OJ77T4 - 聞くこと、見ること、学ぶことと生きることの芸術 home
公開講話 第4回
カリフォルニア、オーハイ
1977年4月10日

0:52 昨日の朝、私たちは、恐れに ついて、話していました。 また私たちは、こう言っていました。 すなわち、私たちの意識、 私たちが考えることの構造 - それが意識ですが - それは、考えることに、 基づいています。 権力への欲望、 私たちが子ども時代から 受ける多くの傷に、です。 また私たちは昨日、すべての 恐れからの自由について、話しました - そして、何千年の間、 生きてきた人は、 この恐れの大きな荷物から 全的に、完全に 自由であることは、そもそも 可能であるのかどうか、です。 そして私は、今朝、 できるなら、 楽しみについて、 話したいと思います。 私たちの意識の構造の一つは、 恐れ、楽しみと悲しみです。 私たちが、それについて 話し、それに入る前に、 私たちは何かを、 とても明らかに、単純に 理解すべきであると、 私は思います - 聞くことの芸術、見ることの 芸術と、学ぶことの芸術を、です。 3:26 芸術(アート)という言葉は、 一般的に、芸術家に、適用されます - 絵を描く人、詩歌を書く人、 彫刻をする人たち、などですが、 その「芸術」(アート) という言葉の意味は、(語源的に) あらゆる物事に、その正しい所を 与える、という意味です - 私たちのすべての 思考、感情、心配などを その正しい所に、 収めることです。 で、「芸術」という言葉は、それらの 適切な所、適切な均整を、与えること、 あらゆる物事を、 調和させる、という意味です - ただ、絵を描くとか、詩歌を 書くとか、だけではありません。
4:36 で、あなたは今朝、 その芸術を、適用するなら - 聞くことの芸術を、です。 私たちは、めったに 誰にも、聞きません。 私たちは、こうも自分の 結論に、満ちています - 自分の経験、自分の問題、 自分の判断に、です。 で、私たちは、聞くところの 空間を、持ちません。 私たちは、何か空間を持つべきです - それで、二人の友だちとして、 あなたと私、語り手は、 自分たちの問題を、ともに 話し合っています。 仲良く、木陰に座って、 山々を見つめていますが、 自分たちの問題に 関心を、持っています。 それで彼らは、進んで 互いに聞こうとしています。 そして、聞くことは、 あなたが、自分の特定の意見を 脇に置くとき、可能な だけです - あなたの特定の知識や問題、 あなたの結論を、です。 あなたが、自由に聞いている とき - 解釈しないで、 判断しないで、評価しないで、 実際に、聞くことの芸術です。 6:29 大きな気づかい、注意をもち、 慈しみをもって、聞く。 そして、私たちは、そういう芸術を持って いるなら、私たちが学んできたなら・ ・・ むしろ、あなたが、そのように 聞く能力があるなら、 そのとき、意思疎通は、 きわめて単純に、なります。 何も誤解は、 ないでしょう。 意思疎通は、ともに考える ことを、含意しています。 私たちが話し合っている物事を ともに分かち合うことを、 問題に参加する ことを、です - 奇怪な、腐敗した世界に 生きている二人の人間として、です。 そこでは、あらゆる物事が、こうも醜く、 残忍で、暴力的で、無意味ですが、 私が指摘してもいいなら、それが、 とても重要であると、私には思われます - 聞くことの芸術の中で、 無媒介に学ぶことが、 事実を即座に 見ることが、です。 8:04 そして、あなたが、 自らが正しく聞くなら - 「正しい」というその言葉の意味を、 私たちが指摘しましたように、です。 正確に、的確にです。 正しいとか間違って いるとか、あなたが考えることではない - 聞くことの芸術の中に、 自由が、あります。 その自由の中に、あらゆる言葉、あらゆる 言葉のあやが、意義を持っています。 そして、即時の了解が、あります - すなわち、即時の洞察が、です。 ゆえに、観察するための 即時の自由が、です。
