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小グループ討論会 第2回
インド、リシ・ヴァレー
1984年12月19日

0:18 K: 主題は何ですか。
0:20 ププル・ジャヤカル: 憶えて おられるなら、三日前に、 私たちは、精神の地盤について 議論をしはじめました - そこから、新しい精神が 花開けるものについて、です。 それについて議論する間、 あなたは、こう仰ったのでした - 葛藤、恐れ、怒り である地盤からは、 新しいものは、けっして 出現できないし、 何か全然新しいものが必要 であることを、仰いました。 あなたはまた、諸感覚が、 最高に、同時に 作動することについても、 語られました。 私は、問いでもって、 出発したいと思います。 私は、新たに来た者です。 私は、これを聞きます。 私はどこで、 始めますか。
1:42 K: たぶん初めに、あなたは、 さっぱり訳が分からないでしょう。 あなたは、「彼はいったい、何について 話しているのか」と言うでしょう。 で、多かれ少なかれ 言語論的な、意味論的な意味を、 確立しなくてはいけません。 で、私たちは、気づくことから始めなけ ればならないと、私は思います - 私たちの感覚は、自然へどんな 関係を、持っているのか、です。 私はそこから 始めるでしょう。 あなたは、自然を どう見つめますか。 あなたは、あれらの岩、これらの 丘を、どう見つめますか - それらは、世界で最古の丘の 幾つかであると、考えられています。 あなたは、すべての丸石を どう見つめますか - 樹々、乾いた川、流れ、そして、 あれらの貧しい村人たちを、です。 学校へ一日、12マイル (19. 3km)を歩いていて、 十分な食べ物 などなどがない。 なぜここには、まったく 野生動物がいないのか。 3:11 私は、これらに 入るでしょう。 なぜなら、私たちが自然 との触れ合いを、失うなら - 私たちは、 それの一部分です - そのとき私たちは、人類との、私たちの 仲間の者たちとの触れ合いを、失います。 私はそこで 始めるでしょう。 そして、私は 見出すでしょう - 私の関係は、何であるのか、 私は自然を、どう見つめるのか - 樹々、花々、岩々、木の葉、川、 雪を被った山々などを、です。 私はそれらへ、どんな 関係を、持っていますか - そして、 それらの美しさへ、です。 そのとき私は、美しさは何で あるかを、探究するでしょう。 そのとき、それは 複雑になります。 PJ: あなたは、こう 仰っています -
4:15 出発点は、言うところの、 外にある、と。
4:20 K: 絶対に、です。 もし私が、明白な常識的な 基準を持っていないなら、 そのとき私は、どうして私自身へ 明らかな知覚を、持てますか。 理解されますか。
4:44 PJ: 理解します。
4:47 K: なぜなら、外は、私自身の 顕現であるからです。 私は、自然の一部です。 土地、川の美しさを 理解することなく、 そして、私たちがそこに生きる とてつもない世界すべてと、 私たちがそこに生きる残忍な世界 - 残忍さ、テロ、それらを、です。 それらへの 私の関係は、何ですか。 私は、それらへ盲目ですか。 私は、それらへ沈黙していますか。 または、私は、一定の結論を持って いるし、それらの結論が支配します。 ゆえに、それは 思考の産物ですが、 自然は、思考の産物 ではない、などです。
5:44 PJ: 私たちはみんな、自分たちは 自然を見つめると、考えます。 私たちはみんな、自分たちが 樹を見つめると、考えます - 自分たちは花を見つめる、 自分たちは岩を見つめる、と。 私たちはみんな、自分は見ると考えます。 私たちはみんな、自分は見ると感じます。 私たちは、眼を持っている。 それで、私たちは見る、と。 しかし、あなたが話している見る ことには、何かがあります - あなたが話している 関係には、です。 それは明白に、私たちが慣れている 見ることではありません。
6:20 K: あなたはそれを、どう見つめますか。 あなたは、眼でのみ、それを見つめますか。 影の知覚 - 長い夕方の影と、 きわめて、きわめて小さい影を もった真昼の日。 あなたはこれらを、どう見つめますか - あなたの眼でのみですか。 または、いわば、あなたの全存在で、 あなたの感覚すべてでもって、ですか。 あなたは、これらを どう見つめますか。 あなたは、これらを どう知覚しますか。 まるでそれは、何かあなたの 外側のものかのようであり、 あなたは、それを 見つめているのか、 または、あなたは、それらの 一部であるように、です。 私は、理論的に 知っています。 私たちは、自分たちが それの一部であると、言います。
7:21 PJ: いいえ。私は実際に、見る ことがあると言えると、思います - その中に、見る者が 存在しないものが、です。 私は、そう言っていますが・ ・・ 私はそこから出発したくありません。 そういうわけで、私は、始めたばかりの 者として、あなたへ来ているのです。 私は自分の眼で見るのを、 あなたへ告げるでしょう。 私は、その点から 出発したいと思います。
