Krishnamurti Subtitles
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MA8384T1 - 私たちは、根本的に私たち自身に、変化をもたらせるのか。
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| 0:18 指摘したいと思いますが、 - これは、 娯楽ではありません。 これは、 講義でもありません。 講義は、特定の主題について、 情報を伝えること、 それについて情報を 知らされることを、意図しています。 で、これは、講義ではありません。 私たちの間の会話です。 仲良く、真剣です。 そして、お互いに深く 疎通し合うこと、 そして、ともにできるなら、長い旅を 行くことが、可能なのかどうか、です - 願わくば、 人間の全地位に 及ぶ旅を、です。 特定の国のとか、 特定の人々の集団や 共同体の、ではありません。 また私たちは、どの特定の哲学にも、 関心を持っていません。 1:54 もし、自らが、 教示され、情報を与えられ、 何をすべきかを言ってもらうのを 待っているなら、 残念ながら、あなたは、 失望するでしょう。 で、私たちはともに、きわめて 長い旅を、行おうとしています。 外的に、 物理的な世界において、 だけではなく、 また、 心理的な世界において、 私たちの内側に潜む 世界において、 いわば、肌の内側にも、です。 私たちのほとんどが、真剣に 取ったり、 きわめて深く入ったり してこなかった世界に、です。 で、ともに、私たちが講義を していないことに、留意して - また、説教でもありません。 そう望みます - だから、それに 退屈しないでください。 また、指摘したいと 思います - すなわち、語り手のような 誰かに、聞く中で、 耳で聞こえることで 聞くだけではなく また、聞かなくては いけません。 3:33 それは、芸術です - 誰かに、自由に、 智恵をもって、 聞くことは、です。 何の解釈もなく、 何の結論もなく、 二人の友として、 一緒に話し合っています。 世界の状況について、 だけではなく、 また、彼ら自身の問題に ついても、 彼ら自身の振るまい、 彼ら自身の 考え方、先入観、 意見、結論についても、です。 で、あなたがそう聞くだろう ことを、望みます - 言葉のネットワーク だけではなく、 また、生の、より深い主題に ついても、です。 |
| 4:53 このように 思われます - 宗教と、 世界に平和を持つことは、 自らの生において、最も 重要な二つのことである、と。 宗教(レリジョン) - その言葉の語源的な意味は、 あまり明らかでは ありませんが、 宗教は、一般的に、 世の中で進んでいることだと、 受け入れられています。 キリスト教の宗教、 イスラム教、イスラム教徒、 ヒンドゥー教徒、 仏教徒など、 彼らの寺院、神殿、モスク、 教会や大聖堂と、 それらの中で 進む儀式すべてと、 寺院、神殿の中、 教会、モスクの中にある 物事すべてとともに、です。 一定の信仰、信念を持って、 従うことと、 一定の文句の反復、 供養、儀式を 行うことなど、 迷信の構造全体。 それが一般的に、宗教だと 理解されているものです。 6:20 語り手にとって、それは 宗教ではありません。 それはすべて、思考により 組み立てられています。 思考は、 物質的な過程です。 そして、思考が 創り出してきて、 聖性を与えられたもの、 伝統は、 そのとき、その思考こそが、 自らが創り出してきたものへの 崇拝に、向かいます。 これは、事実です。 理論ではありません。 私たちは、あの航空機を 待ちましょう。 |
| 7:30 また、世界には、 平和もありません。 すべての国家、民族による 戦争への準備が、あります - 特に、現在の危機、 核戦争と、人類全体の破滅です。 で、世界に、平和は ありません。 また、私たち自身にも、 平和が、ありません。 宗教的な人間であることは、 大変多くの智恵を、 必要とします。 また、この世界に 平和に生きるには - 葛藤なく、問題なく、 この分割的な過程なく、です - それもまた、大変多くの 智恵を、必要とします。 何かの標語の反復ではなく、 或る導師に 従うことではない。 そのすべてが、去りました。 終了しました。 なぜなら、人はもはや - そもそも、気づいていて、 智恵があり、進んでいることを 意識しているなら、 人は、そのすべてのゴミを、 片付けてきました。 9:05 あなたは、同意しないかも しれませんが、 どうぞ、まさにその最後まで、 聞いてください - あなたが、辛抱できるなら、 そして、あなたが事実に 向き合いたいなら、です。 なぜなら、事実は 意見が、要らないからです - それらは、 そうなのです。 あなたが事実をどう翻訳するかは、 あなたの背景に、依存します - あなたの先入観に、 あなたの条件づけに、ですが、 事実は、事実のままに 留まります - 世界の一定の地域には、 戦争が、あるように、 彼らが準備しているように、です - 右も左も、どちら側も、です。 戦争がないだろうことを、 望みます。 |
