OJ77T5 - 愛と死 home
公開講話 第5回
カリフォルニア、オーハイ
1977年4月16日

0:29 明日、もう一回、講話が あるだろうと、思います。 それが、この会期の 終わりに、なるでしょう。
0:43 私たちは、ともに、 話し合っててきました - 私たちがここで行ってきた 先の四回の会合の間に、 幾つものことに ついて、です。 そして、よろしければ、私たちが 言ってきたことに、短く入り、 それで、あなたたちの中で、 ここに初めて来られた人たちが、 私たちが話してきたことを、 理解するだろうように、します。 私たちは、始まりから、 こう言いました - 私たちは、このものを、ともに 分かち合っているのだ、と。 それが、意思疎通の 意味です - 言語的な、だけではなく、 また、言葉をとおして、 言われつつあることの意義を 理解する。 私たちは、世界中の人が、 人間たちが、 いつも安全を 探し求めていると、言いました - 生理的にも、 心理的にも、です。 2:10 その安全、物理的な安全は、 すべての人間に、拒否されます - 心理的な安全は、本当は 存在していないのに、 それが、様々な形の幻影、 信念、教義、宗教的な裁可 などなどで、 探し求められるとき、です。 で、心理的な分割が、 あるところ、 必然的に、生理的な分割が、 あるにちがいありません - そのすべての葛藤、抗争、 戦争などとともに、です。
2:50 そしてまた、私たちは、人の 苦しみについて、話していました - 悲劇、人の人への 非人間性について、です。 あなたが世界で、 どこに行っても - それが、インド、ヨーロッパや ロシアや、シナにおいても、 この国においてでも、 構いません - 人間たちは、心理的に、 多かれ少なかれ、同じです。 彼らは、苦しみます。 彼らは、 心配で、不確実で、混乱していて、 大きな痛みの中にいて、野心的で、互いに 闘っています - 果てしなく、です。 で、基本的に、心理的に、 すべての人間は、同じです。 で、自分は、道理、論理を もって、こう言えます - 世界は、あなたであるし、 あなたは世界である、と。 4:09 そして、これは理解することが、 とても重要であると、私は思います。 なぜなら、私たちが話して きたことの短い概要の後、 私たちは、議論しようと しているからです - 私たちは、問いに入ろうとしています。 またもや、ともに分かち合い、 ともに究明し、ともに 旅をし、ともに探検する - 愛の問いと、苦しみに対する その関係を、です。 そして、時間が あるなら、 死が何であるかの 甚大な問いに、入る。
4:48 で、私たちは、こう言っています、 私たちは、言ってきました - 世界は、あなたであるし、 あなたは、世界である、と。 それは、 絶対的な事実です - 自らがそれに、きわめて 深く入るとき、です。 私たちの意識は、 思考の動き全体ですし、 それは、意識と呼ばれます。 その内容は - 内容は、権力、 地位、安全への欲望、 私たちが子ども時代から 受けてきた損傷と傷、 そして、 恐れ、罪悪の問いです。 そしてまた、 私たちは、先日、 前回私たちが ここで会ったとき、 楽しみの追求の問題と問いに ついて、話してきました。 5:48 私たちは、恐れと楽しみは、同じ硬貨の 両面であると、言っていました。 そして、楽しみの構造全体と 本性 - 欲望に基づいたの - を 理解することなしには、 私たちはけっして、 その中に愛がある生を、理解したり、 生きたりしないでしょう。 それが、手短に、私たちが、 前回、ここで会ったとき、 もっと詳細な形で 言ったことです。
6:29 で、私たちは、できるなら、 ともに、入ろうとしています - 愛とは何であるかの 問いに、です。 理解されますか。 なぜなら、 私たちの意識の一部、 意識の断片の一つは、恐れと、 楽しみの追求であるからです。 で、愛は、私たちの 意識の断片ですか - その中に、恐れと楽しみ、楽しみの 追求が、あるところのものの、です。 で、私たちは、 訊ねています。 私たちがここで分かち合って いるのを、私は望みます。 語り手が、問いを 出しているけれども、です。 恐れが、あるとき、 愛が、ありますか。 そして、単なる楽しみの追求が、 あるとき、愛が、ありますか。 愛は、楽しみと 欲望ですか。 または、それは、恐れ、楽しみ、欲望と いかなる関わりも、ないのですか。 7:58 私たちはともに、このきわめて複雑な 問題を、探検しようとしています。 私たちの精神と、頭脳は - あなたが 自分自身でそれを観察してきたなら - 頭脳という意味は、 私は、頭脳の構造などの 熟達者や専門家ではありませんが、 自らが、観察できます。 自分自身において、 この人類の歴史全体を、読めます - 自分が、見出すように、 能力、エネルギー、衝動、 熱情を、 持っているなら、です。 なぜなら、あなたは、歴史 (ヒストリー)全体、 人類の物語であるからです。 それで、あなたは、世界ですし、 世界は、あなたです。
8:49 私たちの頭脳は、 常なる習慣をとおして - それはそこに、安全を見つけて きました - 機械的になったのです。 あなたがそれを観察してこなかっ たのかどうか、私は、知りません。 機械的とは、習慣的だ、 一定の明確な様式に、従う、 その様式を、違った分野で何度も何度も 反復する、という意味で、ですが、 それはやはり、様式です。 日常生活の課業です。 あなたが観察するなら、頭脳は 機械的になったのです。 それの反復、楽しみ、 恐れの重荷と、 それを解消できないこと。 で、次第に頭脳や、頭脳の 一部は、機械的になったのです。 機械的です - 私たちがその言葉を 使っている意味において、 反復的です。 生物的にも、 また、心理的にも、反復的で、 信念、教義、イデオロギーの 一定の様式に、捕らわれています - アメリカのイデオロギー、 ロシアのイデオロギー、 インドのイデオロギー など、です。 10:39 追求と方向があるところ - それは、機械的になります - 精神と頭脳は、 衰退します。 どうぞ、よろしければ、 これに付いてきてください。
