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MA8384T4 - 宗教は、あなたの日常生活と、どんな関わりを持っているのか。 home
公開講話、第4回
インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月8日


0:19 話をしなければ ならないと、思います。
0:41 私たちは、これらの講話を、 探究でもって、始めました。 宗教と、地上の平和は、 大変多くの智恵を、 必要とします。 地上の平和は、人にとって、 可能でなかったのです - 何千年に 何千年もの間、です。 また、宗教もまた - 宗教として、受け入れられて いるもの、ですが - 人に平和を、 もたらしてきませんでした。 宗教戦争が、ありました。 宗教は、人々を 殺してきました。 大砲、軍艦を 祝福してきました。 宗教は、人々を、人類を、 拷問し、焼き殺してきました。 そして、すべての宗教が、 地上の平和について、話します。 見たところ、私たちはけっして、地上に 平和を持つように、思われません。 これは、事実です。 社会においても、 環境においても、です - 私たちはそれを、ゆっくりと、 気をつけて、破壊しつつあります。 また、私たち自身にも、 平和が、ありません。 私たちは、これらの講話を 始めました - これら二つの主題への 探究でもって、です。
2:47 あなたを退屈させずに、再び 指摘してもよろしいなら、 これは、宗教や哲学についての 講義ではないのです。 または、平和が何であるのか、 などについてでも、ないのです。 それは、あなたがどう考えるべきかや、 何を考えるべきかでは、ありません。 むしろ、ともに、 あなたと語り手は、 このきわめて複雑な問いを、探究 します - 宗教とは何であるのか、 そして、世界に平和を 持つだけでなく、 最初、自分自身にも持つことは、 可能なのかどうか、です。 私たちに、平和が ないのなら - 内的に、 心理的に、です - そのとき、私たちは、 いかなる平和をも持たない 社会を、創り出します - それは、ますます 悪魔的になり、 ますます破壊的に、 なりつつあります。 3:57 私たち、人間は、 ますます残酷に ますます冷淡に、 無頓着に、なってきました。 宗教は、人を 飼い慣らそうとしてきました。 様々な戒律、様々な制裁が、 ありました。 世界中の、 いわゆる宗教書が、 「これをしろ。 あれを するな」と、言ってきました。 幸か不幸か、私たちは、それらに、 けっして服従してきませんでした。 私たちは、それらを 引用するだけです。 それらは、すてきな標語に、なります - 政治的か、宗教的な目的のために、です。 そして私たちは、今あるように、 続けてゆきます - 無思考で、無頓着で、 冷淡であり、 私たち自身の活動と 思考において、かなり残忍です。 5:04 語り手は、宗教と平和を、 講話の終わりに、置いてきました - 一般的に、です。 なぜなら、私たちは、生きることの 複雑な問題全体を、通ってきたからです - 日々、生きること、 関係を、です。 私たちは、それがいかに 重要なのかについて、話しました。 すなわち、 正しい関係なしには、 永続的な葛藤、抗争が、 あるでしょう - 男と女、社会と、 私たちの一人一人の間に、です。 なぜなら、社会は、私たちの 欲望に応じて、築き上げられ、 組み立てられ、 構築されてきたからです。 私たちが、それらを 作ってきたのです。
