OJ81T1 - 人類の危機の根は、何なのか。 home
第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月2日

0:28 まさに最初から、私たちは 一定のことを、きわめて明らかに すべきだ、と私は思います。 これは真剣な集会です。 これは、知的とか情動的な娯楽ではありません。 また、指摘してもいいかもしれません - 私たちは、どんな宣伝をも しようとしていません - どんな理想のため、信念のため、 結論のため、概念のためにも、です。 私たちはインドから、何か異国風のものを、 持ってこようとしていません。 なぜなら、私はそこで生まれたけれども、 ヒンドゥーではないからです。 私たちは、あなたに何をも、 説得しようとしていません。 どうか、その点について、 全く明らかであってください。 ともに私たちは、 敏感に気づこうとしています - どんな先入観もなく、 同一視もなく、 選択もなく、 世界で起きつつあることに、 気づこうとしています 2:17 - 外的、外面的にだけではなく、 また内的にも、です。 私たちが何になったのか、 社会が - すなわち人間たちが 築いてきたものが - 何に到ったのか、です。 私たちは、世界で起きつつあることに、 敏感に、選択なく、気づこうとしています - - すなわち、人間たちが創り出してきたものに、です。 崩壊しつつある世界。 ものすごい暴力、分割、 民族性、国籍、 宗教的な分離、分割がある世界、です - すべて、人、人間たちの分割に、 到達しています。
3:36 もし自らが気づくなら - どの特定の視点からでもなく、 客観的に、一定の注意と 感情をもって気づくなら、 人間、私たちが、社会、共同体を もたらしてきたことを、 観察せざるをえません - すなわち、他の人たちにより、 専門家により、テクノロジー従事者により、 教育されつつある人々の共同体を、です。 私たちは、自分たち自身を 教育しつつありません。 古代や現代の誰か哲学者に沿って、ではなく、 誰か心理学者に沿って、とか、 何か傾倒した党派的な・ ・・ 誰か導師に傾倒して、ではなくて、 むしろ、私たち自身を教育し、 私たち自身へ、全的に責任を持つ。 そして、心理的に、誰にも依存しないのです。 私たちは、郵便配達人、市場などに、 依存しています。 5:47 しかし、見たところ、 自らが気づき、観察すると、 私たちは、いわゆる自由の中で、 私たち自身を、破壊しつつあるのです。 これらはすべて、明白な事実です。 道徳的、倫理的、美的に、 私たちは、ますます低俗に、 ますます自己中心的に、なりつつある。 ますます、全面的に自分自身に、 関心を持ちつつある - 自分の感情に、自分の問題に、 自分の充足に、自分の特定の欲望が 表現されることに、です。 これが自由と呼ばれます。 全体主義諸国において、そうであるように、 その自由が拒否されるとき、 反対論者たちが、いる。 大変多くの紛糾が、ある。 他のどことも同じように、です。
7:28 問題は、増大しつつあります。 私たちの社会、私たち自身、 私たちの経済的な条件、 貧困、人口過剰、宗教的分割は、 人の破壊を、もたらしつつあります - 人というのは、女も、という意味です。 危機は、政治的ではありません。 危機は、経済的でも、 宗教的でもありません。 危機は、意識に、私たちの精神に、 私たちの心に、私たちの頭脳に、ある。 危機は、そこにある。 政治家は、どれほど有能でも、 そして、科学者、生物学者、 微生物学者など - 彼らは、私たちの問題を、解決しようと していません。 彼らは、そうしてきませんでした。 おそらく彼らは、私たちの問題を、 もっともっと増大させるでしょう。
9:12 これらを考慮すると、どこから始めますか。 明白に、語り手は世界の この地方(アメリカ)にいますが、 ここでは、彼らは、流行り物に次ぐ流行り物、 好き勝手に次ぐ好き勝手をして、 様々な種類の風変わりで無意味な・ ・・ 導師に、加わっています- 私は、 かなり白痴的な、と言おうとしていました。 ここでは、他のどことも同じく、 私たちは、あらゆることについて、 何をすべきかを、言われつつあります。 あなたは、ラジオを聞いてきたなら - おそらくあなたたちのほとんどがそうでしょう - あなたは、夫とどう適切なセックスを するかを、言われます。 あなたは、どう考えるのか - むしろ、何を考えるのか、 どう若くなるべきかを、言われます。 つづいている教示全体、です - 何をすべきかを、言われています。 