OJ79T6 - 冥想は、自らの意識の内容すべてが終わることである home
第6回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1979年4月22日

1:03 これは、最後の講話です。
1:18 私たちはともに、じっくり 話し合ってきました - 討論会を別にして、 ここでの過去五回の 集会の間に、 善い社会をもたらすことが、そもそも 可能であるのかどうかについて、です。 それが、私たちの講話における 主な関心事であったのです - 人間精神は、 きわめて古くて、 こうも重く 条件づけられていますが、 それが根本的に、 変容、変化、変異を 遂げることが、可能で あるのかどうか、です。 なぜなら、私たちが 生きるところの社会は こうも怯えるほど 破壊的であるからです。 それは、そもそも成熟する前に、 退廃しつつあります。 2:39 そして、自らがそもそも真剣で あるのかどうかと、思われます。 そして自らは、 真剣でなければなりません - この現在の心理的な 危機のもとで、 全的に善い人間であることは 可能であるのかどうか、です。 なぜなら、善い人間が 善い社会を、創り出すからです。 社会は、それ自体では 創り出されません。 それは、人間精神の活動を とおして、生じてきます。 私たちは、ここ三回の週末に じっくりともに話し合ってきました - これは、最後のものですが - 私たちの日々の生に影響する 多くの物事について、です。 恐れ、楽しみと 心配、さびしさと、 大きな憂鬱、悲しさの 感覚について、です。 私たちはみんな、 それらを、知っています。 4:15 昨日の朝、私たちは、 秩序、愛、 慈悲について 話しました。 そして、死のきわめて 複雑な問題も、です。 私たちは今朝、真理とは 何であるかの問いに、 入ろうとしていると、 私たちは言いました。 絶対的な真理のような ものが、あるのかどうか、 そして、冥想の本性と動きとは 何であるのか、です。
5:10 私たちは、冥想は 自分たちの日々の生を 離れた何かであると、 考えがちです。 日中、静かに座るために、 二十分を掛ける。 または、何を するにしても、です。 そして、一日の残り、自分に できるすべての悪さを、する。 しかし、冥想は、何か全然違った ものであると、私は思います。 私たちは、それに 今すぐ、入りましょう。 しかし、自らは、冥想の深い 意義を、十分に了解できません - もし自分自身の中で、 完全な絶対的な秩序を、 私たちの関係に、私たちの活動に 持つのでなければ、です。 私たちは、昨日の朝、 秩序とは何であるかと、 何が無秩序をもたらすかの 問いに、入りました。 無秩序が終わることが あるとき、 そのとき自然に、秩序が 花開くことが、あります。 6:42 私たちは、無秩序の主な原因が 二つあると、言いました。 欲望 - 私たちはよく気を つけて、それに入りました。 昨日の朝だけではなく、 以前の朝にも、です。 そしてまた、思考のまさに 構造、本性も、です。 私たちはまた それにも、入りました。 この秩序なしには - それは、自らの広汎さの中に 自らの性質を持っています。 それは、一定の区域の中での 秩序ではありません。 私たちの活動すべてにおいて、私たち の生全体をずっととおした秩序です。 そして秩序は、 個人的なだけではない。 それはまた、 社会的にもなります。 あの秩序の中から、 善さが出てきます。 ゆえに、そういう人間たち - 有能であり、 現在の世界の悲惨、混乱、 不確実さ、不安全に 気づいている人たち - そういう真剣な人間たちは、 必然的に、この秩序を 探究しなければなりません。 それは、単に相対的、状況的、 環境的なだけではなく、 絶対的な秩序でなければ なりません。 8:42 絶対的な秩序といったものが あります - 宇宙のように、です。 秩序があります。 そして、私たちの意識が 無秩序の中にあるなら - それは現在、そうです - 自らがどれほど、宇宙の 秩序を、究明しようとも、 私たちは、あの宇宙と ほとんど関係を持ちません。 これらに付いてきて おられますか。
9:17 私がもう一度、 指摘してもいいなら - すなわち、私たちは ともに考えていること、 自らは、単に語り手に 聞いていないこと、 語り手とともに、 私たちは、秩序の本性を 探検しつつあるのです。 私たちは、昨日の朝、 そうしました。 そして、宇宙的な秩序、森羅万象の 秩序を、探究することの無益さ - それは単に理論的に、望遠鏡的になる だけです。 現実のではありません。 しかし、自らの生にこの絶対的な 秩序を、持っているなら、 そのとき自らは、宇宙的な 秩序と関係を、持っています。 それは論理的に 分かります。 しかし、私たちのほとんどは - 私たちは、その言葉の意味、 その発言の明瞭さを、 知的に了解しようとも、 そういう秩序を、私たちの生に もたらすことは、 ほとんど不可能に 思われます。 なぜなら、私たちは、 私たちの意識の、 私たちの精神の変異に、 関心を持っていないからです。
11:06 で、今朝、私たちは、ともに 探究しようとしています - 時、空間の問いを、 - そして、思考が 触れてこなかったものが、 何かあるのかどうかを、です。 これらに付いてきて おられますか。 時、 空間、 そして、これより 他の精神の状態、 意識の状態、すなわち、 思考により組み立てられていない ものが、あるのかどうか、です。 私たちはそれに入りましょう。私たちが 進みながら、私は説明しましょう。