5:58 私たちは、恐れを 通ってきました - 人間たちにとって、 恐れより全く自由であることは、 そもそも可能であるのか どうか、です。 私たちは、それは 可能であると、言いました。 また私たちは、 昨日の晩ですが、 苦しみについて、大変多く 話しました。 人が、 自分の生涯をとおし、 過去の幾世代をとおして、 抱えてきた、甚大な苦しみ。 - そして、おそらく、 未来の世代も、です。 私たちは、二人の友として、 ともに話し合うべきです - お互いに、何をも 説得しようとしていません。 どの種類の宣伝をも しようとしたり、 自分の視点へ転向させようと したり、していません。 ともに、樹の下に 座って、話し合っています - 自分たちの日々の苦労、 日々の骨折りについて、 日々の不幸と出来事と、 不幸せと憂鬱について、 だけではありません。 また、二人の友だちは、自分たちの 宗教について、話しています - 宗教とは何であるか、です。 7:32 そして、 この美しい地上に、 こうも長く 生きてきた人間たちにとって、 そもそも平和を持つことは、 可能なのかどうか、です - 自分自身において、 自分の生に、自分の態度に、 自分の日々の生き方において、 だけではなく、 平和、静けさを持つことは、 可能であるのかどうか、です - 何の葛藤もなく、 何の問題もなく、です。 私たちは、この すてきな晩に、ともに、 これらへ 入ろうとしています。
8:26 どうぞ、留意してください。 語り手は、大変尊敬をこめて、 それをあなたに、指摘いたします - すなわち、彼は 究明していないことを、です。 ともに、あなたと彼は、 このきわめて複雑な問題を、 探検しています - 宗教とは何であるのかと、 世界に平和が ありうるのかどうか、です。 なぜなら、あなたは、 世界であるからです。 世界は、あなたより、 分離していません。 世界は、 あなたなるものです。 世界は、日々の生で、 あなたなるものです。 すなわち、 あなたが、アメリカ人、ロシア人、 シナ人や、インド人、 イスラム教徒であっても、 何であっても、です。 各々の人間が、 苦しみます。 大変多くの心配を 経てゆきます。 いつも安全を 探し求めています - 心理的にも、 外的にも、です。 その安全は、次第に、拒否 されつつあります - 戦争をとおし、 テロをとおし、 世界で進んでいる、 あらゆる種類の 語りえないことを とおして、です。
10:14 根源的に、 私たちは、人間として、 自らの生き方全体を、 変化させないなら - 私たちの態度と表現と 見通しを、です - 私たちは、破壊されようとしている 世界を、創造しようとしています。 あなたたちが、数人のトップの 科学者を読んだり、 彼らに話したりしたことがないのか どうか、私は知りません。 彼らの多くは、 言っています。 語り手は、彼らの幾人かに、 話をしてきました。 核戦争があるなら、地球全体が、 破壊されるでしょう。 あなたのお気に入りの国を 含めて、地球全体が、です。 インド、ロシア、アメリカ - 世界が、全面的に 破壊されるでしょう。 11:17 これは、 脅しではありません。 これは、 起きつつあることです - 政治家たちの間で、このお手玉を どうやるのか、です。 そして、書物と記事が、 ずっとありました - 特にアメリカですが、 ロシアでもそうだと、思います。 もしも、特定の都市に、 爆弾が落ちたなら、 人に、何が 起きるのでしょうか。 一千万の人々が、すっかり 消え去る、蒸発するでしょう。 爆心地のまわりの一億人が、 絶望的な病気になるでしょう。 彼らの目は、溶けるなど、 怖ろしいことすべて、です。 で、私たちは、この世界に 生きている人間として、 科学者と政治家に 制御され、 新聞、雑誌により、 寺院の所有者により、 私たちの考えを、 形作られます - それが、政府所有であっても、 個人所有であっても、です。 私たちは、ともに、このすべてに ついて、話し合うべきです。 12:53 そして、あなたたちは、 その目的のために、 ここにおられると、 思います - ただ聞くためだけ、 ではない。 ただ、わずかな言葉を 聞いて、家に帰り、 あなたがしてきたのと、同じことを、 追求するためだけ、ではない。 むしろ、物事を ともに考えぬく - 知的にとか、 ロマンチックにとか、 想像力豊かにとか、 理論的にとか、ではなく、 実際に、 見出すのです。