これは、誇張ではありません。 これは、明白な事実です。 11:11 内に何か紛糾があるなら、 私たちは、即時に 誰か心理学者へ、司祭者へ、 誰か導師へ、向かいます。 または私たちは、物事を無視するか、 ありのままに受け入れます。 で、私たちは、自らの誠実さ、 自分自身への全的な責任の間隔を、 まだ失っていなくても、 次第に失ってきたのです。 文化、現代の文化は、 世界中へ輸出されつつあります - 原子爆弾、コンピューター、 他の人間たちを破壊する手段、 戦争です。 それは、まねをするのが、最も易しい国です。 そういうわけで、世界中で アメリカは、仰ぎ見られているのです。 彼らはみんな、ここに来たい、 お金を稼ぎたいのです - 導師たちのように、何か白痴的な戯言 などによって、太るのです。
12:54 それは確かだ、と思います - 自分自身を、どの特定の 部分とも同一視せずに、 これらを非個人的に検討するなら、 これの真理は、明白です。 私たちは、成熟する前に、 すでに衰退しつつある。
13:28 で、そのとき人は、何をすべきでしょうか。 私たちは - あなたと私、他の人たちは - 関心があるなら、 何に関心があるのでしょうか。 関心がなければなりませんが、 私たちがそこで生きている このひどい世界、危険な世界について、です。 そこでは、あなたは、不同意するなら、 殺されつつあります。 または、強制収容所へ送られたり、 破門や除名されたり、 孤独へ追い込まれ、 投獄されるなどなどです。 人へ、何が起きてきたのでしょうか。 あなたへ、何が起きてきたのでしょうか。 人は、百万年以上の後、なぜ、 このようになったのでしょうか。 これらの根本原因は、何でしょうか。 14:56 このひどい混乱、 人間たちへ、他の一人への この全的な無視の起源は、何でしょうか。 私たちの病気の原因は、何でしょうか。 私たちのほとんどは、症状を扱います - 幾つかの表面的な反応を、です。 私たちは、それらへの解決を、 見つけようとします。 しかし、見たところ私たちは、けっして、 根源的な、基本的な問いを、訊ねません。 私たちはけっして、自分たち自身に、 根源的な問いを要求するように、見えません。 指摘してもよろしければ、 正しい答えを得るかもしれないのは、 基本的な問いをする中でのみです。
16:26 基本的な問いは、検討するなら、 危機は、おそらく この危機は、人間存在に、いつも存在してきた。 危機は、私たちの意識にある、 ということなのです。 意識は、あなたが考えることです。 あなたなるものです。 瞬間的な応答だけではなく、 意識 - あなたの特定の欲望、 特定のあこがれ、特定の充足、 同一視、恐れ、楽しみと 悲しみ、痛み、嘆き、 愛と慈悲の欠如、 意識の内容に、 思考が組み立ててきた 物事すべての意識、です。 17:48 そのすべてが、私たちなるものです - 私たちの信念、 私たちの経験、 私たちの憂鬱、 私たちの無量のさびしさと絶望の感覚、 愛されたい、励まされたい、まとめられたいとの 私たちのあこがれ。 そのすべてが、私たちの意識です。 私たちの民族性、 私たちの二千年の独特の宗教 - それは広大な宣伝です。 または、アジア世界では 五千年、または三千年です。 そのすべてが、私たちの意識です。 何であれ、思考が組み立ててきたものは、 外的に、テクノロジーの世界においても、 内的な世界において、心理的に 思考が組み立ててきたものも、 私たちの意識の一部です。 19:24 危機は、そこにある。 テクノロジーの発達には、ない - それは、圧倒的ですし、 ほとんど世界を破壊しつつありますが。 危機は、信念に、信条に、 何か分派的な集団には、ありません。 危機は、どこか外のあちらにはない。 それは、あなたがいるところに、ある。 危機は、あなたの意識に、あるのです。
20:24 見たところ、私たちはそれに、 応えることができないようです。 私たちの多くは、危機を認識するのです - 私たちが、地球的に 起きつつあることに、気づくなら、 あなたが敏感で、鋭敏であるなら、です - どの科学者、政治家、経済学者や、 生物学者も、彼らが行っている とてつもない実験をもってしても、 応えられないことを知って、です。 危機は、私たちの精神に、 私たちの心に、ある。 すなわち、私たちの意識に、です。 危機を認識すると - なぜなら、それは、あらゆる人の 危機であるからです。 あなたのや私のだけではなく、 それは、地球的な危機です。 それは、人類の危機です。 