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BR76CTM6 - どの形のイメージも、関係の美しさを阻止する。
ボームとシャインバーグとの議論、第6回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1976年5月20日



0:07 クリシュナムルティ(K): 私は、あなた、ボーム博士に、お訊きしたいと思います。 あなたは、こんなに有名な 物理学者と科学者であり、 実質的に、世界中で、あらゆる学校生徒が、 あなたについて知っていますが、 私は、お訊ねしたい・・・ 私たちが行ってきた、これら四、五回の対話すべての後で、ですが、 何が人を、変化させるのでしょうか。 何が、人間たちの全的な意識に、 根本的な変容を、もたらすのでしょうか。
0:55 B: 私は、科学的背景が、この問いに あまり妥当するだろうのかを、知りませんが・・・
1:02 K: そうでしょうか。

B: 科学的背景が、その問いに 妥当するにちがいないことは、明らかでない、と私は言いました。
1:07 K: ええ。たぶんそうでしょうが・・・ 私たちは、相当の長さ、話をしてきた後 - 今だけでなく、以前の年々に、です - エネルギーとは、何でしょうか。 私は、「エネルギー」(という言葉)を使っていますが、 どの科学的な意味で、でもない。 ただの普通の意味での 活力、エネルギー、衝動・・・ それが、欠けていると、見えます。 結局、私が視聴者として、あなたに、私たち三人に、聞くなら、 私は、「ええ、それはすべて、これら哲学者やこれら科学者、 専門家にとって、とても良いだろうが、それは私の分野の外にある」と言うでしょう。 「それは、あまりにはるか遠い。 もっと近くに持ってきてください。 私が自分の生を取り扱えるように、はるか近くへ持ってきてください」と。
2:02 B: 前回の議論の終わりに、私たちは、その本性の一点に 触れつつあった、と思います。 私たちは、イメージについて、議論していたからです。
2:12 K: ええ、イメージです。
2:14 B: そして、自己イメージです。そして、 私たちはそもそも、イメージを持たなくてはいけないのかどうかを、問うていました。
2:22 K: もちろんです。 私たちは、それに入りました。 でも、そうね、私は視聴者として、望むのは・・・ 全然外部で、初めてあなたに、 あなたたち三人に、聞いていて・・・ 私は、「さて、それは私の生にどう触れますか」と言います。 「それはすべて、漠然として、 不確実だし、 大変多く考えることが必要ですが、私は進んでそうしたくない」と。 付いてきていますか。「で、どうか、二言、三言で、または長々と、私に語ってください。 私は、自分の生で、何をすべきでしょうか。 私はどこで、それに触れるべきでしょうか。 私はどこで、それを壊してしまうべきでしょうか。 どこから私は、それを見つめるべきでしょうか。 私は、ほとんど時間が、ありません。 私はオフィスへ行きます。 私は工場へ行きます。 私は、すべきことを、とても多く持っています- 子どもたち、がみがみ言う妻、貧困と」と。 悲惨の構造全体。あなたはそこに座っている。あなたたち三人は、 何か私に触れないことについて、話をする - それは、少しも私に触れない、と。 で、私たちはそれを、いわば要点へ 下ろせるでしょうか - そこで、私が、普通の人間として、 それに組み付けるように、です。
4:02 B: 私たちは、出発点として、日々の関係に生ずる問題を、 考慮できるでしょうか。

K: それが、本質なのでしょう。 私はそれから、始めようとしていました。 私の、人間たちとの関係は、 オフィスに、工場に、ゴルフ・コースにある。
4:34 B: または、家庭にある。
4:36 K: または、家庭にある。 家では、かなり・・・ そうね、決まり切った道筋です- セックス、子ども・・・ 私は、子どもを持っているなら、私は、子どもが欲しいなら、です。 そして、生涯ずっと、常に闘いに、闘いに、闘いです。 侮辱され、傷つき、負傷し、 私の中とまわりで、あらゆることが、進んでいる。
5:02 B: ええ。連続的な失望が、ある。
5:04 K: 連続的な失望、連続的な望み・・・ もっと成功を収めたいとの欲望、もっと多くのお金、 あらゆる物事を、もっともっと多く、です。 さて、どこで・・・ 私はどのように、自分の関係を、 変更すべき、変化させるべきでしょうか。 私の関係の存在理由、起源は、 何でしょうか。 もしも、私たちは今朝、少しそれに取り組めて、 私たちが議論していたことへ、進めたなら - それは本当に、とても重要です。 それは、まったくイメージを、持たないことです。
5:49 B: ええ。でも、昨日、議論していたように、私たちは、 ほぼいつも、イメージをとおして、関係しがちなように、見えます。
5:54 K: イメージをとおして、です。 そのとおりです。
5:56 B: 私は、自分自身とあなたのイメージを、持っている、とします。 あなたは、私への関係にあるはずだからです。 そのとき、それは失望して、傷つくなどです。
6:06 K: でも、私はどうやって、そのイメージを、変化させるべきでしょうか。 わたしはどうやって、それを、壊してしまうべきでしょうか。 あなたが、普通の人間としての私に、話をしてきた後で、 私は、自分がイメージを持っていることが、よくよく見えます。 それは、幾世代をとおして、 組み立てられ、構築されてきました。 私はそれを、持っています。 私は、相当に智恵があります。 私は相当に、自分自身に気づいているし、私は、自分がそれを持っているのが、分かります。 私はどうやって、それを壊してしまうべきでしょうか。
6:39 B: 論点は、私が見るところ、 私は、そのイメージに、気づかなくてはいけない、 それが動くままに、見守らなくてはいけない、ということです。
6:47 K: で、私は、それを見守るべきですか- 私は、対極を取っています - 私はオフィスで、それを見守るべきですか。

