OJ77T1 - そこに完全な安全があるところの智恵 home
公開講話 第1回
カリフォルニア、オーハイ
1977年4月2日

0:29 私は、これらの講話をどう始める べきかを、よく知りません。 六回の講話と、幾つもの討論会が あろうとしているので、 私は、よろしければ、指摘したいと 思います - すなわち、 私たちは、自分たちの問題を、ともに じっくり考えようとしているのです。 私たちは、理性を、使おうとしています - 明らかに考えることを、です。 どの種類の断言的な 信念、意見、判断や、 どの形の結論でも ありません。 ゆえに、それは、 かなり深刻になります。 それは、 娯楽ではありません。 お休みの午前や午後、土曜日と 日曜日ではありません。 むしろ、多くの人間の 葛藤、問題を、 きわめて深く考慮する、 真剣な集会です - そして、悲しみ、楽しみ、恐れと、 冥想の本性などを(考える集会)です。 私たちは、これらすべての話へ、これら すべての事柄へ、入ろうとしています。
2:16 が、初めに私は、よろしければ、 指摘したいと思います - 語り手は、あなたに何をも 確信させようとしていないのです。 どうぞ、 信じてください。 彼は、自分の特定の路線に沿って考える よう、あなたを説得していません。 またもや、どうぞ、 信じてください。 彼は、特定の一組の イデオロギーも、 信念も、結論も、 提示していません。 なぜなら、これらは、 世界を、人間たちを、 互いに相反するよう、 分割してきたからです。 で、私たちは、どのようにも、それらの 事柄のどれにも、関心を持っていません - 信念にも、結論にも、 意見にも、判断にも、です。 3:10 私たちは、ともに行こうとしています。 私たちは本気で、ともに、と言っています - あなたと語り手は、 気をつけて、客観的に、 私たちのまわりで起きている ことを、見るように、です。 ロマンチックにではなく、 感傷的にではなく、ただ観察する - 何も結論なく、 何も意見を提示することなく、 ただ、ともに見て、推理する。 ともにじっくり考えるのです。 その言葉「ともに」を理解することが、 とても重要であると、私は思います。 私たちのほとんどは、この種類の会合や 集会へ行くことが、慣習になっています - 語り手が言っていることを、受け入れる ためか、あるいは拒絶するために、です。 別のに対する、一つの 意見や一つの観念、です。 あるいは、利巧な論証をとおして、 あなたを説得するため、です - 彼が言っていることに、従ったり、 それを受け入れたりするように、です。 4:45 ゆえに私たちは、これらの問題に ついて、ともにじっくり考えています。 ともに 分かち合っています。 これは理解することが、 本当に、きわめて重要です。 私がそれを、進めても いいなら、です。 なぜなら、まるで誰かがあちらで 話しているかのように、 自らは、聞きがちで あるからです。 そして、あなたは気軽に、受け 入れたり、拒否したりしています。
5:16 で、私には、それがあなたの 責任であるように、思われます。 責任とは、あなたが真剣に引き受ける ことです - ともに考えるよう、 私たち人間が苦悩している これらの問題に、 適確な真の解決を、 見出すように、です。 で、それが、しかるべきことです - 私たちの一人一人の側で、 その推理、論理的に、正気に、 全体的に考える能力が、 きわめて重要に なるのです。 私たちは、こう 考えがちです - 何でも理性、明瞭な思考の 産物であるものは、 あまりに知的であり、ゆえに、私たちの 一人一人に向いていない、と。 6:32 しかし反対に、私は 感じるのですが、 もし私たちが、ともに考えられ、 観察、推理できるなら - 自分たちの個人的な 結論、意見、評価、 私たちが好きなものと 好きでないもの、 私たちが魅了されているもの などを、脇に置いて、です。 もし私たちが、それらすべての ものを、脇に置けるし、 ともに、深く、正気に、 すなわち、客観的に、全体的に、 考えることができるなら、 そのとき私たちは、 私たち自身を深く変容させることが できるだろうと、私は思います。 なぜなら、世界を回っていくとき - 語り手がそうするように、です - インドからヨーロッパと、 ここにですが、 大きな悲しみ、戦争、 暴力が、見られます - あらゆる種類の愚行、 テロ、殺し、薬物が、です。 8:05 私が知っているのと同じく、あなたも 何が起きつつあるかを、ご存じです。 そして、私たちは、これらが回避不可能で あるかのように、それらを受け入れています。 そして、私たちのほとんどは、 伝統的な精神をしているので、 私たちは自然に、楽に、 これらの物事を、堪えます。 または、私たちは それらに、反逆します。 しかし、その反逆は、 反動です - 共産主義が、資本主義やファシズムへの 反動であるように、です。
