OJ79D4 - 何が、私たちが変化するのを、妨げているのか home
第4回公開討論会
カリフォルニア、オーハイ
1979年4月19日

0:49 K: これらの議論を行うことは 甲斐があると、お考えですか。 なぜなら、見たところ、私たちは けっして問いを解消しない・ ・・ まさにそれの終わりに、 来ないからです。 私たちは、こうも 多くの問いを持っています。 一人一人が、自分が言いたいことを 言っています - 不適切です。 で、私たちは - これは最後の討論なので、 私たちは二人の友として、じっくり 話し合えるでしょうか。 対話ですが、 私たちのみんなに共通 した主題を、選び、 それのまさに終わりへ、 一歩一歩、行けるでしょうか。 私たちは、それをできるでしょうか。 それは、甲斐があるでしょうか。 では、どうぞ、あなたの 主題を選んでください。
1:53 質問者: 私たちが火曜日に話して いたことを、継続しましょう - 責任について、です。
2:08 K: 私たちは、前の火曜日に話していた ことについて、議論できるでしょうか。 責任です。 またもう一人は、自由、愛、 責任を、提案されます。
2:25 質問者: 私は、お訊きしたい 問いを、持っています。 私は、それを書き留めています。 私は・・・(聞き取れない) それであなたは、それが聞こえる でしょう。 私はそれを書き留めました。 たぶん彼が、それを、 あなたへ読み上げるでしょう。
2:35 質問者: 彼は言います - あなたは五十年 以上、人々へ話してこられましたし、 また、これらの学校もあります。 ここのものと他の国々のそれら、です。 この時間すべての中、この話す中から、 これらの学校の中から、 そこでは 唯一人の人間さえも、 全的な根本的変容が、 引き起こされたのですか。
2:55 K: あなたは、この国のここ、 カナダ、イングランドに学校を、 インドに五、六の学校を 持っています。 そしてあなたは、 五十年以上、話してきたが、 変容した人間が、 唯一人も、いましたか。 あなたは、それについて議論 したいですか。 
3:26 質問者: いいえ。
3:28 質問者: 私たちは、それに 関係づけられるでしょうか - 私たちの変容を妨害して いるものの議論を、です。 私たちはここに来ているし、私たちの 多くは、変容したいと思うことでは、 きわめて真剣であると、 思います。
3:39 K: 私たちは、あなたがいう変容 とはどういう意味かについて、
3:47 真剣に議論するでしょうか。 質問者: 何が 妨害していますか。
3:50 K: 何が変容を妨害しますか。 人間精神が それら自身に変容を 本当にもたらすのを、 何が妨害しますか。 あなたは、それについて議論 したいですか。 
4:08 質問者: はい。
4:10 質問者: 提案しても よろしいですか。 私は、あなたがなさってきた開拓を 高く評価します。 ありがとう。 私もまた一時、コズミック・ レディー として知られた開拓者ですし、 UFOと時間旅行と新しい夜明けが 来つつあるとの事実を、熟考します。 宇宙意識における 量子的な飛躍です。 私は、それらの思考を、 この偉大な種子の集会の中へ、 議論のために出したいと 思います。
4:35 質問者: 彼女は、 こう言います - 私は、コズミック・ レディー として知られています。 私は、UFO や新時代の夜明け といったことに、興味があります。 私たちはそれを、議論に 持ち込めるでしょうか。
4:46 K: できるかもしれません。 で、あなたは、議論したい、 ともに話し合いたい、 一歩一歩、行きたいと思います - 私たちがともに何かを議論するなら、 まさにその終わりまで、 です。 すなわち、 あなたがその主題を選びたい のなら、なぜそうですか。 または、根本的な変容を もたらすことは、可能ですか。 そして、私たちを妨げるものは 何ですか。 
5:20 質問者: はい。
5:24 質問者: それへの関係に おいて、私たちは、 観察者なしの観察について話せ ますか - それをする芸術、です。
5:30 K: それは、とても 良い問いです - 観察者なく見ることの 芸術です。 おそらく私たちは、 議論する中で、 その問いを 含められます - 変化をもたらすことは、 可能なのかどうかと、 何が私たちを阻止して いるのか、ですね。 私たちはこれについて 一歩一歩、議論し、 それのまさに終わりへ、 行くでしょう。 その途中で止まって、他の何かに ついて話すのではなくて、です。 私たちは、それをできる でしょうか。 
5:58 質問者: はい。
6:00 K: いいです。 やっとです!
6:03 質問者: 私たちはまた、能力と、 自己の受け入れについて 話すことをも、 含められるでしょうか。 K: 能力と・・・
6:11 質問者: 自己の受け入れ。
6:12 K: 自己の受け入れ - 私は、それが どういう意味かを、知りません。
6:14 おそらくこれらすべての 問いは、ここに含められます。 進んでいいですか。
6:22 質問者: はい。
6:32 K: まず第一に、私たちがいう 変化とは、どういう意味ですか。 私たちがいう、私たちの意識に 変容や変異をもたらすとは、 どういう意味ですか。 理解されますか。 それが、 その意味するところです。 それは、何を 表示しますか。 変化、変異の意味とは 何ですか。 それらはすべて、同じ言葉 - 変容です。 私たちがいうそれは、 どういう意味ですか。 私は少し前進しても いいですか。 それは、変化ですか - もしあなたが、自分が何へ変化しつつ あるかを、知っているなら、です。 質問を理解されますか。 あなたがならなければならない ものを、知っているなら、 それは変化ですか。 いいえ。 ゆっくり行って、 気をつけて考え抜いてください。 自分が、観念、概念、結論、 目的を持っているなら - すなわち、あなたがそれへ順応する もの、あなたが変化していくものや、 これからあれへ、ですが - それは、変化ですか。 8:12 またはそれは、同じものの、 修正された継続ですか。 質問を 理解されましたか。 自分が何であるべきかを 投影するかもしれません。 それの投影は、 自分の欲望から、 自分の信念、 自分の要求からです。 そして、あなたは それを投影します。 あなたは、あれになりたいとき、 あなたなるものになりつつあります。 おそらく、わずかに修正されて、 です。 それは明らかですか。 で、私たちが、目的を持つか、 もくろみを持っているとき - 私たち自身の経験により、 私たち自身の知識から、 私たち自身の信念と結論と 意見から、投影されて、です - そういう動きは、まったく 変化ではありません。 私たちが、次の一歩を進める前に それについて、話し合いましょう。
9:44 もし「私は善くあるために、 自分自身を変化させなければ ならない」と言うなら、 その善さは、概念です。 観念です。 または、一連の結論です - すなわち、 あなたが順応しているものや、 あなたがこれからあれへ変化しつつ あると考えるもの、です。 私たちは訊ねています - それは、いったい変化ですか。 それは部分です。 それは、あり つづけたものの継続でないですか。 自分が、新しい経験を 欲望し - 私はそれを、例に 取っています - その経験を求めて 奮闘するなら、 そしてあなたが、求めて奮闘している あのものを、経験するとき、 あなたは、それを認識でき、 「これが、何か私が感じているもの、 私が経験しているものだ」と 言えるにちがいありません。 11:16 それは、あなたがすでに、それを 認識した、という意味です。 ゆえに認識は、あなたが すでに経験していたことを、 再び認知する、 という意味です。 それをご覧になるのかどうかと 思われます。 いいですか。 私たちはそこで、 互いに出会っていますか。
11:42 質問者: それはとても容易い。あなたは それを、知的に理解できます。 そのとき、あなたはそれをして いないと、自分自身を欺瞞し、 時間をたくさん無駄にし つづけることは、容易いです。
11:52 K: 全く同意いたします。 ゆえに、私たちはこの事実を、事実と 見ますか - 観念として、ではない。 すなわち、これからあれへ 変化すること - あれは これの投影ですが、 そのとき、それは、そもそも 変化ではないことを、です。 それは、いつも北の方向へ 動くことに、似ています - さらに、さらに、さらに 行くが、同じ方向へ、です。 ゆえに、それは 変化ではありません。 しかし、あなたが北へ行っている が、全く正反対へ行くとき、 それは、変化、変異です - 南や東や西へ、です。 12:43 あなたは、一つの方向から、 一つの次元から、 全然別の方向、別の次元へ 動いたのです。 それは変化です。 しかし、あなたが、同じ 方向へ、進みつづけるなら、 もちろん、 修正はあります。 景色の変化、 経験の変化はありますが、 それは、同じ方向に あります。 それは明らかですか。 私たちは そこから進めますか。 それについて、じっくり 話し合いましょう。
