RV85DT2 - 教育は、全包括的な生き方をもたらせるのか

教師たちとの討論会 第2回
インド、リシ・ヴァレー
1985年12月7日
テキストのみのバージョン
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2:07
クリシュナムルティ: 私は、きわめて 錯綜した問いを、出してもいいですか。
いいですか。
よろしいですか。
誰かが確認してください。
あなたは、もしもここに 息子や娘を、持っていたなら、
あなたは、彼らを どう教育したいのか、
全包括的な生を もたらしたいのでしょうか。
あなたたちはここに、こうも 多くの学生を、持っています。
有能で智恵がある - 少なくとも、 彼らの幾人かは、です。
あなたは、どう もたらすのでしょうか。
どんな手段をとおし、 どんな種類の態度、
どんな種類の言語的な説明を とおして、あなたは進み、
全包括的な生き方を 教育するのでしょうか。
3:35
それが、私が 提案していることです。
私がいう全包括的 (ホリスティック)とは、
全体的(ホール)、壊れていない、 裂けてしまっていない、
断片化していない、 という意味です -
私たちの生のほとんどは そうですが。
で、私の問いは、こうです - 私が あなたにそれを出していいなら、
あなたは、何を するのでしょうか。
あなたは、どんな様態で、 教育するのでしょうか。
あなたは、全包括的な生き方を どうもたらしますか。
専門化において断片化して いない見通しを、です。
あなたは、これを もたらすよう、
どう彼らを助けるのか、 彼らを教育するのでしょうか。
これは、あまりに 錯綜しすぎた問いですか。
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4:59
答えはない?
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5:03
HP: 初めに、私たち自身が 全包括的でなくてはいけません。
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5:08
K: それは理解できますが、まず第一に あなたたちは、ここの教育者です。
私を認めてくださるなら、 私自身を含めて、です。
私はたまたま、 リシ・
ヴァレーにいます。
私は、その場所が好きです。
その美しさ、丘、岩々、花々、
丘の上の影。
私は その場所が好きです。
私は、ここの教育者の 一人です。
そして、親たちは、自らの 子どもの一人を、私に送ります。
私は、彼らの生全体を 見届けたい -
彼らの日々の最初から、 彼らがここに来る間、です。
私は、彼らが、生を 生きるよう、見届けたい -
全体的(ホール)とは、 善い、という意味です。
善い - その言葉の通常の 意味で、ではない。
6:23
善い。
それは、特別な意味を 持っています。
古い伝統的な言葉「善い」 - あなたは 善い子だ、善い夫だと、善い何かではない。
それはすべて、きわめて 制限されています -
言語的な意味で、ですが、
が、それは、はるかに 大きな意義を、持っています
- あなたが善さを、全体性へ 関係させるとき、です。
私の言葉が意味をなしているのか どうか、私は知りません。
善いとは、とてつもなく寛大だ とのあの性質を、持っています。
善いとは、他の一人を、意識的に傷つけ たくないとのあの感覚を、持っています。
あなたは、無意識的に そうするかもしれませんが、
生に対する態度全体が、 傷つけないこと、
何か不親切なことを、 意識的にしないこと、です。
あなたは無意識的に、何かを 言うかもしれません。
7:41
善い - それが正確である との意味で、です。
当面の間、だけではなく、 いつの時も、正確です。
私は考案しています!
それは境遇に依存しない、 という意味で、正確です。
もしそれが今、正確であるなら、 それは百年後、正確でしょう。
または、十日後、です。
善さと連携させられる 正確さは、
環境、境遇、圧迫などに 関係していません。
で、そこから、 正しい行為が、来ます。
私が話していることに、付いてきて おられるのかどうか、私は知りません。
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8:42
で、善さと、全包括的(ホリスティック) な生き方は、相伴います。
私は、ここの教師や ここの教育者の一人です。
このお方は、自分の息子を この学校に、送ります。
私は、どんな様態で、 見届けようとしていますか -
その少年が、善と全包括的な生き方の 中で、成長するように、です。
それが、私の問いです。
私たちは、互いに 頼っていますか。
それは、個人の問題ですか。
または、それは、全学校の、 全体の問題ですか。
で、それは、総合的で なければなりません。
善さについて、あのお方は一通りに考える し、私は一通りに考えるのではない。
それは、結合的な行為で なければなりません。
10:08
いいですか? それは可能ですか。
あなたは、それを ほしいですか。
どうぞ、「全包括的」(ホリ スティック)という言葉には、
正統的な、組織された、その すべての愚かな戯言ではなく、
あの宗教の精神が、 含意されています。
私たちは今すぐ、それに入る でしょう - 時間があるなら、です。
で、私は、ここに 教育者として生きていて、
どうして、これを もたらすことに、なります。
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11:08
私を一人にして おかないでください。
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11:18
教師: 初めに、私が しなくてはいけないことは、
子どもが関係において、安全に 感じるよう、助けることです。
私はただ、探検しています。
その子が、私との関係、 場所と(の関係)において、
安全を 感じるのでなければ、
それ以上は、何も 起こりえません。
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11:52
ラディカ・ハーツバーガー: 私は見出さなくてはいけません -
それが本当に、私がしたいこと であるのかどうかを、です。
私は見出さなくてはいけません -
それが本当に、私がここで したいことであるのかどうかを、です。
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12:00
K: 私は知りません。私はお訊きして います。みなさま、私は知りません。
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12:06
RH: それが本当に、私がしたいこと であることを、私が感じるなら、
私がいうそれは、どういう意味である かを、見出さなければなりません。
K: 何ですか?