10:59 私たちが、反復的な生を、生きる とき - どれほど気持ちよくても、 どれほど望ましくても、どれほど 複雑でも、反復的な生を、です - それは、子ども時代から 死まで、同じ信念です。 同じ儀式 - それが教会でも、寺院、 神殿でも、それがどこにあっても、 儀式。 何度も何度も 何度も、その反復。 楽しみの反復 - 性的なのや、 達成の楽しみ、 所有の楽しみ、執着の楽しみ。 これら すべてが、頭脳を衰退させます。 なぜなら、それらは、 反復的であるからです。 私たちが互いに出会っているのを、 私は望みます - この問いに、です。
12:00 で、楽しみの追求が、 反復的な過程として、 そして、恐れの重荷が、あるかぎり - それを人は、解消してこなくて、 それより逃げ去り、それより逃避し、 それを合理化してきましたが、 それは、やはり 残っています - 私たちは、頭脳は、頭脳の一部は 衰退すると、言っています。 これは、理解することが、とても 重要であると、私には思われます。 なぜなら、ここには、とても若い国が、 あるからです - 歴史的に言って、です。 それはすでに、 衰退しつつありますか。 または、新しい生が、 生まれつつありますか - 再生的な、 創造的なのが、です。 テクノロジー的な意味に おいて、ではない。 発明的な意味に おいて、ではない。 新しい本と新しい観念を 書く中で、ではなく、 精神・ ・・ 反復的な生の道が 不可能である頭脳、です。 13:28 あの反復的な、果てしなく 楽しみを追求することは、 頭脳の衰退を、 もたらすのです。 あなたが、それを観察してきたなら、 ともにじっくり話し合う中で、 あなたが自分の精神を、観察 しているのを、私は望みます。
13:55 語り手が使っている言葉と、 語り手自身、ですが、 言葉と語り手を、どうぞ、 鏡として使ってください - そこにあなたは、実際に 事実本位に見るのです。 理論的にではなく、 観念としてではなく、 実際に彼を、鏡として使う。 そこに あなたは、歪曲なく見ます。 そのとき、歪曲なく見るとき、 あなたは、鏡を破壊できます。 よろしいですか。 で、 鏡は、権威になりません。 これらに、付いてきて おられますか。 で、私たちは、いかなる 権威をも、行使していません。 なぜなら、 霊的な事柄において、 私たちが入ろうとしている ことの事態において、 どの種類の権威、 どの種類の従うこと、 案内としてのどの種類の受け入れも、 全的な知覚を、破壊するからです。 ゆえに、何が真実であるかの 知覚を、(破壊するの)です。 15:23 で、それが、明らかに 理解されるなら - すなわち、 語り手は、どの境遇の下でも、 あなたの導師ではないことを、です。 そして、この国の導師たちは、 迷惑になりつつあります - それを、控えめに 表すと、です。 そして、インドには、 幾千もの導師が、います。 それで、彼らは、あの国を 破壊しつつあります。 なぜなら、彼らは、 従う者を受け入れる、 彼らは、権威を 任ずるからです - まるで、彼らは、あらゆることを 知っているかのように、ですが、 彼らは、伝統的です。 一定の様式、 儀式とその他すべてに、従っています。 私たちが言っていることは、何か 全面的に、全然違っていることです。 16:21 で、ともに、私たちは、問おう、 探検しよう、究明しよう、 見出そうとしています - 語り手を とおしてでなく、あなた自身で、です。 あなた自身で見出す。それで、あなた たちが自由な人間であるように、です。
16:46 で、私たちは、訊ねています - 愛とは 何ですか。それは、楽しみですか。 楽しみ - 性的、反復的な 性行為という意味で、ですが、 それを、一般的に 私たちは、愛と呼びます。 あなたの隣人への愛、 あなたの妻や彼氏への愛、 そこには、大変多くの 楽しみ、所有、慰めが、 あります - 欲望に 基づいて、です。 それは、愛ですか。 他の一人への所有的な 執着が、あるところ、 嫉妬が、あるに ちがいありません。 恐れが、あるにちがいありません。 そして、基本的な敵対が、です。 ですね?  これらは、 明白な事実です。 私たちは、何も とてつもないことや、 イデオロギー的なことを、 言っていません。 私たちは、ともに動いています - 事実から、事実へ、 実際のことから、実際のことへ、「ある もの」から、「あるもの」へ、です。
18:16 で、私たちは、訊ねています - 愛とは、何ですか。 あなたは、自分の妻を愛していますか - または、自分の彼女や彼氏を、です。 私が、「夫」や「妻」を使うとき、 それは、どちらをも、含意していますね。 で、私はそれを、何度も何度も、 反復しないでしょう - 男と女、です。 愛が、ありますか - 理論的に ではなく、実際に、です。 その愛の中に、 執着が、ありますか。 そして、執着は、愛ですか。 そして執着の基礎は、何ですか。 なぜ自分は、何かに、執着して いるのか - 資産に、観念に、 イデオロギーに、人物に、象徴に、 あなたが神と呼ぶ概念に、です。 19:30 なぜ、執着が ありますか。 なぜなら、私たちは、執着の 意義を、十分に理解しないなら、 私たちは、けっして愛の真理を 見出すことができないだろうからです。 執着の基礎は、 一人であることの恐れ、 孤立していることの恐れ、 さびしさの恐れ、 自分自身での空っぽさ、 不充分さの感覚です。 どうぞ、私たちが言っていること すべてを、検討してください。 語り手が言っていることを、何一つ、 受け入れないで、それを見つめてください。 それを見つめる、 それを観察する、 あなたの個人的な先入観、 あなたが信じていること、 経験、あなたがそれについて 考えることを、片付けてしまう。 なぜなら、あなたたちはみんな、 結局のところ、ここにいるからです。 あなたが、どこから来るにしても、 はるばる来る手間を、掛けたのです。 語り手が言うべきことを、 見出すために、です。 21:05 しかし、あなたが、観念と結論に、 満ちているなら - あなたが、 愛は何であると考えるのか、愛は何で あると考えないのかについて、です - そのとき、互いに意思疎通しあう 可能性は、ありません。
