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BR84CRE - 恐れは完全に拭い去られるのか home
ロナルド・エアとの会話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年6月24日


0:14 E: 私はあなたに、遊びについて お訊きしたいと思います - それは、私にとって、ますます 大事です。 私は・・・ K: 遊び?
0:21 E: 遊び。そうできることです。
0:22 私が、一定の厳粛さをもって 一つの作品に取り組むなら、 私がどれほど真剣でいても、それは一種、 それ自体を破壊するのを、知って、です。 が、そこに、私の接近に 遊びの要素が、あるなら - それを起こさせること、 気楽さが、です・・・
0:36 K: あなたが仰る、遊びとは どういう意味ですか。
0:38 E: 厳粛すぎることは、むしろ 自惚れているって、私は思います。 あなたは、これをしたいって 観念を、持っています。 それを終了させたい、と。 あなたは 始まりに、終わりを持っています。 あなたは、それが何であろうと しているかを、知っています。 私がいう「遊び」とは、物事が入って くるのを、許すっていう意味です - あなたが期待して いなかった側から、 思考や概念を、です。
0:58 K: はい。あなたが働いているとき、 あなたは集中している、と いう意味ですね。 その集中は、焦点化 されていないとき、 そのとき、 他の物事は・・・
1:09 E: ええ。私は、 私たちの多くと同じく、 きわめて清教徒的な形で 育てられました。 努力は良いことであると、信ずるよう、 育てられました。 それから、私は、 努力が両刃の事柄であることを、学ばなく てはいけなくなっていると、思います。 それは、厳粛すぎることがありうるし、 それは、あなたを結論の方へ押し込みうる、 それは、あなたを盲目にし、 聾にしうる、と。 あなたが見聞きしているべき すべての物事に、です。 私は一種、座り込んで、もっと 遊ぶのが必要だって、感じます。 それは・・・
1:38 K: 一つの継続的な努力と 思考を持つより、 むしろ 他の思考を、入らせる。
1:47 E: そのとおり。はい。 それを有機的に移らせて、 それが、有機的に形を 取らせるようにする - たぶん、意図されていない 方向で、です。
1:58 K: その散乱は必要であると、 仰るのでしょうか。 それですね。 私は・・・
2:07 E: はい、それは散乱です。それは - この言い回しを使えるなら - 留意した散乱と 関わりがあります。 それは単に、何事にも 開いていることだけではない。 K: 空っぽの精神で、ね。
2:16 E: そのとおりです。
2:20 K: で、集中、
2:24 あなたが気づいている 散乱の感覚です。
2:31 E: そのとおりです。 まったく重要だと感じます。
2:34 K: ええ。 が、あなたが、散乱がある ことに、気づいているとき、 それは散乱ですか。
2:41 E: それはおそらく、極端に 微妙な集中でしょうね。
2:44 K: それが、私が訊ねていることです。 E: はい。そうだと感じますね。
2:46 私はそれを感じます。 それは、恐れと連係していると、 私は思いますね。 恐れの要素、自分は 間違えるかもしれないとか、 歓迎せざることが何か起きる かもしれない、との恐れです。 それで、凍りつきます。 あなたは、 自分は集中していると考えますが、 あなたは実際に、 閉め出しています。 それは正確だと、 仰るのでしょうか。
3:07 K: 部分的にだけ、 そうでないですか。 私たちは、集中が何であるかに ついて、議論でき、 それから、他方へ 来られますか。 私たちが、「集中する」と言うとき、 それは、どういう意味ですか。 自分の思考の焦点を 合わせること。
3:32 E: 焦点は、ちょっと 肯定的に感じます。 まるで、自分の意図がたぶん、少し そこに入りすぎているようです。
3:38 K: ええ。自分がしていることに 集中しなさい。 何も入らせては いけない、と。
3:45 E: 自分がしていることへ、 全的に立ち会えることが・・・
3:48 K: ええ、いいです。 E: もう一つのそれの表し方です。
3:50 K: 自分がそう集中し、焦点を 合わせるとき、それは、何をしますか。
3:53 あなたは、他のあらゆる形の思考を 閉め出しつつないですか - その言葉を使っていいなら、 他のあらゆる形の散乱を、です。 で、あなたは、自分自身の まわりに、壁を築くし、 「いや、どうぞ、 何をも考えるな。 これについて考えよう」 と言います。
4:28 E: 間に区別が ありますね。 あなたが、あの仕草を なさったとき、 それは、わずかに悩んだ 仕草でしたね。 「悩ませるな。 私は これに集中しているんだ」と。 K: そのとおりです。

E: 今、それは私が思うに、たぶん - 確かに私は、まったく たくさん、そうするんですが - そこに恐れを持つし、たぶんさほど 役立たないって、私には思われます。 単に静かに、他の物事を 脇に押しやる、 或るものへ 開いていることほどには、ね。 K: 私は、さほど確かではありません。
4:54 E: ああ、もっと言ってください。
4:57 K: 私たちは、何が 集中をさせるのかについて
5:00 議論することから、 始められるのでしょうか。 意志、欲望、 終わりに達成すべきこと、 動機、方向づけ、目的、 強烈になった欲望 - それが意志です。 そして、 「これを私はしなければならない。 これが必要だ。私は集中しよう」と言う。 ゆえに私は、入ってくる他の あらゆる思考を、押しのけます。 で、私は、一瞬の間、自分自身の まわりに、壁を築きます。 そして、そこに、です。 で、それは、 一つの形の抵抗です。 それは、一つの形の・ ・・ 違ったように 表してもいいですか。 何かを保とうとする 自己集中的な試み - そのときそれは、恐れになります。
6:17 E: はい、分かります。 それは、まったく 確かです - あなたがそれを叙述なさるとき、 そして、閉め出すことですが、 私は、それが失敗への 序曲であることを、知っています。 それが、起きることです - あなたが それをできない内に、そうですね? で、私は、さらなる状態に 興味があります - あなたが本当にそうである状態が、 そのとき、何であるかに、です。 私たちは再び、「集中する」って 使わなくてはいけませんね。 おそらく、別の言葉が あるでしょう。 K: 別の言葉があります。 
6:46 E: ・・・そのとき、あなたが本当に、
6:47 自由に開いていて、 入ってくる物事へ 立ち会えるときの、です。
6:52 K: 別の言葉は、「注意」です。
6:53 E: 注意ね。ええ、 もっと役立ちます。
6:56 K: ですが、それは、 はるかに錯綜しています。 「自分は立ち会える」 ではなく、注意する。
7:10 E: 注意の中で、あなたは、 自分自身が驚くのを、許しますか - 自分へ 入ってくる物事で、です。
7:20 K: 私はそれについて、 少し議論したいと思います。 自分が注意しているとき、 それは、あなたの エネルギーすべて、 あなたの敏感さすべて、 同じく、 あなたの神経組織をも、 向けている、という意味です - 聞こえること、目だけではなく、あらゆる 物事が、ものすごく生きています。 その注意の状態の中に、 注意する「私」としての 中心が、ありません。 ゆえにそこに、恐れはありません。
8:11 E: ああ、はい。
8:13 K: 話が明らかになっているのか どうか、分かりませんが・・・
8:15 E: 私は絶対的に 理解します。はい。
8:19 K: 私たちは、子ども時代から、 集中するよう、訓練されてきました。 教師たちは、「集中しなさい。 窓の外を見るな」と言います。 それで、そこには 矛盾が、あります。 私は外を見たい。 それで、恐れが始まります。 それで、努力です。
8:46 E: なぜ私が、遊びについて 話しはじめたのかは、 全面的に、この区域に ありました。 私はそれに、興味を 持っていたんですね - きわめて必要な、恐れなき 注意と、言えるかもしれませんが、 それは、真剣でないのではないが、 それは、厳粛ではない。 小さな線があります。
9:03 K: いいえ。注意は注意です。
9:05 E: それは、まさにある ところにある。 K: はい。
9:07 E: 私は、「遊ぶ」という 言葉に、興味があります。
9:10 なぜなら、それは職業的に、 私の生涯ずっと、起きます - けっして物語に飽きなかった 子どものとき、ね。 あれは、私の重荷と 私の楽しみでありました。 で、私は自然と、劇場で仕事を得て、 私は、自分自身と他の人たちへ 物語を語ります。 または、 私はそれらを書きます。 それから、「遊ぶ」(プレイ) という言葉は、もちろん、 たまたま、それらの行事へ 与えられた言葉です。 私がインドにいて、幾つか 映画を作っていたとき・・・
9:35 K: あの彫像を ご覧になった?
