Krishnamurti Subtitles home


BR76CTM4 - 一人であることにおいて、完全に安全でありうる。
ボームとシャインバーグとの議論、第4回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月19日



0:09 クリシュナムルティ(K): 私たちは昨日、その問いに答えたとは、思いません - すなわち、なぜ人間たちは、今生きているように、生きるのか、です。 私たちはそれへ、充分に深く入ったとは、思いません。 私たちはそれに、答えましたか。
0:29 S: 私たちは、或る点へ来ましたが、その問いに、けっして答えませんでした。 私はここで離れて、感じた・・・
0:35 K: いえ。私は昨夜、それについて考えていました。 むしろ、今朝ということなんですが・・・ 私たちがそれに、十分に答えなかったことに、私は打たれました。 私たちは、「思考はそれ自体を観察できるか」という問いに、入りました。
0:48 S: そうです。

B: ええ。
0:51 K: でも、私たちはその問いに答えるべきだと、私は思います。
0:54 B: でも、私たちが言ったことは、それに答える途中であったと、思います。 それは、答えに関連していました。
1:00 K: ええ、関連していました。 でも、それは完全ではない。
1:02 B: ええ。
1:05 S: ええ、それは完全ではない。 それは、その主題を捉えていない - なぜ人々は、今の生き方で、生きるのか、 なぜ彼らは変化しないのか。 これを知りつつ、なぜ彼らは、変化しないのか。
1:16 K: ええ。 私たちは、つづける前に、少しそれに入れるでしょうか。
1:24 S: まあ、その問いに対する、私の即時の答えは、 彼らはそれが好きだ、というものでした。 それが提供する・・・ 私たちはそれにぶち当たっていて、一種、引き下がりました。
1:34 K: それよりはるかに深いと、私は思います。どうですか? なぜなら、そこに関与していることは、経済的に、もしも、あなたが・・・ もしも、自らが、自分の条件づけ、自分の生き方を 実際に変容させたなら、 経済的に、自分自身が、とても困難な立場にいる、と 分かるかもしれないからです。

S: そうです。
2:03 K: また、それは潮流に逆らっています。 潮流に、完全に反しています。
2:11 B: あなたは、それは、一定の客観的な不安全に つながりかねない、と仰っていますか。
2:15 K: 客観的な不安全です。
2:17 B: それは単に、想像の事柄だけではない。
2:18 K: ええ、実際の不安全です。
2:21 B: 私たちが昨日議論していた、たくさんのことは、 安全や不安全の何か幻影であったからです。 でも、加えて、何か真正の・・・
2:28 K: ・・・真正の不安全です。

B: ・・・不安全が、ある。
2:32 K: またそれは、あなたが一人で立たなくてはいけない、という含意ではないですか。
2:40 S: 明確に、です。 あなたは、新たなところ・・・ あなたは、全然違った立場にいるでしょう。 なぜなら、あなたは・・・
2:49 K: それは、完全に流れより、離れている - 孤立した、ではない。 それは、あなたが一人- 心理的に一人で なくてはならない、という意味です。 そして、人間たちは、それに耐えられるのかどうか、と。
3:11 S: 確実に、他のこれは、完全に、一緒にいることです。
3:14 K: それは、群れの本能です。それを、全体主義の人々みんなが、使います。 また、あらゆる物事が、人々と 一緒、ともに、です。 一人でいるな、と。
3:27 S: 彼らのようになれ、彼らとともにいろ・・・ それはすべて、何らかの形で、競争に 基づいていますね。 私はあなたより良い、と。
3:36 K: もちろんです。もちろんです。 オリンピック大会すべてが、それらです。
3:39 B: それははっきりしませんね。 なぜなら・・・ 何らかの意味で、私たちは一緒であるべきですが、 その意味において、ではない。

K: もちろんです。
3:46 B: 社会は、私たちに、何か偽りの 一緒の感覚を、与えている、と私には見えます。 それは、本当は断片化です。
3:53 K: ええ、まったくそうです。
3:54 B: でも、それは、一緒であると呼ばれます。 それは、そのように感じさせてます- 一瞬の間は、です。
4:00 K: で、あなたは、こう言われるのでしょうか - 人間たちが、 根本的に自己を変容させたくない 主な理由の一つは、 彼らは、集団へ、群れへ、何か明確なものへ、 所属しないことに、本当に、 怯えている、ということである、と。 それは、完全に一人で立つ、という意味合いですが。 この一人ということから、あなたは協力できるだけだ。 逆の方からではない、と私は思います。
4:33 S: 確かに、経験的に、人々は、違っているのを 好きではない。それを私たちは知っています。経験的に彼らは・・・
4:44 K: あなたは、テレビで見たにちがいありません - (社会主義の)中国の少年たちが訓練し、(ソビエトの)ロシア人、 東側の衛星国の人々すべてが・・・ 彼らのみんなが訓練し、訓練し、けっして一人ではない。
5:01 S: そうです。

B: ええ。
5:04 K: 私はかつて(大戦中に)、FBIの人に話をしました。 彼は私に会いに来ましたが、彼は、 「あなたがいつの時も、一人で歩くのは、なぜですか」と言いました。 「なぜあなたは、そんなに一人なんですか。 私は、あなたが丘の中を、一人で散歩しているのを、見ます。なぜですか」と。 いいですか。彼は、それはとても困惑すると、考えました。
5:30 B: 私は思うんですが、人類学者さえ、より原始的な人々において、 部族へ所属する感覚は、 さらに強いことを、 見つけるんです。 彼らは完全に迷った感じです・・・ 彼らの心理的な全構造は、 部族の中にいることに、依存しています。
5:45 K: それが、私たちがそうしたくない 理由の一つだ、と私は思います。 私たちは怯えています! 結局、自分が知らない別種類の悲惨へ、入り込むより、 自分がすでに知っている悲惨へ、縋りつく。
6:02 S: そのとおりです。でも、作用・反作用の全計画案が、あります。 すなわち、他の人たちと一緒にいることにより・・・

K: ・・・自分は安心だ。
6:13 S: ・・・自分は安全だ。そして・・・ それはさらに進みます。 行為がある。 それはほぼ、他の人たちと一緒にいることは、 いつもの生活の派生だと、言えるかのようです - 「あなたはこれだ。私は自分自身をあなたと比較する。ゆえに、私は あなたと一緒にいる」からで、一種、後知恵かのように、です。 私が言う意味は、分かりますか。 それは、循環の一部です。
6:41 B: たとえ、比較を止めるとしても・・・ より深い何かが、あると、私は思います - 人々は、この一緒なこと、集団へのこの所属感を 感じる、という意味において、です。 彼らは、たとえ比較していなくても、 安心である、自分たちは気づかわれるだろうと、感じるんです - 母親が気づかってくれたかのように、です。 あなたは一種、優しく支援されている。 根源的にだいじょうぶだろう。 なぜなら、集団は大きい、それは賢い、 それは、何をすべきかを知っているから、と。 そのような感じがある、と思います- かなり深く、です。 教会は、その感じを与えてくれるかもしれません。
7:16 K: ええ。あなたは、あれら動物の写真を、見ましたか。 彼らはいつも、群れでいます。
7:25 S: マウンテン・ライオン以外は、ね。 そのライオンについて、読んだことがありますか。 このシャラーという人によって、 幾つか研究が、なされています。 その中で、彼は示しています - そのライオンは、いつも、ライオンの集団の中にいるが、 いつも、一人で出て行ってしまう者が、います。
7:40 K: ええ。