B: ええ。
6:59 K: 工場で、家庭で、ゴルフ・クラブで、です。 なぜなら、これらすべての区域に、私の関係があるからです。
7:06 B: ええ。私は、それらすべての場所で、それを見守らなくてはいけないと、言うんでしょうね。 また、私がそこにいないときも、です。
7:12 K: 私がそこにいないとき、です。で、私は実は、いつの時も、それを見守らなくてはいけません。
7:16 B: ええ。
7:17 K: さて、私はその能力が、ありますか。 私は、エネルギーを 持っていますか。なぜなら、妻はセックスを欲しがり、 私は、それを欲しがらないとか、セックスを楽しむとか、 私は、あらゆる種類の悲惨を、経ていくからです。 一日の終わりに、私はほぼ・・・私は這って、ベッドへ入ります。 あなたは、私はエネルギーを持たなければならない、と言います。 で、私は、関係が最も重要であると、悟らなければなりません。
7:44 B: ええ。
7:45 K: ゆえに、私は、一定のエネルギーのむだを、進んで、あきらめるでしょう。
7:52 B: どんな種類のむだですか。
7:57 K: 酒、 タバコ、役に立たないおしゃべり。 パブからパブへ、果てしなく這っていくこと。
8:06 B: とにかく、それは始まりになるでしょう。
8:08 K: それは始まりになるでしょう。 でも、そうね、私は、それらすべてと、加えてもっと多くが、欲しい。付いてきていますか。
8:17 B: でも、私は、あらゆる物事がこれに、依存することが、見えるなら・・・
8:20 K: もちろんです。
8:21 B: ・・・私はパブへ行かないでしょう- それが介入するのが、見えるなら、です。
8:25 K: で、普通の人間として、私は、悟らなければなりません - 最大の重要性は、正しい関係を持つことである、と。
8:34 B: ええ。 私たちがそれを持たないなら、 何が起きるかを、言えたなら、良いでしょうね。
8:41 K: ああ、私がそれを持たないとき、ね。 もちろんです。
8:44 B: そのとき、あらゆる物事が、バラバラになる。
8:46 K: あらゆる物事が、バラバラになる。 あらゆる物事が、バラバラになるだけではなく、 私は身の回りに、荒廃を創り出す。 で、私は・・・ タバコ、酒、パブと、あれやこれやについて 果てしないおしゃべりを 脇に置くことにより、私は、そのエネルギーを、集めるでしょうか。
9:12 B: まあ、それが始まりですね。
9:14 K: それを私は訊ねています。私は、そのエネルギーを、集めるでしょうか。私が持っている映像、 私が持っているイメージに向き合うのを、助けるだろうエネルギーを、です。
9:25 B: ええ。それはまた、野心と、他の多くの 物事を、意味しています。
9:30 K: もちろんです。そうね、私は、明白な物事により、始めます - タバコ、酒、パブ、その他すべてのように、です。
9:36 S: ここで、止めさせてください。 仮に、私のイメージが、あなたがそれを、私のためにやってくれるだろう、というものだ、とします。 私の本当のイメージは、私はそれを自分自身ではできない、というものです。
9:52 K: ああ、それは、私たちのお気に入りの条件づけの一つです - 私はそれを、自分自身ではできない、 ゆえに私は、助けてくれる誰かへ、行かなければならない、と。
10:03 S: または、私はパブへ行く。なぜなら、私はそれを、自分自身でできないから。 で、私は条件を創り出す・・・ 私がパブへ行くことより、幾つものことが、出てきます。 一つには、私は絶望しています。 なぜなら、私は自分自身で、それをできないからです。 それで、酒をとおして、自己を滅却しようとしています。 それで、私はもはや、この痛みを感じません。
10:23 B: 少なくとも、当分は、ね。
10:24 S: そうです。また二つには、 私は、自分自身でそれをできないとの自分のイメージが 正しいことを、自分自身に証明しつつあります。 結局、私を見てください。 私は、地べたに、どん底にいます。 あなたは、それを否認しようとしていますか。 第二には、自分自身をそういうさまで扱うことによって、私は、 自分自身、それをできないことを、あなたへ証明しようとしています。 たぶん私はあなたに、それを私のためにやってもらうでしょう。
10:44 K: いえ、いえ。 私たちは、正しい関係の、 全くの絶対的な重要性を、悟らない、 と私は思います- 私たちの誰もが、です。 私たちがそれを悟るとは、私は思いません。
10:59 S: 同意します。私たちは悟りません。
11:00 K: 自分の妻と、隣人と、オフィスで、 私がどこにいても、です。 また、自然とも、です。 私たちが、 楽で静かで満ちて豊かで幸せな関係を、 悟るとは、私は思いません - その美しさ、その調和を、です。 私たちは、それを悟りません。 さて、私たちは、普通の視聴者、聞き手に、それの大きな重要性を、 語れるでしょうか。
11:31 S: やってみましょう。 私たちはどうやって、誰かに、正しい関係の価値を、 伝達できますか。 あなたは私の妻です。 あなたは、めそめそと言っています。 私へ、がみがみ言っています。ですね? あなたは、私があなたのために何かをしているべきだと、 考えます - 私が疲れていて、あなたのために 何もしたいと感じないときに、です。
11:49 K: 分かります。 パーティーへ行こう、と。
11:50 S: そうです。 「パーティーへ行きましょう。 あなたは、私をぜんぜん外へ連れていってくれないわ」と。
11:55 K: ええ。(笑)
11:58 S: そうね?「あなたは、私をどこにも連れていってくれないわ」と。
12:00 B: ええ、イメージを作っている。
12:02 K: ええ、そうです。 あなたは、関係の重要性を 悟りますが、どうやって、 私を取り扱うべきでしょうか。 あなたは、どのように取り扱うべきですか。 いえ。私がいうのは、私たちは生にこの問題を、持っているんです。
12:20 B: 誰も私のためにそれをできないことが、きわめて明らかであるべきだ、と私は思います。 他の誰かが何をしようとも、それは、私の関係を反映しないでしょう。
12:29 S: あなたはどうやって、それを誰かへ、明らかにしようとしていますか。
12:32 B: でも、それは明白でないですか。
12:33 S: それは明白ではない。私は強く感じます。私は視聴者です。 あなたが私のために、それをしているべきだと、私はとても強く感じます。 母は私のために、けっしてそれをしてくれなかった。 誰かが、私のために、それをしてくれなくてはいけない。
12:43 B: でも、それができないことは、明白でないですか。 それはただの幻惑である、と私は言っています。 なぜなら、あなたが何をしようとも、私は 前と同じ関係に、あるだろうからです。 仮に、あなたが完璧な生を生きる、とします。 私はそれを模倣できない。それで、私は前のように、つづけるだけでしょうね。 で、私は、自分自身、何かをしなくてはいけません。それは明らかでないですか。
13:06 S: でも、私は、自分自身、何もできるとは、感じません。
13:09 B: でも、そのときあなたは、自分自身、何もしないなら、それは回避不可能だ、 それがつづいていくにちがいないことが、見えますか。 それがいずれ良くなるだろうとの観念はどれも、幻惑です。
13:18 S: 正しい関係は、私が自分自身で何かをしなくてはいけないと 悟ることから始まる、と言えるでしょうか。
13:25 K: その全くの重要性を、ね。
13:28 S: そうです。全くの重要性。 私が自分自身で持っている責任、です。
13:33 K: なぜなら、あなたは世界であり、

