Krishnamurti Subtitles home


BR76CTM3 - 私は、まさしく根において、完全に変化できるのか。
ボームとシャインバーグとの議論、第3回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月18日



0:10 クリシュナムルティ(K): 私たちが止めたところから、始めましょうか。 私たちは、訊ねていたでしょう - なぜ人間たちは、このように生きるのですか。
0:25 シャインバーグ博士(S): その根は何ですか。
0:27 K: 騒動、混乱、 そのすべての裏の悲しみ、葛藤、暴力。 多くの人々が、諸問題の 異なった解決法を、提示します - アジアの導師、 世界中の司祭者、 新しい書物、新しい・・・ あらゆる人が、新しい解決、新しい方法、 問題の新しい解決法を、提示します。 これはきっと、百万年の間、つづいてきたと、私は思います。 「これをしなさい。すると、あなたはだいじょうぶだろう。 あれをしなさい。すると、あなたはだいじょうぶだろう」と しかし何も、人をして、秩序の中に、幸せに智恵をもって、 生きさせることに、成功しなかったように、 見えます - つづいていく、この混沌の 活動の何もなしに、です。 なぜ、人間たちは、いわゆる教育を受け、 科学的知識すべてを知っていて - 生物学、社会学、 あらゆる物事が、今、あらゆる人に、開かれています。 なぜ私たち、人間は、このように生きるのか- このおぞましい悲惨の中に、です。 彼らの幾らかは、意識しています。 彼らの幾らかは、 意識していません。 彼らの幾らかは、言います - 「これは だいじょうぶだよ。 二、三年の間だけだし、私は死ぬだろう。 けっこう良いビジネスだし、大事なことではない」と。 で、なぜでしょう。何が・・・ なぜでしょう。
2:21 S: まあ、私はしばしば言ってきました - まさしく悲しみ、 まさしく騒動、まさしく問題自体が 安全であるから、彼らはそうするのだ、と。
2:35 B: 私は・・・

K: それは・・・
2:38 ボーム博士(B): 私は本当はそうは思いません。 人々はただ、それに慣れてしまうと、私は思います。 彼らは、何でも自分が慣れているものが、ないのを、さびしがるが、 人々は、けんか、闘いに慣れてしまい、それがないとき、 彼らはそれをさびしがる。 しかし、私の見解では、それは、なぜそれらが 始まったのかの、一義的な理由ではない。
2:54 S: あなたの見解では、何が一義的な理由ですか。
2:56 K: それが、私たちが探検していることです。
2:58 B: 何が起きても、それに慣れてしまう、と私は感じます。 しばらくした後、それに慣れているから、 それがないのが、さびしくなる。 でも、それは、なぜそれがそこにあるかを、説明しません。
3:05 K: 私は先日、読んでいました - 歴史的に、或る作家が言っていましたが、 五千年に、五千の戦争が 歴史的にあったのです。 何千の人々が殺され、何百万が殺され、 女たちは泣きました。 付いてきていますか。 その全体。それでも、私たちは、つづけています。
3:26 S: そのとおりです。 私は、同じ経験をしました。 或る時、私は仕事をしていて、 或る人が私に対して、自分は闘うために ヴェトナム(の戦場)へ行きたいと、言いました - なぜなら、 さもないと、自分の生は毎夜、バーにあるから、と
3:42 K: 分かります。でも、それは理由ではない。なぜでしょう。
3:46 S: それは理由ではないが、彼らが保つものが、何かある。 私たちは、葛藤と悲しみへ、取りすがる。
3:53 K: 私たちはそれが好きだ、ということですか。

S: 私たちがそれを好きだ、ということではない。 それはほぼ、それを好きでないのが好きだ、ということです。 それは、一種の方位づけること、一種の・・・「私は自分の葛藤を 知るなら、自分がどこにいるかを、知る」・・・
4:08 K: いえ。私たちはみんな、神経症になったのでしょうか。
4:11 S: ええ。全部が神経症的です。
4:16 K: (精神科医の)あなたが、そう言っていますか。
4:20 S: ええ。社会の全体が、神経症的です。
4:25 K: それは、全人類が神経症的だ、という意味ですか。
4:30 S: そう思います。これは、私たちがいつの時も、行う議論です。 社会は、病んでいるのか。 そのとき、社会は病んでいると言うなら - それはあなたの判断ですが - あなたが比較のために 使っている価値は、何なのか。
4:42 K: それは、あなた自身です- あなたが神経症的です。
4:44 S: そうです。
4:46 K: で、あなたが、それに向き合うとき - すなわち、人間たちは、このように生きるし、 それを、幾千年もの間、受け入れてきたことに、です。 救い主たちがいました。 導師たちがいました。 教師たちがいました。 そうですね。けれども、彼らはこのようにつづけていく。あなたは、こう言う - 「彼らはみんな半ば狂っているね。痴呆化している。 上から下まで、腐敗している」と。 私がやってきて、私たちがやってきて、なぜかと言う。
5:27 S: なぜ私たちは、そうするのか。
5:29 K: なぜですか。

B: なぜ私たちは、狂っているのか。
5:30 S: なぜ私たちは、それをつづけるのか。 なぜ私たちは、狂っているのか。そうです。 私は、自分の子どもたちについて、そうなっています。 私は、子どもたちへ言います - 「これは病んだ社会だ。 彼らは一週間に五十時間を、テレビの前で過ごす。 それが、彼らの生全体だ」と。 私の子どもたちは、私を笑います。 彼らの友だちみんなが、そうしています。
5:45 K: そうね、それを越えて動くと、なぜですか。
5:48 S: なぜか。 それなしでは、何なのか。
5:52 K: いえ。それなしでは何なのか、ではない。 初めに、なぜか、です。
5:54 S: それが、私たちがぶち当たるものです。
5:56 B: いや、それは単に、二次的な効果ですね。 私たちは、今朝言っていたように、没頭などするために、 それに依存しはじめる、と思います。 ヴェトナム(の戦場)は、パブの退屈やら 何やらからの解放に、見えるでしょう。 しかし、それは二次的です。
6:12 K: また、私はヴェトナムへ行ったり、戦争で戦うとき、 責任すべてが、私から取り去られます。 他の誰かが責任を持つ - 将軍や・・・
6:22 S: そうです。
6:23 B: 昔の日々に、人々は、戦争は 輝かしいものだろうと、考えたものでした。 大戦が始まったとき、イギリスであらゆる人が、 大いに昂揚の状態にいました。

