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BR83CB1 - 思考が関係しない行動は存在するのか?
デービッドボームと談話 第一回
ブロックウッドパーク イギリス 
1983年6月11日



0:00 クリシュナムルティ: 人間の未来について 議論するのですねデイビッドボーム: はい
0:38 K: 実にここで言う人間とは 人類についてを意味しますDB: 人類全体です はい
0:44 K: イギリス人やフランス人 ロシア人やアメリカ人ではなく 人類全体についてです
0:52 DB: 何れにせよ未来は現在と連結しています
0:57 K: 目下の現状は私が察するに 世界は非常に危険になってきています
1:07 DB: はい
1:12 K: テロリスト 戦争 そして国家の分断民族の分断 ある独裁者達は世界を破壊しようとする などです そしてまた宗教的にも非常に分断されています
1:29 DB: それに経済危機と 生態学的危機もです
1:34 K: はい 生態学的そして経済的問題 問題は複合的に増加しているようです では人類の未来とは? 現代の世代だけでなくこの先の世代の 未来はどうでしょう?
1:58 DB: はい 未来は暗いようですK: 大変暗いです 仮にあなたが非常に若ければそして私がとても若ければ どうするでしょうかこの状況を知った上で 私達の反応は 私達の人生は 私達の生活生計などどうするでしょう?
2:27 DB: それについて度々考えてきました 例えば また科学の道に進むか自問しますが 今は全く分りません なぜなら科学はこの危機に関連がないようですから
2:42 K: いいえそれどころか助長します
2:45 DB: 悪化させます役立ちそうで実際そうではありません
2:50 K: ではどうしますか? 私は今の仕事を続けるでしょう
2:56 DB: それはあなたには容易でしょう
2:57 K: 大変容易です
3:00 DB: しかし数点問題があります勿論 それを議論したいかはわかりませんが 人が生活を始めるにあたり生計を立てる必要がありますね?
3:07 K: 勿論です
3:10 DB: 最近はその機会は殆どなく その機会は非常に限らた仕事にあります
3:19 K: 更に世界に渡る失業者数 どうしましょう 未来は厳しいと知りながら 大変鬱々しく 危険で とても不安定です どこから始めますか?
3:46 DB: そうですねその諸処の問題と 各々の持つ問題や周囲の人の問題から 距離を置くべきかと思います
3:58 K: ひとまず本当に自分を忘れるべきという事ですか?
4:02 DB: はい
4:05 K: 自分を忘れてたとしても 自分が生きるであろうこの世界を見ると 何かしらの仕事や専門を持ち そしてこの失業者数どうするでしょうか? これは殆どの若者が直面している問題だと思います
4:33 DB: はい明らかに では何か提案がありますか? 何か提案をくださいますか?
4:55 K: 進化論の観点からはありません
4:59 DB: はい 分かります それが議論したい論点です それについて議論したいと期待していました
5:05 K: はい 精神的な進化はないと思います
5:10 DB: はい それについて頻繁に議論してきました ですからある程度仰る意味はわかりますが 初めての方やこの動画を見る方は 理解しないかと思います
5:22 K: はい それを議論しましょう 良ければこの質問全体を議論したいと思います なぜ私達は将来を懸念するのか? 全未来だけが現在でしょうか?
5:41 DB: はい ある意味全ての未来は現在ですが それを明確にすべきです これは私達がこれまで曝されてきた 人間の伝統的な考え方全てに大きく逆行します
5:54 K: 人類は進化や継続といった事を考慮します
5:59 DB: 他の角度からアプローチできるかと それは 進化論は現代において一番自然な考え方であると そこで質問ですが 進化論の観点から何か反論はありますか? 要点を説明します:進化という単語には色々な意味があります
6:17 K: 勿論です ここでは心理的進化における議論です
6:23 DB: はい 最初に物理的進化については破棄しましょう
6:26 K: つまりドングリがオークの木に成長という
6:31 DB: 種も進化を遂げました 例えば植物から動物そして人へと
6:37 K: はい 我々は数億年かけ今の姿に至ります
6:40 DB: それについて疑問はありませんね?
6:43 K: ありません DB: そして進化は続くかもしれない
6:46 K: はい それが進化論ですDB: それは正当なプロセスです
6:50 K: 勿論それは妥当な自然の過程です
6:52 DB: はい 時間をかけてK: はい
6:55 DB: 即ちその分野では 過去 現在 未来は重要ですね?
7:00 K: はい明らかに ある言語を学ぶには時間が必要です
7:06 DB: それに脳の改善にも時間を要します 最初は仮にこう小さい脳から 徐々に大きくなりそれに数億年の時間を要しました
7:14 K: はい 更に複雑になったなどです それ全てに時間を要します それ全ては空間と時間の動きです
7:25 DB: はい物理的時間と 神経生理学的時間は認めるますね
7:30 K: 神経生理学的時間当然です 勿論ですどんな健全もそうでしょう
7:33 DB: はい しかし多くの人は心理的時間も認めます いわゆる心的時間です
7:39 K: はいそれを私達は議論しています 心理的な未来心理的進化が 在るのかどうかDB: もしくは過去
7:50 DB: 初めは奇妙に聞こえるかもしれません 私は昨日の事を覚えていますし そして明日があり予測できます それは何度も何日も続いてきました 昨日から今日へ明日へという 時間の経験があります
8:11 K: もちろんそれはごくシンプルです
8:14 DB: では何を否定してるのですか?
8:17 K: 私が否定するのは自分が何かになる事 良くなるという事です
8:24 DB: それには二つの見解があります 一つは: 意図的に良くなろうとしている 二つ目は: ある人々は進化は 自然で不可避の過程で 潮流に流れされてるようにそして おそらく良くまたは悪くなる または私達に何かが起きていると
8:44 K: 心理的にです
8:46 DB: 心理的にですそれは時間を要します 改善しようとする私の試みの結果ではないかもしれません どちらか知れません人によって考えは異なります しかしあなたは ある意味自然な心理的進化も否定しています 自然物理的進化は存在したのに?
9:03 K: はい それは否定します
9:06 DB: ではなぜ否定するのですか?
9:13 K: なぜなら まず 精神とは何ですか?
9:17 DB: はい
9:20 K: 自己 自我などと何でしょう?
9:23 DB: 精神という単語は様々な意味を持ちます 例えば心理という意味かもしれません ではそれは自我と同じという事ですか
9:30 K: 自我自我 自己について話しています
9:33 DB: 進化論を考える人の中には 自己を超越する進化があるだろうと考えます つまり更に高いレベルに達するという
9:46 K: はい変遷に時間は必要ですか?
9:48 DB: 超越 変遷K: はい それが私の全質問ですDB: はい では二つ質問があります:そもそも自己とは向上するのか? それが一議論です二つ目の議論は: 自己を超越したいと仮定したとして それは時が経てば可能ですか?