21:27 で、私たちは、執着しています - 人々か観念に、象徴か概念に、です。 なぜなら、私たちは、そこに 安全があると、考えるからです。 どの関係にも、 安全が、ありますか。 質問を 理解されますか。 安全は、本当は 執着の本質ですが、 それが、あなたの 妻や夫に、ありますか。 あなたが、妻や夫に安全をほしい なら - または彼女などに、です - そのとき、何が 起きますか。 あなたは、法的にか、法的にでなく、 所有しなければなりません。 そして、所有があるところ、失うことの 恐れが、あるにちがいありません。 ゆえに、嫉妬、憎しみ、離婚と、 その他すべてが、です。 22:58 で、私たちは、訊ねています - 愛は、執着ですか。 執着が、あるとき、 愛が、ありえますか。 その言葉の含意すべてとともに、 ですが、そこには、恐れ、嫉妬、 罪悪、苛立ちが、あります。 憎しみへ 繋がりますが、そのすべてが、 私たちが、「執着」という言葉を 使うとき、含意されています。 で、執着が、あるところ、 愛が、ありえますか。 私たちは、事実本位の問いをしています。 理論的な問いを、ではありません。 私たちは日常生活を、取り扱って います。 とてつもない生を、 ではありません。 なぜなら、 あなたが、きわめて近くで、 すなわち、あなた自身で 始めるときだけ、 私たちは、きわめて深く、 きわめて遠く、行けるからです。 24:03 あなたは、あなた自身を、理解 しないなら、遠くへ動けません。 私たちは、諸問題を、 掘り下げようとしています。 それらは、私たちの日常生活に おいて、ものすごく重要です。 で、自らはこの問いへ、論理的に、理性 的に、正気で入らなくてはいけません。 そのとき、それを 乗り越えるのです。 なぜなら、論理は、愛ではない、 道理は、愛ではないし、 愛されたい、愛したいとの 欲望は、愛ではないからです。
24:54 で、私たちは、訊ねています - 愛とは、何ですか。 私たちは、こう言っています。 愛でないものの否定 - 日常生活において、あなたの 生のあらゆる瞬間において、です - その否定、愛でないものを 脇に置くこと。 その否定の中から、愛と呼ばれる 肯定的なものが、出てきます。 理解されますか。 私たちは、 互いに理解し合っていますか。 理論ではなく、言語的な理解ではなく、 私たちの日常生活で実際に、です。 さもないと、あなたが、どう 愛するのかを、知らないなら、 愛がないなら、 そのとき、私たちの社会、 私たちの社会の構造は、 不道徳になります - 今 そうであるように、です。 そして、あなたが 愛しているなら、 あなたの子どもたちは、 全然違っているでしょう。 26:19 それで、訊ねます。 あなたは、親であるなら、 自分の子どもを、愛していますか。 お子さんを持っておられるなら、です。 またはあなたは、単に執着しています。 彼らが幼い間、彼らに執着しています。 それから彼らを押し出し、彼らに 彼ら自身の生を、送らせます。 そして、親としてのあなたと、 何の関係をも、持っていません。 それで、愛がないところ、 あなたたちは、戦争を行うでしょう。 あなたたちの子どもは、殺され、 不具にされるでしょう。 そして、他の人々の子どもは、 殺され、不具にされるでしょう。 これが、世界で実際に 起きつつあることです。
27:09 で、愛の、苦しみへの 関係は、何ですか。 質問を 理解されますか。 なぜなら、私たちは、この苦しみの 問いへ、入ろうとしているからです - 人類はそれを、幾時代をもとおして、 影のように持ち運んできました。 私たちは、 哲学化していません。 哲学は、真理の愛、 英知の愛を、意味しています。 今、現代世界でなって しまっているように、 組み立てられた、たくさんの 理論ではありません。 利巧な哲学者たちは、自分の 頭脳と自分の思考を、使います。 いつも考えています。 で、思考は、とてつもなく 重要になったのです。 そして、私たちが先日、 議論しましたように、 思考は、断片です。 それは、 きわめて制限されています。 そして、思考は、愛が何であるかの この問題を、解決できません。 28:52 思考は、愛を作ったり、 養成したりできません。 なぜなら、思考は 断片であるからです。 思考は、時の動きです - ここからそこへ、 生理的にも、また、 心理的にも、です。 「私はこれであるが、私は あれにならなければならない」と 言う人 - 心理的に、ですが、 思考は、時と呼ばれる空間を、 もたらしてきたのです。 そして、度量を、です。 で、私たちは、現代的な意味で、 哲学化していません。 私たちは、言っています。 私たちは、日常的な実際の毎日の 事実を、取り扱っています。 私たちは、それらを理解できないか、 それらより逃げ去るなら、 あなたは、最もとてつもなく 悲惨な葛藤の生を、送ります。
29:56 で、私たちは、訊ねています - 愛の、苦しみへの関係は、何ですか。 苦しみとは何ですか。 なぜ人は、幾つもの 時代をとおして、苦しんできましたか。 動物たちが、大地が、破壊される とき、苦しみが、あります。 大地が、誤用されるとき、 苦しみが、あります。 あなたが動物を殺し、彼らが 苦しむのを、見守るとき、 あの種類の苦しみが、 あります。 苦しみがあります - あなたが、あなた 自身を見守ったことが、あるなら、 不正直であり、歪んでいて、一つの ことを言い、別のことをする人を、 あなたが見るとき、 苦しみが、あります。 それは、別の種類の 苦しみです。 あなたが頼ってきた誰かが、 死ぬとき、苦しみが、あります - あなたが自分が愛していると 考える誰かなどが、です。 その種類の苦しみが、 あります。 31:34 それから、物理的な痛みの 苦しみが、あります。 達成すること、何かになることが できないことの苦しみが、あります - それは、あなたが呼ぶ ところの、充足しないことです。 そして、人間がこう言うとき、 彼の苦しみが、あります - 「私は、世間の最大の所有物、権力、 金銭を、達成しなければならない」と。 そして、その種類の 苦しみが、あります。 そしてまた、自己憐憫では ない苦しみも、あります。 知覚があるときの、 苦しみ、です - 人間たちが、何でありうるのかと そうでないのか、です。 これらに 付いてきておられますか。
