SA82T3 - 原因を越えた智恵

公開講話、第3回
スイス、サーネン
1982年7月15日
テキストのみのバージョン
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1:26
一昨日、私たちが 止めたところから、
継続してもいいですか。
私たちは、 因果作用と、
その原因の結果について、 話していました。
私たちは、見たところ、 いつも、
結果、効果に関心を 持っていて、
結果、効果を変化させよう とか、修正しようとかします。
しかし、見たところ、 私たちはけっして、
きわめて深くこれらの結果の 原因を、探究しません。
私たちは先日、少し それに入りましたが、
それらに全く深く入ることが 重要であると、私は思います。
私たちはまた、智恵は原因を 持たないとも、言いました。
そして、 私たちの行為すべて、
私たちの考える道筋は、
いつも地盤を、理由を、 動機を持っています。
そして、原因を 終わらせるなら、
そのとき、原因を越えて 何がありますか。
それが、私たちが一昨日 話していたことです。
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3:46
あなたがもう一度思い起こすのを 気になさらないことを、望みます
- すなわち、語り手は 全的に、完全に匿名です。
語り手は 重要ではありません。
言われることが 重要です。
そして、言われつつあることが 真実なのか、虚偽なのかを
自分自身で見出すことは、
自分の智恵に 依存します。
私たちは、智恵は虚偽の 覆いをはぐことと、
全的に虚偽を拒絶する ことであると、言いました。
で、どうぞ、これらすべての 講話と、質疑応答会合の間、
留意してください -
すなわち、私たちは ともに、協働の中で
これらの問題を究明し、 検討し、探検しているのです。
語り手が 探検していません。
あなたが 彼とともに探検しています。
5:19
で、彼に従うとの問いは 何もありません。
彼に付与された権威は ありません。
これは何度も何度も言われなけ ればならないと、私は思います。
私たちのほとんどは、 従い、受け入れがちで、
その傾向を 持っているからです -
特に、幾らか違っているとか、 霊的に前進しているとか、
それら戯言を、あなたが 考える人たちから、です。
で、どうぞ、何度も何度も 繰り返してもいいなら、
私たちの精神と私たちの頭脳は 従うよう条件づけられているから
- あなたが大学で 教授に従うように、です。
彼はあなたに情報を与えるし、 あなたは受け入れます。
なぜなら、確かに彼は、 私たちが知っているより、
おそらく数学をもっと 知っているからですが、
ここでは、その種類の 事柄ではありません。
6:47
私たちはあなたに 情報を与えていません。
私たちは、それらの言われる ことを受け入れるよう、
あなたを 駆り立てていません。
むしろ、ともに 協働の中で、
これら人間の問題を 究明します。
それらは きわめて複雑です。
大変多くの観察が、
大変多くのエネルギーと 探究が、必要です。
しかし、あなたが単に従う だけなら、あなたはただ、
自分が彼についてか、言葉 の象徴的な意味について、
創り出してきたイメージに、 従っているだけです。
で、どうぞこれらに、これらの 事実に、留意してください。
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7:50
で、私たちは、ともに探究 しようとしています -
智恵とは何ですか。
私たちは、智恵が何であるかを 定義していません。
辞書はたぶん、それに 幾つかの意味を持っています。
智恵(インテリジェンス)は受け 入れられた良い辞書によれば、
それは(語源的に)、 情報を集め、まとめること、
行間を読むことであると、 言われます。
それらはすべて、 思考の活動です。
そして、思考は 智恵ですか。
思考、私たちが考えること、 私たちの行為の仕方、
私たちが生きるところの 社会的、道徳的世界全体か、
私たちが生きるところの 不道徳な世界。
そのすべては、 智恵の活動ですか。
9:25
そのとき私たちは、智恵が何で あるかを、探究しはじめます。
私たちは、要因の一つは 覆いをはぐ、
探検することであると、 言いました。
これは虚偽だと言って、 それを拒否するのではない。
虚偽の本性を探検する。
なぜなら、 虚偽を理解する中に、
幻影であるものの 覆いをはぐ中に、
真理があるからです - それが、智恵です。
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10:08
で、私たちはともに 探究してきました
- ともに、 智恵の本性を、です。
智恵は、原因を 持っていますか。
思考は、原因(コーズ)を 持っています。
いいですか?