8:54 また、見ることの 芸術も、あります。 物事を、ありのままに見る。 あなたが それらを見たいと願うように、ではない。 物事を、何の幻影もなく、何の予め 構想した、判断、意見もなく、見る。 実際に「あるもの」を 見る - 「あるもの」についての、 あなたの結論ではない。 それから、学ぶことの芸術。 記憶することではない。 それ(記憶)は、きわめて 機械的になります。 なぜなら、私たちの精神、 私たちの頭脳は、すでに、 とてつもなく機械的に なったからです。 で、学ぶことの芸術は、観察する (自由)、聞く自由を、含意しています - 先入観なく、論証なく、 何の情動的な、ロマンチックな 応答もなく、です。 10:10 もし私たちが、これら三つの 芸術を、持っているなら - 単に言語的な結論や、 知的な了解だけではなく、 実際に、私たちの 日常生活において、 あらゆる物事を、それらが 所属する正しい所に、収める。 それで、自らが、本当にきわめて静かな、 調和的な生を、生きられるように、です。 が、あなたが、物事に、その 適切な所を与える、この芸術を、 学んできていないなら、 それは、可能ではありません。
11:02 で、私たちは、今朝、ともに、 恐れの問題について、 話し合おうとしています。 恐れの問題と、それへはるかに 多く入るだけではなく、 また、問題、疑問、 すなわち、 なぜ人間たちは、幾つもの 時代をとおして、 こうも強烈に楽しみを 追求するのかをも、です。 それが間違っているとか、正しい とか、ではなく、なぜですか。 現代文明は - それは、本当に 消費主義に基づいていますが - あなたが観察するなら、 それは、楽しみの追求です - 本、あなた自身の 感情 - この常なる、終わりなき、楽しみの 追求です。 私たちはそれに入るでしょう。 なぜなら、楽しみと恐れは、 同じ硬貨の両面であるからです。 一方を理解し、他方を無視する ことは、かなり無意味になります。 12:34 で、私たちは、恐れと楽しみの 両方を、検討しなくてはいけません。 分離したものとして、ではなく、 互いに流れ込む - 同じ樹の、同じ硬貨の 両面として、です。
13:01 私たちは、昨日、恐れは 時であると、言っていました。 時系列的な時だけではなく、 また心理的な時も、です。 時は、私たちが指摘しましたように、 動きです - ここからそこへ、 物理的に、ここから、 サンタバーバラへ、または、 ロサンジェルスへ行くには、時が 掛かります。 それは、動きです。 そしてまた、 心理的な時も、あります。 少なくとも、私たちは、 心理的な時があると、考えます。 すなわち、「あるもの」を、 「あるべきもの」へ変化させること、 「あるもの」を離れた 理想の追求、です。 「あるもの」は、暴力や、 嘆きや、痛みです。 それを乗り切るか、それを理解 するか、それを乗り越えるために - 心理的に、ですが - 私たちは、 非暴力があると、言います。 それを達成するには、 あなたは、時が必要です。 14:39 で、生理的な時が、 時計による時が、あります。 また私たちは、不幸にも、 心理的な時もあると、考えます。 すなわち、理想の追求 - それは、時です。 語り手にとって、 すべての理想は、白痴的です。 なぜなら、重要なのは、 理想ではなく、 「あるもの」を、理解する ことであるからです。 自らが「あるもの」を理解するなら、 理想は、不必要になります。 しかし私たちは、「あるもの」を乗り 切るには、理想が必要だと、考えます - 梃子で動かし、圧力を加え、 「あるもの」を拭い去るには、です。
