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BR83Q2 - 第2回質疑応答会合
イングランド、ブロックウッド・パーク
1983年9月1日



0:56 クリシュナムルティ: ここには、幾つもの質問が、あります。 私たちは今朝、それらを通ってゆけることを、願っています。 これらの質問は、本当は問題です。 問題を解消するには、 精神は、またはむしろ、頭脳は、 それ自体が問題より自由でないのなら、 他の問題を生じさせずに、問題を、とうてい解決できません。 いいですか? それが、世界中の政治家たちがしていることです。 彼らは、無数の問題を持っています - 戦争、原子爆弾、その他すべて、 彼ら自身の地位、自身の野心を、です。 彼らは、有権者を代表する、などなどです。 彼らの頭脳は、自分の問題で満ちています。 そういう頭脳は- 私たちの頭脳も、そうですが - 多くの問題でもって、取り散らかっています。 他の問題を解消するには、 あなたの頭脳が、 問題より自由でないのなら、 どうして、あなたはそれらを解決できますか。 私は、これを明らかにしていることを、願っています。 私の頭脳が、幾つもの問題で混み合っていて - 科学的、医療的、健康、性的、 人間たちが持っている、多くの問題と、 他の問題が、生ずるなら、 私は、どうしてそれらに、出会えますか。 私は、問題を解消するよう訓練されているだけではなく、 また問題で重い頭脳でもって、 それらに出会うだけなのです。 で、自らは、探究すべきはないですか - 諸問題より自由であることは、可能なのかどうか、です。 そのとき、生ずるどの問題にも、私たちは、自由に出会えます。 それは、可能ですか。 質問を理解されますか。
4:06 仮に、私は、幾つもの個人的な問題を、持っている、とします。 私の頭脳は、悩んで、憂慮し、 それについて、いつの時も考えています。 そして、私は、他の諸問題に、出会います - 問題(プロブレム)とは、(語源的に)何か自分に投げつけられたもの、です。 私は、自分の頭脳に応じて、それらに出会えるだけです - その頭脳は、すでに、諸問題で重いのです。 いいですか? それは、重要ではないですか- 私はただ訊ねています - 本当に問題より自由である精神、頭脳を持つことが、重要でないですか。 そのとき、生は、問題を持っています。 あなたは自由に、それらに出会えます。 私は、自分の立場を明らかにしていますか。 私たちが先日、言いましたように、これは、私たちの間の対話です - 私による独白ではなく、 私たちの二人が、その中で、いろいろと話し合っている対話です。 相手に印象づけようとか、相手を説得しようとか、 微妙に相手を納得させようとか、していません。 二人の友が、互いに話し合っているのです。 私たちがこうしているのを、私は願っています - ともに、これらの問題を見つめましょう。 私たちの頭脳が、自由でないなら、 いかなる問題が生じようとも、 私たちは、自分がすでに持っている問題でもって、それらに出会うでしょう。 で、私たちは、訊ねています - 頭脳が、問題より自由であることは、 可能ですか。 これは、だいじょうぶですか。 私は、間違った質問をしていますか。 さて、頭脳はどうやって、問題より自由になりますか - それで、問題に出会えるように、です。 話は明らかですか。 あなたは、どうやってそれに出会いますか。 あなたは、どうやって、自由な精神、自由な頭脳でもって、問題に出会いますか。 どうぞ、それについて、一緒に話し合いましょう。
7:05 子どもの頃より、私たちは、問題を持つよう、訓練されます。 教育全体が、一連の問題です - 数学、関係、 教師と学生、試験。 そうね、教育制度全体が、問題になります。 私たちは、問題を解消するよう、訓練されます。 で、私たちの頭脳は、訓練され、教育されます。 さて、自らは、頭脳の条件づけを、解けますか - 問題を解決するよう、訓練されてきて、 ゆえに、けっして自由でない頭脳を、です。 私は、問いを明らかにしていますか - それで、私たちはどちらも、互いに理解しあっているように、です。 いいですか。 それは、可能ですか。 どうぞ・・・
8:20 聴衆: 初めに、私たち自身が、 きわめて強い執着より、自由になることは、可能ですか。
8:26 K: それは、当分の間、執着の問いではありません。 私はただ、訊ねています - 子どもの頃より、私の頭脳は、そして、あなたの頭脳も、ですが、 問題を持つよう、そして、問題を解消するよう、訓練されています。 それは、事実です。 そういう頭脳は、問題に出会って、 いつも、取り散らかった頭脳でもって、それらに出会うでしょう。 いいですか? それは、問題に出会うために、自由であるべきではないですか。 そうでないですか。 さて、あなたは、どうやって 自由であろうと提案されますか。 あなたは、何をするのでしょうか。
9:21 聴衆: それは、初めに私たちは認識すべきである、ということですか - すなわち、その質問をすることにより、私たちはそれを、別の問題にしつつある、と。
9:27 K: いえ。その人物に訊ねないで、あなた自身、です。 私にとって、私の頭脳にとって、 唯一つの問題をも、持たないことは、可能ですか - それで、頭脳が、自由に生の問題に、出会えるように、です。 これは本当に、きわめて、きわめて深刻な問いなのです。
10:01 聴衆: はい。

K: はい?
10:05 それほど簡単なのですか。
10:09 聴衆: あなたは、見なくてはいけません- どれが可能かどうかを、見るのです。
10:13 K: あなたの頭脳は、問題より自由ですか。
10:18 あなたは、問題より自由ですか - 健康の問題、数学の問題。 あなたが技術者であるなら、そうね、テクノロジーの世界全体です - それらの問題をともない、 個人的な問題、関係の問題- 問題です。 政治的な問題 - それが、民主党のでも、共和党のでも、 共産主義のでも、社会主義のでも、 あなたが、神を信じていても、神を信じていなくても、 あなたが・・・よろしいですか。 私たちの頭脳は、荷物を積み込んでいます。 あなたが、真剣であればあるほど、重荷は多くなる。 で、どんな様態で、頭脳は、全面的に問題より、自由でありえますか。
11:21 そうね、私たちは、これについてまったく考えたことが、ありません。 自らは、頭脳に対して、問題より自由であるよう、要求しますか - それで、頭脳が、問題に出会えるように、です。
11:41 聴衆: 私はそれについて、考えてきましたが、それは、別の問題を、 創り出すように、思われます。

K: はい、まさにそうなんです。
11:50 あなたは、それについて、考えてきました。 それについて考えることこそが、別の問題を、創り出します。
12:03 聴衆: 思考が問題を解決できるのかどうかを、訊ねなくてはいけません。
12:10 K: 思考は問題を、制御するのかどうか、などです。 これは、私たちの一人一人にとって、何かを、意味していますか。 それは、何かあなたが、本当に精神を注いだことが、ないことですか。
12:32 聴衆: 大変多くの人々は、自分の問題を、楽しみます。 彼らは、問題を持っていなかったなら、生をとても退屈だと、見るでしょう。