13:20 質問者: 私たちは、精神がそれに ついて何をするかを、知っています。 K: もちろんです。
13:27 質問者: それは、あれが聞こえて、 「いいよ、私がほしい変化は、 南へ行くことだ」と言います。 K: もちろんです。 ゆえに、見出してください。 ご覧ください。 自分は北へ行っています。 あなたは、同じ方向へ行くことは まったく変化でないのを、悟ります。 で、あなたは、 そのとき変化は、正反対、 すなわち南へ行くことを 意味すると、言います。 しかし、あなたは、 南へ行きつづけるなら、 それは、同じことに なるでしょう。 ただ見てください。 ただゆっくり、 ゆっくり行ってくださいね。 で、何かきわめて深刻な ことを、発見したのです。 すなわち、何も方向を 持たないのです。 初めにただ・ ・・ 一歩一歩、行ってください。 初めの一歩は、自らが願望すること、 変化したいと思うことです。 14:26 それは、相当に 智恵ある要求です - 自らがそもそも 気づいているなら、です。 そのとき自らは、訊ねます - 私たちが いう変化とは、どういう意味ですか。 一般的に、知られたものから 知られていないものの方向へ 動くことを、 含意していました。 私は、違った言葉を 用いています。 私は、知られていないものに ついて知りませんが、 私はそれへ向かって 動こうとします。 しかし、それは 同じ方向です。 で、変化は、 どの方向に向かっても どの動きをも持たないことを、 含意しているのを、発見する。 それは、あなたが同じ所に留まって いる、という意味ではありません。 これをお分かりになるのか どうかと、思われます。
15:28 質問者: あなたは本質的に、 同じ所に留まっていませんが、 あなたは止まるか、終わらなくては いけないように、思われます。
15:35 K: いいですよ。 あなたが止まるなら - あなたはずっと 北へ行っていました - そして、あなたが止まるなら、 なぜあなたは、止まりますか。 別の方向へ行くためですか。 見出してください。 東へ行くのを止める。 あなたが、その方向へ 行くのを止めるなら、 実際に何が起きますか。
16:13 質問者: あなたは、 別の方向を、探しまわります。
16:16 K: はい。そのとおりです。 あなたは、方向を探しています - それが南南東でも、 南南西などでも、です。 いつも、或る方向へ 動いている。 私たちは、そういう動きはまったく 変化をもたらさないと、言っています。 まず第一に、これがどんなに 複雑であるかと、 少し微妙さを必要とするかを、 見てください。 すなわち、精神はいつも、動いて きました - 横へ、水平にか垂直にか、 すべての程度、変わりやすい 程度をともなって、です。 いいですか。 それは明らかですか。 で、それは今、その円周の中で 動くよう、条件づけられています - 水平に、直線的に、 垂直に、 そして、水平、直線的、 垂直の間で、様々な程度です。 それが、私たちが 慣れているものです。 それが、私たちが 変化と呼ぶものです。 それが、私たちが進歩と 呼ぶものです。 いいですか? これをお分かりになるのか どうかと、思われます。
17:58 質問者: 精神は、生物学的過程の面倒を 見るよう、動かなくてはいけませんか。
18:02 K: 私たちは、そこへ来るでしょう。 私たちは、そこへ来るでしょう。 初めにただ、これの意義、 それの意味、それの内面性を、 ご覧ください。
18:23 質問者: これは、外と内への私たち の習慣的な応答でないですか。
18:27 K: 存じています。もちろん、 それが、私たちが言ったことです。 これが、私たちの生です。 これが、私たちの生きざまです。 私はこの方向へ押しやられます。 自分は、この方向へ押しやられます - 様々な影響、欲望、 目的によって、です。 それが、適していないなら、自分は、 別の方向へ駆り立てられます。 一つの程度から別の程度への この常なる動きが、 進歩、変化と、あらゆる種類の 物事と、呼ばれます。 知識を取得する。 動く - いいですか? で、私たちは 訊ねています - それはそもそも 変化であるのかどうか、です。 私たちは、変化について 議論しています - 深い根源的変異、変容、心理的 革命、という意味で、です。 それが、私たちが 話していることです。 私たちは常に、それに留意して おかなければなりません。
19:30 質問者: それは、「さとり」 と呼ばれるものですか。
19:35 K: さて、ちょっと お待ちください。 あなたが、「さとり」という 言葉を、使った瞬間 - 日本の禅の 冥想と体験です - あなたは比較して おられますね? あなたが、「それが、あなたが 言うものですか」と仰るとき、 あなたは比較しています。 そうですね? あなたは、比較している瞬間、 観察していません。 あなたは、比較の動きに 捕らわれています。 あなたは見ていません - 指摘 するのを許してくださるなら、です - すなわち、あなたは、私たちの 精神がどう作動するかを、 実際に 観察していないのです。 あなたはそれを、「さとり」と呼ぶかも しれません。 インド人、ヒンドゥーは それを、「サマーディ」と呼ぶかも しれません - 様々な言葉で、ですが、 それは、何も 意味がありません。 意味があるのは、自分の精神が いつも一定方向へ動いているのか どうかを、見ることです - 北、南、 南東、300度や150度と・・・
20:49 質問者: 私は、動かない、 方向を持たない、 立ち止まらない、という観念に、 困っています。
20:55 K: そうなんです。お待ち ください。見出しなさい。 見出しなさい。 そこに何が含蓄 されているかを、見てください。 そうね、これは、きわめて 深刻な問いです。 なぜなら・・・ 私はこれに、あまりに深く、 あまりに速く入ってはなりません。 これが明らかであるなら - すなわち、どの方向的な動きも、 変化ではない。 変異ではない。 その言葉こそが、何か 全然違ったものです。 これは、明らかですか。 私たちは、そこから進めますか いいえ・・・言語的にではない。 あなた自身で、です。
21:45 質問者: それは、明らかに 思えません。なぜなら、私たちは 方向を持っていないなら、 かなり無感動にならないですか。
21:52 質問者: 私たちは方向を持っていない なら、それは無感動でないですか。
21:56 K: いいえ。待って、待って。 これを聞いてください。 無感動は、同じ方向へ 行くことではないですか。 いいえ。 それをご覧ください。 あなたは質問をされました - あなたは、方向を持っていない なら、ただ崩壊しませんか。 無感動、エネルギーの 無活動が、ないですか。 お分かりですか。 それは、自らが本当に 無感動である、という意味です - あなたが、同じ方向へ 動いているとき、です。 それは、課業で、 機械的です。 自らは教訓を学んできましたし、 あなたはそれを反復しつづけます。 自らは、フロイト派です。 続けていきます。 またはゲシュタルト派です。 または 何か他の最新の心理学者です。 あなたは、その線に従います - はるかに容易い。 しかし、「さあ。 可能性が あるのかを、見出そう。 そこに方向がない動きの可能性が」 - ただそれを聞いてください - 「あるのかどうかを、 見出そう」と、言う。 ああ、これはあまりにすぎる。 あなたは これらに入ったことがありません。 これは、あまりにすぎる。
23:29 質問者: 覚りは、あなたが 話しておられることと、 何か関わりが、ありますか - すなわち、もしも私たちが すでに、有るものの一部 であることに、気づいたなら、 何も方向がなくて・・・
23:38 K: そこには、危険がありますよ。 それは、ヒンドゥー教徒が三千年か 五千年の間、言ってきたことです。 「私たちは内的にブラフマン、 神、最高原理である。 様々な生と経験をとおして、 私たちは、自分の無知を 剥がそうとしている。 そしてついに、私たちはあの 究極のものを、達成する」と。 それは仮説です。 それは 信念です。それは観念です。 またそれは、方向的です。 いいですか。 これは 本当に、なかなか困難です。 あなたは、なかなか、きわめて 困難な主題を、選ばれました。
24:27 質問者: 方向の本性とは 何ですか。
