Krishnamurti Subtitles
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BR81T4 - 冥想とは何なのか。
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| 1:11 これが最後の講話です。 一週間全部、こうも良い天気に 恵まれたことが、うれしいです。 イングランドにしては、 変です! |
| 1:33 今朝、私たちはともにじっくり 話し合うべきだと思います - 冥想についてだけではなく、 宗教的な生が何であるかに ついても、です。 私たちはまた、ともに考慮すべき です - 美しさとは何ですか。 宗教的な生、美しさと 冥想は、相伴います。 それらは、分離した 状態(ではなく)、 部門化され、分離しておかれる べきものではありません。 で、もしも今朝、私たちが ともに初めに考慮できたなら、 美しさとは何ですか。 |
| 2:50 これは重要な問いであると 私は思います。 美しさは、人が創り出してきた あれらの物事にあるのかどうか - 絵画、彫刻、詩歌、 文学(にあるの)か、 そして、自然の美しさ、 麗しい夕べ、 明るい星と、 輝く日の光 - 丘、山と谷の 中の沈む夕日の光、 そして、野生の動物、 ここ、この国で私たちは ほとんど彼らすべてを 滅ぼしてしまいました。 彼らは今でも存在しています。 で、私たちはともに 考慮すべきです - 美しさは 絵画や詩歌にあるのか、 または自然にあるのかの 問いを、です。 またはそれは、何か 全面的に違ったものですか。 4:30 顔の美しさ、 詩歌の麗しさ、 日の入りの大きな喜びと、 広い水面と、 飛ぶ鳥と、 木の葉の間のそよ風。 そのすべてが 美しさであるのかどうか。 または、あなたが青空に 聳える山を見つめるとき - 深い谷と影、 あなたが何か尋常でなく 大きなものを見つめるとき、 自らが持っている問題すべてが この瞬間に拭い去られています。 あなたはその前にいます。 静寂で、静かです。 そこでは、 山の大きな、壮大さが あなたの自己を 追い払ったのです - 日々の生の問題すべてを ともなった自己を、です。 あの大きな岩があなたの諸問題を 一秒間、追放したのです。 6:17 で、玩具をもらった子どもの ように - 複雑な玩具を、です。 彼はしばらくの間、 それに没頭します。 ついに彼がそれを壊すのか、 それに飽きてしまうまで、です。 で、人間たちもまた山の玩具に 没頭します(占有されます)。 または、サッカーに、です。 または、自らが寺院に入るとき - 世界の寺院、神殿に、です - そこには一定の静寂の性質と それらが、あります。 それもまた、人間たちが当分の間 彼ら自身を忘れるのを助けます。 その忘れる中で、彼らは 美しいものを堪能します。 一秒の間です。 すなわち、自己がないところ、 美しさがあります。 7:26 その美しさは、映像、 絵画に、ありますか。 モーツアルトやベートーヴェン の協奏曲に、ですか。 または、 キーツの詩に、ですか。 または、自分自身から 全的に自由であり、 世界を見つめることは、 可能ですか。 そのとき、そこには 大いなる美しさが、あります。 そこであなたは何にも没頭して (占有されて)いません。 何かがあなたを 連れ去りません。 または、何かの 壮大さ、荘厳さこそが、 自己を一秒間、追い払う。 問題すべてをともなった その自己の不在が、あるとき、 そのとき、大いなる 美しさが、あります。 何かにおいて、外面的にか 主観的に、ではなく、 自らの生のきわめて 複雑な諸問題です。 それは、自己の問題です - 利己性、苦悶などです。 そのすべてから自由である - 全的に、完全に、です - そのとき、大いなる 美しさが、あります。 地上の、他のどこにも 見つけられない美しさです - どの絵画や どの詩歌においても、です。 9:23 で、それは 冥想の一部です。 |
| 9:28 また私たちはともに、じっくり 話し合おうとしています - 宗教的な生は何ですか。 そして、冥想は何ですか。 私たちは冥想でもって始める べきだと、私は思います。 冥想とは何ですか。 その言葉は、インドから もたらされてきました - 不幸にも、 ごく最近に、です。 なぜなら、彼らはそれとともに たくさんの体系、方法と、 あらゆる種類の空想的な 想像力豊かな思想と、 様々な種類の思考の投影物を もたらしてきたからです。 禅の冥想があります。 たぶんあなたは、これら すべてのことについて、 聞いたことがあるでしょう。 そしてまた、チベットの冥想、 仏教の冥想、 多様なヒンドゥーの 冥想も、です。 