SA82T2 - 何が私たちの生をこうも断片化させるのか

公開講話、第2回
スイス、サーネン
1982年7月13日
テキストのみのバージョン
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1:26
よろしければ、
私たちは、昨日止めたところ から、継続しましょう。
一昨日の朝、ですね。
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1:45
単に言語的にや、 知的に、ではなく、
悟ることが重要であると 私は思います - すなわち、
私たちの伝統は従うことで あることを(悟るの)です。
政治的な指導者、 あるいは、
宗教的な指導者でも、心理的 な専門家でも(従うこと)、です。
私たちは、何をすべきかを 語ってほしいのです。
そして、私たちは 自然と従います。
誰かに従うことは
- それが誰であるかは 大事ではありません -
自由にとって、 全的に有害です。
明白です。
おそらく私たちのほとんどは 自由でありたくありません
- 単に外的に だけではなく、
内的にも、完全に自由で ありたくないのです。
それで、人々へ従う 傾向が、大いにあります
- 語り手のそれをも含めて、
誰かが言うことに 従うことが、です。
3:16
で、私たちの外側の世界と
内側の世界との この問題全体を
本当に究明したいのなら、
全的に、内的にあらゆる 形の権威を拒否し、
誰にも従わないので なければならない、と
私たちには思われます。
そして、 気になさらないなら、
それを何度も何度も 反復しなければなりません。
なぜなら、私たちの傾向は、 他の人が言うことを反復し、
「私たちは仰ることを理解します が、それはこうも困難です」と
言おうとすること であるからです
- 「私たちは長年の間、 お話を聞いてきましたが、
私たちは変化して きていません」と、
それらの種類の ことを、です。
4:18
それは、つまり、 あなたが本当に・・・
- もし大変尊敬を込めて 指摘させていただけるなら -
私たちが批判的に究明し、探検し、 検討しつつない、ということです
- 自分たちが何であるのか、 自分たちが何になってきたのか、
なぜ世界は、こうもひどいめちゃ くちゃであるのかを、です。
そして、不確実な世界と 危険な世界の中で
混乱していて、私たちは 指導者がほしいのです -
政治的、宗教的なもの、新しい 種類の哲学が(ほしいの)です。
しかし、それらすべては 私たちを裏切ってきました。
そして、私たちが一昨日 言いましたように、
私たちが何であるのかを 世界に(関係させること)と、
世界を、私たちが何であるかに 関係させること、
そして、世界と私たち自身 との間のこの相互関係を
理解することが、重要です。
そして、その究明、
本当の関係と、
内的に世界と私たち自身の 間の悟りは、
誰にも依存しません。
6:01
導師はありません。
または、世界中の教皇すべても 私たちを助けてくれないでしょう。
私たちは、究明し、この問題に 入らなくてはいけません -
なぜ私たちのみんなに、この分割、 この葛藤があるのかに、です。
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6:24
そして、私たちが昨日 言いましたように
- すみません。
一昨日です -
私たちは生を、分割し、 砕いてきました。
政治的な区域、 ビジネスの区域、
宗教的な区域が、 あります。
そして、イデオロギー的、 ユートピア的な概念と、
私たち自身の互いとの 関係も、ですが、
それはすべて、 砕けています。
それはすべて、 断片化しています。
そして政治家たちは、けっして この断片化を、見ません。
彼らは、自分たちの理想、 自分たちの概念を持っています
- 政府が何であるべきか などについて、です。
人の心理的な区域全体を 全然、無視しています。
人々は、政治が私たちの問題 すべてを解決するだろうと考えます
- より良い政府、より良い環境、 より良い指導力などが、です。
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7:50
残念ながら、私たちは、 この航空機の騒音を、
しばらく堪えなくては いけないだろうと、思います。
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8:10
で、私たちは、自分たちの 生を砕いてきたし、
私たちのほとんどは、 これに気づいていません。
で、私たちは、一昨日 言いました -
あらゆる形の孤立は、
民族的に、経済的に、 宗教的に、ですが、
その孤立の中に、何も 安全はないのです。
あなたはそれを、世界中できわめて きわめて明らかに見られます。
彼らは、私たちの軍備を 築き上げている、などです。
私たちは昨日、気をつけて それらに入りました。
私は反復できません。
ケス・ キリヤ(何がありますか)?
