BR81T1 - 思考と、私たちの世界の問題 home
公開講話、第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1981年8月29日

1:05 あなたたちがこれを
1:26 週末の行事として扱われ ないことを、望みます。 政治家たちは部族主義という ことに立って考えています。 彼らは、地球的な見通しを 持っていません。 または人類の全体への 関心も、です。 彼らは、彼ら自身の 偏狭な党派に、 彼ら自身の思想と理論に 関心を持っています。 彼らは、人類に関心を 持っていません。 科学者たちもまた、 そうです。 彼らは、爆弾を創り 出すのを、助けています。 または、それを創り出すのを 助けてきました。 彼らもまた、人の未来へ深い 関心を持っていないと見えます。 2:25 明白に、宗教的な 人々もまた、そうです - 既成の正統的、 伝統的な宗教、です。 彼らは、人類すべての宗教 的な精神全体ということに 立って考えていません。 導師たちもまた そうです。 あなたは、最新のテレビを 見てきました。 そして、世界で進んでいる 戯言のすべてを、です。 彼らは、自分の特定の形の 規律・ 修練を、持っています - 本当は強制収容所である アシュラムなどを、です。
3:20 で、あなたが世界中を 見回すとき、 深く真摯に人の未来へ 関心を持っている人は、 誰もいないのです。 で、私たちは、誰にも依存 しないであるべきです - 語り手をも、 含めてです。 私たちは、自分の行い、 自分の態度、先入観などへ まったく責任を 持ってしかるべきです。 自らがそもそも人類に、人に ついて、関心を持っているなら - この現代社会に捕らわれた 人間存在について、です - (社会)それはすでに崩壊し つつあります。 そこにはこうも多くの暴力、絶望、 心配、不確実性があります。 私たちは、 自分たちの行為すべてへ 責任を持たなくては いけないと思われます。 私たちは人類です。 私たちが苦しむこと、私たちが 日々の生で経ていくこと、 私たちの喧嘩、私たちの幻滅、 私たちのすべての宗教的、 心理的、政治的な紛糾は、 すべての人間の関心事です。
5:29 あなたがどこへ行こうとも、 世界中で、 あらゆる人間は この問題に向き合います - この島の、このテントの、 ここの私たちだけではなく、 ヨーロッパ、アメリカ、 インドとアジア中で、です。 彼らはみんな、 不確実です。 何も安全がありません。 テロ行為があります。 このすべてから 逃避するために、 彼らは、或る種の共同体を 形成しようとしています - 自分たちが安全でいられる ところのコミューンを、です。 しかし、世界は このようなので、 そこで、自らは 安全ではありえません。 で、私たちなるもの、 私たちの意識、私たちの態度、 私たちの悲惨は、残りの 世界に似ています。 これは事実です。 6:41 私たちの意識は 残りの人類です。 どうぞ、私たちがこれら すべての講話の間、 過去と現在の講話の間に、 言ってきましたように、 どうぞ、ともに 考えましょう。 あなたは一通りに考える、私は また一通りに考えるのではなく、 ともに考え、回りで起きつつ あることを観察しましょう - イギリス人として、 フランス人として、 アイルランド人やアメリカ人や ヒンドゥー教徒としてではなく、 この地上に生きている 人間たちとして、です。 それは私たちの地球です。 イギリスのではなく、 フランスのではなく、 アメリカのではなく、 ロシアのでもない。 それは私たちの大地です。 その上に私たちは幸せに安全に 生きるものとされています。 それは、私たちのみんなへ まったく拒否されつつあります。 7:44 これらすべて、 二十、三十の世紀の後、 私たちは、時の最初に自分 たちがそうであったものです。 わずかに修正されて、 おそらく私たちは、 もっとよいバスルーム、 もっとよい通信、 もっとよい保健衛生 などを持っていますが、 戦争の脅威があります。 はるか遠くだけではなく、 これは、私たちのごく近くで、 何時起きるかもしれません。 なぜなら、それはこれらとてつも ない政治家たちの手にあるし、 私たちは自らの生を彼らに 信託してきたからです。 そして彼らは、私たちに 安全を与えつつありません。
