Krishnamurti Subtitles
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BR83CB2 - 意識の進化とは存在するのか?
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| 0:18 クリシュナムルティ: 前回は 人類の未来について 議論をしました 私が理解する限り 心理学者達は皆 人類の未来を本当に 懸念しているでしょうか? または人間の 現代社会への順応を 懸念するのでしょうか またはその先でしょうか? |
| 0:58 デイビッドボーム: 殆どの心理学者は 明らかに社会への 順応を望むでしょうが ある心理学者達は - 私達の議論を 聞いている方々は - それを超え 人間の意識を 変えると 考えていると思います |
| 1:13 K: 人類の意識は時間の経過で 変えられるでしょうか? 今夜の議題の一つとして それを議論すべきです |
| 1:22 DB: はい実に前回 議論しました 明らかになった事は: 意識において 時間は関連がなく それはある種の錯覚である事です 何かになる事の錯覚について 議論しました |
| 1:44 K: 議論しました - 明確にしましょう - 意識の 進化とは 間違った推論です |
| 1:57 DB: 時間を通してですね? しかし物理的進化はそうではありません |
| 2:03 K: はい もっと単純に こう言えますか: 心理的進化は ないと もしくは精神の進化はないと |
| 2:16 DB: はい人類の未来は 精神に左右されますから 人類の未来は 時間の経過を通して 決まるのではない ようです そこで質問が残ります: 私達はどうするか? |
| 2:32 K: ではそこから 始めましょう |
| 2:37 K: まず脳と心理を識別する べきでしょうか? |
| 2:45 DB: その識別はされて来たが はっきりしません 勿論です 様々な見解があります 一つの見解は意識とは 脳の単なる一機能だと - それが物質主義者の見解です 他の見解があり それは 心と脳は二つの 異なるものです |
| 3:01 K: はい私は二つ異なる ものと考えます |
| 3:05 DB: しかしそこには... |
| 3:07 K: 二つの間の接点 二者間の関係性 |
| 3:11 DB: 必ずしもこの二つの 分離を暗示しません |
| 3:16 K: まず脳をみてましょう 私は脳の構造など そういった事の 専門家ではありません しかし自分の脳の活動を 観察する事はできます それはまさに プログラムされ 記憶する コンピューターのようです |
| 3:43 DB: 確かに大部分の 活動はそうです しかし全てそうなのかは 不明です K: ええ |
| 3:48 そして条件づいています DB: はい |
| 3:52 K: 過去の世代によって 条件づいています |
| 3:54 社会や新聞 雑誌によって 外部からのあらゆる活動と 圧力によってです 脳は条件づいています |
| 4:10 DB: この条件とは どういう意味でしょう |
| 4:12 K: 脳はプログラムされおり ある種のパターンに順応します それは全て過去に存続し 現在に自ら修正して 進み続けます |
| 4:32 DB: ある程度この条件とは 便利で必要だと 同意してきました |
| 4:36 K: 勿論です それは前回議論しました |
| 4:38 DB: しかし自己を 決定付ける 条件とは |
| 4:45 K: 精神 DB: 精神としましょう |
| 4:47 K: 一旦これを精神と 呼びましょう 自我 |
| 4:48 DB: 自我 精神 |
| 4:51 その条件付けについてを 議論しています それは不必要なだけでなく 有害でもあるでしょう |
| 4:58 K: はい それについても議論しました 精神について強調 - いま議論する通り - 自我に重要性を 付与しています これが非常に大きな損害を 世界につくり出しています それは分離的ですから よって常に 対立します それ自体の中だけでなく 社会とも 家族などともです |
| 5:34 DB: はいそして 自然界ともです |
| 5:37 K: 森羅万象にも と言えるでしょう |
| 5:40 DB: 前回の議論では 対立が起る理由は |
| 5:44 K: 分離であると |
| 5:46 DB: 分離が起るのは 思考がこの条件付けに 基づいて 限定的だからです この知識と記憶は 限定的です |
| 5:54 K: そして経験は限定的 すなわち知識は限定的で 記憶と思考 思考は限定的です そしてその構造と 精神の本質は 時間の中の 思考の動作です |
| 6:11 DB: 質問を したいのですが: 思考の動きについて 議論する際 何が動いているのか 私にははっきりしません 私の手の動作は実際の動きだと 議論しました それは意味が明確です しかし思考の動きの 議論となると私には ある種の錯覚か何かを 議論しているようです なぜなら何かになる事が 思考の動きだと |
| 6:35 K: 何かになる事の動き という意味です |
| 6:38 DB: でもその動きはある意味 錯覚なのですよね? |
| 6:41 K: はい 勿論です |
| 6:42 DB: しかし寧ろそれは 画面上の動作のように プロジェクターから 投影され そして画面からは何の物体も 動いておらず しかし唯一実際の動作とは プロジェクターの起動です そこで脳の中には実際の 動作があると言えますか これら全てを写しだし それが条件づく事であると? |
| 7:02 K: それは私が知りたい事です 少し議論を進めましょう |
| 7:06 K: 脳は条件付いている事に 私達は互いに同意 理解します |
| 7:10 DB: それはつまり 実際に物理的に 化学的に 影響をされて来ました |
| 7:17 K: 遺伝子学的にも 心理学的にもです |
| 7:20 DB: では物理的と心理的の 違いは何でしょうか |
| 7:24 K: 心理的 それは自己の中心にあり 継続的な 自我の主張で それが動作であり 条件付けです |
| 7:51 DB: はいしかし 経験するにあたり それは錯覚なのですよね? |
| 7:56 K: 錯覚であると言いました |
| 7:57 DB: しかし中では実際 何か動きが起きています 脳を例えにすると 何か機能しています 脳は物理的に化学的に 条件付いており 自己を考える際に 物理的に化学的にも 何かが 起きています |
| 8:15 K: 仰っている事は むしろご質問は: 脳と自我は 二つ異なるものであると? |
| 8:25 DB: いいえ自我とは 脳を条件づけた結果です |
| 8:30 K: はい 自我が脳を条件付けています |
| 8:34 DB: はい しかし自我とは存在しますか? |
| 8:38 K: いいえ |
| 8:39 DB: しかし脳の条件付けとは 私の見解は 自我と呼ぶ錯覚を 伴うと考えます |
