BR84CIM2 - 愛があるとき、真理と美しさがある

アイリス・マードックとの会話 第2回
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年10月18日
テキストのみのバージョン
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0:17
クリシュナムルティ: あなたが始めてください。
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0:19
アイリス・マードック: 私はまだ、或る根源的な疑問を、
定式化しようと していますね - すなわち、
現時点で私が掴むか、全面的に 見ることができないものを、です。
おそらく私は、ちょっとそのあたりを 一種、歩き回って、わずかなの間、
一つ、二つの違った種類の問いを、 訊ねられるかもしれませんね。
私が思うに、あなたはこう感じます - 義務の観念はきわめて・
・・
義務の観念は、ほとんどの道徳体系に おいて、根源的なものです。
哲学者たちは、それについて 論議しますが、それはある。
人々は、成長していくとき、教えられ ます。
彼らは、義務を教えられます。
例えば、真実を 語るべきである。
他のことが平等であり、
おそらく、彼らはいつも、 真実を語らないなら、ね。
まあ、あなたは、義務の観念を お断りされますね。
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1:13
K: 私は、義務より、責任の ほうが良いと、感じます。
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1:19
M: まあ、いいですよ。 すると、
責任の感覚は、 義務の感覚であるでしょう
- 或る境遇のもとでは、です。
二つの観念は、異なった方向へ 進展できるでしょうが、
あなたはむしろ、それを責任の 感覚と、呼ぶのでしょうか。
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1:34
K: ええ。責任(レスポンシビリティ) です。なぜなら、もし私が・・・
責任は、(応答できる)気づかい、 慈しみを、含意しています
- 相手の人物との 意思疎通の感覚を、です。
あなたが何かをするよう強いられる とか、そうするよう修練されるとか、
そうするよう言われるから、 それをしているのではなく、
(応答できる)責任がある。
私が、住宅を建てるよう、 引き受けるなら、
私は、住宅を建てることに、 責任があります。
私は、自分の子どもに責任があるなら、 私は、完全に責任があるでしょう -
彼らが、私の住宅から出て 行ってしまうまでだけでなく、
私は、彼らが適切に生きるよう、 見届けるでしょう -
育てられ、殺さないで、です。 よろしいですか。
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2:21
M: 責任には、何も制限が ないでしょう。
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2:24
K: 責任に、制限は ありません。
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2:25
M: ええ。おそらく 自らは、義務を、
しなくてはいけない、きわめて 明確なことに、連係させるんですね。
他方では、あなたが、真実を語る べき義務のような何かを、取るなら、
それは、何かこうも 根源的なことです。
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2:38
K: 真実を語ることは、 私の責任の一部です。
私は、自分自身に 不正直でいないでしょう。
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2:45
M: ええ、すると、「義務」という言葉 について、悩まないようにしましょう。
が、これが、実情です -
自らが、人間生活の様相を、 取り扱っているところです。
すなわち、生の継続へ 所属するものを、ですが。
あなたは、ただそのとおりであること により、それを仰るのでしょうか。
すなわち、それは、日常的な 概念である、と。
それは、社会生活のまともな 道徳的継続の一部なんですが。
あなたはそれを、本質的に 異なると、見做すのでしょうか
- 私たちが今朝、 話していたことより、
本当のものより、 愛より、です。
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3:28
K: はい、はい。私は、それを 異なると、考えるでしょうね。
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3:31
M: が、私は、どこに分割が 来るのかが、よく見えません。
私はいつも、構造を・
・・ 築き上げようとしているんですね。
それを私は、見たいのです - どこで分割が来るかを、です。
通常、私たちが、善や道徳的な 振るまいと呼ぶだろうものと、
この根源的なもの との間に、です。
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3:55
K: 私たちは、出発できるでしょうか - なぜ私たちは、断片化していますか。
なぜ私たちは、生を そして、私たちの行為と
私たちの業務すべてを、見つめますか - それが何であっても、です。
いつも、この断片、業務、宗教、愛、 憎しみです - よろしいですか。
それはすべて、こうも 砕けています。
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4:22
なぜ、私たちは これをしますか。
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4:24
M: まあ、生は、毎日、 取り扱われなくてはいけません。
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4:29
K: はい。ですが、 なぜ私は、生を、
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4:34
このように取り扱われるものと、 受け入れるべきですか。
M: それを統合するため、つまり、 統一を持つためと、私は思います。
あなたは、こう 感じられるようなんです -
私たちは、或る種の完全に 統一の無自己を、持つべきだ、と。
すなわち、そのとき 分割可能でないものを、です。
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4:49
K: はい、そうなんです。
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4:50
M: が、そのとき、こう言いましょう - 真理と愛のような言葉は・・・
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4:56
K: ・・・一つである、と。
愛があるなら、真理がある。 美しさがある。
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5:00
M: はい。これは そうです -
自らがそれを、哲学的な意味で、 見つめているなら、ですが、
しかし、誰かが・・・
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5:09
K: いいえ。実際の意味で、 っていうことです。