K: 大いに、です。そのとおり。
6:31 B: 彼らは、何が待ち構えているかを、知りませんでした。
6:33 K: 彼らはみんな、団結しました。 で、なぜでしょう。

S: なぜでしょう。
6:47 K: それは、私たちが間違った道を行きはじめた、ということですか。
6:56 S: それは、ほんのその一部分です。
6:58 K: または・・・種(しゅ)は、自分たち自身を殺しません - 動物の種(しゅ)は。 でも、私たちは、互いに殺し合う種なのです。
7:09 S: そうです。
7:11 K: で、これら恐怖と悲惨の展望を、見て、 私はとても強く、これを感じます。 なぜなら、 私は、いたるところを旅行するし、 このとてつもない現象が、つづいているのが、見えるからです - インドで、アメリカで、ここで、あらゆるところで、です。 私は言います - なぜ人々は、このように 生きるのか、これらの物事を受け入れるのか、と。 歴史を読んでください・・・付いてきていますか。 それは、もはや隠蔽されていません。 彼らは、冷笑的になったのです。 すべて、そこにある。
7:45 S: そのとおりです。 彼らは、冷笑的になっています。
7:47 B: それについて、何かができるとも、誰も信じていません。それが一点です。
7:50 K: そうなんです。

S: そうなんです。
7:52 K: それは、私たちがそれについて、何もできないと感じる、ということですか。
7:56 S: 確かに。

B: それは、古い物語だったんです。 人々は、人間の本性はそのようである、と言います。
8:00 K: けっして変更できない、と。
8:01 B: ええ。それはまったく新しくない。
8:03 K: それは新しくない。
8:05 S: それは確かに真実です - 人々は、または、私たちは・・・ 「人々は」と言わないでおきましょう。 私たちは感じます・・・ 今朝、私が言ったように、 これが、そのあり方だ、これが、私たちの生き方だ、と。
8:15 K: 知っています。でも、なぜあなたは、それを変化させないのですか。
8:20 S: なぜ私たちは、それを変化させないのか。
8:27 K: あなたは、自分の息子が五十時間、テレビを見ているのが、見える。 自分の息子がヴェトナム(の戦場)へ行ってしまうのが、見える。 殺され、不具にされ、盲目になる。 何のためですか。
8:41 S: そうです。
8:43 K: すみません。 平和主義者たちが、いました。 戦争を売り歩く者たちが、いました。
8:54 B: 多くの人々は、言ってきました -「私たちは、人間の本性がこのようであるのを 受け入れない。私たちはそれを変化させようとしよう」と。それは働きませんでした。 で、多くの人々は、そうしました。ですね?共産主義者は、それを試してきました。 社会主義者は、それを試してきました。 他の幾らかは、それを試してきました。
9:07 K: ユートピア論者。
9:08 B: ユートピア論者・・・それほど多くの悪い経験が、あったんです。 それはすべて、人間の本性は変化しないとの観念に、付け加わります。
9:14 K: 変化しない、と。
9:16 S: そうね、フロイトがやってきたとき、フロイトは、自分の研究を行いました。 彼は、心理分析は人々を変化させるためだ、とけっして言いませんでした。 彼は、私たちは人々について研究できるだけだ、と言いました。
9:25 K: 私はそれに興味がない。知っています。 私は、フロイトを読まなくていい。 または、ユングや、あなたや、誰をも、です。 それは、私の真ん前にある。
9:32 S: そうです。で、言いましょう・・・それは良い。 私たちは、これを知っている。私たちは、人々について、この事実を知っている。 私たちはまた、物質の事実をも知っている。 彼らはそれを、変化させようとしない。

K: で、何が、彼らを阻止していますか。
9:46 S: それが疑問です。 それは、もう一つの事実です。
9:49 B: 人々は、多くの事例で、それを変化させようとしてきましたが・・・
9:51 S: いいです。でも、今、彼らはそれを変化させようしない、と言いましょう。
9:54 K: 彼らは、アシュラムへ行く。 彼らは・・・ 一ダースの道で、彼らは変化しようとしてきました。 でも、本質的に、彼らは同じです。
10:01 B: 人々は、人間の本性をどう変化させるかを、 見出せないと、私は思います。
10:05 K: そうなのですか。
10:06 B: 少なくとも、まあ、どんな方法でも試されてきたのは、全面的に・・・
10:10 S: そうなんですか。または、それが事実ですか - 彼らがそれを変化させたい さまの本性こそが、その過程自体の一部である、と。
10:16 K: それが、彼が言っていることです。

S: いえ、彼は・・・
10:18 B: まあ、いや、私は、どちらも言っています。第一の点は、 人々が何を試してきたのも、理解により、 導かれてこなかった、ということです - 人間の本性への正確な理解によって、です。
10:28 S: で、それは、まさにこの過程自体により、導かれています - 不正確さ、です。
10:32 B: ええ。マルクス主義者を、取ってみましょう - 彼らは、 人間の本性は、改善できるが、 経済的、社会的な構造全体が 変更されたときだけだ、と言います。
10:40 K: 変更できたとき。

B: でも、そのとき・・・
10:42 K: 彼らは、それを変更しようとしてきましたが、人間の本性は、同じままです。
10:44 B: 彼らはそれを変更できません。 人間の本性はこうであり、 彼らは本当に、それを変更できないからです。
10:49 K: 彼らは、階級社会を持ってしまっています。 彼らは、戦争なしだ、と始めました。 そうね・・・
10:53 S: でも、彼らは、機械的な変化を起こすために、 機械的な道を、使っています。
10:57 K: 見てください。あなたを、あなた自身を取ってみてください。個人的になって、すみません。 あなたが気にされないなら、です。 あなたは餌食です!
11:04 S: 私は餌食になりましょう。 がっちり、やってください。
11:06 K: なぜあなたは、変化しないのですか。
11:09 S: まあ、私は・・・

K: いえ!説明をしないでください。
11:15 S: まあ、その感じは、・・・ その即時の感じは、・・・まだある、 それがある、というものです。 私は言うべきだったと思うんですが、 或る種の虚偽の安全、断片化が、ある、と。 断片化より得られる、即時の楽しみ、です。 言い換えると、いまだに、その断片化の動きが、ある。 そのようにして、変化がないんです。 全体が見えていないんです。
11:54 K: あなたがそう仰るのなら、こう仰っていますか - 経済的行為、 宗教的行為、社会的行為は、すべて分離し、 すべて、ほぼ互いに戦っていて、 私たちはそれである。