8:56 で、反逆なく、 何かへ逆らうことと、 自分たちの小さな集団や コミューンを形成することや、 特定の導師や別の導師に 従うことなく、 - インドからや、 この国からのへ、です。 彼らは世界中で、キノコの ように、湧いて出ています。 不幸にも、 これらの導師が、です。 しかし、もしも私たちが、どの種類の 権威をも、受け入れることなく - なぜなら、霊的な事柄には、 何も権威が、ないからです。 何も導師はない、何も司祭者は ない、何も裁可はないのです。 そして、これは理解するのが、 とても重要です - 私たちがともに行こう、 これらすべての問題を、究明しようと しているなら、です。 すなわち、 私たち人間が、世代に次ぐ世代、幾世紀に 幾世紀も、持ってきたものを、です。 10:16 で、初めに、指摘してもいいなら、 ここに権威は、ありません。 私たちは、友だちです。 二人の友が、私たちの葛藤、 私たちの不確実さ、私たちの苦労に ついて、一緒に話し合っています - 私たち人間が、自らの人生で経ていき、 死に終わる物事について、です。 それがいったい何であるかを、理解 することなく(終わるの)です。 または、特定の行為に参与しています -それが、私たちの人間の葛藤と 悲惨と恐れすべてを、解決する だろうと、考えて、です。
11:05 それが明らかに、明確に 理解されるとき - すなわち、何も権威はない。 語り手は、 いかなる権威をも持たないことが、です。 彼は、演壇に座っているかも しれないけれども、です。 なぜなら、それは単に、 便宜のためであるからです - 私たちがみんな、互いに 見えるように、です。 が、少しの高さは、彼に 何の権威をも、与えません。 それで、彼を権威に就けたり、 彼を権威に立てたり、 彼に権威を与えたり しないでください。 私は本気で、こう言っています。 なぜなら、心理的な事柄には - 私たちはそれらを、ともに、 きわめて深く究明しようとしています - 何も権威がないからです。 それが、ヨーロッパの心理学者でも、 現代の心理学者でも、導師や書物や、 古代や現代の救い主でも、 その心理の分野では、 権威を受け入れることは、 明瞭さ、明らかに 考えること、論理と、 正気であり、ゆえに全体的である ことを、拒否することです。 12:37 全体的(ホール)という言葉は、健康に 恵まれている、正気を持つという含意です。 またそれは、聖なる、 ホーリーをも、含意しています。 で、私たちが「全体的」 (ホール)、 全包括的(ホリスティック) という言葉を、使うとき、 それは、それらを含意しています。 健康、正気、明晰さ、 そして、聖なる(ホーリー)、 完全であるものを、と。 で、私たちが 言っていましたように、 心理的な分野には、 何も権威がないので、 私たちは、人々が私たちに語ってきた ことすべてを、脇に置いています - あなたはそれをできるなら、 ですが、それは、とても困難です。 そしてまたもや、私たちができるなら、 ですが、一歩一歩、検討します - 存在の、私たちの日常生活の 甚大な問題を、です。
13:49 心理的に、内的に、 私たち人間は、どこにいても、 世界です - 心理的に、です。 世界は、私たちです。 世界は 私ですし、私は世界です。 それは、心理的な、 絶対的な事実です。 あなたは、白い肌、褐色の肌や 黒い肌を、持っているかもしれません - または、それが何であっても、 外的に、です。 富裕で、豊かで、 繁栄し、多くの車、 その他すべてでも、です。 または、あなたは、とても 貧しいかもしれませんが、 内的に、奥深く、私たちは、 みんな、同じです。 私たちは、苦しみます。 私たちは、さびしい。 私たちは、悲しみ、葛藤、 悲惨、混乱の中に、います。 誰かに、依存しています - 何をすべきか、どう考えるべきか、 何を考えるべきかを、自分たちに 語ってくれる人に、です。 15:12 私たちは、 宣伝の奴隷です - 様々な教会と様々な宗教、 宗派からの、です。 それが、世界中で、 起きつつあることです。 政治的に、だけではなく、専門家に より、政府などによって、です。 が、内的に、奥深く、 私たちは、宣伝の奴隷です。 私たちは、 条件づけられた人間です - 私たちが、インド、アメリカや ここに、生きていても、です。