私が本当に愛しているなら、 そこには美しさが、あります。
私は、不正直では いられません。
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5:18
M: ええ。美しさは、この目的の ためには、より困難な概念です。
少なくとも、私は感じます。
私が悩むのは、連係の点です -
愛である真理、 根源的な真理と、
通常の真理の概念との間で、です。 真実を打ち明けるときのように、ね。
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5:44
K: 仮に、私が嘘を ついてきた、とします。
私は、自分が嘘をついて きたことを、認知します。
私は、自分が怒ってきたなら、 認知します。
それは正直さです。
それが、その言葉の 通常の意味での真理です。
私は、自分の嘘を、たくさんの まやかしのことで、覆い隠しません。
私は嘘をついてきたと、 私は言います。
私は怒っていました。
私は 残忍でした。すみません、と。
私たちは、このすべての 種類のことを、覆い隠すよう、
訓練されていると、 私は思います -
ひどく自分自身に正直でなくて、この すべてから逃避するように、です。
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6:26
M: ええ。これは、あなたが 大いに関心を持っておられると
私が思うことの一つと、 どう連係していますか。
葛藤を乗り越えることと、
分離主義的な自己存在を 乗り越えることなどですが、
これはそのとき、何かがあると、 提起するのです・
・・
あなたは、例えば欲望と愛の間で、 これらの区別をつけますし、
あなたはそれから、真理を、 中心に持ち込みます -
愛は真理であると言うことによって、 です。
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7:01
K: はい、もちろんです。
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7:04
M: が、これは、あまり容易く 連係するとは、私には思われないし、
これは、観念が・
・・
欲望を浄化するとか何かの私の観念が、 入ってくるだろうところです。
これは、通常の道徳的生活と、 あまり容易く連係しません。
自らは、道徳の二つの判断を持つ だろうかのように、見えるんですね。
あなたは、その言葉の通常の意味で、 彼は善い人であるが、
あなたのその言葉の意味では、 不完全な人である、と言うでしょう。
それは、 重要ではないですか。
私は、これの表し方を考えられません。
あなたにとって、ですが、
私は、人々へうまく行くのを願う誰かと して、あなたのことを考えています。
あなたにとって、連係を作ることは、 重要ではないですか。
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7:47
K: はい。私はこれは分かります。 ご覧ください。
私は自分自身に訊ねるでしょう。
または、私の友に訊ねるでしょう
- 初めに、なぜ私たちは、 断片化していますか。
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7:59
M: ああ、あなたは、形而上学的な 問いへ、戻っていきたいんですね。
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8:01
K: もちろんです。そこから、 あなたは、出発しなくてはいけません。
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8:05
M: ええ、これが、 あなたの感じです -
私たちは、いつの時も、始まりに おいて正しくなければいけない、と。
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8:10
K: はい、 いつの時も、です。
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8:12
M: 私も、これが好きです - 或る面で、ですが、
あなたが、新しいことについて仰ること、 何か新しいものについて望まれることが、ね。
あなたは、「新しい」という 言葉を、使われました。
それは、自分が持っているものの取得 された集積ではなく、新しい何かです。
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8:26
K: 私たちの議論の多くの中で、私は 学生たちに、訊ねてきたんですね -
私たちがこのように断片化し、 砕けているのは、なぜですか。
私たちの何が 間違ったのですか。
数百万年の後、私たちは、
いまだに互いに闘い、 互いに殺し合っています。
私たちは怒っています。
私のいう意味が、お分かりですか。
何が 間違っていますか。
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8:44
M: 葛藤や断片化したとの 感覚は、ありますね -
それは、悪い。
それは、 闘うことを意味していますが、
また、通常の議論上の 道理もあり、
私たちが物事を知ることへ、 どう取りかかるのかも、です -
それは、必ずしも悪くない。
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8:59
K: はい、 はい。私は自分の道理を使います
- なぜ世界がこれらの種類の物事へ分割 されているのかを、見るように、です。
民族、国家、 宗教のように、です。
インドで何が起きつつあるかを、 ご存じですね - シーク教徒です。
そして、ユダヤ人、アラブ人。
なぜですか。
なぜ私たちは、この生きる道を 受け入れますか。
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9:19
M: ええ。でも、これには一種の 経験的な通常の答えが、あると、
私は思います。
で、私たちは、 それを止めようとできる -
あらゆる種類のことをする ことによって、です。
人々が、他の人々へ話すとき、 そうするように、です。
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9:33
K: しかし、マダム、 私たちはそうしません。
事実は、私たちは一度も そうしなかったんです。
私たちは、この分割を 止めてこなかったのです。
もしも私の息子が、アラブ人の 女と一緒だったなら、ですね。
- または、息子が、ユダヤ人、 イスラエルの女と一緒だったなら、です。
私は、何をすることになりますか。 彼らは闘っています。
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9:52
M: ええ。思うんですが、部分的に、 あなたはこれを拒否なさらないでしょうね。
あなたが意思疎通したいことの その部分は、
政治において実践的な効果を 持つだろう何かです。
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10:06
K: それは、実践的な 効果を、持っています。
ええ、政治、宗教、 日常生活です。 M: はい。
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10:10
K: すなわち、私はこう 言うでしょう - ご覧なさい。
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10:12
理論とそれらで 出発しないで、
なぜ世界中の私たち人間は 今、私たち自身において
