BR81Q1 - 質疑応答会合、第1回

質疑応答会合、第1回
回イングランド、ブロックウッド・パーク
1981年9月1日
テキストのみのバージョン
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1:03
これは 質疑応答の会合です。
百以上の質問が 出されてきました。
おそらくもっと多くです。
私たちはとうてい、それら すべての問いに答えられません。
それは、二ヶ月が 掛かるでしょう。
きっとあなたたちはここに 座っていないだろうし、
私もまたここに いないだろうと、思います。
で、私たちは、質問の幾つかを 選んでおきました。
出されてきた問いすべてが 答えられないとしても、
理解してくださることを 望みます。
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1:44
なぜ質問をするのかと 思われます -
そうすべきではない、という ことではなくて、なぜですか。
あなたは、誰に その質問をしていますか。
あなたは、誰から答えを 期待しますか。
問いは挑戦です。
語り手にとって、 だけではなく、
また、問いを出している 人物にとっても、です。
それは挑戦です。
自らはそれに全的に 応答するのか、すなわち、
その問いの内容全体を 了解する。
答えを見つけようと するのではなく、
むしろ、問い自体を 深く探究する。
その探究は、それ自体に 答えがあります。
私たちがこれを理解するのを 望みます。
すなわち、あなたは語り手に 問いを出します。
それは挑戦です。
彼はそれに応答します。
部分的 にか、あるいは全体的にです。
あるいは、問いを出したあなたは あなた自身に挑戦しています。
問いへの探究こそが、答えを 解き明かしはじめます。
これが明らかであるのを 望みます。
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3:39
で、本当は 質問者だけがあります
- すなわち、自分自身に 挑戦している。
その挑戦の中で 応答しています。
彼は問いの内容へ、正確に 精密に応答しているのか、
または、彼は単に 彷徨ってしまいます。
で、ここであなたは、語り手に 質問をしていますが、
語り手はそれを、あなたに 投げ返しています。
そしてともに、私たちは 問いを探究しています。
語り手がその問いへ答えようと しているし、あなたは
それを待つ、それに不同意か同意を する、ということではない。
ともに私たちは 問いを探究しています。
答えを、ではない。
なぜなら、答えは相当に 単純であるからです。
問い自体が、質問者の精神の 内容全体を、指示します。
5:02
質問者の精神の内容を 探究するには、
なぜ質問がされたのかを 理解しなくてはいけません。
それは、厚かましい応答 ではありません -
なぜそういう質問がされた のかを訊ねることは、です。
それは気軽にですか。
それは、侮辱的なだけですか。
それは、表面的な 好奇心だけですか。
または、質問者と質問は、 問題の理解に、
深く関係していますか。
それが明らかであるのを 望みます。
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6:02
第一の問い: 「あなたは、誰一人 真理への道を示せないことを、
たびたび 言ってこられました。
けれども、あなたの学校は、 そのメンバーに
彼ら自身を理解するのを 助けると、言われています。
これは矛盾ではないですか。
それは、エリートの雰囲気を 創り出しませんか。」
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6:26
「あなたは、誰一人、真理 への道を示せないことを、
たびたび 言ってこられました。
けれども、あなたの学校は、 そのメンバーに
彼ら自身を理解するのを 助けると、言われています。
これは矛盾ではないですか。
それは、エリートの雰囲気を 創り出しませんか。」
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6:45
やれまあ!
語り手は、 真理への道はないこと、
誰一人として、他の一人をそれへ 導けないことを、言ってきました。
彼はこの六十年間、しょっちゅう これを繰り返してきました。
それが、語り手が 言ってきたことです。
語り手は、他の人たちの 助けでもって、
インド、ここなどに、幾つもの 学校を設立してきました。
そして質問者は、言います - あなたは自己矛盾していませんか。
これらすべての学校の 教師と学生たちが
彼ら自身の条件づけを 理解しようとしています。
彼ら自身を教育しています - ただ学問的に、
可能なだけではなく、 また彼ら自身の条件づけ全体を
理解するよう 彼ら自身を教育しています
- 彼らの本性全体を、
学校のそれらの人々の心理 全体を(理解するように)、です。
矛盾がよく分かりません。
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8:15
古代ギリシャ人から古代インド などまで、学校(スクール)は、
あなたが学ぶ所です。
余暇があるところで、 学びます。
どうぞ、少し私とともに 来てください。
あなたは余暇を持って いないなら、学べません -
すなわち、あなた自身に とっての時間、
他の人たちに聞く時間、 探究する時間です。
そういう所が 学校(スクール)です。
世界中の現代の学校は、
単に頭脳の一部分を 養成しているだけです。
それは、知識の取得です - テクノロジー的に、
科学的に、生物学的に、 考古学的に、などです。
彼らは、頭脳の 特定部分の養成に
関心を持っている だけです。
それは、大変多くの知識を 取得します。
外の知識、
天体物理学、理論物理学、
建築学、工学など、 外科医療、医薬。
それで、分かるかぎり、彼らは 知識だけを養成しています。
9:57
その知識は、生計を立てるために 上手に(巧みに)使えます。
または、人物に拠って 下手に、です。
そういう学校は、数千年の間、 存在してきました。
ここで、これらの学校で、
私たちは何か全然違った ことを試しています。
私がこれらについて 語るのは、気にされませんか。
これに興味がおありですか。
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10:28
聴衆: はい。
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10:29
K: さほどではないが、 いいですよ。
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10:36
ここで私たちは学問的に教育しよう としているだけではありません
- (大学進学資格の)Aレベルと Oレベルとその他すべてです -
また人間存在の心理的構造をも 養成しよう、理解しよう、
教育しよう、探究しようとも しています。
学生たちは、すでに 条件づけられて、来ます。
で、そこで困難が 始まります。
一人一人が条件づけを解く ように、だけではなく、
深くはるかに多く探究するように 助けなければなりません。
これが、私たちが関連 しているこれらの学校の
しようとしていることです。
彼らは成功しない かもしれません。
たぶんしないでしょう。
または たぶんするでしょうが、
それは困難な任務なので、 それを試みなければなりません
- いつも、一番易しい道に 従うのではなくて、です。