そして、自分の冥想をも 創案できます。 11:01 そして、自らが論理的に 観察でき、見られます - すなわち、 どの形の課業も、 何度も何度も何度も 反復すること、 一定の言葉、(例えば) アヴェ・ マリアや、 あなたがコインで買って きた何か言葉を、ですが、 それらの言葉を 反復することは、 精神をもっと 鈍くするだけです。 精神や頭脳を、一定の 様式で継続させるのです。 これらすべての冥想は 基本的に - もしあなたがそれに入って、 それを研究してきたか、 それをしてきた人々へ 話してきたか、 あなた自身がそれを してきたなら、 それらの基礎は、制御です - 思考を制御すること 修練すること、 気づいていること、 大きな努力を 行使することです - 気づいているよう、集中する よう、注意するように、です。 12:48 このすべてには、 意志の行使があります - あなたがそれを 研究してきたなら、 または、あなたたちの 幾人かが 様々な形の冥想を 実践してきたなら、です。 またあなたが、一定の マントラを反復することにより、 - 良い言葉が 台無しにされました - いわゆる超越冥想のどれかを やったことがあるなら、です。 これらすべての形、 これらすべての努力、 実践ですが、 それらは、日々の生に どんな関係を持っていますか。 それは逃避の形ですか。 または、何かを 理解しようとか、 何かを経験しようと することですか - すなわち、そのとき あなたが考える道筋全体を 変更するであろうものを、 です。 そしてそのとき、 あの経験は、自らの生の道を 全的に変更するでしょう。 14:12 すなわち、冥想する - それが 何を意味しようとも、です - そのときその冥想が、 どうにか 自らの生きる道筋を 変更するでしょう。 それが、この冥想の問題 全体への一つの接近です。 私たちがなぜそれを問題に してしまったのかを 私は知りませんが、 見たところ、それは 問題になったのです。 |
| 14:53 または、自らの日々の 生に、秩序をもたらす。 何らかの形の順応、模倣に 基づいた秩序ではなく、 思考の動き全体を 理解することです - 日々の生において、私たちの 互いとの関係において、です。 それで、私たちは初めに、 自分の家を秩序立てるのです。 そして、日々の生に その秩序をもたらすことが 冥想の一部です。 これら二つの接近が あります。 |
| 15:51 第一は、伝統的なものです - 初めに冥想しなさい。 あなたの思考を制御し、 集中しなさい。 あなたの手、足指のあらゆる動き に、気づきなさい。 それらです。 それでもって始めなさい。 するとそれが、あなたの日々の 生を変容させるだろう、と。 初めに、それについて じっくり話しましょう。 そういう冥想の含蓄は 何ですか。 私たちはどちらか一方を、拒否 したり非難したりしていません。 私たちは、冥想の問い全体を ともに検討しています - それが本当に 理解されるとき、 とてつもない意義を 持つものを、です。 で、初めにともにこの冥想 の問いを、検討しましょう - そのときそれは、 私たちの生へ流れ込み、 生の悲惨全体を 変更するでしょう。 |
| 17:20 あなたが、第一の範疇で 冥想するとき - もしそのように 表せるなら、です - あなたは、一定の姿勢で 座り、適切に呼吸し、 自分の思考を制御し、 集中します - 何かの言葉に対して、あるいは 言葉である響きに対して、です。 そして、あなたのエネルギー 全体を、何か概念に載せます。 そして、自分の思考を 彷徨わせません。 それで次第に、無数の 実践の日々をとおして、 あなたは自分の身体を 制御するだけではなく、 あなたはまた、思考の 動きこそをも制御します - 集中をとおして、です。 それが一般的に、 実践する人たちにより 冥想だと理解されて いるものです。 |
| 18:49 さて、集中において 何が起きますか。 どうぞ、私たちが 言いましたように、 私たちはともに 考えています。 私たちは、どんな法をも 定めていません。 私たちは、このためや あのために どんな種類の宣伝も していません。 私たちはともに、何が正しい冥想 であるかを、検討しています。 その検討の中で、 私たちは、 集中に関与している含蓄 すべてを、考慮すべきです。 観念へ、画像へ、象徴への 集中には - あるいは、 言葉へ、です - そして、 言葉の響きに従う。 なぜなら響きは、とてつもない 重要性を持っているからです。 私たちは時間があるなら、 今すぐそれに入るでしょう。 集中は、あなたの エネルギーすべてを 焦点化することを、 意味しています - 力で思考を一方向に、 一定の点へ強いることを、です。 