RA84T2 - 宗教的な精神は、大いなる美しさの感覚を、持っている。

公開講話、第2回
インド、ラージガート
1984年11月12日
テキストのみのバージョン
|
0:19
私たちは、昨日の朝、話してきた ことを、継続してもいいですか。
私たちは、訊ねていました - 宗教的な精神とは、何ですか。
私たちは、それに 入ってもいいですか。
その言葉「宗教的」(レリジャス)は、 どういう意味ですか - その言葉は、です。
その言葉は、あなたにとって 何を、意味していますか。
またはあなたは、その言葉に、 どう反応しますか。
その言葉の起源、語源的な意味は、 あまり明らかではありません。
そして、宗教的な精神を 探究する中で、
- 私たちが、そもそも真剣であるなら、です。
私たちがそうであるのを、私は望みます -
自らは、見られます - 明白に、です -
すなわち、世界中の宗教の、 現在の構造や本性や、組織は、
本当にまったく何の 意味もないことが、です。
2:01
それらは、たくさんの言葉のごちゃ混ぜです - サンスクリットでも、ラテン語でも、
または、もしあなたがたまたま、ギリシャに いるなら、ギリシャ語などですが。
それらは本当に、 何の意味もありません。
カトリックの現在の 位階構造や、仏教。
または、ヒンドゥー教や シーク教などの多くの様相。
それらは、何の深さも 持っていません。
それらは、儀式、 一種の情動的な刺激と、
まったく意義を持たない たくさんの言葉です。
で、私たちは、本当に宗教的な精神、 頭脳が何であるかを、探究する中で、
私たちは、言語的に ではなく、実際に、
世界の、組織された、 宗派的な、制限された宗教の、
含意すべてを、 脇に置けるでしょうか。
3:26
私たちは、初めにそれを できるでしょうか。
どの導師をも 受け入れない。
なぜなら、宗教の世界には、 何の権威も、ないからです -
書物のも、人物のも、
観念、概念のも、 ありません。
で、私たちは、それらを脇に置ける でしょうか - 霊的な事柄における権威を、
その伝統すべてと ともに、です。
私たちが、そのすべてを 脇に置かれるなら、
文字通りに、です。
言語的に、ではない。
どの導師にも 従わない。
すみません。
これは、あなたたちのほとんど にとって、なかなか厄介かもしれません。
どの書物をも、権威として 受け入れない。
キリスト教徒によれば、バイブル、 イスラム世界、コーランや、
ヨーロッパやインド - 彼ら自身の 多くの他の書物とともに、です。
4:56
私は、これを悟ることが 重要であると、思います -
すなわち、霊的な事柄では、 心理的な事柄では、
主観的な理解の事柄では、
何も権威がない、 ということを、です。
あなたは、それに同意されるでしょうか。
私たちは、それの真理が、見えますか。
あなたは、外科医の権威を、 持たなくてはいけません -
コンピューターの 熟達者のや、
警察官の権威を、です。
それらは、制限されていても、 そこに私たちは、
テクノロジー的な主題を知っている 人の権威を、持たなくてはいけません。
しかし、心理(サイキ)の事柄、 いわゆる霊的な世界の事柄において、
権威は、何も ありません。
6:07
権威は、真実である ことだけです。
私たちは、私たち自身で 見出そうとしています -
宗教的な精神が何であるかを、 探究する中で、ですが、
私たちは、真理が何であるかを、 自分自身で発見しなければなりません。
私たちは、それを探究 しようとしています。
|
|
6:36
これらすべての事柄について、 話をしても、構いませんか。
または、あなたたちは、政治に ついて、話をしたいのでしょうか。
または、ヨーガか、何か、あなたが 崇拝する特定の偶像について、ですか。
しかし、私たちは、真剣であり、 この問いに入りますか。
私たちは、そうしなければ なりません。
なぜなら、宗教は、 新しい文明、新しい文化の
始まり、 起源であったからです。
すべての現在の文化は、崩れ去りつつ、 破壊されつつあります。
私たちは、探究しなければなりません。
それを理解すること、発見することと、
それを生きることが、こうも 切実に重要だと思われます -
宗教の真理を、です。
私たちは、それに入るなら、 訊ねなければなりません -
精神において、頭脳において、 一番、重要なものは、何ですか。
ここで、頭脳と精神の間で、 区別を付けましょう。
8:16
頭脳は、すべての反応、 神経的な応答、生物的な欲求です。
そして、すべての恐れ、 人間的な傷、心配、さびしさ、
すべての思考の活動が、 そこに、中心を置いています。
それが、頭脳と 呼ばれます。
それが、頭蓋骨の中に あります。
それが頭脳です。
そして精神は、確かに、 それらではありません。
精神は、何か頭脳に 関係していないものです。
それが、私たちが言っていること、 語り手が言っていることです。
私たちはこの事柄について、多くの科学者と 生物学者などと、議論してきましたが、
彼らは、それについて、むしろ 躊躇っています。当然です。
9:14
彼らにとっては、それは、 証拠でなければなりません
- 顕微鏡の下で、か、
あるいは、何か動物を 破壊すること、などなど、です。
語り手にとって、精神は、 全然違っています。
どうぞ、私たちが言いましたように、語り手が 言うことを、何も受け入れないでください。
それを問い、それを疑ってください。
それを探究し、それに入ってください。
さもないと、それは、 無意味になります。
|
|
9:59
私たちが言っていましたように、 宗教的な精神を持つことの
一番の要求や、必要性は、 美しさです。
美しさは・
・・特定の形に おいて、ではない。
美しい顔、美しい生き方 など、ですが、
美しさとは、何ですか。
それなしに、 真理は、ありません。
愛は、ありません。
美しさなしに、 道徳心は、ありません。
美しさは、それ自体が、 美徳です。
|
|
10:59
さて、私たちは、ともに探究しようと しています - 美しさは、何ですか。
私が・
・・語り手がそれを 言葉に、表すかもしれませんが、
あなたは、責任を 持たなくてはいけません
- あなた自身で、美しさは 何であるかを、探究するように、です。
美しさは、 絵画に、ありますか。
エジプト人、ギリシャ人の すばらしい古い彫刻、
そして、ボンベイの マヘシュ・
ムルティなどに、ですか。
美しさとは、何ですか。
それは、あなたにとって、 何を意味していますか。
衣装、 美しいサリーの模様、