一昨日です。
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9:16
私たちが言いましたように、
自らはどこで始める ことになりますか。
このすべての大変 明白な活動を見て -
世界で進んでいることを、 です。
危険で、破壊的で、
退廃し、低俗で、粗野です。
これらでもって、どこで 始めるべきですか。
そして、どんな種類の 行為が、必要ですか -
周辺的な水準で、ではなく、
心理的な水準で、です。
なぜなら、人はいつも、 周辺を、外的な物事を、
変更しようと してきたからです -
より良い体制、より良い政府、 より良いこれなど、ですが、
私たちが一昨日、 指摘しましたように、
人は、三万年か、百万年の間、 生きてきましたが、
私たちは、多かれ少なかれ、 時の始まりに
そうであったのと 同じです。
10:28
もし私たちがその方向へ 進んでいくなら、
私たちはけっして、異なった 世界を、もたらさないでしょう。
これらを見て、どこで 始めるのでしょうか。
それが多かれ少なかれ、私たちが 昨日、止めたところです。
前の日か。
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10:55
聴衆: 一昨日と 呼びましょう。
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11:05
K: 一昨日です。 すみません。
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11:15
私たちは、悟るか、 気づいていますか -
すなわち、 私たちの一人一人が、
異なった部門を持っていて、 砕けていることを、
知っていますか、 認識しますか -
ビジネスの世界、 教育の世界
- もしあなたが、 教授、科学者、
ビジネスマン、 政治家や、
かなり幻滅した宗教者 であるなら、です。
私たちは 自らの生において、
自分たちがいかに断片化して いるかに、気づいていますか。
私たちは、これの原因が 何であるかを、言いました
- 私たちの生を こうも断片化させ、
こうも砕いてしまう起源は 何であるかを、です。
どうぞ、私たちが一昨日 言いましたように、
これは 講義ではありません。
すなわち、あなたに 何かについて
何かの情報を 与えているのではなく、
むしろ、ともに 私たちは
この問題を見つめています。
ともに、です。
私がそれを見つめるし、それから 語り手があなたに語るとか、
あなたが語り手に語る、 とかではない。
ともに私たちは、この現象を 観察しています。
12:55
で、どうぞ、 指摘してもいいなら、
単に、語り手に 聞かないで、
そのものを、私たち自身、 観察するのです。
それで、それが語り手のではなく、 あなたのであるように、です。
私たちは、これらの分割の起源は 何であるかと、言いました -
私たち自身においてと、世界に おいて(の分割の)、です。
私たち自身においてとは、
私たちの互いとの(関係)、 世界との関係です。
そして、世界における 巨大な、
ほぼ破壊的な 分離主義です。
私たちは、それは思考 ですか、と言いました。
思考が、 私たちの生における
この分割の、この断片化の 起源ですか。
私たちは 訊ねています。
それで、私たちは どちらも批判し、問い、
検討しています。
語り手が指摘して いるのではない。
そのときそれは、もう一つの サーカスになります。
14:20
ところが、 私たちがどちらも、
それがどんなに必要で あるかを、悟るなら -
私たちの外側と 私たちの内側に
何がまさしく起きつつ あるかを、見るし、
それをきわめて客観的に冷静に 見つめることが(必要)です。
「私はこれが好きだ。
私はあれが好きでない」と
言うのではなく、 何の偏見もなく、です。
私たちの生、 生きることの過程全体は、
きわめて複雑な事柄ですが、
それは、ますます 断片化してきたのです。
今、私たちは訊ねています - それの始まりは何ですか。
誰が、この断片化を もたらしてきましたか。
どうぞ、語り手に頼らないで、 あなた自身に訊ねてください。
私たちは訊ねています - それは思考ですか。
または、断片化することは、 生において自然ですか。
なぜなら、それが、私たちが 生きてきた道であるからです。
私は理想主義者です。
あなたは そうではありません。
私はこれを信じています。 私はあれを信じていません。
16:08
で、思考が この分割の起源ですか。
分割があるところ、葛藤が あるにちがいありません。
いいですか?