聴衆: 大変多くの人々は、自分の問題を、楽しみます。
12:47 K: ああ、まあ、それは、異なった事柄です。 自分の問題を楽しむのなら、うまく行くといいね! それは、一種の神経症です。
13:09 私たちは、すべてに答える前に、この事柄に、入りましょうか。 ここには、八つほどの質問が、あります。 問題は、私たちの頭脳を条件づけてきました。ですね? 頭脳を、制限してきました。 私たちは、その重要性が、分かりますか - 問題へ取り組んできた頭脳は - 問題に次ぐ問題へ、です - そもそも、どの問題にも出会う能力が、ないということなんです。 私たちは、その点が明らかですか - たとえ言語的に、知的にも、です。
14:06 聴衆: 私は、そのことについて確かではありません。 頭脳は、たくさんの問題を、持っています。 あなたは、それは、別の問題に出会う能力がないと、仰っています - 新鮮に、その問題へ来られない、と。
14:21 K: 頭脳が問題を持っていて、別の問題に出会うなら、 何が起きますか。
14:31 聴衆: 頭脳は、自らがそれに対処するように、それに対処します 多かれ少なかれ、悪くか、より良くか、より悪くか。
14:36 K: それが、世界で起きつつあることです。
14:39 聴衆: それが、実情です。 ゆえに、頭脳はただ、問題を、持っているから、といって、 それが、問題を取り扱えないとは、言えません。
14:48 K: いえ。それは、問題を部分的に、制限された形で、取り扱えるだけです。
14:53 聴衆: ええ、同意します。

K: ゆえに、もっと多くの問題です。
14:57 聴衆: ええ、いいです。 

K: それが、私たちが言っているすべてです。 世界の政治家すべてを、見てください。 それは、完璧な実例です。 彼らは、次から次へ問題を、創り出していて、 単に、けっしてどの問題をも解決していません。 あなたたちは、ここに、完璧な実例を、持っています。
15:26 聴衆: ええ。ですが、私たちが、或る種絶対的な種類の解決を、ほしがるとき、 私たちが要求しているのは、何ですか。
15:32 K: 私たちは、見出そうとしています- あるのか、ないのかを、です。
15:35 聴衆: ああ、いいです。結構です。
15:43 K: または、私たちはいつも、増大する問題と、 増殖する問題とともに、生きなければなりませんか。 で、頭脳は、自体に気づけますか。 あなたが、これに入りたいのなら、それは、とても深刻な疑問です。 頭脳は、自らが問題を持っていることに、気づけますか - 個人的、健康、科学的、などなどの、です。 多数の問題、きわめて多くの問題、です。 私たちは、初めに、それら問題を、脇に置け、 客観的に、非情動的に、見つめられますか - どちらかに味方などをしないで、偏見なしに、です。 私たちは、それをできますか。

聴衆: 私は、古い精神について、知りません - 何かが起きつつありますが、 それに対処できなくて、それを、思考の問題にしています。
17:06 K: あなたは、私の質問に出会っておられません - 指摘するのを、お許しください。
17:13 聴衆: 問題は、私たちの自我のためだけに、ある。
17:28 K: 問題は、私たちの自我の維持のために、存在する。 いいですよ。 ですが、あなたは、それについて、何をするのでしょうか。 ああ、私は、あなたがこれを取り扱えないのが、分かります。 いいですよ。 私たちの問いへ行きましょう。
17:52 聴衆: いえ、いえ。
17:54 K: 私たちは、それに戻ってくるでしょう- おそらく、その終わりに、です。 いいですか。 それに戻ってきますか。
18:11 聴衆: 私たちの問題が、私たちはいつも 問いへの答えがほしい、ということであることは、ありえますか。 私たちがここに座っているとき、 あなたは、この集会全体に、問いを出しています。 即時に、多くの人々は、問いへの答えをほしがることにより、 二元性を、創り出しています。 それが、私たちがいつも生きるさまです。 問題は、私たちは、問いへの答えがほしい、ということです。
18:52 K: いいですよ。 あなたは、それらを得ようとしています。
19:04 第一の質問: 意識、精神、頭脳、思考、知能、 冥想と智恵の間の、関係は、何ですか。 思考がないとき、気づき、注意は、やはりありますか。 気づきは、時を越えていますか。 意識、精神、頭脳、思考、知能、冥想と智恵の間の、関係は、何ですか。 思考がないとき、気づき、注意は、やはりありますか。気づきは、時を越えていますか。
19:58 さて、あなたは、どのようにこの問題に、出会いますか。 これは、問題です- いいですね? - これは、問いです。あなたはどのように、それに出会いますか。 なぜなら、これは、私たちのみんなが出す問いであるからです - あなたは、そもそも真剣であるなら、これらに入ったことがあるなら、 あなたは、知能、頭脳、精神、智恵、意識などの 関係は何ですかと、言います。 あなたは、どのようにこの問題に出会いますか。 この問題へ、これらの問いへのあなたの接近は、何ですか。 いいですか。 あなたの接近は、何ですか。 あなたは、「関係はない。 各々が、何か違ったものである」と言うのか。 あるいは、それらすべての間に、関係があるのか。 それは、単なる言語的な発言に、留まりますが、 実際に見出すには、あなたの答えは、何ですか。 あなたは、どのようにその問いに、応答しますか。
21:13 聴衆: 自分の条件づけを観察する。
21:24 K: ええ、それは、どういう意味ですか。 観察者は誰であるのかを、訊ねなくてはなりません。 観察者は、観察されるものより、異なっていますか。 で、始めましょう。
21:42 気づきは、時を越えていますか。 それが、問いです。 自らは、意識、知能、智恵、頭脳などの 間の関係に、気づいていますか。 気づきとは、何ですか。 私たちは、ここに座っているとき、テントに気づいていますか - 天幕に、 そこにあり、天幕を掲げている柱の数、 自分たちの横に座っている人物に、気づいていますか。 シャツ、スカートの色、それが何であっても、です。 私たちは、これらに気づいていますか。 または、同時に、それに気づいていませんか。 あなたはそれに、部分的に、時々、気づいています。 それは、気づきですか。 または、あなたは、全部のことを取り、天幕全体を、観察しますか。 そこにある柱の数などが、すっかり、見えますか。 そして、様々な色を観察しますか。 で、気づきは、きわめて近くで、始まりませんか。ですね? 私は、自分の生活する部屋や、私が生活するフラットに、 気づいています。 単独の部屋、よろしいですか。 樹々、空、鳥、芝生、 土地の美しさなどに、気づいています。 私たちは、これらに気づいていますか。 または、私たちは、きわめて稀に、気づいていますか。 私たちが気づいているなら、それは、部分的な気づきですか。 一つのものだけが、見えますか。 または、あなたは、気づいていて、 因果、帰結と、原因の終わりが、見えますか。 これらに、付いてきていますか。 それらが、気づくことに、含意されていませんか。 私は、自分の妻や夫に気づいています。 私は、それに戻ってきたほうが、いい。 そこで私たちは、はるかに多くを、理解しはじめます。 私は、自分の妻に気づいています。 この気づきは、私の妻の記憶ですか。 どうぞ、答えてください。 理解されますか。 私は、自分の妻に気づいています - それは、私が、妻について築いてきたイメージすべて、という意味です。 いいですか? 様々な出来事、お世辞、セックス、仲間づきあいなど、 そのすべてが、継続的な記憶です - いつの時も、付け加えています。 私は、これらの記憶に、気づいていますか。 または、それら記憶は、こんなに強くて、埋め込まれているので、 それで、それへの気づきが、客観的に、ないのです。 質問を理解されますか。 私たちは、一緒に進んでいますか。 これは、あまりに複雑ですか。 いいえ、よろしいです。 で、私は、記憶に気づいていますか -
26:10 私の妻への気づきに、介入し、妨げるものに、です。 で、私は、自然に訊ねます - この妨げは、脇に置け、 拭い去れますか。 それで、私は、敏感に妻に気づけるように、 それで、記憶が、いつの時も介入しないように、です。 その事実が、見えるなら - 気づきの中で、記憶が機能しているなら、 私はまったく気づいていない、ということが、です。 記憶は、いつの時も作用しています。 私は、記憶がいつの時も作動していることに、気づくなら、 それらがいかに、妻との私の関係を妨げるのかが、分かります。 ゆえに、私はその妨げが好きなら、 私は、好きなら - そのほうが、はるかにましです。 なぜなら、そのように生きることは、容易いからです - そのとき私は、それを保ちますが、 それは必要でなく、それは、関係において危険であることが、見えるなら、 危険の事実こそが、 妨げ、障害を、片付けてしまいます。 これは明らかですか。
27:50 さて、そこから進行しましょう。 その関係は、何ですか - 意識、精神、頭脳、思考など、 智恵、知能の間で、です。 関係は何ですか - 何かに関係しているとは? それは、同一視ですか。 私は、夫に関係しています。 その同一視や関係は - どうぞ・・・ それが、同一視であるなら、それは、関係ではありません。 私は、ヒンドゥー教徒として同一視されているなら、 その同一視に、関係はありません。 私は、ブリテンと呼ばれる特定の島と、同一視されているなら、 私は、関係を持ちません。 で、私たちは、同一視と関係を 区別するか、分離しなくてはいけません。
29:11 いいですか? さて、あなたは、そうしていますか。 で、同一視なしの関係が何であるかを、見出すこと - それは、とても深刻です。 理解されますか。 それは可能ですか。 私は、妻と、または、一定の観念と結論と、同一視してきました。 その同一視を破ることは、ほとんど不可能です。 私は、その観念です。 私は、その概念です。 ゆえに、そういう質問をするには - 意識、精神、頭脳などの間の関係は、何なのか、ですが - この問いに、入らなくてはいけません- 関係とは何ですか。 それが同一視でないのなら、 意識などの間の関係は、何ですか - あなたの、私のや、他の誰かの意識 - 意識、精神などの間の関係は、何ですか。 さて、まず第一に、私たちは、探究しなくてはいけません - 意識とは何ですか。 意識すること。 私のまわりで起きつつあることに、だけではなく、 内的にもまた、意識する - 私の反応は何なのか、 信念、恐れ、信条、望み、様々な形の同一視を、です。 いいですか? 苦しみ、痛み、健康、不健康などを、です。 そのすべてが、私の意識です。 よろしいですか。あなたは、それに同意なさるでしょうか。 同意するのではなく、私たちは一緒に、動きますか。 あなたの意識と私の意識や、 他の誰かの意識は、その内容すべてです。 その内容なしに、私たちが今、知っているような意識は、ありえません。 いいですか? 同意しますか。私たちは、それでもって進みますか
31:49 そのとき私たちは、訊ねます - 内容は何ですか。 私は、ヒンドゥー教徒やキリスト教徒やイギリス人であるなら、 私の意識は、イギリスの伝統より作り上げられています - 大英帝国、女王と国王、 いいですか? 様々な伝統、文化、言語的な制御が、あります。 そして、私は信じています。 私は、信条を持っています。 などです。 いいですか? それが、私の意識の内容です - 私がイギリス人やフランス人などであるなら、です。 私は、西洋世界のものでないなら、私の意識もまた、 信条、信念、苦しみ、痛み、心配です - 残りの世界のように、です。 で、問いは、こうです - 私の意識は、あなたのより異なっていますか。 私が苦しむなら、私が心配を持っているなら、私が何かを信じているなら - 私は、他の何かを信じているかもしれないし、 あなたは、キリスト教徒なので、他の何かを、信じているかもしれないが、 信念は、私たちのどちらにも、共通しています。 いいですか? 苦しみは、私たちみんなが、分かち合っています。 それは、私の苦しみだけではない。 あなたもまた苦しむ、などです。 で、意識は、物理的な環境的な印象を別として - それらもまた、意識の一部です - あなたは、背が高いかもしれないし、私は、低いかもしれない。 私は、あなたより、肌の色が白いかもしれない。 または、あなたは、私より、肌の色が白いかもしれない。 それは、表面的な上塗りですが、 内的に、私たちは同様です。 いいですか? あなたがこれをお好きでないことを、私は存じていますが、それは事実です。 いいですか? 私たちは、そこまで行きますか。
34:27 いいえ。

