RV83S2 - 何が、私たちが変化するのを、妨げているのか

セミナー会合 第2回
インド、リシ・ヴァレー
1983年11月26日
テキストのみのバージョン
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0:53
K: あなたたちは、良く なりましたか。良し。
私は、幾つか質問を もらっています。
気になさらないなら、 私が少し話をしましょう。
そして私たちは、これらの問いについて 議論する、または答えるでしょう。
どちらが お好みでしょうか。
私が、少し話をした後で、
これらの問いの幾つかに 答えるのか、
または、あなたたちは、 議論したいと思うでしょうか。
何ですか。
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1:43
質問者: 議論です。
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1:45
K: おそらく、どちらも できるでしょう。
よろしければ、私は、 あなたたちと、
幾つものことについて、 話し合いたいと思います。
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2:11
学ぶとは どういう意味ですか。
あなたに教える教師が、 いますか -
学業の科目だけではなく、
あなたたち自身、自分自身を 理解するよう、助ける人が、です。
世界をどう見つめるのか - その災難、悲惨、
混乱、腐敗すべてを ともなったものを、です。
教師がいますか。
または、あなたは、教師と 学徒の両者ですか。
質問を理解されますか。
それが、私があなたと 話し合いたいと思うことです。
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3:12
また修練(ディシプリン. 規律)は どういう意味ですか。
学校(スクール)は - ラテン語と ギリシャ語などから -
学校(スクール)は 余暇を意味しています。
大変多くの余暇を 持つこと。
学ぶための余暇、です。
また私はあなたたちと、この修練の 問いについて、話し合いたいと思います
- また、私たちがこの世界に 向き合えるのかどうかを、です。
その苦労すべて、その混乱すべて、 その他すべてを伴っているのを、
智恵をもって、です。
で、私は、これら三つの問いを ともに話し合いたいと思います。
あなたの外側に 教師がいるのか、
または、あなたは、教師と 学徒の両者であるのか、です。
あなたを離れて 導師は、ありません。
指導者もなく、救い主もない。
外的な権威はない - 一定の区域以外には、です。
それであなたは、教師でも あり、学徒でもあります。
私たちは、それに 入るでしょう。
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5:08
他のことは、 修練(規律)です
その言葉、「修練」 (ディシプリン)の意味 -
それは、語源の「学徒」 (ディサイプル)から、来ています。
学徒 - 学ぶ者です。
従う者ではない。
服従し、順応する者ではなく、
学んでいる者です。
そして、他のことは - 私たちが ともに話し合えるなら -
学生たちがこの場所を 去るとき、
彼らをどう助けるのか、 または、
世の中に応えるであろう智恵を どう養成するのか、です。
私たちは、これら三つのことに ついて、一緒に話し合えますか。
それは、あなたが、言われつつあることを 聞いてくださることを、意味しています。
なぜなら、 私たちのほとんどは、
他の誰かに聞くことを、ひどく 困難だと、見るからです。
6:31
私たちは、自分の思考を持って います。私たちは、自分の問題、
自分の裏庭の紛糾などに、 没入しています。
私たちは、それらの物事に 没入しています。
そして、誰かに聞くことは、 ひどく困難です -
部分的に、ではなく、 完全に(聞くの)です。
聞くことは可能ですか。
解釈するのではない。
言われていることを、あなた自身の 言葉へ、翻訳するのではない。
他の一人が言っていることを 実際に聞く。
何の障壁もない -
言語的な障壁も、
聞きたくなくて、抵抗をとおして 自分が創り出す障壁も(ないの)です。
それで、動揺させられる かもしれません。
7:41
で、私たちは めったに聞きません。
私たちには聞こえます。
なぜなら、私たちのほとんどは、 相当に鋭く聞けるからですが、
私たちは、ほとんど 聞きません。
私たちが二つの違いを 分かるのを、望みます。
で、今朝、私たちは、自分の結論、 自分の先入観を、脇に置いて、
実際に聞けますか
- 語り手が言っている ことだけではなく、
また、鳥たち すべてをも、聞く。
木の葉の間の 囁きを、聞く。
樹を登っていく リスを、聞く。
あなたのまわりの 貧困を、聞く。
樹々が立てる音 すべてを、聞く -
それらは、きわめて 静かであるけれども、です。
で、私たちは、今朝、 聞けますか -
私たちがともに 考えられるように、です。
ともに同意しあうのではない。
言語的に、言われている ことに、従うのではない。
実際にともに考える。
9:21
それは可能ですか。
または、私たちの一人一人が ひどく自己中心的であるので、
私たちはけっして、
互いとの関係に 入らないのですか -
同じ水準で、同じ瞬間に、 同じ強烈さをもって、
それで、私たちがともに 考えているように、です。
私たちは、今朝、それを できるでしょうか。
私は提案しているだけです。
それは、あなたしだいです。
で、私たちは、誰から 学んでいますか。
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10:00
テクノロジーの主題は 別として
- 数学、地理学、物理学などの ように、です。
大工仕事、
車をどう運転するのか、コンピューターを どう組み立てるのか(のように)です。
- あなたは、誰かから 学ばなくてはいけません。
私たちは、あの同じ動きを 心理的な世界へ、拡張します。
これらに付いてきておられますか。
私たちは一緒にいますか。
そこで私たちは、誰かが自分を助けて くれるにちがいない、と言います。
誰かが私たちに、どう自分自身を理解する かを、示してくれるにちがいない、と。
ですね?
私たちは 哲学的な本を読むのか、
心理学の教授に聞く、 学位を取る、などですが、
そのすべては、
あなた自身について、心理に ついて、情報をもらう過程です。
私が言っていることを 理解されますか。
11:28
私たちは、ここに 一緒にいますか。
お訊きしていいなら、 私たちは一緒にいますか。
で、私は訊ねています - 教師は誰ですか。
そもそも教師が いますか。
そもそも導師が、 いますか - 指導者が、
従うべき、お手本が、です。
または、人類の物語を 読むことは、可能ですか
- あなたがそれの(一部) である人類のを、です。
私たちは、一人一人が、 全人類です。
あなたは、それを 受け入れるでしょうか。
あなたは、それに 同意するでしょうか。
言語的に、ではありません。
実際に、この無量の意義の 真理を、悟るのです -
あなたが残りの人類である との発言の(真理を)、です。
人類の代表ではなく、 あなたが、残りの人類です。
なぜなら、あなたは 苦しむから、
あなたは、心配、悩み、問題、 不安全を、持っているからです
- 世界中の残りの 人間たちのように、です。
いいですか?
彼らがアメリカ、 ヨーロッパ、ロシア、シナに、
または、この不幸な国に 生きていても、です。
13:42
あなたの意識、 あなたなるもの -
他の人間たちは、あなたと同じ 地盤を、分かち合っています。
いいですか?
