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MA8384Q1 - 第1回質疑応答会合
インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月3日



0:09 私たちは、質問で一杯の籠を、持っています。 私たちがそれらのすべてに、 答えることができるだろうとは、思いません。 おそらく、それらに答えるには、二、三週間が、掛かるでしょう。 で、私たちは、質問の幾つかを、選択しました。 私は前に、それらを見ていません。 が、質問が、選択されたのです。 で、私たちは、それらに答えるでしょう。 まず初めに、私は、よろしければ、お訊きしたいと思います - なぜ私たちは、そもそも質問をしますか。 そして、私たちは誰に、質問をしますか。 あなたは、自分の問いに答えるのを、他の一人に期待しますか。 または、私たちは、自分自身に質問をし、 正しい答えを見つけようとしますか。 正しい答えを見つけるには、 先入観、確信を、持つことはできません - 何か法外な、とか、仲良しの確信を、です。 で、質問をしてもよろしいなら - そして、しなければなりませんが - 答えのほうが、問いより重要ですか。 または、答えは、 問いの深さを理解する中に、ありますか。 あなたは、それへ何と仰いますか。 問い自体を理解することが、 答えです。 私たちはみんな、朝に、かなり早いか、早すぎますか。 で、私は、よろしければ、お訊きしています - 問いのほうが答えより、重要ですか。 もし答えが、問いの中に潜んでいるなら、 そのとき、重要なのは、 問いの深さを理解することと、 問いの答えを見つけようとしないで、 むしろ、問い自体を究明することです。 で、私たちは、そうしようとしています。 どうぞ、問いに答えるのを、語り手に、期待しないでください。 むしろ、ともに、問いを究明しましょう。 その問いの究明や探検の中で、 答えはそこにあるのです - 問いの外側に、ではありません。 話がすっかり明らかになっているのを、望みます。 質問1: 「もし理想がないのなら、
3:50 心理的な危機と、結果的な社会的葛藤を、 適切に取り扱えません。 そして、単なる個々人が、どうして 全体を、変化させたり、影響したりできますか」。
4:14 「もし理想がないのなら、 心理的な危機と、結果的な社会的葛藤を、 適切に取り扱えません。 そして、単なる個々人が、どうして 全体を、変化させたり、影響したりできますか」。
4:47 私がこれに答えるのを、待っていますか。 なぜ私たちは、そもそも理想を持っていますか。 それは、現在を回避する手段、 ゆえに、未来へ重要性を与える手段ですか。 または、理想は実際に、私たちを、導いてくれますか。 それが、含意です。 理想の問いにおける含意の一つです - なぜ私たちは、理想を持っているのか、です。 私たちのほとんどは、不幸にも、持っています。 さらに重要なのは、こう思われますが、 実際に起きつつあることです- 私たち自身の意識において、 私たち自身の振るまいにおいて、私たち自身の態度などにおいて、です。 私が、理想、方向を持っているなら、 そのとき、方向、理想のほうが、 現実より、はるかに重要になります。そうでないですか。 私たちはともに、これに入っています。 あなたと語り手は、その問いをともに究明しています。 語り手は、問いに答えていません。 が、ともに、あなたがそうなさるなら、 すてきな、静かな、騒がしすぎない朝に - 幸運にも、つづいている騒音すべてを、止めてくれました - で、私たちはともに、この観念について、話し合えます - 理想を持つというこの概念について、です。 あなたは、理想を持っています- それらを多く、です。 それらは実際に、私たちの日常生活へ、影響しません。 私たちは、これら理想を、自分の生へ影響させたいと思いますが、 実際にそれらは、まったく価値を持っていません。 なぜなら、私たちは、すばらしい理想を持っている、と 考えるのは、すてきであるからです - すばらしいユートピア的な理想を、です。 共産主義的、社会主義的、宗教的な理想、 資本主義的な理想、民族、集団の理想、 そうね、理想のネットワーク全体、です。 それらは、私たちの日常生活に、直接的な影響や 直接的な関係を、持っていないので、 そもそも、それらを持つことの意味が、分かりません。 何かについて夢見る、 たくさんの生の麗しいことについて、想像することは、すてきですが、 生は、理想の投影より、はるかに複雑です。 はるかに重要です。 それら投影は、思考によりもたらされています。
8:12 私たちは、これまで一緒にいますか。 で、私たちは、自分の理想を片付けて、実際の事実に、向き合えますか。 事実とは、前に起きてきたこと、 以前に起きてきたこと、 そして、今、起きつつあることです。 それらが、事実です。 未来は、事実ではありません。 未来は、影響するかもしれません。 現在により形作られるかもしれませんが、 現在は、事実です。 で、私たちは、未来を忘れられるのでしょうか - すなわち、理想、「あるべきこと」、目標、目的を、です。 そのすべては、動機を含意しています。 動機は、動きを意味しています- 特定方向での動き、です。 で、あなたはすでに、方向を確立してきたのです。 それに向かって、あなたは、進んでいます。 すなわち、あなたの理想に、です。 ゆえに、あなたは、現在に向き合っていません。 これらに付いてこられるのかどうか、私は知りません。 これは、少し複雑すぎますか。 それは、生での要因の一つです - すなわち、歴史をとおしてずっと、 ギリシャと、古代の民族から、 これらの理想が、存在してきたのです。 (古代)ギリシャ人は、原理、理想を、持っていました。 これらの理想は、幾千年の間、存在してきました。 私たちは、いまだに、それらの奴隷です。 で、自らは、理想から自由でありえますか - すなわち、未来から、です - そして、現在に向き合えますか。 すなわち、事実に、です。
10:34 私は不幸せです。 そして私は、幸せでありたいと思います。 私は鈍いが、私は、利巧で、利発でありたいと思います。 私は、なぜ自分が不幸せであるかを、検討しません - 動揺の原因が何であるかを、です。 それは、事実です。 原因は何ですか。 が、私が、自分は幸せでなければならないとの理想を、持っているなら、 未来は、やはり不幸せです。 理解なさるのかどうか、私は知りません。 なぜなら、私は、自分の不幸せの原因を究明したことが、ないからです。 そして、原因は、変化させられるとき - 原因は、片付けられたり、 破棄したり、理解したりできるのですが - そのとき、変化が起こります。 原因が、理解されているのでなければ、 単に幸せの追求は、何の意味も、ありません。 これらに、出会っておられるのかどうかと、思われます。 私が、あなたのために、働いていますか。 または、あなたは、一緒に働いていますか。 どうぞ、私に言っていただけるでしょうか。 語り手が、あなたのために、働いていますか。 考えて、それらを見つめていますか。 または、私たちは、ともに考え、ともにそれを、見つめていますか。 私たちはともに考えているなら、 質問者は、訊ねます - もし理想がないのなら、 自らは、適切に、明らかに行為できますか - 心理的な危機があるときに、です。 理想がないのなら、 方向がないのなら - これは、きわめて複雑です - 方向がない。それは、動機がない、という意味です。 そのとき、心理的な危機を取り扱えますか - 私たちの日常生活に、生ずるものを、です。