聴衆: はい、はい。
34:30 K: 言語的に、あなたは行くでしょう。

聴衆: いいえ、言語的を越えて、です。
34:34 K: 知的にあなたは、その道理、論理を、見ますが、 それを感じること、それの真理を見ること、です。
34:48 聴衆: あなたは、私たちをもっと信用しなくてはいけません。
34:55 K: それは、私があなたを信用するとか、あなたが私を信用するという問いではない。 それは - お分かりでしょう、私たちがいかに・・・

聴衆: あなたは、私たちはそれが見えないと、仰っていますが、
35:06 たぶん私たちは、それが、見えています。 私たちはそれを知的に見ているだけだと、どうして仰られるのか、私には分かりません。
35:13 K: 私は知りません。 私は、お訊きしています。
35:16 聴衆: まあ、私は、それは知的だけではないと、感じます。
35:20 K: すると、それは、個人の分離の観念が、 心理的に存在しない、という意味です。 それは、あなたが、全体へものすごい責任を、持っている、という意味です。 私は、ものすごい責任を感じるなら、 私は、ブラジル人、アラブ人を殺さないでしょう。 なぜなら、彼は、私の一部であるからです。 私は、あなたがそこまで行くのかどうかを、知りません。 それは、平和主義ではありません。 それは、もう一つの結論です。 事実は、私たちの意識は、人類すべてにより分かち合われている、ということです。
36:16 さて、意識、精神、頭脳、その他すべての間の 関係は、何ですか。 冥想も含まれます。いいですよ、あらゆる物事を含めましょう。 それらすべての間の関係は、何ですか。 関係の絆は、思考ですか。 真珠が、細いナイロンの糸により、まとめられるように、 これらすべて - 意識、精神、頭脳などは、 思考により、まとめられますか。 思考が、このすべてをまとめる細い線、 細い繊維ですか。 どうぞ。そうね・・・ で、まさにその問いに入らなくてはいけません - なぜ思考は、とてつもなく震動し、 生きて、活動に満ちることになったのか。いいですか? なぜですか? 思考は、感じですか。 思考は、情動ですか。 もちろん、そうです。 私は、情動を認識しないなら - それは、思考の活動です。 認識することは - そのとき、その情動は、ありません。 これらを理解されますか。 で、思考が、見たところ、 全部のことを、まとめるおもな糸です。 そうですか。
38:34 そのとき、精神とは何ですか。 これは本当に、きわめて深刻な問いです - 精神とは何ですか。 それは、頭脳の一部ですか。 または、それは頭脳の外側にありますか。
39:02 聴衆: それは両方ですか。
39:05 K: いいえ、すばやく言わないでください。 どうぞ、これは、あまりに深刻な問いなのです - はい、両方だ、そうだ、そうでないと、言えません。 私はどうやって、見出せますか。
39:21 聴衆: まあ、車を運転するとき、 道路を行く実際の自動車の走行、 進まれる実際のマイル数は、 「それはエンジンにある」と言いますか。
39:34 K: そうです。 あなたは、車を運転しているとき、気づかなくてはいけません - 接近する車だけではなく、 あなたはまた、脇道にも気をつけなくてはいけません。 あなたは、三百か四百フィート先に気づいているか、見ますね。
39:51 聴衆: 私は、まったくそうは言っていません。 私が言っていることは、ですね。 今、ちょっと弛みつつあります。 私は、あなたの論点を緩めてしまいました。すみません。 が、私が言って中断させたことは、こうでした - 道路で車を運転しているとき、 道路を行く車の実際の走行、 進まれる実際のマイル数は、 私たちは通常、それを、エンジンの内側にあるとは、話さないのです。 けれども、私たちは、議論しているとき- 今私たちが、精神、身体、 頭脳、有機体、その種のことの異なった機能について、 話しているように、です - 私たちは、一種、それらを活気づけようとしますが、 けれども、通常、それらは、一種ほぼ自動的な感覚で、進行します。 まるで、車が走っていくように、です。
40:27 K: ええ。私は、それらが自動的であり、それらが一緒に働くことを、知っています。 さて、私は理解したいのです。 私たちが、「精神」という言葉を使うとき、私たちが、「頭脳」を使うとき、 私たちが、「意識」という言葉を使うとき、 エンジンのように、それらはすべて、一緒に働いていますか。
40:48 聴衆: ええ。多かれ少なかれ、機能の程度をもって、です。 ときどき、それらは、きわめて悪く機能しています。 他のとき、同じ生涯の中で、それらは、きわめてよく機能しています。
40:58 K: 私は大変尊敬をもって、指摘してもよろしいなら、 まず第一に、 私たちは、これらの間に、何も分離がないことに、気づいていますか。 車を運転するように、 エンジンが働いていて、あなたを運んでゆきます。
41:19 聴衆: 分離がないことに、気づくことは、可能ですか。
41:22 K: はい。それが、私がお訊きしていることです。 それはすべて、唯一の動きですか - その中に分離がない、単一の動きですか。 そうね、あなたは、これらの問いに、答えられません。
41:47 聴衆: 分離はただ、思考の中にあります。 それは、実在していません。
41:59 K: 私は、自分自身で見出したいと思います - 精神とは何ですか。 それは、頭脳の一部ですか。 私は、どのように見出しますか。 私の頭脳が、条件づけを解かれないのなら、私は見出せません。いいですね? 見るための自由がないなら、私は、何をも見出せません。 ですが、私は自由ではありません。 私の頭脳は、条件づけられています - カトリック、プロテスタント、共産主義者、社会主義者、民主主義者として、 または、宗教的に、などなどなど、環境的に、です。 それが条件づけられているかぎり、 私は、精神とは何かを、けっして見出せません。 私は、精神は頭脳の一部であると、言えます。 または、それは、頭脳より分離している、と。 この事柄を、私たちは、幾人ものいわゆる科学者と、議論してきました。 彼らの数人は、それが頭脳の外側にあることに、同意します。 これらを理解されますか。

