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MA8384Q2 - 第2回質疑応答会合
インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月5日



0:10 私は、忘れてしまうところでした。 これらの問いを究明する中で、 私たちは、対話を行おうとしています。 対話は、二人の人たちの間の、会話です。 あなたは、質問をします。 語り手は、それに答えます。 そのときあなたは、その答えに、応答します。 そして、あなたが、その答えに、応答するとき、 語り手は、あなたの応答に、答えます。 で、この過程、 問い、答え、答える中で、 そして、答えることこそが、問われつつあります。 で、これが、進みつづけます。 ついに、質問者と語り手が、どちらも、すっかり消えてしまい、 問いだけが残るまで、です。 理解されますか。 私はこれを明らかにできるのかどうかと、思われます。 それは、とても重要です - すなわち、問いが、いわば留保されたままに、留まることが、です。 そのとき、あなたは、質問をする。 語り手は、その問いに答える。 あなたは、その答えをとおして、その問いに応答する。 これに付いてきていますか。 いいえ、そうでないと思います。 どうぞ、これは、かなり錯綜しています。 私は、これをどう伝えていいのかを、知りません。 それで、私たちが本当に、この問題、この問いを、理解するように、です。 なぜなら、問い、答える中で - 私たちの一人一人から、ですが - ついに、あなたと語り手が、もはや重要でなくて、 問いだけが残るまで、です。 そして、問いは残るにつれて、それは活力、エネルギーを、獲得します。 これを理解されますか。 私たちは、今朝、試そうとしています。 あなたは、手を振るのを、終了なさいましたか。 これは、かなり深刻な問いです - 私たちがお示ししているものは、です。 すなわち、重要なのは、 私たちは質問をしなければならない、ということです。 あなたが、そもそも真剣であるなら、です。 そして、問う中で、 答えは、正確なのか、不正確なのかもしれませんが、 あなたは、その答えに、応答しなければなりません。 そのとき、あなたが応答するとき、 そのとき、語り手は、あなたが応答したことを、問います。 で、この過程の中で、質問者としてのあなたと、 応答する私は、すっかり消え去ります。 それで、問いだけが、残っています。 それを理解されますか。 私たちはそもそも、これに出会いますか。 少なくとも、私たちの数人かは? なぜなら、私たちは、けっして質問をしないからです。 すなわち、私たちは、答えに、快適であってほしいと思います - ふさわしく、都合よく、希望に満ちてほしいと。 が、問い、答える中で、そのすべてが、消え去ります。 私たちは、何が真実であるかを、見出そうとしています - 何が事実であり、何が正確な答え、正確な応答を、精密に、です。 で、それを見出すには、あなたと私は全的に消え去らなければなりません。 問いと答えのみが、残ります。 分かりますか。 あなたたちの幾人かが、それを分かってほしいと、望みます。
6:00 うるわしい朝です。 雨がぽつぽつ。そして、大地は、豊かで、美しい。 そして、これらの樹々と関係を持つには、 - 自然と、 おそらく今朝、ご覧になったあれらすばらしい雲と、です - 美しさに満ち、光に満ち、驚異的な形、です。 私たちはけっして、これらのものを、見つめません。 私たちはあまりに、自分自身に、関心を持っています。 そして、私たち自身を乗り越えるには、 大変多くの思考、探究などが、必要とされます。 私たちは、理論や原理や観念を、取り扱っていません。 私たちは、私たちの日常生活を、取り扱っています。 私たちの日常生活を、何か理論、何か教えへ、合致させていません。 それが、ブッダの教えであっても、 他の誰かの教えであっても、です。 私たちは、他の人たちの教えに、関心を持っていません。 私たちは、いかに生きるのかを、 自分自身で見出すことに、関心を持っています - 葛藤なく、痛みなしに、です。 それは、どの理論にも、依存しません。 特にこの国では、あなたたちは言葉によって、生きます - 文句、他の人々が言ってきたことのものすごい知識によって、です。 あなたたちは、注釈で一杯です。 あなたはけっして、自分自身で、発見しません - あなたが、他の人々の概念と原理と教えに、 依存したり、従ったりするとき、です。 で、どうぞ、見出しましょう- 私たちが 比較なく、ゆえに、葛藤なく、 生きられるのかどうかを、です。 私たちが本当に、根源的に、自らの生き方を 変化させられるのかどうかを、見るように、です。 なぜなら、世界は、大きな危機に、あるからです。 あなたがそれについて、すべてご存知なのかどうか、私は知りません。 ものすごい危機です。 物理的な危機だけではなく、 人間たちの意識における危機です。 で、どうぞ、真剣でありましょう - 樹々の間の美しさと光にもかかわらず、です。