9:39 E: どれですか。 K: シヴァが遊び戯れるのを。
9:40 E: 遊び戯れる。絶対です。 遊びとしてのリーラね。
9:40 私はあなたに、それについて、 話していただきたかったんです。 なぜなら、「遊び」が実際に、物事の ありさまを叙述する言葉であることは、 すばらしいと 思われるからです。
9:54 K: そういうわけで・・・ 舞い踊る、 フットボールをプレイする、 ゴルフをプレイするなど、ですが、 なぜそれらの物事が、 重要になったのですか。 あなたは、それらをプレイします。 あなたは、舞い踊ります。 が、私は、 集中より解放された、 離れた、って言うでしょう。
10:25 E: はい。
10:29 K: それが、私たちがしていること です。オフィスで一日中、働く。 9時から5時までとか、 何であっても、です。 それから、 バーへ行く。 飲む。 気晴らしをする。 そうね、 映画、これ、あれ、その他です。 で、ここには、ものすごい 矛盾が、あります。 E: そのどれ一つとして、遊びではない。
10:52 K: そのどれ一つとして、遊びではない。
10:54 それは、散乱です。 散乱、気晴らしは、 遊びではありません。
11:01 E: 私は、ますます感じがします ・・・私は、自分が何のために 地上にいるかへのプログラムを、 自分自身に与えませんが、 私は自分自身に、小さな プログラムを、与えます。 それが私の職です - 遊びの量を増大 させることが、と、私には思われます。 それは、あなたにとって 意味をなしますか。 私の生にとか、物事にさえ、 その可能性を増大させる - 骨折り仕事かもしれないことに、 骨折り仕事を回避するように、です。 それは、自分の職を変更するのを、意味して いません。 
11:25 K: ええ、もちろんそうです。 が、仮に、私たちが「散乱」、「遊び」と いう言葉を、当面落とす、としましょう。 そのとき、何が 起きますか。
11:42 E: それは どういう意味ですか。
11:44 K: 私は、工場で 働いてきました。 それは、ひどく疲れて、汚く、 騒がしく、臭い職です。 私は、家に帰ります。 または、バーへ 行きます。そこで私は寛ぎます。 一杯やる、 その他すべてです。 その寛ぎの状態で、 家に帰る。 妻は、喧嘩し、 何かを言いはじめます。 私は、苛立ちます。 私たちは、それを続けます。 その間に、セックスとそれら ですが、私はそれを、続けます。 で、セックスは散乱、気晴らしに なります。 よろしいですか。 で、全部が、職が、私を 散乱へ、無理強いします。 ナイトクラブ、そうね・・・
12:44 E: はい、確かに。 私は、自分の生の区域を 見過ごすと、思います・ ・・ 私は自分自身を、きわめて 自由気ままと、考えます。 なぜなら、私は 職から職へ動くからです。 別の意味で、私は、 散乱から散乱へ動くんです。 私は、慰めのための 状況へ、行きます。 あなたが、新しい職を受けるなら、 それは一時的に、快適に感じますが、 結局それは、それ自体の拘束服 になり、あなたを投獄します。 あなたは、その監獄より 動かなくてはいけません。 で、私はよく知りません・・・代替案が なければならないのは、知っています。
13:14 K: これらすべてには、 恐れの要素が、ありますね。 私は、自分の職を適切にしていない。 私は、酒を飲みすぎたとか、 セックスをしすぎた。 神様、私は 失おうとしている - よろしいですか。 で、この恐れの循環が、 進みつつあります。
13:35 E: さて、私たちは、考えることに よっては、その循環を砕けません - その循環を砕くと、いってね。 割れますか?
13:40 K: まず第一に、私たちは、自分が 愛することを、何かしますか。
13:49 E: あまりね。 K: ええ。
13:50 E: 何かあるなら。 K: 何かあるなら。
13:51 自分は、境遇により 無理強いされます。
13:55 大工として、専門的になります - または、科学者や、 作家として、です。 それらはご存じです。 で、次第に、頭脳自体が、 きわめて狭くなり、制限されます。 その制限自体が、 退屈になります。 ですね?  そのとき、それを 壊します。行って遊びます。 ビール、セックス、ナイトクラブ、 ゴルフ、フットボールです。
14:50 E: これらのことの各々には、 ほとんど過程が、あって、 変化の瞬間の間、一吹きの酸素を 与えられるかのようです。 変化の瞬間に、一吹きの 特別なエネルギーです。 そのとき、あなたが、 次の局面に入ったとたん - ビールやセックスや、 気晴らしが何でも、です - それは、固まってしまうし、 そのとき酸素は、引っ込みます。
15:11 K: で、まったくむだにされない エネルギーが、ありますか。 ゆえに、恐れが ないのです。
15:21 E: このエネルギーは、いったい 常に、立ち会えるのでしょうか。
15:26 K: それはあります。 E: ありますか。
15:26 K: もちろんです。
15:27 ですが、私は、それを 誤って使います。 私は、自分がするのを 嫌いな何かを、します。 私は、麗しい朝に出かけたい - このような朝に散歩に、ですが、 私の妻は、教会へ行こうと、言います。
15:49 E: はい、そのとおりです。はい。 で、私たちは、そのとき、 何に怯えていますか。
15:55 K: それが、私がお訊き したかったことです。 私たちは、恐れが終わることに ついて、話していますか。 ゆえに、生きることに ついて、ですか。 遊ぶことと遊ばないこと、 ではない。
16:19 E: 私たちが、次の 気分転換を、持たないなら、 私たちは自らが死ぬだろうと 考えると、お考えですか。
16:26 K: もちろんです。このひどい 死の恐れが、あります。 E: 多くの微妙な形で、です。
16:33 K: もちろんです。
16:40 あなたがそれらへ入りたいのか どうか、私は知りません。
16:50 E: どうぞ。はい、 そうしたいです。
16:57 K: そうね、そこには、なっていく ことが、関与しています。 物理的に、なっていく ことだけではない。 私はか弱いが、私は 強くなるだろう。 私はあまり走ってこなかったが、 私は走ろう、と。 よろしいですか。 物理的に良くなる。 それに 向かって、ものすごい努力をする。 彼らは今、みんな、それを しています。 それは流行です。 それが、心理的な領域へ 溢れ出てしまったのですか。 お話が伝わっているのかどうか、 分かりませんが・・・
17:38 E: ええ、理解します。 私たちは、死の恐れについて 話していないんですね。 私たちは、或る面で、 生の循環を回避しようとする ことについて、話しています。
17:45 K: ええ。ゆえに、私が生を 恐れているなら・・・ で、生きる道全体が、恐れの 中の動きになったのです。 死の恐れ、職を失う恐れ、 私の妻や夫への恐れ。 私は、成功者になりつつない。 よろしいですか。 この生きる道全体が、 どうなってしまったのか、 一歩一歩、究極の死の恐れへ 繋がっていきます。
18:25 E: はい。いいです。 それはすばらしい。はい。 すべての恐れは、死の恐れへ 遡るこれらの根を、持っています。 もしも恐れが、どの瞬間にも不在になるの であれば、それは何か死の征服です。
18:39 K: いえ、 ちょっと待って。 私たちが、生きることを 理解するなら - 生きることの 意義を、です。 この永続的な闘い、 格闘、葛藤ではない。 私は、持たなければならない - もっと多く、もっと良く、と。 私自身の、他の誰かとの この常なる測量 - 彼は有名だ。 私は有名に ならなければならない。 彼は、テレビに出ている。 私は、出ていない。 このひどい貧困の 感覚です。 
19:22 E: ええ。
19:29 そして、豊かになろうとする試み には、恐れの重荷が、あります。 私はけっして、豊かに ならないかもしれません。 なぜなら、はるかに豊かな誰かが、 いるからです。 
19:44 E: 確かに。 で、或る意味で、私は、私たちが 居住するこれらの小さな監獄を、 一つずつ見ます - これら小さな散乱を・ ・・ 私たちがそれらに 入るとき、知る事実 - それらが 不完全であること、です。 それがうまく行かないだろうと知る ものが、何か私たちに、あります。 それで、大きな悲惨の 原因が、あるんです。 少なくとも、あなたが、すてきかも しれないと思う所へ、入るなら、 あなたは、自分自身を欺瞞していません - ついに、それが嫌になるまで、ですが、 それがうまく働かないことを知るものが、 私たちの中に、何かあります。
20:17 K: 私たちは、それが 働かないのを知りますが、
20:20 私たちは、それを続けていきます。 E: それは変ではないですか。
20:22 K: 戦争のように、私たちは、それが おぞましいのを、知っています。 - 大変むだで、破壊的です。 私は知らないんですが、 私は先日、聞きました - Dデイ(ノルマンディー上陸作戦) 記念式典が行われたときを、ご存じですね。 二万人の若者が 殺されました - 第一・ ・・ E: ・・・第一波攻撃で。
20:42 K: 第一波攻撃で、二万人です!