聴衆: はい。
43:18 K: いえ。どうぞ、どうぞ、そうしないで・・・ 言語的には、はい。 ですが、それが頭脳の外側の何かであるとの含意 - そして、頭脳は、それ自体が全的に自由であるとき、 それを理解できるだけなのです。 それで、私は、それが外側か、内側か、 はるか遠くか、近くにあるのかに、関心を持っていません。 私のおもな関心は、 頭脳が自らの条件づけより自由でありうるのかどうか、です。 そのとき、創案だけではなく、真実であることの発見が、あるでしょう。
44:14 で、私たちは、訊ねています - それらすべての間の、関連は、何ですか。 それは、すべて唯一つの動きですか。 それを見出すには、ごく近くで、始めなければなりません - それは、私なるものです。 いいですか? 私の思考は何であるのか、です。 あなたは、何ですか。 私は、その単純な質問を、してもいいですか - それは、とても複雑ですが、 私たちは、きわめて単純に始めるでしょう - あなたは何ですか。
44:56 聴衆: 奴隷です。

K: 奴隷 - ああ、それは理解されています。
45:07 いいえ。 真剣に、あなたは何ですか。 あなたは、あなたの名前です。 ですね? あなたは、あなたの伝統です。 あなたは、あなたの記憶です。 ですね? それなどです。 で、あなたは、それらです。 いいですね? すなわち、あなたは、意識です。 いいですね? あなたは、信じている。 あなたは、信じていない。 あなたは、信条を持っている。 あなたの神々、あなたの恐れ、 楽しみ、苦しみ、痛みと、 情動主義などなど。 あなたは、そのすべてです。 いいですか?私たちは、それに同意しますか。私たちは、それが見えますか。 または、私たちは、自分が何か全然違ったものであると、考えますか。
46:10 聴衆: それが、私たちなるものです。 それは事実です。
46:12 K: それは事実です。さて、それは、どういう意味ですか。 私が、私の名前はKである、と言うとき、 私は、インドやイギリスや、これやあれに所属している、 私は信条を持っているなど、と言うとき、 それらは、どういう意味ですか。 それらは、記憶、という意味ですか。
46:54 聴衆: 意識です。
46:59 K: それは、こういう意味です - あなたは、それが見えるなら、 または、それが見えなくても、私たちは過去なのです。ですね? あなたは、それとともに進むでしょうか - 言語的にすら、ですが。 私たちは過去です。 過去は知識です。いいですか? 過去は記憶です。いいですか? どうぞ、あなたは、私から何をも学んでいません。 私はただ、指摘しています。 で、私たちは、記憶の中の一連の動きです。 いいですか? それの含意を、見てください。 私たちは、能動的に生きている人間ではない、ということを、です。 あなたは、次の十年か五十年の間、毎日、事務所や工場へ行ったり、 何らかのことをしたりするかもしれません。 あなたはまた、それらです。 私は科学者であるなら、 私は、知識を蓄積してきました - 書物をとおし、実験をとおし、議論をとおし、 様々な形の仮説と結論をとおして、です。 そのすべては、過去です。 それで、私は過去です。 よろしいですか。 私は、記憶です。 私は、死んだ実体です - 心理的に、です。 これがお分かりになるのかどうかと、思われます。
49:04 聴衆: 私はそれが分かった瞬間・・・

K: 待って!
49:07 私たちはただ、それが見えますか。 または、それは観念だけですか。
49:15 K: これは、大変多くの仕事を必要とします - 大変多くの観察、辛抱を、 物事をよくよく気をつけて見つめることを、必要とします - 公正に、客観的に、 それへの主観的などんな反応の感覚もなしに、です。 私は一度、自分が過去の動き全体であることを、悟るとき、 それは、私にとって突然の衝撃であるだけではなく、 また、私には、何も新しいものがないとの悟りでもある。
50:10 聴衆: あなたはまだ、それを証明しておられませんよね。
50:21 K: 私は探査しているようですが、あなたは、探査しておられないようです。
50:25 聴衆: あなたはこれを、はるか昔にご覧になったのなら、 それが、あなたにとって、突然の衝撃であるのは、どうしてですか。
50:31 K: 私は、仮に、と言いました。 すみません。 いいですか。
50:47 聴衆: あなたが何をするときも、円弧は、きわめて狭められませんか。 あなたが、テントすべてと、あらゆる物事に気づくことについて、話されるとき、 私はカーペットに掃除機をかけはじめなくてはいけないなら、 私はそれを、狭めてしまわなくてはいけません。 次第に、私はそうするにつれて、あらゆる物事に、包み込まれます。 私はそうしています。それで、それは、持続的に狭まりつつあるんです。
51:19 K: で、私たちは、それを狭めていっています。 そのお方は、訊ねます - なぜあなたは、Kは、これらを狭めてしまうのですか。 ええ、それは同じことです。けっして気になさらないでください。 光を点すと - 小さなものに、強い電気の光を照らすと、 あなたは、きわめて明らかに見ます。 ですね? そこから、動きます。 が、あなたがそこだけに、いつづけるなら、それは、きわめて小さなままに留まります。
52:02 第二の質問: 私たちは、Kに聞くことからより、 お互いより、もっと多くを学べます。 なぜあなたは、人々に、特定の話題について、 集団討論を行うよう、 対話と関係を促進するための組織的な活動をするよう、 奨励しないのですか。
52:25 聴衆: ごめんなさい。私たちは最後の問いを、すっかり終了させていないと、 私は思いました。なぜなら、あなたは、私たちは過去であり、 私たちは、これらすべてのものであると、仰っていたからです。 ですが、それは何ですか。それは、テーブル上のたくさんのものに、似ています。 それの基礎は、何ですか。 それが、私たちが、本当に行くべきことです。 それら記憶すべて、その死んだものではない。
52:44 K: 私は、自分が記憶であることを、認知するなら - いいですか? - そのとき、私は、その事実とともに、留まります。いいですか? 一つの特定の記憶だけではなく、 記憶の動き全体です。 いいですか? そのとき、その観察の中、知覚があります。 自らは訊ねます - 記憶なく、生を生きることは、可能ですか - 記憶が必要であるところ以外は、です。
53:18 聴衆: ええ、可能です。私は、子どもの時にも、それに気づいていました。
53:22 K: 何に、ですか。
53:24 聴衆: 記憶なしであることが、可能であるということに、です。 私はずっと、これに気づいてきました。
53:33 K: そうですか。