こうも砕けて、こうも分割されて いるかで、出発しましょう。
M: でも、私には、 それは部分的に、
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10:31
経験的な問いであるように 思われます -
なぜ一定の宗教が、一定の時に、 一定の見解を持っていて、
分離してしまったのかを、 なぜ私たちが見出せるのかを
言えるだろうと いうことにおいて、です。
このように、キリスト教を 研究できるかもしれませんが、
一種の形而上学的な 問いが、あります -
すなわち、部分的に答えられぬと 私は思うだろうものです。
それは、なぜ人間たちはいるのかと 言うのに、似ているって、ことです。
自らは、「私は知らない」って 言わなければなりません。
神を信じている人々は、 神が世界を創造したと、
言うだろうって、ことです。
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11:04
K: 科学者たちは、違った 理由を、持っています。
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11:07
M: はい。あなたは、経験論的な 答えを、排除するなら、
一種、形而上学的な質問を しています。
すなわち、或る面で、 答えられないものを、です。
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11:16
K: なぜですか・・・私は お訊きしたいと思います -
それは、思考それ自体が、断片化 している、ということですか。
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11:25
M: まあ、思考自体が断片化して いると、私は思います。
それは或る意味で、回避不可能な ほどそうだと、私には思われます。
私たちが今、 していることは、ですね、
自然言語と概念を使い、 言葉を使っていますが、
それらを、私たちは理解するために、 学んできた、などですが、
これは、何か、興味関心の中から きわめて多くのさまで
世界へ拡がることに、 依存するものです。
「議論の」という言葉は、一種、 この種の概念に、及ぶんですよね
- すなわち、知能は、外へ 拡がらなくてはいけない。
それは、言語の中へ出現しなくては いけない、などです。
11:59
それは、簡潔ではありえない。 それは、一つではありえない -
それらを、多くの哲学者がほしがります。
彼らは、一つがあると、考えたいのです。
しかし、あなたの 拒絶の中で、
あなたは、許さないように、 私には思えます・
・・
このように表しますと、 世界の償い、
つまり、世界を中心へ、 善の中へ、
真理、愛の中へ 持ってくることなんですが・・・
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12:27
K: 私は、はい、と言います。 そうでなければなりません。
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12:30
M: ええ。でも、そのとき、断片化 すべては、取り除けません。
それを償わなくてはいけません。
私が いう意味をお分かりになるなら、ですが、
断片化を取り除くように、です。
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12:38
K: いいですよ。それを償いましょう。
さて、人間たちは、なぜ 彼らは、このようなのですか。
それを償いましょう。
知的に説明するのではなく、 事実、日常的な事実です。
こうも葛藤、こうも暴力が あるのは、なぜですか。
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12:57
M: まあ、またもや、 多くの理由が、あります。
例えば、アイルランドを取りましょう。 多くの理由があるって、ことです。
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13:04
K: もちろんです。
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13:05
M: なぜアイルランドに紛争が あるかの歴史的な理由ですが、
あなたは、はるかに深い 物事について、考えています。
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13:12
K: はるかに深い物事です。 当然です。
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13:16
M: 私には、こう 思われます・・・
まあ、誰かが私に、 それを訊ねるなら、
私は形而上学的な問いに答えられ ないと、私は言うでしょうが、
私が言えることは、なぜそう であるべきでないのか、です。
これは、あなたが望まれない 「べき」という言葉を、使います。
私たちは、善の概念を持っています - いわば、そこから私たちが、
あらゆる種類の思考と行為を、 世界の中へ拡げるものを、です。
これは、それをひどく下手に表して います。
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13:53
K: 理解できます。
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13:55
M: 次第に私たちが 世界を、より良くできて、
葛藤を、表面的な意味でも、 より深い意味でも、
取り除けることを、 望んで、です。
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14:05
K: 私たちは、この地上に 生きてきました -
科学者たちとその他 すべてによれば、
少なくとも、二、三百万年の間、 です。
進化してきました。
私たちはまだ、それをやって います。 M: はい、そうです。
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14:14
K: 起きつつあることを、 ただ見てくださいね。
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14:16
M: そして、未来がどう なるかを、誰が言えますか。
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14:18
K: 未来は、今の 私たちなるものです。
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14:25
私たちが今、何かを しないなら、
私たちは明日、まさしく そうなるでしょう。
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14:33
M: はい。でも、私たちが今できることは、 本当に、何かきわめて制限されたことです。
私たちは、私たち自身に、 何かをできます。
私たちは、少数の人々へ 何かをできます。
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14:43
K: ええ。しかし、 私たち自身が、世界です。
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14:45
M: 私たちはまた、政治に 加わることもできます。
それは、世界で何かをする 一通りの道です。
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14:49
K: ええ、ですが、 私は、残りの世界です。