13:04 危機とは、何ですか。 あなたは、何を、問題、挑戦と呼ぶのでしょうか。 危機は、私たちの過去の不適切な注意の産物です。 危機、問題、挑戦。 私たちは、いかにそれらに、向き合いますか。 そのほうが、危機より確かに、重要です。 私たちはいかに、危機に向き合うのか、私たちはいかに、問題を見つめるのか、 ですね? あなたは、それに同意されるでしょうか。 私たちが、いかに問題に接近するのか、です。 私は問題を持っていて、 私は、その問題を、特定の形で解決したいと思うなら、 そのとき私は、問題に出会っていません。 私は、その問題を、私の形で解決したいと思います。 私の快適さのため、私の利己性のため、 私の幸福のために、です - 心理的にも、物理的にも、です。 で、私たちがいかに問題に接近するかを、 見出すことが、重要でないですか - 問題ではなく、私たちがそれに近づくことを、です。 接近は、近づくことを、意味しています。 私たちは、いかにそれに、接近しますか。 私たちは、すでに問題の解決へ条件づけられてきた頭脳でもって、 それに接近しますか。 理解されますか。 私たちは、それに入ってもいいですか。 おそらく、あなたは前に、講話で、これを聞いてきたのでしょうが、 私たちはもう一度、それを反復してもいいですか - あまり退屈しすぎないで、です。 子ども時代から、私たちは、問題を解決するよう、訓練されます。 教育の体系全体が、問題を解決するためです。 数学的な問題、科学的な問題、 生物学的な問題、建築的な問題、です。 で、私たちの頭脳は、問題を解決するように、条件づけられています。 で、頭脳はすでに、問題の解消へ条件づけられています。 それは、自由に問題を解決できません。 それは、問題を解決するよう、条件づけられています。理解されますか。 これは、明らかなのかと、思われます。 はい、と言わないでください。 問題。その問題(プロブレム)という言葉の意味は、 何か、あなたへ投げつけられたもの、という意味です。 その言葉(プロブレム)の語源的な意味は、 何か、あなたに向けて投じられたもの、 投げつけられたものです。 もしそれが、防衛的な反応であるなら、 あなたは、退きます。 あなたは、引き締めます。 が、あなたが、問題を見つめる自由を、持っているなら - 問題の解消、ではない。 話は明らかになっているのかどうかと、思われます。はい? - そのとき、頭脳は、問題を解決するための自らの条件づけより、自由です。 ゆえにあなたは、それに新鮮に接近します - 理解されますか - 問題を持たない頭脳を、持つように、です。 そのとき、それは、問題を解決できます。 しかし、それは、問題を持っているなら、 どの問題をも、解決できません。 それが、起きつつあることです- 政治的に、宗教的に、です。 よろしいですか。 すべて、上下します - 私たちの社会構造や、科学、ビジネスです。
18:02 で、私たちは、訊ねなければなりません - 私はいかに、問題に接近しますか。 恐れをもってか、願望する解決をもってか、 何か、私に、もっと利得を与えてくれるだろうものをもって、です - ビジネスの世界においてか、心理的な世界において、です。 で、頭脳が、自らの条件づけより自由であるなら、 そのときそれは、どの問題をも解決できます - 問題の解決において、もっと多くの問題を創り出すことなしに、です。 理解されますか。 見てください。 それは、相当に単純です。 世界で政府がしていることを、見てください。 彼らは、一つの問題を解決しようとします。 その問題のまさに解決の中で、 彼らは、他の問題を1ダース、もたらします。 語り手は、幾人もの上の政治家たちと 議論してきました。 彼らは、選挙されるために、投票に依存しています - ゆえに、彼らは・・・ 私は、この種類のことを、つづけてもいいですか。 ここのあなたたちは、政治家ではないですか。 私たちのほとんどは、政治家です。たしかに。 で、起きつつあることは、- 世界中で、ですが - 人間たちにとって、大変不幸にも、 問題を解決するよう、条件づけられている、これら政治家は、 もっと多くの問題を、もたらします。 私たちは、彼らの幾人かと議論してきましたが、 彼らは、この問いがまったく分かりません。 なぜなら、この国には、こうも多くの問題が、あるからです - 貧困、過剰な人口、 産業的な落ち込み、そうね、GNP(国民総生産)などです。 で、私たちは、問題を、見つめられますか - 自分へ投げつけられた何かを、自由をもって、です。 そのときあなたは、問題を解決するでしょう。
20:41 質問者は、さらに訊ねます - 単なる個人は、いかに全体を、変化させ、影響させられますか。 これは、私たちのお気に入りの質問の一つです。 それは、こういう意味です - 私は、全体に影響できないなら、私が変化する意味は、何ですか。 それは、良い弛んだ考え方です。 まず第一に、この問いに答えるには、 問題全体に、きわめて深く入らなければなりません - 私たちは、そもそも個人であるかどうかに、です。 どうぞ、それを取り上げ、これを問うてください。 私たちは、分離した人間たちですか。 物理的に、私たちは、そうです。 生物学的に、そうです。 あなたは、男です。 私は、女です。 または、あなたは、子どもです、などと。 あなたは、別個の銀行口座を、持っているかもしれません。 私は、口座を持っていないかもしれません。 あなたは、とても良いビジネスを、するかもしれません - 特にこの国では、テーブルの下で、です。それらのことを、ご存知です。
22:01 で、生物的に、物理的に、私たちは、分離しています。 あなたは、背が高い。私は低い。あなたは利発だ。私はそうでない、などです。 心理的に、内的に、私たちは、個々人ですか。 どうぞ、これを問うてください。 私は、私たちの条件づけを、知っています。 長い時の期間をとおして、ずっと、私たちは、条件づけられてきました - 心理的に私たちは、分離した個々人であると、考えるように、です。 私たちの個人的な救い、 魂、自我、アートマン、そうね、 分離した個人主義的な心理的態度の構造すべて。 私たちは、それを問うています - 私たちは実際に、個々人であるのかどうか、です。 あなたの名前は、私のより違っているかもしれません。 あなたの文化は、違っているかもしれません - それは、表面的な上塗りです。 あなたは、何かとてつもないことに、注目したことがありますか - すなわち、この国で起きてきたことに、です。 あなたは、何かに注目したことが、ありますか。 この国は - あなたたちがそれを好きでも、好きでなくても - 三千年から五千年の文化を、持ってきました。 良いか、悪いか、それは、論点ではありません - バラモン的か、非バラモン的かは、です。 バラモンに反対や賛成しないでください。私は、そうしていません。 私はただ、一定の文化があったことを、言っています そして、一夜にして、それは消えてしまったのです。ですね? 完全に去ってしまいました。 なぜですか。 変化があってはならない、ということではない。 それを利用した人々が、 押しのけられるべきではない、ということではないが、 その言葉「文化」(カルチャー)の意味、育成です。 花の育成(カルチャー)、人間の育成(カルチャー)。 そのすべてが、この国では、完全に去ってしまいました。 で、文化は、かなり表面的で、 伝統的です。 言語的な反復です。 で、これには、けっして、深みがあったことが、ありません - 歴史的に観察されることから、です。 で、あなたは、観察したことが、ありますか - そういうわけで、私はできるなら、お訊きしたのです - あなたは、このふしぎな事実を、観察したことが、ありますか - 世界中で起きつつあることを、です。