学校で学生は それをします。 20:23 彼は窓の外を見たい。 あのヤモリが 通り過ぎるのを見たい。 あの蜘蛛が巣を紡いで いるのを、見守りたい。 または、鳥を、です。 そして教師は、「あなたの 本に集中しなさい。 窓の外を見るな」と 言います。 で、彼は次第に 集中するのを、学びます。 それは、思考を焦点化する、 という意味です。 しかし、思考は彷徨います。 それが、その本性です。 動き、流れです。 で、制御者と 制御されるものが、あります。 それが、集中に含蓄 されているものです。 抵抗、 それを狭めることと、 それを一定の点へ 焦点化することです - 言葉の反復によってか、 マントラを買うこと、 相手を大金持ちに することと、 それらを追求する ことによって、です。 |
| 22:02 「マントラ」という言葉は - 不幸にもみなさんは、それに ついて聞いてきました - その根本的な意味は、 冥想する、ならないことに ついて熟慮する、です。 そしてまた、自己中心的活動 すべてを、片付ける、です。 それが、その意味です。 ならないことについて 熟慮する、 あらゆる種類の自己中心的な 活動を片付ける。 意味を理解されますか。 あなたはそれを買えません。 あなたは、 二十分、三十分の間、 反復し、反復することにより それを実践できません。 よろしいですか。 それとともに 進んでいく戯言すべて、です。 また、冥想センターも あります - 仏教のもの、ヒンドゥーのもの。 それは、良い集り(たかり)です。 |
| 23:23 そして、集中。 誰が制御者であるのかを 理解しなければなりません。 「私は、自分の思考が 彷徨わないように 制御しなければならない」と 言うのは、誰ですか。 誰が制御者ですか。 そして、彼が制御しようと しているものは? それらは、二つの 別々のものですか。 これは、理解することが きわめて重要です - それが指摘されるのを、 お気にされないなら、ですが。 制御者と制御されるものとの 間に、分割があるかぎり、 格闘があるに ちがいありません。 思考は 彷徨ってしまいます。 あなたは意志により、 それを引き戻します。 意志は、欲望の本質です。 24:30 その欲望は、一定の結果を 達成すること、 または、一定の状態を 経験することです。 それで、集中の中で、この 闘いが、進みつつあります。 もちろんあなたが、完全な 集中を達成できるまで、です - それは、思考が思考により 制御されることです。 それで、思考はその焦点から けっして動いて離れないのです。 それは機械的です。 明白です。 あなたは それらを見られます。 それは、自らの日々の生を 変更しません。 なぜなら、その冥想の中、 その集中の中で、 あなたは、何でも欲しい ものを、経験できるからです - あなたの条件づけに応じ、 あなたの知識に応じ、 あなたの欲望に 応じて、です。 25:44 で、それが、一つの 種類の冥想です。 それは、アジア世界中で 実践されてきたのです。 一定の姿勢を取り、 集中し、反復しなさい。 それで、精神や頭脳を 静かにしなさい。 それは頭脳を、ますます課業にし、 鈍らせ、昏睡させることです。 そういう冥想を 実践する人たちは、 社会的な変化を もたらしてきませんでした。 または、彼ら自身に 根本的に変化を、です。 彼らは、 もっと洗練されている、 もっと理論的に関与して いる、などかもしれません。 それが、一つの種類です。 |
| 26:38 他方は、初めにあなたの家を 秩序立てることです。 もし家が、深い基礎を 持っていなかったなら、 家は、ほとんど重要性が ありません。 で、私たちが今 考慮している他方は、 私たちが秩序をもたらせるのか どうかを、見ることです。 それは芸術です。 秩序の青写真に従う だけではない。 なぜなら、秩序は 生き物であるからです - 道徳が生き物である ように、です。 美学や行いは、生き物です。 で、私たちがその家を 秩序立てないなら、 愛なく、私たちが 何をしようとも、 恐れなく、人間の間の 正しい関係を見出す。 そこに、深い基礎を 敷くことなく - すなわち、 私たちの日々の生に、です。 「生」と呼ばれる抽象ではない。 28:21 で、その秩序における修練が 何であるかについて、 考慮しなくてはいけません - そして記憶がそこで どんな役割を果たすのかに ついて、です。 すなわち、知識が、ですが、 昨日私たちはそれに入りました。 で、それは可能ですか - この現代世界に生きていて、 社会は崩壊しつつあり、 諸政府の権威 - それら(政府)は無能であり、 部族主義に従うし、 ゆえに、もっともっと 戦争を創り出し、 人類にもっともっと悲惨を 創り出していますが、 私たちはこの世界に、 現代世界に生きられますか。 私たちの日々の生を 追求しつつ - 職、関係、 自らの日々の生の存在の 問題全体、ですが - 絶対的な秩序が ありえますか。 それが本当に、冥想に おける第一の問いです。 |