| 8:45 K: その通りです その脳の条件付けは 消散されますか? |
| 8:52 DB: はい K: それが全質問です |
| 8:53 DB: そして消散される べきですか |
| 8:54 物理的に化学的そして 神経生理学の趣旨から まずどんな科学者でも 最初の反応は: 私達の行う事では 消散できそうに 無いと言う でしょう ある科学者は新薬を 発見したり 新たな遺伝子の変化や 脳の構造の深い知識を 発見すると考えるでしょう それにより何かできるとの 希望を持つでしょう ある人達の中ではそれが 流れかと思います |
| 9:23 K: それが人間の行動を 変えるでしょうか? |
| 9:26 DB: 変わりませんか? そう信じる人はいるでしょう |
| 9:32 K: 待ってください これは問題の核心です かもしれない- とは未来を意味します |
| 9:38 DB: はい全容を見るには 時間を要します |
| 9:42 K: その間 人は自分達を破壊していきます |
| 9:45 DB: 何とかなると 希望はあるかもしれません 我々の議論の批判も 出来ますから 同様にどんな良い事が 出来るのか? 誰にも影響を 与えないようですし 大きな違いができるには 間に合いません これが生じる 質問です |
| 10:09 K: 私達は二人には明確です DB: はい |
| 10:11 K: 人類にどう影響を 及ぼすのか? |
| 10:13 DB: 影響を及ぼすのに 間に合うのか... |
| 10:15 K: 確実にありません 明らかにありません |
| 10:19 DB: ではなぜ私達は そう行うべきですか? |
| 10:21 K: それが正しい行い だからです |
| 10:24 DB: 独立的に |
| 10:26 K: それは報酬や罰とは 無関係です |
| 10:28 DB: もしくは目標 K: はい |
| 10:31 DB: 正しい事をする 結果がどうなのか |
| 10:33 解らなくともです K: その通りです |
| 10:35 DB: 他に方法はないと 仰っていますね? |
| 10:38 K: 他に方法はありません そうです |
| 10:39 DB: それは明確にすべきです |
| 10:42 例えばある心理学者は この種の問題を |
| 10:45 調査する事で 意識の革新的な変化を もたらす事ができると 考えるでしょう |
| 10:59 K: その論点に戻りました 時間を通して 意識の変革を望むという |
| 11:07 DB: はい K: それを問います |
| 11:09 DB: 質疑しました そして私達はみな |
| 11:10 何かになるという錯覚に 捕われており 自分達が何をしているか 解らないでしょう 物理的に化学的または 構造的に変えようとする その科学者達に 同じ事が 言えるでしょう 彼らもまた渦中に 捕われており 時を経て良くなると 捕われます 本当に何をしているのか 分からないでしょう |
| 11:38 K: 実験主義者も心理学者も 私達自身も皆 何かになろうと しています |
| 11:47 K: はい最初は明らかでない かもしれませんが 単に本当に 関心がないように または先入観の無い観察者が 問題に取り組むようですが 表面下には 行うその人の一部に 良くなろうとする 欲望を感じますが それから自由ではありません |
| 12:06 K: そうなのです 彼らはそれから自由ではありません |
| 12:08 DB: そして その欲望が 自己欺瞞や錯覚などを 起こします |
| 12:17 K: 議論は今どこですか? どのような形でも何かになる とは錯覚で 何かになるとは時間を意味する 精神が変わる時間です - 時間は必要ないと 言っていますよ |
| 12:36 DB: はい するとそれは 他の議題である 心理と脳に連結します 脳は明らかに時間における 活動として解明されます 身体的 化学的 複雑なプロセスとして |
| 12:52 K: 私は心理は脳と 別だと考えます |
| 12:56 DB: 別とはどういう意味ですか 接点があるのですか? |
| 12:59 K: 脳は条件付けられており 心理は違うという意味で別です |
| 13:04 DB: 脳から特定の 独立性が心理にあると そう仰っていますか 脳は条件づいているに関わらず... |
| 13:10 K: 他方はそうではありません DB: 条件づく必要はありません |
| 13:12 DB: では何を基準に そう仰るのですか? |
| 13:13 K: いいえ何が基準かではなく 議論しましょう |
| 13:21 DB: では何がそう言わせるのか? |
| 13:25 K: 脳に関しては |
| 13:27 脳は条件づいており それは自由ではありません |
| 13:35 DB: はい |
| 13:37 K: そして心理は自由です |
| 13:39 DB: はい そう仰います では脳が自由ではないとは 偏見の無い方法で 自由に問えないという意味です |
| 13:46 K: それについて話します 自由とは何かを問いましょう |
| 13:49 DB: はい |
| 13:50 K: ご指摘の通り 問う自由 調査する自由 深い洞察力があってこそ 自由なのです |
| 14:00 DB: はいそれは明らかに もし自由でなければ もし偏見があれば そこであなたは限定的です 恣意的です |
| 14:10 K: ですから脳が 条件づいている間は 脳と心理の相関は 限定されます |
| 14:20 DB: 脳の心理との関係性 があり その逆もあります |
| 14:26 K: しかし心が自由である事は 脳に関係があります |
| 14:31 DB: はい 心は自由であると ある意味言いますが 脳が条件づいた 観点ではありません では質問ですが: 心理の本質とは何ですか? 例えば心理とは体内に 位置するのですか それとも脳の中ですか? |
| 14:46 K: いいえ体や脳とは 一切関係ありません |
| 14:48 DB: 空間や時間と 関係が? |
| 14:52 K: 空間 - 待ってください - 空間と静粛に 関係があります |
| 15:07 DB: でも時間ではないと? K: 時間ではありません |
| 15:07 時間は脳に属します |
| 15:14 DB: 空間と静粛 どういう空間なのですか? 光の動きにみる 空間ではありません |
| 15:24 K: 別の方向から 見てみましょう 思考は空間を発明できます |
| 15:34 DB: 加えて我々が見る この空間もあります 思考は様々な空間を 発明できます |
| 15:40 K: ここからそこへの空間 |
| 15:42 DB: はい私達が物理的に 動くこの空間 |
| 15:45 K: 二つの音の間の 空間もあります |
| 15:48 DB: 二つの音の間 |
| 15:51 DB: それが間隔です それは二つの音の 間隔と言えます |
| 15:57 K: はい 二つの音の間の間隔 二つの思考 二つの音 |
