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BR84CIM1 - 自己利益があるところ、愛はない home
アイリス・マードックとの会話 第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年10月18日


0:17 クリシュナムルティ: どう出発しようとして いますか。あなたが訊ねてくださるでしょうか。
0:20 アイリス・マードック: 私は たくさん質問を持っていますよ。 私はここに、それらの メモ書きを、持っています。 よろしければ、私は時々、 それらを参照するでしょう。
0:27 K: 少し大きな声で話された ほうがいいと、思います。
0:29 M: いいですよ。 私は、自分に興味のある ものから、始めましょう。 そして、私たちがどこへ 行くかを、見ましょう。 なぜなら、私がお訊きしたいことは たくさんあるからです。 それは、「経験」という 言葉について、です。 それを、あなたは時々、ご自身の 著作の中で、使われます - 何か私たちが或る意味で、 乗り越えるべきものと お考えになるものを、 表現するものとして、です。 あなたは、経験の観念を、予め構想 された態度や教義や信念の概念と 連係されるように、 思われます - すなわち、 一種の存在を妨害するものと、 ですが、そちらをあなたは、 創造的な現在の存在と 連係されるのでしょう。 私はこれを、全面的には 理解できません。 それは全面的には不可能だろうと 私には思われます・・・
1:29 K: 経験を拭い去ることは、ね。
1:31 M: ・・・経験を評価しないとか、 それから逃避することは、です。 が、私は、経験という用語に、 拘りたいと思います。 なぜなら、それは、 きわめて・ ・・ おそらく、あなたがそれに付加したい 特定の意味が、あるのでしょう。 こうもきわめて 一般的な言葉です。 それは、意識の継続を 叙述するように、思われます - すなわち、単純に、人間である ことの特徴であるものを、です。 おそらくあなたは、それに ついて、何かを仰るのでしょう。
1:53 K: あなたの仰る経験とは、どういう 意味かを、私はよく知りません。 自分は、自分が願望するものを、 経験できます。 M: それを想像するって 意味ですか。 
2:00 K: はい。
2:02 また、自分の条件づけに 沿っても、経験できます。 私が仏教徒であり、 熱心な仏教徒であるなら、 私は、 ブッダのであったと思われた あの意識の状態を、 経験できます。
2:25 M: まあ、これは、かなり 特殊な種類の経験でしょうね。
2:28 K: はい。で、私は、私たちがいうのは どういう意味かを、問うているだけです。 私は、怒りを 経験できます。 経験と経験者との間に、 違いがありますか。
2:47 M: まあ、これは、 自分がその概念を どう使おうとしているかに ついての、難しい問いです。 なぜなら、英語で、その言葉 「経験」(エクスペリエンス)は、 何か相当に漠然としたものを、 叙述するからです。 K: ええ。  M: それは、 こういう意味かもしれません - 私は昨日、変な経験をした、 と言われます。 あるいは、 それは、あなたの意識的な生と あなたの過去への関係の継続を、 意味しているかもしれません。 あるいは、 それは、瞬間的な何かを 意味しているかもしれませんが、 あなたがそれで仰ろうとしている ことは、何か、いわば、 あなたの過去を収集する ものであると、私は思います。 そして一点で私は、あなたは、欲望を 経験と叙述なさると、思います - ところが、愛は 経験ではない、と。
3:33 K: 愛は、経験できません。
3:34 M: 区別が何であるかを、 説明していただけるでしょうか。
3:41 K: 私たちは、誰が全部を 経験するのかという問いに、 入られるでしょうか - 何ごとを (経験するので)も、です。 それが、何か想像された ことの経験でも、 あなたの過去の伝統とイメージ、 過去の人物像などを 経験するのでも、です。 理解されますか。 M: 誰が経験者であるかと、仰います。
4:12 K: 誰が経験していますか。
4:14 M: まあ、これもまた、 難しい問いですよね。
4:16 もしも自分が、通りすがりの人に、 訊ねることになったとしたなら、 彼は、その個人と、 言うんでしょうね。
4:25 K: はい、はい。 私は経験しています。
4:28 M: ええ。これらの経験は、 私に所属しています。
4:33 K: 私は今朝、車で事故の 経験を、しました。 私は、こうも多くの物事を 経験します。
4:43 M: でも、それからですね、 もしも自分が、 その種の答えを越えて、事態を 追求することになったとしたなら、 こう言えるかもしれません - まあ、もちろん、 自分は、色々な種類の経験の 間で、区別するにちがいないし、 そのとき自分は、 ですね、思うんですが、 私は、そうね、即時に三種類を 考えられるんです。 私の過去の人生の 経験が、あります。 あなたは、誰かについて言います。 彼は、経験を積んだ人である - 彼はおそらく、或る種の経験を たくさんしている、っていう意味です。 そのとき、あなたは、 こう言うでしょう - 経験は私の意識の 継続だけであり、 過去へ入って いってしまう、と。
5:21 K: ええ。または、自分の 意識の継続です。ですね? あなたのいう意識という 言葉は、どういう意味ですか。
5:30 M: まあ、すると、事態を このように追求しましょう - 自分は、私の意識は色々な時に 違うだろうと、言うでしょうね。 そして、「経験」という言葉は、 違うだろうと、私は思うでしょうね - あなたが、ただ通常の生活に ついて話していたのでも、です。 あなたが、賦課していたと言うとき ・ ・・このように表しましょう。 部分的にあなたは一種、自分自身を 世界に賦課していました。 そしてあなたは、「私はこれをしている。 私はあれをしている」と言います。 これがおそらく、 経験なのでしょうが、 また、経験が、 あるかもしれません - そこであなたが、本当は 現存していないものが、です。
6:04 K: そうです。 まさにそうです。 経験者がないところ、 経験がありますか。 そのときあなたは、それを憶えておき、 「これがそれだ」と言えるのですが。
6:18 M: まあ、人々は、無自己の 経験と呼ばれるだろうものを、 すると、私は 思うでしょうね。 例えば、彼らが、偉大な 芸術作品を、見つめているとき、ね。
6:33 K: はい、はい。
6:37 M: 私は、どうなのか、 定かでありません・・・ 彼らが、自分の大いに愛している 誰かと、一緒にいるなら、 おそらく、これを 言えるのでしょう。 これら二つの事例は、きわめて 異なっていると、思いますが、 あなたは、どう お考えですか。
6:48 K: 私は、できるなら、 この問いへ入りたいと思います。 誰がこれらを 経験しているのか。 それが、 通常のことであっても、 最も錯綜した形の経験や、 いわゆる霊的な経験であっても、 です。 いいですか? いつも経験しているのは、 誰ですか。 経験者は、経験より 異なっていますか。
7:22 M: 私たちは通常、そう言う でしょうね。そうでないですか。 なぜなら、自分は、個人の継続を 信じているかもしれませんから。
7:30 K: はい。それが、ふつう 思われていることです。 今、私たちは、それを 問おうとしています。 すなわち、 経験者や思考者は、 彼の思考より 異なっていますか。