8:35 それらを見て、自らは何を することになりますか。 人間として、この怖ろしい 世界に生きていて - そこは ますます危険に、 ますます不安全に なりつつあります。 神学的にもまた、 物理的にも、 自らは何を することになりますか。 どんな行為、 どんな種類の態度、 どんな種類の信念などを 自らは持つことになりますか。 または私たちは、それら すべてを試してきました。 私たちは、理想を 持ってきました - 様々な形の信仰と教義、 政治的な理論、弁証法、 意見に対する意見、 そして意見をとおして真理が 何であるかを見出そうとする。 私たちは、これらすべてを 持ってきました。 そしてもっと多くの様々な政治 的、宗教的な考えを、ですが、 10:08 見たところ、 それらすべての活動は 深く深遠に人に 影響してきませんでした。 世界で起きつつあることを 客観的に観察すると、 私たちは心理的、内的にあまり 進歩してきませんでした。 私たちはやはり、悲しみ、 恐れの重荷を負っています - そして、すべての時を越え、 すべての信念を越えている 何かを見つけたいとの 欲求の重荷を、です。 これらすべての数百万年の 後、私たちは やはり、かつて いたところにいます。 互いに戦い、互いに殺し合って います - もっと効果的に、 巨大な規模で、です。
11:19 それらを見て、 自分自身に訊ねます - 自らがそもそも 真剣であるのなら、 この世界に生きている人間として 私たちの行為は何ですか。 あるべきものは何ですか。 または、その問いは 制限されていますか。 何を私はすべきかとか、あなたは すべきかとか、ではない - それはかなり 制限されます。 むしろ、残りの人類を 代表する人間として、です。 なぜなら、私たちは 残りの人類であるからです。 すべての人類は、どこに生きて いても、あらゆる種類の災難、 絶望、心配、恐れを 経ていくから、 私たちは、残りの人類に 似ています。 正しい問いはこうであろうと 私は思います - 人類の全体である 人間として、 あなたがそれを悟るなら - あなたは分離した個人 であって、 いわばあなた自身の裏庭で 二人の人間の間で、 自分の小さな戦を 闘っているのではない。 むしろ、私たちの一人一人が 残りの人類であることを、です。 13:23 自らは知的にそれを 観察し、 論理的に見るかも しれません - すなわち、 自らがどこに生きていても、 どんな形の政府、 専制的とか、いわゆる民主 主義的、左や右のもとでも、 自分の宗教的信念が 何であろうとも、 人は世界中で、混乱の状態、 絶望の状態にあるのです。 人にとって、ほとんど 未来がありません。 で、私たちは、自分たちが残り の人類であることを悟るなら、 そのとき、人類の全体 である人間として、 彼は何をすることに なりますか。
14:24 そのとき問いは、とてつも なく広く重要になります。 私たちがこれに 同意するのか、 私たちがともにこのことを見る のかどうか、私は知りません。 すなわち、私たちがどちらも 同じものを観察するなら - 自分の特定の条件づけに 沿ってではない。 キリスト教徒、ヒンドゥー教徒と してや、それが何であってもです。 実際のことを見る - すなわち、私たちは分離 した個々人ではない。 この惑星に生き、格闘し、 格闘し、格闘するものではなく、 実際に、心理的に私たちは 残りの人類であることを、です。 物理的にあなたは 違っているかもしれません。 あなたは背が高いかも しれません。 褐色、白、ピンク、黒か、 どんな色であっても、ですが、 内的に、心理的に、深く 大きな相似性があります - 私たちがみんな拠って立つ 共通の地盤が、です。 15:43 これは論理的です。 これは本当です。 語り手が考案した 理論ではありません。 追及されるべき理想、 そのために働くべき 何かユートピアではなく、 現実です - すなわち、 私たちの一人一人は、この 地上の分離した個々人ではない。 私たちは残りの 人類であるのです。 自らは知的に、すなわち 言語的に、理論的に、 そういう仮説を 受け入れるかもしれませんが、 知的な了解は かなり表面的です。 もしも、これを実際に、 自らの心に、 自らの存在の奥底に 感じたなら - すなわち、私たちは教育され、 条件づけられてきたような 個々人ではないのです。 16:58 すべての宗教は、私たちが分離した 個々人であると主張してきました。 私たちの分離した魂、です - 一定のインドの サンスクリット語を使うと、ですが、 私たちは使わないでしょう。 すなわち、私たちはみんな、 分離した個々人であり、 一人一人が、自分の救いを 探し求めています。 一人一人が、自分の充足を 探し求めています。 自分の特定の要求を 充足させています。 それが、世界のあらゆる 人間がしていることです。 これが、私たちが拠って立つ ところの共通の地盤です。 自らが実際にこれを悟るなら、 または、悟るとき - すなわち、 私たちの意識は 残りの人類の意識 であることを、です - それは、 ものすごい革命です。 18:01 それの言語的、論理的な 理解だけではなく、 その裏の感じ、 美しさ、熱情、 そういう真理の了解の 裏の活力です。 そのとき自らは、大変多くの エネルギーを持っています。 そのとき闘いは、あなたの小さな 自己とではなく、世界とです。