| 29:49 「冥想」(メディテーション) という言葉はまた、 測量することをも 意味しています。 サンスクリットでも、その言葉 「冥想する」の根本の意味は、 測量することです。 測量は、この、 なる行為だけではない - 「私はこれだ。 私はあれになるだろう。 私はさらに 良くなるだろう、と。 この登るとの観念 - もっと もっともっと良くなる、 もっともっと尊くなる、 もっともっと怒らないとか 暴力的でなくなるとかなど (の観念)は、測量です。 私たちの頭脳は、測量する よう訓練されています。 この測量は、 古代ギリシャ人により 西洋世界に 与えられました - それらギリシャ人からの 彼らの哲学、民主主義に、 西洋世界の数学的、哲学的 世界全体は、基づいています。 測量はテクノロジーです。 31:15 それが、私たちが理解しつつ ある言葉の一部です。 その言葉の意味は、 測量することです。 アジア世界は、「測量は 幻影である」と言います。 これに付いてきてください。 面白半分で、です! 幻影です。 で、彼らは、テクノロジーの 世界を、見つめます - 彼らはそれに満ちている けれども、です。 現在、インド人たちが 西洋にやって来るとき、 彼らは、大変多くの 物事を発明していますが、 彼らの血に、彼らの過去には、 この観念が、あります - すなわち、あらゆる形の測量は 技術的でなければならないし、 ゆえに霊的ではない。 ゆえに、測量不可能なものを 探し求めろ、と。 32:18 その順序に 付いてこられますか。 で、測量不可能なものを見つける ために、意志を行使しろ、 思考を制御しろ、と。 轍全体に戻っています。 これに 付いてきておられますか。 あなたがそれに入り、 それを観察するなら、 それはとても興味深い。 人がいかに 自分自身に悪戯をし、 測量は幻影であると 否認しながらも、 測量に捕らわれている。 |
| 32:51 で、それが、 冥想の意味の一つです。 どうぞ、あなたがそれにきわめて きわめて深く入りたいのなら、 測量なく生を生きることは 可能ですか。 すなわち、比較なく、 どの形の心理的 模倣もなく、です。 なぜなら、そのすべては 測量であるからです。 頭脳は百万年間、測量する よう訓練されてきましたが、 その頭脳は、自らの 条件づけを脇に置き、 新鮮でありえますか。 それが、冥想における 主題の一つです。 答えられなければ ならない主題です - あなたが本当に 見出したいのなら、です。 自らが本当に真剣であり、 永遠であるものを - 永遠が存在するなら、です - 見出すのか、 生じさせるように するのなら、です。 それが冥想の一部です。 |
| 34:29 また、自らが真剣であり、 それに入りたい、 知識に自らの所を 与えたいのなら、です。 なぜなら、知識なしには、 私たちは互いに意思疎通 できないであろうからです。 知識なしには、私たちは 車を運転したり、 オフィスへ行ったりなど できないでしょう。 で、知識は、私たちの日々の 生に、自らの所を持ちますが、 心理的な知識が、私たちが 関心を持っているものです。 その心理的な知識は、 世代に次ぐ世代をとおして 蓄積されてきました - 共同社会の知識、 家族の知識、 伝統的な知識だけではない。 自らが取得してきた知識。 そのすべての心理的な知識は 終わりえますか。 35:40 さもなければ、それは 投影するでしょう - すなわち、記憶、思考、 行為の一部である知識が、です。 その知識の本性が、完全に 理解されないのなら、 それは必然的に、あらゆる種類の 幻影に繋がるにちがいありません - あらゆる種類の 神経症的な行為に、です。 そこには、正気は ありません。 それが、冥想における 私たちの問題の一つです。 |