S: そうです。
13:35 K: 世界はあなたであるからです。 あなたはそれを、逃れられません。
13:40 B: おそらく私たちは、それについて、ちょっと議論できるでしょう。なぜなら、視聴者の幾人には、 「私は世界である」と言うことは、変に見えるかもしれないからです。
13:46 K: でも、結局、あなたが考えていることすべて・・・ あなたは、文化の結果です・・・ 気候、食べ物、環境、 経済的な条件、 あなたの祖父母・・・あなたは、それらの結果です。
13:58 S: それは分かりますね。
14:00 B: そのとおりです。それが、あなたは世界である、と 仰ることが、意味していることです。
14:05 S: お分かりになる、と思うんですが、 自分は世の中により世話される権利があると 感じる人物について、私がここに拡げてきたことですが・・・ 世の中は、実はその方向へ、動いています・・・ 楽しみすべてと、テクノロジーのそれですが・・・
14:17 K: いいえ。これは、単純な事実です。 インドに行くと、 同じ苦しみ、同じ心配が、見られます。 ヨーロッパ、アメリカに来ると、 本質的に、それは同じです。
14:29 B: 各人が、苦しみと混乱と 欺瞞などの同じ基礎的な 構造を、持っています。 ゆえに私が、「私は世界である」と言うなら、 それは、普遍的な構造がある、それは、私の一部である、 私は、それの一部である、という意味です。
14:42 K: その一部です。で、さて、そこから前進しましょう。 この狂ったやり合いの中で生きている、 普通の人間としての私に、初めにあなたが語らなくてはいけないことは・・・ あなたは私に、語らなくてはいけません - 「ごらん。生において 全く最大の重要なことは、関係であると、悟りなさい」と。 あなたは、自分自身についてイメージを持っているなら、 関係を持てません。 または、楽しめるイメージを創り出し、それに拘るなら、持てません。
15:21 S: または、自分は権利があるとのイメージ、です。それは前に来て・・・
15:25 K: どの形のイメージも、 あなたが、他の一人についてとか、あなた自身について、持っているのも、 関係の美しさを、阻止します。
15:34 S: そうです。
15:35 B: ええ。例えば、私はこれこれの状況では、安全であり、 違った状況では、安全でないとのイメージです。 それは、関係を阻止します。

K: そのとおりです。
15:47 B: なぜなら、私は言うでしょうが・・・ 私は、相手の人物に対して、彼が私を、 私が安全だと考える状況に、置いてくれることを、要求します。 そのとき彼は、そうしたくないかもしれない。
15:55 S: そうです。それで、私たちの関係は、私が、楽しめる関係の イメージを持っているなら、 私の行為すべては、この相手の人物に関連してですが、 私は、無理やり彼に、私を動かして、 それをさせてもらおうとするんです。 それで私は、1)彼に言います -あなたは このようであるべきです。なぜなら、それが、私のイメージを完成させるだろうから。 2)私は、相手の人物に対する、要求と呼ぶものを、持っています。 言い換えると、私は、彼がそのイメージを認知するようなさまで、 行為するのを、期待します。
16:26 B: ええ。または、私が言いそうなのは・・・ 私は、何が正しいのかなどのイメージを、持っています。 言い換えると、個人的にそうであるというのではないが、 私は、それが、誰もがみな振るまう正しいさまだろう、と言います。
16:35 S: そうです。私のイメージを完成するために、です。
16:38 B: ええ。 例えば、妻は、「夫は妻を、頻繁に パーティーへ連れ出すべきよ」と言う。 それはイメージの一部です。
16:46 S: そうです。
16:47 B: 夫は、対応するイメージを持つし、ゆえに・・・ そのとき、そのイメージが、傷つきます。分かりますか。
16:55 S: そうです。さて・・・ 私たちは、とても具体的でなくてはいけないと、私は思います - これの小さな切れ切れが、激しさをもっているように、です。
17:06 B: エネルギーをもっているように。
17:07 S: エネルギーと激しさ、必要性 - 関係において、このイメージを完成させるように、です。 ゆえに、関係は無理やり、枠に填められます。
17:13 K: ええ、それらは理解できます。 でも、そうね、 私たちのほとんどは、真剣ではない。 私たちは、楽な生活が欲しい。 あなたがやってきて、私に語ります - 「ごらん。関係が、最も大きなことですよ」と。 私は、「全くそうです」と言い、 私は、古い道を続けていきます。 私が、取りかかろうとしていることは・・・ 何が、人間をして、これを聞かせるのでしょうか - 二分間、真剣にでも、です。 彼らは、あなたに聞かないでしょう。

S: そうです。
17:56 K: もしも、あなたが、心理学の専門家の 大物の一人へとか、何へでも、行ったなら、 彼らは、時間を掛けて聞こうとしないでしょう。 彼らは、自分の計画、自分の映像、 自分のイメージを、持っています。いいですね? 彼らは、これらに取り囲まれています。 で、私たちは誰に、話していますか。
18:18 S: 私たちは、自分たち自身に話しています。(笑)
18:20 K: いえ。それだけではない。 私たちは、誰に話していますか。
18:22 B: まあ、誰であれ、聞くことができる人に、です。
18:25 K: それは、幾らか真剣な誰か、という意味です。
18:29 B: ええ。 私たちは、真剣である能力がないなどという自分自身のイメージを、 形成さえするかもしれないとも、私は思います。
18:37 K: そのとおりです。
18:39 B: 言い換えると、それはあまりにきつい、と。
18:40 K: ええ、あまりにきつい、と。
18:42 B: それは、イメージです・・・ 私はそれが、楽であってほしい。 それは、 「これは私の能力を越えている」というイメージから来る、という意味です。
18:48 K: 全くです。で、そこから動きましょう。 私たちは、こう言います。 あなたがイメージを持っているかぎり - 快くても、快くなくても、創り出された等々、 思考により組み立てられた、などです - 正しい関係はないのです。 それは今、明白な事実です。
19:10 S: そうです。
19:11 B: 生は、正しい関係なしには、何の価値をも、持たなくなってしまいます。
19:14 K: ええ。 生は、正しい関係なしには、何の価値をも、持たなくなります。 さて、私の意識は、これらイメージで満たされています。
19:24 S: そうです。
19:29 K: いいですか?イメージは、私の意識を作ります。
19:34 S: そのとおりです。
19:37 K: さて、あなたは私に、まったくイメージを持たないよう、頼んでいます。 それは、私が今知っているような意識は、ない、という意味です。
19:52 B: ええ。 私たちは、意識の主要な部分は、自己イメージである、 と言えるでしょうか。 それが、仰っていることですか。 他の部分が、幾つかあるかもしれませんが・・・
20:01 K: 私たちはそれへ行くでしょう。

B: 私たちは後で、それへ行くでしょう。 でも、そのほとんどは、今のところ・・・私たちは、ほぼ 自己イメージに占領されています。
20:07 K: そのとおりです。
20:10 S: 自己イメージについては、どうですか。 それが自体を生成するさま全体は・・・ あなたは、どう思いますか。
20:16 B: 私たちは前に、それについて議論した、と思います。 それは、自己を実在と考えることに、 引っ掛かります。 それはいつも、暗黙です・・・ 例えば、イメージは、私は一定のさまで 苦しんでいる、私はこの苦しみを 取り除かなければならない、というものかもしれません。 でも、そこには、暗黙の意味が、 いつもある - 「私」はそこに実在する。ゆえに、私は、 この実在について、考えつづけなければならない、というものです。 それは、私たちが話していた このフィードバックに、捕らわれます。 そうね、思考は、フィードバックし、築き上げます。
20:56 S: もっとイメージを、築き上げる。

