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BR82T1 - 私たちはこの世界で何ができるのか home
公開講話 第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1982年8月28日


0:57 クリシュナムルティ: みなさんが 私ほど神経質でないことを望みます。 毎回、話をするたびに、 これらを経ていきます - この神経質さ、懸念を、です。 自らが何を言おうとして いるのかを、よく知りません。 少なくとも、私はそうです。
1:49 世界で何が起きつつあるかに 気づいているべきだと、私は思います - それにより憂鬱になったり、 楽観的や悲観的に なったりせず、 偏らず、冷静に、 実際に進んでいることを、 観察するのです。 テクノロジー的に 極東は、 ますます急速に 増進しています。 たぶん西洋の国々より 前進しています。 世界中の経済的な状況は、 きわめてぐらつき、 不確実です。 社会的に、大変多くの混乱、 不確実性が、 あります。 2:57 世界中の宗教は、 私たちの日常生活において、 ほぼ役割を 果たしてきませんでした。 それらは実際に、意味を すっかり失ってしまいました。 組織、宗教組織は、 現状を維持し、 生の根源的な現実に ついて、ではなく、 表面的な物事について 話すけれども、です。 そして、未来には、人へ何が 起きようとしていますか。 私たちのみんなと、 私たちの孫たちに、 彼らが何であっても、 彼らに、 何が起きようと していますか。
3:47 自らはよく気をつけて、これらを 見つめなくてはいけません - どの結論を導き出す のでもなくて、です。 政治的に、左のでも、右のでも、 あるいは、中のでも、 または、どのようにも 味方をしない。 どの政治的、宗教的な 団体にも、参与せず、 人へ何が起きつつ あるのかに、関心をもつ。 彼らは、戦争の準備を しています。 工業国により、世界中に 武器が、売られつつあります。 彼らの経済は、それに 依存しています。 そして、人を殺すことは 流行のように、思われます。 英雄的なように 思われます。 彼らは、賞讃されます。 彼らの名前は、大聖堂の 中に、収められます。 見たところ、宗教、 愛国心、国の名において 人間を殺すことばかりが、 重要になったのです。 5:27 民族、国家は、 分裂しています。 イギリス人、フランス人と、 アメリカ人、ロシア人、 インド人、日本人など、です。 それらすべての間に、 経済的な戦争が、あります。 物理的な戦争だけではなく、 経済的なのと、 他の形の、生に対する 破壊的な態度です。 これらは明白に - どの考える人にとっても - これらは事実です。 これらを観察するとき、 訊ねます - あなたと私のような 人間は、 この世界で、私たちは 何をできますか。 これは、なかなか深刻な 問いに、なります。 私たちの幾人かは、 何か他の集団、 コミューンに、加わります。 または、誰か指導者に 従います。 異なった種類の衣を着ける、 などしますが、 それは本当は、 根源的に、 世界で破壊へ向かい、 戦争へ向かって 進みつつある動き全体に、 影響しません。 その(動きの)中で、人間存在は、 ほとんど価値を持っていないのです。 7:06 そして、訊ねるとき、 これらに向き合って、私は 何をすることになりますか。 私たちはともに、この問いを 訊ねなければなりません。 私たちはともに、これを 考え抜かなければなりません。 語り手が言うことを 受け入れるのではなく、 ともに、 あなたと語り手が、です。 これらの問いを訊ねること - この狂った世界で、 私たちは何を することになるのか、です。 世界は、ますます狂気に なりつつあります。 ますます暴力的に、です。 おぞましいことが 起きつつありますが、 私たちはそれについて 知りません - 化学戦争、生物学戦争、 窒素爆弾と中性子爆弾。 科学者たちは、これらの 準備をしています。 一つの国が、他の国より、 大きな何かを、発明するなら、 他の国々は、他の国と 競争します。 8:27 科学者たちは、これらを 維持しています。 哲学者たちは単に、たくさん 言葉を、紡いでいるだけです。
8:40 さて、私たちは、 この世界に生きている 人間として - 自分の家族、 子どもたちをもっていて、 私たちの行為は、何ですか。 私たちの責任は、何ですか。 ただそれに背を 向けるだけですか。 何かの僧院の中へ 隠遁しますか - 新しいイデオロギーを 発明して、 何かイデオロギー的な 結論の中へ(隠遁)ですか。 これらのどれ一つとして私たち人間の 問題を、解決したことがありません - この怯えさせる状態、 私たちが生きている危険な 世界に、直面していて、です。
