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BR85DS1.3 - 比較は、一つの形の暴力ではないのか。
四人の学生との議論、第3回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年6月18日



0:35 K: 前回、会った時、私たちは、 彼が指摘したように、世界で起きつつあることへの 私たちの関係は、何なのについて、話していたと、思います。 よろしいでしょうか。 世界で何が起きつつあるかは、ご存じです - 恐怖、テロと、テロで恐怖させられる人々です。 テロの目的は、恐怖させることです。 彼らは、(旅客機を)ハイジャックしています。人々を殺しています。 無垢の人々や、どの種類でも、です。 それは大事なことではない。 ベイルートでは、戦争がつづいています。 (軍事政権下の)バングラデシュが、あります。 それについては、すべてご存じです。 南アメリカで何が起きつつあるかを、知っていますね - フォークランド戦争です。 ここ(勝ったイギリス)では、フォークランド戦争を祝っている人々、 (敗れた)アルゼンチンでは、悼んでいる人々が、います。ですね? また(合衆国には)、このスター・ウォーズ(計画)もあります。それについて、聞いたことがありますか。 ものすごい計画です。 それで - 私はその詳細に、入らないでしょうが - それで、原子爆弾と、中性子爆弾は、廃絶されるでしょう。 ですね? これらを見て - 知的にだけでなく、 実際に、事実として、です - それらへの、あなたの関係は、何ですか。 国家的、民族的な分割へ、経済的、人種的なものへ、 ブリュッセル(のサッカー場)で起きたことなどすべてへ - これらへの、あなたの態度は、何ですか。 あなたはこれらへ、どのように反応しますか。
3:04 A: 新聞でこれらについて読んだり、 それについて聞いたり、それを見たりするとき、 自らはどう応答するのかの問いに、行き詰まってしまうようです。
3:14 K: 私はあなたに、訊ねています。 あなたはこれらに、どう応答しますか。 あなたの関係は何ですか。 あなたの感情は何ですか。 それへの、あなたの本能的とか即時の応答は、何ですか。
3:31 D: 私の応答は、少なくとも時々は、できるだけ、自分は その外に出ていたいと考えることだ、と思います。 そうね、離れていようします。
3:43 K: いいですよ。あなたは、その外に出ていようとするなら、それはできますか。
3:49 D: 分かりません。
3:50 A: めちゃくちゃへ寄与しない、という意味ですか。
3:54 D: まあ、私は、人々がどこから来るのかに、 区別をつけないようにしようとする、ということです。
4:02 K: それは相当に単純です。
4:05 D: ええ。でも、そこから私は、他に何をすべきかを、知りません。
4:12 K: それは認識されているし、そうすることは、相当に簡単です。 でも、より深い水準で - そういう深い水準があるなら、ですが - あなたは、これらについて、何を感じますか。 戦争、敵対、経済的な分割、超大国と、 起きつつあるひどいこと - (旅客機の)ハイジャック、 何の関わりもない人々が、爆弾でやられて、殺される。 イスラエルでは、爆弾が、バス、子どもたち、女たちへ、投げつけられる。 付いてきていますか。あなたはどうですか・・・
5:01 A: 私は、人にそれらをさせるのは、何なのかと、たびたび考えます。
5:04 K: いいえ。あなたが人です。 また、あなたは、その女です。
5:07 A: ええ、それはまた私の一部です。

K: それへのあなたの関係は、何ですか。 あなたは、私の問いに答えていません。
5:12 B: まあ、私は、そこには何か、全くは 正しくないことがあるとの感覚が、します。 そして、そうね、私は自分自身に訊ねます。
5:22 K: そこには何か全くは正しくないことが、とは、どういう意味ですか。
5:24 B: この殺し、爆弾を使うこと、つづいている戦争は、 正しくない、ということです。
5:30 K: ええ。前進して、私に言ってください。
5:34 B: 私は、それは正しいとは、感じません。 けれども、私は、自分がそれについてできることが、 何かあるのか、確かでありません。 なぜなら、誰もそれを止めることが、できないように、見えるからです。
5:50 K: あなたは、それを止めたいですか。 あなたは、暴力に耽溺したいですか。
5:59 B: いいえ。
6:02 K: そうですか。すると、あなたは、暴力的な人間ではない。 または、あなたは暴力を、テロ、殺しへ制限していますか - それをそこに制限する。 それを制限するので、それは何かです。ですね? しかし、暴力は、はるかに深いのです・・・ 他の一人の人間を殺すことが正しい、ということではなく、 あなたは、暴力的に感じますか - 私たちが、本当に正直であるなら、です。
6:43 A: これが、矛盾が見えるところです。 なぜなら、私は・・・
6:46 K: 何の間の矛盾ですか。
6:47 A: 一つの水準では、私はこの暴力に、継続してほしくないが、 私自身の生では、私やどの個人も、 これを継続するように、見えます。
6:57 K: では、あなたは、責任を持ちますか - この地上に生きている人間として、あなたは、 責任を持ち、「私は暴力的にならない」と言いますか。 または、あなたは、時には暴力に耽溺し、時にはしないのですか。 私が話していることに、付いてきていますか。どちらですか。
7:21 C: それは、私たちができる唯一つのことのように、見えます。
7:24 K: あなたは、そうするのでしょうか。「それは、私たちができる唯一つのことに、見えます」ではなく、 あなたは、そうするのでしょうか。 あなたは、「私は暴力的にならない」と言って、 暴力とは何かの問いへ、入るのでしょうか - どのようにそれから自由であるのか、などへ、です。 あなたは、その旅を行うのでしょうか。 または、「私は、これらの一部をほしくない。 私は外に出ていたい」と言うだけでしょうか。 でも、どうして、あなたは、外に出ていられますか。 あなたは、アルゼンチンへ帰るとき、航空機に乗るでしょうし、 それほどを支払うでしょうが、 その一部は、軍備へ向かいます。 その一部は・・・その他すべて、です。 あなたは、外に出ていられません。
8:12 A: でも、そのとき私は、どうして自分は外に出ていないのかという問いで、行き詰まってしまいます。
8:17 K: いえ。初めに、私はあなたに、言いましょう。 私は、どうして外に出ているのかを、訊ねていません - それは、間違った問いです。 あなたは、外に出ていられません。
8:23 A: でも、私は、それが自分の持つ即時の反応だと、言っています - 私はどうして、これをしないのか、と。
8:28 D: まあ、そうしないことは、できませんね。
8:31 K: ええ。私はあなたたちに、訊ねています。 あなたは、責任を持つのでしょうか - 真剣に、熱情的に、です。そして、 「暴力の問いへ入ろう。 私は自分が暴力的にならないよう、見計らおう」と言うのでしょうか。 ゆえに、あなたは、暴力的な指導者を、選挙しないでしょう。ですね? 政治家を、です。 それが、世界中で起きてきたことです。 ゆえに、私は、あなたたちに、訊ねています - 人間として、 あなたは、自分の暴力を止めるでしょうか。 そして、暴力とは、何ですか。 私とともに、少し来て、議論しはじめてください。 あなたは何を、暴力だと考えますか。
9:38 B: もう一人の人物を、傷つけるときですか。
9:41 K: 最も低い水準か、最も高い水準で、始めなさい。 どこかで、始めなさい。 あなたは、私を殴ります。 あなたは、私から強奪します。 あなたは、私を殺害します。 あなたは私へ、あらゆる種類のことを、します。 それは、暴力の一部だけでしょう。 さて、究明し、それに入り、進んでください。 沈黙をしつづけないで、ともに探究してください。
10:07 A: 私があなたに怒りを感じるとき、です。
10:08 K: そのとおりです - あなたが、怒りを感じるとき。 進んでください。
10:11 A: 私が、傷ついた気持ちのとき。
10:13 K: ええ。あなたが、傷つきたくないときだけではなく、 また、あなたが、他の人たちを傷つけたいときも、です。
10:20 A: ええ。それも含まれます。