アラブ人とユダヤ人、
そしてロシア人とドイツ人 などなどです。
そしてまた、私たちにも 分割があります -
私はこうである、 私はそうあるべきだ、と。
私は、今ある私であるが、 私は、なるだろう、と。
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17:06
で、この常なる 分割が、あります。
それが、生の道である かもしれません。
そこに生きる。
常なる葛藤、 常なる破壊、
破壊しておいて、 築く。
そして、あなたが築いてきた ものを、破壊する。
動物たちが抗争の中に 生きるように、です。
で、私たちは 葛藤の中に生きるし、
あなたは、それが生の自然な道 であると言うかもしれません。
それは、百万年か、三万年の 間、そのようであったのです。
そのとおりです。
または、あなたは 問います -
それが生の道ですか、と。
あなたが問いはじめるとき
- この断片化の伝統を 受け入れるのではない -
そのとき、あなたは 訊ねはじめます。
これは、どのように 訪れたのか。
それは思考ですか。 なぜなら、それは、
18:33
私たちが持っている唯一つ のものであるからです。
私たちは、思考に拠って 生きてきました。
私たちの活動すべてが 思考に基づいています。
すべての軍備、戦争、 残忍さ、
低俗さ、憎しみ、
そのすべてが、 思考に基づいています
- すばらしい テクノロジーなどが、です。
そして、思考が、このひどい 生き方の起源であるのかと、
自らが訊ねるとき、
思考の本性は何であるかを 探究しなければなりません。
思考はそれ自体、 分割的ですか。
思考はそれ自体、
それ自体において、 断片的な過程ですか。
思考は、こうもとてつもなく うまくやってきました
- テクノロジーの 世界において、
美しい建築物において、です。
思考が外的に、してきた とてつもない物事、です。
20:02
そして内的に、 私たちが持っている、
たった一つの道具が、 あります。
それが思考です。
そして、思考が、 私たちの中のこの分割、
この断片化、この葛藤を もたらす道具、過程であるなら、
そうですか。
私たちはともに、 それを検討しています。
どうぞ、語り手が言ういかなること をも、受け入れないでください。
彼は全然、間違っている かもしれません。
あなたは、受け入れるなら、 彼を権威にするでしょう -
それは、語り手にとって 忌まわしいことです。
ところが、ともに、 それを見つめましょう。
友好的に、躊躇いながら、
協働の感覚をもって、です。
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21:14
そうね、協働することは、 最も困難なことの一つです。
私たちは、人物を めぐって協働します。
または、 観念をめぐって、です。
または私たちは、誰かを 嫌うとき、協働します -
他の国を嫌うように、です。
あらゆる人が加わります。
戦争があるとき、彼らは みんな協働します -
他の誰かを 破壊するために、です。
私たちは、全然違った意味での 協働について、話しています
- 人物をめぐって、 ではない。
何か権威、観念、概念を めぐって、ではない。
協働したいとの気持ちです。
何かについてか、何かの ために協働するのではなく、
気持ちです。
ここで私たちは、その意味で ともに協働しています -
究明し、この問いを 見つめる意味で、です。
すなわち、思考は それ自体が、
私たちの外側の世界全体と、 私たちの内側の世界を
分割する過程ですか。
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22:41
これは明らかですか。
もしこれが 明らかであるなら、
そして、思考がそれの起源、 それの原因であるなら、
そのとき私たちは、 究明しなければなりません
- 私たちがいう原因とは どういう意味ですか。
理解されますか。
行為のための原因は、 基盤です。
動機です。
理由です - 原因(コーズ)は、ね。
私は行為します。
なぜなら (ビコーズ)、私は、
何か先入観、何か観念、何か 概念を、持っているからです
- それが基盤です。
それが、私の行為のための 原因、理由、動機です。
原因があるところ、 結果は変化させられます。
いいですか?
しかし、結果を 変化させる中で、
変化させることこそが、 原因になります。
これらに付いてきておられるのか どうかと、思われます。
24:08
私たちは、その言葉の意味を ともに究明しています。
なぜなら、それはきわめて 重要であるからです。
原因は、動機をもって何かを することを、意味しています。
原因は、時の過程を 含蓄しています
- それが、結果を 産出します。
原因は、過去の動き全体を 含蓄しています。
それは、未来を変更するかも しれません。
いいですか?
これは、知的なゲーム ではありません
- 私たちが やっているのは、です。
私たちは、原因の本性を 理解しつつあります。
私が恐れているとき - それは原因です -
私は、あらゆる種類の ばかげたことを、します。
そして私は、自分がするばかげた ことを、変更しようとします。
私の恐れの原因を 発見するのでなくて、です。
25:30
しかし、私が原因を 発見するとき、
結果なく原因を解消する ことは、可能ですか
- 未来の結果なく、です。
これを理解されますか。
これが明らかであるのか どうかと、思われます。
これは明らかですか。
私たちは それをつづけましょうか。
で、原因を理解することが 重要であると、
私たちには思われます。
私は癌を持っています
- 私は持っていませんが - 私は癌を持っています。