9:53 質問1: 「この七年の間、何であれ、私が行おうと試みてきた仕事は、 内的、心理的でも、外面的でも、 ビジネス、財務、教育、家族などの分野においても、 失敗に終わってきました。 私が触れてきたものは、何も潰えてきました。 この事態の原因は、何ですか。 そして、対処法は、何ですか。」
10:35 「この七年の間、何であれ、 私が行おうと試みてきた仕事は、外面的にでも、心理的にでも・・・」 すみません、もう一度、「内的、心理的でも、外面的でも、 ビジネス、財務、教育、家族などの分野においても、 失敗に終わってきました。 私が触れてきたものは、何も潰えてきました。 この事態の原因は、何ですか。 そして、対処法は、何ですか。」 あなたは、この問いに、興味がありますか。 あなたは、この問いに、興味がありますか。 またはそれは、あなたが興味を持たない、他の誰かの問いですか - あなた自身の問いに、興味があるだけですか。 質問者は、訊ねます - 自分が、外的に、内的に、触れてきたことすべてが、 なぜ潰えてきたのか、と。 その原因は、何ですか。 その対処法は、何ですか。 あなたが気をつけて、入るなら、それは、かなり興味深い疑問です。
12:07 私たちはみんな、成功したいと思います。 私たちは、成功の神や、成功の女神を、崇拝します。 政治的に、宗教的に、 そして、ビジネス、科学の分野において、 あなたたちはみんな、認識されたい、 褒賞を得たい、有名でありたいと思います。 あなたが、科学者たちの中を、 見守ったことがあるのかどうか、私は知りません。 彼ら自身の中で、内輪の戦いが、進んでいます - 教授たちの中、ビジネスの人々の中で、です。 私の家族のほうが、あなたの家族より、良い。 そうね、成功したいとの欲望の過程全体、です。 成功とは、何ですか。 どうぞ、私はあなたに、その質問をしています。 あなたがそれに、返事をしなくてはいけません。 みなさんは、返事をできません。 すると、あまりに大声です。私たちは、互いに理解しあわないでしょう。 が、あなたが、それに応答しなければなりません。 私たちがみんな、成功を収めたいと求めるのは、なぜですか。 成功を収めるとは、どういう意味ですか。 それを、あなた自身で内的に、答えてください。 自分の欲望を充足するため、 お金を、もっと多く持つため、 有名であるため、 ノーベル賞を取るため、です。 あなたは、それができないなら、嫉妬深く、怒り、戦っています。 で、成功とは、どういう意味ですか。 あなたは、誰か導師の弟子です - あなたがそうでないのを、望みます - あなたは、そうであるなら、到達したいと思います。 それが何を意味していようとも、です。 あなたは、覚りたいと思います。 それが何を意味していようとも、です。 それは、ビジネスの世界でも、同じ過程です - 心理的な世界でも、いわゆる霊的な世界でも、です。 私たちはみんな、成功を収めたい、 何かを達成したいと思います。 なぜですか。 この裕福な社会の中で、なぜ、このものすごい衝動ですか。 そして、そうでない社会の中で、そうですか。 成功を求めるよう、私たちを推進する、 私たちを駆り立てる、人間的衝動は、何ですか。 どうぞ、それに答えてください。
15:30 それは、権力をとおし、金銭をとおして、 あなたは、自由を持つし、その自由が楽しい、ということですか。 金銭が、とても重要になったのです。 お金を持たないこともまた、重要になります。 権力、政治的な権力、宗教的な権力、 司祭者たちとともに、寺院にある偶像 - そのすべてが、一つの形の権力です。 あなたたちは、みんなそれが、ほしいのです。 何らかの人に対する権力、 そのすべてを、あなたは、成功と呼びます。 あなたは、さほど美しくない。 あなたは、美しくありたい。 などなどなど、です。
16:48 成功は、比較に依存しますか 競争に、ですか。 どうぞ、あなたが答えています。 ビジネスにおいて、です。 あらゆる少年が、試験で成功したいと思う、などです。 それらは、何を意味していますか。 成功したい、達成したい、 なりたいとの、このものすごい衝動。 どうぞ、それに答えてください - なりたい。 私は、これではないが、私は、あれになるだろう。 私は貧しいが、私は猛烈に働こう。 そして、権力、金銭、もっと良い地位を、得よう。 それは、何かになるための、この果てしなくつづく格闘です。 あなたは、法廷弁護士の見習いです。 そのときあなたは、法廷弁護士になりたいと思います。 そうね、私たちが、みんなやるゲームです - 何かになるために、です。 なっていくのは、何ですか。 どうぞ、この問いに、答えてください - あなたたち自身に、です。 なっていくのは、何ですか。 あなたの欲望- 自分の目標を達成したい、 もっと良い地位、身分を達成したい、と。 なっていくのは、何ですか- なっていくものは? 質問を理解されますか。 私は、何物でもないが、私は、何物かに、なるだろう。 「私は何物でもないが、私は何物かになるだろう」と言うのは、何ですか。 質問を理解されますか。 私は、怒っています。暴力的です。 私は、非暴力的になるでしょう。 それが、あなたがやるゲームです。 が、その間に、あなたは、暴力の種子を、蒔いています。