7:58 K: ええ。私はそれに返答するでしょう - 「あなたは自分の眼で見るだけですか。 またはあなたは、 音も聞こえますか。 樹々の音、そよ風、 流れる水を聞く。 樹の深い影の中での ささやき。 あなたは、聞き、見、 感じますか」と。
8:39 PJ: もしあなたが見て、 聞いて、感じているなら、 そのとき、見つめること、見える こと、感じることは、ありません。 そこにあらゆる物事が存在して いる状態だけが、あります。 私は、この問題にどう接近 するのかを、知りません。 なぜなら、私は、それに、 他のどの道よりむしろ、 始まりの視点から、 接近したいと思うからです。
9:10 K: あなたは、同意 されるのでしょうか - 人間たちは、最も 無教育な者たちさえも、 自然との触れ合いを失ってしまった、と。
9:18 PJ: はい、完全に、です。 なぜなら、彼らが見るとき、彼らの 眼は、逸れてしまうからです。 彼らはけっして、直接的に見ません。 彼らはけっして見ません。 彼らはそれを、あまりに 些細だと考えます。
9:32 K: そうなんです。それが、 まさに論点全体です。 彼らは、自然は何か使われるもの であると、考えます - 些細だ、 そしてそれは、 利用できる、と。
9:46 PJ: そうね、精神は、 分割してきました - 葉っぱや、葉っぱの 動きを見つめるのを、 何か重要でないもの として、です。 重要なものは、 何か広大なものです。
10:00 K: で、始めましょう。 何が重要ですか。 平均的な人にとって、通常の 人物にとって、何が重要ですか。 衣食住。それが、彼が 関心を持っているすべてです。
10:19 PJ: それを越えて、神聖なもの、 聖なるものと、神です。
10:24 K: もちろんです。私は それで、始めているだけです。 彼は、衣食住が 必要です。 彼がそれを持つとき、 彼は、神々について、考えはじめます - 何か外的なものについて、です。
10:36 PJ: 彼は、広大さの中で それについて、考えたいです。
10:40 K: はい。彼は、夕空を見ます。 そして、日の出を、です。 そして、このすばらしい世界の 無量性を、見ます。 そして彼は、「誰がこれらを 創り出したのか」と言います。 いいですか? 
10:59 PJ: で、小さな ものと、あの広大なものを、 同じ重要性の水準で 見る能力です。
11:10 K: はい。広大と 小さい、はありません。 さて、あなたはそれに 入るのでしょうか。
11:18 カビール・ジャイティールタ: 戻ってきて、あなたはしばしば、 こう仰らないのでしょうか - 私が見る ことは、私の思考により包囲される、と。
11:28 K: もっと大きな声で。 私には聞こえません。
11:30 KJ: 私の感覚は、私が考えることにより きわめて深く支配されてきました。 私は、自分自身の中で、 私が散歩に行くとき、 私が本当は見つめていない。 私は 本当は聞いていないことを、見ます - 私はいつの時も 考えています。 考えることから、私は時折、 何らかのものを、ちらりと見ます。 で、或る意味で、 見ることは、ありません。 または、樹や木の葉の 実際が見えることも、です。
12:04 PJ: あなたは、誰かに、一枚の葉を 見つめさせようとします。 そして、それがどんなに 困難であるかを、見つけます。 自分自身、そうするなら、それが どんなに困難であるかを、悟ります - 一つのものを、ただ 全的に見つめることが、です。
12:27 KJ: 仰るように、私たちは ちらりと見て、離れます。
12:36 K: あなたは、宗教を 責めるのでしょうか。 正統的な、 既成の宗教は、 人が自然を自分自身の一部と 考えるのを、阻止してきました。 宗教は、「あなたの感覚すべてを 抑圧しなさい」と言ってきたと、 仰るのでしょうか - 「あちらを見るな。いつも あなたの内側を見ろ」と。
13:19 KJ: クリシュナジ、あなたは、 現代の、都会の人は、どの意味でも、 大規模に、宗教によりそもそも影響 されていないと、仰らないのでしょうか。
13:32 K: ええ、されていません。 私たちが始まりから 言いましたように、 私は、通常の人について 話しています。 必ずしも、都会の人、大きな 街に生きている市民ではなく、 小さな村や小さな町の 通常の人です。 彼は、サンニャーシ、僧侶、 トラピスト会の修道士 - けっして話さない人 - を、 見てきました。 彼らはいつも、「欲望を 抑圧しろ。 感覚を抑圧しろ。 なぜなら、それらは散乱させる から」と、言ってきました。 KJ: 宗教だけでなく、社会も、です。
14:15 K: もちろんです。もちろんです。
14:18 で、それの始まりが、 あります。 彼らは、あなたに こう言いません - 「この世界の不思議なものすべてを 見つめなさい」 - いいですね? - 「それを感じなさい。 それを吸収 しなさい。それのでありなさい」と。 彼らは、イメージを 創り出してきました - 手によってか、精神により 作られた像を、です。 そのほうが、 他の何より、重要です。 あなたたちは、ここの近く、 トリパティにこの寺院を持っています。 何千人も、そこへ 行きます。 何百万のお金が、こうも想像力 豊かな神々へ、使われます。 で、もしも私が、通常な人であり、 これらが聞こえたなら - ププルジが 指摘なさったように、ですが - 私はどこで始めますか。