で、あなたは、理論的に ではなく、実際に、
理想としてとか、 仮説上の主題としてではなく、
あなたは、残りの人類です。
で、あなたは、人類の歴史です。
あなたは、その書物です - 私たちが そのように表せるなら、ですが -
この地上に生きてきた、 ここ四、五万年の間、
両足で立ってきたなどの人間 たちの物語の(書物)、です。
で、教師は誰ですか。
質問を理解されますか。
あなたは、誰から 学んでいますか。
人類の書物を読めるなら - すなわち、あなた自身を、です -
そのとき、教師も学徒も ありません。あなたは、あれです。
15:18
私が話していることを、理解 なさるのかどうかと、思われます。
私たちはここで、少し 一緒にいますか。
少し。 それで十分です。
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15:32
私たちは、こう言っています - あなたの意識は、
すべてのその反応、その信念、 その教義、その恐れ、楽しみ、
悲しみと そのすべてとともに、
すべての人間により 分かち合われているのです。
それは事実です。
あなたがあれであるなら、 あなたが導師です。
理解されますか。
これらを理解されるのか どうかと、思われます。
あなたが学徒です。
外、あちらに教師はいないし、 あなた、学徒もいない。
で、あなたはいつの時も、あなた 自身について、学んでいます。
学ぶ過程こそにおいて、 あなたは、教えています。
これを理解なさるのか どうかと、思われます。
これは明らかに なっていますか。
いいえ、言語的に ではない。
言語的に、どの人物も、 山を叙述できます -
山の美しさを、です。
それを描き、 それを叙述し、それを説明する。
生物学的に、などですが、
山の美しさを見る、
それへ上がる、登る、その間近に いる。
それのとてつもない活力、
強さ、美しさを 感じることは、
叙述や、言語的な説明には ありません。
17:29
で、私たちは、導師と学徒の 体系全体を、問うています -
誰かに従う、何か象徴へ誓いを 立てる方法論全体を、です。
私たちはそれについて、しばらく 議論できるでしょうか。
そして修練などへ行く。
私たちは、それに ついて、しばらく議論できるでしょうか。
お訊きしてもいいなら - きっとあなた たちは返事をしないだろうと思いますが -
あなたは、この小さな演台に座っている 語り手を、自分の導師と考えますか。
すると、あなたは、なぜ 彼に聞いていますか。
あなたはなぜわざわざ、見出す ために、ここに来ていますか。
あなたは、情報をほしいのか、
あるいは、私たちは ともに学んでいます。
あなたは学徒、語り手は 教師、ではない。
ともに、私たちは、とてつもない 人類の物語を、読んでいます -
それ(人類)は、あなたです。これを お分かりになるのかどうかと思います。
19:39
あなたたちがこれに反応 されないのが、分かります。
それは、私たちがこうも重く条件 づけられている、ということですか
- それで、あなたが残りの人類 であるとの観念ですが、
広大な生について学ぶよう、 あなたを助ける人は、
誰もいません - あなた以外には、です。
いいですか?
見たところ、 あなたはこれらに反応しません。
で、次の主題へ 進みましょうか。
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20:30
すなわち、 学びとは何ですか。
私たちがいう学びとは、 どういう意味ですか。
学校で、教育者は
学生へ、数学の 情報を与えています。
なぜなら、かわいそうな学生は、数学 について、何も知らないからです。
そして、彼が技術者になるのである なら、社会は、彼が
一定の点まで数学を知らなければ ならないと、要求します。
で、教師は、社会により 条件づけられてきました -
彼自身が創り出してきた ものによって、ですね。
学生は、彼から学んでいます。
記憶しています。
よろしいですか。
彼は、情報を取得しています。
それを自分の頭脳に蓄えています
- それは、情報を記憶として 収集し、それを保つことです。
それが一般的に、学びと 呼ばれているものです。
21:55
いいですか?
私は、山登りの仕方を 学びます。
私は、科学をとおして 物質について、学びます
- 望遠鏡とその他すべてを とおして、です。
または私は、あなたから学びます - 自転車の乗り方などを、です。
その学びを別として、
他の種類の学びが ありますか。
やれまあ、みなさんは こうも・
・・
私たちはここで、一緒に いますか、いませんか。
何と仰いますか。
単に記憶するだけでない 学ぶことが、ありますか。
生、生きることは、常なる動き であることは、見えますか。
それは 静止していません。
それは ものすごい動きです。
あなたは、何か生きているものに ついては、学べません。
あなたができるすべては、それを 見守り、それに付いていくことです
- それを記憶して、「これが生きる ことだ」と言うことではない。
23:30
これらに付いてきておられるのか どうかと、思われます。
いいですか?
私は、自分自身に話して いますか。または、あなたに、ですか。
で、私たちが、ここ リシ・
ヴァレーのような
学校での学びについて、 話すとき、
私たちは、学びは書物からか、教授、 教育者からであるとの観念を、
持っています - すなわち、 特定の学問の主題について
あなたに、情報を与えて くれようとしている人から、です。
そしてあなたは、 それを蓄えます。
技術者、哲学者や 何であれ、なります。
しかし、生、生きることは、 何か、ものすごい動きです。
それは、けっして 安定していません。
それは、けっして 静止していません。
それは、一つの所に 留まりません。
で、学びはそのとき、常なる 変化と動きになります。
これに付いてきておられるのか どうかと、思われます。
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24:58
で、これらの中で、修練は どこで、役割を果たしますか。
一般的に理解されているような 修練は、順応することです。
各々の学科が、自らの修練を 持っています。
いいですね?
これはすべて、ちんぷん かんぷんですか。
それに同意されますか。
私は、数学を学習しているなら、
よく気をつけて 見守らなくてはいけません。
それは、自体の秩序を 持っています。
一般的に理解されているような 修練は、順応することです。
修正し、受け入れ、 様式に服従することです。
それが、私たちが 学ぶのを、阻止します。
いいですか?
修練(ディシプリン) の意味は、学ぶことです。
いいですか?
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26:21
他の問いは、こうです - 智恵とは何ですか。
私たちは、この谷に 生きている教育者として、
または、他の大学と
専門校に、ですが、
私たちは、学生が智恵をもって世界に 向き合うのを、どう助けますか。
私たちがいうその「智恵」という 言葉は、どういう意味ですか。
その言葉(インテリジェンス)は 語源的に
- 私は気をつけて、幾つもの 辞書で調べてみました -
行間を読む、という意味です。
それが、その一部分です。
たくさんの情報を集める、
そして、たくさんの情報、事実を 集めて、それを正確に用いることです。
あなたは、集めるものすべてを 用いられません
- 心理的なのも、 外的な事実も、です -
個人的な先入観の介入が あるなら、
28:00
または、あなたが、何か 結論に沿って行為するなら、です。
いいですか?
それは、 智恵ではありません。
智恵でないものの否定を とおして、
あなたは 智恵の肯定へ来ます。
これらに付いてきて おられますか。
私たちは一緒に、同じ太鼓を 叩いていますか。
で、智恵とは何ですか -
制限された思考の活動ではない もの、です。
理解されますか。
思考は、智恵を創り出して きました - 自らの智恵を、です。
月へ行くために、それは、ものすごい 智恵を持たなくてはいけません -
一緒に働いている三十万の 人々の(智恵)、です。
それが、私たちが聞かされていること です - 三十万の人々が一緒に働いた。
各々が自分の部分を 完璧にやって、です。
29:31
月へ行きたいとの欲望は、
大いなる知的な活動、思考を 持たなくてはいけません。
道具を創り出し、 まとめ上げ、月へ行く。
それは、大変多くの 智恵を、必要とします。
コンピューターを組み立てることは - 今、やられているように、です -
大変多くの智恵を 必要とします。
究明、変更、それらです。
それは、思考の活動です - 自らの智恵を創り出しています。
いいですか?