20:14 何ですか・・・どうぞ。 これを、自分自身で見出すことが、重要です。 なっていくのは、何ですか。 それは、欲望ですか。 それが、欲望であるなら - 車を持ちたい、もっと良い住宅を持ちたい、 もっと良い妻を持ちたい、 もっと美しく、もっと従順で、家庭的なのを、と。 で、欲望が、なっていくことの根ですか。 私は、欲望に反することを、何も言っていません。 だから、それを差し控えないでください。 私たちは、互いに問い合っているだけです。 それは、その欲望ですか。 美しい住宅、すてきな庭を、見て、あなたがほしいなら - すてきな庭をもつ美しい住宅を、 あなたが、見たことがあるなら、です。 一本の雑草もなく、美しく保たれている芝生。 あなたは、それを見ます。 あなたは、「神様!私は、それを持てたらなあ」と、言います。 それが、なっていくことです。 ですね? で、欲望とは、何ですか。 どうぞ、あなたがその問いに、答えてください。 で、私は、様々な分野において、成功を収めたいと、欲望します。 または、私が選んだ経歴において、です。 私は、目的を持っています - 長年の終わりに、持たなければならないものを、です。 どんな目標を、あなたが持っていても、です。 あなたは、それを追って奮闘します。 あなたは、子どもを持っていないなら、子どもをほしいと思います。 それは、同じことです- 欲望です。 ですね? 涅槃を達成したいとの欲望、 啓明を達成したいとの欲望、 アメリカへ行きたいとか、 偉大な科学者になりたいとの欲望 - それで、ノーベル賞を勝ち取れるように、です。 よろしいですか。それは、同じ動き、なっていくことです。 で、私たちは、探究しなければなりません - なっていくこと、すなわち、欲望の局面の一つを、だけではない。 そして、欲望とは何ですか。 さて、私は、その質問をしてきました。 語り手は、その質問をしてきました。 それは、そこに残ります。 それは、空気中にあります。 あなたは、その問いに、どう応答しますか。 または、あなたは、その問いが花開き、成長するに、任せますか。 それの含意すべてを、見ますか。 理解されますか。
24:19 あなたは、自分の前に地図を、持っています。 この国の地図、です。 あなたは、自分が行きたい一定の地点や一定の街を、持っているなら、 地図の残りを、無視します。 あなたは、行きたい方向を、持っています。 あなたは、地図でそれを、追求します。 あなたは、けっして地図の全体を、見つめません。 なぜなら、あなたは、ただ一つの追求を、持っているからです。 なぜなら、あなたは成功を収めたい、 あなたは達成したいからです。 あなたは、達成しないなら、何者でもありません。 あなたは、怯えています。 あなたが、自分自身を博士と呼ぶなら、 あなたの家族は、ごろごろ喉を鳴らし、大喜びです。 あなたが、ノーベル賞を取るなら、世界中の新聞すべてが - おそらく、鉄のカーテンの向こう(の共産主義陣営)以外 - あなたの名前を公表します。 あなたは、有名に、豊かになります。 が、それは、同じ動きです。 あなたの欲望が、啓明、覚りへ、であっても、 ノーベル賞へ、であっても、 取るに足りない小さな街で、金持ちであることであっても、です。 よろしいですか。 で、私たちは、訊ねています- 欲望とは、何ですか。 それを理解できるなら - それを抑圧しない、それを制御しない、 それを超越しようとしない。 ただ神だけへの欲望を、持っている僧侶のように、です。 それが、いかなる神であろうとも、です。 彼を駆り立てるのは、あの王国を達成したいとの欲望です。 彼はやはり、欲望の火を持っています。 あなたが持っているように、です。 で、欲望とは何ですか。 見出してください。私は、その質問をしてきました。 あなたは、その問いに、どう応答しますか。 たぶんあなたは、それについて、考えたことさえ、ありません。 たぶんあなたは、一度も・・・ - 私は、大変尊敬をこめて、これを、言っています - あなたは一度も、それを究明したことさえ、ありません。 あなたは、欲望を持っているなら、それを充足したいと思います - そこに関与した問題すべてとともに、です。 あなたは、わずかに道徳的な人物であるなら、 「私は、あの欲望を持ってはならない」と、言います。 あなたは、それを抑圧します。 世界中の僧侶、修道士は欲望を、抑圧してきました。 その欲望を、或る人物像、象徴、 観念、原理と同一視しただけです。 が、それは、やはり欲望です。 で、訊ねましょう。 語り手は、あなたに訊ねています - 欲望は、何ですか。 私を引用しないでください。 そのとき、あなたは、理解していないからです - 他の誰かを引用するなら、です。 語り手は、欲望について大変多く、話してきました。 あなたたちの幾人かは、それらの本を、読んできたかもしれません。 が、言葉は、その事実ではありません。 あなたが読むものは、あなたなるものではありません。 で、より重要なのは、あなたなるものです。 で、戻ってくると、欲望とは何ですか。 そして、それが、私たちの生において、 こうも、とてつもなく重大になったのは、なぜですか。
29:26 聴衆: それは、私が生に意味をほしい、ということですか。
29:30 K: すみません。もう一度。