それの原因は、実質的に まだ知られていません。
彼らが原因を 発見した瞬間、
癌は終わるでしょう。
しかし、癌が終わることは、 他の問題を持っています
- 他の病気のそれを、です。
理解されますか。
で、未来の結果なく、
原因を解消する可能性が、 ありますか。
27:01
私は、何か間違ったことを してきました -
私はそれを 恥じています。
私は、なぜ自分がその正確でない ことをしたのかを、発見します。
そして私は、正確でないことを変更 することに、関心を持っています。
なぜなら、私は、それの原因を 発見したことがないからです。
しかし、私が それの原因を発見し、
その原因を解消するとき、 結果はありません。
すなわち、私がそれを 解消しないなら、
結果は、他の問題の原因に なりうるのです。
今や理解されましたか。 いいですか。
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27:49
で、私たちは 訊ねています -
思考が、この分割の 原因ですか。
思考は、それ自体が 分割的ですか。
ゆえに、何でもそれが することは、
分割的、分離的であるに ちがいありません。
で、その問いに、 入りましょう -
思考は何であるのか、 考えるとは何であるのか、
この考える過程の起源は何で あるのかの(問いに)、です。
起源、それの始まりです。
これらに興味が おありですか。
なぜなら、みなさま、 そうですね、
私たちは、とても危険な 世界に生きるからです -
人が作ってきた、この 危険な世界(の中に)です。
テロ、 不確実性が、あります。
世界には、ものすごい 悲しみが、あります、
それは、何千年もの間、 進んできました。
どの観察できる、 冷静な精神も、
このすべてに終わりは あるのか、と言います。
29:28
私の終わり、
私の苦しみを私が終わらせる ことではありません。
人の苦しみが終わることが (あるのか)です。
私たちは、一昨日、 それに入りました。
すなわち、 私たちの意識は、
人間たちの世界の意識すべてに 類似しているのです。
で、私たちは 全的に人類です。
私たちは、気をつけて それに入りました。
またもやそれに戻ることは 何にもなりません。
私たちは、全人類です。
なぜなら、 私たちの意識は
私の意識では ないからです -
時をとおして進化してきた 意識です。
進化です。
それは、この現在の状況に 至ったのです。
そして、この意識全体を 全的に理解し、
それを変容させる 可能性は、ありますか。
30:49
そういうわけで、 思考の本性を
理解することが、 重要であるのです。
なぜなら、思考は、私たちの 行為すべての道具であるからです。
思考は、私たちの意識の内容 すべてを、設けてきました
- 私たちの信念、 私たちの観念、
私たちの望み、 私たちの切望、恐れ、
心配、さびしさ、憂鬱、 そうね、悲しみを、です。
それはすべて 思考の結果です。
もちろん愛は、別の、 全然違った事柄です。
思考は 愛ではありません。
また、楽しみを与える過去の 物事を憶えていることも、です。
が、それが愛と 呼ばれます。
で、私たちは、別の時に それに入るでしょう。
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31:53
で、私たちは、そう しなければなりません -
世界が何であるかと、私たちが 何になったのかを悟って、です。
それは、空虚な問い ではありません。
それは、利己的な 質問ではありません。
思考が、このすべてに 責任がありますか。
私たちが何を探究して いるかを、理解されますか。
なぜなら、世界全体は、考える ことを、強調しているからです。
世界全体が、ますます多くの 知識を取得しています。
心理的に、 そして外的に、
知識ばかりが 重要になったのです。
そして、知識は 何ですか。
科学的知識、
ビジネスの知識、
音楽、作曲の知識。
そして、ただ知識のみをとおして 人は向上する、成長する、
なっていくと言う学者と 科学者たちが、います。
33:31
どうぞ、私たち自身の生に おいて、見てください -
知識がいかに重要な役割を 果たしているのかを、です。
なぜなら、私たちは、世界に 生きなくてはいけないからです
- 一定の仕事をするように、
どの方向でも良い仕事を するように、ですが、
あなたは、知識を 持たなければなりません。
そして知識は、けっして 何についても、
完全ではありえません。
それは、こうも明白です。
知識は、経験の蓄積を 意味しています -
伝統の(蓄積)を、です。
あらゆる種類の情報を 集めることを、です。
それは、蓄えられてきました。
それについて学び、
学位を持ち、 機能するのです。
で、知識は、とてつもなく 重要になったのです。
34:44
私たちはけっして 問いません -
知識は、どの時にも、 何についても、
完全でありえますか。
明白にありえません。
ゆえに、知識はいつも、
無知と手と手を取り合って 行くにちがいありません。
いいですか。
どうぞ、これの重要性を 見てください。
私自身について 完全な知識は、ありません。
それはありえません。
なぜなら、 自分自身を理解することは、
いつの時も、ものすごい 動きであるからです。
それは、「私は理解し、 情報を集めてきて、
その情報から大変多くの 知識を蓄積してきたし、
その知識を保つ」と いうことではありません。
そのとき私が「私は自分自身を 知っている」と言うとき
- それは、 偽りの発言です。
なぜなら、私は私自身をけっして 完全には知られないからです。
なぜなら、いつも 無知の影があるからです。
35:54
私は、私自身を掘り下げる ほど、もっと発見します。