25:22 で、私たちは、分離した心理的な個々人ですか。分離した魂ですか。 私たちがそれに入っても、気になさいませんか。 あなたは語り手に聞こうとしている、のではなく、 私たちはともに働いています。どうぞ。 私は、こう言っていいなら、語り手は、あなたの導師ではありません。 彼は、従う者を、持ちません。 これは絶対的に、明らかにされなければなりません あなたは、従いたいと思いますが、 語り手は、しないでください、と言います。 語り手は、あなたの導師ではありません。 彼は、あなたが何を考えたり、したりすべきかを、教示していません。 ともに、進行しましょう。 ゆえに、私たちはともに、働いて、これらの問いを解くなら、 そのとき、あなたは教師と学徒に、なります。 これを理解されますか。 すなわち、このきわめて複雑な疑問を、究明する中で、 - 私たちは個々人であるのかどうかを、ですが - ともに究明する中で、あなたは、学んでいます。 学ぶ過程の中で、あなたは、 他の人たちに教示したい、他の人たちに語りたいと思います。 で、あなた自身が、同時に導師と学徒になります。 これを理解されるのかどうかと、思われます。 それで、知る者と、知られていないものとの間の、 このひどい分割は、不条理になります。 あなたは、数学を知っているかもしれません。私は、知りません。 あなたは私に、情報を与えます。 私はそれを、受け入れます。 が、私たちは、心理的に、そのように組み立てられていません。 私たちは、生きものです。 で、私たちは、見つめて、 自分たちが個々人であるかどうかを、見出さなければなりません。 それは、こういう意味です - 個人性について、懐疑的な態度を、持たなければなりません。ですね? さて、私たちの意識は- それは、私たちなるものです - 無意識的なものも、意識的なものも、どちらも、私たちなるものです。 意識は、作り上げられています- 私たちのすべての信念、 教義、理論、理想、望み、心配、恐れ、 悲しみ、痛み、慈しみから、です。 それを持っているとして、です。 そのすべてが、私たちの意識です。 それが、あなたなるものです。 ですね? あなたの信念、あなたの伝統、あなたの絶望、 あなたの充足したいとの衝動、あなたの神々、 あなたの充足、追求。 そのすべてが、あなたの意識です。 それが本質的に、あなたなるものです - それへあなたは、名前を付けます。Kや、Yや、Xと。 さて、その意識は、すべての人間により、分かち合われています。 彼らは、苦しみます - 彼らが、ロシアに生きていても、 シナや、アメリカや、他の地方にでも、です。 彼らは、あなたのように、心配をしています。 彼らは、あなたのように、自分の信念を、持っています。 彼らは、怯えていて、苦しみ、涙を流し、笑います。 世界の美しさを見ます - ちょうど、あなたのように、です。 あなたは、世界の美しさが、見えるなら、です - それは疑わしいと思います。 で、あなたの意識は、あなたのではありません。 それは、すべての人間により、分かち合われています。 あなたがそれに同意されるのかどうかと、思われます。 同意するのではなく、その事実を見るのです。 私は海外で教育を受けています。 私の学び、違った文化の、私の表面的な習得、 違った教育 - これはすべて、外側の上塗りです。 が、内側、いわば、肌の内側で、 私は、苦しみます - あなたがそうであるように、です。 私は、心配しています - あなたがそうであるように、です。 - 私はそうではありませんが、仮に、そうだとしています - 私は怯えています。 あなたがそうであるように、です。 私は安全を探し求めています。 あなたがそうであるように、です。 私は、自分の妻とけんかします。 彼女は、私とけんかします。 私たちは感覚的に、互いが楽しい- 性的に、感覚的に、です。 これは、世界中で、起きつつあります - 日本でも、シナでも、インドネシアでも、セイロンでも、 あらゆるところで、人間は、 無意識的に、同じことを、分かち合っています。ですね? ゆえに、彼らは、自分たちが分離していると、感じます。 なぜなら、それは、「私の苦しみ」であるからです。 あなたが苦しむとき・・・ 私の息子が死ぬとき、私は苦しみます。 私は、迷っています。 私は、混乱しています。 私は、寺院へ行くかもしれません - 私はそれは絶対的に役立たずだと、見ます。 が、寺院へ行った後、私は、やはり苦しみます - または、モスクや、教会へ、です。 あなたは、苦しみます。 なぜなら、あなたの妻は、そっぽを向いてしまうかもしれないからです。 で、私たちはどちらも、苦しみます。 苦しみは、私たちの一人一人により分かち合われています。ですね? で、苦しむ中で、どこに個人性が、ありますか。 質問を理解されますか。 これは、明らかですか。 私は、それは自分の苦しみであると、考えたいのです。 それは、あなたの苦しみとは似ていません。 苦しむ中で、私は、孤立した感じです。ですね? あなたは、これらすべてのことに、注目したことが、ないですか。
33:05 質問者: ごめんなさい。 あなたの爪先が痛いなら、私はそれを、感じません。
33:12 K: ええ。その方は、こう仰います- 私の爪先が痛いなら、 当然、私はそれを、あなたと分かち合わない、と。 いかれていらっしゃる。 私は、心理的に、内的に、話しています。 仮に、私は頭痛がしていると、します。 もちろん、あなたは、頭痛がしていません。 あなたは、頭痛が何であるかを、けっして知らないかもしれません。 語り手は、頭痛が何であるかを知らないが、 あなたは、頭痛がしているかもしれません。理解されますか。 が、私たちは、人類の共通の苦しみについて、話しています。 いいえ? 苦しみ・・・ 私たちは、幾千もの戦争を、してきました。 歴史的に、五千年から六千年の戦争が、あったのです。 できるなら、想像してください - これら五千年に、どれほど多くの人々が、苦しんできたのか。 不具になり、涙を流し、 自らの息子、夫を失ったのか。よろしいですか。 私たちは、やはり同じ道を、追求しています。 で、私たちは、人類全体の共通の苦しみを、分かち合います。 ゆえに、私たちは、人類です。 これの美しさを、理解されますか。 どうぞ、ここで、ではありません。 それは、理論ではありません。 それは、全体への思弁的な鑑賞ではありません。 これらは、事実です。 あなたは、旅行できないかもしれません。 あなたは、アメリカへ行き、国民の幾人かへ話をするなら、 彼らは、あなたたちに、そっくり似ています。 あなたは、褐色の肌をしているかもしれません。 彼らのほうが、白い肌をしていますが、 肌の下で、彼らは、地獄みたいな時を、過ごします。 あなたもまた、そうです。 その言葉を使って、すみません。 それは、良い言葉です。 で、どこに、個人性がありますか - あなたが、銀行口座を持っている以外に、です。 あなたのほうが、肌が黒い、背が高い、低い。 ですが、内的に、私たちの意識は、類似しています。 環境、文化などに依存して、修正は、ありますが、 本質的にそれは、分かち合われ、私たちのみんなに、共通です。 で、それを悟るとき- 観念として、 理論として、理想として、ではない。よろしいですか - そのときあなたは、ものすごく責任能力を、持ちます。 ですね? たぶん、私たちは責任を、持ちたくないのです。 ゆえに、私たちは、自分自身の個別の集団について、話します - 個別の達成、個別の野心について、です。 それが、世界をバラバラに引き裂いています。 これらに注目なさるのかどうか、私は知りません。 私たちは、自分自身の個人存在について、ひどく自惚れているので、 世界は、壊れてしまっています - 小さな集団に、小さな個々人に、です。 けっして、人間存在全体の感じが、ないのです - 人間たちのが、です。 ですね? さて、私たちは、質問に答えてきました。 すなわち、私たちは、問いを究明してきました。 ゆえに、答えは、問いにあるのです。 問いの外側に、ありません。 これをお分かりになるのかどうかと、思われます。 で、問う能力、芸術を持つことは - 理解されますか。 芸術です - それで、あなたは、他の人を頼みにしないのです。 あなたは、全体へ影響するのです。 質問者は、こう仰います - あなたが、そうするなら、どんな効果が、ありますか。 そうね、私は、「あなた」という言葉を、使わないでしょう。 もし、根源的な変化が、意識にあるなら、 あなたは、その意識より外へ踏み出しつつあります - 貪欲、妬み、それらより、です。 頭脳が、その外へ踏み出すとき、 それは、残りの性質に、影響します。 すなわち、ヒットラーは、世界全体に影響してきました。ですね? キリスト教徒、イエスは、 世界の一定の地方に、影響してきました。 ブッダは、影響してきました。 アッティラ、ナポレオン、 あなたたち自身の王たちは、世界に影響してきました。 理解されますか。彼らはみんな、いわゆる分離した個々人です。 彼らは、人間の意識に、ものすごい効果を、持ってきました。 で、こう訊ねることは、愚かしいのです - 「私の変化は、どんな効果を、持ちますか。 それは、社会を変化させるのでしょうか」と。 社会は、あなたたちにより創り出されています。ですね? あなたたちの貪欲により、あなたたちの妬みにより、 あなたたちの競争したいとの欲望、非情さによって、です。 残忍です。それが、社会なるものです。 で、社会主義者、共産主義者と、 民主主義者さえも、環境を変化させようとします - それが、人間の振るまいに影響するだろうと、望んで、ですが、 そうなっていません。 で、私たちの日常意識の流れの中から、踏み出すことは、 意識を、変化させることです。 ですね? みなさんがこれらの問いを、面白がっておられることを、望みます。 ともあれ、すてきな朝です。 で、すばやく事務所へ行く代わりに、あなたは、これから始められます。