B: ええ、もっと多くのイメージ、です。
20:58 S: もっと多くのイメージ。 で、それが意識です。
21:00 K: つまり、私の意識の内容は・・・
21:03 S: ・・・すべてイメージです。

K: ・・・広大な一連のイメージです - 相互に関係しあっている。 分離していなくて、相互に関係しあっている。
21:11 B: でも、それらはすべて、自己に集中しています。
21:13 K: 自己に、です。もちろんです。 自己が中心です。
21:16 B: ええ。それらはすべて、自己を目指していて、すべて、そのためであるからです - 自己を正しく、正確にするため、です。 自己のみが、全く重要だと見做されます。
21:26 K: ええ。
21:27 B: それは、そこへ、ものすごいエネルギーを、与えます。
21:29 K: さて、私が取りかかっていることは・・・ あなたは、私に頼んでいます - 私は、普通の人間として、 相当に真剣であり、相当に智恵がありますが、 あなたは、私に、その意識を空っぽにするよう、頼んでいます。
21:45 S: そうです。私はあなたに、このイメージ作りを止めるよう、頼んでいます。
21:51 K: イメージ作りだけではない。 私が持っているイメージも・・・ そして、さらなるイメージ作りを、防止する。
21:58 S: そうです。そうです。

K: どちらも関与しています。
22:02 S: ええ。私はあなたに、意識の機構を見つめるよう、頼んでいます。
22:05 K: ええ。一分間、待ってください。 私は、それに取りかかりたいと思います。 これはとても重要です。
22:10 S: いいよ。行きましょう!(笑)
22:15 K: あなたは私に、頼んでいます。 私は、あなたを理解したい。 なぜなら、私は本当に、 違った生き方を生きたいと、思うからです。 なぜなら、私は、それが必要だと、見るからです。 私は、言葉を玩ばない。 私は、もったいぶりたくない。 私はこのものを、取り扱いたいのです。 あなたは私に、自己から自由であるよう、頼んでいます - すなわち、イメージの作り手からです - そして、さらなるイメージ作りを、防止するように、です。
22:58 S: そうです。
23:01 K: 私は言います - 「どうか、何をすべきか。 どうすべきかを、語ってください」と。 あなたは、私に語ります - 「あなたは私に、どうやってそれをすべきかを、訊ねるとき、 あなたはすでに、イメージ、体系、方法を、築いています」と。
23:22 B: ええ。あなたは、「私はどうやってそれをすべきか」と言うとき、 すでに「私」を、真ん中に置いてしまった、と言えるでしょうね。
23:27 K: 真ん中に、ね。
23:28 B: わずかに違った内容で、前と同じイメージです。
23:31 K: で、あなたは私に語ります - それをどうやるのかを、けっして訊ねないでください。 なぜなら、「どうやる」には、それをしている「私」が、 関与しているからです。

S: そうです。
23:44 K: ゆえに、私は、もう一つの映像を、創り出しています。
23:46 B: で、それは、あなたがそれへ、滑り込むさまを、示します。 なぜなら、「それをどうやるのか」を言って、 「私」という言葉は、そこにはないが、それが暗黙裡にあるからです。
23:53 K: ええ、暗黙裡に。

B: ゆえに、それへ滑り込む。
23:55 K: 「私」はどうやって、それをするのか、と。もちろんです。
23:57 B: でも、それはふつう、滑り込みます。 なぜなら、それは、明示的でなく、暗黙裡に、そこにあるからです。 それがしばしば、ごまかしです。

K: ええ、明示的でない。
24:06 S: そうです。
24:07 K: さて、それで、あなたは私を止めて、「では、そこから前進しなさい」と言う。 私は、この意識から、どのように自由であるべきですか - その一角、その制限された部分からさえも、です。 そうするであろう行為は、何でしょうか。 私はそれについて、あなたと議論したいと思います。 それをどうやるのかを、私に語らないでください。私は、これを理解しました。 私は、「どうやって、それをするか」を、二度と訊ねないでしょう。 「どうやって」は、彼が説明したように、暗黙裡に、 それをやりたい「私」を、含意しています。 ゆえに、「私」は、イメージの作り手の要因です。
24:55 K: 私はそれを、きわめて明らかに理解しました。 そのとき私は、あなたに言います - 「私はこれを悟ります。 私は何をすべきでしょうか」と。
25:06 S: あなたはそれを、悟りますか。
25:07 K: ええ。私はそれを知っています。私は、自分がいつの時もイメージを作っているのを、知っています。 私は、よくよく気づいています。

S: ええ。でも・・・
25:18 K: 待って。終了させてください。 私はそれに、よくよく気づいています。 妻は、私を馬鹿者と呼ぶ。 すでに、頭脳に登録された。 思考がそれを、引き継ぐ。 私が自分自身について持っているイメージが、傷ついている。
25:39 S: ええ。

K: いいですか? で、この過程を、私は知っています。 私はこれに、よくよく気づいています。
25:45 S: そうです。
25:47 K: なぜなら、私はあなたとともに、議論してきたからです。私はそれへ入りました。 私は、これらの話と対話の間、まさに最初から、 生において関係が、 最も重要であると、悟ってきたからです - それなしでは、生は混沌です。

S: 分かりました。
26:06 K: それは、私に打ち込まれてきました。 私は、あらゆるお世辞とあらゆる侮辱が、 頭脳に登録されるのが、見えます。 そのとき思考は、それを記憶として、引き継ぎ、 イメージを創り出す。 イメージが、傷つきます。
26:36 S: そのとおりです。
26:37 B: イメージが傷つくと、仰るとき・・・ イメージは、楽しみであるからで・・・ 新しい内容 - 侮辱の - でもって・・・ 内容がお世辞であるとき、イメージは楽しみです。 内容が侮辱であるとき、イメージは傷です。
26:49 S: そうです。
26:51 K: で、ボーム博士、自らは、何をすべきでしょうか。私は、何をすべきでしょうか。 そこには、二つの関与したことが、あります。 一、さらなる傷を防止すること。 そして、 私が持ってきた傷すべてより、自由であることです。
27:09 B: でも、それらはどちらも、同じ原理です。
27:11 K: 私は思うに・・・あなたは、私に説明してくれます。 私は、二つの原理が、関与している、と思います。
27:17 B: そうですか。
27:19 K: 一つは、それを防止すること。もう一つは、私が持っている傷を、ぬぐい去ること。
27:24 S: 私はそれを、少し逆に表したいと思います。 それは、さらなる傷を防止したい、 ということだけではない。 初めに、こう言わなければならないと、私は見えます - 私はどうやって、自分がお世辞を受ける事実に、 気づくべきか、と。 あなたはどうやって、気づくのでしょうか。 さて、私はあなたは見てほしいのですが、私がお世辞を言うなら、 あなたは、内に大きな、ほとばしりを、得ます。 あなたは、腹の中で、大きく感じはじめます。 そのときあなたは、空想をします。 まあ、あなたが、このようにすばらしいのなら、 あなたは二倍、すばらしいだろう。 で、今、あなたは、自分自身のイメージを、持っています - このお世辞に当てはまる、このすばらしい人物として、です。 さて私は、あなたに、あなた自身を見てほしい。 私のキャンディを食べてほしい。
28:07 K: いいえ。あなたは私へ、きわめて明らかに、語ってきました - それは、同じ硬貨の両面です。
28:16 S: そうです。
28:17 K: 愉しみと痛みは、同じです。 同じです。
28:23 S: まったく同じです。