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12:14
RH: 私がいう それは、どういう意味ですか。
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12:16
それが、私がしたいことであると 私が感じるなら、
私は、自分の感情の内容が何であるかを 見出さなければなりません。
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12:25
カビール・ジャイティールタ: それは、必要でないでしょうか
- もし私たちが、学校で ともに働いているなら、
私がいうそれは、 どういう意味かとか、
あなたがいうそれは、どういう 意味かを、言わないで、
私たちのみんなにとって 何か妥当なものが
あるのかどうかを 見出すことが、です。
私たちが観念に拘るとか、私たちが 観念のまわりにまとまるからではなく、
究明の中で、私たちは、これが それであることを、明らかに見ます。
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13:03
K: 私たちは、あなたと私は、 例えば、全体的であるとか、
全包括的な生とは、どういう 意味かを、理解しますか -
言語的にさえも、です。
論理的、理性的に、健全に、ですが、
全包括的な生を生きるとは、どういう 意味かを、私たちは理解しますか。
教師: はい。
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13:32
K: または、 それは単に理論ですか。
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13:35
RH: おそらく、私たちは 対比により理解します。
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13:38
私たちは、自分たち自身に 断片化を、見ます。
そして、私たちのまわりに 断片化を、です。
おそらく私たちは、 或る種のものを、築きます。
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13:51
K: あなたは、自分自身に断片化や 壊れているのを、見るなら、
あなたは、それをどう免れるのか、どう 全体的であるかの問題を、持っています。
私は、問題を ほしくありません。
私は、問題を ほしくありません。
すなわち、
それを解決する中で、全包括的な 生き方を、もたらすであろうものを、です。
私がいう意味を、理解されますか。
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14:21
RH: はい、理解します。
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14:23
K: 私は、それについて 問題を、ほしくありません。
そのとき私は、すでにそれを 砕いてしまっています。
お分かりになるのかどうか、 知りません。
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14:33
RH: はい。
が、にもかかわらず、私たちが断片化 しているとの事実は、残っています。
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14:40
K: それが論点です。さて、 ちょっと待ってください。
私が進めても、 構いませんか。
私は、自分が断片化して いるのを、知っています。
私の考える過程全体が 断片化しています。
また私は、自分がそれを問題にしては ならないことをも、知っています。
いいですね? なぜなら、それは もう一つの断片化であるからです。
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15:12
RH: でも、私の断片化の 感じ自体が、問題です。
私は、問題を作りません。 私は、問題を見ます。
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15:20
K: それは理解しますが、私は、自分が 断片化しているのを、悟ります。
が、私は、それを問題に したくありません。
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15:26
RH: でも、それは、私は自分が 断片化しているのを見るとき、
それ自体が問題であることを、 意味していませんか。
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15:31
K: それが、私が 目指していることです。
すなわち、私は、自分が 断片化しているのを、見ます。
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15:37
RH: 私は問題を 創り出してきました。
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15:39
K: 私は、一つのことを言い、 別のことをします。
一つのことを考え、自分が考える ことを反駁します、などなどです。
RH: 私は不幸せで憂鬱に感じます。
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15:46
K: 色々な種類の断片化です。
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15:50
私はまた、自分がそれを問題にしては ならないことを、きわめて明らかに見ます。
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16:01
RH: おそらくね。私は それが明らかに見えません。
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16:03
K: それが、私が 議論したいことなのです。
私はそれを問題にするなら、
私はすでに、それを断片化させ ました。
さらなる断片化ですね。
RH: でも、間の段階があります。
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16:14
K: 私はそれらを知っています。
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16:16
ちょっと待って。構わないなら、私が 言っていることに、付いてきてください。
私は、自分が断片化している、 砕けていることに、気づいています
- 色々な形で、です。
ほしがらない、ほしがるなど、 十の違った形で、です。
私がそれを問題にするなら
-「私は断片化していてはならない」 と、私自身に言って、です -
その発言こそが、断片化の 中から、生まれています。
で、何か断片化の中から生まれた ものは、もう一つの形の断片化です。
で、私は、そうしてはなりません。
話は明らかになりつつありますか。
または、私は口を 利けないでいますか。
で、私はそれを、問題に してはなりません。
が、私の頭脳は、問題へ 訓練されています。
で、私は、その循環全体に 気づかなければなりません。
話が明らかになりつつあるのか どうか、私は知りません。
で、私は、何をする ことに、なりますか。
気をつけて、私は何を する・・・はい。
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17:40
HP: 私はそれを問題にすべき ではないと、仰るとき、
私たちは選択できますか。または それは、自動的になって・・・
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17:48
K: 何ですか。
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17:49
HP: 私たちはそれを問題に すべきでないと、仰るとき・・・
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17:52
K: いいえ。私はそう言いませんでした。 私はそれを、問題にしないでしょう。
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17:58
HP: あなたは、自分の中に 断片化を見るとき、
あなたは、「私はそれを問題に したくない」と、仰います。
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18:11
K: 私は真理を見ます。私はそれを 問題にしないだろう、ではない。
私は、もし私がそれを 問題にするなら、
それはもう一つの断片化である との事実を、見ます。
それがすべてです。
私はそれを見ます。
私は、「私はそれを 取り除かなければならない」とか、
「私は何かをしなければ ならない」とか、言いません。
私はただ、事実を見ます - すなわち、 「私はしてはならない」と言うなら、
そのときそれは、もう一つの 断片化になる、ということを、です。
それがすべてです。
で、私は、何を することになりますか。
いいですか?