40:48 質問2: 「変異は、純粋に、心理的な出来事ですか。 その出来事に、関与した「化学」が、ありますか。 脳細胞自体に、心理的な変化が、ありますか」。
41:06 「変異は、純粋に、心理的な出来事ですか。 その出来事に、関与した「化学」が、ありますか。 脳細胞自体に、心理的な変化が、ありますか」。 すなわち、質問者は、こう訊ねます。 変異、変化は - 変異は、完全な変化を、意味しています。 形の変化、ではない。 理解されますか。 それは、(形を)変容することです - 変容(トランスフォーム)は、 形(フォーム)を変化させることを、意味しています。 「変異」という言葉を、使うとき、それは、完全な変化を、意味しています - 前になかったもの、です。 ですね? 質問者はまた、訊ねます - そこに関与した化学が、ありますか。 まさに脳細胞自体に、変化が、ありますか。ですね? 私たちは、このかなり複雑な問いに、入ろうとしています - あなたが本当に、それに興味があるなら、 この問いに入ることは、大いに面白い。 科学者のように、究明する、という意味で、面白い。 彼は、何かを見つけるために、日々と日々と日々と年々を、過ごしますが、 私たちは、自分たち自身の中へ、そうしません。
42:58 で、彼は、探究しています - 脳細胞こそに、変異が、ありますか。 それは、可能ですか。 脳細胞は、条件づけられていますが、 その変異 - 記憶、経験、知識を持ち運ぶ脳細胞。 それは、根本的に、根源的に、変異させられますか。 問いを理解されますか。私は問いを、明らかにしていますか。 どうぞ、眠らないでください。 見出すのは、本当に、大いにわくわくすることです。 誰か科学者に沿って、ではなく、自分自身の中で、です。 そのときあなたは、際限なく遠く行けます。 内的に、です。理解されますか。 ですが、あなたは、外的に はるか遠くに行こうとしているなら、あまり遠くに行けません。 天体物理学者さえも、天空を、検証しています。 それは、彼らの化学に沿って、 彼らの結論に沿って、です。 が、私たちは、自分自身を探究しはじめるなら - すなわち、私たち自身を知る。 私たちが何であるかを見つけるように、 知る、ものすごい探究を、行う。 誰か哲学者、何か書物、誰か心理学者に沿って、ではなく、 実際に、私たちが何であるかを、です。 そのとき、それの発見の中 - 私たちが何であるかを、です - あなたは、進めます。 それは、無際限です。 理解されますか。
45:09 さて、問いは、こうです- 脳細胞自体が、 変異をもたらすことは、可能ですか。 強制をとおして、ではない。 圧迫をとおして、ではない。 褒賞と処罰をとおして、ではない。 理解されますか。 これらは、すべて私たちの動機です。 そういう動機が、あるなら、そのときそれは、可能ではありません。 そのときあなたは、単に、古い様式を、追求しています。 これは、明らかですか。 いいですか。 まず第一に、私たちは、同意しますか、論点を見ますか。 同意ではなく、論点を、見る - すなわち、私たちの脳細胞は、記憶、知識、 経験を、持ち運ぶことを、です。 私たちの頭脳は、器具です。 経験の倉庫です。 経験から、知識。 知識から、記憶。 記憶から、反応が、思考です。 ですね? 私たちは、初めに、それが見えますか。 こちらで、言語的に、ではない。 私たちは、事実が見えますか。 すなわち、あなたは、どの種類でも、経験をします - 性的なもの、車の事故、 どの種類の経験も、知識になります。 科学者は、一歩一歩、また一歩、 ここ二百年の間、ガリレオなどなどから、 情報、知識を集めてきました。 一歩一歩です。 未来の科学者は、それらから、学びます - 頭脳に蓄えて、です。それが、彼の知識になります。ですね? で、脳細胞は、過去のすべての知識を、収容しています - すべての思い出、記憶を、です。そして、思考です。 思考は - どうぞ、聞いてください。 興味があるなら、です - 思考は、物質的な過程です。 なぜなら、思考は、記憶の中から、生まれるからです - 知識の中から、経験の中からです。 それは、物理的で、物質的です。 で、思考は、物質的な過程です。 語り手は、これについて、幾人もの科学者と、議論してきました。 彼らは、わずかに、ためらいつつ、同意します。 すなわち、思考は、物質的な過程である、と。理解されますか。 が、彼らは、完全には参与したくないのです。 なぜなら、それは、かなり危険すぎるからです。 それは、彼らの生計に、影響します。 それは、彼らの地位に、影響します。 それは、彼らの生活の構造全体に、影響します。 が、それは、事実です。 科学者を別として、 語り手を別として、これは、事実です。
48:51 さて、質問者は、訊ねます - それらの細胞は、人類のすべての過去、 すべての経験を、持ち運んできました。 ものすごい知識をもたらしてきた、経験すべてが、 脳細胞に蓄えられていますが、 それらの脳細胞に、変異が、ありえますか。 それは、理解されましたか。 あなたが、それに答えてください。 あなたが、その問いに答えてください。 私は、大変尊敬をこめて、あなたに、 その問いに答えるよう、お願いしてもいいですか。 すなわち、私は、北へ行っています。 私は、ここ一千年の間、北へ行ってきました。 それが、私の方向です。 そしてあなたが、やってきて、私に語ります - 「おーい、 君がそのように進んで行くなら、そこには、何もないよ。 東か南へ向かいなさい。 すると、何かを発見するかもしれない」と。ですね? で、私が向きを変えるとき、 私はすでに、変異をもたらしたのです。 理解されますか。 それは、さほどに単純です。 これを理解なさるのかどうかと、思われます。 私は、生涯ずっと、私は個人であると、考えてきました。 あなたが、やってきて、私に事実を示します。 そして私は、「おやまあ、あなたは正しい」と、言います。 そして、私は変化したのです。よろしい? 私が見た・・・真理の知覚が、あった瞬間、 変異が起きつつあるのです。 これをご覧になるのかどうかと、思われます。 が、私が、自分の北へ行くことへ、拘るなら、 変異は、ありえません。 それは、反復です。 ところが、私はあなたに聞くなら、 私は、「ほら、あなたは、もはや個人ではない」と、言います - 「あなたは、残りの人類です。 あなたは、人類です」と。 あなたは私に、それの美しさを、示してくれます - この悟りの中から生まれる愛、慈悲を、です。 そのとき私は、北を去ったのです。 そのとき、変異が、起きつつあるのです。 これをご覧になるのかどうかと、思われます。 それは、意志の行為ではありません。 ですね? それは、欲望の行為ではありません。 それは、あなたが、真実であることを、知覚するとき、 訪れる行為です。 よろしいですか。 これらをご覧になるのかどうかと、思われます。
52:12 聴衆: 真理を知覚するのは、何ですか。
52:22 聴衆: 知覚者は、誰ですか。

