BR82Q1 - 質疑応答集会 第1回

質疑応答集会 第1回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1982年8月31日
テキストのみのバージョン
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0:42
提出された質問が、 幾つもあります。
それらの質問すべてを 探査できません。
それらの質問より代表的なものを 幾つか私たちは選んでおきました。
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1:03
問いは、答えが必要ですか。
または、問いだけが ありますか。
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1:16
問いは、挑戦に 似ています。
重要なことは、自らが 挑戦にどう出会うか、です。
問いへの答えが何であるのか、 ではありません。
挑戦へ、問いへ、 要求への自らの応答が
何であるのか、です。
質問をして、誰かがそれに 答えてくれるのを待つより、
そのほうがはるかに 重要であると、私は思います
- 私自身(からの答え)を 含めて、です。
で、初めに 見出しましょう -
問いをどう 探査するのかを、です。
自分で思い起こしていいの なら、答えを探求する、
答えから出てくるものを 究明するのではない。
むしろ、原因と、
問いへの自分の応答を (究明するの)です。
で、問いへどう 接近しますか。
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2:50
仮に、私は問いを 持っている、としましょう。
すなわち、私は現代文明の 全体を、問います。
その文明の特定の一部分を (問うの)ではない。
それが、キリスト教のでも、 ヒンドゥー教のでも、
イスラム教のでも、 仏教のでも、です。
私は、人の文化的発展全体を 問いたいのです。
私は、様々な歴史家すべてを 研究できます -
それはあまりに長く 掛かるでしょうし、
私は時間を持っていません。
また私は、歴史について
他の人たちが何を言うのかを 見出すことにも、興味がありません。
歴史(ヒストリー)は、 人の物語(ストーリー)です。
すなわち、私自身の物語です。
3:51
で、私は、その種類の問いへ どう接近しますか。
私は、例えば、インドの 文化全体を、見ます -
バラモンの文化です。
それは、三千から五千年の間、 続いてきましたが、
一夜で 完全に消え去ります。
それらに気づいておられるのか どうか、私は知りません。
それは大事なことではない - ただお知らせするだけです。
それは、一夜で 消え去ったのです。
で、文化とは何ですか。
それは、上塗りだけですか。
その上塗りがどれほど 深かろうとも、
それが、上塗りの色々な諸層を 持っていようとも、
それはやはり 上塗りです。
なぜなら、奥深く、人は多かれ 少なかれ、同じであるからです。
人がいつもそうであったように、です - 暴力的だ、その他すべてです。
4:56
で、この種類の問いへ どう接近しますか。
接近のほうが、問いより はるかに大事です。
そうですね?
どうぞ、私たちは ともに話し合っています。
私は、何も教義的な発言を 行いつつありませんし、
語り手が言っていることを受け入れる よう、あなたに頼んでいません。
しかし、どの問題へも、 どの問いへも、
どう接近しますか。
問いへの接近の中で、 私の動機は、何ですか。
問題とは何ですか。
そして、その問題の原因とは、
そして、その原因と問題の 究明へと探査への
自分の接近は、何ですか。
6:05
私は、動機をもって それへ来ますか -
それを免れたいとの 欲望をもってか、
それを乗り越えたい、それを抑圧 したいなど(の欲望をもって)か。
それへの私の内的な 反応は、何ですか。
もし私が、それについて あまり明らかでなくて、
私がただ、答えを 探し求めて、
どうにか問題を解消 しようとしているなら、
私は本当は、主題にまったく 関心を持っていません。
私は、それをどうにか乗り越える ことに、関心を持っているだけです。
それで、問題からの逃避は、
もっと多くの問題を 創り出します。
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6:57
それで、指摘してもよろしい なら、問題に、問いに、
どう接近するのかが、 大変大事である、と
感じられます。
精神や頭脳は、答えを 探し求めていますか。
そのとき私たちは、 問題を究明していません
- 主題を、挑戦を、問いを、 (究明していないの)です。
単に、即時に満足できる答えを、 見つけようとしているだけです。
で、私は、それがきわめて 大事であると、考えます
- またもや指摘しても よろしいなら、ですが、
問題へどう来るのか、
それへどれほど 近づくのかが、です。
それへ接近するとは、近づく ことを、意味しています。
どう親しく、どう近く 問題へ行けますか。
または、問題は、 あちらにありますか。
そして、私はそれへ 接近しています。
理解されますか。
8:17
または、問題は 私です。
私の周辺のどこかに (あるの)ではない。
罠は私です。
で、私はこれらに どう入りますか。
ただ表面的に、 気軽に、ですか。
または、大きな躊躇い、 敏感さをもって、ですか。
どの結論へ至るのでもなく、それを もっと深く、深く探査するのか。
頭脳は、これをする 能力が、ありますか。
または、私たちは、ひどく 条件づけられているので、
私たちは、「後生だから、 問題を免れよう」と言うのです。
これらを 理解されますか。
私たちは、問いを究明しよう、 探査しようとしています
- それへ答えを 見つけるのではない。
答えは、問いの中に あります。
問いを離れて、ではない。
そして、誰が、問いに 答えることになりますか
9:49
- 誰か指導者、 誰か預言者、誰か政治家、
誰か導師、 誰か司祭者が、ですか。
それは、私たちが いつも他の誰かから
答えを探し求めている、 という意味です。
どうぞ、語り手をその立場に 置かないでください。
なぜなら、彼は、答えようと していないからです。
私たちはともに、問いを 究明しようとしています。
そのほうが、こう言うのより、 はるかに智恵があります -
もし自分が答えるなら、あなたが 「まあ、それは十分でないな」とか
「あれは大丈夫だ。
あれは 満足できる」とか言うより、です。
または、あなたは、答えに ついて、議論しはじめます。
しかし、私たちが、 見、探査しはじめるなら
- そうね、それと 遊び戯れるなら -
それは、ものすごく多くを 開示します。そうですね?