9:49 で、どうぞ、 あなたはただ、語り手に 聞いているだけではありません - これらに対する彼の答えが 何であるか、 彼の活動、彼の責任が何であるかを 見出そうと期待して、ですが、 指摘してもよろしいなら、 それは、間違った問いです。 それは、こうです - 私たちの責任は何ですか。 語り手の責任だけではない。 それはこうです - 私たち 一人一人の責任は、何ですか。 そして、世界は、 炎がついています。 燃えています。 何千、何万も 苦しんでいます - 国の名で、愛国主義の 名のもとで、です。 そして、世界で進んでいく 戯言すべてです。 11:01 で、私たちは、 ここでの、これら数回の 講話と質疑の間に、 私たちは、この事柄について ともにじっくり考えるべきです。 私たちは一緒です。 何にも参与していません - どの集団にも、 どの政治にも、 どの宗教にも、 どの国にも、です。 そしてともに、私たちが何 であるかを、見出します。 この怖ろしい世界に 生きている人間として、 私たちの責任は 何であるのか、 進んでいるこのすべての 恐怖に対して、 私たちの自然な応答は 何であるのか、です。
12:13 まず第一に、 世界中のすべての人間は、 東洋でも、西洋でも、 中東でも、 大変多くの困難、 大変多くの問題を 経ていきつつあります - 飢餓、人口過剰、 悪い政府、 自分たちの特定の イデオロギーに参与した政府。 政府と、私たちを 統治する人々は、 権力、地位、威信に 狂っています。 武器を売ることにより テロリストを助けています。 先日、テレビで 聞きました - この国が生産する武器の 80%は、海外へ送られます。 20%は、彼ら自身の 自衛のために、保っています。 13:30 これは、世界中で 起きています。 そして、人間たちは 苦しんできました - 幾千年に幾千年の間、 果てしなく、です。 彼らはこれらへ、何の答えも 見つけてきませんでした。 そして、私たちは もっともっと、 外的な、環境的な制御に 依存しつつあります。 外的な活動に答えを 見つけようとしています - 政府をとおし 特別の法律などなどを とおして、です。 すべて、外的な、 周辺的な活動です。 そして、見たところ、 答えはそこにありません。 政治においても、 分離した民族性にも、 様々な宗教的組織、 宗派性、派閥主義にも、 ありません。 15:06 そこには、まったく 答えが、ありません。 しかし、私たちは、 根源的な人間の騒動の ための答えを、いつも、 外的な症状に、 探し求めています。 私たちは、表面的な症状を 取り扱おうとしています - 世界中の人間たちがなぜ今している ような振るまいをしているのかへ きわめて深く、深く 入ることなしに、です。 (彼ら人間たちは) 冷淡で、無頓着で、 全的に自分自身に 関心を持っています。
15:54 どうぞ、私たちはともに考えて いることに、留意してください - 単に、語り手に 聞いているだけではなく、 私たちの責任に、 これらについての 私たちの精神と心の活動に、 関心を持ってください。
16:23 初めに、私たちは、 人類の意識を 見つめるべきだと、 私は思います。 なぜこの意識は - 私たちはそれですが - なぜそれは、今あるものに なったのか、です。 私たちの一人一人が、私たちの 意識は私たちのであると考えます - 私たちの特定の遺産、 私たちの特定の進化である。 それは、私たちの一人一人に 所属している、と。 私たちは、あの制限へ 拘禁されています。 これが、私たちの一人一人が 考えることです - それは、 私たちの意識である、と。 私たちの特定の孤立した 意識をもった一人一人だ、と。 いいですか。 それは事実です。 一人一人が、考えます - あなたなるものは、あなたの 特別な継承された結果である。 あなたのである、と。 17:54 今、私たちは、それを 問おうとしています。 それは、あなたのですか。 それは、あなたの 意識ですか。 または、あなたである すべての人類の意識ですか。 すなわち、世界中の すべての人間は、 どこに生きていても、 どんな気候のもとでも、 どんな政府、宗教のもとでも、 彼らは、大きな恐れ、 心配、悲しみ、悲惨、 何か漠然とした幸せを、 経ていきます。 これが、あらゆる人間の 共通の定めです。 いいですか?  あらゆる 人間の(定め)です。 彼らは、 高い位にあって、 大きな邸宅に 暮らしていようとも、 または、貧困の中、 小屋に、でも、 人類は、これを 経ていきます。 19:00 で、共通の意識が、あります - 私たちは、それによっています。 で、それは、あなたの 意識ではありません。 あなたは、苦しみます。 あなたは、不確実です。 大きな心配、 さびしさ、憂鬱、 このすべてを越えた 何かを探し求めています。 それを神と、 外的機関などなどと 呼んでいます。 あらゆる人間は - どうぞ、 これを悟ってください - 言語的な・ ・・ 連想ではなく、 言語的な了解や、 何か知的な結論ではない。 現実、実在です - すなわち、 私たちは、私たちの一人一人が、 残りの人類であるのです。 どうぞ、 これは本当に、 掴まなければなりません。 