BR81Q2 - 質疑応答会合、第2回

質疑応答会合、第2回
回イングランド、ブロックウッド・パーク
1981年9月3日
テキストのみのバージョン
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1:09
すてきな天気であるのが うれしいです。
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1:17
先日私たちがこれらの問いに 答える中で、言いましたように
それらはあまりに 多くあります。
私たちは、それらのすべてに 答えられません。
私たちは、幾つかを 選んでおきました -
他のすべての問いを代表する であろうと望むものを、です。
私たちはともに 問いを検討できます。
可能なだけ深く問いを 探検できますが、
話をすることに、問いに 答えることと読むことに、
終わりはありません。
もし私たちがそれらのどれをも 自らの日常生活において、
行為に移さないなら、それらは ほとんど意味がありません。
きわめて複雑な社会において 健全な生を生きることは、
ますます困難に なりつつあります。
私が「健全な(正気の)」という のは全体的(ホール)、健康的、
正常である(生)、ゆえに聖なる (ホーリーな)生という意味です。
2:49
私たちは、単純さの感覚 すべてを失ってしまいました。
衣服の簡素さではない。
私は そのことを言っていません。
見通しの単純さ、 私たちの生における単純さ
- こうもひどく 自己中心的でないことです。
それは、ますます 困難になりつつあります。
そして、生の残酷なことと 獣みたいなことと
卑俗さすべてから自由な 生を生きることは、
かなり困難だと思われます。
私たちがここで行ってきた これらすべての会合の間
- そしてここ五十年か三十年か 四十年の間、世界中でもです -
本当に適用する人は、ほとんど いないと、思われます。
私たちに聞こえることを、一貫して 継続的に適用している人は、です
- それの真理が何であるかを 見出し、それを生きるように、です。
或る種の馬鹿で愚かなアシュラムへ 逃避するのではない。
その言葉「アシュラム」は サンスクリットで、
静養する、という意味です。
4:30
静養をすることは良いが、 強制収容所で、ではありません
- それらは、導師たちが 養成しているのです。
で、これらすべての問いに 答える中で、
どうぞ、私たちはともに それらを検討しています。
ともに私たちはこれらの問いの 含蓄全体を、見ているし、
この世界で健全な生を生きることが 可能であるかどうかを、見ます。
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5:10
第一の問い: 「私たちは、 自分自身が戦争の恐れの中に
生きているのを、見つけます
- 職を持っているなら、 それを失う恐れ、
テロ行為、自分の 子どもたちの暴力の恐れ、
無能な政治家たちのなすがまま であることの恐れの中に、です。
私たちは、今日そうであるような 生にどのように出会いますか。」
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5:42
「私たちは自分自身が戦争の 恐れの中に生きているのを
見つけます - 職を持って いるなら、それを失う恐れ、
テロ行為、自分の 子どもたちの暴力の恐れ、
無能な政治家たちのなすがまま であることの恐れの中に、です。
私たちは、今日そうであるような 生にどのように出会いますか。」
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6:11
あなたはそれに どう出会いますか。
世界がますます暴力的に なりつつあることは、
当たり前に 取らなければなりません。
それは明白です。
戦争の脅威もまた きわめて明白です
- 南アフリカ、中東などです。
また、私たちの 子どもたちもまた
暴力的になりつつあることも きわめてふしぎな現象です。
或る年、インドで或る母親が 私たちに会いに来たのを、
憶えています。
母親は 恐怖していました。
なぜなら、インドの伝統で 母親は
大きな尊敬をもって 配慮されているからです。
彼女は会いに来て、「私の子どもたちは 私を叩いてきました」と言いました。
インドでは聞かれなかった ことです。
理解されますか。
で、この暴力は世界中で 拡がりつつあります。
そして、質問者が仰るように、 職を失う恐れがあります。
これらに向き合い、 これらを知って、
今日そうであるような生に どう出会いますか。
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8:07
私は知りません。
私は自分自身で知ります。
私は自分自身で、それにどう 出会うのかを知りますが、
あなたがそれにどう出会う であろうかを、私は知りません。
初めに、生とは何ですか。
存在と呼ばれる このものは、何ですか
- 悲しみに充ち、 過剰な人口、無能な政治家、
世界で進んでいるすべての たくらみ、不正直、賄賂。
それにどう出会いますか。
確かに、初めに
探究しなければなりません - 生きるとはどういう意味ですか。
あるがままのこの世界に生きる とは、どういう意味ですか。
私たちは、自らの日々の生を どう生きますか
- 実際に、です。
理論的に、ではない。
哲学的に、とか、 理想主義的に、とかではなく、
実際に、私たちは自らの 日々の生をどう生きますか。
9:43
私たちはそれを 検討するなら、
または、それに真剣に 気づいているなら、
それは常なる闘いです。
常なる 格闘、努力に次ぐ努力です。
朝に起きることすら 努力です。
私たちは何をするのでしょうか。
それはそういうことになります。
私たちはとうてい それから逃避できません。
私は、幾人もの人々を 知っていました -
世界はそこに生きることが不可能 であると言った人たちです。
彼らは全的に、完璧に 引きこもりました -
どこかヒマラヤの山々か、
カリフォルニアのシエラ (山地)へ、です。
そして、消え去りました。
それは単に回避、 実在からの逃避です。
または、コミューンに 没頭するか、
広大な地所をもった どこかの導師に加わり、
そこでもまた 迷ってしまいます。
11:22
それらの人々は明白に、日々の 生の問題を、解決しません。
または変化を、社会の 心理的革命を、探究しません。
彼らは、このすべてから 逃避します。
私たちが逃避しなくて、あり のままのこの世界に実際に
生きているなら、私たちは 何をするのでしょうか。
私たちは、自らの生を 変化させられますか。
私たちの生においてまったく 葛藤を持たないこと
- それは可能ですか。
なぜなら、葛藤は暴力の 一部であるからです。
何かであろうとするこの 常なる格闘は - 世界において
経済的にも、社会的にも、 道徳的にも、内的にも、です -
何であることは、私たちの生の 基礎です - 格闘する、格闘する。
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12:37
私たちは、この世界に 生きる人間として、