24:34 K: 物理的な方向は、 ヴェンチュラか、サンタバーバラか ロサンジェルスの方へ 行くことです。 あなたは、道路を 通って行きます。 なぜなら、あなたの家がそこに あるからです。 方向があります。 あなたが、教育されていて、 学位を持っているなら、 それは、特定の職に就く ための方向です - 教授、科学者、心理学者 などなどなどと。 で、文化的に私たちは、或る方向に 機能するよう、条件づけられています - 特定のか、曖昧にか、冥想的か 宇宙的な方向に、です。 ですね? あなたは、一流の 技術者になります。 余生の間、あなたは、 それを追求します。 25:29 あなたは、すばらしい物理学者 です。そうでいらっしゃる - ノーベル賞とその他すべてです。 あなたは、それに従います。 そして宗教的な集団は、一定の概念を 持っています - それに従います。 あなたが選んだこれは、きわめて きわめて困難な主題です。 きわめて深く、それに 入りたいなら、あなたは、 これに精神を 注入しなくてはいけません - ロマンチックな 娯楽だけではない。
26:00 質問者: これは、自らが、最も 微細な形の理想や観念にも よく気づいていなくてはいけない、 という意味ではないですか。
26:08 K: もちろんです。 もちろんです。 で、私たちは訊ねています - 変容は、ずっとあったものを 根こそぎにすることを、 含意しているのではないですか。 ずっとあったものを 修正するのではない。
26:44 質問者: 私たちは変化を知りえない という含意で、仰っていますか。
26:48 K: そのとおりです。 あなたが、「私は変化した」 ことに気づいた瞬間、 あなたは、変化していません。 それが、それの美しさです - あなたがこれを ご覧になるなら、です。 いいえ。 注目なさった ことがないですか。 あなたが「私はきわめて 幸せだ」と言った瞬間 - これに注目なさった ことが、ないですか - 何かが、あなたから 逃亡したのです。
27:27 質問者: 私たちが変化と呼ぶもの、 私たちが成長と呼ぶものは、 変容のための能力を 消散させます。
27:32 K: はい。生物学的な 成長が、ありますね - 子どもから青年期と 成人期へ、そして死ぬ。 過程全体です。 そうね、あなたは、 自らが何かひどく困難なものに 入り込んでしまっています。 すなわち、進化の生物学的な 過程が、あります。 精神、頭脳の養成、 そしておそらく、人は 成長するとの、その観念 - 子ども期から 青年期などへ、です - それがまた、私たちの変化の 観念なのかもしれません。 よろしいですか。 私は 子どもであり、成長して・・・ で、心理的に私たちは、同じ観念を 持っているかもしれません。 この生物学的な成長と 進化と衰退 - 私たちはまた、心理的にも 同じものを、持っています。 で、私たちはこう 言っています - 変容は、 時と度量として 動かぬことを、含意しています。
29:02 質問者: 私たちは、気をつけて 度量と方向へ、入ってきました。 私たちは、時について 少し話せるでしょうか。
29:08 K: はい。私はそれへ来ようとして います。初めに、ただ見てください。 私たちは、いつも 測量しているのでしょう。 私はそうであった。 私はなる であろう - いいですか? あなたがこれに入られたのか どうか、私は知りません。 神様! 西洋の哲学と心理学全体が 測量に、基づいています。 テクノロジー的にも - いいですか? - あなたは、度量を 持っていないなら、 軍艦や航空機を 製造できません。 あなたは、定規、測量を持た なければなりません。 そうですね? 西洋文明の全体が、 それに基づいています。 なぜなら、思考は 測量であるからです。 いいですか。 それを お分かりになりますか。 何でもここからそこへ 動くものは、測量です。 これは、あまりに困難ですか。
30:26 質問者: いいえ。
30:28 K: あなたがそれに入るなら、 これが、冥想の本当の意味です。 これは、あまりに 困難です。
30:42 で、東洋の世界もまた、古代の 日々に、言ってきました - 「測量は幻影である。 「測量不可能なものを発見するには、 測量があってはならない」と。 あなたが入ったことがあるのかどうか、 私は知りません - 自然に、です。 しかし、彼らは、測量不可能なものを 達成するために、思考を使用しました - あなたは、制御しなければ ならない、冥想しなければならない、 あなたは、犠牲に しなければならない、 あなたは、きちんと 振るまわなければならない、と。 すべての様式が、測量を とおして、定められています。 その測量は思考です。 これらに付いてきておられますか。 これはどうかと思われます。
31:30 質問者: 私には、物理的な測量は 必要であると、思われます・・・
31:39 K: もちろん、物理的な 測量は、必要です。 あの椅子を作るには、測量を 持たなければなりません。
31:47 質問者: 私は、自分が宗教的だと 考えるとき、椅子を作るために 測量するのを止めていいかも しれません。それはばかげています。
31:55 質問者: 彼はこう言います - 私が 自分が宗教的だと考えるとき、 私は、椅子を作るために 測量するのを、止めます。
32:01 K: ああ、いえ、 いえ、いえ。 宗教的な人は、測量して、 椅子を作るかもしれません。 いいえ。 あなたたちは、あまりに 多く混ぜつつあります。 あなたは、継続的に考えていません。 それは、その一番悪いところです。
32:19 質問者: 思考の本性は、過去から 現在へのその動きにおいて、 比較であると、思われます。
32:25 K: ご覧ください。 私たちは「変化とは何ですか」 と訊ねて、出発しました。 もっと多くがあるかぎり - それは測量です。 比較、すなわち 測量です - 「私はそうであった。 私はなるで あろう」は、測量です。ですね? で、精神のこの動く 能力が、あるかぎり - これからあれへ、そしてあれ へと、あれへとあれへ、です。 それは測量の継続です - 変化はありえません。
33:12 質問者: 能力があるかぎり、 変化は、ありえませんか。
33:15 K: いえ、いえ。 測量の能力が、です。
33:23 質問者: 仰るそれは、心理的な測量の 能力、という意味ではないですか。
33:29 K: 私は、「測量」を使いも しないでしょう。 なぜなら、 それはあまりに・・・
33:35 よろしいですよ。 さあ・・・
33:37 質問者: 「能力」を使われるとき、 能力は、思考の一部ですか。
33:40 K: もちろんです。 ご覧ください。 自分は変化したいと 思います。 なぜなら、自分が無知である ことを、見るからです。 あなたは、 外的な物事について 大変多くの知識を、 持っているかもしれません - どう月へ行くのか、爆弾を 作るのか、軍艦を建造するのか、 または、優秀な配管工、 電気技師や物理学者になる。 それは相当に・ ・・それはされ なければならないことを、悟ります。 また自分自身にも 言います - 私は、自分は、どうやって 変化することになるのか。 そして、変化するとは どういう意味なのか、と。 それが、私たちが関心を 持っていることです - 変化するとは どういう意味ですか。 34:39 私たちはいつも 変化してきました - これからあれへ、あれから あれへ、同じ方向で、です。 それは明らかですか。 よろしいですか。 方向が、北、南、東、西、 南南東や南南西であれ、 それは、いつも 方向的です。 ですね? さて、それは 変化ですか。 私たちは、それは 変化であると、考えます。 しかし、それは 基本的な変化ですか。 または、それは 変化ではない。 しかし、方向的な動きを まったく持たなくて、 動きを持つ精神を、 持つ。 これをお分かりになるのか どうかと、思われます。
35:52 ご覧ください。私たちは特定の方に 自分のエネルギーを消費します - 性的、野心的、競争的、 貪欲、工学、成功・ ・・と。 私たちは、これらすべては人を変化 させてこなかったと、言っています。 いいですか? 同意なさるでしょうか。 彼らは、修正してきました。 彼らは より良い道路、より良い車、 より良い航空機、より良い殺し方 などなどなどを、造りますが、 心理的に、内的に、人は 変化してきませんでした。 人は、古代の日々から 今まで、恐れてきました。 人は、古代の時から今まで、 暴力的であったのです。 37:02 人は、記録なき時から、 妬んで、残忍であったのです。 で、人は、深く変化 してきませんでした。 そして、自らは 訊ねます - なぜですか。 いいですね?  人とは、あなたと 私、人間たちです。なぜですか。 それは、人がいつも、動きは 方向的でなければならない、と 考えてきたからですか。 成長は方向的で なければならない、と。 生物学的には、そうです。 どんぐりを植える。 それは オークになるでしょう。 それは、時間が 掛かるでしょう。 で、なぜ人、人間は、根源的に 変化してこなかったのですか。 私はあなたに、お訊きして います - なぜですか。