私が 目指していることを
捉えておられるのか どうかと、思われます。
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18:58
HP: この場合に、何か されることが、ありますか。
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19:03
K: 今すぐお示ししようとしています。 そんなに熱心でいないでください
- 私が言うのを 気にされないなら、です。
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19:11
HP: 私のその見方は、何もされる ことがない、というものです。
ただ見守るか、観察するか、です。
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19:18
K: ちょっと待って。まだ 結論に到らないでください。
私は、何をすることに なりますか。
HP: 観察し、見守る。
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19:27
K: 私に言わないでください。
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19:29
これらは、すべて 言葉です。
私は何を・
・・ 自分が 断片化していることを見て、
何でも私がすることは、もう一種類の 断片化であることに、気づいて、
で、私には、何が 残っていますか。
あなたは、自分自身を あの立場へ置きません。
あなたは、すでに 結論へ、到ったのです。
で、結論は、もう一つの 断片化です。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
あなたが、「私は観察できる」と 言うとき、それはすでに結論です。
HP: あなたは、何かを言わなくてはいけ ません。
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20:15
K: 何も言わないでください。
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20:21
私たちは、誰に話をしていますか。 私たちは、互いに話し合っていますか。
またはあなたは、語り手に 聞いているだけですか。
ゆえに、何をすべきかを、彼が 言うのを、待っていますか。
質問を理解されますか。
で、仮に、私がこの問題か、 この問いを持っている、とします
- その中に、宗教的な 精神の性質が関与している、
全包括的に生きる道、です。
私たちは、宗教が何であるかと それらに、入るでしょう。
何の害悪もなく、何の二元性もない、 本当の深い善さの性質、です。
付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
私はそれを、錯綜させつつ ありますか。
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21:24
HP: いいえ。
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21:27
K: なぜですか。
私の頭脳全体が、二元的に 考えます。
いいですか?
それは、いつも 対立の中にあります。
「私はこれをしたいけれども、私は それをしてはならない」、
「私はそれをすべきだが、私はそれを したくない」などという意味で、です。
で、それはいつも、対立した 立場を、取っています。
それは、本質的に 断片化です。
いいですか?
で、私には、何が 残されていますか。
私は、このすべてを 見ます -
一目でか、分析でもって、です。
私は それを見る。それはあのようです。
そのとき私の問いは、こうです - 私は何をすることになりますか。
「あなたはすべきだ」と 言わないでください。
私は、あなたから 何をも、受け入れません。
よろしいね?
私は受け入れません。
私は生来、きわめて 懐疑的です。
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22:57
HP: あなたはこの質問をしています - 「私は何をすることになるのか」と。
自らが観察しているとき、 生じつつある問いは、ありません。
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23:06
K: あなたは、それを していますか。
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23:09
HP: はい。 K: ああ、 「はい」や「いいえ」は待って。
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23:11
あなたは、それを していますか。
あなたがそれをしていないで、 そのとき
「ええ、私たちはやってみなければ ならない」と言っているなら、
あなたは、 矛盾の中にいます。
ゆえに二元性、 ゆえに断片化です。
ゆえに善さがない。 その他すべてです。
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23:40
JR: 全包括的な状態についてとか、 善さの状態について、言うとか、
話すとか、考えると とたんに、
あなたはすでに、 二元性の中に、います。
あなたはすでに、矛盾の中にいます。
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23:52
K: いいえ、いいえ。
私たちは、矛盾の中にいません。
私は それを、言葉に表しているだけです。
いいですか?
全包括的は、 善さを含んでいます。
よろしいですか?
宗教的な感覚、
宗教的な頭脳を、です。
あなたがいう 「宗教」とそれらはどういう意味なのか
- 私たちは、今すぐ それに入るでしょう。
が、私はあなたに訊ねています - あなたは、何をするのでしょうか。
あなたの行為は、何ですか。
あなたの態度は、何ですか。
あなたは、自分の学生を、この 善さの中で、教育したいですか。
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24:44
JR: でも、私が善さについて 考えたとたんに・・・
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24:48
K: いいえ、いいえ、いいえ。 ちょっとお待ちください。
学校は、一定の評判を 持っています。
一定の名声、
一定の感じを まとっています。
この谷には、一定の 雰囲気があります。
私は、あなたに 自分の息子を、送ります。
この全包括的な生の道で あなたが
彼が成長するのを助けてくれる だろうと、望んで、です。
私は、意思疎通しています。 それは、矛盾していません。
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25:26
教師: 私は思うのですが、 説明してもいいなら、
私が全包括的な生の状態を 設定した瞬間、
それは、実際に私なる ものへの矛盾です。
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25:38
K: もちろんです。 理解できます。
私たちは、その問いを 究明しようとしています。
私たちは、それについて 法を定めようとしていません。
少なくとも、 私はしていません。
私は本気で申しています。
私はそうしていません。
私は見出したいのです - どんな形で 私は学生を助けられるのかを、です。
私は全包括的でないかもしれません。
私がいう意味を、理解されますか。
「初めにあなたが全包括的でなければ ならない。
そのときあなたは教えられる」と
言わないでください。
そのとき、 私たちは死んでいます。
いいですか?
それは 永遠に掛かるでしょう。
その子は進んで、学士か修士か、 何へでも、行っているでしょう。
もしあなたが、「私は初めに しなければならない」と言うなら、
そのときあなたは、すでに 自分自身を窮地に入れたのです。
26:32
理解されるのかどうかと 思われます。
で、私は何をも言おうとしていません。
私は、何をすべきかを、知りません。
ですね?
私は本当に、何をすべきかを 知りません - ここに来る学生について、
その子に軍隊やビジネスや何か、法律に 加わってほしい親について、です。
私は、社会のものすごい反対を、 受けています。
いいですか?
父親、母親、祖父は、その子に良い職、 それらを、持ってほしいと思います。
私はどうすれば、これを もたらすことになりますか。
あなたは、私に答えません。 私は知りません。
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27:27
KJ: クリシュナジ、私は その問いに、答えないでしょう -
「私はどうやって、これをもたらす ことになるのか」というのへ、ね。
私は、断片化を 見つめています。
K: はい。その少年に、ですか。
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27:41
KJ: そして私にと、世界に、です。
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27:44
K: で、それは、 何を意味していますか。
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27:46
それに付いていってください。 それを変化させないで、
付いていってください。
それは、どういう意味ですか。
私は断片化しているし、その子は 断片化しています。
いいですか?