S: それについて、読みましたか。
7:42 K: 私はそれについて、聞きました。

B: ともあれ、猫たちは・・・
7:46 K: いえ。一人の感覚は、はるかに・・・ それは、そこに大変多くを、持っています。 それはただ・・・それは、孤立ではないですね。
7:58 S: そうです。
8:00 B: でも、私は訊ねていました。 人々は、その感覚を、探し求めています - 集団から、全体から、自分は何か 支援をもらっている、というものを、です。

K: もちろんです。
8:09 B: さて、それは可能でないですか・・・あなたは、一人であることについて、 その中で、一定の安全があることについて、議論してます。 人々は、集団に、一種の安全を探し求めています。 実際にはそれは、一人であることにのみ、生じうる、と私には見えます。
8:24 K: ええ、そのとおりです。 一人であることにおいて、あなたは完全に安全です。
8:28 B: 私たちはそれについて、議論できるかな、と思います。なぜなら、 そこには、幻影があるように見えるからです。 安全の感覚を持つべきだ、と人々は感知します。 あなたは感じます。

K: 全くです。
8:38 B: 彼らはそれを、集団の中に探しています。集団とは、 何か普遍的なものの代表です。
8:44 K: 集団は、普遍的なものではない。
8:46 B: そうですが、それが、それについての私たちの考え方です。
8:48 K: もちろんです。
8:49 B: 小さな子どもは、部族が全世界である、と考えます。
8:52 K: 私がいうのは、人間はこのように生きているので、 彼は、自己を変容させるなら、一人になる、ということです。彼は一人です。 その一人ということは、孤立ではない。 ゆえに、それは、一つの形の至高の智恵です。
9:16 B: ええ。でも、さらに少し、それへ入ってもらえるでしょうか - それが孤立でないことについて、です・・・ なぜなら、初めに、あなたが一人と言われるとき、 感じは、私は全面的に離れて、ここにいる、というものであるからです。ですね?
9:25 K: いえ、それは離れてではない。

B: それはおそらく・・・
9:28 S: 人物が経験するのは、何であると、思われますか。 すべての人々が、引き寄せられる、その一部分が、あります・・・ 自分たちは、一緒にいなくてはいけない、自分たちは、他の人々のようでなくてはいけない、と。 何が、それを変化させるのでしょうか。 それが一つの疑問です。 何が、そこから、誰かを変化させるのでしょうか。 それらの第二は、なぜ誰かが、それより変化すべきでしょうか。 それらの第三は、そういう人物は、 一人であるとき、何を経験するのか。 彼らは、孤立を経験します。
10:04 K: 私たちは先日、それを、相当、 徹底的に取り扱った、と思います。 結局、世界と自分自身の おぞましい状態を、 悟るとき - 無秩序、混乱、悲惨、 その他すべてを、です - そして、全的な変化が、全的な変容が なければならない、と言うとき、彼はすでに、それらより 動いて、離れはじめています。
10:35 S: そうです。 でも、ここで彼はすっかり、一緒にいます。
10:44 K: いえ。一緒にいる - それは本当に、どういう意味ですか。
10:47 S: この集団の中にいる、という意味です。

K: ええ。それは本当に、どういう意味ですか。
10:51 S: 一緒にいることは、この、そうでなくてはいけないのとは、違って・・・
10:54 K: いえ。 自分自身を集団と同一視し、集団とともに留まる - それは、どういう意味ですか。 そこには、何が関与していますか。
11:03 S: そのとおりです。そこには、何が関与していますか。そこに関与した ことの一つは、私が前に言ったことだ、と思います。 それは、この比較を設けます。
11:11 K: いえ、いえ。それら表面的なことを、別として、 そこには、何が関与していますか。 集団は私です。私は集団です。
11:21 K: ゆえに・・・それは、私自身と協働するのに、似ています。
11:27 B: デカルトが「我思う、ゆえに我あり」と言ったように、 言えるのかな、と思います。すなわち、 私が考えることが、私がそこにいることを、含意する、ということです。 「私は集団の中にいる。ゆえに私はある」・・・それは一種、・・・ 私は、集団の中にいないのなら、どこにいるのか、です。
11:38 K: ええ。

B: 言い換えると、 私はまったく、存在していません。 それは本当に、原始的な部族の 状況です。ともあれ、ほとんどのメンバーにとって、です。 で、そこには、何か深いものが、ある。 なぜなら、私は、自分のまさに存在、 心理的な存在は、初めに、その集団の中にいることに、 含意される、と感じるからです。 集団が、私を作ってきた。 私のまわりのあらゆる物事が、集団から来た。 分かりますか。「集団なしでは、私は何でもない」と、私は言います。
12:08 K: ええ、全くそうです。 実は、私が集団です。
12:10 S: そうです。
12:11 B: ゆえに、私は集団の外へ出ているなら、 あらゆる物事が崩壊していくのを、感じます。 それは、私にとって、競争の問いより深いと、思われます・・・ 誰が長なのか、誰が大物なのかより・・・
12:24 S: そうです。

B: それは二次的な事柄です。
12:27 S: それはさほど重要である、と 私は本当は言っていなかった ということ以外は、ね・・・ 私が取りかかろうとしていることは、 集団の中にいる、瞬間、瞬間の 経験の幾つかです。 それは没頭することです。
12:41 B: こう言えるでしょうか - さらに衝撃的なことは、そういう人物が集団から 取り出されるとき、何が起きるかである。彼は迷った感じです。 言い換えると、それらのものは、非重要に見えます。 なぜなら、彼は、自分がどこにいるかを、知らないからです。
12:52 S: そうです。彼は知りません・・・彼は、方位づけがありません。
12:56 B: 生に対してや、何に対しても、です。

S: そうです。
13:01 B: ゆえに、集団が行いうる 最大の処罰は、彼を追放することでしょう。
13:07 K: ええ。彼らはそうしたものでした。

S: ええ、そうです。
13:09 K: (ソビエト・)ロシアで起きていることを、見てください。反対者がいるとき、 彼は追放されます。

S: そうです。そうです。
13:15 K: (作家)ソルジェニーツィンと(物理学者)サハロフと、それらすべての 人々は、集団に反対しています。
13:20 S: そうです。そうです。
13:22 B: そういう追放は、一種、彼から、その存在を奪うから、 それはほぼ、そうね、彼を殺すようなものです。
13:27 K: もちろんです。 そこが、それの居所だと、思います - 一人であることの恐れ、です。 一人は、これらからの孤立だと、翻訳されます。
13:43 B: 普遍的なものから、と言えるでしょうか - 偽りの普遍です。
13:46 K: ええ。普遍からです。
13:49 B: あなたは仄めかしておられると、私には見えます - すなわち、あなたが 本当に一人、真正に一人であるなら、万物・宇宙より孤立していない、と。
13:54 K: 絶対的にそうです。反対です!