10:04 K: それはできません
10:06 DB: はい ではなぜかを明確にすべきです
10:09 K: はいその話を進めましょう 自己とは何ですか? '精神'が様々な意味を持つのであれば 自己とは思考がもたらした 全活動です
10:32 DB: なぜそう言えるのですか?
10:34 K: 自己とは意識です 私の意識 自己とは名前や外見 そして私がもつ様々な経験 記憶などです 自己の構造とは思考により組み立てられます
10:56 DB: はい ただそれは再度 人によっては受け入れ難いかと
11:02 K: 勿論これを議論しています
11:04 DB: しかしそれを引き出す事もです 自己について持つ 最初の体験や感情は 自己が独立して存在し その自己が思考しています
11:16 K: その自己とは自分の思考から自立しますか?
11:20 DB: 私自身の最初の感覚では 自己が在って私の思考から独立しており その自己が思考しています 例えば私がここ居り動くことができ 腕を動かしたり考えたり頭を動かすことができます
11:30 K: はい
11:32 DB: それは錯覚ですか
11:37 K: いいえDB: なぜ?
11:43 K: 腕を動かす際 何かを得ようとする意図があります 何か取ろうと何か置こうとする 最初に思考の動きがあり それが腕を動かすなどとです 私の論点は - 真偽であろうと受入れる準備はあります - 思考がこの全ての基盤であると言う事です
12:16 DB: はいあなたの論点は 自己の全てその行いの全ては 思考からくるのだと では思考といいますが 単なる知的な思考ではありませんね
12:27 K: 勿論違いますDB: しかし他に何が?
12:29 K: 思考とは経験知識 記憶 思想の活動です この全ての動きです
12:38 DB: 意識全体の活動と意味するように 私には聞こえますK: 全体として その通りです
12:48 DB: つまりその活動が自己であるという事ですね?
12:52 K: 意識の全内容が自己です その自己とは私の意識と違いません
13:07 DB: 私とは自分の意識だと言えると思います なぜなら意識が無ければここにいませんよね?
13:13 K: 勿論ですDB: では 意識とは先ほど述べられた 思考 感情 意図を含むものにすぎないと?
13:22 K: 意図 野心 DB: 記憶
13:24 K: 記憶 信念 定説私が行う儀式 プログラムされたコンピューターの様です
13:36 DB: それは確かに意識の中にあります みな同意するでしょうしかし中には それ以上に何かが存在する 意識はそれを超越し得ると感じる人も多いでしょう
13:45 K: それを議論しましょう それは 私達の意識の内容は その意識を構成します- 内容
13:58 DB: はい それには多少理解が必要です 一般的に使う'内容'とはかなり違います コップの中身は水だとすると 一つはコップでもう一つは水です コップが水を含みまたは'内容'という単語は 何か含む事を示唆しますK: そうですね 意識は記憶してきた事で構成されます: 信念 定説 儀式 国籍 恐怖心 喜び 悲しみ
14:35 DB: それら全てがなければ意識が存在しないのですか?
14:42 K: 知る限りありません
14:43 DB: しかし何かしらの意識があるのでは?
14:45 K: 全く異なる意識です
14:47 DB: では仰っている事は 私達が知る通り意識の構成は...
14:51 K: 言いました 私達が知る意識とはそれら全てです
14:55 DB: 一般的に知るK: はい それが複数の思考の活動の結果です K: 思考がそれ全てをまとめそれが私の意識です
15:12 反応や応答 記憶回想 非常に複雑に込み合った複雑な問題や感情 それら全てが意識を構成します
15:36 DB: 知る通りですね?
15:38 K: 言いました我々が知る通りです 意識には未来はあるでしょうか?
15:48 DB: はい過去がありますか?
15:51 K: 勿論その記憶です
15:53 DB: ではなぜ未来がないと言えるのでしょう?
15:56 K: もし未来があるとしたら全く同じ事です 活動です 同じ活動同じ思考 修正 しかしパターンは何度も何度も繰り返されます
16:14 DB: 思考はただ繰り返すだけとというのですか?
16:17 K: はいDB: しかし例えば 思考は新しいアイディアを発展させる事ができます
16:23 K: しかし思考は限定的です知識が限定的ですから そう認めれば知識はつねに限定されます
16:38 DB: はいそれについては多少議論が必要かもしれません
16:42 K: 勿論です議論すべきです DB: なぜ知識は常に限定的と言うのですか?
16:48 K: なぜならあなたは科学者として
16:52 実験をし加え 追求します つまり加えています あなたの後に他の誰かがまた知識を加えるでしょう ですから知識とは経験の産物で限定的です
17:10 DB: はい否定する人もいました 完璧な知識を得ようと望むでしょう またはは自然の法則の絶対的知識を得ようと
17:20 K: 自然の法則は人間の法則ではありません
17:25 DB: では議論を人間の知識についてに 制限しますか?K: 勿論です それが私達の議論です
17:31 DB: そこでさえ自然の知識は可能かどうかを 問う事ができます
17:34 K: 人類の未来について議論しています
17:37 DB: そうですねではつまり 人類は精神の無限の知識を得られない という事ですか?K: はいその通りです
17:46 DB: 常に更なる未知の分野があります
17:49 K: はい もっと更なる未知があります
17:54 K: ですから知識は限定的だと容認すると 思考は限定されます
18:00 DB: はい 思考は知識に左右されます そして知識は全てを網羅しません 従って思考は起りうる全てに対処できません
18:12 K: それが政治家などが行っている事です 彼らは思考が全ての問題を解決できると考えます
18:19 DB: 政治家の事例を見ると 知識は非常は限定的で 実際にはそれは皆無に等しい! よって対処する事柄に適切な知識が不十分で 混乱を招きますK: はい では知識は限定的ですから 我々の意識 思考により構成された意識も限定的です
18:53 DB: 明確にできますか? つまり我々は同じ輪の中で繰り返すしかありません 一つの考え方としては科学と比較すると 私の知識は限定的ではあるが常に何かを発見していると 考える人もいるでしょう
19:05 K: しかしあなたが発見する事も 加えられしかしまだ限定的です
19:13 DB: 未だ限定的であるそれが要点です 科学的なアプローチの発想の裏には 知識は限定的であるが 発見ができその実現性を維持できます
19:25 K: しかしそれも限定的ですDB: 私の発見は限定的であると そして常に私の発見していない未知の事柄があります
19:33 K: ですから未知や無限を 思考で捉える事は出来ないと言っています
19:39 DB: はい
19:41 K: なぜなら思考自体が限定的ですから 私達がそれに同意すると 同意だけではなくしかしそれが事実です
19:56 DB: 更に明らかにすべきでしょう つまり思考は限定的です 思考は限定的ではないと簡単に口で言えるでしょうが そこには非常に強い性質があります
20:07 K: 感情DB: そう感じるという性質 思考は何でもできるという
20:13 K: できません 世界に何をしたかお分かりでしょう
20:16 DB: ええ同意します大変酷い事をしました しかしそれが常に間違いだという証明にはなりません 常に間違って使った人達を責める事は出来きるでしょうが
20:25 K: そうですねそれは古き良き手法です! しかし思考自体が限定的ですから 従ってそれが何をしても限定的です
20:35 DB: はい そして非常に深刻な意味で限定的だと 仰っています
20:40 K: そうです勿論大変深刻な状態です
20:44 DB: その意味を明らかにしませんか?