自らは考えます。
なぜなら -
なぜなら(ビコーズ) という言葉こそが、
因果作用を 含蓄しています。
自らは考えます。
なぜなら、 過去の経験を持っているから、
過去の蓄積された情報と 知識を、持っているからです。
その知識は、けっして 完全ではありません。
その知識は無知と、手を取り 合って行くにちがいありません。
その無知をともなった この知識の地盤から、
思考が生まれます。
その思考は、 部分的で制限され、
断片化しているに ちがいありません。
なぜなら、それは、知識より 出てきたものであるからです。
そして知識は、どの時にも けっして完全ではありえないので、
ゆえに思考は、 不完全で、不充分で、
制限されているに ちがいありません。
12:12
私たちは、その思考を 使います。
それの制限を 認識しないで、
思考の中に生き、 思考を創り出します。
思考が 創り出してきた物事 -
そして、思考が創り出して きた物事を、崇拝します。
思考は戦争を 創り出してきました。
そして、 戦争の道具を、です。
思考は、テクノロジーの世界 全体を、創り出してきました。
恐怖などを、です - 私たちは 以前、それに入ってきました。
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13:04
で、思考は、 思考の活動は、
比較すること、 同一視(認定)すること、
充足すること、 満足を探し求めること、
安全を探し求めることです。
それは、考えることの 結果、原因ですが、
思考は 智恵がありますか。
どうぞ、質問を 理解されますか。
語り手が私たちへ話すのを 待たないでください。
私たちはともに、この思考の 問いを、見つめています
- その所、その活動を、 智恵への関係において、です。
私たちは、思考によって 生きます。
昨日、明日と今日。
過去から現在へ、 未来へのこの動きは、
時と思考の動きですが、
その動きは、自らの ずるがしこさをともない、
自らの適応できる 能力を伴っています
- 人間以外、他のどの 動物もしないように、です。
その思考の動きは、 過去から生まれていますが、
それは智恵ですか。
それが、混乱を 産出するのでしょうか。
いいですか。
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15:31
で、思考は、因果作用を 持っています。明白です。
私は家を建てたい、 私は車を運転したい、
私は権力を持ちたい、 有名になりたいと思います。
私は鈍いが、私は 利巧になるだろう。
私は達成するだろう、 私は充足するだろう。
そのすべてが、 中心の動きです -
そこから思考が生ずる ところのものの(動き)です。
いいですか?
それは、こうも明白です。
明白なことをとおして、 私たちは、
違っているかもしれないことへ 透徹しようとしていますが、
初めに私たちは、 明白なことについて
きわめて明らかで なければなりません。
さて、原因と結果を 持っているもの -
その結果は、 即時であるのか、
延期されるのかも しれません。
原因から結果への 動きが、時です。
17:01
聞いておられますか。
私は過去に、何か正確でない ことを、してきました。
それは、様々な原因のために 正確ではないし、
それの結果は、私はその付けを 支払うのかもしれません。
即時にか、おそらく 五年後に、です。
で、原因があるし、 結果があるところ、
間隔は、最短の間隔、 一秒であっても、
何年であっても、 時の動きです。
で、智恵は 時の動きですか。
いいえ、どうぞ、じっくり 考え、検討してください。
なぜなら、これは、言語的な 明瞭化ではないからです。
これは、言語的な 説明ではありません。
それの実在性、 それの真理の知覚です。
18:24
なぜなら、私たちは、
私たちの生の様々な相へ 入ろうとしているからです。
私たちが日々、生きる ことの(様相へ)、です。
何かユートピア的な概念とか、 何かイデオロギー的な結論とか
- それに沿って私たちが行為 するだろうものではありません。
私たちの生を究明する中で、
私たちの生は、 全人類の生です。
それは、私の生や あなたの生ではありません。
生は、 ものすごい動きです。
あの動きの中で、私たちは その一部分を分離してきたし、
私たち自身を 個人と呼びます。
私たちは先日、よく気を つけて、それに入りました。
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19:39
で、私たちは、言って います、訊ねています -
原因があるところ、 終わることが、ある、と。
もし私が結核に 罹っているなら、
原因は - 私が咳をすること、 血、その他すべてですが -
その原因は、治療できるし、 結果は、消え去るでしょう。
どうぞ、気をつけて これに付いてきて、
気をつけてこれを 検討してください。
私は、「付いてくる」という言葉を 使わないでしょう。
ごめんなさい。
私たちは、 原因があるところ、
結果は終わらされると、 言っています -
原因が終わることで もって、です。
ですね?