聴衆: それは、私が自分の生に、 意味を、ほしいということですか- 私が欲望を持っているのは。
29:38 聴衆: 彼女は、こう言いました - 私は自分の生に、意味がほしい、と。
29:42 K: で、あなたは生に、意味がほしい。 それは、あなたが、生に意味を持っていない、という意味です。ですね? あなたは、意味を持っていません。 生は、意味を持っていません。 ゆえに、あなたは、知的にか、別の形で、 生に、意味を与えようとします。 で、あなたが生に、意味を与えるなら、 それは、生ではありません。 あなたが、あの樹に、意義を与えたいなら、 あなたは、あの樹の美しさを、知りません。 あなたが、自分の空っぽな生に、意義を与えたいなら、 あなたは、結婚しているかもしれません。 子ども、その他すべての事柄です。 あなたは、終わりに見つけます - 四十、五十、六十頃であるとき、生は何の意味もない、と。 そのときあなたは、それに意味を与えようとします - 寺院へ行くこと、文学、 ヴァイオリンを弾くこと、絵を描くことによって、です。 あなたのあるがままより逃避するために、何でも、です。 よろしいですか。 私たちは、 あなたの生について、話しています。理論ではない。 他の人々が言ってきたこと、ではない。 で、欲望とは、何ですか。 さあ、どうぞ。 見つめてください。 私たちは、感受により生きます。 感受は、私たちの感覚の応答です。 私たちは、ただ一つか、二つの感覚だけを、使います 眼、視覚や聞こえるのを、です。 感受は、私たちの道です。 感受は、持たなければなりません。 さもないと、あなたは麻痺しています。 あなたたちのほとんどが、そうであるように、です。 麻痺しています - 坂を下っていく国の中で、です。 あなたの神々により、あなたの哲学により、 あなたの生き方により、麻痺しています。 私は、批判していません。 これらは、事実です。 で、あなたが、全的に麻痺しているのでなければ、 あなたは、感受の動きを持っています。 感覚が作動しています。 あなたが、あの樹を見つめるとき - そして、木の葉の中の光の美しさを、です - 応答が、あります。 感受が、あります。ですね? あなたは、美しい女を見るとき、感受を持ちます。 あなたは、きわめて利巧な男を、見るとき - あなたたちのほとんどは、そうです - あなたたちは、きわめて利巧な人々です。 半ば、利巧すぎます。 あなたは、あらゆる物事へ説明を、持っています。 あなたは、分析、説明が上手です。 それらの分析、説明、引用は、あなたの日常生活と何の関わりも、ありません。 で、あなたの理論との間に、大きな隔たりが、あります。 宗教的な概念、哲学的な知識は、 あなたが日々生きることと、いかなる関わりも、ありません。 そういうわけで、あなたたちはみんな、 無意味な生を、生きているのです。 で、進行しましょう。 欲望とは何ですか。 欲望は、どのように生じますか。 欲望と思考との間の関係は、何ですか。 ゆっくり行ってください。私は、これらすべての質問を、しています。 欲望を制御する制御者は、誰ですか。 すべての宗教は、なぜ、 「あなたは、欲望を持ってはならない」と、言いますか - 多かれ少なかれ、異なった用語法で、です。 で、私たちは、欲望の活動を、きわめて深く理解しないのなら - 欲望の対象を、ではありません。 ですね? 話が明らかになって・・・ 欲望の対象ではなく、欲望自体を、です。 子どもは、機関士になりたいかもしれません。 または、一流のピアニストになりたいかもしれませんが、 それはやはり、欲望です。 理解されますか。それなど、です。 私たちは、欲望の対象に、関心を持っていません。 欲望自体に、です。 ですね?
36:38 聴衆: 欲望と生存は、分離不可能です。
36:43 K: 欲望と生存は、分離不可能です。 生存するとは、どういうことですか。 生存するとは、どういう意味ですか。 物理的に、生存するのか。 あなたは、物理的に生存したいし、物理的に安全でありたいのなら、 あなたは、民族性を持ってはなりません。ですね? なぜなら、部族主義、すなわち、栄達した民族主義は、 世界を、破壊しつつあるからです。 ですね? (ソビエト・)ロシアの(共産主義の)理想、イデオロギーと、 民主主義世界のイデオロギーは、人類を破壊しつつあります。 で、安全は、ありません。 あなたは、生存しつつありません。 危険は、そこにあります。ですね? しかし、あなたは、それに盲目です。 なぜなら、あなたは、民族主義が安全であると、言うからです。 で、安全、生存は、あなたがどの国にも 所属していないときだけ、意味を持っています - どの集団にも、どの宗教にも、です。 そのときあなたは、強い人物です - 生物的にも、また、心理的にも、です。 あなたは、自由な人間です。 あなたは、政治家と有権者たちの愚行を、 阻止するのを、助けるかもしれません。 で、進行しましょう。 欲望とは、何ですか。 欲望の起源、始まりは、何ですか。 私は、あなたを見ます。 見ることが、ある - あのサリーやあのシャツの色を、です。 眼で見る。 視覚です。 そして、感受が、ありますね。 すなわち、 私は、あの色が好きでない。 私は、あの色が好きだ、とね。 これに付いてきておられますか。 見る。そこから、感受が生じます。 そのとき、私は、サリーやシャツに、接触します。 それに触れる、という意味で、接触です。 感受、接触。 ですね? この接触から、さらに大きな感受です すなわち、私は、ウィンドウに美しいシャツを、見ます - または、サリーを、または、何でもほしいものを、です。 見る。そのとき、店内に入って、素材に触れます。 その触れることから、さらに大きな感受。 ですね? これに付いてきておられますか。 あなたは、こうしませんか - 日常生活の中で、普通に、です。
40:40 聴衆: はい。
40:41 K: それが、あなたがしていることです - 見る、接触、さらに大きな感受です。 さて、その後に、何が起きますか。 今、私はあなたに、質問しています - 考えぬいてください。 考えぬいてください。気をつけて、それに入ってください。 私は、あの美しい住宅を、見ます。 見ることにより、感受が、創り出されます。 私は、あの家の友だちであるなら、 私は、内側へ入り、壁を見、窓の形を見ます。 そのすべてが、感受です。 そのとき、何が起きますか。
41:46 聴衆: 私は、それを持ちたいです。