K: で、進んでください。
10:24 C: 自分自身を保護したいとき・・・
10:26 K: 部分的にね。
10:27 C: 戦争中の国々があるなら、ね。
10:32 D: 嫉妬は、暴力のように見えます。
10:34 B: そして、競争。
10:37 K: 話しつづけてください。 私に訊かずに、言ってください。 あなたは、何が暴力だと、思いますか。 あなたは、責任を、引き受けるでしょうか - あなたが、この地上の人間として、暴力的にならないように、見計らう責任を、です。 それはどういう意味ですか。 また、非暴力的であるとは、どういう意味ですか。 いいですか?理解できますか。 それが、彼らが話をしていることです - トルストイとガンジー、 インドは、非暴力を説教してきました。
11:19 A: でも、それは、一つの特定範囲での、非暴力だと見えます。
11:23 K: いや、いや、入ってください。 「見えます」と言わずに、 それに入って、自分が暴力的なのかどうかを、見出してください。 それから、暴力とは何かを、探究してください。 あなたは、怒り、と言いました。 で、あなたは、怒らないでしょう。
11:45 D: でも、クリシュナジ、そう言えますか。 それは、さらに暴力的な発言にも、見えます。 なぜなら、あなたは怒っていて、 それから、そこにある何かを、反駁しようとしているからです。
11:56 K: それは理解できます。 でも、私はあなたに、訊ねています - あなたは、暴力的でないよう、引き受けるでしょうか。 ゆえに、暴力とは何かを、探究するでしょうか。
12:14 A: 私は、自分は暴力的にならないと言うことに、ためらっているのに、気づきます。
12:18 K: それは、論点ではありません。 あなたはちょうど今、言いました- 気をつけて - あなたは、人間として、この地上に生きていて、 これらひどい暴力を見る、と。 人間たちが、この地上に生きてから、です。 それは、もっともっと悪く、もっと危険になりつつある。 私はあなたたちに、あなたの反応は何か、 それへのあなたの責任は、何か、と訊きました。 彼は、「私は引き下がるだろう」と言いました。 あなたは引き下がれないと、私は言います。 あなたは、航空機に乗ったり、切手や食べ物、何でも買ったりするとき、 暴力の体制全体が、継続するよう、助けています。 ですね?明らかですか。 それが明らかであるなら、ここにおけるあなたの役割は、何ですか。 そのときあなたは、訊ねなければなりません- 暴力とは何ですか。 「私はできる、私はできない」と言う前に、です。 さてあなたは、何を暴力だと考えますか。
13:39 C: しばしば私たちは、すばやい反応- すなわち、自らが制御しないもの - を するとき、暴力的です。私たちは、即時に反応しますが、私たちはそれが見えません。
13:47 K: いえ。単純に始めてください。 物理的な水準で、始めてください。 反応はまた、物理的な部分です。 始めてください。 物理的な暴力が、あるでしょう - 誰かを殴る。誰かへ爆弾を投げる。 列車の下へも、別のを投げ込む。 または、街の上、4万フィート(12000m)で、爆弾を落とす。 それらはすべて、物理的な行為です。 あなたはそれへ、寄与したいですか。 または、「いや、私はそうしたくない」と言いますか - 「私は、どんな理由のためにも、他の一人の人間を殺したくない。 現在、私は殺したくない。 私は、それについて、大変多く考えてきた。それへ入ってきた。 物理的に私は、殺さないだろう。 私は、自分が後でどうするかは、知らない- 来年、という意味です - でも、ここまで、私はとても明らかだ」と。 あなたは、そう言うのでしょうか。
14:59 B: 私たちはそれを言えると、思います。
15:00 K: いえ、言えるのではない。 あなたは、そうするのでしょうか。
15:03 B: ええ。でも、怒りについての何かとなるとき、 それは全く違った事柄だと、思われます。
15:14 K: 違った事柄に、向き合ってください。 暴力的でないことについて話しても、何の役にも立ちません - 彼らが今、しているように、話をする、理論化する、議論するとしても、です。 あなたは人間として、物理的に他の一人を、傷つけないでしょうか。
15:36 C: 瞬間ごとに私たちはそれを見守るべきだと、仰っていますか。
15:38 K: いいえ。私はあなたに、これを訊ねています。 他の何かへ、翻訳しないでください。
15:46 A: ええ。私は今のところ、そう言えます。
15:50 K: あなたは、他の一人を、物理的に傷つけないでしょうか。
15:55 D: たとえ、攻撃されるとしても、ですか。
15:57 K: 待って。それは仮定です。