私たちの生すべては、 因果作用の動きです。
私は、あなたを好きです。
あなたは、私の友だちです。
あなたは、私へへつらいます。
私は喜びます。
私は、あなたに へつらいます。
あなたは、何か不快なことを 言います。
私はあなたを嫌います。
このすべての動きに、 因果作用があります。
いいですか? もちろんです。
21:08
私たちは 訊ねています -
因果作用なしに、生、 生きることが、ありますか。
私たちは初めに、終わることの 含蓄を理解しなければなりません。
理解されますか。
私は、怒りや貪欲を 終わらせます
- 他の何かを 達成するために、です。
私は、あなたたちを 愛しています。
なぜなら、あなたたちは 私の聴衆であるからです。
すなわち、あなたたちは 私へ、へつらいます。
私は、あなたたちへ話をする 中で、私自身を充足させます。
そして、聴衆がいないとき、
私は悲しくか 憂鬱に感じます。
で、いつも、原因と 終わることが、あります。
で、私たちは 探究しています -
終わるとは どういうことですか。
終わることは 継続ですか。
継続。
私は、何かを終わらせて、 他の何かを始めます
- それは、別の形の 同じものです。
付いてきておられますか。
ゆっくりそれに入ってください。
よく気をつけて、それに 入らなければなりません。
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23:00
そうね、これに きわめて深く入るには、
対極の葛藤を 理解しなくてはいけません。
いいですか?
二元性の葛藤です。
私は貪欲です。
自らは貪欲です。
そして、様々な社会的、経済的、 道徳的な理由のために、
私はそれを、終わらせ なければなりません。
それを終わらせる中に、 原因(コーズ)があります。
なぜなら(ビコーズ)、私は 他の何かを、ほしいからです。
他の何かは、 原因の結果です。
私は本当に、貪欲を 終わらせなかったのです。
しかし、私は貪欲を、他の 何かで、置き換えたのです。
いいですか?
私は暴力的です。
自らは生来、暴力的です。
なぜなら、その暴力は、動物 などから遺伝してきたからです
- 私たちはそれに 入らないでしょう。
24:12
私たちは 暴力的な人間です。
あの暴力の原因は、きわめて 複雑なのかもしれませんが、
あの複雑な因果作用の 結果が、暴力です。
私は、暴力を 終わらせたい。
なぜなら、私は、それはあまりに 愚かであると考えるからです。
それで、終わらせる中で、
私は、非暴力的である分野を 見つけようとしています
- その中に暴力の影が 持たないものを、ですが、
私は本当に、暴力を 終わらせなかったのです。
私はただ、あの感じを 別の感じへ変換するか、
翻訳しただけ かもしれません。
すなわち、 感じは同じです。
お分かりに なりましたか。
これを取らえられるのか どうかと、思われます。
私たちはここで、ともに 協働していますか。
私たちはそれを、十の違った 形に、表すでしょう。
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25:31
そうね、
思考が原因を持っているなら - それは持っています -
そのとき、原因が 終わること、
それは、思考がないことを 意味していますか。
または、何か全然違った ことですか。
もしそれが、何か全然 違ったことであるなら、
それは、原因を持って いません。
いいですか?
どうぞ、これを 理解してください。
どうぞ、眠りに 就かないでください。
これは、 知的な娯楽や
言語的なやりとり ではありません。
私たちがよく気をつけて、 それに深く入るなら、
それは、私たちの日々の 生に影響するでしょう。
なぜなら、それは、葛藤が終わる ことであるかもしれないからです。
なぜなら、私たちの生は 葛藤の中にあるからです -
私たちの意識は、 葛藤の中にあるのです。
それは、めちゃくちゃで、 混乱し、矛盾しています。
27:28
そして、私たちの意識は 思考の結果です。
いいですか?
そして、思考は因果作用を 持っているから、
私たちの意識は 原因を持っています。
そして、原因を 持っているもの、
そして、その原因の、 結果として動きは、時です。
私たちはそれに 入りました。
原因なく観察する 道が、ありますか。
質問を理解されますか。
私は、すべての 私の複雑な生、
私の矛盾を 観察したいのです
- 自分の模倣、順応、
自らの対極をともなった様々な 結論を(観察したいの)です。
そのすべてが、 因果作用の動きです。
いいですか。 もちろんです。
29:08
私は、その因果作用を終わらせ られます - 意志により、
秩序正しい生を持ちたい との欲望によって、です。
秩序正しい生は、 因果作用の中から
生まれているかもしれません。
そうですね?
なぜなら、私は 無秩序であるからです。
で、私の生の無秩序さを 発見し、
秩序正しい生を 持ちたいと願うとき、
その秩序正しい生は 因果作用を持っています。
ゆえに、それは 秩序正しくありません。
いいですか?
