BR80CJLD - 真剣であるとは、どういうことか

ジャン=ルイ・ドゥウェズとの会話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1980年10月6日
テキストのみのバージョン
|
0:21
ジャン=ルイ・ドゥウェズ: クリシュナムルティさん、
私たちはともに、二回の 対話を、行おうとしています。
それが、やりがいのある ものに、なるのを、望みます。
たぶん私たちは、二回の間に 何か継続性を、持てるでしょう。
そうするために、私は、一番広い主題を 取り上げようと、念頭に置いています。
それが、他のすべてを、 収容するかもしれません。
私たちは、生きること、生の問題を、 念頭に保てたなら、と、私は望みます。
それは、あらゆる物事を 包含します。
そしてこれにより、私たちは、自らが 本当に向き合っている問題に、
言及できるかも しれませんが、
私たちが、出発する前に、
私たちが、真剣さの問いへ、少し 入られることを、私は望みます
明白に、私たちは、この問いに 向き合っています -
なぜ私たちは、自分がすることをするのかと、 私たちは、どれほど真剣であるのか、です。
結局のところ、あらゆる人が、生きる ことについて、話してきました。
|
|
1:22
クリシュナムルティ: はい、話してきました。
|
|
1:25
D: 見たところ、真剣さには、 色々な見方が、あります。
例えば、誰かは、こう 言うかもしれません -
「まあ、私は、真剣で 理性的な人物です。
私は、このお方に 聞こうとしている
- この人物が、 どんな哲学の流派に、
所属するかを、 発見するためだ」と。
これは、真剣な接近と 考えられるかもしれません。
もう一つの接近は、 こうかもしれません -
「まあ、私は長い間、 クリシュナムルティを知ってきた。
私は、彼の本を 読んできたし、
私は、自分のクリシュナムルティへの 理解を、深めようとしている」と。
これらの接近はどちらも、真剣だと 考えられるかもしれません。
しかし、これは最終的に、本当に、 あなたが語ってこられた真剣さですか。
それが、私たちに 必要なものですか。
で、生きるという真の意味に おいて、真剣さは何ですか。
|
|
2:27
K: あなたは、 お訊きになります
- 真剣であるとは、 どういうことですか、と。
私たちは、そこにはユーモアが なければならないと、
言えると、 私は思います。
浮かぬ顔、萎れた顔で、 ではない。
何のユーモアの感覚もなく、 何の笑いもなく、
いつも、悲しげな、 涙ぐんだ顔で、
むしろ、抽象概念に、関心を 持っているのではない。
一般的には それが・
・・
もしあなたが、本当に 真剣でありたいのなら、
自らは、これらすべてを持たなくては いけません - 笑い、ユーモアを、です。
そしてまた、一定の性質を、 持たなくてはいけません -
アプロフォンディール、物事に 真剣に、深く入ることの、です。
|
|
3:53
D: はい、一般的な 質問を、するとき
- 例えば、生きることの 問題ですが -
私たちは、すべての知的な 省察が、浮かんでくるのが、
容易に見られます。
それで、個人は、真剣 であると、考えられます。
この議論は、何かを変化 させようとしていますか。
観念がすてきであり、うまく 構成されているから、
私たちは、それを 行っていますか。
または、それらは、何かに 挑戦しようとしていますか。
|
|
4:36
K: 私たちが、真剣さについて、 話しているとき、
それは、生の全体に、 関連しています。
それは、一定の、より広い 次元の感覚を、必要とします -
単に、博学であり、 たくさん読書をしてきた、
自己をきわめて明らかに表現できる だけではない精神を、です。
そのすべては、 的外れです。
真剣である精神の 性質とは、何ですか。
それが、あなたがお訊きになっている ことですか。
|
|
5:32
D: はい、そうです。
K: 私は本当に、それについて 考えませんでした。
自らは、自然に、努力なく、 楽の感覚をもって、
真剣であると、 私は思います -
あなたが、この世界に 直面しているとき、です。
そこは、退廃しつつあります。
腐敗しています。
放縦が許されていて ・
・・それらです。
あなたは、それらに向き合うとき、 それであなたは、泣くのか、
または、あなたは、なかなか、 どうしようもありません。
またはあなたは、問題の幾つかを、 解消するよう、真剣になったのです。
|
|
6:17
D: 私たちが、例えば自分の 家族の中、私たちのまわりと、
私たちの中に、持っている 問題の中で、
私は、この生きる問題について、 話したいと思います。
なぜなら、若者も、 さほど若くなくても、
或る人物が、他の人々を見つめる なら、彼は何を見ますか -
彼が、生きることの問題に ついて、考えているとき、です。
彼は、一般的に、 老化の過程を、見ます。
問題が、もっと 悪くなっていくのを、です
- 私は、身体的な老化について だけ、話していません -