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11:00
ここには、幾つもの 問いが、あります。
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11:14
第一の問い: 「あなたは、集団的 意識があると、言ってきました。
集団的意識と 個人的意識の間の
関係とは、何ですか。
集団的意識が全的に 変化していない間に、
人間たちはどうして、全的な 心理的変化を、遂げられますか。」
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11:43
もう一回、読んでも いいですか。
「あなたは、集団的意識が あると、言ってきました。
集団的意識と 個人的意識の間の
関係とは、何ですか。
集団的意識が全的に 変化していない間に、
人間たちはどうして、全的な心理的 革命や変革を遂げられますか。」
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12:16
K: 私たちは、問いを 究明しようとしています。
答えはありませんが、
この本当に重要な問いを 究明するとき、
それは、大いに 開示します。
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12:36
まず第一に、集団的意識が ありますか。
幾人かの科学者は、実験しています。
私は彼らの一人から聞かされました。
すなわち、 一定の動物の種(しゅ)は、
一定の実験を経ていて、 一定の結果を達成しています。
これらの結果は 集団全体へ、伝達されます
- ネズミ、 オオカミなど、です。
で、彼らは、集団の意識を 確立しようとしています
- 何かをきわめて速く学ぶ わずかな個体により
影響されるものを、です。
彼らは、これをしています。
おそらくあなたたちの幾人かはそれに ついて聞いたか、読んだでしょう。
このとおりであるなら、
そのとき、 人間の意識は、
個人的意識より 異なっていますか。
13:55
そして、集団的意識は
- イギリス人のように、それは 集団です。
イギリスの意識、
フランスの意識、ドイツ、 アメリカの(意識)、と。
さて、イギリスの集団を取りましょう。
イギリスの集団的な意識です。
伝統的であり、
自分たちの過去の帝国を きわめて誇っていて、
進んで殺そうとします。
イギリス人は、 彼らの記録では、たぶん
最多の数の戦争を 行っている、
などなどです。
彼らは、一定の意識を持って います - 集団が、です。
その集団の中に、個人的な 意識が、あります。
それが、質問者がお訊きに なっていることです。
集団的意識と、 その集団の中に生きるが、
集団より分離している人との 間の関係は、何ですか。
15:16
いいですか? 私たちは 互いに付いてきていますか。
私はそれをもう一度、繰り返さ なくてはなりませんか。
はい?
いいですよ。
インド人の意識が、 あります。
イギリス人の意識は・
・・
あなたたちは、それに反対するかも しれません。
で、他へ行きましょうか。
インド人や日本人の意識が、 あります -
集団として、です。
その集団の中に、私は自分の 意識をもって、生きます。
質問者は、訊ねます -
その集団的意識は、私の意識 より、分離していますか。
または、私の意識は 集団に類似していますか。
いいですか?
それが問いです。 私たちはそれを究明しています。
私たちは、答えを 見つけようとしていません。
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16:30
インドの その集団的意識の中に、
様々な水準の意識が、 あります。
バラモン的なもの、 などなどです。
あなたが、インドに含まれた それら分離した小さな集団の中の
一人に生まれるなら、
その個人の、その集団への 関係は、何ですか。
それは、制限された集団 なのかもしれませんが、
それは、インド人意識の 全体です。
理解されますか。
あなたは、私とともに、少し 考えなくてはいけません。
さて、関係は、 確かに・
・・
集団的意識の上塗りが あります。
その一水準、 その諸層が、です。
それら諸層の中に、 個人的意識が、あります。
17:32
個人とは、彼の悲しみ、 彼の心配、等々です。
集団は、「あなたは 理想主義者だ」と言います
- もし彼らが そう言うなら、です。
あなたは、その集団の中で また、理想の重要性や
非重要性を 学んできました。
で、理想主義を信じているか、 信じていない人の関係は、何ですか。
- そして、信じている集団へ(の 関係)は、です。
よろしいですか。
もし彼が、理想主義へいかなる 信念をも持っていないなら、
そのとき彼は、全的に その集団の外へ出ています。
しかし、彼が、理想主義を 信じているなら、
彼はその集団へ 所属しています。
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18:33
さて、質問者は 訊ねます -
集団的意識がまったく 変化してこなかった間に、
一人の人間はどうして、全的な 心理的変化を、遂げられますか。
私もまた、質問を 初めて読んでいます。
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19:19
まず第一に、集団的意識は 私より分離していますか -
個人的意識より、です。
それを、私たちは完全に 確立しなくてはいけません。
あなたは、個人は、
イギリス人の集団的意識より 異なっていますか。
または、フランス人やオランダ 人や、何であっても、です。
あなたは、根本的に、
国、文化より 異なっていますか
- 経済的な位置、状況、
教養、教育、 それらから、です。
あなたは、残りの集団より 異なっていますか。
あなたは、私たちは、私たちの 一人一人は、そうですか。
または、私たちは、 そのすべての結果ですか。
理解されますか。
私は、インドのすべての 結果ですか。
または、ヨーロッパや、 アメリカの(結果)ですか。
自分は、人生のほとんどの間、 これらの地方に、生きてきたから、
私は、そのすべての 結果ですか。
20:59
これらに付いてきておられますか。 私たちは一緒に動いていますか。
または、私は、そのすべてより 全然、異なっていますか。
あなたは、あなたの文化より 全然、異なっていますか。
あなたの環境より、 あなたの遺伝より、
あなたの数千年の進化、
戦争などより (異なっていますか)。
あなたは、そのすべての 結果ではないですか。
いいですか?