なぜなら、私の意識は、残りの 人類に、似ているからです。
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14:57
M: はい。あなたがそれをできるなら、 他の人々もそれをできるって意味ですね。
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15:00
K: 私が変化するなら、 私は彼らに影響しますね。
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15:03
M: ええ、まあ、 事実も、ありますね -
すなわち、自分は、 この洞察を達成するために、
きわめて制限された量の時間を、 持っていること、です。
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15:11
K: そういうわけで、時を、 この問いに介入させないのです。
私は人間です。
私の生の道、 私の考える道、私の行為は、
比較的に、残りの人類に 似ています。
彼らは、外的な違いを 持っているかもしれませんが、
深く、私は 残りの人類です。
私は人類です。
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15:46
M: あなたが、きわめて普通 でない人物であること以外は、ね。
が、それは脇に置きます。
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15:48
K: いえ、 いえ。私は人類です。なぜなら、
私たちはみんな苦しむ。
私たちはみんな 地獄のような時を、経ていくからです。
で、私は、残りの人類です。
で、私は、人類です。
すなわち、それが、 本当の愛です。
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16:07
M: ええ。でも、 これはどうやって・・・
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16:12
K: ゆえに、ご覧ください。 私は、お示ししましょう。
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16:14
M: 誰かが、「だいじょうぶだ。 あなたは、ただのあなただ。
あなたは自分一人でいる」と 言うなら、あなたは、
人間の潜在能力が何であるかを 示しているかもしれませんね。
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16:21
K: ですが、来て、 私に加わってください。
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16:23
来て、私に加わってください。 M: はい、まあ。
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16:27
K: あなたの些細な小さな民族主義と その他すべてを、手放して、
来て、私に加わってください。
自由であり、 世界を違ったように、見つめましょう。
いつも、互いとの葛藤の中に いつづけないで、です。
あらゆる夫、妻は・
・・
マダム、これは、自分の存在の 毎日、起きつつあります。
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16:49
M: はい。でも、私は問題を 出さざるを得ません -
どれほどの影響を、 自分は持ちうるのか・・・
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16:55
K: 全く・・・ M: ・・・ ということに立って、です。
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16:57
自分が人々に教えようとしているなら、 今、あなたと私について考えないで、
誰にしても、葛藤などのこの 期間の終わりを、もたらすために、
人々へ 影響したいと思うなら
彼らは、説得に、政治に 関与しなくてはいけません。
K: 何が起きたのかを、ご覧ください。
M: 多くの人々は、こう言うでしょう。
今、多くの人々は、こういうのです - あなた自身の魂についてと、
あなたが無自己であるか、ないかに ついて、悩むことは、時間の無駄だ。
あなたは、単純に行って、他の 人々を助けなければならない。
行って彼らが苦しむのを、 止めなければならない、と。
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17:34
K: ええ、彼らは他の人々を 助けてきましたね。
助けている人々と、 助けられる人々において、
何が起きつつあるかを、 見てください。
M: まあ・・・
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17:43
K: あなたは、それを 見られます。ほとんど何もありません。
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17:44
ヒットラーは、そうしたかった。 よろしいですか。
ブッダもまた、人類は 苦しむと、言いました -
苦しみに終わりが、 なければならない、と、ね。
そして、彼らがしてきたことを、見て ください。苦しみは、つづいています。
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18:06
M: ええ。
あなたが考えるとき・
・・
すみません。
私は、その向きを ちょっと変えつづけています。
それで、私はもっと光を 得られるように、です。
あなたが、葛藤を乗り越える、苦しみを 乗り越えることについて、語るとき・・・
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18:22
K: 乗り越える、ではなく、 終わらせるのです。
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18:24
M: 終わらせる。はい。
あなたは、こう考えて おられますか - 一種・
・・
これは、 仏教徒が涅槃として
考えるだろうことに 似たことですか。
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18:41
K: 見たところ、涅槃は、
私が人々と 議論してきたことからは、
自己がない状態を、 意味しています。
自己、その意味は、それらと もっと多くを含めて、ですが、
その点に来てください。
涅槃が 何であるかを、議論しないで、です。
あなたは、 見出すでしょう。
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19:04
M: ええ、私は、このような 何かを、理解するでしょうね -
自分は無自己の条件にある ことを、意味する、と。
そして世界の拒否は、これらすべての 他の物事の無意味さである、と。
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19:20
K: それが、彼らがしてきた ことです。世界を拒否しろ、と。
私は、世界を拒否しろ、 と言いません。
反対に、私たちは、ここに 生きなくてはいけません。
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19:29
M: はい。自分がプラトンの洞窟の イメージについて考えるなら
- あなたは、暗闇の中に いるのですが -
そのとき次第に、あなたは 動いて、光の中へ出ます。