これは明らかですか。
それはきわめて複雑な主題ですし、 私は、あなたが堪えること、
それに入る辛抱をされる だろうことを、望みます。
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30:22
で、智恵は、原因を 持っていますか。
明白に持っていません。
いいですか。
私はそれに 入るでしょう。
秩序とは何ですか。
法律の秩序が あります -
様々な経験、判断、必要性、 便宜に基づいて、です。
悪いことをする人たちを 閉め出すなどのために、です。
で、私たちが秩序と呼ぶ ものは - 社会的秩序、
倫理的秩序、政治的秩序 などですが -
本質的に、基礎、背景、 原因を、持っています。
さて、私たちは訊ねています - 秩序は原因を持っていますか。
私たちはともに、それを 究明しようとしています。
さて、私たちは、 自分たちの生が
いかに無秩序であるかを、 認識しますか。見ますか。
31:58
いいですか?
無秩序とは、 矛盾する、
順応すること、 付き従うこと、
受け入れることです。
私たちがほしいかも しれないものを拒否し、
他の何かを 受け入れることです。
様々な対極の間の 葛藤、抗争、
それが無秩序です。
いいですか?
なぜなら、私は 一つの形の思考を
秩序として受け入れるが、
私はまた、その対極を 考えるからです。
対極は、無秩序を 創り出すかもしれません。
で、私はいつも、 これら対極の平野の中で
生きています。
そうですね?
で、無秩序は 終わるでしょうか。
私の生の中、私たちの生の 中で、完全に終わるでしょうか
- もし私が 秩序をほしいなら、
私が平和に生きたい、
私が、気持ちいい 生活をしたい、
仲間付き合いをしたい などなどなら、です。
その欲望は、この無秩序の 中から、生まれます。
33:48
分かりましたか。
で、対極は この中から生まれます。
自体の対極の中から、です。
私は怒っています。
私は憎みます。
私は憎んではなりません。
ゆえに私は、憎まない よう、奮闘しています。
そして、憎まないことは、私の 憎しみから出てきたものですね。
そして、憎しみがないなら、 それは、対極を持ちません。
いいですか?
で、憎しみが終わることは 結果を持ちません。
これらを捉えられるのか どうかと、思われます。
そうでないのが、 分かります。
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34:53
そうね、思考は、無秩序を 創り出してきました。
その事実を見ましょう。
思考は世界に、無秩序 創り出してきました
- 民族性をとおし、 分割をとおして、です。
私はユダヤ人だ、 おまえはアラブ人だ。
私は信じているが、おまえは 信じていない - よろしいですか。
それらはすべて、 思考の活動です。
それは自体が分割的です。
それ自体が、です。
それは、統合を もたらせません。
なぜなら、それは 自体が分割的で、
断片的であるからです。
断片化しているものは、 全体を見られません。
いいですか?
で、私は発見します -
私の意識は全面的に無秩序に なっていることを、です。
そして私は 秩序がほしい。
それにより私は葛藤を終わら せるだろうと望んで、です。
動機があります。
その動機は、 秩序正しい生活をしたいとの
私の欲望の原因です。
ですね?
で、秩序はそこで、無秩序の 中から、生まれます。
36:18
いいですか?
ゆえに、その秩序は 無秩序を、永続化します。
それは、政治的、宗教的、 他の分野で起きつつあります。
それをご覧になるのか どうかと思われます。
明らかですか。
さて、戻りましょう。
さて、私は、無秩序の 原因を、見ます。
私は、無秩序から動いて 離れたくはありません。
私は、それの原因を 見ます -
すなわち、 私は矛盾している、と。
私は怒っている、と。
混乱 - 私はそれを見ます。
私は、それの原因を 見ます。
私は、原因や結果から動いて 離れつつありません。
私が原因ですし、 私が結果です。
それをご覧に なりますか。
私が原因ですし、 起きることはまた、
私自身です。
で、それを離れる どの動きも、無秩序です。
いいですか。
それをお分かりになるのか どうかと、思われます。
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37:42
で、未来なく終わること。
いいですか。
「あるもの」が終わることは 未来を持ちません。
秩序への私の要求により 投影された、どの未来も、
やはり 無秩序の継続です。
で、私の無秩序の 観察が、ありますか -
そして、何も原因なく それが終わることが、です。
分かりますか。
理解されますか。
私は暴力的です。
自分は暴力的です。
自分は有名になりたい、
自分はこうも多くの 物事をほしいのです。
そして、人間たちには 暴力があります。
その暴力の原因は、
本質的に、 自己中心的な動きです。
いいですか?
あなたは、ほしい。
あなたは、暴力的です。
なぜなら、あなたは 自己中心的であるからです。
39:05
私もまた暴力的です。
なぜなら、私は 自己中心的であるからです。
ゆえに、私たちの間に 闘いが、あります。
いいですか?