S: それが、彼が言っていることです。
13:58 B: それが、彼が言っていることですが、私がいうのは・・・ ゆえに、私たちは初めに、この偽りの普遍より、自由でなくてはなりません。
14:03 S: この偽りの同一視・・・

B: 集団との・・・
14:05 S: 集団との同一視。
14:07 B: 普遍としての集団の同一視、そうね、 集団を、まるで、私の存在への 普遍的な支援か何かであるかのように、扱うこと。
14:15 S: そうです。それには、もっと何かがある。 言われていることは、ですね・・・ 私はその集団であるとの、 その局地化された同一視、その「私」・・・ その偽りの安全が、棄てられるとき、自らは、参加へ 開かれている・・・

B: 何かに・・・
14:35 K: いえ。参加という疑問は、ありません。 あなたは、万物・宇宙です。
14:38 S: あなたはそれです。
14:40 B: 私は、子どもの頃、感じたのを、思い出せます - 私は、或る町にいましたが、 私は、それが全宇宙であると、感じました。 そのとき私は、その向こうの別の町について、聞きましたが、 それはほぼ、宇宙の彼方に見えて、 それが、実在すべての極限にちがいない、と見えました。 で、それを越えていくという観念は、 私には、起こらなかったでしょう。 それが、集団が扱われるさまだ、と私は思います。 私たちは抽象的に、そうでないのを、知っていますが、 あなたが持っている感じでは・・・ それは、小さな子どもに似ています。
15:09 K: ゆえに、それは、人間たちは、自分の悲惨を愛しているとか、 それに取りすがる、ということですか - 混乱、その他すべてに、です。 なぜなら、彼らは他の何をも、知らないから。
15:30 K: 知られたものは、知られていないものより、安全です。
15:33 S: そうです。知られたものは・・・ええ。
15:39 K: さて、一人であるとは、流れより歩み出る、 という意味合いではないですか。
15:48 S: 知られたものから。
15:50 K: この全くの混乱、無秩序の 流れから、歩み出る。 悲しみ、絶望、 望み、苦労、そのすべて。 そのすべてから、歩み出る。
16:00 S: そうです。
16:04 K: それへ、一人であることへ はるかに深く入りたいなら、それは、伝統の 重荷をまったく、持ち運んでいかない、という意味合いではないですか。
16:21 B: そのとき、伝統とは集団です。
16:23 K: 集団です。 伝統はまた、知識です。
16:26 B: 知識です。でも、それは基本的に、集団から来ます。 知識は基本的に、集合的です。

K: 集合的です。
16:31 B: それは、みんなにより収集されます。
16:37 K: で、一人であるとは、全的な自由を、含意しています。 その大いなる自由があるとき、それは万物・宇宙です。
16:51 B: 私たちはさらに、それに入れるでしょうか。なぜなら、 これを見てこなかった人物にとって、それは明白に見えないからです。
17:00 S: それは明白に見えません - そこでディヴィッドは正しい、と私は思います。 或る人物にとって、ほとんどの人々にとって、です 私は最近、これをテストしてきました。 すなわち、あなたは万物である、 あなたは何もしなくていいとの 観念や、深い感情も・・・それは・・・
17:25 K: ああ、それは最も危険なことです。 それを言うのは、最も危険なことです。 あなたは、全的な混乱の中にいるとき、 どうして自分が万物である、と言えますか。 あなたは不幸せで、悲惨で、心配で、嫉妬し、 妬んで、それらであるとき、どうして、自分は万物である、と 言えますか。万物・宇宙は、全的な秩序、という意味合いです。
17:56 B: ええ。ギリシャ語の「コスモス」は、秩序を意味していました。
17:58 K: 秩序です。もちろん。

B: 混沌(カオス)は、対極でした。
18:01 K: ええ。

S: でも、私は・・・
18:03 K: いえ、聞いてください。万物・宇宙、コスモスは、秩序を意味しています。
18:08 S: そうです。

B: 混沌は、私たちが持っているものです。
18:11 K: 混沌は、私たちがそれとともに生きているものです。

S: そのとおりです。
18:14 K: 私はどうして、自分に宇宙的、普遍的な秩序がある、と考えられるのか。 それは、古き良き精神の ごまかしです - それは、「無秩序は あそこにあるが、あなたの内側には、 完璧な秩序があるよね」と、言うものです。 それは幻影です。 それは、思考がそこに置いた概念です。 それは私に、一定の望みを、与えてくれます。 ゆえに、それは幻影です。 それは実在性を持ちません。 現実に実在性を持っているのは、私の混乱です。
18:54 S: そうです。
18:56 K: 私の混沌です。私は、コスモスを想像できます。投影できます。
19:04 S: そうです。
19:06 K: でも、それは同等に幻影です。 で、私は、ありのままの自分という事実から、始めなければなりません。
19:14 S: そうです。

K: それは、私が混沌の中にいる、ということです。
19:19 S: 私は集団に所属しています。

K: 混沌。混沌が集団です。
19:23 S: そうです。
19:24 K: 彼らは、政治的指導者を持っています。 宗教的なものも、です。 いいですか。全部が、混沌です。 で、それを離れて、コスモスへ入るとは、 - それは、全的な秩序です - 私が一人である、という意味ではない。 全的な秩序がある。 それは、無秩序、混沌とは、連係していない。それがただ一人、一つです。
19:52 B: ええ、私たちはそれへ入れますかね。 仮に、幾人かの人々が、そうしている、とします。 その状態にあって、社会の混沌を抜けだし、 コスモスへ、秩序へ入っていきます。
20:02 K: そのとおりです。

B: さて、彼らはみんな一人でしょうか。
20:05 K: もちろん、そうではない。

B: 私たちはそれを、明らかにしたいです。
20:10 K: いえ。彼らはそこで、一人だと感じません。 ただ、秩序があるだけです。
20:15 B: 違った人々がいますか。
20:18 K: 仮にですね・・・いや、仮定はできない。 私たち三人は、コスモスにいます。 コスモスだけがある。 あなたたち、ボーム博士、シャインバーグ博士と私、ではない。
20:33 B: ゆえに、私たちはまだ、一人です。