あの智恵は 制限されています。
制限されていない智恵が、 ありますか -
思考により組み立てられて いない智恵が、です。
30:28
これらを理解されますか。
すべての宗教は、思考により 組み立てられてきました。
彼らはそれを、啓示と呼ぶかも しれません - 神から直々にとか、
馬の口から(本人から) 直に、と。
でも、それはやはり、思考に より、組み立てられています。
思考は制限されています。
私たちは それに、短く入りました。
で、頭脳の活動に何の関係をも 持っていない智恵が、ありますか。
全くの沈黙です!
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31:36
なぜなら・・・愛は、 思考の活動ですか。
いいですか?
愛は、 欲望、楽しみですか
- それらは、思考に 関係していますが。
いいですか?
で、愛があるところ、 智恵があります。
いいですか?
愛は、嫉妬、心配ではありません。
愛は愛です。
それは、個人的や 非個人的ではありません。
それは、花に 似ています。
あなたは、それを持っているのか、 あるいはそれを持っていないのか、です。
で、私は、これら三つの 要因について、話してきました。
あなたは、教師でも、 学徒でもあります。
あなたは、導師でも、 学んでいる人でもあります。
そのとき、あなたの責任は、 学ぶことだけではない。
また、教える、 教示することです。
理解されるのか どうかと思われます。
で、あなたは教師です。
あなたは学んでいます。
それは、自らが本当に そうであると悟るときだけ、
できるのです -
この上だけではなく、 あなたの血に、
あなたの全存在において、
あなたが残りの人類 であることを、です。
33:44
あなたは人類です。
ゆえにあなたは、民族性や 無意味な構造全体を、持ちません。
また、修練、学ぶこと。
あなたは、小道を進んで いきながら、学ぶ。
あらゆる物事を 見守っている。
あなたが見守っているものを、 けっして保たない。
記憶して、記憶から 行為しない。
私はそれに入らないでしょう。
それは、きわめて複雑な問題です。
頭脳が記憶しないことは - 私は それを提起しているだけです。
私はそれに入らないでしょう - 可能であるのかどうか。
私は今、それに 入らないでしょう。
なぜなら、それは、全く違った 道路を、必要とするからです -
それは私たちを、他の どこかへ、導くでしょう。
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35:00
で、修練、学びと智恵です。
本当はそれらは、一つの全体です。
それらは、分離した活動ではありません。
終了しました。
私は、初めにこれらの問いを 読んで、後で議論しましょうか。
何と仰いますか。
これは、あなたたちにとって 都合がいいですか。
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35:44
「私たちは、あなたの教えを、自分たち の学校で、体系にしてしまいがちです。
私たちは、それについて 何をできますか。」
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35:55
「私たちは、あなたの教えを、自分たち の学校で、体系にしてしまいがちです。
私たちは、それについて 何をできますか。
」
まず第一に、 体系とは何ですか。
方法とは何ですか。
実践とは何ですか。
質問を理解されますか。
なぜ私たちは、何をも 体系にしますか。
政府、官僚制は 体系を、持っています。
彼らは、それを 自動的にやります。
あなたは考えなくていい - 「私は 文書を受け取りました」と言います。
私はそれを、あなたへ回します。
あなたは、私の上役です。
あなたが責任がある。
あなたは それを他の誰かへ回す、などです。
そのとき、あなたは 完全に安全です。
導師たちもまた、 体系を提供します。
37:04
私たちは、それが好きです。 なぜなら、それに従うなら、
私たちは、多かれ少なかれ、 安全であるからです -
いいですか?
私たちが 服従するなら、です。
で、私たちは、多かれ少なかれ、 あらゆる物事を、体系にします。
方法にします。
それは 機械的になります。
そして、従うこと、機械的に物事を することは、きわめて容易い。
質問者は、訊ねます -
私たちは学校で、これを どう防止できますか。
いいですね?
まず第一に、私たちは 悟りますか -
私たちの頭脳が、
幾世紀もの、長い時間と 継続をとおして、
ほぼ機械的になった ことを、です。
朝に起きる。
供養をする。 何をするにしても、です。
オフィスや大学や学校へ行く - 9時から5時まで、です。
ですね? そして、安心です。
38:27
それは、機械的な生活の 過程です -
それが性的であっても、 それが宗教的であっても、
それがビジネスや 政治であっても、です。
それは、様式を確立することです - あなたが規則正しく従うものを、です。
で、あなたは、あまり 考えなくていい。
私たちは、それが好きです。
それは、容易い生き方です。
で、私たちは、あらゆる物事を 体系へ還元します。
歯ブラシで歯を磨く。
あなたは それを、長い間してきました。
あなたはそれを、自動的に します。
いいですか?
同じ種類の食べ物 などです。
で、次第に自分の頭脳は、 機械的になります。
それに注目なさったのかどうか、 私は知りません。いいですか?
39:37
あなたたちは、西洋の宗教文化に 不満を持っています。
あなたたちは、この国へ来て、 何か白痴的な導師に、従います。
それは、同じ様式ですが、
ここでは、それがもっと ロマンチックである、などですね。
で、何が起きますか。
私たちの頭脳は、長い時、 何千年をとおして、
次第に機械的になったのです。
それで、次第に鈍く、です。
それは事実です。
鈍感です。
生きていない。
質問者は言います - 「私たちは これについて、何をできますか」と。
あなたは、それについて、何を するのでしょうか。
私が、ではない。
あなたは、 何をするのでしょうか
- ここにいるのか、他の専門校、 大学や学校にいるのですが -
あなたは、それについて 何をするのでしょうか。
あなたは、これを悟りますか。
すなわち、私たちの頭脳は
- あなたがそれに入ったのかどうか存じ ませんが - それは、とてつもない道具です
それは本当に、最も とてつもない道具です。
こうも生きていて、こうも 驚異的に能力がある。
41:11
それらが、テクノロジー的に 何をやってきたのか。
その頭脳は、 機械的になったのです。
私は、次の四、五十年の間、 供養をします。
私がカトリックであるなら、 そうね、ミサ、儀式、それらです。
あなたたちの儀式 - それらはきわめて 宗教的であると、私たちは考えます。
ところが、私たちは、けっして 探究しません - 頭脳は、
なぜ、一方向では、こうも 驚異的に生きているのに、
別方向では、こうも 鈍くなったのかを、です。
私たちは、それの危険が 見えますか。
私たちの一人一人は、私たちは、頭脳が 機械的になることの危険が、見えますか。
それは死んでいます。
そうでしょう。
あなたが、何度も何度も何度も 同じことを、しているとき、
それは生きていません。
42:33
私たちは、それの危険が 見えますか。
ここでか、他の どの所でも、です。
あなたは、それの危険が 見えるなら、教えや
何でも、体系に しないでしょう。
理解されますか。
あなたは、コブラを 見るなら -
ここには、彼らが何匹か、います。
私は、幾匹にも気づきました。
あなたは、コブラを見るなら - それはものすごく危険です -
逃げ去ります。
で、私たちは、これの 危険が、見えません。
もしもあなたは、あらゆる物事を体系へ 還元することの危険が、見えたなら、
そのときあなたは、けっして体系を 形成しないでしょう。
明白です!