これは、入るのが 困難な主題ですが、
それは、エリートを 創り出しません。
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12:00
エリートであることの どこが、間違っていますか。
それのどこが いけませんか。
あなたは、あらゆる人、 あらゆる物事が、
公分母へ引きずり 降ろされてほしいですか。
それは、いわゆる民主主義の 面倒の一つです。
それは、インドで 問題でありました -
私はそれらに入らないでしょう。 大事なことではない。
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12:38
自らに分かるかぎり、 何も矛盾はありません。
あなたが何かを主張し、別の 時にそれに相反するときだけ、
矛盾は存在します。
しかし、ここで私たちは、
誰一人としてあなたを真理へ 導けないと、言っています
- 開明へ、正しい種類の冥想へ、 正しい振るまいへ、
誰一人として、できません。
私たちの一人一人が 自分自身に責任があるからです
- 誰にもまったく 依存しないで、です。
インドと、ここなどのこれら すべての学校で、私たちは、
全包括的な精神、頭脳を 養成しようとしています。
世の中での行為のための 知識自体だけではなく、
人の心理的な本性を 無視するのではない。
なぜなら、そのほうが学歴より はるかに重要であるからです。
14:10
現在の世界、 現在の文明では、
その文明が何であっても、
自らは、生計を立てる能力を 持たなければなりません。
そして見たところ、一定の 種類の教育は、必要です。
西洋と東洋の ほとんどの学校は、
他の面を 無視しています -
そちらのほうが はるかに深く大きい。
ここで私たちは、それを しようとしています。
私たちは成功するかも しれません。
そうなることを望みますが、 そうならないかもしれません。
しかし、私たちは、他の学校で されないことを何かしています。
それは、私たちが唯一つの学校で あるという意味ではありませんが、
私たちはそれをしようとして います。
何も矛盾はありません。
それは、だいじょうぶですか。 私は問いに答えたのですか。
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15:15
第二の問い: 「人間の精神において、
指導者、導師、体系、 信念に従いたいもの、
何かに服従したいものは、 何ですか。」
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15:29
「人間の精神において、
指導者、導師、体系、 信念に従いたいもの、
何かに服従したいものは、 何ですか。」
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15:47
いいですか?
さもないと、あなたは ここにいないでしょう。
私もまた、いないでしょう。
質問者は訊ねています - なぜ人間たちは、
記録なき時から、最も 古代のヒンドゥー教徒と、
エジプト人と、 後で他の諸文明は、
これらすべての 時期をとおして、
なぜ人は、誰かに 従ってきましたか -
政治的指導者、将軍、 高位の司祭者、
心理学者、哲学者に、 です。
なぜですか。
人間の精神において、 「彼は知っている。
私は知らない」 と言うのは、何ですか。
彼は知っているから、 彼は、
違った種類の生を生きるよう 私を助けてくれるだろう。
私の痛み、私の悲しみ、 私の心配などなどを
乗り越えるよう、私を 助けてくれるだろう、と。
17:24
で、自分は混乱しているが、 相手はそうではない。
少なくとも、彼はそう ではないと、私は考えます。
ほとんどの導師はそうですが、 私たちは彼らに、
あらゆる種類の空想的、ロマン チックな戯言を、付与します。
で、この第一の点が あります。
私は知らないが、 あなたは知っている。
少なくとも、あなたは知って いると、私は考えます。
あなたは評判を 持っています。
私のように従っている、他の 馬鹿者が、たくさんいます。
従う者が多ければ多いほど、 私はそれが正確だと感じます。
なぜなら、こうも多くの 人々がその種類のものを
信じているからです。
そして、私は従います。
それが一つのことです。
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18:24
また、指導者は、 政治的、宗教的なのは、
導師たちなどのように、
彼らは、一定の権威を 帯びてきました -
それが論理的で、合理的で、 正気であっても、
幻影のようでも、彼らは、 権威の感覚を帯びてきました。
彼らは、導師、優れた導師、 その他すべてから・
・・
使徒の継承です。
インドでサンスクリットでも また、同様なことです。
これは、世界の司祭者、 指導者すべてがやった
古いゲームです。
で、それが問いです。
問いはこうです - 人間たちは なぜ他の人に従いますか。
それを探究しましょう。
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19:32
それは、 私たちが明らかでない、
私たちが混乱している からですか。
仮に、私が混乱しているし、
私はあなたを自分の指導者に 選択する、とします。
私は自分の混乱の中から 選択します。
私の明瞭さの中から ではない。
どうぞ、初めにその健全さ、 その論理を見てください。
そのときあなたは、それに不同意 であるなら、それを放り出せます。
私は混乱しています。
私の 頭脳は矛盾の状態にあります。
私は怯えています。
私は、心理的な安全を 持っていません。
私はあなたへ来ます。
なぜなら、あなたは
一定の権威を持ち、 一定の衣装を着て、
一定の道具一式を まとっているからです。
そして私は来ます。
私は感銘を受けます -
衣装により、人々、 仕組み全体によって、です。
20:50
あなたは私に保証してくれます。 「私に降参しなさい。
すると、私があなたを救って あげよう。
」と。いいですか。
あなた自身を私に明け渡しなさい。
なぜなら、私は知っている、
あなたは知らないから。
で、私があなたを助けよう。
私はあまりに乗り気だし、 私は騙されやすい。
なぜなら、私は慰めが ほしいからです。
私は何か安全がほしい。
私は どこかに何か望みがほしい。
私は依存でき、信用している 誰かを、欲しいのです。
その人において、あなたは私を 導き、私を助けてくれるだろうと
私は知っているか、おそらく私は 知っていると考える人を、です。
彼は、私を助けることに あまりに乗り気です。
それは、きわめて 優しく始まります。
内のサークル、外のサークルと、 外と外のサークルが、あります。
そして次第に、その助けは 依存になります。
そして私は、自分の 導師に、自分の司祭者に、
自分の指導者に 依存します
- 様々な国々すべての 政治的な指導者です。
22:19
私たちは世界中で、なぜ 政治家の奴隷であるのか、
私は知りません。
それを探究なさったことがある のかどうか、私は知りません。
私たちが、彼らを 選挙してきました。
または、全体主義国では 彼らが権力を担います。
彼らはあなたへ 指を突きつけます。
余生の間、あなたは 抜けられません。
または、民主主義の世界では あなたたちが変化するのは、
五年か七年ごとですが、 それは同じです。
あなたたちは自分の混乱の 中から彼らを選挙するし、
彼らがいるわけです。
彼らは混乱しています・・・
私たちがやるゲームです。七年か 五年かごとに、これが進みます。
23:05