15:24 ラジェシュ・ダラル: でも、クリシュナジ、 あなたは、こう仰らないでしょうか - その質問をするためにさえ、 通常の人はどこかで、 自分の世界が制限されていることを、 見たにちがいない、と。
15:34 K: はい。彼は死を よくよく知っています。
15:39 RD: 彼はすでに、少し 不満でなくてはいけません - 自分の神に、自分の生に、です。
15:47 K: 私はそれを問います。 私は、彼が自分の神々について 不満であるか、 懐疑的であるかどうかを、 問います。
15:58 RD: すると、彼はなぜその質問を しますか - 「どこで私は始めるのか」と。
16:00 K: 彼は、この質問を しません。
16:03 PJ: 彼はします - 彼が 悲しみの中にいるとき、です。
16:07 K: 彼は、苦しみがあるとき、そうします。 彼は、死があるとき、そうします。 彼は、金持ちの人がすばらしい車で 通り過ぎるのを、見るが、 あなたはあの村へ行くのに、10マイル (16km)を歩くとき、そうします。 そのときあなたは、「これらは 何なのか」と言いはじめます - 「なぜ私は、あの男のように 豊かでないのか」と。
16:30 RD: でも、それは 同じ質問ではありません。
16:32 PJ: いえ、そうです。 K: それは、あの問いの一部です。
16:34 PJ: さもないと、 どのように出発しますか。
16:37 K: 死において、です。または、 私の妻は私と口論するのです。
16:40 RD: 私は今朝、或る人と 議論していました -
16:46 彼ら自身が経験してこなかった 人々が、多数いるのは、 どうしてなのか・ ・・ 彼らは、きわめて幸せな 生を、生きてきました。 彼らは、悲しみを 持っていません - それは、ほとんどの人々に とって、こうも明白です。 そして彼らは、これらの 問いに、出くわすし、 これらの問いに、 真剣に入ります。
17:08 K: はい。ですが、すると、私たちは、 例外的な人々について、話しています。 私たちは、こう訊ねる ことから、始めました - もしも私が、通常の人であり、 相当に教育を受けているなら - 括弧付きの いわゆる「教育」ですが - 私は、存在のきわめて複雑な問題を どこで理解しはじめるのでしょうか - すべての思考の活動、苦しみ、 痛み、心配、それらを、です。 私は、自分が生きるところの きわめて複雑な社会を、 どこで、理解しはじめるの でしょうか。 それが、ジャヤカル夫人が始めた ところの本当の問いです。
18:04 PJ: そうね、私たちは、こう取ります - クリシュナジに聞いていて、 始まりは、内で 出発しなければならない、と。 私たちはみんな、 そのように取ります。 私たちはみんな、 そのように取ってきました - 始まりは、内で 出発しなくてはいけない、と。 これらの年をとおして 私たちが言ってきたように、 自らが何であるかの発見です。 私たちは、けっして 外側を見つめて、 外側を同じ動きと 見たことが、ありません。 ゆえに、冷淡さ、 ゆえに、欠如です・・・
18:53 K: なぜ私たちは、まわりの すべての物事を、無視し、 放置してきたか、 軽視してきたのか - 自然を、です。それは、私たちに とって、何の意味もありません。
19:07 PJ: クリシュナジ、 私たちは分割するからです - 欲望の世界としての 外の世界と、 内の世界とを、です。 
19:23 K: 本当の世界である、と。ええ。
19:26 PJ: 外の世界は、 私たちにとって、欲望です。
19:28 K: また、仏教徒と、多くの ヒンドゥー教徒によれば、 外側の世界は、マーヤー、 幻影です。 それは大事ではない。 私たちは、正反対のことを 言っています。 ゆえに彼は、「私はこれを 理解できない」と言います。 そういうわけで私は、自分の関係を 理解することが、重要であると、 感じるのです - 自然へ、 外側の世界へ(の関係を)、です。 すべての悲惨、混乱、賄賂 と腐敗すべてが、進んでいる 世界へ(の関係を)、です。 私は初めに、それを 見つめるでしょう。 そのとき、外から 内へ動く。 内から出発するの ではなくて、です。 なぜなら、あなたはそのとき判断できない、 あなたは明らかに見られないからです。 これは部分的に宗教の確立へ 責任があると、私は思います - 神を崇拝しろ、イエスに従え、 とか、何か他の神に、と。 20:44 それがすべてです。それが、 宗教と呼ばれているものです。 彼らの儀式、彼らのすべての道具立て - それが、宗教と呼ばれています。 で、個人的に、 こう感じます - 私たちが外側に見る、 聞く、感じる物事でもって、 出発しなければならない、と。 - 私が自分の妻を、子どもを、 親を、どう見つめるか、 その他すべて、です。 それらは、外側にあります。 私は、誰かが亡骸を 運んでいるのを、見ます。 