彼はまた、洞窟の中へ戻ってくる ことについても、語ります -
私が思うに、彼がいうのは、 こういう意味です -
あなたは、自分自身のために 或る種の解放を見つけるが、
そのときあなたは、他の誰をもみな、 同じく解放しなくてはいけない、と
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19:52
K: それが、論点です。菩薩の 概念全体とそれらを、ご存じですね。
私は、それらに 入らないでしょうが、
あなたが、根源的に 変化するなら、
それは、人類に 影響しないでしょうか。
M: それは、一定数の人々に、 影響するでしょう。
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20:06
K: いいえ。
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20:08
ご覧ください。キリスト教は、 何千万人に、影響してきました。
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20:14
M: はい、確かに。私は、事例が あると、言おうとしていました
- キリストの 生涯のように、です。
キリストが本当に、歴史的な人として 存在したのでも、しなかったのでも、
キリストの像は、人々の 生を、変化させてきました。
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20:27
K: ゆえに私は、言っています - 宣伝を とおして、彼らは変化させてきましたね?
彼らは、 そうしてきた、等です。
さて、仏教は、アジア全体に 影響してきました。
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20:37
M: はい、いいです。でも、 あなたはさらに仰るのでしょう -
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20:41
にもかかわらず、と。 K: ええ。私は言います
- 私たちのわずかな者が、 これに取り組みましょう、と。
そのとき私たちは、世界を 変化させるでしょう。
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20:49
M: でも、私たちは、偉大な教師 たちを持ってきたと、思います
- 大変多くの影響を 及ぼしてきた人たち、
私に見られるかぎり、
一種の無自己を 提唱してきた人たちです。
それは、あなたが語っていることに、 似ていなくもありません。
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21:02
K: はい。自由です。 自己からの自由です。
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21:06
M: 自らは何をすることになりますか。 それは、私には思われない・・・
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21:09
K: ああ、いいえ。自らが何を することになるかは、坐ること、
それについて話すこと、それに入る ことを、必要とします。
ですね?
当然です。
そして、私たちの間の 障壁を崩すことを、です。
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21:23
M: 私たちはおそらく、わずかに 違った種類の問いへ、来たのです
- 影響についての 問いと・・・
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21:30
K: 私は、誰をも 影響したくありません。
それは、 最悪の出来事です。
なぜなら、私があなたに影響する なら、他の誰かも、やってきて、
あなたを別の方向で 影響しうるからです。
しかし、あなたが自分自身で何かを 見るなら、それは明らかです。
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21:44
M: ああ、はい。それはまたもや、 何か私たちが同意することです -
すなわち、あなた自身が、その ことをしなくてはいけない、と。
他の誰かから言われるのは、 何の役にも立ちません。
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21:54
K: ゆえに、宣伝はなく、 プログラムすることはない。
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21:57
M: これは、何か今、神学者たちが 悟りつつあると思われることです
すなわち、あなたは、神を 押しつけられない、と。
霊的な生活が何であろうとも、 それは、何か
あなたが自分自身で発見しなくては いけないものですね。
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22:09
K: 霊的な世界には、 何も権威が、ありません。
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22:12
M: はい、私は・・・
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22:13
K: でも、今、 あらゆる物事が、それです。
彼らは、権威をほしがります。人々は、 権威に或る種の安全を、ほしがります。
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22:25
M: はい、私自身は、 その問題への答えが、見えません
- 霊的な真理や、 これが何であろうとも、
その発見がどのように、
世界を変化させられるのかに ついて、です。
あなたはおそらく、 私が持っているのより、
世界への希望を、 持っておられるでしょう。
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22:44
K: いいえ。私は、悲観的でもなく、 楽観的でもありませんが、
私は、こう見ます - 私たちのわずかな者たちが、
根本的に、心理的構造全体を 変化させるのでなければ、
私たちはいつの時も、坂を下って いきます。それがすべてです。
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23:00
M: ええ、私は それにも同意しますね。
もしも世界が、あなたが関心を 持っておられることに、
関心を持っている人々を、 失ってしまったなら、
それは、自らの中心を失って しまうだろうと、思います。
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23:12
K: はい。それが、 私がいう意味です。
このすべてより全的に 自由であることに、
関心を持つ人々は、 ほとんどいません。
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23:21
M: でも、するとあなたは・・・それを いわば、一種ずけずけと表すと、
あなたは、そういう人々が もっと、いてほしいのですが、
同時に、あなたは 伝統的な方法を、拒絶します。
例えば、義務の観念、 禁欲の観念などを、です。
それらは、いわば、おそらく この状態を達成する人々を、
訓練することの 一部であったのです。
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23:47
