BO84Q - 質疑応答会合

インド、ボンベイ(ムンバイ)
1984年2月9日
テキストのみのバージョン
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1:32
幾つも、質問が あります。
それが 一箱まるごとです。
あなたは、問題に どう接近しますか。
問いのほうが、答えより、 重要ですか。
または、答えは、 問い自体に、潜んでいますか。
で、私たちが、これらの問いに入る 前に、私たちは、訊ねています -
あなたがどう、問いを受け取るのか、 あなたがどう、問いを見つめるのか、
あなたがどう、問いに 応答するのかを、です。
または、あなたは単に、問いへの 答えを、探し求めているだけです。
あなたが、答えを 探し求めているなら、
答えのほうが、問いより 重要です。
2:49
で、私たちは、こう言っています - あなたが、問いへ
どう接近するのかが、 きわめて重要である、と。
そして、 あなたがどう
問いを究明するのかの 様態が、です。
というのは、答えは、 問い自体に、潜んでいるからです。
それを離れて、 ではありません。
これが明らかであって ほしいと、望みます -
すなわち、私たちはどちらも、問いへ 解答を見つけようと、探しています。
が、私たちは、問いの本性と 内容を理解するほうが、
はるかに重要であると、 言っています。
で、私たちは、私たちのどちらも、 あなたと語り手は、
問い自体を、究明しようと しています。
そのとき、問いを 理解する中で、
答えは、その問いの究明に、 あるのです。
4:11
これが明らかであって ほしいと、望みます。
ここに、幾つもの質問が、あります。
あなたと語り手は、ともに、
問いの本性を、 探検しようとしています。
そのとき、おそらく
私たちは、問い自体に、答えを 見つけることが、できるでしょう。
これは、相当に 明らかですか。
で、私たちは、初めに、これらの 質問を、読み上げようとしています。
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4:54
第一の質問: 「美しさとは、何ですか。
なぜ私たちは、美しい物事が 好きなのですか」。
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5:04
「美しさとは、何ですか。私たちが、 美しい物事が好きなのは、なぜですか」。
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5:16
それが、問いです。
で、私たちはともに、究明、 探検しようとしています
- 問い自体を、問いの 内容を、見出そうと、です。
これは 明らかですか。
質問者は、訊ねます - 美しさとは、何ですか。
さて、あなたが、このホールを 見渡すとき、それは、美しいですか。
あなたが、夕べの空を 見つめるとき -
天に一つ、星があり、 それは、美しいですか。
または、あなたが、すばらしい 日の入りを見るとき -
色に満ち、大いなる深さ、 大いなる拡大の感覚、
そして、宇宙全体が、 光と色に、充たされています。
それは、 美しいですか。
6:25
または、人が作ってきたもの だけが、美しいのか。
人は、大聖堂、寺院、神殿、 教会、様々な種類のモスクを、
世界中に、 作ってきました。
で、人が作ったものは、 絵画、詩歌、
彫刻、建物のように、
それらはすべて、人が作っています。
ゆえに、それらは、美しいのですか。
すなわち、人が、 美しさの度量(尺度)ですか。
または、人が、 すべての物事の度量ですか。
私たちは、互いに 理解し合いますか。
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7:33
私たちは、美しさが何であるかを、 見出すよう、訊ねています。
それは、とても複雑な問いですし、 大いなる敏感さを、必要とします
- 美しさが何であるのかを、 私たち自身で、見出すためには、です。
あなたは、すばらしい 日の入りを、見ます。
朝早くの、 樹々の上の、日の出。
またはあなたは、晴れた青空を 背にした、大いなる山を、見ます
- (空は)優しく、 静かで、静寂です。
大いなる美しさ、 ものすごい威厳の、大いなる感覚、
不思議さの感覚。
それが起きるとき、
すなわち、あなたが、大いなる すばらしいものを、見るとき、
何が起きますか - あなたが、 それを見つめるとき、です。
あなたが、海原の、日の入り、 見つめるとき - そして、大いなる光、
日の入りから 生まれた輝きを、です -
あなたの中に、 何が起きますか。
どうぞ、私たちは ともに、究明しています。
9:10
あなたは、語り手があなたの問いに 答えるのを、待っているだけではありません。
私たちは、ともに 問いを、探検しています -
問いが何でも、政治的、 経済的、社会的などでも、です。
ここで質問者は、訊ねています - 「美しさとは、何ですか」と。
私たちは、 自己、「私」がないときだけ、
美しさは存在すると、 言っています。
人が作ったものは、 絵画のように、
すばらしい写真のように - 或る樹のや、人物の、
光と嵩に満ちて、流れてゆく 大いなる河の(写真、)です -
あなたが、これらを見つめるとき - 大地の不思議さ、
大地の美しさ、を、です - あなたの中に、何が起きますか。
あなたが、何かとてつもなく 美しいものを、見つめるとき、です。
10:37
当分、あなたは、 存在するのを、止めます。
あなたは、自分の問題すべてとともに、 自分の悩み事すべてとともに、
自分の日々の苦労と悲惨、 混乱とともに、
そのすべてが、消散します。
または、追い払われます -
何かあなたが、大いなる、ものすごい 美しさをもって、見るものによって、です。
あなたは、当分、不在です。
それに同意されるでしょうか。
あなたは、これらを 聞いていますか。
あなたは、聞いているし、いつ美しさが あるかを、見るか、知覚するなら
- 大いなる美しさを、です。
単に、 女や男の物理的な美しさだけではない。
あなたがそれを知覚するとき、その秒の間、 あなたの自己は、そこにありません。
私は、それは大いなる 美しさだと、考えるでしょう。
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11:53
そしてまた、
とても騒がしい所です。
ですね?