なぜなら、 そこから私たちは、 そのとき何をするかを、 見出そうとしているからです。 20:44 もし私たちが、その点に ついて明らかでないなら - 言語的にとか、知的にとかの 意味で明らかなのではなく、 私たちの感情において、 私たちの心において、 私たちの存在の深みにおいて、 私たちの血において(明らか)です。 すなわち、 あらゆる人間が、 全体主義国家に 生きていても、 いわゆる民主主義世界、 資本主義か、他方か、 左や右、 インド人、日本人でも、 黒、白、紫 - 人種と 宗教が何であっても、 あらゆる人間が、 これを経ていきます。 私たちの一人一人が そうするように、です。 苦悶、涙、笑い、 何か思考が創案してきた ものを、崇拝する。 21:49 これが、すべての人間が 拠って立つ地盤です。 あなたは、それを とうてい反駁できません。 論理的に、知的に、 そうしたければ、ですが、 これは事実です。 周辺で、外側では、 あなたのほうが、もっと 教育を受けていて、 裕福な社会に生きている かもしれません - より良い保健衛生で、 より良いものを食べている。 おそらく、少しは より良い政府です - それはすべて、 周辺的な活動です。 しかし、深く、 根源的には、 私たちの一人一人が、 人類の全体です。 私たちは、実際に これを、了解しますか。 または、私たちの頭脳は、 そういう観念を 受け入れるのを、拒否します。 事実を見るのを、 拒否します - なぜなら、私たちはこうも 条件づけられているからです。 23:09 すなわち、私の生は 私のである、と。 私の意識、私の思考、 私の活動 - それに、私が 唯一人、責任がある、と。 あなたの頭脳は、この甚大な実在 に向き合うのを、拒否します - すなわち、私たちは、人間として 残りの人類であることに、です。
23:45 私たちは、果てしなくこれに ついて、議論できます。 賛否両論です。 私たちは、果てしなく 分析できます。 私たちが他の人間すべてより 分離しているのかどうかを、です - 意識的に、私たちの意識に おいて(分離しているのか)、です。 あなたは、背が高いかもしれません。 背が低いかもしれません。 青白いかもしれません。 あなたは白いか、半ば白いとか、 褐色とか、黒などである かもしれません。 それらはすべて、周辺的な、 外側の活動ですが、 深い内的な状態は、 私たちは、残りの人類に 似ています。 で、あなたは人類です。 あなたは、 残りの人類です。 いいですか? どうぞ、これは・ ・・ 自らは、これに関して 勤勉でなくてはいけません。 それに取り組んで、 明らかにしてください。 それで、これが絶対的に、取消 不可能に明らかであるとき、 そのとき私たちは 進行して、探究できます。 私たち人間は何を できるのかを、です。
25:16 私たちはその質問をするとき - 私たちは何をできるのか、と - 私たちはやはり、私は何を できるのかと、考えています。 理解されますか。 私たちは、全的な人間として 考えていません。 私たちは、孤立した実体 として、考えています。 この質問をしています - 私は何をできるのか、と。 それは、 間違った問いです。 なぜなら、私たちはやはり、自分 自身に、関心を持っているからです - 分離した、孤立した 人間として、です。 もちろん私たちは 孤立しています。 あなたは、私より 異なっています。 あなたは、背が高い。 私は低い。 または、私は褐色だとか、 あなたは白だとか黒だとか、 何であっても、です。 しかし、あなたが、これらの 表面性を、移し替えるとき、 あなたが、自分自身を 深く掘り下げるとき - 自分自身を、です。 すなわち、 私たちの意識を、です - そのときあなたは、 発見しはじめます - すなわち、あなたは お隣の人に似ていることを、 または、はるか 遠くの人に、です。 様々な苦悶、憂鬱と心配、 さびしさと悲しみを 経ていきます。
27:03 私たちのほとんどは、 そういう質問を、しません。 私たちはみんな、個人として こうも高度に教育されています。 互いに分離し、 孤立したものとして、です。 国々が分割されている ように、です。 それで、私たちが、何を すべきかを、訊ねるとき、 私たちは、イギリス人、 フランス人として訊ねています - 一定の政府や 一定の集団などに 所属しているものとして、です。 しかし、私たちは、深く 実在を、了解しません - すなわち、基本的に 私たちはみんな一つである、 ということを、です。 私たちは、そこから 動けますか。 私たちは動けます - きわめて容易く 他のことについて話せますが、 この地盤が現実的でないなら - その上に私たちがしっかり立てて、 何事も、私たちをそこから 揺るがせられない。 そのとき、私たちは、 全的な人間として 私たちの責任が何であるかを 見出せます。 孤立した人間として、 ではない。 28:59 私たちは、進みながら、ますます それに入ろうとしています。 私たちは、これらの事柄に ついて、ともに考えています。 どうぞ、語り手は、これを 強調しなければなりません。 語り手は、匿名です。 彼は、権威を 持っていません。 彼は、一人の人物として 存在していません。 彼は単に 観察しています。 私たちはどちらも、何が起きつつ あるかを、ともに観察しています。 で、どうぞ、人格へ 注意を払ったり、 重要性を与えたり しないでください。 それは、電話に似ています。 あなたは、電話を尊敬したり、 それに花輪を掛けたり、 それを崇拝したりしません。 30:00 あなたは、それが言うべき ことを、聞きます。 電話は、黒、白 なのかもしれません。 それは今、多くの色を 持っていると、思いますが、 あなたがそれに 重要性を与えるとき、 それは、あまりに不条理で 子どもっぽくなります。