| 10:06 そして、宗教は、もはや まったく意味を持ちません - 感傷的、感覚的な興奮と、 情動的な快感以外には、です。 その他では、宗教は、その言葉の 最も深い意味において - それは、正しき生を 生きることです。 自由の生、 環境に依存せず、 自分の行為への 責任などの生、です。 そのすべてに、私たちは、これら 四回の講話の間、入るでしょう。 だから、どうぞ、 これらの講話の まさに始まりから、 あなたが そうしたいのなら、 語り手が言っていることだけを、 聞くのではなく、 また、語り手が 言っていることへの あなた自身の解釈をも、聞く - 言われつつあることを、 あなたがどう、受け取るか、 受け入れるか、反応するのか、です。 11:29 で、これには、互いとの常なる 意思疎通が、必要とされます - 語り手の言葉に、 言葉の意義に、 気づくだけではなく、 また、自分の応答にも 気づくのです。 だから、それは、 応答すべき責任です。 麗しい。 これが、現代文明です。 進みましょうか。 彼らが叫ぶのより、 もう少し叫びましょう。 |
| 12:39 で、私たちは、長くて仲の良い 旅を行おうとしています - 教義的なものでは ありません。 外的にも、内的にも、です。 内的に旅をするほうが、 はるかに困難です。 あなたが、世の中で進んでいることの 情報を、よく知っているなら、 それは、相当に 簡単です。 が、評価するには、 基準を持たなければなりません - 鏡の中に、のように、物事を ありのままに見るには、です。 世の中で、外の世界で、起きつつ あることを、見るには、です。 それは本当は、まったく 外的な世界ではありません。 それは、私たちが 創り出してきた世界です。 それは、出ていき、入ってくる 潮に、似ています。 それは、同じ水なのです。 13:50 ですが、私たちは、不幸にも、 世界を分割してきたのです - 外のものと、 内のものとして、です。 この永遠の動き - 行為と反応(作用と反作用)、 挑戦と応答、 問題に次ぐ問題のそれですが、 これらの問題は、 ますます増大しています - 政治家により 創り出されただけでなく、 宗教的な人々すべてに よっても、です。 また、私たちが自分自身で 創り出してきた問題も、です。 それは、私たちが 創り出してきた社会です。 それは、突然に 生じませんでした。 これが、 私たちなるものです。 私たちの家が 燃えていて、 無秩序であり、競争が激しく、 非情であるなら、 私たちが、そういう社会を、 創り出してきたのです - それが、残忍なこと、 残酷さ、不正義など であっても、です。 15:19 で、それは、 私たちの責任です - 社会を変化させる ことが、ではなく、 私たちがともに行おうとしている 旅の中で、見ることが、です。 旅を行う、 その動きこそにおいて、 私たち自身を根源的に変化させる 可能性が、あるのかどうかを、見る。 心理的な革命です - 物理的な革命ではありません。 で、ともに行きましょう。 |
| 16:01 世界は、地理的に、民族的に、 宗教的に、分割されています。 経済的に、伝統的に、 世界は、砕けてしまっています。 断片化しています。 その断片化は、民族主義を とおして、起きてきました すなわち、 栄達した部族主義、です。 各国が、自分自身に 関心を持っています。 ですが、政治家と、 指導者である人たちは、 私たちがみんな人間であり、私たちが 一つの人々であるのを、忘れます。 あなたは自分自身を、イスラム教徒や ヒンドゥー教徒や仏教徒や キリスト教徒と呼ぶかもしれませんが、 私たちは、一つの人類です。 あなたは、一定の派に 所属していて、 自分の個人的野心を 主張するかもしれませんが、 そのすべての裏で、 私たちは、一つの実体です。 人類の全体が、 私たちです。 ですが、不幸にも、 様々な安全の理由のために、 私たち自身の、安全への探求は - 家族をとおし、 共同体をとおし、 民族をとおして、ですが - 私たちは、世界を 分離してきたのです。 アメリカ人、ロシア人、 フランス人とインド人と、 アラブ人と、ユダヤ人 などとして、です。 18:09 この分離は、 この分割、この断片化は、 戦争の原因の 一つであったのです。 神の名において、 宗教の名において、 イデオロギーの名において、 互いに破壊し合っています 私たちは、みんな、 これを知っています。 この過程は、最古の時代から 進んできました。 部族主義のこの分割、 経済的な分割、 宗教的な分割、 社会的な分割など、 伝統、です。 |
| 18:56 で、この分割、断片化が あるところ、 葛藤が、あるに ちがいありません。 それは、事実です。 それは、語り手の 結論ではありません。 これは、 進んでいることです。 一つのイデオロギーが、 別のイデオロギーに反対し、 保守的なイデオロギーが、 リベラルなものに反対し、 社会主義のものが、 共産主義のものに反対し、 ファシストが、他の あらゆる人に、反対する。 人種的な分割、 言語的な分割などが、あります。 で、どうぞ、私たちは、 ともに旅を行っています。 単に、語り手に 聞くだけでなく、 事実を 見てください - 語り手に沿って、ではなく、 私たちの生で日々、 実際に、 起きつつあることを、です。 20:16 その分割が、完全に 停止するのでなければ - すなわち、あなたが、もはや ヒンドゥー教徒、仏教徒、イスラム教徒、 キリスト教徒でないとか、異なった イデオロギーに所属していないのです。 共産主義、社会主義、 資本主義などのに、です- 私たちは必ず、戦争を 創り出すのです。 それは、他の人間たちを、 何千ごとに、何百万ごとに、 殺すことを、 意味しています。 この戦争が、起きることになるなら、 私たちはみんな、消え去るでしょう。 大地は、焼き尽くされて しまうでしょう。 