また、問いは、 訊ねます -
なぜ私たちは、何か美しい ものが、好きなのですか。
また、その問いは、 こういう含意です -
なぜ私たちは、何か醜い、 汚いものに、忍耐しますか
- ボンベイの汚い 通りのように、です。
なぜ私たちは、それに忍耐しますか。
なぜ私たちは、それを許しますか。
あなたは、こう 言うかもしれません
- 「それは、私たちの責任ではない。
それは、政府の責任です」と。
政府は、腐敗しています。
それで、 あらゆる物事が、バラバラになります。
しかし、私たちは、自分が生きている ところの環境に、敏感に気づいていますか。
12:57
私たちが生活するところの部屋、 それが整理整頓されて、きれいであり、
よく均衡しているのか、いないのか。
私たちはこれらに、気づいていますか。
または、私たちは、あらゆる 物事を、堪えるだけですか。
それで、私たちの ほとんどは -
あなたが常に、来る日も 来る日も、汚さ、汚物、
人の人に対する 非人間性を、見るとき、
あなたは、それに慣れます。
あなたの 敏感さは、鈍り、腐食します。
それで、あなたは、美しいものを、 けっして、実際に見ません。
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14:09
第二の質問: 「実際のものへの知覚は、
思考の干渉なく、 可能ですか」。
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14:20
「実際のものへの知覚は、 思考の干渉なく、可能ですか」。
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14:32
問いを 理解されますか。
樹、あなたの妻や夫を、 知覚することは、可能ですか
- または、あなたの上司や、 お手伝い、召使いを、
または、まわりの 自然を、です。
思考の干渉なく、 それを知覚することが、です。
問いが、 明らかであるなら
- すなわち、あなたは、樹や、 新しい月を、見られますか。
または、 日の入りを、です。
または、あなたの妻や、 夫や、子どもを、
あなたの知覚に、思考が 介入することなしに、です。
それが、問いです。
その問いを、 探検しましょう。
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15:57
私たちがいう知覚とは、どういう 意味ですか - 知覚する、観察する。
あなたが、自分の妻や 夫を、知覚するとき
- または、自分の彼女や 息子を、です。
あなたは実際に、彼らを、 彼らのありのままに、見ますか。
または、あなたは、彼らの映像、 彼らのイメージを、持っていますか。
そのイメージをとおして、
それらの記憶、結論の 色眼鏡をとおして、
あなたは、見ます。
どうぞ、語り手が言っている ことを、検討なさってください。
あなた自身の妻や、 夫を、検討してください。
または、あなたの隣人や、 上司などを、です。
あなたは、彼らを 見つめられるのかどうか -
思考の単一の動きや、イメージや その言葉もなしに、です。
仮に、私は 結婚している、とします。
私はしていませんが、仮に、 私は結婚しているとします。
17:31
私は、自分の妻と、二十年か、 三十年か、十五日の間、生活します。
それら、時の間隔の間、
私は、様々な出来事、 事故をとおして、
彼女について、イメージを 築いてきました。
彼女は、私について イメージを、築いてきました。
これらのイメージ、 これらの記憶が、
私が彼女を見つめるのを、阻止します - 実際に、ありのままの彼女を、です。
そのとき、問いが 生じます。
一人の人間を見つめることは、 可能ですか。
それが、私の妻でも、 隣人や、見知らぬ人でも、
思考の単一の動きもなく、彼らを 見つめることは、(可能か)です。
それが、質問者が 訊ねておられることです。
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18:42
あなたは、そこに座っているし、 語り手は、この上に座っています。
あなたは、見たところ、イメージを もち、結論をもって、ここにいます
- 語り手の記憶をもって、 ですね?
いいですね?
あなたは、私の問いに、 応答しつつありますか。
あなたは、語り手を 観察できますか -
あなたが彼について築いてきた 評判すべて、
彼について言われてきたことすべてと、 おそらくあなたが、彼について
読んだかもしれないすべてや、 彼が言ってきたことすべてなしに、です。
そのすべてを脇に置き、 彼を見つめ、彼を観察する。
あなたは、そうするでしょうか。
あなたは、そうできますか。
すなわち、何かや、人物や、 何でも、見つめる
- 以前の記憶、結論、 憶えたことなしに、です。
20:03
ただ新鮮に見つめる。 それは、可能ですか。
それは、思考があなたの観察に、 介入していない、という意味です。
あなたが、それを 試したことがあるなら、
または、あなたが、そもそも、 そうするだろうなら、
大変とてつもないことが、 起きるのを、見つけるでしょう。
あなたは、けっして考えたことの ない何かを、発見しはじめます。
あなたは、何か全然新しい ものを、発見しはじめます。
あなたは、自分の妻や 夫を、見つめるなら -
あなたが彼女についてと、 彼女があなたについて、
蓄積してきた記憶 すべてなしに、です。
そのときあなたは、彼女や彼を 新鮮に、初めて見つめています!