K: 古き良き疑問です。
52:27 知覚者は、誰ですか。 あなたは私を、罠にかけたいですか。 たくさんの笑顔が、見えますね。 あなたが、あの樹を見つめるとき、知覚者は、誰ですか。 あの樹を見つめてください。 気をつけて、それを見つめてください- あなたが気にされないなら、です。 私を、見つめないでください。 私はあなたに、樹を見つめるよう、頼んでいます。 あなたは、あの樹をどのように、見つめますか。 あなたは、「樹」という言葉を、使ってきました - それを、あなたは、大地から成長してくるものすべてに、付けてきました。 で、その言葉は、その樹より、重要になったのです。ですね? 「樹」という言葉が、ないなら、 言葉がなくて、あなたが見るなら、何が起きますか。 質問を理解されますか。 私は、あのものを、見つめてきました - ここ五十年の間、それを、樹と呼んで、です。 そして、あなたが、来て、 「樹という言葉をもって、それを見つめないでください」と、言います。 私は、「私はそのように、それを見つめられません」と、言います。 なぜなら、私は、樹という言葉に、こうも慣れているからです。 私は、見るとき、「それは樹だ」と、言いますね。 あなたは私に、頼んでいます - 「そうしないで、それを見てください」と。 その言葉なしに、それを見つめてください。 あなたの妻を、その言葉なしに、見つめてください。 または、あなたの夫や彼女を、です。 あなたが何を持っていても、です。ですね? で、私たちの頭脳は、言葉のネットワークです。ですね?
54:43 私は、ヒンドゥー教徒です。 私は、共産主義者です。 いえ、ここに、ではない。 みなさんはあまりに、ご立派です。 私は、共産主義者です。 私は、社会主義者です。 私は、ドイツ人です。 私は、カトリックです - 言葉です。 さて、これらを見守っている観察者は、誰ですか。 それが、あなたたちが、ちょうど今、訊ねた疑問です。 観察者は、何ですか。 観察者は、誰ですか。 その問いに答えてください- 観察者は、誰ですか。 あなたは、「私」と言います。 または、観察者が、ありますか - 「私」、証人、観察している者が、です。 観察者は、誰ですか。進んでください。観察者は、誰ですか。 あなたの過去の知識です。 ですね? ですね?そのとおりですか。 あなたの過去の記憶、あなたの過去の思い出です。 で、観察者は、過去です。 それは、事実です。 あなたは、私に同意していません。 事実を見てください。ですね? 過去は、現在を見つめている観察者です。ですね? で、過去と現在の間に、分割が、あります。ですね? それを見てください - 初めに、論理的に、です。 そのときあなたは、実際に、それの実在を、見るかもしれません。 観察者は、いつも過去です。ですね? 彼が観察するものは - 私は今すぐ、例を取ろうとしています。 すると、私たちは分かるでしょう - 彼が観察するものは、やはり、過去です。 なぜなら、彼は、過去からそれを、見つめているからです。 ゆえにそれは、やはり、過去です。 これをご覧になるのかどうかと、思われます。後生です。さあ! いいですか。 さて、そこから、動きましょう。
57:25 それは、とても良い観念です。 すばらしいことです - あなたがいつも、過去でもって見つめていることは、です。 で、現在は、過去です。 そして、現在は、過去と現在と未来を、収容しています。 私は今、それに入らないでしょう。 それは、あまりに複雑です。 当面の間、それは、放っておきましょう。 私は、怒っています。 怒りは、私より異なっていますか。 私は、嫉妬しています。 その嫉妬、嫉妬と呼ばれる、その反応 - それは、私より異なっていますか。 進んでください。 答えてください。 または、それは、私の一部ですか。いいですね? 怒りは、私の一部です。 嫉妬は、私の一部です。 性欲は、私の一部です。 野心は、私の一部です。 ですね? よろしいですね?で、私は、それらです。 で、観察者は、それらです。 いいえ? で、観察者と観察されるものとの間に、何も違いは、ありません。 はい。知的に利発であって、動いてください。 質問を理解されますか。 私は、あの樹を、観察します。 幸運にも、私は樹ではありません - 私が、精神病的に、 私は樹であると、考えるのでなければ、です。 そう考える人々は、たくさんいます。
59:31 私の怒りは、私です。 私は、怒りより自分自身を、分離します。 そのとき私は、「私は怒っていた」と、言います。 ですね? 分離が即時に、起きつつあります - 「私は怒っていた」と。 ですが、怒りは、私です。 で、観察者は、観察されるものです。ですね? これは、単純でないですか。 論理的に、それは、とても単純ですね。 ですが、あなたが、注入(適用)しはじめるとき、 厄介が、始まります。 なぜなら、怒りが私であるなら、 私は、それについて何を、できますか。 私は、何もできません。 が、私は、 それについて、何かをすることが、慣習になってきました。 ゆえに、私は、葛藤を持っています。 ところが、怒りは私であるなら - すなわち、「私」と怒りが、同じであり、 ゆえに、二元性はない。 分離はない。 そのとき、葛藤はありません。
1:00:56 分離があるときだけ、葛藤は、存在します。 ですね? そんな悩んだ顔をなさらないでください。 葛藤は、存在します - あなたと他の一人の間、 ヒンドゥー教徒とイスラム教徒としての あなたたちの間に、です。 なぜなら、あなたたちは、分離しているからです - ヒンドゥー教徒として条件づけられ、 イスラム教徒として条件づけられています。ですね? ユダヤ人とアラブ人、です。 で、どこでも分割が、あるところ、葛藤が、あるにちがいありません。 それは法則です。ですね? で、経験者は、経験です。 ですね?思考者は、思考です。 思考者は、彼の思考より、分離していません。 これらに、付いてきておられますか。 当然、これは、何か新しいことです。 あなたはそれを、受け入れないでしょうが、 それを見つめてください。 どうぞ、見出してください。 語り手がそう言うから、ではない。 語り手が何を言おうとも、それを疑ってください。 それを問い、バラバラに引き裂いてください。 見出してください。 「彼が何について話しているかを、 私は知らない」と、言わないでください - または、「彼は、不二一元論、ヴェーダーンタや 何か他の戯言を話している」と。 見出してください。 それは、葛藤が終わりうるのか どうかを、探究する、という意味です。 私たちは、葛藤の中に、生きます。 その葛藤は、終わりえますか。 分割がないときだけ、それは、終わりえます - 「私」がなく、「あなた」がないとき、です。 これを理解されますか。 これが極度に困難であるのを、 私は知っています - 人々がこうすることは、です。 なぜなら、彼らは、自分の自己中心的な活動に、 こうも捕らわれているからです。
1:03:30 私たちは、根本的な変化、変異が、あると、言いました - 条件づけの鎖が、壊れるとき、です。 その鎖は、意志により壊れなくて、 きわめて注意深く、それを観察することによって、です。 分析をとおして、ではありません。 なぜなら、分析者は、分析されるものであるからです。 ですね? それで、根源的な変異が・・・ 変異が、あります - あなたは事実が見えて、 一歩一歩、事実を追求するとき、です。 注意を注ぎ、気づかって、です。 あなたは、何かを愛しているなら、それを気づかいますね。 私は愛しているなら、見出すのです。 私の妻が忠実であるのかどうか、私は、見出します。 が、私は妻を愛しているなら、私は、気にしないでしょう。 あなたは、これらを理解されません。 で、変異が、起こりえます - 完全に違った頭脳であるように、です。
1:05:17 あなたは、頭脳の退廃を、探究したことが、ありますか。 あなたは、それについて考えたこと、 なぜ頭脳が衰退するかを、訊ねたことが、ありますか。 あなたたちの頭脳は、衰退しつつありますか。 どうぞ、私を見ないでください。 あなたたちの頭脳は、衰退しつつありますか。 衰退の要因は、何ですか。 葛藤です。ですね? 頭脳は、とてつもない器具です。 それがテクノロジー的に、何をしてきたのかを、見てください - 人間たちの利益のためと、破壊のために、です。 ものすごい前進です。 で、頭脳は、とてつもない能力を、持っています。無際限の能力です。 しかし、私たちは、一つの方向を、取ってきました。 私たちは、もう一つの方向を、取ってきませんでした - すなわち、内的に、です。 理解されますか。 で、自らが、葛藤、反復を理解するとき - 同じ古い伝統を、追求して、です。 レコードのように、反復し、反復し、反復し、反復する。 プレーヤー、レコード盤は、劣化します。 新しい盤が、発明されました。 それは、けっして悪くならない、擦り切れない。レーザーを使って、です。 私はそれらに、入らないでしょう。 それは、あまりに高価です。 で、私たちの頭脳は、レコード盤になってしまったのです - 反復に反復に反復をしつづけるものに、です。 一番の知識人さえも、 ここにいる、知的な人々すべて、 理論家すべて、哲学者すべても、反復します。 彼らは、決まり文句を、見つけてきました。 彼らは、体系を見つけてきました。 そして、進んでいきます。 それは、頭脳が衰退する要因の一つです。 それは、私がこう言うのに、似ています - 「世界には、正義がなければならない」と。 ですね?正義が、です。 私は、世界に正義がなければならないと、反復しつづけます。 私は政治家であるなら、 私は、見出し・・・正義をもたらすであろう法律を、通します。 私は、そもそも正義があるのかどうかを、けっして問いません。 私が言っていることを、理解されますか。 世界に、正義はありますか。
1:08:35 聴衆: いいえ。