S: そうです。
12:15 K: それが、仰っていることですか。

S: ええ。私はそう言っています。 私はそれから、何かを取り戻しつづけます。 私たちは、これらから、 これら即時の楽しみや失敗、挫折を、得ます。
12:29 K: それよりはるかに深い主題が、あるのです。
12:32 S: もっとある。私の即時の応答は、なぜ私は変化しないのか、です。 私が全体を見るのを、妨げるのは、何でしょうか。分かりません。 私は、一種の感じを、持ちつづけます - 私は何かを得つつある、と。 私は、変化しないことより、何かを得つつある。
12:56 K: いえ、いえ。それは、変化したいと願い、 変化の様式を定める実体ですか。 ゆえに、様式は、違った色のもと、 いつも同じです。 話が明らかになっているのかどうか、分かりません。
13:16 S: それを、別の形で言ってもらえますか。
13:19 K: 私は変化したい。 私は、何が変化するのか、 どうこの変化をもたらすのかを、すっかり計画します。 計画者はいつも同じです。

S: そのとおりです。
13:36 K: でも、様式は変化する。
13:38 S: そのとおりです。ええ。私は、自分が欲しいもののイメージを、持っています。
13:43 K: いいえ。様式は変化します。 でも、変化したい私が、 変化の様式を、創り出す。

S: ええ、そのとおりです。
13:52 K: ゆえに、私は古いものであり、様式は新しいものですが、 古いものは、いつも、新しいものを、征服しつつある。
13:58 S: そうです。
14:01 B: でも、もちろん、私はそうするとき、自分は古いものだと、感じません。
14:04 K: もちろんです。
14:05 B: 私は、自分は新しいものだ、と感じます。
14:06 S: 「私は、新しいアイディアを得た」と。
14:09 B: しかし、私は本当に、自分がその古いもの - 自分が変化させたいもの - に、 関与していると、感じません。
14:13 K: ちょうど今、昼食の後、あなたは言っていました・・・ あのもの、カバラです。 新しい体系があります。
14:18 B: ええ。
14:19 K: 例えば、あなたは、これを研究するなら、変容するでしょう、と。
14:22 S: そのとおりです。
14:23 K: これは、一億回、言われてきました - 「これをしなさい。すると、あなたは変容するだろう」と。 彼らは、そうしようとしますが、中心は、いつも同じです。
14:32 B: でも、それをする各人が、 それはかつて起きたことがないと、感じます。
14:36 K: ええ。 あの書物をとおした私の経験は、全然違っている、と。 でも、経験者は、同じ古い自己です。
14:46 S: そうです。同じ古いもの。
14:50 K: それが、その根本原因の一つだ、と私は思います。
14:53 S: ええ、ええ。
14:54 B: それは一種、手品の手管です - 面倒を起こしているものが、 それにより、一種、地位へ収まるんです。 まるで、それが、変化を起こそうとしているものであるかのように、です。 そうね、それは欺瞞です。
15:08 K: 私は、「私はあれを変化させよう、あれになろうとしている」と 言うことにより、いつの時も、自分自身を欺瞞しています。 そのとき、それが働かないなら、などなど、と。 そういうことですか。

S: それは、取りかかりはじめています。
15:24 K: いえ、いえ。あなた自身を見て、「そういうことなのか」と言ってください。 ヒンドゥーのものを読むと・・・ ちょっと待ってください。 ヒンドゥーや何かの書物、です。
15:34 S: ええ。
15:35 K: そして、「ええ、それは何と真実なのか」と言う。 「私は、それに沿って生きよう」と。 しかし、それに沿って生きようとしている「私」は、 同じ古い「私」です。
15:44 S: そうです。でも、私たちは、これに突き当たって・・・ 私は、例えば、患者について、 治療法の体系すべては・・・患者は言うでしょう - 医師は、自分を助けてくれる人に なるだろう、と。それから、 分かるのですが、その医師は・・・
16:03 K: 自分に似ている、と。
16:05 S: 自分に似ているとか、自分を助けてくれないだろう。そのとき・・・ 彼らは良くなるはずですし、 彼らは元気になるはずですが、 実は彼らは、けっしてその中心的な主題に 触れたことがない。すなわち、 「私は、誰かが助けてくれると思った」と。 そのとき彼らは、他の何かへ行く。 彼らのほとんどが、別の理論へ行く。
16:23 K: 別の導師へ。
16:24 S: 別の導師、別種類のものへ、です - それが、精神の導師でも、です。
16:27 K: この午後、ここに或る人がいて、 新しい導師や、古い導師について 話していました。 それはすべて、同じ古いものです。
16:39 S: あなたは本当に、主題、事実を 取りかかろうとしています - すなわち、根本は、何かが あなたを助けられる、というこの信念です。
16:47 K: いえ、いえ。 根本は、同じままに留まります。 私たちは、枝を刈り取ります。
16:55 B: 根本は、何か見えないものだ、と私は思います。 私たちはそれを、見ているはずの人の 地位に、置くからです。
17:01 K: ええ。
17:03 S: それをもう一つの道と言う。
17:05 B: それは、一種、奇術の仕掛けです。 私たちは、根本が見えません。 なぜなら、根本は、根本を探しているだろう誰かの 地位へ、入れられるからです。 お分かりになるのか、私は知りませんが。
17:16 K: ええ。根本は、「私は根本を探している」と言う。
17:20 B: それは、「私は自分の眼鏡を探している」と言うが、それを掛けている人に、 似ています。

S: または、あのスーフィーに物語に似ています。 「私は鍵を探している」といい、 「私はこちらで鍵を探している」という人です。 物語をご存じですか。 スーフィー、その人がやってきて、 その人は、電灯の柱のもとで、 這いつくばって、探している。 或る人がやってきて、「そこで何をやっているんですか」と言う。 「私は鍵を探している」、「ここでそれをなくしたのか」、 「いや、あちらでなくした。 でも、こちらのほうが、明るい」と。(笑)
17:48 B: 私たちは、他の部分へ光を投げかけます。
17:53 K: そうです。で、私は、変化したいのなら・・・ なぜなら、私はそのように生きたくないからです。 私は誰にも、従いたくありません。 なぜなら、彼らはみんな、残りの連中に、似ているからです。 私は、これらにおいて、どんな権威をも、受け入れません。
18:13 S: ええ。
18:16 K: 私が混乱しているときのみ、権威は生じます。
18:19 私が無秩序にいるときのみ、です。