お国には、「老いることは難破に 似ている」と言う言葉が、あります。
たぶん、身体的に、 だけではありません。
人々が、ますます自己閉鎖的に なりつつあるのが、見られます。
7:19
人々が成人する前に、または、 彼らが二十代に到るまで、
幾らか開花が起きるとの 印象を、受けますが、
それから、死へ、緩やかな下降、 萎むことが、あります -
安心な閉鎖された所を、 狭まった関係を、または、
いつも、同じ種類の 関係を、探すことが、です。
心に思いつく 初めのことは、
生きている間に、老いていく ことが、いかに辛いのか、です。
|
|
7:56
K: それが、 問題ですか。
それは、本当の、世界で 起きつつあることですか。
フランスにおいて、だけではなく、 世界中で、それが・
・・
私たちは、一定の年齢に到ります。
二十、三十、四十、と。
そのとき、緩やかな衰退と、 死が、あります。
なぜ、これが 起きるべきですか。
なぜ、精神は、 衰退すべきですか。
老いるについて、 老衰し、惚けるのか。
それが、あなたが訊いておられる ことですか。
|
|
8:42
D: はい。
K: それは、 私たちが、いわゆる教育へ、
ものすごい重要性を 与えると、いうことですか
- それが、まさに始まりから、 精神を条件づけるのです。
理解されますか。
|
|
9:02
D: はい。ちょうど仰った ことを、理解します。
|
|
9:05
K: それが、 問題の一つですか。
生きていて、新鮮で、 若い精神は、
枠組みの中へ、 入れられます。
それは、一定の教科、 一定の観念などを、
学ばなくてはいけません - 生計を立てるために、です。
D: はい、それは 分かりますが、
その表現方法について、 私が悩むのは、
それは、教師たちだけが それに責任がある、との印象を、
与えかねない、 ということです。
実は、自らは、こういう 印象の下に、あります
- 精神は、それら自体、 自己閉鎖的であるのだ、と。
|
|
9:56
K: 私はそれに、来ようとしています。 私はそれに、来ようとしています。
私は 訊ねています -
精神において、 閉鎖するのは、教育ですか。
それは、生についての、無数の 概念と観念と理想ですか。
哲学者などが、もたらした 無数の理論ですか。
または、それは 宗教も、ですか、
これらすべてが、精神を そうする要因ですか
- 若いとき、新鮮で 生きているものを、
次第に、閉鎖させ、 狭めてしまうものですか。
精神を、狭めてしまう このこと -
それが、老衰、惚けの 始まりですか。
|
|
11:01
D: はい。どの場合にも、 それは、葛藤をもたらします。
私たちは、人々が 苦しんでいるのを、見ます -
個人的な友だちが、自らの狭い 牢獄の中で、苦しんでいるのを、です。
|
|
11:12
K: 狭い。そうです。
|
|
11:16
D: 私たちは、彼ら自身が時々、それを、 築いていることを、見られます。
例えば、彼らは、 誰かと、喧嘩をします。
それから、この人物は絶対、 悪いと、憶えつづけます -
彼が、自分たちに 何かをしたのだ、と。
これらの壁により、 彼らは、苦しみます。
彼らは、自分の子どもと喧嘩をし、 自分の生から、彼らを閉め出します。
精神は、ますます 立て籠もりつづけます
- 自らの苦しみの 反復の中に、です。
|
|
11:43
K: そうです。 それですか。
常なる反復、 オフィスへ行くこと、
セックスの反復、
様々な思考の習慣の反復。
反復し、反復する。
それで、 精神は、機械的になるのです。
それが、あなたが 仰っていることですか。
|
|
12:14
D: はい。そうであるのか どうかを、私は知りません。
なぜ、この反復ですか。
|
|
12:21
K: それは明白に、答えることは、 きわめて単純です。
なぜ人間は、世界中で、
テクノロジー的に、 とてつもない能力をもち
彼らはいつも、新しいもの、 新しい発明を、考えています -
テクノロジーの問題の 新しい解決法を、ですが、
それが、人間関係と なるとき、
それが、人間精神と なるとき、
それは、反復の溝に 陥ります。
なぜなら、反復には 安全が、あるからです
- 自分は、 安心を感じます。
|
|
13:09
D: この頃、 私たちは、人々が、
例えば、職や他の何かを 失うのを、見ます。
時々、彼らの専門職の経歴の 後になって、です。
彼らは、途方に 暮れてしまっています
- 新しい職業を学ぶ、自分の 環境を変化させる問題、
彼らが、自分自身について 持ちつづけたイメージを
失ってしまう問題を、 もって、です。
彼らが、自分自身について、 ずっと持ってきたイメージを、です。
|
|
13:38
K: はい。それが、 起きつつあることです。
彼らは、一つの職、一つの経歴から 別のへ、変更しつつありますが、
それは、 外的な変化です。
しかし、内的に、 心理的に、
彼らは、多かれ少なかれ、同じに 留まります。
修正されますが、
それは、同じ様式が、何度も 何度も、反復されています。
なぜ - それが、 本当の問いです -