30:22 で、私たちは 進行できます。 テクノロジー的に - どうぞ、この問いを 理解してください。 私はそれに 入ろうとしています - テクノロジー的に、 人は、テクノロジーを ますます完璧にすることへ 自らの精神を 向けてきました - コンピューター、 兵器、です。 で、テクノロジーは、 ますます東洋へ、 極東へ 移りつつあります。 すなわち、人はテクノロジーへ 重要性を、与えてきました。 いいですか? より良い兵器、 より良い通信、 他の人間を殺す、 より良い手段、 などです - 私たちは それらに、入らないでしょう。 私たちは、たぶんみんなが それについて知っています。 31:37 で、人は、それへ向かって 自らの時間、 エネルギー、金銭、 能力を、注いできました - テクノロジーの改善です。 どうぞ、これを見てください - 世界で何が起きつつあるのか、です。 で、人の意識は、 より大いなるテクノロジーへ 向かって動いてきました。 いいですか? 人は、自らの思考、エネルギーを その方向へ、注いできました。 で、私たちの頭脳は、ますます テクノロジー志向になりつつあります - 目新しい小道具です。 どうぞ、私たちは、あなたがそれを 持つべきでないとは、言っていません。 私たちは、それは回避不可能 であると、言っています - それが、起きつつ あることである、と。 人は、他のどの方向にも ほとんど時間、エネルギー、 思考を、注いで きませんでした。 32:59 人は、「私が何であるかを私自身で 見出そうとしている」と言いません - 「なぜ私は このように振るまうのか。 これらを越えて、 何があるのか」と。 私たちはそれに、思考を 向けてきませんでした。 その二つを理解されますか。 すなわち、人は、 環境の征服へ向かって、 ものすごい時間と エネルギーを注いできました。 すなわち、空、天空と 世界(の征服)へ、です。 私たちは、その同等の エネルギーや時間や活力を、 私たち自身の中を探究するよう、 注いできませんでしたね。 私たちは何であるのか、私たちは なぜこのように振るまうのか、 何か究極的なものが あるのか、 原因のない存在が あるのか、と。 34:03 それは、すべてのテクノロジー、 すべての人間的思考より、 はるかに偉大な 何かの探究です。 理解されますか。 あなたは、 その絵図が見えますか。 テクノロジーは、私たちの意識 全体に、侵入しつつありますが、 私たちは他方へ、エネルギーと 時間を、十分に注いでいません。 そして、もし、そうする人が わずかにいるなら、 彼らは、他方により 隠蔽されてしまいます。 どうぞ、これらの現実を 見てください。 これがすべて明らかであるのを 望みます - すなわち、私たちはみんな、 言われつつあることにおいて互いに 理解しあっていることを、です。
34:56 自らは、エネルギー、時間を 注ぐかもしれません - 物質的であるものと、 物質的な説明すべてをはるかに 越えているものの探究へ、です - すべての悲しみを越えて、 何か永遠なものが、 あるのかどうか、です。 私たちのほとんどは、それへ 時間を、掛けません。 私たちはそうするとき、 おそらく一人か二人、 ここそこで、ですが、 そのとき、他の世界が それを隠蔽してしまいます。 で、ここで聞いている 私たちのみんなが、 このすべてを越えた何かの探究に 時間、エネルギーを注ぐなら、 そのとき私たちは、 あの意識へ、 まったくテクノロジー世界では ない何かを、付け加えています。 理解されますか。私はこれを 明らかにしつつありますか。
36:22 仮に、あなたが、自分の 時間、エネルギー、能力を、 本当の探究へ 注ぐとします - 信念と、それらの子どもっぽい ものを、受け入れずに、 深く探究します。 探究は、分析より 異なっています。 探究は、観察し、 その観察を 追求することです。 で、一人の人間が これをするとき、 あなたは、人類の意識全体へ、 付け加えるかもしれません - それへ、一定の性質を、です。 その性質は、 他方により、すぐに 破壊されるか、埋没させられるか、 減少させられます。 37:25 しかし、もしも、これに関心を 持っている人々が、千人いたなら - 集団を形成するとか、それらの 種類のばかげたことではなく、 実際にこれへ、あなたの 生全体を注ぐなら、 そのときあなたは、 あの意識へ、人類の意識へ 付け加えています - すべての言葉を越え、 すべての思考を越え、 すべての結論を越えた何か、 すなわち、 何か永遠であるものの性質を (付け加えているの)です。 理解されますか。