K: いいえ。なぜ私は、 訓練されるべきですか。
私は、何かを真実だと見るなら、 それに拘ります。
なぜ、私は 訓練されるべきですか。
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23:54
M: はい。でも、あなたはたぶん、 恩寵に恵まれてきたと、私は思います
- キリスト教徒が恩寵と 呼ぶだろうものに、です。
それを、たくさんの人々は、 持ってきませんでした。
あなたが容易く 達成することは、
大多数の人々にとって、達成する ことが、きわめて困難であるでしょう。
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24:07
K: おそらく、そうなのかも しれませんが、
結局のところ、 なければならないんですね・
・・
いいですよ。
あなたが、恩寵という 言葉を、使うなら、いいですよ。
それを受け取る状態に、 ありなさい。
それは、利己的であるな、 葛藤を持つな、という意味です。
或る種の内的な静寂を 持て、と。
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24:32
M: はい、私は全面的に同意します。 これに全面的に、です。
はい。
私は思いますが、
影響や政治の問いについて、 論議しないことにしましょう。
なぜなら、私は、そこでの あなたの立場を、理解するからです。
私は、こう思うでしょう -
一定の形で、自分の周囲に 影響しようとすることが、
おそらく重要であると、私は 感じるでしょうね。
でも、私は、これが困難に 満ちているのを、知っています。
私はむしろ、 或る形で、
私たちが今朝、悩んでいた 問いに、拘るでしょうね。
この主題について、 私自身を啓明する道を、
どう見つけるべきかが、私は よく分からないのですが。
それは部分的に、時と断片化の 問いに、関わりがあります。
時は、断片化です。
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25:31
K: はい、そうなんです。 M: はい。
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25:34
K: 時から自由である。それは、前への 動きがないのを、意味しています。
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25:36
M: 自由であるのと、 真理と愛の中で、です。
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25:44
そして、取得していることではなく、 計画していることではない。
K: はい、そのとおりです。
M: 自らが、もしも この中にいたならば・
・・
もしも自らが、この種の洞察とか、何と 表したいにしても、持っていたなら、
自らがそれを持ったことを、 知るのでしょうか。
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26:15
K: 自らは知らないだろうと、 私は思いますが、
それは、あなたの行為に、あなたの 日常生活に、現れるでしょう。
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26:27
M: が、そのときあなたは、受け入れるの です - すなわち、二つがある。
あなたは、二つの全然違った 次元ということに立って、
考えておられるように、 私には思われます。
そして私は、二つを連係させたいと 思っています。
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26:41
K: いいえ。
物理的な次元が、 ありますね。
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26:46
M: まあ、心理的な次元も また、あります -
それが、私たちが 話しているものです。
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26:51
K: ・・・いつの時も 話しています。心理的な次元です。
なぜそこに、分割が あるべきですか。
なぜ、上級の心理学や 下の心理学が、あるべきですか。
それは、心理学全体です。
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27:08
M: はい。或る種の償い、 ってことなんですが、
私は、償いという言葉を、導入しました。
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27:17
K: 構いませんよ。私は理解します。
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27:19
M: 自らの精神の一種、心理的な 大騒ぎについて、ですが、
それは、全く通常の形で 起こりうると、私には思われます。
人々は、それで 悩まないだろう、
それはただ、自然な機能である だろう、っていうことです。
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27:33
K: そうね、誰により 償われるのですか。
私が、償われるために、あなたを 頼みにするなら、私は迷っています。
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27:44
M: はい。私は、キリスト教の意味で 償われることについて、考えていません。
K: 知っています。
M: 私がいう 償いというのは、ですね、
私がいうのは、何か断片化している ものが、引き込まれる、という意味です。
私は、イメージを使っています・・・
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27:56
K: はい、私は理解します。
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27:57
M: ・・・中心と、外の離れた 諸部分のそれを、です。
私は、誰かを描くでしょう。
私は いつの時も、発見しようとしています
- この分割がどこに あるのかだけを、です。
あなたは、分割をされます - たとえば、とても善い人の生と・・・
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28:18
K: ・・・通常の意味で、善い・・・ M: ・・・通常のきわめて徳高い人、
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28:20
すなわち、通常の意味で、 きわめて非利己的であり、
人々へ善いことを、 たくさんしたなどの人です。
その生と、 真理の生との間で、です。
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28:34
K: ああ、それは、 全然違っています。
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28:38
M: まあ、なぜそれは、 全然違っていますか。
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28:39
K: もちろん、そうです。
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28:42
M: それは、形而上学的な発言 であると、思われるんですね -
それは全然違っている、 と言うことは、です。