D: ええ、分かります。
16:02 K: 私が生涯ずっと、非暴力的であったなら、 私は間違っているかもしれませんが、自分が何をするだろうかを、知りません。 私は、攻撃されるなら、自分が何をするだろうかを、知りません。 しかし、私の頭脳は、これについて考えてきました。 それを生きていて、おそらくそのように行為するでしょう。または、そうでないかもしれない。 で、未来は放っておきましょう。 それは、この事実より逃避するための、ごまかしです。 で、物理的な暴力です。 あなたは心理的に、暴力的ですか。
16:52 A: 試験で他の五十人の学生と競争するとき、私は・・・
16:57 K: 気をつけて始めてください。一歩一歩です。 いえ、ご婦人。何かへ跳びつかないでください。
17:04 A: 私は、跳びついていません。 私は、こう言っています - リシ・ヴァレーで試験を受けたとき、 私は、他の何千、何万の学生たちと、競争していました。
17:13 K: で、あなたは、 心理的な競争は、暴力の一部である、と言いますか。
17:23 A: ええ。
17:27 K: 彼女は、確信がない。

C: ええ、そうだと思います。
17:32 K: 競争です。試験ではなく、どの形の競争も、です。 で、あなたは、競争しないでしょうか。 私は、彼より良い、と。
17:46 C: それは、例えば、試験を受けないことを、意味していますか。
17:50 K: ちょっと待って。初めに、その原理、その感じを、捉えてください。 比較しない。なぜなら、それは、暴力の一部であるからです。 あなたはそれに、同意するでしょうか。 あなたは、そう言ってきました。 で、あなたは、それを消去するでしょうか。 または、それを見つめて、 競争の本性が、見えるでしょうか - 競争の全体性、そうね、競争の総体が、です。
18:26 A: いいです。始めましょう。

D: 今、それを見つめましょう。
18:29 K: 始めましょう。進んでください。 競争 - 子どもの頃からです。 お母さんは、あなたのほうが兄弟より良い、美しい、と言います。 あなたのほうが、はるかに見目が良い、などと。 で、あなたは、比較を止めるでしょうか。 なぜなら、比較することは、一つの形の競争であるからです - 二つの素材の間、 この布地とあの布地の間、 この紡毛のズボンと、あなたのコーデュロイのズボンの間、などではない。 深く - それは、はるかに深い問題です。 あなたは、どんな比較もなく、生を生きられますか - 二台の車などを比較するの以外は、です。
19:40 A: でも、そのとき、比較なく生きるとは、どういう意味ですか。
19:43 K: 私に訊かないで、見出してください。

A: 私は、問いを投げかけているだけです。
19:50 でも、それが、私が行き詰まってしまうところだ、と思えます。
19:53 K: 行き詰まらないで、動いてください。
19:55 A: 私は、考えつづけています - もしも私が比較をあきらめたなら、どうだろう。 もしも私が競争を止めたなら、どうだろう。 それらなら、どうだろう、と。
20:02 K: そのとき、それは、「私はこれをするなら、あれを得るだろう」という意味です。
20:07 D: 私は前の問いで、行き詰まってしまいます - 私はどうやって、競争を取り除くのか。 私はどうやって、比較しないのか。
20:16 K: 気をつけて。「私はこれをするなら、あれを得るだろうか」と言った瞬間、 あなたは、賞罰の間で、機能しています。
20:27 D: それが、私たちが、長年の間、機能してきたさまです。
20:30 K: ええ。ゆえに、それを、さらに追求してください。 ゆえに、あなたは言うでしょうか - 比較の深さ、比較の充分な動きを、 理解して、 「すみません。私はそれを去ってしまった。 私はそれを理解する。ゆえに、そうしないだろう」と言うでしょうか。 あなたは、火でやけどすることを、よくよく知っています。ゆえに、火に触れないでしょう。
21:00 A: でも、私たちはそれが、同じ観点で見ません。
21:02 K: それが論点全体です。
21:04 D: 私はそれを、理解できません。 私は、問題全体を、理解できません。
21:08 K: で、気をつけて、それを見つめてください。 どんな結論にも到らないで、 進んでください。 あなたたちは、これについて、考えたことがありません。 それが、困難なところです。 または、それを見つめたことがありません。 よし、始めましょう。 比較は、一つの形の暴力であることに、 私たちは同意したと、私は思います- 私たちのみんなが、です。 しかし、あなたは、比較しなくてはいけません - 二枚の布地の間、 二編の詩歌の間、 二枚のカーペットの間、などで、です。 古い洗濯機より、良いもの、と。 あなたは、比較しなくてはいけません。 しかし心理的に、あなたは、つづけるのでしょうか。
22:15 A: 心理的に比較するとは、どういう意味ですか。
22:18 K: それは、私のほうがあなたより良い、という意味です。
22:23 A: 私が、誰かについて判定するとき、それは比較ですか。
22:27 K: いいえ。私は判定について、話していません。 自分がどう機能するのかが、見えますか。
22:32 A: いえ、私は訊ねています。
22:33 K: 分かっています。 私はあなたに、問いを訊ねています。 すると、あなたはそれに、もう一つの問いで、対抗します。
22:40 A: いえ。私はあなたに、この問いへ答えるよう、頼んでいません。
22:43 K: 私の問いに答える前に、その問いを、しないでください。 私は、失礼をしていません。 で、あなたは、比較の本性全体を、 探究し、見つめるでしょうか - 心理的に始めることによって、です。 なぜあなたは、比較しますか。 なぜあなたは、自分自身を、彼女と比較しますか - または、彼と、または、学校全体と、 または、兄弟と、です。なぜですか。
23:25 C: 私たちは、比較するよう、教えられてきました。
23:30 K: で、あなたは、比較するよう、教育されつつあります。
23:33 C: ええ。
23:35 K: で、あなたの反応は、 - さらに進んで、それへ入ってください - 機械的です。 ですね? プログラムされてきた、コンピューターのように、です。 どうかを、知っていますか。 少し、私のように、です。 あなたは反復します。
24:11 C: 比較は、まさにそれ自体で、来ます。
24:13 K: もちろんです。あなたは反復します。 あなたは、自分の頭脳が、いかに機械的になったのかが、見えますか。
24:30 A: 様式を反復している。
24:34 K: 私は一時に、一つのことを取り上げています。 一つのことへ、拘ってください。 あなたは私に、言いました。 あなたは、むしろKに、言いました - 比較は、一つの形の暴力である、と。 あなたたちは、みんな同意しました。 それへ戻らないでください。 私は、比較することは必要だ、と言いました - あのランプとこのランプの間、 あのカメラと、別の安いカメラの間で、です。
25:10 A: ええ。そうです。