| 36:31 もう一つの、より深い 問題は、こうです - 頭脳は、常に 記録しています。 意識的、無意識的な、あなたの 反応を記録しています。 心理に影響する、あらゆる 出来事を、記録していますが、 その記録は 止まりえますか。 どうぞ、冥想は何かあなたが 玩べるものではありません - あなたが 真剣であるなら、です。 あなたはそれを、玩べます。 それは、あなたの案件です。 しかし自らが、冥想の本性全体へ きわめて深く入りたいのなら、 このすべてを究明し、絶対的に 明らかでなくてはいけません - 漠然とし空想的だったり、想像力 豊かであったりではなくて、です。 37:43 この記録、すなわち 心理的な知識です。 なぜなら、それが、起きて いることであるからです - あなたが、何か私に有害な ことを、私に語るとき、です。 すなわち、あなたは私を侮辱 するか、私にへつらいます。 どちらも同じです。 それは記録されます。 それは知識になります。 この頭脳のその記録は、 それが必要である ところで作動できて、 心理的に必要でない ところで、終わりえますか。 私たちは、これらにおいて ともに働いていますか。 または私が 話していて・ ・・ たぶんそれはすべて、あなたに とって新しいのでしょう。 |
| 38:44 で、何が、記録の終わりを もたらすのでしょうか。 その重要性を 理解されますか。 私は侮辱を記録します。 それは私を 損傷しました - 私が自分自身について持って いるイメージを損傷しました。 そのイメージは、あなたの 侮辱により傷つきます - あなたの言葉により 仕草によって、です。 または、そのイメージは へつらいをとおして強まります。 あなたが来て、 私に、「あれは 何とすばらしい講話だった のか」と語るとき、です。 頭脳は、その知識を記録 します。 理解されますか。 で、あなたが侮辱するか、へつらう とき、何の記録をも持たないこと。 それは、学ぶことです。 記録する過程を 学ぶこと - 記録する中に、何が 含蓄されているのかと、 その記録することの 帰結を、です。 あなたが私にへつらうとき、 あなたは私の友だちです。 あなたが私を侮辱するとき、 あなたは私の敵です。 あなたは外国人、 野蛮人です。 しかし、あなたが快い、 その他すべてのとき、 そのときあなたは、 私の友です。 40:39 で、記録することの帰結は きわめて表面的ですが、 それは、 その、もっと深い層です。 深い出来事の(記録)、 深い関係、深い経験の記録です - すなわち、自らは 取りすがるところのもの、 理論的、実践的などの 結論、 それらすべてが 記録することの形です。 その記録の上に、私たちは 生きます - 心理的に、です。 もちろん、どうオフィスへ行く のかを記録しなければいけません - 一定の時間にバスに 乗る、などなどです。 もしあなたが大工、外科医や 科学者であるなら、 記録がなければ なりません。 科学者たちが世界を助けて いる、ということではない。 41:46 一定の形では助けていますが、 他の形では、彼らは、 人の破滅をもたらすのを 助けています。 なぜなら、詩人、芸術家、科学者は 部分的な洞察を持つからです。 全的な洞察を持つのは、 宗教的な精神だけです。 |
| 42:18 で、それは可能ですか。 絶対的に必要なことを 記録するだけで、 他の何をも 記録しない頭脳を、持つ。 それの美しさを 理解されますか。 そこには、ものすごい 自由が、あります。 それが本当の自由です。 お金が与える自由とか、 何か空想的な、想像力豊かな 自由の観念ではありません。 それが、冥想における 問題の一つです。 すなわち、学ぶことです。 なぜなら、学ぶことは、一定の 秩序を要求するからです。 「修練」(ディシプリン)という 言葉は、学ぶことを意味しています。 それは、「学徒」(ディサイプル) という言葉から来ています - すなわち、師匠から 学びつつある人です。 43:24 あなたは、私から 学びつつありません。 私たちはともに じっくり考えています。 しかし、学ぶこと - 順応するのではなく、 服従するのではなく、 反復的ではない - 「私はこれを読んできた。 あなたはあれを言ってきた。 あなたがいうこれは、 どういう意味か。 説明してください」 ではない。 それは、あなたが学んで いない、という意味です。 学ぶことは、 観察することです - 頭脳がどう記録するのかを 観察することです。 あなた自身が それを見守れます。 それはきわめて単純です。 あるものを記録する・ ・・ それは、あらゆる物事を記録する ことが必要であると、考えます。 なぜなら、それは安全を 探し求めているからです。 なぜなら、頭脳は オフィスへ行くとき、 記録しなければならないから です。 なぜなら、そこでは お金を取得するなどなどのため にそれが必要であるからです。 44:32 またそれは、心理的な知識 すべてを蓄積することが 必要であると、考えます - すなわち、過去の世代に 次ぐ世代において 集めて、まとめられてきた ものを、です。 それが、「私」の構造です。 そこに、それは 安全を探し求めます。 で、私たちはそれに 入りました - 智恵の中以外、 安全はないのです。 あなたのや私のではない 智恵です。 愛、慈悲があるときだけ、 その智恵は、訪れえます。 私たちは昨日、それに 入りました。 |