体系に安心を見つけるのは、
鈍い機械的な精神だけです。
43:37
いいですか? それは単純です。
で、あなたが、体系を拒絶するとき、 あなたの頭脳は、動いて生きています。
私はそれに 入らないでしょう。
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43:54
「私たちはどうすれば、子どもが 安全であるよう、助けられますか。」
「私たちはどうすれば、子どもが 安全であるよう、助けられますか。
」
なぜあなたは、私にこの質問をされ ますか - お訊きしていいなら、です。
あなたがいう安全とは、 どういう意味ですか。
あなたは、自分の欲望を充足する とき、安全に感じます。
そうですね?
充足したいとの衝動には、
そして、充足には、
一定の安心感があります - あなたは何かをしたのです。
安全は、民族主義を とおして、拒否されます。
なぜなら、民族主義は、戦争の 原因の一つであるからです。
いいですか?
で、あなたは、民族主義者である とき、安全を拒否しつつあります -
あなた自身にとって、だけでなく、 未来の世代にとっても、ですね。
病気から安全である
- それは、可能ですか。
45:24
汚染された世界に 生きていて、
間違った方向で、こうも 破滅的に活動的である世界で、
どうしてそれは、 安全でありえますか。
で、どこに安全がありますか。
質問を理解されますか。
あなたの信念に、 安全がありますか -
すなわち、神、そうね、救い主が いるということ、それらに、です。
それらに安全が ありますか。
幻影に安全が ありますか。
あなたが妄想や幻影に 捕らわれていることに、
気づいているなら、
そこに安全が ありますか -
それに気づくなら、ですが、
それに気づかないなら
- 信仰、信念、或る種の 想像力豊かな過程、ですが -
あなたは、安心、安全を 感じます。
しかし、それは、 全的な不安全の状態です。
46:44
で、どこに、安全が ありますか。
進んでください。
私に言ってください。
どうぞ、私は、あなたの 答えを、待っています。
どこに安全が ありますか。
書物にはないですね。
あなたが、イスラム教徒であるなら、 コーランが、あなたのバイブルです。
あなたはそれに、 ものすごく取りすがります。
それは、世界に 分割を、創り出しますね。
その分割は戦争をもたらしつつあります。
- それは今、起きつつあります。
書物、イメージ・
像、 信念、教義。それらには
- 自らが全的に盲目で、 聾唖であるのでなければ -
それらには、安全が ありません。
あなたがそれを悟られるのか どうか、私は知りません。
あなたの家族にも、ない。
あなた自身の確信にも、ない。
で、どこに 安全がありますか。
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48:15
質問者: 偽りが偽りと 見られるなら、です。
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48:21
K: いいえ。あなたは 引用をなさっています。
引用しないでください。 どうぞ、お許しください。
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48:31
ヒララル教授: その問いは あなたに、出されてきました。
たぶん、教師はその子を家のように 寛がせたいと思うからです。
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48:43
K: はい。私は そこに来つつあります。
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48:48
HL: たぶん、それが、 問いの趣旨でしょう。
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48:53
K: 私はそれに来つつあります。初めに 大人たちとして、見出しましょう
- 私たちがそうである なら、ですが -
そもそも、安全が あるのかどうか、
または、安全が あるのを、です。
質問を理解されますか。
どうぞ、それに 答えてください!
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49:25
質問者: 現在の体系に、 安全はありません。
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49:28
K: どの体系にも、 安全はありません。
なぜあなたは、 「現在の体系」と言いますか。
未来の体系ですか。
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49:39
質問者: 私たちはそれについて知りません。
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49:44
K: で、どこに 安全がありますか。
私たちが、どこかに 安全があるのを、理解でき、
そこに確立されるなら、
そのとき私たちは、 質問をできます -
ヒララル博士が表したように、 どうやって子どもに、
家のように 寛がせるのか、です。
家のように寛ぐとは、どういう意味 ですか。
私たちはそれらに入りましょう。
が、初めに、 安全がありますか。
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50:26
質問者: 考える枠組みの中に、 安全はありえません。
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50:30
質問者: 考える枠組みの中に、 安全はありえません。
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50:34
K: すると、あなたはどこに それを探し求めていますか。
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50:39
質問者: 考える 枠組みの中に、です。
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50:41
K: はい! それは観念ですか。
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50:46
質問者: いいえ。 もし私たちは、
思考がいつも目標へ向かって いるとの事実を、見るなら -
そして、あなたが目標へ向かっているとき、 安全はけっしてありえないことを、です。
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50:58
K: あなたは、人間として、
思考の枠組みの中での 安全を、脇に置きましたか。
質問者: ただいつか・・・
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51:06
K: 「ただいつか」と言わないで、
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51:08
あなたは、それが 見えますか。
私たちは、これらの種類のことについて 理論化するのを、愛しています。
私たちはけっして、それに面と 向き合いません。
いいですか?
私は、大変尊敬を込めて お訊きしています
- あなたの安全は、 どこにありますか。
あなたは、自分の家族に それを、探し求めてきました
- 共同体に、 民族に、部族に、
あなたの特定の神々に、です。
いいですか?
あらゆる人物が それをしています -
自分の想像において、 自分の結論において、
自分の理論、信念 などなどなどにおいて、です。
それらに 安全は、ありません。
そのときどこに、安全がありますか。
ああ、あなたたちは・・・
語り手は、智恵にのみ、 安全があると、言います。
52:23
あなたのずる賢い精神、
ずる賢い頭脳の智恵、 ではありません。
愛があるところ、 あの安全があります。
あの愛は、究極の智恵です。
あれには、 安全があります。
さて、あなたはこの谷で、どうやって その子を、家のように寛がせますか。
彼はあなたへ来ます - すでに 親により条件づけられて、
すでに自分は、どこか見知らぬ 所へ、行こうとしていると感じて、
怯えていて、
ここに来るよう、親たちから 押されています。
ですね?
家を恋しがっています。
あなたは彼を、どうやって 家のように寛がせますか。
私を見ないで、 この質問をしてください。
質問者: 問いは、無効になります。
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53:53
K: なぜですか。
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53:56
質問者: 「どうやって」は ないからです。
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53:58
K: いいですよ。私は「どうやって」 という言葉を、使わないでしょう。
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54:06
どんな様態で、あなたは彼に、 家のように寛がせるのでしょうか。
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54:18
質問者: どんな決まった 様態も、ないでしょう。
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54:24
ラディカ・ハーツバーガー: 決まった様態は、ありません。
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54:28
K: ありませんか。 決まった様態はない。
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54:32
質問者: 決まった様態はない。そのとき 私は、その子と一緒にいます。
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54:37
K: 私はその子です。 私はその子です。
私は自宅から、 ここに来ます -
家で親は、私を虐めてきました。
蹴飛ばしてきました。
一日中、私に、何をするのか、 何をしないのかを、言って、です。
そして私は、そこで、 家で、怯えています。
いいですか?
私はそこで 条件づけられています。
そして彼らは、私を この所へ、送ります -
私の意志に反して、 私の欲望に反して、です。
私はそこへ 行きたくありません。
なぜなら、私は、あの種の 生へ、慣れているからです。
そして、私は ここに来ます。
私はとてつもなく感じます - よそ者のように、ですね。
いいですか?