15:53 で、それが時です。 で、思考、それは記憶です。 頭脳の中に、経験と知識として 蓄えられています。 で、その時の動きは、 進化と呼ばれます。 ですね? 進化する。 で、私たちは、自らが恐れより、時を とおして自由になれると、考えます。 ですね? 理解されますか。 さて、私たちは、 語り手は、 進化の過程全体を、問うています - 心理的な進化を、です。 これらのどれかに、 付いてきておられますか。 すなわち、 恐れが、あります。 すべての人間は、様々な種類の 恐れを、持っています - 生物的なのも、 心理的なのも、です。 それからの自由 - 私たちは、それからの 自由を、けっして要求しませんでした。 私たちは、それからの自由を けっして、求めませんでした。 私たちは、恐れを 堪えます。 17:32 それが、私たちの 条件づけの一部です。 で、私たちは、ともに問い、この 問いを究明しようとしています。 人間が考えることの 構造全体 - それは、時です。 それは、度量ですが、 その過程が、進んでいくかぎり、 恐れが、あるにちがいないのです。 私たちは、こう 言っています - 恐れは、即座に、完全に止まり うるし、何の未来をも持たない、と。 あなたは、他の形の心理的な 恐れを、持つだろう、ではなく、 恐れが全的に 終わるのです。 それは、あなたが、時の本性を、 理解するときだけ、可能です - 心理的な時を、です。 理解されますか。 進んでもいいですか。
19:05 そうね、私たちは、 何かになるとか、 何かであるとかの観念に、 こうも慣れています。 これは、とても 興味深いのです。 私は、何かへ入り、これから 少し逸脱してもいいですか。 みなさんは、聞いてきました - かなり確かだと、私は思います - なぜなら、みなさんは たぶん「超越冥想」について 周知されているからです。 そうでないですか。 ですね? 不幸にも、です。 あなたは実際に、それが 何を意味するかを、知りません。 「マントラ」という言葉 - それをあなたは、反復します。 誰かへ50ドルか、100ドルを 支払った後で、です。 彼はあなたに、新しいマントラの 秘密を、語ってくれます。 そうね、あなたがやる あのゲームです。 「マントラ」という言葉は - どうぞ、その言葉を聞いてください - サンスクリットの「マントラ」 という言葉の意味は・ ・・ 「マン」は、ならないとか、ないとかに ついて、考慮する、という意味です。 20:28 ならないとか、ないとかに ついて、考慮する。 それについて考慮する、 それについて考える、 それについて熟考する それについて冥想する。 そして、「トラ」は、すべての 自己中心的な活動を、「滅する」とか、 片付ける、拒否する、とかいう 意味です。 理解されますか。 それが、「マントラ」という 言葉の本当の意味です。 ですね?
21:11 K: 放っておいてください。 私は話しています・・・ 私たちは、それについて、明日か、 明後日の討論の中で、話すでしょう。 すなわち、ならないこと、ないこと、 という全的な自己否定、です。 あなたがそれを、何に還元して しまったのかを、見てください - 商業、2000万ドル 産業に、です。 そして、その本当の意味は、 去ってしまいました。 私は、それを 持ち込みました。 なぜなら、私たちは、こうも 素早く、何かをほしがるからです。 即席の天国、即席の覚りとして、 それが何であっても、です。 私たちは、自分の理性を使うのを、恐れ、 論理的で正気であるのを、恐れています。 私たちは、恐れの本性を 理解したい、 作動中の恐れの帰結を 見たいのなら、 論理、理性を使って、それに 健全に接近しなければなりません。 22:53 そして、それに健全に 接近するには、 あなたは、考える動き全体を、 理解しなければなりません。 そして私たちは、何度も 何度も、言ってきました - 思考の本性と構造は、 何ですか。 そして、思考は、時を創案 します - 心理的に、です。 なぜなら、思考は、こう言うからです。 私自身が不確実で、安全でないので、 それは、安全を考案します - 観念に、 理想に、映像に、象徴に、です。 そして、その象徴に 縋りつきます。 これらに、付いてきて おられますか。