私たち自身を変化させられますか。
それが本当に問いなのです。
根本的に、心理的に 私たち自身を変容させる
- 最終的にではなく、 時を認めないで、です。
真剣な人にとって、本当に 宗教的な精神にとって、
明日はありません。
これはなかなか、 きびしい言葉ですが、
明日はありません。
今日の豊かな崇拝だけが あります。
私たちは、この生を 全体的に生きられますか。
そして日々、私たちの互いとの 関係を、実際に変容できますか。
それが本当の主題です。
14:05
世界が何であるのか、 ではない。世界は私たちです。
世界は私たちであるとの現実の 実在が、ますます見えます。
どうぞ、これはそうなのです。
世界はあなたです。
あなたは世界ですし、 世界はあなたです。
それは、明白な ひどい事実です。
もし私たちがその挑戦に 完全に出会わないのなら、
すなわち、私たちが、
その醜さすべてをともなった 世界であることを悟るのです。
私たちがこれらへ 寄与してきたのです。
私たちは、これらへ 責任があるのです -
中東とアフリカで 起きつつあること、
世界で進んでいる 狂気すべてへ、です。
私たちはそれへ 責任があります。
15:16
自らは実際に責任は ないかもしれませんが、
私たちの祖父、祖母と 曾祖父たちが
これらへ責任が あったのです
- 奴隷制、数千の戦争、 帝国、帝国の残忍性。
私たちはその一部です。
もし私たちが、これらへ 大いに責任を感じないのなら
- それは、私たち自身へまったく 責任がある、という意味です。
私たちがすること、 私たちが考えること、
私たちの振るまい方へ、です -
そのときそれは、かなり 希望がなくなります -
世界が何であるかを知り、
私たちは個人的に、分離的に、 テロ行為のこの問題を
解決できないことを 知って、です。
それは 諸政府の問題です -
その市民たちが安全で保護される ように見届けることは、です。
16:29
彼らは気にするように 思われません。
もしも各政府が、自身の人々が 保護されなければならないと
関心を持っていたなら、 戦争はないでしょう。
しかし見たところ、諸政府も 正気を失ってしまいました。
彼らは、党利党略の政治を 考えているだけです -
彼ら自身の権力、地位、威信を、 です。そのゲーム全体をご存じです。
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16:58
で、私たちは、 時を認めないで
- すなわち、明日、 未来を、ですが -
今日ばかりが重要である ように、生きられますか。
で、自らはとてつもなく鋭敏に ならなくてはなりません -
私たちの反応へ、 私たちの混乱へ、です。
そうね、私たち自身へ 猛烈に取り組む。
見たところ、それが私たちに できる唯一つのことです。
私たちがそれを しないなら、
本当に、人にとって 未来はありません。
あなたが、 新聞の見出しの幾つかを
追われたことがあるのか どうか、私は知りません。
彼らはみんな、戦争の 準備をしています。
あなたが何かの 準備をしているなら、
あなたは、それを 持とうとしています
- 良い料理を 準備するように、です。
見たところ、世界の通常の人々は 気づかうように思われません。
18:47
知的に、科学的に戦争の発生に 関与している人たちは、
気にするように思われません。
彼らは、自分の経歴、 自分の職、自分の研究に、
興味を持っているだけです。
そして、相当に通常の人々、
いわゆる中流階級である 私たちは、
私たちがまったく 気にしないなら、
そのとき、私たちは本当に、 参ったと言っています。
そして悲劇は、私たちもまた気に しないように思われることです。
私たちはまとまりません。
ともに 考えません。ともに働きません。
私たちはあまりに進んで、 制度、組織に加わります -
組織、制度が 戦争を止めるだろう、
私たちが互いに屠殺し合うのを 止めるであろうと望んで、です。
それらがそうしたことは 一度もありません。
20:02
制度、組織はけっして、これの どれをも止めないでしょう。
これに関与しているのは、 人間の心と人間の精神です。
どうぞ、私たちは 修辞的に話していません。
私たちは、何か本当に きわめて、きわめて
危険なことに、 向き合っています。
私たちは、これらに関与して いる著名人たちの幾人かと、
会ったことがあります。
彼らは気にしません。
しかし、もし私たちが 自らの生を気にするなら、
もし私たちの日々の生が 正しく生きられるなら、
もしも 私たちの一人一人が、
自分たちが日々している ことに気づいていたなら、
そのとき、未来への希望が 何かあると、私は思います。
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21:10
第二の問い: 「何か真に 宗教的なものへの人の探求は、
単純に、彼の永遠の 取得欲の拡張ですか。
または、それは何か 全面的に違ったものですか。
反応ではなく、
究極的な実在へ向かう 深く根源的な動きですか。」
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21:31
「何か真に宗教的な ものへの人の探求は、
単純に彼の永遠の取得欲、 利己性の拡張ですか。
または、それは何か 全面的に違ったものですか。
反応ではなく、
究極的な実在へ向かう 深く根源的な動きですか。」
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22:01
これは、きわめて 複雑な問いです。
気をつけて、 それに入りましょう。
なぜ私たちは 探求しますか。
なぜ私たちは、何かを 探し求めますか。
私たちはいつも探し求めて います。
なぜですか。
それは、私たちがまったく不満足 である、ということですか -
私たちが触れるもの、 見るもの、
嗅ぐもの、感じるもの すべてに、です。
私たちの探求は、本当は 深くは、満足へですか。
私たちはそれを、真理への 探求と呼ぶかもしれません -
神への探求、幸せへの探求、 あれやこれへの探求、と。
しかしそれは、私たちが みんな、何らかの形で
或る種の深い長続きする 満足、充足を、
探し求めている、 ということですか。
あなたはそれを、神と 呼ぶかもしれません。
あなたはそれを、真理と 呼ぶかもしれません
- お好きな名前を 付けてください。
それは、私たちが、長続き、 長持ちする揺るがない満足、
何か深い安全を欲しい、 ということですか。
そして究極的に、安全と 満足がありますか。
安全とは何ですか。
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24:02
どうぞ、ともに検討しましょう。 安全とは何ですか。
私たちは物理的に、安全を 持たなくてはなりません
- 衣食住を 持たなくてはなりません。
それは絶対に 本質的です。
しかし、人口過剰の世界において それはやはり・
・・
それはやはり 欠乏しています。
あなたが東洋の国々、アフリカ やインドやそれらの国々へ
行くなら、そこでは毎年、 千五百万人が生まれ、
インドの人口に加わっています。
毎年、千五百万人です!