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28:47
K: 知っています。 M: 構いませんか。
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28:50
K: どちらも形而上学的です。 M: ええ、進んでください。
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28:53
K: 知っています - 結局のところ、 自己は、きわめて微妙な、ずるいものです。
それは、祈りの下にも隠れられます。 M: ああ、絶対です。
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29:03
K: それは、あらゆる小さい 行為の下にも、隠れられます -
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29:05
自分は尊いと、考えて、です。 私は人類を助けている、
私は、善いことのために、 影響している、と。
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29:18
M: 私は本当は、 際だった人物であり、
あらゆる人に称えられる、と。 いわば、括弧付きで、です。
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29:25
K: で、それを理解するには - 自己が何であるかを、です -
こういう観察を、日々それを見つめる こういうことを、必要とします。
私は一瞬間に自由であり、あれが それであると、言うだけではなく、
それは、あなたがしていることすべてへ こういう注意を、必要とします。
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29:46
M: で、あなたは、 こうお考えでしょうね -
もしも誰かが全的に、いわば、 外的な行為に、没頭していたなら、
それは、真理の中にないだろう、と。
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29:59
K: それは、大変危険なことです。
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30:01
M: で、一定の量の 根源的な静けさ、ですが、
これは、 活動的な生を送ることと
両立可能かもしれない、 ってことでしょうか。
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30:11
K: あの静寂は、 思考の産物ではありません。
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30:17
M: はい、いいね、 それは良い。
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30:20
K: あの静寂は、養成される ことになりません。
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30:26
M: はい。私は、あの静寂の 行為をも信じると、思います。
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30:29
K: 静寂、静けさ。内側に 何の動きも、ありません。
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30:35
M: ええ。これは、あなたが、現在に 生きることについて仰ることと、
連係するのでしょう。
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30:39
K: はい。
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30:40
M: ええ。そして、 時がないことと、ね。
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30:47
K: そうね、冥想は、あなたが 知るなら、とてつもないことです。
私は、冥想をする様々な種類の 人々に、話をしてきました
- チベット、ヒンドゥー、 仏教、禅の、です。
そうね、その他すべて、です。
それはすべて、意識的、 意図的な努力です。
それは、何かあなたがその愛の ためにすることではありません。
あなたは、愛していながら、 利己的でありえますが、
私がいうのは、 意識的な努力なく、
冥想をする、 という意味で、です。
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31:31
M: はい。善に向かって自分が 採用する、どの手段も
障壁になりやすいと、思います。
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31:39
K: 絶対に、です。
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31:41
M: それは、なりやすいのです。なぜなら、 自分は偶像を探し求めるからです。
私たちは、偶像崇拝者である、 ってことなんです。
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31:45
K: ああ、それは、終了しました。 それは、冥想ではありません。
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31:48
M: 自分は何かを しているとの感情に、
慰めを探し求めるなら、 ってことです。
ええ。にもかかわらず、それをする ことは、自分を助けるかもしれません。
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31:58
K: いいえ。私は、長年を過ごして きた人々に、話してきました -
どうぞ、私は本気で 申しています。
二十五年です。
或る人が、私へ 来ました -
七十ほどで、私よりはるかに 年老いた人が、です。
彼は言いました - 「私は、密林の 中で二十五年を、過ごしてきました。
さまよい、 物乞いして、です。
私はずっと自分自身を 欺瞞してきました」と。
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32:25
M: 彼は、祝賀されるべきだと、 私は思いますね。
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32:27
K: 分かります。それは 何かを示しています。
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32:29
M: 彼は、何かそのようなことを、 言う準備ができていました。
なぜなら、人々は、たびたび 認めないからです。
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32:33
K: ゆえに、本当に静かであることは、 何かあなたが養成できないことです。
あなたは、実践とその他すべてに より、それを得られません。
あなたが静かでなくてはいけない のは、あなたの日常生活です。
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32:44
M: それは、おそらく 賜物として、来ますね。
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32:47
