OJ80Q4 - 第4回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1980年5月15日
テキストのみのバージョン
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0:24
これらの問いについて、 ともに話し合う中で、私たちは、
問いだけではなく、答えをもまた 分かち合っています
- 答えの探検も、です。
で、それはただ、 私が答えて、あなたが聞く、
そして、あなたが同意や不同意をする、 ということだけではない。
ともに私たちは、これらの問いに 正しい答えを見つけようとしています。
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1:04
第一の質問: 「私は、恐れがどう 生ずるのかを、訊ねていません。
それは、あなたがすでに 説明されました。
むしろ、恐れの 実際の実体とは、何ですか。
恐れはそれ自体、何ですか。
それは、生理学的な 反応と感受の様式、
筋肉の強ばり、 アドレナリンの急増などですか。
または、何か それ以上のものですか。
私が恐れ自体を見つめるとき、私は 何を見つめることになりますか。
この見ることは、恐れが目下、 存在していないとき、起きますか」。
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1:58
「私は、恐れがどう生ずるのかを、 訊ねていません。それは、あなたが
すでに説明されました。
むしろ、 恐れの実際の実体とは、何ですか。
恐れはそれ自体、何ですか。
それは、生理学的な 反応と感受の様式、
筋肉の強ばり、アドレナリンの 急増などですか。
または、何か それ以上のものですか。
私が恐れ自体を見つめるとき、私は 何を見つめることになりますか。
この見ることは、恐れが目下、 存在していないとき、起きますか」。
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2:48
かなり長い質問です。
質問者は、私がこの質問から 分かるかぎりでは、
恐れの実体が何であるのか、
実際の恐れは何であるのかと、
現在や過去の恐れを、どう観察 できるのかを、知りたいと思います。
いいですか?
それが問いです。
私たちは、問いを 理解しますか。
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3:30
恐れ自体は何ですか - 生理学的な反応、
強ばることなどは別として、 恐れの実際の瞬間は、何ですか。
恐れの本性、内的な構造、 実体とは、何ですか。
いいですか?
私たちは、 それを進められますか。
私たちはみんな、このかなり 長い問いを、理解しましたか。
恐れ自体とは、何ですか。
私たちは一般的に、何かを 恐れています。
ですね?
または、何か起きてきたことの 思い出です。
または、未来への 反応の投影です。
ですね?
ですが、それが、それだけが、 質問者が訊ねることではありません。
彼はまた、恐れの実際の本性は 何であるかを、訊ねます。
私は本当に知りません。 私たちは、見出そうとしています。
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5:12
自らが恐れているとき - 生理的にも、心理的にも、ですが -
それは、何か自分が危険の感じを 持つものではないですか。
全的な孤立の感じ -
さびしさと呼ばれて、深く、 定住し、長続きする、さびしさ。
それらはすべて、 何かへの反応です。
自分は、蛇を 恐れています。
または、痛みを受けてきた。
そして、 その痛みを恐れている、などです。
で、それは、思い出であり、 ゆえに、何か過去に起きてきて、
危機が到来するとき、 思い起こされるもの -
過去の思い出が同一視し、 「あれは恐れだ」と言うのです。
質問者は、言います。
そして、私は思います
- 私たちがともに入るべき 何かがある、と。
すなわち、
これらの物理的、 心理的な反応は、別として
- 私たちはそれを、恐れとして 知っています。
それを別として、
恐れがそれ自体で、ありますか - 何かの恐れではなくて、です。
7:01
理解されますか。 私は明らかにしていますか。
恐れ自体は、ありますか。
または、私たちはただ、 他の何かへの関係において、
恐れを知るだけですか。
他の何かへの関係において ないのなら、それは、恐れですか。
私たちはただ、何かへの関係に おいて、恐れを知るだけです
何かからか、 何かに向かって、です。
が、あなたが、それらを消去する なら、実際の恐れが、ありますか
- あなたが 検討できるものが、です。
質問を理解されますか。
または、恐れ - 精神に 深く根づいた恐れですが、
精神はいつも、全的な安全を、 ほしがってきましたが、
それを見つけないので、 恐れていますか。理解されますか。
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8:37
どうぞ、私たちはともに、 それを検討しています。
あなたはただ、私とゲームを しているだけではありません。
ボールは、あなたのコートや、 私のコートには、ありません。
私たちはともに、それを 見つめています。
精神、頭脳は、 うまく、健康的に、健全に
機能するには、 完全な安全が、必要です。
それを何にも、見つけないので - 関係に、観念に、信念に、
イメージに、です - 智恵ある 精神は、それらを拒絶します。
けれども、それは、完全な安全を 持たなければなりません。
それを欠いているので、恐れが 生じてきます。ですね?