それへ何と仰い ますか。そのとおりでないですか。
後生ですから、みなさんは どうなってしまっていますか。
そのとき、教師として、私は 何をすることになりますか
- その子に完全に、家のように 寛がせるために、です。
55:47
なぜなら、その子は、環境の 安全が必要であるからです。
ですね?
その子は、「君はここで安全 だよ」と言ってくれる誰かが、必要です
- 「安全だよ。
私たちは 君の世話をしようとしている。
私たちは、君へ慈しみを 持っている」などなどと。
初めにあなたは、彼を歓迎 しませんか。
彼はあなたのお客です。
いいですか?
私たちは、 この地上で、みんなお客です。
あなたは、それが好きでないかも しれませんが、それはもう一つの論点です。
で、彼は ここではお客です。
いいですか?
あなたは、彼を お客として、もてなします。
これは正しいですか。
彼を完全に、家のように寛がせる。 それは、どういう意味ですか。
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56:57
質問者: 私は、彼を 歓迎するでしょう。
私は、彼や彼女を 歓迎するでしょう。
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57:03
K: 私はそれを言いました。彼を 歓迎する。それはどういう意味ですか。
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57:07
質問者: 彼を愛します。
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57:15
質問者: 関心を持ちます。
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57:20
RH: 関心を持つ、愛する。 K: それは、どういう意味ですか。
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57:24
質問者: 彼を受け入れます。
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57:28
K: 「彼を受け入れる」とは どういう意味ですか。
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57:30
質問者: 彼のことを、本当に ありがたいと思って、受け入れます。
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57:32
質問者: 彼を観察します。 その子を観察します。
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57:47
K: みなさんが何について話して いるのか、私は知りません。
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57:54
HL: なぜ私たちは、それに ついて単純でないのですか。
私たちは、家にお客を迎えて いるとき、何をしますか。
答えは全く単純だと 私は思います。
私たちは、彼の合理的な必要に、 応えようとします
- 可能なかぎり、彼を 快適にするため、です。
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|
58:15
K: 彼を観察する、彼を愛する、彼を歓迎 する - それらは、どういう意味ですか。
あなたは、ご自分が言うことを、 本気で言っていますか。
あなたは本当に、 その子を観察しますか。
またはあなたは、すでに 彼を分類したのですか。
どうぞ、私の問いに 答えてくださるでしょうか。
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58:43
質問者: 私は彼を愛する だろうと、言いました。
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58:49
K: あなたは、誰かを愛して いますか。 質問者: はい。
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58:51
K: あなたがいうその言葉は、 どういう意味ですか。
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58:54
質問者: おそらくそれは、 言葉に表せません。
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59:02
彼女がいう愛の意味は、 おそらく、言葉に表せません。
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59:09
K: なぜですか。あなたたちは、大変 多くのことを、言葉に表します。
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59:18
なぜこれは、だめですか。
質問者: 彼や彼女を愛します -
条件づけに依存しないで、です。
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59:32
質問者: 無条件の愛です。
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59:37
質問者: 私がいうのは、 自分はいつの時も、
人々が条件づけられているように、 彼らを見がちである、ということです。
しかし、愛は、それに 依存していません。
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59:53
G.ナラヤン: 彼女は、その子へ 慈しみを持つでしょう -
彼の条件づけに 依存しないで、です。
これは正しいですか。
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1:00:04
K: 私はこれを理解できません。
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1:00:07
質問者: 子どもがいるなら
十歳の子どもだとして、その子は 条件づけられていて・・・
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1:00:15
K: マダム、私は 理解しようとしています。
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1:00:17
質問者: 私が、彼の条件づけに応答する なら、それは補強されるでしょう。
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1:00:21
K: 私は、彼の条件づけに ついて、話していません。
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1:00:24
質問者: 私は、自分が彼の条件づけを 離れて、彼を愛するだろうことを、
説明しようとしています。 条件づけは、愛に存在していません。
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1:00:33
RH: 彼女がいうのは、 自分は想像を入れないで、
同一視しないで、その子へ応答 するだろう、という意味です。
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1:00:42
K: いいですよ。それが、 あなたが愛と呼ぶものですか。
|
|
1:00:47
質問者: 最も純粋な愛です。 K: 何ですか。
|
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1:00:49
質問者: 最善の形での愛は、あなたが彼らに ラベルを貼らず、誰かに会うことです。
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|
1:00:51
K: それが、あなたが 愛と呼ぶものですか。
|
|
1:00:58
マダム、私たちは、あなたに ついて話していません。
私は個人的に やっていません。
あなたは、自分の妻や夫や 彼女を、愛していますか。
あなたたちはみんな、結婚していますね?
あなたたちのほとんどが、です。
インドでは、これは 即時になされます。
あなたは、自分の妻を愛して いますか。または、夫を、です。
|
|
1:01:51
質問者: でも、それは相互です。 それはそこで、相互になります。
|
|
1:01:56
K: 彼女はあなたに与えます。あなたは 彼女に与えます。 質問者: 両方です。
|
|
1:01:57
K: で、あなたは それを、愛と呼びますか。
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|
1:01:58
質問者: それは相互の慈しみだと 申し上げました。
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|
1:02:01
K: それが、私が言っていることです - 大きな言葉を使う代わりに、です。
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1:02:03
あなたは彼女に、何かを与えます。 彼女はあなたに、何かを与えます。
それは愛ですか。
質問者: いいえ。
|
|
1:02:13
K: すると、あなたはなぜ・・・
|
|
1:02:16
あなたは、彼女を利用するし、 彼女は、あなたを利用します。
あなたは、彼女について イメージを持っているし、
彼女は、あなたについてイメージを 持っています。
いいですね?
いいですか?
神経質でいないでください。
私は あなたについて、話していません。
やれまあ!
|
|
1:02:46
質問者: あなたが、お客を迎えていて、 あなたが、そこは自分の家だと感じるとき、
お客はけっして、快適に 感じられません。
その子についても同じことです。
その子が来るなら、
私たちは、自分たちがどちらも この場所でお客であるし、
同じ目的のため、ともに学ぶ、ともに探検 するために、ここにいると、感じます
- あらゆる物事、環境、知識。
場所が提供する、あらゆる物事です。
おそらくこれが、その子を 歓迎する仕方です。
|
|
1:03:36
K: 愛は、何か 養成できるものですか -
ともに探検するのをとおし、 ともに歩み、ともに手を取り合い、
ともに寝ること、セックスを とおして、ですか。
それが、あなたが愛と 呼ぶものすべてですか。
どうぞ、私の問いに 答えてくださるでしょうか。
野心があるとき、 愛がありえますか。
「いいえ」と言わないでください。
あなたたちは、みんな野心的です。
あなたは、それを自分の生に 関係させないですね。
あなたは、理論の上に 生きるだけです。
暴力的な人は、愛せますか。
政治家は、愛せますか -
権力、地位、身分を 探し求めている人が、です。
ああ、私はあきらめます。
で、その子は、 ここに来ます。
彼を完全に家のように 寛がせることは、可能ですか。
それは、どういう意味ですか。
恐れがない。
いいですか? よろしいですか。
どの種類の恐れもない。 それは、可能ですか。
|
|
1:05:33
質問者: 自分自身が完全に 家のように寛ぐときだけです。
おそらく、自分自身が完全に 家のように寛ぐときだけ、です。
|
|
1:05:44
K: あなたがここの教師であり、 あなたがあの子を歓迎するなら、
その子に、家のように寛がせるには、 あなたは、彼に恐れを
創り出していないとの感じを、 与えなければなりませんね。
よろしいですか。
それは、あなた自身が 恐れに取り組んでいる、という意味です。
で、あなたは、恐れより 自由になりつつあります。
私たちは そうなっていますか。
私は、誰をも見つめていません。 で、それは個人的になっていません。
|
|
1:06:26
質問者: あなたが私の問いを捨て去る だろうかどうか、私は知りません。
私は、あなたにおいて ものすごく安全です。
K: 私において?