たぶん、あなたは これらを、ご存じです -あなたが、 新聞を読んできたり、 一定の科学者に 話してきたなら、です。 そして、論議は、 進んでいきます。 それは、百万年の間、 このようであったのです。 または、実際に、 四万五千年の間、 人間たちは、この地上に、 存在してきました -考古学者と生物学者に よれば、です。 そして、人は、格闘し、 格闘し、格闘し、 戦い、殺してきました。 前にそうでありつづけたように、 今、そうであるでしょう。 22:12 また、それが、 人類の未来です。 果てしない格闘、 果てしない けんか、破壊。 これが、あなたが 向き合っているものです。 あなただけではなく、 あなたの孫たちも、です。 私たちは、それを 受け入れます。 あなたは、ユダヤ人であるなら、自分が ユダヤ人であるのを、確認します。 または、ヒンドゥー教徒や、 何か他の愚かな名称を、です。 |
| 23:00 で、私たちは、人間たちの破壊を 維持し、養っています。 それが、 進んでいることです。 政治家たちは、この問題を 解決できません。 反対に、彼らは、もっともっと 多くの問題を、付け加えています。 一つの問題の 解決こそにおいて、 彼らは、1ダースの他の 問題を、増殖させます。 あなたは、 これらを見ますよ。 私たちの頭脳は、 問題で混雑しています。 内的に - それは、外的な世界です - 内的に、あなたが そもそも、検討してきたなら、 進みつつあることに、 気づいているなら、ですが、 私たちは、きわめて 原始的な人々です。 私たちは、この地上に、 四万五千年の間、 生きてきたけれども、 私たちは、きわめて 野蛮な人々です。 残酷な人々です。 24:18 私たちは、多かれ少なかれ、 時の始まりから、 そうであったもの であったのです。 憎み、嫉妬し、 怯えていて、 自らの恐れの中で、あらゆる 種類の恐怖を、創り出します。 これが、私たちが生きている ところの世界です - 外敵にも、内的にも、です。 どの哲学、どの導師、 どの政治家も、 誰も、私たち人間の問題を、 解決したことが、ありません。 あなたは、それらから 逃避できます。 私たちは、 それらから逃避できます 何か僧院に加わることにより、 一定の誓いを立てたり、 何かカルトに加わったり することによって、です。 どの権威も、私たち人間の問題を、 けっして解決したことが、ありません。 |
| 26:05 で、私たちは、自らが何をも 信じていない地点に、至ったのです。 私たちは、自らが全く混乱しきった 地点に、至ったのです。 なぜなら、始まりに 確実である人たちは、 不確実に 終わってしまうからです。 これらを 理解されますか。 語り手が話していることを、 理解なさるのかどうかと、思われます。 私は、神を固く 信じて、始めるなら - または、或る種の 神秘的な事柄を、信じて、です。 私は、智恵を持っているなら - 幾らか智恵を、です - 私は成長するにつれて、 あらゆる物事を、疑いはじめます。 で、不確実性でもって 始めなければなりません - 疑い、問うて、 懐疑的精神を持って、です。 そのとき、絶対的な確実性が、 ある所に、来るのです。 27:36 なぜなら、結局のところ、 外的にも、内的にも、 私たちは、安全を 探し求めているからです。 そういうわけで、私たちは 神を考案してきたのです。 なぜなら、それが、究極的な 安全であるからです。 どうぞ、衝撃を 受けないでください。 あなたたちはみんな、 神を信じる人たちです - たぶん、 あなたたちの大多数が、 神か、 何か高い原理などを、です。 そのすべてが、思考により 創案されています。 思考は、 物質的な過程です。 で、宗教の世界で、 思考により創り出された何も、 やはり、物質主義的です。 テクノロジーが そうであるように、です。 |
| 28:43 で、ともに、私たちは、 旅を行っています - 私たち人間が、根本的に 私たち自身に 変化をもたらしうるのか どうかを、見出すように、です。 強制をとおして、 ではなく、 何か誘惑や、何か約束を とおして、ではなく、 物事をありのままに 見るのをとおして、です。 人が至ってしまった、 怯える、絶望的な状態、 本当に考える人が 入っている混乱を、です。 なぜなら、人は、生涯、こうも多くの ことを、言われてきたからです - すべて、 矛盾し合っています。 で、私たちは、 混乱した人間です - あなたが、それを認めても、 認めなくても、です。 混乱しています - 意識的に、だけではなく、 深く、意識の深層に おいても、です。 私たちは、 混乱しています。 30:16 世界は、その地点に、 至ったのです - あなたが、科学者をも、 政治家をも、 信じていないところに、です。 または、いわゆる、これら無思考の 導師たちのどれをも、です。 人は、変化して きませんでした。 自らが、深く、この混乱の 状態に、至ったとき、 その混乱こそが 正しい行為を、要求します。 その混乱こそが、私たちの生に、 危機を、もたらします。 危機は、外に、あちらにはない。 危機は、私たちの意識に、 私たちの存在に、 あるのです。 |