15:50 自らがそれを悟ることを、私は 望みます - 知的にではなく、 言語的にではない - なぜなら、それは、 ほとんど意味が、ないからです。 実際に、それの事実を見る。 すなわち、あなたは、 アメリカに生活していて、すべての 富をともない、すばらしい国ですが、 狂った人々、薬物志向です。 そうね、この国では、そのすべてが 起きつつあります。 暴力、残忍性、 分割的なコミューン - 自分たちの 信念に基づいている、などです。 が、あなたが、そのすべてを払い除け、 そのすべてを脇に置くとき - ここにおいても、インドにおいても、 ヨーロッパにおいても、ですが - 私たちは、同じ不運、不確実性、深い 悲しみの、辛い目に遭ってゆきます。 16:53 で、私たちは実際に、 心理的に、世界ですし、 世界はあなたです。 一度、あなたがこの事実を悟るなら - 言語的にか、思想的に、ではなく、 事実の言明として、ではなく、 実際に、深く事実を感じ、 事実を悟る。 すなわち、あなたは、他の 人より異なっていないことを、です。 彼が、どれほどはるかに 離れていても、内的に、です。 なぜなら、彼は、尋常でなく苦しむ、 彼は、ひどく怯えて、不確実で、 不安全であるからです - 生理的にも、心理的にも、です。
18:00 そして、あなたが それを悟るとき - そして、その悟りの 検討において、 あなたは、自らの小さな自己に、 関心を持っていません。 あなたは、全的な人間存在に、 関心を持っています。 これを理解されますか。 この全的な人類、それはあなたです。 なぜなら、あなたは世界であるからです。 で、私たちが、これらの事柄に ついて、話しているとき、 私たちは人間に、関心を 持っています - XさんやYさんや、他の誰かに ではありません。 なぜなら、彼は、人間として、 全的な心理的実体であるからです - 彼がどこに 生きていても、です。 これが明らかであってほしいと、 望みます。 これは事実本位です。 あなたは、特定の形で、条件づけ られているかもしれません。 あなたは、カトリックやプロテスタント であるかもしれません。 誰も知らない 他の何であっても、です。 洗礼派と、そうね、イエス志向です。 あなたは、条件づけられています。 19:12 インドでは、 それは同じです。 彼らは、条件づけられています - 何千年もの一定の種類の 信念、迷信、観念、神々と、 その他すべてによって、です。 が、その条件づけの下、 彼らの人間精神の深みで、 彼らが一人であるとき、彼らが、 生に向き合っているとき、 悲しみが、あります。痛みが、あります。 嘆きが、あります。心配が、あります。
19:50 で、あなたは、世界ですし、 世界は、あなたです。 それを、実際の取消不可能な 事実として、見るとき、 そのときあなたは、全然 違ったように、考えはじめます。 そのときあなたは、 観察しはじめます - 紛糾と心配事を持つ 人物、個人としてではなく、 全人類が、それを 持ちつつあります。 そのとき、それはあなたに、 とてつもない強さを、与えてくれます。 これらに付いてこられるのか どうか、私は知りません。 それはあなたに、とてつもない 生命力を、与えてくれます。 そのときあなたは、一人ではありません。 あなたは、人類の全歴史です - あなたが、その書物 - すなわちあなた - を、どう読むのかを、知るなら、です。
20:49 それが、私たちがしようと していることです。 私たちはともに、人類の歴史を 読もうとしています - 人間としてのあなたに、 秘められたのを、です。 これは、修辞的ではありません。 これは、言語的な炸裂ではありません。 私たちが深く関心を持っている、 深刻な要因です。 私たちが拒否する事実です。 私たちは自らが こうも個人主義的だと、考えるからです。 私たちは、こうも自分自身に、関心を持って います - 私たちの些細な小さな問題に、 私たちの小さな導師に、 私たちの小さな信念に、です。 が、あなたが、とてつもない 事実を、悟るとき、 そのときそれは、あなたに、 とてつもない強さを、与えます 大いなる切実さを - 究明して、 自分自身を変容するように、です。 なぜなら、あなたは 人類であるからです。 