K: ええ。あなたは私に、それを語ってきました。
28:27 S: そのとおり。私はあなたに、それを語っています。

K: 私はそれを理解しました。
28:30 B: それらは、どちらもイメージです。
28:31 K: どちらもイメージです。 で、どうぞ・・・ 私の問いは、答えられていません。 私は、これらを悟って - 私は相当に智恵ある人です。 私は、大変多く読んできました。 普通の人です。 私個人は読んでいません。 私は、普通の人について、話しています。 私は、大変多く読んできました。 私は、これについて議論してきたし、 これらがどんなにとてつもなく重要なのかが、分かります。 私は、それを悟る、と言います - それらは、同じ硬貨の両面です。 頭脳は登録します。 そして、全体のことが、始まります。 さて、私はどうやって、それを終わらせるべきでしょうか。 「どうやって」ではない。方法ではない。 何をすべきかを、私に語らないでください。 私はそれを受け入れないでしょう。 それは私にとって、何の意味もないからです。 いいですね?
29:30 B: まあ・・・ 私たちは、違いがあるのかどうかについて、議論していました - 蓄えられた傷と、来たるべきものとの間の違い、です。
29:41 K: そのとおりです。 それが、私が理解しなくてはいけない第一のことです。語ってください。
29:45 B: 根源的に、それらもまた、 同じ原理に則って働くと、私には見えます。
29:51 K: どうですか。
29:53 B: 来たるべき傷を、取るなら、 私の頭脳はすでに、イメージをもって 応答するよう、設置されているとか、 設けられている。
30:07 K: いいえ。それは理解できません。 はるかに単純にしてください。
30:12 S: それは私にとって・・・私はそれを・・・
30:14 K: ああ、私は彼に、訊ねています。

S: いいよ。
30:16 K: あなたは、それの専門家です。(笑) あなたは、何ダースも餌食を持っています。 彼はここで、一人だけ餌食を、持っています。
30:25 B: そうね・・・ 過去の傷と、現在のものとの間に、 本当は区別が、ありません。なぜなら、それらはすべて、過去から来る、 過去の反応から来るからです。
30:38 K: で、そのとおりです。 あなたは私に、語っています - 「過去の傷や未来のを、分割しないでください。 イメージは同じであるから」と。

B: ええ。過程は同じです。
30:51 K: 過程は。ゆえにイメージは、受容しつつある。ですね?
30:56 B: ええ。それは本当は大事ではない。 なぜなら、私はただ、過去の傷を思い起こすかもしれないからです - それは、他の誰かが私を、侮辱しているのと、同じです。
31:06 K: ええ、ええ。で、あなたは、私に言っています - 過去や未来の傷を、分割しないでください。 ただ傷だけが、ある。

B: ええ。

K: ただ楽しみだけが、ある。 で、それを見てください。 イメージを見てください。 過去の傷と未来の傷ということに立ってではなく、 ただイメージを、見つめてください - 過去でも、未来でもあるものを、です。
31:43 B: ええ。

K: いいですか?
31:46 B: 私たちは言っています - 「イメージを見てください。 その特定の内容においてでなく、その一般的な構造を、です」と。
31:51 K: ええ、ええ。そのとおりです。 さて、そのとき、 私の次の問いは、こうです - 私はどうやって、それを見つめるべきですか。 私はすでに、イメージを持っているから、それでもって、私は見ようとしています。 すなわち、私はそれを抑圧しなければならない、と。 あなたは言葉で、私に約束してくれます - 正しくは、約束ではない。 私に、望みを与えてくれます - すなわち、私は正しい関係を持つなら、 とてつもなく美しい生を、生きるだろう。 私は、愛とは何かを知るだろう、その他すべてを、です。 ゆえに、私はすでに、この観念に興奮しています。
32:29 B: でも、そのとき私は、その種のイメージにも、気づかなくてはいけません。
32:33 K: ええ、ええ。ゆえに、私はどのように・・・それが、私の論点です。 私はどのように、このイメージを、見つめるべきでしょうか。 私は、自分がイメージを持っているのを、知っています - 一つのイメージだけではなく、 幾つものイメージも、です。 でも、そのイメージの中心が、「私」です。 私は、それらを知っています。 さて、私はどのように、それを見つめるべきですか。 たぶん今、前進してもいいですか。よし。 観察者は、彼が観察しているものより、違っていますか。
33:17 B: ええ、まあ・・・

K: それが、本当の問いです。
33:19 B: ・・・それが問いです。 それが、イメージの力の根だ、と言えるでしょうね。
33:23 K: ええ、ええ。お分かりになりますか。何が起きますか。 観察者と観察されるものと間に、違いがないなら、 時の間隔がある - その中で、他の活動が、つづいている。
33:38 B: ええ、その中で、頭脳は一種・・・ 寛いで、もっと快い何かへ、入る。
33:43 K: ええ、ええ。
33:45 B: ええ、それはだいじょうぶです。
33:48 K: そして、分割があるところ、葛藤がある。 で、あなたは私に、違ったさまで観察するよう、 語っています。 観察の芸術を学ぶように、です。 すなわち・・・ 観察者は観察されるものである、と。
34:12 B: ええ。でも、私たちは初めに、自分たちの伝統全体、条件づけ全体を、 見つめられよう、と思います - すなわち、観察者は、観察されるものより、 違っている、と。

K: 違っている。もちろんです。
34:21 B: 私たちはおそらく、しばしの間、それを見つめるべきでしょう。
34:23 K: ええ。
34:24 B: なぜなら、それが、あらゆる人が感じることであるからです。
34:27 K: ええ。観察者は違っている、と。
34:29 B: ええ。それは、昨日私が実在について、 言っていたことと、結びついている、と私は思います。 私たちが考える物事すべては、或る種の実在です。 なぜなら、少なくとも、それは思考、実在の思考であるからです。 でも、私たちは実在において、 区別をします - 自己言及、自己維持する実在・・・ それは、思考に依存せずに成り立っている。 そして、思考により維持される実在との間、です。
34:57 K: ええ。思考により維持される実在、です。
35:00 B: 人により作られたかもしれない実在・・・ ですが、それは、それ自体で成り立っている。 テーブルのように。または、自然のように。それは・・・
35:06 K: ・・・違っている。