よろしいですか。
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28:02
KJ: はい。
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28:03
K: そのとき、その子と私自身との 間の関係は、何ですか。
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28:04
KJ: 私たちはともに学んでいます。 K: すぐに言い回しを使わないでください。
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28:13
その学生との私の関係とは、 何ですか -
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28:17
私自身のように、 断片化している子との、です。
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28:27
RH: 私は彼より 異なっていません。
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28:31
K: もちろん、あなたは 彼より異なっています。
あなたは、彼より 異なっています。
あなたは数学を知っています。
教えます。 彼は、それについて知りません。
自分は彼より異なっていないと、 言わないでください。
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28:48
KJ: 私が断片化しているなら、 そもそも、関係がありますか。
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28:51
K: で、どうぞ、私の問いに 答えてください。
あなたは断片化しています。
私はあなたの 学生です。私もまた断片化しています。
いいですか?
そのとき、 あなたは何をしますか。
私たちの関係は何ですか。
または、まったく 関係が、ないのですか。
または、私たちは同じ水準に、 いますか。
いいですか?
ああ、そうなんです。
あなたは それを、認めようとしないでしょう。
私は断片化しています。
彼は断片化しています。
あなたが、ではなく、 他の誰かが、です。
私は断片化しています。
彼は断片化しています。
彼は私の学生です。
または、私は彼の学生です。
そのほうがいい。
私は彼の学生です。
これら二つの断片の間の 関係は、何ですか。
理解されますか。私はあなたに この質問をしています。
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29:56
教師: それは、断片化した関係 でありうるだけです
- あなたがそれを そう呼ぶなら、です。
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30:00
K: ええ。いいえ、実際に 私の関係は、何ですか。
私はそれを、何とも 呼びたくありません。
あなたとの、私の実際の関係は 何ですか。
あなたは断片化しています
- 私のように、です。
私は断片化しています
私たちの実際の関係は 何ですか。
教師: 何もあるように思えません。
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30:18
K: それがすべてです。
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30:20
断片が、どうして 関係を、持てますか。
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30:29
教師: なぜですか。
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30:33
K: あなたは本当に、その質問を なさっていますか。良し。
あなたがそれに 答えてください。
教師: あなたが仄めかしておられる・・・
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30:47
K: 遮ってもいいですか。
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30:50
あなたは、私に 質問をします。
私は、あまりに熱心にそれに 返事をしようとします。
いいですか?
で、それは、あなたと私との間で 進んでいきます。
理解されますか。
私はそれに答えます。
そのときあなたが それに応じるし、私が応じる、などと。
あなたの答えが 深刻であるなら、
その問いは、活力を 持っていますか。
教師: それは深刻ですか。
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31:35
K: 私が 言っていることを、聞いておられますか。
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31:37
彼は、私に 質問をしました。
彼は私に、それに 答えるよう期待します。
私は、私はそれに答えない だろうと、言います。
なぜなら、問い自体に 答えがあるからです。
で、私たちは、問いを見つめて、 それが花開くのを、待てますか。
理解されますか。
私は彼に、質問をします。
彼はそれに、答えないでしょう。
なぜなら、彼は 「私は知らない」とか、
「私は知っているが、それは 意味がない」と言うからです。
なぜなら、私の問いは、きわめて深刻で 真剣であるからです。
理解されますか。
その問いに応答しないで、 それ自体に花開かせましょう。
32:36
私が話していることに、付いてきて おられるのかどうか、私は知りません。
で、問い自体が、答えを 収容しています。
あなたがそれに 花開かせるなら、
あなたが、一種、即時にそれに応答 しないで、それを放っておくなら、です。
なぜなら、あなたの応答は、 すでに条件づけられ、
すでに個人的等々であるからです。
で、問いを放っておいてください。
もし問いが、深さ、意義、 活力を、持っているなら、
そのときその問いこそが、 開いていきます。
私は、戯言を 話していますか。
いいえ。私はこれをしてきました。 で、それは戯言ではありません。
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33:39
ちょっとお待ちください。
真理がありますか。
真理は存在しますか。
あなたは、正直であるなら、 知りません。
よろしいですか。
で、あなたは 問いを、放っておきます。
私は知りません。
問いを見つめましょう
- 理解されますか - すると、 問いは、開きはじめます。
真理がありますか。
または、ものすごい、能動的な、 活発な幻影の感覚だけですか。
私は、それらに 入らないでしょう。
で、
私は、ここに四ヶ月間、来ている 学生を、どうするのでしょうか。
私はどう・
・・ 私は何をするのでしょうか。
私は何について、 話しましょうか。
あなたがそれを見つめる だろうと、願います。
ナラヤン、さあ、どうぞ。
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35:05
ギドゥー・ナラヤン: あなたが、「真理はあるのか」と
仰ったとき、それは どういう意味ですか。
あなたはちょうど今、 「真理はありますか。
または、ものすごい活発な 幻影だけですか」と仰った。
あなたは、二つの間に区別を付けて おられます。
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35:23
K: もちろんです。
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35:27
GN: さらにそれに 入ってもらえますか。
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35:31
K: 私たちは、他の何かへ 逸れていきつつあります。
私は、こう言おうと しています -
その問いが、深さを 持っているなら、
その問いが、大いなる活力の 感覚を、持っているなら
- なぜなら、あなたは その質問をしているからです。
あなた自身の大いなる内的な探求や 外的な探求の後で、ですが、
あなたは、その問いを 立てています。
で、問い自体に 答えさせましょう。
あなたがそれを放っておく なら、そうなるでしょう。
付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
さて、私は、自分の元来の 問いへ、戻ってきつつあります。
私たちは、逸れていきつつ あります。
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36:10
G: 先生、
教育者として、教師として、私は 自分へ来る子どもを、持っています。
私は、断片化しています その子は、断片化しています。
で、無関係がありますし、 何も関係がありません。
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36:38
K: あなたは、関係がない ことは、確かですか。
または、あなたは、そう 言っているだけですか。
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36:44
G: いいえ。 私が思うに、確かに、
断片化した状態には、 関係がないと、思いますし、
私は、自分がその子へ、その学生へ するどの応答もそれ自体、
断片化した応答になる だろうと、見ます。
|
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37:05
K: はい。さて、そこで 止まってください。
そのとき、あなたは 何を、するのでしょうか。
理解されますか。
それは、発言ですか。
何であれ、私が学生と 持っている関係は、
やはり断片化している だろう、と。
それは、実在ですか。
または、 言葉上の発言ですか。
G: それは、実在に思われるか・・・
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37:31
K: いいえ、それは実在しているのか
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37:33
- そこの、あのマイクロフォンが 実在しているような意味で、です。
あれは、幻影ではありません。
「マイクロフォン」という言葉は あれではありません。
その言葉は、あれでは ありません。
いいですか?