K: もちろん、ありません。 あなたは、背が高い。 私は低い。 あなたは、利発だ。 私は、そうでない。 あなたは、豊かな家族の良い生まれですが、私はそうでない。 あなたは、利発ですが、私は、そうでない。 あなたの前には、世界が拡がっている。 私は、小さく狭い村に生きている。 教育もなく、貧しい。 どこに、正義がありますか。 あなたは、安全すべてを、持っているが、私は、何も持っていない。 一日一食です。さあ、見つめてください- どこに正義が、ありますか。
1:09:22 聴衆: 神様が、正義を行ってくれたかもしれません。
1:09:30 K: 神様。 神は、思考により創り出されています。 あなたが、それを好きでも、好きでなくても、それは、事実です。 あなたが、何も恐れを持っていないなら、神は、ありません。 あなたは、恐れを持っていないなら、寺院へ行かないでしょう。 私は今、その問いへ、入らないでしょう。 愛は、時を持ちません。 ですね? ですが、私たちは、何をも、愛していません。 あなたは、自分の妻を愛していないのでしょう。 あなたは、誰かを愛していますか。 執着でない、あなたは私を使う、 私はあなたを使う、のではない意味において、です。 愛は、嫉妬を持ちません。 あなたたちは、そのように、誰かを愛していますか - 自分の子ども、妻を、です。 あなたは、自分の神を、愛しさえしません。 なぜなら、あなたは、彼らにこうも怯えているからです。 あなたは、近くのこの寺院へ、行きます - これらの黄金を見る・・・ 理解されますか。 三日で百万ドルです。 そして、この神、お金。 で、愛は、理想ですか。 これら、私がする質問に、答えてください。 もしも、あなたたちが、自分の子どもを、愛していたなら、 血なまぐさい精神で、ではなく、心でもって、彼らを愛していたなら、 あなたたちは、戦争をするでしょうか。 この国に、このおぞましい貧困が、あるでしょうか。 愛は、自己中心的な活動と、何の関わりも、ありません。
1:12:25 聴衆: あの・・・