B: ・・・違っている。
35:08 K: ええ。それを、私たちは昨日、通り抜けました。
35:10 B: 観察者は、普通私たちが考えるのは・・・ 私は自分自身について考えているとき、 その自己は、思考に依存していない実在ですね。
35:20 K: ええ。私たちは、それが、思考に依存していないと、考えます。
35:24 B: その自己は、実在である観察者です。
35:29 K: 全くです。
35:30 B: 彼は、思考に依存していなくて・・・ 彼は考えていて、彼は思考を産出している。
35:34 K: でも、それは、思考の産物です。

B: ええ。でも、それが混乱です。
35:37 K: ええ、全くです。 あなたは、部外者として、私に、 観察者は過去の結果である、と語っていますか。
35:53 B: ええ。それは分かります。
35:55 K: 私の記憶、私の経験、その他すべて、過去、です。
35:58 B: ええ。でも、私たちは視聴者について、考えるなら、 彼はそれを、少しきついと見るかもしれないと、思います - 彼がそれに入ったことがないなら、それに付いていくことは、です。
36:06 S: とてもきついと、私は思います - それをどう伝達するのか・・・
36:09 K: ああ、待ってください。それは相当に単純です。

S: それはどういう意味ですか。
36:14 K: あなたは、過去に生きませんか。
36:17 S: 私は、自分は過去に存在する、と思います。
36:19 K: いえ、いえ、待って。 あなたの生は、過去です。 あなたは、過去に生きています。ですね?
36:26 S: そのとおりです。ええ。
36:28 K: 過去の記憶、過去の経験、です。
36:29 S: 過去の記憶、過去のなること、なろうとしたこと。
36:32 K: 過去から、あなたは未来を投影します - 望み、です。 「私は、それが良くなるだろうと望む。 私は良くなるだろう。私は違っているだろう」 - それはいつも、過去から未来へ、です。
36:42 S: そうです。 それが、いかに生きられるか、です。
36:45 K: さて、私は、過去が 「私」であることを、見たいのです。 もちろんです。
36:54 B: でも、それは、ただ、あなたが見つめている何か 独立したものであるかのように、見えるんです。

K: それは、独立していますか。
36:59 B: 独立していないが、それが見えるには・・・
37:01 K: 分かります。そういうわけで、私たちは訊ねているのです。 「私」は、過去より独立していますか。
37:07 B: 「私」はここにいて、過去を見つめているように、見えます。
37:09 K: もちろんです。全くです。 「私」は、壺に、籠に入っています。(笑) それが見ています。全くです。
37:19 S: そのとおりです。
37:21 K: しかし「私」は、過去の産物です。
37:25 S: それは分かります。でも、私たちが経ていく飛躍は、何ですか - そこで私たちは・・・ 私はあなたへ、「それは分かります」と、言えます - 「私は過去の産物です。それは分かります」と。
37:36 K: あなたは、どのようにそれが見えますか。

B: 知的に、です。
37:38 S: 私は知的に、それが見えます。

K: そのとき、それが見えません。
37:41 S: それが、私が行こうとしていることです。

K: そのとき、あなたは、ごまかしをやっています。
37:44 S: そうです。私は知的に、それが見えて・・・ そのとおりです。 私は知的に、それが見えます。
37:53 K: あなたは知的に、これが見えますか。
37:54 S: いいえ。

K: なぜですか。
37:56 S: そこには、知覚の即時性が、あります。
37:59 K: 同じように、なぜ、真理の 知覚の即時性が、ないのでしょうか - すなわち、あなたは過去である、と。 それを、知的な事柄にしないで、です。
38:08 S: なぜなら、時が入ってくるからです。 私は、自分が時を経てきたことを、想像します。
38:12 K: あなたのいう、想像とは、どういう意味ですか。
38:14 S: 私は、三歳の自分自身のイメージを、持っています。 私は、十歳の自分自身のイメージを、持っています。 私は、十七歳の自分自身のイメージを、持っています。私は、それらが 時の中、順次、続いたと言います。 私は、自分自身が、 時をかけて発展してきたのが、見えます。 私は今、五年前の私より、違っています。
38:31 K: 違っていますか。
38:33 S: 私は、それが私がそのイメージを得たさまである、と申し上げています。 そのイメージは、発達順です。
38:40 K: それらは理解できます。

S: 時の中で、です。ですね?
38:42 B: ええ。
38:44 S: 私は、蓄積した出来事の束の 記憶の倉庫として、存在します。
38:52 K: それは、時がそれを産出したことを、意味しています。
38:56 S: そうです。それは時です。 それは分かります。
39:00 K: 時とは何でしょうか。
39:01 S: 私はちょうど、それをあなたへ叙述しました。 時は、私の記憶です。 記憶の中の動きです。
39:06 K: それは動きです。 それは動きです。

S: そのとおりです。
39:13 K: 過去からの動き。
39:16 S: そうです。私は、自分が三つだった時から、動いてきました。
39:21 K: 過去からです。それは動きです。
39:22 S: そのとおりです。三つから十、十七へ。
39:25 K: 理解できます。それは動きです。 さて、その動きは、実際ですか。
39:36 S: あなたのいう実際とは、どういう意味ですか。
39:38 B: または、それはイメージですか。

K: え?
39:40 B: それはイメージですか、または、それは実際の事実ですか。
39:42 K: ええ、そうです。
39:43 B: 私がいうのは・・・ 私は、自分自身についてイメージを持っているなら - 「私はこれが必要だ」と 言うように、です。でも、それは、実際の事実でないかもしれません。ですね?
39:51 K: イメージは事実ではない。
39:55 S: でも、私が感じる・・・
39:56 K: ああ、いいえ。あなたが感じることは、「私の経験」と言うのに、似ています。 あなたの経験は、最も不条理な経験なのかもしれません。
40:03 S: いえ。でも、それは、「見なさい。 あなたはこれをつづけている」と 言うことにより、私を放り出しています。 これは事実です。私は、実際のことを、叙述しています。
40:11 B: でも、それが、イメージについての まさに論点です。 それは、実際の事実を模倣する、と。 分かりますか。あなたは、それが実在するとの感じが、します。 言い換えると、私は、自分が本当にそこにいる、と感じます - 実際の事実だ。 過去を、私がどう発達してきたかを、見つめている、と。ですね?
40:23 S: そうです。
40:24 B: でも、それは事実ですか - 私がそうしている、ということは。
40:27 S: それはどういう意味ですか。 私が、その感じを得るのは、実際の事実です - 私がそれを見つめている、と。
40:32 B: ええ。でも、それが、すべてのありさま、あったさまなどだ、というのは、 実際の事実ですか・・・ その含意すべてが正確だ、ということは、です。
40:43 S: いいえ。それは実際ではない。 私は、自分の記憶の不正確さが、見えます - それが、時の中で私を構築します。 明白に私は、三つのとき、思い出せるのより、はるかに多くのものでした。 私は、十のとき、思い出せるのより、はるかに多くのものでした。 十七のとき、私が記憶に持っているのより、明白に、 実際には、はるかに多くのことが、つづいていました。
41:05 B: ええ。でも、今ここにいる「私」が、 今、それらを見つめています。
41:10 S: そのとおりです。
41:11 B: でも、彼はそこにいますか。 彼は、見つめていますか。 それが問いです。
41:14 S: 「私」は・・・