20:44 そして、 政治家たちは・・・
20:55 E: 問題は、こうでしょう - 今、あなたが、 例えば、Dデイ記念式典を観て いて、自分の弱気を表明するか、 これらの記念行事の全部へ 嘲りを浴びせるなら、 あなたは、死んだ人たちへ 不敬であると考えられますが、 それは、正反対です。 それは、実に腹立たしい。
21:10 K: それは、こうも 怪奇に聞こえます。
21:11 E: 実際に、あなたが言いたいことは、 私は、死んだ人たちを愛しているから、 私は(追悼の)ヒナゲシと何の関わりをも 持ちたくないんです。 
21:24 K: 全くです。 E: 何年かの期間、私が、 宗教の名前を付けている映画を 作っていたとき、私は 見つけはじめました - 明白に、宗教は頻繁に、 死の恐れからの 一時的な避難所として、 使われてきたんです。 明白に使われて きましたが、もちろん、 自らはそこに止まれません。 なぜなら、その意味で、何でも、 住宅も、宗教でありうるからです - または、職や散乱でも、です。 それで、世界は、さほど きちんとしていませんね。 もしも私たちが、宗教がそれを していると、言えたなら、 私たちは自由に感じるでしょうが、 それは、実情ではありません。
21:54 K: で、私たちは、何に ついて、話していますか。
21:57 E: まあ、私は、死の恐れに ついて、話していますね。 なぜなら、私はそれを、 浸透すると感じるからです。 そして私は、なぜ自分の人生で 瞬間瞬間に、或る種の検閲者や 審判者がいるのかを、 理解できません。
22:13 K: 死は遊び(プレイ)の一部 であると、仰るのでしょうか。
22:20 E: 絶対です。善い死が、遊びの 一部である、という意味で、です。 善い死は 遊びの一部です。
22:29 K: 善い死と仰るのは、 どういう意味ですか。
22:32 E: 可能性って意味なんです - あなたが何かに登ると、 それから落っこちるかも しれないが、気にしない。 そのとき、その行為の裏側の、 落ちる可能性が、あります。 それが、私がいう「善い死」 という意味です。 行為の残り半分が、 私がいう「善い死」が 意味するものです。
22:53 K: 例えば、とても豊かな人が、人生で あらゆるものを、持っているが、 本を書きます。 その終わりに、彼は、 「私は、実に愉快な人生を過ごして きた」と言って、死にます。 ですね? そして、麻痺したり、不具に なったりしている人たちが、います。 世の中でますます増大している、それら すべてのひどい症例が、あります。 彼らにとって死は、とてつもない 出来事なのかもしれません。
23:25 E: 何が、とてつもない 出来事なのかもしれませんか。
23:28 K: 麻痺した人、病人、 不治の人たち、です。 私たちは、死の恐れに ついて、話していますか。 または、私たちをして死を 恐れさせる、生の恐れですか。
23:51 E: むしろ、 そちらのようです。
23:59 K: で、なぜ私たちは 生を、恐れていますか。 原因は何ですか。 その理由や、 多くの理由は、何ですか - 自らをして、生きるのを 恐れさせるものは、です。
24:18 E: 私は知っていたなら いいのに、思います。
24:20 K: その一つ - 議論しましょう - その一つは、子ども時代からです。 私は、学ぶよう、記憶する よう、強いられます。 私は、問題に出会うよう、 訓練されます。 私の頭脳、自らの頭脳は、 条件づけられてきました - 子ども時代から、数学の 問題を解決するように、です。 専門校、大学。 問題、問題、問題です。 で、頭脳は、問題に 条件づけられています。 そのとき、それは 問題に出会います。 その問題の解消は、問題を もっと錯綜させています。 それの解決の中で、十の違った 他の問題を、増大させます。 それが、政治家たちが していることです。
25:32 E: 私は、何かまったく 良いものを、得ます。 私たちの教育は、叙述なさる ように、問題を解決するための、 一連の試験走行だと思われますが、 問題は、生ずるとき、 あなたがかつて試験走行をして きた問題では、ありません。
25:48 K: ええ。ゆえに、 何が起きますか。
25:51 E: あなたは、規則を適用します。 K: 古い規則を、です。
25:52 E: それらが働くと望んで、あなたが 学んできた規則を、適用しますが、
25:53 K: それらは働きません。 E: それらは働きません。
26:00 K: で、それが、人間たちの 本当の問題の一つです - まったく問題を持つことなく、 問題に接近することです。
26:10 E: とても良い。 ええ。事実、私が思うに、 あなたが教えられるさまが、 あなたにとって問題を定義しますが、 問題は、まったく違っている かもしれません。  

K: ええ。 E: で、あなたは、自分が解決するよう 教えられてきた問題を、解決できます。 あなたは、自分が解決するよう 教えられてきたことを、問題と見ますが、 たぶん、はるかに大きくて、もっと 怖ろしい物事が、あなたを殺しています。
26:32 K: ええ。ゆえに、あなたは、問題へ 訓練されている頭脳をもって、 それに接近します。
26:39 E: はい。
26:42 K: 世界のほとんどの宗教的な 人々は、神を信じていますね。 あの神性に到るには、あなたは、 自分自身を拷問しなければなりません。 あなたは、断食 しなければなりません。 あなたは、あらゆる種類の 否定を、経なければなりません。 セックスなし。 自分のまわりを、見るな。 何も感じるな。 自分の欲望を 制御しなさい。よろしいですか。 私たちは、それに 条件づけられています。 それで、神へ到るために、私は このすべてを、経てきます。 そしてあなたは、 聖者になります。
27:26 E: それは、考えてみると、 狂っていませんか - 例えば、キリスト教の 聖典の中で、 外部者であった人たちについて、 膨大な量のものが、あることが、です。 売春婦などについて、 ですが、生きる中で、 宗教が、固まって、 制度化するにつれて・・・
27:44 K: それらは 狂っています! で、一分間、それを 見つめましょう。 私たちは、生きることを 恐れています。 なぜなら、私たちは 失ってしまったから・ ・・ そのとき私たちは、 生きることの意義は、何なのか、 生きることの意味は、 何なのかと、言います。 何も見つけないので、 私たちは考案します。 哲学者たちが入ってきます。 専門家が入ってきます。 心理学者が入ってきます。 よろしい ですか。私たちは、考案します。 その考案物が、私たちの 安全になります。 そのとき私は、それに 取りすがります。 私はそのために、闘うでしょう。 そのために、殺すでしょう。 E: 毒のようですね。
28:37 K: そうなんです。
28:39 E: 飲んだ毒のようです。 K: これが、起きつつあることです。
28:39 E: 実際になぜ私がここにいるかを、 ご存じですか。理由の一つは・・・
28:42 私は、前回起きた小さな 物語を、お話ししましょう。
28:44 私が初めて、ここに来たとき、 待ち時間が二時間、ありました。 私は、部屋へ入れられて、あなたの ビデオ・ テープを見せられました。 二時間以上、私は、あなたに すっかり強い嫌気を、抱きました。 K: 嫌気?