で、関係は、常に 新たになり、新鮮です。
21:13
古い記憶が作動し、 介入しているのではない。
あなたは、これらを試したことが、 ありますか。
または、
あなたは聞くだけです - 「はい、 それは、とても壮大に聞こえますが、
私はそれをできません」と。
そして、続けてゆきます。
で、あなたが実際にそうするなら - 一回か、二回、です -
あなたが彼女や彼について 持っている、
蓄積してきた記憶 すべてを、片付ける。
そのとき、あなたは、その人物を 新鮮に、初めて見つめています。
あなたが、その人物を、 新鮮に見つめるとき、
何か全然新しいことが、 起きます。
新しい種類の関係が、 生じてきます。
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22:26
第三の質問: 「気づかわない夫と ともに、どのように生きられますか」。
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22:37
「気づかわない夫とともに、 どのように生きられますか」。
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22:43
私は知りません。
問いを、覗いて 見ましょう。
夫とは、何ですか。
そして、妻とは、何ですか。
アメリカと、世界の 他の地方では、
男の子と女の子が、 結婚式を挙げることなく、
一緒に生活しています。
または、登記官が彼らの結婚を 登記するのを経ることなく、です。
それが、一つのことです。
男の子と女の子が、
結婚を経るとか、公式に登記する ことなく、ともに生活する。
それから、 他方が、あります。
あなたたちは、男と女の間の 式典を、挙げます。
その式典 - 教会へ行くことや、 登記すること。
それにより、公式にあなたたち、 男と女は、夫と妻になります。
24:17
これら二つの間の 違いは、何ですか。
質問を 理解されますか。
違いは、何ですか - 男と女が結婚式を
挙げることなく、ともに 生活することと、
彼らと、高価な結婚を 経てゆく男と女との間の、
違いは、何ですか。
その二つの間の違いは、 何ですか。
一方は、書類を持っています - 認証され、 あなたたちは、夫と妻である、と言うものです。
社会は、あなたたちは 結婚していると、言います。
あなたは、一定の責任を、 持っています
妻と子どもの世話と、その他 すべてをするように、です。
25:15
また、他方は、教会へ行く その他すべてがない、
結婚式を挙げない人、です。
彼らは、きわめて無責任であるのか、
あるいは、彼らは、きわめて 責任を持っています。
どちらも、責任を 持っています。
ですね?
彼らは、一緒の生活を、 真剣に取るなら、
どちらも、責任を 持っています。
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25:48
で、私たちは訊ねています - 夫とは何ですか。妻とは何ですか。
あなたが、その問いに、 答えてください。
ここにいる、あなたたちのほとんどは 結婚していると、推定されます。
または、あなたは、彼女を持っています。
おそらくインドでは、さほど多くない。
が、ヨーロッパとアメリカでは、 それは、全くありふれています。
で、夫とは、何ですか。
夫は、働く、オフィスへ 行くか、或る種の仕事へ
行くものと、されています - 9時から5時まで、です。
一日のほとんどを、オフィスで過ごす。
気持ちよくても、悪くても、です。
工場など、です。
それから、家に帰ります。
妻、女は、食事を 調理します。
彼女が子どもを持つなら、 子どもの世話などを、します。
27:00
これが、私たちの 日々の課業です。ですね?
それに 同意されますか。
ああ、後生ですから。
はい?
これは、世界中で 起きつつあることです。
女は、家にいます。
または、彼女も、もっとお金を 稼ぐために、オフィスへ行きます。
そして、妻が一般的に、子どもを持つ なら、彼女が、その世話をします。
そして、家にいます。
これら二人の人々の間の 関係は、何ですか。
9時から5時まで 働く夫と、
また、女も、9時から5時まで、 働きに行ってしまいます。
彼らの関係は、 何ですか。
あなたは、それについて 考えたことが、ありますか。
生は、ますます複雑に、ますます高価に なりつつあります。
で、女も男も、 働かなくてはいけません。
28:14
彼らは、子どもを持つなら - おそらく 彼らは不運にも、子どもを持ちます -
子どもたちに、 何が、起きますか。
女は、家に帰ってきます。
または、 夫は、疲れて、家に帰ってきます。
彼らは、性的に以外に、互いに 気づかい合うのでしょうか。
彼らは本当に、 気づかうのでしょうか。
あなたは、語り手に、 この質問をします。
彼は、その問いに答える ものと、思われています。
あなたは、語り手に、ではなく、 自分自身に、この質問をすべきです。
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28:58
問いは、こうです - 気づかわない 夫とともに、どう生活しますか。
あなたは、おじいさんか、おじさんに、 さよならを言うのか、または、それを堪えます。
これは一般的に、起きることです。
あなたは、それを堪えます。
お互いに、ますます 無頓着になります。
ますます孤立し、 ますます憂鬱になります。
本当にまったく 気づかわない男や女と
一緒に生活することの 悲惨すべて、です。
それは、あなたの問題です。
私のではありません。
で、あなたは、何を するのでしょうか。
別の女を追いかける、 別の男を追いかけるのですか。
30:08
それはまた、そこでも 起きるでしょう -
しばらくの後、彼は、 気づかわないでしょう。
それで、あなたはいつも、 この問題に、捕らわれています。
それは、こういう意味です - そもそも愛が、ありますか。
二人の人々が、 一緒に生活するとき、
それは、一緒になる、 性的な、生物的な活動ですか。
または、彼らの生に、愛が、ありますか - 互いへの気づかいが、です。
おそらくあなたは、この答えを、 語り手より、知っているでしょう。
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31:20
第四の質問: おやまあ、「生において、 結婚することは、必要ですか。
男と女の間の、物理的な 関係とは、何ですか」。
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31:30
私は知りません。
あなたは、知っている はずですね。
これは、何と変な問いです。
ですね?