そういう変容があるとき、 あなたは、人の意識全体に、 影響します。 22:22 あなたがこれを悟られるのか どうか、私は知りません。 あなたは実際に、人の 意識全体に、影響します。 なぜなら、あなたは、 全人類であるからです。 そして、あなたが根源的に、 深く変化するとき、 あなたに、心理的な 革命が、あるとき、 そのとき自然に、あなたは、一人の 人間の、その意識の部分であるので - それは、 残りの人類です - 世界の意識は、 影響されるのです。 あなたは、これの道理、 これの論理を、見ますか。 あなたの意識は、様々な預言者、 様々な戦争屋により、影響されます - ヒットラー、ムッソリーニ、 スターリンによって、です。 そうね、これらすべての人々は、 人類に影響してきましたが、 私たちは、それに 気づいていません。
23:47 そして私たちが、これらの講話の間に、 ともにしようとしていることは、 私たちの意識の 諸層へ透徹し、 究明することです - 私たちの意識の内容を 変容させることが 可能であるのかどうかを、です。 その中から、エネルギーと明瞭さの違った 次元が、生じてくるかもしれません。 それが、私たちが関心を 持っていることです。 ゆえに、それは、深刻な事態です。 遊び戯れるべきことではありません。 あなたが、興味を持っていないなら、 あなたが、真剣でないなら、 ここへ来て、あなたの時間を むだにしないでください。 24:48 それは、あなたのエネルギーのむだ ですし、私は本気でそう申しています。 なぜなら、これは、きわめて、 きわめて深刻、真剣であるからです。 そして、それは自発的です。 あなたが説得され たり、褒賞されたりすることではありません。 なぜなら、私たちの条件づけは、 褒賞と処罰であるからです。 しかし、私たちの意識を 究明する中で - すなわち、 人類の全意識を、です - 私たちは、自分自身を 掘り下げていますし、 そこから発見します。何が 真理であるかに、出くわします。
25:48 それを敷いて、それらを言って おいて - それは、必要です。 それはたぶん、最も 重要なことの一つです。 それは、最初の一歩であり、 ゆえに、最後の一歩です - 人間たちは何を要求するのかを、 究明することから、始めましょう。 人間たちは基本的に、根源的に、内的に 何を要求し、求めるのかを、です。 それは何ですか。 すなわち、 世界の代表である人間として - ゆえに、心理的に 彼は世界なのですが、 そういう人間存在の一番 奥底の要求は、何ですか。 どうぞ、私に答えないでください。 これは、私たちが出してきた問いです - それで、私たちがそれについて、 ともに考えられるように、です。
27:09 ほとんどの人間は、彼らの 意識の一部分において、 生物的、生理的とともに、心理的な 安全をも、見つけたいのです。 なぜなら、あなたは、衣食住を 持たなければならないからです。 それは、 絶対的な必要です。 しかしまた、心理的な安全を、 私たちは、ほしがります。 私たちは要求します。 私たちは 渇望します。私たちは探求します。 あらゆる物事について、心理的に 確実であることを、です。 あなた自身の中を見つめ、 観察してください。 私が指摘してもいいなら、語り手を 鏡として使ってください。 彼が使っている言葉は、 単に叙述です。 が、叙述は、叙述された ものではありません。 28:33 ですね? ゆえに、あなたは、 あなた自身を見つめていて、 一番奥底の要求が、何であるかを、 見出しています - すなわち、あなたがほしい、 人間たちがほしいものを、です。 そして、世の中の この格闘全体は - 心理的にも、 生理的にも、ですが - 安全を見つけること なのです。 いいえ? 「安全」という言葉は、安全 であることを、意味しています - あなたの物理的な恒常性、 身体的にしっかりしていること、 物理的に継続する、前進する、成長する ことを、です。 それが何であっても、です。 そして、心理的に、内的に、 安全を見つけること、 何か恒常的なものを、 見つけることです。 なぜなら、あなたがよく気を つけて観察するなら、心理的に、 あらゆる物事が、きわめて 非恒常的であるからです。 30:06 あなたの関係は、心理的に、 ひどく不確実です。 あなたは一時的に、安全であるかも しれません - 他の一人、 男、女、その他すべてとの 関係において、一時的に、です。 が、その一時的な安全こそが、 まさしく危険です - それが完全に不安全である、そう なりつつあるとの(危険)、です。