導師たちについても 同じことが起きます。
「私はあの導師が好きでない。
私は他の人が好きだ。
彼のほうが 大目に見てくれる。
彼は私に、自分が好きな ことをさせてくれる」と。
そうね、多くの導師たちが 多くの回数に、
語り手に会いに 来たのです。
彼らの中で最も おかしなものは・
・・
彼は長年の間、その特定の 国にいたのでした。
彼はすべての衣装、数珠、 その他すべてをつけて、
私に会いに来ました。
そして 彼は、言いました・・・
彼は、たいへん尊敬を込めて 私に挨拶をしました。
なぜなら彼は、私が導師の中の 導師であると想定したからです。
そして彼は、「私は長年の間、 この国にいました。
24:37
私は、この国の到る地方で 話をしてきました。
私は多数の従う者たちを 持っていますが、
私はアイディア(観念)が 切れてしまいました。
で、私はあなたへ 参りました。
どうぞ、私に何かアイディアを 与えてください」と。
私たちは冗談を言っていません。 これは現実の事実でした。
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25:21
そうね、私たちは、なぜ 自分たちが従うのかを
本当に理解したとき - なぜ 導師が権威を帯びるのか、
なぜ彼が、こうも多くの 物事を要求するかとか、
他の人、従う人には、 自分の抑制を放り捨て、
好きなことをするように 許すのか -
セックス、そうね、 行状全体、それらの醜さです。
私は自然に、私を助けてくれる だろう誰かがいると、感じます。
で、なぜ私は、他の人に 助けを求めますか。
それが本当の論点です。
これらについて冗談は別にして、 これはきわめて深刻な問題です。
なぜなら、彼らは増殖しつつある からです - これら導師たちが、
莫大な富をもって、です。
宗教的な人が、
甚大な富と資産を持って いるのを、考えてみてください
- 何百万に何百万ドル、 何千エーカー、
何万も従う人たち、です。
26:53
そういうことが起きるのを許す ことは、どこが間違っていますか
- すでにこうも 全く破壊的で、
こうも堕落しつつある 世界において、
本当は宗教的でないが、 いわゆる宗教的な人々に、
こういう富、こういう権力を 取得するのを許すことは、です。
そして彼らは、甚大な 金額を持っているから、
彼らは賄賂を使います。
よろしいですか。
彼らは、すべての規制と 規則を、すり抜けます。
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27:32
で、なぜ私たちは これらを許しますか。
なぜ私たちは、例えば テロ行為を許しますか。
それは 拡がりつつあります。
それは、私たちがだらしなく、 甘えているからですか。
「それがどうした?
」 無関心ですか。
または私たちは 本当に、誰か
助けてくれる人を、 見つけたいのですか。
誰か正直な人を、です。
導師ではない -
彼らは単に何度も何度も 反復するだけです。
あなたはこれらを ご覧になりました。
よろしいですか。
私は誰をも 個人的に攻撃していません。
どうぞ、私は そうしないでしょう。
しかし、これら六十年以上、 私はこれを見守ってきました。
次々とカルト、次々と導師、
もっともっと多くの 富が蓄積され、
自家用飛行機、 自家用・
・・ああ!
そして、彼らはみんな 宗教的な人々です。
で、世界は狂ってしまった のです。
そして私たちは、
これらの人々がさらに 狂うように助けています。
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29:16
で、私たちは、この問いに 戻ってきます -
なぜ私は、他の一人から 助けをほしいのですか。
もし私が物理的に病んでいる なら、私は医師へ行きます。
もし私が癌に罹っているなら、 私は専門家に相談します。
彼は私を手術台に載せるか、 私を殺すか、それで終わりです。
しかし心理的にもまた、 私たちは病気に罹っています。
心理的、内的に、私たちは 負傷した人々です。
私たちは、他の人たちが自分を 治してくれるだろうと望みます。
理解されますか。
これが 人類の物語であったのです
- 古代の文明、シュメール人 などから今まで、
私たちは、やはり 同じことをしています。
私たちは心理的に 不健康ですし、
私たちは、自分を治してくれる よう、他の一人に依存します。
そして私たちは 治ってきませんでした。
30:51
それが、最初に 悟るべきことです。
あなたは、導師から 導師へ、導師へ行けます -
こうも大勢がこうも無思慮に やっているように、です。
私たちはその果てに、やはり 心理的に不健康です。
もし私たちが初めに、 自分たちは
内的に不健康であることを 悟るか、気づくなら、
- 私はその言葉をそれ以上の 意味なしに使っています -
負傷した人々、 失望した人々、さびしい人々
- 痛み、心配、悲しみに 満ちています。
それはすべて、 健康の欠如の表示です。
さて、誰かがあなたを それから治せますか。
理解されますか。
歴史的に 太古の時代から、
人はいつも、他の誰かを 頼みにしてきました。
32:12
そして今まで、彼らはやはり 同じことをしています。
それはすべて、外側の誰も
あなたを治せないことを、 表示しています。
誰も、です。
あなたの救い主、 ブッダをもった仏教者、
自分のをもった ヒンドゥー教徒など、
彼らの誰も、心理的な健全さ (正気)、理性をもたらすことに、
成功したことがなく、 けっして成功しないでしょう、
で、もし私が それを悟るなら、
論理的に、健全にあなたが これらを観察するなら、
そのとき私は、何を することになりますか。
それが本当の問いです。
誰も私を助けられないことを
発見したとき、私は何を することになりますか。
祈り、
冥想 - ちょっと待って。ここで 私は気をつけなければなりません。
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33:32
冥想は、生において きわめて重要ですが、
その冥想は、家を秩序正しく した後で、来なければなりません。
あなたの家を、 内側を、です。
さもないと、それは単に幻想に なります。
空想的なイメージと
あらゆる種類のばかげた 経験に、つながります。
それらは、まったく 価値がありません。
冥想は、無量の意義を 持っています -
家が完全な秩序に あるとき、です。
しかし、私たちはそれを 逆にしてしまったのです。
私たちは、家を秩序正しく したいと望んで、冥想します。
または、或る種の奇跡が起きる だろうと望んで、冥想します -
それが家を秩序正しくしてくれる だろう、と。
家は自分自身です。
逆です。
よろしいですか。それが 私たちがしていることです。
私はそれに 入らないでしょう。
語り手は一般的に、講話の 終わりに、冥想について話します。
34:57
彼は意図的にこうして きました。なぜなら、
彼が以前に言ってきた ことすべては
家に秩序をもたらす ことであるからです。
怯えている、 楽しみを追求している人、
彼は、顔が青ざめるまで、 冥想できます。
逆立ちする、脚を組んで座る、 あらゆる種類のことをする -
無数の導師たちにより規定 されてきたことを、です。
彼はやはり、今のまま であるでしょう。
おそらく少し修正されたが、
基本的に彼は、やはり 怯えた実体です。
で、私たちはこう言って います - 逆から始めなさい。
そのとき、冥想は すばらしいものです。
私たちはそれについて、 次の日曜日に話すでしょう。
それは、お誘いでは ありません!