それの性質をご覧になるのか どうか、私は知りません。
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38:02
RH: こう仰っていますか - 概念的な理解は・・・
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38:05
K: ・・・理解ではない、と。
私が「ドア」と言うとき、私は 本気で、ドアのことを言っています。
事実はそこにあります。
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38:15
RH: そのときあなたは、きわめて 違った形で、言葉を使っています。
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38:20
K: いいえ。私は知りません。
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38:21
RH: あなたが、「質問をして、それを 放っておきなさい」と仰ったとき・・・
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38:25
K: 問いに何が起きるのかを 見てみましょう。
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38:28
RH: でも、それは、私たちが その質問をするとき、
あなたが仰っている含意は、概念的な 問いをするな、という意味です。
K: そのとおりです。
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38:40
RH: 一定の 発言の含意から流れるものを、です。
K: 反省的な問いだけ ではなく、また、
あなたは、問いがいかに活力を持って いるかに、注目したことがないですか。
で、戻ってきましょう。
あなたは 逸れていきつつあります。
私は何をすることになりますか。 私に教えてください。
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39:04
G: 私はたぶん、もう一つ 文章を、付け加えたいです。
私は、自分自身を 騙していますか -
すなわち、私は、全包括的な 教育を与えられる、と。
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39:12
K: 私たちは 見出そうとしています。
私たちは、見出そうとしています - あなたと私は、です。
それをすることは、可能であるのか、 ないのかを、です。
ですね?
初めの発言は、こうです - 私たちは どちらも、断片化している。
それで通しましょう。
動いてそれから離れずに、です。
私は、何をすべきかを、 知りません。
いいですか?
よろしいですか?
明らかですか。 私は、何をすべきかを、知りません。
それは、あなたにとって何を意味して いますか - 私は知らない、とは。
気をつけて。
私は知りません。
理解されますか。
私は、何を すべきかを、知りません。
いいですか?
そのとき、私は 究明しなければなりません。
私が、「私は知らない」 と言うとき、
私は本気で言っていますか - 「私は本当に知らない」と。
または私は、他の誰かが私に 言ってくれるのを、待っていますか。
それで、私は知るだろう、と。
どちらですか。
すみません!
G: この瞬間は、後者です。
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40:31
K: はい。
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40:35
頭脳が「私は本当に知らない」と言う ときの頭脳の状態が、ありますか。
質問を理解されますか。
私は本当に知りません。
私は、彼が答えるのを、 待っていません。
または、記憶は 作動していません
- 私が言っていることを 理解されますか -
または、他の誰かが私に言って くれるのを、期待していません。
それらすべての状態は 答えを、待っています。
理解されますか。
ですが、誰一人と して、これに答えられません。
なぜなら、それらは、すべて 断片化しているからです。
ゆえに、私は 待っています。
見守り、見つめ、観察し、 聞いています - 問いを、です。
いいですか?
私は、何を すべきかを、知りません。
私が話していることを、あなたが理解 されるのかどうかと、思われます。
そのとき私は、訊ねます - 「私は知らない」 と言う私の頭脳の状態は、何ですか。
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42:13
教師: その時点で、それは 機能していません。
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42:17
K: 「私は知りません」。
またはあなたは、それが 知るのを、待っていますか。
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42:26
教師: それが知るのを 待っています。
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42:27
K: ゆえに、あなたは 知ろうと待っています。
ゆえに、あなたは 知るでしょう。
ゆえに、あなたの頭脳は、「私は 知らない」と言っていません。
それはすべて、きわめて 論理的ですね。
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42:42
アロク・マツゥール: 頭脳がはたして、自分は 知らないと言うとは、私は思いません。
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42:46
K: そうなんです。それが 初めてのことです。
頭脳はけっして、 認知しないか、
「私は知らない」との 状態に、留まりません。
いいですか?
私はあなたに訊ねます - 「イーシュ ヴァラ(自在天)とは何ですか」と。
あなたは、早速に答えます。
なぜなら、あなたは読んできたか、
あなたは信じていないか、 あなたは信じているからです -
あなたにとって、イーシュヴァラは 象徴として来ますが、
あなたは、「これを創り出した 要素は、何なのか」と言います。
私はこれに 入らないでしょう。
これは、ものすごく興味深い 問いです。生とは何ですか。
43:49
私は入らないでしょう。それは あまりに錯綜しています。
生の始まりです。
あなたが植える種子の いのちとは、何ですか。
理解されますか。
人のいのち - その生の起源は 何ですか。
まさに細胞ですが、
私は入らないでしょう。
これは 他のどこかへ、逸れてしまいます。
で、私は、あの少年や私自身を どう取り扱うのかを、知りません。
私がするどの行為も、 思考のどの動きも、
やはり、断片化の中から 生まれています。
いいですか?
で、私は本当に 知りません。
で、進行してもいいですか。
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45:01
GN: どうぞ。
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45:06
K: 愛とは何ですか。
それは、憎しみに 関係していますか。
関係しているなら、 愛は、やはり断片化です。
いいですか?