または、夕べの美しい空や、 朝早くの、です。
山々の美しさ。
野原と谷と 牧場と小川のそれ。
鳥の美しさ、 すばらしい古木のそれ。
12:40
で、美しさは、特定の 文化に、依存しますか。
または、 特定の伝統に、ですか。
インドの織工は、 伝統を、持っています。
彼らは、すばらしい衣服を、 製作します。
図柄を、です。
それが、美しさなる ものですか。
または、美しさは、何か 全然違ったものですか。
頂に雪をかぶった、大いなる 山々を、観察するとき -
万年雪と、氷河と、 深い谷々、
青空を背にして、壮大な、 荘厳な山々の輪郭。
あなたが、それを 初めて知覚するとき、
または、百回目ですが、
実際に何が、 起きますか。
|
|
14:13
私たちは、ともに行っていますか。 または私は、私自身に話していますか。
私は、私自身に話すのを、 気にしませんが、
もしも私たちが、互いに 聞き合っていたなら、
私たちは自然に、この根源的な 問いを、訊ねなければなりません。
あなたが朝日の中で、あの河を 見るとき、何が起きますか -
日がちょうど 昇ってきて、
水面に、金色の道を 作っているのです。
あなたが、それを見つめる とき、何が起きますか。
またはあなたは、何かマントラや、 何か言葉や何かを、反復していますか。
または、その瞬間、あなたは 完全に静寂ですか。
あの水面の上の あの光の美しさは、
あなたの問題すべて、あなたの心配すべて、 他のあらゆる物事を、押しのけます。
数秒か、数分か、 一時間の間です。
それは、自己がそこに ないと、いう意味です。
15:52
自己、自我本位の、 自己中心的な活動、自己利益
- そのすべてが、雲の大いなる 美しさにより、放逐されます。
光と威厳に 満ちたものに、です。
あの瞬間に、自己は不在です。
で、美しさは・・・
美しさは、自己がないとき、 存在していませんか。
あなたは・
・・それに 同意しないでください。
頷いて、「全くそのとおり。
何とすばらしい!」と言って、
それから、自分の醜い道を つづける。
私たちの利己性、 自己関心を、つづけていき、
それから、論理的か、理論的に美しさに ついて、話すのではなくて、です。
美しさは、何か知覚されなければ ならないものです。
思い出として精神の中に、 保たれるのではなくて、です。
17:20
で、美しさは、何か はるかに深くて、
はるかに深遠で広汎なものです - 単なる映像、図柄、
美しい顔や 優美な礼儀作法よりも、です。
自己が、ないときだけ、 美しさが、あります。
それが、宗教的な精神が 何であるかを理解する中で、
必要とされる 第一のことです。
|
|
18:06
また、それを 探究する中で、
それは、地球的な頭脳でなければ ならないことが、分かります -
地方的な頭脳ではなく、宗派、 党派的な、制限された頭脳ではなく、
それは、地球的で なければなりません -
広大な人間の複雑の 諸問題を、理解して、です。
すなわち、 全包括的な精神、
存在の全体を 了解する頭脳です。
あなたの特定の存在、あなたの 特定の問題を、ではありません。
なぜなら、あなたが どこに行こうとも、
アメリカ、ヨーロッパでも、 または、インドやアジアでも、
私たち人間は、 苦しむからです。
私たちは人間は、こうも多くの破壊的な、 創造的な問題を、持っています。
19:22
私たちは、 さびしい人々です。
私たちは、心配です。
恐れています。
慰めを 探し求めています。
不幸せで、悲しく、 憂鬱で、昂揚しています。
人間存在全体が、 これです -
彼らの時折の喜び、楽しみ - 性的なのなどを、もって、です。
で、この全体性の感じを もって生きることは
- これらを 理解されますか。
あなたは、語り手の催眠に 掛かりつつありますか。
あなたは、言葉に圧倒されつつ ないことが、確かですか。
私たちは、こう言っています - 全包括的であり、
人類の全体に関心を 持っている頭脳。
なぜなら、私たちはみんな、 似ていて、同様であるからです
- 私たちが、アメリカに 生きていても、イングランドにでも、
フランスにでも、イタリアにでも、 この国にでも、です。
20:54
私たちはそれを、違ったように 表現するかもしれません。
違った神々、 違った天使、ですが、
私たち人間は、 苦しみます。
あなたが苦しむのか、または、 アメリカ人が苦しむのか、
ヨーロッパ人や、ロシア人や、シナ人でも、 私たちはみんな、苦しみます。
それは、私たちのみんなに、 共通しています。
ゆえに、 宗教的な頭脳は、
全包括的な生きる道に、 関心を持っています。
|
|
21:42
そしてまた、私たちは、私たち自身で 見出さなければなりません -
自然と、私たちの一人一人との 間の関係は、何ですか。
それが、 宗教の一部です。
あなたは、同意しないかもしれませんが、 それを考慮し、それに入ってください。
あなたは、自然と何か 関係を、持っていますか -
鳥たちと、 あの河の水と、です。
その河が神聖だ、 ということではない。
すべての河は、 神聖です。
ますます汚染され つつあります。
あなたはそれを、ガンガとか、 テームズとか、ナイルとか、
ラインとか、ミシシッピとか、 ヴォルガとか、
呼ぶかもしれませんが、 それらはやはり、河です。
あれらとの、あなたの 関係は、何ですか。
樹々と、鳥たちと、
自然と呼ばれる生きもの すべてと、です。
私たちは、それらの一部ではないですか。 で、私たちは、環境ではないですか。
|
|
23:07
私は戯言を 話していて、
あなたたちは気軽に聞いているのか どうかと、思われます。
それは、あなたにとって、何か意味が ありますか - このすべては、です。
または、私は、火星からの 見知らぬ人であり、何かあなたが
本当にまったく関係していない ことについて、話していますか。
それは、何かを意味していますか - このすべては、です。
それは、 あなたしだいです。
|
|
23:42
質問者: 私たちは、自然との関係を 持っていますが、不幸にも・・・
|
|
23:47
K: 何ですか。
|
|
23:49
質問者: 私たちは、自然との 利用の関係を、持っています。
|
|
23:55
K: 私たちは、関係を持っているが ・・・私には聞こえません。
|
|
23:58
質問者: 利用の関係です。
|
|
24:00
K: 何ですか。 質問者: 利用です。
|
|
24:01
質問者: 自然との 利用の関係です。
|
|
24:02
K: 楽しみの関係?