38:01 質問者: 精神が常なる動きにある ことが、妨げでないですか。 それは、自分が動かなくては いけないと考えます。 
38:12 K: マダム、 私はあなたに個人的に 訊ねていません。 なぜあなたは 変化してきませんでしたか。
38:20 質問者: 私たちは そうしたくなかったからです。
38:22 K: ああ、あなたは、充分な エネルギーを、持っています。 あなたは、何かをほしいとき、 それを得ます - それがセックス、お金、地位でも、 何でもほしいものを、です。 あなたは、無量の エネルギーを、持っています。
38:42 質問者: 彼女は、私たちは 変化したくなかったから、 そうしなかったと、 言いました。
38:47 K: もしもそうしたかったなら、 あなたは何をするのでしょうか。 それは、同じことになります。 分かりますか。
38:55 質問者: もしもそれが起きたなら、 あなたは、それを知らないでしょう。
38:59 K: ご覧ください。もしも変化 したかったなら、あなたは 何をするのでしょうか。 私は あなたにお訊きしています。 あなたは、意志を 行使するでしょう。 あなたは、「私はあれを達成しな ければならないな」と言うでしょう - それは、あなたがすでに或る 方向へ動いている、という意味です。 それをあなたは、 千年の間、してきました。
39:24 質問者: 困難の一部は、 或る方向へ動くものが 自らの動きを観察しない、 ということではないですか。
39:32 K: 部分的には、ね。
39:34 質問者: あなたが示される説明は、 ものすごく明らかです - それは、とても明白に思われますが、 けれども、そこに何かがあって・・・
39:40 K: 私は一分間で、あなたに お示ししましょう。 私たちは一歩一歩、それに 入ろうとしています。 私たちは言いました - 私たちを 妨げているのは、何ですか。
40:02 質問者: 変化したがるのは、変化する ことへの最初の妨げの一つです。
40:12 K: そのときあなたは、あなた なるものを、受け入れます。
40:18 質問者: 私たちは、また それをもできません。
40:28 質問者: でも、私たちが 言ってきたことは、 私たちが知っている 唯一つのことが 私たちが変化しないこと、 変化ではないものです。
40:36 K: マダム、それが、私があなたに お訊きしていることです。 なぜあなた、人間は、 変化してこなかったのですか。 あなたは、論点に 出会っておられません。 見出してください。 ご覧ください。 あなたは、タバコを 吸うかもしれません。 それは、習慣になったのです - ニコチンと、その他すべてです。 あなたは、それが自分の健康に とって、きわめて有害であるのを、 知っています - 自分の頭脳にとって 自分の心臓にとって、ですが、 あなたは、やはり つづけていきます。 あなたは「さて、なぜ私がそれを落とさ ないのかを観察しよう」と言いません。 あなたが、自分の健康のため、何か 他の理由のために、それを落とすなら、 あなたは実際に、それを 落としつつありません。 いいですか?  あなたは、タバコを 落とすかもしれませんが、 動機は、根本的に変化 することではありません。 それは、変化することですが、 タバコを落とすだけです。 何ですか。 何ですか。 私が何を伝えようとして いるかを、理解されますか。
41:54 質問者: それを、もう少しよく 説明していただけるでしょうか。
41:56 K: もう少し良く、ね。 いいですよ。 なぜあなたは、 タバコを吸いますか。 それは一回目、かなり不快な 味がしたにちがいありません。 いいですね?  しかし、あなたの まわりの人々は、タバコを吸います。 それはおそらく、良い味がします。 で、コマーシャルがそう言います。 で、あなたは、初めて タバコを吸います。 それは不快ですが、それから あなたは、その習慣に填まります。 そのとき医師たちがやってきて、 「それはあなたの健康に、 あなたの肺に、とても悪い」 と言います。 「発がん性だ。 あなたの頭脳にとって、 それは鈍らせる」等々と。 すべての医師が、 こう言っています。 何の理由のために、あなたはタバコを 吸うのを、止めるのでしょうか。 あなたは怯えています。 それで、あなたは、 「おやまあ、私は 痛みを受けるだろう。 だから、私はタバコを 吸ってはならない」と言います。 43:05 タバコを吸いたい欲望が、 止まっていいかもしれませんが、 あなたは、他の欲望を持っています - 付いてきておられますか - それは、自らの習慣を 持っています。 で、あなたはいつも、動いています - 私たちは同じ点に戻ってきます - あなたはいつも、一つのものを落とし、 別のものを、拾い上げています。 これが、現代世界です。 一人の導師から別のへ行く。 一人の導師は、他のより良い。 または、一つの宗教は、 他のより良い。 一つの宗派は、他のより良い、 などなどと、です。 しかし、それはいつも、一つの 中心から別の中心へ、です。 いいですか? これは 明らかですか。動きましょう。
44:03 で、私たちは、こう言って います - どの思考の動きも、 特定の方向に投影されて、 その目的を達成するのは、 人の基本的な変容では ないのです。
44:30 質問者: あなたが 仰っていることは、 誰かが完全に一人で立つことが できることを、含意しています。
44:36 K: いいえ。「一人」という言葉は 当面、放っておいてください。
44:41 質問者: あなたが 仰っていることは、
44:44 私たちは満悦を探しては いけない、と? K: はい。 いいえ。 そのときあなたは、それを こうも小さな事柄へ、還元したのです。 満悦 - なぜあなたは、 満悦したいのですか。 誰が満悦することになりますか。 よろしいですか。なぜあなたは・・・ で、前進しましょう。 さもないと、私たちは・・・
45:12 で、変化は、思考が動かぬ ことを、含意しています。 これは・ ・・ お分かりですか。いいですね? なぜなら、思考は、「私は あれがほしい」と言うからです - 「私は、あれを持ってきた。 あれは充分ではない。 私は、あれを持たなければ ならない」と。 それで、それは常に、動いています - これからこれへ、これへ、これへ、と。 それが一般的に、私たちが 変化と呼ぶものです。 私たちは、「いいえ。 それはまったく 変化ではない」と言っています。 変化は、思考が、自らがそれへ 向かって動いている対象を、 持たないときを、 含意しています。 それは、覚り、神を 投影してきたし - それが何を投影して きたのであっても、です - 「それが達成されなければ ならない」と言います - 「ゆえに私は、犠牲に しなければならない。 私はこれをしなければならない。 私はあれをしなければならない」と。 しかし、それは 同じ方向に、あります。
46:27 質問者: これが、自らがしてきた ことであるのは、分かります - 方向へ動いてきた。方向への動きは すべて同じであるのは、見えるが・・・
46:35 K: 待って、待って。 そうなのですか。 あなたはそれを言語的に、知的に見てき ましたか。または、真理としてですか。
46:48 質問者: 見たところ、そうして きていません。なぜなら・・・
46:50 K: それが論点です。それに 拘りましょう。なぜですか。 あなたは、こう言います - 私たちは 互いに話してもいいですか - あなたは、「私は言語的に、知的に このことを明らかに見る」と言います。
47:06 質問者: 私はそれを事実 としても見られます。 これは私が過去にしたことです。あれは 事実です。 
47:13 K: あれは事実です。 そして私は、言います - 何が阻止しますか・ ・・ なぜあなたはそれを、自らの全存在 でもって、全体として見ませんか。 何があなたを 阻止しますか。
47:25 質問者: 動きの瞬間に、動きの 気づきはないと、思われます。
47:33 K: はい。進んでください。 もう少し説明してください。
47:37 質問者: 方向への動きが 起きつつある瞬間に、 これは動きであるとの 気づきは、ありません。
47:52 質問者: 方向が起きつつあるとき、 方向への気づきは、ありません。