32:44 で、広大な人間の 苦しみが、あります。 戦争は人類に、甚大な苦しみを、 もたらしてきました。 あなたが幾らか前に、テレビでご覧に なったのかどうかを、私は存じません - 不具になった兵士たちが 家に帰っていきました。 一度、私は、病院へ 連れていかれました。 そこでは、戦争で 負傷した人々が、 おぞましい苦しみの状態に あります。 それは、私たちの 人に対する非人間性です。 で、この広大な人間的な 苦しみが、あります。 あなたが、自分は妻や夫を 愛していると、考えるし、 彼や彼女が、あなたに背いてしまう とき、苦しみが、あります。 で・ ・・あなたは、 人間として、苦しみます。 そして、人類は、苦しみます。 理解されますか。 34:22 そして、母親、姉妹、 妻と、みんなが、です。 人がしてきたことすべてが、 苦しみを、もたらします。 テクノロジーの前進は、人間たちに、 大きな利益を、もたらしてきましたが、 またそれは、大きな苦しみを もたらしてきました。 あなたは、これらを 見守ってきましたか。 で、苦しみとは、何ですか。 なぜ人は、それを堪えますか。 なぜあなたは それを、忍耐しますか。 質問を 理解されますか。 なぜあなたは、これらのことが 起きるのを、許しますか。 それは、こう質問することです - なぜあなたは、このように生きますか。 理解されますか。
35:27 自らは、情動的に なってはなりません。 自らは、これらのことを、事実 本位に、観察しなければなりません - それらより逃避しないで、です。 そのときだけ、私たちは、 それについて、何かをする ことが、できるでしょう。 あなたが、抽象化をする、すなわち、 「あるもの」より動いて離れるとき、 それが、抽象化です。 理解されますか。 「あるもの」より、動いて離れる、 逃げ去る、逃避する。 それは、 抽象化の動きです。 そのとき、その抽象化は 観念に、なります。 そしてあなたは、その観念に沿って 生きます。 事実に沿って、ではない。 違いが、見えますか。 これが、私たちが生涯 ずっと、してきたことです。 今、私たちは、こう言っています - どうぞ、抽象化なく、聞いてください。 36:38 すなわち、人は 苦しみます。 人は、愛の、甚大な美しさ、 深さと意義を、知りません。 そして、あなたが、それを 抽象化するなら、 すなわち、それを観念にし、 それについて結論を作るなら、 そのときあなたは、事実に、 向き合っていません。 で、ともに私たちは、検討しています - それを概念化することなく、です。 そちらは、とても容易い。 なぜなら、 私たちは、概念、結論を持つことにより、 「あるもの」を取り扱う能力が はるかに増すと、考えるからです。 しかし、ところが、あなたが、「ある もの」を、観念なく見つめるなら、 そのとき、あなたは それに、食いつけます。 これらに、付いてきて おられますか。
37:42 で、なぜ人は、男や女は - 解放された女さえも - なぜ彼らは、この苦しみを 堪えますか。 なぜ、苦しみを崇拝しますか - 見た ところ、キリスト教徒はそうします。 なぜ、人は、 あなたは・ ・・ 苦しみの意味が何であるかを、 了解してください。 理解されますか。 苦しむのは、何です。 あなたが、こう言うとき - 「私は苦しんでいます。 私は、苦しみます。 なぜなら、私は、 動物が虐待されるのを、見るからです」、 「私は、苦しみます。 なぜなら、 隣人の息子が殺されたから」と。 よろしいですか。 それは、誰ですか - どうぞ、 これを聞いてください - 言われつつあることへ、少し 注意を、注いでください。 なぜなら、誰もあなたに、これらの ことを、語らないだろうからです。 あなたが、「私は苦しむ」と言うとき、 苦しんでいるのは、誰ですか。 39:30 こう言う中心は、何ですか - 「私は、嫉妬の、 恐れの、損失の、 苦悩の中に、ある」と。 さて、その中心は、 何ですか。 よろしいですか。 私は、人の「本質」という 言葉を、使うでしょう。 あなたは、「私は苦しむ。 私は 涙を流す」と言う人間として、 それは - どうぞ、私と ともに見出してください - 私は見出してきたけれども、私たちは ともに、そこに入ろうとしています。 それは、時の 動き全体ですか。 時とは、過去、 現在、未来です - 心理的とともに、 時系列的にも、です。 それは、 時の動きですか。 40:51 それは、時としての思考の動きですか - 中心を創り出すのは、です。 これらに、付いてきて おられますか。 いいえ、どうぞ。 私たちは、互いに 出会っていますか。 または、これは、あまりに 困難になりつつありますか。
41:09 あなたが、「私は苦しむ」と仰る とき、その「私」は、何ですか。 その「私」は、どう 生じてきたのですか。 生じておいて、そのときあなたは、 「私は苦しむ」と言います。 「私は心配だ。 私は怯えている。 私は嫉妬している。私はさびしい。 私は、これでなければ ならない」と。 その「私」は、けっして 静止していませんし、 いつも動いています - 私は、これを 欲望するが、私は、あれを欲望する。 それから私は、他を欲望する。 それは、常なる動きです。 その動きは、時です。 そうですね? その動きは、思考です。 そうですね? で、あなたが、 「私」と言うとき、 アジア世界には、哲学全体や 概念全体が、あります。 「私」は、何か、時を 越えているものである、と。 42:48 または、上の「私」があるとの概念が まだアジア世界には、あります。 西洋世界では、 「私」は、 けっして徹底的に検討された ことが、ありません。 あなたは、それに性質を、 付与してきました。 フロイトとユングのような人たちと、 すべての心理学者は、 その叙述を示してきました。 属性を 与えてきました。よろしいですか。 しかし、この問いに 入ったことが、ありません - 「私」の本性と構造が、 何であるかの、です。 すなわち、「私は苦しむ」と 言う者の、です。 理解されますか。 これに付いてきておられますか - 少なくとも、あなたたちの幾人かは?