23:51 で、恐れを理解し、それを 完全に乗り越えることは - 表面的な恐れだけを、ではなく、深く 無意識の知られていない恐れを、です - あなたが、考えることの過程を 知るときか、または、理解して、 思考に、その正しい所を与える とき、可能なだけです。 それが、考えることの芸術です。 理解されますか。 私たちは、互いに付いて きていますか - 幾らかは? すなわち、私たちが言いましたように、 思考は、知識から出てきたもの、 または、それの応答です - 頭脳の中に、 記憶として蓄えられたものの、です。 で、思考は、正しい所を、 持っています - 住宅を建てること、すべての テクノロジーの世界などに、です。 しかし、思考は、心理的に 恐れを、生み育てます。 で、思考は、心理的に、 何の所をも、持ちません - もしあなたが、恐れより 自由であるだろうなら、です。 あなたたちは、 互いに出会っていますか。
25:27 さて、どうぞ、これを 聞いてください。 恐れからどう自由になるのか、では ありません。 それは、無意味です。 なぜなら、「どう」は、思考の 創案を、含意しているからです - それは、創り出し、 体系を、もたらします。 あなたは、「私はどうやって、 それをすることになるのか」と 言うとき、体系を 求めています。 その体系は、思考により、 組み立てられています。 で、思考はまたもや、 体系に捕らわれています - 恐れより自由になりたいと 望んで、です。 ですね。 で、私たちが言っていることは - どうぞ、 聞くことの芸術を、学んでください。 すなわち、あなたは、多くの種類の 恐れを、持っています。 または、あなたは、 一つの恐れを持っているか、幾つも恐れを 持っていますが、その根を理解するなら、 すべて表面的です。そして、 恐れの根こそが、去るのです。 26:42 で、どうぞ、 聞いてください。 私たちが言いましたように、 聞くことの芸術をもって、です。 すなわち、聞くことの芸術は、 あなたの先入観、あなたの結論を、 片付けてしまうことです - あなたが 恐れより自由でありたいことさえも、です。 恐れより自由でありたい ことこそが、 恐れより自由でありたい欲望こそが、 聞くことへの妨げです。 ですね? で、どうぞ、今、聞くことの 芸術を、学んでください。 そして、その聞くことの注意でもって - それは、芸術です - 語り手が、思考は時である、 思考は度量であると、言うとき - 思考は、時の中の動きである。 それが、恐れを創り出す、と - あなたは、それが見えるなら、実際に それを聞くなら - その発言を、です。 その発言から、結論を 作るのではなく、実際に聞く。 あなたの心でもって、 あなたの精神でもって、 あなたの能力、注意、気づかい すべてでもって、です。 そのときあなたは、恐れがまったく何の 所をも、持たないことを、見るでしょう。 28:22 聞くことの芸術は、 奇跡です。 あなたたちの幾人かは、 これを得ましたか。 で、私たちは、少し後で、 それに、戻ってくるでしょう。
28:43 で、今、私たちは、楽しみが何であるかに ついて、ともに話し合おうとしています - なぜ人は、楽しみを 追求してきたのか。 なぜなら、それは、私たちの 意識の一部であるからです。 それは、私たちの日常生活の一部です。 それは、私たちが考えることの一部です。 それは、私たちをして、 追求させつづける動機です。 なぜ人は、楽しみを、こうも とてつもない重要事に、 こうも奇想天外な均整に、した のですか。 娯楽の世界全体、です。 なぜですか。 ハリウッドからと、残りの世界 すべてからの、娯楽の世界が、 あるだけではありません。 また、宗教的な 娯楽も、あります。 29:50 私は、冒涜したり、 侮辱したりしていませんが、 宗教的なミサとその他すべての構造 全体と本性は、一つの形の娯楽です。 あなたは娯楽でもてなされます。 あなたは 情動的に扶養され、興奮させられます。 で、私たちは、この問いに 入らなくてはいけません - あなたが進んで、そうしたい なら、です。 あなたは、進んで そうしたいにちがいありません。 