38:11 で、これが明らかであるなら、 そのとき私たちは、訊ねられます - 私たちは何を することになりますか。 前にではありません。 すると、 それは単に表面的な活動になります。 もしも、私たちの一人一人が、 自分自身に言ったなら、です。 なぜなら、それは 明白な事実であるからです。 世界は今、テクノロジー志向に なりつつあります。 これらに気づいておられるのか どうか、私は知りません。 日本は、 ノウハウの中心に、 テクノロジーの中心に なりつつあります。 日本政府は、何十億も 何十億も、投資しつつあります - コンピューターに お金を投資しています。 彼らはすでに、自分たちの 車により、腕時計により、 カメラにより、 レコード・ プレーヤーにより ほとんど西洋を征服しています - あらゆるもので、です 39:21 他の極東の国々が、 彼らを追尾し、 これを養成しています。 それへ対立してではなく、 反動としてではなく、 人は、テクノロジーとその製品 のみによって、生きられません。 自らは、測量不可能な何かへ、 入らなくてはいけません。 で、これらを聞く 私たちのみんなが、 この探究へ、時間と エネルギーを、注ぐなら、 そのとき、その探究こそが その問いに、答えるでしょう - 私は何をすることになるのか、 と(いう問いに、です)。 いいですか? で、私たちはともに、 見出そうとしています - どう探究するのか、 どう観察するのかを、です。
40:41 まず第一に、観察することは、 分析することではありません。 あなたは、 花を観察するとき、 美しさ、性質、色、 香りを、見ます - それの触れられない 美しさを、です。 その後、あなたは 分析できます。 あなたは、花を 見つめられます。 そうしたいなら、それを 引きちぎられます - そうされないことを 望みます。 それを引きちぎり、そのとき それを見つめられます。 分析は、死んだ過程です。 観察は そうではありません。 分析は、分析者と分析される ものを、含蓄しています。 分析者は、自分が 自らが分析するものより 分離していると、 考えます。 これが、心理学全体です。 すなわち、観察者、分析者は分析 されるものより、分離している、と。 いいですか?  それは 事実ではありません。 分析者はまた、 過去の結果です。 彼の記憶、彼の経験、 彼の知識と、 彼が観察するものの (結果)です。 彼は、自らが分離していると 考えます。 そうですね? ご覧ください。私はそれを はるかに単純にしましょう。
42:30 私は妬んでいます。 妬みには、嫉妬、 比較、模倣、 順応が、 関与しています。 そして、私は 妬んでいます。 それは、自分の欲望を 充足する中で 私に楽しみを 与えてくれます。 そしてあなたが来て、「ご覧、 妬みは醜いものですよ。 それは本当に破壊的 です」と、言います。 で、私の中に、 即時に分析者があって、 「妬みは私より異なって いる」と言っています。 私はそれを 制御しようとしています。 私はそれを 形作ろうとしています。 私はそれを枠に 入れようとしています。 私はそれを片付けてしまおうか、 取っておこうとしています。 しかし、あなたが、それを もっと間近で検討するなら、 分析者は、 分析されるものです。 妬みは、私の一部です。 私は 妬みより異なっていません。 いいですか? 怒りは私より異なって いません - 私は怒りです。 しかし、私の条件づけは、 私の怒りが 私より異なっている、と いうことであったのです。 なぜなら、そのとき 私はそれを制御できる、 そのとき私は それを形作られる、 そのとき私は合理化して、 1ダースの説明を示せるからです - なぜ私は怒っているのか (の説明)を、です。 44:04 しかし、怒り、妬み などは、私の部分です。 私が怒りです。 で、分析者と 分析されるものとの間に、 分割があるとき、 葛藤があります。 格闘があります。 痛みがあります。 あらゆる形の代替や、 それを超越すること などなどが、あります。 しかし、分析者が 分析されるものであるとき、 問題全体が、根本的な 変化を、遂げます。 なぜなら、葛藤が ないからです。 そのときあなたは、 本当に観察しています。 私たちは、私たち自身の間で 明らかになりつつありますか。