43:42 そして、私たちは言っています - その 「私」は、あなたが観察するように、 或る日、私は、「私はあれを 持たなければならない」と言う。 そして数日後、あなたは、 他の何かを、ほしがります。 この常なる欲望の動きが、 あります。 ですね? これに付いてきて おられますか。 楽しみの常なる動き、あなたが そうでなければならないもの、 あなたがなりたいもの、 などなどの常なる動き、です。 私たちは、この動きは 時であると、言っています。 ですね? この動きは、思考の 構造と本性です。 かわいそうな子どもが、 泣いています。 で、「私は苦しむ」と言う「私」は、 思考により、組み立てられています。 45:03 明白です。思考は、 「私はKだ」、「私はジョンだ」、 「私はこれだ」、 「私はあれだ」と言います。 そして思考は、それ自体を 構造と、同一視します - 名前と、形態と、です。 それが、「私」です。 意識の内容すべてとともに、 です。 それが、「私」です。 恐れ、傷、さびしさ、 絶望、心配、罪悪、 楽しみの追求、 さびしさの感覚、そのすべて。 それが、あなたの 意識の内容です。 それが、「私」の本質です。 ですね? 付いてきておられますか。
45:56 で、あなたが、「私は苦しむ」と 言うとき、それは、何ですか。 思考がそれ自体について 築いてきたイメージですか - それは、形態、名前とそれら です。 苦しむのは、それですか。 この問いに、 付いてきておられますか。 なぜなら、どうぞ、あなたが そうされないなら、 私はそれに、十もの違った 形で、入るだろうからです。 なぜなら、自らは、全的に悲しみ より、自由でありうるからです。 そして、悲しみが、終わるとき、 英知が、あるだけではなく、 また、ものすごい熱情も、 あるのです。 欲情ではなく、 熱情です。 それは、欲望と、熱狂とは、 いかなる関わりも、ありません。 47:08 で、逃避することなく - あなたが 「私は苦しむ」と言うとき、 あなたが、涙を 流すとき、 あなたが愛する誰かが、いるのが、 失われ、去ってしまったとき、 逃避すること、 逃げ去ることなく - この心配、さびしさ、 絶望の感覚から、です。 それから逃げ去るのではなく、 それに全的に留まること。 理解されますか。 なぜなら、悲しみは、エネルギーの 総和であるからです。 付いてきておられますか。 いえ、どうぞ、 頷かないでください。 あなたはなさらない。
48:10 そうね、どの挑戦も - どの挑戦も、です - 挑戦が、深いほど、 挑戦が、広いほど、 挑戦が、強烈であるほど、 それに出会うために、もっと大きな エネルギーが、要求されるのです。 悲しみが、この挑戦です。 そしてそれが、あなたが応答しなく てはいけない、その挑戦の本質です。 しかし、あなたが、 それから逃避することにより、 それから慰めを求めること により、それへ応答するなら、 そのときあなたは、このものに 出会うために必要なエネルギーを、 消散させつつあります。 理解されますか。 で、何も逃避がないとき、 そして、逃避は、ないのです。 なぜなら、あなたが逃避するなら、 悲しみがいつも、そこにあるからです - あなたの影のように、顔のように、 それはいつも、あなたと ともに、あります。 そして、 逃避することなく、 それに留まること - 何の思考の 動きもなく、です。理解されますか。 49:37 あなたは、こうしていますか。 私たちは、ともに話し合っています。 私たちは、ともに これを、覗きみています。 で、今、そうしてください。 明日、ではない。 今、そうしてください。 私たちが 話しているときに、です。 私たちは、こう言っています - 苦しみより逃避しないでください。 その苦しみが 何であっても、です。 当然に、物理的な苦しみは - あなたは それを緩和しなくてはいけません。 あなたは、それを 鎮めなくてはいけませんが、 私たちは、心理的な苦しみに ついて、話しています。 人の深い、内的な痛みに ついて、です。 あなたは、それより逃げ去るなら、 それを解決していません。 しかし、あなたが それに留まるなら - あなた自身をそれと 同一視するのではない。 なぜなら、あなたは、 あの苦しみであるからです。 しかし、あなたが、「私はそれと 同一視しなければならない、 私はそれを受け入れなければならない、私は それを合理化しなければならない」と言うなら、 あなたは、苦しみの実際より、 動いて、離れつつあります。 50:45 これらに、付いてきて おられますか。どうぞ、どうぞ。 で、逃避することなく、 それに留まる。 それは、すべてのエネルギー、あなたの すべてのエネルギーが、存在している、 という意味です - 起きてきた、この とてつもないものに、出会うように、です。 その中から、熱情が、出てきます。 「苦しみ」という言葉が、 熱情(パッション)に、その根を 持っています - 辞書では、です。 あなたがそれに入るなら、です - 私はそれらに、入りたくありません。
51:38 で、悲しみに、解決があります。 終わることが、あります。 恐れに、終わることが あるように、完全に、です。 そのときにだけ、愛に 可能性が、あります。 なぜなら、苦しむ人は、愛が 何であるかを、知らないからです。 しかし、私たちは、苦しみから 自分が何かを学ぶだろうと、考えます。 すなわち、苦しみは、 学ばれるべき教訓である、と。 しかし、あなたが、あなた自身に苦しみを 観察し、それより逃避しないとき - 全的に、完全にそれに留まる。 何も、 緩和、慰めの思考の動きもなく、です。 ただ完全に、それを保つ。 そのときあなたは、ふしぎな心理的な 変容が、起きるのを、見るでしょう。