なぜ人間は、心理的に、いわば 肌の内側で始めて・
・・
なぜ彼らは、深く深遠に、自分自身を 変容させてこなかったのたか。
|
|
14:34
D: 一般的に、私たちは、 それは可能でないと、考えます。
|
|
14:38
K: ああ、そうです。 そうなんです。
こう言う、すべての 人々が、いるんですね -
人間の条件を 受け入れろ。
あなたはそれを 変化させられない。
あなたは、それを修正できる。
あなたは、それを装飾できるが、
本質的に、人間の条件は、 変化させられない、と。
D: 私たちは一般的に、
|
|
15:00
自分たちが道徳的な理想により 訓練することを、受け入れます
- 私たちは、一定の年齢まで 子どもたちを、訓練します。
それから、私たちは こう言います -
「彼は、これこれの欠陥、 これこれの性質を、持っている。
生涯、それでおしまいだ」と。
|
|
15:14
K: はい、そうです。
D: 彼は、訓練されます。
それで、おしまいです。
生には、二つの異なった 段階が、あります -
余生の間、自分の欠陥と 性質をもって、出発します。
あなたは、それらで、おしまいです。
あなたは、変化しないでしょう。
K: いいえ、私たちは、それを 問うています。
|
|
15:28
D: はい。
K: 私たちは、言っています - なぜ 私たちは、それを受け入れますか。
なぜ私たちは、 人間の条件は、けっして、
根本的に変化させられないと、 言いますか。
それは、人類がまったく変化して こなかったからですか。
数百万年の間、 人間たちは、
恐れ、葛藤、心配、 悲しみ、さびしさ、
そのすべての状態に、 留まってきました。
ゆえに、あなたは・
・・彼らは、 そのように生きてきたから、
私たちは、それは 人間の条件である、
あなたはそれを 変化させられない、と言います。
その基礎の上に、多くの哲学が、 設立されています。
16:26
すべての、本を書いている 人々が、いますが、
彼らは、こう言います・
・・ その他すべてを、ご存じです。
で、あなたは、こうお訊きに なっていますか。
人間精神は、
こうも長く進化してきました - 時をとおして、
様々な影響と 経験をとおして、
ごく幼い子どもから、 青年期へ、
職を求め、家族、 セックス、子ども、
そして、次第に 衰退する。
あなたは、お訊きに なっていますか -
人間精神は、それを 宣告されているのかどうか、と。
|
|
17:15
D: はい。これは、とにかく、 多くの人々が考えることです。
自分が老いるとき、それが 生み出す損害が、見られます。
私は、例えば、人々が一定の年齢から こう言うのを、知っています -
「私は、人の邪なさまを、存分に 見てきたので、もう私は・
・・」と。
彼らは、冷笑的に なります。
彼らは、欺瞞の経験すべてを、蓄積 してきましたし、彼らは・・・・
|
|
17:44
K: 私は理解しましたが、 そうなのですか。
もし私たちが、 人間の魂、人間の精神は、
けっして自体を変容できない ことを、受け入れるのなら、
私たちはいつも、牢獄の 中に、生きるでしょう
- それは、ひどい概念、 ひどい感情です。
|
|
18:09
D: さらに一層、 ひどいことは、
それが、私たちの起源の、 私たちの育ちの、危うさの上に、
築かれている 牢獄であることです -
もしも、私たちが問題を 持っていたなら、または、
もしも私たちが、特権を 与えられていた等なら、です。
この牢獄は、私たちによって、 創り出されてさえいません。それは・・・
|
|
18:24
K: はい、はい、 そうです。
|
|
18:26
D: これもまた、 一つの矛盾です。
|
|
18:31
K: で、それを 見つめてください。
私たちには、物理的な 革命が、あったのです。
共産主義。
その前には、 フランス革命。
私たちには、あらゆる種類の 革命が、あったのです
- 観念、概念、理論に 基づいて、です。
それはすべて、階層を変化させる ことに、終わります。
ですね?
しかし、人はけっして、 訊ねたことが、ありません
- 彼らがそうしたのか どうか、私は知りません。
それは、強すぎる発言 なのかもしれません -
人はけっして、探究した ことが、ありません -
人間の本性を、人間の心理的な 構造を、全的に変化させることが、
可能であるのか どうかを、です。
よろしいですか。
|
|
19:42
D: はい、はい。
D: 革命家たち、特に、 マルクス主義者は、
社会を変化させるなら、 人の根源的な構造が、
変化させられるだろうと、 考えます。
|
|
19:49
K: はい。
|
|
19:50
D: 牢獄、環境を変化させる ことが、必要だ、と。
|
|
19:55
K: はい。環境を変化させろ、と。 しかし、それは、そのとき・・・
彼らは、そうしたことが、 ありません。
|
|
20:02
D: はい。
|
20:09
K: そして、 宗教的な人々・・・
共産主義者、 ファシスト、
それらすべての社会主義者 など、ですが、
彼らは外に、関心を 持っているだけです。
ですね?