K: 秩序はただ一つです!
20:37 B: ええ。私は、一人(アローン)という言葉を、辞書で探しました。基本的に、 それは、「すべて一つ(オールワン)」です。

K: すべて一つ。ええ、ええ。
20:44 B: 言い換えると、断片化がない、と。
20:46 K: ゆえに、三人はない。 それはすばらしい。
20:54 S: でも、あなたはそこで跳びさりました。 私たちは、混沌と混乱を得た。 それが、私たちが得たものです。
21:00 K: で、私たちが言いましたように、それから離れ去ることを、 ほとんどの人々は、恐れています。 それは、全的な秩序を持つことです。 一人(アローン)は、彼が指摘したように、すべて一つ(オール・ワン)です。 ゆえに、コスモスがあるとき、 断片化がありません。
21:19 S: そうです。でも、ほとんどの人々は、混乱と混沌の中にある。 それが、彼らが知っているすべてです。
21:25 K: で、動いてください。 あなたは、どのように動いて、それを離れるのか。それが、問い全体です。
21:30 S: それが問いです。 私たちは、ここにいて、混沌と混乱の中にいる。 私たちは、あちらにいない。
21:36 K: ええ。あなたは、それに怯えているかもしれないからです。
21:39 S: それに怯えているかもしれない。
21:41 K: 一人であるとの観念に、怯えている。
21:44 S: あなたはどうして、観念に怯えられるのですか。
21:45 B: それは簡単です。
21:47 K: あなたは、明日に怯えていませんか。 それは観念です。
21:50 S: いいです。で、それは観念です。
21:52 K: それだけです。彼らは、自らが投影した観念に、怯えています。 それは、「神様、私は一人です」と言う。 それは、私は頼れる人を誰も持っていない、という意味です。
22:04 S: そうです。 でも、それは観念です。
22:06 B: まあ、ゆっくり行きましょう。 なぜなら、また・・・
22:08 S: ええ。これはとても重要です。
22:10 B: 私たちは一定程度に、それは真正にそうだ、と言ってきました。 あなたは、もはや社会により支援されていない。 あなたは、一定の真正の危険を、持っている。 なぜなら、あなたは社会の網より、退いてしまったからです。
22:22 K: ええ。あなたが、カトリックの国で、 プロテスタントであるなら、それはとても困難になる。
22:29 S: 私たちはここで混乱していると、思います。 私は本当にそうです。なぜなら、 もし私たちは混乱を持っているなら、もし混沌を持っているなら・・・
22:37 K: いえ。「もし」ではない。 そうなのです。
22:40 S: そうなのです。いいよ。 あなたと一緒に行きましょう。 さて、私たちは、混沌と混乱を持っている。 それが、私たちが持っているものです。 さて、あなたは、混沌と混乱の中にいながら、 一人ということについて観念を持っているなら・・・ それはただ、もう一つの観念、もう一つの思考、 混沌のもう一つの部分です。

K: ええ。それがすべてです。
22:57 S: そのとおりですか。

K: そのとおりです。
22:58 S: ええ。さて、それは、私たちが持っているすべてです。混沌と混乱です。
23:02 B: 待って。私が感じる・・・言語の疑問を、見守ってください。 なぜなら、「すべて」という言葉を使うなら、それは、物事を閉ざすからです。
23:08 S: いいですよ。
23:10 B: 私たちは昨日、言っていました - 言語は、 その用法がもっと自由で、おそらくちょっと詩的でなくてはいけない、と。 この「すべて」という言葉を、使うなら、それを見守らなくてはいけません。
23:21 S: いいです。でも、私たちは、これを持っています。 私たちは、混沌を持っています。

B: 私たちは、混沌を持っている。
23:26 S: いいよ。さて、それが、私たちが持っているものです。さて・・・ 私は観念を持っています。 私の観念は、ですね・・・ ほとんどの人々は、そうね、気づいていない、 乗り気でない、信じていない・・・この「すべて一つ」について 何も知らない、というものです。
23:48 K: 私はそれについて、話していません。 私たちは、それについて話していません。
23:51 S: そうです。私たちはそれを持っていない。

K: ええ。
23:53 S: 私たちがただ今持っているすべては、混沌です。
23:56 B: 「すべて」という言葉を、外しましょう。
23:58 S: いいよ。私たちは、混沌を持っています。(笑)
24:03 K: 混沌です。さて、ちょっと待って。 混沌の状況にいて、 それから動いて、去るために、 彼らは、自分が一人になるだろう、との感じを、持っています。
24:16 S: そうです。

B: 孤立した、との意味で。
24:18 B: 「すべて一つ」の意味ではない。

K: 孤立した、と。
24:21 S: それが、私が取りかかっていることです。

K: 彼らは、さびしくなるでしょう。
24:24 S: そのとおりです。
24:26 K: 孤立するでしょう。 それに、彼らは怯えています。
24:29 S: 怯えているのでなく、恐怖している。
24:31 K: ゆえに、彼らは、「私はむしろ、自分のいるところに、留まっていたい。 孤立に向き合うより、むしろ、自分の小さな池に」と言います。
24:41 S: そのとおりです。
24:42 K: それが、人間たちが根本的に変化しない 理由の一つなのかもしれません。
24:47 S: そのとおりです。
24:48 B: この原始的な部族のように、最悪の罰は、 追放されることや、孤立することです。
24:53 S: 原始的な部族へ、行かなくてもいいよ。 私は、いつの時も、 人々を診て、人々に話をします。 患者さんたちは、私へ来て、言います - 「そう、土曜日の夜が来た。 私は一人でいるのに、耐えられなかった。 私は、一緒にいる誰かを探して、五十人の人々に電話した」と。
25:05 B: ええ、それは大いに同じです。

S: 「私はこの集団に、加わらなくてはいけなかった」と。
25:08 B: それは大いに同じです。 それは、もっと単純で純粋な形で、 そこに来ると、私は思います。 人々はただ率直に、それを認めます。 彼らは、それが実情であるのを、知っています。
25:14 S: そうです。
25:15 K: で、それは、人間たちが変化しない 理由の一つなのかもしれません。 もう一つは、私たちは、物事をありのままに受け入れるよう、 重く条件づけられていることです。 それは、私たちは自分自身に、 「なぜ私はこのように生きるべきか」と言わない、ということです。
25:41 S: それは確かに真実です。 私たちは明確に、これがそのありうるすべてである、と 信じるよう、条件づけられています。
25:48 B: まあ、それは重要です。 それは説明です - 「私たちは、これが、その可能なすべてである、と 信じるよう、条件づけられている」と。 「すべて」というこの言葉は、私たちを捉える罠の一つです。
25:55 S: たぶんそれは、まさしくその事実です。そうです。
25:56 B: 「これが、そのありうるすべてだ」と 言うなら、何をできますか。
26:00 K: 何もない。何もない。
26:01 B: そうね、この言語の使用・・・ この言語の使い方は、鎖なのかもしれません。
26:06 K: 全くそうです。