S: そのとおりです。
18:22 K: それで私は言います - 私はまさに根本で、完全に変化できるのか。
18:29 B: それを見ましょう。 あなたは「私」と仰っているから、 言語に混乱があるように、見えます。 なぜなら、「私」と言うことは・・・
18:36 K: 言語の混乱です。
18:38 B: それは、難しくなります。なぜなら、「私は変化しようとしている」と言うからです。 「私」というのは、どういう意味か、明らかでない。

K: 「私」は根本です。
18:45 B: 「私」は根本です。で、どうし「私」は変化できますか。
18:47 K: それが、全部の論点です。
18:49 B: 言語は、混乱させます。 なぜなら、「私は、根本で 変化しなければならない」と言うが、私が根本であるからです。
18:55 K: ええ。

B: で、何が起きようとしていますか。
18:58 S: ええ、何が起きようとしていますか。
19:00 K: いえ。私はどうすれば、私でないことになるのか。
19:05 S: それが疑問です。

B: それは、どういう意味ですか。
19:11 S: 私はどうやって、私でないことになるのか。 でも、一分間、巻き戻しましょう。 あなたは、どんな権威をも受け入れないだろう、と述べられます。
19:22 K: 誰が私の権威ですか。誰ですか。 彼らはみんな、私に、「これをしろ。 あれをしろ。他をしろ」 と語ってきました。「この本を読みなさい。 すると、あなたは変化するだろう。 この体系に従いなさい、あなたは変化するだろう。 自身を神と同一視しなさい、あなたは変化するだろう」と。 でも私は、まさに、前にそうだったとおりに、留まります - 悲しみの中、悲惨の中、 混乱の中、助けを探している。 私は、自分に一番合う助けを、選びます。
19:53 S: ここで一分間、止まれるでしょうか。 あなたは、何と仰るでしょうか。 私は、精神医学について、何かを言いました。 私は、できるなら、何か率直なものを得たいと思います。 この理論全体が、あります。 導師たちは、それを持っています。彼らは、それについて話をしないが、それを持っています。 精神医学すべてに、あります。 それは理論です - 私が権威とともにやっていくと、 私が自分の権威への中毒が、見えるところまで、ですが、 そのとき私は、権威から自由になるでしょう。 それは分かりますか。
20:19 K: ええ。共産主義者は、言います - 「自由は、良き規律の終わりに、来る。 規律は、私があなたに語ることである」と。
20:27 B: ええ、その終わりには、 プロレタリアート(無産階級)の独裁が、ある。
20:31 S: そうです。言い換えると、 自分自身を譲り渡すことにより、私は自分の過誤を、発見するだろう。 さて、あなたは、それについて何を言いたいですか。
20:41 B: それは明白でないですか。
20:43 S: そうです。私が同じことを しているのは、明白です。 それから私は、 この権威の失敗が、見えます。 でも、そこには、定説がある - すなわち、私が権威に従う特定のことが、見えるなら、 そのとき、根本において、普遍的なことが、見えるでしょう。
21:01 B: でも、なぜあなたは、権威を見るために、権威へ従わなくてはいけないか。 これが、疑問の一つです。 あなたは、自己欺瞞を理解するために、 自分自身を欺瞞しなくてはいけませんか。(笑)
21:18 K: そうです。 で、人間は、自らの存在のまさに根において、 変化することは、可能でしょうか。 彼らは、様々な道を試してきました- 禅。そうですね? 人を変化させるための十もの違った道、多数の違った道 - 彼に褒美を与え、彼を処罰し、彼に約束して、です。 何も、変化させなかった。 この奇跡的変化を、もたらしてこなかった。 それは、奇跡的な変化です。
21:57 S: そうでしょうね。ええ、ええ。
22:00 K: そうです。誰もがみな、約束します - これをしなさい、あれをしなさい、他をしなさい、と。
22:05 S: そうです。
22:07 K: 私のような人、私たちがやってきて、言います- 「いいかい、私はどんな権威をも 受け入れたくない」と。

S: そうです。
22:16 K: なぜなら、あなたは、あらゆる人を、誤って導いてきたからです - すべての権威が、です。
22:22 S: 権威は・・・

K: ・・・それ自体が無秩序です。
22:26 S: そうです。
22:28 K: 人間たちが、無秩序の中にいるから、権威は存在しています。 無秩序が、それらを創り出してきました。 明晰さが、ではなく、慈悲が、ではなく、 全然違った何かが、ではない。 無秩序が、それらを創り出してきました。 で、なぜ私は、それらに従うべきでしょうか。 彼らは約束するけれども - これをしなさい、この道に沿って 自己を修練しなさい、究極的にあなたは自由になるだろう、と。 私は、そのすべてを拒絶します。 智恵をもって、です。 なぜなら、私は見えるからです。 それは、気難しい拒絶ではありません。 それは、合理的な健全な拒絶です。 で、私はどのように、前進しますか。 私は、生きるための五十年を、持っています。 私は、未来について、知りません。たぶん、 私は見出すでしょうが、私は、適切に生きるための五十年を、持っています。 正確な行為とは、何でしょうか。
23:36 S: 適切に生きるための、正確な行為は、何でしょうか。
23:40 K: それがすべてです。健全であること!

S: 健全であること。
23:44 K: 神経症的でないこと。 誰が私に、語るのでしょうか。 共産主義者ですか。マルクスですか。レーニンですか。 毛沢東ですか。教皇ですか。または、地元の司祭者ですか。誰が、私に語るのでしょうか。 なぜなら、彼らもまた、正しく行為しないからです。
24:12 S: 私たちには、一個の人々の集団が、います - 自分たちは、あなたに語るだろう、と 言わない人たち、です。 「自分がどう、私に従うかを、見なさい」 と言う、一個の人々の集団、です。 「あなたが私に従うなら、私に従う自分の傾向を、見なさい」と。
24:27 K: ええ、ええ。

B: それは理解できます。
24:29 S: 自己欺瞞の事柄です。 自分の自己欺瞞を見抜くこと。
24:34 B: それは本当に、ありえない芸当です。 なぜなら、「私に従って、自己を欺瞞しなさい」と言うなら、 あなたは真正に、自己を欺瞞しつつあり、見えないからです。
24:41 S: そのとおりです。でも、定説は、 自分自身を欺瞞するなら、自己欺瞞への自分の傾向が 見えるだろう、ということです -
24:48 見えないものが、です。