20:46 K: それは世界で起きている事柄です
20:50 DB: いいでしょうそれを見ていきましょう
20:51 K: 全体主義者の理想は - 思考による創案です
20:58 DB: そう言えます'全体主義者' 単語そのものは 全体の網羅を意味しますがそれを出来ませんでした 出来ませんでした主義は崩壊しました
21:07 K: 崩壊しています
21:09 DB: しかし全体主義者ではないという人達もいます
21:14 K: 民主主義者など 共和主義や民主主義理想主義者などとです それら全ての考えは限定的です
21:23 DB: はいしかし限定はある意味...
21:27 K: それは非常に破壊的です
21:28 DB: 非常に深刻で破壊的です それをどう明らかにできますか? 私の思考は限定的だと言えますが 全てがそう深刻ではないかもしれません なぜこうも重要なのか?
21:40 K: それはごく単純です なぜなら限定的な思考から生み出される如何なる行動は 対立を生みます- 不可避です 人類を地理的に分断し 国家や国籍に分断するなど 宗教的な分断と世界に大惨事を引起しました
22:06 DB: はい では思考の限定性とそれを繋げましょう つまり私の知識は限定的ですK: そう言いました
22:13 DB: それが世界の分断とどうつながるのか...
22:21 K: 私達は安全を求めていませんか?DB: はい
22:25 K: そして私達は家族の中に安全があると考えました 種族の安全 国家主義の安全 私達は分断に安全があると考えました
22:40 DB: はい 見えてきました 種族を例にしましょう一人が不安を感じたとしたら 種族に属しているから安全だと言います これが結論です それれはそうだと十分に理解しますが わかりません 私の知らない物事が起きます それが非常に不安にします他の種族が現れます
23:00 K: いいえその分断こそが不安感をうみます
23:04 DB: 分断が不安に加担しますが私が言いたい事は それを理解するに十分に知りえません わかりません
23:12 K: しかし理解しないとは なぜなら何も考えなかったからです 世界を全体として見ました
23:22 DB: 安定を目指す思考 重要事項全てを知ろうとする思考です 思考が重要な事全てを知ると想定し そしてそれが安全をもたらすと言います 知らない事が多いだけにとどまらず 本当に知らない一つは その思考そのものが争いの元だという事です
23:38 K: 対立させる はい
23:41 DB: 他の区域から分断された安全な 区域を定義するからです
23:46 K: それ自体が限定的ですからDB: はい
23:49 K: 限定的な事は全て必然的に対立をうみます
23:56 DB: それはどんな思考でも...
23:59 K: 仮に私は個人だと言うとそれは限定的です
24:03 DB: はい
24:05 K: 私は自身を案じますそれは非常に限定的です
24:08 DB: はいこれは明確にすべきです 仮にこれがテーブルだと言いますそれは限定的です 対立は起きませんね?
24:14 K: ええそこに対立はありません
24:16 DB: 私が 'これは私だ' と言うと対立が起きます
24:19 K: はいその自己は対立させる存在です
24:23 DB: なぜかを更に明確にしましょう
24:27 K: なぜなら自己は分離的で それ自身を懸念します より大きい国家を認識する自己は なおも対立します
24:42 DB: はい自身の安全の為に自己を認識しますから 他に対立して自身が何者かを認識します そして自分を守ります これが自己と他者との間に分断をうみます
24:57 K: 私達と彼ら などとです それは限定的な思考が根底ですなぜなら私達は実際に 密接に関係していると理解しないからです
25:06 K: 私達はみな人間だという事ですDB: はい我々は皆人間です
25:09 K: 人間は多かれ少なかれ同じ様な問題を抱えています
25:13 DB: いいえ理解できていません私の知識は限定的で 我々は区別をする事ができ そして他人ではなく私達自身または自己を守ります
25:22 K: はいその通りです
25:23 DB: しかしその行動自体が不安定さを生みます
25:27 K: はいその通りですDB: 不安感 では仮にそれを理解すると 単に知的や言葉だけでなく実際に理解すると 私達は私達人間の その責任は非常に計り知れません
25:50 DB: はいその責任についてどうする事ができますか?
25:54 K: そこで私はその混乱に貢献するか 蚊帳の外にいるかです それは平穏を保ち 自分に秩序をもつ事です
26:09 DB: わかりませんでしたK: それを説明します 先に行き過ぎました DB: 重要なポイントに触れたと思います
26:17 人類全ては一体であるという事です 従ってそこに分断があり破壊をもたらします
26:25 K: 危険です 一方 私とテーブルの間に分断がありますが 危険ではありませんある意味同一ではありませんから
26:33 K: 私と木々 勿論です
26:35 DB: 非常に一般的な意味でいうと私達は一つです 人間は皆一つだという事に気がつきません
26:42 K: なぜでしょう? DB: ではそこを議論しましょう これは極めて重要な論点です あらゆる分断が存在しますから 国家や宗教だけではなく個々人にも分断があります
26:53 K: そうですなぜ分断があるのでしょうか?
26:56 DB: まず少なくとも現代においては 人類は個々の人間だという認識です これは過去にはそう強くなかったかもしれません
27:05 K: それが私の問いです 私達はそれぞれ個人なのかを問います
27:12 DB: はいそれは大きな質問です
27:14 K: 勿論です いま程話しました 意識それは自己であり それは他の人類みな類似します 皆苦しみ みな恐怖心を抱き 皆不安で それぞれの信じる神や儀式を持ち それら全て思考によるものです
27:46 DB: はい 質問が二つあります 一つは全員が全員類似していると感じません 大多数は自分は独特な特徴をもつと感じます
27:59 K: 独特の特徴とはどういう意味ですか 何か行う特徴ですか?
28:04 DB: 色々あると思います例えば ある国家が他国よりも 何かに卓越していると感じるかもしれません ある人は何か特技や素質を持ちます K: 勿論です あなたは私よりもっと知的です 誰々は然々においてより優れているなどとです
28:22 DB: 自分の特技や長所に誇りを持つでしょう
28:28 K: しかしそれを置くと基本的にみな同じです
28:32 DB: はい それがどういう意味か述べるべきです 先ほど述べられたことは...
28:37 K: 表面的です
28:39 DB: ではその基礎とはなんでしょうか?
28:41 K: 恐怖心 悲哀 痛み不安 孤独感 そして人間のあらゆる辛苦
28:49 DB: 多くの人はその基礎が 人間の最高水準の達成と感じるでしょう 人間の最高水準の達成はそうではありません
28:57 K: 何を達成しましたか?DB: そこを議論しましょう
29:03 DB: これについては頻繁に議論しましたが ここで取り上げるべきかと思います
29:09 K: はい議論しましょう 私達は何を成し遂げたか?