12:28 なぜなら、 冥想は、 単に一定の定式を 反復すること、 一定の姿勢を取り、 適切に呼吸することや、 朝か、午後と晩に二十分間、 マントラを反復すること だけではないからです。 あなたはその言葉を、お聞きに なったことが、あるでしょう。 サンスクリットでその言葉が何を 意味しているかを、ご存じですか。 いいえ。 たぶん、 ご存じない。 それは、(語源的に) 実際には、 ならないことについて、 熟考するか、冥想する、 そして、自己中心的な活動をすっかり 片付けてしまう、という意味です。 それが、その言葉 「マントラ」の意味ですが、 ゆすり、たかりをする人たちが その言葉を、使ってきました - この国の騙されやすい 精神を、捉えるために、です。 そしてまた、 インドでも、です。 それは、不幸にも ヨーロッパでも、起きてきました。 14:06 あれらの人々は、そこからお金を たくさん稼いできました。 それは今、流行遅れに なりつつあります。 彼らは他の何かを導入するでしょうし、 あなたは、それにもまた従うでしょう。 なぜなら、私たちは、 冥想の根源的な本性を 理解しないと、 私は思うからです。 人間たちの間に 正しい関係の基礎を 敷くことなしには、 単なる冥想や観想や、 あなた自身を 何かの観念や理想へ、 神などといった何か投影 された像へ譲り渡すことは、 様々な形の幻影へ つながるだけです。 それは明白です。 で、私たちは、真剣に 冥想するであろうなら、 私たちは、自分の生に基礎を 敷かなければなりません - 崩れてしまったり、 揺らいだりしなくて、 長持ちし、継続する 基礎を、です。 15:52 その基礎は、人間たちの間の 正しい関係です。 それは明らかです。 それが確立されて いないなら、 そのときあなたは、一定の 姿勢で果てしなく座りつづけて、 自分は冥想していると 考えるかもしれませんが、 あなたは単に、幻影を 追求しているだけです - または、あなた自身の 欲望上の投影物などを、です。 しかし、それは明白に、 子どもっぽいゲームです。
16:29 で、あなたが、冥想が何 であるかを、理解するようなら - そして、それの深さと それの深刻さを、です - 当然、自らは、 正しい関係の秩序を、 確立しなければなりません。 それは自然です。 そうでしょう。 私たちは、正しい関係が何であるか のその問いに、入りました。 私たちはこう言いました - 現在の私たちの関係は、 楽しみに基づいているので - 性的なもの、快適さ、 依存、執着の関係 - この大きなさびしさの感覚の 中から生まれています。 このさびしさの十分な意味を 掴むことなしには、 私たちは、様々な形をとおして それより逃避するし、 それにより、関係を もたらします - その中にいつも分割、 矛盾、嫉妬、心配、 抑制があるものを、です。 そして、私たちが持っているものより 逃げ去りたいとの欲望も、です。 18:17 それはまたもや、明白です。 進みつつあることです。 で、人間、あなたが、 関係に、 この秩序を、正しい秩序を 確立するのでなければ、 あなたが 何をしようとも、 逆立ちしようと、 僧院に隠遁しようと、 冥想は、いかなる意味をも 持ちません。 なぜなら、あなたは、関係に堅固さを 持たなければならないからです - 強固さが、なければなりません。 持続の感覚が、なければなりません。
19:04 それが明らかに掴まれるし、 あなたが、それの真理を見るなら、 そのとき私たちは、様々な形 すべての冥想の問いに、入られます - チベットのもの、 ヒンドゥーのもの、仏教のもの。 他の形は何ですか。 自分の冥想の小道具をもった 最新の導師すべて、です。 自らはそれらを払い除け られると、私は思います。 なぜなら、それらは、ほとんど 意味を持っていないからです。 或る人は、起き上がり、「私は一定の 経験を持っている。 それについて 私はあなたに教えよう」と 言います。 あなたは興奮します。 彼はあなたに、定式を与えるし、 あなたは、それを実践します。 19:55 それを実践することこそが、 あなたの精神を、今そうである より、機械的にします - より狭く、より派閥的で、 より制限されて、です。 私たちは、そういう形の冥想 すべてを、払い除けられます。 なぜなら、それらは、どこにも 繋がらないからです。 なぜなら、それらは 根源的に、 人間たちの間の正しい関係に、 基づいていないからです - そこに、嫉妬、 心配、恐れがなく、 楽しみになる欲望がないものに (基づいていない)のです。