45:07 どうぞ、そんなにまじめくさった 顔をなさらないでください。 これは、私たち自身にとって 明らかですか。 なぜなら、私たちは、 葛藤をもって生きてきた、 私たちの関係すべてが、 葛藤をもたらすからです。 子ども時代から、私たちは 葛藤をもって生きます。 - もっと多く、 もっと良く、と。 この測量 - それは、「あるもの」と「ある べきもの」との間の空間です。 それは、測量です。 それは、時ですが、 それが、私たちの中に、大きな 葛藤を、もたらしつつあります。 私はこれであるが、私は あれになるだろう、と。 ビジネスの世界に おいても、あるいは、 芸術の世界においても、 私たちの日々の世界においても、 この葛藤を、私たちは 受け入れます。 46:21 私たちは、それは通常だ、 健康的だと、言います。 それは、前進をもたらすとか、 何かとかんとか、です。 しかし、あなたが、 頭脳、精神が、葛藤から 自由でありうるのかどうかを 探究しつつあるなら、 そのときあなたは、この問いに 入らなくてはいけません - 観察者、分析者は、 分析されるものより、 全面的に 異なっているのか、 または、分析者は 分析されるものであり、 ゆえに、葛藤が終わる。 ゆえに、葛藤がないとき、 何が起きるかを 観察する。 47:13 なぜなら、私が妬んでいるなら、 私が妬みであるからです。 私は、「私はそうすべきでない」とか 「私はそれだ」とか、言いません。 私は、妬みの動きを 観察します。 何の圧迫もなく、 観察します - 観察されつつあるものに 何の未来もなく、です。 これは、大変多くの注意を、 大変多くのエネルギーを 必要とします - そう 明らかに見るには、です。 そのとき、葛藤を生の道と して受け入れてきた 人の条件づけ全体が、 完全に消え去ります。
48:20 人間たちは、 何百万年もの間、生きて きたところの世界において - (バイブルなどによる)四千五百年 前(から)ではありません。 原理主義者の観念ではありません。 それは、なかなか不条理です。 彼らは、こうも多くの多くの 年の間、生きてきました。 何世紀に 何世紀も、です。 彼らは、葛藤を 受け入れてきました。 彼らは、憎しみを 受け入れてきました。 彼らは、互いに 負傷させるのを、 互いに殺し合うのを、 受け入れてきました。 そして、私たちの意識が私の ではないことを、悟るとき、 私が考えるのは、 私のではありません。 考えることは、すべての 人類に、共通しています - 彼らが貧しく、 教育を受けていなくて、 完全に無知で、迷信深くても、 です。人は考えます。 49:34 または、偉大な科学者たち - 彼らも考えます。 考えること - それは、 あなたのや私のではありません。 それは考えることです。 そのとき、 発見しはじめます - 観察は、はるかに鋭利で、 直接的であり、 決断の性質を 持っているのです - 分析すること、 見出すために、あらゆる物事を 引き千切ることは、そうでない。 または、なぜ私たちは このように行為するのか、 そしてあなたのお祖母さんやお母さん やお父さんへ遡ることではない。 それもまた、かなり - こう言っていいなら、です。 ここに心理学者がおられない ことを、望みます - (それは)かなり 未熟になります。 どうぞ、私たちはこの事柄について 多くの心理学者と議論してきました。 50:47 で、ここに心理学者が おられるなら、 どうぞ、 傷つかないでください。 ただ見て、聞いて、私たちが言って いることを、観察してください。 私たちは全然、間違って いるかもしれません。 あなたのあらゆる訂正を 受け付けますが、 探究し、それを 見つめてください。 観察があるところ、 分析はありません。 ただ観察するには - あなたが美しい山を観察 するであろうように、です - あなたは、それを 変更できません - その雄大さ、その威厳、 その美しさを、です。 ただ観察する。 観察の中に、 美しさがあります。
51:43 で、そういう観察の 性質をもって、 私たちは、 見ようとしています。 私が観察であると 考えることではなく、 ともに、観察する。 理解されますか。 私たちは、ここに少し 一緒にいますか。 観察する - 例えば、ですね、 世界中に拡がりつつ ある憎しみを、です。 一人の人間が、他の一人を 傷つけたがっている - 仕草により、言葉により、 眼差しにより、 あなたが書いたり言ったりする 何かによって、です。 憎しみ - それは、世界中で 拡がりつつあります。 東洋で、ほとんど食べ物を 持っていない貧しい人は、 あなたを憎みます - あなたが 自分の車で通り過ぎ、 あなたがきれいな衣服を着て いるとき、です。 52:56 これらを理解されますか。 この国での最近の戦争と、 世界の他の部分でのそれが 何をしているかを、見てください。 彼らは、憎しみを 養成しています - 神の名において、 国の名において、です。 愛国心と、それらの 子どもっぽいものです。 で、この憎しみを 観察してください。 私たちは、誰かを 憎んでいますか。 なかなか、 奇妙な質問ですが、 私たちは、これらへ 入ろうとしています。 私たちは、誰かを 憎んでいますか。 なぜなら、あなたが様々な 理由で憎んでいる誰かは、 心理的にあなたを傷つけて きたかもしれないからです。 53:52 怒りは、憎しみの一部です。 あなたがこの憎しみを観察する とき - 分析するのではない - なぜ人間が、この憎しみを 戦争をとおして 勤勉に 養成してきたのか、です。 自らは、自分自身において 正直に、 何の偽善、不正直さの 感覚もなく、 私は、他の人への自分の憎しみを 観察してきたと、言えますか。 そして、その憎しみを拭い 去るのは、観察において、です - それは、注意の炎に 似ています。