47:56 K: 私は確かでは ありません。 あなたが何を仰っているのか、私は まったく確かではありません。 私は、あなたが間違っている とは申していませんが、 私は確かではありません。 すなわち、 自分は、下院議員になりたい。 あなたはそのために、働きます。 あなたは、自分が行きたい 方向を、知っています。 あなたは、すべての含蓄、すべての 悪さ等に、気づいています。 あなたは、あの方向へ 行きつつあります。 あなたはまた、 覚りをも開きたい。 あなたは本を読むし、あなたは、 含蓄されていることを、研究します。 そして、あなたは、 「覚りを達成するために、 私は、一定のことをしなければ ならない」と言います - 禁欲、清貧、等々です。 で、あなたは、あの様式へ順応します - あなたが、あれをほしいなら、です。 あなたは、自分が意図的にこれを しているのを、知っています。
49:06 質問者: それをほしがる 瞬間こそに・・・
49:12 K: あなたはそれに気づいていない かもしれません。 質問者: はい。
49:15 K: 問いを理解されましたか。 覚りをほしがる瞬間に、です。
49:18 - 私はその言葉を 取り上げています。 どうぞ、その言葉は、意味を 失ってしまいました。 導師の誰でも彼でもが、 覚りについて、話します。 で、それは、自らの活力、深さ、 美しさを、失ってしまいました。 で、その言葉が普通に使われて いるように、私たちは、 それを使うでしょう - 覚り、です。 さて、あなたは、覚りを探し求めます。 自分は、覚りを探し求めます。 その探求の原因は、 何でしたか。 あなたは、それを意識 しているかもしれません。 それを意識していない かもしれませんね。 で、あなたが、覚りへ 向かって動く前に、 明白に、健全な人は訊ねます - なぜ私は、それをほしいのか。 理由は何ですか。私は 生に飽きていますか。 50:15 私は、自分の職に 飽きていますか。 私は、自分の妻、彼女など などに、飽きていますか。 そして私は何かをほしい。 私はこうも 多くの物事を、経験してきたが、 これは、全然違った種類の 経験なのかもしれません。 で、私は、あれが 好きなのでしょう。 で、意識的にか、無意識的に、 この動きへの認知が、あります。 あなたは、この動きの この構造全体に、 実際に気づいていない かもしれませんが、 明白に、自らが気づいて いても、気づいていなくても、 この動きは、起きます - これであるのから、あれ、です。 で、私が指摘してもよろしい なら、あなたは、 自らは、自分がそれに気づいて いないとは、とうてい言えません。
51:16 質問者: クリシュナムルティ、 私は、あなたが変化の概念を どう用いているかを、 評価し、受け入れますが、 私自身は、自覚的な、地上の 身体での時間旅行者として、 どの与えられた瞬間にも、多くの 水準で、何百万もの物事が、 誕生し、死亡し、変態して いるのを、信じています。 そして、私たちは今、或る時代や 時に、来つつあるのだ、と。 何も偶然の一致は ありません。 そこでは時間と空間の偉大な精神が 私たちをとおして来つつあるが、 私たちは、英知がどう働くのかを 知らなくてはいけません。 K: 何とまあ。 
51:48 質問者: で、人類からの変容は、
51:49 惑星での、信じがたい賢明さの 大きな飛躍へ、来つつあります。 そこで私たちは、戦争を するのを、止めるんですが、 あなたが仰っているさまを、 聞いて、私たちはもはや あまりに単純ではいられないと信じて います。 
52:07 K: いいですよ、マダム。 よろしいですか。
52:15 質問者: あなたは、私たちが気づいて いると仰る - たとえ・・・
52:19 K: それは、まるで・・・
52:23 質問者: 私たちは気づいて いると、あなたは仰る - たとえ私たちは無意識的に 気づいているかもしれないが、と。 K: はい。 
52:28 質問者: 私の困難が分かりますか。
52:31 K: 理解しますよ。 理解します。はい。
52:32 それは、 あなたが、知らないで、 特定の方向に駆り立てられて いる、という意味です。 待って。 仰っていることの 危険を、見てください。 あなたは、強制され、 圧迫され、駆り立てられ、 洗脳されつつあります - どの言葉でも、です - 特定の方向に、です。 質問者: それは、私たちが 怒るときのように、です。
53:05 怒りの瞬間に、あなたは 気づいていません。 それは、あなたが「私は怒って いた」と言った後だけです。
53:11 K: ええ、そのとおりですが、 私たちは、 何かそれより違った ことを、話しています。 あなたは、自分が貪欲である とき、知らないですか。
53:30 質問者: はい、後で。
53:32 K: いいえ、待って。 反応を見てください。 あなたは(店の)ウィンドウに何かを 見るし、それをほしいと思います。 何が起きたのですか。 あのドレス、あのズボン、 あのコートを見る - あの車、あの女、あの男を、 それが何であっても、です。 見ること、感受、接触。 そして、「好きだ。 あれは わくわくする」と言います。 すなわち、思考は イメージを創り出します - あなたが車に乗って 運転している、と。 よろしいですか。 この動き全体が、明白に・・・ それは、こうも速いのか、 あるいは、あなたは、それが 生じつつあるとき、観察する。 すなわち、見ること、 接触、感受、 思考がイメージを創り出す - あなたが 車に乗って運転している、と。 そのすべてが、こうも速い。 質問者: いいえ、自分は それを見られます。
54:42 K: ええ。あなたが 観察するなら、です。
54:45 あなたが、この動きに よく気づいているなら、 そのときあなたは、それが どう生ずるかを、見られます。 またあなたは、思考がその イメージとともに入ってきた瞬間、 紛糾が始まるのが、 見られます。 質問者: それ以上には何も ありませんか。 
55:05 K: 何以上に? 質問者: 見る以上に。 
55:07 K: 私は こう言っているだけです -
55:09 見る、接触、感受、
55:10 それがすべてであるなら、そのとき それは、きわめて単純です。 しかし、思考が引き継ぎ、 イメージを創り出した瞬間、 あなたは、ほしいのです。
55:26 質問者: それは理解しますが、 あなたは前に、こう仰った - 私たちは無意識的に気づいて いるかもしれない、と。 さて、あなたが 叙述されたとき・・・
55:35 K: 無意識的に気づいている - 自らが、この動きの速さに 気づいていない、という意味で、 です。  

質問者: いいよ。
K: それは、すばやく引き継ぎます。 一秒でそこにありますが、 あなたが、その過程を 緩やかにするなら - 過程全体を、 緩やかにしてしまう - そのときあなたは、シネマのように、 映画、フィルムのように、見ます。 あなたはそれを、きわめて速く 回せるか、きわめて緩やかに、です。 そのときあなたは、あらゆる物事が 活動中なのを、見るでしょう。 それが、私が 指摘しているすべてです。
56:12 質問者: もし、動機をもって それを緩やかにするなら、
56:17 私はそれを緩やかにしない でしょう。 K: もちろんです。

質問者: それが起きることです。
K: もちろんです。あなたがそうした 瞬間・・・で、動きましょう。
56:23 質問者: 緩やかにする中で、 動くものは、 自らの動きに気づきますか。
56:30 K: はい、そうです。
56:33 質問者: それをどうやって 緩やかにしますか。
56:41 K: 何もない・・・ご覧ください。 「どうやって」は何もありません。 なぜなら、「どうやって」を 持った瞬間、 あなたは体系へ陥ったからです。 あなたは方向へ陥ったのです。 あなたは迷っています。 あなたは 再び同じゲームを始めたのです。 しかし、ご覧ください。 私は、何かを見たいのです。 自らは、絵画、絵を 見たいのです。 自らは、美術館へ行き、 何か絵を見ます。 あなたは、その全体を 見たいのです。 で、あなたは、よくよく気を つけて見ます。そうですね? 57:22 そのあらゆる部分を、 詳細から詳細へ、 様々な深さ、様々な色の 性質と、色の動きを、です。 で、あなたは見守ります。 緩やかに あなたは、それを見守ります。 そのときあなたは、さらに 戻っていき、全部を見ます。 あなたが詳細を見たいから、緩やかに なってしまうことは、ありません。 理解されますか。 ゆえに緩やかにする ために行われる努力は、ありません。 あなたはそれを、明らかに見たい。 それが、すべてです。
57:54 質問者: どのように 情動を、観察しますか。
57:58 K: いえ、自らは動作を観察できません。 あなたは質問をなさっていますが・・・