53:07 で、愛は、熱情(パッション)です - それは、慈悲(コンパッション)です。 そして、慈悲は、自らの 智恵を、持っています。 あなたが、どれほどこれらを理解 されるのかと、思われます。 なぜなら、その熱情とその慈悲 - 智恵をともなったもの - なしには、 私たちは、きわめて制限された 意味で、行為しているからです。 私たちの行為すべては、 制限されています。 慈悲が、あるところ、 その行為は、全的で、 完全であり、取消不可能です。
54:00 今、何時でしょうか。 12時ですか。 12時です。 私はまた、これとの関係において、 死の問いをも、話したいと思いました。 このための時間は、ありますか。
54:26 質問者: はい。
54:28 K: いいえ。これは、 ものすごい問題です。 あなたたちがこれを 理解されるだろうか、 私はあまり定かではありません。 言語的に理解するのではない。 どの人物も言語的に、何らかの ことについて、理解できますが、 私たちは、越えていき、 言葉を使っていき、 言葉をとおして 掘り下げていきます - 大変とてつもない 何かの深みへ、です。 そういうわけで、あなたが能力を持って おられるのかどうかと、思っているのです。 あなたが、維持する能力を、持って いるのか - 理解されますか - 死とは何であるかの、この大いなる 問いを、究明するための このエネルギーを、 維持するように、です。 私は、進みましょうか。
55:41 質問者: はい。
55:42 K: いえ・・・ よろしいです。 私は、働いていますが、 あなたたちは、働いていません。 あなたは、語り手に聞いていますが、 あなたは、彼とともに働いていません。 もしも、そうであったなら、あなたの 頭脳は、疲労困憊しているでしょう。 しかし、語り手は、疲労困憊していません。 彼は進められますが、あなたはそうです。 私はそれに、短く入るでしょう。 おそらく、 明日、私たちは、それを拾い上げられるし、 明日また、冥想とは何であるかの 問いに、入られます。 なぜなら、これらすべてのことは、 たとえば権力、権力への要求、 傷、恐れ、楽しみ、執着、 愛など、死と悲しみのように、 この冥想の過程全体の 一部であるからです。 あなたは、基盤を敷いてこなかった なら、とうてい冥想できません。 理解されますか。 私たちは、冥想は、 何かこの獣じみた生より 離れたものであると、考えます。
57:27 そうね、死は、何か神秘的な だけのものではなく、 またそれは、大いなる 浄化の行為です。 理解されますか。 その言葉を理解されますね - 浄めることです。 私は、その言葉を 使っています。 私が使っている言葉を、あなたたちが 理解されないのは、残念です。 私は、進みながら、各々の言葉を 説明するでしょう。 そうね、継続性を持っているものは、 退廃しつつあります。 あなたがこれを理解されるのか どうかと、思われます。 継続し、 反復的であり、 同じ動きの中、同じ 様式の中にあるもの、です。 58:56 様式は、国々により、 気候により、境遇により、 異なるかもしれませんが、 それは、同じ様式です。 どの様式の中でも動くことは、 継続を、もたらします。 ですね?  あなたは それが見えますか。 あの継続性は、 人の退廃過程の一部です。 ところが、継続に、 終わることが、あるとき、 何か新しいことが、 起こりえます。 理解されますか。 これは、単純です。 で、私たちは、 入るでしょう・ ・・ あなたは、死が何であるかの この問いに、入るには、 大変多くの時間が、 必要です。 59:51 あなたは、それを即座に 理解できるのか - なぜなら、 あなたは理解した。 あなたは、生きて、思考の動き 全体を、理解してきたからです。 恐れ、憎しみ、愛としての(それ)を、 です。 よろしいですか。それらです。 そのとき、あなたは、 死が何であるかの意義を、 即座に、掴めます。 しかし、ほとんどの人々は、 この種類の仕事を、しないので、 私たちは、ともに働いて、これに 入らなくてはいけないでしょう - 私は、あなたの導師でないけれども、です。 それで、誰に従う者でもいないでください。
1:00:43 死とは、何ですか。 あなたが、その質問を するとき、 思考は、多くの答えを 持っています。 ですね? 思考は、言います - 私は、思考の悲惨な説明すべてに 入りたいと思いません。 あなたは、注目したことがないですか - あなたが、その質問をするとき、 あらゆる人間が、それに 答えを持っています - 自分の条件づけに応じて、 自分の欲望に応じて、 自分の望みに応じて、自分の 慰めの要求に応じて、です。 よろしいですか。 人は いつも、答えを持っています。 で、できるなら、答えを 持つことなく、見つめて、 見出しましょう - それに答えること なしに、です。 理解されますか。 答えは、間違いなく 知的で、言語的であり、 思考により 組み立てられているでしょう。 しかし、私たちは、全然知られていない、 全然神秘的な何かを、検討しています。 死は、 ものすごいものです。 あなたがこれを できるのを、望みます。