B: でも、それは、権威にちがいありません。なぜなら、 私が自己を欺瞞するなら、自己を欺瞞するのを、見抜くだろう、 と言うことは、意味をなさないからです。 自己欺瞞の要点は、 私は、本当にそれを、正しくやっているなら、自分が 何をしているかを、知らない、というものです。

S: そうです。
25:02 B: ゆえに、あなたはどうして、私に対して 自分自身を欺瞞することにより、自己欺瞞を見抜けると、保証しますか。
25:07 S: 私は、あなたのをとおして、あなたに示そうとしているからです・・・ 私は参加しないでしょう。 私はここにいるでしょうし、あなたは、自分自身を欺瞞しようとしています。 そのときあなたは、この権威が作用中なのが、見えるでしょう - 自分は権威が必要なさまが、です。
25:18 K: あなたは、グループ療法について、話しています。
25:20 S: そうです。私は、一種の心理療法について、話しています。
25:23 B: なぜ私は、自己欺瞞を見るために、それらを経ていかなくてはいけないのか。 そうね、それは明らかではない。
25:29 S: ええ、それは明らかではない。でも、それは唯一つの道です。言い換えると、 あなたは絶望的に、必要としている。 あなたは絶望的に、私が必要です。

K: 私はあなたが必要でない!
25:37 S: でも、彼はそうです。
25:40 K: それは根源的に、間違っています。
25:42 B: 私は権威を、受け入れつつある。ですね?
25:45 S: ええ。あなたは根源的に・・・そのとおりです。 彼は根源的に、間違っている。 ここで彼は・・・ 彼は根源的に、間違っている!

K: 彼へそれを言いなさい!
25:51 S: あなたは根源的に、間違っている。 彼は、話を聞きませんでした。
25:54 K: ええ。彼があなたへ訴えるのを、許してはいけません。
26:01 S: この不条理の中で戯れるのを止めなさい、ということです。
26:05 K: 私はあなたを、助けられません。

S: 私はあなたを、助けられません。
26:08 K: なぜなら、私はあなたに似ているからです。

B: 私はよそへ、商売を持って行くでしょう!
26:11 S: 彼は、よそへ行くでしょう。
26:13 K: もしも誰もがみな、「私はあなたを、助けられない」と言ったなら、 あなたは自分自身、それをしなくてはいけない。自分自身を見つめる。 そのとき、全部のことが、作用しはじめています。
26:22 S: そうです。でも、全部のことが、そのようには働きません。 二、三ドルのために、進んで彼を欺瞞しようとする、 人々が、たくさんいるでしょう。
26:29 K: 彼らがみんな神経症の人々であるのを、私たちは知っています。 ここに、或る人が、います - 「私は神経症です。 私は、健全になるために、他の神経症の誰へも、 行かないでしょう」と言う人、です。 分かります。で、彼は何をしますか。 彼は、どんな権威をも受け入れません。 なぜなら、私は、自分の無秩序の中から、 権威を創り出してきたからです。
26:59 B: ええ。それは単に、誰かが、何をすべきかを知っている、という望みです。
27:02 K: ええ。
27:03 B: なぜなら、私は、この混沌は自分にとって大きすぎると感じるし、他の誰かが、 何をすべきかを私に語れると、ただ想定するからです。 でも、それは、この混乱の中から出てきます。言い換えると・・・
27:12 S: ええ、無秩序が権威を創り出す。
27:15 B: 権威を、です。ええ。
27:16 K: もちろんです。(ここの)学校で、私は言ってきました - あなたが適切に振るまうなら、権威はない。 私たちみんなが同意してきた振るまい、 時間厳守、清潔さ、これやあれ。 あなたは、本当にそれが見えるなら、 何の権威をも持たない、と。
27:37 S: ええ、それは分かります。 それは要点だ、と私は思います。 無秩序自体が、権威への必要を創り出す。
27:45 K: インドで起きてきたことを、見てください。 (イタリアの)ムッソリーニは、完璧な実例です。 (ストライキがなく)列車は適切に走った。(笑)
27:51 B: それは実際には、権威への必要を、創り出しません。 それは、人々の間に、無秩序を是正するために権威が 必要だとの印象を、創り出します。 そのほうが、正確でしょう。

K: そうです。
28:00 B: なぜなら、権威は - 彼らは、まったくそれが必要でない。 なぜなら、それはただ、破壊的であるからです。
28:04 S: そうです。そうです。
28:08 K: で、そこから始めましょう。 私はこれらを拒絶します- 狂って不健全なのではない。 権威の拒絶において、私は、とても健全になったのです。 私は、健全になりかけています。
28:26 K: で、私は言います - 私は、自分が神経症であるのを、知っている、と。人間は言います - 私は知っている。今、私は何をしようか、と。 私の生において、何が正確な行為でしょうか。 私は、神経症であって、いったい、それを見つけられますか。 私は見つけられません。 で、私は、何が正しい行為かを、訊ねないでしょう。私は今、言うでしょう - 私は、自分の精神を、神経症なのより、 自由にできますか。 それは可能ですか、と。 私は、(巡礼に)エルサレムへ行かないでしょう。 そうね、私は、ローマへ行かないでしょう。 私は、新しい(ニューヨーク市)パーク・アヴェニューの医師へも、 行かないでしょう。誰へも、です。

S: そうです。
29:16 なぜなら、私は今、とても真剣であるからです。 私は死ぬほど真剣です。 これは、私の生であるからです。
29:21 S: そうです。
29:22 B: でも、そのとき、あなたは、真剣でなくてはいけません。 そのとき、あなたは言われました - 逃避するための無量の圧迫にもかかわらず・・・
29:27 K: 私はそうしないでしょう。
29:29 B: あなたは、そうしないでしょう。 でも、この連結点では、 たぶん、逃避へ向かう、強烈な圧迫があるのを、 感じるだろう、と、私は言っています - これはあまりにすぎる、と言って、です。