| 45:21 で、冥想は、すべての体系 の無益さを理解すること、 それについて 学ぶことです - すべての体系は 間違っているとか 正しいとか 言うことではなく、 体系の含蓄を学ぶことです (含蓄)それは、誰かが 定めた様式に従うことです - 「私は知っているが、 あなたは知らない。 私は導師だ。 これに従え」と 言う誰か(のものに)、です。 - それは、あまりに 子どもっぽい。 しかし、私たちはみんな、 誰かに従いたいのです。 それが奇妙であるか、不条理 であればあるほど、大きい。 私たちは、こうも 騙されやすい。 |
| 46:18 他方の問いは こうです - その知識は 一定の所を持っているし、 心理的な知識は 全然、不必要です。 なぜなら、もし私が あなたに関係しているなら - 妻や夫や、彼女として (のあなたに)です - その関係が、記憶に 基づいているなら - 記録された出来事に (基づいて)です。 あなたについてイメージを築く し、あなたは私について築く。 そのとき その関係において、 その記録において それは単に記憶です。 そして私たちは、言って きました - 記憶は愛ですか。 私たちは昨日、 それに入りました。 知識は愛ではありません。 反対です。 知識は悲しみをもたらします - 心理的な知識は、です。 で、それが、冥想における 問いの一つです。 |
| 47:32 他方は、常なる観察と学びの 状態に、あることです。 それが、それ自らの 秩序をもたらします。 学ぶことは秩序です。 私は、良い大工でありたいなら、 学ばなくてはいけません。 木の性質、 正しい種類の道具、木目、 木の美しさ、その他すべてを 私は学ばなくてはいけません。 あなたは、庭師であるなら、学ば なくてはいけない、などなどです。 が、私たちの頭脳は 弛んでいます。 で、私たちは、最も容易い ものに、従います。 ゆえに、最も容易いものに 従わないことは、 あらゆる物事を疑う、 懐疑的であることです - あなたの聖典について、 あなたの導師について、 あなたの政治について、 あなた自身について、です。 なぜなら、疑いと懐疑は、 頭脳を浄化する、 頭脳を鋭くする、 明瞭さを与えるからです。 48:58 しかし、あなたは いつの時も疑えません。 あなたはそれを抑えておき、時々 それを放さなければなりません - 革紐に繋いだ犬の ように、です。 また、集中の動き 全体についても学ぶ - (集中)それはただ、思考の エネルギーを強めること、 制御することです。 思考のエネルギーを 制御することです - 意志により、順応により、 測量によって、です。 みなさんがこれらを しているのを望みます。 これは、一回の朝には 多すぎますか。 |
| 49:54 冥想はまた、 頭脳がけっして 没頭しない(占有されない) ことが可能であるのかどうかを 見出すこと、 学ぶことでもあります。 なぜなら、私たちの頭脳は いつの時も 没頭して(占有されて) いるからです - 神について、 セックスについて、 自分自身について、自分の 結論、信念について、ですね。 きっとあなたは自分自身を 見守ると思います - いかに自分の精神、頭脳が没頭して (占有されて)いるのか、です。 頭脳が没頭して(占有されて) いるとき、何も空間はありません。 知識が頭脳を没頭させてきた、 占有してきたとき、 どうしてその頭脳は、何か 本源的なものを経験できますか。 で、頭脳が混雑し、 没頭しているとき、 何か本源的なものを経験 するために、あなたは 薬物を摂ります - 何か奇抜な ものを経験するために、です。 あなたがそうします。 語り手は薬物 を摂ったことがあるのではないが、 彼は、薬物を摂ったことのある 多くの人々へ、話してきました。 51:33 彼らは、一定の経験をします - 彼ら自身の条件づけにより、 彼ら自身の欲望、意志など により投影されたのを、です。 (条件づけなど)それらを 彼らは、意識していません。 化学薬品はそれらの焦点を 変更するだけです。 時々、それは 大きな害を与えます。 二年間、薬物を 摂ってきたなら、 そのとき、あなたの 頭脳は、おしまいです。 または、あなたがしばらくの 間、それを玩んできたなら、 まだ何か希望があります。 で、自らは見出さなくては いけません - 頭脳はいったい すべての没頭(占有)から自由で ありうるのかどうかを、です。 すなわち、私たちは 言われつつあることを、 没頭した(占有された) 頭脳でもって聞いていますか。 52:38 または、あなた自身の頭脳が 今、没頭しているのかどうかを 見るように、その活動を 見守っていますか。 そこに静かに座って、それが没頭 しているのかどうかを、です。 あなたは聞くことに 没頭していますか。 または、ただ 聞いていますか。 違いが分かりますか。 理解されますか。 私はこれを 続けていいですか。 やれまあ! |