| 31:27 で、私たちは、自分自身に 訊ねています - 私たち自身に、深く心理的な 革命を、もたらすことは、 可能なのかどうか、です。 外的な革命ではありません。 外的な革命は、 失敗してきました。 フランス革命、 最近の革命、 フランスのそれと、 共産主義革命、 それらは、まったく 失敗してきました。 重要なのは、心理的な変異が あるべきことなのです 頭脳の細胞こそに、 根源的な変化が、です。 なぜなら、私たちの頭脳は、 条件づけられているからです。 すなわち、脳の細胞が、 条件づけられています。 語り手は、頭脳の 専門家ではありません - 脳の構造などの それではありませんが、 彼は、大変多くの科学者などと 議論してきました。 それは、 重要ではありませんが、 32:48 自分自身において、 それを見守れます。 無数の科学者に、話をするのより、 はるかに重要です - 彼らの権威と、 彼らの矛盾より、です。 自分自身において、私たちの頭脳がいかに 条件づけられているかが、見られます。 ヒンドゥー教徒として - 伝統です - ユダヤ教徒として、イスラム教徒として、 キリスト教徒として、です。 民族的に、言語的に、 宗教的に、経済的に、 私たちの頭脳は、 条件づけられています。 そして、私たちは、 訊ねています - その頭脳は、 知識をとおし、教育をとおして 条件づけられてきましたが、 それらの細胞こそが、 それら自体に、変異を もたらしうるのかどうか、です。 理解されますか。 私たちは、互いに理解し合って いますか - 問題を、です。 34:09 仮に、語り手は、イスラム教徒として 訓練されてきた、とします。 少年時代から コーランを反復し、 彼の頭脳は、自然にその言葉に、 適応してきました。 言葉の内容に、 言葉の意味などに、です。 で、頭脳は、条件づけられます - 気候により、 食べ物により、伝統により、 あなたの教育によって、です。 で、知識自体が、 条件づける要因に、なります。 ですね? これをお分かりに なるのかどうかと、思われます。 これが、 分かりますか。 私たちは、どこかで、 互いに出会っていますか。 どうぞ、私に言ってください。 さもないと、私は・・・ |
| 35:12 知識は、経験から 出てきたものです。 そして、経験と知識は、 制限されています。 科学者を、見てください - 彼らが何をしているかを、です。 二百年の後、彼らは、次第に 知識を、蓄積してきました - 仮説をとおし、 様々な形の実験をとおして、 ちょっとずつ、 大変多くの知識を、取得してきました - 物質などについて、です。 で、知識はけっして、 完全ではありません。 それは、いつも、 制限されています。 コーランや、あなたの聖典や バイブルの知識でも、です。 なぜなら、それは、 経験に基づいているし、 経験は、いつも、 制限されているからです。 一度あなたが、その事実を、 それの実在性を、掴むとき、 そのとき、考えるすべてが、 制限されています。 36:25 ですね? 考えることすべてが、です。 考えるのは、 記憶の反応です。 記憶は、頭脳に、細胞こそに、 蓄えられています。 それらの細胞は、 条件づけられてきました - 幾世紀もの人間生活と 経験と格闘をとおして、です。 それらの細胞は、条件づけられ、 制限されています。 私たちは、訊ねています - それらの細胞自体が、 根源的な変異を、 遂げられるのかどうかを、です。 それで、人は、人間は、 全面的に異なっていて、 もはや、条件づけられて いないように、です。 あなたは、それは可能でないと、 言うかもしれません。 それは、 自然な反応でしょう - それは可能でない、と。 私たちは、こうも多くの世紀に、 このように生きてきましたが、 あなたは、言っています - その変化は、その変異は、 どうして 起こりえますか。 37:57 それが、私たちがともに 探究しようとしていることです。 それは、大変多くの探究を、 必要とします - 見出すには、 大変多くの注意、 エネルギー、熱情を、です。 ですが、あなたが、無気力であり - 私たちのほとんどは、そうですが - こうも多くの物事に 占有され、 自分の生活に占有され、 起きようとしていることに、 怯えているなら - 過去に怯え、 未来に怯え、 現在に怯えていて、 私たちの頭脳が、こうも 詰まってしまっているなら - ほとんどの頭脳は、 そうですが - そのとき、初めの問いは、こうです - 問題を解決すること、 問題を持たないことは、 可能ですか。 私たちは、それに 入るでしょう。 |
| 39:14 私たちの頭脳は、 子ども時代から、 問題を解決するよう、 条件づけられています。 子どもは、学校へ行きます。 彼は 数学の問題を、持っています - どう読み書き するのかを、です。 ですね? よろしいですか。 私は、何も変なことを、 言っていません。 だから、こう驚いたり、退屈した ようすを、しないでください。 子ども時代から、学校をとおし、 専門校をとおし、大学をとおして - あなたが、運良くか、運悪くか、 それらを経ていくなら、です - あなたの頭脳、 物理的な頭脳、 細胞は、問題を解決するよう、 訓練され、教育されます。 ですね? で、あなたは、 生きることの全体を、 解決されるべき問題として、 取り扱います。 あなたは、あらゆる物事に、 問題として接近します - 性的な問題、 関係の問題、 経済的な問題、 宗教的な問題、 政治的な問題、です。 よろしいですか。 私たちは、それらを 解決しつつあります - 問題を解決するよう、条件づけ られている頭脳でもって、です。 40:39 で、問題はけっして、 解決されません。 あなたはそれを、 悟ったことが、ありますか。 これらは、事実です。 あなたは、一つの問題を、うまく 解決するかもしれませんが、 その問題の まさに解決の中で、 あなたは、もう一つ、 別の問題を、持ちます。 