すなわち、オランダの人口 ほども毎年、加わっています。
25:03
諸政府は、無能で 制御できません -
産児制限と、 その他すべてです。
そしてまた問題は、 宗教的なものがあります。
彼らは輪廻転生を 信じています。
そして、魂は生まれ 変わるのを待っている、と。
理解されますか。
で、可能なかぎり、 多く出産します。
それらの人々は、物理的に まったく安全を持っていません。
インドは、七億近い人口を 持っています。
ヨーロッパにもまた 過剰な人口があります。
私たちはみんな安全を 探し求めています
- 物理的に安全を、です。
26:06
それもまた、ヨーロッパと アメリカのような裕福な社会で
拒否されつつあります。
なぜなら、彼らもまた戦争の 準備をしているからです。
彼らは、物理的な安全を持つ ことについて、話します。
彼らの幾らかか、彼らの大多数は 物理的な安全を持っていますが、
いつも、戦争の脅威が あります -
それが、物理的な安全を 拒否するのです。
民族的分割は 安全を阻害します。
すなわち、この部族主義は 安全を阻害しつつあります。
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26:54
また私たちは、知的か心理的な 安全をも、欲しいのです。
世界中の教会、寺院、 神殿、モスクは、
あなたたちに 心理的安全を与えます。
少なくとも、彼らは 与えると考えます。
書物 - それらはご存じです -
心理的な安全が そもそもありますか。
どうぞ、ともにじっくり 話し合いましょう。
自分は心理的な安全が 必要であると、感じます -
何かに依存すること、
壊れえない何かを所有する ことが(必要であると)です。
で、私たちは 信念を創案します -
神への信念、 何らかのものへの信念です。
それは、思考により 創案されます。
28:05
私たちは安全であるために、その 創案が必要であると、考えます。
私はキリスト教徒です。
私は救い主を信じています。
私は崇拝します。
私は それに取りすがります。
インドで彼らは同じことを します - 世界中で、
彼ら自身の特定の形の信念と 信仰をもって、です。
あなたがそれを間近で見つめる とき - たとえ知的にでも -
そしてあなたが、はるかに 深くそれを、見つめるなら、
それは恐れです。
何物でもないとの恐れ、
何でもあなたの経験、あなたの 価値、それらを失うとの恐れです。
私たちは、何か幻影のような ものへ、取りすがります。
さて、男(マン)や女は - 私たちが
人(マン)という言葉を使う とき、女が含まれています -
29:22
どうぞ、ウーマン・リブとその他 すべてにならないでください。
人は、安全を探し求めて、 或る種のものを見つけるとき、
どれほど幻影のようでも、 どれほど神経症的でも、
彼はそれに縋りつきます。
彼はそのために闘う、 そのために殺すでしょう。
あなたはこれらを 見てきました。
で、そもそも安全がありますか - 心理的に、です。
どうぞ、それをじっくり 考えてください。
ともにじっくりそれを 話し合いましょう。
私は心理的に 安全を欲しいのです。
私は、民族主義の信念に 安全を見つけます。
私は、神に安全を 見つけます。
もし私はそれを 神に見つけないなら、
私はそれを、何か理論、 何か理想に見つけます。
または海外へ行ってしまいます - アジア世界へ、です。
そして、彼らがここ 三、四千年の間、
考え出してきた何かを、 見つけます。
30:43
で、私はいつも、その安全を 探し求めています。
知的に私は、それの 不条理、それの愚かしさ、
それの非論理性を 見ますが、
けれども、情動的に私は、 自分の中に
何か私が頼られるものを 持ちたいのです。
何かがありますか。
何かがあります -
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31:19
すべての理論、信念、 教義と民族主義が
幻影のようであることを、私が 完全に悟るときだけです。
それらが虚偽であるとの 悟りこそが、
智恵の行為です。
お分かりに なったのかと思われます。
何か幻影のようであり、 虚偽であり、
本当に裏に実体を持たない ものを悟ること -
その悟りこそが 智恵の行為です。
その智恵は 全的な安全です。
どうなのか、私は知りません・
・・ 私たちは互いに出会っていますか。
私は、例えば或る種の信念を 受け入れてきました -
すなわち、私と私の父たち 過去の世代に、
一定の安全を与えて くれたものを、です。
32:31
私は、彼らの孫として、 悟ります -
彼らが信じていたもの、 彼らが私に積んできたものは
幻影のようである。
それは何の 意味もないことを、悟ります。
その知覚自体が智恵です。
その智恵が 全的な安全です。
誰も、その智恵を 破壊できません。
その智恵は、私たち みんなに、共通しています。
それは、私の智恵 ではありません。
あなたのでもありません。
それは、知覚の智恵です。
これらの指導者、無能な 政治家、導師、それらは
こうも無意味であると 言うのは、智恵です。
それの悟り、知覚は、 長続きする智恵です。
それが、永遠に 続く安全です。
33:42
私たちはそれが見えますか。 理論的に、ではありません。
理想としてではなく、実際に、 です。
よろしいですか。
それはあなたに、 とてつもない自立の感覚、
深い自由の感覚を、 与えてくれます。
なぜなら、その智恵は 導くからです。
それは、あなたの意志、 あなたの意見、
あなたの価値、あなたの 先入観ではありません。
あの智恵は、見守って、 導いて、助けています。
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34:29
私たちは、 実在と真理との間を
判別しなければならないと、 私は思います。
実在は思考が創り出してきた すべての物事であると、
私たちは言えるでしょうか。
テントは実在です。
それは思考 により創り出されています。
自分が座っている椅子は、思考 により創り出されています。
しかし、木材は思考により 創り出されていません。
自然は、思考により 創り出されていません。
樹は、思考により 創り出されていません。
「誰がそれを創り 出したのか」と言って、
何か神秘的なことへ逸れて いかないでください
- 神と自然と、 その他すべてへ、です。
私たちは現実、実在を知覚する ことについて、話しています
それは、現実と真理です。
35:39
で、私たちは こう言っています -
思考が創り出してきた物事 すべては、実在である、と。
自然は思考により 創り出されていません。
虎は、あなたが野外で それを見たことがあるなら
- 私たちが幾つかの機会に見て、 ほぼそれに触れたように、です -
それは、思考により 創り出されていません。
それは、あまりに 広大すぎます。
思考は創り出してきました - 外科医、通信、ビルディング、
そして寺院の中にある物事 すべてを、作りました。