聴衆: ときどき、です。
53:36 K: いいですよ。そのとき、私たちは、問題を解決したのです。
53:40 聴衆: いいです。いいです。 次の問いへ、進んでください。
53:46 K: そのとき、あなたは、問題を解決したのです - 百万年か、四十万か五十万年の間、 記憶により条件づけられてきた頭脳は 生の関係すべてにおいて、 生きられ、機能し、行為できるということ、です - このひどい過去を持ち込まずに、です。 あなたは、そのように生きられるなら、 それは、大変とてつもないことです- そのように生きることは、です。 いいですか?
54:31 第二の質問: 私たちは、Kに聞くことからより、 お互いより、もっと多くを学べます。 なぜあなたは、人々に、特定の話題について、 集団討論を行うよう、 対話と関係を促進するための組織的な活動をするよう、 奨励しないのですか。
55:02 あなたは、Kに聞いていますか。 または、あなたは、自分自身に聞いていますか。 Kは、指摘しています -あなた自身に、聞いてください。 あなたがいかに条件づけられているかを、見てください。 あなたは条件づけられていることを、私があなたに語っているのではなく、 あなた自身に聞くことから、あなたは、無限に多く学ぶのです - Kを含めて、他のたくさんの人々に、聞くことからより、です。 ですが、あなたは、Kに聞くとき、 彼は、あなたに教示していません。 彼は、あなた自身を見るための鏡を、あなたの前に、掲げています。 いいですか? あなたは、自分自身をきわめて明らかに見るとき、鏡を壊せます - そして、鏡を掲げる人をも、です。 いいですか? で、私たちは、明らかに自分自身が見えますか。 私たちは、関係に依存するなら、 対話や、交際と施設に、依存するなら - 私たちに教えてくれ、私たちを助けてくれ、 物事を、私たちが何であるかを、明らかにするように、ですが、 そのとき、私たちは依存します。 私たちは、他の人たちに依存するとき - それが、施設に、であっても、 エンカウンター・グループ、小さいグループなどに、であっても、 あなたは、何を学んでいますか。 あなたがいう、学びとは、どういう意味ですか。 どうぞ、これは、またもや、とても深刻な問いです。 私たちが知っているような、学びは、知識を蓄積することです。 私は、自分自身について、学んできました - すなわち、私はこのすべてである、と。 すべての痛み、悲惨、混乱、 生のとてつもない苦労 - 私は、そのすべてです。私は、それを学んできました。すなわち、 誰かが私に語ってきました。または、私は自分自身について、学んできました。 で、学びは、私たちが今、知っているかぎり、 学校での学び、私たち自身についての学びは、 私たち自身について、知識を蓄積することです。ですね? Kは、言います - 知識は、無秩序のまさに根本である、と。 ゆっくり行ってください。
58:27 知識は、テクノロジーの分野で、日常生活で、 必要ですが、 心理的に、知識は、無秩序のまさしく根本です。 なぜなら、知識は、過去であるからです。 いいですか? 知識はいつも、 未来にあっても、過去にあっても、無限の未来にあっても、 いつも、制限されています。 いいですか? なぜなら、それは、経験、仮説、結論に基づいているからです - 連鎖です。 それは、取り去る代わりに、常なる付け足しですね。 ゆえに、それはきわめて制限されています。 で、私は、自分自身を見つめられますか - 私が自分自身を見つめたときの、 以前の知識や結論なしに、です。 質問を理解されますか。 私は、自分自身を見つめてきました - 昨日ずっと、 または、昨日の二、三時間です。 そして私は、自分がこれ、あれ、その他のものであることを、見つけます。 私は、それで憂鬱になるか、私は、それで昂揚するか、です。 そのすべてが、進んでいます。 それが、昨日の知識になります。 その知識をもって、またもや、私は、自分自身を観察します。 いいですか? 私たちは、こうします。 いいですか? で、知識は、常なる反復を、もたらしつつあります - 心理的に、機械的なことを、です。 また、あなたは、よく気をつけて事態へ入るなら - 科学者などの中で、ですが - 彼らもまた、一定の発見の区域で、知識が妨げであることを、 発見しはじめています。 いいですか? で、あなたは、Kから何をも、学んだり、発見したりしていません。
1:00:51 あなたは、過去の歴史の倉庫です。 それは、事実です。 あなたは、人類の歴史です。 いいですか? あなたは、その書物をどう読むのかを、知るなら、 誰にも、依存しなくていいのです - 討論に、関係に、 または、組織されたグループ、それらの種類のものに、です。 いいですか? 私は、あなたたちが議論すべきでない、あなたたちが関係を持つべきでない、 あなたたちが、あれやこれを行うべきでない、とは言っていません。 自らが指摘しているすべては、あなたが、自分自身を理解するために、 他の人たちに依存するかぎり、 あなたは迷っている、ということです。 あなたたちは、指導者を持っているでしょう。 宗教的な指導者、政治的な指導者、 あらゆる種類の専門家 - 何をすべきかを、あなたに語るだろう人たち、です。 いかに子どもを育てるべきか、いかにセックスをすべきか、 あなたたちは、あらゆる種類の指導者を、持ってきました - ここ十万年以上の間に、です。 あなたは、その終わりに、どこにいますか。 どうぞ、これらの質問をしてください。 私たちは、私たちなるものです。 なぜなら、私たちは、他の人たちに依存してきたからです - 何をすべきか、何を考えるべきかを、私たちに語ってくれる誰かに、です。 それは、私たちは、いつの時もプログラムされつつある、という意味です。 そして、私たち自身を理解するには、 関係をとおして、議論をとおして、 あらゆる機会がありますが、 あなたは、それらに依存するなら、迷っています。 これは明らかですか- この問いは、です。 あなたは、語り手に同意しなければならない、ということではなく、 他の人たちに依存することの帰結を、見てください - この混沌の世界に、秩序をもたらすために、 政府に依存すること、 導師に依存すること、 司祭者に依存することの帰結を、です - それが、教皇であっても、地元の司祭者であっても、です。 理解されますか。
1:03:53 で、問いは、本当はこうです - 自らは、人類すべての倉庫です。 ですね? 自らは、残りの人類です。 自らが、ごく間近で、それを、 大変多くのためらい、慈しみをもって、見つめるなら、 あなたは、自らが何であるかを、読みはじめます。 そのとき、それは、花開くことです。 ですが、あなたは依存するなら、 あなたは、痛みと心配と恐れとともに、生きます。
1:04:54 第三の質問: 言われつつあることを、理解し、 違ったように生きたいと思っていて、 失業と有限な機会のこの世界の中で、 自らは、生計の問題に、どのように接近することになりますか。 言われつつあることを、理解し、違ったように生きたいと思っていて、 失業と有限な機会のこの世界の中で、 自らは、生計の問題に、どのように接近することになりますか。
1:05:43 違った政府を持ってください。 それは、特定の集団に制限されていない政府、 という意味です。 いいですか? フランス政府、イギリス政府、 各々が、自分の有限なことに関心を持っています - それで・・・ 私たちみんなが、ともに働くのを、何が、阻止していますか - 理解されますか - 一つの人間として、です。 私たちは、民族性、宗教により、伝統により 分割されています。 私たちは、それに取りすがります。 世界経済は、ないのです。 理解されますか。 あなたが、これらについて、考えたことがあるのかどうかと、思われます。 世界経済は、ないのです。 各国が、自分の経済に、関心を持っています。 いいですか? 自分の法律に、 特定の一切れの土地との自分の個別的な同一性に、です。 けっして、統合されたヨーロッパは、ありえません。 いいですか? なぜなら、各国、各民族が、何らかのことを、被るだろうからです。 ゆえに、私たちは、地方的でなく、島国的でない政府を、 持たないのなら、 - いいですか? - 失業、機会の不足などが、 あるでしょう。 ですが、また、別の要因が、生じようとしています。 それは、コンピューターです。 コンピューターは、すべての民族性、国籍、 すべての政府を、越えています。 それは、私たちより、よく考えられます。 それは、自らの神を、創造できます- それを、私たちは崇拝するでしょう。 それについて、良いジョークが、ありますが、それを繰り返す甲斐はない。 それを繰り返しましょうか。 はい。 或る人が、コンピューターに言います - 「神はいない。私は一度も、神を信じたことはない」と。 コンピューターは、「今、あなたはそれを持っているよ!」と言います。
1:08:46 それで、私たちが、アメリカ人、イギリス人、フランス人、イタリア人、 ヒンドゥー教徒、共産主義者と社会主義者であるかぎり、 私たちはけっして、世界に平和を持たないでしょう。 いつも失業が、あるでしょう。 いつも戦争が、あるでしょう。 後生ですから、これらを見てください。 それの真理が、見えるとき、 あなたはもはや、どの国とも、どの集団とも、 どの宗教とも、同一視されません。 ですが、自らはその裏に、熱情を秘めていなければなりません - 知的な概念だけではなくて、です。 で、そういう具合ですから、 生計の問題は、ますます困難になるのです。 そういう具合ですから、もっと多くの戦争が、あるでしょう。 あなたが聞かれたことが、あるのかどうかを、私は存じませんが - 私は先日、それについて、言われただけです - ロシアでは、或る原子爆弾が、爆発して、 2万5千年の間、 数百マイルの区域が、二度と耕作できません。 そこには、けっして接近できません。 私が言っていることを、理解されますか。 これが人類です。 そして、誰も気にしません。 あなたは、デモ行進をするかもしれませんが、 政治家たちは、それらデモ行進を、どう使うのかを、知っています。 ですが、聞いている私たちの一人一人が、 本当に、分離の危険を見ないのなら- ユダヤ人、アラブ人、 ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、イギリス人のように、です - 私たちは、永続的な不安全に、永続的な戦争に、 生きようとしています。
1:11:14 聴衆: 大学と、精神病院との間の違いを、教えてもらえますか。
1:11:44 K: 私は知りません。 あなたが、見出したほうが、いい。 教授たちは、それに異議を唱えるでしょう。
1:11:52 聴衆: 教授(プロフェッサー)とは、知っていると公言する(プロフェス)人です。