K: それは必要です。 しかし、心理的に、内的に、なぜあなたは、比較しますか。 そして、彼は言います。彼女は言いました - 「それは反応、自然な反応です」と。 私は言いました - それは自然ですか。 または、それは養成されていますか。 自然であるとは、赤ちゃんのとき、私は成長する - それは自然です。
25:42 C: それは、私たちがするよう教えられてきたこと、すなわち、比較以上です。
25:47 K: 赤ちゃんとあなたとの間で、ですか。

C: いえ、いえ。
25:50 K: あなたは、聞いてこなかった!

C: 私たちは、比較するよう、学んできました。 私たちは、学校とあらゆる物事で、教えられてきました。
25:55 K: ええ。あなたは、比較するよう、教育される。私たちは、それを言いました。 それは、あなたの頭脳が、比較するよう、条件づけられ、 教育され、訓練されてきた、という意味です。ですね? そこから私たちは、コンピューターを言いました - それは、プログラムされて、これを反復するでしょう。 それは、さらに自らの反復を、創案するかもしれませんが、それは反復です。 さて、あなたたちもまた、比較するように、訓練されます。 私のほうが、あなたより良い。 私のほうが、あなたより高い。 私のほうが、利巧だ。 私のほうが、良い職を得るだろう、などと。 で、心理的に、私はそれより、はるかに微妙です。 私たちは、反復するよう、訓練され、教育され、プログラムされています。 さて、あなたはそれを、止めるでしょうか。 あなたは、それの真実が見えるだろうかと、私はいうのです。 すなわち、あなたの頭脳がいかに、機械的に、課業になったのか、です - 同じことを、何度も何度も、反復し、言っています - 「私はそれをできない。私はそれをしなければならない。それは私にとって、あまりに困難だ。 私は理解できない。それについて、すべて語ってください」と。
27:17 D: クリシュナジ、それが、私の頭脳がやっていると、見えることです。
27:22 A: でも、それがまさしく、起きつつあることです。
27:24 K: それは知っています。そういうわけで、私はそれを反復している、私はあなたに、語っているのです。 待ってください。あなたの頭脳を見つめ、自分の頭脳がどう働いているかを、見てください。
27:38 B: ええ。何か言ってもいいですか。
27:41 K: ああ、いいです。何でも好きなことを、言っていいよ。
27:43 B: まあ、私たちは、自分たちは比較するよう教育される、と言いました。 私たちは、自分たちが比較するよう、教育されることに、同意します。
27:52 K: 条件づけられる。
27:54 B: ええ。でも、私たちは、比較しないよう自分たち自身を、教育できますか。
27:58 K: 私に訊ねずに、見出してください。

B: あなたは、知っておられるようですし・・・
28:02 K: 私は、知っているかもしれないし、私は、知らないかもしれない。 でも、見出し、問い、疑い、 あなた自身に訊ねてください。 私は、比較するよう、育てられてきました - 仮に、私は育てられてきた、とします。 私は(現実に)そうでなかったですが、仮に、そうであった、とします - 私自身を、他の誰かと比較する - はるかに高尚な、 はるかに知られた誰かと、それらの戯言です。 さて、なぜ私は、比較するのか。 なぜですか。 あなたたちは、それが前進である、それが進化である、と言うでしょう。
28:52 D: またクリシュナジ、あなたは、なぜかを訊ねています。理由があるようには、見えません。 それはただ、そこにある。 それは常に、なされています。
28:59 K: 知っています。私はそれを言いました。 私は、子どもの頃から、赤ちゃんの頃から、言われてきました - 「私はカトリックだ。洗礼を受けた」、その他すべてです。
29:09 そして私は、「私はカトリックだ」と言う。