そのすべてが、実在です。
真理は、思考により 組み立てられていません。
真理は、何か時、思考より 自由なもの、
そして、何かすべての知覚を 越えているものです。
で、私たちが、 これら二つの事柄、
実在と真理について明らかで あるなら、そのとき私たちは
けっしてこれらの用語に ついて、混乱しないでしょう。
37:12
そして、永遠に真実で あるものを知覚できるのは
智恵だけです -
犠牲、崇拝、祈り、それらの ものではありません。
それらはすべて、 思考の扇動でやられています。
または、思考の創案です。
しかし、真理は 慈悲、愛を要求します。
そして、慈悲と愛に 智恵が伴います。
智恵は、慈悲より 分離していません。
慈悲は、愛より 分離していません。
それはすべて一つです。
それなしには、真理は とうてい存在できません。
第三の問い: 「私たちの生において
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38:14
あらゆる物事に出会うであろう 正しい行為は、何ですか。」
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38:20
「私たちの生において
あらゆる物事に出会うであろう 正しい行為は、何ですか。
」
まず第一に、 私たちがいかに行為を
砕いてきたかを、 ともに検討しましょう。
政治的行為、 社会的行為、
宗教的行為、理想主義的 行為が、あります -
何か経験や理論に 基づいた行為です。
で、私たちの行為は 砕けています -
ビジネスの行為、家族の行為。
宗派的な行為、
教区の地元の行為、
ロビーストの行為
- 彼自身の安全や、 特定投資の安全に
利害を持っている 人たちの、などです。
それらはすべて 砕けてしまった行為です。
それは事実です。
それは真理です。
また、人格的な行為も あります - 自分の意志、
自分の心配、他の一人との 関係に基づいたものです。
40:08
で、私たちの存在、すなわち 私たちの日々の生は
全的に砕けて しまっています。
自らはそもそもそれに気づいて いるのかどうかと思われます。
または私たちは、一つからもう 一つの行為へ漂うだけです。
朝 9時にオフィスへ 行ってしまう。
それは、そこで特定の 行為を持っています。
家に戻ってくる。
それはもう一つの行為です。
自らがこの事実に深く気づいて いるのかどうかと、思われます。
すなわち、私たちの生は 砕けてしまい、
気をつけて部門化されている、 と(いう事実に、です) -
外科医、大工、 司祭者と政治家です。
私たちは、自らの 行為について素人です。
で、自らの生が実際に、 様々な行為の部門に
砕けてしまっている ことを悟るなら
- たぶん互いに 矛盾し合い、
互いよりそれ自体で 不充分であり、
それらのすべてを統合 しようとしている。
私たちのほとんどが そうしようとしています。
41:53
この統合は 不可能になります。
あなたは、二つの対極を 統合できません。
けれども、それが、私たちが しようとしていることです。
で、自らの生が砕けて しまっていることを、
悟る、実際に知覚するか、 気づいているなら、
そのとき訊ねます -
砕けていなくて全体的である 行為が、ありますか。
そういう行為は、あなたがする ことすべてに、適用可能です。
これに付いてきておられるのか どうかと、思われます。
私たちはともに ここにいますか。
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42:57
私は自分の生が - 私が悟るなら -
私は、自分の生が砕けて いるのを、悟ります。
私は、それが統合できない ことをもまた知っています。
統合性(誠実さ)は、 何か全然違ったことです。
で、私は自分自身に訊ねます - 生がありますか。
表面的にではなく、深く、
砕けていない生が ありますか。
理想を追求していない 生がありますか -
(理想の追求)それはまた砕けて いることを、意味しています。
もし私が暴力的であり、
私は、暴力的でないとの 理想を持っているなら、
私はすでにそれを 砕いてしまいました。
これに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
43:58
私はすでに自分の生を 分割したのです。
で、私は、理想が無益で あるのを、悟ります。
私が暴力的であるとき、なぜ私は 非暴力の理想を持つべきでしょうか。
私は、これがインドからもたら されたものの一つであるのを
知っています。
政治的、宗教的、その 他すべてで、この非暴力の賛美です。
語り手はこの点についてインドで 創始者と、議論してきました。
話をすることは、こうも 不可能です。
私たちは、
何か先入観へ深く根づいた 人々へ、話してきました。
または彼らは、自分自身を 理想主義者と呼びますが、
事実はこうです -
自らの生を砕いてしまう、どの 形、どの分割、どの感覚も、
必然的に葛藤を もたらすでしょう。
45:12
すなわち、もし私が 暴力的であるなら、私は
非暴力の理想は要りません。
しかし、私は暴力的です。
重要なことは、 その暴力を理解すること、
原因を見ることです。
そして、原因を知覚することが 原因が終わることです。
それは、外科医が私は何か 病気を持っていることを
見るのに、似ています。
彼は、
それは手術しなければならない と言うし、それは終了します。
同様に、私が暴力的であることを 見る、原因を発見するなら、
その原因は根絶できます。
明白です。
しかし、私が非暴力の 観念を追求するなら、
私は、事実から動いて 離れつつあります。
46:09
理想は事実ではありません。
対極はけっして 事実ではありません。
事実としてあるのは、 今、起きつつあることです。
私が暴力的であるなら、 私はそれに向き合います。
それを見つめます。
私はそれに 入ります。その原因を見ます。
私は、原因は
自分が暴力的であると考える 思考者であるのを、見ます。
これらに付いてこられるのか どうか、私は知りません。
いいえ。私は少しこれを、説明 しなくてはいけないでしょう。
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46:52
暴力は私より 異なっていますか。
ゆっくり、それに入りましょう。
私たちは互いに出会うでしょう。
私はこの怒りの感覚を 持っています
- 私が持っている なら、です。
まず第一に、暴力が何で あるかを、定義しましょう。
暴力は、怒り、憎しみ、 怒り、模倣、順応、
服従することです。
そのすべてが 暴力の一部です。
そして私は、たまたま暴力的 です - 仮にそうします -
私は、よく気をつけて、
それを見つめることにより、 その原因が見えます。
一歩一歩、私は それが見えます。
私は、それをどう 取り扱うのか、
原因を根絶するのかを 知りません。
それで私は、非暴力を 創案します -
暴力を取り除くための梃子 として、です。ですね?