7:47 M: またもや、私たちは ふつう、そう言うでしょうね。 なぜなら、私は自分の思考を指令する と言えるかもしれないからです。 これは、私が決断している。 私は自分の 思考を収集することを、想定します。 あなたは、そういう信念を 持っています。 
8:02 K: はい。 しかし、自分の思考を 指令するその私は、 自分の思考より 異なっていますか。 彼は、それらを 指令するかもしれません。 彼は、それらを修練するかもしれません。 彼は、それらを制御するかもしれません。 彼は、「これは正しい。 これは 間違っている」と言うかもしれません - 「これは、しなければならない。 これは、してはならない」と。 しかし、制御者、修練し、 指令をもたらす人物 - 彼は、彼が指令している 物事より、異なっていますか。
8:35 M: まあ、ここで 区別をしましょう - 通常の言語 - そこで自分が 語るものとの間で、ですが、 つまり、法廷においてや、 何か誰かが責任を持つもの、 何か彼らが してきたことです。 彼らさえも、「私は今、違った人物や 何かですよ」とか、言えません。 個人の継続と、 誰かが主体であるという 通常の意味で、です。 しかし、それを 放っておくと、 自分は分割されている、自分は、 分割された人物だと考えるには、 自らが哲学者でなくていいとか、 宗教的な見解を 持たなくていいって、ことです。
9:10 K: そうなんです。
9:11 M: そして、自分の一部分が、 他の一部分に賛同しない 時が、あります。
9:18 K: ええ、この二元的な 過程ですが、 間に違いが、 ありますか。 私たちは、古い問いへ 戻ってきますか - 善と悪です。
9:30 M: ええ。何も、それより根源的 ではありえないでしょうね。
9:32 K: ええ、そこに来ますね。
9:34 M: ええ、これは私にとって、実在 世界の本性と思われるんですね。
9:39 K: 実在世界のね。 存じています。 実在世界は、私たちが、 分割してきたのです - 善と悪、 そして、経験より、 思考者、経験者を、です。
9:53 M: ええ。そこでは、こういう ことになるでしょうね - あなたが何かをしたことで、 自分自身を非難するなら、 あなたは 分割されているのだ、と。
10:00 K: 私はすべきでない、私はしなければ ならない、私はなろう、その他すべてです。 それは、自分自身の中に 分割を生み育てます。 私は、できるなら、 お訊きしたいと思います。 その経験者や思考者は、 彼が経験していることより、 異なっていますか。 または、思考者は、彼の 思考より、異なっていますか。
10:29 M: まあ、これが、 訴えであるなら・・・ 「経験」という言葉が、私の 心に浮かんできます。 これが、私が自分自身について どう考えるのかへの訴えであるなら、 私は、こう 言うでしょうね - 常識、通常の言語観を 脇に置いておいて、 時々、はい、 時々、いいえ、と。 つまり、時々、自分は意識的に、 自分自身を判断している、 自分自身を分割している、 時々、単一の何らかのもの以外に、 何もない、っていうことです。
11:08 K: 単一の動き。 M: 単一の存在か、何かです。
11:12 K: で、私は見たいのですが、 経験者は、経験と同じではないですか。
11:17 M: それは時々 そう思えますね。
11:22 K: で、私たちが、「私は妬んでいる」 と言うとき、分割があります。
11:27 M: はい。 K: そのとき私は、 私の妬みを制御しようとか、
11:33 私の妬みを 合理化しようとか、
11:34 正当化や抑制など しようとしますが、 「私」が、妬みです。 それより、分離していません。
11:49 M: まあ、私は、そうでもあり、 そうでもないと考えたでしょうね。 何かがある、と・ ・・ 仰ることには、 二つのことが、あります - 私が読んできたものと、 私たちの前回の会話から、 私が理解したことの中で、です。 おそらく私は、それを このように表せます。 あなたが仰ると私に思われる ことが、二つ、あります。 私は、それらがどう連係するのか、 調和するのかを、理解しません。 そのことの一つは、ですね、 私が思うに、あなたは・ ・・ あなたが仰った、私が大好きなことは、 もし私が、私があると、考えるなら、 私が自分自身を 非難するなら・ ・・ まあ、このように表すと、私は、 たとえば、私が妬んでいると考えるなら、 今、「妬む」という言葉は、 何か悪いものを、提起しますね。 で、自分はおそらく、 妬まなくなりたいと思います。 12:38 私はこれが分かるなら、私は 出発しなければなりません。 理想の一種の利己的なやり方で、 ではない - それは存在していません。 妬む人物である、 私の実在において、です。 私は、これに 大きな共感を、持ちますが、 それから、あなたはまた、 過程がないとも、仰る。 私は、善くなければならない、 善くなるのではないんだ、と。 善くなるとの観念は、何らかの 面で、幻影である、と。
13:04 K: ええ、そのとおりです。 M: おそらく説明してくださるでしょうね。
13:05 私にはこう思えます - あなたが 提示されているその一事例では、 私は目標から出発しなければ ならないんですが、 それは、私の結論より はるかな道のりです。 私の結論は、妬まなくなる ことでしょうね。 あなたが仰っている別の道は、 なる過程が、ないんですが。
13:25 K: 私には、心理的に、なることは まったくありません。
13:28 M: ええ。これが、私が理解しないこと ですね。なぜなら・・・進んでください。
13:31 K: 私たちは、それに 入らなくてはいけません。 まず第一に、 この点へ来ましょう - 私たちは、世界を分割してきました。 そして、私たち自身の中でも、ですが、 善いものと、 悪いものを、ですね?
13:42 M: でも、これは反論できません。 これに異論はないですね?
13:46 K: 私は論駁しません。私は ただ、それを見つめています。 悪いものは、善いものに 関係していますか。 または、善いものは、全的に、 悪いものより、離別していますか。 それらは、まったく 関係し合っていません。 それらが関係し合っているなら、善い ものはやはり、悪いものの一部です。
14:11 M: まあ、私にお訊きになっている なら、私はそれに同意するでしょうか。 私には、定かではありません。 私は思うんですが・・・ 私たちは、善と悪について幾つもの 違った形で考えると、思いますよね。 私たちは、悪いのが次第に 善くなるのを、考えます - まるでそれが 残像であるかのように、です。 善はここにある。悪は ここにある、と言って、ね。
14:32 K: はい。悪いものの継続です。 M: 継続です。
14:33 私たちはまた、善について、 考えますと、私は思います。 私たちがそれについて、 完成と考えるなら - 本当にすっかり世界の 外側にある、と。
14:42 K: 私は知りません - 完成、 善いこと、全体的なこと、 善い健康、善い人、善い・・・ そうね、「善い」という言葉ね。
14:54 M: ええ、すると、善い人、 としましょう。はい。
14:58 K: その善いものは、 悪いものの部分ですか。 善いものは、悪いものを、 知っていますか。 または、善いものは、悪いもの から、出てきたものですか。 そのときそれが、出てきたものであるなら、 それはやはり、悪いものの一部です。 それは、生まれた子どもに、似ています。 それはやはり、母親の一部です。