生において、結婚することは、 必要ですか。
あなたは、何と 仰いますか。
語り手があなたに、この質問をするなら、 あなたは、何と答えるのでしょうか。
みなさま、私が結婚する ことは、必要ですか。
あなたの答えは、 何でしょうか。
あなたの答えは、たぶん こうでしょう -
「あなたがしたいことを、しなさい。
なぜそれで、私を患わせますか。
それは、 あなたしだいです」と。
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32:31
ですが、問いは本当は、それより はるかに複雑であるのが、分かりますね。
私たちはみんな、連れ合いがほしい。
私たちはみんな、性的関係が、ほしい
- 生物的な必要です。
また私たちは、誰か自分が頼られる人、 そこに安全を見つけられる人、
そこに慰め、支えの感覚が ある人が、ほしいのです。
なぜなら、私たちのほとんどは、 自分の足で、一人立てないからです。
ゆえに、私たちは、「私は、結婚 しなければならない」と言います。
または、私は、友だちや彼女を持つ でしょう。
または、それが何でも、です。
「私は、一緒にいて寛げる人を、 誰か、持たなければならない」と。
私たちはけっして、誰とも、 一緒にいて寛ぎません。
なぜなら、私たちは、 自分の思考の中、自分の問題、
自分の野心などの中に、 生きているからです。
33:42
私たちは、一人立つことに、 怯えています。
なぜなら、生は、 とてもさびしいからです。
生は、きわめて複雑で、 厄介であるからです。
そして、一緒に色々と 話し合える誰かが、必要です。
また、あなたは、 結婚するとき、
性的な関係、子ども などを、持ちます。
で、男と女の間の、この関係に おいて、愛がないなら、
あなたは、彼女を使うし、 彼女は、あなたを使います。
あなたは、彼女を利用するし、 彼女は、あなたを利用します。
それは、事実です。
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34:44
で、質問者は、訊ねます - 自分は結婚すべきですか、と。
そして、男と・
・・間の 物理的関係は、何ですか。
その問いを、 ご存じないですか。
それは、 あなたしだいです。
しかし、一緒に生きるという この複雑な問題全体に、
本当に入るには - 二人の人々に おいて、だけではありません。
人類と一緒に生きる。
あなたの隣人と、
上司と、召使いとともに、生きる - あなたが召使いを持っているなら、です。
あなたの父親、母親、 子どもとともに、です。
一緒に生きる - それは、 とても複雑なことです。
家族として一緒に生きることは、あなたに 一定の安全、一定の安心を与えてくれます。
それで、あなたは、その家族を 集団へ、拡大します -
共同体へ、国家へ、 民族へ、です。
別の民族に対立している 民族から、
それで、いつも、分割と葛藤と、 戦争が、あります。
36:18
で、どう、他の一人と一緒に生きるかを、 見出さなくてはなりません -
何の葛藤もなく、何の格闘、適応、 調節の感覚もなく、(生きるの)です。
それは、大変多くの智恵、 誠実さを、必要とします。
しかし私たちは、性的、生物的な要求 などのために、結婚してしまうだけです。
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37:06
あなたたちは、これらの問いを、作り上げ ましたか。彼らは、いいえ、と言います。
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37:17
第五の質問: 「頭脳と精神との間の 違いは、何ですか」。
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37:26
「頭脳と精神との間の 違いは、何ですか」。
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37:36
これは、とても 複雑な問いです。
私たちは、頭脳が何であるかを、 知っています。
科学者たちは、今、 こう言っています -
頭脳の左側と、 頭脳の右側が、ある。
頭脳の左側は、日々、 使われています。
私は、その詳細すべてには、 入らないでしょう。
あなたは、それについて 読みたいなら、読めます。
私は、それを読んだことが、 ありませんが、
科学者である友だち、何人かが、私に それについて、語ってくれました。
頭脳の左側は、 作動中、活動中です。
日々の活動すべてでもって、 機能しています。
そして、 頭脳の右側は、
十分に作動していません。
十分に機能していません。
なぜなら、頭脳の右側のほうが、 はるかに、智恵を持っていて、
はるかに鋭利で、はるかに 気づいているからです。
そしてまた、頭脳は、すべての 行為と反応(作用と反作用)の中心、
すべての感覚的な応答の (中心)です。
これは、語り手が 言っていることです。
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39:05
で、頭脳は、意識の内容全体を、 収容しているか、持っています。
意識は、あなたの信念、 あなたの信仰、
あなたの名前、 あなたの能力、器量、
すべての記憶、 すべての傷、楽しみ、痛み、
苦悩、格闘、それら、 慈しみなどです。
そのすべてが、あなたの 意識の内容です。
あなたの意識の内容が、あなたです。
自己です。「私」です。
その意識の内容は、超超意識を 創案するか、
または、様々な種類の、 想像されていなかったり、
想像されたりの状態を、 創案するかもしれません。
が、それはやはり、あなたの 意識の中に、あります。ですね?