48:14
で、私は、事実から非事実へ 逃避しつつあります。
で、私は自分が逃避しつつ あるのを悟るとき、
あの動きを止めます。
そのとき私は、自分が 暴力的であるのを、見ます。
暴力は、私より 分離していますか。
または私が暴力的ですか。
よろしいですか。
暴力は私の一部です。
怒りが私の一部であり、
貪欲が私の一部であり、苦しみが 私の一部であるように、です。
心配、痛み、憂鬱、 さびしさは、私です。
しかし思考は、暴力より 「私」を分離してきました。
これを悟られるのか どうか、私は知りません。
で、私はいつも、暴力に 対して、行為しています。
それを抑圧し、 それを合理化し、
そのための言い訳を 見つけています。
しかし、私が、 思考者は思考である、
観察者は観察されるもの であるのを、悟るとき、
そのとき分割は 終わりになります。
49:46
分割があるところ、葛藤が あるにちがいありません。
どうぞ、これに 付いてきてください。
私は葛藤を全的に消去したの です。
理解されますか。
私は暴力より 分離していません。
しかし私は、 幾世代にもわたって、
私は分離していることを 教育されてきました。
私の習慣、私の条件づけは 暴力と戦うことです。
それは暴力の一部です。
で、私は、観察者は観察される ものであることを、悟ります
- 経験者は経験である、と。
これをご覧になるのか どうか、私は知りません。
で、私はそれを悟ります。
それで私は、私の精神から、
葛藤の観念、概念、習慣 全体を、消去したのです。
50:52
あなたはこれを、私と ともになさっていますか。
すなわち、その言葉に 完全に留まること
- 「暴力」という言葉に、
そして、暴力をもたらした過去 の出来事の思い出に、です。
言葉は、思い出、映像です。
その映像、その象徴、 その言葉は、私です。
いいですか。
どうぞ、 これは論理的で、健全です。
それを見つめてください。
それは「私」です。
それで、私は止まります。
精神は行為するのを止めて、
それに留まります。
それより逃避しません。
で、あなたが何かに留まる とき - 全面的に、完全に、
あなたの注意すべてで もって、です -
そのものは完全に 消え去ります。
52:03
で、暴力をすっかり 消去します。
しかしあなたは、 非暴力を追求するなら、
けっしてそれを終わらせない でしょう。
なぜなら、追求の中で
あなたは、いつの時も暴力の 種を播いているからです。
理解なさるのかどうかと 思われます。
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52:30
で、質問者は訊ねます - 正しい行為は何ですか。
私たちは言いました - 私たちは自らが砕けている、
私たちの生は砕けている ことを見るときだけ、
正しい行為はある、と。
その気づきから、 質問をします。
砕けていない生が ありますか。
この現代世界に 生きていて、私は、
異なった矛盾した行為 なしに、生きられますか。
すなわち、オフィスへ行く、 家に帰る、
外科医である、 家に帰る、
科学者、家に帰る - よろしいですか -
すべて砕けています。
この矛盾し砕けた 生の結果は、必然的に
暴力、緊張、心不全を もたらすでしょう。
そうね、 サーカス全体です。
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53:52
で、私たちは訊ねています - 全体的である生がありますか。
何が正しい行為であるか、 ではない。
自らは全包括的な生を 生きられますか。
すなわち、私がオフィスへ 行くとき、私はいつも同じです。
理解されますか。
私が家に帰るとき、 私は、私なるものです。
私は、良い大工、配管工、 技術者であるかもしれません。
が、私は、全体的である 生を、生きています。
私たちは互いに 理解し合いますか。
その生の全体性があるとき、 その自体が正しい行為です。
あなたが何をしようとも、その中 から、正しい行為があります。
54:59
正しい行為、 それ自体はありません。
しかし、私が、 砕けた矛盾した生を
その錯綜すべてとともに悟る とき、正しい行為があります。
その悟りこそが、 全体の知覚をもたらします。
これが今、あなたに起きつつ ありますか。
後生ですから!
そういうわけで、
みなさまが次の百年間、 語り手に聞こうとも、
私たちが今ここにともに座っていな がら、実際に悟らないなら、です。
智恵の行為は、全包括的 (ホリスティック)です。
56:03
その智恵は 養成できません。
それは、あなたが学校へ行き、 智恵があるよう学ぶものや、
専門校へ行って、どう敏感に なるかを語られることにより、
敏感になるものでは ありません。
しかし、現実を 変更したいとの欲望と、
それにまつわるやきもき なしに、現実を見るなら、
何が起きつつあるのかを 実際に見るなら、
その知覚こそが智恵です。
その中から、その智恵は いつも正しい行為です。
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56:55
第四の問い: 「お金への 正しい関係は、何ですか。」
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57:06
あなたが何も持っていない なら、何も関係はありません!