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36:08
で、私は自分の負傷を癒やすため、 私の心理的な健康状態のために、
誰にも依存できないのなら、
私は自分自身を、頼りに しなくてはいけません。
私は誰にも依存できません。
いいですか。
私がそれを言う とき、私は怯えていますか。
どうぞ、私とともに、 この問いを探究してください。
私が自分自身に、「私は一人で 立たなければならない。
誰も私を助けられない」と言うとき - なぜなら、私は悟ったからです。
私は様々な導師を経てきて、 研究し、祈り、冥想してきました。
そのすべての終わりに私は、自分が 出発したときの私なるものです。
で、論理的に健全に私は、誰も私を 助けられないことを、観察します。
それは、 私が冷笑的になる、
ということではありません。 それは事実です。
37:32
私は進んで 一人で立ちますか。
私は仲間付き合いが 必要です。
私は誰かへ話を しなくてはなりませんが、
彼らは私の導師に なろうとしていません。
彼らは私の友だち であるでしょう。
私はそれについて 話すでしょうが、
私は依存できないことを 私は深く悟ります。
私は、郵便配達人、牛乳配達人 などに依存しますが、
内的に 依存はありません。
なぜなら、私はまた、 執着が、すなわち、
自分自身を導師へ 委ねてしまうこと、
執着こそが腐敗につながること をも、悟るからです。
ですね?
これに注目なさったのかどうか、 私は知りません。
どの形の執着も - どの人物へ、どの信念へ、
どの観念へ、 どの国などへも -
必然的に、腐敗を生み育てるに ちがいないのです。
38:46
で、私はそれらを悟ります。で、 私は何をすることになりますか。
私は、私自身にとって 光でありえますか。
私は今、私自身にとって光では ありません。
私は混乱した実体です
- 個人的に私はそうでは ありません。
私たちはそれについて ともに話し合っています。
私は、混乱した実体です。
あなたは私に、「あなた自身に とって光であれ」と語ります。
私はよくよくそれを理解します。
論理的に、知的に、ですが、
私は私自身にとって 光ではありません。
なぜなら、私は ひどく混乱していて、
心理的に深く負傷し、 不健康であるからです。
私は均衡を失い、神経症的で、 ロマンチックで、感傷的です。
で、私はそのすべてを取り 入れます。私はそのすべてです。
39:55
で、私は何をすることに なりますか。
私自身を研究するには、 私は
私自身について、本を 持たなければなりません。
あなたは進んで私にその本を 与えようとしています。
理解されますか。
私は その本を拒絶します。
なぜなら、あなたが書くものは 私自身であるからです。
あなたは、あなたの混乱の 中から書いています -
ほとんどの精神科医の ように、です。
すみません。
誰も いないことを望みます。
で私は、そこに私自身を見られる 鏡を、持たなくてはいけません。
これらに付いてきて おられるのを、望みます。
私たちはともに 話し合っています。
私たちは、その問いを 究明しています。
私は、鏡を持たなくては いけません -
起きつつあることをその通りに、 そこに私が見られるものを、です。
41:06
どの工具店も、その鏡を 提供しようとしていません。
どの店も、どの導師も、です。
よろしいですか。
私はそのすべてを 脇に押しやったのです。
で、私は、そこに私が何の 歪曲もなく正確に自分自身を
見られる鏡を、 持たなければなりません。
その鏡は何ですか。
私たちは探究しています。
どうぞ、私はあなたに 語っていません。
私たちは探究しています。
その鏡は関係です。
私の隣人とか、 私の妻との関係です。
それが、私が持っている 唯一つの関係です。
その関係 - すなわち鏡 ですが - そこに
私は、私自身を ありのままに見ます。
嫉妬深い、心配だ、怯えている、 所有したがる、執着している、
傷ついている、心配だ。
42:26
私は心配すればするほど、 執着しています。
私の家族ばかりが 重要になります。
で、その関係全体において、
私は私自身を、ありのままに 正確に見はじめます -
私の性的な要求、 私の傲慢、
私の虚栄、 私なるものの醜さ、です。
または、私がとてつもなく 美しいことを、想定します。
しかし、鏡は、私がそうでない ことを、示してくれます。
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43:20
で、鏡に示されている もののほうが、
私があるべきものより はるかに重要です。
これらに付いてきておられる のかどうかと、思われます。
鏡は、私があるべきものを 示してくれません。
それが、その鏡の 美しさです。
その鏡は、私なるものを、 その通りに示してくれます。
私は、そっぽを向く、 私はそれから
逃避するかもしれません。
私たちは一般的にそうしますが、
もし私が自分自身に、誰も私を 助けられないと、言うなら、
そのとき私は、あの鏡を 見つめています。
その鏡は「あるべきもの」を、では なく、「あるもの」を示しています。
おそらく私は、「あるもの」を 好きではありません。
心理学者と他の人たちは、
「あなた自身をあるがままに、 即時に表現しなさい」と言います。
44:34
またもや私は依存します。 で、私は、
人々が彼ら自身の様式に沿って 私を洗脳しようとしていることに
いつの時も気づいています。
そして私は拒絶します。
そのとき私は、大変な活力を 持ちはじめます。
当然です。
理解されますか。
これが明らかで あるのを望みます。そうですか?