世界で政治的に起きつつ あることを、見てください - 西洋世界で、 共産主義世界で、です。 彼らは、こうも多くの問題を、 持っています - 経済的な問題、 政治的な問題、 大統領になりたい、 一番上の者になりたい欲望、 そうね、それらは すべて、問題です。 あなたは、自分の妻と、 夫との問題を、持っています。 あなたは、自分の子どもとの 問題を、持っています。 あなたは、自分の導師との 問題を、持っています。 41:43 私たちは、あなたのために、 問題を、作っていません。 語り手は、あなたのために、 問題を、創り出していません。 彼が言っているすべては、 こうです - 初めに、物事を ありのままに、見なさい - 何も先入観なく、 何も結論なく、です。 あなたが、結論、意見、 判断を持っているなら、 それらを、脇に 置きなさい。 なぜなら、見られるのは、 自由な頭脳だけであるからです。 で、あなたは、それら すべての意見、判断、 評価、伝統を、 脇に置いて、 物事をありのままに 見つめられますか。 政治家として、 ではなく、 従う者として、 ではなく、 大変多く読書してきて、 果てしなく話せる 人物として、ではなく、 一人の人間として、 私たちの頭脳が、 問題を解決するよう 条件づけられていることを、です。 43:09 で、頭脳自体が、問題を 持っています。 - これを理解されますか。 どうぞ、 これを理解してください - ゆえに、それは、何でも出会うものを、 問題に変えてしまいます。 で、私たちの問いは、 こうです - 問題の解決に 条件づけられている頭脳を、 持たないことは、 可能ですか。 見るものを、問題に 変えないで、 自由に見られる頭脳を 持つことは、です。 ですね? |
| 43:53 で、私たちは、訊ねています - 脳細胞自体は、 何の強制もなく、 何の教唆もなく、 何の圧迫もなく 外的にも、 内的にも、ですが、 それ自体に、変化、変異を もたらせますか。 さもないと、私たちは、今のように 生きようとしています。 互いに破壊しあう、 果てしなく格闘しようと しています。 けっして、 一瞬の平和もなくて、です。 で、私たちは、見出そうと しています。 これら四回の議論、会話 - 本当は対話です - こうも多くの人々とは、 対話を行えませんが、 あなたとは 対話を、行えます。 あなたたちのみんなと、 ではなく、 あなたたちの一人一人と、 個別に、です。 私たちは、こう 言っていました - 宗教は、生において、最も 重要なことです・ ・・ カラスは、ねぐらへ 行こうとしています。 最後の(時を知らせる) トランペットです。 いいですよ。 |
| 45:47 私たちは、 訊ねています - 新しい文化、 新しい文明は、 経済的な調整をとおし、 政治的な行動をとおして、 訪れえません。 様々な形の制度、施設と財団を とおしても、です。 宗教は、 ただ一つの要因です。 その宗教は、 私たちの探究です - 人間の頭脳が、本当に 宗教的でありうるのかどうかを、 見出すように、です。 私たちがいう宗教とは、 絶対的な自由、という意味です - 恐れからの自由、 葛藤からの自由、 問題からの自由、 悲しみからの自由、 という意味です。 それで、精神、頭脳は、 完全に自由ですが、 あの愛と慈悲の性質が、 あるのは、 そのときだけなのです。 47:22 そのとき、その状態のみが、 神聖であるものを、見出せます。 その真理を理解する中、 または、真実であることの 知覚の中、 そのとき、 平和があります - 自分自身に、 自分の心理に、平和が、です。 それは、いかなる葛藤もない、 という意味です。 さて、これは 可能ですか。 あなたが、それは 可能でないと、言うなら、 そのとき、それは、 妨げになります。 それは、あなたがその可能性を 見つめるのを、阻止します - 見るための扉を開く 可能性を、です。 または、あなたが、それは 可能であると、言うなら、 そのときあなたは、単に、 理論的に話しているだけです。 そのとき、あなたは、扉を 閉じてしまったのです。 48:42 で、探究している頭脳の性質を、 持たなければなりません - 見つめ、探求し、訊ね、問い、 疑っているそれを、です。 他の人たちを、あなたの書物などを、 疑うだけではなく、 あなた自身が考えるのは、 何であるかを、疑い、 あなた自身の応答、 あなた自身の反応を、 問うているのです。 それは、精神の鋭敏さを 必要とします。 |
| 49:27 で、私たちは今、 旅の途中です。 私たちは、ともに 探究しようとしています。 第一のことは、こうです - 考えるとは、どういうことですか。 なぜなら、私たちは、考える ことにより、生きるからです。 私たちの行為すべては、 考えることに、基づいています。 私たちの、互いとの関係は、 考えることの一部です。 あなたが、築いてきたイメージは - 自分の妻と夫について、 自分の導師、 指導者などについて、です - 思考により、組み立てられて います - イメージとして、です。 私たちは、今すぐ それに、入るでしょう。 で、考えることは、私たちの 根源的な道具です。 それは、献身的に、 考えるかもしれません - ロマンチックに、 想像力豊かに、ですが、 それは、やはり 考えることです - あなたが、 科学者でも、哲学者でも、 数学者でも、 生物学者でも、 ただのふつうの 人間でも、です。 最も無教育の人物さえも、 考えます - 村人も、です。 50:56 で、私たちの旅での 初めの探究は、 考えるとは、どういうことかを、 見出すことです。 なぜ考えることが、こうも とてつもなく重要になったのか、です。 考えることは、物質的な 過程であることを、知って - なぜなら、それは、 蓄えられているからです。 知識と記憶、経験は、 脳細胞に 蓄えられているし、 そして、知識、経験、記憶は、 制限されています。 それで思考も、そうです。 これは、事実です。 何についても、 完全な知識は、ありません。 あなたは、神が完全な知識で あると、考えるかもしれません または、何か特別な原理や、 外側の機関が、です。 私たちはみんな、信じたいのです - 私たちみんなの中に、 あの性質の何かが、 あることを、ですが、 それは、またもや 思考です。 |