29:13 DB: まず一つは 人々は科学や芸術や文化 技術の功績を誇るでしょう
29:20 K: その方向性においては確かに成遂げました 膨大な技術コミュニケーション 旅行 医薬 手術 非常に発展してきました
29:35 DB: はい本当に様々な意味で素晴らしいです
29:38 K: それに異論はありません 心理的に何を成遂げましたか?
29:46 DB: はい 一つ言えるのは それらは何も心理的に影響していません そして心理的な問題が 他の何より更に重要です 心理的問題が片付けられなければ その他が危いからです
29:59 K: 非常に正論です もし我々が心理的に限定的であれば 何をするに於いても限定的です そして技術は限定的な思考により使用され...
30:10 DB: はい主導はこの限定的な精神です 技術の合理的構造ではなくです すると実に技術とは危険な手段となります それが一つの要点です精神が全ての核心であり そして精神が正常でなければその他は無駄になります では二つ目の質問は- 精神にはある種の疾患 または不具合があるといいますが これらは我々に共通しており 私達はみな何か問題を持つ可能性があるでしょう しかし二つ目の論点:私達は一つである 本当ですか? つまりみな私達は類似していますが 私達が全て同じで一体と言う事ではありません
31:03 K: 意識の中では基本的に同じだと言いました みな同じ土台に立ちます
31:13 DB: はい その事実から私は人間の体は類すると言います 全てが同じという証明ではありません
31:21 K: 勿論ですあなたと私の体は違います
31:23 DB: 私達は違う土地に住み違う実在であるなど 仰っている事は 意識は個々の実在では無いという事ですか 体は特定の個性を持つ実在です
31:35 K: その通りです非常に明確なようです
31:40 DB: 明確かもしれませんが私は...
31:43 K: あなたの体は私の体と異なります
31:46 DB: はい
31:48 K: 名前も違います
31:50 DB: はい私達はとても違います 物質的に似てはいても違います 交換が出来ません
31:55 K: できませんDB: なぜなら体内の蛋白質が 他人のものと合わないでしょう そして心理的にも多くの人がそう感じます 同意または反対といった人々の間に 相性があると言います
32:05 K: しかし実にその質問を深く掘り下げると 意識は全人類によって共有されます それが私の核心です
32:17 DB: はい意識とはそれぞれ個々であり そのように伝達されそれは...
32:26 K: それは錯覚だと思います 私達はそうでない事に拘っています
32:33 DB: 人類の意識は一つだと仰るのですか?
32:36 K: 皆一つですDB: 皆一つだと それは重要です なぜなら1つか多数かは極めて重要な質問です 多数かもしれませんすると伝達し 大きな単位に形作ります それとも最初から全て一つだったと?
32:52 K: 最初から全て一つです
32:54 DB: そして分離の感覚は錯覚なのですね?
32:58 K: それを何度も何度も言ってきました 非常に論理的で健全のようです 他方が愚かなのです
33:12 DB: 分離の存在が 愚かだと直には理解しません 自分の体から心へと当てはめるからです 自分の体は他人と別だとの認識が良識的だと言います そしてその体内に私の心があると
33:26 K: 勿論です
33:27 DB: では心は体内に存在しないと言うのですか?
33:30 K: それは大変異なる質問です もう一方の議論を仕上げましょう もし私達それぞれが精神的に別々の個だと考えれば 私達が世界にした事は甚大な惨事です
33:49 DB: 分離されない状態を分離だと考えれば それは明らかに大惨事です
33:53 K: それがまさに起きています 各々のしたい事をすべきと考え 自分を満たします すると自身の分離の中で平和や安全を達成しようと 苦闘し その安定と平和は完全に否定されます
34:19 DB: 否定される理由は分離が存在しないからです 本当に分離が存在すれば それを試みるのは合理的です
34:26 K: はい実際です
34:27 DB: しかし分離できないのに分離しようとすると 結果は大混乱を招くK: その通りです
34:32 DB: それは明確ですが しかしすぐにピンとこない人もいると思います 人類の意識は分離できない一体であると言う事にです
34:42 K: はい 分離できない一体正にその通りです
34:49 DB: その概念を一度考慮すると多くの疑問がわきます - これについて十分に深く議論出来たでしょうか 一つの質問はなぜ私達は別々だと考えるのでしょう?
35:00 K: なぜか? なぜ自分を他人と区別するのか? それは自身の条件付けです
35:08 DB: しかしそんな馬鹿げた条件をどう身に付けたのでしょうか?
35:13 K: 子供の時から- これは私のおもちゃ あなたのではない
35:18 DB: はいしかし初めに感じるのは: これは私のものだと自分は個別だと感じるからです 一つであった意識がどのようにして 個々に分れたこの錯覚に至ったか明確ではありません
35:33 K: 繰り返しですが思考の活動だと思います 思考そのものの本質が 対立的で断片的です 従って私は未完全な断片なのです
35:50 DB: 思考は断片的感覚をうみます 例えばある国家を建てるとします すると私達は他国と分離する考えます そして様々な結果が続き その全てが独立して現実的に見えます 様々に分かれた言語や独立した法律 そして境界をつくります 時が経つと非常に多くの分断の証拠が見えます どう始まったのか忘れたと言います そして常にそうであったとつまり常にそこに在った事を 継続したにすぎません
36:27 K: 一度その思考の本質や構造 思考がどうのよに作動しその源が 何かを把握すれば 従って思考は常に限定的です- 本当にそれを理解すればです
36:47 DB: 思考の源は- それは記憶ですか?
36:49 K: 記憶DB: はい
36:50 K: 記憶とは過去の回想でそれは知識です 知識は経験の結果で すると経験は常に限定的です
37:04 DB: 思考は当然ながら前進を試みる為に 理論を駆使したり 発見や洞察の考慮を含みます
37:15 K: 以前に話しましたが思考は時間です
37:18 DB: はい 思考とは時間であると それについても更に議論が必要です なぜなら初見ではまず時間がそこにあり そして思考は時間の中で起きます 例えばその活動が起きているとすると 体が動きそれには時間を要します
37:42 K: ここからそこへ行くには時間を要します 言語を学ぶには時間を要します
37:47 DB: はい植物の成長には時間を要します
37:50 K: 絵を描くのに時間を要します
37:52 DB: 考えるのに時間を要するとも言います
37:55 K: ですから時間の観点から考えます
37:57 DB: はいまずは何事にも時間を要する様に 思考も時間を要すると見る傾向があります しかしそれとは違い思考が時間であると仰います それは精神的に心理的にですね
38:14 K: 勿論です
38:15 DB: ではそれをどう理解しますか
38:22 K: どう何を理解すると?
38:26 DB: 思考が時間だという事ですそれは明確ではありません
38:29 K: ええ はい 思考とは動きであり 時間は動きだと言いますか?