| 16:07 K: 二人の間の空間 |
| 16:09 DB: はい 壁との空間 |
| 16:12 K: などです しかしその種の空間は 心の空間ではありません |
| 16:18 DB: 限定的ではないと |
| 16:20 K: 限定という単語を 使いたくありませんでした |
| 16:22 DB: しかしそう示唆します 何かに固定される 本質の中にありません |
| 16:27 K: ええ精神に 縛られません |
| 16:31 DB: しかし何かには拘束されますか? K: いいえ |
| 16:33 DB: 精神は縛られると 仰いました |
| 16:36 それは限定的だから などと言いました |
| 16:41 K: 脳は - それについてを寧ろ 議論したいと思います - 脳はその条件づいた 細胞も全て それは根本的に 変わるでしょうか? |
| 16:56 DB: これは頻繁に 議論しました 全ての細胞が 条件づいているかは不明です 例えば ある人は ごく一部の小さな細胞のみが 使われており そして他は非活性 休止状態だと言います |
| 17:10 K: または時折少々接触がある |
| 17:13 DB: しかしそれらの細胞は 何であろうと条件づいており 明らかに今意識を 支配します |
| 17:19 K: はい それらの細胞は変えられますか? |
| 17:24 K: 洞察する事で 変えられると言っています 時間から離れた洞察 記憶の結果 ではなく 直感ではなく 欲望や希望ではなく 時間と思考と一切の 関係はありません |
| 17:54 DB: 洞察とは - 心のという事ですか? 心の本質 心の活動ですか? |
| 18:00 K: はい |
| 18:02 DB: 従って心が脳に関して 作動できるという事ですか? |
| 18:06 K: はい前途の通りです |
| 18:08 DB: はい しかしこれは難しい要点です - どうやって心が 作用するのか |
| 18:18 K: 脳に働きかける 事が出来ます 例えば ある危機もしくは 問題を例にしましょう 問題とは - 意味の根本はあなたに 何かが投げられている すると問題を全ての過去の 記憶と合わせます 私達の偏見を元になどと ですから問題が 乗じるのです 一つの問題についてその特定の 解決法で解決するでしょうが その問題から また他の問題が起こります まさに政治などで 行われているようにです 問題に取り組むには もしくは問題の 認識を持つには 過去の記憶や思考の 干渉ないまたは問題の認識に 予想を持た無い事です |
| 19:22 DB: はい つまりその認識は 心理のものとも意味します |
| 19:27 K: そうです |
| 19:28 DB: 事実上脳は心理の 機器のようだと 仰るのですか |
| 19:37 K: 心理の機器 脳が自己中心的でない 場合にです |
| 19:44 DB: はい全てのこの 条件についてを考えると 脳がそれ自体を刺激し そのプログラムだけから 継続するという 条件かもしれません それが能力すべてを 占領します |
| 20:00 K: 私達の毎日がほぼそうです |
| 20:01 DB: 脳の全ての 能力 それは自分の雑音を生み出す ラジオ受信機のようです 信号を拾いません 比喩になっているでしょうか |
| 20:12 K: そうではありません DB: 全く良くありませんか |
| 20:16 K: これについて更に 議論をしませんか |
| 20:20 経験は常に限定されます その経験を何か素晴らしい事に 膨らませるかもしれません そしてその経験を売る お店を設るかもしれません しかし経験は限定的です ですから知識は常に 限定的です そしてこの知識が脳の中で 稼働しています この知識が脳です そして思考もまた 脳の一部であり 思考は限定的です すなわち脳は非常に 小さな領域で稼働しています |
| 21:13 DB: はい広領域の稼働を 妨げるものは何でしょうか? 何が無限の領域での稼働を 妨げているのですか? |
| 21:23 K: 思考です |
| 21:25 DB: 脳はそれ自身の プログラムから独自で 動いているようですが |
| 21:30 K: はいコンピューターの プログラム自体のようです |
| 21:34 DB: そこであなたが 仰っている事は原則的に 脳が本来は心に 反応すべきであると |
| 21:43 K: それは限定的な思考から 解放され 反応できます |
| 21:51 DB: はいするとその プログラムが占領しません そのプログラムは 未だ必要ではあります |
| 21:55 K: 勿論です... DB: 様々な事にはい |
| 22:01 DB: では知性とは 心からくるのですか? |
| 22:06 K: はい知性は心です |
| 22:09 K: では他の議論に 向かいましょう |
| 22:12 慈悲心は知性と 相関していますから 慈悲心なしに知性は 存在しません そして慈悲心とは 全ての記憶や 個人の嫉妬 など全てから 完全に自由な愛があり 成立します |
| 22:45 DB: その慈悲や愛は 心のものですか? |
| 22:49 K: 心のものです もしある特異の経験 もしくは特定の理想 に執着していると 慈悲的になれません |
| 22:59 DB: はいそれがまた私達を 縛るプログラムです |
| 23:03 K: はい 例えば 様々な貧しい国々に 行く人達は 奉仕をする事でそれを 慈悲心と呼びます しかし彼らはある特定の 宗教の信念に 捕われており故に 非常に哀れみ同情するが それは慈悲ではありません |
| 23:31 DB: はい わかります 二つあります ある意味 独立的です: 脳と心があり その二つは接触します 知性と慈悲は 脳を超えて存在します どうその二つが接触しているのかを 問いましょう |
| 23:59 K: 心と脳の接触は 脳が静かな時にのみ 存在します |
| 24:05 DB: はい それが条件です それが 前提条件です 脳が静かである必要があります |
| 24:13 K: 静かとは訓練した 静けさではありません 自己意識や 静粛を望む瞑想的静けさではなく 自身の条件付けについての 理解からくる 自然な結果です |
| 24:33 DB: はい 脳が静かであれば 更に深く聞く事ができると ほぼ言えるでしょう |
| 24:42 K: そして脳が静かであれば 心と相関します すると心が脳を通して 機能できます |
| 24:54 DB: 脳に関して 思考を超える活動が あるかについて 理解できれば いいのですが 例えば 覚醒とは脳の 機能の一部ですか? |
| 25:11 K: 覚醒がある限り 選択がありません 私は覚醒し その覚醒の中で自分が選択をします |
| 25:26 DB: はい 難題なようです 選択とは何が問題でしょうか? |
| 25:32 K: 選択とは混乱を意味します |
| 25:34 DB: 語彙だけでは 明確ではありません |
| 25:37 K: 勿論です 二つの中から選ぶ事 |