15:21 M: ええ、或る人々は、それらは 対極であると、言うでしょう - ええ、すなわち、互いとの関係に おいて、存在しているものだ、と。
15:26 K: はい。今、私は言います - それらは対極ですか。 またはそれらは、全然、 関係を持っていませんか。
15:32 M: きわめて明らかな 違いは、ありますね - 悪い人と善い人との 間には、です。 で、その意味で、彼らは、 きわめて異なっています。 他方で一人の人間の中で、善し悪しは 次第に、互いになっていくし、 時々、どれがどれであるかは、 知られません。
15:48 K: いえ。それが、私が 問うていることです。 それが、私があなたと 議論したいと思うことです。 私は、感じるのですが、 私にとって、 善いものは、悪いものより、 全的に離別しています。 愛が、憎しみに関係していない ように、です。 M: はい、はい。
16:04 通常の、堕ちた人間の 条件において、 もちろん、愛はしばしば、 憎しみの機会となります。
16:13 K: もちろんです。 もちろんです。
16:16 M: ところが、あなたは、愛は 憎しみに関係していないと、仰る。 それは全然違った種類の概念 である、という意味ですか。
16:24 K: 愛は憎しみについて、 何の感情をも持ちません。 それは、憎しみに 何の関係をも持ちません。 それは、憎しみを包含や 抱擁していません。
16:39 M: ちょっと待って。補足的な 質問を、させてください。 あなたは、愛と欲望について、 同じことを、仰るのでしょうか。 もしも私たちがそれら二つの言葉を取った なら、ですが。 
16:46 K: はい、言うでしょう。
16:47 M: はい、と仰る。 あなたは、欲望を、何か 心理的になっていくことと 連係したものと、見做されます。
16:53 K: はい。 M: そして、愛は・・・
16:54 K: ・・・何か全然 異なったものです。
16:55 M: まあ、では、この異なったものは、 どのように自分に、訪れますか。
16:58 私は今、こう言えるかもしれません - なぜそれが私に関連するのか。 私はそれについて、何をする ことになるのか、と。
17:08 K: それは、十分に単純です。 葛藤が、あるからです。 葛藤があるなら・ ・・欲望は いつも葛藤を、もたらします。 しかし、愛は、けっして 葛藤をもたらせません。 愛は、葛藤を持ちません。 それは、葛藤の感覚を持ちません。
17:27 M: はい。あなたは、 愛という言葉を、 普通でない理想の意味で、 使っておられます。
17:33 K: いいえ、私はそれを使って いますが・・・例えば、ですね、 あなたがそれに入りたいのか どうか、私は知りません。 頭脳は、全中心です - 欲望、感情、心配、 痛み、さびしさの(中心) です。 よろしいですか。 意識は、 そのすべてです。 信念、恐れ、悲しみ、 さびしさ、心配、 ご存じですね、
18:04 その全体・・・ M: 心理的存在の種類ね。
18:05 K: ええ。心理的な構造、 混乱です。それが頭脳です。 ゆえに愛は、頭脳の 部分ではありません。 なぜなら、それは、 外側の何かであるからです。
18:23 M: で、はい。が、これは、あなたが 仰ったことに、戻ってきます - 愛は経験されない、と。欲望が 経験されるようには、です。
18:30 K: 私は、そのとおりである 何かを、経験できません。
18:35 M: つまり、私が愛しているなら・・・ またもや、これを脇に置きましょう。 通常の用語では、嫉妬深い愛とか何かに ついて、語るってことなんです。 それは、私たちが話して いることではありません。 或る種の絶対的なことについて、 話しているんですね。 私はここで、正しい言葉を 思いつきませんが、 そのとき、私が、「私は誰かを 心から愛している」と言うなら - 自分はそう 言うかもしれません。 悪い形で、ではなく、いわば 善い形で、ですが、 あなたは、これは、どの心理的過程の 一部でもないと、仰りたいですか。
19:09 K: いえ。私はこう言うでしょうね - 私はあなたを愛している、と言います。 私がそのように 誰かを愛しているなら、 もし、執着の色合い、 嫉妬の色合い、 葛藤の影が、あるなら、 それは、本物では ありません。
19:27 M: はい、はい。 いいです、はい。 私は、キリスト教徒として 育てられました。 で、私の中には、キリスト教的な 見方が、たくさんあります。 私は、神や、キリストの神性を 信じていないけれども、です。 しかし、私は、 キリスト教の中に、 神聖な愛や完全な愛の観念が、 あるだろうと、見られます。 それは、私たちがおそらく通常、 まったく達成しないものですが。
19:54 K: なぜできないのか、私には 分かりません。なぜなら、もし私が 嫉妬していないなら・ ・・ 私は嫉妬しないでしょう。 他の一人へ 執着の感覚が、ありません。 それは、愛の欠如を、 意味していません。
20:10 M: 執着と欲望は、ですね。 通常の用語では、 私たちが、徳高き愛と 呼ぶものだと、私は思います。 この人物を愛することにより 他の誰をも傷つけなくて、 あなたは、所有欲を持たない、 非合理的ではない、などなどと。 執着はあります。つまり、 その人物が死ぬなら・・・
20:29 K: ちょっと待って。さて、 それは、別の問いですね。 なぜ私たちは、何にでも 執着していますか。 執着する。もし私がこの邸宅に 執着しているなら・・・
20:44 M: 私は、違った視点を取るでしょう。 私は、欲望の概念について、考えます。 つまり、私に思われる・ ・・ 善くなることは - おそらくあなたが排除したいで あろう、この文句を使うと - 自分の欲望を、浄化する事柄 であると、私は思うでしょうね。 善い欲望を持つ、何か善い ことを欲望する事柄である、と。 さて、誰かを愛する中で、 私は、欲望の要素が存在すると、 感じていたでしょう。
21:14 K: 欲望を見つめましょう。 欲望とは何ですか。
21:19 M: またもや、ですね、 こう言うでしょうね - 低い欲望があるし、 高い欲望がある、と。
21:25 K: いえ。で、私は訊ねています - 欲望の起源、始まりは、何ですか。 なぜ欲望は、 私たちの生の こうもとてつもなく重要な 部分に、なったのですか。
21:35 M: まあ、欲望は確かに、 未来に連係しています。
21:40 K: 未来に、ね。 M: それは、 時に連係しています。
21:41 K: もちろんです。 時に、です。
21:42 M: なぜなら、私は、不在である 何かを、欲望するからです。
21:43 つまり、例を 取りましょう。 私は、怖ろしく豊かでありたいと 願望するかもしれません。 または私は、或る科目を 研究したいと願望し、それから それがうまくなるかもしれません。
21:59 K: ピアノがうまい。
22:01 M: まあ、数学がうまい とかね。 知識を取得するように、です。
22:06 K: ええ、もちろんです。
22:07 M: まあ、これは そうでしょうね。 私は私の科目を愛していると、 言うかもしれない。 私は、私が研究している ものを、愛している、と。
22:16 K: いえ。私が訊ねている ことは、ですね・・・ 私は訊ねています - 欲望は 何ですか。 それはどう訪れますか。 なぜそれは、私たちを、 こうも強く制御しますか。 結局のところ、修道士や、インドの サンニャーシの一人ですが、 彼らの観念全体は、 欲望を抑制するか、 欲望を変質させることです。