K: いえ。何が起きるかは、見えますよ。
29:40 S: 実際にそれは、起きることではない。

B: なぜですか。
29:42 K: 私は、権威を拒絶するとき、はるかに多くのエネルギーを、持ちます。
29:45 S: ものすごいエネルギー、です。
29:46 B: ええ。権威を拒絶するなら、です。
29:48 K: なぜなら、私は今、自分自身で見出すよう、集中しているからです。
29:51 S: そのとおりです。 それが、起きることです。
29:53 私は、誰をも頼りにしていません。
29:55 S: 言い換えると、そのとき私は素で、 「有るもの」へ、開いていなくてはいけません- それが、私が持っているすべてです。
30:03 K: で、私は何を、するのでしょうか。
30:05 S: 私はいつ、素で、「有るもの」へ開いていますか。
30:07 K: 開いているのではない。ここに、人間がいて、これらに捕らわれている。 彼は何を、するのでしょうか - 権威なし。 社会の規律は不道徳であるのを知って、です。ですね?
30:29 S: そのとき、強烈な鋭敏さがある。
30:32 K: いえ。私に語ってください。 語ってください - あなたは医師です。 私が何をすべきかを、語ってください。 私は、あなたを拒絶します。
30:38 S: そうです。
30:40 K: なぜなら、あなたは、私の医師ではない、あなたは、私の権威ではないからです。
30:43 S: そうです。
30:44 K: あなたは私に、何をすべきかを、語りません。 あなたは、混乱しているからです。
30:48 S: そうです。
30:49 K: で、あなたは、何をすべきかを、私へ語る権利を、持っていません。
30:51 S: そうです。
30:54 K: で、私は、友だちとして、あなたのところへ来て、 「見出しましょう」と言う。あなたは真剣であり、私は真剣であるからです。
31:00 S: そのとおりです。

K: どうかを、見ましょう・・・
31:02 S: ・・・私たちは一緒に働ける・・・
31:05 K: いえ、いえ。気をつけてください。 私は一緒に働いていません。
31:09 S: あなたは一緒に、働こうとしていませんか。
31:11 K: いいえ。私たちは、ともに究明しています。
31:13 S: 一緒に究明している。 いいです。そう呼ばないでおきましょう。
31:16 K: いいえ。一緒に働くとは、協働を意味しています。
31:20 S: そうです。
31:22 K: 私は協働していません。 私は、あなたは私に似ている、と言います。 私たちは、何と協働すべきなのですか。
31:29 S: 協働して究明したくないのですか。
31:31 K: いいえ。なぜなら、あなたは私に似ていて・・・

S: そのとおりです。
31:36 K: ・・・混乱し、悲惨で、不幸せで、神経症であるからです。
31:40 S: そうです。そうです。
31:42 K: で、私は言います - 私はどうして、協働できますか、と。 私たちは、神経症において、協働できるだけです。
31:48 S: そのとおりです。仰るのは、私たちは本質的に、自己欺瞞をするために、 結託するだろう、と。 で、私たちは、何をしようとしていますか。
31:56 K: で、私たちは一緒に究明できますか。
31:59 S: それは、とても興味深い疑問です。 それはできますか。 私たちは、どちらも神経症であるなら、どうして一緒に究明できますか。
32:05 K: いいえ。で、私は言います- 「ほら、私は 初めに、どの形で自分が神経症なのかを、見ようとしています」と。
32:13 S: いいですよ。それを見つめましょう。
32:16 K: ええ、それを見つめてください。 どんな形で私は、神経症なのか。 一人の人間 - ニューヨークから来た人か、または、東京や デリーやモスクワや、どこからであっても、です。 彼は言います - 「私は、自分が神経症であるのを、知っています。 社会は神経症です。指導者たちは神経症です。私は一部分で・・・ 私は世界ですし、世界は私です」と。 だから、私は誰をも、頼れません。 それが何を与えるのかを、見てください。それで、どうなりますか。
32:49 S: それで本当に、あなたは、まっすぐ真ん前に置かれます。
32:54 K: それはあなたに、ものすごい誠実さの感覚を、与えます。
32:59 S: そうです。あなたは、ボールを手にしている。 今、それをもって、走れ、と。
33:12 K: さて、私は- 私は一人の人間です - 私は、自分の神経症的な物事を、見つめられますか。 私の神経症を見ることは、可能でしょうか。 神経症とは何でしょうか。 何が、私を神経症にしますか。 私の中へ入れられてきた物事すべて - これらを収集してきた「私」という意味で、私の中へ、です。 それらが「私」を作ります。 私の意識は、それらを空っぽにできますか。
33:46 S: あなたの意識は、それですが。
33:51 K: もちろんです。

B: それだけですか。
33:54 K: 当分の間、私はそれに制限しています。
33:57 S: それが私の意識です。 私の断片化、私の思考の まさにその増殖が、私の神経症です。 「私は、これについて、何をしようか。 私はここで、何をしようか。 私はどこで、これを得ようか。 私はそこで、何をしようか。 または、私はどうやって・・・」と。 この「私」は、これら断片の 増殖の中から、作られている、っていうことです。ですね?
34:26 K: もちろんです。でも、これはまた ものすごい問いを意味しています。 付いてきていますか。 私は・・・人の意識は、五百万年、 千万年前に始まりましたが、 その中へ入れられてきた物事すべてとともに、 始まりから、世代から世代、 世代から世代へ、今まで、です。 あなたは、訊ねています - そのすべては神経症的ですよね。 そのすべては、断片化した集積です。 あなたは、一時にそれらの一つを取り、それを見つめられますか。 または、その全体を取り、見つめられますか。
35:16 S: ええ。あなたは、その全体を取って、見つめられますか - それは明らかでない。 あなたはどのように、その全体を取って、見つめられますか。
35:24 B: そこでは、言語の問題に見えます。 なぜなら、あなたは言われる・・・ もしあなたがそれであるなら、あなたはどうやって、それを見つめるべきですか。
35:33 K: 私は一分間で、それを示しましょう。 私たちはそれに入るでしょう。
35:35 B: いえ。私がいうのは、それを述べる困難である、ということでした。
35:39 K: 分かります - それを述べることは、ね。 それは言語的です。そうね、 言葉は間違っています。分かりますか。

B: ええ、言葉は間違っています。
35:45 S: 言葉は、まさにこの体系により作られるからです。
35:48 B: で、私たちはこれらの言葉を、あまりに文字通りに取るべきではない。
35:50 K: もちろんです。 あまりに文字通りに、ではない。
35:52 B: 私たちは、言葉は柔軟に使える、と言えるでしょうか。
35:54 S: そうです。さて、それは良い点です。
35:56 K: いえ。言葉はそのものではない。
35:58 S: そのとおりです。言葉はそのものではない。でも、言葉は、 それ自体より、はるかに大きな何かを、指しています。
36:03 K: いえ。言葉はそのものではない。 それは、大きなことなのか、小さなことなのかもしれませんが、 言葉はそれではない。