9:46
すなわち、何か全然、完全に安全な、 確実なものが、ありますか。
信念、教義、儀式、 観念の確実性、ではありません。
それらは廃棄できるし、 新しい観念、教義、理論が、
それらに取って代われますが、 私たちがそのすべてを、脇に置くなら、
精神、頭脳は、消滅不可能な 安全を、探し求めていますか。
それを見つけないので、それは、 深く根づいた恐れを、持っています。
あなたが付いてこられるのか・・・ 私たちはともに、出会っていますか。
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10:41
で、私は訊ねています。 自分自身に訊ねています -
普通の種類の恐れを 別にして、
精神、頭脳は、恐れ自体を、 創り出していますか。
よろしいですか。
なぜなら、 何も妥当なものが、ない。
何も全体的なものが、 ないからです。
それが、 恐れの実体ですか。
すなわち、頭脳は - 精神は、頭脳、反応と
それらを含んでいます。
その全的な精神は、完全な安全、 確実性を、持てますか
- 何かについて、ではありません。
私が 言っていることを、理解されますか。
神、信念、それらについて、ではなく、 それ自体で、完全に全体的なのです。
12:04
いいですか。 私は何かを伝えていますか。
すなわち、精神は、それ自体で 何の恐れも、持ちえないですか。
私は、何かを伝えていますか。
私たちは、互いに出会っていますか。
思考 - それは、 精神と頭脳の一部であり、
安全を願望し、様々な幻影を 創り出してきました
- 哲学的な、などと、 神学的なのですが、
それをそこに 見つけないので、
それは、自体を越えた何かを、 創り出すのか
- その中に全的な安全を、 見つけられるものを、です。
あるいは、精神は、全的に完全で あって、恐れが要らないのです。
私たちは、出会っていますか。 これは、かなり困難です。
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13:38
私たちは、恐れを取り除くことや、 恐れを抑圧すること、
恐れの原因が何であるかを、 話していません。
私たちは先日、 それらに入りました。
私たちは、何か全然違ったことを、 訊ねています。
すなわち、
精神は、それ自体に 何の原因や実体や反応をも、
持ちえないのか - 恐れを もたらすものを、です。
で、どうぞ、これは、 かなり困難な問いです -
これを見出すには、 すなわち、精神は・
・・
それはいったい、或る状態に ありえますか・
・・
またもや、「状態」(ステイト)と いう言葉は、静的という含意ですが、
私はそう言っていません。
それはいったい 或る性質に、或る状態に、ありえますか
- それが、届こうとしたり、行ったりする 何の動きをも、持たないところに、です。
よろしいですか。それ自体で、 完全に全体的であるのです。
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15:18
そうね、これは、冥想とは何かへ入る、 理解することを、含意しています
- あなたがそれに 興味を持っているなら、です。
冥想は、進んでいる これらの戯言ではなく、
恐れより自由であることです。
よろしいですか。
生理的にも、心理的にも、 それより自由であることです。
さもないと、愛せません。
愛はない。慈悲はない。
分かりますか。
恐れがある かぎり、他は存在できません。
冥想する - 何かに 到るのではなく、
恐れの本性を理解するのと、 それを乗り越えること -
それは、精神が、恐れを 引き起こしてきた何かの
記憶や思い出を持たないのか どうかを、見出すことです。
で、それが完全に 全体的であるように、です。
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16:49
私は、多かれ少なかれ、その問いに 答えてしまったと、思います。
ああ、はい。
「この見ることは、恐れが目下、
存在していないとき、 起きますか」。
自らは、恐れを 思い起こせるのでしょう。
その恐れを思い起こすことを、 観察できるのでしょう。
あなたはここに、静かに座っています。
たぶんあなたは今、恐れを持ちません。
が、過去にあなたは、 恐れを、持ってきました。
あなたはそれを、 召喚できますが、
それは、実際に 同じではありません。
いいですか?
なぜなら、 それがある瞬間に・・・いえ。
恐れは、一瞬後に存在します - 実際の瞬間に、ではない。
あなたが付いてこられるのか どうか・
・・
あなたはそれに、名を 付けてきました。
反応などですが、
それを、あなたは 恐れと呼びます。
が、実際の、 大きな危険の瞬間に、
恐れを引き起こすかもしれない 何かに、向き合う瞬間、
その秒に、恐れはない。 何もないのです。
18:31
そのとき、過去の想起が あります。そのとき、
それに名づけることが、 あり、あなたは
「やれまあ、私は恐れている」と 言います。
筋肉が強ばること、
アドレナリン、 などなど、すべてです。
で、過去の恐れを呼び起こせ、それらを 見つめられると、私は思います。
その恐れを観察することは、 重要です。
なぜなら、
あなたは、それを 自分の外側に置くのか、
あるいは、あなたは、「私は あの恐れだ」と言うからです。
あの恐れを観察している、あなたは、 ありません。
あなたはあの反応です。
そのとき、あなたと恐れとして 分割がなくて、
あの反応の状態だけが あるとき、
あなたがそれに 注目したことがあるなら、
何か全然新しいことが、 起きるのです。ですね?
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19:49
第二の質問: 「私たちのまわりの世界に、
立証可能な普遍的な正義の 原理が、見られないとき、
私は、自分自身や、 外側の混沌とした社会を
変化させるための、 説得力ある理由を、感じません。
私は、行為の帰結と それらの説明責任を
測量するための合理的な基準が、 見えません。
この事柄について、あなたの知覚を、 私たちと分かち合ってくれますか」。
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20:29
「私たちのまわりの世界に、
普遍的な正義の原理を 立証できないと、見られるとき、
私は、自分自身や、 外側の混沌とした社会を
変化させるための、 説得力ある理由を、感じません。
私は、行為の帰結と それらの説明責任を
測量するための合理的な 基準が、見えません。
この事柄について、あなたの知覚を、 私たちと分かち合ってくれますか」。
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21:07
世界に、正義がありますか。
これは、 哲学者すべてが入ってきて、
それについて、たくさんの 言葉を紡いだ問いでした。
さて、世界に、 正義がありますか
- 合理的で、 正気な正義が、です。
あなたは利巧ですが、私は そうではない。
ですね?
あなたは、お金を持っているが、 私は持っていない。
あなたは、能力を持っているが、 他の一人は、持っていない。
あなたは、才能を持っている。
あなたは、それらを楽しめるが、 他の一人は、貧しく生まれた。
自分は、不具になる病気を持って いるが、他の人は、持っていない。
犯罪者 - 犯罪者と呼ばれるものは、
彼は、判決を受けて、監獄へ送られます。 または、何が起きるにしても、です。
22:19
で、私たちは、正義がなければ ならないと、考えます。ですね?