22:39 M: ええ、変質させる。私はむしろ、 変質という言葉を、使うでしょうね。
22:45 K: すなわち、変質させる。それを 変質させる実体が、あります。
22:51 M: はい。そして、変質 させる過程が、あります。 修練や訓練や、何か そのようなものが、です。
22:56 K: はい。それはただ、 微妙な形の抑制、 微妙な形の、 欲望を組織することや、 神への欲望は善い、と言う ことだけではありません。 M: ええ。富への欲望は、悪い。
23:09 K: 所有物への欲望は、悪い、と。
23:11 で、私たちは、欲望の対象に ついて、議論していません - それが神であっても、 それが権力であっても、 それが、金持ちや首相になる ことであっても、です。 欲望とは、何ですか。 私たちの中で、それは、 どのように形を取りますか。
23:43 M: 欲望なしに、愛がありうるのか どうか、私は確かでありませんね。 自分はおそらく、或る種の 完全な愛について、考えるなら、 欲望の概念は、大いに 変化していたでしょう。 で、あなたはおそらく、それを 排除しなくてはいけないでしょうね。 もっと通常の、善い水準に おいて、なんですが、 私は、いい教育を受けたいとか 何かを、欲望するなら・・・
24:07 K: ええ、それは、 違った事柄です。
24:09 M: ・・・そのとき、これは、 存在している条件と、 存在していない条件との 間での、 緊張です。
24:18 K: ですが、私は訊ねています - 善い人間になりたいとの欲望や、 善い学者でありたい などの欲望ではなく、 欲望自体を、です。
24:33 M: 私は、自分がこの問いを忌避するか、 拒絶するだろうと、思いますね。 なぜなら、私は、違った種類の 欲望について考えることなく、 欲望が何であるかをどうして説明できる だろうかが、分からないからです。
24:47 K: 私は邸宅を欲望する。私は これとこれを欲望する、と言います。 こうも多くの欲望ですが、 欲望の動き、それの起源 (は何か、)です。 なぜなら、私たちは、 それを抑制し、 それを変質させてきたのか、 あるいは、それより逃避したり、 全的にそれを制御したり してきたからです。 しかし、またもや、 誰が制御者ですか。 誰が、これは善い欲望だ、 これは悪い欲望だと、言いますか - これは、追求されなければならない。 なぜなら、それは役立つから。 他方はそうでない、などとです。 それはやはり、欲望です。 神への欲望や 金銭への欲望 - それはやはり、欲望です。
25:46 M: 誰かが、一方は善いが、 他方は悪いと、言うなら、 あなたは、それでもなお、それは欲望 だと言うことへ、戻るのでしょう。
25:52 K: はい。欲望は、 理解することが、重要です。 善い欲望と 悪い欲望ではありません。
25:58 M: はい。私は、あの区別を使う ことなく、それを理解することが できるだろうか、 定かではありませんが、 私たちの地盤を わずかに、移しましょう。 あなたが仰っていることの 裏には、何かがあります。
26:14 K: あなたはちょうど今、欲望には 時が関与していると、仰いました。
26:17 M: はい。 まあ、いいです。 私は今、それを引っ込めて、 修正しようとしています - 時が関与していない或る種の 欲望が、あるかもしれないと、 私は思うと言うことに よって、です。 そこで、あなたは、自分の欲望の 対象と、完全に統合されています。 私は、これはまたもや、何か キリスト教神秘主義の中で、 言うかもしれない ことだと、思います - あなたが神を欲望するなら、そして、 あなたが神と統合されているなら、 私は、これが何を意味する だろうかを、知らないんですが、 そのときあなたの欲望は、充足される し、完全な愛か何かになるんです。
26:53 K: はい。しかし、「私は 大金持ちに、権力者に ならなければならない」と 言う人 - それは、やはり 欲望です。
27:04 M: はい。
27:05 K: 一つは、神と、神との統合に対して、 ですが、それはやはり、欲望です。
27:12 M: ええ。ですが、あなたは、 欲望について、まるでそれは 何か乗り越えたいとか、脇に置きたい ものであるかのように、語られます。
27:17 K: いいえ。私は、それの 動きを、理解したいのです - それの過程、 それの忍耐しきれぬ重荷や それの楽しみを、です。
27:29 M: はい。それは、いつも 重荷ではないでしょう。 つまり、あなたが何かを欲望する なら、例えば、あなたが空腹であり、 自分はすぐに、良い食事を・・・
27:37 K: はい、それは理解できます。
27:38 M: ・・・しようと しているのを、知るなら、 そのとき、欲望の 意図は、楽しめます。
27:47 M: が、あなたが仰っていることの 裏には、何かがあります - 私に捉えられないものが、です。
27:52 K: 私はそれに、入るでしょう。 欲望は、感受との同一視が あるときだけ、存在します。 M: あなたが仰る感受とは・・・
28:03 K: 私は、すてきな邸宅を見ます。
28:06 私はそれをほしい。 それへの欲望が、あります。
28:12 M: あなたは、実際の物理的付随が あると、仰るつもりではなく、 一種の心象があるのだ、と。
28:16 K: どちらも、です。
28:19 M: あなたは、その邸宅の中の自分自身か 何かそのようなものを、想像します。
28:22 K: 感受、 そのとき思考が、 イメージを創り出す - 私が 邸宅を所有するのを、です。 そのとき欲望が、始まります。 M: はい。まあ、いいです、はい。
28:30 で、ええ、欲望には、一種の 感覚的な様相が、あります。
28:33 K: 感覚的な様相は・・・
28:36 そのとき思考は、あの感覚的 様相へ、イメージを与えます。
28:45 M: もちろん、 この意味は、まあ・・・ 自分は教育を受けたいと 欲望する、と言いますね。 それは、あなたがそれについて、 いつの時も考えているとか、 感受を得ているという意味 ではない。 
28:53 K: もちろんです。
28:54 M: それは、あなたが、自分の生を 続けていく、という意味です。 あなたが、欲望の感覚的 経験をしている瞬間が、 おそらくあるん でしょうね。 あなたは、自分の教育がもっと良いとき、 どのようだろうかとかを、想像します。
29:13 K: 感受が、思考により 形を与えられる瞬間、そのとき それは、欲望になります。それが 私が言っているすべてです。
29:24 M: ええ。ですが、 そのとき・・・
29:26 K: 私は、善い、悪い、その他 すべてを、言っていません。 欲望自体です。
29:31 M: ですが、あなたは、愛は欲望 より異なっていると、仰います。
29:35 K: 愛は、欲望、 楽しみより、です。
29:39 M: すみません。もう一度、 仰ってください。
29:41 K: 愛は 異なっています。 愛は、楽しみではありません。 愛は、欲望ではありません。
29:49 M: ええ、いいです。私は、それを浄化 された欲望と考えたいと思います。 すみません。 それは、 もう一つの話題を、導入します。 それに私は触れるだけで、 脇に置いてしまうでしょうが。 私はまた、動機づけられた エネルギーについて あなたがどう感じられるのかにも、 関心を持っています。 私は、欲望は、エネルギーの 本源であると、考えます。 善い欲望は、善い エネルギーの本源ですが、 愛は異なるとの、この観念を、 取りあげましょう。 対比があると、私には 思われるんです - 過程と、過程でない 何かとの間に、です。