| 53:24 あなたが聞こうと 試みているとき - 努力して、「私は あいつが言うことを 理解しなければならない」 と言っているとき、 あなたは、聞くために 自分の意志を行使しています。 あなたは、没頭して (占有されて)います。 しかし、あなたが 聞いているなら、 語り手が言っていることは 理性的です。 彼はあなた自身を 説明しています。 で、あなたは語り手に 聞いていません。 あなたは、あなた自身に 聞いています。 ゆえにあなたは、きわめて 静かに聞いています - 何の没頭(占有)も なく、です。 すなわち、あなた自身に 気づいている - あなたはどう 聞いているのか、です。 54:21 この聞く中で、あなたは 学んでいますか。 または単に観察していますか。 違いが分かりますか。 あなたが観察しているなら、 蓄積がありません。 しかしあなたが、「私は彼が言って いることを学ばなければならない。 私は、彼が言っていることを憶え なければならない」と言うなら、 そのときあなたの精神は 没頭しつつあります。 ゆえに、その中であなたが 聞ける空間が、ありません。 同じように、没頭(占有)なく 観察する、ただ見る。 |
| 55:03 他方の、 もっと深い問題は、 頭脳がいったい静かで、 絶対的に止まりうるのか どうか、です。 それは、自らのリズム、 自らの動きを持っています - 私たちはそれについて 話していません。 あなたはそれを 止められません。 もちろん、あなたは 何かを摂るなら、 それを止められます - または死ぬなら、ですが、 私たちは思考が創り出してきた 動きについて話しています - それで思考は、いったい完全に 止まりうるのかどうか、です。 それが、冥想への 探究の一部です - 頭脳をどう止めるのか、 ではない。 そのときあなたは、何かの 形の愚行を実践できるし、 あなたは力で、頭脳を 強いられます。 力で思考を止められます。 よろしいですか。 それは機械的です。 で、冥想には、意志の行使が まったくありません。 ああ、あなたは、これらの 美しさが見えません! |
| 56:46 思考が完全に止まる ことは、可能ですか - すなわち、 時が止まることは、です。 SFの時間ではない。 思考としての実際の 時の動きが、です。 この問いは きわめて複雑です。 自らが思考の動き全体を 理解するのでなければ - 思考がどう作動するのか、 それが外側の世界と内側の 世界で何をしてきたのか、 知識の本性は 何であるのか、 経験をする経験者は 何であるのか、 または、考える思考者は (何であるのか)、ですが、 そのすべてが 思考の動きです。 百万年の間、考えるよう 教育されてきた頭脳 - なぜなら、私たちが することすべては 思考をとおして であるからです。 58:09 腕の動き - 私はそれを あの方向へ動かしたいから、 それはすべて 思考の動きです。 頭脳は、それに 条件づけられています。 あなたは、何か甚大に意義 深いことを、訊ねています - 条件づけに反して、です。 で、自らは、 思考の本性を学び、 自分自身で見出さなくては いけません - 強制、模倣、順応、意志を とおして、ではありません - 思考が絶対的に止まることが あるのかどうかを、です。 |
| 58:55 静寂は、多くの種類です。 あの犬の吠える声の間には、 静寂があります。 雑音が止まるとき、 一定の静寂があります。 二つの思考の間に、 静寂があります。 あらゆる物事が静かである とき、夕べの静寂があります。 ちょうど夜明けが来る前に 動きがないとき、 朝の静寂があります。 しかし、全面的に違った 静寂が、あります - すなわち、 頭脳の静寂であり、 思考の動きを 持たないものが、です。 その静寂にのみ、 神聖なものがありえます。 1:00:07 思考が創り出してきた物事は 神聖ではありません。 思考が創案してきた物事は、聖 (ホーリー)ではありません。 しかし私たちは、思考が創り 出してきた物事を、崇拝します。 私たちがやるゲームを 見てください。 すなわち、私は象徴、 人物像を崇拝します - その人物像、その象徴は、思考に より創り出され、創案され、 手によってか、精神によって 型枠に入れられています。 そのとき思考は、「私はあれを崇拝 しなければならない」と言います - それは、それ自体を 崇拝しています。 これをご覧になるのか どうかと、思われます! そして私たちは それへ祈ります。 |