20:47 また私たちは、この世界で 進んでいるオカルト現象全体をも 払い除けられます - それへの探求を、です。 それについて、 ご存じでしょう? すなわち、 一定の力を持つこと。 それはサンスクリットで、 シッディ(成就)と呼ばれます。 他の人々の思考を読め、 様々なのを見通せる能力ですが、 それらのことは、ご存じです。 語り手は、それらに 関与してきたから、 彼は、それらについて 何らかのことを、知っています。 しかし、きわめて、きわめて 敏感な人、人間は - 自己中心的、自我本位 ではなく、敏感です - 一定の敏感さの性質を、 持っています。 その敏感さは、把握できます。 見られます。読み取れます。 一定の形の癒やしなどを できますが、 それらはすべて、 不適切で、危険です。 なぜなら、それらは、自己を強調し、 それに重要性を与えるからです。 22:20 いいですか? 私たちがこれらを 理解するのかどうかと、思われます。 自らは、他の人々の思考を 読み取られるかもしれませんが、 それが何ですか。 自らは、 物質的なものを越えて、 見ることができるかも しれません。 すなわち、思考の形、様々な種類を、 ですが、それらはご存じですね。 私は、それらに入らないでしょう。 それらは、重要ではありませんが、 そういう人間は、 相当真剣にこれに 入ってきたけれども、 根本的に社会を 変化させません。 彼らは必ずしも、 善い人々ではありません。 彼らは本当に、一つの形の 唯物論を、追求しています。 私がいう、 「唯物論(物質主義)」とは、 思考の過程の養成、 という意味です。 なぜなら、思考は、物質的な 過程であるからです。 付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 23:40 私たちは、ともに究明しています。 あなたは、語り手に聞いていません。 語り手は 重要ではないのです。 語り手は、本気で それを言っています。 人物としての語り手は 全然、不適切です。 重要なことは、あなたと 語り手がともに究明し、 ともに考え、ともに 一つの精神を持つことです。 そのとき、私たちが一つの精神を持つ なら、私たちはともに行為できます。 私たちはともに、違った 社会を、もたらせます。 で、語り手は 全然、不適切です。
24:41 で、これらすべての些細な ことを、脇に置いておいて - それらは些細です - そのとき私たちは 前進して、 時の本性を探究できます。 なぜなら、私たちにとって、時は とても重要であるからです。 時計による時、 昨日、今日、明日 という時、 結果を達成する こととしての時。 技巧を取得すること、 言語を学ぶこと、 物理的に、ここからそこへ 行くことは、時が必要です。 いいですか? すなわち、時系列的な時 - それに 私たちは、依存しなければなりません。 それは必要です。 さもないと、あなたと私は、 ここに座っていないでしょう。 私たちはまた、心理的な時をも 養成してきました。 26:12 すなわち、 自分はこれである。 自分はあれになるために、 時が必要だ。 自分は知識を 持っていない。 そして、情報を持つため、 情報を集めるために、 あなたは時を 必要とします。 自分は怒り、さびしく、 心配している。 それを乗り越えるには、 私たちは、心理的に時が 必要であると、考えます。 付いてきておられますか。 すなわち、自分は 自分自身について無知です。 動きこそが - 自己本位の、中心的な動きと、 それらの自己を知ることに ついて無知である。 自らは、自分自身を理解するには、 時を必要とすると、考えます。 で、言語を学ぶには、現実的な 時の必要が、あります。 車をどう運転するのかを学ぶには、 どの技能を学ぶにも、 あなたは、時を持たなければなりません - 何日か、何年か、です。 27:52 あなたは、一流の物理学者に なりたいのなら、 それに自分の時を捧げます - 何日も、何年も、ですが、 私たちは訊ねています - そもそも 心理的な時が、ありますか。 理解されますか。 どうぞ、これは、理解する ことが、きわめて重要です - もしあなたが真剣に、 物事に入りたいなら、です。 あなたが入りたくないなら、 それもまた、だいじょうぶです。 あなたが、この問いに 入りたいなら - 進化するために時が 必要であるとの観念、です。 進化は、時に 基づいています。 ドングリのオークの樹へ 進化には、時が必要です。 それは、多くの年が 掛かるでしょう。 おそらく、その同じ概念、 事実の中から 作られた概念です。 すなわち、ドングリは、十分に成長 した樹になるには、時が必要です。 その概念 - 事実が 概念にされたのです。 そのとき心理的に、自らは その事実を、受け入れます。 そのとき、「私は、理解するには、 変化するには、なるには、 時を持たなければならない」 と言います。 29:46 これらに付いてきて おられますか。 私たちは、互いに 出会っていますか。 私たちはともに 動いているんでしょうか。 そう望みます。
29:57 さて、私たちは問うています。 ともに訊ねています - そもそも心理的な時が あるのかどうか、です。 または、それは、 私たちのみんなにとって、 ほぼ実在となった幻影です。 理解されますか。 すなわち、 私たちは、ともにここに いますか。 すなわち、 私たちの望みの観念は、 それに基づいています。 すなわち、 私は望んでいます。 自分は望んでいます - 到着したい、幸せでありたい、 覚りを開きたい、 善くありたい、と。 未来において、です。 それで、自分は、時が必要 であると、考えてきました。 よろしいですか。 で、私たちは、 まさにそのことを問うています。 もし自分が、勇気を 持っているなら - それへの本当の真剣な 探究、という意味で、です - それは単に、思考の投影 であるかもしれません。 それは、技能を学ぶには、 時が必要だと、悟ったのです。 それで思考は、「おそらく心理的に それは同じ過程だろう」と言います。 付いてきておられますか。 私たちは、一緒にいますか。 が、それは、全然 非実在であるかもしれません。 私は、それに 入ろうとしています。 すなわち、