29:02 E: 嫌気です。
29:02 K: 良いね。 E: 強い嫌気です。
29:03 それから私は、自分の嫌気を もって、昼食を摂りに行きました。
29:05 私の後の声が、 「おろしニンジンを試すべきです。 とても良いですよ」と言いました。 それがあなたでしたし、あの後、 私たちは、うまく行きました。 さて、これが面白い ことです。 そうね、 私は明白に、製造していました。 私は あなたで、自己教育をしていました。 私は、あなたがどういうものかを 見ようとしていました。 どういう意味が、お分かりですか。 私は、あらゆる種類の概念を 得ようとしていましたが、それらの 効果は、深く憂鬱でした。 けれども、ニンジンと あなたの存在は、良かった。 私は、それについて、何も 問題が、ありませんでした。 で、私は極度に熱心です - 今日 何でも私たちが言うべきことは、 私たちが重要性を持っている との、あの種類の感じを、 与える可能性が何もあるべきでない、 と。けっして分からないですけれど。
29:54 K: 私たちは、なぜ生がこうも 無意味になったのかについて、 議論しているのでしょう。 樹は、あの質問をしません。 虎は、あの質問をしません。ですね? それは、「私は 生きている」と言います。
30:22 E: そうね。
30:29 K: で、生きることに 葛藤がないなら、 私はけっして、その質問を しないでしょう。 話が伝わっているのか どうか、分かりませんが。
30:41 E: いえ、聞こえませんでした。最後の 文章が、理解できませんでした。
30:43 K: 自分の生に、葛藤がないなら - いかなる葛藤もないと - あなたはけっして あの質問を、しないでしょう。
30:49 E: 生の無意味さの問いを、です。
30:52 K: そのすべての意味は 何なのか、と。
30:54 E: それは、何かの完成の観念を 包含しているからです - あなたは愛しているべきだ、と。
30:57 K: はい。
30:58 E: それは、 もう一つの虚構です。 で、私たちは一種、虚構から 虚構へ、まごつきます。
31:04 K: 幻影から幻影へ、 空想されたのなど、です。
31:12 E: 私が思うに、ひどい真理は、 どの体系も・・・
31:15 K: 何が、人間たちをして、 この質問をさせますか。 なぜなら、彼ら自身の生が、何も 意味を、持っていないからです - 9時から5時まで オフィスへ行くこと、 あなたが六十に なるまで、です。 責任、住宅、 抵当権、保険と、 関係の間の葛藤 などなどなどです。 そして、六十五、七十、八十で あなたは、ぽっくり逝きます。 そのときあなたは、そのすべての 意味は何なのかと、言います。
31:58 E: それは、どういう ものだったのか。
32:10 K: そのとき、 死があります。 そのとき、あなたは 「私は死のうとしている。 私は来世に生きるだろう ことを、望む」と言います。 よろしいですか。 あの循環全体が、始まります。 望み、絶望、憂鬱、恐れ、 私は今生で、こうも 多く達成した。 それは、どういう意味なのか。 その すべての終わりへ来るのか、と。 私は、或る人について、聞かされました。 私は彼らに、二人とも会いました。 彼は、尋常でなく豊かでした。 尋常でなかった。 彼の戸棚は、それらで 満たされていました - 黄金、あらゆる種類の紙幣、 特にスイスの、です。 彼は死につつありました。 彼は、「私は それを持っていけない」と言いました - 「そのすべてを、拡げておいてくれ。 戸棚すべてを、開けておいてくれ。 私が死んでいきながら、それらを見つめ られるように」と。考えてみてください。
33:26 E: すばらしい。何とすばらしい 最後の思考か。ええ。 あなたがそれについて話されるとき、 私は、感じがするんです。 死。 私たちは、それが卑猥なもの であるのを、知っています。 私たちが話をしないかもしれないこと、 前世紀、それはセックスでした。 私たちは、今世紀、 死について話せません。 私は感じました - 本当に それとともに生きること、 それともに坐ることとの不在が、私たちの 状況を、こうも不可能にするんだ、と。
33:51 K: 私は定かでは ありませんよ。 結局のところ、死は、全的に 終わることを、意味しています。 すべての記憶、 すべての経験、知識、 執着、恐れ、悲しみ、 心配 - 終わります。 それは、誰かがすべての糸を 断ち切るのに、似ています - あなたが集めてきたのを、 ばらばらに、です。 終わらせる。 私たちは、終わるとは何であるかに ついて、議論すべきです。 私たちはいったい、 終わりますか。 または、終わる中に、 もう一つの継続が、ありますか。
34:53 E: それは不必要に思われます。 ええ・・・私は知りません。 私は、始めるとの感覚を あまり持ったことがなく、 または、時が進んでいくとの感覚を あまり持ったことが、ありません。 私は、自分が終わるとの感覚も、 あまり持ったことが、ありません。 で、私は、こう信ずる理由 すべてを、持っています - まわりにあるものは確かに、なるだろう、 と・・・これは意味を成していますか。
35:11 K: ああ、はい。 終わるとは、何ですか、 それが死です。 ですね? 私は、自分が来世、生まれる だろうと、信ずるかもしれません。
35:28 E: 死は、何か他の誰かにより 観察されたものです。確かに。
35:32 K: 誰かが、だけでなく、私がそれを 信じたい。それは、慰めになる。
35:36 E: あなたは、そう考えたい・・・ K: 私はそれを信じたい。
35:38 それは私に、大きな慰めを、 与えてくれます。 少なくとも、私は、 別の機会を得るだろう、と。
35:44 E: 仰る意味は、分かります。
35:48 K: アジア世界全体が、輪廻転生を 信じている、という意味です。 それの幾らかは、今ここで 受け入れられています。 本が書かれています。 人々は、 「私は信じている」と言う、 その他すべてです。
36:02 E: まあ、あの世は、ともかく 一般的に、この国で、この伝統で 信じられていますね。
36:08 K: はい、ここで、 キリスト教世界で、彼らは 違った形で信じています - 復活などです。
36:14 E: 今、進んでいく ことについて、 あなたを静かにしておく微妙な やり方です。 
36:19 K: ええ。 で、死、終わることが、あります。 そして、生きることが、あります。 生きることは、こうなっています・ ・・ 私たちは、それに入らなくてもいい。 私たちはそれを、 よくよく知っています。 あれがあり、待っている。 待って いるのではなく、そこにある。 私たちはみんな、ぽっくり 逝こう、死のうとしています。 それが問いです。 ですね? 時の間隔が、あります。 時の間隔は、百年である かもしれません。 または、五年か、五十年か。 それは、時の間隔です。 あの時の間隔の間、 私は、生きています。 私は、行為して、生きて、苦しんで います。 絶望、その他すべてです。 私はこの問題を、解決したことが ありません - この生きる道を、です。 そこに痛みがなく、そこに 苦しみがない、生きる道が、 あるのかどうか、です。 - よろしいですか - また、他のこともある。 すなわち、 このすべてが終わることです。 さて、もしも時の間隔がなかった なら、これら二つは、一緒です。
37:53 E: ええ。
38:00 K: ゆえに、それは、 毎日、あらゆる物事を
38:07 終わらせることを、意味 しています。 E: ええ。
38:10 K: あなたの執着 - これは私の 学校だ。私の・・・よろしいですか。 それが、頭脳を、こうも 小さくし、制限します。
38:23 E: ですが、私たちの執着の手段は こうも、とてつもなくないですか。 自らは、執着Aを乗り除くことで、 自分自身をお祝いできます - 他方で、BからZまでが 引き継ぐために、並んでいます。
38:34 K: はい。
38:36 E: それは、とてつもない 死にそうな問題です。
38:38 K: で、そのように生きる ことは、可能ですか。
38:46 E: あなたは、どうお考えですか。 K: ああ、はい、私は・・・
38:49 それが、たった一つの 生きる道です。 さもないと、あなたは地獄を 経てゆきます。  

E: 確かに。 で、その生は・ ・・ むしろ、生は、死を収容しています。 生きることは、死です。 で、毎日、 あなたが収集してきたもの、 それを脇に置きなさい。 私が、この邸宅に 執着しているなら、 私は、死がこう言うのを、 知っています - 「君、それはできないよ。 それが、君の終わりだよ」と。 で、私は、「いいよ。 私は、この邸宅へ の執着より自由であろう」と言います。 執着するな。 よろしいですか。
39:45 E: はい。無執着 - そのとおりです。
39:47 K: それより 完全に自由です。
39:49 E: けれども、それを使う。 これが問題です。 無執着は、頻繁に、 抵抗の形に入りえます。
39:57 K: で、私は、この邸宅に生きています。 私はこの邸宅に、責任があります。 私は、ここで起きつつあることに、 責任が、あります。 しかし、また私は、 死のうとしています。 で、私は 生きている間、その日、 私は十分に 責任があります。 E: あなたは、自分がここにいない日 には、責任がありません。 
40:19 K: ええ。