K: いいえ。マダム、 日常生活です。
さもないと、あなたの静かさの 価値とは、何なのですか
- あなたの日常生活が、 影響されないのなら、
あなたの日常生活が、 葛藤なしでないのなら、です。
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33:00
M: まあ、もちろん、私は常に 言いたいと思っています -
自分の日常生活との連係は、 根源的な観念である、と。
もしも誰かが、この静けさを 持っていると、主張したが、
通常の生活で、ひどく振るまったなら、 私は懐疑的であろう、ってことです。
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33:14
K: 分かります。 私もそうです。
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33:20
M: それで、あなたが・・・ 私が思うに・・・
この主題についての 私自身の思考は、
プラトンにより影響 されていると、思います。
私は、こう考えるか、 おそらく感じます -
何かあなたが 主張なさっていることは、
彼もまた 主張したことであり、
絶対的な分離性です。
時なく永遠であるものの この観念の、絶対的な分離性です。
すなわち、それは、私たちが通常、 善として考えることより、
まったく分離しているのです。 そちらは、一種の偶像崇拝です。
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33:56
K: 偶像崇拝、まったくです。
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33:57
M: 彼は、偶像を破壊する イメージを、使います。
すなわち、あなたは イメージを破壊する。
あなたは、偶像を破壊する。
あなたは、進んでいくが、
もちろん、彼は、生を 巡礼として、描くのです -
あなたがなさらない形で、と、 私は思います。
あなたは自己の偶像崇拝を したくない。
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34:10
K: いいえ。
私は、自分自身の中に、何についても 何のイメージをも、持っていないなら、
そこに自己はありません。 M: ええ。
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34:22
ええ、あなたは本当に、描いて おられます - 多くの霊的な人々が
旅の終わりとして、 考えてきたことを、です。
終わりに、あなたが主張なさりたい ってことを、除外するんですが、
すなわち、もちろん自分は、すでに 或る意味で、潜在的に終わりにいるか、
ただそれがあって・・・
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34:43
K: それについても、気を つけなくてはいけません。
なぜなら、ヒンドゥー教徒は、 内側に、神がある、
アートマンがあると、 信じているからです。
それは彼に、機会を与えます - あなたの無知を剥がすように、です。
そのとき、あなたは、 あのようになるでしょう!
それは、想定です。
私は、何をも 想定したくありません。
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35:01
M: ええ、私は、形而上学的に あると思いますよ -
私はそれを、想定とは 呼ばないでしょう。
なぜなら、それは、何か私が 同意することであるからです。
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35:07
K: それは、観念です。 それは、観念です。
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35:10
M: はい。が、これは、形而上学的な 主張です。または、宗教的なのです。
あなたが、「宗教的」という言葉を、 お使いになりたくないだろうだけです。
なぜなら、それは、紛らわしい かもしれないからです。
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35:18
K: ええ、私は提案している だけです。養成されてきた概念、
それは、伝統的であったし、
それは、何の 意味もないのです。
なぜなら、ご覧ください。
私は この概念を、持っているからです -
神が私の中にある、と。そのとき、 私は行って、誰かを殺します。
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35:37
M: まあ、はい。何でも 神の観念に関与したものは、
もちろんすでに、 或る意味で、偶像です。
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35:44
K: それが、私が言っている すべてです。 M: はい、はい。
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35:46
K: 私たちは、 偶像崇拝者です -
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35:48
それが、手で作ったのでも、精神的な、 精神が作ったものでも、です。
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35:57
M: はい。
ええ、あなたにとっての 分割の絶対性です。
私はおそらく、あなたが仰る 意味が分かると、思います。
あまり定かでは ないですが。
通常の生の過程と、真理の中に ある、このこととの間で、です。
それは、何か 現在に生きるものです -
何か永遠のものが、現在に生きるに ちがいない形で、です。
私がいう意味が お分かりなら、です。
あなたは、主張なさるに ちがいありません
- それが、世間的な偶像より、 まったく分離していることを、です。
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36:41
K: ええ、もちろん、 絶対に、です。
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36:44
結局のところ、人の探求は、 永遠に対してであったのです。
M: ええ。
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36:52
K: 彼らは、 それを観念にしました。
M: ええ、時の 継続ではないものを、です。
それは、まったく違っています。
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36:56
K: もちろんです。それは、時の終わりです。
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36:58
M: ええ、ええ。
ええ、私が思うに、 プラトンについて考えると、
あなたが言ってこられたことへの 幾らかの理解へ、私は来ます。
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37:11
K: 2時半です。 M: 私たちはここで、 終わらなければならないと、思います。
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37:14
おやまあ、大変ありがとう ございました。
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