B: その言葉を見守らなくてはいけません。
26:08 S: それは条件です。

B: でも、「すべて」という言葉は・・・
26:11 K: それが、彼が指し示していることです。

B: 「すべて」という言葉は・・・
26:15 K: 「これが、私が知っているすべてだ」と言うなら、 あなたはすでに、止まっています。
26:19 S: そうです。
26:19 B: なぜなら、「すべて」という言葉は、何をするのか。 それは、あらゆる物事を閉ざします。 それは、このものが実在の「すべて」である、と言う。それは実在しなくてはいけません。
26:28 B: 一つのことは、それは見たところ、観念を実在に変える、ということです。 それは、観念に、あの実在感を与えます。 なぜなら、「それが、そこにあるすべてだ」と言うなら、 それは、実在していなくてはいけません。 言っていることは、分かりますか。
26:38 S: ええ。それは、とても良い点だ、と思います。 それは、私たちが示そうとしてきた 点に、大いに似ています - そこでは、思考は完全であると、考える行為こそが・・・ 思考は実在になる。 で、またもや、言語自体が、条件です。
26:57 K: で、私たちはこう言いましょうか - 人間たちは、根本的に変容しない。 彼らは、集団から孤立することに、 集団から追放されることに、怯えている。 それが、一つの理由です。 また伝統的に、私たちは条件づけられているので、 むしろ、物事をありのままに、 受け入れるでしょう - 私たちの悲惨、混沌、 その他すべてを、です。 「後生だから、これを 変化させよう」と言わずに、です。
27:30 S: そうです。
27:32 B: まあ、私たちは、この確信より、抜け出さなくてはいけません - 物事のあり方が、ありうるすべてであるとの確信より、です。
27:37 K: ええ、そのとおりです。そうね、宗教は、「もう一つの世界がある、 あれを切望しなさい」と言うことにより、これを指摘してきました。 「これは、はかない世界である。 それは大事ではない。 悲しみの中で、できるだけ良く生きなさい。 あなたの悲しみを、イエスやキリストや誰かへ、手渡しなさい。 すると、あなたは次の世界で、完璧に幸せになるだろう」と。
28:06 S: そうです。
28:08 K: で、共産主義者は、「次の世界はない」と言う。 「この世界をできるだけ、良くしなさい」と。
28:13 B: 彼らは、「この世界に未来に、幸せがある」と 言うんだろう、と私は思います。
28:17 K: ええ、ええ。 「あなたの子どもたち、あらゆる物事を、 未来のために、犠牲にしなさい」と。 それはまさしく、同じことです。
28:26 B: でも、それは、同じことの一種の 変容であると、見えます。 私たちは、今あるようなこの社会を、持っているが、 それを、あきらめたいと言うなら、私たちは、同様な何かを、創案します・・・
28:39 K: ええ、全くです。

B: ・・・行くべきものを、です。
28:42 S: 私たちは、創案しなくてはいけません。 それは同様でなくてはいけません - 私たちが体系の中から、それを、創案しているなら、です。
28:47 B: ええ。でも、それは、重要な点だ、と思われます。 それは、一人でいない 微妙な道です。
28:55 K: 全くそうです。
28:56 S: で、あなたは、先へ進んで、古い観念の中から、それを作り出す、ということです。
29:00 B: ええ。天国とか未来とかを、作る。
29:03 K: で、何が、人間たちを根本的に、変化させるでしょうか。
29:11 S: 私は知りません。私が思うに、これは・・・ そうね、あなたがここで提起されている観念さえ・・・ 彼らは、それは別ではありえないとか、 それはすべて同じだ、とか言う、ということです。それは、体系自体の一部です。
29:24 K: 同意します。 さて、待ってください。 質問をしてもいいですか。 なぜあなたは、変化しませんか。 何があなたを、阻止していますか。
29:37 S: そうですね・・・それは、きつい問いです。 私が思うに、答えは、ですね・・・私はそれに・・・ どう答えるかを、知りません。
30:01 K: あなたは自分自身に、その問いを、したことがないからです。 いいですね?
30:07 S: 根本的には、ない。ええ。
30:11 K: 私たちは、基本的な問いを、訊ねています。
30:15 S: そうです。私は本当に、その問いへの答えを、知りません。
30:21 K: さて、それから動いて、離れてください。 それは、私たちの構造として、 私たちの社会全体として・・・宗教すべて、 文化すべてが、思考に基づいています。 思考は言います - 「私はこれをできない。 ゆえに、私を変化させるには、 外部機関が必要だ」と。
30:46 K: 外部機関が、環境、 指導者、ヒットラー、これや スターリン、毛沢東や、外側の誰かや、神であっても、です。 神は、あなた自身の投影です。 明白です。あなたは、神を信じている。 あなたは、毛沢東を信じている。 信じているが、あなたは、やはり同じです。
31:12 S: そのとおりです。そうです。
31:14 K: あなたは、国家などなどと同一視するかもしれませんが、あなたはやはり・・・ そこの古き良き「私」が、作動しています。 で、それは、思考が自らの制限を見ない、そして、 それは自体を変化させられないのを、知る、悟る、ということでしょうか。 それを悟るんです。
31:42 B: まあ、もっと微妙な何かが、起きる、と私は思います。 思考は、何かを見失ってしまい、 それ自体がこれらの裏にあることが、 見えません。
31:58 K: もちろんです。私たちはそう言いました - 思考が、このすべての混沌を、産出してきました。
32:02 B: でも、思考は本当に、それが見えません・・・ そうね、抽象的には、ね。 でも、思うに、そうね、骨身に染みては・・・
32:08 S: 全体の事柄は、どうですか - すなわち、思考が・・・ 思考が行うことは、実は・・・ それは、段階的変化をとおして、伝達します。
32:16 K: それはすべて、思考の創案です。
32:18 S: ええ。でも、そこが、鈎のあるところだと、思います。
32:21 K: いいえ。どうか、ただ聞いてください。

S: いいですよ。
32:24 K: 思考は、この世界を組み立ててきました。 テクノロジー的にも、また心理的にも、です。 テクノロジーの世界は、だいじょうぶです。 それは放っておきましょう。 私たちはそれについて、議論すらしないでしょう。 それは、あまりに不条理になるでしょう。 で、心理的に思考は、これら世界を 築いてきました - 私の中と、私の外に、 教会、社会を、などです。 思考は、自らがこの乱れ、この混沌を作ってきたことを、悟りますか。
33:03 B: 悟らないんでしょうね。それは、この混沌を、独自に 存在すると、見がちです。

K: でも、それはそれの赤ちゃんです!
33:10 B: そうです。でも、思考にとって、それを見ることは、とても難しい。 私たちは、昨日、一時間の終わりに、 それについて、議論していました。
33:16 K: ええ。私たちは、それへ戻ろうとしています。
33:18 B: 思考がいかに実在感を与えるかのこの問い、です。 そうね、テクノロジーは、思考が作った何かを、取り扱う、 と私たちは、言っていましたが、 それは、ひとたび作られると、実際に、独立した実在です。
33:31 K: 作られる、とね。テーブルのように、あれらカメラのように。
33:34 B: ええ。 でも、思考はまた、自らが独立していると呼ぶが そうでない実在をも、創り出す、と言えるんでしょうね。 私は、良い実例を、考えました。 それは法的団体(法人)です。
33:48 B: 人々は、法的団体のために、働いています。それはお金を稼ぎます。 それはお金を失います。彼らは、法的団体に対して、ストライキなどをします。 でも、実際に、法的団体はどこにある、と言えるんでしょうか。 それは、建物の中にはない。なぜなら・・・