30:35 どうぞ、それを検討してください。 受け入れないでください。 私たちは、ともにじっくり考えて います。 私たちは、推理しています。 それの論理、道理、 健全さを、見る。 語り手がそれを 主張するからではない。 彼が、何かおぞましい評判を 持っているからではない。 なぜなら、あなたが、きわめて、 きわめて深刻で真剣な何かへ、 本当に入りつつあるとき、それら すべてのことは、不適当であるからです。
31:15 で、自らは訊ねます - 何か安全が 心理的に、いったいありますか。 すなわち、自らは、心理的な安全を 家族に、探し求めます。 私たちは、一歩一歩、 それに入るでしょう - 家族に、です。 家族とは、 妻、子どもです。 そこであなたは、妻に、安全で 長続きし恒常的であろう関係を、 見つけようとします。 恒常的とは、相対的に、です。 なぜなら、いつも 死が、あるからです。 そして、いつも、それを見つけなくて、 離婚、喧嘩が、あります - そして、進んでいく、すべての 悲惨、嫉妬、怒り、憎しみ、です。 あなたは、これらに気づいているに ちがいありません。そうでしょう。 32:41 また自らは、共同体に 安全を、見つけようとします - 人々の集団と、大小の コミューンとともに、です。 自らは世界で、民族に 安全を、見つけようとします。 「私はアメリカ人だ」、 「私はヒンドゥーだ」 - それは、集団と同一視された、 ゆえに安全であるとの、 ものすごい感覚を、 与えます。 どうぞ、私たちが言いましたように、 それを拒絶しないで、聞いてください。 その裏には、理由があるかもしれません。 または、ないかもしれませんが、 真剣な人は、検討します。拒絶 したり、受け入れたりしません。
33:42 それで、あなたが心理的に、民族に 安全を見つけようとするとき - ゆえに、その民族は、 別の民族より、違っています - 当然、分割が、 あります。 民族間に、分割が あるところ - それに、あなたは心理的に、 自分の安全を、投資してきました - 戦争があります。 経済的な 圧迫、分割が、あります。 それが実際に、世界で 進んでいることです。ですね?
34:30 そして、あなたが、イデオロギーに 安全を、探し求めるなら - 共産主義のイデオロギー、資本主義の イデオロギー、宗教的なイデオロギー、 結論、イメージ、像、十字架と、 その他すべてに、世界中で、です - またもや、それは分割的です。 分割が、あります。 あなたは、一組の理想を、信じています - すなわち、あなたが好きであるもの、 あなたに慰めを与えてくれるもの、そこに あなたが、安全を探し求めるものを - 同じ種類の戯言を信ずる 集団の人々とともに、です。 そして、他の集団は 他の物事を、信じています。 同じことです。 人々は、 分割されます。 宗教は、人々を分割 してきました。 ですね? キリスト教徒、仏教徒、 ヒンドゥー教徒、イスラム教徒。 そうね、洗礼派。 分割する。またもや 彼らは、互いに向かい合っています。 各々が、何かとてつもない、 ロマンチックなことを、信じています - それは、非現実的で、非実在で、 事実本位ではありません。
35:47 で、これらを見て - 理論として、ではなく、 何か回避されるものや、 傲慢や知的になるとか、 情動的に執着されるもの、 として、ではない。 このすべてを、きわめて 明らかに見て、 自らは訊ねます - 心理的な 安全が、いったいありますか。 いいですか?  質問を 理解されますか。 何も心理的な安全が、ないのなら、 人間存在とは、何ですか。 それは、混沌に なります。 ですね? 人は、自分の同一性を、 失います。 なぜなら、人は、アメリカと 同一視されている、 人は、イエスと同一視されている、 人は、ブッダと同一視されている、 人は、民族などなどなどと 同一視されているからです。 36:57 道理、論理が、これらは 何と不条理だと言うとき、 そのとき自らは、絶望しますか。 どうぞ、これを聞いてください。 または、あなたは、これらの分割的 過程の誤謬を、観察してきたから - 何も基礎を持たない、これらの 虚構、神話、空想の非実在性を、です。 そして、それの知覚こそが、 それが、智恵ではないですか。 ですね? 理解されますか。 利巧な、ずるい 精神の智恵ではなく、 本の知識の 智恵ではない。 明らかな観察の中から 出てくる智恵です。 ですね?