これは明白です。
で、あなたには 暴力があります。
私は・
・・思考は、 非暴力を追求していません
- それは 暴力の一つの形です。
あなたがそれを、きわめて 明らかに見るなら、
そのとき、暴力への 関心だけが、あります。
その暴力の原因は、 私たちが言いましたように、
こうも多くの矛盾した要求、
こうも多くの圧迫である かもしれません -
すなわち、私が掛けてきた (圧迫)などなどです。
私たちはそれらに 入られます。
私は、当面の間、それに 入りたくありません。
で、多くの原因が あります。
40:01
暴力の一つの原因は この自己です。
自己、
それは多くの様相を 持っていますが、
それは、多くの観念の 裏に、隠れます。
私は理想主義者です。
なぜなら、それが私に 訴えかけるからです。
そして私は、あの理想の ために、働きたいのですが、
あの理想のために 働く中で、
私が、ますます重要に なりつつあります。
または私は、理想により それを覆い隠します。
そして、私自身からの逃避 こそが、私自身の一部です。
いいですか?
この動き 全体が、暴力の要因です。
私は、他の人たちを 殺したい。
なぜなら、あなたたちを 殺すことにより、
もっと良い世界があるかも しれないからです。
これらのことは ご存じです。
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41:19
で、どうぞ聞いてください - 無秩序の観察が、ありますか。
その無秩序の原因を 見ることと、
それが終わることが、です。
質問を理解されますか。
これは明らかですか、 どうですか。
おそらく、私は タバコを吸います。
それは習慣です。
私が止めたい習慣です。
私はそれを止めたい。
なぜなら、 私は健康でありたいからです。
それは、私の心臓と頭脳へ 影響しつつあります -
私の活動などなどへ、です。
ゆえに、私はそれを 終わらせたい。
その裏に、動機が ありますね。
私は本当に、それを 終わらせつつありません。
私は喫煙を、他の何かに 代替します。
それが習慣です。
いいですか。
で、習慣が終わることが ありますか -
それが完全に 終わることが、です。
それを他の何かで 置き換えることではない。
おやまあ!
私はそれを十の 違った形で説明してきました。
これは明らかですか。
私たちはそこから 動いて離れられますか。
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42:52
で、私たちの生は、多くの 原因を持っています。
生きることは、です。
単一の原因もなく 生きる道が、ありますか。
どうぞ、探究してください - このすばらしい探究も、です。
その問いをすることは、
見出すための何か深い 探査を、要求します。
私は、安全がほしい。
ゆえに 私は、自分の導師に従います。
私は従っていません。
私は安全がほしいのです。
私は、彼の衣を着けるか、
その男が言うことを真似るなど などをするかもしれませんが、
深く私は 安全でありたいのです。
そして私は、 何か観念、何か画像、
何かイメージに 縋りつきます。
そして、イメージ、 観念、結論、人物は、
けっして安全を もたらせません。
で、私は安全を、探究 しなくてはいけません。
安全といったものが ありますか。
物理的に、外的に、 ではありません。
外的には、(安全が) なければなりません。
内的に、私は 話しています。
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44:48
雨を降らして もらえませんか。
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44:55
私は不確実で、 混乱しているし、
あなたは、自分は混乱 していないと、言うから、
私はあなたに 取りすがります。
なぜなら、私の要求は、 或る種の平和、望み、
或る種の静けさを、私の生に 見つけることであるからです。
あなたは重要ではありません。
私の欲望が重要です。
私はあなたを 崇拝するでしょう。
私は、何でもあなたが言いたい ことを、するでしょう。
私はあなたに 従うでしょう。
私は、それらをするほど ばかげていますが、
私は、それの原因を 探究した瞬間、
深く、私がこの保護をほしい ことを、発見します -
私は安心であるとの この感じを、です。
心理的に、いったい 安全が、ありえますか。
46:04
その問いこそが、智恵への 要求を、含蓄しています。
理解されますか。
まさにその質問をすることが 智恵から出てきたものです。
しかし、私が、「いいえ。
私の象徴、私の救い主に、
これに、あれに、いつも 安全がある」と言うなら、
そのときあなたは、そこから 離れないでしょう。
しかし、あなたが、 探究し、見はじめるなら、
そのときあなたは、必ず 訊ねることになります
- 安全があるのか、と。
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46:54
で、安全への原因があるなら、 それは安全ではありません。
いいですか。
なぜなら、原因のほうが
安全への欲望より 重要であるからです。
で、智恵は、原因を 持っていますか。
私たちは、それへ 戻ってきましたね。
もちろん、 持っていません。
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47:20