あなたは 明白にそうです。
さて、あなたは、そのすべての 結果であるのなら、
別の集団もまた、 そのすべての結果です。
いいですか?
よろしいですか。
あなたはあなた自身を イギリス人と呼ぶかもしれません。
私は私自身をオランダ人と 呼ぶかもしれません。
あなたはあなた自身をフランス人と 呼ぶかもしれませんが、
私たちは そのすべての結果です。
言語的に、私たちは 異なっているかもしれませんが。
で、少し進んでください。
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22:20
私たちの意識は、 私たちの全存在であり、
その信念をともない、その 信仰をともない、
その教義、恐れ、迷信と あこがれと、心配と、
さびしさと、そのすべてを ともなっていますが、
それは、人類すべてに 共通していませんか。
いいですか?
あなたは、これを理解しないなら、 次の一歩を受け入れないでしょう。
私たちは、各々の人間が、 人類の代表か、
残りの人類ではないですか - 心理的に、です。
あなたは、何と 仰いますか。
明白です。
あなたは苦しみます。
日本の人は、苦しみます。
彼は、テクノロジー的にひどく 前進していて、高度に訓練され、
勤勉であり、持ち場を 守っているかもしれませんが。
それは、儒教的な教育、 文化の一部ですが、
内的に彼は、あなたと 私にそっくりです。
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23:55
で、もし人間が
- 人は心理的に、 残りの人類です -
彼が完全に変化するなら、
彼は、それに全然異なった 種類の精神を、
付け加え、助け、 増加させていませんか。
理解されますか。
これに 付いてきておられますか。
いいです。
仮に、私が 根本的に変化する、とします。
所属している - 私は残りの人類 であることを、認識して、です。
私個人は、本気で それを申しています。
それは、知的な仮定 だけではありません。
私は心理的に、 残りの人類です。
私は、あなたたちより 肌黒いかもしれませんが、
あなたは苦しむ、 などなどです。
私は残りの人類です。
25:12
私が根本的に 変化するなら、
私は、人類の意識へ 持ち込んでいませんか
- 私はそれ(人類) なのですが -
私はそれに、何か全然異なった ものを、もたらしていませんか。
もしも私たちのみんなが、急速に変化 し、それへ付け加えつつあったなら、
人間意識の内容もまた、 影響されるでしょう。
これらに付いてきて おられますか。
いいですか? 私たちは 一緒にここにいますか。
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25:58
で、それは可能ですか - 人間たちが、
どこに生きていようとも、
私たちの意識は、残りの 人類に類似しているが、
異なった衣装を着ている ことを、査定して、
根本的な変化があるとき、 それは全体に影響するのです。
ヒットラーが人間意識の全体に 影響したように、です。
進んでいる戦争の ように、です。
それは、人類の全体に影響し つつあります。いいですね?
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26:54
で、この問いへの 次の究明は、こうです。
なぜあなたは、 変化しませんか。
それが、この問いに 含蓄されていることです。
それはなぜですか。
人間たちは、
このすばらしい美しい 大地に、生きてきて
- 彼らは、それを 破壊しようとしています -
なぜ彼らは、
幾世紀に幾世紀もの文明、
経験、悲しみ、涙、喜び、 その他すべての後、
なぜ彼らは、 このようなのですか。
いつも、誰かが導いて くれるのを、待っていて、
いつも、何をするかを 言われるのを、待っています。
彼らは、何をするかを言われる ときさえ、それをしません。
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28:02
さて、なぜですか。どうぞ、 この問いに答えてください。
私がそれに答えるのではなく、 それを問うてください。
それはなぜですか。
人間たちは、
裕福で、恵まれていて、 相当にいい所にいて、
格闘しなくては いけないのか(はなぜか)
- アジアのように、果てしなく 食べ物のために、です。
アジアの一定の 地方では、です。
彼らが、これらの とてつもない重要性、
緊急性を見ないのは、 なぜですか。
なぜ彼らは 動きませんか。
それは、彼らがもっと苦しみが 必要だ、ということですか
- それはあまりに 冷淡でしょう。
理解されますか。
苦しみは、人を 変化させてきませんでした。
褒賞は、人を変化させてきません でした。
処罰もそうです。
それらは、私たちが則って 行為する二つの原理です
- 褒賞と処罰です。
29:14
それら二つの原理は、どちらも 人を助けてきませんでした。
また、神のような何か機関を外在化 させて、彼を崇拝することも、です。
すなわち、思考が それを創案しておいて、
それから思考は、彼を崇拝 します。
狂った事柄です。
それもまた、人を 助けてきませんでした。
で、何ですか。
どうぞ、これらの問いを あなた自身にしてください。
私たちは、指導者を 頼みにしてきました。
私たちは、外側の機関を 頼みにしてきました
- 何か大きな影響力、 何か圧力を、ですが、
これらの物事のどれ一つとして、 人を助けてきませんでした。
で、人は何を するのでしょうか。
進んで、この質問を してください。
コミューンへ入ってしまい、 小さなこれと小さなあれですか。
または、進みつつあることの 大きな危険を、見ますか。
30:43
このすべてにおける 全くの愛の欠如、