社会の外の構造、 仕事に、です。
それがたとえ・
・・ それらは、ご存じです。
そして、宗教的な人たち、西洋の 宗教は、こう言ってきました -
あなたはこの世界に、完成を持てない。
次の世において、だけだ、と。
で、それが、もう一つの 障壁であったのです。
天の王国、それらを ご存じです。
そして、アジアの見通し 全体が、あります -
すなわち、世界は、いつも あのようであるだろう。
いつも、時々、良くて、 時々、悪いだろう。
時々、戦争がない、 などだが、
それが、 世界の状態である。
だから、自分は、それを離れなければ、 それから逃れなければならない、と。
キリスト教の修道士と、アジアの人々は そうします - 彼らの幾らかは、です。
21:42
あなたは、世界を 変化させられない。
それは、本来的に 破壊的であり、
本来的に、退廃の性質を 持っている。
だから、それを 離れなさい。
僧院、修道院へ入ってしまうか、 孤独になってしまいなさい、と。
宗教的な態度全体を、 ご存じです。
で、そうね、
またもや、私たちは、 根源的な問いに、戻ってきます。
人の頭脳、人の精神と心は、 幾千年をとおして、
多かれ少なかれ、同じに 留まってきました。
ですね?
D: はい。
K: それは、 回避不可能ですか。
|
|
23:00
D: 私たちが、人は同じに留まると 言うとき、それは、本当は、
個人にとって、彼が全く同じで いつづけるだけではなく、
彼は、破壊、傷を蓄積し つづけるだろう、という意味です。
そして、生は、たいてい、 苦悶に終わってしまいます。
|
|
23:25
K: で、今あるような 状況を与えられて
- 今あるように、完全な放縦への 許可が、あります。
ですね?
人間の生への 全的な軽視です。
そして、この、戦争の 脅威が、いつの時も、です。
その状況を 与えられて、
そしてまた、それに加えて、 分離的な狭い宗教精神も、ですが、
その状況を与えられて、 私たちは、何をするのでしょうか。
それが、本当の 問題なのでしょう。
過剰な人口、 諸民族、国家の分割、
人種の分割、ますます 多くの部族主義、です。
D: そして、家族の分割・・・
|
|
24:28
K: 家族、そうです。
|
|
24:29
D: 一つの家族は、通りの向こうの 別の家族と、喧嘩をしています。
|
|
24:31
K: そうです。離婚。 D: はい、離婚、はい。
|
|
24:35
K: 存在する すべてです。
|
|
24:38
さて、あなたは、それを軽薄に 見つめるのか - すなわち、ふざけて、か、
あるいは、「それについては、何も できないよ」と言うのか、です。
そして、私は、それに 加わるでしょう。
または、あなたは、 全部を、問いはじめます。
あなたは、すべての 宗教的な信仰、
キリスト教、宗教的な 世界全体を、問いはじめます。
あなたは、問い、 疑いはじめます。
|
|
25:20
D: そして、私は 自分自身に、質問します -
私はすでに、その滑りやすい斜面に いるのではないか、と。つまり・・・
|
|
25:28
K: あなたが仰るそれは、 どういう意味ですか。
|
|
25:29
D: まあ、私がいうのは、 ほとんどすべての人が、
このように年老いていくのが、 見られる、って意味ですね。
私は現在、このように、 年老いていきますか。
|
|
25:36
K: ああ、そうです。 そうです。
私は、 民族主義者ですか。
私は、ヒンドゥー教徒、仏教徒、 イスラム教徒やキリスト教徒ですか。
もし私が、それらすべてを捨てられる なら、そのとき、私は何ですか。
私は、恐れています。
私は、恐れています ・
・・何かでない・・・
私は、一人で立つのを、 恐れています。
人間たちは、誰かに依存したいと、 渇望します。
ですね?
それが、自分の妻でも、 自分の観念でも、
教皇にでも、宗教的な 象徴にでも、ですが、
自分は、いつも 要求しています -
自分が、常なる依存の状態に なければならないのだ、と。
|
|
26:43
D: で、精神は、どうすれば - 私は自分自身に、例えば、
私は民族主義者ではないと、 ちゃんと言えますし、
私はそうでないと、確信もできます。
それを悟ることなしに、ですが、
精神はどうすれば、自らが老いる 過程に、あるのかないのかを、
見られるのか、です - 蓄積し、 退廃するそれに、です。
精神はどうすれば、私たちが見る この過程から、抜け出せますか。
|
|
27:19
K: その過程、私たちが 生きているさまは、
あなたがそれに、 事実として向き合うのか、
あるいは、あなたは、見えるもの から、抽象し、概念にするのか。
それから、その概念に 対して、働くのか、です。
理解されますか。
私たちは、どちらを しますか。
例えば、私が暴力的であるなら - ほとんどの人間は、そうです -
自分が暴力的であるなら、 それは、事実です。
事実を、取り扱って ください。
暴力を持たないとの 観念、概念を、ではない。
これらを理解されますね。 もちろんです。
28:24
D: はい。
私は、あなたが、何か非暴力について仰った ことを、読んだのを、憶えています。
その時に、あなたがこう仰った とき、私は、衝撃を受けました -
暴力と非暴力は、どちらも 二つの観念である、と。
なぜなら、世界に暴力を 見るとき、私たちは、
「私は、非暴力の運動に、加わろう」 と、言いがちであるからです。
そして、実際には、 それもまた、罠です。
なぜなら、私たちは、自分たちが 非暴力的であると、考えますが、
そうすることにより、私たちは やはり、暴力的であるからです。
|
|
28:54
K: はい、そうです。
|
|
28:55
D: 自分は、暴力的に 非暴力的です。 K: はい。
|
|
29:03
K: そうね、
いつも、この傾向や 事実が、ありますね。
暴力・
非暴力、
貪欲・
無貪欲、 残酷・親切。
いつも、この対極の 回廊が、あります。
ですね?