13:41 で、初めに、 宗教とは何ですか。 その言葉(レリジョン)の語源は、 あまり明らかではありません。 が、私たちは、宗教が何であるかに ついて、知っています。 私たちは幾らか、知覚を持っています。 今そうであるようなものを、です。 儀式 - 全く無意味です。 祈り、 自分を助けてくれる よう、神に頼む。 あなたは代わりに、何かを 支払います - コインで、か、 あるいはまた、或る種の 犠牲をとおして、です。 誓いを立てる、などです。 対価交換です。 あなたは私に、これをください。 私はあなたに、あれをあげよう、と。 宗教は、 今そうであるように、彼らの ほとんどは、神を信じています。 たぶん、あなたたちは みんな、そうです。ですね? 15:02 語り手は、もしも、あなたが 神を信じておられることを、 お訊きしたなら、正確でしょうか - あなたたちのほとんどが、です。 静寂ですか。 あなたたちのほとんどは、 神を信じています。 あなたはけっして、なぜかを、 訊ねたことがありません。 もし、あなたの心に 恐れが、ないなら - 絶対的に、 何の恐れも、です - あなたは、神々を 持つでしょうか。 神々は、思考により 創り出されています。 どの寺院、どのモスク、 どの大聖堂へも、行ってください。 建築物を別にして、 物事すべて - ヨーロッパの大聖堂は、 すばらしい建築を、持っています。 構造は、こうも尋常でなく、 こうもすばらしい。 大いなる威厳 - インドの寺院と モスクの幾つかのように、です。 16:19 それらすべての外面的な物事は、 思考により、創り出されています。 良い建築家、 無名のによって、です。 インドの古代の寺院を、誰が 建てたのかは、ご存じないですね。 または、世界の最も美しいモスクや、 大聖堂を、です。 が、これら世界の寺院、 神殿の内側にあるものは、 思考により、 組み立てられています。 彼らの儀式、 彼らの衣装、彼らの偶像は、 すべて、手によってか、思考に よって、組み立てられています。
17:09 そして、思考は、私たちが 言いましたように、物質的な過程です。 あなたがそれに入ったことが あるのかどうか、私は知りません。 それがあるなら、 あなたは、 自分自身で知覚したに ちがいありません。 すなわち、思考が、脳細胞の中に、 収容されていることを、です - 記憶、知識、 経験として、です。 私たちは、よく気をつけて、 それに入りました。 そして、何であれ、思考が 創り出してきたものは - すなわち、 あなたの神々、 あなたの儀式、 あなたの祈りと、 すべての書物、 世界の宗教書は、 思考により、 組み立てられてきました。 あなたは、それらが神聖な啓示 であると、言うかもしれません - 当のご本人からだ、と。 が、書物の中の それらの言葉を表したのは、 やはり思考です。 18:25 思考は、 物質的な過程です。 なぜなら、それは、経験、知識、 記憶の結果であるからです - 頭脳に蓄えられた ものの(結果)、です。 脳の細胞は、これらの記憶を 持ち運んでいます。 で、神、祈り、 教会、寺院、神殿、モスクに 収容されている物事すべては、 思考により、 組み立てられています。 その思考が、古代のであろうと、 現代のであろうと、 それは、やはり 思考です。 で、思考は、何を してきましたか。 イメージを創案した。 それから、イメージを崇拝する。 理解されますか。 想像をとおし、恐れをとおし、 あこがれをとおし、 そこに平和があるかもしれない 何かの永遠への この探求をとおして、です。 思考が、このすべてを してきました。 19:44 で、思考は、 イメージを創り出す - 手によってか、 精神、頭脳によってか、です - そのとき、自らが創り出してきた そのものこそを、崇拝します。 明白です。 で、あなたは、ゲームを やっています - あなたの日常生活に、まったく 影響しないことを、です。