K: はい。それは感受です。
41:53 K: 私は、訊ねています - どうぞ、少し注意を払ってください。 それに、興味があるなら、です。 私たちは、感受を持たなければなりません。 さもないと、あなたは、生物的に、物理的に、麻痺しています。 あなたの腕が、感じないなら、その腕は、麻痺しています。 で、感受が、なければなりません。 それは、自然な、健康的な状態です。 私が、あなたに質問するなら、 そして、あなたが、活動的に、精神的に気づいているなら、 あなたは、それに応答します。 が、あなたが、疲れて、眠たくて、怠けているか、 哲学の重荷、他の人々の言うことの重荷を、負っているなら、 そのとき、あなたは応答できません。 あなたは、他の人々が言ってきたことを、言うでしょう。ですね? で、見ること、接触、感受が、あります。 ですね? これは、自然で、健康的です。 そのとき、何が起きますか。 それはすべて、こうも急速で、こうも即時的です。 で、私たちは、それをゆっくりさせつつあります。 そのとき、何が起きますか。

K: 何ですか。 

聴衆: 感受は、頭脳に登録されます。
43:41 K: はい。私はそう言いました。 もちろんです。そのとき、何ですか。
43:47 大きな説明に、入らないでください。 私たちは、ごく単純な発言を、してきました。
43:54 聴衆: でも、後、その頭脳は、また新鮮になります。
43:56 K: いいえ。ただ見つめてください- それに答える前に、です。 私は、進めなければなりません。 さもないと、 あなたたちは、たくさんの言葉を、私に投げつけるでしょう。 私は、あの住宅を見ます。 見る。 大理石に触れる。 柱を見つめる。 良い窓を、見つめる。 それは、感受です。 そのとき、何が起きますか。 そのとき、思考が入ってきて、こう言います - 「もしも私が、あの住宅を、持っていたなら、何とすてきだろうか」と、ね。 何が起きるかを、見てください。 そのとき、思考は感受を、使います。 思考もまた、別の感受です。 思考は、イメージを創り出します - 私のイメージ。私は、あの住宅を持たなければならない、と。 ですね?理解されますか。 すなわち、感受。そのとき、思考が即座に、言います - 私がその住宅に生活しているイメージを、創り出します。 理解されましたか。 ケスク・・・ヴザヴェ・コンプリ?ケルク・ショーズ? ああ、すみません。 何かを、理解されましたか。 すなわち、思考が感受を、担当します。 その感受の中から、イメージを創り出します。 イメージは、あの住宅を所有することです。 または、あの車や、あの何らかのものを、です。 これに、付いてきてこられましたか。 で、気をつけて、見守ってください。 感受は、健康的で、正常です。 そのとき思考が、やってきて、言います。 その感受の中から、イメージを、創り出します。 そして、思考が感受を、形作るとき、 その秒に欲望が、生まれます。 同意しないでください。 「はい、それは良い説明です」と言わないでください。 さて、あなたが、同意で肯かないなら、 そのとき、あなたは、なぜ、欲望の奴隷ですか。いいですか? あなたたちは、あまりにすばやく同意します - 何でも言われることに、です。 が、私は、大変尊敬をこめて、指摘しています - すなわち、私たちはいつも、制御、抑圧、超越するよう、 訓練されていることを、です。 様々な形で、欲望から逃避するように、です。 あなたは、この国のサンニャーシと、 ヨーロッパの、特にイタリアの、修道士に、注目したことがありますか。 彼らは、通りを歩いて行きますが、彼らは、バイブルを持っていて、 けっして、まわりを見ません- 誘惑のために、です。 で、書物です。 そして、この国のサンニャーシ。 私は、彼らの多くに、付いていったことが、あります。彼らの後を、です。 彼らは、何らかのことを、詠唱しています。 けっして、大地の美しさを見つめません - 花々、小川、空、通り過ぎる女を、です。 「誘惑されるな」と。 いいですか? で、私は、あなたに質問をしています。 感受は、正しい。 自然で、健康的です。 思考が、介入しないでいられますか。 思考が、感受を担当するとき、 その秒に、欲望が生まれます。 これを理解されますか。 いいえ、できるのかどうか、見出すのです。 感受とともに留まる。 感受は、自然です。 そして、思考が介入しないときの隔たり、です。 私が言っていることを、理解されますか。 で、思考は、数秒間、謹慎できますか。 それは、ものすごい気づき、大きな注意を、意味しています。 「注意とは何ですか。気づきとは何ですか」と、言って、 何か説明へ入ってしまわないでください。