38:45 DB: 時間とは神秘的でそれについて人々は論争してきました 時間は動作を要する と言えます 動作なしに時間を持てないとの理解は可能です
38:58 K: 時間は動きです 時間は動作から分離しません
39:03 DB: 動作と分離するとは言いませんが 時間とは動きです - もし時間と動作が一体だと仮定するとです
39:11 K: はい私はそう言っていますDB: はい 時間と動作は切り離せないK: 切り離せません
39:16 DB: ですからそれは非常に明確なようです では物理的動作がありますそれは物理的時間を意味します 心拍があるなどとです
39:25 K: 暑さ寒さ暗い明るいなど
39:28 DB: 季節K: 日没 日の出など全て そして思考の動きがあります そこで思考の本質における疑問がわきます 思考は脳内の神経系の動作にすぎないと そういう事ですか? K: はいDB: 思考は神経系の 動作を含むがそれを超える 何かがあるだろうと言う人もいました
39:53 K: 時間とは実に何ですか? 実際に時間とは何ですか? 時間は希望
40:05 DB: 心理的にK: 心理的にです 今は完全に心理的に話をしています
40:09 DB: 人は思考を継続する傾向があります
40:11 K: 勿論ですそれは理解しました
40:15 K: 希望は時間何かになる事は時間 達成は時間です 何かになる事について議論しましょう 心理的に何かになりたいと思います 非暴力になりたいと思います- これを例にします それは完全に誤った推論です
40:53 DB: はいそれは誤りだと理解しますが その理由はその種の時間が存在しないからです
41:03 K: ありません 人間は暴力的です それについて多く語られて来ています - トルストイやインドの非暴力 事実人間は暴力的です
41:20 DB: はい
41:22 K: そして非暴力とは現実ではありません しかしそうなりたいと願います
41:30 DB: はいしかし再度それは物質的な事に関して 我々の持つ思考の種類の延長です 砂漠をみれば砂漠は現実です そして庭園は現実ではないと言います しかし心の中に庭園があり そこに水を与えると庭園になります ですから砂漠が肥沃になれば 将来を計画できると言います さて注意が必要です- 人間は暴力的だと言いますが 砂漠の例の様な計画では非暴力になりません なぜですか?
42:04 K: なぜか?それは暴力が存在しながらに 非暴力の状態は存在し得ないからです
42:13 DB: はい
42:15 K: それは理想論です
42:19 DB: 更に明確にすべきですなぜなら同様に 肥沃と砂漠の状態は同時に存在しえません 意識において言えば暴力的である場合 非暴力は意味を持たないと言う事でしょうか
42:35 K: それが唯一の状態ですDB: それがそこにある全てです
42:38 K: はい他方ではなく
42:39 DB: 他方に向かう動きは錯覚です
42:45 K: ですから理想とは錯覚です 心理的にです 壮大な橋を建築する理想は錯覚ではありません 計画ができます ただし心理的理想を持つ事ではありません
43:05 DB: はい 仮に暴力的でそう在り続け と同時に非暴力的になろうとするのは...
43:11 K: 非常に明らかですDB: 意味を持ちません
43:13 K: そこには意味がありません しかしそれが非常に重要な事になって来ました ですから何かになるという事 それは '何か' になるまたは その '何か'から離れる事です
43:34 DB: はい 'どうあるべき‘
43:38 K: 両方に疑問です
43:44 DB: 仮に自己改善の方法に何かになるという 感覚があり得ないとすれば
43:51 K: 自己改善とは非常に不快な事です ですからこの全ての起源は 時間としての思考の動作だと言うのです 心理的に時間を容認すれば その他様々な理想 非暴力や超越状態を達成するなどは 全くの錯覚となります
44:28 DB: はい 時間としての思考の動きを語る場合 私には 思考の動作からくる時間は錯覚だと思います K: はい
44:41 DB: 時間として感じるが実際の時間ではありません
44:44 K: それで私が質問しました時間とは何かと? DB: はい
44:49 K: ここからそこへ行くには時間を要します 工学を学びたければ勉強する必要があり 時間を要します その同じ動きが精神にも持ち越されます 良くなるのに時間が要ると言います 啓発されるのに時間が必要と
45:16 DB: はい それは常にあなたの一部分と 他方との間に軋轢を生みます ですから時間が必要というその動きが 精神的に例えば観察者と 観察される側との間に分断をうみます
45:32 K: そうです観察者とは観察される側です
45:35 DB: はい 即ちそこに心理的に 時間が存在しません
45:40 K: 経験する人 考える人が思考です 思考と分離した思想家はいません
45:50 DB: はい 仰る事は大変合理的のようですが それは伝統や慣習と非常に強く 逆行すると思います それは実に人々にとって 一般的に言うと非常に難しいと...
46:05 K: 殆どの人は安定した生活を望みます このままでいたい放っといてくれと
46:15 DB: はい でもそれは大変多くの紛争対立の結果で 人々は何に於いても疲れ果てています
46:24 K: しかし対立からの逃避や紛争の未解決 好む好まざるに関わらず対立は存在します それが全ての要点です 争いのない人生を送る事が可能ですか?
46:40 DB: それは全て言われて来た事に暗黙的です
46:43 K: その通りです
46:44 DB: 対立の源それが思考 知識 または過去です
46:49 K: では聞きます思考の限界を超える事は可能ですか?
46:55 DB: はい
46:58 K: または知識の終結は可能ですか? 心理的に言っています
47:08 DB: 一般的な物の知識 物質的な客観やそういった事 科学の知識は継続していきます
47:15 K: 当然です続くべきです
47:18 DB: しかし所謂自己知識における終結 という質問ですね?K: はい
47:23 DB: 一方人々は自己知識は - 仰ったように - 非常に重要だと言ってきました
47:28 K: 自己知識は重要です しかし自分を理解するのに時間をかけると つまりいずれは自分を理解するでしょう 検査や分析などにより 他人との関係を考察したりと 全てに時間を要します 私はこの事全てに 時間を持たない他の方法があると言っています それは観察者が観察される事です その観察には時間が存在しません
48:13 DB: 更に深く議論しませんか? 例えば時間がないとします しかし一時間前どこに居たかを 記憶でき認識します どの観点で時間が存在しないと言えるでしょうか
48:30 K: 時間とは分断です 思考は分断的ですから思考は時間です
48:39 DB: 時間とは過去現在未来の区切りの連続です
48:44 K: ですから思考もまたそれほどに分断的なのです 即ち時間は思考であり思考は時間です
48:53 DB: 仰った事に正確に続きませんが それは説明をしましたK: それを議論しましょう
49:06 DB: 初見ではある人は 思考があらゆる分断をうむ 統治者やそういった類いの事により また思考は時間の間隔を分割します- 過去 現在と未来 するとその思考は時間との概念に 追随しません
49:23 K: 時間は動きだと言いましたDB: はい
49:28 K: 思考もまた動作の連続です 即ち共に動作です
49:33 DB: 思考は動作なのですね? 神経系の動きだと言えるでしょう
49:41 K: いいですかそれは何かになるという動きです 心理的に言っています
49:49 DB: しかし考える時はいつも 血中や神経などと何かが 動いています 心理的な動きについて語るとき 内容の変化だけを指すのですか
50:03 K: 内容の変化とは?