20:13 で、宗教は、あなたの日常生活に、 どんな関わりを、持っていますか。 宗教が、何か寺院の中のものや、 それらであり、 あなたの生は、全然 違っているなら、 何が起きますか。 理論、概念、結論 - それらは、自分の活動より、 全然、離別しています。 ビジネス、科学 などより、です。 当然に、自分は、 偽善的になります。 私は、侮辱することなく、 その言葉を使っていいですか。 これが、私たちが なってしまったものです。 一つのことを言う - それは、祈るか、 礼拝することです。 そして、正しく、 反対のことを、します。 そういう人々は、自分自身を 宗教的と呼びます - 理想主義者、と。 彼らは、まっすぐに考え、 行為することの 甚大な性質を、 逃してしまいます。
21:36 で、宗教とは、何ですか。 どうぞ、あなたたち自身に、 訊ねてください - 二人の友だちが、ともに、 この問いを 話し合っているように、です。 宗教とは何ですか。 人は、記録なき時から、 このすべてを越えた何かを、 探し求めてきました - 日々の苦労を越え、 自分のさびしさと絶望、 自分の葛藤と心配、果てしなく つづく苦しみを、越えたものを、です。 人は、探し求めました - このすべてを 脇に置こうとしてきました 思考により組み立てられていない 何を、見つけるために、です。 古代のシュメール人、 古代のエジプト人と、 五千年、七千年のハラッパー。 そうね、パキスタンにある ものなどです。 みんなが、何か越えたものを、 探し求めました。 23:01 なぜなら、痛み、苦しみには、 あまりに長く耐えられないからです。 それは、精神、頭脳を 鈍らせます。 それは、愛の性質を、 鈍らせます。 しかし、人は、それを 探し求めてきました。 そして、司祭者たちが、 やってきます。 世界中で、彼らは、 来たのです - それを、日々の生へ 翻訳するように、です。 彼は、翻訳者に なります。 彼は、案内役、導師に なります。 なぜなら、私たちは、あれが 何であるかを、知らないからです。 が、誰かは、「私は 知っている」と、言いますし、 私たちは、こうも 騙されやすい。 - あなたが今、騙されやすく ないことを、望みます - 私たちは、こうも 騙されやすい。 なぜなら、私たちは、苦しんでいる。 私たちは、慰めがほしい。 私たちは、安全がほしい。 私たちは、確実性がほしいからです。 そして、私たちは、 それらに捕らわれています。 24:19 これが、世界中で 起きつつあることです。 あなたは、一つの宗教の構造に、 不満足であるなら、 他のものへ 向かいます。 あなたが、 キリスト教徒であるなら、 あなたが、それに飽き飽き しているなら、です。 それは、充分に知的とか、 ロマンチックとかではありません。 いえ、すみません。 それは、きわめて ロマンチックで、感傷的です。 が、インドへ行きなさい。 そこで、光が見つかるだろう、と。 彼らはみんな、 このあたりに参集します。 ここで何が起きつつ あるかは、ご存じです。
24:53 で、これは、幾世紀をとおして、 長い格闘であったのです。 何か、時のでないものを、 見つけるために、です - 思考のでないもの、 思考により 組み立てられていないもの、 何か全的に 測量不可能なものを、です。 そして、人は、それを 想像してきました。 天国と地獄があると、 言ってきました - 天国には、平和がある。 地上にはない。 私たちの日常生活には、ないが、 天国には、平和が ある、と。 で、あなたは、日常生活から、平和を 先送りしたか、片付けてきたのです。 で、ともに、私たちは、 これを究明すべきです - あなたが、真剣であり、 興味を持っているなら、です なぜなら、それは、 あなたの生であるからです。 そして、このすべてを 越えた何かが、ありますか。 何か神聖なものが、 ありますか。 私たちは、よく気をつけて、 それを究明しようとしています。