今、私たちは、互いを完全に、 全部、消滅させられる点に、 到っています - 原子爆弾、新しい戦争の テクノロジーなどです。 22:09 自らはこれらに、気づいているのか どうか、と思われます。 自分たちの特定の小さな問題に、 関心を持つだけではなくて、です。 それもまた、私たちの危機の一部です - 私たちの特定のさびしさ、 憂鬱、悲しみ、痛み、楽しみ。 それは、これの一部です - 私たちの意識の、です。 しかしまた、人の、一人の人間の 地球的な意識。 その意識は、あなたの意識ではありません。 それは、地球的な意識です。 なぜなら、あらゆるところで、 人は苦しんでいて、 さびしく、絶望していて、 ひどく不安定で、怯えているからです - 愛、慈悲、智恵の全くの欠如、です。 それは、人間すべてが ともに拠って立つ、共通の基盤です。
23:38 で、危機をともなったこの意識は、 あなたの意識ではありません。 これがきわめて明らかであって ほしいと、願っています。 なぜなら、あなたは苦しみ、 不安定であり、 怯えていて、 さびしいからです。 関係において、自らが経てゆく物事すべては、 世界中で、辿られつつあるのです。 ロシア、シナや、東洋や ここ(アメリカ)に生きていても、 彼らは、これらを経ていきます。 で、この意識は、あなたのや、 私のではありません。 この意識は、地球的です。 人間すべての一部です。
24:55 私たちのほとんどにとって、それが とても困難であることを、私は知っています - これを見る、これを認識し、 それについて何かをすることが、です。 なぜなら、私たちはみんな、自分たちは ひどく個別的であると、考えるからです。 なぜなら、私たちは自分自身を、 自分の身体と、反応と、 民族性、国と、同一視してきたからです。 で、私たちは、自分たちは 個人であると、考えます。 私たちは個人ですか。 あなたは、その問いを、 訊ねたことがありますか。 表面的にではなく、基本的に、 その問いを要求する - あなたは実際に、 個人であるのかどうかを、です。 (個、インディヴィヂュアル)それは、 分割不可能だ、という意味です。 26:03 その言葉の意味は、分割不可能である、 砕けていない、断片化していない、です。 それが個人です。 私たちは、そうでしょうか。 または私たちは、 百万年以上の集合的な経験、 集合的な知識、 集合的な信念などの 結果でしょうか。 語り手は、共産主義者ではありません。 彼は全的に、宗教的な人物です。 彼が「宗教」という言葉を使うとき、 それは、いかなる宗教にも 所属しない、という意味です - キリスト教、ヒンドゥー教、仏教や、 宗派的な事柄に、です。 しかし宗教は、究明を含意、意味しています - 何が真理なのかを、懐疑的に究明する、 疑いをもって探検する、 懐疑的に問うのです。 27:40 それが宗教です。 世界中で行われている戯言すべて、 しっかりと確立され、体裁がよく、 収益の出るもの、ではない。 あなたがこの問いを 訊ねていると言うとき - 私たちはそもそも、個人であるのかどうか、です。 なぜなら、私たちの頭脳は、時をかけて、 進化してきたからです - 大変多くの経験、知識を蓄積して、です。
28:32 その頭脳 - それは、あなたのでしょうか。 どうぞ、あなた自身に、 この問いを訊ねてください。 お願いしてもよろしいければ、どうか、 あなた自身を、それと同一視しないでください。 そのときあなたは、とうてい その問いを、訊ねられません。 あなたが、「私の頭脳は私のだ」と 言うなら、それは終了しています。 探究すべては、終わりになります。 しかし、あなたは探究しているなら、 あなたが敏感に、成長、進化に気づくなら - 微生物から、人間の頭脳の現在の状況へ、です。 それは、時をかけて、進化してきました。 何百万年に何百万年もかけて、です。 遺伝子的に、遺伝、その他です。 この頭脳は、私たちのではありません。 それは、人間たちの頭脳です。 とてつもなく有能である頭脳 - それがテクノロジーの分野で、 何をやってきたのかを、見てください。 それが民族性の分野で、何をやってきたのか、 それがいかに、神々、理論、救い主などを、 創案してきたかを、見てください。 30:42 あなたが、これらに気づいているのか どうか、と思われます。 その頭脳は、思考の道具でもって、作動します。 思考がその道具です。 思考は、テクノロジーの世界を、 創り出してきました。 思考は、民族性、国籍を、 創り出してきました。 