私が言っていることを 理解されますか。
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45:41
教師: はい。それは、憎しみの 対極ではありません。
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45:45
K: で、愛とは何ですか。
それは、憐れみ、同情とその他すべて とは、何の関わりもありません。
愛とは何ですか。
あなたは知りません。
いいですか?
それは、知らない あの状態ですか - 愛は。
ああ、神様!
あなたたちは みんな、催眠に掛かっています。
それで・
・・
それは、こうも遠く、 こうも深く繋がります。
あなたがこれらに入りたいのか どうか、私は知りません。
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47:03
私は、その少年や少女を どうすべきかを、知りません。
なぜなら、私たちは、どちらも 断片化しているからです。
私は彼に、教えられます - 数学、地理、歴史、生物、
化学、精神医学、 または、何でも、ですが、
それは、何でもありません。
すみません!
これは、はるかに深い探究を 要求しますね - はるかに深い。
で、私は言いました - 完全に 全包括的なのは、何ですか、と。
確実に、思考ではありません。
いいですか?
思考は、 経験とその他すべてです。
それは、確実に 同情ではありません。
寛大さではありません。
共感ではありません。
「君はいいやつだ。
私たちは友だちだ」 と言うことではありません。
で、愛は持っています - 何を、ですか。
教師: 慈悲を。
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48:23
K: 愛、慈悲。いいですよ。
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48:25
それが、全包括的な ただ一つのものです。
私は、自分自身で何かを 発見しつつあるのです。
いいですか?
私は、愛は思考でない と言います。
愛は楽しみではない。
後生ですから、受け入れないでください。
それは、一番すべきでないことです。
いいですか?
愛は、まったく憎しみ、 嫉妬、怒り、それらに関係していません。
で、愛は本当に、完全に 壊されません。
それは、全体的です。
それは、自らの智恵を 持っています。
慈悲、愛は、自らの智恵を 持っています。
もちろんです。ああ、何と! 私は、戯言を話していますか。
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49:38
教師: 私は前に、あなたがこれを色々な 言葉で仰るのを、聞いてきました。
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49:42
K: 色々な形で、ね。私は それに戻りつつあります。
で、知らないこと - 知る、知ること。
それはどういう意味ですか - 知るとは?
教師: 愛することですか。
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49:58
K: いいえ。あなたは聞いていません。
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50:01
知る。「私は妻を 知っている」。いいですね?
あなたは、或る人物について、「私は 知っている」といったい言えますか。
いいえ。
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50:23
RH: 何らかの形で 閉め出すことです。
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50:25
K: ええ。もし私が、「私は ラディカジを知っている」と言うなら、
私は、彼女について 何を知っていますか。
で、「私は知っている」と 言うことは、断片化です。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
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50:46
教師: そうですか、クリシュナジ。 「私は知っている」と言うことは・・・
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50:52
K: 私は、人間たちについて 話しています。
私は、あれが椰子の木 であるのを、知っています。
私は、あれが虎であるのを、 知っていますが、
「私は彼を知っている」と 言うことは、侵犯です。
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51:09
教師: 理解します。
頭脳はこうも鈍い。
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51:16
K: 何ですか。
あなたの頭脳は、めちゃくちゃ 鈍い!
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51:22
教師: はい。
それは、根付いています。それは、この すべての知識に、根付いたままです。
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51:32
K: はい。それで、です。
私は質問をしました。
すなわち、
私は、学生を助けられるか、 彼に話せますか。
なぜなら、私は、 自分が断片化している、
彼が断片化しているのを、 知っているからです。
私はまた、愛は全体的であることをも 知っているか、感じを持っています。
慈悲は、です。
ゆえに、慈悲、愛は、自らの 智恵を、持っています。
私は、その智恵が作動できるのか どうかを、見ようとしています。
それが伝わりつつあるのか どうか、私は知りません。
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52:28
JR: これは、想定だけですか。
愛は自らの智恵を持っている、 愛は全包括的である、
断片化していないと言うこと - それは、想定だけですか。
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52:45
K: 私は、私自身について話しています。 それは、想定ではありません。
愛は想定ではありません。 神様!
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52:54
JR: たぶんそうです。なぜなら、 私は知らないからです。
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52:56
K: そのとき、留まってください。 - 「私は知らない」と。
今、あなたは知りません。
そのとき待って、見出してください。
それに答えないでください。
私は、現代の車の内側が 何であるかを、知りません。
いいですか?
私は知りません。
実のところ、私は車を、剥ぎ取った ことがあります。
古い車を、です。
私は、それがどう働くかを知っています。
私は、それの装置を知っていますが、
現代の車に、私は 触れないでしょう。
なぜなら、それはあまりに 錯綜しているからです。
いいですね?
で、私は、 それについて学びたいのです。
で、私は修理工へ 行きますし、
彼は、これこれこれを言います。
彼は私に教えてくれます。
なぜなら、私は、それがどう働くのかを 知りたいからです。いいですか?
54:02
私は手間暇を掛け、骨を折り、彼に支払い ます - 私がお金を持っているなら、です。
または、彼と働きます。
ついに私があの 車のあらゆる部分を、知るまで、です。
よろしいですか?
それは、 私が学びたい、という意味です。
いいですか?
が、私は、あなたが学び たいのかどうか、確かではありません
- 私が車について 学びたいように、です。
理解されますか。私は、あなたが学びたい のか、まったく確かではありません。
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54:39
ラジェシュ・ダラル: でも、 クリシュナジ、ここには、
このまさに学びたい ことこそが・・・
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54:47
K: それを断片化に 翻訳しないでください。
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|
54:49
RD: いいえ。私はしていません。私はこれに ついて、あなたとたくさんやってきました。
私は学びたかった。
そして、学びたいこと自体が、
- 私たちが、「学びたい」との 言葉を、理解するように、ですが -
今日、私は学びたくありません。
どうぞ、 私が言っていることを、聞いてください。
今日私は学びたくありません。
それについて もっと多く知る、という意味で、です。
私はそうしたくありません。
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55:22
K: ちょっとお待ちください。
私は、あれらのカメラがどう 働くのかを、知りません。
そしてあなたは、「それについて 学びなさい」と言います。
私は彼に訊ねます。
私は、 彼の見習いになります。
私は、彼がそれをどうするのかを、 見守ります。
私はそれについて学びます。
そのとき私は、「私はあのカメラがどう 働くのかを知っている」と言います。
ですね?