18:41 で、私たちの意識は、私たちの思考 すべてから作り上げられています。 私たちの文明の内容すべてから 作り上げられています - 教義、信念、それらを ともなった伝統的な宗教と また専門化も、です。 一定の方向に教育 されていることは、 私たちの意識の一部です。 私たちの意識の一部は、 私たちの信念、私たちの経験、 私たちの嘆き、悲しみ、 痛み、事故、経験です。 そのすべてと、もっと多くが 私たちの意識です。 いいですか。 進んでいいですか。 私たちはともに考えていますか。 私はあなたに、受け入れるか 拒絶するよう、語っていません。 私たちはともに 考えています - 世界で進みつつあることと、 私たち自身の中で 内的に進んでいることを、 観察することによって、です。 20:11 他の人間たちが経ていく ことを見て、あなたは 間違いなく、これに 来るにちがいありません - 私たちはみんな全体的である、 私たちは分離していないとの この実在、この真理に、です。 私たちの意識は、思考により 組み立てられています。 いいですか? 私たちは、これらに ともにいますか。 思考が、私たちの活動 すべてに優越します。 思考は、原子爆弾を 構築してきました - すばらしい大聖堂と 大聖堂の中の物事をも、です。 思考は、私たちが 持っているすべての苦労、 すべての問題を 創り出してきました。 もしも私たちがまったく 考えなかったなら、 もしも、思考の唯一の動き の可能性もなかったなら、 何も問題はないでしょう。 たぶん私たちは 植物のようになるでしょうが、 私たちは問題を持たないでしょう。
21:38 で、思考は恐れに、心配に、 悲しみに、責任があります - 幸せの追求と、神、覚りと 呼ばれるものの追求に、です。 それはすべて、 思考の動きです。 またもやそれは、語り手の 特定の理論ではありません。 それは現実です。 思考が、すべての宗教を 創案してきました - すべての宗教の内容、 儀式、教義、信念、 宗教的精神の(、上下の) 階層的な見通しを、です。 すべて思考の産物です。 それを拒否することは できません。 思考は、こう言うかも しれません - すべての聖典の中で言われつつある ことは、思考を越えている、と。 しかしそれは、思考により 表現され、書きとめられています。 明白です。 宗教的とその他のすべての 文献は、思考の結果です。 いいですか?
23:16 私たちの頭脳は、思考が 創り出してきた問題を 解決するよう、 訓練されています。 またもや、それは 相当に明らかです。 みなさんがこれらに付いて きているのを、望みます。 私たちは互いに付いてきて いますか。 いいですか? 私たちの頭脳は、問題を解決 するよう訓練されています。 問題が 科学的、工学的、 社会的や宗教的など であっても、です。 これらすべての世紀を とおして、頭脳は、 それらの問題を解決する よう、訓練されてきました。 頭脳は思考の動きです。 私たちは、頭脳の小さな部分を 使っているだけなのです。 専門家もまた、あなたに これを語るでしょう - すなわち、私たちは、頭脳の 全体を使用していないのです。 ごく小さな部分だけです。 その部分は、時により 条件づけられています - (時)それは進化です - 経験により、知識によってです。 その部分は、問題を解決する よう、訓練されてきました - すなわち、思考が創り 出してきたものを、です。 24:59 頭脳がしていることを 見てください。 初めにそれは、部分的に行為 するよう教育されてきました。 その部分性は、部分的に 考えることの結果です。 考えることは制限されて います。 なぜなら、それは 知識に基づき、経験に、ゆえに 記憶に基づいているからです。 だから知識は、けっして何に ついても完全ではありえません。 いいですか。 で、私たちが 考えるのは制限されています。 その考えるのが 問題を創り出すし、 私たちの頭脳は、問題を 解決する訓練をされます - すなわち、思考が 創り出したものを、です。 で、それはこの循環に 捕らわれています。 ですね? 私たちはこれを、ともに見るのか どうかと思われます。いいですか。
26:10 どうぞ、ともに考えましょう。 考える努力をしないでください。 たぶんあなたは、この種類の 考えに慣れていませんが、 ただ観察してください。 ともに観察しましょう - 思考が何であるのか、 思考がいかにこのテントを 創り出したのか - 電気の光、 道路と自動車、神々、 思考がしてきた物事 すべては、信じがたい。 それは戦争だけでなく、武器の すべてをも創り出してきました。 それは、民族性、分割を 創り出してきました - ヒンドゥー教徒と 仏教徒などのような 分離した宗教的な分割を、です。 思考は、これに責任があった のです。 なぜなら、 思考は、「私は安全でなければ ならない」と言うからです。 