30:23 K: 過程でないものと。
30:25 M: あなたは、区別します。あなたは、 何かこういうことを、仰います - あなたは、何か創造的な存在、 といった言葉を、使われました。 それは、現在と関わることです。
30:37 K: ええ。 M: あなたはこれを、愛と真理の 可能性と、連係させるのでしょう。
30:38 K: ええ。 M: ところが、欲望は、 何か休みないものであり、・・・
30:42 K: 休みない。 M: ・・・外側にある。
30:43 K: そのとおりですが、愛は、それが静止 している、という意味ではありません。
30:44 M: ええ。静止はたぶん、 ここでは間違った言葉です。
30:50 あなたは、どう 仰るのでしょうか。
30:53 K: それは、生きています。 それはただ・・・ M: それは、創造的ですし・・・
30:55 K: それは排外的ではありません。
30:57 私はあなたを、愛している かもしれませんが、 私はまた、この愛の 感じを持っています。 それは、一人の人物と同一視 されるだけではありません。
31:09 M: ですが、愛の感じは、 欲望の感じより、まったく 異なった感じです。
31:13 K: 当然です。
31:14 M: で、あなたは、思考の感覚的 様相を、排除していません。
31:19 K: いえ、ちょっと待って。 ゆっくりそれに入りましょう。
31:21 M: はい。
31:24 K: 私たちがちょうど今、言いました ように、頭脳は、諸感覚の一部です。 反応、行為 (反作用、作用)、応答、 信念、信仰、恐れの 一部です。 そのすべてが、 ここに集中しています - それが、 私の意識です。 私の意識の内容は、 そのすべてです - 神、神なし、 私の知識、私の失敗、 私の憂鬱、私の心配。 そのすべてが、それです。 さて、そこには、大変多くの 混乱、矛盾、恐れ、 その他すべてが、 あります。 愛は、 それの一部ですか。
32:16 M: 私は知りません。 あなたが語ってください。
32:18 K: 私にとって、個人的に、 そうではありません。
32:21 M: でも、すると、愛が条件であり、 人間的な条件であるなら - そうなんですが - 愛である存在の状態や、 愛である創造的な存在が、 あるんですね。 それで、或る人物は、時々、 この条件の中にいます。 あなたは、こう提起なさっていますか - あの瞬間に、すべての心理的なもの、 すなわち、その人物が構成されて おり、収集してきたものは、 どうやら、不在である、と。
32:53 K: 不在です、はい。
32:55 M: でもやはり、彼は、自分の 愛の対象が何であるかを、
32:58 知っていなければなりません。 K: いえ。ちょっと待って。 私はあなたを愛している かもしれません。 それは、排外的では ありません。 それは、普遍的とか、 それのどれでもありません、 それは、排外的ではありません。 それは、制限されていません。
33:21 M: はい。或る意味で、それは そうでもあり、そうでもない。 なぜなら、自分が 或る人物を、愛しているなら、 あなたは、その人物を愛しているから です - 他の人を、ではないですね。 しかし、それは、あなたが誰をも排除 する、という意味ではありません。
33:35 K: ええ、誰をも、ね。 愛は、排外的では ありません。
33:42 M: ええ。ですが、それは選択的です - それをそのように表せるなら、です。
33:47 K: いえ。その言葉「選択的」ですが、 そのとき誰が、なりますか・・・
33:51 M: 自らは、あらゆる人を愛しません。 おそらく神は、するんでしょうが・・・
33:57 K: いいえ。私は愛を、神へとか、 何者かへ、帰属させたくありません。
34:01 M: 私はただ、神を、言葉の あやとして、使っています。
34:04 理想の愛は、おそらく・・・ K: いいえ。
34:06 私は、理想という言葉を、使いも しないでしょう。私は知りません。
34:11 私は、観念、理想と それらに、強く反対します。 私は明確に見ます - 愛は、 憎しみに何の関係もない。 愛は、嫉妬に何の 関係も、ない。 それは、 執着していません。
34:31 それは、欲望ではありません。 それは、楽しみではありません。
34:38 M: きわめて単純な精神の 質問をしますと、生の中で、 あなたが、もう一人の人物に興味を 持っている、としましょうね。 結局のところ、人々は あなたへ来ますね。
34:48 K: 私は気づかいます。 気づかいます。 M: はい。
34:50 ですが、私はお訊きします - あなたは 自分の人生の中で、自分がそうである 一定の時があると、お考えですか・ ・・ その言葉を見つけるのは、困難ですが。 自分が愛を表現しつつあるとか、 それでありつつあるときが、です。 これは、自分の生のあらゆる 瞬間であるべきですか。
35:12 K: マダム、私には 定かではありません。 それが、いつの時もありえないことは、 私には、まったく定かではありません。
35:18 M: はい。良いです、 良いです。 はい。そして、あなたは こうお考えです・・・
35:28 K: 自己中心的な利益があるとき、 愛は、存在できますか。 それが、 本当の疑問です。
35:34 M: いいえ、それは、 不完全な愛でしょうね。 不完全な愛を、外しておきましょう - それは、愛ではありません。
35:44 K: 自己利益があるところ、 他のものが、存在できますか。 明白に 存在できません。 なぜなら、自己利益は、きわめて、 きわめて小さいからです。
35:55 M: あなたは、私に、完全とか理想とか いう言葉を、使わせないでしょうが、 すると、私は、あなたの意味で、 愛を使うでしょう。 いいですよ。 そのとき、愛は 自己利益を排除します。
36:04 K: 自己利益が、あるところ、 他方は、ありません。
36:07 M: ええ。そうね、何か 私が大いに見出したくて、 あらゆる人が、見出したいことは、 どう変化するのか、です。 どう変化するのか。
36:17 K: ああ、それは別です。
36:18 M: どうやってなるのか。 まあ、それは連係しています。
36:19 K: いえ、ちょっと 待ってください。
36:22 これは本当に、 興味深い疑問です。
36:27 M: その状況から、妬んでいるの から、どう抜け出すのか。
36:31 K: さて、ちょっと待って ください。私は妬んでいます。 私と妬みとの間に、何も 違いが、ありません。 私が、妬んでいます。 妬みは、私です。
36:43 M: はい。私たちが前に言って いましたように、その人物は・・・
36:47 K: 妬みは、 私なんですね。 私は、妬みに対して行為できません。 なぜなら、それは私であるからです。
36:54 M: はい。が、あなたは 妬むのを減らせます。
36:57 K: いいえ。ですが、 それは、やはり私です。
36:59 M: はい。進んでください。 進んでください。
37:03 K: ですね? で、抑制、 変質の問いは、ありません。 または、それから逃避する ことのも、です。それは私です。
37:11 M: 私は次に、 何をしますか。
37:12 K: 待って。ちょっと待って。 私はそれに、入るでしょう。 もしそれが、私であるなら、 私は、それを見守ります。 私は、よくよく気を つけて、それを見守ります。 それに対して行為しようと せず、見守ります。
37:24 M: で、妬みを見守っている 「あなた」が、いますね?