26:31 また私たちは、ともに、 考慮すべきです - 平和とは、何ですか。 明白な意味は、 葛藤、抗争を持たないこと、 痛みを持たないこと、 苦しまないこと、 果てしなくつづく格闘を、 持たないことです - あなたが生まれた瞬間から、 死ぬまで、です。 すなわち、まったく 問題を持たないし、 葛藤を持たないことです。 それは、可能ですか。 この世界に生きることは、 可能ですか - 世界から 逃げ去るのではない。 生を、日常生活を、 唯一つの葛藤の影もなく、 生きることは、 可能ですか。 あなたは、それは 可能でないと、言うなら、 扉を 閉じてしまったのです。 または、あなたが、「はい、 それは可能です」と言うなら、 また、扉を 閉じてしまったのです。 ですが、あなたが 探究しはじめるなら、 あなたが 探検しはじめるなら - それは可能であるとも、 可能でないとも、言わずに、 学ぶ。 この問いに、 きわめて深く入る - 人、あなたは、 この街に生きていて、 結婚していても、 していなくても、 家族など、職、責任、 あなたが、自分自身と完全に、平和に 生きられるのかどうか、です。 28:59 もちろん、それは できます - もし、あなたが、神経症や 精神病であるなら、 あなたは、自分が天国に いると、想像できます。 または、何か突飛なことを、 信じられます。 そして、あなたは、 それとともに生きます。 それで、あなたは、自分自身を 信念の中に、閉ざしてきたし、 その信念の中で、自分は平和に 生きていると、想像します。 が、そのすべては、 かなり子どもっぽくて、 未熟で、凡庸です。
29:43 凡庸(ミディオーカー) という言葉、 その言葉の根本の意味は、 けっして、丘の頂上へ 行かないことです。 いつも、丘の途中、です。 それが、凡庸「ミーディオーカー」 という言葉の意味です。 あなたは、自分の業務が良く できるのかもしれません - 偉大な科学者として、哲学者として、 教授として、良い大工として、です。 が、あなたの生は、 凡庸なのかもしれません。 私たちは、良い専門職の経歴に ついて、話していません - あなたたちは、みんな、 それが良くできます。 が、私たちは、凡庸さについて、 話しています - 凡庸な精神、頭脳に ついて、です。 そして、凡庸な頭脳を 持たないこと - それは、あなたの最高の能力で、 生きることです。 あなたの能力が、 何かの業務に、とか、 何かの専門職に、 表現されたのではなく、 内的に、大いなる きびしさ、統合の生を、 生きること。 31:22 きびしさ(オーステリティ) という言葉は、 ギリシャ語から、 来ています - それは、渇いた口を 持つ、という意味です。 すなわち、 きびしい人々は、 一般的に、 きわめて乾いていて、 きつく、険しい。 一、二枚の腰布です。 それは、 きびしさではありません。 きびしさは、 砕けていなくて、 全体的である 頭脳の性質です - 大いなる深さと統合を 持っているそれ、です。 そして、葛藤の影も ないのです。
32:33 で、私たちは、ともに、 検討しようとしています - 現代の世界において、 どんな葛藤もなく、 生きることは、可能なのか どうかを、です。 葛藤とは、何ですか。 どうぞ、いつの時も、 留意してください - すなわち、 あなたと語り手は、仲良く会話を 行っている、ということを、です。 彼らは、生について 話し合っている友だちなので - あなたが、質問をしています。 語り手が、ではありません。 で、あなたが、質問をしています - 葛藤とは何ですか。 なぜ私たちは、 葛藤の中に、生きますか。 私たちは、自らが葛藤の中に 生きることに、気づいていますか。 または、私たちは、 こうも頑なに、 こうも冷淡で、無頓着に なってしまったので、 あらゆる物事を 受け入れるのです - 汚さ、貧困、 悲惨、混乱、 そして、当然、 葛藤を、です。 私たちは、それを 堪えます。 33:59 が、あなたが、 探究しはじめるなら - 葛藤なしに生きることが、 可能なのかどうかを、です - そのとき、あなたは、 訊ねなくてはいけません - あなたが 訊ねておられるのを、望みます - 矛盾とは、何ですか。 また、あなたは、 訊ねなくてはいけません - 測量は、比較ですが、 測量が、あるかぎり、葛藤が、 あるにちがいありません。 