40:22
私たちは、これが 見えますか。
あなたは、 あなたの名前、あなたの身体、
あなたの怒り、あなたの貪欲、 あなたの競争、あなたの野心、
あなたの楽しみ、 あなたの痛みなどです -
慈しみ、それらです。
あなたは、それです。
それは、あなたの意識の内容、 という意味です。
あなたの意識の内容は、 過去です -
ですね?
過去の記憶、 過去の出来事、過去の
あらゆる種類の活動、経験。
あなたは、過去です。
あなたは、知識です - それは、過去です。
で、それが、 頭脳です。
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41:28
私たちは、言っています - 語り手は 間違っているかもしれません。
彼は、この事柄について、幾人もの いわゆる科学者と、議論してきました。
それでもなお、彼は、 間違っているかもしれません。
どうぞ、彼が言うことを、 受け入れないでください。
彼が言うことを、疑い、 問い、探究してください。
彼は、こう言います - 頭脳は、内容すべてとともに
制限された 意識全体である、と。
気持ちよい、よくない、醜い、 美しい、格闘、
そのすべてが、 内容です。
そして、精神は、何か頭脳より 全然分離しているものです。
精神は、頭脳の外側にあります - 語り手が、言っています。
科学者たちは、そう 言っていません。
42:40
語り手は、こう言います - 頭脳は、一つのものであり、
精神は、何か全然 違ったものである、と。
頭脳は、 自らの内容すべてをともない
自らの格闘をともない、 痛み、心配をともなって、
けっして、愛の美しさを、 知りえません。
理解できません。
愛は、無限です。
それは、「私は一人の人物だけを 愛している」ではない。
それは、あまりに広大で、 あまりにものすごい。
自らの葛藤、悲惨、混乱すべてを ともなった頭脳は、
了解したり、保ったり、または、 敏くて愛することが、できません。
精神だけが、(できるの)です - それは無限です。
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43:35
で、頭脳と精神との間に、 違いが、あります。
そのとき、質問者は、 訊ねないことは -
さらにまた、ここに 関与した問いが、あるのです。
そのとき、精神と頭脳の間の 関係は、何ですか。
頭脳は、制限されています。
制限されています -
なぜなら、それは、あらゆる種類の 分離した部分より、作り上げていて、
断片化し、砕けてしまって いるからです。
ゆえに、それは、常に 格闘、葛藤の状態に、あります。
ところが、精神は、全的に その範疇の外に、あります。
44:31
頭脳が完全に自由である ときだけ、関係が、あります。
それが可能であるなら、 その記憶の 内容すべてから(自由なとき)です。
これは、大変多くの探究、 敏感さを、必要とします。
智恵は、頭脳の ではありません。
思考の智恵は、精神の智恵を、 収容できません。
これらを 理解されますか。
私が何について話しているかを、 誰かが理解しますか。
いいえ。 いいですよ。
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45:31
ご覧ください。きわめて 単純であってください。
なぜなら、あなたは、きわめて単純であり うるなら、はるか遠く行けるからです。
しかし、あなたが、たくさんの複雑な 理論と結論でもって、始めるなら、
あなたはそこに、行き詰まっています。
だから、きわめて単純でありましょう。
あなたの日々の生 - オフィスへ 行く、働く、働く、働く。
お金、一定の専門分野で 訓練される -
法律家、外科医、ビジネスマンや、料理人と して、または、それが何であっても、
あなたの頭脳は、狭められ、 制限されつつあります。
私が物理学者であるなら、私は、物理学に ついて学んで、何年も何年も過ごします。
それを研究し、究明し、 それを調査します。
で、私の頭脳は、私たちが持っている この特異な文化をとおして、
自然に 狭められつつあります。
46:47
ここには、二人の科学者が、 います。彼らは、同意します。
私たちの頭脳は、機械的になってきたの です - 課業に、小さく、です。
なぜなら、私たちは、自分自身に こうも関心を、持っているからです。
いつも、好き嫌い、痛み、悲しみ、 その他すべての
きわめて小さな区域に、 生きています。
しかし、精神は、何か 全然違ったものです。
あなたは、その精神の本性を、 理解か、了解できません -
あなたの頭脳が、 制限されているなら、です。
自らの生が制限されているとき、あなたは 無制限のものを、理解できません。
で、それが、関係です。
頭脳と精神の間の関係は、
頭脳がその内容より自由であるとき、 起こりうるだけです。
47:58
これは、複雑な問いです。それは、はるかに それに入って行くことを、必要とします。
が、私たちは、そのための 時間を、持っていません。
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48:21
第六の質問: 「信とは、何ですか」。
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48:29
信とは、何ですか - 神への信仰、信とは。
私は、自分の妻へ信を持っています。
彼女は私を、裏切らないでしょう。
私は、自分の夫に、 信を持っています。
私は、自分のビジネスに、信を 持っています。
それで、信。
キリスト教徒全体、キリスト教の、 宗教的な構造と本性すべては、
信に、 基づいています。
そこで、彼らは、 問いません。
彼らは、疑いを持ちません。
懐疑的でありません。
あなたは、神へ信を 置いているなら、あなたは、
どの形の懐疑論、疑いが入るのも、 とうてい許せません。
または、 イスラム世界では、です。
しかし、ヒンドゥー教世界と、 仏教世界では、
疑いが、頭脳を浄化する、 必要な性質の一つです。
あなたは、信を持っています。
みなさんが 持っていませんか。信念を、です。
あなたは、自分の信念、自分の 信仰と、あなたの幻想を、
問うたことが、 ありますか。
50:09
または、あなたは、それらを 受け入れるだけです。