37:26 K: いいえ。見守っている - 何もあなたが、ありません。 あなたが鳥を 見守っているとき、 あなたは、ありません。あなたは、 その鳥を、見守っているだけです。
37:35 M: 鳥を見守ることは、まったく 異なっていますね・・・
37:39 K: そうなんです。 M: ・・・ 他の種類の見守りから、です。
37:40 K: もちろんです。 私は見守られますか
37:42 ・・・言葉なしに、 見守ることが、ありますか。 非難なく見守る。 ただ見守る。 または、同意するとか、拒絶する とか、抵抗することなく、です。
37:56 M: そういう見守りが、ありえますね。 はい、それは困難ですが。
38:01 ちょっと待って。私たちは、 この妬んだ人物を、持っています。 または、自分自身です。 自分は、妬んでいます。 そのとき、妬みに 気づいています。 それを見守りますが、ただ見守って いる。 
38:14 K: 見守っている。
38:16 M: または、お好きなら、それである - 別の形で表すと、です。 意識的に あなたの妬みである。 あなたは、その形の言葉を受け入れる でしょうか。 
38:22 K: あなたは妬みです。
38:24 M: ええ。ですが、あなたは、 意識的にそうです - あなたが妬ましく、 無思考に、何かをするとき、 あなたは、思考の表現を 見守っていませんが、 そのとき、おそらく 瞬間があります・・・
38:34 K: ええ、それが、私が言っていることです。 M: ・・・あなたが注意深いときが、です。
38:35 K: ほら、あなたは、貴重な 錯綜した宝石を、見守っています。
38:36 そのときあなたは、見つめています - 宝石のとてつもない繊細さ、 明るい光と、美しさを、です。
38:50 M: はい、はい。 この場合に、あなたは 妬みを、見つめています。
38:54 K: 妬みを、ね。私は、まさしく 同じことを、しています。 そのとき私は、妬みの 動き全体が、見えます - それは、比較 などなどなどです。 M: はい、はい。
39:03 K: で、私は、
39:04 何も思考が私の見守りへ介入する ことなく、それを見守ります。 それは、大変多くの注意を 必要とします。 集中ではない。そこに自己が ない本当の注意です。
39:21 M: ですが、あなたは、 判断をしていませんか。
39:23 K: いいえ。いいえ。
39:26 M: あなたは、判断なく 見つめています。
39:27 K: ああ、いいえ。私は、 何も価値を、持っていません。 私は、あなたが妬みを持たなければ ならないとか、持ってはならないとか、 言いません - それは不道徳である とか、その種類の何をも、です。 人間たちは、妬みとともに、 何千年もの間、生きてきました。
39:41 M: しかし、そのとき、 この注意の結果は、 あなたの妬みが消え去ること ではないですか。
39:47 K: 注意をもって見守る。 見守ることが、注意です。
39:52 M: はい。私は、注意と いう言葉が、好きです。 あなたは、何か価値付けしないと 言うような形で、注意します。 あなたは、道徳的な判断を していません。
40:03 あなたは、私は妬むべきでは ないと、言っていません。
40:05 K: ああ、いいえ。 それは、あまりに・・・
40:09 M: ですが、私は 目的と言わないでしょうが、 確かに、この注意の結果は、 妬みが解消することですか。
40:17 K: はい。なぜなら、注意の中には 自己が、まったくないからです。
40:23 M: はい、良い。良いです。 いいね。 私は、この存在の状態を 理解しますね。
40:33 K: あなたは、そうね、 それを見守られます。 M: はい。が、そのとき・・・
40:34 K: それは、大変おもしろい。
40:37 M: すると、 これは・・・
40:40 これは、私の問いに、連係します - 私はどう変化するのか、です。
40:43 これが・・・ K: これが、 私たちが言っていることです。
40:48 M: ええ。すると、これは、あなたが 古風な言語をお使いになりたいなら、
40:49 霊的な修練です。 K: いいえ。 M: いいえ。あなたは、修練という 言葉を、使いたくありません。
40:58 K: 私は、修練という言葉が 好きではありません。 なぜなら、修練は本当に、学ぶ ことを、意味しているからです - 区画化する、追求すること ではありません。 見守るのを学ぶ。 見守るのを 記憶するのではなく、 妬み、比較、その他 すべての含蓄全体を、見る。
41:26 M: この注意の状態は、 誰かが言うか、私が言うかを - 私でいいですが - 仮定した 何かに、なるんでしょうが、 これは、あなたが例えば、冥想して いるときだけ、起きますか・ ・・ K: いいえ。  M: ・・・あなた自身が 使われる言葉を、使うと、ですが。 またはそれは、いつの時も 起きるはずですか。
41:44 K: あなたが見守っているなら、 いつの時も、です。 すなわち、あなたは、単一の 思考をも、それが何であるかを 知ることなしには、 逃さない。
41:56 M: はい。これは自分が(駅の)集札係 であるのと、共存するでしょう。 または、自分の人生での職が 何であっても、 あなたが実際にできる だろうことですが、 違った水準や違った状態に 生きるとの観念が、 入ってこなければ ならない、と思います。 この常なる注意であった、あなたの 存在状態が、あるでしょう。
42:15 K: はい。が、あなたはまた、「冥想」 という言葉を、導入されますね。
42:19 M: ええ。それは、あなた 自身が使われる言葉です。
42:21 K: 知っています。私は、 その言葉を使いますが、 そうね、冥想は、きわめて複雑な 事柄ですね。 が、それは・・・ 私たちはどう、それを 表しましょうか。 冥想において、冥想者は まったくありません。
42:43 M: はい。いいね。
42:46 K: ですが、今、私たちがすることは、 私は冥想しなければならない、 私は、冥想するために、体系に 従わなければならない、 実践がなければならない、です。 それはすべて、まさしく欲望です。 それは、一定の状態を 達成したいのです。
43:06 M: はい。これは私には、或る意味で 回避不可能だと思われますね。 つまり、私は、冥想の体系を 教えられてきたわけです - はるか昔に、ですが、 私は、或る程度、それを 実践してきました。 何か冥想のようなものを、 実践します - ごく、きわめて か弱い形だけで、です。 が、それを、より良くしようと している何かが、 あると、私には 思われます。
43:32 K: さて、あなたが、より良い という言葉を、使うとき、 それは、もっと多くを、 意味しています。 ゆえに、測量可能だ、 もっともっと多くを、です。
43:38 M: もっと、そうね、冥想に、 二元性はない、主観はないと、 あなたが仰るときのように、です。
43:45 K: 絶対的に、そうです。
43:46 M: 私は、何かこのような ことが、芸術の経験において 起きると、 言うでしょうね。
43:52 K: あなたが、経験と仰る瞬間、 あなたはすでに・・・
43:56 M: いいですよ。ええ、 そうね・・・ つまり、私が、偉大な絵画を 見つめているなら、 私が本当に見つめているなら、 私はそこにいません。
44:07 K: はい。それがすべてです。 M: 絵画がそこにある。はい。
44:08 K: それがすべてです。
44:09 あなたが本当に、何かを 見つめているとき、 自己の不在が、あります。
44:15 M: これは、愛のイメージでも あるんでしょうね。
44:18 K: ゆえに、そこにイメージは ありません。 M: ええ、
44:22 そこには、何も・・・
44:23 K: 愛に、イメージは ありません。もちろんです。 イメージは、思考により 組み立てられています。
44:30 M: はい。私は思いますが - 一定の愛し方において、ですね、 私がいうのは、利己的でない愛、 という意味です。 これは、話すことが困難なんですね。 なぜなら、愛は時の中で起きるし、 あなたは、あなたが 愛する誰かのために、 格闘し、考え、計画し、色々な ことを、しなくてはいけません。 が、あなたは本当に、自らがしている すべてにおいて、無自己であるでしょう。 そこには誰かがいるだろう、 ということで・・・
44:56 K: もちろんです。もちろんです。 M: しかし、自己は存在しないでしょう。
44:57 注意の対象が、 存在するでしょうが、 あなたはやってみなくては いけないと、私には思われます。 あなたは私に、目的を与えて くれましたが、手段を、ではない。