40:27 E: 私たちの中には、何かが あるにちがいありません -
40:35 私たちが生を生きるなら、それは 痛いだろうと、考えるものが、です。 K: 生は痛みます。 

E: 私たちが それを生きるなら。 
40:40 K: はい。
40:42 E: 感じられるにちがいないが、そうね、 一方で精神は、こう言うでしょう
40:42 - ええ、私は、何であれ、 関係でも、酒でも、職でも、
40:44 小さな避難所だと信じ込むことは 愚かであることを、知っています。 他方、精神は、言っています。 それはまた微妙に、静かな声で こう言っているにちがいありません -「代替案は、もっと怖ろしい」と。
41:09 K: そうね、そういうわけで、自らは 探究しなくてはいけないのです。 なっていくことが、 ありますか。 ゆえに、なっていくことの 終わることが、恐れです。
41:24 E: なっていくことが、終わる ことが、恐れである。はい。
41:31 K: そして、心理的に、なっていく ことが、そもそもありますか。 しかし、世の中には、 なっていくことが、あります。 自らは、大工の師匠の徒弟に なるんですね。 あなたは次第に、 彼とともに働きます。ついに彼ほどに なるまで、です。 
41:56 E: 確かに。 K: その同じ態度や、その 同じ活動が、溢れ出ています。 または、他の分野の中へ 拡張しています。 心理的に、内的な分野へ、です。 私は 何かにならなければならない、と。 私はそうならないなら、私は迷って います。 私は失敗者だ。私は憂鬱だ。 ほら、あなたは、何かにならなければ ならない。私は、何者でもない。
42:21 E: それは、どうやら後の段階のほうが 前のより好ましい、という含意です。 すなわち、師匠のほうが 徒弟より好ましい、と。 私は、一種感じます - 自分が 賞賛する人々が、自らの暦の年齢を 持つのと同じく、また別の 年齢にも居着いてきた、と。 私が本当に好きな人々は、 三歳ほどです。
42:39 K: 子どもね。
42:40 E: ええ。ですが、また、 あの知りたがりの、一種、 目を見開いたものを、 持っている人々です。 それは変です。 私はいつも、ちょっと 疑いを持っています - そうね、 何へでも築き上げることや、何かへの 成長との思考について、です。 私は、それがすでに放置されてきた との感じを、持っています。 それは、意味をなしますか - それが、すでにここにあり、 自分の子ども時代の返還を 何らかの形で、要求している、と。 そして、どの道、自らは、 何であれ、自分の小さな監獄を 抜け出すために、 工夫しようとするんです。 なぜなら、それは、 観念であり、 それ自体に恐れを、観念として 書き込まれているからです。
43:27 K: 観念ね。まったくです。 で、観念は恐れになります。
43:30 E: そのとおりです。 それで、解放の観念は、 恐れです。 で、私たちは 待ちます。 K: いいえ。 
43:41 E: すると 私たちは、何をしますか。
43:42 K: 恐れを終わらせることが、 可能であるのかどうか、です。
43:43 E: 恐れを終わらせる。 はい。
43:48 K: 特定の恐れの、 ではなく、
43:51 恐れを終わらせる。 恐れの樹全体を、です。 私たちは、そうね、恐れの枝を、 刈り込もうとしています。
44:06 E: ええ。斧は何ですか。あなたは それに、どう取りかかりますか。
44:09 K: お示ししましょう。私たちは それに、入るでしょう。 時とは何ですか。
44:25 E: 時とは何ですか。
44:30 K: 時計によって、日の出、 日の入りによって、ではない。
44:38 E: 私は、過ぎ去った何かから、時を 理解できるだけだと、私は思います。 それは正しいですか。
44:44 K: あなたは、そう仰いました。 で、時は、昨日、 起きてきたことです。
44:50 E: それは私に、 時の観念を、与えます。
44:53 K: ええ。昨日、 起きてきたこと、 または、千の昨日か、 または、四万五千年 - 人は 地上にいたと思われています。 四万五千年の持続全体が、 現在にありますが。
45:19 E: 思考は、現在にあります。私たちが それについて知っているすべての物事は、 現在にあります。 
45:26 K: はい。 そのすべてが、現在にあります。 そして未来は、現在です。
45:35 E: 投影です。私たちは、それが あるだろうと、想定しますし、 私たちはそれを、虚構に します。 ええ、確かに。 あなたは、それを明日、持てません。 それを今、持たなくてはいけません。
45:44 K: いえ、いえ。過去は、私たちが 言いましたように、今、現在にあります。
45:50 E: そのように、私たちはそれを 取らなければならないのです。ええ。
45:52 K: そのとおりです。現実です。 E: 確かに。
45:53 K: 私は、昨年、あなたに 会ったのを、憶えています。
45:55 E: そのとおりです。 K: で、 その時の持続が、あります。 認識。 私が認識するなら、です。 そして、未来は、 今と同じです。 なぜなら、私は来年、あなたに 再び会って、「はい、こんにちは。 お元気ですか」などと言う だろうからです。 
46:18 E: はい。
46:19 K: で、未来も また、今です。 で、現在は、過去、現在、 未来を、収容しています。 それで、未来はありません。ご覧に なるのかどうか、私は知りません。
46:45 E: ええ。仰る意味は 分かります。はい。
46:47 K: 未来は、今の あなたなるものです。
46:51 E: 私たちがどうこの未来に居住するかは 驚くべきです。考案された未来に、 その悪い可能性とともに、です。 そして、誰も知りません。はい。
47:01 K: で、未来は今です。 今、「私」が崩れてしまう ことが、ないのなら、 明日、私は、まさしく 同じになるでしょう。 で、私は問います。 自らは問います - 心理的な進化が、そもそも あるのかどうか、です。 理解されますか。

E: ええ、理解します。 K: 何もありません。
47:33 E: ありえません。 またもや何かの虚構 - 誰かが、 あなたを観察する中で、 考案してきたもの以外は、 ありえないと思われます。ええ。
47:40 K: で、私は見ます - 私には、「もっと 多く」や「もっと良く」が、ありません。 もっと良くは、未来です。
47:51 E: 良いです、はい。
47:53 K: もっと良いは、測量です。 私があるべきものです。 それで、「私があるべきもの」は、 今の私なるものの回避です。 で、それは、葛藤を 創り出します。 
48:15 E: ええ。
48:18 K: で、私は実際に見るなら - 理論的にとか、感傷的にではなく、 時の全体が今であるとの 実際の事実を、です。 ゆえに、なっていく ことは、ない。 到るべき理想は、ない。
48:44 E: それは、こうも 根本的な思考です。 それについての感じなんですが - 自らが一種、それを聞いた、と - それは、馴染みのない思考ではなく、 それは、絶望的に馴染みがない。 それは、自らがそれにより 生きるものすべてに、挑戦します。 この斧についても、同じく 語ってください。つまり・・・
49:02 K: 私は来ようと しています・・・
49:04 E: なぜなら、私はそれを 持っていきたいと思うからです。
49:07 K: で、変化とは 何ですか。 私が、未来の理想に 沿って、変化するなら、 その理想は、思考により 投影されています。 それもまた、時を含意して います - 思考は時です で、自らが本当に、この発言や 感じの深さを、掴むなら - 時はすべて 今であることの、です - それで、ゆえに 明日はありません。 「私は明日、何かになるだろう」 という意味で、です。 で、葛藤に終わる ことが、あります。
50:07 E: はい。
50:09 K: それは、 尋常でない要因です。 私たちは、生の道として 葛藤を、受け入れてきました。 まったく葛藤が、 ありません。 すなわち、私は、変化を 理解しなくてはいけません。 私はこれであるが、 私は変化しないなら、 私は明日、まさしく、今の 私なるものであるでしょう。 で、変化とは、 何ですか。 心理的な変化が、いったい、 ありますか。 理解されますか。 または、「あるもの」 だけですか。 そして、「あるもの」へ 注意を注ぐことが、 「あるもの」が終わることです。
51:05 E: ええ、分かります。
51:10 K: しかし、自らは「あるもの」へ 全的な注意を、注げません - あなたが理想を 持っているとき、です。
51:17 E: はい、 そのとおりです。
51:23 K: 私は、国際連合で話を するように、頼まれました。 それは、まず第一に、用語の 矛盾です - 国際連合(連合国)は。 彼らは、「私たちはともに 集まり、友だちになり、 それらを与えなければならない」 とか何とか、言いますが、 それは、けっして 起きません。 なぜなら、原理が 間違っているからです - 私の国と、あなたの国、 私の神と、あなたの神、と。 ロシア人は、自分の(社会主義の) 理想を、持っているし・ ・・ で、自らが本当に、これの 深さを悟り、感じるなら - すべての時が 今であること、 全体を、です - それは、 変化する稲妻に、似ています。