1:11:55 K: 大学とそれらへ、逸れていかないでください。 ここに、深刻な問題があります。
1:12:01 聴衆: 彼らは、原子爆弾を作る人たちです。
1:12:03 聴衆: 戯言について、話をするのを、止めてくれるでしょうか。
1:12:07 聴衆: 原子爆弾は、戯言ですか。
1:12:09 聴衆: 彼は、それについて話しています。 私たちは、彼とともに、そこに来ようとしています。 私は、時々、本当に気になるから、気分が悪くなります。黙ってください。 私たちがそれらを、どこに置こうとしているかを、見出してください。 なぜなら、それらは存在するからです。
1:12:25 K: またもや、留意していただけるなら- あなたが気になさらないなら、ですが - 留意していただけるなら、 私たちは、分割、分離について、話しています - 民族、国家の間、集団の間、 宗教の間、個々人の間の、です。 この分離が存在するかぎり、 ますます多くの失業が、あるでしょう- 少なくはならない。 もっと多くの戦争が、あるでしょう - 私たちが、自らの分離したイデオロギーなどに、取りすがるかぎり、です。 で、あなたがそのように生きたいのなら、そのように生きてください。
1:13:12 聴衆: でも、私たちが、分離した同一性、アイデンティティを、持たないとしても、 私たちは確かに、何らかの形の政府を、持たなくてはなりませんね。
1:13:23 K: もちろんです。 私は、何らかの形の政府と、言いました - 分離的な政府に基づかないものが、です。
1:13:36 聴衆: 誰が、政治家になろうとしていますか。
1:13:47 K: ああ、初めに、あなたは・・・そうね・・・ 私たちは直ちに、それを組織したいのです。 そうね、物語があります - たぶん、語り手がこの物語を、考案したと、私は思います。 私はそれを、反復しましょう。 二人の人々が、道路を歩いていました。 彼らは、友だちでした。 彼らは、世の中などについて、話していました - そして、あらゆる物事がいかに陰鬱であるのか、 あらゆる物事が、いかに退屈で、いかに面倒で、いかに悪質になったのかを、です。 彼らは、いろいろと話していました。 彼らが進んでいくと、 彼らの一人が、舗道の上に何かを見て、それを拾います。 それを見ることこそにより、彼は変容します。 彼は、とてつもなく活発に、幸せになります。 ものすごいエネルギーの感覚、です。 もう一人の人は、「あなたは、何を見つけましたか」と言います。 「あなたを突然に、そんなにとてつもなく美しくしたのは、何でしたか」と。 彼は、「私は真理を拾ったよ」と言いました。 もう一人の人は、 「すばらしい。行って、それを組織しよう」と言います。
1:15:17 初めに、私たち自身で始めてください - どんな種類の政府があるだろうか、 首相は誰であり、財務担当は誰だろうか、 どれほど多くの議会制政府が、ではない。よろしいですか。 初めに、私たち自身で始めましょう。 もしも、ここに、この大天幕にいる私たちのみんなが、 本当にこれを、自らの心に、自らの血に、感じたならば、 私たちは、世界に、違った政府を持つでしょう。 私たちは、戦争を終わりにするでしょうし、 私たちは、戦争のために、働かないでしょう。 「あなたが仰る・・・」 - ごらんください。私は、何をも言っていません。
1:16:21 私たちはただ、一つのことを指摘しているだけです - 私たちの頭脳は、条件づけられているのです。 何であれ、条件づけられているものは、制限されています。 何であれ、条件づけられているものは、分離しています。 この分離、この条件づけは、 世界に、荒廃を引き起こしています それは、事実です。 その世界の荒廃を止めるには、自分自身で、始めなければなりません - 新しい政府をどう組織するのか、ではない。 私は、条件づけられていますか。 私は、自分自身について、朝から晩まで、果てしなく考えていますか。 冥想中に - よろしいですか - 体操中に、あらゆる種類のことをする中で、 私は、他の誰より、重要です。 私は、自分の欲望すべてが、充足されたいのです。 私は、ひとかどの者になりたい。 認識されたいのです。 で、私は、自分自身で占有されています。 科学者は、自分の実験で、占有されているかもしれませんが、 彼は、自分自身で占有されています。いいですね? 彼はまた、野心的ですし、すばらしい地位が、ほしい、 世界から認識されたいのです - ノーベル賞、です。 私は、彼らの数人を知っています。 私は、彼らに会ってきました。 一人は、ノーベル賞を受けなかったが、他の人が、それを受けました。 あなたは、それを受けなかった別の人を、見るべきです。 彼が、どんなにうろたえたのか。 苦々しく、怒っていました。 彼は、ちょうどあなたと私、他のあらゆる人と、似ていました。 いいですか?
1:18:43 で、みなさま、あなたが本当に、この平和な地上に、生きたいのなら、 きわめて近くで、始めなければなりません- それは、あなた自身です。
1:19:04 第四の質問: あなたは、暴力と自由について、話されますが、 法律については、ほとんど仰いません。 それはなぜですか。 どの文明社会も、法律なしには、存在できません。 法律は時々、力により支えられなくてはなりません - それは、暴力を意味しています。 テロリストが、人質を取るとき、あなたは、どうしますか。 あなたは、彼らが殺されるのを、許しますか。または、建物を強襲しますか。 これらの中に、どこに自由が入ってきますか。 もう一回、読みましょうか。 それは必要ですか。
1:20:02 法律とは何ですか。 法律とは何ですか。 法律は、基本的に、秩序、という意味ではないですか。 社会は、一定の法律を制定します - それらが、秩序をもたらすことになります。 それらの法律こそが、ずるがしこい人々により、犯罪者により、破られますね - 優秀な法律家を雇用する犯罪者によって、です。 これらは、ご存じでしょう。 さて、法律は、秩序は、どこで始まりますか。 法廷で、警察でもって、 監察官と、諜報グループでもって、ですか。 秩序は、どこで始まりますか。 どうぞ、訊ねてください。 社会は、無秩序の中にある。 いいですね? それは事実です。 腐敗し、不道徳で、 ほとんど混沌です。 政府はそれらに、秩序をもたらそうとしています。 私たち、あなたと他の人 - 私たちは、無秩序の中に生きます。 いいですか? 混乱し、不安定で、自分の安全を探し求めています。 自分の安全だけではなく、自分の家族の安全なども、です。 一人一人が、孤立をとおして、無秩序を創り出しています。
1:22:22 いいえ?ああ・・・ 法律は、どこにありますか。 警察官に、ですか。 法律家に、ですか。 私は、彼らの幾人とも、会ってきました。 彼らは、殺人者を保護するでしょう。 それが、彼らの仕事です。 犯罪者は、彼らに膨大な金額を、支払います。 これらを理解なさるでしょう。 これらの中で、どこに秩序、法律が、ありますか。 で、私たちは初めに、無秩序に向き合うべきではないですか。 それは事実です - 私たちが無秩序の中に生きる、 社会は無秩序の中にある、政府は無秩序の中にある、 ということは、です。 ちがいますか? あなたが、政治家の数人に、首相に、 政府の上層部の人たちに、話をしてきたなら、 一人一人が、権力と地位を求めています。よろしいですか。 一定の概念に取りすがり、 それら概念、それらイデオロギー、同一視します - その他すべてです。 私たちのみんなが、別々に、自分自身のために、働いています。 私たちは、戦争のような、大きな危機ではまとまるかもしれませんが、 危機が去ってしまった瞬間、私たちは、古い様式に戻っています。 よろしいですか。 で、あなたは - 私はただ、これを提案しているだけです - あなたは、見出しはじめるのではないでしょうか - 法は、完全な秩序を意味していますが、 あなたは、完全な秩序の中に、何の混乱もなく、 生きられるのかどうかを、です。 この質問を、あなた自身になさってください。 それで、矛盾がないのです - 一つのことを言い、別のことをする。 一つのことを考え、別のように行為する。 私たちが、無秩序の中に生きるかぎり、 社会、政府は、無秩序の中にあるでしょう。
1:25:32 法律は、正義を含意しています。ですね? 世界に、正義はありますか。 あなたは豊かですが、私は貧しい。 あなたは、利発な精神を持っている。 あなたは、旅行できる。 あなたは、海外へ行ける。 あなたは、あらゆる種類のことをできるが、私はできない。 いいですか? あなたは、生まれながらに豊かです。 あなたは、国の王子、公爵になる。 そして、余生の間、あなたは安心です。 そして、(ロンドンの)イースト・エンドや ウエスト・エンドの哀れなやつ。 彼は、貧しいですね。 で、どこに、正義がありますか。 世界に正義は、ありますか。 これらを検討してください。 正義は、平等を、含意しています。 私たちはみんな、法の前の平等を、言いますが、 その平等は、否定されます - 一番高給取りの法律家を、雇用することによって、です。ですね? 私は、一番高い弁護士を雇う余裕が、ありません。 で、即時に、不平等があるのです。 で、あなたは、正義、法と秩序を、どこに見つけますか。
1:27:32 そこに、とても複雑な問いが、生じます - すなわち、 世の中には、事実上、正義がないことを、認めつつ - あなたは、良い立場にいて、良い評判、 車、邸宅、女性たちと、 その他すべて、すばらしい家具。 そして、私は、小さな小屋に、生活します。 平等はありません。 それで、訊ねます。 事実に向き合った後で、訊ねます - それは、いったいどこに存在しますか。 あなたが、その質問をしています。 私は、あなたに、その質問をするよう、頼んでいません。 あなたが、その質問をしています。 慈悲があるところ、平等がある。正義がある。 慈悲は、智恵を含意しています。 あのすばらしい炎が、あるとき、 貧しい者と豊かな者との間に、違いは、ありません。 良い立場にいる人と、 地上に何も持っていない人々との間に、です。
1:29:29 聴衆: 私は、その質問をしたので、その別の部分を、訊ねてもいいですか。 この慈悲を持っているなら、と仰いますが、すると、この慈悲のために、 あなたは殺されるだろうとの事実を受け入れなければなりません。
1:29:41 K: 私は殺されるでしょう。 いいですよ。 私は殺されるでしょう。 殺されることのどこが、いけませんか。
1:29:51 聴衆: でも、ほとんどの人々は、「あなたは死んでいるとき、 何かをする地位にいない」と言うでしょう。
1:30:00 K: 私たちは今、何かをする地位に、いますか。
1:30:05 聴衆: はい。