|
|
24:06
質問者: 利用です。 K: 利用ね。
|
|
24:08
明白です。
|
|
24:10
それは、何も新しい ことではありません。
自然は、人により、何千年もの間、 利用されてきました。
彼らは、森林を 破壊しつつあります。
彼らは、河を汚染しつつあります。
彼らは、空気を汚染しつつあります。
彼らは、動物を殺しつつあります - 楽しみのためや、食べ物のために、です。
これは、何百万年もの間、 進んできました。
で、自らが、あなたの、自然との 関係は、何であるかを、訊ねるとき
あなたが興味を持っているのは、 単に利用だけですか。
大地から石炭を 掘る、金を得るとか、
ダイアモンドを見つけるとか、家を 建てるために木々を切り倒すのか。
25:11
それが、あなたの、自然との すべての関係ですか。
あなたが自然と、何も 関係を、持っていないなら、
あなたは、自分の妻と、 何か関係を、持っていますか
- 自分の夫と、 自分の隣人と、です。
あなたたちは、そもそも、 関係を持っていますか。
あなたは、それを 探究したことが、ありますか。
ああ、神様!
それは、宗教の一部 ではないですか -
真の関係が何であるかを、 見出すことが、です。
|
|
26:00
みなさんは、こうもぼーっとして見えます。 みなさんは、眠っていますか。何ですか。
なぜあなたがそこに 座るのかを、私は知りません。
|
|
26:20
関係が何であるかを、 探究しましょう。
他の一人に 関係している。
自然と、大地の美しさ すべてと、だけではなく、
また、関係は 何ですか。
あなたの、語り手との 関係は、何ですか。
あなたの、自分の隣人との、 自分の妻との関係は、何ですか
- 自分の娘と、 自分の夫と、です。
あなたは、何か関係を 持っていますか。
あなたは、この質問を したことが、ありますか。
あなたが、「ええ、彼女は 私の妻です」と言うとき
- または、「私の夫や、 私の彼女です」と、です -
関係するとは、 どういう意味ですか。
他の一人と、どうして 関係が、ありえますか
- どれほど親密であっても、 なくても、
私たちの一人一人が、自分の 道を、追求しているとき、です。
27:43
ですね? 夫は、 オフィスへ行きます。
神様!
みなさんは、これらに 親しんでいませんか。
神様!
やれまあ。
夫は、オフィスへ 行きます。
9時から5時まで、
働き、汗をかき、 いじめられ、侮辱され、
数字を足すとか、 お役所的だとか、
野心的だとか、もっと多くのお金や もっと高い地位を、求めるか、
自分の活動に、関心を持つ。
あなたは、そうしていませんか。
いいえ?
妻は、料理していて、セックス、 子どもを産んでいる。
あるいはまた、 オフィスへ行く。
で、夫と妻は、 平行線を、走っています。
おそらく彼らは、ベッドで出会います。
衝撃を受けないでください。
または、時折か、日々の喧嘩。
互いに、がみがみ言う。いじめあう。
「彼女は、私の妻だ」、 「私の夫だ」、
「あなたは、他の誰をも見ては ならない」と言う。嫉妬。
29:22
これが、 あなたの生です。
で、あなたの、妻との関係は、 どこにありますか -
一人一人が、自分の思考の線と 野心と欲望を、
追求しているときに、です。
そこに、何か 愛が、ありますか。
ああ、後生ですから。
私は、 何について、話しているのか。
生に、愛はありますか - あなたの生に、です。
愛が、ないなら、 宗教は、ありません。
あなたは、寺院へ、一日三回、 行くかもしれません。
あなたは、イスラム教徒で あるなら、一日五回、祈る。
あらゆる種類のばかげた 神々を、崇拝するが、
愛が、ないなら、 生は、意味がありません。
30:38
で、私たちはまた、愛が何であるかを、 見出さなくてはいけません。
愛は、欲望ですか。
愛は、楽しみですか。
愛は、悲しみ、痛み、心配、 嫉妬、憎しみですか。
または、愛は、何かこのすべてより、 全然離別したものですか。
|
|
31:24
あなたは、これらが 聞こえますね。
あなたはそもそも、 これらが聞こえるし、
あなたは、これが事実であると 知るなら - 想像ではない。
何か、思考が創案してきた ものではない。
そしてあなたは、自分の古い生へ、 自分の古い道へ、戻っていくでしょう。
あなたは、「それは、あまりに 困難すぎる」と言います -
「私たちは、これらでもって現代世界に、 生きられない」と。
ですね?