人間たちの全くの 冷淡さを、見る。
幾らかの土地のために、
何かの名誉のために、 殺すこと -
人間の集団全体を、です。
理解されますか。
で、みなさんは、 何をするのでしょうか。
私たちの日課へ、
私たちの仕事へ 戻りますか。
それは避けられません。
私たちは、責任を持っています。
で、私たちはそれらを しなくてはいけません。
で、それらを別にして、 私たちは何をするのでしょうか。
それは、私たちの頭脳が全く 機械的になってしまった、
それで、 どんな新しい挑戦も、
即時に古い様式へ 翻訳されて、
古い様式を続けていく、 ということですか。
どうぞ、これらを 究明してください。
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32:24
第二の問い: 「正しい行為は いったい暴力を包含できますか。」
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32:31
「「正しい行為」は、いったい 暴力を包含できますか。」
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32:41
K: 今、私たちは問いを 探査しつつあります。
正しい行為とは 何ですか。
正しい行為は、すべての境遇の もとで、正しくなければなりません
- 圧力や、気候風土に 依存しないで、です。
または、自分の先入観、 結論、理想にも、です。
それが 正しい行為であるとき、
それは、すべての境遇のもとで 正しくなければなりません。
で、正しい行為とは何ですか。
何が正しいのですか。
それは、正確だ、精密だ、 現実的だ、客観的だ、
無私である、 という意味です。
いいですか?
そのすべてが、その言葉 「正しい」に、含蓄されています。
正しいのは、間違って いるのへ対立していません。
もし正しいのが、間違っているのへ 対立しているのなら、
正しいことはまた、間違っている ことにも、根付いています。
いいですか? これは、 少し探究が必要です。
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34:13
善さは、
悪いものより、全的に 分離していますか。
私たちは、善いと悪い という言葉を、
その言葉の普通の意味で 使っています。
それは、分離していますか。
全的に分離しているのか、
または、善さは、悪さの 中から、生まれていますか。
理解されますか。
私は悪い
- それが何を意味して いようとも、です -
そして私は、 善くなろうとしています。
その善さは、私なるものの 対極です - 私は悪い。
私は、自分は善くなければ ならないと、言っています。
で、それは対極です。
その対極は、思考により 創り出されています -
これは悪いし、私は善くなければ ならないと言うものによって、です。
これらに付いてきて おられますか。
で、正しいのは、 間違ったことの対極ですか。
それが対極であるなら、
二つの間に葛藤があるに ちがいありません。
ゆえに、正しいことは、 正しくありません。
35:44
善いのと悪いのと間に 葛藤があるところ、
その葛藤は 間違っています。
ゆえに、私たちは 訊ねています -
正しいのは、全的に独立し、 全的に離別し、
悪いものに、何の関係をも 持っていませんか。
そのときそれは、すべての 境遇のもとで、正しい。
しかし、それが、悪いものの 中から出てきたものであるなら、
- すなわち、 私は善くありたいと、
善いものの対極を 創り出しています -
そのとき、そのために 闘っています。
ですね?
そのとき、私が正しいと 呼ぶものは、間違っています。
これを理解なさったのか どうかと、思われます。
私たちは互いに、これを理解し 合ったのかどうか、と。
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36:47
で、私たちは、多かれ少なかれ、 はるかにこれへ入られますが、
私たちはまた、行為にも 入らなければなりません。
行為とは何ですか。
どの動きも行為です。
ですね?
ここからあなたの家へ行くこと、 ここに座ること、聞くこと。
行為、すること。
「してきた」とか、 「するだろう」とかではない。
それは、行為しつつある ことを、意味しています。
(現在進行形を意味する) 現在分詞です。
で、行為している。
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37:33
さて、行為は、 何に基づいていますか
その行為の根、その行為の 原因は、何ですか。
行為することは、 原因を持っていますか。
どうぞ、これは、きわめて興味深い - あなたがそれに入るなら、です。
これは、知的な査定、 知的な娯楽ではありません。
もしあなたが、それに きわめて深く入るなら、
それは、何かとてつもない ものを、持ち出すでしょう。
私たちの現在の行為は 過去の記憶に、基づいています。
または、 未来の原理に、です。
観念 - 様式に沿って、私は 生きようとしています。
そして、その様式に 沿って行為する。
その様式は、思考により 確立されます
- 私が学んできた ことからか、
模倣したことから、です。
私は、その様式を真似するし、 私はそれを、行為と呼びますね。
38:50
すなわち、私は、褒美になる 原理に沿って、行為しています
- すなわち、楽しめるだろう ものに沿って、です。
私は、それに沿って 行為します。
すべてのイデオロギーの主義者は これをします。
すべての理論家は、 資本主義の理論家でも、
全体主義の理論家でも、 これに則って行為します
理論を確立するし、
それら理論、仮説に沿って 行為します。
そうですね?