インドでは、それは きわめて単純です。 霊柩車、それらをともなった ヨーロッパのようではありません。 私はそれを、ここに、 この国に見ます - 二、三人の人々が 亡骸を運んでいます。 死は、そこにあります - 私の外側に、ですが、 私は「死とは何なのか」と言い はじめるし、私は探究しはじめます。 21:55 私は自分一人で、 山の洞窟へ入ってしまい、 「死とは何であるか」とは 言えません。 私は、あらゆる種類の 物事を、想像できます。 または、「神とは 何であるか」と。 もし私が、自然と、もう一人の 人物と、正しい関係を 確立してこなかったなら - 妻でも、 夫でも、何でも、友だちでも、です - あなたはそこで、正しい関係を 確立してこなかったなら、 万物・宇宙の無量性と正しい 関係を、どうして確立できますか。
22:34 KJ: クリシュナジ、二つのことが 私の精神に、浮かんできます。 一つは、外を見つめている中で、あなたは 頭脳が敏くなると、仰っています。 外側を見つめる中、外側を聞く中で 頭脳は、敏くなります。
22:50 K: もちろんです。 より敏感になります。
22:51 KJ: ゆえにそれは、歪曲なく 内を見つめられます。 K: それがすべてです。  

KJ: はい。ですが、世界の半分、西洋は、
いつも外を、きわめて、きわめて 具体的だと、処遇してきました。 彼らのエネルギーすべては、 外的に動いてきたのですが、 それは、内的な動きをもまた、 もたらしてきたとは、思われません。
23:18 K: で、私たちは、はるかに 深刻な問いへ、来ます。 あなたは、それを許すでしょうか。 何が、人を変化させますか。 いいですか?  あなたは それで始めるでしょうか。 私はこれです。 私は残忍です。 私は、暴力的で、怒り、嫉妬し、 人々を憎み、妬んでいます。 不確実で、混乱し、悲しんでいます。 私はそれです。ですね? 私は、八千年か、 五万年の結果です。 なぜ私は、変化してこなかったのか。 それが、基本的な問いの一つです。
24:03 質問者: その質問をすることは、 早すぎませんか。
24:09 K: はい。それは早い。
24:16 質問者: 私たちは、それへ 来なくてはいけません。
24:17 K: はい。私は それに来るでしょう。 私は、これらを経てきました。 私は幾つか本を読んできた、などです。 または、私は見ます - 「おやまあ、 私は、自然の堪能や触れ合いを 失ってしまった」と。 で、私は始めるでしょう - 私は見ますが、究極的に 私は、自分自身に訊ねなければ なりません。 なぜ人類は・・・ 私、人間は、 残りの世界のように、 すべての騒動と混乱とその他 すべてをもってしても、 なぜ私は、根本的に 変化してこなかったのか。 それが、私の問いです。
25:01 RD: 興味深いです - 通常の人は・・・
25:05 K: あなた、私は、です。 RD: 私は 動いて、そこへ入って行きます。
25:07 彼は、自分の貪欲の対象を 獲得することや 自分の恐れの対象から逃げ去ることに、 はるかに関心を持っています - 「なぜ私は貪欲なのか」とか、 「なぜ私は恐れているのか」とか 質問するより、です。 K: あなたの問いは、何ですか。
25:30 PJ: 問いは、何ですか。
25:34 RD: あなたが 出された、この問い -
25:37 あなたは、「なぜ私は変化して こなかったのか」と仰いました。
25:44 K: あなた自身に 訊ねてください。 あなた自身に 訊ねてください。 私は、個人的にやっていません。 失礼でも、不遜でもありません。 あなた自身に、なぜかを訊ねて ください。 三十年か四十年の後に、 なぜあなたは、数年前にそうだった とおりなのか - 修正されたが、 根本的な変化は、何も なかったのです。 なぜですか。 私は、提案するでしょう - どの理性的な、 どの思慮深い人物も、 この質問をするだろう、と。 私がいう「変化」とは、どういう 意味かを、理解されますか。 ヒンドゥー教を捨てて、仏教を受け入れる のではない。 仏教を捨てて、でもない。 それは、何度も何度も何度も 反復される同じ様式です。 私は、そういう意味で 言っていません。
26:49 RD: 私たちは、同じ様式を見ません。 私たちはそれを、異なった様式と見ます。
26:56 K: いいえ。自分は 妬んでいます。 それは、あらゆる人にとって 共通の要因です。 それは世界に、大変多くの 紛糾を、産出してきました - 分割、階級の分割、学問的な分割、 宗教的な分割などなどを、です。 私たちは、いまだに 妬んでいます。 さて、もし私が、自分自身が妬んでいる のを知覚し、妬みの帰結を見るなら、 私が根本的にそれを、私の頭脳から 拭い去らないのは、なぜですか。 「頭脳とは何か」、「私とは誰か」と、 それを複雑にしないでください。 それを拭い去りなさい。 なぜそれは 可能でないのですか。 なぜ私たちは、それを してこなかったのですか。 私たちは、それについて 果てしなく話します。 G.ナラヤン: 今日、 ほとんどの人々には、