語り手のように、 それはとても単純です。
しかし、真剣には、
お金への正しい関係は 何ですか。
なぜお金はこうも 重要になったのですか。
それを探究しましょう。
私たちはデルフォイの神託 ではなく、法を定めたり、
どう考えたり、したりすべきかを あなたに語ったりしていません。
私たちはともに、生の問題を 理解しようとしています
- それはきわめて複雑です。
それは、深い検討が必要です - 非個人的に、客観的に、健全にです。
で、これは問題の一つです - お金です。
なぜお金は、こうも 重要になったのですか。
それは、私たちが世間的に なってしまったからですか。
「世間的」 -思考が組み 立ててきた物事に執着した、
という意味で、私は (その言葉を)使っています。
それが、私が訊ねている 第一の問いです。
それは複雑な問いです。 私たちはそれに入るでしょう。
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58:46
それは、お金が私たちに自由を 与えてくれるからですか。
あなたは旅行できます。
たくさんお金を持っているなら、 あなたは権力を持てます。
あれやこれやの主に なれます。
お金を持っているなら、あなたは 社会的地位を持っています。
あなたは尊敬されます。
あなたは仰ぎ見られます。
これは 起きつつあります。
あなたはお金を持っている なら、ほとんど何でもできます
- すべての法律に逆らいます。
これは毎日、見られます。
お金は、 一つの国からもう一つへ
移転されると 思われていませんが、
あなたは、 裕福であるなら、
スイスに秘密口座を 持っています。
これらはご存じです。
または、大きな富を アメリカなどへ移転します。
そしてお金を持っているなら、 あなたは楽しめます。
で、それらすべての意味で、
お金はとてつもなく 重要になったのです。
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1:00:22
そして、お金なしでもまた、 あなたは大したことはできません。
あなたは、何か 衣服などを欲しいなら、
幾らかお金を 持たなければなりませんが、
問いは本当はこうです - なぜ私たちの生においてお金は
必要なものを買うか、何か 快いものを持つのを別にして、
すてきな絵や、すてきな花瓶や 何か美しい装飾品を、ですが、
それらを別にして
- またはあなたが運が良ければ、 美しい庭を、です。
それを別にして、
なぜ私たちは、お金を こうも強調しますか。
どうぞ、あなたがそれに 答えてください。
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1:01:36
あなたが悟られるのかどうか、 私は知りませんが、
宗教は、何になったのか - 組織的な宗教、
巨大な富。
それらは本当に、 神の名における企業組織です。
導師たちのこの巨大な富、 信じられない富。
それは、私たちのみんなが - みんなが、ではなく
私たちの幾人かが、これらの 方々へ与えてきたのです。
それで、お金が 重要になったのです。
あなたが寺院、神殿 などへ、行くとき、
そこではいつも、お金が 求められています。
私たちはこうもお金に没頭して (占有されて)いますか。
お金を持たない 貧しい人は、当然、
それについて考えています。
しかし、私たちのうち、 少しお金を持っている者、
私たちはそれに没頭して (占有されて)いますか。
私たちの主な関心事や没頭 (占有)は、お金ですか。
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1:03:07
それは、別の問いを 目覚めさせます - すなわち、
なぜ私たちの精神は 永続的に没頭していますか。
何らかの物事に没頭して (占有されて)いる。
あなたが冥想について 話しているとき、
そのときあなたは、 それに没頭しています。
神 - よろしいですか。
あらゆる人が、主婦から 最高の宗教的権威まで
没頭して(占有されて) います。
なぜですか。
質問を理解されますか。
これは 不適切な問いではありません。
それは適切です。
なぜなら、
私たちのお金へとか、セックスへ とか、あれこれへの没頭は
私たち自身の精神、私たち自身の 心の状態を、表示するからです。
何かに没頭する (占有される)。
それは、こういう意味 ですか - ビジネスへ、
お金へ、セックスへ、神へ、 導師へ、政治へなどなどの
この没頭が、私たちの頭脳を 満たしつづける、と。
質問を理解されますか。
1:04:47
それは、私たちが没頭しない (占有されない)ことを
恐れている、 ということですか。
どうぞ、それを 見つめてください。
私たち自身を見つめて ください。
すなわち、
私は朝から夜まで、没頭して (占有されて)いますか。
そして私が眠りに就くときも、 頭脳はまた没頭しています
- 夢に、あらゆる 種類の感受に、です。
で、頭脳が没頭していない 瞬間が、けっしてないのです。
そのとおりですか。
頭脳がそう没頭しているとき、 何も空間がありません。
理解されますか。
それで頭脳は、ますます 浅くなります。
あなたは、これが 起きるのが、見られます。
それは、私たちが没頭しない ことに怯えているからですか。
ゆえに、空間を 持っていないので、
頭脳はまったく 休みがない。
ゆえにそれは、自ずと 擦り切れます。いいですか?
1:06:19
自ずと擦り切れることは 老衰の一部です。
ですね?