38:22 その観察 - すなわち、とてつもない 智恵をもたらすもの - の中に、 安全が、 あるのです。 ゆえに、それは、その智恵こそが 安全である、という意味です。 これを 理解されましたか。 いえ、どうぞ、あなたが、それを持た なければなりません - 私に同意するか、 「はい。 何ととてつもない。私は前にそれを 考えませんでした」と言うのではなくて、です。 それは、あなたの一部で なければなりません。 それを見つけつつあるのは、 あなたでなければなりません。 それを見つけて、あなたに 語るのが、私であり、 ゆえにあなたは、それを受け入れるとか、 拒絶するとか、ではなくて、です。 違いが、分かりますか。
39:11 私たちが、始まりに言いましたように、 私は、語り手は、あなたに、 何をも確信させようと、 がんばっていません。 私は、宣伝主義者 ではありません。 私はあなたに、私が考えるように、 考えてほしくありません。 なぜなら、私は、 まったく考えないからです。 私は本気で、それを 申しています。 私たちは後でそれに入るでしょう。 なぜなら、 それは、とてつもない事実であるからです - 思考なく 観察できる能力、 ゆえに、その観察において、ものすごい 洞察を持てることは、です。 その洞察は、至高の智恵です。 その智恵は、行為します - 私たちは、思考の構造全体と本性について 議論しているとき、それに入るでしょう。
40:19 しかし、私たちのほとんどは、手放そうと しないので・・・そうしないでしょう。 手放して、安全を見つけない ことに、こうも怯えているので - 理解されますか - 私は手放せます。 自分は、カトリック、 プロテスタント、共産主義者、 その他すべての戯言であるのを、 とても容易く手放せます。 しかし、あなたが手放すとき、あなたが 自分自身より、このすべてを浄化するとき、 あなたは、反動として、 そうするのか、あるいはまた、 あなたが、智恵をもち、全包括的に 観察してきたから、そうするのか - 不条理、夢想、見せかけのことを、 大いなる明瞭さをもって、です。 41:22 そして、あなたは、 何の歪曲もなく、観察するから、 あなたは、そこから何かを得ようと、 がんばっていないから - なぜなら、あなたは、処罰と褒賞という ことに立って、考えていないからです。 あなたは、きわめて 明らかに観察するからです - そのとき、知覚のその 明瞭さこそが、智恵です。 そこには、とてつもない 安全が、あります。 あなたが安全になる、と いうのではなく、智恵が安全です。 お分かりになっているのか どうか・・・
42:03 私たちは、互いに 出会っていますか。 お互いの間に、 意思疎通は、ありますか。 または、それは単に、 言語的な意思疎通だけですか。 言語的に意思疎通は、必要です - 正確な言葉を使うことは、です。 不幸にもアメリカでは、正確な 言葉が、使われておりません。 彼らは、どれでも古いずさんな言葉を 使い、自分たちは伝えると、考えます。 しかし、私たちは、 正確な言葉を、使っています。 そして、意思疎通は、双方での用語法と 了解だけを、含意していません - 言葉の意味と意義を正確に、ですが、 またそれは、 私たちが分かち合うことを、含意しています - 言われつつあることを、分かち合う。 それが、ともに分かち合うこと、 ともに参加することの責任です。 43:20 で、私たちは単に、言語的に 意思疎通しているだけではなく、 また深く、事実を 分かち合っています。 事実とは、相対的な事実ではなく、 絶対的な事実です。 安全はないとの、 絶対的な事実です - 人が考案してきた何にも、 心理的に、です。 私たちの宗教すべては、考案物です。 思考により、組み立てられています。 私たちのすべての 分割的な尽力は - それらは、信念、教義、 儀式があるとき、訪れます。 それは、宗教の全実体です。 あなたが、このすべてを、きわめて明らかに見る とき - 観念として、ではなく、事実としてです。 そのとき、その事実こそが、智恵の とてつもない性質を、開示します - そこには、完全な全体的な 安全が、あります。ですね? 44:52 あなたが、智恵のこの事実を見られることを 私は望みます - 明日にではなく、今です。 家に帰って、「私はそれについて、 じっくり考えよう」と言わないでください。 あなたが明日、それについてじっくり考える とき、あなたはすでに、それを歪曲したのです。 しかし、私たちは今、 ともに考えています - 私たちの理性、明らかに考える 私たちの能力を、使って、です。 で、あなたと語り手との間での 事実の意思疎通は、今です。 最終的に、ではなく、あなたにとって、 便利であるとき、ではありません。 そのときあなたは、時を 失ってしまったのです。 あなたは、日々と月々を、 むだにしてしまったのです。 家に火が付いているとき、あなたは、そう しません。 あなたは、行為するのです。 で、私は望みますが、今 私たちがそうであるように、