K: ・・・実際ですか。
41:18 S: ・・・実際ですか。

K: これがそうであるように。
41:25 S: そうね・・・

K: それに拘ってください。
41:28 S: それが、私がしようとしていることです。 実際なるものは、この発達です。 発達順序についてのこのイメージです。
41:38 B: そして、それを見つめている「私」です。
41:40 S: それを見つめている「私」。 そのとおりです。
41:44 B: それは、私たちが滑り落ちることの一つだ、と思います。なぜなら、私たちは、 客観的に発達順序がある、と言い、で、「私」がそれを 見ていると、ほのめかしているからです - 私がその植物を見ているように、です。
41:54 S: そうです。
41:55 B: でも、それを見ている「私」は、 発達順序がそうであるように、イメージである、 ということかもしれないし、事実、そうなのです。
42:04 S: そうです。すると、あなたは、仰っています - この「私」のイメージは・・・
42:10 K: ・・・非実在です。 それは非実在です。
42:13 B: まあ、唯一つの実在は、それが思考だ、ということです。
42:15 K: ええ。
42:16 B: それは、考えることより独立した実在ではない。
42:18 K: で、私たちは戻って、実在とは何かを、見出さなければなりません。
42:22 K: 実在は、思考が組み立ててきた物事すべてである、と私たちは言いました。 テーブル、幻影、教会、国家、民族 - 思考が発案してきた、組み立ててきた 物事すべては、実在です。 でも、自然は、その実在でない・・・

S: そうです。
42:41 K: 思考により、組み立てられていないが、それは実在です。
42:45 B: それは、思考に依存していない実在です。
42:46 K: 思考に依存していない。

S: そうです。
42:48 B: でも、そうね、見ている「私」は、自然のように、 思考に依存していない実在ですか。
42:55 K: それが論点全体です。 理解されましたか。
42:58 S: ええ。私は見えはじめています。 質問をさせてください。 あなたにとってのその違いについて、何かを言えますか - あなたの・・・ いや、それは公平でない。 私は言おうとしていました - あなたにとって、この知覚、これについての知覚と、 「私」についての知覚の間に、 何か違いが、ありますか。
43:23 K: これは実在しています。 「私」は実在していません。
43:25 S: 「私」は実在していないが、「私」についての知覚は?
43:28 K: それは存在していません。
43:31 B: 仮に・・・
43:32 S: イメージについてのあなたの知覚は・・・
43:35 K: 私はイメージを持ちません。私がイメージを持たないなら、どこに「私」がありますか。
43:39 S: でも、私は、「私」のイメージを、持っています。 「私」についての、私の知覚は、何ですか。
43:44 B: それは別な形で、表せるでしょうか。 仮に、あなたは、奇術を見ている、とします。 のこぎりで、女が半分に切られているのを、知覚します。 それから、仕掛けが見えるとき、 この女についての、あなたの知覚は、何でしょうか - のこぎりで、半分に切られている女の、です。 それは、彼女がのこぎりで、半分に切られていないからではない。 私は、こう言おうとしています - 奇術の仕掛けを見抜けないかぎり、一見、実在だと見えるものは、 誰かが半分に切られていることです。 でも、あなたは、一定の点を見逃してきましたが、 自分が見逃してきた点が、見えるとき、 あなたは、誰も半分に切られているのを、見ません。
44:16 S: そうです。
44:18 B: 仕掛けが、見えるだけです。
44:20 S: で、私は、その本質を見逃してきました。
44:23 K: いえ。単純でありましょう。 私たちは、自分たちがイメージを持っている、と 言いました。 では・・・ 私は、自分がイメージを持っているのを、知っています。 あなたは私に、それを見つめるよう、 それに気づくよう、イメージを知覚するよう、語ります。 知覚者は、知覚されるものより、違っていますか。 それが、私の問いのすべてです。

S: 分かります。分かります。
44:55 K: なぜなら、彼は違っているなら、 葛藤の過程全体が、果てしなく 続いていくだろうからです。ですね?でも、分割がなく、 観察者は観察されるものであるなら、 問題全体が変化します。
45:10 S: そうです。
45:12 K: いいですか? で、観察者は、観察されるものより、違っていますか。 明白に違っていない。 で、私は観察者なく、そのイメージを見つめられますか。 観察者がないとき、イメージがありますか。 なぜなら、観察者がイメージを作るから、 なぜなら、観察者は思考の動きであるからです。
45:48 B: すると私たちは、それを観察者と呼ぶべきではない。 なぜなら、それは見ていないから。 言語は混乱します。

K: ええ、言語は。
45:54 B: なぜなら、「それは観察者だ」と言うなら、それは、 見ている何かを、含意するからです。

K: ええ、全くです。
45:58 B: あなたが本当に仰ろうとしているのは、 思考が動いていて、イメージを創り出している。 まるで、それが見ているかのように。 でも、何も見られていない。 ゆえに、観察者はない。
46:07 K: 全くそうです。でも、それを、逆に表しましょう。 思考なしに、考えることがありますか。
46:13 B: 何ですか。
46:14 K: 思考なしに、考える者がありますか。
46:17 S: いいえ。
46:19 K: そのとおり。そういうことです! 経験者がないなら、経験がありますか。 で、あなたは私に、自分のイメージを見つめるよう、頼んできました。 あなたは、「それを見てください」と言いました。 それは、とても深刻で、とても透徹する要求です。 あなたは言います - 観察者なしで、それを見てください。 なぜなら、観察者は、イメージの作り手であるからです。 もし観察者がないのなら、 思考者がないのなら、思考はない。ですね? で、何もイメージはない。 あなたは私に、何か甚大に意義深いことを、示してくれました。
47:22 S: あなたが言われたように、問いは、完全に変化します。
47:25 K: 完全に、です。それは去ってしまった。 私はイメージを持ちません。
47:28 S: それは完全に違った感じです。 それはまるで・・・静寂があります。
47:33 K: で、私は言っていました - 私の意識は、 世界の意識であるので - なぜなら、本質的に、それは 思考の物事で満たされているからです。 悲しみ、恐れ、楽しみ、絶望、心配、 執着、無執着、望み・・・ それは、混乱の騒動です。 それらには、深い苦悩の感覚が、関与しています。 その状態において、あなたは、どの人間とも、 どんな関係をも、持てません。 で、あなたは私に言います - 最も大きく最も責任ある関係を持つことは、 イメージを持たないことなのです。
48:33 S: それは、「有るもの」へ応答できることです。
48:36 K: それを翻訳しないでください。
48:38 S: そうです。これは、(語源的に)応答できる、ということです。
48:40 K: ええ。