K: 何を、ですか。 この戦争の脅威を止める。 中性子爆弾などが、この国の或る地方で、爆発すると、 そこには、次の2万5千年の間、けっして近づけません。
1:30:34 聴衆: 平和団体と、この慈悲を持つ人々が、 消し去られる最初の犠牲者であるように、見えます。
1:30:42 K: 私には、確かではありません。 語り手は、何度も脅迫されてきました。
1:30:55 聴衆: ですが、あなたは、中央アメリカで生きていません。
1:31:00 K: それはそうです。私はそこに、何年も前に行ったことが、ありますが、 私はそこにいません - ホンジュラスにも、ニカラグアにも、サンサルバドルにも、いません。 私は、(内戦中の)そこでは何もできませんが、 私は、ここで何かをできます。 あなたは、これから・・・ 私は、慈悲は、大きな智恵を含意すると、言いました。 あなたが、或る集団と、特定の形の崇拝や宗教的な組織と 同一視されているなら、慈悲は、とうてい存在できません。 あなたが、インドへ行って、或る種の社会事業をし、 何か教会に付属しているなら、 それは、慈悲ではありません。 それは、憐れみ、同情です。 これが、起きつつありますよ。
1:32:17 で、初めに、私たちが慈悲深くありうるのかどうかを、見出しましょう。 その点に来るには、自らは、 とてつもなく鋭敏でなければなりません- 人間の脆さすべてに、 人間の制限すべてに対して、です。 それは、自分の制限です。 なぜなら、あなたは、残りの人類より分離していないからです。 あなたは、ひとたびそれの真理が、見えるなら、 生と行為と雇用に対する、あなたの態度全体が、 完全に変化します。 もう一つ、質問です。 今、1時を過ぎています。
1:33:18 あなたは、人により築かれた大聖堂を、 思考から出てきたものと、扱います - ゆえに、理解にとって、何の価値もない、と。 ですが、私にとって、それらは、何か普遍的なエネルギーより、霊感を受けていて、 人の生の二つの最も重要な要因、物質と霊魂を 繋ぐように、思われます。 この統合は、人類の核心と動きです。 霊感を受けた人の仕事、作品には、霊的な価値が、ないのですか。 あなたは、この問いに何と答えますか。
1:34:05 質問者によれば、大聖堂は、 大きな霊感とエネルギーをとおして、築かれてきました。 そして、この切望の中から、人は、これらを、創り出してきました。 人の生の最も基本的な二つの要因、物質と霊魂 - この統合は、人類の核心と動きです。 霊感を受けた人の仕事、作品に、霊的な価値は、ないのですか。 物質とは何ですか。 そして、非物質とは、何ですか。 すみません! 物質とは何ですか。 霊魂とは何ですか。 私はそれに入らないでしょう。 それは、とても複雑な問いです。 私たちは、次の土曜日と日曜日、講話の間、 それについて議論するかもしれません - 物質と霊魂。 霊魂とは何ですか。 聖霊ですか。 キリスト教徒の? あなたが、霊魂について話をするとき、その言葉は、どういう意味ですか。 人の霊魂。 人の霊魂、精神は、殺してきました- いいですか? 何千何万もの人々を、です。 人の霊魂、精神は、世界に無秩序を、創り出してきました。 で、気をつけて、これらの言葉を、使わなければなりません。 あなたがいう、これらは、どういう意味ですか。 それは、霊感を受けた人の仕事、作品は、 バビロニア、シュメール人などの古代より、 古代エジプト人 - 彼らは、すばらしい神殿を創り出してきました。 彼らは、概念により、霊感を受けてきました。 あなたは、私に同意しないかもしれませんが、どうぞ、これに付いてきてください。 概念により、想像により、望みにより、 最高のものへの或る種の願望によって、です。 いいですか? 彼らがこれを創り出してきたのは、その霊感の中からでした。 あの教会、あのノルマンの教会- 美しく、静かです。 そして、世界の偉大な聖堂。 イスラム教のモスク、コンスタンティノープルの聖ソフィア、 すばらしいものです。 そして、インドの古代の寺院、神殿。 さて、質問者は、訊ねます - それらは何も霊的な価値を、持っていませんか。 霊感を受けた人の仕事、作品に、霊的な価値が、です。 あなたは、何と仰いますか。 あなたは、自分の外側の何かに、依存した瞬間 - 最も偉大な建築でも、 最も偉大なモスクや、神殿、寺院でも、 それらは、すべて霊感を受けてきました。 そう言われています。 仮に、それらが、霊感を受けている、とします。 私は、自分に霊感を与えてくれるように、それらに頼みます。 いいですか? 私は、キーツのすばらしい詩を、読みます。 キーツの頌歌の一つを、です。 それらは本当に、最もとてつもない、美しい詩歌です。 そして、私は、霊感を受けます。 ゆえに、私は、霊感を与えてくれるだろう何かに、依存します。ですね? その霊感に、私は、霊的な価値を付与します。ですね? 一方では、そうです。 それから、私は薬物を摂ります。 仮に、自分は薬物を摂る、とします。 私は摂りません。私は、そのおぞましいものに、一度も触れたことが、ありません。 仮に、自分は薬物を摂る、とします。 あなたは、或る種のとてつもない昂揚を、得ます。ですね? あなたはそれを、ものすごい霊感と呼びます。あなたは、高みに達しました。 それで、あなたは、薬物に依存します。ですね? あなたは、毎日曜日か、毎日、ミサへ行きます。 そして、反復、美しさ、 色、リズム、お香、 そうね、全部が、 霊感を与えてくれます。 ですが、それらを離れるとき、あなたは、あなたなるものです。 いいですか? あなたは、少し変化したかもしれませんが、 基本的に、あなたは、あなたなるものです。 そして、自分の外側の何かに、依存します。 それが、キーツやシェークスピアの詩や、 築いた人の、何か霊感を受けた作品 - 一人の人ではなく、 大聖堂、神殿、寺院、モスクを築いた匿名の人々の、です。 あなたが、霊感を受けるために、外側を見るなら、 または、あなたが、霊感を探し求めるなら、 あなたは、本当に迷っています。 私たちは、悟るように思われません - 大変熱心に指摘してもよろしいなら、 他の人たちに依存することは、どれほど霊的でも、 どれほど霊感を与えても、 それは、別の形の薬物です。 これは、きつい言葉なのかもしれませんが、 私たち人類は、戦争によって、霊感を受けてきました。いいですね? 偉大な宗教によって、です。 ゆえに、今度は、彼ら自身が、人々を殺してきました。 いいですか? キリスト教徒が何をしてきたかを、考えてみてください。