私は、 「あるもの」を見ます。
「あるべきもの」を、ではない - それは未来です。
私は現在を、 その通りに見ます。
現在の「私なるもの」を、 その関係の鏡において、です。
その「私が見るもの」は、 私です。
私は、そこに示されている ものより、異なっていません。
気をつけて、これらに付いてきて おられるのかどうか私は知りません。
45:48
見られているものは、私です。 私はあれより異なっていません。
それは明らかです。
明白ですが、
私の思考は、「いや、私は あれより異なっている。
私はあれを受け入れまい」 と言います。
その思考は、「私は 異なっている。
」と言います -
「で、私はそれを 制御しなければならない。
私はそれを形作ら なければならない」と。
で、闘いが始まります。
理解されますか。
これらに付いてきて おられるのを望みます。
闘いが始まります - 格闘、葛藤。
実際に鏡に示されている ものを、私が認知するのを
拒絶するとき、進んで いく苦労のすべてです。
鏡に示されているものは 私です。
私は、それより 異なっていません。
47:03
それは、 ものすごい悟りです。
なぜなら、思考はいつも、 「あなたは異なっている。
あなたのほうが知っている」 などと言っているからです。
で、鏡に見られるものと、
過去に思考が 蓄積してきたもの
- すなわち、観察者、 目撃者、見る者 -
との間には、分割があります。
よろしいですか。
付いてきておられるのを 望みます。
いいですね。
私はこれを錯綜 させつつありますか。
聴衆: いいえ。
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47:43
K: ありがたい!
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47:46
で、そのとき私たちの 困難の一つは、観察者は
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47:49
「私は、観察されるものより 異なっている」と言うのです。
なぜなら、伝統的に、 幾千年をとおして、
私は分離的行為の教育を されてきたからです
- 「あるもの」は 私より異なっている、と。
理解されますか。
それをきわめて単純にすると、 それを見つめてください。
怒りがあるとき、 あの状態だけがあります。
後で、あの反応です。
後で 私は、「私は怒っていた。
私は怒るべきで なかった」と言います。
または私は、なぜ自分が 怒っているかを合理化します。
すなわち、私は 怒りより異なっています。
48:43
私が「私は怒っていた」と 言った瞬間、
私は怒りより 異なっています。
これをご覧になるのか どうか、私は知りません。
しかし、あなたが、関係の 鏡に示されているものは、
「あるもの」であるし、
あなたは「あるもの」 であるのを悟るとき、
分割は全面的に終わりに なります。
いいですか。
ゆえに葛藤は 終わりになります。
付いてきておられますか。
私たちは葛藤をすっかり 消去しつつあります。
なぜなら、私たちのエネルギーを むだにするのは、
葛藤であるからです - 知的なもの、情動的なもの、
「あるもの」に留まるのに必要な エネルギーを(むだに)です。
理解されますか。 なぜなら、私たちは
49:49
「あるもの」に留まるのを 拒絶しているからです。
私たちはいつの時も動いて それから離れつつあります
- 言語的に「あれは怒りで ある。
あれは貪欲である。
あれは暴力である」と 言って、です。
これらはすべて、「あるもの」の 言語的な叙述です。
言葉はあれではありません。
これらに付いてきておられるのか どうかと思われます。
いいですか?
テント - 「テント」という言葉は 現実ではありません。
で、私は、「あるもの」に 絶対的に留まれますか -
「私はあるべき」とか、
「私は「あるもの」より異なって いる」とかの分割なしに、です。
「あるもの」が私、観察者ですし、 観察されたものは私です。
50:56
で、分割がありません。ゆえに 葛藤の全的な終わりです。
なぜなら、私は「あるもの」に 留まるからです。
私はあの状態より動いて 出るのを、拒絶します。
で、私はあの状態を 見つめています。
私はそれを観察しています。
見て、見て、見ています。
それは注意が必要です。
注意はエネルギーを 意味しています。
私はそれを、むだに してきたのです -
私自身をあれより分離し、それを 巡って闘うことによって、です。
理解されますか。
私たちは今、自分のエネルギーを むだにしつつありますか。
聴衆: いいえ。
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51:37
K: きっとそう です。そう言わないで・・・
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51:41
で、私は悟ります。私たちは今 ともに悟ります - すなわち、
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51:45
私たちは誰にも 依存していないことを、です。
それは、救い主なし、象徴なし、 という意味です - 何もなし。
私たちは、「あるもの」だけを 取り扱っています。
それは、私の負傷した 心理全体です。
その負傷した心理は 他の一人により
助けられたり、 治されたりできません。
私がそれを、自分の存在の 深みにおいて悟るとき、
そのとき鏡ばかりが重要に なります - 関係が、です。
そのとき関係は、とてつも ない活力を持っています。
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52:51
で、あなたがそれらへ 透徹するなら、
そのときあなたは、全面的に あなた自身にとって光になります。
あなた自身にとって光があるとき、 経験は必要ではありません。
経験が必要であるのは、眠って いる人たちにとってだけです。
しかしあなたが、自分を目覚めさ せるために経験に依存するなら、
あなたはやはり 眠っています。
これらをご覧になるのか どうかと思われます!