58:06 で、私たちは、変化に ついて、話しています。 なぜあなたは、変化して こなかったのですか。 妨げ、妨害、障害は、 何ですか - あなたが変化するのを 阻止するものは、です。 それが、私たちが訊ねている 問いです。 それに拘りましょう。 それは、恐れですか。
58:30 質問者: 部分的に、 知られていないものの恐れです。
58:34 K: それは、怠けですか。 それは、精神が生活の様式へ こうも順応してきたので、 それは拒絶する、ということですか。 「これはだいじょうぶだ」と言う。 - 「なぜあなたは、それを 変化させたいのか」と。 なぜなら、変化は、不安全を、含意 しているかもしれないからです。 ゆえにあなたは、 「いえ、すみません。 私は不安全ではいられません」 と言います。 よろしいですか。 変化しないことには、理由が 幾つも、あるかもしれません。 理由は、相当に論理的で、 相当に明らかです。 それであなたは、「どうぞ、何が いけないんですか」と言います。
59:32 質問者: それは、私たちが実際にその 危険を見ない、という意味ですか - もしも私たちがそうしたなら、即時の 変化があるだろうとの危険を、です。
59:43 K: それは、きわめて危険でないですか - 私たちが生きているさまは、です。 大地のものへ、空のものへ、 海のものへ、です。 私たちが生きているさまは、危険では ないですか。ゆっくり入ってください。
1:00:08 質問者: 私たちは、自分自身を 解消するのと自分自身を失うのを、 恐れていますか。
1:00:13 K: はい、そうです! 私たちは、こうも利己的なので、 変化したくないのです。 それが、基本的な理由です。 あなたが、よく気をつけて これに入るなら、 このとてつもないことには、 大変多くのことが、関与しています - あなたが、それに入る なら、です。 すなわち、 まず第一に、何の 比較もなく、生きること。 いいですか?  あなたは、 何の比較もなく生きられますか - 物理的にも、同じく 心理的にも、です。 比較するとはどういう意味かを 見出しなさい。 すなわち、 自分はこれです。 見本は完璧です。 私はあれにならなければなりません。 または、自分自身を 何か上のものと、比較する - 経済的にも、社会的にも、 物理的にも、です。 いいですか?  この比較は 測量です。そうですね? で、測量するのを 止めてください。 できますか。 けっして比較しない。精神に 何が起きるかを、見てください。
1:01:48 質問者: 「けっして」は ここにある。 「けっして」と仰るとき、「けっして」 は、ここにあり、今起きつつある。
1:01:53 K: 今ね。比較しないで、 それを終了させてください。 比較しないでください。 私は それを、例に取っています。 それが何を意味するかを 見てください。 何が含蓄されているのか ・ ・・ 比較の感覚を持たない 精神は、何であるのか。 私たちは、比較をとおして進化、成長、 前進、変化がある、と考えます。 私たちは、反対に、比較は単に同じ 方向での投影であると、言います - 「私はこれである。 私はあれに ならなければならない」とね。 高貴さ、偉大さ、霊的、 その他すべての見本です。 比較の感覚を、何も持たない。 それは、ものすごい自由を もたらしませんか。
1:03:13 質問者: それは、絶対的な 平等を、もたらしますか。
1:03:19 K: この国は、機会の平等に ついて、話してきました。 民主主義的に平等、 司法での平等 - ですね? そしてこの国は、外的な平等の 大きな感覚、持っています。 あなたは、或る人のところへ 行って、言えます・ ・・ またはあなたは、きわめて小さな人物 ですが、あなたは大統領になれます。 または、それが 何であっても、です。 平等は、それよりはるかに 深い。 そうでしょう。 進んでください。 考え抜いてください。 心理的にあなたは、他の一人へ 平等ではない。 そうでしょう。 あなたは、自分は 他の誰かだと、考えます。 で、虚栄があります。 で、平等は、善においてのみ、 存在できます。 善は、あります。 それは 分割を持ちません。 で、当面の間、それを 放っておきましょう。
1:04:40 質問者: あなたが、無比較のほうが 比較より良いって、仰るなら、 それを言うことは、比較です。
1:04:46 K: もちろんです。
1:04:48 K: ご覧ください。学校で、 あなたがAをBと比較するとき、 Aに何が起きますか。 あなたは Aを破壊します。そうですね? あなたはいつも、彼に言っています - 「君はもっと利巧でなければならない。 君は、利巧で利発で活動的な Bのようでなければならないが、 君は怠けている」と。 闘う、比較する、競争。 で、あなたが比較しないなら、 何が起きますか。 あなたはけっして、これらの ことを、試したことがありません。
1:05:24 質問者: そのとき、精神は もはや、その方向へ動きません。
1:05:27 K: で、何が起きますか。 質問者: 変化です。
1:05:29 K: いえ、いえ。あなたは速すぎます。 あなたは、究明しません。
1:05:31 みなさんは、比較します。 そうでしょう。 しませんか。 いいえ? あなたたちはみんな、沈黙しています。 しませんか。明白にあなたはそうします。 さて、あなたが比較しないなら、 何が起きますか。 質問者: 何も。
1:05:54 質問者: 混乱です。
1:05:56 混乱です。なぜなら、あなたは 指針なしに見るからです。 K: いいえ。
1:06:02 質問者: 私たちは、
1:06:04 あらゆる物事を、それ自体で 見なくてはいけません。
1:06:12 K: ご覧ください。あなたが比較しない なら、それは変化です。そうでしょう。
1:06:17 質問者: 空間です。
1:06:18 K: 比較しないでください。 それは、絶対的な変化です。 なぜなら、あなたたちの精神は、比較 し、比較し、比較してきたからです。 そして知識もまた比較です - もっと 多くの知識、もっと少ない知識、です。 無量の知識をもった 教授たち - 歴史、物理学、生物学 など、大いなる知識です。 知識は、前進的に 比較しています。
1:06:57 質問者: 私たちは、「あるもの」を 自分の知識と、比較します。
1:06:59 K: はい・・・ しかし、あなたは、一つの 素材を、別の素材と比較します。 まったくそうです。 あなたは、するはずです - 一方が他方より粗末だ、と。 あなたは、お金を持っているなら、 より良い方を選ぶ、などですが、 私たちは、心理的に 話しています - この比較の重荷を 持たないように、です。
1:07:22 質問者: それが平等です。
1:07:25 K: あなたはそうして、 見出しもしません。
1:07:30 で、あなたは、 比較しないとき、 特定の方向で自分のエネルギーを むだにするのを、止めたのです。 そうしませんでしたか。 いいですか? あなたは、あのエネルギーを 持っています。 で、何が起きますか。 で、あなたは、 発見したのです - 比較を完全に落とすとき、あなたはこの 無量のエネルギーを持っている、と。 質問者: 精神は、より速くなります。
1:08:06 K: より速く、生きている。
1:08:10 質問者: 問いはこうです - 私たちは
1:08:14 あのエネルギーを取り、それを むだにしないなら・・・
1:08:18 K: 待って、待って、マダム。 あなたは速すぎます。 あなたは、一歩一歩、 そのことをしません。 私たちが言いましたように、 ゆっくり行ってください。 あなたは物事を、自分自身で発見 するでしょう。 それが重要です。 私が発見してきて、あなたに語ることが、 ではない。 それはばかげています。 しかし、これらすべてのことを、自分 自身で直に発見することが、です。
1:08:46 質問者: 無比較の観念が 入ってくるやいなや、 それは、新しい比較の 連鎖全体を、設けます - 比較している精神と、 あなたから無比較として 提起されたものとの間で、です。
1:09:02 質問者: 彼はこう言います - 私たちは 無比較の観念を、作ります。 K: もちろんです。 
1:09:13 質問者: それが 別の比較の連続を、設けます。 K: あなたが美術館へ行って、 絵画を幾つも見ているとき - ピカソ、ミケランジェロ - 私はピカソを取り下げます。 ミケランジェロ などなどなどを、です。 あなたはいつの時も比較しているとき、 けっして一つを、完全に観察しません。 なぜなら、比較の中 - あなたが比較しているとき、 誰かがあなたに、このほうがあれ より良い画家だと、言ってきたし、 あなたは、より良いものへ、 絵画を専門にした人へ、 順応したいからです。 彼は、「これが 一番良い絵です」と言います。 で、よろしいですか。 あなたは、宣伝により、 他の人々などなどにより、 条件づけられています。 で、あなたは、けっして 絵画を、完全に見つめません - 誰がそれを描いたのかを 忘れて、です。 同じように、あなたが いつも比較しているなら、 あなたは、自分自身を けっして完全に見つめません。 いいですか? 理解されますか。