| 25:39 DB: はいそれを買うか買わないという 選択ができます |
| 25:43 K: はいそのテーブルこのテーブル から選ぶ事ができます |
| 25:44 DB: もしくはテーブルを買うときに 色を選びます |
| 25:46 K: こちらが良いテーブルですと |
| 25:49 DB: それは明らかに 混乱する必要性はありません どの色がよいかを選ぶとしたら なぜ混乱する必要があるか 分かりません |
| 25:55 K: 問題はありません そこに混乱はありません |
| 25:58 DB: しかし 精神における選択は そこに混乱が あるようなのです 言葉が 持ち去るようです |
| 26:08 K: 選択する精神について 話をしています |
| 26:11 DB: はい 何かになるという選択です |
| 26:14 K: 何かになることを選択する そして選択が 混乱がある所にも存在します |
| 26:19 DB: 混乱の中で精神が ある何かになるか他方かの 取捨選択をすると仰るのですか 混乱するという事 何か良くなろうとします |
| 26:31 K: そして選択は二重性を示唆します |
| 26:36 DB: はい しかし初見では 前述された 他の二重性があります それが心と脳です |
| 26:42 K: いいえ それは二重ではありません DB: それは明確にすべきです |
| 26:44 違いは何ですか? |
| 26:50 K: いいでしょう 簡単な例を取りましょう 人間は暴力的です そして思考によって 非暴力が提案されてきました それが二重性なのです - 事実と事実でない二重性 |
| 27:11 DB: ええ 事実と心が作る単なる 投影に二重性があると 言うのですね |
| 27:18 K: 理想と事実 |
| 27:19 DB: はい 理想は非現実で 事実は現実 |
| 27:23 K: 理想は実際ではありません |
| 27:31 DB: その二つの分離を 二重性と仰っている しかしなぜそう 呼ぶのですか? |
| 27:35 K: なぜならそれは 分離されているからです |
| 27:37 DB: 少なくとも 分離されているようです |
| 27:42 K: 例えば 全体共産主義者の理想や 民主主義の理想は 限定された思考による 結果です そしてそれが世界に 大惨事をもたらしています |
| 27:55 DB: はい 分離が持ち込まれました しかし分離する事の 出来ない何かについて 議論していると 思うのです 精神を分離しようと しています |
| 28:09 K: 暴力は非暴力と 分離できません |
| 28:14 DB: そして精神は 暴力と非暴力に分離できません |
| 28:18 K: そういうものです DB: もし暴力的であれば |
| 28:19 暴力的と非暴力的に 分離できません |
| 28:24 K: 素晴らしい ですから 'それ自体' に留まります こうあるべき こうあるはずではなく 理想の考案などではありません |
| 28:39 DB: はい しかし 心と脳の質問について 戻りませんか 心と脳は接触しており 分離は無いと話しました |
| 28:51 K: 心と脳の間に 接触があるのは 脳が静かで 空間を持つ時のみにです |
| 28:58 DB: はい二つは 接触しており 全く分離されていないが 心は脳の条件付けから ある種の独立性を 持つ事ができると 仰るのですね |
| 29:13 K: ご注意ください 私の脳がヒンドゥー教徒として プログラムされているとします すると私は生涯ヒンドゥー教徒 として条件づいた考えの元 機能し行動します 心はその条件とは 明らかに関与しません |
| 29:42 DB: '心' という単語ですが 私の心という意味ではありませんね |
| 29:46 K: 心 - 私の心ではありません |
| 29:47 DB: 普遍的な一般的な 意味での心理ですね |
| 29:49 K: はい 私の脳でもありません |
| 29:51 DB: ええ しかし独特な脳があります この脳やあの脳といった 独特な心があると 言いますか? |
| 29:59 K: いいえ |
| 30:00 DB: それは重要な 違いです 心は実に普遍的であると 仰っています |
| 30:04 K: 心は普遍的です その醜い単語を使えばそうです |
| 30:07 DB: 無限または一体 K: はい |
| 30:09 K: 思考によって 汚染されていません |
| 30:11 DB: しかし大多数にとっては どうこの心について |
| 30:17 どう知るかが 言い難いでしょう? 私の心が最初の感情 としか分かりません |
| 30:27 K: それをあなたの心とは呼べません 条件付いた脳しか 持ちません 私の心だとは呼べません |
| 30:37 DB: 中で何が起きていようと それは自分のものと感じます 他人の中に起きている事とは 大変異なります |
| 30:45 DB: 少なくとも初見では 違うようです |
| 30:47 K: お聞き しますが 人間として自分の中に 起きている事は 他の人間とは 違いますか 私達は皆様々な 問題や苦しみ 恐れや不安 寂しさを経験します 皆それぞれ教義や信念 迷信があり 皆それを持ちます |
| 31:10 DB: 非常に似ていますが それでも 個々人はお互に 孤立しているようです |
| 31:14 K: 思考によってです 私の思考が私はあなたとは 違うと生み出してきました 私の体はあなたとは 違いますから 私の顔はあなたとは違います ですから我々は同様に 心理的にそれを延長します |
| 31:34 DB: はい それについては議論しました しかし仮に その分離が錯覚 だとしたら |
| 31:44 K: いいえ仮にはありません DB: それは錯覚であると |
| 31:46 しかし最初はそれが そう明確に見えません |
| 31:51 K: 勿論です |
| 31:56 DB: 実際には 脳も分離されていません 私達は基本的に似ている だけではなく 実に関係しています その全てを超え 心だと言います 全く分離の無い心です |
| 32:09 K: 無条件です |
| 32:11 DB: はい それはつまり 人として個別だと感じる と言う事はほぼ 心との接触が殆どないと 示唆しているようです |
| 32:18 K: その通りです |
| 32:20 DB: 心が無いといいましょうか |
| 32:25 K: ですから心だけでなく 自分の条件付けについての 理解が非常に 重要なのです 私の条件であろうと 人間の条件であろうと 溶解できません それが本当の問題なのです |
| 32:42 DB: はい 心は - 心とは呼びません - 人間は常に意味が 何かを考慮します 言われた事の意味を 理解したいと思います 私達は普遍的な 心を持ち それはある空間にあると いいましょうか または独自の空間にあると? |
| 33:05 K: 自分の中でもなく 脳の中でもありません |
| 33:07 DB: しかし空間を持ちます |