なぜなら、 それは、あなたの生の一部であるからです。 性的な楽しみが、 あるだけではありません。 また、様々な種類の 心理的な楽しみが、あります - 何かを持っていることの楽しみ、 所有の楽しみ。 どうぞ、聞いて、あなた自身に おいて、それを見てください。 語り手の言葉を、 受け入れるだけでなくて、です。 それは、いかなる意味も ありません。 所有の楽しみ、何かに 執着することの楽しみ、 何かに所属する ことの楽しみ - 集団、共同体、 派閥、家族に、です。 31:22 それから、権力の楽しみが、 あります - 他の人たちに対する権力、 自分自身に対する権力。 制御 - それは、一つの形の禁欲主義です。 「禁欲主義」 (アセティシズム)という言葉 - それは、基本的に 「灰」を、意味しています。 「禁欲者」(アセテック)という言葉は、 灰になったものを、意味しています。 萎びてしまった人間です。 それが、含意されていることです。 で、権力が、あります。 権力、所有、執着には 楽しみが、あります。 特定の共同体に所属することには、 楽しみが、あります。 群れに従うことの楽しみ - 流れに逆らって泳がないこと、 または、流れに逆らって 泳ぐこと、 それもまた、一つの 形の楽しみになります。
32:39 で、これらの無数の形の 楽しみが、あります。 自らがそれに気づいている ことを、望みます。 すなわち、お訊きしてもいいなら、 あなたは、友だちとして、 一緒に話し合っていて、 友だちは、訊ねます - あなたは、自分が従っている楽しみ の追求に、気づいていますか。 あなたが追求している ものに、です。 私たちは、その楽しみについて、 議論しています - それが、味覚、食べ物、 セックスの楽しみでも、 生物的な楽しみ、感覚的な楽しみ と、心理的な楽しみでも、です。 なぜあなたは、世界を 代表する人間として - 人間として、 あなたは世界です。 なぜあなたは、 この楽しみを、追求しますか。 質問を 理解されますか。 なぜ、この常なる 要求ですか。 達成の楽しみ、理想に 適った生活をする楽しみ、 いわゆる神の 探求の楽しみ。 神は、結局、思考の 創案物なのでしょう。 あなたは進んで、それを 覗きみようとしていますか。 なぜなら、私たちが それについて、話している間、 実在が何であるかと、 真理が何であるかを 理解することが、 重要であるからです。 なぜなら、私たちは神を、絶対的な 真理に、してきたからです - この国で、だけではなく、 ヨーロッパ中と、 アジア世界全体で、です。 「神」という言葉に触れると、 あなたは、大変体裁のよい人物です。
35:22 で、私たちは、訊ねています - 実在とは、何ですか。 そして、幻影とは、何ですか。 そして、真理とは、何ですか。 あなたは、これらに飽きつつ ありますか。 
35:42 質問者: いいえ。
35:45 K: あなたが単に、たくさんの言葉を 聞いていないことを、私は望みます。 そのときそれは、きわめて厄介になります。 そのときそれは、かなり退屈になります。 しかし、あなたが、 聞いているなら - それは芸術です。 それは、大いなる芸術です - そのときあなたは、実在は何であるかを 見出さなくてはいけません。 あなたは、実在は、思考が創り出してきた 物事すべてであると、仰るのでしょうか。 あらゆる物事 - 美しいビルディング、 寺院、神殿、 モスク、大聖堂、 そして、大聖堂、モスク、 寺院、神殿の内容すべて。 それは、実在です。 そして、思考は、自然を 創り出してきていません。 それは、実在です。 そこに、あります。 36:59 ですが、思考は、多くの 幻影を、創り出してきました - 民族性の幻影。 それは、実在と して、受け入れられています。 戦争の幻影。 それは、 受け入れられていて、 必要な、文明的な存在です。 で、思考は - 何を思考が創り出して きたのでも、テクノロジー的にも、 また、思考が幻影として 創り出してきたものも、実在です。 そして、思考は、自然を 創り出してこなかったのですが、 思考は、自然の木から 椅子を、仕上げてきました、 これらを、理解されますか。 これらに、付いてきておられますか。 それに興味がありますか - これらに、です。