|
|
29:30
D: いつも、 物事に、言葉で名づけます。
|
|
29:32
K: はい、そうです。
しかし、対極は、存在していません。 ただ有るものだけが、存在します。
|
|
29:55
D: そうね、生きることの 問題に、戻りますと、
私たちが注目してきたことの一つは、 この問題を、私たちが持つとき・
・・
先の生について話す 言い方が、ありますが、
この文章に、私は 熟考させられます。
なぜなら、私たちはいつも、 私たちの生が、私たちの前にある、
との印象を 持っているからです。
が、私たちがそう言うとき、同時に 私たちは、恐れを創り出します -
特定の恐れを、ではなく、時に 関係した一種の心配を、です。
|
30:34
K: はい。
あなたが、そのような 質問を、なさるとき、
生は・
・・
D: はい。つまり、
私たちが生の中で向き合う 問題すべての中で、
精神は、生を、自分自身の先に 置きがちだと、いうんです。
|
|
31:01
K: 自分自身の前に、ね。
|
|
31:03
D: これは、私たちの問題の一部 でないですか。 K: そうね、
|
|
31:04
あなたが、「私の前の生」 と仰るとき、
それは、何を 含意していますか。
それは、未来を 含意しています。
私が、ひどいと 見る未来 -
すべての暴力、騒音、残忍さを ともなって、です。
それで、「私の前の生」と 言うことにより、
私はすでに、私自身に、恐れの 感覚を、創り出したのです。
|
|
31:46
D: そのとき私は、仕事を 見つけるのでしょうか。
|
|
31:49
私は、どんな種類の仕事を、するので しょうか。 K: はい、そうです。
|
|
31:50
D: 私は、子どもを、夫を、 妻、等を、持つのでしょうか。
そして自分は、生を、今ある ように、受け入れがちです。
まるで、それは何か考えるべきことで あるかのように、見つめます。
そして、私は、そうでないかと 思い惑っていましたが・・・
|
|
32:09
K: ですが、自分は - 私の未来は何か、ではなく -
自分は、このすべての 意味は、何であるか、
生きるとは、何であるかを、 問うべきではないですか。
自分は、訊ねるべきではないですか - 生きるとは、何を意味しているのか、と。
|
|
32:37
D: 自分はいつも、 この問いに、何かをするとか、
何かを実現するとかいうことに 立って、答えがちです。
|
|
32:44
K: ですが、生はまた、 行為です。ですね?
生はまた、関係です。
生はまた、生計を 立てることです。
生はまた、体操、歩くことをも 意味しています。
それらです。
生は、人間たちが今していること すべてを、意味しています。
それが、生です。
彼らの恐怖、彼らの心配、 彼らのさびしさ、
彼らの絶望、憂鬱。 そのすべてが、彼らの生です。
|
|
33:25
D: で、最終的に、 私の問いは、こうです。
この生への見つめ方は - 生の一部を、ではなくて、
それを、ちょっと、「私の未来は何か」と 言う観察者のように、見ることですが -
それもまた、精神の、この漸進的な 衰退の原因の一つではないですか。
|
|
33:43
K: はい、はい。
|
|
33:57
D: 自分がこれを 観察するとき・・・
|
|
34:02
K: しかし、あなたは、 生を、どう観察しますか。
イラクとイランでは、 戦争が、進みつつあります。
パリで、ローマで、爆破が、 あります。
至るところで、です。
テロリストたち、です。
民族的な分割、 宗教的な分割が、あります -
生への階層的な 接近です。
宗教的な世界にも、 物理的な世界にも、です。
さて、あなたは、これらを どう見つめますか。
あなたは、それを どう観察しますか。
外部者として、
まるで、あなたが、その一部 ではないかのように、ですか。
または、あなたは、 あれです!
私が言いたいことを、 理解されますか。
あなたは、どう・
・・自分は これらを、どう見つめますか。
それは、重要な問いだと、 私は思います。
あなたが、それを、何か自分の 外側のものとして、眺めるなら
- すなわち、人間たちが、あれを 創り出してきたのだ、と。
そして、あなた自身は、この世界の 人間存在、一部分であるので、
あなたもまた、 あれなのです。
D: ええ、ふつう 自分は、こう言います -
|
|
35:39
「あのように闘うとは、 彼らは、狂っている」等と。
|
|
35:43
K: はい、はい。 ですが・・・
|
|
35:45
D: 私たちは、外側からのように、 彼らを、見ます - 闘う理由はない、と。
私たちは、関与していると 感じません。
|
|
35:55
K: ですが、本当の主題に 戻りますと、
世界は、私より 異なっていますか -
あなたより、 他の一人より、です。
そこに不正義、残酷さ、戦争、 暴力があるところの世界 -
あれは、私たちの一人一人 より、異なっていますか。
|
|
36:19
D: こう仰るつもりですか - 世界の諸々の性質は、
人の諸々の性質と欠陥より、 異なっているのか、と、
|
|
36:25
K: そうです。
私たちは、「あれは私ではない」 と、言ってきましたが、
私たちは、 あれなのです!