これらを見て、私たちは,「どこかに 正義があるにちがいない」と言います。
で、私たちは、正義の欠如から、 正義の観念へ、動きます。
これに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
神は正義だ、などと、ですが、
世界にひどい不正義があるとの 事実は、残ります。
ですね?
質問者は、 知りたいと思います -
正義がないのなら、なぜ私は、 変化すべきですか。
理解されますか。
そこには、何の意味もない。
なぜ私は、この混沌の世界を、 変化させるべきですか -
独裁者たちが、こうも 至高であるところを、です。
23:38
彼らの生こそが、不正義です。 何百万の人々を恐怖させています。
それらを見て、私が変化するための、 合理的な原因は、ありません。
私が思うに、 それはむしろ・
・・
合理的な問いではない - 私がそう言っていいなら、です。
あなたは、何か原因のために、 変化しますか
- あなたが、圧力のもとに いるからですか。
または、あなたは、褒賞 されますか。
よろしいですか。
変化は、褒賞と処罰により、 もたらされますか。
または、あなたは、人間たちが 世界中で、こうも非合理的であるのと、
彼らが作ってきたもの すべてもまた、
非合理であるのを、見る。
人間として、あなたは、
人間としてあなたは、 残りの人類です。
25:17
それをお分かりになるのか どうか、私は知りません。
いいですか?
私たちは、 先日、それに入りました。
あなたは、残りの人類であるなら、 責任を持っています!
あなたは、自分が褒賞されるのを 見るからとか、
世界に、こうも多くの不正義を、 見るからではない -
いかさま師たちが、いかに、 あらゆるものを、取ってしまうのか。
彼らは、すばらしい教会を建てます。
その他すべてと、たくさんのお金。
そして、何百万、何千万の人が、 飢えています。
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26:09
で、変化は、強制をとおし、褒賞と 処罰をとおして、もたらされません。
精神自体は、このすべての 不条理を見て、
「私はしよう」と言います。
よろしいですか。
それはそのものです。
それは、 変化の必要性を、それ自体で見ます
- あなたが私に、 変化するよう、語るとか、
神や、司祭者や、誰かが私に、 変化するよう、語るからではない。
私は、自分のまわりに、 混沌を見ます。
その混沌は、人間たちにより、 創り出されてきた。
そして、私はその人間であり、 私は行為しなくてはいけない。
それは、私の責任です。 地球的な責任です!
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27:19
第三の質問: 「私たちは、心理的に 自己に対して死ねますか。
見出すことは、 選択なき気づきの過程です」。
- あなたが、私から引用されない ことを、願います - (笑)
「けれども、選択なく観察するためには、 私たちは、自我、私を終わらせたか、
それに死んでいるのでなければ ならないと、私には見えます。
で、私の問いは、こうです - 私は、 現在の自分の断片化の状態において
どうやって、観察できますか。
それは、「眼」が「私」を見ようと するのに、似ていますか。
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28:00
あなたが仰ったように、私たちは、 恐れを観察するためには、
恐れより自由でなければなりません。
これは、不可能な逆説です。
それで、私は気が狂いそうです。
(笑)
どうぞ、この主題を 明瞭にしてください」。
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28:18
私は、この主題を明瞭にしましょう。 私から引用しないでください。
または、誰からも、です。
なぜなら、
そのときそれは、 あなたのではないからです。
あなたたちは、受け売りの人間に なります。
私たちは、そうなのです。
どうぞ、それが、 最初にすべきことです。
なぜなら、それは、私たちが考えるのを 歪曲するからです。
理解されますか。
私たちは、百万年の圧力、他の人々が 考えたこと、宣伝、それらの結果です。
自らがそれらより 自由でないなら、
あなたは、すべての物事の本源を けっして見出せません。
理解されますか。
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29:30
で、私の問いは、こうです - 私は、
自分の現在の断片化の中で、 どうやって観察できますか。
できません。
いいですか。
ですが、あなたは、 自分の断片化を、観察できます。
これに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
私は、自分自身を、観察しています。
自分自身を観察する中で私は、自分が
一定の先入観をもって、自分自身を 見つめていることを、発見します。
で、私は、自分自身を 見つめたのを、忘れます。
私は、先入観の問いへ 入ります。
私は気づいています - 私は、 自分の先入観に、気づきますが、
私は、それを、 どんな歪曲の感覚もなく、
選択とその他すべてなく、 見つめられますか。
私が持っている先入観を ただ観察する。
先入観の物語に 私へ語ってもらいましょう。
私が、先入観について、 物語を語るのではなくて、
先入観に、それ自体を 解き明かさせます。
私が言っていることを、 理解されますか。
先入観の原因は、 何ですか。
イメージ、結論、意見。 よろしいですか。
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30:56
で、私は発見しはじめます。 発見が、始まります -
恐れを見つめる中で、私は、自分が 断片化していることを、悟ります -
その断片化は、思考により、もたらされて いることを、です。
当然です。
ゆえに、私は、思考の動きに、 気づきはじめます。
で、重要なことは、私の精神自体が 曇って、混乱しているとき、
恐れを観察することではありません。
で、私は、自分の混乱を 探究します。
なぜ、人間たちは、 混乱していますか。
なぜ、みなさんは、 混乱していますか。
あなたは、きわめて明らかである なら、ここにいないでしょうし、
私は、ここにいないでしょう - ありがたい!
私たちは混乱しているから、
私たちの問いは、こうです - この混乱は、何ですか。
誰が、この混乱を、 創り出してきましたか
- 私たちの中と、私たちの外側に、 です。
いいですか?