安全であるには、私は他の人たちと 関係を持たなければなりません - 共同体に生きる 他の人たちと、です。 共同体は、孤立した、 分離した民族性であり、 そこには安全が あります。 そのとき、民族主義を とおして安全を探し求める そのことが、部分的に 戦争を創り出しています。 27:54 で、問題がまたもや そこにあります。 これらに付いてきていますか。 思考が問題を創り出す。 そのとき、問題を 解決しようとする。 問題を解決しようとする中で それはますます錯綜します - それは、世界中で 起きつつあります。 政治家たちは、問題を解決 しようとしていますが、 解決していません。 彼らは、それらを 増大させています。 導師たちのように、彼らは 問題を解決したいのですが、 またもや彼らは、それらを 増殖させています。 これは起きつつあります。
28:33 で、もし私たちが思考の 性を理解しはじめるなら、 - その思考は 制限されているし、 知識もまた、いつも 制限されているのです - 自らは、違った行為を 見つけなければなりません。 思考のそれではなくて - よろしいですか - 違った進路が なければなりません - 存在の問題全体へ 違った接近が、です。 これは幾らか・ ・・私たちは ともに出会っていますか。 私たちは存在の問題、 苦労すべてをもち、 その錯綜すべてをもった ものに、接近してきました - 思考の使用により、 知能により、 またはロマンチックに、 情動的に、感傷的に、です。 29:37 これら二つのどれも、 うまく行きませんでした。 それは明白です。 で、存在の問題全体へ、違った 接近がなければなりません - 人類すべてに共通 している存在です。 私の存在や、 あなたの存在ではなく、 この地上に生きている 人類の存在です。 無数の戦争をとおして、こうも 甚大に苦しんできた人類。 私たちはやはり、同じことを 永続化しています。 もはや誰一人、平和について 話をしないことに、 あなたが注目なさったのか どうかと、思われます。 司祭者たちさえ、それを 諦めてしまいました。 他のどこかの平和について 話す導師たち以外は、です。 30:52 もはや平和主義者は いません。 本当に深い良心的 兵役拒否者は、いません。 誰も「みんな、世界中の戦争に 反対しよう。 」と言いません。 誰もそれについて 話しません。 彼らは、これやあれに 反対のデモをします。 または、特有の孤立した 要求を持っていますが、 誰一人、自分が 観察してきたかぎり、 そして自分は誤っている かもしれませんが、 古代にいたような、人々の 集団は、ないのです - 「私たちは戦争に反対です。 私たちはどの境遇のもとでも 殺さないでしょう」と言う 人が、(いないの)です。 そして普通の問いは、こうです - 「もしもあなたの姉妹が 攻撃されたなら、あなたは 何をするでしょうか」、です。 31:47 よろしいですか。それは 本当の主題の忌避だけです。 あなたがこれに注目なさった のかどうかと、思われます。 それは、世界の 明白な衰退です。 誰も、「私は全面的に戦争に 反対です」と言いません。 それは、民族主義に反対、 分離した神々、宗教に反対、 という意味です。 よろしいですか。 分割的なすべての物事に、です。 そのときだけ、あなたは 平和を持てます。 しかし、私たちの一人一人が、 自分の小さな冥想、 これやあれをとおして、平和を 見つけようとしているなら、 それはまったく無意味です。
32:43 で、私たちは問いに 戻ってきました。 思考がこれらすべての問題を 解決する能力がないなら - 人間の問題、 互いとの関係の問題、 思考がイメージを 創り出す問題、 恐れ、悲しみ、冥想の 問題、それらです。 もし思考が、これらすべての 問題を解消できないのなら - 見たところ、 それはできません。 これらすべての 幾千年の後に、です - 私たちは他の方向を見なければ なりません。 いいですね? 同じ古い伝統的な道を 追求するのではない。 私たちは、その準備が できていますか。 私たちは準備できていますか。 または、私たちは見ますか - 存在の問題全体へ 全然違った接近が なければならない、 ということを、です。 34:04 (問題)それが性的、 宗教的、感覚的、政治的、 その他すべてで あっても、です。 あなたは、全然違った接近を どのように見出すでしょうか - 思考により汚染されて いないものを、です。 なぜなら、自らは、 思考がまったく制限されて いるのを悟るからです。 思考が創り出してきた問題は あまりに大きすぎます。 思考はもはや、それらを 解決できません。 自らが実際に、知的にとか 情動的にとかではなく、 実際にそれを悟るなら、 あなたが痛みを 悟るように、です。 自らが情熱的にそれに 気づいているなら、 そのとき、他の方向は 何ですか。 ありますか。 いいですか?