45:10 K: いえ、待って。それを見つめま しょう。 M: 進んでください。
45:12 K: 手段は、目的です。 二つは、異なっていません。
45:14 M: 私は、カフカが述べた寸評を 引用してもいいですか -
45:20 道はない。目的だけがあると いう趣旨で、ですね。 私たちが道と呼ぶものは、ただ だらだらすることだけです。
45:31 K: ええ。 M: あなたは、 これを繰り返します。ええ。
45:34 はい。思うのですが、いわば、 私は見るし、私は見ない。
45:42 K: 今、始めてみましょう。他の 何かを、試してみましょう。 そうね、変化は、未来を含意しています。 あなたが指摘なさったように、ですね? ここから、あれへです。 M: はい。 そして、未来を想像することです。
45:59 K: はい、はい。未来です。 未来とは何ですか。
46:01 未来は、 過去の継続です。 現在をとおして修正されています。 それは、動きです。
46:17 ですね? で、未来は、 現在にあります。
46:26 M: まあ、 進んでください。
46:29 K: 未来という意味は、私が言語を 学んでいるなら、ですが・・・
46:33 M: ええ、 それは、良い例です。
46:35 K: 私が言語を学んでいるなら、 私は未来が必要です。 私は時が必要です。 私は・・・ M: はい、はい。訓練、修練が。
46:40 K: ・・・修練、等々が必要です。
46:42 私は、言語を 学ばなくてはいけません。 さて、そこでは、 だいじょうぶですが、 心理的に、内的に、 主観的に、 過去は、私、私の記憶、私の経験 です。 すべて過去ですが、 それが、現在において、 修正されつつあり、 そして、未来へ進行します。 ですね? これは、私たちの進化の 動き全体です - 私たちの心理的な幸福や、 不幸福などの、です。 で、現在は 未来にあります。 なぜなら、今の私なるものが、 明日、なるだろうからです - 私が今、変化するのでなければ、 です。 いいですか? で、現在は、過去を保有して います。 未来は、今です。 ですね? 現在です。 今、現在は、私なるものです。
47:47 M: 他の何もない、という意味で、 ですが、ええ、進んでください。
47:50 K: それが、私なるものです。 私の記憶、私の・・・それらです。 そして、私が継続するのでなければ、 未来は、ありません。 それに、終わりが ありますか。
48:08 M: 代替的な存在の状態が、 ある、っていうことですか。
48:10 K: はい。 なる、格闘する、達成するとの、この 動き全体を終わらせること、です。
48:18 M: はい、もちろんです。 哲学者たちは、いつも 悩んできました - あること(存在)と なることとの間について、です。 プラトン主義においてと、 キリスト教神学において、 あることは、実在するが、 なることは、実在していない。 あなたが仰ることの中に、 これの何かを、感じますが、 私は、他の何について考えることによっても、 自分自身を惑わせたくありません。 私は、描こうと しているんですね - あなたが語っていることが、 どのようであろうかを、です。 あなたが、言語を学んで自分の 時間を過ごしていると、しましょう。 あなたは今日、 不規則動詞を、知りません。 来週、あなたは 不規則動詞を、知るでしょう。 これが、人生です。 回避不可能で、適切で、 まったく正しい。
49:11 K: まったく正しい。
49:13 M: けれども、この時間の間、 あなたはまた、自分がすること すべてにも、注意しています。
49:22 K: もちろんです。私は、自分が今 することすべてに、注意しています。
49:25 M: はい、今ね・・・
49:29 K: で、今は、収容しています・・・ M: ・・・特定の様態で、です。
49:31 K: ええ、今は、すべての時を 収容しています。
49:32 M: はい。あなたは、可能な人間の 状態を、描いているんですね。
49:37 K: いいえ、私は 描いていません。
49:41 私は、人間心理に何が起きてきたかを、 見なさいと、言っているだけです。 それはいつも、この方向に 動いてきました - 過去が、現在を修正する。 そして、未来です。 これは連鎖です。 ですね? そこに、私たちは捕らわれて います。 私たちはそれです。 私は、捕らわれたという言葉を、 使いさえしないでしょう。 これが 私たちなるものです。
50:05 M: ええ。捕らわれたという言葉は、 自由があることを、提起しますが、 それは、あなたが使われる もう一つの言葉です。 自由 - 真理と、愛と 連係しているものです。
50:14 K: ええ。
50:15 M: それで誰かが、あなたへ 来て、こう言います - 「私は、罠に掛かっていますね。私は どうすれば、罠を抜け出せますか」と。
50:23 K: あなたが罠に掛かっているなら、初めに、 罠が何であるかを、見つめましょう。 あなたが、それを 抜け出したがる前に、です。
50:30 M: まあ、おそらく、これをお訊き するのは、不適当なんでしょうが、 私は、罠を抜け出したく ないんですね - 私は来週、非規則動詞を 知りたいのを、止めたくはない、 っていう 意味において、です。
50:42 K: もちろん、 それは、来週・・・
50:45 M: ええ、それは進んでいきますが、 私はまた、そうね、 無自己である存在の状態を、 達成したいとも、思います。
50:54 K: はい。それは、どういう意味ですか。 気をつけて。あなたは、それを欲望します。 あなたは、未来の概念を、 持っています。
51:04 M: はい。私は、自分が今、無自己 でないことを、知っているんですが、 私は、無自己になりたいと 思います。
51:10 K: ゆえに、自己が何であるかを 理解しましょう。 あなたは、自己の動きを 理解することなしには、 自己を変化させるとか、むしろ崩して しまうとか、何でも、できません。 目標を 考案するのではない。
51:26 M: ですが、 自らが例えば、 自分の妬みを 見つめている状況では、 私たちは、この注意の 一つの結果は、 妬みが消え去るだろうこと だろうと、同意しました。 で、自己は、 変化しつつあります。
51:36 K: 妬みが終わることが、大事 なのではなく、注意が大事です。
51:41 M: まあ、仮に、私が自分の 妬みへ注意したが、 妬む振るまいを続けた、 としますが、 私がしていることへの、 完全な意識をもって、です。 それは、 良い状態でしょうか。
51:51 K: そのときあなたは、 自分が意識しているのは、
52:01 やはり自己の一部であるのが、 分かりますね。 M: まあ、自分は、一種、 前提としていなくて・ ・・ 自分は全然人間の条件らしくない条件を 前提としているとは、思いませんね。 自分は、人間があるかもしれない さまを、想像しています。
52:17 K: ええ、私たちは、人間です。 私たちは、 この常なる葛藤、痛み、悲しみと それらの中に、生きます。 ですね? これが、私たちの生です。 これが、私たちの条件です。 しかし、誰かがやってきます。 あなたがやってきて、私に語ります - 「ごらん、違った 生きる道があるよ。 果てしなく、この事柄に いつづけるのではなくて、です。 そしてあなたは、 彼に聞き、見出します。 あなたは、それはごみだと言って、 それを落とすかもしれませんが、 語り手とあなた自身に、関係が、 あるにちがいありません。
52:56 M: 今のようにね。私はあなたにお訊き しています。ええ、進んでください。
53:00 K: それは、あなたが私に 語る、という意味です - 妬みは愛ではない。 妬みは、脇に置かれない。 それを見守り、見つめなさい。 それを見て、解き明かさせなさい。 それを非難や変質や拒否など したり、逃避したりしないで、 ただそれを見守りなさい。それは、あなたの 注意全体をそれに注ぐ、という意味です。
53:31 M: が、これは実際に、私がそれを 慎むって、結果にならないでしょうか。
53:35 K: いいえ。 M: なぜですかね。
53:36 いいですよ。別の形で表しましょう。 K: 私は、それを持ち出しています。
53:39 M: 私の妬みを控えることは、 私にとって良くないでしょうか。
53:40 K: いいえ。私が控えるなら、それは、 いつか他の時に、再び出てくるでしょう。
53:45 M: はい。いいです。でも、その間 だけは、より良いのかもしれません。
53:49 K: ああ、私は、その間を ほしくありません!