で、混乱を探究するか、 観察する中で、動きは、
思考の動きに、気づくことです - 思考の矛盾した本性に、です。
32:37
よろしいですか。
あなたが見守るなら、全部のことが 自ずと解き明かされます。
物語は、そこにあるが、 私たちは、物語を読みません。
私たちは、書物に対して、 何を言うべきかを、語っています。
理解されますか。
私たちは、 「はい」と言っていません -
私自身の歴史(ヒストリー)が、ある。
人類の歴史は、私自身です。
で、その書物を探究し、読む中で、 私はその書物を、読みます -
章ごとに、または、私は、 書物全体を、即座に理解します。
それは、自らが深い洞察を持たなくては いけないことを、含意しています。
私は、それらに 入りたくありません。
あなたが、私につづけて、それへ入って ほしいのかどうか、私は知りません。
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33:57
ご覧ください。私たちのみんなに、 混乱が、あります。
私たちが、「私は 混乱していない」と言うなら、
それは、あまりに ばかげているでしょう。
または、「私は、他の一人と、 完璧な関係を持っている」と -
それは、同等に ばかげているでしょう。
で、自分は 混乱しています。
さて、あなたはそれを分析するのか - その原因を、です。
理解できますか。
少しこれに 付いてきてください。
その原因、 すなわち、思考ですが、
思考は、そのまさに本性において 矛盾しています。
思考は、その動きにおいて、 分割的です。
民族的、と・
・・分割的です。 思考はそれ自体で、
制限されているに ちがいありません。
なぜなら、それは、知識に 基づいているからです。
そして、知識はけっして、完全ではありえません。
けっして、です。ですね?
で、それが、私たちが分析的に入っていく さまか、または、検討するために、
思考を特定方向へ 動かすかのさまです。
それは、思い出、記憶、経験が、観察 している、という意味です。
ですね?
これらに付いてきておられますか。 いいえ? いいですよ。
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35:45
あなたが誰かを、友だちや誰でも いいですが、観察するとき、
あなたは、何を 観察していますか。
顔ではなく、姿ではなく、
彼女の見かけや、彼の見かけ、 長い髪、短い髪ではなく、あなたは、
自分が彼女や彼について、築いて きたイメージを、観察しています。
で、私たちは、そのすべては思考の 動きであると、言っています -
思い出、結論、観念に 基づいて、です。
そのすべてが、思考の動きです。
これは明白な事実である、 というのです。
あなたはそれを、誰にも 証明しなくていい - すなわち、
思考はそれ自体で、分割的、断片的、 部分的であることを、です。
36:54
それはけっして、 完全ではありえません。
ゆえにそれは、混乱を創り出すに ちがいありません。
さて、私はそれを 説明してきました。
さて、あなたは、自分自身の中の、 この混乱の感覚を、見つめられますか
- どうぞ、少しこれに 付いてきてください -
そのすべての過程を 通っていくことなしに、です。
理解されますか。
説明なく、思い出なく、
ただ、それを見つめる。
そして、見る。
その中へ洞察を持つ。
そのとき、 あなたは、それを説明できます。
ヴザヴェ・
コンプリ? (理解されましたか)
私はそれを説明しましたか、と。
私がしましょう。しましょう。
私は、これを説明しましたか。
洞察(インサイト) - その言葉こそが、
そのものの中を見ること(サイト)を 意味しています。洞察、ですが、
37:54
それが単に、記憶の 応答であるなら、
あなたは、洞察を 持てません。
ごらんください。
組織された宗教は 宗教ではありません。ですね?
それに伴って進んでいく 戯言すべて、
儀式、教義、理論とともに、
神学者が新しい理論を 紡ぎ出す、などなどなど -
それは、宗教ではありません!
さて、何があなたに、それは 宗教でないと、言わせますか。
それは単に、すべての宗教への 思慮深い検討であり
- 彼らの教義、彼らの迷信、 彼らの無知、彼らの儀式へ、です。
その終わりに、「これは戯言だ」 と言うことだけですか。
39:01
または、あなたは、 即時に見ますか -
どの形の宣伝、圧力なども、 それはけっして宗教ではない、と。
あなたはそれを、即時に見て、ゆえに あなたは、その外に出ているのか
- お分かりになるのか どうか、私は知りませんが、
あなたが単に、 様々な宗教を検討していて、
それから、結論に 到っているだけなら、
そのとき、その結論は、 制限されるでしょう。
論争により、上位の知識などにより、 崩されてしまうかもしれません。
が、あなたが、 この宗教的な構造、すなわち
人が創案してきたものの本性へ、 洞察を得るなら、
精神は、即時に それより自由です。
40:08
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
それは例えば・
・・私は、 別の例を取り上げましょう。
あなたは、一人の導師の暴虐を 理解するなら - いいですか?
-
暴虐です。
彼らは、暴君です。 なぜなら、彼らは、権力、
地位と、その他すべてが ほしいからです。
彼らは知っているが、 他の人たちは知らない、と。
で、あなたは、一人の導師の 暴虐を、見るなら、
すべての導師の暴虐を、 見たのです。
理解されますか。
で、あなたは、一人の導師から 別のへ、行きません。
残念ながら、そうなさっていると 思います。(笑)
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41:07
第四の質問: 「観察者なしの 観察において、
事実とともに留まることから、
注意の増加へ繋がる変容が、 ありますか。
創り出されたエネルギーは、 方向を持ちますか。
」
やれまあ!
これらが 何なのか、私は知りません。
「思考に対する、 中心、自己に対する
注意の関係は、 何ですか。
注意と、 自由へ繋がる思考との間に、
隔たりが、ありますか」。
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41:41
ご覧ください。 これらの問いは、
不幸にも、あなたの実生活に、 関係しませんね。
あなたはこれらの質問をすべきで ないと、私は言っていませんが、
私はただ、大変に尊敬をこめて あなたにお訊きしています -
これらすべての質問は、 実際に、
生きること、日常の生に、 触れてきていません。
理解されますか。
いいですか?