| 33:11 K: それは空間と静粛の 中にあります |
| 33:15 DB: しかし心の空間 なのですよね? |
| 33:19 このスペースという空間ではなく K: そうです ですからその空間とは思考によって 考案されないと言いました |
| 33:28 DB: ではその空間を 把握する事は可能ですか 心が静かな時に? または接触をもつと? |
| 33:36 K: 把握ではありません あなたの質問は: 心が脳により 把握される事が出来るか |
| 33:48 DB: または少なくとも 何らかの形で認識また感知するかです |
| 33:54 K: 瞑想を通して はい可能です その単語は相応しくないかもしれない DB: いいえ気にしません |
| 34:01 K: 可能だと考えます |
| 34:03 - いいですか それが難題なのです '瞑想'という単語を使う場合 一般的には常に 瞑想者が瞑想すると 理解されます 瞑想とは本来 無意識のプロセスです 意識的プロセスではありません |
| 34:27 DB: ではどうして 仮に無意識で瞑想が 行われると言えますか? |
| 34:32 K: 瞑想とは脳が静かな時に 行われます |
| 34:37 DB: 意識とは 思考の全ての動き 感情 欲望 意思などに まつわる全てを意味しますか しかしそこにはある種の 覚醒があるのでは? |
| 34:47 K: はい 所謂覚醒 によります 何の覚醒ですか? |
| 34:55 DB: 恐らく何かの深い覚醒 わかりません |
| 35:06 K: '深い'という単語を使う場合 それは計測です |
| 35:16 DB: では止めましょう しかしそこには ある種の無意識が あると言えるでしょう 単に全く気付きの無い という無意識です ある自分の問題や葛藤に 無意識かもしれません |
| 35:30 K: 更にもう少し 議論しましょう 意識的に何かをしたら それは思考の活動です |
| 35:41 DB: はい はい思考が自身を 反映します |
| 35:47 K: それが思考の 活動です では私がもし意識的に 瞑想 鍛錬すると 私が言う無意義な事です あなたは脳に また別のパターンの連続を 従わせています |
| 36:05 DB: はい 何かになる 良くなろうと試みています |
| 36:12 K: 何かになる事で 啓発は存在しません 啓発を達成すると - その単語を使えるとすれば - 言う事によって 啓発はされません |
| 36:23 DB: 意識の無い事の コミュケーションを図るのは 非常に困難な様です |
| 36:30 K: それが難題です |
| 36:31 DB: 単に気を失う のではなく 気を失ったら 無意識ではありますが そういう意味ではありませんね K: 勿論違います! |
| 36:38 DB: または麻酔下の状態でもなく |
| 36:39 K: こう言いましょう 意識的な瞑想 |
| 36:46 自身を条件から解放する為 思考を管理する 意識的な活動とは 自由ではありません |
| 37:01 DB: はいそれは明らかですが 他にどうコミュニケーションを図るか とても不明瞭になります |
| 37:07 K: 待ってください 思考の先に何があるのか 教えてください |
| 37:20 DB: もしくは思考が静かなときに K: 静か 静粛 |
| 37:22 どの単語を使いましょうか |
| 37:27 DB: 私の提案は '覚醒' でした '注意' という単語はどうですか? |
| 37:32 K: 私は注意の方が良いです DB: はい |
| 37:36 K: 注意の中には |
| 37:39 '自己'としての中心は 在りませんか? |
| 37:46 DB: その種の注意についてを 議論している場合 種類があり 通常でいう 自分たちが興味がある故に 注意を向ける種類です |
| 37:54 K: 注意は集中ではありません DB: はいそれは集中です |
| 37:57 しかし私達はある特定の 注意を議論しています '自己'が存在しない状態の注意です それは条件付ける 活動ではありません |
| 38:07 K: 思考の活動ではありません DB: はい |
| 38:09 K: 注意において 思考に存在余地はありません |
| 38:11 DB: はいしかし更にこう言えます - 注意とはどういう意味か - |
| 38:16 ここで単語の語源は 何か役に立ちますか? 何かに向け心を伸ばすという 意味はどうでしょう? |
| 38:27 K: いいえ 例えば仮に 集中とは注意でなく 努力は注意ではありません 何かに注力する時 それは注意ではありません 注意は自己がない場合にのみ 成立します |
| 38:59 DB: はいしかし それでは堂々巡りです 自己があり私達は 始まります 誰かが瞑想は必要だと 言います 彼は自己から始めます '私はここにいる'と |
| 39:11 K: いいえ注意深くその単語を使いました 瞑想とは計測です |
| 39:16 DB: はい |
| 39:17 K: そこに計測がある限り それは何かになるという事で そこに瞑想は存在しません そう言いましょう |
| 39:23 DB: 瞑想が存在しない場合 議論できます |
| 39:26 K: その通りです 対極を通して他方が存在します |
| 39:31 DB: もし瞑想ではない 全活動に対極できれば そこで瞑想が 存在するでしょう |
| 39:38 K: その通りです |
| 39:40 DB: それは瞑想ではないが 私達はそれが瞑想だと考えます |
| 39:43 K: はいその通りです 非常に明確ですね 計測が存在する以上 何かになる事であり それは思考の過程であり 瞑想や静粛であり得ません |
| 39:59 DB: そこにはこの 宛てのない注意があり |
| 40:07 この注意とは心のですか? K: 注意は心のものです |
| 40:09 DB: しかし脳と接触しますよね? K: はいそう議論しました |
| 40:11 脳が静かな限り 他方が接触します |
| 40:19 DB: つまりこの本当の注意とは 脳が静かな状態に 脳と接触をします |
| 40:23 K: そして空間があります |
| 40:26 DB: 空間とは何ですか? |
| 40:29 K: 脳に今は空間がありません なぜならそれ自体を 懸念し プログラムされており 自己を中心とし そして限定的です |
| 40:42 DB: 心は空間を持ち 脳も空間を持つのですか? |
| 40:47 K: 限定的な空間です 勿論です 思考が限定的な空間を持ちますから |
| 40:52 DB: 思考が不在の場合 脳は空間を持つのですか? |
| 40:55 K: そうです DB: そうなのですか? |
| 40:55 K: 脳が空間をもつ はい DB: 無限に? |
| 40:56 K: いいえ心だけが無限の 空間を持ちます |
| 40:59 K: 私の脳は私が考えた ある問題について |
| 41:01 静粛を持てます そして急に |