32:19 自分自身の中で「あるもの」に 気づく - いいですか? 自分は妬んでいるとか、暴力的である とかを、意識するかもしれません。 そして、変化するには、 あの暴力に変化をもたらすには、 あなたは 時が必要です。 そうなのですか。 これに付いてきておられますか。 どうぞ、そうしていますか? 私が話をできる人か、自分たちは 理解すると私に言ってくれる人が、 誰かいますか。
33:00 聴衆: はい。
33:05 K: 理解されますか。自分は暴力的 です - それは心理的な衝動です。 様々な形の抑制、 欲求不満からです。 また、変化が願望される腐った 社会への観察が、あります - 流血をとおした 変化、ですが、 それは、明白に 不可能で、残酷です。 で、自分は、暴力的であるので、 「私は時が必要だ」と言います。 その時は、必要ですか。 よろしいですか。 私たちは、指摘しています - 自分が暴力的であるとき、 あなたは、あの暴力を 観察できますか。 それを他の何かへ変化させる との観念なしに、です。 理解されますか。 すなわち、実際に 「あるもの」を観察する - 何の変化、抵抗、拒否、 受け入れの動きもなく、 ただ、「あるもの」を 観察する。 34:35 それに、時は 要りません。 しかし、あなたがそれを、他の 何かへ、変化させたがった瞬間、 それは、時を 必要とします。 ところが、あなたが、それより 離れたどんな動きもなく、 間近で観察するなら、 「あるもの」の観察こそが、 根本的な変化を、遂げます - それは、すっかり 時を拒否します。 これが伝わっているのか どうかと、思われます。 私たちは、理解しましたか - 私たちの何人かは?
35:17 すなわち、私はもう一つの 例に表しましょう。 おそらくお分かりに なるでしょう。 私たちは、自分自身を 他の誰かと比較します。 それは、私たちの伝統、 私たちの教育、 私たちの条件づけ であったのです - この比較したがる観察、 比較したがる努力が、です。 比較は、測量を 含意しています。 いいですか?  もっと多いとか、 もっと少ない、とか。 さて、あなたは、比較の帰結が 見えますか - 論理的に、です。 すなわち、あなたは自分自身を 誰かと、比較しています。 ゆえにあなたは、重要ではない。 他の誰かが、重要です。 で、あなたは、いつも あれを模倣しています。 ゆえに、大変多くの欲求不満、 心配、嫉妬などが、あります。 36:27 さて、あなたは、比較を 観察できますか - 比較の動き全体を、です - そして、それを 持ち越すのではなく、 即座に 終わらせられますか。 比較を持ち越すことは、 時を含意しています。 いいですか? これが見えていますか。 どうかな。 見えませんね。 いいです。 もう一つ、 例を取りましょう。 すなわち、世界中の人間は、 執着し、依存しています。 他の一人の人間に、 執着しています。 あの執着の帰結は、 悲惨、心配、嫉妬、 憎しみ、怒りと分割です。 さて、これらの帰結より 自由であるには - それらは、人間関係に おいて危険です - 執着の全含蓄を見ることと、 「私はそれを乗り切ろう」と言う 時を、精神に許さないこと。 38:01 そして、あの執着、すなわち、 「あるもの」の観察こそが - それを離れたどんな 動きもなく、です - そのとき、「あるもの」は 深い変化を、遂げます。 あなたは、それを 観察します。 なぜなら、あなたは、 「あるもの」を観察するとき、 あなたの注意全体を 注いでいるからです。 いいですか?  あなたは 今、そうしていますか。 あなたは、自分の注意全体を 注いでいます。 その注意こそが、 光です。 その光は、観察されつつある ものを、消散させます。 これを理解されましたか。 質問者: もう一度。
38:57 K: もう一度!
39:03 そうね、私たちは、注意の本性を 探究しつつあるんです。 私は、そのように 表しましょう。 それは、冥想の一部です。 私たちは、注意の本性を 探究しています。 そして、今、注意する。 「あるもの」へ注意する。 いいですね? 「あるもの」は、 あなたの問題です。 いいですか?  情動的、 性的、知的、数学的 - 問題が何であっても、です。 それに全的に注意して、 問題が翌日へ 続いていくのを、許さない - (続いていく)それが 時ですが。 よろしいですか。 これをご覧になるのか どうかと、思われます。 で、あなたが、問題へ 完全に、注意するとき - 心理的な問題へ、 完全に、です - そのときあなたは、 見るでしょう。 時により消散してきた エネルギーすべてが - すなわち、「私はそれを 乗り切らなければならない。 私はそれを 抑圧しなければならない。 私はそれから逃げ去らなければ ならない」などなどと、です。 そのエネルギーすべてが、今 あの注意に集中されるのです。 40:50 そして、あなたが 注意するとき、 注意の中に、全的に このエネルギーがあるとき、 そのとき、観察されつつある ものが、炸裂します。 それは、自らの内容すべてを 開示し、ゆえに消散します。 私はもはや、それを表せません。
41:11 質問者: それはすばらしい!