52:24 E: あなたが、すべての時は今であると、 仰るとき、今はいつも「喜ばしい」ですか。
52:28 K: 何ですか? E: 「今」は いつも、幸せですか。
52:30 K: 「幸せ」という言葉を、使わないで ください。 E: いいですよ。
52:32 K: なぜそれが、 幸せであるべきですか。
52:35 E: いいえ、まったくです。 それは、私の論点です。
52:38 K: それはなぜ、何かであるべき ですか。 E: 何かで、本当に。
52:39 K: そうね、私たちが入るべき ことが、何かありますね。
52:43 私たちに時間が あるなら、ですが、
52:47 何でもないとは、 どういうことですか。
52:51 なぜなら、私たちは、 何かでありたいからです。 ほしがるのは、 欠如の感覚です。 私は、良い住宅を持っていない。 私は、もっと良い住宅が、ほしい。 私は、本の知識すべてを知らない。 私は、読まなければならない、と。 で、このものすごい 渇望が、あります。 そして、その渇望は、 何のためですか。 私は、哲学者ではありません。 私は、話していません・・・
53:48 E: ええ。私は 知っています。
53:49 K: 私にとって、それは・・・ 私たちは、何を渇望していますか。 私たちは、 平和がほしい。 私たちは、平和を渇望しますが、 私たちは、暴力的に生きます。
54:03 E: 私たちはいつも、自分自身の 外側に、暴力の起源を探します。
54:07 K: そうなんです。 ゆえに、私たちは、 非暴力と言います。 人間は、暴力的であり、 暴力的に生きて、 闘い、喧嘩し、 葛藤の中にいる間、 彼は、平和のために、 働いています。
54:30 E: 実際に、なぜ「幸せ」かを あなたに、お話ししましょう。 私は本当は、幸せについて、 話していませんでした - 意味は・ ・・それは、問題を 引き起こすだろうと思いますが、 私はただ、オリンピアでの大きな 展示会であったことを、憶えています - 「マインド、スピリット」と 何らかのことについて、です。 多くのブースがありました - 様々な人々、 様々な宗教的な宗旨でもって、です。 彼らはみんな、微笑んでいました。 彼らは、この種の微笑みを 売っていました。 この恍惚とした性質を、 ですよ。 私は、一つ、ブースがほしくて むずむずしました - そこに 入っている人が誰もみな、頭がずきずき 痛んでいるのが、ね。 そうね・・・ 私は、それらへ行って、そこに いたいなって、思いました。 それが悪い、または良い からではありません。 きわめて大きな困難は、 何でもあなたが 仰ることは、 極度に破壊的な思考と、容易く 連携されうることなんですね。 これは、あなたの重荷 なんですね。 
55:21 K: ええ。 で、「変化」という言葉は、 「私はこれである。 私はあれでなければ ならない」という含意です。 私たちは、子ども時代から それへ条件づけられています。
55:46 E: それを期待するように。
55:48 K: こうも重く 条件づけられています。 私は、小さい車を見ます。 私は、もっと 大きい車を、持たなければなりません。 私は、あなたがテレビに 出ているのを、見ます。 「何だよ。なぜ私が そこにいないのか」と。
56:02 E: そうね、「私たちは一緒に そこに出ているべきだ」と。
56:05 K: そうね、 このものすごい渇望 - 世間の注目へ、だけではなく、 神への内なる渇望、 啓明へ、正しい生を 生きることへも、です。 私たちはみんな、一緒 でなければならない、と。 なぜ私たちは、こういう 渇望を、持っていますか。
56:41 E: 私は知りません。 そのあたりには、大いに 愛されていないことが、あります - 自分は愛されていないと 実際に感じることが、です。 そしておそらく、もっと大きな車は。 あなたを抱きしめてくれるだろう。 小さい車がしてくれない ように、です。 そして これを補ってくれるだろう、と。 それは、慈しみの欠如の、 場違いって感じだと思いますが、そうで ないですか。 
57:06 K: 部分的には、ね。 それは、自分自身にありますか - 不充分の感覚が、です。 私は愛されていない、と。
57:21 E: それは、私にはまったく実在 すると感じられます - 動機として。
57:23 K: 私は愛されていない。 私は、あの女に愛されていない。 または、あの男に。 私は、あの男に 愛されなければならない。 または、あの女に、と。 しかし、それは、別のきわめて複雑な 問いへ、繋がります - 愛とは何ですか。
57:58 E: 私は、所有欲って、 言いがちでしょうね。
58:00 K: もちろん、そうです。 執着、所有欲、嫉妬、 性的な楽しみ、 もっと多くへの欲望・・・
58:22 E: それはまた、自己愛でも あるんでしょう。
58:25 K: 私たちは、それらの区域を 愛と呼びます。 E: ええ。
58:29 K: 誰か或る人物が、 私に語りました -
58:32 嫉妬なしに、どうして 愛がありえますか、と。 それは、憎しみなしに、という 意味です。よろしいですか。
58:44 E: ええ、もちろん。 まあ、所有欲の意味では、 (愛は)ありえません。ええ。
58:52 K: ゆえに、 訊ねます - 愛と死との間の 関係は、何ですか。
59:01 E: 私たちが話している意味での 愛 - この所有ですか。
59:04 K: 所有、そのすべて、 観念全体です - あの一つの言葉に、こうも多くの 物事が、収容されています。
59:15 E: あなたが、完全な愛は 恐れを放り出す、と言うなら、 それは、完全ではないんでしょう。
59:19 K: いえ、いえ、そうせず・・・
59:20 E: いや、そのとおり。知って います。それは死ぬほどです!
59:30 K: あなたが、その質問をなさる なら - 愛とは何ですか。 そして、死と一緒の 愛の状態は、何ですか、と。 その言葉の通常の 意味での愛、です。 そもそも 関係がありますか。 それが関係を持っているなら、 それは、どう現れますか。 それは、どう顕現しますか。
1:00:04 E: 私たちが話している 意味での愛は、分かります - 死に対する、一連の欠陥ある 保証計画として、ですが、 そこでは、保険の家屋は、本当に 必ず崩壊しようとしています。 しかし、あなたはそれでも、 保険に入ります。
1:00:21 K: まず第一に、私たちは けっして、その質問をしません。
1:00:25 E: 愛と死との間の 連係は・・・ええ。 私たちは、愛に突っ込んでいるので、 確かにそうしません。
1:00:32 K: さて、あなたが その質問をするなら、 私は、よろしければ、 あなたに、その質問をします。 それへのあなたの 応答は、何ですか。 E: 何へですか。

K: その問いへ。 
1:00:41 E: 連係ね。
1:00:42 K: ええ。連係は何ですか。 関係は何ですか。
1:00:42 何か関係が ありますか。
1:00:44 もしあるなら、 その本性は何ですか。
1:00:59 E: それは、それを受け流すため、 それを起こさせないための、 試みのように、感じますね。 私たちがそれについて話している ことに立っての所有 - それは、恒常性がありえないところに 恒常性を持とうとする試みです。 ゆえに、それは、物事が死ぬとの 事実に、反駁しようとする試みです。
1:01:15 K: 死は、非恒常的です。
1:01:17 E: 死は、非恒常的です。 死は、非恒常的な出来事を叙述する 恒常的な言葉です。
1:01:22 K: ええ。死は、 非恒常的です。 そして、所有欲、 恒常性を望むこと、です。
1:01:30 E: 絶対です。それを永久に続け させようとする試みです。ええ。 いかに愛の詩歌が - 少なくとも安い恋愛の詩歌は - いつも、あらゆるものを、「永遠に」 してきたのは、おもしろいですね。 良い愛の詩歌はふつう、物事が 崩壊することについて、です。
1:01:45 K: 関係とは何ですか。 闇と光との間の 関係とは、何ですか。 E: 一方なしには、他方を持てません。
1:02:02 K: いいえ。それを訊ねるのは・・・
1:02:05 私は、二つの間の関係を、 訊ねています。
1:02:12 E: 語っていただける でしょうか。
1:02:14 K: すなわち、闇ですが、私たちは、 月の光がなく、星がなく、 何もないときを、知っています。 林の中の闇。 私はそのようでした。 闇 - 絶対的な透視できない暗闇です。 そして、日が昇ってきて、 あらゆるものが、光です。 あれとあれとの間の 関係は、何ですか。
1:02:47 E: 語ってください。
1:02:51 K: 何もあるとは、 私は思いません。
1:02:54 E: 本当ですか。
1:02:57 K: 光は光です。 ちょっと待って。 別の形で 表してみましょう。 善と悪との間の 関係は、何ですか。 そもそも、関係が ありますか。
1:03:14 E: 私たちが、善いことと 悪いことをする前に、 もしも私が、闇と光を できたなら、です。 もし私が、何かを叙述する よう、頼まれるなら、 私がそれを叙述するよう、 頼まれるなら、 私は、一方をできる前に、 他方の存在が、必要です。 例えば、私がこの林を叙述しているなら - そこに私は樹が見えません - それは闇です。 そして、 もちろん、光が昇ってくるとき、 樹々は、目に 見えてきます。
1:03:38 K: で、あなたは、 自分の知覚に応じて、 光と闇を判断しています。