54:54 そして私たちのほとんどは、 子ども時代から、傷ついています。 親により、教師により、 損傷しています。 比較をとおして 傷つけられることで、です - より良い成績、 そうね、現代の教育の 事柄全体です。 あなたは、 傷つきつつあります。 その損傷や 多くの損傷を観察するには - 多くの損傷はありません。 たった 一つの損傷、一つの傷だけがあります。 すなわち、傷です。 あなたは、この人物によってか、あの 人物によって傷つくかもしれません - この理由のためか、あの理由の ため、ですが、傷は同じです。 55:46 あなたは、あの傷を見つめられ ますか。それを観察できますか。 それを超越しよう、乗り越えよう、 その他すべてを、するのではない。 なぜなら、あなたが 傷を観察するとき、 その傷の帰結すべてが 見えるだろうからです。 それは、 継続的である損傷です。 それは、埋没しているかも しれませんが、 それは継続的です。 それは、 様々な結果を産出しています - 孤立、恐れの結果を、です。 で、次第に、抵抗と さらなる孤立です。
56:38 で、あなたがこの傷を きわめて間近で観察するとき - すなわち、 観察すること、 あなたの全的な注意を その観察へ注ぐことは、 焼き尽くす火に、 似ています。 - 損傷を浄めるものです。 で、私たちはさらに、観察の 探究の中へ前進しつつあります。 それは、私たちの互いとの 関係を、観察することです。 私たちの関係を観察する - 親密でも、そうでなくても、です。 実際に私たちの関係は 何ですか。 依存のそれですか。 それは、私は誰かが必要だ、 ということですか - 私の欲望を 充足するために、 57:57 私のさびしさから 逃避するために、ですか。 生物学的に、性的に私の要求を なだめるためですか。 どうぞ、あなたが探究しています。 私が探究していません。 私たちは、ともに 探究しています。 どうぞ、「私は探究している」と 言って、ただ聞かないでください。 あなたは、あなたの関係を 探究しています。 あなたは、そうしたくないかも しれません。 それは別の事柄です。 あなたは、耳を閉ざすか、 テントを去ってもいいが、 あなたは ここにいる上は、 否が応でも、それを 聞かなくてはいけません。
58:52 で、あなたの関係は 何ですか。 その関係の性質を ただ観察する。 それは、執着ですか。 さびしさからの逃避ですか。 依存の感覚ですか。 で、あなたの関係は - どうぞ、これを一分間、聞いて ください。 興味があるなら、です - あなたの関係は、原因を 持っていますか。 いいですか?  理解されますか。 それは動機を持っていますか。 原因があるなら - 原因は、圧迫を 意味しています。 意図の動きである動機、 ということです - 意識的でも、 そうでなくても、です。 原因を持っているものは、必然的に 終わるにちがいありません。 理解されますか。 もし私が、あなたを愛するのに 原因を持っているなら - それの恐怖を 考えてみてください - 1:00:24 私が、あなたを愛するのに 原因を持っているなら - なぜなら、あなたたちはみんな、 大きな聴衆で坐っているからです。 それは私に、大きな 楽しみを、与えてくれます。 それが、私の原因、 私の動機です。 そのとき、 それの帰結は醜い。 で、私はあなたたちに 依存します。 依存があるところ、 恐れがあります。 それで、私は 発見しつつあります - 原因があるところ、終わることが あるにちがいないのです。 私が自分の関係に、原因を持って いるなら - 妻との、夫との、 子どもとの(関係)に、 原因を、です - そのときその関係は、必然的に 葛藤を創り出すにちがいありません。 1:01:23 そして、その葛藤から いつも逃避があります。 神、 サッカー、 心理学者、 などなどなどです。 離婚 - そうね、 その過程全体です。 で、あなたが、自分の関係を 見つめるとき、 それは単に - 今、稀な場合以外、 そうであるように、です - 一つの形の、互いの 自己利用だけなのです。 そこには、大きな醜さと 残忍さと、 暴力とけんかが、 あります。 そして、あなたたちのほとんどが ご存じの関係すべて、です。
1:02:28 で、この事実を 観察できますか。 私たちはそれを、手短に 分析してきました。 それには、はるかに深く 入られますが、 依存、執着の このとてつもない事実を、 観察できますか。 で、訊ねます - 執着は愛ですか。 愛は、所有ですか。 私の妻、私の彼女、 私の夫 - 執着。 それは愛ですか。 それが愛であるなら、それは 原因を持っています。 いいですか? 私はあなたに依存します。 なぜなら、 あなたは私を満足させてくれる、 私を満悦させてくれるからです。 ゆえに、原因があるところ、 私たちの関係は、 必然的に葛藤に終わって しまうにちがいないのです。 で、愛は、原因を 持っていますか。 質問を理解されますか。どうぞ、 これらの質問をしてください。