で、没頭しない(占有されない) 可能性が、ありますか。
単に見る、観察する。
観察に 没頭しない(占有されない)。
ただ見る、観察する。
それで頭脳は休みを持つ。
記録しない。
なぜなら、私たちの頭脳は
いつの時も 記録しているからです。
これに付いてきておられるのか どうか、私は知りません
- それに興味がおありなら、 ですが。
そのとき、 あなたの頭脳は、
とてつもなく活きて、 柔軟になります。
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1:07:29
あなたは、単一の思考もなく、 観察したことがありますか。
樹を観察すること、水面を観察 すること - その上の光を、です。
女や男を観察すること -
その観察の帰結すべて、 感受なしに、です。
それであなたの精神は、本当に 没頭(占有)から自由です。
没頭し(占有され)ている頭脳は いったいどうして観察できますか。
質問を理解されますか。
どうして精神は、 むしろ頭脳は、
何か気軽なものにいつも 没頭し(占有され)ていて、
台所や神でもって 白昼夢を見ているのですが、
すべての没頭(占有)は 同じです。
優れた没頭や劣った没頭は ありません。
私たちは、没頭(占有)それ 自体について、話しています。
1:08:58
そういう精神は
本当に、世界で最も ブルジョワ的な精神です
- 共産主義者たちを 含めて、です。
おしゃべりは、この没頭 (占有)の一部ですか。
話して、話して、話している - 果てしなく、です。
よろしいですか。
さて、私たちは この没頭に気づいていますか。
そして、それが止まるのか どうかを見るために、
私たち自身で 実験していますか。
そのとき、恐れがあるのか どうかを見出し、
その恐れを追求する。
よろしいですか。
そのまさに終わりへ行き、 それを終わらせてください -
私たちが以前の講話でそれに ついて話してきたように、です。
そのとき、この頭脳に何が 起きるのかを、見てください -
すなわち、空間を持っている、 静けさを持っている、
没頭していないものに、です。
もしあなたが、「私はどうすれば それをすることになりますか。
歩み、方法を、どう没頭しないか を教えてください」と言うなら、
そのときそれらの歩み、それらの 方法が、あなたの没頭になります。
あなたは循環に 戻っています。
1:10:42
しかし、あなたが 没頭(占有)の帰結を見、
それの事実を見るなら、
あなたは動いて、 それを離れます。
で、自分がお金に没頭している なら、なぜですか。
あなたは貧しいのか - それは自然です。
そのときあなたは、それに関心 を持たなくてはいけませんが、
たとえあなたが 貧しいとしても、
永遠に、朝から夜まで 没頭すること。
そして、きわめて豊かな人もまた ひどく没頭しています。
お金をどう保ち、もっと それを増大させるのか -
その事柄全体をご存じです。 で、本当の問いはこうです -
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1:11:26
精神はすべての没頭(占有) から、自由でありえますか。
私が、或る出来事を 繰り返していいなら、
私たちはかつて ヒマラヤにいました。
喧噪すべてをはるかに 離れて、小屋に、です。
サンニャーシの一団が慌てて、 小屋に入ってきました
- 私に何かを語るために、です。
彼らは、そこに居住している 人物を、知っていました。
で、彼らは私に 会いに来ました。
そして彼らは、「私たちは、 山の中の、はるか離れた人から
来たばかりです。
彼は 知識に満ちています。
私たちは来たばかりですが、
私たちは、その知識に 満たされています」と。
私たちは、「その知識は 何ですか」と言いました。
そして私たちは それに入りました。
1:12:30
その終わりには、私たちは 発見しました -
すなわち、ヒマラヤに 生きている孤独な人物は
本当はまったく 孤独でないことを、です。
彼は、世間の知識すべてを 運んで、あそこへ上がったのです。
それで彼は、けっして一人では ない。
けっして静かではない。
彼は、その知識に満ちていて、 ゆえにおそらく、
何か全的に本源的なものを けっして経験できません。
没頭している精神は、本源的な 何かを、けっして経験できません。
それは、自由な、 空っぽな精神だけです
- 私がその言葉を 使っていいなら、です。
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1:13:17
私たちは数日前に、或る 科学者と話していました。
私たちは、 空っぽが生において
きわめて重要であると、言って いました- 真空ではない。
ただ空漠として、白昼夢を 見ているだけではない。
本当に没頭して(占有されて) いない精神は、
空間を持っていて、 全的に空っぽです。
私たちは、そういう 精神はエネルギーに
満ちていることを、 言っていました。
その科学者は 同意しました。
彼は、「空っぽがあるところ、 それは空っぽではない。
その空っぽこそがエネルギー です。
」と言いました。
私はあなたに何かを 語っています。
で、それについて考えましょう。 そうね、それを見つめてください。
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1:14:20
残念ながら、これが最後の 問いでなくてはいけません。
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1:14:24
第五の問い: 「あなたは、 解放は個人的な事柄ではなく、
全体としての人類に 関係すると、言います。
けれども、解放的な洞察は、 ブッダとキリストと
おそらくあなた自身のような個人 の特異な達成であったのです。
どうしてそれが、人類の 全体の事柄でありえますか。」
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1:14:49
「あなたは、解放は 個人的な事柄ではなく、
全体としての人類に 関係すると、言います。
けれども、解放的な洞察は、 ブッダとキリストとおそらく
あなた自身のような個人の 特異な達成であったのです。
どうしてそれが、人類の 全体の事柄でありえますか。」
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1:15:12
問いは明らかでしょうね。
まず第一に、
ブッダ、キリストと語り手を 放っておきましょう。
彼らは重要ではありません。
なぜなら、彼らは こうも多くの・
・・
弟子たちが何であるかを ご存じですか。
弟子たちは 教師を破壊します。
彼らは、たくさんの理論、 たくさんの戯言を考案します。
それについて書きます。
彼らは解釈者です。
解釈者たちがいるとき、 何が起きるかは、ご存じです。
で、よく気をつけて 問いを見つめましょう -
もし私たちがこれらの人物像から 自分自身を解放できるなら、です。
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1:16:26
洞察 - 解放的要因、すなわち 洞察ですが、それは達成ですか。
初めに、それは、 わずかな者たちへ