D: ええ。
29:13 K: 私の両親はそうです。私もまたそうです。 進んでください。

D: それが、私の頭脳が、知っているすべてです。
29:20 K: もちろんです。もちろんです。 それはそのように働くと、私は言いました。 で、あなたは機械的に機能している、と私は言いました。 ですね?で、進んでください。
29:32 A: 私も比較したいのだと、思います。 なぜなら、私は他の誰かより、自分はすてきだと思うとき、 私はそこから、一定の楽しみを、得るからです。
29:40 K: そうなんです。 で、あなたは、それから報酬を得たい。 それは、楽しみです。 それの帰結を、見てください。 すなわち、それを得ないなら、 私は処罰される。私は傷つく。 私は怒る。私は憂鬱になる。 私は、「ああっ、私はとても小さい」と感じる。 そうね、すべての憂鬱、すべての怒り、嫉妬。 それらが、つづいています - 私の生涯ずっと、です。 あなたは、そのように生きたいですか。 私はただ、あなたたちに、見出すよう、頼んでいます - 「私はそのように生きたくない」と言うのではなくて、です。 で、あなたたちは、比較は、暴力の要因の一つである、と言ってきました。 あなたは、あなた自身において、それへ入り、 「比較しないことは、私の責任です」と言うのでしょうか。 または、比較の動き全体が見えて、ゆえに、それを終わらせるのでしょうか - それを終わらせるのではない。 それは、それ自体で終わるでしょう。 パイプから、水が吹き出すように、です。 その裏の水量がないとき、それは止まります。 理解できますか。
31:18 B: それは、あなたは比較しない、という意味ですか。
31:21 K: 私が何をするかを、私に訊かないでください。それは、あなたの論点ではない。 私はあなたへ言えます - 「ええ。私は一度も、自分自身を誰とも、比較したことがない」と。 私は虚栄がある、横柄な気持ちである、ということではない。私に、それは起こりません。 私がそう言うからといって、それを受け入れないでください。 私は、自己欺瞞をしているかもしれません。 私は、よく気をつけて、これへ入ってきました。 そして私は、一度もそれをしたことがない、と言います。 他の人たちにとって、それは、何一つ、意味していません。ですね? それで私が、英雄になるわけではない。
32:08 A: 私は、比較が暴力につながることが、見える、と言うとき、 私は、どの程度まで、自分はそれが見えるのかを、疑います。
32:16 K: そのとおりです。それなら、見出してください- 見えるとはどういう意味ですか。
32:20 A: ええ。
32:22 K: 私が、その質問をしています。
32:26 A: 或る種の知的に見えることが、あるように思われるからです。 一束の言葉 - 私たちはそれが、見えますが、 そこに、行き詰まってしまいます。 それは、それを越えて、さらに続くように、思われません。
32:41 K: なぜですか。 それは、あなたの頭脳が、その方向を見るのを拒否する、ということですか。 それは怠けですか。 それは、一つの言い方ですか - 「まあ、それは大事なことではない。 あらゆる人が、比較する。私は・・・」と。
32:58 A: 私は、これら過去の十八年に起きてきたこと すべてを、自分があきらめたいとは、思いません。

K: いいですよ。取っておきなさい。
33:04 A: それが、私がそれを見つめるのを、阻止しているものなんです。
33:07 K: それなら、それを取っておき、暴力的でありなさい。 あなたは、両方をほしがります。
33:14 A: それは矛盾です。
33:16 K: 知っています。 あなたは、ケーキを持っておきたいし、それを食べたいのです。
33:32 D: 私たちは、見えるとはどういう意味かを、見出せますか。
33:34 K: 進んでください。 見る、観察する - それは、どういう意味ですか。 私は、世界でつづいていることが、実際に見えます。 実際に見えます - 新聞、テレビ、雑誌、書物、 講義、賛否。 私は、(ソ連の治安機関)KGB が何をやっているかが、見えます。 私は、パレスチナ人が何をやっているかが、見えます - 異なった名、異なった見せかけ、異なった動機のもとで、です。 (イスラム教)シーア派は、他の誰かへ、反対です。 私はそれらが、とても明らかに見えます。 見えませんか。 なぜですか。 なぜあなたたちは、「私はそれがとても明らかに見える」と言いますか。
34:34 A: 私は、自らがとても明らかに見えることは、確かでありません - ええ。
34:36 K: どういう意味ですか。
34:39 B: それは、私たちの外側です。
34:44 K: あなたは、テレビを知らないですか。

A: 知っています。
34:47 K: あなたは新聞で、最新のハイジャックを、 見聞きしたことがないですか - TWA(の旅客)機、彼らが何をしているかを、です。 それが見えないですか。 新聞で、見てください。 彼らはそれについて、話をします。
35:10 A: 彼は先に、質問をしました。 私は、それに戻りたいと思うんです。 見るとは、どういう意味ですか。
35:16 K: 私はあなたに、訊ねています。
35:18 A: でも、あなたは、その言葉を、今回ずっと使っておられたし、私は混乱しつつありました。
35:23 K: あなたは、起きつつあることが見えない、と言おうとしていますか。
35:27 K: あなたは、何が起きつつあるかを、知らない、と。

A: 知っています。
35:31 K: ゆえに、あなたは、何が起きつつあるかを、理解します。 あなたは、そこに樹があることを、 ここに、これらランプがあることを、理解します。 これらランプ、あれら樹々、カーペット、椅子は、 TWA機のハイジャックと同じぐらい、現実的です。ですね? あなたは、それが見えます。 それが聞こえます。 それは、一つの聞こえ方、見え方です。 それは疑えません。 彼がそこに座っているのかどうかは、疑えません。
36:08 A: ええ、まったくです。
36:10 K: で、あなたは、それが見えるし、それが聞こえます。 あなたはそれを、事実として知ります。ですね? 事実として、 ですね?明らかですか。
36:25 A: ええ。
36:28 K: あなたは、事実として知っていますか - 比較が暴力の要因であることを、 観念としてではなく、事実として、です。
36:55 事実として、あれらランプは、そこにある。 これら椅子は、そこにある。 カーペット、部屋の形 - それらは、事実です。 あなたは、即時に、屋根を変化させられません。 明日には、そうするかもしれません。 で、あなたは、同等に明らかに、客観的に、 それが見えますか - すなわち・・・ 私たちは何について、話していましたか。