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53:32
で、私たちは、果てしなくこの ように話しつづけられます。
語り手は、六十年以上の間、 そうしてきましたが、
言葉は、ほとんど 意味がありません。
それがものすごい 活力を持っているのは、
私たちがこのすべての 真理を悟るときだけです。
あなたが注目なさったのか どうか、私は知りませんが、
私たちは、 年を取るにつれて、
明らかに考える能力を 失いつつあります
- 私たちが 子ども時代にさえも、
そもそも明らかに 考えたとして、ですが。
私たちが 年を取るにつれて、
私たちの頭脳は、十分な 血液を受け取っていません。
なぜなら、私たちの動脈は 厚くなりはじめているからです
-酒の飲み過ぎ、 あらゆることのやり過ぎ、
十分な適切な体操がない - どうぞ、
ヨーガとそれらの種類のものへ 逸れていかないでください。
54:39
で、私たちの頭脳は、次第に 衰退しつつあります。
老衰は、三十歳の年齢で 始まるかもしれません。
私たちが常に反復しているとき、 です - 「私はキリスト教徒だ。
私はヒンドゥー教徒だ。
民主主義者だ。社会主義者だ。
私はこれだ。
私は神を信じて いる。私はあの人に従う」と。
よろしいですか。
それらは すべて老衰の表示です。
どうぞ、それを笑い 飛ばさないでください。
それは事実です。
私たちが心理的に課業に 捕らわれているとき
- 毎朝、オフィスへ行って、 五十年を使う男や女を
考えてみてください。
考え抜いてください。
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55:43
で、問いの終わりに、
そして、 心理的な服従の構造全体
- 他の一人に服従すること - を究明した後で、
あなたは、それを悟るなら、 そのすべてを脇に置きます。
どの智恵ある人も そうします。
そのときだけ、あなたはあなた 自身にとって光になります。
おそらくその光の中で、他の 様々なことが起こりえます。
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56:44
第二の問い: 「私は 痛みの中にいます。
私がどのようにそれに 出会おうとしても、
私は事実の総体に 到りません。
それは間違いなく部分的に 留まるし、抽象になります。
そして痛みは継続します。
私はどうすれば、
それが理論的になることなく、 問題へ透徹できますか。」
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57:18
「私は 痛みの中にいます。
私がどのようにそれに 出会おうとしても、
私は事実の総体や 終わりに到りません。
それは間違いなく部分的に 留まるし、抽象になります。
そして痛みは継続します。
私はどうすれば、
それが理論的になることなく、 問題へ透徹できますか。」
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57:54
いいですか。 質問者は、あなたと私です。
あなたと私である質問者は「私は 痛みの中にいる」と言います。
単に物理的な痛みだけでは なく、心理的な痛みも、です。
それに私は、長年ずっと 忍耐してきました。
私はそれを分析しようと してきました。
私はそれを理解しようと してきました。
私は、まさにその根に 行こうとしてきました
- すなわち、 総体にです。
私の長い辛苦の 探究の果てに、
私はやはり、痛みが 残っています。
そして見たところ、
それは、抽象、理論に なりつつあります -
すなわち、私が取り組みつつ あるものに、です。
事実ではない。
私の会得と
私の究明は、それを 抽象にしてきたのです。
これに付いてきておられますか。 いいですか。疲れていますか。
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59:33
私は痛みを持っています。
痛み - 彼はここで心理的な痛み のことを仰ると私は思います。
私は物理的な痛みを持って いるかもしれませんが、
私はそれを堪えられるか、 医師へ行けます。
そうね、私はそれに ついて何かをできます。
しかし、心理的な痛み、
それは事実です。
私はそれを 事実として知っています。
なぜなら、私は毎日その 痛みを持っているからです。
しかし、痛みを 理解する過程において、
私の理解は部分的です。
部分的であるので、それは 次第に抽象になります。
で、私は今、問題を持って います - 痛みと抽象です。
(抽象)それは、完全でない 検討の中から生まれています。
私は、それを抽象にし、 それを理論にしてきたのです。
1:00:47
よろしいですか。すなわち、 私は痛みを持っています。
私は負傷しています - 私たちは その言葉を使うでしょう。
私は負傷し、傷ついています。
それは痛みです。
次第にそれは 観念になったのです。
よろしいですか。
で、私は今 違った問題を持っています
- 事実に対立する観念です。
これらをご覧になるのか どうかと、思われます。
いいですか。私たちは これを続けられますか。
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1:01:27
私たちはそのように分割されて います - 観念と事実です。
または、事実についての 観念です。
いいですか。
私たちがいかに あらゆる物事を
錯綜させつつあるかを、 見てください。
事実はそこにあります - 私は傷ついています。
そのとき私は観念を 持っています -
すなわち、私は 傷ついてはならない、と。
私はそのとき、どうして それを抜け出すこと、
傷つかないことに なりますか。
観念のほうが、痛み自体 より、はるかに重要です。
なぜなら、私の尽力全体が、 それより動いて離れることに
向かって方向づけられて いるからです。
ですね?
それは理論になります - 事実に対立している理論です。
ご覧ください。
これが私たちの生なのです!
バイブル、ウパニシャッド、 ギーターとコーランは
何かを言いますが、私たちの 生は異なっています。
1:02:48
で、いつもこの闘い、 葛藤があるのです
- 観念と事実です。
その言葉「観念」 (アイディア)の意味は
- 元来、ギリシャ語などですが - 観察することです。
理解されますか。
「あるもの」を観察すること。
それを抽象に するのではない。
いいですね?
私たちは 抽象の中に生きます。
これらをご覧になるのか どうかと、思われます。
私の夫は、あああるべきだ。
私の妻は、ああではない。
よろしいですか。
私は残忍である。
私は残忍で あってはならない、などなどと。
いつも事実の回避です -
理論へ、観念へ、理想へ 逃避することによって、です。
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1:03:56
もしそれが明らかであるなら、 そのとき問いは、こうです -
私は傷ついています。
私は子ども時代から 負傷してきました。
ですね?