そうですか、 そうでないですか。
で、これらすべての問いは、 理論的になります
- 何か抽象的なこと、 何かあなたが聞いてきて、
それから、 「観察者は誰かな。
観察者は観察されるものだ」 などと言うものに、ですよ。
ですが、あなたが、 「ほら、私の生は、こうだ。
42:52
なぜ私はこのように生きるのかを 見出そう」と言うなら
- 理解されますか - なぜ私は、困っているのか、
なぜ私の精神は、永遠に おしゃべりしているのか、
なぜ私は、他の一人と 正しい関係を、持たないのか、
なぜ私は、残酷なのか。
理解されますか。
なぜ私の精神は、 こうも狭いのか。
なぜ私は、神経症なのか。
神経症の人物は、けっして、 「私は神経症だ」と言いません。
が、神経症の人物を、 観察できます。
神経症であるのは、 私の妻や夫なのかもしれませんが、
私たちはけっして、 見たところ、
自分たちの日常の存在に 影響する問いを、扱いません。
なぜなのかと、思われます。
質問を理解されますか。
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44:06
これらすべての問いは、 それです。
250ほどの質問があると、思います。
私たちは、それらを調べました。
どうぞ、私は、叱っていたり、 辛抱できなかったり、
説教したりしていません。
私はただ、それらすべての質問を
読んだ後、自分自身に 訊ねています。
私は言います - 心理的に 内面に影響する問いが、
なぜ一つもないのか、と。
理解されますか。
なぜ私は、不幸せなのか。
なぜ私は、自分の隣人と、
自分の夫と葛藤の中に、 いるのか。
よろしいですか。
で、なぜこれが、 起きつつありますか。
私は、これらの問いに答えるでしょう - そうしなければならないなら、ですが、
なぜ私たちは、こうも臆病だったり、 閉じこもったりしていますか。
または私たちは、自分自身を、他の 一人へ露出するのを、恐れています。
それは、あなたが露出しなければ ならない、という意味ではありません。
私たちが本当に、真正の、 私たちの生に、
深く影響する問いを するなら、
そのほうが、これよりはるかに 活力を、持っています。
いいですか?
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45:48
で、私が質問をしましょう。 (笑)
なぜ私たちは、私たちの一人一人は、 今、生きているように、生きますか。
薬物、大麻を吸ったり、 飲酒や喫煙をしたり、
楽しみと攻撃を追求する。
なぜですか。
理解されますか。
なぜですか。
なぜ私たちは、 このようなのですか。
どうぞ、私とともに、 それに入ってください。
なぜ私たちは、 攻撃的なのですか。
私たちが生きるところの社会全体 - 西洋のこの社会において、
(積極的な)攻撃は、最も 重要なことの一つです。
そして、競争。
それらは、相伴っています。
なぜですか。
動物においては、彼らがいかに 攻撃的なのかを、見られます
- 一定の季節に、 交尾する中で、です。
彼らは、 競争しないでしょうね。
47:35
そうね、ライオンが シマウマを、殺したとき、
他のライオンたちも それを、分け合います。
あなたは、テレビなどで これを、見てきました。
が、見たところ、私たちにおいて、 攻撃は、最も深く根づいたものです。
そして、競争、です。
なぜ私たちは、 このようなのですか。
それは、社会の過失ですか。
私たちの教育ですか。
ですが、社会は、私たちが そこから作ってきたものです。
だから、「社会」と言って、
このために、社会を責めないで ください。
または、何か教育を、です。
見たところ、私たちは、 深く攻撃的で、競争したがります。
あなたは競争したがらないなら、 あなたは攻撃的でないなら、
この社会で、あなたは 踏みつけられます。ですね?
48:54
あなたは、外されます。 あなたは、見下されます。
なぜ私たちは、攻撃的ですか。
進んでください。検討してください。
それは、個人の自由に対する この強調が
- 理解されますか -
個人の自由、です。
その自由は、 どんなつけを払っても、彼が
自己を表現しなければならないことを、 要求する、ということですか。
そういうことですか。
特に、この国では、 西洋では、
この自由の感覚 - ご存じです。
あなたは、何かをする本能を、 持っているなら、
あなたは、何かをしたいなら、 そうしなさい。
抑制するな。
それを検討するな。
構わない。あなたは、この感じを 持っているなら、行動しなさい、と。
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50:02
聴衆: 攻撃と競争との間には、 何も違いが、ないのですか。
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50:06
K: どうぞ、マダム。私はそれに入る でしょう。それを気にしないでください。
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50:11
聴衆: ちょうど今、私には、 それらは違って見えます。
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50:16
K: あなたは、質問を書きとめるのか - 私はそれらに答えるでしょう。
あるいは、これについて、 私に話をさせてください。
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50:27
攻撃が何をするかは、 見られます。ですね?
あなたは、攻撃的です。
私は、攻撃的です -
同じ職のため、同じこれ、あれ、 他のために、です。
で、私たちは、その間ずっと、 互いに闘っていますね。
心理的にも、 物理的にも、です。
私たちは、続けてゆきます。
それが、私たちの様式の一部、 私たちの社会的教育の一部です。
その様式を破るために、 私たちは、
自分の意志を行使しなければ ならないと、言います。
ですね?
それは、もう一つの攻撃です。
これに付いてきておられるのか
どうか、私は知りません。
いいですか?
いいですか?