50:10 感受を見ることは、自然です。 そして、あなた自身で発見する - すなわち、思考が感受を担当した瞬間、 その秒に、欲望が生まれることを、です。 私は、あの住宅やあの女やあの何らかを、ほしい。ですね? 気づく、注意を払う - 思考が感受を担当しないように、です。 それは、時がありません。 私はそれらに、入らないでしょう。 あなたは、これらについて、考えたことが、ありません。 あなたたちは、みんな、大人です。 あなたは、頭に灰を付けます。 寺院へ行きます。 あらゆる種類の子どもっぽいこと、です。 あなたは、自分自身に、入ったことさえ、ありません。 あなたは、これらの質問をするよう、考えたことさえ、ありません。 で、規律、修練(ディシプリン)は、欲望の終わりではありません。 規律、修練自体が、欲望になります。ですね? が、あなたが、欲望が何であるかを、学ぶなら - 学びます。語り手からではなく、あなた自身からです。 それを理解する、究明する、それに入る - そのときそれは、あなたのです。 あなたは、学んでいます。 偉大なスペインの画家が、いました。 彼は、九十五でした。 その前後です。ゴヤです。 彼は、「私はまだ学んでいる」と言いました。理解されますか。 で、学びは、果てしなく続きますが、 知識は、そうではありません。 知識は、制限されていて、有限ですが、 あなたは、学んでいます。 それで、学ぶなら - 欲望について学ぶのではない - あなたが、欲望の意味を学んでいるなら - それに何が関与しているのか、それがいかに生ずるのか - 学びつづけるなら、 そのとき、その学びこそが、自らの規律、修練を、もたらします。 あなたが、良い化学者、良い生物学者でありたいなら、 その主題こそが、あなた自身の訓練の手段、専攻の手段に、なります。 あなたは、これらのことの、何についても、ご存じありません。 みなさんは、どこで生活しますか。 トリプリケン、マドラスや、このあたりに、ではない。 あなたは、どこに生活しますか。 生が、意味を持っていなくて、 寺院すべてが、物に満ちているなら - 手により、精神により作られた物に、です。 それらを、あなたは崇拝しています。 このすべてが、もはや、まったく意味を、持っていません。 で、どうぞ、あなた自身にこの質問を、してください。 生は、とてつもないものです。 - 大いなる複雑さ、大いなる深さ、大いなる美しさ - その生はなぜ、こうも見かけ倒しになったのか。 質問2: 「私たちは、自らの生における危機を、自らの感覚すべてでもって、
54:42 見ることができません - あなたがそう表すように、です。 結果的に、私たちは、果てしない悲惨の中に、います。 私たちは、どうすれば、全エネルギーを集めて、 「有るもの」を、見られますか。」
54:58 「私たちは、自らの生における危機を、自らの感覚すべてでもって、 見ることができません - あなたが、そう表すように、です。」 私が、語り手が、そう表すように、です。 「結果的に、私たちは、果てしない悲惨の中に、います。 私たちは、どうすれば、全エネルギーを集めて、 「有るもの」を、見られますか。」 いいですか? これが、質問です。 問いを理解されましたか。 なぜあなたは、「あなたがそう表すように」と、仰りますか。 なぜあなたは、語り手が言ってきたことに、関心を持っていますか。 理解されますか。 重要なのは、あなたが何を考えるのか、あなたが何を感じるのか、です。 書物すべてを、焼いてください- 語り手のを含めて、です。 そして、見てください。 問いは、こうです - 私たちは、自らの生に危機を、持っています。 私たちは、それらを解決したり、 それらに正確に出会ったりできません。 それで、私たちは、終わりない悲惨の中に、います。 私たちはどうすれば、このものすごいエネルギーを、集められますか - この危機に出会うために必要なものを、です。 理解されますか。 それが、問いです。 危機は、どこにありますか。 危機は、経済的に、社会的に、政治的に、宗教的に - それは、外に、あちらに、ありますか。 または、私たちの中に、ですか。 危機は、どこにありますか。 私に言ってください。 私たちは、危機が外に、あちらにあると、考えたいのです。
57:30 聴衆: 危機は、私たちの精神にのみ、あります - 私はそう思います。
57:34 K: そうです。それは、あなた自身の意識に、あります。 あなたの存在に、あります- 初めに、です。 そうですか。 理解されますか。 私たちは、いいえ、と言います- 外に、あちらにはない、と。 で、それは、どこにありますか。 それは、外に、あちらにないのなら、 それは、あなたに、あるにちがいありません。 ゆえに、あなたが、危機なのです。 ですね?それを受け入れますか。 人間としてのあなたが、本当の危機なのです。 政治ではなく、戦争ではなく、 ビジネスや、テクノロジーや、化学における危機ではない。 人間としてのあなたが、危機なのです。
58:42 聴衆: 存在していた危機が、あります。
58:46 K: あなたは、私が言ったことを、聞かれましたか。 私はあなたを、抑圧しようとしていません。 私は、あなたに質問をしました。 すなわち、危機は、あなたにありますか。 または、あちら、外側の世界にありますか。 それは、あなたにあるなら、あなたが、危機です。 それをご覧ください。 後生ですから。 人間たちが、危機なのです。

聴衆: (聞き取れない) 