私の親から、 他の男の子たちからです。
私はたまたま少し 敏感であるからです。
私の親は、私を叱り、 私を叩いてきました。
きつい言葉、 「しろ、するな」と。
他の男の子たちも、です。
で、生をとおして学校、専門校、大学 - 私がさほど運が良ければ、です -
私はずっと 傷つきつつあります。
誰かと比較されています - 私よりはるかに良い、
はるかに利巧な人で、高い点数が 付いている。よろしいですか。
1:04:52
この教育的動き全体が 傷つく過程です
- 比較し、 比較し、比較する
あなたは重要ではない。
他のやつが重要だ、と。
これは現実です。
私は 誇張していません。
で、私は傷ついています。
それは事実です。
私は傷ついています。
そのお方はたぶん この問いの中で、
私は痛みの中にいる、 と仰るのでしょう。
私たちは、それが 物理的な痛みではなく、
心理的な痛みであることを、 当たり前と取りつつあります。
私たちは間違っている かもしれません。
私たちは、心理的な痛みに ついて話しています。ですね?
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1:06:00
で、痛みは、 負傷した、傷ついたこと、
批判されたこと、 叱られたことです。
そのすべてが痛みです。
または、私が 誘発してきた痛みです -
私に可能な以上の何かを 欲しがることにより、
私自身を、はるかに智恵がある、 聡明な、見目が良い、それらの
誰かと比較することによって (誘発させたの)です。
その比較をとおして、私は 私自身を傷つけてきました。
これが、すべての人間に とって公分母です。
これが進んでいきます。
で、私は傷ついています。
私はそれを 分析してきましたが、
分析は問題を 解決してきませんでした。
あなたが分析の意味全体へ 入りたいのかどうか、
私は知りません。
おそらく 今、そうではないでしょう。
分析者は、分析されるもの より異なっていません。
分析することは エネルギーのむだです。
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1:07:14
聴衆: (聞き取れない)
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1:07:19
K: そのお方が何を仰っている のか、私は理解できません。
何ですか。
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1:07:33
聴衆: 私はそれに目覚めた から、話しているだけです。
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1:07:37
K: ケスキリル・ディ? (彼は何と言いましたか)
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1:07:40
聴衆: 私たちは物事について たくさん考えられます。
無限大の思考があります。
で、なぜ痛みについて 考えて時を過ごすのですか。
なぜ美しい物事について考えて 時を過ごさないのですか。
私たちはそれについて話すなら、 自分自身をそれへ導き入れます。
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1:07:57
K: 何を仰っているのか、 よく付いていけません。
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1:08:01
聴衆: それはとても容易い。 究極的に痛みは幻影だけです。
私たちはそれを 見なくてはなりません。
なぜ誰でも、私たちを 苦しませるのでしょうか。
私たちを苦しめたいの でしょうか。
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1:08:12
聴衆: 痛みは幻影だけです。 それについて話すことにより、
私たちは自分自身を それへ導き入れます。
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1:08:17
だから、なぜ私たちは、美しい 物事について話しませんか。
K: ああ、なぜ私は、美しい 物事について話しませんか。
なぜ痛みについて 話しますか。
あなたはそれについて話せば 話すほど、それを強める、と
そのお方は仰います。
はい、承りました。
さて、私たちは、美しさに ついて話してきました。
美しさは、醜いの 対極ではありません。
痛みは、痛くないこと の対極ではありません。
それは痛みです。
あなたは対極について話すとき、 現在を回避しつつあります。
私が言っていることを終了させて くださっても、構いませんか。
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1:08:58
聴衆: でも、私は 過去と現在でもあります。
で、私はそれにも 出会うことができます。
あなたは何かのことを 仰っているが、
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1:09:05
私は他の何かのことを 言っています。
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1:09:09
K: すみません。私たちは 問いに答えようとしています。
聴衆: でも、あなたは痛みは 実在すると仰っていますが、
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1:09:13
私はそうではないと 言っています。
K: よろしいです。
よろしいです。 歯の痛みは実在していない、と。
痛みは - 理解されますか - 実在していないと、
そのお方は仰います。
おそらく彼にとって、 それは実在していません。
しかし、ほとんどの人間にとって それはまさに実在のものです。
そういうわけで、 大変多くの病院が、
これらの人々でもって 混雑しているわけです -
解決できなかった 痛みを持っていて、
神経症的な状態に入って しまった人たちで、です。
そして病院は、 彼らで満ちています。
で、私たちは、何か実在しない、 幻影のようなものについて、
話していません。
それは実際の事実です。
どうぞ、もしあなたが問いを終了 させるのを気にされないなら、
もしあなたが、聞きたくない なら、眼、耳を閉じてください。
聴衆: (聞き取れない)
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1:10:18
聴衆: 静かにして!