1:10:29 質問者: 比較があるかぎり、 分割があると、仰っていますか。
1:10:32 K: 分割だけではない。 それはけっして、 あなたが見つめているものへの 全的な観察ではありません。 前進しましょう。 何が あなたを塞いでいますか - 私たちの一人一人を、変化から、 根本的な変化から、です。 それは、私たちがいつも部分を 取り扱っている、ということですか。 理解されますか。 または、 私たちの心理の構造全体を取り、 それを 終わらせていますか。 ちょっとずつ、ちょっとずつ、 一部分ずつを、取るのではない。 それが、私たちの 困難の一つですか。
1:11:36 質問者: 自己はどこにでも 避難できるように、そして、 自分が一歩一歩、動き、 ここで一面を、 そこでもう一面を 取り扱うにつれて、 自己は他のどこかに避難する だろうと、思われます。
1:11:50 K: はい。で、それは、あなたの 余生が、掛かるでしょう。
1:11:53 質問者: 実はそれは、けっして起きない でしょう。 K: そのとおりです。
1:11:54 質問者: で私たちは中心へどう動けますか。 K: 私はお示ししようとしています。
1:11:56 質問者: 関係において、です。 回顧においてだけ、ではない。
1:11:58 K: 関係において -
1:12:01 他の一人との あなたの関係は、何ですか
1:12:07 - 親密であっても、 親密でなくても、です。 そうね、現実的であり、それを しっかりさせて、見出しなさい。 それは性的ですか。 それは 快適ですか。それは便利ですか。 それは、あなたが自分の利益のために、 他の人を使っている、ということですか。 それは、それがあなたに満足、充実を 与えてくれる、ということですか - 幸福感、一緒だ、などなど などの感覚を、ですか。 すなわち、私たちは互いに 利用し合っています。 そういうことですか。 ご覧ください。みなさんはこれに 入るには、怯えすぎています。
1:13:03 質問者: でも、それは もう一つの断片だけです。
1:13:05 K: お待ちください。私は何かを お示ししようとしています。 それは、部分だけでしょう。 さて、ただご覧ください。 部分を観察し、その部分を通り、 完全に終わりまで行ってください。 そのときあなたは、 全体に、及ぶでしょう。 ご覧ください。 私は それに入りましょう。 関係を取り、それにすっかり 入りきりましょう。
1:13:38 自分は他の一人に関係して います - 魅力、性、 便宜、快適さ、 励ましをとおし、 さびしさからの逃避を とおして、です。 で、これらすべてと 他の理由が、あなたを 或る人物へか、或る物事へ 執着させます。 すなわち、あなたは、大きな あこがれを、持っています。 なぜなら、あなたは自分一人では さびしく、絶望的に憂鬱に感じるし、 あなたは、それをどう解決 するかを、知らないからです。 で、あなたは、これより逃避する ために、他の一人を受け入れます。 そうですね? すなわち、あなたは、 そこからあなたがいつも 動いている中心です。 1:14:47 いいですか? それは明らかで しょう。私たちは出会っていますか。 すなわち、あなたは、自分のさびしさ、 自分の心配のイメージを、持っています - 自分の重要性の感覚、 自分の障害 自分の抑制などなどの (イメージ)を、です。 あなたは、これをどう 解決するのかを、知りません - あなたの内側で、です。 それで、あなたは、 自分がそれを解消するのを助けて くれる他の誰かへ、 行ってしまいます - 心理学者などなどへ、です。 あるいは、あなたは、これより逃避 するために、誰かに執着します
1:15:35 さて、私たちは、部分を 通りぬけなさい、と言っています - これは、一部分だけです。 関係は、です - 部分を、まさに終わりまで、 完全に通りぬけなさい。 それは、理論的にではなく、 言語的にではなく、実際に、 あなたの執着を完全に終わらせなさい 、という意味です。 よろしいですか。 そうね、それを完全に 終わらせなさい。 あなたのさびしさに、 全体的に向き合いなさい。 そういうわけで、あなたは、性的な 習慣に入ったのかもしれません。 そして、さびしさから 逃避するために、 それが、様式になります。 機械的です。 で、このとてつもないさびしさの 感覚に、向き合いなさい。 質問者: それは、どの種類の逃避もない、 という意味です。 
1:16:32 K: はい!
1:16:36 質問者: ゆっくり行きなさい、 と仰るとき・・・
1:16:39 K: 私はそうしています。 私はそうしています。
1:16:40 私は、一部分を取ったのです。 関係ですね。 私は、その部分を通り抜けています。 「私は関係している」と言っています。 それは、私がさびしいからですか - 私は、いるのに怯えている、 私は快適さがほしい、私は誰かに助けて ほしいからですか。 よろしいですか。 心理的にこのすべてが、です。 私は郵便 配達人が必要です。私は配管工が必要です - それは、私たちが話している ことではありません。
1:17:14 部分をとおして、私は一歩行けて・・・ 私は進みながら、それを落とせます。 理論的にそれを玩んで、続けていく だけではない。 それを落とします。 私がさびしいのを、見る。 私は、このもの、さびしいのが 何なのかを理解しようとしています - さびしいとは? なぜ私は、さびしいのですか。 それは、私の活動すべてが自己 中心的である、ということですか - 私が神を探し求めること、私が 地位、権力を探し求めること、 私が透視力を探し求めること、他の 人たちを癒やしたいとの私の欲望。 理解されますか。 これはすべて、実際に私のあるが ままを、回避する手段ですか。 すなわち、私のとてつもない 痴呆の感覚を、です - 私はそれを取り上げています - 私の虚栄を、です。 で、あなたは、それらの物事を実際に 落とせるなら、そのとき何ですか。 そのとき私は、そこにまったく 方向がない状態を、発見したのです。
1:18:34 私が保ってきた物事すべてを、 落としてしまうことだけが、あります。 私が何について話しているかを、理解 されますか。 あなたはこれをできますか。 自分は家具を保っています。 一つの家具、です。 あなたは、あの家具の一品と 同一視します。 そのとき、あなたは あの家具です。 私はかつて、法律家に 言われました。 或る男と或る女が 離婚を求めていましたが、 彼らは、あれこれについて 言い争い、言い争ってきました この資産、あの資産について、ね。 彼らは それらのめちゃくちゃを、経て行きます。 彼らは、ほとんどのものを、 決着させたのでしたが、 最後の日、女は、「私はあれを 持たなければならない」と言いました。 それは灰皿でした。 彼らは、それをめぐって 闘いました。 男と女が、灰皿を ほしくて、です。 それは灰皿でした。 理解されますか。 何も重要なものではない。 で、法律家は、その灰皿を 取って、それを壊しました。 これらを理解されますか。 私たちは些少です。
1:20:11 で、私たちは、こう 言っています - 変化は、 中心から別の中心へ動いていない 精神の状態を、含意している、と。 いいですか?  あなたは それをできますか。 すなわち、さびしい中心。 そして さびしくない中心へ動くこと。 いいですか? これを理解されますか。 中心は、さびしい。 さびしくない中心へ動くことは、 やはり、さびしさの動きです。 ただそれを見てください。 それの真理を、見てください。 それを見るなら、 あなたは、 そのとき、なぜこの さびしさかを、探究します。 1:21:14 それは、私の行為が自己中心的 である、ということですか - それらが、いつの時も 私を孤立させつつある、と。 理解されますか。 これらに 付いてきておられますか。 私は野心的です。 私は貪欲です。 私はこれがほしい。 私はあれがほしい。 私は これを持たなければならない - 世の中で外的に、そして 内的に、それらです。 で、さびしさの本質は この孤立の動きです。 いいですか?  で、自己中心的 でない行為が、ありますか。 質問者: 今、それを訊いておられ ますか。 
1:21:58 K: はい、そうです!