S: 比較です。
37:28 K: 分かります。
37:31 B: 比較は、暴力の一部です。それは事実です。
37:34 D: クリシュナジ、私は、自分がどうそれが見えるのかを、言っていいですか。私は比較が・・・
37:39 K: 私は、なぜかを言いましょう - あなたたちは、私に反復し反復するよう、頼んでいます。 私はそれに反対します。 私の頭脳は、なぜあなたは、動いてこなかったのか、と言います。 理解できますか。 あなたたちは、何度も何度も、同じ質問をします。
37:57 A: でも、それは、私が行き詰まりつつあるからです。
37:59 K: いいえ。

A: そうです。
38:01 K: なぜあなたは、そう言うのですか - 自分は、ハイジャックが起きている、 飢えた人々、ごみ、汚れ、迷惑、その侮辱が あるのが、見えるとか、聞こえるとか、 観察するとか、読む、と。 彼らは、殺されるかもしれません。 航空機は・・・いいですね? それはきわめて現実的です。 あなたは、自分自身において、それが事実として、見えますか - 比較は暴力の一部である、と。 私はそれを再び、反復しようとしていません。 私は個人的に、これが嫌いです。 私は、反復に反復しつづけられません。
38:46 D: 私は、他の人々がする比較が、暴力的であることは、見えますが、 私が暴力的になっているのを、見ることは、とても困難です。
38:56 C: でも、自分自身を誰かと比較するなら、 あなたは、彼のほうが自分より良いと、考えるかもしれません。 そのときあなたは、怒るとか、すぐに彼に何かをしようとか、感じるでしょう - それで、彼は自分ほど良くない、とか、何かそのようなことです。
39:09 K: ちょっと待って。 あなたの困難は、何ですか。 私たちは、とても単純な問いを、訊ねています - あなたの困難は、何ですか。
39:21 D: 私の困難は、私が思うに・・・
39:23 K: 止まって。 私は、あなたに聞こうとしていません。 初めに止まって、問いを聞き、 問いの意味を見てください。 それから、見出し、答えてください。 しかし、あなたたちは、即時に跳び出して、答えます。
39:42 A: あなたは、何が困難なのかを、訊かれました。
39:47 K: あなたは、そこの時計が、とても明らかに見えます。 あれは事実です。 一時まで十三分です。ですね? なぜあなたは、明らかに、明確に、 正確に、比較は暴力の一部であることが、 見えないのですか。
40:14 A: 私の困難は、私が、「そうなら、どうか」と言いがちである、ということです。 私は、自分は比較を止めるなら、非暴力的になるはずだと、言います。 それが、起きつつあることです。
40:26 K: なぜですか。
40:31 あなたは、報酬が欲しいからです。

A: ええ。
40:33 K: すると、あなたは観察していません- 正確さ、です。 私は、昼食を取れるように、それを、一時十分にしたいと思います。 そのとき私は、観察していません。 私は、聞いていません。
40:49 A: そういうわけで、私は、自分は見えると言うとき、それを疑うのです。
40:54 K: どうしてあなたは、疑えますか。

A: いいえ、時計ということに立って、ではない。
40:58 K: なぜあなたは、二つの間を区別しますか。
41:02 D: まあ、クリシュナジ、あなたが、それらの間の区別を、されました。
41:04 K: あなたたちは、聞くこと、労をとることさえしないのが、分かりますね。
41:14 D: 私は、あなたが区別をされたと、言おうとしていました。 あなたは、一つの素材と別の素材の間で、 比較できるが、心理的にはそうでない、と 仰っていました。
41:22 K: 私は、何も言いません。私は、「比較するな」と言いませんでした。 私を、或る立場へ入れてから、その立場を攻撃しないでください。 私はあなたたちに、訊ねています - なぜあなたは、あの時計が見えるのと同じぐらい明らかに、見えないのですか - 比較は・・・などと、です。 なぜ、あなたはそれが、見えないのですか。 あなたは若い。 あなたの頭脳は、幾らか若い。 あなたはすでに、 「私は知らない。私はそれをできない。 私に言ってください」という点に、到っています。 それは、年寄りのゲームです。 世界中の人々は、自分たちは指導者が欲しいと、言っています。 あなたたちもまた、それが欲しいのです。 私は、「どうぞ、私をその立場に、入れないでください」と言います。
42:26 A: いいえ。私はあなたに、答えを訊ねていません。
42:29 K: 訊ねていますよ。

A: いえ、いえ。
42:31 K: あなたは、行き詰まっています。

A: 私は、行き詰まっています。
42:34 K: いいですよ。行き詰まってください。 あなたが行き詰まっているのかどうか、私は疑います。
42:46 A: それを疑いますか。なぜそれを疑いますか。
42:48 K: あなたは、それを反復しつづけるからです。
42:51 A: それが、行き詰まっていることです。
42:52 K: ゆえに、私は知りません。それは、単なるレコード録音なのかもしれません。
42:58 D: それが、彼女が行き詰まりと呼ぶものだ、と私は思います。それは、それを反復しています。
43:04 K: あなたは、空腹であるとき、行き詰まっていないですね。 あなたは、そこへ急ぎます! 進んで、見出してください - なぜあなたは、何かがきわめて明らかに見えないのか、です。 あなたは、あの物理的な事実より動くか、離れた瞬間、 「ああ、私は知らない。私は行き詰まった。 私は恐れている」と 感じるよう、駆り立てられます。ですね? あなたは、そのゲームをやります。 で、自分が何をしているのか、なぜ自分がそうしているかを、 見出してください。
43:52 A: しばしば私は、自分が考えていることを、信用できるのかどうかを、知りません。
43:56 K: それは大事なことではない。信用しないでください。なぜ信用すべきでしょうか。
43:59 A: そういうわけで、「私は知らない」というこの感じ、この不確実性が、あるんです。
44:03 K: あなたは、自分自身について不確実であるからです。
44:05 A: ええ。
44:06 K: ゆえに、なぜ自分が不確実なのかを、見出してください。 ええ、あなたは同意しますね。 でも、あなたはそこで、止まります。
44:15 D: すると、私たちがこれらの物事を見たくないのは、なぜですか。
44:19 K: あなたは誰に、その問いを訊ねていますか。