ですね?  私たちは、 互いに出会っていますか。 私たちの生のほとんどは、 比較に基づいています。 学校、専門校、 大学で、 あなたは、いつも 比較しています。 あなたの学位は、 比較の結果です。 比較があるところ、葛藤が、 あるにちがいありません。 度量は - あなたは、背が高い。 私は低いとか、 私は黒い。 あなたは白いか、ピンクだ。 35:17 それは、いつも比較です。 あなたは、利発だが、 私はそうでない。 私は、あなたのように、 利発でありたい。 あなたは、こうもすてきに見えるが、 私は、すてきに見えない。 で、この比較の葛藤が、 あります。 で、あなたは、唯一つの比較の 動きもなく、生きられますか。 そうしてください。 あなたは、分かるでしょう。 そのときあなたは、 重要なのは、 あなたが何であるのかであるかが、 分かるでしょう - あなたが何であるべきであるかや、 何になりたいか、ではありません。
36:09 また、分離があるとき、 葛藤は、生じます - 二元性、対極が あるとき、です。 私は、これである。 私は、あれになるだろう。 私は、暴力的であるが、 私は、非暴力を追求するだろう - それは、対極です。 で、そもそも 対極が、ありますか。 これらに、付いてきておられますか。 これらに、興味はおありですか。 または、眠って しまわれたのですか。 ここは、快適な所です。 みなさんが 快適であることを、望みます。 あなたは、挑戦され、問われ、 訊ねられてきました。 あなたは、応答しなくては いけません。 もちろん、こうも 多くの人々が、いるので、 みなさんが、一斉に 応答できません。 37:19 あまりに多くの騒音が、 あるでしょう。 が、あなたが、 自分自身に応答するなら、 見出してください。 そもそも対極が、 ありますか。 対極は、あります - 男、女、暗い、明るい、 日の出、日の入り。 ですが、心理的に、内的に、 対極が、ありますか。 私は知っています。 いえ、私は知りません - 人々が、私に語ってくれました。 幾つか理論が、あります - 覚りを開いた人たちだけが、 対極を持っていない、と。 私は、それを 信じていません。 いえ、私はむしろ、それを問います。 それを信ずるのではない。 私は、それは戯言であると、 思います。 「有るもの」だけが、 あります。 すなわち、暴力が、事実です。 非暴力は、非事実です。 38:32 で、頭脳は、非事実を、 創り出してきました。 なぜなら、それは、事実を 取り扱う能力が、ないからです。 あなたが、エンジンをどう 直すのかを、知っているなら、 そのとき、何の問題も、 ありません。 が、あなたが、「有るもの」を どう取り扱うかを、知らないなら - あなたの暴力や、 それが何であっても、です - そのときあなたは、間違いなく、 その対極を、考案するにちがいありません。 なぜなら、対極をとおして、あなたは、 いつの日にか、達成したいとか、 「有るもの」を変化させたいと 望むからです。 これらに付いてきて おられるのを、望みます。
39:18 で、私たちは、対極がないと、 言っています - あなたは背が高い、私は低い、 それら以外は、です。 物理的に、私たちは、 違っていますが、 心理的、内的に、 ただ事実だけが、あります。 そして、事実をどう 取り扱うのか、です。 あなたは、それをどう取り扱うのかを 知るなら、対極はありません。 で、私たちは、ともに 究明しようとしています - 私たちが事実を 見つめられるのか、どうかを、です。 事実とは、暴力、恐れ、 悲しみ、冷淡さ、 自分自身への関心です。 これらはすべて、 事実です。 40:09 天国があるのかどうか、 いつの日か、あなたが覚りを、 開くだろうかどうか - そのすべては、非事実です。 それは、何の意味もありません。 が、それが意味を持っていて、 あなたがそれに取りすがり、 あなたが、「有るもの」を、 回避しているなら、 葛藤が、あるに ちがいありません。 なぜなら、二元性が、 あるからです。 あなたが、一つのことを言い、 別のことをするとき、 葛藤が、あります - 一つのことを考えて、 自分が考えることとは 全然違った行為を、するとき、です。 それが、みなさんが、 やっていることです。