K: 話を終了させてください。 で、愛があるところ、観察者は、ありません。ですね? なぜなら、愛は、過去の思い出ではないからです - 性的な興奮や、 性的や他のどの形の思い出でもないのです。
1:12:59 聴衆: 質問をしてもいいですか。

K: はい。
1:13:03 聴衆: あなたは、愛と慈悲を持っていると、主張されます。 あなたは、貧困について、何をしてきましたか。
1:13:08 K: その方は、お訊きになります - あなたは、愛と慈悲を持っているように、思われます。
1:13:12 聴衆: ように思われるではなく、あなたは、主張します。
1:13:14 K: ええ。あなたは、質問をされました。 あなたは、貧困について、何をしてきましたか。 はい。あなたの質問は、理解します。
1:13:23 聴衆: 私の質問を、完成させましょう。 なぜなら、あなたは、格好良く生活するからです。
1:13:28 K: ええ、知っています。

聴衆: あなたはいつも、格好良く生活してきたからです。
1:13:31 K: ええ。お許しください。 それは存じています。 私は、これらすべての問いに、答えるでしょう。 その方は、お訊きになります - あなたたちは、興奮しつつあるでしょう。 あなたたちの顔に、それが見えます。 あなたが何であるかが、見えますか。 あなたは、現実に目覚めないが、あなたは、これに目覚めます。
1:14:02 聴衆: これは現実です。