しかし、人間たちは、 あのカメラではありません。
彼らは、はるかに錯綜している。
まぬけな馬鹿です!
はるかに、心理的に、 精神医学的に、
彼らは、めちゃくちゃな 機械に似ています。
私は、彼らの頭脳がどう 働くのかを、知りたいと思います。
私は、生物学者になるのか、 あるいは - ちょっと待って -
脳の専門家になるのか、
私は、私自身を研究します。
脳の専門家へ行くより、その方が はるかにわくわくします。
彼は知っているだけ・
・・ ちょっと待って。
で、私は、自分の頭脳が どう働くのかを、学びます。
いいですか? 私に教えて くれる人は、誰もいません。
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56:57
RD: いるかもしれません。 また、いるかもしれません。
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57:00
K: 私は彼らを信用していません。 RD: でも、私は彼らに聞きます。
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57:03
K: 私は誰をも信用していません。 RD: 本当です。私は誰をも信用していません。
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57:05
K: 彼らの知識すべては、 書物からです。
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|
57:08
または、彼らの 小さな自己からです。
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|
57:11
で、私は、この生き方全体を究明 しようとしていると、言います
- その部分部分だけではない。 生きる道全体を、です。
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|
57:29
RD: 私は教師を持っていました。聞いて ください。私は教師を持っていました。
その人は、 人間たちの本性について、
とてつもない理解を持っていると、 私は感じました。
私は学びたいと思いました。
私は、あの教師とともに 学びはじめました。
教師は、頭脳の本性、 自己の本性を、指摘しました。
私は、他のあらゆる物事を学んだのと 同じように、学びはじめました。
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58:04
K: ああ、いいえ。私は 理解します。理解しますよ。
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|
58:08
RD: 私はそうしました。 私は、知識を集めはじめました。
それは、学びが本当に何を 意味しているか、です -
私たちが知っている ような学び、です。
|
|
58:16
K: 私たちが知っているような学びは 単に、記憶を蓄積することです。
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58:21
RD: 単に記憶を蓄積することですが、 そこには観察があります。
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58:25
K: はい、はい。それを錯綜させないで ください - 学び、です。
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|
58:30
RD: 自分は観察した。自分は憶えた。 自分は、洞察と呼ばれるものを、得た。
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58:35
K: ああ! RD: はい、 私は知っています。
|
|
58:37
私は、洞察と呼ばれるものと 言いました - 何か新しいもの、
何か自分が前に 知らなかったもの、
何か絵図をより良く、より大きくなど などにすると思われるものを、です。
あなたはそのとき、絵図を作るこの 過程が果てしないことを、見ます。
それは、本物とは何の 関わりも、ありません。
K: で、その終わりに、何ですか。
|
|
59:05
RD: で、この学びとは、何ですか。
|
|
59:09
K: 私は、それは学びではないと考えます。 RD: はい。それは学びではない。
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|
59:12
K: で、学びとは何ですか。
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59:14
確かに、記憶することは、 学ぶことではありません。
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59:16
RD: ええ、それは学びではない。 K: でも、それがあなたがしていることです。
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59:26
ラジェシュ、別の学び方が ありますか。
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59:36
通常の学びより、何か全然 違ったものが、ありますか。
質問を理解されますか。
ありますか。
RD: 私は知りません。
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1:00:03
K: ええ。あなたは知りたいですか。
|
|
1:00:06
いいえ。あなたは、別の学び方が あるのかどうかを、見出したいですか
- 記憶する、記憶する、記憶する、 それから思い出す、
上手に行為する、などなどなどではない。
私たちはそれを、よくよく知っています。
彼がやってきて、私に言います - 「ごらん。
そのすべては機械的です」と。
彼は、別の学び方があると、 言います。
いいですね?
私は、彼に 聞くのでしょうか。
私は、手間暇掛けて、「それについて私に 話してください」と言うのでしょうか
- 「私は受容可能です。
私は心配です。 私は進んで見出そうとしています」と。
で、彼は、私に 語りはじめます。
私は、彼が言っていることを 聞く能力が、ありますか。
または、私の頭脳全体が、 これに反抗しますか。
なぜなら、それは、 一つの様式に慣れているし、
その様式を壊すことが、 本当の困難であるからです。
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|
1:01:35
RD: その様式を壊そうと することは、役に立ちません。
|
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1:01:42
K: それは、別の問題を作ります。 私は、問題をほしくありません。
で、初めに、私は自分自身に訊ねます - 私は本当に学びたいですか。
私に訊かないで、 進んでください。
私は、あなたにお訊きしています。
あなたは、学びたいですか。
または、それは、あなたの記憶に 付け加える別の一章ですか。
別の一冊ですか -
「はい、私は理解しました」 と言って、です。
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1:02:15
RD: 仰っていることは、 分かります。
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1:02:18
K: で、戻ってきましょう。
私は何をすることに なりますか。
または、しないことに なりますか。
または、
問いは、単に私が教育している 少年と少女より、はるかに深い。
で、それは、
私が本当に、理解していなかったと いうことなのかもしれません -
全包括的な生を生きるとは、どういう 意味なのかを、言語的にさえ、
知的にも理解しなかった。
私が話しておられることに、付いてきて おられるのかどうか、私は知りません。
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1:03:09
RD: 言語的と知的には、私は 「はい」と言うでしょう。
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1:03:14
K: いえ。確かですか。
あなたは、二つの言葉を使われました - 「知的には、確かだ」と。
で、あなたは、全体より知能を 分離してしまったのです。
ゆえに、あなたは・・・ 聞いて、聞いて。
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1:03:33
RD: 主題がありますが、 いいよ、私は聞きましょう。
すみません。すみません。すみません。
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1:03:39
K: 何についてですか。
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1:03:42
RD: 聞かないことについて、です。 あなたは、何かを仰っていました。
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1:03:49
K: あなたが、「私は知的に 理解する」と仰るとき、
それは、阿呆って 意味だけです。
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1:03:56
RD: 私は知的にだけ理解 するとは、私は言いません。
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1:04:01
K: 自分が・・・君、あなたは 聞いていませんよ。
自分が、「私はそれを 知的には理解する」と言うとき、
それは絶対的に、何をも、意味 していません。
いいですか?