28:04 一種の科学的な見通しが、 あります - それは、外を 取り扱います。 明白にあなたは、それのみを 含意なさっていません。 なぜなら、単なる科学的な見通しは、 他のどこかへ行くように、思えます - 外と内との間に関係を もたらすのでなくて、です。 特に、教育の後、自らは これに捕らわれます。 他のもの - それは一種の 逆説だと思われますが - それは、苦しみが、何らかの 形で必要だと思われることです。 あなたが、やはり苦しむし、 苦しみつづけるとき、 それは、あなたを 鈍らせます。 自らがこれら二つの様態に捕らわ れているとき、接近は何ですか - 平均的な人間が、これら二つの 様態に捕らわれているとき、です。
29:00 K: はい。まず第一に、 外と内との間に、分割は ありません。 それらは、一つです。 あなたは、それが 見えますか。 同意ではない。 あなたは あの事実が、見えますか。 外 - 私たちが生きる ところの社会ですが、 私たちが、あの社会を 創り出してきたのです。 で、私は、 あの社会の一部です。 社会は、私より 異なっていません。 それは、最も根源的な 事実の一つです。 あなたは、あの事実を 認識されますか。 それが、一つのことです。 二番目に、人々の間になぜ この分割が、ありますか。 分割があるから - あなたと私の間に、です。 あなたは、一つの集団、一つの共同体か、 一つの宗教に、所属しています。 私は、別のへ所属している、 などです。 この分割は、思考により 創り出されています。 で、それは、ものすごく複雑に なります。 いいですね? そのすべての終わりに、あなたは 「今、私は苦しむ」と言います。 あなたは、苦しみます。 残りの人類は、苦しみます。 自らは、「この苦しみは終わり うるのか」と、けっして言いません。
30:36 ラディカ・ハーツバーガー: 二つの問い - 「苦しみは終わりうるのか」と「なぜ 私は変化してこなかったのか」の問いは 同じ種類の問いですか。 K: そうです。それは、同じ問いです。
30:44 RH: それは、同じものです。
30:47 両方への答えは、私たちが十分なエネルギーを 持っていない、ということですか。
30:55 K: 私は、あなたが十分なエネルギーを 持っていないとは、言わないでしょう。 自らは、何かをしたいとき、一杯 エネルギーを持っています。 いいですか?  あなたが、 お金を持ちたいとき、 それを得るために、 ものすごく働きます。 で、私は、それはエネルギーの 事柄であるとは、思いません。
31:27 RH: それは、私たちが自らの全存在で 変化したくない、ということですか。 苦しみたくないとの欲望、 変化したいとの欲望が、 私たちの中でこうも容易く 消散したのは、なぜですか。
31:47 K: そこには、何の 利得も、ないのですか。 私たちは、利得に動機づけられています。 ですね? 私たちは褒賞がほしい。 RH: で、私たちは混ざっています。
31:59 K: はい。それが私が言っていることです。
32:02 私たちの頭脳は、褒賞と処罰へ条件 づけられています。いいですか? 私は、猛烈に 働くでしょう - 私がその終わりに、褒賞を 得られるなら、です。 お金、身分、地位 - それが 何でも、です - 幸せを、です。
32:30 KJ: クリシュナジ、それは それ自体が、時の過程です。
32:33 K: 私はまだ、時に入りたくありません。 ただ事実をご覧ください。
32:38 PJ: 私たちはわずかに離れて しまったと、私は思います。 私たちは、感覚とそれらの作動と、 自然について、話していました。
32:52 PJ: 感覚はエネルギーです。 外側にあり、成長している ものが、エネルギーです。
32:59 K: ものすごいエネルギーです。 あなたは、一枚の葉がセメントの中で 育つのを、見たことがありますか。
33:06 PJ: 感覚のエネルギーを じゃまするのは、何ですか。 感覚のエネルギーへの じゃまが、あります - それは入ってきて、それらが本当に はち切れるのを、妨げます。
33:20 K: それは、私たちの 条件づけですか。 それは、私たちの教育ですか。 私たちは、制御するよう言われます。
33:28 PJ: そこには、何か種子があるに ちがいありません - 私たちをして、 よく気をつけ、自らの感覚の流れを 方向づけるよう、導くものが、です。 生の全体、教育の全体が、感覚の 流れを方向づけることです。 おそらくそれは、それ自体、 不正確な接近です。 
33:50 K: はい。
33:54 PJ: 必要なものは、 エネルギーの保存です。 どうやって、エネルギーを 保存しますか。 どうやって、 創り出しますか・・・
34:05 K: ちょっと待って。ププルジ、あなたは エネルギーを保存するのでしょうか。 または、あなたがエネルギーを拡大すれば するほど、もっとそれがありますか。
34:16 PJ: いえ。でも、あなたはまた、 エネルギーを費やすかもしれません。
34:21 K: ああ、そうなんです。 そうね、Kのような人物にとって、 散漫も魅惑もありません。 散漫はありません。