1:03:44 E: はい。そのとおりです。
1:03:46 K: 明白です。 E: そのとおりですが、
1:03:47 関係が存在するのは、 私がそれを叙述しなくてはいけない ときだけです - そのせいで、です。
1:03:53 K: が、少しさらに、 もっと深く動いてください。 善いものと、いわゆる 邪悪なものや悪いものとの、 間の関係は、何ですか。 善いものは、悪いものの中から、 生まれていますか。 なぜなら、私は、 何が悪いかを、知っているか、 痛い、悪い、その他すべての ものを、経験するからです。 それで私は、悪いものより、善いものへ 動いているか、逃れようとしています。
1:04:34 E: 私は、きわめて一時的な 効果を叙述するために、 善いとか、悪いとかを 使うでしょう。 いいえ? K: いえ、いえ。善は 一時的ですか。 
1:04:40 E: ええ。
1:04:42 K: 善いもの、 美しいもの -
1:04:44 それは、 一時的ではありません。 E: なぜですか。
1:04:51 K: お示ししましょう。
1:04:52 一分間、それを 見つめましょう。 もし、善いものが - または、他の どの言葉をお使いになりたくても - それが、悪いものから 出てきたものであり、 自らの根を、悪いものに 持っているなら、 それは、善くありません。 それは、悪いものの一部です。 で、あらゆる対極は、自らの根を 自体の対極に、持っています。
1:05:20 E: うーん、よし。 それは分かります。
1:05:24 K: で、悪いものの中から、 生まれていない善が、ありますか。
1:05:33 E: 何か私が、その言葉を与えられ そうなものではないね。 それに、その言葉を 与えられないでしょう。 なぜなら、私たちは、すでに それを、使ってきたからです。
1:05:40 K: 別の言葉を与えてください。 それは構いません。 善い - 古風な言葉。 善いもの、 美しいもの、真理(真善美)。 さて、私は、そもそも対極があるのか どうかを、すっかり問います。
1:06:00 E: 私たちが話している 意味での善に、です。
1:06:02 K: いえ。対極です。
1:06:02 E: どの対極も、ですか。 K: どの対極も、です。
1:06:03 もちろん、男、女、 背が高い、低いは、あります。
1:06:07 E: 確かに。 これらは、便宜です。
1:06:10 K: ええ。便宜は別として、 何か、こうも絶対的なものが、 ありますか - 不適当なものに 関係していないものが、です。
1:06:22 E: 私はいつも、それを取り扱う ことについて、自分自身は、 条件付きでいるでしょう。 私はそれを 他のどの形でも、できないでしょうね。 私は、そうする人に、 怯えるでしょうね。 なぜなら、彼らは 人殺しになるからです。 K: ああ、いいえ。反対です。
1:06:31 E: どういう意味ですか。
1:06:35 K: 善の自由、 ということです。
1:06:39 自由の誤用ではありません。 自由の誤用は、世の中で 起きつつあることです。 しかし、自由は善い。 それは、善の性質を 含んでいます。 私は、「道徳的」、「美徳」という 言葉を、使いたくありません。 それは、意味がありませんが、 そこでのあの深さの感覚です。
1:07:22 E: 私たちは、どうやら再び、 恐れの傍らにいます。 そして、恐れの不在の、です。 K: もちろんです。
1:07:26 E: そうでないですか。
1:07:28 K: そういうわけで、 私たちは言ったのです -
1:07:31 恐れより全的に自由である ことは、可能ですか、と。 何が起きるかもしれないこと - すなわち、 私が恐れるかもしれないこと - とか、 何が起きてきたこと - すなわち、 私が恐れていること - とかではない。 これら二つの要素、過去と 未来は、今です。 いいですか? で、今は - それは恐れですが - 完全に拭い去られますか。
1:08:16 E: ほぼ、今の存在は - あなたが それを取り扱うだろうように - これら過去と未来の虚構を携える ことに、依存しています。
1:08:23 K: そのとおりです。
1:08:24 E: で、今について話すこと さえも、危なっかしい。
1:08:27 K: はい。が、「現在」、「今」という その言葉は、使わなくてはいけません。 あなたは、そこに座っています。私は ここに座っています。それは今です。
1:08:36 E: ええ。ですが、あなたは、さらに メスを進めなくてはいけません。
1:08:39 K: もちろんです。あなたはここに、 少し微妙さを、持たなくてはいけません。
1:08:44 E: はい、 そのとおりです。 しかし、恐れは残ります。 ついに ナイフがさらに入ってしまうまで・・・ K: そうなんです。
1:08:56 E: ・・・今へ、ね。
1:08:57 K: ええ、もちろんです。 で、恐れとは何ですか。
1:08:58 理論的にではなく、実際に、私の心臓に、 私の脳において、恐れは何ですか。 それはどうやって 来ますか。 それの起源、それの根、 それの始まりは、何ですか。
1:09:20 E: ざっと思いつきで、 それは、何か、正しい所に収まって いないことと、関わりがあります。 自分が充足しているべきところで、 そうしていないとの感じ、です。 恐れには、「べき」が 関与しています。 あなたは、この姿、 あの姿であるべきだ、と。
1:09:33 K: 私たちはそれを言ってきました。 あるべきもの、私はなろう・・・
1:09:36 E: あなたは、もう一つの恐れに ついて、話していました。
1:09:38 K: 恐れです。このすべてが 恐れです。その根は、何ですか。 私たちは、恐れは巨大な樹に 似ていると、言いました。 ここには、すばらしい樹が、 あります。 オークです。 それは、地面を覆います - 1エーカーを、です。 さて、私たちの恐れは、 それに似ています。 しかし、あのオークの樹の根は そこに、中心にあります。 枝々は、巨大です。
1:10:11 E: 根は何ですか。あなたは、 根をどう叙述するんでしょうか。 あなたは私に、それを 叙述するよう、頼んでいます。
1:10:16 K: 叙述するのではない。 それの事実は、時と思考です。
1:10:32 E: 私たちは、思考を 玩べますが・・・
1:10:35 K: いえ。時と思考が、 恐れの根です。 私たちは、恐れより全的に、 完全に自由であることが、 可能であるのかどうかを、 理解しようとしています - 心理的に、私たちは 話しています。 それの根、始まり - そこからオークの樹すべてが 成長し、巨大になるところ、 その根は、時と思考です。 時は、「私はなるだろう」です。 私は そうでないなら、私は怯えています。 思考は、「私はそうだった。神様、私は そうなろうと望む」と、言います。
1:11:21 E: 思考と連係していない 一種の恐れが、ありますか。 または、すべての恐れは、 思考に連係していますか。
1:11:26 K: それはすべて、思考と連係 しています。もちろんです。
1:11:30 E: 突然に何かが あなたに起きるなら、 それは、有機組織を 恐怖させるし・・・
1:11:35 K: その秒に、恐れはないが、 そのとき思考が、入ってきます。
1:11:38 E: 思考の介入が どれほど急速で、 光の速度を超えていても、 そのとき、反応的な恐れです。 ええ、ええ、 ええ、良いです。
1:11:51 K: そのとき、問いが 生じます。 思考は、一定の区域で、 活動的でありえますか - 手紙を書くなど、 話をするなど、です - 活動的で、 十分に活動的であり、 他の区域では、 まったくそうでない。 すなわち、心理的な世界では、 まったくそうでない。
1:12:25 E: 議論的な思考を、私はまったく 理解したことがありません。 私は実際に、一度も感じを 持ったことがありません - 文章をまとめたいとも、です。 私はいつも、働いてきました・・・ 私はいつも、感じてきました - 私に意味をなしてきた物事は、 あのように来たのだ、と。それは、 ものの突然の閃きのようです。
1:12:38 K: 私たちの思考は、 直線的です。
1:12:40 E: 私たちは、直線的な形で 訓練されていますね。 でも、私は一度も快適に 感じたことが、ありません。
1:12:44 K: 私たちは訓練されています。シナ人の ように、です。それはやはり直線的です。
1:12:50 E: それは直線的です。そのとおりです。 ええ。それが、学校教育ですね。 それが、あなたが試験に、 合格か落第をするところです。
1:12:55 K: 考えるのは、一連の連係、 連想です。いつも・・・
1:13:05 E: で、あなたは、考えるのを 止めるとの思考に基づいた学校を、
1:13:09 営んでいます。 K: いいえ、いいえ。 思考は、一定の区域で 必要です - 絶対に、です。 それは、大変多くの注意、 大変多くの知識を、必要とします - 大変多くの能力、技能と、 独創性、発案を、です。
1:13:30 E: 確かに。
1:13:34 K: それは、同じ活動が、 他の区域へ、溢れ出たか、 侵入してしまった ということですか。
1:13:42 E: とても良い。はい、それは抜群です。 それがどこで役立つのかを、知ること、 それを、役立つ道具として持つ ことは、です。 