しかし、知識は、私たちの 生の主な道具として
受け入れられています。
しかし、知識は、けっして 完全ではありません。
ゆえに、私たちの思考は けっして完全ではありえません。
なぜなら、知識は、経験を とおして来るからです。
そして、あなたは、その経験を 知識として、蓄えておきます。
そのときそれが、頭脳の中に 記憶として保たれます。
その記憶が作用します。
それが、考えることです。
これは、通常で、 合理的で、理性的です。
それについて、論争する ことは、何もありません。
それを証明はできません。
彼らは、それを 証明しようとしています
- コンピューターを 築くために、です。
それは、人間の精神、 人間の頭脳にそっくりです。
37:12
たぶん彼らは 成功するでしょう。
なぜなら、 コンピューターは、
機械的な智恵です。
それがどうプログラムされる のかに、基づいていますが、
私たちは、プログラム されてきました。
けっして完全に ではありません。
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37:42
で、思考は、 知識から生まれ、
経験から生まれ、
記憶、過去の物事の 思い出として
頭脳の中に 蓄えられていて、
それが思考です。
それで、思考は それ自体が、断片的です。
それは、 私が考えることと、
あなたが考えることが 分離しているのではありません。
ただ考えることだけが あります。
私は、テントについて 考えて、
それを、異なった目で 見つめるかもしれません。
それは、均整が 取れている、などとです。
あなたはそれについて異なって 考えるかもしれませんが、
考えることは、私たちの どちらにも、共通しています。
あなたが、きわめて きわめて貧しくても、
高度な教育を受けていても、 全然、無知であっても、
考えることは 進んでいきます。
で、思考は、 私たちの生における
この分割の起源、 始まりです。
38:59
あなたはドイツ人です。 私はフランス人です。
あなたはイギリス人です。
私はロシア人です。
地理的に私たちは、思考により 世界を分割してきました。
すなわち、思考は、 孤立の中、断片化の中に、
安全を 探し求めようとします。
いいですか。
これを お分かりになりましたか。
思考は、孤立の中に 安全を探し求めます。
なぜなら、それは 断片化しているからです。
それは、それ自体の 分割の過程です。
いいですか?
これは、私たちのみんなに とって、明らかですか。
私は説明していません。
どうぞ、説明を 受け入れないでください。
実在は 説明ではありません。
あなたは、大変美しい山を 描くかもしれません
- すべての影と、光 の深さと
光の美しさとともに、 ですが、
その絵は、実際の 山ではありません。
40:07
で、どうぞ、これは、 あなた自身の理解です。
あなた自身の観察です - そこからあなたは学んでいます。
あなたは、語り手から 学んでいません。
あなたは、進んでいくことの 観察をとおして、学んでいます。
で、あなたは、語り手を 放り出せます。
語り手は 重要ではありません
- 私はこれを強調 しなければなりません。
しかし、あなたが見るもの、 あなたが理解すること、
その理解から、 思考が
このすべての起源である ことを、発見する。
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41:00
で、原因は知識です
- それは不完全です。
理解されますか。
さて、私たちは 先日、訊ねました -
原因なく生きる 道が、ありますか。
理解されますか。
どうぞ、これは、たくさんの 究明を、必要とします。
受け入れや 拒否するのではない。
私たちがすることすべては、 原因に基づいています。
あらゆる行為、 あらゆる情動、
あらゆる観念化は、思考に 原因を持っています。
その原因は、結果を変化 させようとすることなく、
変更できますか。
理解されますか。
これは、理解することが 本当に重要です。
私は、あなたとともに 探検しています。
これは、私に、語り手に とっても何か新しいことです。
私は先日、それを聞いたばかりです - 彼が語ったとき、因果を、です。
42:29
私は、あなたのように、 見出したいのです。
私たちはともに、 見出そうとしています。
ともに協働しています。
人はいつも、原因をもって 生きてきました。
私は、誰かを憎みます。
なぜなら、彼は、私を 傷つけてきたからです。
そして私は、憎しみの結果を 変更しようとしますが、
私は、私の憎しみの原因が何で あるかをけっして探究しません。
私の憎しみの原因は、
彼は、何か間違ったことを 私にしてきたのです。
それが原因です。
さて、私は原因を 変更できますか。
すなわち、彼は、何か間違った ことを、私にしてきました。
全的に彼を忘れること - 彼は結果です。
理解されますか。
これらに付いてきておられる のかどうかと、思われます。
傷以外、彼にまったく 関心を持っていない。
(傷)すなわち、
私の憎しみ、私の怒り、 敵対の原因
- 彼を殴り返したい ことの(原因以外に)です。
44:03
原因は、私が私自身について 持っているイメージです。
そのイメージは、 傷ついてきました。
そのイメージは 私です。
いいですか?
確かにそうです。
私は、私自身について イメージを持っています -
すなわち、私は偉大な人であるとか、 何でもお好きなものを、です。
または、或る種のばかな人物 だとか、幻影などです。
私は、よく気をつけて イメージを組み立ててきました
- 私自身について 思考によって、です。
「私自身」はイメージです。
いいですか?