あなたは、信を 持っているとき、
あなたは、究明の問いを、すっかり 脇に置いてしまったのです。
仮に、私は神を 信じている、とします。
神を信じている、 信仰を持っている。
そのとき、あらゆる問い、あらゆる疑いが 脇に置かれなければなりません。
なぜなら、神への私の信念は、 恐れに、基づいているからです。
私は、世界が何であるかを、知りません。
誰かが、それを創造したのです。
私は、神様がそれを 創造なさったのだと、考えたい。
それは、 一種類の信念です。
科学者たちは、神といった ものは、ないと、言います
- それは、進化の 自然な成長である。
細胞から、人間の頭脳のきわめて、 きわめて複雑な細胞へ、と。
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51:19
で、なぜ私たちは、 信を持ちますか。
それは、きわめて制約し、狭めてしまい、 制限するのではないですか。
そして、信仰は、 人々を分割しませんか。
キリスト教の信仰と、 イスラム教の信仰と、
たぶん何についても、まったく 信仰を持たないヒンドゥー教徒。
それで、それらすべての間に、 常に葛藤が、あります。
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そうね、ここに関与した、 複雑な問いが、もう一つあります。
なぜ私たちは、理想を 持っていますか。
共産主義世界全体は、
マルクス、スターリンなど、 レーニンの理論的仮説に、
基づいています。
彼らは、彼らの神々です。
彼らは、彼らが言ってきた ことを、信じています -
キリスト教徒が、バイブルが言うことを 信じているように、または、コーランや、
ギーターやウパニシャッドや、他の 何かをもった、あなたたちのように、です。
あなたたちはみんな、書物が 言うことを、吸収しています。
が、あなたはけっして、自分自身で 全部のことを、問いません。
なぜなら、あなたは、問い、疑った瞬間、
自分自身に頼らなくてはいけないから です。ゆえに、あなたは怯えています。
53:09
ゆえに、何か幻影のものに、 信を持つほうが、はるかに良い
- 何か、本当に、実際に 存在しないものに、ですが、
あなたが、自分自身で知るのなら、私は 自分の生を、理解しなくてはいけません。
私は、自分の生に 大きな革命をもたらすことが、
可能であるのかどうかを、 見なくてはいけません。
そのとき、あなたは そこから、出発します。
しかし、あなたは、何かへ 信を持っているなら、
あなたは、とてつもない 幻影の世界に、生きています。
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あなたたちは、たくさんの 疑問を、持っていますね。
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第七の質問: 「人間意識が、一つであるなら、
一人の人物が幸せであり、他の人が、 不幸せであるのは、どうしてですか。
またあなたは、思考は 「私」であると、言われます。
どうぞ、私に、どうしてかを 示してください」。
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「人間意識が、 一つであるなら、
一人の人物が幸せであり、他の人が、 不幸せであるのは、どうしてですか。
またあなたは、思考は 「私」であると、言われます。
どうぞ、私に、どうしてかを 示してください」。
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あなたは、幸せですか。
なぜ、他の一人は、 不幸せですか。
あなたは、お金持ちに 生まれます。
あなたの祖父と祖父母たちが、あなたに、 工場や稼業を、残してくれました。
あなたは、それで 全く幸せです。
そして、もう一人は、小さな村に 生まれて、教育を受けていない。
来る日も来る日も、一切れの土地で、 あくせくやっています。
それは、この部屋の広さや、 このホールの広さの半分です。
そこで働き、わずかな実入りで 生活していて、彼は不幸せです。
彼は、幸せや、 不幸せについて、知りません。
彼は、働きづめに 働いています。
幸せは、境遇に、または 仕事に、依存しますか -
あなたが していることに、
または、何かをする中での あなたの満足に、ですか。
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あなたは何を、幸せと呼びますか。 あなたは何を、不幸せと呼びますか。
幸せは、あなたが満足している とき、そう言われます -
私は、何かをすることに満足していて、 それについて、とても幸せだと感じます。
私は、何かをすることに、 満足していません。
そして、私は、それについて、 とても不幸せです。
満足は、幸せと 同義語ですか。
私は、継続的に、満足を 探し求めていますか。
それは、私がいつの時も、満悦を 探し求めている、という意味です
- そして、私は、 幸せになるだろう、と。
または、幸せは、何か 来ては去るものですか。
それは、副産物です。それは、 あまり重要ではありません。
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また、質問者は、 訊ねます -
思考は、「私」である。
どうしてかを、私に示してくれ、と。
どうしてかを、自分に示してくれ、 というのは、どういう意味ですか。
テレビの画面に、ですか。
または、図表を 作りますか。
または、あなたに、 言語的に示しますか。
すなわち、思考は「私」であると、 語り手が説明するなら、
あなたは、それを 知的に受け入れる。
あなたは、それを 理解するのでしょうか。
語り手は、説明するでしょう。
すなわち、彼は叙述するでしょう。
彼は、一歩一歩、 説明するでしょう。
あなたは、それの真理を、 見るのでしょうか。
または、「いや、それは自己ではない。
自己は、 何かはるかに優ったものだ」と、言いますか
- 「それは、神聖だ。それは アートマンだ。それは、他の何かだ」と。
58:58
で、あなたは説明を、どう 受け取るのでしょうか。
説明、叙述、言葉は、そのものでは ないのを、 知って、です。
ですね?