45:56 あなたが関心を持っているとき - 私たちのみんながともに、です - あなたが人の変容に、深い 関心を持っているとき、です。 なぜなら、人は根本的に 変容しなければならないからです - 私が、「人」(マン)という言葉を、使う とき、私はまた、女をも含めています。 私たちは、平等な権利、女と男、女性 解放とそれらについて、話していません。 私たちは、人(マン)と言うとき、 男、女について話しています。 で、どうぞ、私がその言葉「人」 (マン)を使うなら、お許しください。 「なぜあなたは「女」をも使わないのか」 と言って、私に手紙を書かないでください。 それを済ませたので - それは、彼らが本当は 聞いていない、という意味です。 それは、彼らがそうしていない。彼らは、 まだ部分的に考えている、という意味です。 47:10 私たちはともに、全包括的に 考えています - 全体として、です。 あなたと私、分離した人間たちが、 ともに考えているのではない。 私たちはともに、何かを 見つめています。 そうね、あなたが、私たちはともに 何かをしていると、感じるとき、 大変多くの気づかいが、あります。 大変多くの注意が、あります。 大変多くの同情、慈しみの 感覚が、あります。 私はその言葉を、それらの意味で 使っています - ともに、と。
47:54 で、私たちの意識において、 要因の一つは、 心理的な安全への、 この要求と探求です。 私たちが、心理的な安全を 探し求めているとき - 民族、国家に、信念に、導師に、 書物に、観念などに、指導者に、です - そのとき、それは、 分割をもたらすから、 ゆえに、生理的に 分割が、あります - ヒンドゥー教徒、仏教徒、 色々な民族、イギリス人、 アメリカ人、オランダ人、 ドイツ人 - そうね、分割です。 ゆえに、信念へ、民族へ 心理的な執着が、あるとき、 生理的に、不安全があるのです。 理解されますか。 48:50 そのとおりではないですか。 それは、事実ではないですか。 私がインドへ執着しているとき - 私はそうではありません - 私が、インドと、インドを表示する 戯言すべてへ、執着しているとき - ただのイメージ、ロマン主義、 そうね、それらのかすです。 で、私が、それに 執着しているとき、 私は心理的に、自分自身を 残りの世界より、分離します。 ゆえに分割が、間違いなく 葛藤を、もたらします。 男と女の間に、分割があるとき - 理解されますか - あなたは、 結婚しています。 あなたは、自分に、このすべての 悲惨を、持っています。 49:35 分割があるとき、必然的に、 葛藤が、あるにちがいありません。 それは、 絶対的な法則です。 この分割は、心理的な観念への 執着により、もたらされます。 ゆえに、世界には、貧困、堕落、 戦争、テロが、あります。 世界は、生きるには危険な所に、 なりつつあります。
50:15 で、そのとき、 一人の人間、あなたは - あなたは世界です - どうぞ、それは、この事態に おいて、中心的な主題です。 あなたは、世界ですし、 世界は、あなたです。 そして、あちらの世界と こちら、内側は、 伝統的に、断片であるよう、 条件づけられてきました。 理解されますか。 断片です。 アメリカの断片、インドの 断片など、カトリックの断片。 ゆえに、外的に、何も平和が、 ありません。 ですね? そして人は、平和なしには、存在 できません。 人は、創造できません。 人は、慈しみを、持ちえません。 人は、慈悲を、愛を、持ちえません。 いいですか。 私は進みましょうか。
51:33 で、この人の 意識の部分は、 断片への探求と要求と 執着との事実です。 そこに人は、安全を 見つけたいと望んで、です。 その断片を変容させるには - そこに人は、投資してきました。 安全を見つけたいと望んで、です - それを完全に 変容させることは、 智恵があるとき、 訪れうるだけです- 知覚である智恵が、です。 私はそれに、入りました。 ですね?  よろしいですか。 あなたは、それが見えますか。 今、ありますか。 明日ではなく、 あなたが家に帰って、それに ついて考えるとき、ではない。 そのとき、あなたは 迷っています。 今、ありますか - あなたが そこに座って、聞いていながら、 あなたの理性、能力、エネルギー、慈しみ、 気づかい、注意を、使っていながら、 あの変容が、 起きつつありますか。 52:50 よろしいですか。 そうでないなら、あなたは 聞いていません。 あなたは、明らかに考える自分の 能力を、行使していません。 または、あなたは、言語的な イメージに、捕らわれています。 または、あなたが 執着している象徴に、です。 なぜなら、あなたは、その象徴を 手放すなら、怯えているからです。 ゆえに、あなたは、さびしいし、 そのすべてが、始まります。 私たちは後で、恐れについて 議論するでしょうが、