|
|
36:31
D: 私たちは、暴力は 私のではないと、言います。
|
|
36:34
K: はい、そうです。
で、人間たちは、この社会を 構築してきました -
すべてのその不条理と残酷と ともに、です。
そして、人間たちが、 社会です。
彼らが、それを産出してきたなら、 彼らは、それです。
そして、この動きを 観察する -
眼でもって - すなわち、私の眼です。
他の誰かの眼ではない。
それが明らかになりつつ あるのかどうか、私は知りません。
あの世界は、私です。
なぜなら、私が、それに寄与して きたからです。
私は、暴力的です。
私は、ある種の宗教的な人物像に、 信仰を持っています -
それは、分割します。
私は、反ユダヤや、 これ贔屓です。
で、私は、世界です。
これは、私たちが向き合わない 基本的な真理であると、私は思います。
37:57
私たちは、こう考えます - 世界は・・・
あちらで起きつつあることは、 私より異なっている、と。
私は、自分の妻と、喧嘩をします - 妻を持っているなら、です。
私は叩きます。
私は怒ります。 私は暴力的です。私は妬みます。
私は、 そのすべてです。
私はそれを、世界として、拡張 してきました - 世界に、です。
で、世界は、私です。
私たちはそれを、そのように 見つめられますか。
私たちは、世界を、 観察できますか -
あちらで進んでいる ことを、実際に、です。
それから、内側で進んで いることを、観察する。
それらは、 どちらも・
・・
一つは、極端ですが、 私もまた、あれの一部です。
|
|
38:52
D: 私はそれを、さほど 容易に見ません。
例えば、二つの国の間の 戦争において、です。
が、自分の家族の誰かが、離婚で 苦しんでいるのを、見るとき、
そして、子どもについての 彼らの喧嘩から、ですが、
この種類の戦争のために、私たちは、 同じ質問をできません・・・
|
|
39:19
K: そうです。そうです。
|
|
39:20
D: ・・・この同じ 観察のために、です。
自分は、それを 見つめるベきですか -
誰が正しいのか、誰が 間違っているのかと思い巡らし、
自分自身を、外部の判事の 立場に、置きつつ、
思うに、客観的に、です。
または、自分はそれを、この苦しみの 一部として、観察すべきでしょうか
- そして、これら すべての原因の一部として・・・
|
|
39:59
K: 私たちは、 話してきました。
私たちは、問題を 述べてきました。
私たちは、人間たちが進んで変化 しようとしないことを、見てきました。
彼らは、条件を 受け入れます。
彼らは、条件を 修正しようとしますが、
けっして根本的に、 条件づけを、変化させません。
そして、なぜ人間たちは、 そうなのかを、見出すことは
- 彼らが、しているように、彼らが 今、生きているように、です -
外的な究明だけではなく、 また内的にも、要求します。
が、ほとんどの人々は、 これをしたくありません。
それは、はるかに 深刻、真剣です。
彼らはむしろ、宗教的な娯楽へとか、 フットボールへ、行くでしょう
- 「ほら、私が、世界を 創り出してきた」と言うよりは、です。
41:04
「私の父たち、私の祖父母たち、 私たちがみんな、
今あるような世界に、 寄与してきたのです。
私たちがそれを、変化させられないのか どうかを、見出しましょう」と。
物理的な革命、ではない - それは、問題に答えません。
共産主義革命、違った種類の 革命、社会的なもの、
それは、より深い問題に、 答えません。
あなたが、社会的な問題を、 解決するだろうのは、
より深い問題に、答える ことによって、だけです。
しかし、誰も・
・・ほとんどの人々は、 進んで、こうしようとしていません。
彼らは、これらより、 逃避したいと思います。
|
|
41:46
D: それはすべて、するには、あまりに 突飛で、あまりに困難だと、思われます。
|
|
41:52
K: それは、 当然、困難です。
しかし、数学、地理学、 物理学や、何をも学ぶには、
長い時間が、掛かります。
医師になるには、 十年が掛かります。
あなたは、これらを、 あなた自身に見出すには、
一時間を、使おうとも しないでしょう。
それは、こうも 滑稽に思われます。
|
42:32
D: 生が、物事を 継続させ、蓄積させ、
退廃させるすべてのさまの 中で・
・・
K: そうです。
・・
・私が話をしたいことが、一つ あります - お気になさらないなら、です。
それはやはり、同じ問題に 関係しています。
それは、決断に ついて、です。
そうね、決断し、選択し、 それから行為することの問題 -
これが、問題を永続化させる ものです。
|
|
43:01
K: そうです。
人々は、いつも、 同じように、決断します。
または、過去を 勘定に入れます。
近頃、私が打たれた 一つのことは、
問題であって・
・・
自分が、何かを 決断するとき、
この決断は、 過去からの物事を、
あまりに多く、 持ち運んでいますか。
もちろん、幾らかの知識は、精神に 保たれなくてはなりません。
が、例えば、侮辱、 問題、特権、等ですが、
あなたが、行為するとき、 生きるとき、
このすべてを、精神に 持っているなら、
あらゆる決断は、永続化し、 埋めて、悪くします。
|
|
43:54
K: そうです。 で、何ですか
- 私は、かなり矛盾した質問を、 してもいいですか -
なぜ自分は、 決断すべきですか。
なぜ選択が、 あるべきですか。
決断、選択と、 その線に沿った物事 -
自分は自由を 持っていると、考えます。
|
|
44:29
D: はい。自由は、選択の自由を、 意味していますね?