35:20 その種類の挑戦に どのように応答しますか。 その問いに、あなたは どのように応答しますか。 思考はこれらの問題を解決 できないことを見て - テクノロジー的には 解決できます。 よりよい殺しの手段、レーザー 光線 - それらはご存じです。 あなたの答えは 何ですか。 私たちは、教育を受けた 人々だと、されています。 私たちの幾人かは、専門校や 大学へ行ったのです。 高度に洗練されています。 このすべてから 逃避できないので - たとえあなたが何か孤立した 僧院へ行ってしまったとか、 隠者になったとしても、 あなたはやはり、これらの 問題を持っているでしょう。 あなたは、それらを見つめたく ないかもしれません。 あなたは、それらに背を 向けるかもしれませんが、 それらはあります。 で、あなたの応答は 何ですか。
36:58 ここから、もう一つの 問いが、生じます - すなわち、コンピューターが 私たちの考えすべてに 取って代わりつつあるのです。 それらは、人を 上回ろうとしています。 または、 すでに上回っています。 それらのほうが、 はるかに速く考えます。 それらは、学べるし、 忘れられます。 それで、学びつづけ、 自分たちの学びが 完全でないことを発見し、 さらに学びます。 それは、 こういう意味です - それらは、専門家により プログラムされつつあります。 その機器、これらの コンピューターは 教授たちから、プログラマー たちからだけではなく、 彼ら自身からも学べます。 たぶんあなたたちの幾人かは これについてご存じです。 あなたはそれについて 読んだことがあります。 私たちは、数人のコンピューター の専門家に、話してきました - 彼らは、十年の内にそれらが完全に 人を上回るだろうと、言います。 38:26 それらは、より速く考え、 より速く学び、 自分自身を訂正し、おそらく何か 新しいものを発明するでしょう - 人が考えたことがない 新しい理論を、です。 で、これは、人にとって きわめて重要な問題です。 もちろんコンピューターは、星を 見つめて、星を楽しめません。 それらは作曲できますが、おそらく ベートーヴェンのようではない。 おそらくそれらは、愛が 何であるかを知りません。 しかし、私たちもまた 知りません。 で、この機器があります。 すなわち、超知的機器です。 超知的機器と それは呼ばれます。 彼らはこれを発明しつつ あります。 それは急速です。 で、人はどうなりますか。 理解されますか。 39:51 問題を見つめてください。どうぞ、 問題に向き合ってください。 自分の頭脳を行使すること により生きてきた私たちに 何が起きますか その頭脳の小さな部分が 何であるにしても、 その小さい部分は、機器により 取って代わられつつあります。 それが超頭脳です。 そのとき、私たちの一人一人に 何が起きますか。 もはや考える機器として使用 されていない私たちの頭脳に 何が起きますか。 これらに付いてきておられる のかどうかと、思われます。 残念ながら、 そうではないと思います。
40:39 彼らは、きわめて関心を 持っています。 私たちの幾人かは、少し これに入ったのですが、 人の未来がどうなろうと しているのかについて 大いに関心を 持っています。 機器が頭脳の活動すべてに 取って代わられるとき、 そのとき頭脳に 何が起きますか。 たった二つの可能性が あります。 頭脳は娯楽を 追求するのか - 理解されますか。 サッカー、 それはすでに起きつつあります。 スポーツ、 宗教的な娯楽です。 それが一つの方向です - 面白がる、娯楽でもてなされる。 あるいは、全然 違ったことです。 それは人の内的過程を追求する ことです - 理解されますか。 内的な、心理的な発見を もっと深く、もっと深くです。 42:05 それらが、人に残された たった二つの可能性です。 しかし、娯楽産業がすでに 増進しつつあります。 