|
|
1:06:32
質問者: はい。 どうぞ、聞いてください。
|
|
1:06:35
私は、いつも私と一緒に歩んで くれるあなたのような祖父を、
|
|
1:06:37
持っていたらなあと 思います。
なぜですか。どうぞ、説明してください。 私は、あなたに執着しています。
|
|
1:06:46
K: ゆっくり行ってください。 私には聞こえませんでした。
あなたは私に、安全を見つけます。
|
|
1:06:54
質問者: はい、ものすごく。
|
|
1:06:56
K: すると、次は何ですか。
|
|
1:06:57
質問者: すると私は、いつも自分は あなたのような祖父を持ち、
いつも一緒に歩んで もらっていると、感じます。
|
|
1:07:06
RH: 彼はあなたに、いつも自分と一緒に 歩んでくれる祖父でいてほしいのです。
|
|
1:07:15
K: 私は相当に年老いています。 私は、八十九です。
|
|
1:07:18
質問者: 人々は笑っているかもしれません。 私は本当に真剣に、それを申しています。
|
|
1:07:23
K: そうであるのは、存じています。 私は、軽んじてはいません。
なぜあなたは、そもそも祖父がほしいの ですか。
|
|
1:07:30
質問者: 分かりません。
|
|
1:07:31
K: ああ、はい。あなたはご存じです。 私たちはそれに入るでしょう。
なぜあなたは、頼みにできる 誰かを、ほしいのですか -
祖父、祖母、導師を、です。
質問者: 私は、先生の前では何も 言えません。
|
|
1:07:42
K: 良いですよ!
|
|
1:07:46
いえ、いえ。笑わないで。後生です から、そこから始めましょう。
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|
1:07:54
質問者: 私たちは、自分の安全を持たない とき、それを探し求めようとします。
|
|
1:07:57
K: 彼は質問をしたのです。彼は「私は何も 言えません」と言いました。よろしいですか。
|
|
1:08:04
質問者: はい。 K: それが、 初めての正直な発言です。
|
|
1:08:05
さて、始めましょう。
あなたは、何も言えないこと から、自由でありえますか。
あなたは、あなたに何も言えなくさせる 他の一人と、自分自身を比較しますか。
私は、あなたに会います。
私は、ヒララル博士に会います。
彼は、インド工科大の 偉大な教授です。
頭がよくて、ヨーロッパ、アメリカへ 行った、その他すべてです。
私は、彼を見ます。
そして私は、「何とまあ、 彼は、とてつもない人物だ。
私は、彼ほど利巧ではない」 と言います。
で、私は比較により、自分自身を 鈍くしつつありますね。
私はそうしていませんか。
質問者: あなたは、立場を 切り替えます。
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1:08:58
K: いいえ。
|
|
1:09:00
質問者: ええ。すみません。
|
|
1:09:01
K: 私はお訊きしています。どうぞ、 私の問いを聞いてください。
|
|
1:09:03
私は、比較をとおして、 自分自身を鈍くしますか。
私は、自分自身を 彼と比較します -
または、とてつもない 利発な他の誰かと、です。
そして私は、「おやまあ、私は 何と鈍いのか」と言います。
で、私は、比較をとおして 鈍くなりますか。
または、私がまったく比較しない なら、私は鈍い(ダル)ですか。
|
|
1:09:40
質問者: 彼は「何も言えない(ダム)」と 言いました。鈍い(ダル)と仰いましたか。
質問者: 何も言えない(ダム)、と。
|
|
1:09:42
K: はい、はい。言えない(ダム)、と。
|
|
1:09:46
質問者: 私はあなたが必要なとき、 自分は鈍いと感じません
|
|
1:09:50
- 私が、あなたにおいて、 ものすごく安全であるとき、です。
|
|
1:09:58
K: ごめんなさい。あなたは「私は 何も言えない(ダム)」と仰った。
|
|
1:10:02
質問者: はい。何も言えない(ダム)。 K: 鈍い(ダル)?
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|
1:10:03
質問者: 何も言えない(ダム)。
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|
1:10:05
質問者: 何も言えない(ダム)。
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1:10:10
GN: 彼は、何も 言えないと、感じます。
|
|
1:10:15
K: 何も言えない(ダム)? 質問者: はい。
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|
1:10:18
GN: 彼は、あなたの面前では 何も言えない(ダム)と感じます。
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|
1:10:18
K: ちょっとお待ちください。 聞いてください!
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|
1:10:19
質問者: おそらく彼は 言葉がない、という。
|
|
1:10:23
質問者: はい。それが その意味するところです。
|
|
1:10:28
K: 私は、単純な質問を しています。
|
|
1:10:31
私は、比較するから、何も 言えないと感じますか -
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|
1:10:34
はるかに利巧な、利発な、見目のいい、その 他すべてである誰かと(の比較)、です。
そして私は、「神様、私は彼と比較 して、何も言えない」と言います。
私は比較しないなら、私は、 鈍いですか、何も言えませんか。
|
|
1:11:04
質問者: 私は知的に このゲームをやります。
K: いいえ。
|
|
1:11:16
質問者: 気をつけて聞いてください。
またもや私は、自分はあなたにおいて ものすごく安全であると、言います。
K: 私は、何をすることに なりますか。
笑わないでください。
彼は、Xにおいて、この人物に おいて、安全を感じます。
あなたは、自分の寺院に おいて、安全を感じます。
あなたは自分の結論において、安全を 感じます。
それは同じことです!
大臣は、自分が政権の中にいる かぎり、完全に安全だと感じます。
|
|
1:11:42
質問者: それらは、同じ ことだと思われません。
私たちは、何か違ったことを感じます。
私たちは、表現できません。
あなたにおいて、私たちは、あなたが 私たちを愛していることを見つけますが、
私は、どう愛するのかを、 知りません。
私は何をも知りません。
私は単純に、あなたの面前に おいて、完全に幸せだと感じます。
私は、あなたが私の生においていつの 時も、一緒にいてほしいと思います。
|
|
1:12:04
K: あなたは、いつの時も私と 一緒にいたいと思います。
で、あなたは、私に、 ずっと養育してほしい。
|
|
1:12:14
質問者: 私は、それが何であるかを 知りません。私は完全に感じ・・・
|
|
1:12:17
K: はい。それは同じ古いものです - 何度も何度も、です。
私は、或る首相を知る中で 安全だと、感じます。
私は、神が存在することを 知る中で安全だと、感じます。
私は、自分のビジネスにおいて安全だと 感じます。
私は安心します。いいですか?
あれやこれやにおいて、です。
言い換えるなら、
私は、誰かに依存して、安全だと 感じます。
よろしいですか。
ですね?