40:49 で、暴力、恐れを理解する ことは、可能ですか - すなわち、私たちが 持っているものを、です。 対極を創り出さないで、 「有るもの」を、了解する、 学ぶ、究明するのです。 あなたが、何か主題、 何か反応を、取るなら - たとえば、暴力です。 なぜなら、それは相当に、私たちの みんなに、共通しているからです。 私たちはみんな、なかなか 暴力的な人々です。 攻撃的です。 私たちは、一つの方向では、 暴力的でないかもしれませんが、 他の方向で、私たちは、 そうなのです。 さて、私たちは、暴力的な人々です。 それは、事実です。 あなたは、いかに 暴力を見つめますか。 暴力は、あなたより 分離していますか。 あなたが、非暴力と言うなら、 私たちは、追求しています。 それは、あなたより 全然、分離しています。 なぜなら、あなたは実際に、それに 関係を、持っていないからです。 が、あなたなるものは、 暴力的です。 42:14 で、あなたは、 あの暴力を見つめられ、 あの暴力の本性と構造と 深さを理解できますか。 それは、 暴力の内容全体について、 知覚すること、 把握すること、学ぶことです。 暴力は、物理的だけではなく、 はるかに心理的、内的です。 さて、何が起きますか。 私はそれに、入ろうとしています - それに興味をお持ちなら、です。
42:57 私は暴力的です - 仮に、 語り手が暴力的である、とします。 怒って、苛立ち、 摸倣し、順応している。 それらすべては、暴力の 様式です - 順応、比較と 怒り、嫉妬などです。 「暴力」というその言葉は、 そのすべてを、収容しています。 さて、私は暴力的です。 それは、事実です。 私はそれを、どう見つめますか。 私はそれを、どう理解しますか。 私はそれを、どう 探検しますか。 どうぞ、これをしてください - 私たちが話しているとき、です。 まず第一に、その暴力は 私より、異なっていますか。 理解されますか。 怒り、嫉妬、恐れは、私より 分離していますか。 または、私は それですか。 私は、あなたが仰る だろうのを、知っています - 「誰が見ていますか」と。 私たちは、それに 入ろうとしています。 まず第一に、私たちは、きわめて 明らかでなければなりません 44:23 - すなわち、暴力は、何か 私より離れたものではない。 私が 暴力的なのです。 ですね?  その事実を、 認知なさるのでしょうか。 または、あなたは、こう 仰るのでしょうか - 暴力を目撃し、 観察しているのは、誰ですか。 観察者は、過去です。 ですね? 「私は暴力的だ」と言い、 暴力の本性を見る観察者。 観察者、見る者、 究明者は、 過去です。 彼の暴力の記憶です。 「暴力」という言葉は、 記憶の部分などです。 観察者は、過去です。 明らかですか。 過去をもって、あなたは 現在の暴力を、見つめています。 ですね?   現在の暴力は、反応です。 その反応の中、あなたは、 過去から見ています。 45:41 過去が、それを 見つめています。 で、何が起きますか。 あなたは、「暴力」という 言葉を、使ってきました - それは、過去です。 なぜなら、あなたは、前に 暴力的であったし、 あなたは、それを 認識するからです。 どうぞ、気をつけて、 これらに付いてきてください。 あなたは、新しい反応を認識し、 あれは暴力的だと、言います。 で、その言葉をともなった過去の 記憶が、現在の反応を、認識します。 で、あなたは、過去から 現在を、分離させてきました。 観察者は、現在を 見つめている過去です。 ですね? それで、二元性が、 あります。 それで、葛藤が、あります。 それで彼らは、 「私はどうやって、暴力を抑圧する ことになりますか」と、言います - 「私は、非暴力を 追求しよう」と、 それらすべての、 あなたが玩ぶごまかしです。 