| 52:15 で、私たちの 考えることの本性を、 きわめて明らかに 理解しなければなりません。 どうぞ、あなた自身が考えるのを、 観察してください - 語り手があなたに 語っていることではなくて、 あなた自身の思考を、 観察してください - それらがどう生ずるのか、 それらがどう 制限されているのかを、です。 私たちの一人一人が、基本的に、 自分自身に、関心を持っています。 自己中心的です。 そして、あなたは、それを あらゆる種類の言葉の裏に、 隠そうとするかもしれませんが、 それはやはり、 そこにあるのです。 その自己中心的な考えは、 制限されています。 あなたが、自分自身について 考えるとき - あなたの達成、 あなたの欲望、 あなたの目的、 あなたが、西洋に寺院や、ここに寺院を 建てたいことについて、ですが - それはやはり、 制限されています。ですね? 53:24 何であれ、 制限されているものは、 葛藤を、もたらすに ちがいありません。 分割を、もたらすに ちがいありません。 それは、法則です。 私は、あなたに対して 分割されていて、 一日中、自分自身について 考えているなら、 それは、きわめて 制限された過程です。 それが、私たちがみんな していることなのです - 幸せに、悲惨に、 成功裏に、ですが、 それが、私たちが していることなのです。 で、考えるのは、 制限されているので、 私たちを、制限してきたのです - 私たちの見通し全体を、です。 ですね? これらをお分かりに なるのかどうかと、思われます。 あなたは、 疲れつつありますか。 または、あなたは、 眠っていますか。 私は気にしません。 あなたは眠っていい。 それは、 あなたの事柄です。 |
| 54:35 この考えることは、 まさにその制限ゆえに、 民族性、国籍を、 創り出してきました。 民族性、国籍に、安全を 見つけたいと望んで、です - 部族主義に、 部族的な神に、です。 あなたたちは、安全を見つけた ことが、ありません。 そして、共同体に安全がある だろうと、考えました。 そこにもまた、 安全はなかったのです。 で、どこに安全は、ありますか。 よろしいですか。 私たちにとって、 安全は、どこにありますか。 分割をとおして、ではなく、 自分自身をヒンドゥー教徒、 イスラム教徒、その他すべてと 呼ぶことをとおして、ではない。 で、あなたは、 危険が見えるとき - 私が何について話して いるかを、理解されますか- 後生ですから、 動いてください。 55:45 立ち上がって、去りなさい、 という意味ではありません。 おそらくあなたは、立ち上がって、 去りたいでしょう。 私は、あなたの見通しについて、 話していますよ。 それへのあなたの見方に ついて、です。 何が、あなたを 変化させるのでしょうか。 あなたは、悲しみを 持ってきました。 あなたは、痛みを持ってきました。 あなたは、戦争をしてきました。 あなたは、あらゆる種類の 苦労と骨折りを、してきました。 けれども、私たちは、 今あるように、つづけてゆきます。 何が、私たちを、 変化させるのでしょうか。 褒賞ですか。 天国での褒美、 この地上での褒美ですか。 あなたが褒賞を、 探し求めているとき、 いつも、その裏側が あります - 処罰です。 褒賞と処罰は、 私たちの原理の一つです。 |
| 57:00 で、見出すことが、 きわめて重要になります - 思考が、私たちが持っている、 ただ一つの道具であるのかどうか、 そして、それが世界に、こうも 荒廃を、創り出してきたことを、です。 私たちは、それを 悟りますか。 科学者たちが何を 生産してきたかを、見てください - 医療と外科手術と、 速い通信と、 あれらの幸せな便利な ものだけではなく、 また彼らは、最も悪魔的なものをも、 生産してきたのです - 核戦争、原子爆弾、潜水艦 - よろしいですか - 戦争のテクノロジー的な 世界全体は、思考の産物です。 月へ行くことは、 思考の産物です。 あそこに旗を立てることは、 思考の産物です。 私たちの、互いとの関係は、 思考に基づいています。 で、当面の間、 関係の問いについて、 ともに 話し合いましょう。 神経質に ならないでください。 私はあなたを、攻撃しようと していません。 |