で、愛は、原因を 持っていますか。
さあ、どうぞ、あなたは この問いに、答えるべきです。
それを見つめ、どうぞ、 時間を掛けてください。
ごく間近で 見つめてください。
よく気をつけて それに入りましょう。
私たちは、智恵は原因を 持っていないと、言いました。
ゆえにそれは、あなたの智恵と 私の智恵ではありません。
それは智恵です。
それは光です。
光があるところ、あなたの 光や私の光は、ありません。
太陽は、あなたの太陽や 私の太陽ではありません。
それは光です - 光の暖かさ、明るさです。
愛は、原因を 持っていますか。
それを持っていないなら、
そのとき、愛と智恵は 伴います。
よろしいですか。
これが見えますか。
私が自分の妻へ「私はあなたを 愛している」と言うとき、
自分が妻や彼女へ 言うとき、
それは、何を 意味していますか。
49:06
私は神を愛しています。
自分は神を愛しています。
なぜですか。
あなたは、あいつについて 何をも知りませんが、
あなたは彼を 愛しています。
恐れがあるから、安全への 要求が、あります。
伝統の広大な重みが あります。
書物がそう言います。
それは、あなたに慰めを 与えてくれます。
いいですか。
で、あなたは、「私は神を 信じている」と言います。
しかし、恐れがないなら、
そして、智恵は 全的な安全であるし、
愛は、因果作用すべてを越えた 何かであるとの発見が、あるなら
- 理解されますか。
(因果を 越えた何か)それは秩序です -
そのとき、宇宙(万物) は、開いています。
なぜなら、宇宙(万物)は 秩序であるからです。
いいですか。 これは すべて明らかです。
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50:50
その問いへ 入りましょう -
智恵ある関係は何で あるか(の問い)に、です。
イメージをともなった 思考の関係ではありません。
私たちは、 それに入るでしょう。
私たちはもう少し、これに 入らなくてはいけないでしょう。
私たちの頭脳は 機械的です。
いいですか。
機械的とは反復的です。
けっして 自由ではありません。
同じ平野の中で 格闘し、
同じ平野の中で一つの片隅 から別のへ動くことから、
自分は自由であると 考えるのです。
(別の片隅へ動く) それは選択ですし、
選択が自由であると 考えるのです。
それは反復されます - 私は自由です。
なぜなら、私はチューリッヒへ 行くのを選択できるからです。
しかし、もしも私が(ソビエト) ロシアに、生きていたなら、
私は、どこでも自分が 行きたい所へ、行けません。
いいですか?
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52:17
で、自分の頭脳は、時を とおして進化してきましたが
- いいですか。
もちろんです -
その頭脳は、あなたのや私のでは ありません。
それは頭脳です。
その頭脳は、幾つもの 時代をとおし、
伝統をとおし、教育を とおし、順応をとおし、
適応をとおして、 機械的になったのです。
あなたは、これを 自分自身に観察できます。
自由であるかもしれない 頭脳の部分が
あるかもしれませんが、 私たちは知りません。
それを主張 しないでください。
「はい。
自由である私の部分が ある」と言わないでください。
それは無意味です。
しかし、頭脳が機械的、 伝統的、反復的に
なってしまったとの事実は、 残っています。
(頭脳)それは、自らの 智恵を、持っていますね。
そうでないですか。
それが見えますか。 いいえ?
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53:43
それは、自らのを 持っています -
私は、「智恵」という 言葉を、使わないでしょう。
それは、自らのずる賢さを 持っています。
自らの適応する、判別する 能力を、持っていますが、
それはいつも、制限された 区域の中にあります。
なぜなら、思考自体が、 断片化しているからです。
そして、思考は、頭脳に 自らの家を持っています -
細胞などに、です。
で、科学者たちは、違った言葉で 同じことを言っています。
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54:23
今、頭脳は 機械的になったのです。
私はキリスト教徒です。
私はヒンドゥー教徒です。
私は、信じています。
私は、信仰を持っています。
私は信仰を持っていません。
私は キリスト教徒ではありません。
よろしいですか。
それは すべて、反復的な過程です。
それは、他の反応への 反応です。
それは、機械的です。
いいですか?
さて、この頭脳、人間の頭脳は 条件づけられてきました。
そして条件づけられているので、 それは、自らの人為的な
機械的な智恵を、 創り出してきました。
私は、その言葉を 保ちましょう。
機械的な智恵 - コンピュー ターのように、です。
55:19
彼らは、究明しようと しています。
何十億、何十億ものドルと 金銭を使っています -
コンピューターがまさに 頭脳のようになりうるのか
どうかを、 見出すために、です。
たぶん彼らは 見出すでしょう。
で、私たちは訊ねて います - 思考は、
私の記憶、知識など から生まれていますが、
それは、頭脳の中に あります。
それで、思考は 機械的です。
いいですね?