50:05 DB: 動きとは何が動いているのですか?
50:07 K: いいですか 私はこうです 心理的に何かになろうと試みます
50:15 DB: その動きが思考の内容であると
50:18 K: はい
50:20 DB: もし私はこうでありそうなろうと試みるとします 私はその動きの中にいますよね?K: はい
50:25 DB: 少なくとも動きの中にいると感じます
50:27 K: いいえしかし私は - 仮に私は強欲だと例えます 強欲は動作です
50:36 DB: それはどういった動きなのですか?
50:38 K: 自分が欲しいものを得る動きですDB: もっと欲しいと はい
50:40 K: もっともっと更に それは動きです そしてその動作が私は苦痛であるとします そして無欲になろうと試みます 無欲になろうとの試みが時間の中での動きで それが何かになる事です
51:06 DB: はいしかし強欲自体も何かになる動きでした
51:08 K: 勿論です
51:11 K: では可能でしょうか- それが本当の質問です - 何にもならない事は 可能でしょうか? 心理的にです
51:25 DB: 心理的に何にでもない状態が 必要な様です つまりどの方法であれ自己を定義する否や...
51:36 K: いいえ1-2分で定義するでしょう
51:38 DB: しかし私が自分は強欲だと仮に定義すると もしくは自分は強欲だと言うまたは自分はあれこれと すると何か他のものになろうとするか その自分であり続けるかです
51:49 K: では自分であり続ける事は可能ですか? 無欲ではなく強欲のままでいられるでしょうか? そしてその強欲は自己と別物ではなく 強欲が自己です
52:08 DB: はい 通常の考え方は自分はここにあり 強欲であるか無欲であるかで それらは自分の持つか持たないだろう属性です
52:21 K: しかしその属性が自己です
52:24 DB: はい それは再度一般的な言語と経験に 非常に逆行しますK: 勿論です
52:29 DB: 私は自分の属性だという代わりに 属性の思考が自己の創造を提案します 自己の認識です
52:40 K: それらの特質属性や美徳 判断や結論意見が全て自己です
52:50 DB: それは直に認識されるべきだと 感じますK: それが私の質問の全容です この動きの全体像を認識する 即時にです そして要点に来ました- 認知 認識が可能かどうかは - 少し変に聞こえそして恐らく狂気のようですが そうではありません - 全ての記憶の動作なしに認識する事は可能ですか? 何かを直接認識するという 言葉も無く反応も無く 認識に介入する記憶も無くです
53:38 DB: それは非常に大きな質問です なぜなら記憶は常に認識に介入します
53:42 K: 勿論です
53:47 DB: 質問ですが: 認識への記憶の介入を何が阻止するのですか?
53:51 K: 何事も阻止出来ません しかし理由をみると 記憶の活動の合理性は限定的であり 認識そのものが限定的です そこから他の側面に出ます
54:15 記憶の限界の全体像を 認識しなければならないようです
54:19 K: はい一部だけでなく
54:21 DB: 記憶は限定的だと一般的に言えますが 様々にみてそれは明白ではありません 例えば我々の反応の多くは明らかではありません 記憶かもしれないが記憶として経験をしません 仰ったように自己をその時点において 記憶ではなく経験しますそれが共通の経験です 私が無欲になりたいと言うと仮定します 貪欲を経験します そして実際になりたいと強く思う経験をします 単に記憶の結果にすぎずです しかし私は自分が強欲だった事を記憶しています しかしその自己が記憶をしている当人で 逆ではなくです その記憶が自己を形成します
55:15 K: これが行き着くのは: 人類は対立なく生きる事ができるか? 実に基本的にそこへ行き着きます この地球上に平和はありえますか? 思考の活動は平和をもたらしません
55:37 仰った中で明らかなのは 思考の活動では平和をもたらせません 心理的に本質的に対立をうみます
55:48 K: はい私達がそれを一度本当に理解し容認できれば 私達の活動全ては完全に異なるでしょう
56:02 DB: 思考ではなく思考を超える 活動が存在するのですか?
56:07 K: はい
56:09 DB: 思考を超越するだけではなく 思考の連携を必要としない活動ですか?
56:14 K: 勿論です
56:16 DB: それは議論を進めるにあたり 思考が不在のなか可能ですか?
56:23 K: これが本当の要点です頻繁に議論してきました 思考を超える何かがあるのかどうか 神聖や崇拝ではなく- そういう類いではなく 思考による接触のない活動があるのですか? あると言っています その活動が知性の頂点です
56:59 DB: ここで知性が持ち上がりました
57:01 K: そうです意図的に取り上げました 知性とは姑息な思考の活動ではありません テーブルを作る知性があります
57:19 DB: 度々仰った通り知性は思考を使う事ができます
57:23 K: 知性が思考を使うはい
57:25 DB: または思考は知性の行動であると そう言えますか?K: はい
57:30 DB: または記憶の行為でもあると?
57:33 K: その通りです活動は記憶から生まれ よって記憶は限定的で即ち思考は限定的で 思考独自の活動を持ちそれが対立をもたらします
57:44 DB: はい それはコンピューターについて 言われる事に繋がるようです 全てのコンピューターは結局何らかの記憶装置に依存します 取込まれるかプログラムされ それは限定されますK: 勿論です
58:03 DB: 即ち記憶から我々が操作する場合 私達はコンピューターと大差はありません 恐らく逆で コンピューターは私達と大差がないでしょう
58:13 K: ヒンドゥー教徒は5000年前から ヒンドゥー教徒である事を組込まれています またはこの国では英国人としてプログラムされています カトリック教徒としてプロテスタントとして 私達はみなある程度プログラムされています
58:32 DB: そこであなたは 知性についての見解を挙げています プログラムされておらず おそらく創造的な知性ですK: はいその通りです その知性とは記憶や知識と無関係です
58:45 DB: はい記憶と知識に作用するかもしれませんが それはその源とは無関係です
58:49 K: 記憶などを通して作用するかもしれない その通りです 想像や無意味な空想ではなく現実性を持つか どうやって見出せるでしょうか どう解明するのですか? そこに行き着くには苦痛についての 全体を議論すべきです 苦痛には終わりがあるのか そして苦痛や恐怖快楽の追求が存在する限り 愛は存在し得ません
59:26 DB: ここで多くの質問があります 最初のポイントは苦痛は快楽や恐怖を含み そして怒りや暴力そして強欲も含めるでしょう まず最初に それらは全て記憶の応答です それらは知性とは無関係です
59:50 K: それらは全て思考と記憶の一部です
59:52 DB: それが続く限り 知性とは思考の中でまたは思考を通しして 作動できない様です
1:00:00 K: そこには苦痛からの自由があるべきです
1:00:04 DB: はい非常に要となるポイントです
1:00:06 K: これは非常に真摯で深い質問です 苦痛を終結する事は可能なのか それは自己の終結です
1:00:22 DB: はい再度繰り返すようですが 私はここにいます苦しむ苦しまないとしても つまり自分が楽しむか苦しむかです
1:00:32 K: はいわかりますDB: そこで 苦痛は思考から生じると仰っています
1:00:41 DB: 思考であるとK: 特定された 愛着
1:00:48 DB: 苦しむのは何ですか? そこにこの感情が- それは快楽と真逆の感情のように私には感じます 記憶は快楽を生むでしょうがそれが機能しない場合 苛立った時それは痛みや苦痛をうみます
1:01:05 K: それだけではなく - 苦しみとはもっと複雑ではありませんか? 苦しみとは何ですか? 痛みを持つというその言葉の意味 悲しみを持つ 完全に途方に暮れる 孤独
1:01:33 DB: 痛みだけなく総合した苦痛のように 見受けられます 非常に広大な
1:01:42 K: 苦痛誰かを失う事
1:01:46 DB: 大事な何かを失う事
1:01:48 K: はい勿論妻を亡くす 息子を亡くす 兄弟など そして絶望的な孤独感
1:02:01 DB: はい 実に単純に全世界が その状態に向かっています
1:02:09 K: 勿論です全ての戦争を意味します
1:02:12 DB: 全てを無意味にしてしまいます
1:02:14 K: フォークランド紛争はどれ程の苦痛をもたらしたか
1:02:18 DB: はい全ての戦争です
1:02:20 K: そして戦争は何千年も続いています 同じパターンを繰り返しています 過去五千年のまたそれ以上もの間の争いです
1:02:38 DB: 戦争の暴力や憎悪が知性の妨げとなる事が 容易に理解できますK: 当然です
1:02:44 DB: そう明確ではないのです 人によっては苦痛を通る事で
1:02:50 DB: 人々はK: 知的になると?