| 58:40 あなたの関係 - 生は、関係の過程です。 生きることは、 関係です。 あなたは、自分一人では とうてい生きられません。 あなたは、余生の間、 ヒマラヤや、 或る共同体や僧院へ、 隠遁するかもしれませんが、 あなたは、やはり、 人類と接触しています。 あなたは、 関係しています。 あなたは、或る人物に関係 していないかもしれませんが、 あなたは、或る伝統に 関係しています。 知識に関係し、あらゆる種類の 物事に、関係しています。 で、関係は、生の基礎的な 要因の一つです。 夫と妻と子ども、 その関係の中 - 彼らの葛藤とともに、 彼らの性欲とともに、 彼らの楽しみとともに、 彼らの痛みとともに、 彼らのへつらいとともに、 彼らの侮辱とともに、 彼らの口うるさいのと ともに - そうね、関係の中で 進むすべて、です。 59:54 それらを、 ご存じないですか。 または、あなたは、それが 存在しないふりを、しますか。 やれまあ。 みなさんは、 こうも静寂なんですね。 その関係の中、 あなたは・ ・・ 思考は、あなたの妻について、 イメージを創り出してきました。 そして、妻は、あなたについて イメージを、創り出してきました。 それは、事実です。 関係は、これら二つの イメージの間に、あります。 私は、自分の妻を 知っています。 妻は、「私は夫を 知っている」と、言います - あなたたちは、本当は 互いを、知りません。 あなたが知っている すべては、 あなたが、彼女について 持っているイメージです。 そして、彼女は、あなたについて、 イメージを持っています。 それは、時をとおして、 築かれます。 ですね? これは、事実です。 その主題を 避けないでください。 二つのイメージの間に、 関係があるところ、 実際には、まったく 関係がありません。 1:01:18 それは、またもや、 事実です。 そういうわけで、関係に こうも葛藤が、あるのです。 ともに生き、本当に幸せに 関係しあっている人々は、 ほとんどいません - 互いに適応しあったり、 互いに忍耐しあったり、 互いに利用しあったり ではなくて、です。 |
| 1:01:53 で、問いは、こうです - 単一のイメージもなく、 生きることは、 可能なのかどうか、 そして、イメージを 創り出すのは、誰なのか、です。 そこに あなたは、います。 あなたは、そこに 座っています。 みなさんが、です。 あなたは、語り手について イメージを、持っているでしょう。 さもないと、あなたは、 ここにいないでしょう。 それは、事実です。 ですね? あなたが、語り手について 築いてきたイメージは、 語り手ではありません。 ですね? しかし、あなたは、 そのイメージを、崇拝します。 または、あなたは、それを 崇拝しないかもしれません。 あなたは、それを 蹴飛ばすかもしれません。 それを無視するかも しれませんが、それでも、 あなたは、語り手について イメージを、創り出してきました。 で、あなたの関係は、 そのイメージと、です。 まったく語り手と、 ではありません。 なぜなら、語り手と 関係を持つには、 私たちは、互いに出会わなければ ならないからです - 同じ水準で、同じ時に、 同じ強烈さで、です。ですね? 1:03:06 言っていることを、 理解されますか。 後生ですから。 それは、 愛ではないですか。 あなたが誰かに 出会うとき - 同じ水準で、同じ時に、 同じ強烈さを もって、です。 性的に、ではありません。 私は、 それだけについて、話していません。 あなたの人間存在すべてでもって、 あなたの全存在でもって、です。 そのとき、 それは愛です。 あなたたちが、互いにイメージを 持っているなら、愛はありません。 愛があるところ、 時はありません。 愛があるところ、 葛藤はありません。 愛と呼ばれる、あの とてつもないものを、理解するには、 私たちは、大いなる智恵を、 持たなければなりません。 恐れではなく、野心ではなく、 貪欲ではなく、 嫉妬、憎しみではなくて、です。 |
| 1:04:42 で、私たちは、 訊ねています - なぜ、思考は、私たちの生において、 こうも重要になったのですか。 思考が何を してきたのかを、悟って - テクノロジー的に、 それが何をしてきたのか。 無量の物事です。 おぞましい、恐ろしい、 危険な、悪魔的な物事も、 また思考は、医療、外科手術、 通信をも、創り出してきたのです。 また思考は、戦争をも、 創り出してきました。 人々を分割してきました - ヒンドゥー教徒、仏教徒として、です。 そうね、すべての戯言です。 思考が全的に 理解されたのでなければ - そして、思考は、 自らの所を持っています。 そして思考は、心理的にまったく、 どの所をも、持たないかもしれません。 私が言っていることを、 理解されますか。 私たちが 言いましたように、 思考は、制限されています。 なぜなら、 知識が、制限されているからです。 経験が、 制限されているからです。 1:06:07 そして、関係において、 思考が、互いとの意思疎通の 手段であるなら、 葛藤があるに ちがいありません。 また思考は、あなたが 家へ帰るには、必要です。 バスに乗るには、 あなたの事務所へ行くには、です。 明日、日曜日ではなく、月曜日にです。 そして、余生の間、 事務所へ行く。 来る日も来る日も、来る日も来る日も、 来る日も来る日も、です。 これは、すべて、 思考の産物です。 自分の事務所へ、工場へ 自分のビジネスなどへ 行かなくてはいけないのは、 知っています。 そこでは、思考が 必要です。 が、関係において、 思考は、必要ですか。 それを探究し、それに入ってください。 あなたは、見出すでしょう。 |