1:13:53 K: もちろんです。 私は、それの深さ、それの深刻さを 理解し、本当に見るなら、 そのとき、私は問うでしょう - 思考がいつも、 心理的な世界で動いていて、 活動的であるのは、なぜですか。 心理的な世界は、 「私」です - 私の意識、私の失敗、 私の成功、私の評判、 私の「私はなければならない」、 「私はあってはならない」、 私の信仰、私の信念、 私の教義、 私の宗教的な態度、 政治、恐れ、痛み、 楽しみ、苦しみ。 そのすべてが、私です。 そのすべてが、記憶です。 で、そのすべてが、記憶です。 「私」は、記憶です。
1:14:56 E: 「私」ね。あなたがこの国で育てられる なら - 私たちの多くのように・・・
1:15:00 K: 世界中で、です。
1:15:02 E: 世界中で、たぶんね。一種、 あなたのバニヤンの伝統では、 あなたは、自分でしっかりする。 あなたは自分自身に、責任がある。 意味をなす要素は あるんですね。 また、まったく破壊的な要素も、 あります。 私は聞いたのを憶えています。 誰かが私に物語をしてくれました。 日本で、だと思いますが、 それは、可能な生の道だと、 言われていました。 或る人が、自分の影から 逃げていて、彼はそのとき、 自分がしなくてはいけないすべては、 木の下に跳び込むことだと、悟ります。 そして、影は 消え去りました。 私は即時に、 それについて、 きわめてメソジスト的と 感じたのを、憶えています。 「あなたは、自分の影から 逃げなくていい」と。 が、明白にあなたは、そうして いいし、しなければならない。
1:15:38 K: で、思考と時は、 恐れの根です。 なぜ思考は、この区域に 入ってきますか。 心理の領域に、です。
1:16:05 E: どうかな・・・ それは危険を止めるように見えるんです。 なぜなら、あなたが思考を持つとき、 それは、何か熱いものを保つための 石綿に、似ているからです。 あなたは、自分が思考でもって、 制御できるとの幻影を、持っています - 何か、その制御されぬ状態では、 圧倒的かもしれないものを、です。
1:16:28 K: で、何か熱いものを 保つ思考者が、います。 そして、「それを保つな」 と言う思考が、です。
1:16:39 E: ええ。 気をつけろ、と。
1:16:43 K: で、二つの分離した 実体が、あります。 思考者と、あなたがそれに ついて考える対象です。 さて、思考者とは 何ですか。
1:17:01 E: 思考ね。
1:17:03 K: いいですか? E: ええ。
1:17:04 K: 思考は、 言います -
1:17:05 私は、それより分離した 思考者である、と。
1:17:12 E: ええ。
1:17:17 K: ですが、観察者、思考者、 経験者は、経験である、 対象であると、悟ること - 一つである、 それらは、 分離していない、と - それは、ものすごい革命を 意味しています。 内的に、心理的に、です。 それは、分割がないとき、葛藤が ないことを、意味しています。 ただあの事実だけが、 あります。 あなたが、事実に注意を注ぐとき、 事実は、焼き払われるのです。 しかし、思考は、木を植えるために 保たれます。 
1:18:04 E: ええ、もちろんです。
1:18:07 K: そこにあの花を持ってくる。 E: 意味をなします。ええ。
1:18:10 K: で、あなたが あれに、注意を注ぐなら、
1:18:14 あれはけっして、問題を 創り出さないでしょう。
1:18:25 E: ええ、理解します。そうね、 私たちが言っていることすべては、 何かを、T 字路へ持って きています。 
1:18:31 K: はい。
1:18:33 E: なぜなら、私たちがこう考える ことは、快適でないからです - あなたは、世の中を取り扱う様々な 道を、脱ぎ捨てなくてはいけない、と。
1:18:40 K: 先日、誰かが 言いました -
1:18:43 あなたは、自分のイコンを 焼かなくてはいけない、と。 E: 自分のイコンを焼く、 本当に。 はい。 それは、 快適ではありません。 それを通り抜ける道は、 ありません。
1:18:54 K: で、あなたが自分のイコンを 焼くとき、死があります。 理解されますか。
1:19:03 E: ええ。
1:19:08 K: また、あなたがこれに入ったことが あるのかどうか、私は知りません - 理論的に、ではなく、 実際に、ですが - 創造とは何ですか。 考案ではない。 私は、考案、 発明について話していません。 考案は、知識の中から 生まれます。 科学者は、考案できます - もっと多くの原子爆弾や、 何か新しいものを、ですが、 それはいつも、知識の 中から、生まれます。
1:19:47 E: 創造とは何ですか - どんな意味で?
1:19:48 K: 知識の中から 生まれていない創造です。 なぜなら、知識は 制限されているからです。 E: 制限されている。ええ、本当に。
1:20:00 K: 今も、未来も、です。
1:20:02 E: それは、予め制限されている・・・ K: それは、制限されています。
1:20:04 創造が知識から生まれているなら、 それは、創造ではありません。
1:20:06 それは考案、発明です。それは あらゆる種類の物事です。
1:20:09 E: 確かに、何でも私が してきたことにも、
1:20:22 私の平々凡々なやり方でさえ、 奇妙な瞬間が、あったんです - たぶん、何かを書いていて、 そこでは確かに、 それを創造したのは、どの形の、 予めの知識でもなかったが、 そのとき、私の境界は、ほぼ 幻影のように、思われました。 私は、何らかの理由で 拘禁されていなかったし、 他の何かが、 注ぎ込まれました。 そのとき、何かを書くか、 何かをします - 自分のではない筋肉を 持っているものを、です。
1:20:50 K: いえ。創造はいつも、表現されなければ なりませんか。理解されますか。
1:20:59 E: すみません。 されなければならない・・・
1:21:00 K: それはいつも、表現されなければ なりませんか。文章に表す - 彫刻に、絵画を描くことに、です。 よろしいですか。 
1:21:08 E: ええ。 なぜそれが、そもそも表現されなくては いけないのかが、私には見えません。 K: で - 入ってください - 私たちが どちらも、事実が見えるなら・・・
1:21:15 すなわち、創造は、知識の中から 生まれえないことが、です。
1:21:22 E: はい。 それは、確かです。
1:21:25 K: 知識の中から、広大な考案、 発明が、生まれているのです。 様々な水準で、様々な種類の、 などなどが、です。 しかし、精神や頭脳の状態が、 ありますか - 精神の、 そこに知識が ないものが、です。
1:21:46 E: そこに 創造がある。
1:21:48 K: そこに 創造がある。 私たちが言っていることを 理解されますか。
1:22:00 E: 私が思うに・・・そこにあるに ちがいない・・・ありますね。 きっとそこにあると、私は 思います。 まあ、私は生きました。 なぜそれを書かなくてはいけないのか。 それは思うに、ひどく・・・
1:22:16 K: いいえ・・・私は知りません。 まず第一に、私は、 書いたり、話したり、 考案してきたし、 私の考案物を、創造と 呼ぶのです。 私は、絵画を描いて、それは すばらしい創造だと、言います。 レオナルド(・ ダ・ヴィンチ)は 何かを描くし、 私は、「あれは、何とすばらしい 創造だ」と言います。 私たちは、その言葉を使ってきました - 考案物としても、また・・・
1:22:59 E: 私たちはそうします。それは 行き止まりです。それは産物ですね。 私たちは、それを 産物として、使います。 かくしてあなたが、例えば 名匠のスケッチを、得るとき - 私たちは、彼らの例を 使ってもいい - スケッチ、 不完全なもの、過程の一部に、 どうやらあなたは、うずうずします。 完了したものでは、ならないかも しれない形で、です。
1:23:21 K: もちろんです。
1:23:22 E: なぜなら、後援者、その絵に 支払った人は、どうやら、 それが完成されなくては いけないとき、 頻繁にその段階で、それへ 入ってくるからです。 ところが、それを作る中で、 進んでいくエネルギーは、 それを、あの帰結へ押して いかなくてよかったし、 それは、早い段階で 存在しています。
1:23:43 K: そうね、これは、 最古の人々が訊ねてきた 問いの一つであったのです。 すなわち、知識が終わるところの 精神の状態が、ありますか。 それは、他の方向では役立つ けれども、そうさせないで・ ・・ それが完全に終わること。 そのときだけ、 何か新しいものが、あります。 そのものが、創造です。 それが創造です。 理解されますか。
1:24:24 E: 知識の終わりが、 創造自体である。ええ。
1:24:31 K: それは、 順応の修練を、ではなく、 ものすごい鋭敏さを、必要と します - 内的に、です。 他方が忍び込まない、 深く見張る感覚です。
1:24:53 E: そのとき、あらゆる ものごとを、脱ぎ捨てます。 あなたは、あなたなる人 ではないでしょう。 そうね、それは、 怖い思考ですが。
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