1:04:13 で、関係と愛の本性を 間近で観察しなくては いけません。 愛は今、きわめて 踏みにじられてきました。 それが何になってしまった のかは、ご存じです - セックス、楽しみ、 一つの形の娯楽です。 そして、愛するための 原因があるところ、 愛は去ってしまったのです。 で、人間たちは - どうぞ、 この質問をしてください - 人間たちは、原因(コーズ) なしに生きられますか。 政治的な主義主張(コーズ)や、 何か他の原因ではない。 私は、そういう原因に ついて、話していません。 自分の生、日々の生を、唯一の 原因もなく、生きること - それは、そもそも 可能ですか。 または私たちは、こうも 条件づけられているので - 私たちが何千年もの間、 原因とその結果の上に 生きてきたように、です - 因果なく生を観察することは、 きわめて困難です。 その問いの含蓄を 理解されますか。
1:06:08 語り手が動機を 持っているから、 ここに来て、 話をするなら - 宣伝、名声、 悪名、 もっと大きな聴衆。 ゆえに、語り手は 満悦できる。 それらの事柄です - そのとき、語り手は 原因を持っています。 そのとき 何が起きますか。 彼は、まずいことに なっています。 そのとき彼は、 あなたたちに依存します。 彼は、あなたたちのお世辞を ほしい。 あなたたちの批判 - それらをご存じです。 彼は、あなたたちの 批判をほしくない。 彼は、あなたたちの お世辞がほしい。 彼は、依存して、 執着しています。 それで、彼は永続的に 心配の状態にいます。 ゆえに、彼は怪物です。 彼は、あなたを 利用しています。 で、そのとき私たちは、 訊ねていい - 彼はなぜ話しているのか、 原因は何であるのか、と。 何も原因はありません。 見出しなさい - 唯一の原因もなく生きるとは 何を意味しているかを、です。 なぜなら、愛は、原因を 持っていないからです。
1:07:58 で、私たちは、世界での憎しみを 検討し、観察してきました。 政府は、それを 永続化させつつあります。 人間たちは、それを 永続化させつつあります。 私が、「私は イギリス人だ」と言うとき、 私は憎しみを 永続化させつつあります。 なぜなら、イギリスは - または、フランスやドイツや、 何であっても、です - 孤立の過程を 意味しているからです。 孤立があるところ、葛藤が あるにちがいありません。 私は行って、 誰かを殺します。 組織的な殺人です。 そして私たちは、 自分が子ども時代より受けて きた損傷を、観察しました。 それを観察する - それが全的に 浄められ、拭い去られるように、です。 それは、脆弱であるという意味です。 それは、敏感だ、という意味です。 1:09:11 敏感な人物は、損傷されません。 彼は敏感です。 なぜなら、そのとき、 敏感な人物は、注意深いし、 見張っているからです。 そして、注意があるとき、 傷つくための空間が ありません。 また私たちは、関係を 見つめ、観察してきました。 それは、私たちの生において きわめて重要です。 私たちは、関係なしには とうてい生きられません。 あなたは、自分一人で山の中へ 行ってしまうかもしれませんが、 あなたは関係しています。 関係しているとは、 あなたは世界の涙すべてを 持ち運んでいる、という意味です - 笑い、痛み、心配、 さびしさを、です。 それはそこに あります。 1:10:16 あなたは、物理的に彷徨って いくかもしれませんが、 あなたは、その重みすべてを 両肩に、担って運んでいます。 関係は、とてつもなく 重要であるので、 私たちは、 関係によって生きます。 私たちは、関係から とうてい逃避できませんが、 私たちは、その関係が何である べきかを、指令します。 それで、私たちは 捕らわれます。 私たちは、自らの関係において 互いに殺し合います。 で、きわめて深く、深く、 関係と愛の本性を、 探究しなくては いけません。 原因があるところ、 終わることがあります - その関係における葛藤、残忍な ことが(終わることが)、です。 1:11:22 で、愛が何であるかを 見出さなくてはいけません。 それは原因を持っているなら - 「何々だから、私は愛している」と。 何ともはや、 そのとき、それは 商売です。 はるかに多く見出すことは、 原因なく生きることを 見出すことです。 それの含蓄が何であるかを 理解されますか。 そういう生に、 そういう生き方に 終わることはありません。 いいです。私たちはもう 止めたほうがいい。
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