|
|
44:32
K: 選択の自由。
ですが、あなたは 自由ですか。
なぜなら、あなたは、 この職とあの職との間、
この街か、あの街へ 行くかで、選択できる、
私の妻を、選択できるとか、私は、 子どもを、どんな学校へ送ろうか、
それら、です。
私たちは、 それを、自由と呼びます。
そして、共産主義世界では、 あなたは、それらをできません。
で、自分は、入らなくては いけません・
・・
またもやそれは、かなり深刻に なります。
自由とは、何ですか。
そして、自由が、あるなら、 選択が、あるのでしょうか。
決断が、 あるのでしょうか。
|
|
45:23
D: これは、西洋の哲学的な思考 すべてに、挑戦する問いです -
そこで、自由は 選択です。
|
|
45:31
K: はい、分かります。 分かります。
私は、それを 問います。
きわめて明らかな精神は、 選択の必要が、ありません。
選択し、決断しはじめるのは、 - これとあれの間で、
私は、これをすべきか、 私は、あれをすべきかと、です -
混乱している 精神だけです。
しかし、精神が、あらゆる物事を、 きわめて明らかに見るなら、
決断への必要は、 ありません。
理解されますか。
もちろんです。
それは、選択の自由の観念に、 全く逆行します。
自由は、それほど 単純ではありません。
|
|
46:28
D: 選択の自由、
この観念は、西洋の 教育全体の一部です。
K: そうです。分かります。
|
|
46:35
D: それは、 きわめて深く根づいています。
|
|
46:38
K: 私たちは、あの幻影に 捕らわれています -
すなわち、選択は、あなたが自由 であることを、含意している、と。
|
|
46:52
D: そうね、人々をして、 この観念に、この問いに
反応させるものは、
宗教的な人々もまた、こう言う という事実です -
「選択するな。
あなたは、
私があなたに、するよう 語っていることを、して、
掟に従いさえすればいい。
あなたは、 選択しなくていい、と。
|
|
47:09
K: それだけです。 それは、同じです。
このすべては、冗談です - このすべては。
結局のところ、
あなたは、人間精神を、 条件づけます -
信念をとおし、 象徴をとおし、
個人的な救い主や、 救い主をとおして、です。
あなたは、長年の宣伝をとおして、 精神を条件づけます -
二千年の宣伝、です。
そしてあなたは、選択の必要はない。
服従しなさいと、言います。
信仰を持ちなさい、と。
しかし、あなたが、構造全体を 問いはじめるなら、
それは、 崩れ落ちてしまいます。
|
|
48:12
D: で、精確には、 あなたの問いに関して、
一方で、自由は選択であると 言う人々が、います。
他方で、神の道徳があると 言う人たちが、います
- あなたは、 選択しなくていい。
あなたは、服従しさえすれば いい、と。
|
|
48:27
K: そうです。
|
|
48:29
D: これらが、普通、 二つの道です・・・
|
|
48:31
K: が、どちらも - 私たちは 何と、言うのでしょうか。
どちらも、権威に 基づいています -
教会の、宗教的な構造の 権威に、
そして、他方は、 人は自由である、
ゆえに、人は選択できるとの この観念です。
しかし、人は、 そもそも、自由ですか。
|
|
48:59
D: 私が選択するとき、私は 自由であるか、という意味ですか。
|
|
49:04
K: そうです。
|
|
49:10
D: これは、幾つかの問題に おいて、見られます。
私たちは、私たちが 下している決断、
私たちが行っている 選択が、
過去により指令されることを、 悟るなら、です。
ここで私たちは、それが、過去により 指令されるのを、見られるなら、
そのとき自由は、どこに ありますか。
|
|
49:31
K: そうです。
本当に行きますと・
・・あなたが、きわめて 深く、これに入りたいなら、ですが、
知識は、あなたに自由を 与えてくれますか。
あなたは、 外的な世界において、
知識をとおして、 自由を持つかもしれません
- 飛ぶ、泳ぐ、そうね、 それらですが、
内的にあなたは、自由ですか。
もちろん、そうではありません。
あなたは、執着しています。
あなたは、信じています。
あなたは、信仰を 持っています。
|
|
50:08
D: それは言うなら、最終的に、「私たちは 自由なのか」と訊ねる代わりに、
それは、こうあるべきです - 「私は、 何か全然新しいことを、できるのか」と。
|
|
50:15
K: 新しい。そうです。
|
|
50:17
D: いつでも私が、決断するとき、 私は、全的に新しいのか・・・
はい、分かります。
|
|
50:28
K: そうね、こう言う 人々が、います -
大変多くの本を 書いてきた人たちです。
そして、学者と科学者たちは、 こう言ってきました -
人は、知識をとおして、 向上する、と。
ですね?