認められるか、 与えられるだけですか。
それは、まったく無私の 生を要求する何かですか。
それは、人格的でない 何かですか。
これに入るには、さらに行かな ければなりません - すなわち、
世界は私ですし、私は世界です。
それは私、語り手にとって事実です。
語り手は、世界より 分離していません。
そして世界は、彼より 異なっていません。
私たちは、相当充分に これに入ってきました。
人間意識は、 その内容すべてとともに
- すなわち、信念、 経験、知識、記憶、
恐れ、楽しみ、苦しみ、
痛み、心配、さびしさ、 絶望と、
世界の痛みすべては、人類 すべてに共通しています。
1:18:07
このとおりです。それは、 私たちのみんなに共通しています。
私たちが百万マイル離れて生きて いても、ごく間近ででも、です。
で、私たちは世界です - 心理的にです。
そして、 あなたは世界です。
さて、解放、啓明、 またはあの覚りは、
とてつもないわずかな者のために 留保されているだけですか。
または、もしもあなたが、 生の全体性へ
あのものすごい洞察を 達成するか、持ったなら、
あなたの意識は全然違って います。
いいですか。
当然です。
なぜなら、 あの解放的な洞察は、
あなたをあの意識の内容すべて より、自由にしてくれるからです
- 痛み、心配、さびしさ、 悲しみ、憂鬱より、です。
そのすべてが 拭い去られます。
1:19:31
あなたがそれをするなら、それは 事実です。そしてそれはできます。
それは、わずかな者のために 留保されていません。
しかし私たち人間は、執拗に、 持続的に適用していません。
私たちは弛んでいます。
私たちは一日これをしますが、
私たちは翌日、それに 倦んでいます。
そして私たちは 逸れていきます。
ボールはけっして、私たちの コートにありません。
それはいつも、他の人々の コートにあります。
で、私たちが維持できる能力 - 意志によってではなく、
知覚により、事実を見る ことによって、です -
そして事実に留まれる 能力があるなら
- 事実を離れた、どんな 動きもなく、です -
そのとき事実は 根本的な変化を遂げます。
あなたはそれをするなら、 これが見られます。
1:20:41
もし私が暴力に 完全に留まるなら
- すなわち、それについて 何かをしようとしない。
なぜなら、私が暴力 であるからです -
そのとき、暴力と呼ばれる あの感受の要因へ
あなたが向ける注意こそが、
それにこの注意の光が あるとき、
それは消え去ります - 完全に、永遠に、です。
あなたがそうするなら、あなた 自身でそれを発見するでしょう。
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1:21:24
あなたは、人間として 認識するなら、
あなたが全人類である、 心理的に全人類である、
ゆえにあなたは、とてつもなく 責任があることを認識するなら
- 何の罪悪感もなく、です -
そのとき、あなたの意識は 変化を遂げます。
明白です。
それが、洞察の 解放的な要因です。
もしあなたが、その洞察の 解放的な要因を持っているし、
あなたが自らの意識を 変容させたのなら、
あなたは、 何か新しいものの要因を
人類の意識全体へ 持ち込みつつあります。
理解されますか。 あなたが最近の実験を
1:22:22
追ってこられたのか どうか、私は知りません。
それは書かれています - 私は これらに入りたくありません。
私は開始しました。
だから、私は それを終了しなければなりません。
彼らは水槽に、ネズミを 数匹、入れておきました。
そして、二つの出口が ありました。
一つは暗いもの、 一つは光が付いています。
ネズミが斜道を登って、 光へ行ったとき、
ネズミはそれを通って 逃げられると思うのですが、
ネズミはショックを 受けます。
で、それは降りてきて、 他方へ行きます。
そちらは暗い。
そのとき、 ネズミはそこを通って逃げます。
それで、一般的に 父親か母親のネズミは
これを発見するのに 時間が掛かります。
1:23:36
それから、その子どもたちは はるかに速く学びます。
どうぞ、それは 遺伝的ではありません。
彼らのほうが はるかに速く学びます。
それで、多くの実験を 行うことなく、
わずかな実験の後、彼らは 暗い方を通り抜けて逃げます。
イングランドと、 オーストラリアと、
おそらくアメリカのどこかの 地方で、これが行われていました。
全然違っていて、互いに 連絡し合わないで、です。
オーストラリアのネズミは - どうぞ、これを聞いてください -
暗い逃げ道をはるかに 速く発見しました。
光を通ってではない - これを理解されますか。
理解されなくても、私は 説明しようとしていません。
1:24:34
それはきわめて単純です。
遺伝学がそこに 入ることなく、
イングランドのネズミは学ぶ ために時間が掛かりましたが、
ひ孫や玄孫(やしゃご)は はるかに速く学びました。
二つの試み、 そして暗い方から出る。
同じことがオーストラリアで 起きました。
博士たちは、互いに連絡し 合っていませんでした。
で、彼らは、集団意識がある ことを、発見したのです。
化学的にもまたそうなのです。
理解されますか。
で、この集団意識は - ああ、 私は疲れました!
-
存在しています。
ゆえに、はるかに速く学ぶ 一匹のネズミがいるとき、
その速さは、変容され、 意識全体へ伝わります。
1:25:37
理解されますか。で、 もし私たちが・・・
それから理解できますね。
お分かりですか。
私たちは何年もの間、これに ついて話してきています。
ネズミだけです!
ネズミだけがこれを明示したの です - 私たちの精神を、です!
とても興味深い。
私たち自身がどう 作動しているのかを見てください。
私たちは、何か真実のことを 即時に見ません。
それは時間が掛かります。
そのとき、私たちは学びます。
そして、遺伝子的に 私たちは変容します
- ああ、私はそれに 入らないでしょう。
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1:26:26
で、私たちはこう 言っています -
あなたが洞察の解放をとおして 自分自身を変容させるなら、
あなたは人の意識全体へ 疎通している、と。
理解されますか。
これは 起きつつあります。
世界の偉大な統治者や 世界の偉大な殺し屋が、
人間精神に影響してきた ように、です。
ですね?
アッティラ、チンギス・
ハーン、 ヒットラー、ナポレオン、
他方にブッダなどです。
彼らはみんな、人間精神、 人間意識に影響してきました。
しかし、私たちが実際に 日々、この智恵を、
解放する洞察を 生きるなら、
そのときあなたは、人の意識の 全体へ、全然違った空気、
違った価値、違った動きを もたらしつつあります -
すなわち、知識に 基づいたのではなく、
洞察と智恵に基づいている ものを、です。理解されますか。
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1:27:46
すみません。私たちは 一時間半を掛けてしまいました。
私たちは、土曜日に 会うでしょう。
どうぞ、立ち上がって いいですか。
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