38:18 で、真理は、実在と、いかなる 関わりをも、持っていません。 私たちは、それについて 話すでしょう - 私たちが、冥想は何であるかの 問い全体に、入るときに、です。 なぜなら、私たちは今、話している ことは、冥想の一部であるからです。 聞くことの芸術は、 冥想の一部です。 見ることの芸術は、 冥想と学ぶことの一部です。 で、私たちが今、している ことは、冥想の動きです - それは、恐れより自由であることと、 楽しみを理解することです。 で、私たちは、言っています - 楽しみは、愛ですか。 ですね?  どうぞ、 あなた自身で見出してください。 その質問を してください。 楽しみは、愛ですか。 39:46 欲望は、愛ですか。 所有は、愛ですか。 権力への欲望は、 愛ですか。 で、私たちは訊ねています - 欲望、 楽しみ、それは、愛の本性ですか。 そうでないなら、なぜ私たちは、楽しみを 愛より、支配的にしてきたのですか。 そして、愛を理解するには - どうぞ、 語り手とともに、これに入ってください。 なぜなら、これは、私たちの生に おいて、とても重要であるからです。 なぜなら、私たちは、愛を 持っていないからです。 私たちは、執着が何であるかを 知っています。 私たちは、 所有することや、所有されることと、 それの楽しみを、知っています。 私たちはみんな、セックスをする ことが何を意味するのかと、 セックスの楽しみを、 知っています - その行為に関与した想像、映像、 思考、すべての楽しみを、です。 41:20 そのすべて - 私たちは 訊ねています - それが、愛ですか。 私たちは、その言葉「愛」を、 こうも容易く使います。 私は、自分の国を愛している。 私は、自分の本を愛している。 私は、自分が食べている ものを、愛している。 私は、自分の妻や、 自分の彼女を、愛している、と。 で、この問いに、きわめて深く 入らなくてはいけません - 愛が何であるかを、自分自身で 見て、発見するには、です。 それなしに、あなたは、自分の 生を、むだにしてきたのです。 あなたは、ただのゾンビです。 または、 ただ、たくさんの言葉を発し、 役立たない生を生きる人間です - 混乱し、悲惨で、苦しんでいます。
42:33 で、私たちは、愛であるものを、 理解できます - 言語的でもなく、 知的でもなく、 楽しみの意味の深みへ 理解が、あるときだけです。 楽しみが、あります。 楽しさが、 あります。そして、喜びが、あります。 理解されますか。 楽しみ(プレジャー)と 朝の楽しさ(エンジョイメント)が、あります - 朝早く、日が出ていて、 鳥たちが歌っていて、 山々に、木の葉と色に、 光が照っているとき、です。 それは、大いなる歓喜、 大いなる楽しさです。 しかし、思考が、 入ってきて、こう言うとき - 「何と麗しい朝なんだ! 43:38 毎日、こういう朝があった なら、いいな」と。 または、そういう 朝の思い出と、 その朝の楽しみが、憶えられて いるのが、楽しみなのでしょう。 私が言っていることに、 付いてきておられますか。 みなさんは、驚いて見えます。 何が問題ですか。 ご覧ください。 あなたは、経験を します - 楽しめる経験、 喜ばしく、幸せで、 うれしい経験です。 あなたは、それを そこで、終わらせません。 思考は、入ってきて、「それを再び 得よう。 それを反復しよう」と言います。 それは、楽しみの 追求です - 喜ばしく、喜べることは、 即座に、 楽しめるものに、なったのです - 思考の動きをとおして、です。 44:55 分かりますか。これを 理解されますか。 で、楽しみが、あります。 楽しさが、 あります。喜びが、あります。 喜びを、あなたは、 けっして招けません。 それは、来ます - 幸せな、とてつもない、 調和的な、すばらしい状態が、です。 あなたはそれを、そこで 終わらせません。 思考は、「私はそれを再び 得なければならない」と言います。 それを再び得たいとの欲望は、 楽しみの追求です - 実際の経験では ありません。