53:52 M: ああ、まあ、はい。
53:55 でも、私には、あなたは、自己を訓練する 要素を、排除するように思われます。 あなたは、修練という言葉が ほしくない、お好きでないですよね。
54:07 K: マダム、ご存じのように、 修練(ディシプリン)は、 学んでいる「学徒」(ディサイプル) という言葉から、来ています。 学んでいる。 記憶しているの ではなく、学んでいる。 あの宝石の美しさを 見るよう、学んでいる。 私は、その宝石を 見つめたことが、ありません。 私はいつも、それを非難し、 合理化する等を、してきましたが、 今、あの宝石を見守る ことだけが、あります。
54:31 M: はい。しかし、あなたはこの場合に、 何か貴重なものを、見守っています。 それが、百万ポンドの値がするか どうかは、大事ではありません。 それは、何か絶対的に貴重と 描かれているものです。 今、私は自分の妬みを、見つめている なら、それは、宝石の対極です。 それは、何か 悪いものです。
54:49 K: いいえ。私は それを非難しません。 非難や判断や評価の 精神は、ありません。 ただそれを見守る。 私は、自分の息子を 見守ります。 私は、「おやまあ、彼はこうであるべき でない。 彼はあれであるべきでない」と 言いません。 私はただ、彼を見守ります。 あなたは、 見守りませんか・ ・・ 例えば、あなたが絵画を 見つめているとき、ですが、 私はそれを 見守ります。 私は、すべての光、 均整、闇を、見ます。
55:19 M: 絵画を見つめることは、ここで あなたの根本的観念が何であるかを 理解しようとする中で、ともかく 私にとって良い実例ですが、 やはり、私は それで悩みます - お話を理解するなら、 私が考えるだろうことは、 一種の理想のあり方であったことを、 あなたが提起されていることで、です - あなたが実在と連係している ところの本当のあり方であった、と。 しかし、自分がこの状態に いないとの事実は、残っています - 自分が幻影の中に沈んでいる、 自分が幻影に満ちているとの、です。
55:55 K: それがすべてです。 さて、私は幻影の中にいます。 私が幻影です。 私は、 幻影の中に生きます。 私が考えること - これが私の信念、 信仰だというのは、幻影です。 さて、幻影(イリュージョン) という言葉は、そうね・ ・・ (語源の)ルーデレは、遊び戯れる ことです。 ルーデレ、遊び戯れる。 私は、幻影と 遊び戯れています。
56:20 M: なぜ私は、わざわざ 気にすべきですか。 別の形で表しましょう。 なぜ私は ただ見守るべきでないですか・・・ 私が利巧な人物であるなら、私は自分の 妬みを見守られ、それを面白がれ、 妬んだ振るまいを継続できます。
56:34 K: いいですよ。続けてください。 そこには、葛藤が あります。 そこには、一定の苦悶の感覚が、 あります。痛みがあります。
56:42 M: あなたはもしも、 誰か自分の愛する人が、 幻影の状態にあるのを、見たなら、 願わないでしょうか。 あなたは、その人物のために、それらが 変化すべきだと願わないでしょうか。
56:51 K: 私は、行って、 彼に話すでしょう。
56:52 M: ええ、すると、あなたは、彼は 変化すべきだと、提言なさっています。 あなたは、道徳的な価値を 提言なさっています。
56:58 K: いえ、いえ。私は 彼に言うでしょう -
57:04 ごらん、なぜあなたは、これらの 幻影を、持っていますか。 M: まあ、それらを幻影と呼ぶことも また、すでに判断をすることです。
57:07 K: いいですよ。それを幻影と 呼びさえしないでください。 あなたは、神を信じています。 誰かは、信じています。 または、 他の何かを、です。
57:14 M: はい、まあ、妬みの 事例に、拘りましょう。 なぜなら、それは相当に、 率直であるからです。 誰かが、それらに 食い尽くされている、と。 幾らかの人々のあり方ですね。 そうね、絶対的に、です。 ああ、彼はあれを持っている。 彼は私より良い、などと、です。 あなたは、そのような誰かを 見守り、「ごらん」と言います - 「なぜあなたは、自分のエネルギーと 心配を、むだにしますか。 何か深く本当に重要では ないものに、です。 あなたは、そうしている べきではありません」と。
57:37 K: すなわち、彼らが進んで、 聞こうとするなら、です。
57:39 M: ええ、 いいです。はい。
57:41 K: 彼らが進んであなたに聞こうと する瞬間、あなたはすでに・・・
57:46 M: ええ。ですが、そのときあなたは、 彼らに何かを、教えてきました。
57:49 K: ああ、いいえ。していません。 いいえ、私は何の圧力も持ちません。
57:54 私は、彼に、変化して ほしくありません。 M: まあ、私は、すべての善い教師が、教師を 名乗るのを拒絶するのを、知っています。
57:57 K: 葛藤が、このすべての 本当の根です。
58:01 M: が、仮に、誰かが完全に調和的な 状態にある、としましょう。 たくさんの、たくさんの悪徳と、です - 私たちが悪徳と呼ぶものと、です。 仮に、彼らが妬んで、嫉妬し、 暴力的で、怒っていると、しましょう。 彼らは、こういう調和的に落ち着いた 人物でありえるのでしょうか。 仮に、彼らが、自分のすることすべてに 成功を収めている、とすると、 これは不可能であると、 仰るのでしょうかね。
58:25 K: いいえ。あなたは、 調和的ではありえません - あなたが右手で、 アイルランドを蹴っ飛ばし、 あなたが左手で、 調和的でいる間は、です。
58:35 M: まあ、はい。 同意いたします。 私はこう思うんですね。 人々は、 正しくもこう想定します - 邪悪な人は、 葛藤の状態にある。 そして、善い人は 調和的である、と。
58:50 K: 善い人は、何も 葛藤を、持っていません。
58:52 M: はい。そして、邪悪な人は、 葛藤を持っています。 まあ、すると、これは、 何かがあることを、提起します - 邪悪な人は、一種の誤りを してきたこと、そして、 彼が世の中について信ずることには、 非実在のものが、あることを、です。 で、そのとき、善と悪を 区別する中で、 自分は、間の区別を している・・・
59:12 K: いいえ、あなたは、見られます - 例えば、テロリストである人、 殺す面白さのために 殺す人ですが、そうね、 その人には、何か 間違ったことが、あるのです。 M: はい。 
59:23 K: 私は彼を、 邪悪や善と呼びません。
59:25 この哀れなやつの中では、或る 種の異常が、進みつつあります。
59:31 M: で、あなたが産出したいのは、 調和的な人格ですか。
59:38 K: いいえ。自分自身の中で、すべての 葛藤を終わらせることは、可能ですか。 それが、問いの 本当の根です。
59:47 すべての葛藤の、です。 M: すると、あなたは、 その言葉、「善い」と 「悪い」を落とし、 調和と不調和という言葉を、使う 準備が、できているのでしょうか。
59:53 K: ええ、その意味で。 その意味で、です。 M: はい。
59:55 K: 私は、調和や不調和を 使わないでしょう。
59:57 なぜなら、葛藤がない瞬間、 あなたは、全体的であるからです。 全包括的な生きる道が、 あるのです。
1:00:12 M: はい。しかし、あなたはやはり 善と邪悪について、話しておられます 私たちが通常、それらを理解 する意味において、です。 あなたは、テロリストに ついて、語ります。 きわめて悪い人を、描きましょう。 ただ妬む人ではなく、 きわめて邪悪な人、 誰か残酷である人です。
1:00:27 K: はい、殺す人です。
1:00:29 M: そのとき自分は、 この人物にしてほしいと思う・・・
1:00:36 K: あなたが聞くなら、あなたが 変化するなら、それだけよい。 しかし、彼らは 本当に、聞きません。
1:00:45 M: 私たちは、(録画)テープの 巻きの終わりに着いたと、思います。
1:00:47 K: はい。終わりに着きました。 M: おそらく、そこに着きました。
1:00:51 まあ、私はこれを つづけたいと思います。
1:00:54 K: 昼食の後で、 そうしたいと思われますか。
1:00:56 M: はい。おそらく、私たちは 今、止めなくてはいけません。
1:01:02 K: はい。昼食ね。 それから、昼食後・・・
1:01:03 M: 昼食の後、自由につづけられる でしょうね。 K: よし。
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