1:02:40 私たちは、訊ねています - 死とは何ですか。 明白に、組織体は、 死にます - 組織体は、です。 どうぞ、少し気をつけて それを聞いてください - あなたが本当に、これにきわめて 深く入りたいなら、です。 どうぞ、自分の注意を、注いで ください。 あなたは、1時間5分か、 10分の後で、少し 疲れているかもしれませんが。 私たちが、その質問、 「死とは何か」を、するとき、 自分は、組織体、身体が その頭脳とともに、 誤用されてきたことを、悟ります - 様々な形の自己耽溺、 矛盾、努力、 常なる格闘の中で、 機械的に、擦り切れてしまいます。 それは、メカニズムです。 それとともに、 頭脳は、死にます。 頭脳は、記憶の残滓、 それを保っているものです。 1:04:11 ですね? 記憶 - 経験として、 知識として、ですが、 その知識、経験から、頭脳の細胞に 記憶として蓄えられている。 そこから、思考が 生じます。 有機体が、終わりになるとき、 頭脳もまた、終わりになります。 ですね?  これに 付いてきておられますか。 ですね?  それで、 思考は、終わりになります。 なぜなら、私たちは言いましたが、 思考は、物質的な過程であるからです。 思考は、何もエーテル的や 霊的なものではありません。 それは、記憶に基づいた 物質的な過程です。 記憶は、頭脳の細胞に、 保たれています。 その応答が、思考です。 有機体が死ぬとき、思考は 死にます。 理解されますか。 そして思考が、「私」の構造 全体を、創り出してきました。 1:05:38 いいえ? あなたが、これらを理解 されるのかどうかと、思われます。 これをほしい「私」、 あれをほしくない「私」、 恐れていて、心配し、 絶望していて、あこがれ、 さびしく、恐れている「私」 - よろしいですか - 「私」です。 その動きは、思考により、もたらされ ます。 それもまた、動きです。 で、その「私」は、思考により 組み立てられていて、 有機体が死ぬとき、物質的な 過程である思考もまた、 終わりになります。待ってください。 きわめてゆっくり、それに入ってください。
1:06:29 そしてあなたは、「それですべてか」 と言います。理解されますか。 よろしいですか。 自分は生きて、格闘して、知識を取得 して、苦しむなどなど、してきました。 そしてあなたは、「それで、 それは終わりなのかな」と言います - 「それの価値は、何なのか」と。 これらに、付いてきておられますか。 付いてきておられるのか どうかと、思われます。 生きて、格闘して、経験してきた 人間の価値は、何ですか。 「それの意義は、何なのか」という 意味での価値、です。 ただ取得する。 そういう醜い、 愚かな、悲惨な、邪な生を、生きる。 それから、終わるだけですか。 よろしいですか。 で、思考は、言います - 「いや、 これは、終わりではない」と。 で、思考は、「別の世界が ある」と言います。 あの別の世界は、やはり、 思考の動きです。 1:07:41 これらに 付いてきていますか。 で、思考は、 別の世界を、創案します。 そこであなたが幸せで あるだろう世界、 そこであなたが、自分の欲望 すべてを充足させるだろう、 そこであなたが、大変とてつもなく褒賞 されて、神の隣に座るだろう世界です。 そのすべても、また 思考の動きです。 これらに 付いてきておられますか。 思考が何をするかを、 見てください。 間違った所での思考の危険を、 見てください。 思考は、正しい所を 持っています - それは、自らが絶対的に 必要な所で、機能することです - テクノロジー、言語、 よろしいですか、それら、です。 しかし、思考が創案して、「あれが ある。 そこにある」と言うとき、 それはやはり、 思考の動きです。
1:08:59 で、そのとき、自分は訊ねます - 頭脳が、終わりになるとき・・・ 頭脳は、終わりになります。 病気をとおし、老齢をとおし、 事故をとおし、 誤用をとおして、です。 幻影の中に生きること、信念の中に 生きることの誤用 - すなわち、 すべての信念は、幻影です。 すべての 理想は、事実に基づいていません。 事実だけが、あります。 理想が、ではない。 で、頭脳は、有機体とともに、 終わりになります。 それで、思考は、 終わりになります。 思考はこれを、きわめて深く悟ります。 なぜなら、思考は、相当にずるいからです。 で、思考は、悟ります - 「これは 終わりではない。 何かあるにちがいない。 私は継続しなければ ならない」と。 で、それは、観念の中、幻影の中、 天国の中に、継続します。 または、地獄の中に、永久に 苦しみつづけて、です。 なぜなら、あなたは、或る司祭者の 法律に、服従しなかったからです。 で、それは・・・どうぞ、 これに付いてきてください。
1:10:25 で、私たちは、言っています - それが、生きる意味の全体ですか、と。 理解されますか。 質問を理解されますか。 あなたは、子どもを産みます。 あなたは 痛みを受けます。あなたは、格闘します。 あなたは、こういう悲惨、 戦争を、経てゆきます。 互いに憎み合う。 互いに好き合う。 そして突然に、終わります。 で、自分は言います - そのとき、 生きることの意味は、何なのか、と。 これらに 付いてきておられますか。 自分はいつも、訊ねています - またもや、どうぞ、聞いてください - 自分はいつも、訊ねています - 死の後に、何が起きますか。 私たちは、全く違った問いを、訊ねて います - 死の前に、何がありますか。 死の後に、何があるか、 ではありません。 私が言っていることを、 理解されますか。 死の前に、何がありますか - すなわち、あなたの生ですね。 1:11:48 あなたの生とは、 何ですか。 学校、専門校、大学へ 行く。 職に就く。 生活する。 男と女が、 ともに生活する。セックス、 彼は、オフィスへ出かけていく。 彼女は もっと幾らかお金を稼ぎに出かけていく。 子どもを産む。 痛み、心配、 各々の人が、闘っている。 付いてきておられますか。 オフィスへ行く - 次の五十年の間、です。 あなたは、何という 生を送るのですか! これが、あなたの生です - 死の前に、です。 そしてあなたは、こういう悲惨な生を 生きていて、知りたいと思います。 あなたは、死の後に、何が あるのかを、知りたいと思います。 ご自身が何をしているかを、 ご覧ください。 私は、あなたのために、 泣きたいですが、 あなたのために泣くことは、 何にもなりません。