45:50 で、楽しみには、これらの 要因が、あります。 思考が楽しみとして 追求するもの、 楽しみに依存しない 楽しさ、 歓喜、 何かの美しさ、です。 美しさについて 話すと、 ここで少し、それについて 話すことは、いいのでしょうか。 美しさとは、何ですか。 そうね、あなたは、何かとてつも なく美しいものを、見るとき - 山、深い谷、影、 水の拡がり - あなたが、これらのすばらしい、 鮮烈なものを、見るとき、 その瞬間に、その秒に、 「あなた」は、いません。 自らの問題をもち、自らの馬鹿さを もち、自らの不条理をもった「あなた」 - そのすべてが、去った。 あなたは、そこにいないのです。 なぜなら、山の栄光の壮大さと 威厳が、こうも甚大であり、 それは、「あなた」を、 追い払ってしまうからです。 それは、「あなた」がないときだけ、 美しさがある、という意味です - 分かりましたか。
47:48 で、私たちは、言っています - 楽しみ、楽しさと、喜びです。 このすべてを、それらの正しい所に 収めることが、生きることの芸術です。 ですが、私たちの意識は - それは、私たちの日常生活です - こうも混乱し、こうも 矛盾しています。 私たちは、こう 言っています - あなたが、楽しみ、楽しさ、喜びを、 きわめて深く理解するのでなければ - それは、大いなる没我へ 入っていくのです - あなたの意識に、秩序が、 あるのでなければ、 あなたは、とうてい 冥想できません。 そして、それが、私たちが 今、していることです。 冥想的である生の道を、 生きることです。 冥想して、愚かで有害で暴力的な 生を、送ることではありません。 で、もし楽しみ、欲望が、 愛でないのなら、 嫉妬が、愛でないのなら、 執着が、愛でないのなら、 所有されることや所有する ことが、愛でないのなら - ほとんどの人間は、所有の 楽しみをもって、生きますが - そのとき、楽しみと愛との 間の関係は、何ですか。 50:28 執着と愛との間の 関係は、何ですか。 執着が何であるかは、ご存じです。 それがどう生じてくるかを、です。 執着とは、何ですか。 私の国、私の神、私の信念、 私の妻、私の夫、 他の一人への依存 - それが、導師であっても - あなたたちの誰一人として、導師を 持っていないことを、望みます - そのときあなたは、誰か自分は知って いると考える人に、依存しています。 誰かが、「私は知っている」と言う とき、その人物に、気をつけなさい。
51:32 で、楽しみと愛との間の関係が 何であるかを、理解するには、 あなたは、人間たちの間の 関係が何であるかを、 理解しなければなりません。 ですね? 人間たちの間の関係は、 実際に何ですか。 彼らはそもそも、何か 関係を持っていますか。 または、それは、 反応の関係だけです。 依存の感覚、性的、 その他すべて、です。 あなたが、「私は妻に関係 している」とか、 「私の彼女や彼氏に」とか言うとき、 それは、どういう意味ですか。 それに入ってください。 後生ですから。 なぜなら、これは、 あなたの生であるからです。 52:35 それは、実際に どういう意味ですか。 あなたは、本当に 関係していますか。 または、単に、関係しているとの 観念、思考だけですか。 私が言っていることに、 付いてきていますか。 もし、それが、関係している との思考であるなら、 その関係は、憶えたことに 基づいています。 傷を、憶えている。 性的な楽しみを、憶えている。 依存を憶えている、などです。 で、あなたの関係は、過去の物事を 憶えていることに、基づいています。 そして、その関係に、 私たちは、取りすがります。 で、彼女は、過去の物事に ついて、憶えています。 