で、あなたは、 続けてゆきます。
そのとき、これらを聞く ことの意味は、何ですか。
あなたは、これらすべての事柄に ついて、考えたことが、ありますか。
または、このすべては、 何か全然新しいことですか。
誰かが、(難解な) ギリシャ語で、話していますか。
で、進行しましょう。
少なくとも、 あなたたちの幾人かは、
言われつつあることへ、 注意を注ぐでしょう。
32:47
で、宗教的な精神や、 宗教的な頭脳は、
大いなる美しさの感覚を、 持っているものです。
美しさは、真理です。
美しさは、道徳です - あなたがどう振るまうのか、
あなたがどう話すのか、 あなたがどう歩くのか、です。
美しさは、永遠であり、時を 超えて、果てしなく続くものです。
また、関係にも、 美しさが、あります。
執着、 ではありません。
執着に、美しさは ありません。
これを 理解されますか。
たぶん、あなたは、 これを反復して、
「美しさは、 執着を持たない。
愛は、執着を持たない」と 言うでしょう。
あなたは、それを反復するでしょうし、 それは、標語になります。
あなたは、反復することにより、 天国に到るだろうと、考えます。
それは、まったく可笑しい ですね - このすべては、です。
|
|
34:32
それで、宗教的な頭脳は、この 美しさの性質を、持っています。
またそれは、真実である 関係をも、含意しています
- 利己的ではなく、 制限されていない。
私は、自分の妻を 愛しているかもしれませんが、
それは、私が自分の妻を愛している だけ、という意味ではありません。
私は、あなたが自分の妻を 愛しているのかどうか、疑います。
あなたたちは、 みんなこうも・
・・
またもや、愛なしに、 宗教は、ありません。
愛は、慈悲を 持っています。
慈悲が、あるところ、 智恵が、あります -
知的な、ずるい、思考の 智恵ではありません。
それは、 制限されています。
愛、慈悲が、あるところ、 制限なき智恵が、あります。
あの智恵が、あるとき、何でも それがすることは、正しい。
正確で、精密です。
|
|
36:11
また、私たちが言いましたように、 ほとんどの人間は、怯えています。
そして、恐れが、 あるとき、
美しさは、ありません。
で、人間たちは、恐れより 自由でありえますか。
私たちは、昨日の朝、 それに、短く入りました。
私たちが言いましたように、 恐れは、時と思考です。
そうね、ただ それを見つめる。
どう時と思考を止めるのかと、 言うのではない。
それは、不可能です。
あなたは、 時と思考を、止められません。
しかし、あなたは、 それを観察できます。
「観察」という言葉 - それが、何を 意味するかを、理解されますか。
ああ、神様!
あなたは、自分の妻を観察し、見たこと、 見つめたことが、ありますか。
あなたは、そうした ことが、ありますか。
あなたは、いつの時も、 頷かれますね。
あなたは、自分の妻を見つめたことが、 ありますか。
|
|
37:44
質問者: いいえ。
|
|
37:46
K: 今、あなたは、頷くのを 止めます。私はうれしいです。
あなたは、樹を、見つめたことが ありますか - 雲を、河を、
路上の子どもを、です。
あなたは、これを見つめたこと、 それを観察したことが、ありますか。
で、観察が何であるかを、 探究しなくてはいけません。
で、どうぞ、
先入観なく、観察する
- 意見なく、 何の判断もなく、
何の価値もなく、 ただ観察する。
あなたがどう座るのかを、 観察する。
あなた自身の思考を、 観察する。
あなたの思考を非難する、 「正しい。
間違っている」、
「私は、こう考えるべきではない。
これは、卑しい思考である。
これは、尊い思考である」、 ではない。
あなたが考えるのを、 ただ観察する。
あなたが衣服を着るさま、 などを、観察する。
39:21
あなたが、自分の恐れを、 そう観察するとき -
それを非難しない。
それから逃げ去ったり、
それを他の何かに 変質させたりしないで、
ただそれを 観察する。
その観察の中で、あなたは、自分の 注意すべてを、そこに持ち込みます。
観察は、完全な注意を 意味しています。
あなたは、そう 観察できますか。
樹を、完全に 観察する。
樹の中のそよ風の 響きを、聞く -
鳥が、羽ばたく、
樹々に止まり、夕べに 呼び交わすのを、です。
ただ聞く、観察する。
あなたが、 そうするとき、
その観察の中での 含意は、
あなたが、自分の注意すべてを、 そこに持ってくる、ということです。
それは、何かに、強い光の 焦点を合わせるのに、似ています。
そのとき、その光こそが、 その炎こそが、
照らされるものを、 破壊します。
41:05
私が言っていることを、 理解されますか。神様!
あなたは、そう するのでしょうか。
または、頷いて、 続けていくだけでしょうか。
あなたが、恐れへ、自分の 注意全体を、注ぐなら、
そのときあなたは、恐れが 完全に去るのを、見つけるでしょう。
しかし、あなたが、それより逃避 しようとし、逃げ去ろうとし、
それを回避しようとし、「恐れる ことは、何とひどい」と言うなら、
そのとき、その活動は、 注意を欠いています。
しかし、あなたが、自分の 完全な注意を、注ぐとき、
それは、大きな光を 点すのに、似ています。
そのとき、恐れの様式 全体が、示されます
- 恐れの始まるのと、 終わるのが、です。
|
|
42:16
そして、注意は、何か実践 されることではありません。
あなたは、私たちがいかに 機械的になりつつあるかに、
注目したことが、 ありますか。
これに、興味が、 おありですか。
あなたたちは、あなた自身の 中で、自分の頭脳が
いかに機械的になりつつあるかに、 注目したことが、ありますか。
あなたは、反復します。
そうでないですか。
あなたは、伝統主義者です。
そうでないですか。
そして、伝統が あるところ
- この制限された意味か、 広汎な意味において、ですが -
それは、 常なる反復です。
あなたは、朝に、 一定の時間に、起きます。
一定の時間に、 床に着きます。
反復し、反復します。
性的に、 反復し、反復し、反復します。
あなたたちは、コンピューターに詳しい ですか。あなたたちの幾人かは?
43:38
現代のコンピューターは、人間の頭脳が できることを、ほぼすべてします。
それは、機械です - 思考に より、組み立てられています。
その機械、 機械的な知性は、
一定の面で、人間の知恵より、 はるかに優っています。
それは、 計算できます。
小さなチップに、百万の メモリを、憶えておきます。
みなさんは、 ご存じない。
そして、ロボットつきの コンピューターは、車を製造しています。
それらは、詩歌を書け、絵を描け、 とてつもないことを、できます。
私は、それらに入らないでしょう。 それは、違った事柄であるからです。
|
|
44:50
で、私たちの頭脳は、機械的に なりつつ・・・機械的です。
これは、事実です。
あなたは、 ヒンドゥー教徒です。
あなたは、それを果てしなく 反復しつづけます。
または、あなたは、イギリス人や フランス人や、あれやこれです。
で、私たちの頭脳は、 機械的になったのです。
そして、私たちが言いましたように、 思考は、制限されています。
そして、私たち自身で、思考の制限を 見出し、それを乗り越える。
想像力豊かに、空想的に、 ロマンチックに、ではなく、
実際に見出す。
それが、宗教的な 活動の一部です。
私たちは、一定のことを、 機械的に、しなくてはいけません。
すべての私たちの応答、生物的、 神経的な応答は、機械的です。
私はあなたに、何かを言います。
あなたは 私を、馬鹿と呼びます。私は反応します。
またはあなたは、私にピンを刺します。 そして、私は反応します。
46:29
それは、機械的です。 それは、自然です。
あなたが私を馬鹿と呼ぶし、私が あなたもそうだと言うとき、ではない。
それは、基づく・
・・それも また、部分的に機械的です。
が、これらに 気づくこと。
実践するのではない。
理解されますか。これをご存じですね。
ああ、後生ですから。
みなさんは、こうも子どもっぽい。
つまり、あなたのつま先へ注意を払い、 次第にやっていく・
・・そうね、
あなたたちの幾人かは、これらすべての ごまかしを、しませんか。
いいえ?