1:22:07 質問者: 私たちを緩やかにしてしまうもの の一つは、私たちの安全への必要ですか。
1:22:17 質問者: 安全。それが、私たちを緩やかに してしまいませんか。 K: はい。
1:22:24 いいえ。ちょっと待ってください。 これは、またもや重要な問いです。
1:22:26 あなたは物理的な安全を持たなければ なりません - 明白です。衣食住です。 しかし、私たちがいう 安全は、それだけでなく、 内的にも、私たちは 安全がほしいのです。
1:22:47 私たちは、内的にそもそも安全がある のかどうかを、けっして問いません。 内的に自分は、安全を 見つけてきました - 信念に、 神に、何か空想的な 観念に、です。 それは安全ですか。 あなたは、自分の妻に、自分の彼女に 安全を、見つけるかもしれません。 または、自分の夫、彼氏に、 ですが、それは、安全ですか。 あなたが、或る人物に 安全を持っているとき、 それがどんなに危険である のかを、見てください。 あなたが、あの女やあの男に 安全を、探し求めてきたなら、 そのときあなたは執着し、嫉妬し、 怒ります。 よろしいですか。 苦悩全体が、始まります。 これらをご存じないですか。
1:23:56 質問者: 安全がないのなら、 安全への必要は、ありません。
1:23:59 K: そのとおりです。 あなたが、心理的に安全が ないのを、見るとき、 見ることこそが智恵です。 いいですか? 明白です。 あの智恵には、ものすごい安全が あります。これに、ではない・・・
1:24:20 質問者: あなたは、自己中心的 でない行為があるのかどうかを お訊きになりました。 私たちは あの問いへ戻られますか。 私が知っている自己中心的でない 唯一つの行為は、降伏です。
1:24:33 K: さて、ちょっと お待ちください。 唯一つの安全は、降伏する ことであると、彼は言います。
1:24:41 質問者: 自己中心的でない唯一つの 行為は、降伏することです。
1:24:46 K: ええ。それが、私が 理解したことです。 自己中心的でない唯一つの 行為は、降伏することです。 いいですね? 何へ降伏しますか。 質問者: あらゆる物事へ。
1:24:59 K: ああ! 何ですか。
1:25:01 ご覧ください。お待ちください。 気をつけて見てください。 ゆっくりそれに 入ってください。 キリスト教世界は、「神へ降伏 しなさい」と言ってきました。 その危険を 見てください。 すなわち、 神の観念へ降伏する。 神、キリストについて人々が 言ってきたことへ、降伏する。 よろしいですか。 降伏する。 で、私は訊ねています - あなたは 誰に、降伏していますか。 質問者: あなたの中の最高のものにです。
1:25:38 K: 最高のもの - ご覧ください。
1:25:41 すなわち、あなたが、最高の ものを、創り出してきたのです。
1:25:46 質問者: 「あるもの」に ついては、どうですか。
1:25:49 K: あなたは、「あるもの」へ 降伏できません。それは、あります。 あなたは、日射しへ降伏 しません。 すばらしい。 ご覧ください。 あなたが検討するとき、 私たちは、こうも無意味な 言葉を、使います。
1:26:12 質問者: おそらく私たちは、 心理的圧迫ということに立って、 これについて 議論すべきです。
1:26:19 K: 私たちは、心理的な圧迫に ついて議論する中で、 私たちは、なぜ人間たちは変化しない のかについて、対話を行っていますか。 よろしいです。 あの一つの要因を 取ってください - 圧迫です。 あなたはここで、語り手により 圧迫されつつありますか。 質問者: いいえ。 
1:26:49 K: 気をつけて行ってください。
1:26:52 あなたは、圧迫のもとにいますか - 政府により、制度により、 自分の教育により、自分の司祭者に より、自分の神々により、 自分の信念により、 新聞によって、ですか。 で、あなたは、圧迫より 自由でありえますか。
1:27:23 質問者: あなたは、外的な環境に より、圧迫されるでしょう。 それは、去ろうとしていません。
1:27:27 K: いえ、待って。 はい。 あなたは、圧迫を 持っているかもしれません。 なぜなら、あなたは、 混雑した都市にいるからです。 または、地下にいる - 地下鉄か、 それを何と呼ぼうと、です。 で、物理的に、ですが、 心理的に、 あなたは、圧迫より自由で ありえますか - あなたの妻より、 あなたの夫より、あなたの彼女より、 あなた自身の欲求より、です。 結局のところ、あなた自身の 欲望は、ものすごい圧迫です。
1:28:01 質問者: はい。あなたは、心理的に あの圧迫より、自由でいられます。
1:28:08 K: あなたは、自分は心理的圧迫より 自由であると、仰っていますか。
1:28:13 質問者: いいえ。そういうわけで、 私はここにいるのです。
1:28:18 K: ゆえに、あなたは、悟るとき、 何をするのでしょうか - どうぞ、これを 取り上げてください - あなたが、自分が妻や彼女からの圧迫 のもとにいることを悟るとき、です。 あなたは、あの圧迫を 止めるのでしょうか - または、あなた自身の性的要求や 自身のさびしさを、です。 「私はできないよ」と言う。
1:28:45 質問者: 自己中心的でない 行為が、ありますか。
1:28:47 K: 私はそれをしています。 これが、その一つで・・・ 圧迫は、自己中心の 活動の一つです。
1:29:00 質問者: おそらく、あなたは 無頓着でいられるかもしれません。
1:29:09 質問者: 私は、圧迫から 自分自身へ、身を引きます。 私は、実際の関係の中で、 圧迫から、身を引きます。
1:29:17 K: そうね、私たちはけっして ・・・指摘させていただけるなら、 私が指摘しても、気に なさらないことを、望みます。 私たちはけっして物事を、 私たち自身を、見つめません - 「私は何々だ」と 言わずに、です。 ご覧ください。 ただ見て ください。よろしいですか。 私は執着しています。 いいですよ。 それを見つめましょう。 それが何を意味しているかを 見出しましょう。 私たちは、「いいえ、私は 執着してはならない」とか、 「私はしなければ・ ・・」とか 言います。理解されますか。 私たちはいつも、あのものより 動いて離れています。
1:29:51 質問者: でも、私が見つめるとき、私は 何も見ません。そこには何もありません。
1:29:55 K: 見出しなさい。 そうなのですか。 変異は、自己の活動の動きが ないことを、含意しています。 動きは、比較としての測量すべてを 意味しています。 もっと多くの測量 - 理解されますか - もっと多い、 もっと少ない。 充足したいとの欲望 - そのすべてが 測量の中での動きです。 で、どんな種類の測量をも 持っていない精神、 「私は無知である。 私は覚りを開こう としている」と言わないもの、です。 で、見出してください。 考える機構全体を、緩やかに してしまい、観察してください。
1:31:29 質問者: 楽に緩やかにする。 圧迫でもって、ではない。
1:31:31 K: もちろんです。 ただ観察する。
1:31:35 質問者: それは、すべての活動が 停止する、という意味です。
1:31:37 K: ああ、いいえ。そのとき、 活動が、始まるかもしれません。 私たちの活動は、 自己中心的であるとき、 完全に破壊的で、 否定的です。 明白です。 何が起きつつあるかを、ご覧 ください - 世界中で、です。
1:31:56 質問者: でも、観察の瞬間に 精神の活動は・・・
1:32:00 K: 活動 - それは、またもや きわめて困難です。 私たちは初めに、行為が何であるかを 見出さなければなりません。 行為とは何ですか。 私たちは、中心から 行為しますか。 信念から、概念から、 原理から、理想から、ですか。 それはすべて中心です。 いいですか? 私たちは、それより行為しますか。 そして、原理が尊いほど - それはやはり中心です - 私たちは、それは とてつもないと、考えます。 で、中心なき行為が、 あります。 そうね、違ったように、 表させてください。 お聞きになるのを 気にされないなら、です。 1:32:56 私たちは、自己中心的な行為 すべてを、肯定的だと考えますね。 達成は、肯定的なことです。 私たちは、発電機を創り出します - それは、きわめて肯定的です。 心理的に活動的であり、 中心から行為すること、 ビジネスマンであること、 あれやこれであることは、 きわめて活動的で 肯定的な行為です。 それは結果的に、世界の 混沌に、なってきました。 いいですか? 悲惨、混乱に、です。 で、非肯定的な 行為が、ありますか。 これをご覧になるのか どうかと、思われます。 質問者: それは降伏でないですか。
1:33:43 K: いいえ。私は説明しました。
1:33:45 あなたは、「降伏」という 言葉に、拘っています。
1:33:52 質問者: 観察は、 これの一部ですか。
1:33:57 K: 何の動きもない 純粋な観察は、行為です。 観察は行為です。 執着をきわめて明らかに 観察するなら - それについて肯定的な行為を しないで、それを見守る。 否定は、最も肯定的なものです。 逆ではない。
1:34:29 質問者: あの行為を全的に 観察しているとき、 それは、その活動すべての 終わりですか。 
1:34:37 K: はい。 で、あなたは 変化したのですか。 一時間の終わりに、そうですか。
1:34:49 質問者: 1時です。
1:34:52 K: 一時間半の後、あなたは 真理を捉えたのですか - すなわち、変化は、どの方向へも 動かないことである、と。 よろしいですか。 知的にさえ掴みますか。 それはこういう意味です。 変化は、「あるもの」への 絶対的な観察を、含意しています。 理解されますか。 自分の貪欲、自分の さびしさ、絶望、憂鬱を観察する。 それを見守る。 あれこれを変化させ たいとの欲望もなく、ただ見守る。 あなたはこの日陰を見守っています。 あなたは日陰を変化させられません。 あなたは、あの影を 変化させられませんが、 私たちは、自分自身である 影を、変化させたいのです。 ただそれを見守る。 そのとき、 それを見守ることこそが、 それが終わることです。 もちろんです。明白です。
1:36:23 質問者: 私たちが夢の中で 生きてきたなら、どうか。 そして、悪夢が死につつあるし、 新しい始まりが来つつあります。 そこで私たち、人々が、互いに 世話をし合うものが、です。 その可能性については、 どうお考えですか。 それは今、夢に なりつつあります - そこで私たち、人々が、互いと私たち の惑星の世話をするものが、です。
1:36:48 K: 私たちは悪夢の中に生きています。 私たちはいつ互いの世話をしますか。 私たちが、どう利己的でないかを 知るときだけです。 いいですか? 私たちは今、互いの世話を し合っていませんか。 物理的にではないが、私たちは ともに世話をし合っていませんか - 物理的な醜さ、 心理的な醜さのために、です。 それで十分です。
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