K: 何ですか。

聴衆: (聞き取れない)
59:35 聴衆: 人間たちの不在が、危機を、解決するでしょう。
59:39 K: 人間たちの不在。 それは、利巧な所見です。 あなたは、事実に向き合っていません。 ご覧ください - いかに・・・私は、何をすることになりますか。 危機は、世界にも、私たちにも、どちらにもあります。 世界の危機 - 私たちが、それを、創り出してきたのです。 で、外的にも、内的にも、それは危機です。 外の危機は、人間たちの産物です。 投票者たちを代表する政治家たちの結果です。 共産主義の世界、全体主義の世界では、そうではない。 民主主義の世界では、危機は、あらゆる人間により、創り出されます - 自分たちの大統領、総理大臣、州首相 などなどなどを、選挙する中で、です。 で、人間としてあなたが、責任があります - 私たちが向き合っている無量の危機に対して、です。 あなたは、それを見たくないかもしれません。 あなたは、「いや、いや。それは、どうしてか起きつつある。 私は、それに責任がない」と、言います。 が、私たちの一人一人が、それに責任が、あります。 ですね? あなたは、それの事実が、見えますか。 それの真理が、見えますか。 見えますか。 見えないなら、語り手は、それについて、何もできません。 ですが、見えるなら、それについて、話しましょう。 それを究明しましょう - どちらかに味方しないで、です。 それは、それを究明するには、あなたは、 何も先入観、何も偏見、何も意見を持てない、という意味です。 精神は・・・頭脳は、理解するには、究明するには、
1:02:35 自らの先入観より、自由でなければなりません。 科学者が、物質を探検しているなら、 彼は、それについて、予め概念を、持てません。 彼は、それについて、何か結論を、持てません。 持っているなら、彼の結論が、自らの究明に、介入します。 ですね? で、彼は、物質が何であるかを、見出すには、 結論より、自由でなければなりません。
1:03:18 で、私たちは、危機が私たちにあるのを、見なければなりません。 私たちが、この世界を作ってきたのです - 自然を、ではない。 樹を、ではない。ありがたい。 虎を、ではない。 鹿を、ではない。 私たちが、社会的な世界を、作ってきました - 私たちが生きる世界を、です。 競争、世の中で進んでいることすべてを、です。 で、私たちが生きるところの社会は、 私たちにより、創り出されています。 その社会は、立法により、変化させられません - もっともっともっと多くの法律によって、 もっともっと多くの法律家、 もっともっと多くの、ましな政治家によって、ではない。 その社会は、私たちの一人一人によってのみ、変化させられます - 根本的な変化、です。 それは、事実です。 あなたが、社会を変化させたくないのなら、 あなたは、今の自分のままに、留まりたいのなら、 それは、完璧に歓迎します。 私は、あなたを招いていません。 それが、あなたがしようとしていることです - あなたが、この場を去るとき、です。 あなたたちは、みんな、頷いて、同意し、 「すべてが、何ともすばらしい」と言うかもしれませんが、 あなたは、(会場の)門から一歩、出た瞬間、自分の古い世界に、戻っています。
1:04:56 で、問いは、こうです - 何があなたを、変化させるのでしょうか。 あなたは、苦しんできました。 果てしなく、です。 あなたは、問題に次ぐ問題を、持ってきました。 痛みに次ぐ痛みを、です。 葛藤 - 果てしありません。 何が、あなたをして、それらを、変化させるのでしょうか。 もっと多くの褒賞、もっと多くの処罰、 もっと多くの地獄ともっと多くの天国ですか。 そのすべてが、かつて提供されてきましたが、 あなたは、変化したことが、ありません。 あなたが微笑まれるのを、存じています。 あなたが、「はい、そのとおりです」と仰るのを、存じています。 で、あなたは、変化するために、何をするのでしょうか。 で、あなたは、訊ねます - 私はどうすれば、変化することになるかを、語ってください、と。 それは、どういう意味ですか。 あなたは、体系、体制がほしいのです - あなたが変化するのを、助けてくれるものを、ですね? あなたは、注目したことがありますか- すなわち、すべての体系、 すべての体制が、民主主義の体制でも、共産主義の体制でも、 宗教的な体制、冥想の体系でも、 本来的に、それら自体に、退廃を保有しているのです。 いいですか? これに注目なさったことが、ありますか。 すべての体系、体制が - 「私の体系は違う」と、言わないでください。 すべての体系、体制は、それら自体にエネルギーのむだを、保有しています - それは、エントロピーです。 私たちは、科学の言葉を、用いています。
1:06:55 で、問いは、こうです - どう集めるのか・・・どう、ではない。 あなたのエネルギーすべてを、集めて、何かに向き合うことは、可能ですか。 質問者は仰います - どうして、どのように、集めますか・・・ あなたは、疲れつつありませんか。 私は、人々があくびをしているのが、見えます。すみません。 あなたが疲れているなら、私は止めましょう。 私は気にしません。 私は、侮辱されていません。 が、興味を持っておられるなら、私たちは、進むでしょう。 あなたが問うのを、進めましょう。 私に話をさせて、あなたは、頷くだけではなく、 行きつ戻りつ、問います。 私は、自分がむだにしている、このエネルギーを、 どのように、集められますか - 性的に、だけではない。 私が創り出してきた、この危機に、 向き合うために、私に必要なエネルギーを、です。 理解されますか。 質問者は、語り手より引用して、 私たちは、自らの感覚すべてを、用いなければならないと、仰います。 さて、私たちは、それについて少し、議論しようとしています。 問いと答えです。 私は、あなたに語りませんし、 あなたは、私に語りません。 私たちは、互いに問うています。 で、何の権威もありません。 何の弟子も、ありません。 何の、従う者も、ありません。 私たちは、互いに問うています。 私たちは、自分の感覚を部分的にだけ、用います。 ですね?それは、事実です。 あなたは、自分の耳だけで聞こえますが、 あなたは、聞きませんね。 違いが、分かりますか。 私は、あなたが言っていることが、聞こえますが、 あなたが言っていることの深さを、聞きません。 すなわち、私は聞きます。 その聞くことこそが、変化をもたらしつつあります。 が、私は単に聞こえるだけなら、それは、過ぎゆく風、言葉です。 で、私たちは、自分の感覚を、部分的に用います。 私たちは、自分の感覚すべてを、けっして、同じ瞬間に用いません。 ですね? これに注目なさったことが、ありますか。 ああ、後生ですから。 いいですか? 私たちは、自分の感覚すべてを、けっして用いません。 それは、私たちがけっして、完全に注意深くない、 完全に、自分の注意すべてを注いでいない、という意味です。 それを、私は今、していますが、あなたは、それをしていません。 理解されますか。 すなわち、私が、自分の感覚すべてを、用いるとき - 私が何かを見つめるとき、です - あのすばらしい海が、あります。 波に次ぐ波、青い水。 あなたが、感覚すべてでもって、あの海を見つめるなら、 見ている「私」としての中心が、ありません。 理解なさるのかどうかと、思われます。 いいですか?「私」の感覚があるのは、 部分的な感覚が、作動しているときだけです。 それに注目なさったことが、ありますか。ああ、神様。
1:11:20 聴衆: あなたの感覚すべては、鳥の騒ぎ、鳥の声を、聞けますか。 あなたの感覚すべては、それを聞けますか。
1:11:28 K: 私はそうしています。 私は、自分の感覚すべてでもって、あなたに聞いています。 私はお訊きしています。
1:11:33 聴衆: あなたは、音を見えますか。 あなたは、感覚すべてと、言いました。
1:11:37 K: あなたは、何かを仰ってきました。 あなたは、あの鳥を、注意深く聞けますか。 あなたは、あのカラスを注意深く、聞いていますか。 