そして私は 死にます。何が起きますか。
そのときあなたは、私のイメージを 創り出します。
いいですか?
そのイメージが、手により作られて いても、思考によって、でも、
そのとき、あなたは あのイメージを、崇拝しますし、
あなたはそこで、完全に 安心だと感じます。ですね?
1:13:27
すみません。私たちは、 この点から、逸れてしまいました。
子どもは、 ここに来ます。
私は、彼を 助けたいと思います。
私は、彼が完全に家のように 寛いでほしいと、思います。
それは、彼がここで恐れを持っては ならない、という意味ですね。
いいですか?
それに 同意されるでしょうか。
私は、誰に 話していますか。
ここに来るその子を、 その学生を、ここで
まったく恐れを持たないと 感じさせることは、可能ですか。
|
|
1:14:17
質問者: 私たちが、その子に 完全に安全だと感じさせるなら、
それは、執着へ つながりませんか。
|
|
1:14:22
K: 私たちは、それに 入ろうとしています。
私たちは、一分の間、一緒に 考えられるでしょうか。
或る人物は、恐れがないとき、 安全だと感じ、家のように寛ぎます。
いいですか?
同意されますか。 同意されますか。
それは、試験がない、という意味 です。
気をつけて聞いてください。
試験がない。
彼は、Bと比較されつつありません - 自分より利巧な人と、です。
で、比較がない。
優劣の感覚がないですね。
あなたは、学校で働いて、 それを作り出すでしょうか。
そのときだけ、学生は完全に 家のように寛ぎます。
彼は自分の家で、 それを感じません。
なぜなら、彼は、父親に 怯えているからです。
父は、彼を殴り倒し、 叱ってきました。
ですね?
または、彼の祖母や 母親や伯母や誰かしらが、です。
彼らは、年下の人たちを 虐めたがるのです。
ですね?
彼らはけっして、年上の人たちを 虐めません - 上役たちを、です。
で、その子が家のように寛ぐのを 助けることは、可能ですか。
それは、どの種類の 恐れもない、という意味です。
|
|
1:16:15
質問者: クリシュナジ、これまで私たちは 教師たちについて、話してきました。
子どもたちへ安全を与えることについて、 です。
|
|
1:16:21
K: 私はそうしませんでした。
|
|
1:16:22
質問者: 私は、こちらでは学生ですが、 私は完全に安全だと感じません。
体系の一部であり、安全だと 感じる道が、ありますか。
|
|
1:16:36
K: あなたはそれを、自分自身へ 還元していますか -
自分はここで安全を感じないが、 自分は安全だと感じたい、と。
|
|
1:16:46
質問者: 安全である必要が ありますか。
|
|
1:16:49
K: あなたにお訊きしています。 質問者: 私は知りません。
|
|
1:16:51
K: 私は、智恵に安全がある だけだと、言いました -
|
|
1:16:52
智恵に、完全な安全が、と。学生が、 とてつもなく智恵を持つよう
助けることが、教育者と しての私の機能です -
知的とか言語的とか学問的な 意味において、ではなく、
あの智恵を持つように、です。
|
|
1:17:18
質問者: 私は、教育者たちから その助けを、見つけつつありません。
私は、自分の側として 何をしますか。
私は、こちらの教育者たちから その助けを、見つけません。
|
|
1:17:29
K: ええ。そのような教育者は、 いません - どこにも、です。
|
|
1:17:32
質問者: で、私は自分側で、何をしますか。 K: 一まとめにしなさい。
|
|
1:17:35
または、教育者をものとも せずに、です - 理解されますか。
教育者をものともせず、
智恵を持つ。
いいですか?
誰にも依存 しないでください。
何時ですか。
|
|
1:18:15
質問者: 11時15分前です。
|
|
1:18:17
K: 私は、最後の問いに 答えられますか。
「褒賞と処罰なく教えるとは、 どういうことですか。
私たちは、自らの是認や否認を こうも微妙な形で、
子どもへ 伝えるからです。
」
「褒賞と処罰なく教えるとは、 どういうことですか。
私たちは、自らの是認や否認を こうも微妙な形で、
子どもへ 伝えるからです。
」
あなたは、犬を どう躾けますか。
あなたは、犬を 躾けたことが、ありますか。
あなたは、犬を 躾けたことが、ありますか。
私はたまたま、一匹の犬と 一緒にいて、それを躾けました。
彼があなたに服従するなら、彼に ビスケットの褒美をやります。
いいですか?
あなたは、 彼に付いてきてほしいなら、
「ここへ来なさい」と言い、 彼に何かをやります。
1:19:38
私たちはみんな、あの同じ 原理の上で、行為しませんか
- 褒賞と処罰、です。
全くの沈黙です。
私たちはみんな、処罰と 褒賞に、反応しませんか。
それが原理です。
それが 私たちの生き方です。
後生ですから、 それに向き合ってください!
最高の政治家から、最低の 無教育の貧しい村人まで、
褒賞と処罰です。
問いは、こうです - 子どもを 教育することは、可能ですか。
子どもだけではなく、 私たち自身をも、
子どもと話し合う中で 教育する - 理解されますか。
この褒賞と処罰の 原理なく、
教育することは、 可能ですか。
さあ、どうぞ。これに答えてください。 あなたたちは、教師です。
|
|
1:20:57
質問者: ですが、子どもが何かを 発見する中で感じそうな喜びもまた
褒賞ではないですか。
子どもが何かを発見する中で 感じそうな喜びもまた、
褒賞ではないですか。
これは、褒賞と処罰 ではないですか -
子どもにとって内部的な 水準で働いていて、です。
|
|
1:21:16
K: いいえ。あなたは彼を、褒賞と 処罰の原理の上で、躾けています。
質問者は、こう言います - それをしないことは可能ですか、と。
訊ねます - この原理なく、子どもを
教育するのを助けることが (可能ですか)、と。
質問者: それは可能です。
|
|
1:21:50
K: それは可能です。
|
|
1:21:52
なぜあなたは、 そう言いますか。
|
|
1:21:56
質問者: なぜなら、学生と教師は ともに、その平野へ入るからです。
|
|
1:22:05
K: これは、理論ですか、 または、現実ですか。
|
|
1:22:11
質問者: それは、 理論ではありません。
|
|
1:22:16
K: この学校や、 他のどの学校でも、
褒賞と処罰の この原理が、
まったく入らない教育、 教えることが、ありますか。
|
|
1:22:33
質問者: クリシュナジは、 マチャドールと呼ばれる人について
お聞きになったことが ありますか。
マチャドールと呼ばれるか、 マタドールか、私は発音を知りませんが、
彼は、ラテン・
アメリカで 働いています。
そこで子どもたちは、高度な 智恵であるよう、育てられます。
そこで彼らは、挑戦や問いに 出会え、取り扱って・・・・
|
|
1:23:02
K: その方は、 存じ上げません。
なぜあなたは、彼を 引用しますか。
|
|
1:23:07
質問者: 私は、彼に ついて、読みました。
|
|
1:23:09
K: なぜあなたは、わざわざ 彼について、読みますか。
私はお訊きしています。
あなたは、教師であるなら、
あなたは、父親や母親である なら、誰かであるなら、
あなたは、そこに褒賞と処罰が ない生を、生きられますか。
あなたは導師に従います。
きわめて単純です。
なぜなら、彼はあなたに、褒美を 与えようとしているからです。
ですね?