で、私たちの行為は、褒賞か、 あるいは処罰に基づいています。
明白です。
で、行為は、動機を 持っています。
すなわち、私は、自分の 欲望に沿って行為しています
- 私の楽しみ、私の 過去の記憶に(沿って)です。
または私は、何か原理、 何か理想に沿って
行為しています。
40:06
しかし、私は行為していません。 私は何かに沿って行為しています。
私たちはこれを 理解しますか。
で、精神は、過去と未来から 自由であり、行為できますか。
これに入ることは 本当に、とても興味深い。
私の頭脳は、できますか - 時の中で進化してきて、
それで、それは 時の中で機能します。
時とは、過去の褒賞、 過去の記憶、
過去の達成などなどと、
その褒賞すべて等を ともなった未来です。
で、私の頭脳は、それに 条件づけられてきました
- ほとんどの頭脳が そうであるように、です。
それは、過去か未来に 沿って行為しています。
それが その条件づけです。
41:22
さて、私たちは、 その頭脳に訊ねています -
過去と未来の事柄の 重荷全体なしに
行為することは、 可能ですか。
質問を理解されますか。
私たちは、それへ 戻ってくるでしょう。
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41:49
そして、質問者は 訊ねます。暴力は
- 彼は、暴力という 言葉を、使います。
暴力とは何ですか。
物理的な暴力ですか。
互いに殺し合うこと、 互いに傷つけ合うこと、
互いを不具にし合うこと
- 物理的に、 言葉により、
身振りにより、眼差しに よって、ですね。
私たちは、互いに 傷つけます。
それもまた、 暴力の一部です
- 言葉、身振り、
打撃、銃剣、爆弾。
そしてまた、
私たちが人々を模倣するとき、 暴力がないですか。
私たちが、比較の動きに 捕らわれているとき、
暴力がないですか。
私は自分自身を、あなたと 比較しています
- 利巧なやつ、 などなどと。
または、私は、 何者かになりたいと思います。
それもまた、暴力の一部です。
43:23
いいですか? 順応、比較、
従うこと、
服従すること - そのすべてが 暴力の一部です。
私たちは、法律に逆らうことを 言っていません。
私たちはここで、気を つけなければなりません。
さもないと、警察官に 追われるでしょう。
で、これが暴力であると悟って、 そのとき私たちは前進し、
非暴力と呼ばれる状態や 原理を、創り出します。
- 私なるもの、私たちなる ものの正反対です。
そのとき、何が 起きますか。
私は、非暴力の観念を 創り出してきました。
なぜなら、私は 暴力的であるからです。
これは事実ですが、 あれは非事実です。
私は、非事実を 追求します。
44:31
これらを悟られるのか どうか、私は知りません -
そのときそれは、あらゆる種類の 幻影へ繋がることを、です。
ところが、事実だけが あります - 暴力です。
他の事実はありません。
さて、暴力の本性を 理解すること、
それに入ること、
その言葉の内容全体を 包含し、
それから動いて 離れないこと。
それは、逃避しないこと、 それに埋没しないこと、
それを抑圧しないこと、 それを乗り越えないことです。
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45:27
で、正しい行為は 何ですか
- 暴力の動き全体を
包含するであろう ものは、ですね。
正しい行為は、何ですか。
いいですか。
それは、無行為です。
これに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
暴力から生まれた どの行為も、暴力です。
一つの国は攻撃的です。
あなたは、その国へ 攻撃性をもって応答します。
これが 起きてきたことです。
それは肯定的な行為です - それが 肯定的な行為と考えられています。
あなたは、私を叩きます。
私はあなたを、叩き返します。
が、暴力の本性全体を 見る、
それを間近で観察すると、
無行為である状態だけが あります。
これを理解されるのか どうかと、思われます。
暴力に関して肯定的な行為と 考えられるものは
- 通常の受け入れられた 伝統的な意味で、ですが -
報復することです。 ですね?
47:17
これが、私たちの 伝統であったのです。
私たちは、何マイルも離れたあの 特定の土地を、一切れ持っています。
もし誰かが攻撃的であり、 あの土地に入るなら、
私はそこへ、自分の軍艦 すべてを、送るでしょう。
これは、世界中で 起きつつあることです。
攻撃に攻撃で応える。
それが、肯定的な、現実的な 行為と、考えられています。
これが、数千年の間、 人類の歴史であったのです。
で、この暴力の問題全体を 究明するとき、
暴力からのどの動きも、 やはり暴力です。
いいですか?
これを 理解するなら、です。
ゆえに、暴力が あるとき、
暴力へ何も応答なし。
それが、最も 肯定的な行為です。
いいですか?