K: 彼らは、その一部です。
34:01 B: ともあれ、もしも、すべての人々が去ったなら、建物は、何でもなくなるでしょう。 もしも、建物がすべて焼け落ちたとしても、 法的団体(法人)は、やはり存在できるでしょう - それは存在すると、人々が考えるかぎり、です。
34:10 S: そうです。それは、税金を支払います。個人ではなく、 法的団体(法人)が、税金を支払います。
34:14 K: で、思考は、自らがこの混沌を創り出してきたことを、 悟る、見るのか、気づくのか。
34:23 S: いいえ。
34:25 K: なぜですか。 あなたは、それを悟られますか。
34:35 S: 私は、思考が・・・

K: あなたが、ではない。思考は悟りますか。 お分かりですか、ご自分がどんなに・・・私はあなたに、違った質問をしてきました。 思考、すなわち、あなたが考えること・・・ あなたが考えることは、 自らが創り出してきた混沌を、悟りますか。
34:57 B: 考えることは、混沌を、他の何かのせいに、しがちです - 外側の何かか、または、内側にある「私」のせいにする。 せいぜい、私は、自分がそれをしてきた、と言うでしょう。 でも、それから、考えることは、私は考えごとをしている、 と言って、そのせいにしています。 私が何を狙っているのか、分かりますか。

K: ええ。
35:16 B: すなわち、考えている「何か」がある、と。 私は、それは法的団体(法人)に似ている、と言おうとしていました。 考えることは、一種の法的団体を、創案してきました - 考えることへ責任がある、とされているものを、です。 私たちはそれを、「考える法的団体」と呼べるでしょうね。
35:28 K: 「考える法的団体」 - 全くです。
35:30 B: そうね、法的団体(法人)は、考えているとされています。
35:35 S: ええ、ええ。
35:36 B: それで私たちは、思考を、「私」と呼ばれる この法的団体とするし、それを信用します。
35:41 S: それは、その良い見方です。ええ。
35:44 K: 思考が「私」を作ってきました。
35:46 S: それは、施設を創り出す。

B: でも、また思考は、 「私」は思考でなくて、思考より独立した実在だ、と言ってきました。
35:52 K: もちろんです。もちろんです。
35:53 B: 思考は、法的団体を、まるでそれがそこに あるかのように、扱います。 建物や テーブルのように、立っているのだ、と。 それは、「それは実在だ」と言います。 それは単なる・・・ それは、この実在の問いの中にある、と思います。思考より独立している 一定の実在物が、ある。 でも、見かけである一定の物事が、ある。 例えば、崖に立って、海を見ているなら、 光の戯れすべてが、見えるように、です。 それは、独立した実在物ではなくて、 それは、空、海、私のせいです - すべて相互関係しあっています。

K: もちろんです。
36:26 B: で、明らかに保つことが、重要です - それは、この全体をとおして 生ずる実在物であり、 それは、この動き全体に依存しているのか、 または、それは、自生し、独自に立っているのか、です。 思考は、「私」を、独立した実体として、扱っています。
36:44 K: もちろんです。
36:45 B: 思考は、自分は「私」から来ている、と言っています。 ゆえにそれは、自らがすることを、信用しません。
36:53 K: 私にとっては、思考が、私を、創り出してきました。
36:56 S: そのとおりです。
36:57 K: で、「私」は、思考より分離していません。 私を作ってきたのは、 思考の構造、思考の本性です。

S: そうです。

K: さて、思考は、あなたが考えるのは、 または、あなたの思考は、これを悟りますか。
37:20 S: 私は、はいといいえを、言うでしょうね。

K: いえ、いえ。
37:23 S: それは、閃きで、そうなります。

K: いいえ。閃きで、ではない。 あなたは、あのテーブルを 閃きで、見ません。 それはいつも、そこにある。
37:37 S: 私が思うに、実際に起きることは・・・ 行為が見える、ということです。 どうかな、それはまるで・・・ 私たちは、これについて正直であれたなら、それについて、 完全に誠実であれたなら、私たちは、何が見えるのか・・・ 何が起きるのか・・・ または、思考がこう創り出すのを見ることの実際は、何なのか。
38:01 K: いえ。私たちは昨日、質問をしました。 私たちは、そこで止めました。 思考は、それ自体が動いているのが、見えますか。
38:09 S: そうです。
38:11 K: 動きが、「私」を創り出してきました。 混沌を創り出し、分割を創り出し、 葛藤、嫉妬、心配、恐れ、それらを創り出してきました。
38:20 S: そうです。さて、私が訊ねているのは、別の問いです。 昨日私たちは、「思考が止まる」と言う瞬間に、来ました。
38:29 K: いえ。 それははるかに後です。 どうか、一つのことに、拘ってください。
38:34 S: いいよ。でも、思考は・・・私が取りかかっていることは、 思考がそれ自体を見ることの実際は、何なのか、です。
38:41 K: 私に言ってください。あなたは、私にそれを、叙述してほしい。
38:45 S: いえ。私はあなたに、それを 叙述してほしくはない。 私が取りかかっているのは、 私の実際は何なのか、です。 思考が見ることの実際は、何なのですか。 私はこれを観察すると・・・ 私たちはここで、言語に入ります- 言語の問題、です。 でも、思考は見て、忘れるように、見えます。
39:03 K: いえ、どうぞ。私はとても単純な質問をしています。 それを錯綜させないでください。 思考は、自らが創り出してきた混沌が、見えますか。それだけです。 それは、こういう意味です - 思考は、動きとしてのそれ自体に、気づくでしょうか。 「私が、動きとしての思考に気づく」のではない。 「私」は、思考により、創り出されてきました。

S: そうです。
39:40 B: 適切な問いはこうだ、と思います - なぜ思考は、進みつづけるのか。 それはどのように、それ自体を維持するのか。 なぜなら、それが自体を維持するかぎり、 それは、何かを産出するからです - 独立した実在のようなもの、それの幻影を、です。
39:53 K: 思考はなぜ・・・
39:55 B: 思考はなぜ、進みつづけるのか・・・
39:59 S: 思考への私の関係は、何ですか。
40:03 K: あなたは思考です。「思考」に関係した「あなた」は、ありません。
40:09 B: それが、言語が「それがある」と言うさまです。 それは、「私は思考を産出する実体である」と言います。
40:15 B: それは、すなわち、ゼネラル・モーターズが、「私は、 自動車を生産している法的団体です」と言うようなものです。
40:21 S: でも、見てください。それは正しい。 私はそれをどう得られるのか・・・ 問いはこうです - 私はあなたへ、 「思考への私の関係は何ですか」と言います。 あなたは私に、「あなたは思考です」と言われます。 何らかの形で、あなたが言われることは、明らかです。 でも、それは、やはり、私より来ているものです。 分かりますか。それがやはり、思考が動いているさまです - 「それが、思考への私の関係だ」と言うことは、です。
40:52 B: それが論点です - 「まさにこの思考は、 ちょうど今、止まれるのか」と言うことです。 分かりますか。