S: それではない。
36:10 B: ええ。でも、私たちは言葉を使っているし、問いは、私たちはどうやって それらを理解すべきなのか、です。そうね、それらは、私たちが話していることへ・・・
36:16 K: ・・・障害です。全くです。
36:18 B: ・・・何らかの形で、手がかりです。 言葉についての面倒は、私たちのそれらの取り方のように、 私には思えます。 私たちは、それらが、しっかり固定した何かを、意味すると、取ります。
36:27 K: ・・・これは椅子だ、と。
36:29 B: ・・・これはまさしく椅子だ、と言うように。 私の意識は、ただそうです。 私は神経症です。ゆえに、私たちはそれを、しっかり固定していると、取ります。
36:38 K: それは動いています。それは微妙です。 それは、はるかに・・・
36:41 B: それは、動いていて変化している。ゆえに正しくは、「私は神経症である」とか、 「私は神経症でない」とかを、言えません。
36:46 K: それは常に、流転しています。
36:48 S: でも、彼は、何かより大きなことを、言っています。 それは事実ですが、私たちが究明しているものそのものは、 - 私たちがそのものとして、言葉を使うさまなんですが - 私たちが究明しつつある、まさに動きである、と。 それが意識です。
37:06 K: そうなんです。もう一度、それを繰り返してもらえるでしょうか。
37:09 S: ええ。意識により、言葉がそのものとして 見られるというその行為こそは・・・ まさにその動きこそが、私たちが究明しなければならないものです。
37:21 K: ええ、もちろんです。

B: ええ。
37:23 K: さて、あなたは、言葉なしにそれを見つめられますか。 それは可能ですか。 言葉はそのものではない。 言葉は思考です。 人間として、私は、自分が神経症だ、と 悟ります - 私は信じる、私は結論に、記憶に生きる、 という意味で、神経症です。 それらはすべて、神経症的な過程です。 言葉、映像と実在に、です。 私は信じています!
38:05 S: それが、あなたの生き方です。
38:08 K: 私の信念は、きわめて実在します。 それは、幻影なのかもしれません。 信念すべては、幻影ですが、 私が強くそうだと信じているから、それらは、私にとって実在します。
38:18 S: そうです。それらは、あなたにとって、きわめて実在しています。
38:22 K: きわめて、です。で、私は、信念の本性を、見つめられますか。 それがどう生ずるかを、見つめられますか。
38:32 S: 私が世の中で、どう生きているかを、見つめる。 そこで私は、言葉はそのものだとの 信念の罠に、掛かっている。 その動きを見つめる。
38:41 K: それを拡大しないでください。 私は理解できます。ただ見てください。 あなたは、信念を持っているでしょう。

S: ああ、持っています。
38:46 K: さて、それを見つめてください。 それを見つめられますか。
38:51 S: 私は見ました - 今朝、私たちは、信念は医師であるとの 事実について、話していました- 言葉、もの、です。
38:57 K: それを拡大しないでください。 あなたは、自分が信念を持っているとの事実を、見つめられますか。 それが何であっても、です。 神・・・ 国家は、最も重要なものです。 または、何であっても、です。
39:13 S: そうです。
39:14 K: マルクスは最新の神です。または、毛沢東などなどは、です。
39:23 S: でも、私は、それが真実だと信じています。
39:26 K: いえ、いえ。あなたは、その信念を見つめられますか。
39:32 S: 事実としてではなく、信念として、です。
39:36 K: ああ、いえ。あなたがそれを、信じているとき、それはあなたにとって、実在です。 カトリックや、ヒンドゥー教徒や、マルクス主義者へ、行ってみてください。
39:44 S: そうです。でも、私は、本当にそれを信じているなら、どうして、それを見つめるのでしょうか。 言い換えるなら、そうね。 私は、神がおられる!と言います。
39:51 K: そうです。
39:53 S: 今、あなたは私へ、神への私の信念を見つめるように、言っています。
39:58 K: なぜあなたは、信じていますか。 誰があなたに、信ずるように、頼みましたか。 神の必要性とは、何ですか。 私は無神論者である、というのではない。 私はあなたに、訊ねています。
40:06 S: 私は、それがあるのを、知っています。 私が信ずるなら、私にとって神はそこにある。
40:09 K: そのとき、究明はありません。 あなたは、止まってしまいました。 あなたは、自分自身を塞いだのです。 あなたは、扉を閉じたのです。
40:14 S: そうです。で、私たちはどうやって・・・ そうね、私たちは、そういう信念を持っています。
40:22 K: 彼に訊ねてください。

B: 何ですか。
40:23 K: あなたは、とても強い信念を持つ誰かへ、 百回、示そうとしてきました。 彼は、「あなたは何の話をしているのか。 これが実在だ」と言います。
40:32 B: ええ。それが、私たちの言葉がどうして実在になるかのことです。 私たちはそれを究明できますか。
40:38 S: 私たちはどうやって、それに取りかかれますか。 私たちは、これら無意識的な信念の 荷物を持っている、と思います - 私たちは本当に、それを揺すぶれない・・・ 「私」への信念のように。
40:48 K: 彼は、何か他の質問をしています。
40:51 B: どうして思考や言葉は、実在の感覚になるのか。
40:56 K: なぜ言葉は、実在になったのか。
40:59 B: より深い疑問は、精神がどのように実在の感覚を、 設けるのか、だと思います。 私は、物事を見つめるなら、時には間違って、 それらは実在すると、考えるかもしれません。それは幻影です。 でも、それが・・・ 対象物についても、言葉を言えますし、 それをそのように叙述するとき、実在に見えます。 ゆえに、何らかの形で、 言葉は、頭脳の中に、実在の構築を、設けます。 そのとき、あらゆる物事が、その実在の構築へ、参照されます。
41:29 S: 私はどうやって、それを究明すべきですか。
41:32 K: 何が、その実在を創り出しましたか。 思考が創り出してきた物事すべては、実在である、と 言われるんでしょうか- 自然を除いて、です。
41:51 B: 思考は、自然を創り出しませんでした。