「気づき」 - それは、「気づきを 実践する」と呼ばれます。
みなさんは、微笑んでいます。
あなたたちの幾人かは。
あなたは、気づきを 実践できますか。
あなたがそうするなら、 それは、機械的になります。
あなたが、座ったりして、 自分のつま先に集中するとき、
そのとき、自分の脚から、 その他すべて、自分の呼吸、ですが、
それは、 一種の悪戯です。
47:48
どうぞ、私は、あなたを 侮辱していません。
一日十二時間、実践する。
あなたの頭脳に、 何が起きつつあるかを、考えてください。
あなたは、鈍く なりつつあります。
あなたの頭脳は、とてつもない 機能を、持っています。
彼らが何をしていたかを、見て ください。
彼らは、月へ行ったのです。
それは、 頭脳の活動です。
進んでいく、 とてつもない外科手術、
心臓と肝臓を 移植する、など。
頭脳は、能力を持っています。
無量の能力です。
彼らが、テクノロジーの世界で 何をしてきたのか。
信じられません。
私たちは一度、それらの一つにいて・
・・ ああ、私は、これに入らないでしょう。
あなたは、それに 興味がない。
|
|
48:57
それで・・・しかし、あなたが、 そうするなら、頭脳が機械的になるなら、
|
|
48:59
そのとき、 あの機械的な態度は、
頭脳の活動と機能を、 制限します。
それは、条件づけられ、 制限されます。
制限があるところ、葛藤が あるにちがいありません。
これらを、 ご存じないですか。
|
|
49:39
あなたたちは、葛藤について 議論したいと思いますか。
なぜ人間たちは、永続的に 葛藤の中に生きるのか、
永続的に問題を 持つのか。
あなたは、それに 入ったことが、ありますか。
私もまた、あなたたちのように、 無感情に座って、
ただ気軽に 聞きましょうか。
なぜ私たちは、葛藤の中に 生きますか。
葛藤は、何ですか。
あなたの生は、葛藤の中に あります。
そうでしょう。
正直に、 単純であってください。
あなたは、葛藤の中に おられませんか。
おられませんか。
一度は単純に、正直であって ください。
なぜですか。
葛藤とは、何ですか。
対立しあう欲望。
ですね? よろしいですか?
対立しあう要求、 対立しあう意見。
私は、これを考えますが、あなたは、 あれを考えます。ですね?
51:08
あなたの先入観に 対する、私の先入観、
あなたの伝統に 対する、私の伝統。
そして、さらに深く、
あなたの利己性に 対する、私の利己性。
いいえ?
はい?
あなたの冥想に 対する、私の冥想。
私の導師のほうが、あなたの 導師より、良い。
神様!
で、私たちには、この矛盾した 過程が、進んでいるのです。
それは、生に対する 二元的な態度です。
ですね?
善いものと悪いもの。
ですね?
あなたは、善いものと 悪いものとの間に
関係があるのかどうかを、 探究したことがありますか。
このすべては、何か 新しいことですか。
私は皆様に、 お訊きしております。
善いものと、悪いものとの 間に、関係がありますか。
52:47
それは、二元性です。理解されますか。 憎しみと、憎まないこと。
一つのことを、取り上げましょう - 暴力と非暴力、です。
ですね?
暴力と、暴力を持たない 頭脳との間に、
何か関係が、ありますか。
理解されますか。
二つの間に、関係が ありますか。
暴力と、暴力的でないものとの 間に、関係があるのなら、
そのとき、その関係は、二つの間の 連係を、含意しています。
ですね?
私が言っている ことを、理解されますか。
暴力と、暴力的でないものとの 間に、関係があるのなら、
そのとき、一方は、他方の中から、 生まれています。ですね?
54:00
これをご覧になるのか どうかと、思われます。
あなたの精神を、しばらくの間、これに 注いでください。
そうされるでしょうか。
二つの対極。
暴力 - または、暴力がお好みでないなら、 妬みと、妬まないこと。
ですね?
関係があるなら、
妬みが、妬まないことに、関係を 持っているなら - ですね?
-
そのとき、一方は、他方の 中から、生まれています。
ですね?
これは、明らかですか。
これは、明らかですか。
|
|
54:48
質問者: はい。
|
|
54:50
K: すっかり確かですか。
ご覧ください。
もし愛が、 憎しみに、関係しているなら
または、嫉妬に、です。
そのほうが、いい。
きわめてありふれた 日常的な事実を、取り上げましょう。
愛が、憎しみに関係しているなら、 それは、愛ではない。
そうでしょう。
そうですか。
質問者: (聞き取れない)
|
|
55:28
K: もう一度、お願いします。
|
|
55:30
質問者: 一方の存在は、 全的に他方の不在です。
|
|
55:32
質問者: それは、他方の不在です。 K: 何ですか。
|
|
55:37
質問者: 彼女は、愛には、憎しみの 不在が、あると、言います。
|
|
55:39
K: それは、観念だけです。 後生です。
|
|
55:41
ご自身が知らないことを、言わないで ください - 自分が話していることを、です。
|
|
55:45
神様! ご覧ください。
暴力が、暴力的でないものに、 関係しているなら、
暴力はやはり、暴力でない ものの一部です。
これを幾らか、 理解されますか。
で、暴力は、暴力的でないもの より、全然、違ったものです。
で、あなたが、事実を見るなら、 そのとき葛藤は、止まります。
ご覧ください。
私は、自分が 盲目であることが、見えるなら、
私は、それを受け入れます。
私は、格闘しつづけられません -
「私は、もっと光を持たなければならない、 私は見なければならない」と。
私は盲目です。
しかし、私がそれを受け入れないで、 「私は見なければならない。
私は見なければならない。
私は 見なければならない」と言うなら、
そのとき、葛藤が あります。
57:09
これを理解されますね。 とても単純な事実です。
私は、自分が盲目であるのを、 受け入れます。
そのとき、私は盲目であるとの 受け入れ、私は盲目であるとの事実は
- そのとき、私は異なった感覚を、養成 しなくてはいけません。
ですね?