K: ええ。
40:57 B: まさにこの瞬間に、何が、この全体を維持しているのかが、 私が取りかかろうとしている問いでした。
41:03 S: それが問いです。
41:04 B: 言い換えると、私たちは、一定の洞察を持つ、とします。 けれども、ちょうど今、古い過程を 維持するように、何かが起きます。
41:13 S: そのとおりです。 ちょうど今、思考が動きつづけます。
41:18 K: いえ。彼、ボーム博士は、とても良い質問をしましたが、 私たちは、それに答えていません。 彼は、「なぜ思考は動くのか」と言いました。
41:27 B: 動くことが不適切であるときに、です。

K: なぜそれはいつも、動いていますか。
41:31 S: そのとおりです。
41:33 K: で、動きとは何ですか。 動きは時です。ですね?
41:43 S: それは速すぎます。 動きは時です。

K: もちろんです。
41:50 S: 動きは動きです。
41:51 K: いえ、いえ。ここからそこへ。

S: そうです。
41:57 K: 物理的に、ここからそこへ。 物理的に、ここからロンドンへ、ここからニューヨークへ。 また、心理的にも、ここからそこへ。
42:08 S: そうです。

K: 私はこれだ。私はあれでなければならない。
42:13 S: そうです。でも、思考は、必ずしもそれらでない・・・
42:20 K: 思考は動きです。 私たちは、動きを検討しています- それは思考です。
42:29 S: 思考は・・・
42:31 K: 見てください。もしも思考が止まったなら、何も動きがない。
42:36 S: ええ。私は見ようとしていて・・・これは、きわめて明らかに、されなければなりません。
42:41 B: 一種、役立つ歩みが、あるかもしれないと、思います・・・
42:44 S: それは何ですか。
42:46 B: 私は自分自身に訊ねます - 私に考えたり話したりをつづけさせるのは、何ですか。 私はしばしば、人々を見守って、彼らが穴に填まっているのが、見られます - 彼らは、ただ話しつづけるからです。 彼らが、話をするのを、止めるなら、 問題全体が、消滅するでしょう。 それは、この言葉の流れだけですね で、彼らが言うことから・・・そのとき、 あたかもそれらに、実在があるかのように、出てくるんです。 そのとき、彼らは、 「それが私の問題です。 それは実在します。 私はもう幾らか、考えなくてはいけない」と言う。 一種のフィードバックがあると、私は思います。 仮に私が、「私は問題を持っているよ。 私は苦しんでいる」と言う、とします。
43:20 S: あなたは、「私」を持っている。
43:22 B: ええ。私はそれを考える。ゆえに、私は、自分が実在するとの感覚を、持つ。 私は、自分の苦しみについて、考えていますが、 そこにあるのは「私」である、苦しみは実在する。なぜなら、 私は実在するから、ということが、暗示されています。
43:35 S: そうです。
43:36 B: そのとき、次の思考が来ます - それが実在するからには、 「私は幾らかもっと、考えなければならない」と。

S: そうです。
43:41 B: なぜなら、もしもそれが実情であったなら・・・
43:43 S: それは自体に養われる。
43:45 B: ええ。そのとき、私が考えなければならないことの一つは、 「私の問題は何なのか」です。 それは、私が苦しんでいる、ということです。 私は、考えつづけるのを、いつの時も その思考をつづけるのを、強いられます - 私自身が存在するのを、維持して、です。 私が何を狙っているのか、分かりますか。 フィードバックがあるんです。
44:00 K: それは、思考は動きであるので - それは時です。動きがないなら、私は死んでいることを、意味します。 私は死んでいます!
44:12 B: ええ。その動きが止まるなら、 私がそこに実在しているとのその感覚は、去るにちがいありません。 私は実在するとのその感覚は、考えることの結果であるからです。
44:20 K: 見えますか。これはとてつもない。
44:22 S: もちろん、そうです。
44:23 K: いえ、実際に、です。 理論でではなく、実際にです。
44:28 S: そうです。そうです。
44:30 K: 思考を動きだと、悟ります。ですね?
44:34 S: そうです。
44:37 K: 思考を動きだと悟る「私」は、ない。 思考自体が、自らが動きである、と悟る- それは、動きの中にある。
44:46 B: この動きの中、それは、イメージを創り出す・・・
44:49 K: 「私」の、です。

B: ・・・動いていると思われる「私」の、です。
44:51 K: ええ、ええ。

S: そうです。
44:53 K: さて、その動きが止まるとき、 「私」はありません。 「私」は、時です。 時により、組み立てられています- 時は思考です。
45:08 S: そうです。
45:09 K: で、あなたは、これを聞いていて、 それの真理を悟りますか。 言語的、論理的な真理、論理的な発言ではなく、 そういう驚くべきことの真理を、です。 ゆえに、それより全然違った行為が、ある。 動きとしての思考の行為は、 断片的な行為、矛盾した行為を、 もたらします。 思考としての動きが、 終わりになるとき、全的な行為がある。
46:14 B: そのとき、何でも技術的な思考が訪れるのは、 秩序立っている、と言えますか。

K: もちろんです。
46:20 B: 言い換えると、思考は恒久的に去ってしまった、という意味ではない。
46:25 K: ええ、ええ。
46:28 S: それはやはり、動きなのかもしれない- その適切な所、適当な秩序において、です。 正しく適切な思考なら・・・

K: その適切な所です。
46:35 S: それは訪れます・・・頭脳はやはり、そのことをできる、 という意味です。ですね?

B: ええ。
46:41 K: で、私は・・・私ではなく、人間は、 これらを恐れていますか。 無意識的に深く、彼は、「私」が終わるのを、悟るにちがいありません。 理解できますか。 それは本当に、最も怯えることなのです。 「私」、私の知識、私の書物、 私の妻、私の・・・付いてきていますか。 思考が組み立ててきたもの全体、です。 あなたは私に、それらを終わらせるよう、頼んでいます。
47:23 B: ええ。それはあらゆる物事が終わることだ、と言えますか。 なぜなら、私が知っている、あらゆる物事は、そこにあるからです。
47:32 K: 絶対的にです。 で、本当に分かりますか - 私は怯えています・・・ 人間は死に怯えています。 生物学的な死ではなく・・・

S: 今、死ぬこと。
47:54 K: この終わりになる死を、です。 ゆえに彼は、神を、輪廻を 信じています - 他の慰めになる一ダースもの物事を、です。 でも、実際に、 思考がそれ自体を・・・ 思考が自体を動きとして悟り、その動きが、 「私」を、分割を、けんかを、政治的なことを、 創り出してきたことが、見えるとき - いいですか、この混沌の世界の構造全体を、創り出してきた。 思考は、それを悟るとき、それの真理が見えて、終わります。 ゆえにそれは、コスモス(秩序、宇宙)の中にある。 そのとき、コスモスがある。 さて、あなたは、これを聞きます。 あなたはそれを、どのように受け取りますか。
48:57 S: あなたは、私に答えてほしい・・・
48:59 K: それを受け取る。