窓 - 「窓」いう言葉は、 実際の窓ではありません。
ですね?
私は、山の絵を描けますが、その絵は、 実際の山ではありません。
ですね?
で、私たちはともに、これに入られます。
私はあなたに、それを示せません。
私はそれを、画面、 テレビに、映して、
それをあなたに示せません - それはそこにある、と。
しかし、私たちが、ともに究明できるなら - あなたが進んでそうするなら、です -
あなたが、それに退屈しているなら、 だいじょうぶ。それに退屈していてください。
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で、ともに 見出しましょう。
あなたとは、何ですか。
あなたが本当に率直で、 真剣であるなら、
その問いが、あなたに出されるとき、 あなたは、何ですか。
あなたは、あなたの名前 ではないですか。
あなたは、あなたの顔、あなたの目、 あなたの鼻、あなたの髪の毛、
などではないですか - 物理的に、です。
あなたは、怒りではないですか。
あなたは、貪欲ではないですか。
または、貪欲は、 あなたより、分離していますか。
心配があるとき、あなたは、 その心配ではないですか。
あなたが 苦しんでいるとき -
自分の妻、夫、子どもや、祖母 などを失うとき、苦しんでいます。
あなたは、 苦しんでいませんか。
その苦しみは、何かあなたより 分離したものですか。
あなたは、それら ではないですか。
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または、あなたは考えますか - 自分は それらより分離していると、考えますか。
よろしいですか。
あなたは、 それらより、分離していますか。
あなたは、あなたの怒り、嫉妬より、 あなたの銀行口座より、分離していますか。
あなたは、あなたの 銀行口座なのでしょう。
または、私が、あなたの 銀行口座を、取ってしまうなら、
あなたは、「それは 私ではない」と、言います。
あなたは、そう仰るのでしょうか。
「あなたは、私の銀行口座を取ってもいい。
なぜなら、それは私ではないから」と。
もしも私が、あなたの銀行口座を取ったなら、 あなたは、何と遠吠えするでしょうか。
で、あなたは、あなたの銀行口座です。
あなたは、あなたの家具です。
あなたは、あなたの住宅、あなたの保険、 あなたの抵当権、あなたの金銭です。
しかし、あなたが、 「私は、それらではない。
私の中に、これらを見守っている 何かが、ある」と言うなら、
それは、事実ですか。
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または、あなたが、それを 考案したのですか。
多くの人々は、超超意識がある、と 言います - これらの意識の上に、です。
すなわち、それは、思考により 創案されていませんか。
あなたの銀行口座は - 硬貨ではなく、紙幣ではない。
そのすべては、 思考の結果ではないですか。
あなたの妻、夫への あなたの認識 -
それは、思考では ないですか。
で、あなたは、過去の記憶すべて、 過去の伝統すべてではないですか
- ヒンドゥー教徒として、ブラーフミン (バラモン)、非ブラーフミンとして、
そのすべての事柄。
あなたは、それらではないですか。
もちろん、あなたは、 そうです。
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で、あなたは、 過去である知識です。
あなたは、記憶に 他なりません。
あなたは、それを受け入れるでしょうか。
もちろん、受け入れないでしょう。
あなたは、 そうではないですか。
もしも、あなたの記憶すべてが、 取り去られたなら、あなたは何ですか。
あなたは、植物状態に なるでしょう。
で、あなたの記憶は、いつも過去ですが、 それが、あなたなるものです。
ヒンドゥー教徒として、パーシー教徒として、 イスラム教徒などとしての、あなたの伝統、
それは、長年の宣伝、 長年の伝統の結果です
- それは、 思考の活動です。
で、あなたは、思考です。
あなたがまったく考えないなら、 あなたは何ですか。
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で、あなたは、 過去の内容全体です。
その過去は、現在において、 自体を修正していて、
未来として 継続します。
で、あなたは、 過去、現在、未来です。
あなたに、すべての時が、 収容されています。
ああ、あなたは、これらを 理解されません。
そして、自己、「私」、 私の名前、私の性質、私の達成、
私の野心、私の痛み、 私の悲しみは、すべて過去です。
それで、自己は、 過去の本質です。
すなわち、 記憶、知識の、です。
ゆえに、自己は、きわめて、 きわめて制限されています。
そういうわけで、自己は、世の中でこうも 多くの過ちを、引き起こしているのです。
1:07:22
各々の自己が、それ自体のために、 頑張っています。
あなたは、あなた自身の 自己のために、頑張っています。
そうでないですか。
もしも、あなたが 正直であり、これが明らかに見えたなら、
あなたは、自分自身のために 頑張っていませんか。
あなたの野心、あなたの達成、 あなたの充足、あなたの満足。
で、思考は、 あなたです。
思考は、制限されています。
なぜなら、 すべての知識は、制限されているからです。
ゆえに、あなたの自己は、最も 制限されたものなのです。
ゆえに、あなたが、甚大な悲しみ、 甚大な葛藤を、引き起こしています。
なぜなら、自己は、分離的、 分割的であるからです。