それは 発明するかもしれませんが、
それはやはり 機械的です。
発明は、創造より全然 異なっています。
私はそれに 入ってはなりません。
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56:18
で、頭脳は、 時折の炎を伴い
- 機械的な過程より 全然異なっています - が、
本質的にそれは、 反復的、機械的です。
待ってください。
そして、思考は、 発見しようとしています
- 異なった生の道、
異なった社会秩序を、です。
思考は、それを発見 しようとしていますね。
そして、思考による 社会秩序の発見は、
やはり、混乱の 平野の中に、あります。
いいですか?
私たちは、そのとき 訊ねています -
原因を持たない智恵が ありますか。
ゆえに、その智恵から 行為する
- 私たちの関係に おいて、です。
今存在している機械的な 関係の状態ではありません。
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57:40
みなさんは、 疲れつつありますか。
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57:42
聴衆: いいえ。
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57:45
K: 自分は疲れていないと言う ことは、あまりに容易い。
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57:52
ご覧ください。私たちの 関係は、機械的です。
私は、一定の生物学的な 衝動を、持っています。
あなたは、それらを 充足させます。
私は、一定の快適さ、
一定の仲間付き合いを、 要求します。
なぜなら、 私はさびしい、
私は憂鬱であるからです。
そして、あなたへ 取りすがることにより、
おそらくその憂鬱は 消え去るでしょう。
すなわち、あなたとの 私の関係は、
親密でも、そうでなくても、
原因、動機を 持っています -
そこから私があなたとの関係を 確立するところの地盤を、です。
いいですね?
生物学的、 セックスなど、です。
それは機械的です。
これは 百万年の間、起きてきました。
すなわち、女と男との間に葛藤が あります。
常なる闘いです。
各々が自分の路線を追求し、 けっして出会いません。
二本の鉄道の線路がけっして 出会わないように、です。
59:27
この関係は 思考の活動です。
ゆえに 制限されています。
どこでも制限が あるところ、
葛藤があるにちがい ありません。
いいですか?
どの形の関連も
- 私はこの集団に 所属しているが、
あなたは別の集団に 所属している、と。
関連です。
あなたはこの集団に 所属しています。
で、分離した関連が あるところ、
孤独、孤立があります。
孤立があるところ、葛藤が あるにちがいありません。
いいですか。
これは法則です。
語り手が発明していません。
そのとおりです。
いいですか。
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1:00:30
で、思考は、いつも 制限されています。
ゆえに自分を 孤立させています。
ゆえに、関係において、 思考の活動があるところ、
葛藤があるに ちがいありません。
分かりますか。
いいえ。
それの実在を 見てください。
この事実の現実性を 見てください。
観念としてではなく、
何か、私の生の中、自分の 活動的な日々の生の中で
起きつつあるもの として、です。
離婚、けんか、
互いに憎み合うこと、 嫉妬。
それについては すべてご存じです。
そのすべての悲惨です。
妻は、あなたを 傷つけたい。
あなたに嫉妬しています。
あなたは、嫉妬しています。
よろしいですか。
それはすべて 反応です。それらは反復的です。
ゆえに、関係における 思考の活動は、
機械的であるにちがいないし、 ゆえに、葛藤をもたらします。
いいですか。 それは事実です。
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1:02:09
さて、あなたは、事実を どう取り扱いますか。
質問を理解されますか。
ここに事実があります
- 妻と私は けんかをします。
彼女は私を 憎んでいます。
私もまたそうです。
よろしいですか。
応答、機械的な応答、 憎しみ。
そして私は、発見します - すなわち、
それは、起きてきたことの 思い出であることを、です。
その記憶は、頭脳に 蓄えられています。
それは、来る日も来る日も 継続します。
私の考えること全体が 孤立の過程です。
彼女もまた 孤立しています。
私たちは、孤立の真理を けっして発見しません。
どこでも、どの種類でも 孤立があるところ
- 紫の衣や緑の衣を着て、 です。
よろしい? -
孤立の要因が、あるに ちがいありません -
民族主義などが、です。
それは、葛藤を、生み 育てるにちがいありません。
1:03:41
さて、それは事実です。
さて、私は、その事実を どう見つめますか。
私は、その事実を、どう することになりますか。
質問を理解されますか。
どうぞ、私は答えていません。
あなたが答えています。
あなたが、それを 問うています。
あなたが、この問いを あなた自身にしています。