あなたが、「知的」と言うとき、 それは、別の断片です。
で、「私は知的には理解する」 という言葉を、使わないでください。
それは犯罪です。
さて、私、 リシ・
ヴァレーの教育者は
- 私はそれが何を意味するかを、 部分的に理解します。
言語的にも、 全包括的な生き方が、です。
彼と私はどちらも断片化している ことを、知って、です。
いいですか?
あなたは、聞いていますか。
あなたは、退屈しつつあります。
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1:05:12
RD: いいえ。私は退屈していません。
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1:05:14
K: あなたは、注意を 維持できません。
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1:05:17
RD: あなたはどうして、そう仰いますか。 私はまったく退屈していません。
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1:05:22
K: あなたは、昨日、 聞いていませんでした。
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1:05:32
RD: 私は、あなたに何を 申し上げるべきかを、知りません。
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1:05:36
K: はい。私は目の前に、 時計があります。
もう5分です。
私は止めるでしょう。
私はこれを 終了させてもいいですか。
私は、リシ・
ヴァレーにいます - 麗しい所です。
美しい丘と、ここの大地の 美しさすべて、です。
私がいう「美しさ」がどういう意味 かを、ご存じなのかと、思われます。
いいえ。
私は、当面の間、 それに入らないでしょう。
私はここにいます。
私は、 親たちに、あの少年や少女に、
責任があります。
いいですね? 彼らは、彼らを送ってきました。
なぜなら、私たちは、 良い評判を持っているし、
私たちは、彼らの世話をするからです - 私たちは、それらをします。
それは、 論点ではありません。
彼が、やってきて、 私に語ります -
「それはだいじょうぶですが、 大事なのは、全包括的な生き方です。
1:06:51
知的に、ではなく、 心理全体、
存在全体、 実体全体です。
それは今、断片化しています
それが 全体的でありうるなら、
そのときあなたは、最も とてつもない教育を、したのです。
彼は、私に それを語ります。
彼は去ってしまいます。
私は、 何をすべきかを、知りません。
私は、「全体的」の言語的な 意味を、知っています
- 断片化していない。
砕けてしまっていない。
一つのことを言い、 他の何かをするとか、
何かを考え、それの正反対の ことをするとか、ではない。
そのすべては、 生の断片化です。
私は、何をすべきかを 知りません。
1:07:52
私は、深く、深遠に、重く、 深刻に、真剣に言っています
- 私は、何をすべきかを 知りません。
いいですか?
私は、「私は何をすべきかを知らない」と 言うとき、私自身を欺瞞していますか。
または、誰かが、私に語ってくれる のを、待っていますか。
または、
何かの本が、です。
何かが偶然的に やってきて、私に与えてくれるでしょう
- 不幸にも、あの言葉ですが、 「洞察」を、です。
で、私は、それを 待てません。
なぜなら、少年は、 その間に、成長しつつあり、
荒れているからです。
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1:08:50
で、私は何を するのでしょうか。
私は、一つのことを 知っています。
絶対的に確実に、です - 「私は知りません」
いいですか。
私は知りません。
私の創案すべて、私の考え すべてが、崩壊したのです。
いいですか?
あなたがそのように 感じるのかどうかを、私は知りません。
私は知りません。
で、頭脳は、受容のために 開いています。
私が言っていることを 理解されますか。
頭脳は 閉じてきました -
結論により、意見により、 判断により、価値により、
私の問題によって、です。
それは、閉じたものです。
「私は本当に知らない」と言うとき、 私は、何かを破ったのです。
私は、シャンペンが入った 瓶を、開けたのです。
その中から、私は見出しはじめます - 瓶が開いているとき、です。
いいですか?
そのとき私は、愛が何で あるか、慈悲が何であるかを、見出します
- そして、慈悲の中から 生まれた智恵を、です。
1:10:36
それは、知能とは 何の関わりも、ありません。
私は、それに 取り組むでしょう。
いいです。
今、1時間7分です。
私たちは話してきました。
それで十分ですか。
私は、みなさんを 催眠に掛けたのですか。
私たちは、「私は知らない」と言う時点に けっして来ません。
いいですか?
あなたは私に、神について訊ねます。
私は即時に答えを持ちます。
またはあなたは、私に化学について 訊ねます。
出てきます・・・
栓は開いています。
社会学、どんなことにだって、 私はすぐに答えるでしょう。
私たちは明後日、会います。
そうですね?
あなたたちがそれに 堪えられるのを、望みます。
そうね、私は、あれら馬鹿者の一人です。
私は、何一つ読んだことがありません
- 小説以外は、です。
理解されますか。
それは、幸運なことです。
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1:12:28
RD: そしてまた、 考えないのです。
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1:12:32
K: ええ。 それは、太鼓に似ています。
それはすべて、 ちゃんと調律されています。
あなたが、それを叩くとき、 それは、正しい音を立てます。
あなたたちが疲れていない ことを、望みます。
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