1:02:52 DB: 坩堝の中で純化する金属のようだと
1:02:57 K: わかります学び得た苦痛を通して
1:03:02 DB: またはある意味純化されるK: 純化されます つまり苦痛を通して自尊心は追放されます
1:03:11 DB: はい溶解 精製される されません人々は非常に苦しんできました どれだけの戦争どれだけの涙 そして政治の破壊的本質
1:03:30 DB: はい無数に苦しんできました
1:03:33 K: 更に乗算できます失業率 無教育など全て
1:03:37 DB: 病気 痛みなど全て しかし何が本当に苦しんでいますか? なぜそれが知性を破壊し邪魔し阻むのですか? なぜ苦痛は知性を阻むのですか? 実に何が起きているのでしょう?
1:03:51 K: 苦痛は衝撃です 私は苦しい 痛みがある それが自己の核心です
1:04:05 DB: はい苦痛の難しさとは そこにいる自己が苦しんでいる事です そしてこの自己が実際自分を哀れみます
1:04:14 K: 私の苦痛はあなたの苦痛とは違うと
1:04:16 DB: それ自体が孤立します はい そしてある種の錯覚を生みます
1:04:21 K: その苦痛は人類全体で共有されるという認識はしません
1:04:26 DB: はい しかし全人類で共有されると認識すると?
1:04:30 K: そこで苦痛とは何かを問い始めます 私の苦痛ではないとDB: はい それは重要です 苦しみの本質を理解するにあたり それが自分の苦痛だという考えから抜け出すべきです なぜなら自分の苦痛だと信じる以上 その全ての錯覚的見解を持つからです
1:04:46 K: 苦痛を終える事も出来ません
1:04:49 DB: 錯覚に対応すれば出来る事は何もありません では戻りましょう なぜ苦しむのか人間の苦痛とは? まず最初は歯が痛いと感じる または喪失したもしくは何か自分に起きたと すると他の人は完全に幸せそうに見えます
1:05:07 K: でもその人もその人なりに苦しんでいます
1:05:10 DB: はいその時点では見えませんが その人も問題を抱えます
1:05:14 K: つまり苦痛とは全人類共通なのです
1:05:16 DB: しかしその共通である事を全て一つにするには不十分です
1:05:20 K: 事実です
1:05:22 DB: はいしかし言いたい事は 人間の苦痛は一つであり別けられないと?
1:05:27 K: はいそう言ってきました
1:05:29 DB: 人間の意識同様に
1:05:31 K: はいその通りです
1:05:32 DB: 誰かが苦しむと人間全体が苦しむ
1:05:37 K: もし一国が百人千人の人を殺すと つまりは私達は苦しんで来たという事です 起源の最初から我々は苦しんできました そしてそれを解決していません
1:06:00 DB: 解決していないそれは明らかですね 解決していません
1:06:03 K: 苦痛は終わっていません
1:06:06 DB: 仰った事はつまり解決してない理由とは 私達は個人や小さな集団の苦痛として扱っているからです それが錯覚です 錯覚に対処しようとしても何も解決できません これは非常に明確にしたいのです
1:06:22 K: 思考は心理的に何も解決できません
1:06:27 DB: 思考そのものが分離的だと言えます 思考は限定的でありこの苦痛が一体であるとの 理解ができません ですから私あなた彼らの苦痛として分断します それが錯覚をうみ苦痛を増加させるだけです 人間の苦痛は一つでである その記述と人間の意識は一つである という記述とは切り離せないようです
1:06:55 K: 議論しました苦痛は我々の意識の一部です
1:07:01 DB: しかしその感覚は直に理解できません この苦痛が全人類に属するという
1:07:08 K: 世界が自己で私が世界です
1:07:10 DB: はい 度々仰ってきた事ですK: はい しかし人間はイギリス領フランス領などと分断してきました
1:07:18 DB: 物理的世界という意味でしょうか もしくは社会という意味ですか?
1:07:21 K: 社会という世界です 主に心理的な世界です
1:07:27 DB: 人間の社会という世界は一つであると 私は世界であるとはどんな意味ですか?
1:07:37 K: その世界と私に違いはありません
1:07:39 DB: 世界と私は一体で分離できなないと K: はい それが本当の瞑想です わかるはずです言葉だけでなく それが実際なのです 私は兄の番人です
1:08:05 DB: 多くの宗教はそう述べてます
1:08:07 K: それは単なる口頭の表現です 彼らはそれを遵守しません
1:08:13 DB: 守って来た人もいるでしょうが一般的に言うとそうでしょう 少数でしょう
1:08:20 K: 人間はそれをして来ていません 宗教はそれをむしろ阻めてきました
1:08:25 DB: 分断により宗教にはそれぞれの信念があり 独自の組織がありますK: 勿論です 独自の神独自の救世主がいます そしてそこからその知性は実際か またはそれはある種非現実的な投影か それが我々の問題を解決するというのでしょう? 私にはそうではありませんそれは実際的です なぜなら苦痛の終結は愛を意味します
1:09:10 DB: その議論の前に'自己' について明確にしましょう 私にはそうではないと仰った ある意味未だに個を定義しているようですが
1:09:21 K: はいDB: そうですか?