| 41:09 それについてはもう 考えないと言い そこにある一定の 空間があります その空間の中で 問題を解決します |
| 41:22 DB: 仮に心が静かで 問題について考えなければ それでも空間は限定的ですが |
| 41:28 DB: 心は注意に開かれます K: その他方へです 心にです |
| 41:30 DB: 注意を通して もしくは注意の中で |
| 41:32 心が脳に接触していると 言う事でしょうか? |
| 41:41 K: はい脳が散漫で ない時にです |
| 41:46 DB: すると脳は どうなるのですか? |
| 41:50 K: 反応する脳に 何が起きるかと? 明確にしましょう 知性は 慈悲と愛から生まれると 言いました その知性とは脳が静かな時に 作動します |
| 42:17 DB: それは注意を通して 作動しますか? |
| 42:21 K: 勿論です |
| 42:24 DB: では注意が 接点のようです |
| 42:28 K: 議論の通り注意とは 自己が無い場合のみ存在します |
| 42:32 DB: はい 愛と慈悲が基盤と 言いましたが それに 注意を通した |
| 42:48 知性がくると K: はい脳を通して機能します |
| 42:52 DB: 二つ質問があります: 一つはこの知性の本質 二つ目はそれが脳と 何の関係かと言う事です |
| 42:59 K: はい ええ 再度ネガティブな方向から アプローチしなければなりません 愛は嫉妬などでは ありません 愛は私的ではありません しかし私的にもなり得ます |
| 43:15 DB: しかしそれを意味して いませんね K: はい |
| 43:17 愛とは私の国あなたの国 私の神を愛するなどでなく - そうではありません |
| 43:26 DB: では普遍的な心の 型であれば.... |
| 43:30 K: ですから愛は思考と 何も関係がないと言うのです |
| 43:39 DB: はいそれは 特定の脳から その特定の脳が起源で 始まるものではありません |
| 43:43 K: はい私有の愛ではありません その愛がある場合に そこから慈悲の心が存在します そして知性が存在します |
| 43:56 DB: この知性の 本質とは この知性は - もし深く'理解する'という 言葉を使えるならば |
| 44:09 K: いいえ理解ではありません 議論しましょう |
| 44:12 DB: 何をするのですか? 把握しますか? |
| 44:16 K: 知覚を通して活動します DB: はい |
| 44:19 何の知覚ですか? |
| 44:28 K: では 知覚について議論しましょう 思考によって色合いが つかない場合にのみ 知覚が存在します 思考の動きによる妨げが 無い場合 知覚が存在します それが問題への 率直な洞察 または複雑な人間への洞察です |
| 45:02 DB: この知覚とは 心の中に起源しますか? |
| 45:08 K: 知覚は心の中に 起源するかと? 見てみましょう はい 脳が静かな時にです |
| 45:21 DB: はいしかし知覚と知性 という単語を使いました - どう関係していますか もしくは何が違いでしょうか |
| 45:29 K: 知覚と知性の違いですか? |
| 45:32 DB: はい K: ありません |
| 45:32 DB: では知性は知覚であると いいます |
| 45:33 知性は知覚であると そして注意を通して 接点がある |
| 45:45 K: 問題をあげてみましょう わかり易いかと 思います |
| 45:57 K: 苦痛の問題を見てみましょう 人間は延々と苦しんできました 戦争を通して あらゆる病気や 身体的な病 そして互いの誤った 人間関係を通して 人間は非常に苦しんできました |
| 46:24 ではそれを終えられますか? DB: はい 苦難の終結が困難なのは それがプログラムにあるのです 私達はこの全ての事に 条件づいており それは物理的に 化学的に記録されています |
| 46:34 K: 私達は条件付いています それは何世紀にもわたり 続いています |
| 46:38 DB: はいある意味非常に 根深いです |
| 46:41 K: とてもとても根深いです ではその苦痛は終えられますか? |
| 46:48 DB: はい 脳の活動で 終えることはできません なぜなら脳はこの苦痛に 捕われるからです そして自身の苦痛に アクションを起こせません |
| 46:58 K: 勿論出来ません ですから思考では終えられません 思考がつくり出したのです |
| 47:04 DB: 何れにせよ 捉える事はできません |
| 47:07 K: はい思考が戦争 悲惨や混乱をうみ そして思考が人間関係において 突出してきました |
| 47:18 DB: 人々は同意するかも しれませんが 思考は悪事を招くが 善行も可能だとも言うでしょう |
| 47:26 K: いいえ思考は善行も 悪事もできません それは思考です |
| 47:31 DB: 思考はこの苦痛を 把握はできません 物理的 化学的に 条件づいた脳のこの苦痛は 思考はそれが何であるか 知りもしません 考える事で自分の中で 何が起きているか知りません 中の苦痛を変える事は できません 考える事でそれが何かを 示しませんから そこで知性があると 仰っています |
| 47:54 K: しかし結局は 苦痛を終結できるかと聞きます それが問題なのです |
| 47:59 DB: はい考える事で 解決できないのは明らかです |
| 48:02 K: 思考は解決できません DB: ええ |
| 48:04 K: そこが要点です もし洞察力があれば... |
| 48:05 DB: はいその洞察力とは 知性と注意を通した |
| 48:09 心の 活動です その洞察が存在する時 知性が苦痛を払拭します |
| 48:20 DB: はいつまり 心から事柄への 接触により 苦痛が続く元である あらゆる物質的 化学的な構造 を取り除く と言うのですか |
| 48:29 K: その通りです その終点には脳の細胞に 変異があります 数年前この事については 議論しました |
| 48:39 DB: はい その変異が あなたを苦悩させる全ての 構造を払拭します |
| 48:43 K: はい例えば ある伝統に添い続けて 私がその伝統を 急に変えると 脳全体に その変化がおき 北に向かっていたのが - 今は東に向うという具合に |
| 48:58 DB: はい 伝統的な科学の 見解からすると これは合理的な概念です なぜなら仮に心は 事象とは異なると受入れると 人々は 実際に心が... |
| 49:16 K: 心理とは純粋な エネルギーと例えますか? |
| 49:19 DB: そのような 例えもできますが 事象もまたエネルギーです |
| 49:24 K: すなわち事象も限定的で 思考は限定的です |
| 49:28 DB: はいしかし 心の純粋なエネルギーは 限定的な事象のエネルギーに 到達する事が出来ると |