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48:30
第三の問い: 「あなたは 慈悲について語りますが、
行為は原因を持つべき でないと主張します。
行為の原因であることなく、慈悲は どのようにして行為しますか。」
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48:51
「あなたは慈悲について語ります」 - まあ、それに入りましょう
「あなたは 慈悲について語りますが、
行為は原因を持つべき でないと主張します。
行為の原因を持つことなく、慈悲は どのようにして行為しますか。」
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49:23
K: 質問者は、「あなたは 慈悲について語るが、
あなたは主張する」と 仰います。
どうぞ、語り手は 何をも主張しません。
そのとき、もしも彼が主張したなら、 あなたは、彼をとっちめられます。
しかし、彼は何をも 主張しないし、
彼は慈悲について、何かとてつもない ものかのように、語らないので -
人間たちが失ってしまったか、見つけて いないものとか(のように)です。
で、私たちはともに、この問いへ 入らなくてはいけません。
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50:06
慈悲とは何ですか。
愛とは何ですか。
一般的に理解されている ようには、
愛は感覚的です。
感覚に訴えます。
色っぽい。
愛は、楽しみと、 そして、
何かの形の自己充足と 理解されますね。
私は、普通に理解されている ことを、述べているだけです。
で、私たちは、この言葉を探究し、 探査しなくてはいけません
- その言葉の内容、 その言葉の深さ、
その言葉の本当の 性質を、です。
その言葉は、台無しにされ、 唾を吐かれ、
踏みにじられ、 卑俗にされてきました。
他のどの言葉を お使いになってもいい。
で、そのすべてを脇に 押しやると、愛とは何ですか。
それが原因(コーズ)を 持っているなら -
「私はあなたを愛している。
なぜなら(ビコーズ)」と。
そのとき明白に、 それは愛ではありません。
51:49
それについて明らかで ありましょう。いいですか?
「私は神を愛している。
なぜなら、
いつの日か、彼が私を助けて くれるだろうと望むから」、
「私は妻を愛している。
なぜなら」等です。
私はそれらに 入らなくてもいい。
または、 自分の彼女を、です。
で、私たちは、愛が原因を持たない ことが、きわめて明らかであるなら
- それは持ちません。
それが(原因を)持っているなら、 それは愛ではありません。
それは、便宜、自己満足です。
それは、満悦、仲間付き合い、 さびしさからの逃避と、
それらの種類のものです。
が、それが本当であるなら、 それは原因を持っていません。
私は、あなたが聴衆であるからと いって、あなたを愛していません
- それは、私が自分自身を 充足するのを、助けてくれる、と。
それは、あまりに ばかげています。
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53:02
で、愛は、原因を 持っていません。いいですか。
これは、言語的な査定、
言語的、知的な同意 ではありません。
それは、深い真理です。
その真理を知覚するとき、
私たちが持ってきた原因は、 すっかり消え去ります。
そして愛は、慈悲より 異なっていますか。
または、それは、同じものを さらに進めたのですか。
慈悲は ありえますか
- それの甚大さの感覚、
それの美しさ、その言葉の 性質、深さ、ですが -
悲しみがあるところ、 その慈悲は存在できますか。
私はこれを失ってしまったから、 苦しんでいるかもしれません。
私は、さびしさから 苦しんでいます。
54:26
私は苦しんでいます。 その苦しみの中から、
私は、一定のイデオロギー的な 原理に、執着します。
私は、ヒンドゥー教徒や仏教徒や キリスト教徒に、なります。
私はそこに、自己の碇を 降ろします。
そのとき、あなたを 助けに出かけていきます。
なぜなら、私は、自分が 慈悲深いと考えるからです。
それは慈悲ですか。
付いてきておられますか。
私たちは、一緒に ここにいますか。
私たちは 究明しています。
私たちは、あなたが同意 すべきだと、求めていません。
もし私が、何か原理に 執着しているなら -
何かの信念に、 何かの信仰に、です。
それは、私の強み、 私の碇です。
そのとき、私は 慈悲について話します。
世界へ行き、シナや インドへ行き、
そこで貧しい人々を 助けます。
55:38
それは慈悲ですか。
または、それは 憐れみですか。
同情、
親切、気前のよさですか。
それを、私は 慈悲と呼びますが、
または、どの種類でも 碇を降ろすことがあるとき、
慈悲は、とうてい 存在できません -
そのとき私は、もはや ヒンドゥー教徒、仏教徒、
カトリックなどではありません。
よろしいですか。
すなわち、慈悲は、自らの 智恵を持っています。
安全の碇を降ろすことは、 智恵がありません
- 何かの神、何かの象徴、 何かの信仰へ(碇を)、です。
それは、智恵の欠如を 標示しています。
しかし、慈悲があるとき、
それは、自らの智恵を 持っています。
で、智恵は、原因を 持っていません。
57:20
なぜなら、それが 原因を持っているなら
- 私は智恵を持っている。
なぜなら・・・
私は本を読んできた、私は利巧な 論議をするから、などと、です。
それは、智恵では ありません。
それは、利巧さ、学識、 専門職の活動です。
で、慈悲、愛は、原因を 持っていないし、ゆえに、
智恵は原因を 持っていないので、
愛、慈悲、智恵は 互いに伴います。
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58:12
そのとき、質問者は 訊ねます -
あの慈悲があるとき、
行為とは何ですか。
問いを理解されますか。
私はそれを持っていないが、 それについて語ってくれ。
私は、愛が何であるかを 知らないが、
その愛の行為は 何ですか、と。
私たちは、理論に戻っています - 仮説と観念論に、です。
愛をもって生きるとは 何であるかを、語ってくれ -