D: 私自身に、です。
44:22 K: それを訊ねて、答えを見出してください。 あなたたちは、自分が十八年か二十年の間、 何をしてきたのかが、見えます。 何をすべきかを、自分に言ってくれるよう、誰かに訊ねています。ですね? 他の極端は、こうです - 「私はあなたに、私へ言ってほしくない。 私は、自分が好きなことを、するだろう」。 同意しますか。 (1960年代の)ヒッピーで、それは始まりました。 それは、様々な形で、つづいています。 「私は、自分のしたいことを、しよう。 私に言うとは、あなたは誰なんだ?」、 「私は位階制度を承認しない」、それらです。 で、私は、同じ問いを訊ねています。 あなたたちは、それに答えていません。
45:22 A: それに答えるのは、困難だと、私は見ます。
45:25 K: いいえ。あなたは、問いを聞いてもいません。 それが、私が疑っていることなのです。 あの時計が見えますね。 一時まで六分です。 私は、同じことを、反復してきました - 二十分か、多かれ少なかれの間、です。 で、あなたの頭脳は、或る立場より動くのを、拒絶しています。 あなたは、「よし、私は、なぜ自分が それを、きわめて明らかに見ないのか、 私はこの事実が見えないのかを、見出そう」と、言いません - 比較は暴力の要因の一つである、という事実、です。 それは、事実です。 なぜあなたは、それが見えない、それが聞こえない、それを味わわない、 それを感じないか。なぜですか。 あなたは、「ああ、私は行き詰まっている」と言います。 あなたは、自分の試験について、それを言いません。 あなたは、一時間、試験を受けているとき、 「すみません。私は行き詰まっています」と言いません。
46:57 B: 理由の一つは、私たちが動いたとき、 起きるだろうことに、怯えている、ということだ、と思います。
47:03 K: 自分が怯えているのかどうかを、見出してください。 起きるかもしれないことは、事実ではない。 で、あなたは報酬が欲しい。 あなたは、言ってもらいたい、 あなたは、肩を叩いてもらいたい、突き進むよう、励ましてもらいたいのです。 私は、「すみません。私は推し進めていません」と言います。
47:28 A: 私が見えないものは、私が向かって行っているものです。 そのとき、私は怯えを感じます。だからです。
47:39 K: すみません。 私はあなたに、聞いていません。 あなたはこれを、十もの違った形で、反復してきました。ですね?
47:49 B: それが、私も言ったことです。
47:51 K: 報酬。私は怯えている。 私は、そのように育てられてきました。 私は、自分がプログラムされつつあるのを、知っています。ええ。 あなたはそれを、違った形で反復します。 で、私は、「どうぞ、進んでください」と言います。私はかなり、これに飽きています - 飽きてはいません。 で、あなたは、なぜ自らが、物理的に何かがきわめて明らかに見えないのかを、語ります。 心理的にあなたは、「私は、あなたが何について話しているかを、知らない」と言います。
48:33 A: 何かが、私がそれを見るのを、じゃましています。
48:40 B: 「私たちは、何が彼女をじゃまするかを、知っている」と言うより、そのほうが良い。
48:42 K: 待って、彼女に答えてください。
48:44 C: それは、答えを期待しているからですか。
48:47 K: なぜ彼女は、「私はじゃまされている」と言うのか、です。
48:51 D: ええ、それらは言い訳です。 もう一度、私たちは、言い訳を見つけます。
48:55 K: 誰が彼女をじゃましていますか。

B: 彼女自身です。
48:57 A: 私自身です。
48:58 K: 誰かがあなた自身なのかを、見出してください。 そうね、あなたは止まります。
49:02 A: 私は知りません。
49:05 K: 自分は知らない、と言わないでください- 反復に反復する。 あなたたちは、みんな、とても怠けています。 そうね、私は、あの丘の向こう側に 何があるかを、見たいのなら、 私は、そこへ歩いて上がって、見ます。 でも、あなたたちは、快適に座り込んで、「それについて、すべてを語ってください」と言う。
49:34 A: いいえ。私が、自分がそう言っているとは、思いません。
49:37 K: 多かれ少なかれ、あなたはそう言っています - 私は、その山へ登るのを、じゃまされている。 私は、残念ながら、その山へ登ることに、怯えている。 何かが、私をじゃましている、と。

A: でも、それが、そのありさまです!
49:52 K: もちろん、そうです。そして、あなたは、それがそのありさまだ、と言う。
49:57 A: 私は、自分がそこに留まるべきだとは、言っていません。
49:59 K: ゆえに、動いてください。
50:01 A: でも、そのとき私は、「私はどう動くのか」の問いで、行き詰まってしまいます。
50:05 K: 椅子から立ち上がって、登ってください・・・
50:09 A: でも、私はそれが、さほど単純に見えません。
50:12 K: あなたが、あの時計を見つめるなら、それは、さほど単純です。 なぜあなたが、それを同等に明らかに見られないのか。 それは、とても単純ですが、あなたは、それを見るのを、拒絶しています。 あなたが私に、それへさらに深く入ってほしいのなら、私はそうするでしょう。 でも、気をつけてください。私は、あなたをプログラムしていません。ですね? 私はあなたに、何をすべきか、何を考えるべきか、 どう椅子から立ち上がり、丘へ歩いて登るかを、語っていません。 私はそのゲームに、入らないでしょう。 しかし、あなたは、私にそれへ入ってほしいなら - あなたが、自分の頭脳を観察し、それを拡大し、それを打ち壊し、 見つめ、変化させ、何かをするように、です - 「私は知らない」と言わないでください。 さて、私はあなたに、語りましょう - あなたは、あの樹を、その言葉なしに、見つめられますか。 あの樹を見つめて、自分がそれを見つめられるかを、見出してください。 ただそれを観察してください。 「あれは樹だ」と言い、それに名づける等々を、しないでください。 あなたはそれを、できますか。
51:50 A: いいえ。