S: それを受け取る。
49:01 K: 私はあなたに、何かを差し出します。 あなたはそれを、どのように受け取りますか。 これは、とても重要です。
49:09 S: ええ。思考は自らの動きが見える・・・
49:13 K: いえ、いえ。あなたはそれを、どのように受け取りますか。 公衆はこれらを聞きますが、 彼らは、どう言いますか - 「私はこれを、どのように聞いているのか。 彼は私に、何を語ろうとしているのか」と。
49:38 S: どのように?
49:39 K: 彼は、「私はあなたに何も語ろうとしていない」と言います。彼は言います - 「私が言っていることを聞いて、自分自身で見出しなさい - 動きとしての思考が・・・その動きの中、それが このすべてを創り出してきたのかどうかを、です」と。 - 役立つし必要である テクノロジーの世界も、 この混沌の世界をも、です。
50:08 K: どのように、あなたはそれを、受け取り、聞きますか。 または、公衆 - ここにいない別の人は、 それを聞きますか。 どのように、あなたはそれを聞きますか。 あなたがそれを聞くとき、あなたの中に何が起きますか。
50:24 S: パニックです。

K: いえ、そうですか。
50:27 S: ええ。死について、パニックがある。 その死は・・・ 一種、死への恐れです。 見える・・・見える感覚がある・・・ それから、その死への恐れが、ある。
50:49 K: それは、あなたが言葉を聞いてきた、という意味です。 言葉が恐れを、目覚めさせたのです。
51:00 S: そうです。
51:02 K: でも、事実の実際を、ではない。
51:09 S: 私は、そうは言わないでしょう。 それは少し不公平だ、と思います。
51:13 K: 私はあなたに、訊ねています。
51:14 S: それらは、事実の実際を目覚めさせる・・・ そのとき、ほぼ・・・ とてもすばやい過程が、あるようです。 事実の実際が、ある。 そして、静寂があるようです・・・ 大いなる明晰さの瞬間ですが、 それは、みぞおちの一種、感じへ、道を譲ります - そこでは、物事が 抜け落ちていくという感じ、です。 そのとき、一種、
51:42 K: 引き留める。

S: 引き留めが、ある。 そう、そこには動き全体がある、と思います。
51:47 K: で、あなたは、人類を叙述しています。
51:50 S: ええ、そうしようとしています。 ええ、私は自分を叙述しています。
51:53 K: それは人類です。

B: まったく同じです。
51:55 K: あなたは、視聴者です。 聞いている人々です。
51:58 S: そのとおり。で、「明日、何が起きるだろうか」という感覚が、ある。
52:01 K: いえ、いえ。何が起きるか - それが、論点ではありません。
52:05 S: 私はあなたに語っています - それは、その恐れである、と。
52:07 K: いえ。思考が動きだと悟るとき、 その動きがこれら混沌を、 創り出してきたことを、悟るとき - 切れ切れだけでなく、全的な混沌、完全な無秩序を、です。 思考がそれを悟るとき、何が起きますか - 実際に、です。 あなたは怯えていません。 恐れはない。 気をつけて聞いてください。 恐れはない。 恐れは、抽象によりもたらされた観念です。 理解できますか。 あなたは、終わることの映像を作ってきて、 その終わることに、怯えています。
53:24 S: それは正しい。そのとおりです。 止まる・・・
53:29 K: 恐れはない。

S: 恐れはない。そのとき・・・
53:33 K: 実際が起きるとき、恐れはない。
53:39 S: そのとおりです。 実際が起きるとき、静寂がある。
53:45 K: その事実でもって、恐れはない。
53:47 B: でも、思考が入ってくると、たちまち、
53:49 K: そのとおりです。

S: そのとおりです。 さて、待って、行ってしまわないでください。思考が入ってくるとき・・・
53:54 K: もう、三分間あります。

S: いいよ、三分間ね。
53:58 K: 進んでください。
53:59 S: 事実と実際 - 恐れがない。
54:02 K: そうなんです。そうなんです。
54:05 S: でもそのとき、思考が入って・・・
54:08 K: いいえ。 そのとき、それはもはや事実ではない。 あなたは、事実とともに留まれない。
54:27 B: まあ、それは、考えつづけると言うのと、同じですね・・・
54:30 K: 動きつづけるのと。

B: ええ。 まあ、思考を持ち込むとたちまち、それは事実ではない。 それは、実在すると感じられる 想像や夢想です。 でも、それは実在しない。

S: そうです。
54:45 B: ゆえに、あなたはもはや、事実とともにいない。
54:47 S: で、私たちが言っている・・・
54:49 K: 私たちは、何かとてつもないことを、発見しました - 事実と向き合っているとき、恐れはない。
54:56 B: で、すると、恐れすべては思考です。そうですか。
54:59 K: そのとおりです。
55:01 S: それは、口幅ったい・・・
55:03 K: いいえ。思考すべては、恐れです。 思考すべては、悲しみです。
55:08 B: それは、どちらも通じます - 恐れすべては、思考です。思考すべては、恐れです。
55:12 K: もちろんです。
55:13 B: 事実のみについて生ずる種類の思考以外は、ね。
55:16 S: 私は、ちょうどここで、何かを投入したいです - 一秒間あるなら、です。 私たちはまさにここで、何か全く重要なことを、 発見したと、私には見えます。 すなわち、実際に見ることにおいて・・・ そのとき、注意の瞬間は、その極みにある。
55:31 K: いいえ。何が新しいことが、起こります。

S: ええ。
55:36 K: 何か全然・・・あなたが一度も見つめたことがないことが、です。 それは、何であるにしても、一度も理解されたり経験されたことがない。 全然違ったことが、起きつつあります。
55:52 B: でも、私たちが思考において、これを承認することが、重要でないですか。 つまり、自らの言語において、です。

K: ええ。
55:58 B: 今、私たちがしているように、です。 言い換えると、もしもそれが起きて、 私たちはそれを承認しなかったなら、そのとき私たちは、退きがちです。
56:04 K: もちろんです。

S: 私にはつかめません。
56:06 B: 私たちは、それを見なくてはいけません- それが起きるときだけではなく・・・ 私たちは、それが起きるとき、それが見えなくてはいけません。 私たちは、それが起きると言わなくてはいけません。
56:14 S: そのとき、私たちはそこに、局地化する場所を、創り出していますか。
56:17 B: いえ。

K: いえ、いえ。 彼が言っていることは、とても単純です。 彼は言っています - この事実、実際は、起きますか。 あなたは、それとともに留まれますか。 思考は、動いて入らずに、ただその事実とともに、留まれますか。 それは、こう言うようなものです -全的に、悲しみとともに、留まりなさい。 動いて離れない。 「それはあるべきだ、 それはあるべきでない、私はどうやってそれを乗り越えるべきか」 と言うとか、自己憐憫とその他すべてではない。 全的に、そのものと、事実とともに、留まるだけです。 そのときあなたは、とてつもないエネルギーを、持っています。
57:15 S: そうです。
57:20 K: それをできますか。 時間です。