私は、イメージより 異なっていません。
思考が、イメージより 私を分離してきました。
なぜなら、それは分割ということに 立って考えられるだけだからです。
で、それは、「私はイメージより 異なっている」と言いますが、
事実は、イメージは 私であるのです。
45:17
そのイメージは、誰かにより 傷つけられてきました。
あの憎しみの原因は 傷です -
それは、あのイメージの 一部です。
で、私は、私を傷つけてきた他の 人に、関心を持っていません。
私は、それの原因を 見出したいのです -
それは、私自身についての 私のイメージです。
そして原因は、それは 終わりうるのか、と言います
- 私を傷つけてきた人物に 関心を持つのではない、と。
これらに付いてきておられる のかどうかと、思われます。
それは十分に単純です。
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45:57
で、因果作用は イメージです。
さて、そのイメージは 終わりえますか。
どうぞ、あなた自身に この質問をしてください。
あなたは確かに、あなた自身に ついてイメージを持っています
- 美しい、利巧だ、 憂鬱だ、
私はこの集団に所属している、 彼らが助けてくれるだろう、と。
あなたは、あなた自身について イメージを持っています。
そのイメージは、思考により 組み立てられてきました。
その傷の原因は イメージです。
もし私が、自分自身に、 「私は傷つかないために、
イメージを終わらせなければ ならない」と言うなら、
そのときそれは、 原因になります
- 傷つかないことが、です。
で、私は 見はじめます -
イメージを保ちつつ、 どう傷つかないのか、です。
理解されますか。
で、原因は残っているし、 傷は残っているでしょう。
47:59
ところが、私が 見つめる・・・
イメージが傷ついている との事実へ
観察があるとき -
そして、イメージが傷ついている との悟り、真理が、
そしてそのイメージの解消は原因を 持たないと(の真理が、)です。
それは、「私は自分の傷を取り除か なければならない」と言いません。
理解されますか。
何も基盤、動機、 理由が、ありません -
イメージを 解消するには、です。
真理を観察する 単なる事実 -
すなわち、イメージがあるかぎり、 それは傷つくだろうことを、です。
これは明らかですか。
私たちは、進んでいきながら、 それに接近するでしょう -
十の違ったやり方で、です。
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49:00
で、私たちは 訊ねています。
ともに協働しています -
そこに原因がない生の道を 見出すように、です。
どうぞ、これは、 ものすごい問いです。
それをただ 投げ出さないでください。
私はこれまで 生きてきました。
私たちのみんなが これまで生きてきました
- 諸々の原因に 応答して、
兆候を取り扱って、けっして 根に行かないで、です。
すなわち、原因に (行かないで)、です。
私たちは、因果作用を 受け入れてきました。
それは 私たちの伝統です。
それは 私たちの条件づけです。
そして、とてつもなく利巧な、 博学の人たちが、います -
あなたはけっして条件づけを 変化させられない
と言う人たちが、です。
あなたはそれを修正できる、 あなたはそれを変更できるが、
人の条件づけは、いつも 残っているだろう、と。
50:29
それは、人はいつも 苦しむだろう、
人はいつも、心配、 恐れなどの状態に
いるだろう、 という意味です。
しかし、私たちは観察しよう、 訊ねようとしています
- 私たちが生きる ところの、この条件は、
様々な原因により もたらされてきましたが、
主な原因は、安全で ありたいとの欲望です。
外的に安全であり、
きわめてきわめて深く 内的に安全でありたい、
何も疑いを持ちたくない、
不確実さを持ちたくない、 完全に安全でありたい、と。
それが、私たちの 精神がどう働くのか、です。
なぜなら、内的に不確実さ、 不安全が、あるからです
- どうぞ、これに 付いてきてください -
なぜなら、私は誰にも 依存できないからです。
私は発見したのです - 私の 最も親密な関係においてさえ、
私は依存できません。
52:01
そして、子ども時代から 私の欲望は
「後生だから、安全であれ」 と言う私の条件づけです -
観念においても、知識においても、 資産においても、
または無資産においても、です。
それは、別の形の安全です。
山々の中か、修道院の中へ 入ってしまう。
それは 別の形の安全です -
イエスに執着しなさい、または、 クリシュナか誰かに、と。
で、私たちは内的に 不安全です。
それの原因に、私たちは 入ろうとしています。
不安全の原因と、安全で ありたいとの要求、です。
理解されますか。
私たちはみんな、 安全が、人気がほしい、
知られたい、 ということです。
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さて、私たちが不安全 であるのは、なぜですか。
初めに、どうぞ 内的に始めてください。
外的な物事は、内的な行為に より 制御され、形作られます。
私たちの心理的要求が、いかに 外的境遇を制御するのか、です。
いいですね?
私たちは 社会を、創り出してきました
- 私たちが生きるところの 社会を、です。
私たちが、それに 責任があります -
現在の世代ではなく、
千の世代の人間たちが、これを 産出してきたのです。
それらの世代の、 私は、その一部です。
で、私たちがこれを 産出してきました。
そして私たちは、自分は安全で なければならないと、言います。
なぜですか。
なぜなら、内的に私たちは 不確実で混乱しているからです。
いいですか?