K: なぜですか。
51:53 A: 私が、あの本を見つめるとたちまち、 「本」という言葉が、浮かんでくるからです。

K: またもや、です。 私はあなたに、何かを頼んでいます。 あの樹を見つめてください。 窓の外側にある、あのものを、見つめて、 それを、「樹」と呼ばずに、見つめてください。 または、棚の上のあのものを、見つめて、 それを本と呼ばずに、ただ見つめる。 あなたたちはそれを、ひどく困難だと見ますか。 いいえ、あなたはそう見ない。 でも、彼女はそう見ます。
52:47 A: ええ、そうです。

K: あなたがそうなのは、知っています。
52:50 D: クリシュナジ、私たちにそれを見つめるよう言うには、あなたはそれに名づけています。
52:55 K: 名づけること - あなたは何かを言いました。 名づけることは、観察することではない。 私はすでに、彼女に名づけました。 ゆえに、私はわざわざ見ません。 「彼女は私の妻だ。 ああ、私は彼女とともに生活してきた。 セックスした」とか何とか、彼女は私の妻なんです。 でも、私は一度も、彼女を人間として、見つめたことがない。 彼女を見つめる - 彼女が何を考えるのか、彼女が何を感じるのか。ただ見つめる。 ですね?でも、あなたは見つめません。 「私は行き詰まっている!」と言わないでください。 あの樹を、その言葉なしに、見つめることは、 とても単純なことです。 なぜその言葉が、とてもすばやく出てきて、「樹だ」と言うのかを、 見出してください - 「あれは虎だ。蛇だ」と。
54:04 C: 私たちは、それが私たちのみんなに適合するとの一般的な観念を、持っているからです。
54:07 K: いいえ。まだそれに答えないで、見出してください。 あなたはすでに、それを答えています。 なぜあなたは、これらの物事を、こんなにすばやく、名づけますか。 「私の父、私の母は、あのようだった」 すでにあなたは、イメージを持っています。 それが、私が阻止しているすべてです。 - 阻止していません - それが、起きつつあることです。 で、あなたは自由ではない。 - 私はそれに入らないでしょう - あなたは、イメージ作りから、自由ではない - 「あれは本だ」と。
54:45 A: 私は、物事を同一視・確認したいです。
54:47 K: いいえ。そうね、あなたは、すでに先へ、行ってしまっています。 あなたは、単純に始めません。あなたが利巧な頭脳を持っているのは、知っていますよ。
54:53 A: いえ、それは単純に思われます。
54:56 K: いいえ、気をつけて、話を聞いてください。 インド人たちは、この種のゲームが、かなり上手です。
55:03 B: しばらくの間、クリシュナジに、進んでもらえますか。
55:07 K: あなたたちはまだ、とても単純な事実を、学んでもいません。 あのものを、名づけることなく、見つめてください。 あなたたちは、そこから始めもしません。 あなたたちはすでに、錯綜しています。 あなたたちは、「さあ、見てみよう。 時間を掛けよう」と、言いません。 あなたは何かを、静寂に見つめられますか。 あなたの父親、母親、 友だち、夫、何をも、です。 テロリストを - 見出すように、静寂に見つめる。 なぜなら、それは、全部を 変化させるかもしれないからです。 しかし、あなたは進んで、そうしようとすら、していません。 そのときあなたは、私に訊ねるでしょう- 「私はどうすれば、静寂でいられるのか。 私はじゃまされている」と。 で、これらへ、辛抱強く入ってください。 何年も掛けるのではない。 私は、そういうつもりはありません。 あなたたちは若いし、 先に長い生を持っているからです。 あなたたちは、今、若いとき、学びはじめないのなら、 五十歳で、「私は行き詰まった」と言うでしょう - 「ああ、私はこの問題を解決できない」と。 そして私は、精神科医へ行く。または、司祭者へ。 または、憂鬱になる。 または、夫を叩く。夫に悩む。ですね? これが、つづいています。 で、あなたは若いので、今から始めてください - 何かを、名づけることなく、見つめるのです。 そのときあなたは、なぜ自分が名づけるかを、学びはじめるでしょう。 これは、とても重要であるからです - このとても単純な事実を、学ぶことが、です。 あなたの総理大臣、 あなたの政治家たちを、見てください。 彼らを、見てください。 世界の統治者たちを、です。いいですか? あなたは、何かを学ぶでしょう。 感じるでしょう。 理解するでしょう - 尋常でなく重要なことを、です。 名づけることは、自己の重要性の要因、 安全の要因なのかもしれません。 理解されますか。 それらへ入ってください。 怠けないでください。それだけです。 「私は行き詰まっている」と、けっして言わないでください。 なぜなら、誰もあなたを、助けようとしていないからです。 私は、あなたが助けてもらいたいのを、知っていますが、誰もそうしようとしていません。 彼らは、愚か者になるでしょう。 導師たちは、「私とともに来なさい。 私とともに座りなさい。 すると、あなたは、だいじょうぶになるだろう。 あなたは幸せに感じるよ」と言います。 それらへ入らないでください。 探究し、働き、それへエネルギーを、注いでください。 残念ながら、これが最後にならざるをえないと、思います。 あなたたちは、(この年度末で)行ってしまいます。 または、(新年度に)戻ってきますか。
59:33 D: 戻ってきます。

K: あなたは?あなたは?
59:37 あなたは、(9月からの)来年度、ここにいるでしょう。それは確かですか。
59:40 D: ええ。
59:41 K: 私はただ訊ねています。

B: ええ。
59:43 K: あなたは?

C: 私は、戻ってこようとしています。
59:46 K: で、私たちは、もう一度会うかもしれません。ですね? 自分は行き詰まっている、と私に言いはじめないでください。 あなたたちは、(新学期まで、夏休みが)二ヶ月半か、三ヶ月がありますね。