1:12:59 で、それが すべてですか。 それは、明らかな事実です。 そうでしょう。 ですね?  付いてきて おられますか。 別の世界を 考案することなく、 「はい、死の後に生がある。 これが ある・・・」と言うことなく - よろしいですか - 思考が 産出してきた物事、そして彼らは、 それについて何冊も書いてきました。 すべて考えるのに基づいて、です。 ですね?  みんなが、「私は 信じている」と言います。 で、あなたがそれらを、脇に 置くなら - 文字通りに、 実際に、そうする。 すべて脇に 置く。そのすべてを脇に、です。 そのとき、あなたは、何に 向き合っていますか。 1:14:04 実際の事実に、です。 あなたは、思考により 組み立てられていますが、 あなたが終わりに なるとの事実、です。 あなたは、それに 耐えられますか。 私が言っていることに、 付いてきておられますか。 あなたは、それの事実が 見えますか。 あなたのすべての心配、あなたのすべての あこがれ、あなたのすべての・ ・・ あなたが死ぬとき、頭脳 - すなわち思考を 保つもの - は、終わりになります。 さて、それが、 今そうであるようなら、 私たちは、何か全然 違ったことへ、入られます。
1:15:11 で、私たちは、 訊ねています。 このすべてが、終わるとき、 何が、ありますか。 理解されますか。 質問を理解されますか。 理解されるのかどうかと 思われます。 ご覧ください。 実際に、あなたが生きて いるとき - 今、生きているように、 活力をもち、エネルギーをもち、 生の苦労すべてを、もって、 今のように、です - あなたは今、生きられますか。 今、死に出会って、です。 質問を理解されますか。 質問を理解されますか。 どうぞ、質問を 理解されますか。 すなわち、私は生きています。 私は、 自分の活力、エネルギー、能力をもって 生きています。 痛み、その他 すべてはあるが、私は生きています。 そして死は、その生きることにとって 終わることを、意味しています。 ですね? さて、私は、私の生きることへ 終わることを、持ち込めますか。 1:16:38 私が話していることを、 理解されましたか。 すなわち、いつの時も、 死とともに生きる。 私が話していることを、 理解されますか。 すなわち、私は、あなたに執着して います。 その執着を終わらせなさい。 - それが、死なのでしょう。 これを ご覧になるのかどうかと、思われます。 私は貪欲です。 あなたが死ぬとき、 あなたは、貪欲を持ってゆけません。 で、貪欲を 終わらせなさい。 一週間後や十日後に、ではない。 今、それを終わらせなさい。 で、あなたは、生を 生きています - 活力、エネルギー、 能力に満ちて、観察。 世界の美しさ、大地の 美しさを、見る。 そしてまた、それが終わること、 即座に、です - それが、死です。
1:17:41 で、前に生きることは、 死とともに生きることです。 何かを 理解されますか。 何かを 捉えられましたか。 それは、あなたが、時のない世界に 生きている、という意味です。 理解されますか。 あなたは、生を 生きています - 常に・ ・・ あなたは、取得するものすべてを 終わらせつつあります。 それで、いつも、ものすごい 動きが、あります - あなたが固定されている 一定の所、ではない。 これらをご覧になるのか どうかと、思われます。 あなたは、これらを できますか。 あなたは、これらを するのでしょうか。 または、ただ聞いて、 こう言うのでしょうか - 「まあ、これは、もう一つの 観念、もう一つの概念だ」と。 1:18:52 これは、概念では ありません。 あなたが、死を 招くとき - それは、あなたが保つものすべてが 終わる、という意味です - 毎日、毎分、それに 死ぬ、ということです。 そのときあなたは、見つけるでしょう - 「あなたが」ではない。 あるのです。 そのとき、それを見つける 「あなた」は、ありません。 なぜなら、あなたは 去ってしまったからです。 そのとき、時のない次元の あの状態が、あります。 そこには、私たちが時として 知っている動きが、ないのです。 これらを理解されるのか どうかと、思われます。
1:19:54 私は、止めなければなりません。 今、何時ですか。 12時30分。 私たちは、明日、 これを継続するでしょう。 なぜなら、これが、冥想の 深さであるからです。 理解されますか。 それは、あなたの意識の内容を 空っぽにする、という意味です。 それで、何も時が、 ないのです。 時は、終わりになります。 それが 死です。理解されますか。 十年後や、五十年後 ではなく、今、です。 よし。
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