34:41 PJ: これは、魔法的なものです - それが見えるようになれば、です。 人間精神に散漫はない、と。 些細なことはなく、散漫はない。
34:50 RH: また、没頭もない - 予め何かに 占有されていることが、です。
35:00 K: そのとおりです。 そのとおりです。
35:04 KJ: また、「私はエネルギーを 保存しよう」と言うことこそが、 エネルギーの流れを 方向づけることです。
35:13 PJ: いえ。それは、違った 視点をもって、言われます - 私たちは、エネルギーが 散失することを、見ます。 人間は、どんなエネルギーを持っているに しても、いつの時も散失しています。 で、何もありません。 その根には、何かが あるにちがいありません。
35:31 K: いいえ。ププルジ、 ただ見てください。 私は、子ども時代から、 この褒賞と処罰の観念に、 条件づけられています。 ですね? 母親と父親は、「これをする なら、お菓子をあげよう」と言います - 「あれをしないなら、 罰を与えよう」と。 あなたは、学校へ行きました。 それは、同じ原理が実行されたのです - より良い成績、より良い試験、 よろしいですか。 私たちの頭脳は、褒賞と処罰へ 条件づけられています。 いいですか? で、私は、処罰を回避し、 褒美を得るために、 自分のエネルギーすべてを 使用するでしょう。 いいですね?  あの褒美は、私に エネルギーを与えてくれます。 PJ: はい。違った性質の、です。
36:19 K: 待って、待って。
36:21 あの褒美は私に、ものすごい エネルギーを、与えてくれます - 働きに働き、 働くように、です。 あなたが、やってきて、 私に言います - 「この褒賞と処罰は、条件づけです。 そこに自由はありません」とね。 天国は、褒美ではありません。 覚りは、褒美ではありません。 が、私は子ども時代より、褒賞を 探し求めるよう、訓練されてきました。 それで、闘いがあります。 私は、自分のエネルギーを あの闘いに、むだにします。 付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 私は、幸せがほしい。 私は、平和がほしい。 そして私は、それを促進する ことすべてを、します。
37:25 PJ: 生は、こうも複雑です。私が それを解決しようとするなら、 私はけっして、それを 解決しないでしょうが、 あなたは、鍵を 与えてきたのです - 鍵は、この全的な感覚の 作動です。 
37:43 K: ええ。 PJ: 私が、あの複雑性に 捕らわれるなら・ ・・ K: いいえ。そうしないで ください。それは理解できます。
37:46 PJ: 鍵は、この全的な 感覚の作動です。 私たちは、それを探検して、 中へ入られますか。
37:56 K: はい。 そうしましょう。
38:01 PJ: あれが拭い去るから、される べきことは、何もありません。
38:11 K: 見ること、 知覚すること - それは同じです - そして、聞こえること、 それらは、分離していますか。 または、それらは一つですか。 質問を理解されますか。 私たちは考えます・ ・・ いえ、ちょっと待って。 あなたは、その発言が 聞こえるとき - または、 「それら、見ることと聞こえることは、分離 していますか」とのこの問いが、です - あなたは、それについて、 考えはじめます。 いいですね? しかし、それについて 考えた瞬間、 あなたは、問いを 聞いていません。 さて、あなたは同時に、見、 知覚し、聞くのでしょうか。 二つの分離した ことではない。 ちょっと待って。 私は去年、或る科学者に 話していました。 彼は、生物学者で、自然 などに、関心を持っています。 39:39 彼は、私に訊ねました - 「あなたは、樹の音が 聞こえますか。 樹が風でもって動いている とき、ではなく、 樹が静かである、絶対的に 静かであるときに、です。 朝早く、 そよ風もないときか、 遅く、どんなそよ風、風もなく、 日が沈みつつあるとき、 樹は、特有の音の性質を 持っています」と。 私は、「はい。 それは、この特有の音の 性質を、持っています」と言いました。 さて、あなたは同時に、 あの音が聞こえ、見えますか。 私が言っていることに 付いてきておられますか。 または、それらは 分離していますか。
40:31 PJ: 付いていっています。
40:37 K: 私はもはや、それに入りたく ありません。もし指摘していいなら、 音の問いへはるかに深く 入る甲斐は、ありません。 音は、それ自体で、 とてつもないものです。 なぜなら、音楽は 音であるから、などなどです。 私は、それに 入りたくありません。 私たちは分割なく、何かを見られますか。 それが、私が言っているすべてです。 見る、聞く、感じる、 嗅ぐ、味わう。 それは、あなたが完全にそこに 関与しているかのようです。
41:15 GN: あなたは頻繁に、 仰ってきました - 冥想は・・・ 私はこの脈絡で 訊ねています。 冥想は、第六感か、 第七感です。 あなたは、それを持っていない なら、たくさん見失っています。 あなたにとって冥想は、正しくは 何ですか - 冥想の本質的性質は?
