あなたは、医師、分析者、その他すべてですが、 あなたは、その根源的な問いを、訊ねなくてはいけません - なぜか。 なぜ人間たちは、このように生きるのか。
1:00:09 S: そうです。なぜそうするのか。 私はいつの時も、それを訊ねます。 なぜ人間たちは、病んでいるのか。

K: 時間です。
1:00:18 B: そうです。

S: 二重の答えだ。(笑)