K: 理解します。どうぞ。
1:14:05 あなたは、質問をされたのです。 あなたは、よくぞ、質問をしてくださいました。 私はそれに、答えようとしています。
1:14:12 聴衆: 私は、これが現実だと言ったんです。 

K: はい、私もそうです。
1:14:16 私は今朝、ずっと、現実を取り扱っていました。 で、私はそれを、飛ばさないでしょう。 私はそれを、疑わないでしょう。 質問者は、仰います - あなたは、愛と慈悲を持っているようです。 どうぞ、あなたは、質問をされました。それで十分です。
1:14:37 聴衆: あなたは、言い間違えています。 私は、あなたは持っていると主張すると、言いました。
1:14:41 K: いいえ。あなたは、ように思われると言いました。 

聴衆: いいえ。
1:14:43 K: 私はそれを主張しません。 よろしいですよ。「私は主張します」。 私はそれを、主張したことが、ありません。 あなたが、持っている「ように思われる」と、言ってくださったら、
1:14:54 よかったと、思います。

聴衆: いいえ。
1:14:57 K: 「あなたは主張します」
1:15:00 聴衆: あなたは、迷惑です。

聴衆: あなたは、迷惑です。
1:15:03 K: 私は、この方を存じています。私は前に、彼に会ったことが、あります。 あなたは、愛と慈悲を持っていると、主張します。 語り手はけっして、それを主張したことが、ありません。 それは、衝撃的に不条理でしょう - 何かを主張することは、です。 それは、私のほうが、あなたより良い、という意味です - 私は、何かあなたより違ったものである、と。 で、私は、主張していません。 語り手は、何一つ主張していません。 その方は、こう仰います -あなたが主張されるようなら、 あなたは、貧困について、何をしてきましたか。 私の問いに、答えてください。 あなたは、貧困について、何をしてきましたか。 私が何をしてきたのか、ではなく、 あなたは、貧困について、何をしてきましたか。 あなたたちの一人一人が、です。 いろいろな種類の貧困が、あります- 物理的な貧困と、 心理的な貧困です。 理解されますか。 頭脳の貧困と、物理的な貧困。
1:16:33 初めに、どちらのほうが、重要ですか。

聴衆: どちらも、です。
1:16:37 K: いえ、どうぞ。私が答えています。 あなたがそれを、言わなくていい。 あなたは、質問をされました。 それで、構いませんか。 私がそれに答えています。 私たちはいつも、言ってきました- 「初めに貧困を解決しろ」と。 これは、この国の叫びであったのです。 社会改革者、社会事業者、農村教育者。 初めにそれを解決しろ。 残りは、すべて戯言だ、と。 さて、この国には、なぜ貧困が、存在してきましたか。 誰の過失ですか。 それは、政府ですか。 私たちの一人一人ですか - この甚大な貧困、過剰人口を解消するのは、です。 それは、良い政府の機能ですか。 理解されますか。私は、これらすべての質問を、しています。 または、分離した人間として、 小さな村の学校、農村学校で、始める。 それが、問題を解決するのでしょうか。 または、全的な心理的変化が、起きなくてはいけませんか - 私たちが、この問題を解決する前に、です。 質問を理解されますか。 (社会主義の)ロシアには、貧困がありますね。 (先進国の)アメリカには、貧困が、あります。 ヨーロッパには、イングランドには、ものすごい失業が、 イングランドには、貧困があります。いいですか。 これは、いかに、解決されようとしていますか。 貧困は、食べ物の不足、衣服の不足、住宅の不足を、意味しています。 誰が、それを、解決しようとしていますか。 あなたと私は、別々に、小さな所で行動しています。または - どうぞ、気をつけて、見つめてください - または、それは、普遍的な問題です。ですね? それは、世界全体の問題です。 全世界は、何をもしません。 なぜなら、私たちは、民族主義的であり、 経済的に、社会的に、分離しているからです。よろしいですか。 で、解決は、単なる個別的活動には、ありません。 この経済的、社会的、政治的な分割、人種的な分割を、 終わりにすることに、あるのです。 それは、全世界により解決されるべき問題です - 分離した個々人によってとか、 分離した政府によって、ではありません。 これは、論理的です。 またこれは、慈しみ、気づかいの感覚を、含意しています。 さて、次の問いです。
1:20:03 聴衆: はい?

K: あなたは、終了なさいました。 あなたは、豪勢に生活しているように思われますと、仰いましたか。
1:20:12 聴衆: 格好良く、です。

K: 格好良く。 あなたは、格好良く生活するように、思われます。 その、格好(スタイル)という言葉はどういう意味で、仰いますか。 私は、あなたにお訊きしていません。 格好(スタイル)は、持たなければなりません。 あなたの歩き方、あなたの見つめ方、 あなたの身振りの仕方、あなたの話し方、 あなたが振るまってきたさま。 そこには、格好があります。 良い舞踏家のように、です。 彼は、格好(スタイル)を持っています。 あなたは、格好へ、何の異議を言いますか。 あなたが、格好を持っていないからですか。
1:21:08 聴衆: 格好に伴う贅沢です。

K: 贅沢は、格好に伴いません。 どうぞ、終了させてください。 あなたは後で、続けられます - 私とでは、ありません。 格好(スタイル)は、贅沢を、意味していません。 格好は、特定の形で生きることを、意味しています - 利己的でないように、個人的でないように、です。 格好(スタイル)。 住宅を建てる建築家は、スタイルを持っているなら、 彼は、最も美しいものを、作ります。 あなたが、誰かを愛しているなら、 それは、自体のすばらしい格好(スタイル)を、持っています。 私たちのほとんどは、こうも見かけ倒しであるから - 内的にも、外的にも、です - 私たちは、すべての格好と威厳を、失ってしまったのです。 私は、問いに答えました。 すみません。私たちは、二つの質問に、答えただけです。