41:14 K: 私たちが話しているとき、 あなたは、それをしていますか。 または、それは 観念だけですか。 なぜなら、これは、あなたの 問題であるからです。 私たちは、心理的にまったく 時がないと、言っています。 それは、ものすごい発見です。 理解されますか。 なぜなら、私たちにとって、 明日のみが重要であるからです - 性的に、欲望が、 あなたは明日、 成功者でなければならないとの 欲望が、です。 よろしいですか。 明日は、魅力的に、重要になり、 すべてを消耗させるのです。 それで、心理的に私たちは、 まったく時がないと、言っています。 42:11 あなたは、それに 向かい合えますか。 私たちはこれについて幾らか前、昨年、 数人の友だちと議論していました。 そして、その人物は、私に言いました - 「神様。 もし明日がないなら、 私はどうやって、自分の夫に 会おうとしていますか」と。 すなわち、現象全体を 見守る。 理解されますか。 理解されますか。 私はその発言を 説明しなくてはなりませんか。 物理的に、心理的に、 明日がないのなら、 私は何ですか。 理解されますか。
42:57 で、私たちは、一定の水準で時が 必要であると、言っています。 そして、心理的な次元では、 まったく時がないのです。 技能を学ぶには、 時が必要です。 あなたが、「あるもの」を観察する とき、まったく時がありません。 それが、あなた自身の中で進んで いる、起きつつあることです。 それへ完全に注意することは、 「あるもの」を消散させることです。 それは、時が要りません。 これは、もう少し複雑です。 なぜなら、時は動きである からです。 ですね? 時 - ここから、あなたの家へ 行くには、時が必要です。 十分間、一時間、二時間。 時です。 また私たちは、幸せになるために 時が必要だと、考えます。 私たちは、時といったものは ないと言っています。 動きとしての時は、心理的に、 終わらなければなりません。 それは、冥想の一部です。
44:26 また時には、登録が 関与しています。 私はこれを 説明しましょう。 私たちの頭脳は、いつの時も 登録しています。 そうですね? あなたには、事件、 出来事が、あります。 頭脳は、起きつつある ことを、登録します。 いいですか?  私たちは、これを続けられ ますか。これに付いてきておられますか。 コンピューターのように、あなたは それをプログラムします。 あなたがそれに語ってきたことを、 それはあなたに、語るでしょう。 あなたは、いつでも切りたいとき、 スイッチを切ってしまえますが、 私たちの頭脳は、さほど そのようではありません。 それは登録しますが、あなたは それを、切ってしまえません。 なぜなら、機構全体が、登録 しつづけることであるからです。 すなわち、起きてきたことを、憶えて おくこと、登録すること、です - 痛み、楽しみ、興奮する出来事 などなどなどを、です。 45:52 頭脳が登録しつつあるかぎり、それは 時を含蓄しています。そうですね? これに付いてきて おられますか。 今、私たちは訊ねています - どうぞ、必要なことだけを登録し、 他の何をも登録しないことは、 可能であるのかどうかを、です。 理解されますか。 これらに付いてきて おられますか。 どうぞ、私たちは ともに探究しています。 例えば、誰かが心理的に あなたを傷つける、とします。 いいですか?  それはご存じです。 ほとんどの人々が、知っています。 で、その傷は、頭脳に 登録されます。 思考が、あなたは重要だとの イメージを、創り出してきました。 そのイメージを毀損する ことが何か、言われるとき、 そのイメージは、 傷つきます。 47:08 その傷は登録されます。 付いてきておられますか。 たとえば、私が 知っている人物ですが、 六十年の間、彼は、特定の 傷を抱えてきました。 理解されますか。 あなたたちの ほとんどがそうであるように、です。 それは、六十年では ないかもしれません。 それは、十日かもしれません。 それは、同じことです。 さて、その傷を まったく登録しないこと - 理解されますか - 初めに問いは、すなわち、 あなたが事件で、 発言で傷ついたこと、 誰かがあなたを、すてきな人物でない と呼んだか、あれやこれや、です。 あなたが自分自身について創り出して きたイメージは、傷つきます。 その傷は、頭脳の一部です。 「私は傷ついている」と言う 思考の一部です。ですね? 48:13 で、頭脳の中に、時の中の 事件のこの登録が、あります。 分かりましたか。
48:24 さて、私たちは 訊ねています - その傷をまったく登録 しないことは、可能ですか。 しかし、車をどう運転するかは、 登録しなくてはなりません。 理解されますか。 言語を学ぶためには、ですが、 なぜ、あなたの傷の登録が あるべきでしょうか。 よろしいですか。 傷をまったく登録しない ことは、可能ですか - あなたが、お世辞を登録しない だろうのと同じように、です。 いいですか?  これに 付いてきておられますか。 それは可能ですか。 なぜなら、それが 可能でないなら、 そのとき頭脳は単に、 いつの時も登録している 常なる機構であるからです。 ゆえに、それは、 平静さを持ちません。 それは、融通の感覚を 持ちません。 そのときそれは、単に 機械的になります。 