思考は、人間たちを分割してきました - 黒、白、紫と、その他すべてです。 思考は、宗教を分割してきました - キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、 イスラム教徒など、など、などと。 思考は、私たちがそこに生きる この世界を、作ってきました - テクノロジー的な世界とともに、 心理的な世界をも、です。 自らはこの事実に、気づいているのか どうかを、再び私は訊ねましょう。 思考は、すばらしい大聖堂、教会を 創り出してきました。 また思考は、それらの中に 置かれたものをも、創り出してきました - 儀式、ろうそく、祈り、 象徴、救い主。 インドでも、世界中の他のところでも、 そうであるように、です。 32:31 思考は、戦争に責任があります - 広島(の原爆)に、 人の混乱、心配、不安定の 現在の状況に、です。
33:01 それで、思考は、この意識の一部です。 思考は、その意識の内容を、 組み立ててきました。 これは、反論不可能です。 私たちが言いましたように、どうぞ、 私たちは、どんな特定の観念の、 どんな宣伝をも、していません。 私たちは、一緒に - どうぞ、今、一緒に、です - 敏感に気づこうとしています。 どんな選択と同一視もなく、 私たち自身の意識、 私たち自身の存在の内容を、 ごく間近で見つめるのです。 そこから、私たちは行為します。 そこから、私たちは機能します。 そこから、自己、「私」は、創り出されます - それが、私たちの意識です。 思考がそこに、それを置いてきたのです。 34:25 あなたが、自分はキリスト教徒だ、と言い、 あれやこれを、救い主などを、 信じているとき、 思考がそれに、責任があったのです。 あなたが、どの種類の儀式をもするとき - すべての宗教においてのように、です。 これら、たわけた儀式は、何の意味もないが - それは、思考の結果です。 あなたは、これらを 聞きたくないかもしれません。 これらは、事実です。 思考が、責任があるのです。 思考は、自然を創り出してきていません - 樹、虎、 星々をもった天空を、です。 しかし、天体物理学者は 宇宙空間を、探検できます。 それはまたもや、思考の動きです。
35:33 で、意識における、 私たちのまさに存在における 危機を、理解するには、 思考の本性を、ごく間近で 探究しなければなりません。 なぜなら、それは、私たちが持っている、 唯一つの道具であるからです。 私たちは、直観、勘などを、 創案するかもしれません。 しかし、それはやはり、思考の基礎です・ ・・ 思考が、このすべての基礎なのです。 自らはこれを認識し、 思考が何をしてきたのが、 見えるのかどうか、と思われます。 思考は、私たちがそこで生きる世界を、 私たちがそこで生きる社会を、 創り出してきました。 社会は、抽象です。 36:57 社会は、抽象です。 実在するのは、人と人との間の関係です。 社会主義者、共産主義者、 民主主義者などは、 社会を、変化させようとしています - 世界中で、社会構造を、です。 しかし、彼らはけっして、人と人、 男と女などの間の関係に、 関心を持っていません。 なぜなら、その関係が、社会を作るからです。 それは、またもや事実です。 あなたの、他の一人との関係が、 正確で、真実で、誠実さを持っているなら、 あなたの社会は、そのとき 全然、違っているでしょう。 しかし、抽象であるその社会は、 機械により、変化させられつつあります - 革命によって、ではない。 コンピューターにより、原子爆弾により、 思考がもたらしてきた テクノロジーの発明すべてによって、です。 それが、社会を、構造を、 変化させつつあるのです。 38:30 しかし、人間たちは、 ありのままに留まります - 利己的で、自己中心的です。 自分の威厳、自分の虚栄、 自分の野心、自分の充足、 自分の欲望に、完全に 関心を持っています。
38:58 で、理解して、危機に 根本的な変化をもたらすには、 または、その危機へ正確に応答するには - それは、精確に、完全に、という意味です - 思考の本性を、とても深く 探究しなければなりません - なぜ思考は、生において、こんなに とてつもなく重要になってきたのか、です。 思考より別に、 もう一つの道具が、あるのでしょうか。 私たちは、よく気をつけて、 それに、入ろうとしています - どんな迷信もなく、 神秘化もなく、 受け入れ、信を置く、 それらの戯言の感覚もなしに、です。 私たちはともに、検討しようとしています - 思考とは何なのか、 それがどのように、このひどい乱れと 問題などを、創り出してきたのかを、です。 私たちはまた、ともに、 検討しようとしています - 思考が、この危機の解消の道具でないのなら、 他のものが、あるのでしょうか。