これに 付いてきておられますか。
私が自分の意志を行使するとき、 意志は、
もう一つの形の、「私は しなければならない」です。
理解されますか。 それは、もう一つの形の攻撃です。
51:47
で、あなたは、攻撃の中へ 洞察を、持てますか。
私の質問を理解されましたか。
または、それはあまりに困難ですか。
質問を理解されましたか。
すなわち、私は攻撃的です - ありがたい。
私はそうではありません。
私は一度もそうだったことがありません。
私は、そうでありたくありません。(笑)
仮に、私は攻撃的であると、します。
それは、子ども時代からの様式です。
それが、教育です。
母親、父親、
社会、まわりの少年、 みんなが攻撃的です。
私は、それが分かり、好きです。
それは私に、楽しみを与えてくれます。
私は、それを受け入れます。
私もまた、攻撃的になります。
いいですか?
そのとき、 私が成長するにつれて、
誰かが私に、攻撃の本性を 示してくれます
- 社会の中で、 それが何をするのか、
競争がいかに、人間たちを 破壊しつつあるのかを、です。
53:06
それは、語り手がこう 言っているだけではありません。
科学者たちも、こう 言いはじめています。
だから、おそらくあなたは、 科学者たちを受け入れるでしょう。
で、あなたはそれを、よく 気をつけて説明します -
競争の、すべての理由、原因と、 破壊的な本性を、です。
それは、比較することです - いつも 比較しています。理解されますか。
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53:36
さて、まったく比較しない 精神は - 理解されますか -
全然違った種類の精神です。
それは、はるかに 活力を、持っています。
で、自分はこれらを説明します。
けれども、私たちは、つづけます。
攻撃的で、競争したがり、 自分自身を誰かと比較しています -
いつも、何かはるかに大きなものと、です。
より貧しいものと、ではありません。
いつも、何か、 より大きなものと、です。
で、確立されたこの様式が、あります - この骨組み、この枠組み、です。
そこに、精神は 捕らわれています。
それを聞いて、あなたは、「私は それから、抜け出さなければならない。
それについて、私は何かをしなければ ならない」と言います。それは何ですか。
54:34
もう一つの形の攻撃です。 理解されますか。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
で、あなたは、私たちは、攻撃へ 洞察を持てますか。
よろしいですか。
説明ではありません。
それの含意すべての
思い出、などなどではない。
それは、常に検討すること、 それから結論に到ることと、
その結論に応じて 行為することです。
それは、洞察ではありません。
ところが、あなたが、それへ即時の 洞察を持つなら - 理解されますか -
そのときあなたは、攻撃の様式 全体を、壊してしまったのです。
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55:26
すなわち、私たちは比較しますね? 物理的にも、
私もあなたほど見目が よければいいのに、と。
心理的にも、常に 比較が、あります。
それは、どういう意味ですか。
あなたがこれに入ったことが
あるのかどうか、私は知りません。
自分自身を、他の誰かと比較する -
より偉大で、智恵が大きく、利発などの 人と、ですが、何へですか。
自分のあるがままを拒否し、 自分のあるがままを変化させる。
これを理解されるのか どうかと、思われます。
私はこれを、明らかに していますか。
ご覧ください。
私は、自分自身を あなたと比較します。
そして私は、あなたはすごく利巧だ、 などと言います。
その比較の中で、私は
「やれまあ」と言います。
私は、自分が きわめてつまらないと、悟ります。
いいですか?
これに 付いてきていますか。
ですが、私が比較を持たない なら、私はつまらないですか。
そのとき私は、そのものを、 あるがままに、発見しはじめます。
お分かりになるのか どうかと、思われます。
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56:57
で、私たちは、自分たちの生きている さまを、どうするのでしょうか。
それを、しみじみとさせて、 すみません。
私たちは、何を するのでしょうか。
あなたは、会合に出席するでしょう - 他の種類の、他の形の会合、
議論に、です。
哲学者たちが、 自分の哲学を説明します。
最新の心理学者、非フロイト派、 これでない、あれでない、
最新の人、彼が、あなたに説明してくれる でしょう。
理解されますか。
私たちは、いつの時も、こうしています。
一つのものから別のへ、動いています。
それが、開かれた精神と 呼ばれます。
ですが、私たちは、「このとおりだ。
私はこのようだ。見出そう」と、
けっして言いません - 「なぜ私は、このようなのか。
58:14
なぜ私は、傷、心理的な挫傷を 持っているのか」と。理解されますか。
なぜですか。
なぜ私は、 それらとともに生きますか。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
ですが、誰かの書物を読む・
・・ 例えば・・・または、
クリシュナムルティの講話に出席し、それ から、また引用して、「そのとおりだ。
私はこれらを暗記 している!
」と。(笑)
私はこれを、六十年以上、 やってきています。
で、あなたは、私を 引用しなくていい。
が、あなたが、引用しないで、 自分自身で見出すなら
- 理解されますか - もっと大きな エネルギーが、あります。
もっと面白く、
もっと生きています。あなたは、 はるかに生きてきます。
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59:27
「思考に対する、 注意の関係は、 何ですか。
注意と思考との間に、 隔たりが、ありますか」。
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59:40
いいですか? これは、良い問いです。
なぜなら、それは、 私たちに影響するからです。
すなわち、注意とは何ですか。
注意に対する思考の関係は、 何ですか。
注意には、自由がありますか。
いいですか?
これは、私たちに 影響する問いですか。
すなわち、私たちは、集中が 何であるかを、知っています。
ですね?
私たちの ほとんどは、知っています。
子ども時代から、私たちは 集中するよう、訓練されます。
その集中の含意は、 全エネルギーを、特定の点へ
狭めてしまい、その点へ 取りすがることです。ですね?
1:00:37
学校で少年は、 窓の外を、見ています。
鳥たちと樹々のすべてと、 木の葉の動きを、見つめています。
または、リスが樹に 登っていくのを、です。
そして、教育者は、「ほら、 君は、注意を払っていない。
本に集中しなさい」と 言います。
ですね?