| 49:33 K: はいそうです そして制約を変えます |
| 49:36 DB: はい ある制約を取り除きます |
| 49:38 K: 深い課題がある場合 または問題や挑戦に 直面する時です |
| 49:52 DB: あらゆる伝統的な試みは 機能しないと 加える事ができるでしょう |
| 49:58 K: 機能してきませんでした DB: 十分でないのです |
| 49:59 なぜなら人々は希望をもっても 実際には機能しません 思考は細胞の物理的 化学的な根本に 達する事はできず それらの細胞に何も出来ません |
| 50:13 K: はい はっきりと そう言いました 思考はそれ自体に 変化をもたらせません |
| 50:20 DB: はい しかし人間が 試みて来た事は全て 思考に 基づいてきました 限定された領域があり それはよしとし しかし私達は従って - 議論した通り 以前議論をしました - 人類の未来について従来の アプローチでは何も出来ません |
| 50:39 K: 世界で非常に 活動的な 政治家の 話を聞くと 問題から更なる問題を 生んでいます そして彼らにとって 思考が最も重要です 理想 |
| 50:54 DB: 一般的に言って 誰も理解すらしていません |
| 50:58 K: その通りです 古い機材すなわち思考は 特定の領域を除いては 使い古されています |
| 51:08 DB: その一部を除いては 適切ではありませんでした |
| 51:11 K: 勿論です |
| 51:13 DB: そして人間は常に 問題を抱えてきました 記憶する限り 歴史がある限り |
| 51:18 K: はい人間は常に 問題 混乱 恐怖の中にいます これらを知的議論に 還元すべきではありません しかし人間として 世界の混乱に 直面し この全ての解決法は あるのでしょうか? |
| 51:44 DB: はい私が繰り返す 質問に戻ります それについて議論する人は 少数いるようですが おそらく瞑想 などと しかしそれが 人類の広大な流れに どう影響を与えるでしょうか? |
| 52:02 K: 恐らくごく僅かでしょう しかしなぜ挙げるのですか - 影響があるか - 影響するかも しないかかもしれない しかしある質問が: 何の用途があるでしょう? |
| 52:17 DB: はいそれが要点です 直感的な感情が 質問を駆り立てます |
| 52:23 K: はい それは間違った質問です |
| 52:25 DB: つまり 最初の直感は 甚大な混乱を止めるに 何が出来るかというでしょう |
| 52:31 K: しかし聞いている方 それぞれが この真実 思考の活動が 内外共にこの甚大な 混乱を苦痛を生んで来た という真理を理解し そして必ず問うでしょう: これに終わりはあるのか? もし思考が終結できなければ何が? DB: はい |
| 52:56 K: この惨劇を終える 新たな機器は何でしょうか? |
| 52:59 新たな機器とは心理 などと 知性です しかしいいですか 困難な事は人々は これに耳を傾けない事です 彼らは断然たる結論に 至ってきました 科学者もそして 私のような素人も 耳を傾けません |
| 53:28 DB: はいその点について 私も考えていました 私がある人達はあまり影響 ないようだと言った時です |
| 53:35 K: 結局は世界を変えた人は 殆どいないと思います ヒットラー - 善し悪しに関わらず それが要点ではありません |
| 53:43 DB: ヒトラーは根本を 変えていません |
| 53:46 K: 世界を表面的に 変えたと言えるでしょう ボルシェビキの革命 共産主義者は変わりました しかし再度同じパターンに 戻っています 物理的な革命は 決して変わっていません 心理的な 人間の状態です |
| 54:03 DB: この方法で心と 接点を持つある一定数の脳は ただ単に 即効的で明らかな コミュニケーション の効果を超えて 人類に影響を及ぼす事が できるでしょうか? |
| 54:20 K: はいその通りです |
| 54:22 DB: 当然 通常の方法でコミュニケーションを とる誰でも 小さな影響が あります しかしこれは全く異なる 事柄の可能性です |
| 54:40 K: 私も頻繁に 考えてきました これらをどう伝達するか むしろ繊細で非常に 複雑な問題を 伝統の中に 染まり 既に条件づいており 聞く耳も持たず 考慮すらしない人々に どう伝達するか? |
| 55:01 DB: はい それは議題です ある点この条件とは 絶対的でないと言えますが 確実であろうと無かろうと そこに逃げ道は全くありません しかし条件付けはある種の 浸透性を持つと考慮されるでしょう |
| 55:17 K: 結局は 人々は我々ではなく 非常に大きな影響力のある 教祖的存在に耳を傾けます |
| 55:23 DB: それが見つかれば 皆それぞれが聞く事ができる 何かをもつでしょうか? |
| 55:29 K: 少し忍耐があればです 誰が聞くでしょうか 政治家は聞きません 理想主義者は聞きません 全体主義者は聞きません 宗教に深く傾向している 人たちは聞きません ではそれが全ての要点 かもしれません: 所謂無知と呼ばれる人 高い学歴や 条件はなく 専門職もキャリアも お金もない その貧しい人が 私は苦しいと どうか終えましょうと |
| 56:06 DB: ええ しかし彼らも聞く耳を持ちません 彼は仕事が欲しいのです |
| 56:11 K: はい勿論です まずは食べさせてくれと言います 過去60年 そう経験してきました 貧しい人は聞かない 富のある人も聞かない 識者も聞かない 非常に独裁的な 宗教の信者達も聞きません 世界のある種の 波のようでしょうか 波は誰かを捉えるかもしれない 影響があるか? その質問が間違っているようです |
| 56:45 DB: そうですね 時間内にもたらす それは何かになるという事です それはまた何かになる過程を 精神にもたらします |
| 56:54 K: しかし - 影響を与えるべきだと言えば |
| 57:00 DB: 人類に影響を与えると 提案しているのですか? |
| 57:03 DB: 直接心を通して... K: はい |
| 57:06 すぐには活動として 現れないかもしれません |
| 57:13 DB: 心とは普遍で 通常の私達の空間には所在せず 分離が出来ないという事 それを大変真剣に 仰っています |
| 57:23 K: いいですか これを言うには危険があります - 心は普遍的である - ある人々が言う事です - 心 - それが伝統となりました |
| 57:31 DB: ええ勿論 発想に変えられます |
| 57:35 K: 勿論です それが正にその危険性です それを私が言っています |
| 57:41 DB: しかし本当に問題は これを現実にする為に 直接接触をすべきです |
| 57:46 K: はい勿論そうです 自己が無い場合に のみ接触が 可能です 非常に単純にします つまり自己が無い場合 美が存在し そこには静粛があり空間がある そして慈悲の心から うまれるその知性が 脳を通して作用します 非常にシンプルです |