49:38 頭脳は、部分的に 機械的ですが、 心理的に頭脳は、この登録より 自由でなければなりません - 傷より、お世辞より、 あれやこれより、です。 今、私たちは訊ねています - それは 可能ですか。 理解されますか。 心理的に、傷つくことの 帰結を、見てください。 あなたは、傷ついてきました。 あなたはさらに、傷を登録します。 あなたは、もっと 傷つくのを、恐れています。 で、あなたは、自分自身の まわりに、壁を築きます。 自分自身を孤立させます。 その孤立から行為しますが、 それが、もっと傷を、もっと 心配を、もたらします。 で、あなたは、ますます、 ますます引き下がっていきます - 世の中から、 自分の関係から、です。 50:35 これらはご存じです。ついに、 あなたは神経症になります。 そのときあなたは 心理学者へ行きます。 彼はあなたを治したいと望みます。 たぶん彼も、傷ついています。 で、盲人が盲人を 導いています! ところが、私たちは 訊ねています - その傷をまったく登録しない ことは、可能ですか。 重要性を見てください。 理解されますか。 それで、頭脳は 自由であり、 自らのリズムを 持っています。 傷、記憶のリズムでは ありません。 これを ご存じないですね。
51:29 私たちは、それは 可能であると、言っています。 私たちは究明しています。 私はそれを お示ししています。それは可能です。 なぜなら、自分は、お世辞で 天まで褒めあげられてきたか、 自分は、 侮辱されてきたからです。 語り手は、どちらも 受けてきました。 で、登録しないこと。 それは、あなた自身について イメージを持たないことを、 意味しています。 これを理解されますか。 いいですか? さて、あのイメージより 自由であるには、 「私は時を持たなければ ならない」と言います。 ところが、あなたは、自分が イメージを持っているとの事実と、 あのイメージの帰結と、 あのイメージの結果を見るなら、 そのとき、あなたは、 それの全体を見て、 それに注意全体を注ぐとき、それは 消散します。理解されますか。 52:31 してください。 するとあなたは、自分自身で 発見するでしょう - 心理的に、頭脳は、 登録しなくていいのです。 物理的に必要なことを 登録するだけですね。 それで、頭脳は - 私はこれに 入ってはなりません - それで、頭脳は、 過去の常なる圧迫のもとに ないのです。 今、彼らが言っていることを ご存じですね - 頭脳は・ ・・ 頭脳の左側と 頭脳の右側ですが、 彼らは、頭脳を、左側、 右側に、分割してきました。 私は、これを聞かされてきました。 私は専門家ではありません。 私は、これらのものを 読みません。 53:27 一方は、技能、記憶、 それらを、持っています。 他方は、音楽とそれらを 鑑賞します。 またもや、分割です。 ところが、私たちは、こう言って います - 頭脳は記録していないとき、 全体として生きる。 自らのとてつも ないリズムを、持っている、と。 あなたは、それを実験するでしょう。 あなたは、見出せます。
54:03 で、それが、その一つです。 そのとき私たちはまた、空間が何で あるかを、探究しなければなりません。 なぜなら、空間が何であるかを 見出すことは、重要であるからです。 私たちにとって、空間は、 中心から周辺へ、ですね。 理解されますか。 私は、ちゃんと 英語を使っていますか。 私たちは、互いに 理解し合っていますか。 あなたは中心を持っています。 それがあなたです。 あなたの自我、あなたの結論、 あなたの信念、あなたの中心です。 その中心から、周辺へ 空間があります。 それは、思考が創り出して きました。 いいですか。 私たちは、その中に生きます。 それが、私たちの生です。 それで、その空間は きわめて制限されています。 いいですか? 境、辺境が、あるかぎり、 空間があるにちがいありません。 ゆえに、いつも制限されています。 55:22 これに付いてきて おられますか。 どうぞ、少しこれに付いてきて ください。 これは重要です。 なぜなら、それは 冥想の一部であるからです。 私たちがしていることは、 冥想の一部です。 語り手は終わりに、「冥想」と 言おうとしていません。 これは冥想の一部です。 なぜなら、私たちは、正しい 関係,、時を言ったからです。 今私たちは、時を 探究しつつあります。 - それは登録の一部です - 時の心理的な圧迫より自由 である頭脳の能力を、です。 ゆえに - 私たちはまだ、 頭脳について話しています - 私たちのほとんどは、夢を 見ます。 そうですね? なぜですか。 専門家は、あなたは夢を見なければ ならない、と言いますが、 56:21 なぜ私たちは、夢を見ますか。 夢とは何ですか。 専門家たちが夢について 話すことと、 心理学者たちの夢の解釈 などは、別として、 あなたと私、語り手とあなたは、 素人です。 ですね? 私たちは素人です。 専門家ではない。ありがたい! 私たちはそのとき、 何の参与もなく、 夢が何であるかを探究できます。 私たちはなぜ、夢を見ますか。 なぜなら、頭脳のこの常なる活動は - 理解されますか - 頭脳にとって、きわめて、きわめて 破壊的であるにちがいないからです。 それは、何か静けさを 持たなければなりません。 それは、自らのリズム、自らの行為の 道を、持たなければなりませんが、 常に夢、活動があるなら - 昼の間、夜の間に、です - 頭脳は、まったく休みが ありません。