聴衆: はい。
1:11:48 K: それは、何を意味していますか。

聴衆: それは、何を意味すべきですか。 

K: いえ、いえ。
1:11:56 K: 私は、進まなければなりません。 そうね、あなたは、散逸してしまいます。 私は、大変尊敬をこめて、あなたにお訊きしているだけです。 あなたは、自分の感覚すべてでもって、 何かを、見つめたことが、ありますか。 あなたは、一度もそうしたことが、ありません。 何ですか。

聴衆: (聞き取れない)

聴衆: 彼らは、こう考えるように思えます
1:12:32 - 私たちは、何かを見つめているとき、 私たちはまた、それが聞こえているし、それを感じている。それらです。
1:12:38 K: どうぞ、ただ聞いてください。 私は、質問をしたのです。 すなわち、あなたは、自分の感覚すべてでもって、 聞いたり、見たり、感じたことが、ありますか。 見出してください。 私は、あなたがそうしたことが、あるとか、ないとか、言っていません。 私は、あなた自身で見出しなさいと、言います。 あのカラスを聞くとは、どういう意味なのか - あなたの妻に聞くとは。 そちらのほうが、カラスよりはるかに重要です。 あなたの夫に聞く。 そして、あなたのエネルギーすべてでもって、聞く。 それは、あなたの感覚すべてが鋭敏だ、という意味です。 性的な感覚ではない。 単に、感覚的な応答ではない。 あなたのエネルギーの全体、総体です。 たぶんそうしたことは、ありません。 私は、批判していません。 私は、あなたに、あなたがそうしたことがないと、語っていませんが、 たぶん、あなたは、そうしたことが、ないのです。 そして、そうするなら、 あなたは、何かとてつもないことを、自分自身で、発見するでしょう - その瞬間に、完全に、何の問題もない、 葛藤もないことを、です。 なぜなら、あなたは、ものすごく生きていて、 ものすごく注意深いからです。 問題を創り出すのは、注意できないことだけではありません。 あなたが、自分が言うことに、自分が考えることに、注意深くて、 あなたが考えるのと、あなたの行為との間に、分割を見るなら - 一つのことを言い、別のことをします。 あなたたちはみんな、美事にそれを、訓練されています。

聴衆: 人は・・・

K: ちょっとお待ちください。

K: 何ですか。 

聴衆: 或る人は、何日間も、飢えてきました。
1:15:14 彼は、自分の感覚すべてを、出すことは、可能ですか。
1:15:19 K: もちろん、できません。 十分に食べ物を取ってこなかった人のことで、思い悩まないでください。 そうね、あなたがいかに・・・それは、エネルギーのむだです。 彼は、三日間、食べ物を取ってこなかった人について、考えました。 ところが、あなたが危機です。 あの哀れな人が、ではありません。 で、初めに、あなた自身で発見してください - 私たちがいかに、自分のエネルギーをむだにするかを、です。 おしゃべりをし、果てしなく、おしゃべりをし、 ギーターについて、果てしなく、話をしています。 哲学、ブッダが言ったことと、反対のこと。よろしいですか。 おしゃべりし、おしゃべりし、おしゃべりし、 けんかし、 葛藤、格闘 - そのすべてが、エネルギーのむだです。 そのすべてが、止まるとき、 あなたは、ものすごいエネルギーを、持っています。 そして、頭脳は、とてつもなく生きてきます。 死んでいません。 それで、このものすごいエネルギーを、持つには - それは、熱情を持つことです。 欲情ではなく、熱情です - あなたは、大変多くの探究を、必要とします - あなたが考えることと、あなたが感じることより、 分離した行為ではありません。 それで、私たちは、健康的で、正気で、通常の生を、生きるし、 それを越えるのです。 すみません。