あなたの応答は 何ですか。
あなたは、この事実に どう向き合いますか。
動機をもってですか。
原因をもってですか。
どうぞ、気をつけて、「いいえ」 と言わないでください。
妻は私を 憎んでいます。
私はそれを押さえ込みますが、 私もまた、彼女を憎んでいます。
彼女を嫌っています。
私は 彼女と一緒にいたくありません。
なぜなら、どちらも孤立している からです。
それは事実です。
私は野心的です。
彼女は野心的です。
何か他のことのために、です。
よろしいですか。
で、私たちは、 自分たちの関係において、
孤立の中で 作動しています。
1:05:03
さて、何が起きますか。 私は事実に向き合います。
あなたは、事実に 向き合いつつあります。
私が、ではない。
あなたが、事実に 向き合いつつあります。
あなたはそれに、接近 しますか - 事実に、
理由をもって、ですか。
地盤をもって、ですか。
動機をもって、ですか。
で、あなたはそれに どう接近しますか。
動機なく、ですか。
原因なく、ですか。
あなたが原因なく、 それに接近するとき、
そのとき、 何が起きますか。
どうぞ、それを 見守ってください。
どうぞ、何かに 跳びつかないで、
あなた自身において、 それを見守ってください。
これまで私は、この問題に 機械的に接近してきました。
動機をもって、
何か理由、そこから私が行為する ところの地盤をもって、です。
そして私は、そういう行為の 愚かさを、見ます。
なぜなら、それは思考など の結果であるからです。
で、そのとき、 単一の動機もなく、
事実への接近が ありますか。
1:06:43
すなわち、私は 動機を持っていません。
彼女は、動機を持って いるかもしれません。
または、私は動機を持って いるかもしれないが、
彼女は持っていません。
そのとき、私は 動機を持っていないなら、
私は事実を、どう 見つめていますか。
事実は、私より 異なっていません。
いいですか?
私が 事実です。私は野心です。
私は憎しみです。
私は依存するなどします
- 誰かに依存しています。
私がそれです。
で、事実の観察があります - すなわち私自身の(観察)です。
そして、事実の - すなわち 私自身の - 観察は
どの種類の理由、 動機もなく、ですが、
それは可能ですか。
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私は、そうしないなら、 永続的に葛藤の中に生きます。
あなたは、それが生の道で あると、言うかもしれません。
あなたは、それが生の道で あるのを、受け入れるなら、
それは、あなたの案件です。
それは、あなたの楽しみです。
それは、あなたの頭脳、 伝統、習慣があなたへ、
それは回避不可能なこと であると、語ることです。
しかし、あなたが、そういう 受け入れの不条理を、見るなら、
そのときあなたは、必ずこの 質問をすることになります。
このすべての苦労は 私自身です。
私が敵です。
あなたが、ではない。
私は、敵に会ったし、それは 私であるのを、発見します。
で、私は、私、自己のこの 動き全体を、観察できますか
- 分離していて、 孤立しています。
私は分離しているとの 伝統、受け入れです。
あなたが、人類の意識の 平野全体を検討するとき、
それは愚かになります。
私は、全人類です - それに私たちは入りました。
意識的に、です。私の 意識は、共通しています。
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で、そこに私はいます。 智恵が何であるかを
理解する中で、私は 或る点に来たのです。
すなわち、私たちは、智恵は 原因なしであると、言いました。
愛が原因なしで あるように、です。
もし愛が原因を 持っているなら、
それは愛ではありません。
明白です。
もし、政府が私に頼むから、 私は智恵があるのなら
- 私はあなたに従っている から、私は智恵がある。
私が工場で働いてきた、私は 大きな技能を持っているから、
私は智恵があるのなら、
私たちは、それらを 智恵と呼びません。
それは能力です。
智恵は、原因を 持っていません。
ゆえに私は、原因をもって 私自身を見つめていますか。
理解されますか。
これに 付いてきておられますか。
私は、この事実を見つめて いますか - すなわち、
私は孤立の中で考え、働き、 感じていることを、です。
1:11:05
その孤立は必然的に、
果てしなく続く葛藤を、生み 育てるにちがいないのです。
その孤立は、私自身です。
私が敵です。
アルゼンチン人やロシア人が (敵)ではありません。
私が敵です。
さて、私は動機なく、 私自身をどう見つめますか。
私が動機なく、 私自身を見つめるとき
- いいですか - 私自身がありますか。
私自身は、 原因、結果です。
私自身は、時の結果です
- それは、原因から 結果への動きです。
で、私が私自身を、 この事実を、
何の原因もなく、 見つめるとき、
何かが終わることが あります。
そして、全然新しい何かの 始まりが、(あるの)です。
いいですか。
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私たちはもう、 止めたほうがいい。
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