よろしいですか。 57:30 で、まったく夢を見ない ことは、可能ですか。 私はその質問をしています。 どうぞ、探検してください。 頭脳自体のリズムは別として - 頭脳はそれを持っています。 専門家たちもまた、きっとそれに 同意するだろうと、思いますが、 私たちは訊ねています - それは別として、 なぜ私たちは、そもそも 夢を見なくてはいけませんか。 この常なる動きを持たないことは 可能ですか。 いいですか? 昼の間、夜の間に、常なる 活動を(持たないの)です。 頭脳は、休みが ありません。 で、私たちは、おそらくそれは 可能であると、言っています。 すなわち、自らが昼の間に 気づき、注意深いなら、 すなわち、問題に注意していて、 問題が毎日生ずるにつれて、 それらが終わることですが、 そのとき、あなたが 眠りに就くとき、 解決されてこなかった 問題 - 頭脳は、それらを 解決しようとします。 そしてあなたは、目覚めるとき、 自分の問題が解決されてしまったか、 あるいは、解決されようと しているのを、見つけます。 59:12 理解されますか。これらに 付いてきておられますか。
59:16 聴衆: はい。
59:18 K: で、私たちはこう言っています - あらゆる心理的な問題を解決しなさい。 そしておそらく、他の問題も それが生ずるとき、 それらを終わらせなさい。 それを持ち越さない。 頭脳に許さない・ ・・ 眠りがある間、頭脳は それを持ち越さない。 それで、頭脳は 自由です。 それで、それは 若く新鮮になれます。 理解されますか - 違った意味で、活動的です。 それで、私たちは空間を探究して います。 何時ですか? 聴衆: 12時27分です。
59:59 K: おやまあ!
1:00:02 なぜなら、自らは、空間を 持たなければならないからです。 あなたたちが都会で混雑している とき - ほとんどの人々はそうです。 小さなアパートに 生活しています。 物理的な空間を 十分に持っていません。 私たちの暴力の一部は それです。 私たちの精神に、私たちの 心に、空間がないなら - 空間が、です - そのとき、こうも多くの 他の要因で混雑していて、 そのとき あの空間の欠如から、 あなたは、心理的に 暴力を持っています。 空間の欠如は、様々な形の抑制と 心配などを、もたらします。 それで、あなたは中心なく 空間を持ちうるのかどうかを、 見出すことが、重要です。 論点を理解されますか。 私は、自分自身へ 話していますか。 1:01:32 ご覧ください。あなたの 精神は、いつの時も、 何らかの物事で 占有されていませんか。 はい? それの悲劇を ご覧ください。 あなたが主婦であるなら、 あなたは、占有されています。 ビジネスマンは、占有されています。 物理学者は、占有されています。 個人的な問題、政治的な問題 - それは常に 空間を持っていなくて、占有 されています。 理解されますか。 さて、精神は、占有 されないでいられますか。 それは、あなたが問題を 終わらせるときだけ、可能です。 ほとんどの人々は、占有 されています。 なぜなら、 彼らは、占有されていないなら、 何をするのでしょうか。 彼らは、娯楽で もてなされたいのか、 あるいは、彼ら自身が 救いようもなく 迷っているのを、見ます。 そして、彼らは憂鬱になります。 または、彼らは、「私は 占有されていないので、 私は行って、誰かと 噂話をしよう」と言います。 よろしいですか。何らかの物事 での、この常なる占有、です。 1:03:17 この事実に 気づいておられますか。 ゆえに、精神、すなわちあなたの 意識が、占有されているとき、 空間がありません。 ゆえに、何か新しいものが生じて こられるのは、空間の中だけです。 理解されますか。 その空間は、思考により 創り出させません。 が、占有が空間を拒否する との真理を見ること - そして、占有されることは、常なる 機械的な動きを、含意しているが、 それは人間の本性全体と頭脳にとって きわめて破壊的であると、です。 それの真理を見て、あなたは それを解消します。 終わらせます。 で、あなたは、 占有されていません - それが必要であるとき以外は、です。 その他は、空間です。 理解されますか。 理解されるとは、思いません。 1:04:25 なぜなら、そのときあの空間に、あなたは 甚大なエネルギーの感覚を持つからです。 あのエネルギーは、自己中心的な 活動のエネルギーではありません。 いいですか?  これらを 理解されることを、望みます。 で、今、私たちは この問いに、入ってきました - 関係、時、 登録しないことと、 空間です。 次の問いは、こうです - なぜ人、人間たちは、 いつも、宗教について 話してきましたか。 そうですね、 私は、何かをお話し しなければなりません。 或る日、二人の友だちが、 すてきな通りを、歩いていました。 彼らの一人が、何かを見て、 それを舗道から、拾い上げます。 彼がそれを見つめた瞬間、その顔は 輝きます。 彼は歓喜します。 彼の眼には、何かとてつもない ことが、起きます。 それを、ポケットに しまいます。 1:06:02 彼の友だちは、彼へ 「何を拾い上げたんだ? なぜ君の顔は、こうも驚くほど 美しくなったのか」と言います。 その友は、「ああ、私が 拾い上げたものは、真理だった。 