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1:10:41
K: 私たちのほとんどは 傷ついていませんか。
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1:11:05
または私たちは、その傷に 気づいていません。
または私たちは、全的に それに慣れてしまいました。
ゆえに私たちは、自分たちが 傷ついているのを、知りません。
それは、汚いスラムに生活 しているのに似ています。
私たちはそれに 慣れています。
そして私たちは、実際の心理的 痛みについて、話しています。
あなたが愛されていないが、 あなたが愛されたいとき、
あなたが誰かを 愛しているが、
その誰かはあなたに背を向ける とき、あなたは傷ついています。
私たちはこれらを 知っています -
私たちが歯の痛みを 知っているように、です。
で、私たちは、この深い心理的 傷について話しています。
私たちはそれを誇張して いません。
私たちは、
その傷について話すことにより それを強調していません。
私たちはそれを見つめて います。ともに、です。
1:12:24
私たちはそれについて互いに 意思疎通し合っています。
互いに疎通し合うには、
私たちは言葉を 使用しなければなりません。
もしも私たちがイタリア語や フランス語を話したなら、
それはイタリア語やフランス語で になるでしょうが、
私たちは英語で話しているので、 それは英語ででなければなりません。
すなわち、何かについて疎通する ために、英語の言葉を用いるのです
- すなわち、私たちのみんなに 共通していること、
すなわち、様々な形で傷ついて いること(について)、です。
もし自らがそれを意識する、 それに気づく、
そして、その傷の 帰結を見るなら
- すなわち、恐れです。
もっと傷つかないこと、
それで自分自身の回りに壁を築き、 自分自身を孤立させること、
あなたを傷つけかねない 他の人たちを恐れること、
気持ちよいであろう仲間を いつも探し求めることと、
そして回避すること、いつも 張り詰めていて、神経質です。
それで次第に、あなたは 神経症になります。
1:13:47
その傷の帰結は、自分を傷つけ かねない他の人間たちから
引き下がることだけではなく、
また次第に孤立が 起きつつあります。
その孤立をとおして、あらゆる 種類の神経症的な習慣、
態度と振るまいです。
|
|
1:14:13
で、これを観察するとき、
傷はあなたより 異なっていますか -
あなた自身についてイメージを 持っているものより、です。
質問を理解されますか。
すなわち、
私は、自分自身について イメージを持っています -
私は偉大な人であるとか、 私はあれやこれである、と。
そのイメージは、子ども時代から 創り出されてきました。
あなたは何者かで なければなりません -
可能なら、 ジュリウス・
シーザーか、
可能なら、偉大な聖者か、
最高経営責任者か、 それらの政治家の一人です。
あなたは、何者かで なければなりません。
そして次第に、自分自身に ついてイメージを築き上げます
- 尊い、卑しい、 不充分だ、充分だ。
ほとんどの人々には そのイメージがあります。
1:15:28
そしてあなたが、何か きついことを、言うとき
- 私の妻、夫、友だち、 隣人なのですが -
私は傷ついています。
それは イメージが傷ついているのです。
すなわち、私が私自身について 創り出してきたものが、です。
そのイメージは、「私」です。
私が、私は傷ついて いると言うとき、
私は、私であるイメージだけでなく、 またそのイメージを作る者も、
言っています。
これに 付いてきておられますか。
で、私は、私が自分自身に ついて築いてきたイメージより、
異なっていません。
そして傷があるとき、傷ついて いるのは、イメージです。
それを私は、「私」として 自己同一視してきたのです。
で、私は、「私は傷ついて いる」と言います。
1:16:32
そして社会全体、 社会的な構造、道徳的、
宗教的な構造が、そのイメージを 維持するように、私を助けています。
明白です。
で、私が
そのイメージを持っているかぎり、 私は傷つこうとしています。
私が何をしようとも - それを抑圧 しようとする、それから逃げ去る、
分析者へ行く、それを 分析者とともに分析する、
その他すべてです - それは いつも、残っているでしょう。
なぜなら、私は自分自身について イメージを持っているからです。
|
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1:17:12
さて、問いはこうです -
単一のイメージもなく生きる ことは、可能ですか。
ああ!
それが本当の問いです。
どうすれば 傷つかないのかや、
傷ついているので、どう傷から 自由であるのか、ではない。
本当の問いはこうです - イメージがあるかぎり、
そのイメージは、その傷の その記憶を保持するし、
未来の傷を 回避するでしょう。
で、問いは こうです -
単一のイメージをも 持たないことは可能ですか。
あなたの国について、あなた自身に ついて、何についても、です。
なぜ私たちは、イメージを持って いますか - 私たち自身について、
隣人、妻、誰かしらの人に ついて、です。
なぜですか。
政治家たちについてです。みんなが イメージを持っているでしょう。
1:18:16
ここの現在の首相は誰ですか。 ああ、サッチャー夫人です。
みなさんは、あらゆる人について イメージを持っていますが、
最も重要なイメージはあなた 自身です。
なぜですか。
それは、それが自分に安全を 与えてくれるからですか
- 安全港、
恒常的であり、揺るがず、 安全である港を、です。
そのイメージが あなたを扶養します。
そのイメージは、 それが存在するかぎり、
どれほどあなたを 保護してくれようとも、
傷つこうとしています。
いつも、もっと良い人が います - もっと美しい、
もっと利巧な、もっとこれ、 もっとあれな人が、です。
|
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1:19:27
問いは、どうイメージを 取り除くのか、ではありません。
また、どんな機構がイメージを 作るのか、ではない
- それは相当に単純です。
それは、私たちが自分自身について 果てしなく考えることです。
それが問いではありません。
問いは、こうです -
単一のイメージもなく、生を 生きることは、可能ですか。
あなたがイメージを持つことを要求 する、この現代世界に生きていて、
イメージから完全に 自由であることは、です。
なぜなら、イメージは必然的に 傷つこうとしているからです。
回避不可能です。
そして、傷つくのがお好きなら、 傷つくのを楽しんでください。
その種類のことを愛する加虐 趣味で神経症の人々がいます。
1:20:37
私の友だちが、はるか昔に 私に言いました -
どうしてあなたは、 嫉妬があるところ、
愛は存在できないと、 言えますか、と。
その友は言いました -「もし 私が妻に嫉妬していないなら、
私は彼女への愛を持っていま せん」と。
理解されますか。
で、同様に、
私はイメージを 持っているかぎり、
私は傷つくであろうことを 悟ります。
それは事実です。
そして今、私の探究は、単一の イメージもなく生きることです。
それは全的に 可能ですか -
そのための私の言葉を真に 受けないでください。
あなたは、そうしたいのなら、 あなた自身、それを探究できます。
何についても単一のイメージも なく生を生きることが、です。
1:21:46
あなたがそのイメージの 本性を悟るときだけ -
それがどう 組み立てられてきたのか、
思考と欲望と物事すべてがそれを どう扶養するかを(悟るの)です。
あなたが、それの事実を、 それの真理を見るとき、
そのとき、イメージを作る者は 終わりになります。
そしてあなたはいます。
イメージを持っていない精神です。
それは、全的に完全に自由で ある精神を、意味しています。
ほとんどの人々は、 自由でありたくありません。
それはあまりに 怖ろしいのです。
で、彼らは、自らのお気に 入りのイメージに戻ります。
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1:22:38
で、今朝の、一時間半 近くの講話の終わりに、
私たちはどこに いますか。
私たちは、イメージが最も 破壊的な生き方であることが
実際に見えますか。
私たちは、 他の一人に従うことが
けっして自分の病を治さないで あろうことが、見えますか。
治すこと、健全さ、健康は、
自らが自分自身にとって全的に 光であるとき、あるのです。
いいです。
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