S: それを開く。
48:42 K: で、あなたは、私に指し示してきました - イメージから自由であるには、 イメージの作り手が不在でなければならない、と。 イメージの作り手は、過去です。 観察者です - 「私はこれが好きだ」、「私はこれが好きでない」、 「それは私の妻だ、私の夫だ、私の家だ」と言う者、です。 付いてきていますか。 「私」 - 本質的にイメージであるものです。 で、そうね、私はこれを理解しました。 さて、次の問いは、こうです - イメージは、深くて、 隠れていますか。 イメージは、隠れていて、 私は、それらに取り組めない。 それらを、捉えられないのか。 付いてきておられますか。 それらは、洞窟に、地下にあり、 どこかに隠れていますか。 それらがある、とあなたは私に語ってきたし、 あなたたち、専門家みんなが、私に語ってきた。 「ええ、地下のイメージが何十もある」と。 私は、あなたを 受け入れるからですが、私は言います - 「いやはや、 彼らは知っているにちがいない。 彼らは、私より、はるかに多く知っている。 ゆえに、彼らはそう言う」と。 で、私はそれを受け入れます。 「ええ。地下のイメージがある」と、私は言います。 さて、私はどうやって、それらを発掘し、 それらを、はっきり露出させるべきでしょうか。 そうね、あなたは、私、普通の人を、 ひどい立場へ、入れてきました。
50:17 S: あなたは、それらを発掘しなくていい。 ひとたびこれが、あなたにとって、明らかであるなら、何も・・・
50:23 K: いえ、あなたはすでに私の中に、毒を確立しました。
50:28 S: あなたは、もはや存在しません。 ひとたび、あなたにとって、 観察者は観察されるものであることが、明らかであるなら・・・
50:37 K: ゆえに、あなたは、無意識はない、と言っています。
50:40 S: そうです。

K: ああ!専門家のあなたが、ですか?
50:42 S: いえ、私が言った・・・(笑)
50:46 K: あなたは、自分の患者さんたちへ、果てしなく、無意識について、話をしますが。(笑)
50:50 S: いえ、私はそうしません。(笑)
50:53 K: ゆえに、あなたは、無意識はない、と言いますか。
50:56 S: そうです。
50:58 K: あなたに同意します!そのとおりだ、と私は言います。
51:01 S: そうです。
51:03 K: あなたは、観察者が観察されるものであり、 観察者は、イメージの作り手であることが、見えた瞬間、それは終了しています。
51:11 S: 終了しています。そうです。

K: すっかり、です。
51:15 S: それが本当に見えるなら・・・
51:16 K: それなんです! それで、私が知っている意識 - その中で私たちは生きてきましたが - それは、ものすごい変容を、遂げたのです。 遂げましたか。 あなたにとって、遂げましたか。
51:38 S: うーん。
51:39 K: いえ。そうなさらず・・・あなたにとって、遂げましたか。 私がお訊きしてもいいなら、ボーム博士、お二人は・・・ 私たちみんなは、観察者は観察されるものであることを、悟って、 ゆえに、イメージの作り手が、もはや存在していない。 それで、意識の内容 - それが、意識を作り上げるのですが - それは、私たちが知っているとおりではない。 ですね?そのとき、何か? もう、五分間、あります。
52:34 S: そこで、どうお答えすべきかを、私は知りません。
52:36 K: これは・・・いいですか? 私は、この質問をしています。 なぜなら、 そこには、冥想が関与しているからです。 私は、この質問をしています。 なぜなら、宗教的な人々すべて、本当に真剣な人たちは - 私は、導師たちや彼らのたわごとについて、話していません - 本当の真剣な人々、 この疑問へ入ってきた人たち、です。 私たちは、日常生活で、 この意識の区域の中で、生きるかぎり - 心配、恐れとその他すべての(意識の)中、 そのイメージすべてと、イメージの作り手とともに、にです - 私たちが何をしようとも、それは、やはりその区域の中に、あるでしょう。ですね? 私は或る年、禅に加わり、禅僧になり、頭を剃り、 あらゆる種類のことを、するかもしれません。 それから、別の年、私は行って、誰か導師の・・・ 誰か導師に従う、などなど。でも、それはいつも、その区域の中にある。
53:49 S: そうです。
53:50 K: で、思考の動きがないとき、何が起きますか。 その動きはイメージ作りですが、そのとき、何が起きますか。 質問を理解されますか。 時は、思考の動きですが、 時が、終わるとき、何がありますか。 なぜなら、あなたは私を、この点まで、導いてきたからです。 私はそれを、よくよく理解します。 私は、禅仏教を試してきました。 私は、禅の冥想を試してきました。 私は、ヒンドゥーの冥想を、試してきました。 私は、あらゆる種類のみじめな実践、 それらを、試してきました。 私は、あなたに出会い、 あなたに聞いて、私は、「いやはや、 これは、何かとてつもないことだ。 これらの人々が言っていることは」と言う。 彼らは言う - イメージを作る者が、ないとき、 意識の内容は、 根本的な変容を遂げるし、 思考は、終わりになる。 例外は、それが、 知識、その他すべてが、 絶対的に、自らの正しい所を持つとき、だ、と。 で、思考は終わりになる。時は止まる。 そのとき何か?理解されますか。 それは、死ですか。
55:21 S: それは自己の死です。
55:22 K: いえ、いえ。 もう三分間、あります。 もう一分間、あります。
55:33 S: それは、自己の破滅と同じです。
55:35 K: いえ、いえ。それ以上です。
55:39 S: それは、何かの終わりです。
55:40 K: いえ、いえ。ただ聞いてください。 思考が止まるとき、イメージを作る者がないとき、 意識に、完全な変容がある。 なぜなら、 心配がない、恐れがない、 楽しみの追求がないからです。 騒動、分割を創り出す 物事は、何一つ、ない。 何が生じてくるのか。 または、何が起きるのか。 経験として、ではない。 それは外れたからです。 そこに、何が起きますか。 - 付いてきていますか - 私は見出さなくてはいけないからです。 あなたは、私を、間違った道に導いているかもしれません! 私たちは止めるべきだと、思います。