聴衆: それは、私たちの条件づけだけですか。
1:42:44 K: はい、マダム。私は、これを生涯ずっと、言ってきました。
1:43:00 私たちは、頭脳の条件づけを解くために、他の人たちに、依存します - 重く条件づけられ、プログラムされている頭脳を、です。 語り手は、言います - どうぞ、それを見つめてください。 依存が何をするかを、見守ってください - 私は、自分の妻に、司祭者に、書物に、教会に、ミサに、 依存するのかどうか。 何にでも、です。 私は、奴隷になります - 無思考で、ロマンチックで、情動的です。 自らがそのように生きたいのなら、 あなたが、そのように生きることは、完璧に正しい。 その道は、果てしない破壊へつながります - 世界で実際に起きつつあることを、見てください。 (ソヴィエト・)ロシア人たちの一つのイデオロギー、対、 他の人々の他のイデオロギー これらイデオロギーは、私たちの一部です。 私たちは、それらイデオロギー、それら結論、それら霊感、 それらミサの活動などを、取っておきたいなら、 取っておいてください。 ですが、あなたが、このすべての条件づけを、破りたいのなら、 あなたは、自分自身で始めなくてはいけません。 世界の誰も、あなたを助けようとしていません。 あなたは、語り手に聞けるし、彼の書物を読める、などですが、 事実は、あなたが、自分自身にとって、光でなくてはならない、ということです。 あなたは、他の人たちの光に、依存できません。 あなたが、他の人たちの光に、依存するなら、 彼らの光は、正しくない。 点されません。 あなたは、自分の幻影を追っています。 おやまあ、私たちは、二時間近く、話してきました! 今、私は、立ち上がってもいいですか。