あなたは、過去の物事に ついて、憶えています。 で、あなたたちは けっして、出会いません。 54:02 これらを理解されていますか。 これらを理解されていますか。 おそらく、あなたたちは、 ベッドで出会いますが、 実際に、あなたたちは けっして、出会いません。 すなわち、 あなたたちの関係が、 過去の物事を憶えているのに、 基づいているかぎり、 そのとき、あなたたちは、 関係していません。 あなたはそれを、「愛」と呼ぶかも しれません。 それは、死んだものです。 そういうわけで、男と女の間に こうも葛藤が、あるのです。
54:48 よろしいですか。 で、それを聞いてください。 それについて、 何をするのか、ではない。 あなたが聞くなら - 私たちが言いました ように、聞くことの芸術です - 敏感であること、鋭敏であること、 見守っていること。 今です。 あなたが、今、そうしているなら - 聞くことの芸術を、です - あなたは、見るでしょう。 あなたは、 思考を、その正しい所に収めるでしょう。 そのときあなたは、他の一人と 実際の関係を、持つでしょう。 ゆえに、他の一人と、けっして 葛藤を、持たないでしょう。
55:31 何時ですか。 12時です。 たぶん、あなたたちのほとんどは、 12時であるのが、うれしいでしょうが、 進みましょう。 私は、しばし進むだろうし、 それから私たちは、止めるでしょう。 なぜなら、あなたたちは、一時間以上、 この種類の話に、耐えられないからです。 なぜなら、語り手があなたのために、働いて いるように、あなたが働いているなら、 あなたたちの頭脳は、一時間以上、 耐えられないだろうからです。 ですが、語り手が働いているように、 あなたが、働いていないなら、 あなたは、「どうぞ、 進んでください」と言います。
56:24 で、私たちは、自分たちの意識を 理解する中で、或る点に来たのです - (意識)それは、私たちの生です。 それは、私たちの日々の、日常の生活です。 その意識の中に、 権力への欲望が、あります。 自らが子ども時代より 受けてきた多くの傷、 それから、恐れ、楽しみと、 私たちが「愛」と呼ぶものが、です。 それは、 愛ではありません。 そして、私たちが 持っている無数の信念 - 私は、神を信じている。 私は、神を信じていない。 私は、社会主義を信じている。 私は、資本主義を信じている。 57:15 よろしいですか。 信念です。 信念(ビリーフ)は、作り事(メイク ビリーフ)に基づいた生を、表示します。 それは、現実とは、何の 関わりも、ありません。 で、私たちは意識に、秩序を もたらしつつあります。 秩序をほしがることに よって、ではなく、 秩序をもたらそうと努力する ことによって、ではなく、 聞くこと、見ること、 学ぶことによって、です。 聞くには、何も方向が、あっては なりません。 理解されますか。 見るには、何も歪曲が、 あってはなりません。 そして、学ぶには - 記憶するには、ではない - 自由が、なければなりません。 観察し、学び、見守るように、です。
58:29 で、私たちは、次回、土曜日に、 会うとき、議論するでしょう - 愛とは何であるのかと、それの 悲しみへの関係について、です。 そして、時間が あるなら、 私たちは、死が何であるかの 問いに、入るでしょう。 なぜなら、それは、生の要因の一つで あるからです - 死ぬことは、です。 そして、不幸にも、私たちは、 けっして、それに向き合いません。 死ぬとは、どういう意味かを、 見出す - 生きている間に あなたが、生に 満ちている間に、です。 神経症的な生ではなく、 正気の健康的な生、です。 死と呼ばれる、あのとてつもない ものの、 深さと意味を見出すのです。 それは、愛に 関係しています。 愛は、生と死より 分離していません。
59:45 よろしいですか。 それで、十分ですか。
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