私の心の中で、私はあの炎が何で あるかを、知らないけれども、と。
それが何であるかについて 話すことは、愚かでしょう。
- 自分がその炎を 持っていないときに、です。
で、そのとき、 問いが生じます。
こうもものすごい苦悶、 怖ろしい戦争を、
経てきた人間たち -
すべての川を越えて 涙を流し、
けれども、彼らは、同じ道を 進みつづけています。
互いに殺し合う、 その他すべて、です。
59:56
慈悲と智恵があるところ、
その智恵こそが 行為です。
しかし、私は、それを 持っていません。
それは、このテントの 中では、良く聞こえますか、
私がここを離れるとき、 それは去っています。
私は、語り手により 刺激されてきたのです。
または、他の誰かによって、 ですが、それはそこにありません。
それは悲劇です。
で、またもや、私は何を することになりますか。
私はあの炎を、どう 捉えることになりますか。
そうね、愛は 経験ではありません。
すべての経験は 感覚的です。
反応です。
愛は、 欲望、楽しみ、褒賞、
自分の悲惨からの 逃避ではないので、
それを見、 それを観察するなら、
そのとき、 あの観察の中から
そのものは 花開くかもしれません。
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1:01:44
私たちは、次の問いへ 進みましょうか。
残念なことだと思われます。 そうでないですか。
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1:01:59
第四の問い: 「存在するために、私は、
何の意味もない、日々の機械的な 任務を、遂行しなくてはいけません。
この意味の欠如は、 破壊性の感じと
内の憤激へ、繋がります。
私はこれを、私自身に 明らかに見ます -
そして同じ過程が、テロ、 犯罪、非行の増大において
増しているのを(見るの)です。
この増加する混沌について
何もできないとの 感じがあります -
社会は、崩壊を 運命づけられている、と。
このものすごい混沌へ どう接近しますか -
自分自身の外でも、 内でも、です。」
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1:03:01
「存在するために私は、あまり意味 のない、日々の機械的な任務を、
遂行しなくてはいけません。
この意味の欠如は、 破壊性の感じと
憤激へ、繋がります。
私はこれを、私自身に 明らかに見ます -
そして、同じ過程が
テロ、犯罪、非行の 増大において
増しているのを (見るの)です。
この増加する混沌について
何もできないとの 感じが、あります -
社会は、崩壊を 運命づけられている、と。
このものすごい混沌へ どう接近しますか -
自分自身の外でも、 内でも、です。」
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1:04:01
K: 私たちのどれほど多くが
この事実に気づいて いるのかと、思われます。
経済的に、 社会的に、道徳的に、
私たちが知ってきた 社会の構造は、
次第に崩壊しつつ あります -
知覚できないほどにか、きわめて きわめて速くに、です。
私たちのどれほど多くが これに、気づいていますか。
または私たちは、日に日に生きて、 茶番劇全体を忘れるだけですか。
どうぞ、あなた自身の中で 探究してください -
自分が本当にこれに 気づいているのかどうかに、です。
新聞において、ではない。
雑誌において、ではない。
論説において、ではない。
どの本において、でもない。
これは、実際に 進んでいきます。
私たちは、それに 気づいていますか。
私たちは、起きつつある すべてに、敏感ですか。
科学者たちがしている ことに(敏感)ですか。
なぜなら、彼らもまた 充足したいからです。
ロシアは、何かを 発明します。
他の科学者たちは、何かもっと、 より大きなものを、発明します。
それで、彼らは これを続けます。
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1:05:38
自らが、混沌、破滅に 気づいているなら
- 自らが本当にそれに気づいて いるのかどうかと、思われます -
これを問うことは、本当に きわめて重要です -
自らが本当に、 深く敏感に、これに
気づいているのか どうか、です。
自分の国で起きつつある ことだけではなく、
世界においても、です。
一定の地域での貧困は、 増加しつつあります。
人口過剰、 全的な無頓着、冷淡さ。
自らがそれに 気づいているなら、
なぜそれについて、 憤激、怒りを持ちますか。
または、それで 憂鬱になりますか。
これは事実です。 ですね?
1:06:53
事は 崩壊しつつあります。
なぜ自らは、それに ついて、怒りますか。
それについてものすごい心配、 憤激をしますか。
なぜですか。
なぜ私たちは、 事実を見つめ、
私たちが何をできるかを 見ませんか。
もしあなたが、憂鬱になり、 心配、憤激に満ち、
「神様、私の家族に、あれとこれに 何が起きようとしているのか、
と言うなら、 あなたは、迷っています。
しかし、これの本当の 事実を認知するなら
- 言語的に、ではなく、 あなた自身の内側で、
深く、あなたの心に おいて、です -
そのとき、質問者は 仰います
- 自らは、何をする ことになりますか。
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1:08:07
あなたはどこで、この混沌を 理解しはじめるのでしょうか。
家は燃えつつあります。
私たちは、何か現実的でない ことを、言っていません。
語り手は、悲観的でも、 楽観的でもありません。
ただ、ありのままの物事に 向き合っているだけです。
あなたは、この混沌の 中から、どこで
秩序を、もたらし はじめるのでしょうか。
もっと多くの指導者ですか。
もっと良い総理大臣ですか。
もっと良い労働党 指導者ですか。
もっと良い警察の秩序、 犯罪の抑圧ですか。
それらがあるべきでない、 ということではない。
あなたは、どこで 始めるのでしょうか。
どうぞ、その質問をしてください - あなたはどこで始めるのでしょうか。
外のあちらで、ですか。
内のここで、ですか。