いいえ?
|
|
1:23:46
HL: 出されてきた問いは、 私が考えるに、
学校の脈絡において、三つの 様相を持っています。
一つは、褒賞と処罰です。
他方は、是認、否認です。
|
|
1:24:06
K: 同じことですよ。
|
|
1:24:07
HL: 三番目のことは、評価 という意味での、比較です
- 様々な学科に関する 評価ということです。
これらが、教師が学ばなくては いけない三つの様相であると、思います。
私が考えるに・
・・
私たちは形式的に、成績や評価を 回避するかもしれませんが、
何らかの様相において、
それは、しなくてはいけません。
回避できません。
しかし、私たちは混同しがちだと 私は思います -
この比較や評価づけの 問いを、取りがちだ、と。
または、褒賞や処罰、 是認や否認を、です。
すべての分野です - それが、 困難が潜んでいるところです。
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K: はい。ですが、 私は、家で始めました。
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質問者: すみません。もう一度。 K: 私は近くで始めなくてはなりません。
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つまり、近さは学校です。 私はここにいます。
私は、たくさんの子ども、 学生へ、責任があります。
私は、この原理が実行されていることが どんなに嘆かわしいかを、見ます
- 褒賞と処罰、 是認、否認などです。
私は、何をすることに なりますか。
私は、それが原理的に 間違っていると、思います
- 褒賞と処罰により 誰をも教育することが、です。
このひどいものが進んでいく ことなく、どう生きるのか、
どう教育するのかを見出す よう、私を助けてください。
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質問者: 私たちの自然な 行為の帰結もまた、
褒賞と処罰に 似ていますか。
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K: はい。私は それを訊ねています。
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質問者: あなたが自分自身に教える なら、褒賞や処罰はありませんが、
誰かがあなたに教えるなら、 褒賞と処罰が、あります。
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K: あなたは、私たちが何について 議論しているかを、悟りますか。
あなたは、二十人の学生 の学級を、持っています。
彼らはみんな、家で、自己中心的 であるよう、育てられてきましたね。
いいですね?
彼らはみんな、自分自身に関心を持つ よう、教育され、躾けられてきました。
そして、彼らは来ます。
二十匹の子猿たちが、います。
彼らは、完全に自己中心的です。
いいですか?
ここそこで、少し外れていますが、 彼らは、自己中心的です。
彼らは、あの視点から 存在の全体を、見つめます。
彼らは成長するにつれて、私たち みんなのように、自己中心的です。
あなたは、さほど自己中心的でない よう、彼らをどう助けるのでしょうか。
どうぞ、私に言って くださるでしょうか。
1:27:57
私は、何をすることになりますか - 学生がもっと配慮するよう、
他の人たちへ関心を持つよう、 助けるために、です。
他の人たちを愛するように、です。
「私が 一番で、他の誰もが二番」ではない。
そこでは、競争が助長されます。
ゲーム、試合とか、そうね、全部です。
私は、何をすることに なりますか。
あなたたちは、それに ついて、理論的に話せます。
なぜなら、あなたたちは 教師ではないからです。
しかし、あなたが 実際に親であるなら、
この場所で教師、 教育者であるなら、
あなたは、何を しようとしていますか。
あなたは、それが間違っている、 全的に破壊的だと、見るなら
- この褒賞と処罰の原理、犬や猿の ように躾けられることが、です -
あなたは、何を するのでしょうか。
1:29:20
私が、それに 入っていいですか。
それがすべてです!
あなたたちは 私に話してほしいのです。
私は、もしもここの教師であった なら、何をするのでしょうか。
あなたは、もしもここの教師であった なら、何をするのでしょうか。
私は、こうも多くの学生に 責任を持っています。
彼らはみんな、そうね、 動揺していて、ここに来ます。
彼らはみんな、自分のやり方を 通したい。
そうね、その他すべてです。
私は、彼らが褒賞と処罰に 慣れているのを、見ます。
試験、記録に残すこと - 彼らは それらに慣れています。
私は、それを 壊してしまいたい。
私は、あの様式を 壊してしまいたい。
私は本気で、それを壊して しまいたい、と言っています。
私は、単に言語的にそう言って、 古いものへ帰って行きません。
1:30:47
私は本当に、この褒賞と処罰の 体系を、壊してしまいたいのです
- その含蓄すべてと ともに、です。
で、私は、何を するのでしょうか。
なぜなら、褒賞と処罰は、恐れを 創り出すからです。
ですね?
確かにそうですか。
恐れを創り出す。
で、そのとき、私の関心事は - 私は褒賞と処罰を忘れます -
そのとき、私の関心事は こうです。
私は、恐れから自由であるよう、 彼らを助けられ、
彼らを助ける中で、私自身を 助けられますか。
理解できますか。
私は、彼らを助けたい。
そして、彼らを助ける中で、 私はまた、
私自身をも、助けています - 恐れ より自由であるように、ですね。
私は、 「私は恐れを持たない。
私はあなたを助けよう」と 言う人物ではありません。
教育者と教育される者は、 どちらも、同じ船に乗っています。
1:31:50
同意されますか。彼らは 同じ船に、乗っています。
で、教育者が、「ごらん。
友よ、 君のように、私もまた怯えています。
働いて、解き明かそう」 と言うなら -
いいですか、「働いて、 解き明かそう」と。
で、彼は私に訊ねます - 「あなたは 何について、怯えておられますか」と。
「私は怯えています。
なぜなら、私には上役がいるから」とか 他の何かの要因です。
いいですか?
で、彼とともに、それについて じっくり話し合う中で、
私は自分の恐れを 発見します。
彼は、自分の恐れを発見しつつ あります。
理解されますか。
教育者と教育される者との間に 関係が、あります -
恐れについて議論する中で、 です。
理論的に、ではない。
「私は自分の妻を恐れて います」と言う。
彼は、「私は、先生を 恐れています」と言う。
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恐れは、私たちの 間で共通です。
私の妻とか、彼が私を恐れている とかではない。
恐れです。ですね?
私が言っていることを 理解されますか。
いいえ?
ああ、 後生ですから。
で、私は、「恐れとは 何ですか」と、言います
- 「それはどう訪れますか。
その根は何ですか」と。
いいですか?
で、私は それに入るでしょう。
で、私は、学生との本当の 意思疎通を、確立したのです。
そのとき、私たちのどちらもが、自由 であるよう、互いを助けています。
私は自分自身を演壇へ上げません - 「私は教師である」と。
私たちは、どちらも 同じ水準にいます。
これを悟られるのか どうかと、思われます。
時。
時は、恐れの要因ですか。
はい。
で、それは、可能ですか・・・ 私はこれに入らないでしょう。
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これは、あまりに複雑です。 時の動き全体を理解することは、
可能ですか。
なぜなら、恐れは、あの 動きの一部であるからです。
言っていることを理解されますか。
時と思考は、恐れの原因です。
恐れの基本的原因です。
で、私は、あの学生がこの事実を理解 するよう、助けようとしています。
それは、学期全体が 掛かるかもしれませんが、
私は、しっかりと、それを 見届けようとしています。
いいですか?
止める時間です。
すみません。
あなたたちが立ち上がるなら、 私も立ち上がるでしょう。
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