| 1:00:55 で、これが冥想です。 あなたは、このすべてを 一歩一歩、通っていくのか - それは不可能です。 あるいは、あなたは 一目で、その全体を見ます。 違いを理解されますか。 私たちは、恐れ、楽しみ、 痛み、負傷、それらを 少しずつ、少しずつ考慮に 入れて、分析するのか 各々へ わずかな洞察を持つ。 そのとき冥想しようとする - それは明白に不完全です。 あるいはあなたは、それの 動き全体を見守ります。 それらはすべて互いに 関係し合っています。 あなたは、それらを 分離して、 「私は今日、これを分析しよう。 明日これをしよう。 明後日、あれを」とは 言えません。 1:02:13 しかしあなたが、それの動き 全体を観察できるなら - そして、動機や方向が まったく無いときだけ、 あなたはそれを 観察できますが、 その頭脳の静寂は 必要です。 というのは、その静寂の中に、 何か崇高なもの、 何か時がないものが 生じてこられるからです。 |
| 1:02:51 さて、問いはこうです - そのすべては日々の生において どんな価値を持っていますか。 冥想はどんな価値を 持っていますか。 私たちが話してきたことは - 第一の範疇ではない。 その冥想は、どんな価値を 持っていますか。 その質問をする中で、自らは また訊ねなければなりません - 宗教的な生は何ですか。 世界が今、存在するように、 テクノロジーは 最も重要なものです。 原子爆弾をもった すばらしい潜水艦、軍艦。 機械的な文化が、世界中に 拡がりつつあります。 それは、新しい宗教を もたらそうとしていません。 1:04:09 古い諸宗教は、自らの意味を すっかり失ってしまいました。 それらはやはり人気があり、 大変多くの資産、金銭、地位、 その他すべてを 有していますが、 それらはすべて 宗派的です - カトリックの世界、ヒンドゥー の世界、よろしいですか。 それらは、世界を砕いて、 彼ら自身の特定の形の 信念にしてきたのです。 一つの宗教が、残りの世界を 征服しようとしていません。 彼らはそうしたいのですが。 ヒンドゥー教徒、キリスト 教徒はそうしたいのです。 そして、機械的な世界は、今 組み立てられつつありますが、 それは新しい社会、新しい文化を もたらそうとしていません。 宗教だけが、いつも そうしてきたのです。 現在の宗教が、ではない。 1:05:25 で、宗教がなくてはなりません - 信仰の(それ)ではない。 信念ではなく、儀式 ではなく、権威ではない。 どれほど収益があり、 どれほど慰めになっても、 (上下の)位階的な 宗教構造は、 どの智恵ある 思慮深い人にとっても、 その意味をすっかり 失ってしまったのです。 思慮深い人は、それらを 全的に拒絶します。 |
| 1:06:09 で、宗教は、生の道です - すなわち、 私たちの日々の生において 正しい秩序の上に 築かれるものです。 そして、その中に 最も神聖なものが 生まれるところの冥想は - 神聖なものは、私の経験と あなたの経験であるのではない。 神聖であるものは 経験を持ちません。 あなたはそれを 経験できません。 なぜなら、あなたが それを経験するなら、 経験者があるに ちがいないからです。 これらに付いてきておられる のかどうか、私は知りません。 そのとき、私たちは 戻っています。 もし、「私は達成した。 私は開明した」と 言っている経験者が、 あるのなら、 まさにその言葉、 「私は開明した」 - それは、何か 忌まわしいものです。 で、その悟り - もし私たちの みんなが、それをできるなら、 私たちは、最も宗教的な 人々であるでしょう。 そのとき私たちは、新しい 文化に、責任があるでしょう - 恐れに基づかない ものに、です。 1:07:40 私たちは、腐敗不可能な 社会を、持つでしょう。 なぜなら、私たちは 腐敗不可能であるからです。 それが 冥想の意味です - 私たちのエネルギー すべてを、集める。 それは今、消散されつつ ありますが、 それで、私たちの意識は、 恐れなどのその内容に ついて全的に空っぽです。 で、この空っぽと 空間があるところ、 広大なエネルギーが あります。 そのエネルギーが神聖です。 それは、神への信念の エネルギーではありません。 神へのその信念は、 恐れをとおし、 思考により 創り出されています。 しかし、恐れがなく、 悲しみがないとき、 そのとき、あの静寂の 性質があります - その中に、名のないものが生じて こられるところのものが、です。 それは、日々の生において 無量の意義を持っています。 |
| 1:09:06 いいです。 |