41:38 K: 冥想の本質的性質は、 あなたが冥想していることを、 けっして意識しないことです。 私が言っていることを 理解されますか。 あなたが、試みるなら - 「私は冥想しよう」と言い、 一定の姿勢で座り 静かに座り、 呼吸する、その他すべての ごまかしをするなら、 そのときそれは、他の どのビジネスとも、似ています。 ビジネスは、「あなたは、 お金を得るために これこれをしなければ ならない」と言います。 彼らは、達成したいと思います。 冥想は 達成ではありません。 あなたが、体系、方法などに 沿って冥想するなら、 それは、達成です。 その終わりに、「ああ、ついに 私は、平和を得た! 」と。 あなたが「ついに私は百万ドルを銀行に 持っている! 」と言うように、です。 で、冥想は、Kにとって、何か 意識的に達成できないものです。 これは、あらゆる人に 全く逆行します。
42:58 PJ: それは、見る、聞く状態 より、分離していますか。
43:07 K: それ自体が冥想です。
43:10 GN: あなたが、「私は自然と 接触している」と言うとき、 きわめて敏感な形で冥想が 進みつつあるように、思われます。 自然との接触 - あなたが叙述される 種類の - が、あるとき、です。 多くの人々にとって - 彼らが どれほど智恵があろうとも - 姿勢、接近は、冥想に きわめて関連しています。
43:38 K: 存じています。
43:42 GN: あなたが冥想について話をし、 これらすべての物事を消去しているなら、 自分は迷っています。
43:50 K: 迷っていなさい!
43:52 GN: あなたが仰った種類ではない。 K: 迷いなさい。迷いなさい!
43:54 GN: 混乱の中で迷っている? K: いいえ。
43:55 あなたが、これらをしている とき、それが混乱です!
43:57 GN: 私が言っていることは、関連が あるのかどうか、私は知りません。
44:11 あなたはさらに、どう導くのか、 指し示すのでしょうか - それで、冥想が現実に なるように、です。
44:29 K: あなたがいう 「冥想」と「現実」とは どういう意味なのかを、 私は知りません。 すみません。 私は ふざけてはおりませんが、 あなたのいうそれら二つの言葉が どういう意味なのかを、 私は本当に知りません。 何が現実的ですか。 あなたの前の、この マイクロフォンは、現実的です。 あなたは、それに触れられます。 あなたは、それを感じられます。 おそらく、それ自体の匂い、オイルが 差された、その他すべてです。 それは現実です。 あなたは、幻想を持ち、あれは 現実だと、言うかもしれませんが、 それは、 現実的ではありません。 あなたは、考案した、逃避した、 創造した、その他すべて、です。 あなたの「冥想」という言葉は どういう意味ですか。 おそらく私たちは、ププルジが訊ねて いることから、逸れつつあります。
45:31 GN: 私は本当に、 あの質問をしました - 諸感覚の十分な作動への 関係において、です。 すなわち、その中で性質は、 科学的、テクノロジー的な態度より きわめて違っているものです。 科学者やテクノロジー研究者は、 外に関心を持っていますが、 それは、違った性質です。
45:52 K: いいえ。 彼らもまた、訊ねています。 先日、私が あなたにお話ししたように、です。 私たちは、ロス・ アラモスへ 招待されました。 そこでは、あらゆる種類の原子爆弾 などを、創り出しています。 また、癌を研究しています。 数学と、あらゆる種類の 物事を、です。 アメリカの国立研究所です。 彼らの関心事は、 冥想だけではなく、 科学における創造性とは何なのか、 でした。 よろしいですか。 彼らは、生への単にテクノロジー的 接近を、越えようとしています。
46:41 PJ: 感覚の作動より他に、創造的な ものの地盤は、ありえません。 そして、感覚の作動は、 それら自体が、 創造的なものの地盤です。
47:06 K: 私は、中心の主題より離れていく ことなく、言葉を使っていいですか。 私は、その言葉を使うのが、なかなか 気恥ずかしいが、その言葉を使いましょう。 あなたが、全宇宙、森羅万象を 見守っているとき - 見守っている。 褒賞や処罰を 探し求めないで、 ただ、これらを 見守っている。 あれら村人の苦しみを 見守っている - あれら小さな少年たちが学校へ一日、12 マイル(19. 3km)も歩いているのを、です。 あなたは、これらを 見守っています。 その見守る中には、大いなる慈しみ、 愛、気づかいが、あります。 で、見守ることは、単に 感覚でもって、のみではない。 その見守る中には、 この愛の性質が、あります。
48:05 PJ: 今、私たちは、それへ 行こうとしています。 何が目覚めるのか。 なぜなら・・・ 私は自分自身のために 話しています。 すべての感覚でもって観察する 可能性があると、私は思います。 私はそれを 言っています。
48:32 K: すべての感覚が目覚めるのと その充足との中で、 何か全然違ったものの 性質が、あります。