私は、自分がいかに壁に 近づくかを、感じられます。
私は盲目であるとの事実を、見る ことは、自体の責任を持っています。
しかし、私が常に自分自身に、 「私は見なければならない、
私は見なければならない、私は 見なければならない」と言うなら、
私は、葛藤の中にいます。
これが、 あなたがしていることです。
私が、自分が鈍いことを、 受け入れるなら、
私が、自分が鈍いことを、 受け入れるなら
- 私が自分自身を、利巧なあなたと 比較するから、ではない。
私が言っていることを、 理解されますか。
神様!
私は、比較をとおして、鈍さを 知るだけです。そうでしょう。
58:27
私は、あなたを見ます - とても 聡明で、とても利巧で、智恵がある。
何とかかんとか、 その他すべて、です。
そして私は、言います - 「あなたと 比較されると、私は何と鈍いのか。
が、私が比較しないなら、 私は、私なるものです。
ですね?
そのとき私は、そこから 始められます。
しかし、私が、いつの時も、 あなたと比較しているなら
- 利発で、智恵がある、見目が良い、 有能だ、それらのあなたと、です -
私は、あなたと、永続的な 葛藤の中に、います。
しかし、私が、私なるものを、 受け入れるなら、私はこれです。
そこから、私は始められます。 これが見えますか。
|
|
59:14
で、私たちが、「有るもの」の 実際の事実を、拒否するときだけ、
葛藤は、存在します。
ご覧ください。
私は、これです。
が、私は、いつの時も、あれに なろうとしているなら、
私は、葛藤の中に います。
ですね?
ですが、あなたは、 あのようです。
なぜなら、あなたたちはみな、心理的に なっていくことを、持っているからです。
あなたたちはみな、神聖に、 聖者にとか、実業家になりたいとか、
適切に冥想したいとか 思います。
そうでないですか。
で、あなたが、その事実を悟って、 事実から動いて去らないときだけ、
葛藤に、終わりがあるのです - 私が暴力的であることから、です。
が、私が暴力的でない ふりをするとき、
葛藤が、始まります。 ですね?
1:00:25
で、あなたは、ふりを するのを止めて、
「私は暴力的だ。
暴力を 取り扱おう」と言うでしょうか。
それはたとえば・
・・あなたは、 歯の痛みを持っているとき、
歯医者へ行きます。
それについて、何かをします。
しかし、「私に歯の痛みはない」と、 ふりをするとき・
・・
で、あなたが、物事をありのままに 見るとき、葛藤は、終わります
- 何か、ないもののふりを、 するのではなくて、です。
それは、はるかに複雑な 問題です - 葛藤は。
私たちは、それに、はるかに 深く入らないでしょう。
|
|
1:01:09
で、私たちは、こう言っています - これは、ここでの最後の講話なので
・・
・むしろ、最後の議論、 意思疎通なので、
私たちは、短く、悲しみに ついて、話すべきです。
そして、 冥想について、です。
人は、時の始まりから、悲しみと ともに、生きてきました。
ですね?
理解されましたか。
人は、苦しんで きました。人は、悲しみの中に、います。
誰も、事実に向き合った ことが、ありません -
悲しみが終わりうるのか どうかを、訊ねて、です。
あなたの悲しみが、です。
理解されますか。
私が、息子や、愛しているか、慈しんで いる子どもを、失ってしまったなら、
私は、苦しみます。
あなたは、苦しみませんか。
これは、何かあなたにとって 見知らぬことですか。
質問者: いいえ。
|
|
1:02:24
K: あなたは、 それについて、何をしますか。
|
|
1:02:27
いいえ。これは、真剣な問いです。私は あなたに、嫌がらせをしようとしていません。
私たちは、苦しみますし、私たちは、 苦しみつづけます。
ですね?
私たちは、苦しみが終わりうるのか どうかを、けっして、訊ねません。
で、あなたがいつの時も、苦しむとき、 あなたの頭脳は、鈍くなります。
あなたの生は、 暗く、醜くなります。
あなたが、苦しむとき、 あなたは、愛せません。
で、あなたは、悲しみが終わり うるのかどうかを、見出せますか。
悲しみ、悲しみの一部は、 自己憐憫です。
ですね?
悲しみには、 自己憐憫が、ないですか。
それは、あなたが、あなた自身に 関心を持っている、という意味です。
私は、息子を 失ってしまいました。
私は彼に、たくさんのお金を 投資してきました。
1:03:58
私の息子、そして、 彼は死にます。
私は、老いていきます。
誰も 私の世話をしてくれません。
私は、自分の息子が成長して、私の 世話をしてくれるだろうと、望みます。
これらを、ご存じ ないですか。
そして、彼は去ります。
彼は死ぬし、私は苦しみます。
苦しみの中に、さびしさ、 執着が、あります -
私は、何かけっして置き換えられない ものを、失ってしまったとの感じです。
そして、さびしさが、 強調されます。
私の意識へ、直接的に 持ち込まれます。
そのすべてが、 苦しみの一部です。
で、そのすべてが、 終わりえますか。
あなたは、自分の執着を 終わらされますか
- あなたの神々へ、あなたの 信念へ、あなたの信仰へ、
あなたの住宅へ。執着です。 理解されますか。
1:05:12
あなたは、それを 終わらされますか。
それが、死が意味している ことです。
そうでしょう。
死は、終わることを、 意味しています。
継続、来世ではない。
それは、 理論なのかもしれません。
あなたが、理論を 好きであり、
それがあなたに慰めを 与えてくれるなら、いいですよ。
が、理論や信念には、何も 実在するものは、ありません。
実在性を持っているのは、あなたの 執着です - あなたの家族へ、
あなたの信念へ、あなたの神々へ、 あなたの伝統へ、です。
そして、死がやってきて、 「それを拭い去れ」と言います。
ですね?