誰がこの世界に、外的な混沌を 創り出してきましたか。
私たち人間が、それを 創り出してきました
1:09:32
- 私たちの一人一人が、 ですね。明白です。
私たちの祖父や、 祖父の高祖父です。
私たちは、彼らがしてきた ことを、継承してきました。
私たちは、それに 寄与しつつあります。
これは事実です。
で、私はどこで始めるのでしょうか - 外的な混沌を悟って、です。
私は、私たち人間がそれを 創り出してきたことを、悟ります
そして、残りの人類 である人間として、
私は、私自身でもって 始めなければなりません。
それは、利己的な動き ではありません。
私は、寄与してきました。
この混沌を引き起こし、 もたらしてきました。
私たちの一人一人が、この 混沌を、もたらしてきました
- 崩壊か、 切迫した崩壊を、です。
私は、私自身でもって 始めなければなりません。
なぜなら、私は - どうぞ、 これは本当に重要です -
私は人類であるからです。 言語的な声明だけではありません。
1:11:00
それは、私の血の中にあります。 私は残りの人類です。
私は私自身に、秩序をもたらし はじめなければなりません。
なぜなら、私は 混沌の中に生きてきたし、
私は今なお、生きる からです - 内的に、です。
混沌とは、無秩序、 葛藤、格闘です。
さて、このすべてに 秩序がありえますか。
秩序は、無秩序の中から 創り出されますか。
どうぞ、
私は、無秩序の結果です。
私が無秩序です。
私は、無秩序は 外のあそこにある。
私はそれを見つめている、と言って いません。
私が無秩序です
無秩序の中にない、 私の部分は、何もありません。
私は、部分を 考案するかもしれません。
私は、完全に秩序正しい私の部分が あると、考えるかもしれません
- 美しく秩序正しい ものが(ある)、
1:12:20
私の残りが 混沌である、と。
で、私はそれを 主張するなら、
そのとき私は、何か自分が 考案したものを、追求しています
- すなわち、何か純粋な 秩序があるのだ、と。
すなわち、無秩序の中から、 私は秩序を創り出したのです
- いいですか?
その秩序が 本当であると望んで、です。
私は、それの誤謬を 見ます。
で、私は、 自分自身に言います -
私が無秩序の原因と 罠である、と。
私は、この無秩序を きれいに晴らせますか。
秩序を探求するのではない。
これを理解されますか。
無秩序であり、混沌と している私の精神 -
そういう精神、頭脳が、 どうして秩序を創り出せますか。
創り出せません。
それができるすべては、無秩序の 本性を理解することです -
無秩序の構造、動き、性質を (理解するの)です。
1:14:02
無秩序の本質は、葛藤です。
あなたが葛藤を持たないとき、 秩序があります。
で、葛藤の原因は 何ですか。
あなたが考えておられること、
あなたが、語り手とともに究明 していることを、望みます。
さもないと、あなたは、観念を たくさん聞いているだけです。
それらは、いかなる意味をも 持たないでしょう。
彼は、もう一人の愚かな 指導者になるでしょう。
どうぞ、あなたに お願いいたします。
語り手を、その地位に 就けないでください。
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1:14:54
で、無秩序の解消が ありえますか。
私たちは、秩序を 探し求めていません。
秩序は、無秩序がないとき、 宇宙のように、あるでしょう。
で、無秩序をもたらす、 寄与する原因は、何ですか。
疲れておられますか。
私はこれを 終了させましょうか。
疲れておられませんか。
すみません。
無秩序をもたらす 多くの原因は、何ですか。
それとも、たった一つの 原因が、ありますか。
私たちは、多くの原因が あると、考えたい。
なぜなら、そのとき私たちに、遊び 回る時間が、与えられるからです
- きわめて多くの原因を 究明しながら、です。
それが、人間たちがやる 心理的ゲームの部分です。
1:16:22
しかし、そのすべてを 見つめると、
おそらく、たった 一つの原因があります。
または、私たちは、他の 様々な原因を、究明しましょうか。
それは、時間のむだです。
明白です。
一つの原因とは 何ですか -
外に、あちらに、そして 自分自身にこの大きな無秩序を
もたらしつつあるものは、です。
それは、「私」、 「自己」ですか -
そのすべての葛藤、欲望、望み、 恐れ、過去の記憶とともに、です。
自己中心的な実体
- 自分自身に 関心を持っていて、
自分自身を孤立させ、
思考が「私」として 創案してきたものへ、
取りすがり、 縋りついている。
進んで、それを 見つめてください。
その自己中心的な実体、
「私」、形態、名称、
蓄積した記憶すべて - それが「私」です。
それは、本質において 孤立です。
1:18:15
「私」は、いつも 孤立しています。ですね?
私はあなたに関係している かもしれませんが、
「私」が「あなた」に 関係しています。
いいですか?
私が主役です。 あなたは、二の次です。
私は親密に、あなたに 関係しているけれども、
私は、自分の欲望、野心、 充足を、追求しています。
あなたもまた、 同じことをしています。
鉄道の二本の平行線路がけっして 出会わないのに、似ています。
すなわち、「私」が、この すべての孤立の感覚とともに、
それが、この混沌の根本原因です - 外のあそこと私の中で、です。
私はこれを悟りますか。
または、この言語的な蓄積は、 私が集めてきたもので、
私は言葉とともに 生きていますか。
1:19:32
私は、「はい、それは私です。 私はそれについて
何をすることに なりますか」と言います。
私は、それが私であることを 悟るなら、私は何もできません。
理解されますか。
私は何もできません。
なぜなら、する者はやはり 「私」であるからです。
で、ただ、事実の純粋な観察の 状態だけが、あります。
その観察は、その強烈な 注意をともなって、
それ自体の行為を 引き出します。
それが智恵です。
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1:20:23
よろしいです。
今日は終了しました。
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