53:35 私たちが、ともに聞いていて、 ともに推理していて、 私たちのエネルギーを 集めていながら、 あの変容が、 ありますか - すなわち、自由が、です。 断片に安全を見つけようとする ことからの、完全な自由、です。 理解されますか。 自由がありますか。 どうぞ、それを 訊ね、それを要求してください。 なぜなら、私たちは、きわめて複雑な 事柄へ、入ろうとしているからです。 これは、ほんの その始まりだけです。 なぜなら、私たちはともに、 意識は何であるか、という、 この問題全体へ、入ろうと しているからです。 そして意識の内容とは、 に、です。 内容なしには、意識は ありません。 ですね? あなたは、これらの事柄について 考えたことが、ありません。 なぜなら、あなたの意識、 人間意識の内容の一部は、 この安全への要求である からです。ですね? 55:24 神における安全 - それは またもや、言葉、象徴、信念です。 民族における安全、集団における 安全、コミューンにおける安全、 妻、子どもにおける安全、観念に おける安全 - ご存じですね。 それは、私たちの 意識の一部です。 その意識は、 組み立てられてきました - 幾千年に幾千年を とおして、です。 それを私たちは、 進化と呼びます。 断片は、進化できません。 それは いつも、断片に留まるでしょう。 あなたがこれをご覧になるのか どうかと、思われます。 断片は、全体に なりえません。 で・・・今、何時ですか - お訊きしていいなら、ですが。
56:24 聴衆: 12時5分前です。
56:28 私は一時間半、話してきたと、 いうことですか。 聴衆: いえ、一時間です。
56:33 K: ああ、一時間か。はい。 あなたは、もう幾らか、それに 耐えられますか。 
56:38 聴衆: はい。
56:41 K: いいえ。私はまったく 確かではありません。どうぞ・・・ なぜなら、あなたが一時間、 大きな気づかいをもって、 注意をもって、維持された慈しみを もって、聞いてきたなら、 それがどういう意味かを、 ご存じですか。 そのとき、あなたは、 宇宙・ 万物です。 いえ、マダム。 今は、質問なしです。 私たちは、これらのことについて、 明後日、火曜日に、議論するでしょう。
57:28 で、私たちの意識の部分 - すなわち、 世界の人間意識の、です。 その意識の断片は、心理的な 安全への要求と探求です。 それは、私たちの意識の 内容の断片の一つです。 ゆえに、内容が 意識となります。 それの真理、それの道理を 見てください。 自らの意識の一部が、 「私はアメリカ人だ。 私は仏教徒だ。 私はこれだ。 私はあれだ」と言います。 または、私は自分自身を、何らかの ものと、同一視してきました。 この同一視は、安全を 見つけたいとの要求や欲望です - その安全を、一時的にか、 あるいは、恒常的に、です。 恒常的な安全は、 ありません。 一時的な安全が、ないなら、 それは、荒廃へ繋がります - 私たちが 指摘したように、です。
58:52 で、あなたは、一時間、 聞いてきました - 自分の心と 精神でもって、ですが、 あなたは実際に、あなたがそれより 自由であるとの事実に、気づけますか。 そうでないなら、あなたは、自分の 推理するか、誰かに聞く能力を、 行使してこなかったのか - 「どうぞ、後生ですから、 これを見つめてください」と 言う人に(聞く能力を)、です。 そして、あなたは、 見ようとしません。 あなたが見ないのなら、誰も、 あなたを説得しようとしません。 確実に、語り手はそうです。 説得、宣伝、脅し、 あなたに、褒賞や 処罰を提供することは、 けっして、見るよう、 あなたを、助けないでしょう。 あなたが、強制のもとで見るなら、 それは、歪曲されています。
1:00:02 で、あなたは、人間として、 ともに一時間、じっくり 話をした後で、 このとてつもない事実を、 見られますか。 そして、事実と、 それの実在性を見ることが、 あの断片の意識の部分を、 解き放ちます - すなわち、安全への 要求、探求であるものを、です。 ゆえにそのとき、精神は、 とてつもなく目覚めます。 理解されますか。 そのときそれは、 恐れの問題へ、入られます - 私たちは明日などに、 そうするでしょう。 私たちの意識の甚大な 内容の中へ、です。 そして究極的に、問いは、こうです。 内容は、完全に空っぽにできますか。 理解されますか。 空っぽにされて・ ・・空っぽです。 他の何かではありません - それ(他)は、 褒賞を意味しています。
1:01:15 で、あなたが気にされないなら、 私たちは今日、止めるでしょう。 なぜなら、私たちは一時間、 話してきたからです。 そして、深刻なことについて、 一時間、聞くことは、全く困難です。 たぶんあなたは、この種類の ことに、慣れていません。 私は、進んでゆけますが、 あなたは、そうではありません。 で、あなたが気にされないなら、私たちは 止めて、再び明日の朝、会うでしょう。
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