48:43 PJ: これは、 私が来たいと思うことです。 何か欠けているものが、 あるにちがいありません。 なぜなら、 あの心の炸裂が - それを、違った言葉で 表しましょう -
49:03 K: あれは、良い文句です - 「心の炸裂」です。
49:06 PJ: それは起きません。 私は、「ええ。 私は他方を 知っている」と言えますが、 心の炸裂は、 起きません。 それが、本当に要です。
49:20 K: お話ししましょう。 あなたは、こう仰るのでしょうか - 頭脳は、私たちの神経的、 電気的な応答すべての 中心である、と。 それは、すべての 思考の中心です。 それは、すべての混乱、 痛み、悲しみ、心配、 憂鬱、切望、達成、 褒賞と処罰の中心です。 それは、混乱、矛盾の 大いなる活動です。 愛は、 それではありません。 ゆえに、それは、何か頭脳の 外側のものに、ちがいありません。 ただそれに付いていって ください - 論理的に、です。 私たちは、自然や、他の人間を 頭脳の内側から、見つめます。 50:35 私たちは昨日、ここのこれらの 人々の幾人かと、散歩していました。 そして、完全な静寂が ありました。 牛車、子どもたち、走る自転車 - 何も存在しませんでした。 ただ無量の静寂だけ。 いいですか? それは、あちらの静寂ではありません でした。 それは、静寂でした。 全世界が静寂でした。 そしてあなたは、 静寂でした。 あなたは、大地全体を あなたの一部と、感じました - 愛です。 それらはご存じです。 さて、これは・・・お分かりですか。
51:27 PJ: そうですねえ・・・ これはあなたの発言ですよね。 私は よく気をつけて、それを聞くでしょう。 K: もちろんです。それは、ばかげた戯言 かもしれません。 
51:32 PJ: いえ、いえ。
51:34 でも、事実は、ですね、私は他の一人 の涙を拭かないのです。 K: ええ。 PJ: ゆえに、同時に 働いている感覚は、 頭脳に、大いなる 明瞭さを、与えます。 生きている、芽生える、 創造的でもある、地盤ですが、 それは、他の一人の涙を、 拭きません。  

K: ええ。
PJ: で、私は、他の一人の涙を拭くのは 何であるかに、関心を持っています。 なぜなら、あの性質が 入ってくるのでなければ・・・
52:21 K: 社会的な活動ではない。 村々へ行き、涙を 拭くことではない。
52:26 PJ: ええ。それをあなたはできます。 そうすることは、必要です。
52:30 K: ちょっと待って。頭脳は - それが私の問いです - 頭脳は、静かであって、 それで、思考の活動が完全に 終わったように、できますか - あの秒か、 あの期間に、です。 または、それはいつも、 おしゃべりをしまくっていますか。
52:58 PJ: それは、正当である たった一つのものは、 全的に目覚めていることである、 ということですか。 感覚が全的に 目覚めていることである、と。 そのとき、けっして 他方を、訊ねもしない。
53:20 K: ええ。もちろん、それはできません。 あなたは、それについて知りもしません。 あなたは、どうして それについて、問えますか。
53:25 PJ: 頭蓋骨の外側には、 何がありますか。
53:27 K: 今、私が知っているすべては、 頭蓋骨の中にあるものです。 いいですか? あなたが、やってきて、 こう言います - 「あなたは、そこに入っているかぎり、 何をも解決しないでしょう」と。 あなたはそれを、私に指し示します。 そして私は、あなたに聞きます。 なぜなら、私は、これらの論理、 これらの常識を、見るからです。 そして私は、「仰る とおりです」と言います。 で、私は、頭脳を静かにするのは、 何であるかを、知りたいと思います - それは、自らのリズム、その他 すべてを、持っているけれども、です。 何がそれを、静かに するのでしょうか。 私たちは、あらゆる物事を 試してきましたね - 断食、話さないこと、 誓いを立てること、純潔。 私たちは、あらゆる物事を やってきましたが、 頭脳はけっして、静かに なってこなかったのです。 冥想は、静かさではありません。 いいですか? あなたは精神に、静かさを もたらそうとします - 制御をとおして、あらゆる種類の 仕掛けをとおして、ですが、 それは、静寂の静けさと 美しさではありません。 で、私たちは、どこに 終わるのですか。
55:01 PJ: 他のあらゆる物事は、 人が作っています。 あれだけが、神聖さです。 私たちは、それにどう 触れるのかを、知らないのです。 そういうわけで、あなたは、感覚を 終わりまでずっと持っていけるのです。
55:18 K: 私は、先日、 或る人に会いました。 彼は、偉大な画家でした。 有名です。 彼は、「人が作ってきたものが、最も 美しいものです」と、言いました。 あれは、その終わりでした - 彼にとっては、です。 私は指し示しました - 「あの樹については、どうですか。 あなたは、それを 作っていません」と。 彼は、「それは興味深い問い です」と、言いはじめました。 10時半ですか。
55:55 PJ: はい。10時半です。
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