40:38 どうぞ、私たちが指摘したように、 私たちはともに、探検しています。 あなたは、語り手が言っていることを、聞いて、 単に受け入れたり、同意したり、 しなかったり、していません。 見出すように、ともに加わっています。 なぜなら、語り手は、どんな権威をも、 持っていないからです。 彼は、導師ではありません - ありがたい! で、教える者と教えられる者との 関係は、ないのです - その関係は、全く虚偽です。 学びの行為だけが、ある。 あなたが私に教える、私があなたに教える、 ではない。 それは滑稽になります。 むしろ、ともに、 二人の人間として、 一緒に考えます。 41:57 それは、あなたが私に同意するとか、 私があなたに同意する、という意味ではなく、 思考の本性をともに検討する、 という意味です。 なぜなら、思考により、私たちは生きるし、 思考により私たちは、互いに破壊しあうからです。 で、思考は、私たちの生において、 驚くほど重要になったのです。 思考は、私たちの関係において、 私たちの一人一人を、分割します - 男と女を、です。 あなたがそれに、入ったことが あるのかどうか、私は知りません - いかに思考は関係を分割し、 それで、その関係に、 永続的な闘いが、あるのか、です。 私たちは、それらに入るでしょう。 おそらく、この第一回の講話の間ではない。 幾つもある - 六回の講話が、あるでしょうから、 私たちはこれらに入るでしょう - あなたが興味があるなら、です。 43:25 語り手は、あなたを説得していません。 彼は、あなたを刺激していません。 彼は、薬物として、作用していません。 ともに私たちは、この危機を見るでしょう。 私たちは、この危機を解消するか、 この危機に適切に、応答しなければなりません - 私たちの特定の狭い信念や信条や、 或る種の白痴的概念に沿って、ではなく、 直接的に、健全に、理性的に、です。
44:13 で、私たちは訊ねています - 思考の本性は何なのか、そして、 思考はなぜ、こんなに破壊的に 重要になってきたのか、です。 あなたは言うかもしれません - 「もし思考がないのなら、 私は植物人間になってしまう」と。 思考は、その役割を持っています。 持っています。 また思考は、このひどい原子爆弾を、 もたらしてきたのです - 人間たちを破滅させようと しているものを、戦争を、です。 思考は、世界を 民族性、国籍へ、分割してきました。 思考は、キリスト教徒を、イスラム教徒より、 ヒンドゥー教徒より、分割してきました。 分割しておいて、それは、「私たちは 互いに、愛し合わなければならない」と言う。 45:40 分割しておいて、それは、 「あなたの悲しみへ責任を持つ、唯一人の救い主が、 いる」とか、その他すべてを、言う。 思考は、これらへ責任があります。 私たちは本当に、思考の動きと その活動すべてに、敏感に気づかないのなら、 この危機に、応えることが できないでしょう。 応えられないのなら、私たちは、 互いに破壊し合うでしょう。 これは、予言ではありません。 あなたは、それが壁に見えます。 そこに書かれています - 私たちが、完全に盲目であり、 完全に鈍感であり、 自分の些細な小さな自己に、 没入しているのでなければ、です。 46:50 それはすべて、そこにある。 誰にでも見えるのです - 何が起きつつあるのか、 何がされなければならないのかが、です。 で、ともに、です。 私は、ともに、と言っています。 語り手があなたに語ろうとしていて、 あなたはそれを受け入れる、のではない。 そのときそれは、かなりばかばかしくなります。 ともに見出すのです - 思考はなぜ こんなに至高になったのか、 思考の本源は何なのか、 思考の起源は何なのか、 思考の始まりは何なのかを、です。