私は きわめて明らかであるなら、
なぜ私は安全を 要求すべきでしょうか。
で、私たちは 見出そうとしています -
この欲求(の原因)、
この安全へのあこがれの 原因を、です。
その原因は何ですか。
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私は、一定の衣を着る ことに、安全を感じます。
私は一定の集団に所属して います。
私は安心を感じます。
私はイギリス人であるとか、 スイス人であるとか言うとき、
私は安全を感じます。
内的にもまた、
私は偉大な人であるとか、
私は、満足な仕事を 持っている、とか言うとき、
などなど、です。
で、この不確実さの 原因は、何ですか。
この深い不安全の感覚、です。
みなさんは、安全がほしい ですね?
で、それの原因は 何ですか。
進んでください。
私の不安全の原因は 何ですか。
私のさびしさの感じ、
あらゆる物事に全的に不満な 私の感じの(原因)です。
私の中で燃えている 炎のような不満 -
人がしてきたことで、 私はしたくないが、
私がどうやってしないのかを 知らないことについて、です。
56:21
理解されますか。 私は燃えています。
私は心配しています。
憂鬱です。
私は世界を 変化させたいが、
私はどうするのかを 知りません。
私は戦争を止めたいが、
政治家たちは 聞こうとしないでしょう。
語り手は、それを 試してきました。
で、なぜ頭脳は、
完全な安全の中で十分に 機能できるだけなのに、
自らがそのように機能できる だけと知っていながら、
それは常に、不確実さ、 不安全の中に生きていますが、
それの原因は 何ですか。
どうぞ、私を見つめないで、
あなたたち自身を見つめて、 見出してください。
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私たちがいう安全とは どういう意味ですか。
何から安全ですか。
危険から安全だ。
いいですか。
どの形の介入からも 安全だ。
いいですか?
安全で、私自身の道を 追求できる。
私の充足への欲望の 中で安心である
- 内的に、です。
外的に私は、安全で なくてはなりません。
さもないと、あなたと私は ここにいないでしょう。
あなたは、衣食住を持たなければ なりません。
当然です。
しかし、当然なことは、 拒否されつつあります
- 民族性の分割に よって、です。
どの智恵ある人も、 これを見ます -
すなわち、 地球的な関係が、
そして、経済的に、社会的に 相互関係が、あるときだけ、
人類にとって安全が ありうる、と。
地球的な関係です。 孤立した安全ではない。
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で、私たちは 探し求めています -
どうぞ、これに 付いてきてください。
私たちは、自分自身のために 安全を探し求めています。
すなわち、私たち自身は 残りの人類です。
いいですか?
なぜなら、私の意識は あなたのに似ているからです。
あなたは苦しみます。
私は苦しみます
あなたは、ひどい時を 過ごします。
私もそうです。
すべての人間は、心理的に 同じ地盤の上にいます。
私たちはみんな分離した 実体である、というのは、
このひどい幻影です。
で、孤立に 安全がありますか。
気をつけて。
誰がこの孤立を もたらしてきましたか。
この孤立をもたらしておいて、 それは、自分自身を保護します。
その保護が、安全と 呼ばれます。
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そして私たちは、見ます。 ますます観察可能です -
この部族的な隔絶、 孤立は、
世界を破壊しつつあります。
いいですか?
アメリカ対ロシア、 ロシア対アフガニスタン
- よろしいですか - 進んでいく恐怖すべて、です。
あなたは、あなたの 導師を持っているし、
私は、私の導師を持って います。
私は持っていませんが、
あなたは、あなたの 導師を持っています
- あなたの司祭者、 あなたの権威を、です。
で、自分が真理を 悟る、見るなら
- どうぞ、これを聞いて、 これに注意をしてください。
あなたが本当に、 自分の究明の中で、
孤立の中に安全がない ことを見るなら、です。
さて、思考がこの孤立をもたら してきました。もちろんです。
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さて、あなたは真理を どう見ますか - すなわち、
孤立は大変破壊的であることの 事実の(真理)を、です。
誰が、それを見ますか。
思考は、それを見ますか。
質問を理解されますか。
あなたは、この発言を 聞いてきました。
すなわち、どの形の孤立も - どの形でも、です -
破壊的である、
必然的に、全的な不安全を もたらすであろうことを、です。
あなたは、その発言が 聞こえます。
すなわち、初めに あなたは、
感覚的な耳をとおして 聞きます。
そのときあなたは、内的に意義を 持つそれらの言葉が、聞こえます。
いいですか?
そして あなたは、「はい、
私はそれが聞こえます。
私は それが分かります」と言います。
さて、あなたがいうそれが分かる とは、どういう意味ですか。
「私はそれを理解する」と言う ことにより、その発言が分かる。
私は、それが何を意味 するのかを、理解します。
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いいですか?