K: もちろん、そうです。
41:53 B: でも、私が言ったのは・・・ 私たちは、思考は自然を叙述できる、と表せませんか。
41:57 K: ええ。思考は自然を叙述できます- 詩歌、その他すべて、です。
42:00 B: また、それを測量できます。
42:02 K: 想像、その他すべてです。 何であれ、思考が組み立ててきたものは、 実在である、と言えますか。 椅子、テーブル、 これら電灯すべて。 それは、自然を創り出していないが、それを叙述できます。
42:24 B: また、それについて理論を作れる。
42:26 K: 理論を作れる、その他すべてです。 また、それが創り出してきた幻影も、実在です。
42:35 S: そうです。
42:37 B: でも、この実在の構築に、持ち場があるのは、 一定の程度まで、ではないですか。 なぜなら、私が、テーブルは実在だと感じるなら、 頭脳がそれを構築してきたけれども、だいじょうぶです。 でも、或る段階で、私たちは、そこにない実在を、構築します。 私たちは時々、闇夜の影にこれが、見られます - そこにない実在を、構築します。
43:00 K: そこに人がいるとの恐れ、です。
43:02 B: ええ。また、あらゆる種類の仕掛けと幻影が、可能です - 奇術師などによって、です。 でも、そのとき、それはさらに進みます。私たちは、精神的に・・・ 私たちは、心理的な実在を、構築します。
43:14 K: そこが、それの来るところです。
43:16 B: それは、鮮烈に実在だ、と見えます。とても強く、です。 でも、私にとって、問いはこうだと見えます・・・ 構築された実在へ、あの実在感覚を 与えるために、思考がするのは、何ですか。
43:29 K: その実在を創り出す、もたらすために、思考は何をするのか。
43:35 S: ええ。あなたが、神を信じている誰かへ、話をするなら、 彼らはあなたへ、それは実在する、 それは本当にそこにある、構築ではない、と言うように、です。 自らの自己を本当に信じている誰かへ、話をするなら・・・ 私は、多くの人々へ話してきましたし、あなたは、心理療法者たちへずっと 話をなさっています。 彼らは、自己は実在する、 それは存在する、それは物である、と言います。 かつて、或る人、心理療法者がクリシュナジへ言ったのを、 あなたは聞きました -「私たちは、自我が存在するのを、知っています」、 「私たちは理論を持っています。 それは存在します」と。
44:08 B: それだけではないですね。人々はその実在を感じてきた、と私は思います。 起きることは、幻影がきわめて速く築き上げられる、ということです。 ひとたび、実在を構築すると、あらゆる種類の出来事が、 それへ参照されます - まるで、それらがその実在から来ているかのように、です。 それは、ものすごい構造を、築き上げます・・・ 支援の雲に取り巻かれて、です。
44:26 S: で、私はどのように、自分の実在作りの機構を、究明すべきでしょうか。
44:29 K: 待ってください。もう五分間、あります。 で、それへ来ましょう。 今、私たちは、何をしていますか。

S: 私たちは動いています。それは動いています。
44:40 K: 私たちは、何をしていますか。 私たちは、言ってきました - どの権威も、誰も、他の一人へ、「これがなすべき、 正しいことだ」と言えない、と。 私たちは、見出そうとしています - 生における正確な行為は、何なのか。 私の中に、無秩序がないとき、 私はそれを、見出せるだけです。 ですね? 「私」は無秩序です。
45:07 S: そうです。そのとおりです。
45:10 K: その「私」が、どれほど実在していても、それが、無秩序の起源です。
45:14 S: そうです。
45:16 K: なぜなら、それは分離する、それは分割するからです - 私とあなた、我らと彼ら、 私の国家、民族、私の神。「私」。 さて、私たちは訊ねています - その意識でもって・・・ その意識は、それ自体に気づけますか。 思考が考えているように、気づく。
45:50 B: それ自体について、考えている?
45:51 K: 思考は・・・ごく単純に表すと、 思考は、自らの動きに、気づけますか。
46:00 B: ええ。

S: それが問いです。
46:01 B: それが問いです。 私たちは、思考の自己参照、 と言えるでしょうか。 思考が、自らの構造と、 自らの動きを、理解する。
46:09 S: 自らの動きを、です。でも、自体に気づいているのは、その思考ですか。 または、他の何かですか。

K: やってください!やってください!
46:16 S: それをやってみる。

K: 今、そうしてください。四分間、あります! 今、そうしてください。 あなたは、自分に気づけるのかどうか- あなたが、ではない。 思考は、それ自体に、気づけるのかどうか - その動きに、です。
47:00 S: それは止まります。
47:03 K: それはどういう意味ですか。
47:06 S: それは、言葉通りに意味しています。 それは止まります。それは・・・ 思考の観察でもって、思考は止まるのです。
47:20 K: いえ。そのように表さないでください。

S: どう表されるんでしょうか。
47:25 K: それは、根本的変化を、遂げつつあります。
47:30 B: で、「思考」という言葉は、固定したものではない。
47:33 K: ええ。

S: 「思考」という言葉は、
47:35 B: ・・・固定したものを、意味していない。 それは変化しえます。ですね?
47:38 K: そうです。

B: 知覚において、です。
47:43 K: あなたは、私に語ってくれました。 他の科学者たちは、 私に語ってくれました - 顕微鏡をとおした 観察こそにおいて、対象は変化を遂げるのです。
47:51 B: 量子論において、対象は、 観測行為より別に、固定できません。
47:58 S: 心理分析での、患者たちについても、これは真実です。 患者と一緒にいると、彼らは、自動的に変化します。
48:03 K: 患者を忘れてください。 あなたが患者です!
48:05 S: 私が患者です。それは変化します。
48:08 K: いえ、いえ。
48:12 S: それは止まります。
48:13 K: 思考がそれ自体に気づくとき、何が起きますか。 これは、とてつもなく重要なことなのです。
48:33 B: ええ。
48:38 K: すなわち、行う者は、自らが行うことに、気づけますか。 私は、この花瓶を、ここからそこへ、動かしますが、 私はそれに、気づけますか- 動かしていることに、と。
48:58 S: ええ。
48:59 K: 私は物理的に気づけます。 それは相当に単純です。 私は腕を伸ばす、などなどです。
49:04 S: ええ。
49:05 K: でも、思考の気づきが、ありますか- 「ええ、私は思考が見える」と言うものが・・・ ああ、思考はそれ自体に、気づいています - その動き、その活動、その構造、 その本性、それが何を創り出してきたのか、 それが世の中で何をしてきたのか、 悲惨、その他すべてに、です。
49:27 S: 頭脳がしていることへの気づきが、ありますか。 何か、お訊ねしてもいいですか。 なぜあなたは、気づけると思うのですか。
49:45 K: 時間です。
49:46 S: 私はその問いを、明日のために、取っておきたいと思います。