テレビ - これらはご存じです。 私がお話ししなくていい。 人の心理的な理解に 関心を持っている人は ほとんどいません。 完全に (理解することに)です。 心理学者ではなく、専門職で はなく、精神科医ではなく、 あなたと私は 残りの人類なのですが、 私たちは、自らの頭脳が訓練 されつつあるのかどうかを 発見しなくては いけません - 娯楽産業により、その路線を 追求するように(訓練を)です。 どうぞ、これは ひどく深刻です。 どうぞ、これらに 注意してください。 43:13 私たちはそれを追求するのか、 あるいは、内的に向かうのか - 利己的にではなく、 自己中心的な動きや 独りよがりではなく、 心理的な動き全体を 理解する。 自己、「私」、自我を です。 そして、 そのすべてを乗り越えることは 可能であるかどうかを、見る。 で、それらが、私たちに 残された、ただ二つの道です - コンピューターが完全に 取って代わるとき、です。 ロボットつきのコンピューターは すでに車を組み立てています。 ロボットがそれを適切にしない とき、コンピューターが それに教えるし、それは適切に 行動します - よろしいですか。 で、そのすべてが次第に 取って代わりつつあります。
44:28 で、人は何をする ことになりますか。 質問を理解されますか。 私たちは個人的に、人格的に 考えるのか、観察しますか - 特定の条件から、 特定の形の信念、 先入観からですか。 または私たちは そのすべてから自由になり、 内的に向かいますか - 利己的にではない。 どうぞ、留意してください。 利己的にではなく、 「私は自分の魂を救わなければ ならない」と言うのではない。 それはすべて、あまりに ばかげています。 結局、外を支配するで あろう世界に、入るのです。 (世界が)今そうなって いるように、です。 野心的な政治家は党派政治を 使うかもしれませんが、 個人的な野心が、他のあらゆる 物事を上書きします。 これはすべて、明白です。
45:41 で、心理的に、人間存在の構造 全体を理解しなくてはなりません。 それは可能ですか。 私たちは時間を 持っていますか。 私たちは、十分なエネルギーを 持っていますか。 またはそれはすべて、 漠然としすぎています。 質問に付いて きていますか。 それは、地図を 見つめるのに、似ています。 あなたが、ここからそこへ 特定の方向を持っているなら、 道路を観察するだけです - 何マイルなのか、 どんな街を通り抜けるのか などを、です。 あなたは、方向を 持っているかぎり、 けっして地図全体を 見つめません。 で、人の心理的な構造を 理解するには、 方向があっては なりません。 46:58 これをご覧になるのか どうかと、思われます。 方向は動機です。 私が、人類の心理的深みを 理解するために、 動機を持っているかぎり - すなわち、私が何らかのものより 自由でありたいと思うかぎり、 そのとき、私は 方向を持っています。 私は動機を持っています。 ゆえに私は、 人の心理的構造全体を 了解しません。 これを理解されますか。 私たちはともに 考えていますか。 または私は、私自身に 話しているだけですか。 で、初めに、 それは可能ですか。 人類は、私たちの考えに取って 代わろうとしている機器を 開発してきたのです。 それは、より速く学ぶでしょう。 それは、それ自体を訂正し、 古い機器から新しいものを 組み立てるでしょう - 常に改良しています。 人にできる より、はるかに急速に、です。 ついにそれは、 超知的機器に到ります。 48:37 それらを悟って、人間は 何をすることになりますか。 どうぞ、あなた自身にその質問 をし、それに答えてください。 導師へ向かう、 別の司祭者、別の心理学者、 その他すべてに 向かうのではなくて、です。 私たちが何をできるのかを ともに見出しましょう。 なぜなら、 それらはすべて 私たちを裏切ってきたから です。いいですか?