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それで、みなさま、語り手は、説明して きました。説明は、事実ではありません。
事実は、あなたがこれを、 自分自身で見ることです、
あなたが自分自身で、これを見て、「私は 自分の進み方が、好きだ」と言うなら、
完璧に だいじょうぶです。
しかし、あなたが、自分が世界に荒廃を 創り出していることを、自分自身で知り、
あなたが、そのようで生きるのを、 好むなら、ご幸運を祈ります。
しかし、「それは、生きる道ではない」と 言う人が、幾らか、いるかもしれません
- 「自らは、地球的な頭脳を もって生きなければならない。
何も分割なく、何も民族性なく、 何も自己なく」と。
それを、 或る種の高まった啓明、
わずかな人だけが到られるものに、 しないでください。
自分の頭脳と心を 据える誰もが
- 自己の本性を理解し、
その自己より 自由であるように、です。
誰もが、それをできます - 彼らが 自らの精神を注ぐなら、です。
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よろしいですね。
私は、もう一つ、質問に答えてもいい ですか。
その後、私たちは止めるでしょう。
10時です。
たぶんあなたたちは、自分の仕事とその他 すべてへ、行かなくてはいけないでしょう。
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10時まで10分。10時10分ね。すみません。 もう一つの質問。それで、終わりです。
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ああ、私は、この質問に 答えました。
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第八の質問: 「もし世界の偉大な宗教が、
宗教でないなら、 宗教とは何ですか」。
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ですね? それが、問いです。
それは、はっきりと 印刷されていません。
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「もし世界の偉大な宗教が、 真の宗教でないなら、
真の宗教とは、何ですか」。
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なぜあなたは、「もし偉大な宗教が、 真の宗教でないなら」と、言いますか。
なぜあなたは、 「もし」と言いますか。
それらは、宗教ですか。
あなたが、その問いに、 答えてください。
みなさんは、たぶん 寺院へ行きますね。
みなさんが、結婚式と供養、 その他すべてを、行ってきました。
それらは、宗教ですか。
偉大な宗教 - キリスト教、 イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、
それらは、宗教ですか。
すなわち、彼らの儀式、 彼らの位階制度、
彼らの信仰、信念、
彼らが寺院へ行くことと、 巨額のお金を差し出すこと
- 手によってか、精神によって 作られた何かのものに対して、です。
それが神と呼ばれます - そのすべてが、宗教ですか。
1:12:48
あなたは、それを 宗教として、受け入れます。
しかし、あなたが、 問い、疑うなら、
あなたは、 訊ねはじめます。
明白に、これらの物事は、すべて 思考により、組み立てられています。
ですね?
バイブル、コーランと、 あなた自身のいわゆる宗教書、
それらはすべて、思考により 記されています。
それらは、神聖な 啓示ではありません。
それらは、神の口から 直に来ていません。
あなたたちが、そう 考えたいのは、存じています。
しかし、思考が、作動して、 一枚の紙に、記してきました。
そのときあなたは、それを、何かとてつも なく神聖なものとして、受け入れます。
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1:13:51
で、あなたは、それらを 払い除けるなら -
それは、懐疑を、必要とします。
観察するための自由の感覚を、
恐れからの自由を、です。
恐れから、 全的に、です。
そのときあなたは、宗教が何で あるかを、自分自身で見出せます。
すなわち、何か神聖な ものが、ありますか -
思考により創案されていない、言葉に より測量されていないのが、です。
何か、測量不可能であり、 時がないものが、ありますか。
これは、古代の時より、 問いであったのです。
古代のエジプト人、 ギリシャ人、
すべての偉大な過去の文明は、 この問いを、訊ねてきました。
このすべてを越えたものが、 何か、ありますか -
思考が創案してこなかった、 思考が触れてこなかったものが、です。
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なぜなら、思考は、 測量されうるからです。
思考は、 物質的な過程です。
それが何を創案しようとも、 神聖ではありません。
で、それを見出すには、
頭脳は、その内容より、全面的に 自由でなければなりません
- 恐れより、 心配より、
ひどいさびしさの感覚より、 死より、です。
そのときだけ、あなたは、 見出すでしょう -
真理が何であるか、最高の形の 宗教が、何であるかを、です。
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