1:09:23 K: '私' と言う際 私という単語をコミュニケーションの手段として使っています
1:09:31 DB: どういう意味ですか? 人が二人いるとしましょう あなたの言うAとそうではないBと
1:09:42 K: はい
1:09:44 DB: それはAとBの間には分断をうむようですが
1:09:48 K: その通りです しかしBが分断をうみます ではその二者の関係は何でしょう?
1:10:01 DB: 自分が個別の人間だとBが言う事で分断をうんでいます しかしAが否定する事でBに更に混乱を招きます
1:10:09 K: はいそれが人間関係の全概要ではありませんか? あなたは分断はないと感じ そして本当に愛と慈悲の心を持つと そして私はそれを持ちません その問題について把握すらしていません 私にとってあなたの関係は何ですか? それを言っているのです: あなたは私と人間関係がある しかし私はあなたとは何も関係がありません
1:10:51 DB: それが分らない人は精神的に夢の世界に 住んでいる様なものと言えるでしょう すなわち夢の世界は 覚醒した世界とは関係しません しかし覚醒している同志は 少なくとも恐らく他方の同志を覚醒できます
1:11:08 K: あなたは覚醒して私はそうでない するとあなたとの関係は非常に明確です しかし私はあなたとは何も関係はない 持てません 私は分断を主張しあなたは主張しません
1:11:29 DB: はいある意味人類の意識は それ自体が分断されたと言えるでしょう 全ては一であるが思考によって分離されてきたと
1:11:38 K: 私達がその荒波にもまれてきました
1:11:40 DB: よって私達はこの状況下にいます
1:11:43 K: ですから今人間の直面する問題は 心理的にも他の意味でも 思考の結果なのです 思考はつも同じパターンを続けており 思考は諸処の問題を解決はしません そこで別の手段が存在します それが知性です
1:12:10 DB: それは全く別の議題となります
1:12:13 K: はいそうです
1:12:16 DB: それに愛についても述べられました
1:12:19 K: はい述べましたDB: または慈悲の心
1:12:22 K: 愛と慈悲心なくして知性はありません あなたがある宗教に属していたら 慈悲の心を持てません もし柱に縛られていたら 例えば動物が柱に縛られるように 同情的に考える事はできます
1:12:45 DB: あなたの自己が脅かされた瞬間 それは全て消えます 何を本当に考えるかが重要です
1:12:52 K: 自己は影に隠れて...DB: 他の事柄 高潔な理想
1:12:57 K: はいそれ自体を隠す膨大な能力を持ちます では人間の未来とは何でしょうか? 私が考察するには破壊へと向かっています
1:13:19 DB: その方向に向かっているようです はい
1:13:21 K: 非常に暗く 残酷で危険 もし子供がいたら その未来はどうでしょう?この状況に踏み入れ そしてこの全ての苦境を通るのでしょう? ですから教育が非常に重要になります しかし昨今の教育は知識の蓄積にすぎません
1:13:56 DB: はい人間が発明した機械 または発見や開発が破壊へと向かっています
1:14:03 K: はい全くその通りです 自然を破壊しています 今では虎が殆どいません
1:14:14 DB: 殆ど? K: 虎全てを破壊しています
1:14:17 DB: 森林そして農地をも破壊しています 過剰人口 誰も関心が無いようです
1:14:29 DB: 二つあります一つは 人々は自分の問題に没頭しています
1:14:33 K: 人類を救う小さな自分の計画に埋没しています
1:14:38 DB: 大多数は自分を救う計画にただ埋没されます 一方人類を救おうとする人もいます しかし暗示的に今起きている事態への 絶望の傾向もあるようようで 打つ手はないと考える人もいます
1:14:54 K: はい もし彼らが何か出来ると考えるならば 小さな集団やつまらない理論を作ります
1:15:03 DB: 自分の行いに非常に自信がある人達と 自信がない人達がいます
1:15:08 K: 殆どの首脳達は非常に自信があるようにです 何をしているかを実際は理解していません
1:15:14 DB: しかし大多数は自分の行いに あまり自信を持ちませんK: そうですね もし非常に大きな自信を持つならば それを受けとめ共に進みます
1:15:22 DB: はいしかし思考は限定的ですから...
1:15:29 K: それが人の人間の人類の未来です それを懸念する人がいるでしょうか または個人や集団は 自分が生き延びる事だけ懸念するでしょう?
1:15:51 DB: 最初の懸念はこれまでもほぼ常にそうだったように 個々または集団の中での生き残りでした それが人類の歴史でした
1:16:00 K: すなわち終わりなき戦争 果てしない不安感
1:16:06 DB: しかし仰った通りこれは思考の結果で 未完全の元自己を集団の中で 認識するなどといった過ちをおかします
1:16:17 K: これを聞き同意します この事実を理解しますが 権力者はあなたを聞き入れもしません
1:16:28 DB: ええ
1:16:30 K: 彼らは更なる惨劇をつくり出しています 世界は更にもっと危険になりつつあります 私達が同意し真理であろう何かを理解する意味は何でしょうか? 人々はこれを問います:私達が真理であろう事を 理解する核心は何でしょうかどんな影響があるでしょうか?
1:16:52 DB: そうですね私には 仮にもたらす影響について考えると
1:16:59 K: はいそしてそれは誤った質問です
1:17:02 DB: 私達はその問題の 裏にあるその事を持ち出しています それは最初の反応は 直にその事態を変えるために介入し 何かすべきだという反応
1:17:13 K: つまり社会や財団組織などを作ります
1:17:17 DB: しかし私達の間違いは何か考るべきですが その思考は未完全だという事です 何が起きているのが実際よく解っていません 人々は理論立ててきたが理解していません
1:17:27 K: つまり それが誤った質問であれば 人間として 人類として 私の責任は何ですか? 影響などは別として
1:17:49 DB: はい影響には目を向けられません しかしAとBの例と同じでAは理解しBは理解しない Aは何かを見ると仮定します そして残り殆どの人類はそれをみません 人間はある意味夢を見ている眠っていると言えます
1:18:12 K: 彼は錯覚に捕われています
1:18:14 DB: そして要点は もし誰かが何かを理解するとその人の責任は 他の人の覚醒を手助けする事です その錯覚から逃る手助けです
1:18:28 K: その通りです これが問題でした よって仏教徒は温情深い菩薩の 意図を投影してきました そしてそれが全ての慈悲心の根底で 彼は人類を救おうと待っています 聞こえはいいです 救う誰かがいるという幸せな気持ちになります しかし実際に私達は 容易でない満足しない不安定な事は何もしません 心理的にも身体的両方にです
1:19:21 DB: それが基本的に錯覚の元です
1:19:25 K: どうこれを人に理解させられるでしょうか? 時間がない気力がない 傾きもしない彼らは楽しみたいのです この全真理をはっきりとどう 'X' が理解しそして はい分りましたがんばります 自分の責任ですなどとできるでしょう それが真理を理解する人と 理解しない人との悲劇だと思います