あなたは、観念、言葉を 理解しますか。
または、実際の事実を ですか。
事実を見る(分かる)。
どちらですか。
どうぞ、それを 見つめてください。
言葉、
それは英語で言われます。
私たちは英語で話します。
ゆえに、言葉の理解が あります。
発言全体の結論です。
あなたは、その事実の抽象化を 観念として観察していますか。
または、事実を、抽象化なく 観察していますか。
私は、私が痛みを持っている との事実を、観察します
- 物理的な痛みです。
それについて 抽象化はありません。
私は、苦悶があるとき、「私は 完璧に元気だ」と言いません。
本当の痛みがあるとき、 抽象化はありません。
1:04:49
しかし、私たちの頭脳は 伝統的に、抽象をするよう
条件づけられています。
すなわち、私は 発言を聞きます。
私はそれを抽象化します。
あれは、それの観念です。
それの概念、結論です - おやまあ、こうだ、と。
そして私は、その結論に 取りすがります。
それは、事実より 全然異なっています。
さて、あなたがして いるのは、何ですか。
私たちがともにして いるのは、何ですか。
事実を観察するだけです
- 抽象化なく、 観念なく、です。
あなたが、そう 観察するとき、
すなわち、それを超越したい との欲望なく、観察する。
欲望(なく)、です。
付いてきてください。
私が私自身について イメージを持っているかぎり、
それは傷つこうと しているとの事実を、です。
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私はあのイメージです。
いいですか。
私はあのイメージです。
しかし、私の頭脳の 私の条件は、
私はイメージより異なって いると、言います。
で、私は、この分割が あるとの事実を、見ます。
いいですか?
私は、言います - なぜ この分割があるのか、と。
この分割はあります。
なぜなら、
思考が私より事実を 分離してきたからです。
「私」が事実です。
「私」が敵です。ですね?
イメージをもった 「私」が、傷つきます。
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で、安全ですが、
私が孤立の中に 生きるかぎり、
不確実さがあるに ちがいありません。
あの不確実さから、
安全でありたいとの 欲望が、来ます。
原因は、こうです -
思考が私を、不安全に してきたのです。
「思考が 私をした」ではない。
思考が、分割の感覚を もたらしてきたのです。
私はイギリス人だ。
あなたはフランス人だ。
私の導師は、あなたのより 異なっている。
私の神は 異なっている。
私は、あの道をとおしてのみ 救われるだろう。
などなどなどと、です。
それは、すべて 思考の産物です。
そして思考は、この孤立を もたらしてきたのです。
そして、孤立があるところ、 全的な不安全があるのです。
そして、 不安全であるので、
安全でありたいとの 欲求です。
さて、このこと全体を 見る。
全体を観察する。
あなたが、美しい山を 観察するであろうように、
何の反応もなく、 ただ見守る。
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あなたがそう観察するとき、 まさに原因が消え去ります。
消え去りませんか。
なぜなら、 そうであるからです。
そうなのです。
事実です -
思考がこの孤立を もたらしてきたことは、です。
それをもたらしてきたので、 混乱、葛藤、孤立があります。
ゆえに、あの孤立の中に、 安全はありえません。
ゆえに、私は何かを 探し求めます。
もし自分があの事実に 完全に留まるなら、
そのとき因果作用は、 結果を創り出しません。
分かりましたか。
私たちは、結果を変化 させたがっていますが、
原因を見て、原因を 消え去らせるのではない。
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ここから、自分は 探究しはじめます。
智恵とは何ですか。
なぜなら、これが智恵である からです - 理解されますか。
偽りを見て、偽りを 捨て去ることが、智恵です。
いいですか?
それは明らかですか。
私は見ます。
民族主義は破壊的 であるとの知覚が、あります。
それを知覚することが 智恵です。
私は、この宗教的構造 - すなわち、
人が築いてきたもの - を、知覚します。
儀式、衣装すべてとともに、です が、思考がそれを築いてきました。
そして、それは宗教でない との事実を見ることが、
智恵です。
思考が孤立を創り出してきた との事実を見ること
- 外的に、そしてまた 内的にも、です。
そして、これの原因は、
それ自体が断片化している 思考です。
そして、それを見ることが 明白に智恵です。
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さて、そのように 進行してください。
ますます深く入って、 あなたは見るでしょう -
こうも全く非実用的であり、 全く智恵がない世界に
私たちは生きる ということを、です。
それを見る。
言語的に、それは 智恵がないと言うだけではない。
で、何が偽りであるか、 何が幻影のようであるかを、
語られるのではなく、 発見すること。
それを見ること、それに対して行為 するのではなく、ただそれを見る。
偽りへのその知覚こそが、
偽りを拒否します。
私はそれに対して 闘わなくていい。
理解されますか。
で、私は 一歩一歩、見ます。
智恵の道が 行為しています。
それは、私の智恵 ではありません。
それはあなたのでは ありません。
それは智恵です。
よろしいです。
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もう立ち上がっても いいですか。
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