で、あなたは、生きている 間に、執着から自由でありえますか。
あなたの導師へ、あなたの信念へ、 あなたの銀行口座へ、です
あなたは、持っておられる にちがいありません -
銀行口座を持つほど、運が 良いか、運が悪いなら、ですが、
あなたは、無執着でありえ、 すべての執着より自由で、
この世界に生きられますか - 執着より自由で、です。
1:06:50
それはできますか。
それは、いつの時も、死とともに 生きる、という意味です。
ああ、みなさんは、これに ついて、何をも知りません。
五十年後とか、死に 怯えて、とか、ではない。
私は、死の問いに入らないでしょう。
それはあまりに、錯綜しているからです。
私たちは、今朝、 時間を持っていませんが、
死は、終わることを、意味 しています - 生物的、物理的に
有機体が、だけではなく、 また、すべての記憶、執着に、
あなたの評判、充足にも、です。
すなわち、すべてが、終わるのです。
で、あなたは、死とともに 生きられますか。
自殺をするのではない。
私は、 そういう意味で、言っていません。
死とともに生きる。
終わらせる - 毎日、
あなたが心理的に蓄積してきた 物事すべてを、です。
1:08:14
それは、あらゆる思考へ、ものすごい 気づかい、注意を、必要とします。
それであなたが、いつの時も、その陰と ともに生きているように、です -
死と呼ばれるものと、です。
そのときあなたは、無量の 活力を、持っています。
もっと悪さをするためではなく、 もっと金を稼ぐ、
もっと名声とそれらのゴミを 得るためではない。
とてつもなく生きて、 自由になる頭脳、です。
|
|
1:08:54
また私たちは、数分間、 冥想について、話すべきです。
あなたは、それについて、 話したいですか。
あなたは、 確かですか。
なぜなら、私は、あなたの冥想は、戯言 であると、言おうとしているからです。
違いは、何ですか。
金を蓄積したい人 - 働きに働いて、働いて、
もっともっと豊かになるか、 もっと貧しくか、何とでもなる人。
来る日も来る日も、豊かに、 有名になるために、働く。
政治家として、導師としてか、 何らかのものとして、です。
それと、あなたが日々実践すること との間の違いは、何ですか -
何かになるため、 覚りを達成するための、です。
違いは、何ですか。
1:09:55
何か違いが、 ありますか。
来る日も来る日も金銭、立場、 地位を取得するために、追求する人
- そうね、大物としての 地位、評判を、です -
働きに働き、働く人と、
「私は、何らかのものを、達成する ために、冥想しよう」と言う別の人。
二人の間の違いは、 何ですか。
質問者: 何もない。
|
|
1:10:25
K: 何もない。 では、なぜそうしますか。
|
|
1:10:30
これに、同意しないでください。 それは、きわめて深刻な主題です。
これで遊び戯れないで ください。
私は、こう言います。
意識的な冥想、意図的な冥想は
- それは、日々の実践、日々の マントラの反復を、意味していますね -
そのすべては、他のどのビジネスとも 似ています。
他のどの活動とも似ています。
それには、何も、 より尊いことは、ありません。
で、意図的な、意識的な実践、 体系に従うこと、
何かの言葉を、 反復することは
- 精神を沈静化するため、静かに なる、注意を払うために、です -
それは、「私は地位を持たなければならない」 と言う他のどの人とも、似ています。ですね?
1:11:42
で、私たちは、言っています - どうぞ、気をつけて聞いてください。
私たちは、こう 言っています -
どの意図的、意識的な冥想も、 まったく冥想ではない、と。
私が言っていることを、 お好きですか。
いいえ、 そうではない!
で、私たちは、冥想が何であるかを、 見出さなくてはいけません
- それは、意図的な 行為ではありません。
一定の姿勢で座ること、 規則正しく呼吸することと、
体系に従うこと、 ではない。
あなたは、これらをするとき、 自分の頭脳に何が起きるかを、
観察したことが ありますか。
それは、ますます機械的に なります。
ですね?
あなたたちは、こうも容易く 同意されますが、あなたは本当は
まったく同意されません。 あなたは、言葉を玩ぶだけです。
|
|
1:12:53
で、全然違った冥想が、 あります。
あなたは、意図的な冥想の 活動を、脇に置くなら
- すなわち、「私はこれを しよう」と言うことを、です。
冥想は、意志や決意の 活動ではありません。
よろしいですか。
で、これらではない 冥想が、ありますか。
私たちは、あると、言っています - 全然違ったのが、です。
なぜなら、これはすべて、 かなり未熟であり、
かなり 明白であるからです。
あなたたちは、この種類の冥想を、 幾世代の間、実践に実践してきました。
その終わりに、あなたは、 どこにいますか。
いいですか?