49:22 私たちは、自分たちの問題を 解決したいですか - 関係の問題、 社会の問題、 戦争の問題、 神がいるのかいないのか、 すべての時を越えた何かが あるのかどうかの問題を、です。 これらすべてが 問題ですか。 質問を理解されますか。 私たちは それらを問題に変えますか。 または、それらは 存在していますか。 私たちは、それらの真理を 見つけなくてはいけません - それらは虚偽であるのか、真実 であるのかを、です。 ですね? 関係の真理を見出すには - 解決策を、ではなく、または、 関係に生じ、解決されなければ ならない主題を、ではない。 違いを理解されますか。 理解 されるのかどうかと思われます。 すなわち、関係の真理が何で あるかを見つけるように、です。 50:44 私の妻との問題をどう 解決するのか、ではない。 関係の真理を自分自身で 発見するように、です。 いいですか? 理解されますか。 さて、関係とは何ですか - それの真理は、です。 そうであってほしいと私が思うもの ではなく、それの真理は何ですか。 その関係が親密で あっても、なくても、 それの実際の事実は 何ですか。 なぜなら、私はそれの現実、 真理を知るなら、 そのとき私はそれに取り組める、 それは解消できるからです。 しかし私が単に、問題を解決する ことに関心を持っているだけなら - 私の頭脳は、それを解決する よう、訓練されています - そのとき私は、古い轍に 戻っています。 これを理解されるのか どうかと思われます。 私たちはともに ここにいますか。 で、私は、関係の真理を 見出さなくてはいけません。 52:02 または、関係において何が 虚偽であるのかを、です - 肯定的なものと否定的な ものと、どちらもです。 中間ではない。 関係における事実は 分割です。 私とあなたです。 それが事実です。 なぜこの分割は 存在しますか。 男と女の間など、この分割の 真理や虚偽は、何ですか。 なぜ人々の間に この分割がありますか。 それが創り出す問題と、 それが創り出す問題を 解決する追求ではない。 むしろ、なぜ分割がそもそも 存在するのか、です。 これに付いてきて おられるのかと思われます。 これは、あまりに多く なりつつありますか。 何時ですか。
53:29 聴衆: 12時25分です。
53:33 K: おやまあ。あっという 間に時が経ちます。
53:43 なぜ私ともう一人との間の 分割が、ありますか - たまたま私の妻や夫である 人とに、です。 なぜですか。 何がこの分割を 創り出しますか。 これは、私たちのみんなに とって、問題です。 よろしいですか。 国や民族の間の分割、 宗教の間の分割、様々な 導師の間の分割だけではない。 よろしいですか。 そのすべての不条理です。 彼らのすべてが、「私たちは真理を 探し求めている」と言っています。 なぜこの分割が ありますか。 何がこの分割を 創り出してきましたか。 それは、自らの特定の 要求ですか - 性的なもの、野心、欲望、 私たちの一人一人が、自分なりに 充足を探し求めていますか。 私たちの一人一人が他の一人から 違った道を追求していますか。 55:23 私は結婚しています。 私はしていませんが、 仮に、私は結婚している とします。 私は梯子を登ろうと野心的です - 一定の経歴の梯子を、です。 私の妻もまた、何か他の方向で成功 することに、関心を持っています。 で、野心が、この分割の 要因ですか。 どうぞ、これらに 入ってください。 私は神を信じていますが、 彼女は信じていません。 私は、なぜ自分が信じている かを、けっして探究しません。 私は信じているだけです。 彼女は信じていないし、 彼女も、なぜ自分が信じていない かを、探究したことがありません。 私たちはどちらも 先入観を持っているし、 私たちは自分の先入観に 取りすがります。 それが 分割の原因ですか。 または、分割の原因は、それ よりはるかに深いのですか。 これらはすべて 表面的な理由です。 56:54 もっと深い原因が ありますか - 人間たちの間にこのひどい 分割をもたらすものが、です。 その分割のせいで、彼らは進んで 互いに殺し合おうとしています。 もっと深い原因が ありますか。 それを考えぬいてください。 それに入ってください。 それは、私たちの訓練、 私たちの教育ですか - 宗教的と、その他の ですが - すなわち、 私たちは分離した個々人で あるということは、です。 性的にだけ、私たちは 出会います。 その他では、私たちは 全的に分離しています。 私は、自分の道を 追求します - 世間的にか、その他でです。 彼女も同じことをします。 で、分割は、この観念が 原因になって起こされますか - 私たちは分離している との観念が、です。 心理的に、内的に、彼女は 苦しみます。 私は苦しみます。 彼女は不幸せです。 憂鬱で、不機嫌です。 私もまた時折、自分自身で そうである、などです。 58:38 で、このすべての分割の根は 個人の概念ですか。 私は、それが伝統すべてに 逆らうのを、知っています - よろしいですか - 社会的、道徳的、宗教的 構造すべてに逆らっている。 私たちは、そのすべてを 取り壊さなくてはいけません。 なぜなら、私たちは理解し なくてはいけないからです - すなわち、私たちが 今、生きているように、 私たちは自分たち自身を破壊 しようとしていることを、です。 それは起きつつあります。 それは ベイルートで起きつつあります。 それは、イングランドで 起きつつないかもしれませんが、 それは、遠くアジアでは 起きつつあります。