人は、幾千年を 通りぬけてきました。
人は、大変多くの知識を、 蓄積してきました。
あなたは、それを見ます。
それらです。
さて、私たちは、 問うています -
知識は、人が、本当に 生の苦労すべてから
自由になるのを、 助けますか。
|
|
51:15
D: はい。ここで、私たちは区別を つけるだろうと、願います。
それは、根源的なものではないが、 それは、助けになるでしょう。
例えば、数学について、 知識が、あります。
または、車の運転の 仕方について、ですが、
私が、例えば、他の人々に ついて持っている知識は、
私に、本当の自由を、 与えてくれつつあるのか、
または、反対に それは・
・・
そうね、私が、誰かは これこれであるとか、
これこれをするとか、 思うとき、
私は、自分が知識を持って いると、信じていますが・・・
|
|
51:49
K: ええ、知識とは 何ですか。
テクノロジー的な知識の 広大な平野が、あります -
そのすべての問題とともに、です。
精神は、それらを解決できます。
精神は今、すべてのテクノロジー 的な問題を解決する能力を、
ますます、 持ちつつあります。ですね?
|
|
52:13
D: 同時に、他の問題を 創り出すことによって、です。
|
|
52:19
K: それらはすべて、 心理的な問題です。
で、私たちは、訊ねています - 知識とは、何ですか。
知識とは、 何ですか -
テクノロジーの世界においても、 心理的な領域においても、です。
それは、経験です。
D: はい。そして、経験から来る 抽象概念です。
|
|
52:45
K: はい。
|
|
52:48
広大な人間的な尽力の 経験、知識 -
外的な世界においても、この 心理的な世界においても、です。
で、知識は、けっして 完全ではありえません。
ですね?
お分かりになるのかどうか・・・
|
|
53:21
D: ええ、仰る意味は、分かります。
K: で、私の選択は、 知識に基づいていて、
その選択は、不完全であるに ちがいないのです。
そして、宗教的な世界全体は、 服従しなさい、と言います。
それもまた、知識に 基づいています。
|
|
53:44
D: はい。ですが、 この問題において -
行為ごとに、決断ごとに、足跡なく 生きることの、ですが、
私たちは、それに連携した、 葛藤の汚染を、持っていますよね?
|
|
54:00
K: はい、そうです。
で、この知識は、 実質的に・・・
|
|
54:15
K: そうね、
私たちが今、知っている ような、世界全体は、
思考に、 基づいています。
考えることが、このすべてを、 産出してきました。
ですね?
そして、考える性質が、 変化するのでなければ、
これは、永続化 されるでしょう。
そして私たちは、こう言っています - 知識はけっして・
・・
どの境遇の下でも、けっして、 完全ではありえません。
そして、知識から生まれた思考もまた、 けっして、完全ではありえません。
で、私が選択するときや、 私が服従するとき、
それは、不完全な知識に、 基づいています -
それが神のでも、人間のでも、それは やはり、思考により送信されます。
55:34
そして、思考は、制限されて いるにちがいありません。
すべての宗教的な世界が、何か 権威に、基づいているとき、
それもまた、知識の一部、 思考の一部です。
ゆえに、全的に 制限されています。
私たちが、その事実に、 向き合うなら、
私たちは、これらについて、 何かをできます。
私たちの問題すべての 解決すべてにとって、
思考は、道ではない、と。
|
|
56:26
D: これはまた、哲学と教育の 標準にも、逆らいます。
|
|
56:29
K: ああ、そうです。 存じています。存じています。
|
|
56:40
D: そして、ひどいことは、 個々人の生において、
人々が、あらゆる物事を 思考に基づかせるし、
自分たちの葛藤の原因を、どう説明するかを 知っているのを、見ることです。
彼らは、どう説明するかと、そこから 続くことすべてを、知っています。
思考は、そのすべてを 合理化すること、
なぜ自らが、一定の葛藤に捕らわれて いるかを、説明することができますが、
人は、沈みつづけます・・・
|
|
57:10
K: そして彼は、そこに居つづけます。
|
|
57:11
D: 彼は、理由と言葉を、 見つけてきました
- 嫉妬、まあ、 多くの言葉を、です。
|
|
57:18
K: 私たちは、言葉と 説明の上に、生きます。
そして、言葉は、 そのものでないなら、
そのときあなたは、言葉を脇に 押しやり、実在に、向き合います
- 何が実際に 進んでいるかに、です。
|
|
57:37
もう止める時間です。
|