「私が言っていることを 聞きなさい」などなどと、です。
それは、何ですか。
それに入ってください。
それは、何ですか。
あなたは、注意より、集中を はるかに重要にしています。
すなわち、少年は、 窓の外を見ています。
あのリスを、 見守っています。
私は、彼が見守るのを、助けるでしょう - 私が教育者であるなら、です -
私は、彼があのリスを、完全に 見守るのを、助けるでしょう。
1:01:33
よろしいですか。 それを見守る。
尻尾、口、鼻の動きを、 見守る -
その爪がどうなのか、あらゆるものを、 です。
それを見守る。
そのとき、彼は、それを 注意深く見守るのを、学ぶなら、
いまいましい本へ、注意を 払うでしょう。
(笑)
私が言っていることに、 付いてきていますか。
で、矛盾は、何も ありません。
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1:02:02
で、注意は、そこに矛盾が ない精神の状態です。ですね?
「私は注意しなければ ならない」と言う、
実体や中心や点は、 ありません。
その状態には、エネルギーの むだが、ありません。
ところが、 集中には、いつも、
制御する過程が、 進んでいます。
私は、あのページに集中したいが、 思考は、さまよってしまいます。
そのときあなたは、それを引き戻します。
で、常なる闘いが、進んでいます。
ところが、注意には、あなたはそれに入る なら、それは本当は、きわめて単純です。
誰かが、「私はあなたを 愛している」と言い、
彼が本気で、そう言うとき、 あなたは、注意しています!
あなたは、「あなたは、私がすてきに 見えるとか、私はお金を持っているとか、
色っぽいとか、あれこれだから、私を 愛していますか」と言いません。
私が言っていることに、 付いてきていますか。
で、注意は、集中より全然 違っている何かです。
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1:03:33
この注意は - 質問者は、訊ねます -
思考に対する、 この注意の関係は、何ですか。
いいですか?
明白に、何もない。
これに付いてこられるのか どうか、私は知りません。
集中は、思考に 関係を、持っています。
なぜなら、思考は 方向づけるからです。
「私は学ばなければならない。
私は、自己を制御するために、集中 しなければならない」と。
ですね?
そのとき、思考は、一つの点から 別の点へ、方向づけを与えます。
ところが、注意の中に思考は、何の所を も持ちません。あなたは、注意します。
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1:04:37
「注意と思考との間に、 隔たりが、ありますか」。
神様!
私たちが先日、 説明しましたように、
あなたは一度、理解するなら、
一度、思考の動き全体が、 掴まれるなら、
あなたは、この質問をしないで しょう。
理解されますか。
私はそれに、答えるでしょうが、
初めに、思考が何であるかが、 理解されなくてはいけません。
理解されますか。
誰かがあなたに、
思考が何であるかを 語るのではなくて、です。
思考が何であるかを、それが いかに生じてくるのかを、見る。
あなたが入るなら・
・・またもや、 私はそうするでしょう。
私たちは それに入るでしょう。
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1:05:34
全的な健忘症が、あるなら、思考は 何も、ありえません。ですね?
ですが、幸か不幸か、私たちは、 健忘症の状態に、ありません。
そして、思考が何であるかを、 見出したいと思います。
それは生において、 どんな所を、持っていますか。
理解されますか。
で、考えることを、 検討しはじめます。
ですね?
で、考えるとは、 どういうことですか。
考えることは、記憶への 反応として、起きます。
明白です。
記憶は、挑戦へ、問いへ、 行為へ、応答します。
または、何かへとか、観念へ、 人物への関係において、応答します。
ですね?
これらは、 生において、見られます。
で、考えることは、どういうこと ですか。
思考とは、何ですか。
人間の精神において、思考は いかに存在しますか。
で、そのとき訊ねます - 記憶とは何ですか。
理解されますか。 記憶とは何ですか。
1:07:07
記憶はこうです - あなたは、何か噛み ついてきた虫を、踏みつけました。
その記憶、その痛みが、登録 されて、頭脳に蓄えられます。
その痛みは、記憶になりますが、 それは、実際の痛みではありません。
その痛みは、過ぎてしまったが、 記憶は、留まります。
で、次回、あなたは、 気をつけています。
で、痛みとして経験が、ある。
それが、知識になったのです。
その知識、経験は、 記憶です。
その記憶が、思考として 応答します。
ですね?
その記憶が、思考です。
知識は、どれほど広くても、どれほど 深くても、どれほど広汎でも、
いつも、制限されているに ちがいありません。
ですね?
完全な知識は けっして、ありません。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
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1:08:25
で、思考はいつも、部分的で、 制限され、分割的です。
なぜなら、それは、自体において 完全ではないからです。
自体において、それは、けっして 完全ではありえません。
それは、完全性について、 考えられます。
理解されますか。
それは、総体、全体について、 考えられますが、それは・
・・
思考自体は、 全体的ではありません。
で、何でもそれが、創り出すもの - 哲学的に、宗教的に、です -
それはやはり、部分的で、 制限され、断片的です。
なぜなら、知識は、 無知の一部であるからです。
理解されますか。
これを理解されるのか どうか、私は知りません。
知識は、けっして、 完全ではありえないので、
それはいつも、無知と手に手を 取って行くにちがいありません。
いいですか?
それは、 論理的で、合理的です。
思考の本性を理解し、
集中が何であるかを、 理解するなら、
そのとき、思考は 注意できません。
なぜなら、注意は、エネルギー すべてを、注ぐことであるからです
1:09:54
- 理解されますか - 何の抑制もなしに、です。
これを理解されるのか どうかと、思われます。
あなたが今、聞いているなら - そうなさっているのを、望みますが -
あなたは、聞いていて、注意 しているなら、何が起きますか。
注意している「あなた」は、 ありません。
ですね?