59:28 で、私たちは、きわめて 深く理解し、それで 虚偽であるものを、 根絶しなくてはいけません - 虚偽が創り出す諸問題を、 ではありません。 いいですか。  で、これが その根ですか - すなわち、 私たちの一人一人が、 自分の魂をもった分離した 個人であるよう育てられて きたこと、その全体が、です。 それは事実ですか。 または、 それは単に概念ですか。 事実と概念との間の 違いは、何ですか。 理解されますか。 概念は、思考により、 経験により、知識により、 組み立てられてきた ものです。 それは概念です - 何か構想されたものです。 百万年の伝統をとおして私たちが 受け入れてきた何か、です。 1:00:44 その伝統は、まったく 虚偽であるかもしれません。 事実と、結論、概念は 別々のものです。 ですね? 事実は、私は自分の妻より分離して いることです。 それは事実です。 そして私の概念は、「私たちは 分離している」と言います。 理解されますか。 私は彼女より分離して いると悟るのより、 私の概念のほうが強いですか。 悟ることより、です。 私が何について話して いるかを、理解されますか。 事実と観念は、二つの 違ったものです。 ですね? 観念は、私が 分離していることです。 それは観念です。 私は、観念は現実より 違っているのかどうかを、 見出したいと思います。 1:01:58 私は実際に個人ですか。 いいですか? 私はそうですか。 あなたが苦しむように、 私は苦しみます。 あなたがそうであるように、 私は心配です。 あなたがそうであるように、 私は怯えています。 あなたがそうであるように、私は 迷っています。 私は混乱しています。 で、心理的に、内的に 私たちは同じです。 相違はあっても、私たちは 同じ地盤に拠って立ちます。 地盤は、不平等なの かもしれませんが、 それは、私たちがみんな拠って 立つところの地盤です。
1:02:49 で、その概念は間違って いるにちがいありません。 で、私はその概念から自由であり えますか - 問題からではない - そして、有るものの 現実に向き合えますか。 有るものの現実は、私が あなたに似ていること、 あなたが経ていくように、 私も地獄を経ていくことです。 拷問され、動揺します。 で、私はあなたに似ている との悟りは、 あなたのイメージを すっかり取り除きます - 理解されますか。 いいえ。 付いてきておられますか。 私は、あなたのイメージを 創り出してきました - 私が王たちと大臣たちと それらの事柄の イメージを、創り出して きたように、です。 私は、あなたについて イメージを創り出してきました - 私の妻、あなたについてか、 夫について、です。 そのイメージは、 長年をとおしてか、 多くの日々をとおして 組み立てられてきました。 イメージを創り出すことは 安全であることです。 いいですか。私は自分の導師の イメージを持っています。 1:04:32 ありがたい。私は何も 持っていませんが、 仮に、私が持っている、 としましょう。 私は自分の導師の イメージを、持っています - 私は評判をとおして それを築き上げてきました。 その含蓄すべてが何で あるかを知らずに、です。 なぜなら、私はあまりに 騙されやすいからです。 私は、誰でもそれについて何を 言うことをも受け入れるでしょう - 私もまた 達成したいことを、です。 で、私は受け入れます。 私はイメージを築きます。 イメージは実際の ものではありません。 私は、自分の妻について イメージを持っています。 私の妻は、イメージでは ありません。 ご覧になるのか どうか・ ・・ それが、分割する 要因の一つです。 ですね? で、私たち二人は同じ地盤に 立っていることを 私が悟るとき、イメージ 作りは終わります。 ですね?  私はイメージを 築くのを止めます。 なぜなら、私たちはみんな・・・ これらを理解されますか。
1:05:44 で、私たちはどちらも、 彼女も私も、 問題の解消に 関心を持っていません。 私が単に問題の解消に 関心を持っているだけなら、 そのとき私は、 問題を解決するよう 訓練された頭脳でもって 作動しています。 これをご覧になるのか どうかと、思われます。 ゆえに私は始めています - それに捕らわれて、 問題の解決は、けっして 終わりえないのです。 なぜなら、一つを解決する中で、 私は別のを創り出すからです。 それは政治的に 起きつつあります。 いいですよ、私たちは 狂った群衆です。
1:06:30 で、自らは悟ったのです - すなわち、 問題を解決することが 重要ではなくて、 進みつつあることに実際に向き合う ことが、そうであることを、です。 進みつつあること、 起きつつあることは、 私が自分自身をあなたより 分離してきたことです。 その分離は、あなたについての イメージの創造です。 その分離は、私が育てられて きたところの教育です。 私はあなたより全然分離して いるとの文化、伝統です。 それは、こうも白痴的です。 よろしいですか。 それは基礎を 持っていません。 けれども、私は そういう概念を受け入れます。
1:07:28 今、私はすっかり動いて、 違った次元へ入りました。 よろしいですか。 すなわち、私たちはみんな 同じ地盤に立っているのです。 男、女 - 彼が黒くても、白くても 紫でも、色が何であっても、です。 内的に私たちは、拷問されて います。 それらです。 それを理解することが重要です - それが創り出す問題を、ではない。 ですね? 今朝はこれで十分です。
🢁