| 1:07:28 で、私たちの頭脳は、 思考により、思考をとおして、 条件づけられているので、 それは可能ですか - どうぞ、これを 聞いてください - 全然違った動きを、 見つけることは、可能ですか - 思考のではなく、 思考により 組み立てられていない動きを、です。 思考は、時の活動、 物質的な過程です。 冥想と、それらの種類のことに、 入ってしまわないでください。 私たちは今すぐ、それを 取り扱うでしょう。 ですが、見出すには、 すなわち、 思考は、私たちが持っている ただ一つの道具であるなら、 そのとき、私たちは、 永久に運命づけられています。 これを 理解されますか。 なぜなら、そのとき、私たちの 行為すべては、制限されるからです。 そのとき、私たちが 何をしても、 - 宗教的に、政治的に、 経済的に、ですが - いつも 制限されるでしょう。 ゆえに、永続的な葛藤と、 もっと多くの問題でしょう。 1:08:59 ですが、思考は、 必要です。 もし私が、あなたに 手紙を書きたいのなら、 私は、思考を 使用しなければなりません。 ここから、自分の家へ行くには、 あなたは思考が必要である、などです。 で、私たちは、 訊ねています - 互いとの関係に、 思考は必要ですか。 自分自身で発見するには - 果てしなく言われつづけるのではなく、 自分自身で発見する。 道具を - 道具ではない - 生きる過程を、 そこに思考が 入ってこないものを、です。 これは、尋常でない探究を、 必要とします。 これは、あなたの大変多くの 注意を、必要とします。 なぜなら、知識は、あなたにとって、 こうも重要になったからです - ギーターについて、 ウパニシャッドと、 注釈すべてについての 知識が、です。 1:10:15 知識は - あなたは 知識を崇拝します - あなたの女神 - あなたたちは、 知識の女神を、持っていますね。 ですが、知識は、 自らの所を、持っています。 真理は、 知識ではありません。 それは、何か思考により 組み立てられたものではありません。 それは、何か、 頭脳が全的に自由であるとき、 生じてくるものです - 汚染されず、素朴で、 本源的であるとき、です。 それを発見することが、 冥想の一部です。 この愚かな反復 ではありません。 |
| 1:11:09 で、私たちは今、 止めなければなりません。 私たちは、 継続するでしょう。 が、どうぞ、 私たちは、何かについて、 理論的に話していません - 仮説的なことを、です。 私たちは、事実を 取り扱っています。 事実は、 今、起きつつあること、 前に起きてきたことです。 起きようとしていること、ではない。 それは、事実ではありません。 事実は、あなたが今、考えて、 していることなのです。 そして、あなたが前に してきたことの事実です - それらは、事実です。 が、理想は、 事実ではありません。 しかし、あなたたちは みんな、理想を持っています。 ゆえに、あなたは、 幻影の世界に、生きます。 頭脳が、幻影の世界に 生きるとき、 あなたは必ず、葛藤を、自分自身にと 他の人たちに、創り出すことになります。 1:12:22 が、あなたは、事実を 取り扱っているとき - 来る日も来る日も、です。 事実についての 仮説を、ではない。 「私にとって、 私の意見が事実だし、 私はその事実に拘るから」と 言うことではない。 それは、こうも 明白です。 あなたの意見は、他のどの意見とも 同じく、非事実です。 が、あなたが、その意見の中から、 その結論の中から、 その理論の中から、 することは、事実です。 理解されますか。 あなたが、幻影を持っていて、 その幻影に応じて行為するなら、 それは、 事実になります。 あなたの幻影もまた、 事実です。 理解されますか。 で、見出すには、気づき、見つめ、 問い、疑わなくてはいけません。 |
| 1:13:26 先日、 カリフォルニアで、 二ヶ月前、私が そこにいたとき、 私たちの前の車が、バンパーに ステッカーを、貼っていました。 それは、「すべての権威を 問え」と言いました。 あなたは、すべての権威を 問うでしょうか。 初めに、 あなた自身の権威を、 そして、あなたの宗教の、 あなたの神々と 寺院の権威を、です。 問うてください - 政治家を、 あらゆる物事を、です。 問い、疑ってください。 それで、あなた自身の頭脳は、 活動的になりはじめます。 が、私たちのほとんどは、 問いません。 なぜなら、私たちは、 怯えているからです。 私たちはむしろ、何をすべきかを、 語ってもらいたいと思います。 「あなたのほうが、私より知っている。 どうぞ、私に語ってください」と。 1:14:39 そして、権威が、 権力、地位、身分が、あるところ、 悪がある。 それは、こうも悲惨に つながります。 ですが、謙虚さを 持つには、 その謙虚さは、 あなたが、問いはじめるとき、 自然に、招かれず、楽に 来られるだけです - 自分の思考を、 自分の関係を、 自分の欲望を、 自分の達成を、問うのです。 そのとき、その中から、 この謙虚さの性質が、出てきます。 謙虚さがあるとき、あなたは、 学んでいます。 学びは、際限がありません。 知識は、制限されています。 その謙虚さは - 誰かにお辞儀をすることではありません。 それは、謙虚さではありません。 誰かの足に触れることではありません。 それは、謙虚さではありません。 寺院へ行くこと、 そのすべては、ごみです。 謙虚さを持つ。 「私は知らない。見出そう」 と言うこと、 1:16:27 自由であって、 見つめられること、 そして、あの大いなる 単純さを持つこと - 腰布の単純さではなく、 明晰な精神と 明快な心の単純さ、です - そのときだけ、時を越えている ものが、生じてきます。 よろしいです。 |