| 58:13 DB: はいしかし 自己について議論する価値があるかと 自己が広く 活動的ですから... |
| 58:24 K: しかしそれが我々の 非常に長い世紀に渡る長い伝統です |
| 58:29 DB: では自己が活動する際に 手助けとなる 瞑想の見地が 何かありますか? ある人が自己に捕われている と言ったとします しかしそこから抜け出したい しかしどうしたら 良いのかと? -私がどうすべきか- という言葉はつかいません どうですか? |
| 58:52 K: それは非常にシンプルです 傍観者は傍観される側と 異なりますか? |
| 58:59 DB: 違うようだと 仮定しましょう それで? |
| 59:02 K: それは発想なのですか 実際なのですか? |
| 59:06 DB: どういう意味でしょうか? |
| 59:08 K: 現実とはそこに 考える側と思考との間に 分離が ありません |
| 59:12 DB: はいしかし 普通は傍観者は 傍観する側とは違うと感じます ここから始めましょう |
| 59:19 K: いいですか あなたはあなたの怒りとは 異なりますか? あなたの羨望 苦痛と異なりますか? 違いません |
| 59:29 DB: 初見では自分と 違うようでコントロール しようとするかもしれません |
| 59:33 K: コントロールでは無くあなたがそれです |
| 59:36 DB: 自分がそうだと どうやって分かるのですか? |
| 59:39 K: あなたはあなたの名前です あなたはその型 体です あなたが全ての反応や 行動です あなたが信念で あなたが恐怖心です あなたが苦しみ 喜びます あなたがその全てです |
| 59:55 DB: はいしかし 最初の経験は私がここに在り それが私の性質で 持つ持たざるといった 私の資質です 怒らないかも怒らない かもしれない この信念あの信念を もつかもしれない |
| 1:00:07 K: 矛盾です - あなたがその全部です |
| 1:00:08 DB: 私はそれだと言う時 私はそれであり それ以外ではないのですか? |
| 1:00:15 K: いいえその時点でそれです でなければ完全になりえます |
| 1:00:19 DB: はいでは私はそれ全てだと 言うよりも いつもそうですが その資質について 見ています 傍観者である私が 私が怒りだと認めます しかし私は傍観者であり 怒りではないと感じます しかし怒りを見ている 偏見なき傍観者です ではこの偏見の無い 傍観者が 彼が見ている怒りと 同じだと言うのですか? |
| 1:00:44 K: 勿論です 自分を分析するように 分析者は 分析されます |
| 1:00:51 DB: はい彼は分析する内容に 偏ります K: 勿論です |
| 1:00:52 DB: では 仮に怒りをしばし観察すると |
| 1:00:54 私はその怒りにより非常に 偏る事が分かります すると私がその怒りだと ある段階で言えます |
| 1:01:07 K: いいえ私がそれです あなたです |
| 1:01:09 DB: その怒りと私は 同じであると |
| 1:01:11 K: はい 観察者が観察されるます その現実性が存在する時 本当に全ての対立を 取り除きます 対立は私が自分の資質から 分離する時に存在します |
| 1:01:32 DB: はい仮に私が 分離されていると信じれば 変えようと試みますが 私はそれですから それを変えようとする事と それに留まる事は 同時です |
| 1:01:42 K: しかし本質が私である時 分離が終わります |
| 1:01:51 DB: その本質が私であると わかる時 全てに意味が なくなります |
| 1:01:56 K: いいえ 前に起きる事: その本質が私ではないと するとそこに対立が存在します 抑圧 逃避など エネルギーの無駄です その本質が私である時 全てその消えた 無駄となったエネルギーは 見る 観察する為にあります |
| 1:02:25 DB: なぜそのような 自分である本質を持つ事に 違いを作るのでしょうか? |
| 1:02:29 K: お見せしましょう その属性と私との間に 分離がなければ 違いがうまれます |
| 1:02:37 DB: はいそこに 相違の認識はない場合 すると心理は 抗おうとしません 仮にそこに差異の 錯覚が存在すれば 心はそれ自体に 対抗せざるをえません |
| 1:02:54 脳がそれ自体に対抗します K: その通りです |
| 1:02:55 DB: 一方 相違の錯覚が 存在しない場合は 脳は抵抗を止めます |
| 1:03:00 K: ですから非常に甚大な エネルギーを持ちます |
| 1:03:03 DB: 脳の自然のエネルギーが 発散されます |
| 1:03:07 K: エネルギーとは注意です |
| 1:03:10 DB: はい脳のエネルギーが 注意を... |
| 1:03:15 K: その事から溶解します |
| 1:03:17 DB: はい待ってください 以前に 注意とは心と脳の 接触であると言いました しかし脳は 接触させる為 高いエネルギーの状態のはずです |
| 1:03:26 K: それは同じ事です |
| 1:03:28 DB: エネルギーの低い脳は その接触を可能にしません |
| 1:03:30 K: その通りです しかし私達多くは活気ないのは 非常に条件付いているからです |
| 1:03:56 DB: 本質的にここが スタート地点という事ですか |
| 1:04:01 K: はい シンプルに始めます DB: はい |
| 1:04:02 K: あるがまま 自分そのものから スタートします |
| 1:04:04 ですから自己知識が 非常に重要なのです 自己知識とは積み重ねた 知識の過程とは違います それは 自分について 常に学ぶ事です |
| 1:04:25 DB: はい 自己知識と呼ぶならば ではそれは先に話した 条件づいた知識とは とは違います |
| 1:04:31 K: そうです 知識は条件付けます |
| 1:04:33 DB: しかしその この種の自己知識とは 条件付けでは ないと仰るのですね なぜ知識と呼ぶのですか? 違った知識なのですか? |
| 1:04:40 K: はい 知識は条件づけます |
| 1:04:43 DB: はいしかし この自己知識があります |
| 1:04:45 K: 自己知識とは 自分を知り理解する 自己とは非常に繊細で 複雑な事を理解する事です それが生きるという事 |
| 1:04:57 DB: 本質的に その事が起きている その瞬間の自分を知るという事 |
| 1:05:02 K: はい何が起きているのか を理解する事です |
| 1:05:04 DB: 記憶の中に 蓄積するのではなく |
| 1:05:06 K: 勿論です 自分の反応を通じて 自分自身を発見する などです 議論を終えましょうか そうですね |