それで、ポケットに しまった。 私はそれを取っておこう。 それは、 すばらしいものだ」と言います。 (彼の)友は、「それを 組織しよう」と言います。 それが、宗教がなって しまったものです。 いいですか? ゆえに、宗教は、ほとんどの智恵ある 人々にとって、忌まわしくなったのです。 しかし、その言葉を越えて、すべて の儀式偏重とすべての十字架と、 宗教において進んでいく すべてのサーカスを越えて、 思考により触れられていない ものが、何かありますか。 思考は、物質的な過程です。 何か、時がないものが、 ありますか。 何か絶対的な真理であるもの、 何か全体的に神聖なものが、 ありますか。 1:07:42 質問を理解されますか。 理解されますか。 人間たちは、いつの時にも、 これを探し求めてきました。 彼らは、探究したい。 彼らは、見出したいのですが、 彼らは、何らかの物事の罠に 掛かってしまいます - カトリックへ、プロテスタントへ、 仏教へ、何かの主義へ、です。 そのとき、彼らは 迷っています。 しかし、自らが そのすべてを、脇に置くし、 あるのか、ないのかを、自らが 探究しはじめるなら - 見出すには、絶対的に静寂な精神を 持たなければなりません。 いいですか? それは、どんな圧迫のもとにも、 どんな動機のもとにも、 あってはなりません - どんな動機もなし、です。 さもないと、あなたは 探検できません。 さもないと、精神は、 全然時がない何かを 発見する能力が、ありません - 何かそれがあるとして、 ですが。
1:09:03 で、見出すには、 あのとてつもないものが、そう であるとして、それが起きるのは、 精神は、完全な、絶対的な 静寂の状態に、なければなりません。 明白です。 それは可能ですか。 幾多の時代をとおして、人は これを試してきました。 人は、こう言ってきました - 「あなたは 思考を制御しなければならない。 あなたは、自分の情動的応答すべてを 制御しなければならない。 自分の欲望を 制御しなさい - 格闘の感覚、努力の感覚も ない精神を もたらすために。 おそらくその中から、 あなたは、絶対的な静寂を 持ちうる」と。 よろしいですか。 人は、これを試してきました。 あなたは、 してこなかったかもしれません。 これは、古い伝統の一部です - 何か測量不可能なものを 見出すには、 すべての度量、すなわち思考の動きは終わ らなければならない、というのが、です。
1:10:34 今、私たちは訊ねています - 時、思考は、終わりに なりえますか。 SFの時間と空間では ありません。 私たちが説明してきた時 - すなわち、 思考の動きですが - 思考は、 終わりになりえますか。 または思考は、果てしなく 動きつづけ、動きつづけ、 動きつづけなければなりませんか。 理解されますか。 それを見出すには、 あなたは、私たちが入った ように、思考の本性を 理解しなければなりません。 私たちはそうしました。 で、思考は、私たちの世界を 築き上げてきました - 外的な世界と、また 内的な世界も、ですね。 思考は、それに責任があったのです。 思考は、物質的な過程です。 思考は、すべての知識 等の結果です。 頭脳に蓄えられている - それは、物質です。 ゆえに、思考は 物質的な過程です。 1:11:59 何でも思考が 発見しようとするもの、 すなわち、それ自体を 越えているものですが、 思考自体が、終わりにならなければ なりません。 理解されますか。 これは論理です。 理解されますか。 で、思考が完全に終わりうるのか どうかを、見出せますか - それが必要なところ、 すなわち、 言語を学ぶ、話をする、 など以外で、です。 あなたは、どう 見出すのでしょうか。 あなたは、このすべての 混乱、悲惨、悲しみ、 人類のこの苦労を越えて - 自分はそれの(一部)です - 何かがあるのかどうかを探究 して、どう見出すのでしょうか - 何か思考がけっして一度も 触れたことがないものが あるのかどうかを、です。 あなたは、どう 見出すのでしょうか。 それが、冥想の一部です。 絶対的に身体を、絶対的に 静かにしておくだけではない。 また、何にも占有されていない 精神を、持つことでもあります - あなたの個人的な問題に、世界の 問題に(占有されないの)です。 なぜなら、あなたは 世界であるからです。 世界は、あなたより 分離していません。 1:13:52 で、それを見出すこと - このすべてを越えた何かが あるのか、ないのかを、です - それが冥想の一部です。 それは 探求の一部ではありません。 あなたが探求するなら、 そのときあなたは、動機と欲望で もって、探求しています。 そのとき、あなたが見つけるものは、 あなたがすでに見つけてきたものです。
1:14:27 で、冥想は、自らの意識の内容 すべてが、終わることです - 怒り、嫉妬、心配が、です。 よろしいですか。 それが、私たちの意識です - 精神を、その内容すべてより 自由にすることです。 そのときだけ、あの 絶対的な静寂が、あります - 意志により、欲望により、思考に より、もたらされたのではない。 そのときだけ、 それは可能です - 何かが、思考により組み立てられて こなかったものが、生じうるのです。
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