あなたは、 どこにいますか。
反対に、あなたたちの頭脳は、 とてつもなく鈍くなったのです。
1:14:18
で、私たちは、冥想があると、 言っています。
冥想は、そこに
測量がない頭脳の状態を、 含意しています。
理解されますか。
何の測量もない。
それは、 比較がない、という意味です。
それは、なっていかない、 という意味です。
あなたは、覚りを開くことになりません。
それは、怖ろしい観念です -
「私は、覚りを開くことに なろう」というのは、です。
それは褒美です。
理解されますか。
「もし私が、これをするなら、 私は、褒美を得るだろう。
もし私が、それをしないなら、 私は、処罰されるだろう」と。
それは、もう一つの ことを、持ち込みます。
私たちは、褒賞と 処罰の上に、生きます。
|
|
1:15:29
結局のところ、大いなる 静寂を持つこと、
そして、 その静寂は、
意図的な、故意の活動により、 もたらされないのです。
静寂な頭脳を持つことなしには、 何の冥想も、ありません。
冥想は、日々、あらゆる物事へ 注意を注ぐことです。
あなたがすること すべてへ、です。
あなたは、そこで 始めます。
あなたがどういう 服装をするのか、
あなたがどう話すのか、 あなたがどう食べるのか、
あなたがどう歩くのか - そのすべてに、注意を払う。
あなたは、注意を払うにつれて、それが どういう意味かを、知るでしょう
- 完全な注意を 注ぐことが、です。
すなわち、観察する、 見守る、聞く。
それにより、あなたは、 大いに敏感になります。
なるのではない。
注意があるとき、 あなたは、大いに敏感です。
そういうわけで、美しさが 重要であるのです。
|
|
1:17:20
よろしいですね。
|
|
1:17:42
質問者: 私が死ぬとき、 死は自動的に、私に、
痛みと悲しみと執着からの自由を、 授けてくれるのでしょうか。
私が死ぬとき、 死は自動的に、私に、
痛みと悲しみと執着からの自由を、 授けてくれるのでしょうか。
|
|
1:18:03
K: 私は 理解できません。
|
|
1:18:08
質問者: 死は、 自動的に私に、
|
|
1:18:15
痛みと悲しみからの自由を、 授けてくれるのでしょうか。
K: あなたは、誰ですか。
|
|
1:18:17
質問者: 彼は、訊ねています。
|
1:18:19
K: あなたは、誰ですか。
あなたは、悲しみより、 異なっていますか。
あなたは、あなたの 怒りより、異なっていますか。
あなたは、あなたの貪欲より、 異なっていますか。
質問者: いいえ。
K: で、あなたが今、あなたの貪欲を 終わらせるなら、それは、死の一部です。
あなたは、このすべてより、異なって いますか。
|
1:18:50
質問者: いいえ。
K: すると?
質問者: 仮に、 私がそれをできない、とします。
仮に、私はちょうど今、それをできない とします。そのとき私は死にます。
|
|
1:18:57
K: ああ、いえ、いえ。 それは、間違った問いです。
あなたは、「今、私はそれをしない なら・・・」と、仰っています。
|
|
1:19:06
質問者: 私は、そうする ことが、できません。
|
|
1:19:09
K: はい。それは、同じことです。 あなたは、できませんか。
|
1:19:22
正直であってください。 あなたは、できませんか。
質問者: 私は 冥想しようとして・
・・
K: ああ、あなたは、歯の痛みや 苦痛を、持っているとき、
歯医者へ行きます。
そうでしょう?
質問者: はい。
あなたは、「私は歯医者へ行こうと している」と言いません。
いいえ、あなたたちはみな、 言葉を、玩んでおられます。
|
|
1:19:40
私たちは、その観念、概念、 伝統を、持っています -
すなわち、私は、私の怒り より、異なっている、
私は、アートマンである、そうね、 それらの種類のことを、です。
私は、あらゆる物事より異なっている。
私が、見守る者である、と。
ですね?
私は、制御者です。
あのお方が、きわめて明らかに 指摘されるように、
私が今、何も しないなら、
すなわち、私は、自分の執着に ついて、何をもしないでしょう。
私は、自分の怒り、妬みについて 何をも、しないでしょう。
死は、そのすべてを 終わらせるでしょうか。
それが、彼の問いです。
そうですね?
質問者: はい。
|
|
1:20:35
K: はい。
|
1:20:39
それは、こういう意味です - 私は今、それらを止めないなら、
私は明日、このようであるだろう、と。
そうでしょうね。
質問者: はい。
K: 私は、死ぬまで、このよう であるでしょう。
ですね?
そのとき、その後、何が起きますか。
|
|
1:21:06
質問者: 私はそれを、知りません。
|
|
1:21:08
K: あなたは、知らないので、 なぜ初めに、これをしませんか。
質問を 理解されますか。
あなたは、死の後、何が 起きるかを、実際に知りません。
あなたは、輪廻転生を 信じているかもしれません。
あなたは、未来を信じているかも しれません。
ですね?
あなたは、信じているかもしれませんが ・
・・どうぞ、私は、普通の人物です。
質問者: それは、全的な滅亡なのかもしれないと 私は信じています。
|
|
1:21:33
K: かもしれない。
|
|
1:21:36
質問者: ええ。私は、知りません。 K: あなたは、知りません。
|
|
1:21:39
で、なぜ今、 始めませんか。
|
|
1:21:40
私は、一年後に私が何であろうかを、 知らないなら - 私は死ぬかもしれません。
私は、二年後に、 死のうとしているなら、
なぜ私は今、死なない、 始めないのですか。
それは、執着するな、 という意味です。
あなたは、できますか。
あなたは、するでしょうか。
やろうとするのではない。 してください!
|
|
1:22:23
これが、 私たちの紛糾です。
あなたはいつも、「私はいつも、 しようとしている」と言いたがる。
あなたは、空腹であるとき、 そう言いません。
あなたは、性的に 欲求しているとき、
「私たちは、それについて 考えよう」と言いません。
で、この種類のことを、 玩ばないでください。
|
|
1:22:53
質問者: では、私は今すぐ、死体に ならなくてはいけませんね。
|
|
1:23:16
K: 私たちは、自分たちの生が 何であるかを、悟りますか。
あなたの生は、何ですか。
質問者: 空腹、心配、恐れです。
|
|
1:23:24
K: それらです。
|
|
1:23:27
なぜ今、それを終わらせませんか。 質問者: 私は、空腹を終わらされません。
|
|
1:23:30
K: 私はけっして、そう言いませんでした - それらは、生物的な要求です。
|
|
1:23:33
が、心理的に、怒り、妬み、 嫉妬、憎しみ、執着を、です。
あなたは、それらを終わらされませんか。
もちろん、それはできます。
それなら、 してください!
あなたの妻や夫や隣人へ、 話しなさい -
優しく、静かに、慈しみをもち、 気づかいをもって、です。
あなたは、私を 泣かせますよ!
あなたは、これらを 聞きません。
|
|
1:24:21
みなさま、私たちは、二、三分間、 静かに座りましょうか。
|