47:51 私たちは、もう十分間を持っています。 時は、とてつもないものです! 時を理解する - なぜなら、 時はまた、思考でもあるからです。 で、私たちは、思考の本性を 理解するなら、 時の本性を理解するでしょう。 思考に終わりがあるのなら - それが本当の冥想です - 時に終わりがある。 物理的な時ではなく、どこで時は 止まらなければならないのか、です。 私たちは、これらすべての講話において、 それを私たち自身で、発見しようとしています。 すなわち、あなたは聞こうとなさるなら、 分かち合おう、 ともに考えようとなさるなら、 49:18 私たちは自分自身で、それを 見つける、発見するでしょう - 他の人から教えられるのではなくて、です。 あなたは、他の一人から教えられるなら、 受け売りの人間になります - 私たちはそうなのです。 私たちは、あらゆる人が考えてきたことです - アリストテレス、ギリシャ人から、 古代のヒンドゥー教徒、 古代の仏教者などなどから、 そのすべてが、手渡されています。 私たちは、そのすべてです。 で、私たちは、全く凡庸な人々です。 何も本源的なものが、ありません - テクノロジーの分野において、ではない。 もちろん、発明、創案はあります。 あなたは、その発明と同一視します。 そして、自分は独特であると、考えます。 50:24 しかし、思考は、人類すべてに、 共通しています - 黒、褐色とか、いかなる色や 民族、国籍などであっても、 思考は共通です。 ゆえに、私たちみんなの間に、 共通の束縛がある。 私たちは、思考のとてつもない微妙さを、 その記憶とともに、 理解するのでなければ、 この危機に応えることが、できないでしょう。 で、時間が許すなら、 私たちはそれに入るでしょう。 なぜなら、私はちょうど一時間で、 止めなければならないからです。 あと五分!
51:30 私たちは、思考の起源を、 探究しています - 五分間で、です。 しかし、私たちは、それが できるし、前進するでしょう。 今朝、完全にそれをできないなら、 明日の朝と、他の時に、そうするでしょう。 思考は、経験から生まれます。 思考は、経験から生まれます - 経験は知識になり、 頭脳に記憶として蓄えられます。 様々な種類の記憶です - テクノロジー的、個人的、民族的、 歴史的、科学的などのです。 で、経験は・ ・・ - 私たちが話をするにつれて、聞き、 あなた自身で、それを発見してください - 経験、知識。 知識から、記憶がある。 過去の物事を憶えている。 52:59 そのとき、記憶から思考です。 そのとき、思考から行為がある。 その行為は、さらに知識を、もたらします。 で、私たちは、これに捕らわれています。 すなわち、経験は、 個人的かも、地球的かもしれませんが、 地球的である知識 - 知識は、頭脳の中に 記憶として蓄えられています・ ・・ その記憶から、応答する。 応答、それが思考です。 そのとき、思考が行為する - このようにか、 あのようにか、正しくか、間違ってか、 上手にか、大きな微妙さをもって、です。 そこから、さらに知識。 で、この連鎖において、人間頭脳は働きます。 人は、この連鎖に捕らわれています。 54:08 それは事実です - あなたが それを、ごく間近で観察するなら、です。 そういうわけで、思考は、 とてつもなく重要になってきたのです。 それは、経験、知識から、生まれるので、 そして、知識はどの時にも、けっして 完全、全体的でありえないので、 思考は、いつも制限されています。 いつも砕けています。 何であれ、それが触れるものは、 分割をもたらすにちがいない。 明白です。ですね?
55:02 で、私たちは、それの真理が、見えますか - すなわち、知識はけっして 完全ではありえない、と。 そのとき思考は、不完全で、制限され、 断片的であるにちがいない。 何であれ、それがすることは、 それが国際連合を創設しようが、 神を創案しようが、 それはいつも、制限されているにちがいない。 ゆえに、不完全であるので、 それは、不調和、葛藤を もたらすにちがいないのです。 これを完全に悟るなら - 理論、観念ではなく、実際として、です - そのとき、思考は、その持ち場が あるのです。 なぜなら・・・ あなたは、この会合の後、自分が どこへ行こうとしているかの知識を、 持っていないなら、それは不条理でしょう。 で、知識は、その持ち場があるのです。 しかし、知識、心理的な知識 - すなわち、思考が組み立ててきた「私」、自己です。 自己中心的な活動は、 他の一人との関係において、 葛藤、混乱、悲惨を、もたらします。
56:57 で、それを、きわめて深く理解するなら、 そのとき、探究しはじめられます - 全然違った種類の道具が、あるのでしょうか - 断片的でなく、全体的であるもの - が、です。 おそらく私たちは、明日それをするでしょう。 私は今、止めなければなりません。
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