「私は注意しなければらない」と 言う中心は、ありません。
あなたは、注意しています。
なぜなら、それは、あなたの生、 あなたの興味であるからです。
あなたは、興味を持たないで、 日向に寝そべっていて、
「まあ、私は部分的に聞こう」と言う なら、それは、違った事柄ですが、
あなたは、真剣であり、注意を注いでいる なら、すぐに、あなたの問題すべてが、
そのすべてが去ったことを、見出す でしょう - 少なくとも、当面は、です。
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1:10:54
で、問題を解消することは、 注意することです。
それを捉えられたのか どうかと、思われます。
これを理解されますか。
それは、 ごまかしではありません!(笑)
何時ですか。
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1:11:17
聴衆: 1時まで17分です。
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1:11:21
K: すみません。 1時まで17分です。
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1:11:24
で、他の問いは、 同じ種類のです。
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1:11:35
これは、最後の 質疑応答会合なので、
私たちはおそらく、このうち幾らかが、 土曜日と日曜日に、再会するでしょう。
その後、閉店します!(笑)
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1:11:54
で、これらすべての質問、 それら250以上の問いは、
いつも、どうやら、 自分自身の事実を
取り扱っていません。 理解されますか。
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1:12:17
なぜ私の精神は、おしゃべり していて、こうも休まないのですか。
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1:12:23
よろしいですか。あなたは、 そういう質問をしません!
あなたはその問いを、自分自身に したことが、ありますか。
なぜあなたは、こうも休まないの ですか - 特に、この国では、です。
精神は、こうもおしゃべりし、 休まず、動いていて、
一つのことから、もう一つへ進んで います。
常に娯楽 - ですね?
なぜ、あなたの精神は、 おしゃべりしていますか。
あなたは、それについて、 何をするのでしょうか。
いいですか?
あなたの即時の応答は、それを 制御することです。
ですね?
「私はおしゃべりしてはならない」 と言う。
それは、どういう意味ですか。
制御者こそが、 おしゃべりしています。
それがお分かりになるのか どうか、私は知りません。
それがお分かりに なりますか。
「私はおしゃべりしてはならない」 と言う制御者は、
彼自体が、 おしゃべりの一部です。
それの美しさが、 分かりますか。
で、あなたは、何を するのでしょうか。
進んでください。
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1:13:58
聴衆: それを見守ります。
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1:14:00
K: あなたがそれを観察 するなら、あなたが、
「ほら、私の精神は、おしゃべり している」と言うなら、
私は、おしゃべりの 原因を、検討できます。
なぜなら、おしゃべりは、占有された 精神の一部であるからです。
ですね?
あなたが注目されたのかどうか、 私は知りません。
精神、
頭脳の構造全体は、何かに 占有されなければなりません。
いいですか。
セックスに、問題に、 テレビに、フットボールへ行くこと、
教会へ行くことに、です。
それは、 占有されなければなりません。
いいですか?
なぜですか。
なぜそれは、占有され なければなりませんか。
それは、占有されて いないなら、
あなたはむしろ、不安定でないですか。
占有されないのを、恐れないでしょうか。
よろしいですか。あなたは、 空っぽに感じるでしょう。
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1:15:07
いいえ?
あなたは、 迷った感じがします。
あなたは、感じます - そのときあなたは、 自分が何であるかを、悟りはじめます。
内側に、ものすごいさびしさが、 あることを、です。
いいですか?
それで、苦悩すべてをともなった、 その深いさびしさを、
回避するために、 精神は、おしゃべりします。
それ以外の、他のあらゆる 物事について、占有されます。
そのとき、それは、 占有になります。
よろしいですか。
私は、外的な物事すべてに 占有されていないなら -
料理、皿洗い、洗濯、 家の掃除などのように、です。
そのときそれは、「私はさびしい。
それが私の関心事です」と
言います。よろしいですか。
1:16:03
「私はそれを、どう乗り切るべきか。 それについて、話そう。
私はどんなに、みじめなのか」と。
おしゃべりに戻っています。
ですが、あなたが、「なぜ精神は、 おしゃべりしているのか」と言うなら
- その質問をなさってください。
私とともに、進んでください。
なぜ、あなたの精神は、 おしゃべりしていますか。
けっして一瞬も、それは 静かではない - 理解されますか。
けっして一瞬も、どの問題からも 完全な自由が、あるときが、ない。
いいですか?
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1:16:51
で、またもや、この占有は、 私たちの教育の結果ですか。
私たちの生の 社会的本性のそれ、ですか。
それらはすべて、 言い訳です。
明白です。
が、あなたの精神がおしゃべり しているのを、悟るとき - 悟るなら、
それを見つめるなら - よろしいですか。
それとともに待ち、それとともに居る。
説明ができているのか どうか、私は知りません。
私の精神は、おしゃべり しています。
いいですよ。
私は、それを見守りましょう。
私は 「いいよ、しゃべりなさい」と言います。
私はそれに注意しています。
よろしいですか。
これを理解なさるのか どうかと、思われます。
私は注意しています - それは、
私がおしゃべりしないように していない、という意味です。
私は、「私はそれを抑圧しなければ ならない」とか、そのどれをも、
言っていません。
私はただ、 おしゃべりへ注意しています。
あなたは、そうするなら、 何が起きるかが、分かるでしょう。
そのとき、あなたの精神は、こうも 明らかで、このすべてより自由です。
たぶん、それが、正常な健康的な 人間の状態です。
ですね?
それで十分であると、 思います。
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