46:43 が、実際に、あなたは 暴力的です。それは、事実です。 あなたは、その事実を 保てますか - その事実から動いて 離れないで、です。 すなわち、観察者なしに 観察する。 理解されますか。 ゆえに、過去の知識なしに、 観察する。 ああ、それは・ ・・ 同意なさらないでください。 それは、大いなる注意を、 必要とします - 大いなる休止、 静寂な観察を、です。 唯一つの言葉もなく、 暴力を見つめることを、です。 過去の作動全体が、 あなたの観察に 介入することなしに、です。 観察者は、 観察されるものです。 ですね? これは、あなたが受け入れたり、 見たりするのが、困難です。 なぜなら、私たちは 生のすべて - すみません - 私たちは、生すべてで、 分離してきたからです。 私たちは、ヒンドゥー教徒です。 あなたは、イスラム教徒です。 それらは、称号です。 宣伝の結果です。 が、私たちは、 人間です。 48:32 で、二元性なしに 生きることは、可能ですか。 すなわち、一つのことを言い、 それを通す。 裏表がある話ではない。 暴力とともに留まる。 その本性を理解する。 それを見つめる。 すなわち、過去なく 観察するのです。 これは、私が言いましたように、 大変多くの注意を、必要とします - 学ぼうとする欲求を、です。 非難するのではない。 で、私たちは、 訊ねています -
49:22 葛藤なく生きることは、 可能ですか。 私たちは・ ・・語り手は、それは 可能であると、言っています。 それは、 こういう意味です - 私はそれを、もう少し 複雑にするでしょう - それは、けっして記録しない、 という意味です。 けっして記録しない。 侮辱や、へつらいや、 どの出来事、 心理的な出来事でも、 けっして記録しない。 言っていることを 理解されますか。 私たちは、互いに 理解しあっていますか - 知的に、 言語的にさえも、です。 頭脳は、 記録しています。 あなたは今、語り手が言っている ことを、記録しつつあります。 あなたは、それに気づいて いないかもしれませんが、 あなたは 記録してきました。 この講話が録画されつつあるところの (ヴィデオ)テープのように、です。 50:30 で、頭脳は、 記録しています。 その記録は、 止まりえますか。 その記録が、知識です。 その知識の記録、 知識を記録することが、 安全、安心です。 私たちは、手放すこと、物事を新鮮に 見つめることに、怯えています。 で、記録しない。 あなたの妻や夫が、「あんたは ばかだ」と言うとき、記録しない。 あなたの夫や妻が、「あんたはばかだ」 と言わないことを、望みます。 その言葉や、その言葉の感じを、 記録しない。
51:50 私たちの頭脳は、コンピューターの ようになってしまいました。 科学者と、コンピューターを 造っている専門家たちは、 言っています。 百万ドル、億万ドルを 注いでいます。 日本でも、 アメリカでも、 コンピューターを 創り出すために、です。 すなわち、 超機械的知能です。 それは、人間より 急速に考えるでしょう。 どうぞ、これらに 付いてきてください。 彼らは今、そう しています。 インドは、五十年か、十年、 遅れているかもしれませんが、 彼らは、コンピューターを 造っています - そこで、それらは、人の活動の ほとんどを、引き受けるでしょう。 もちろん、それらができない・ ・・ - たぶんそうなるでしょう - (定型詩の)ソネット、オードや、 歌を書けません。 たぶん、できるように なるでしょう。 53:13 で、コンピューターは、 私たちの頭脳に、似ていますが、 さほど鈍くありません。 それは、ものすごく活動的です - 小さなチップに、 幾千もの記憶を、載せています。 機械が、人間たちがすること すべてを、できるとき、 人間の頭脳、あなたの頭脳に、 何が、起きようとしていますか。 質問を 理解されますか。 後生ですから、 反応してください。 アメリカでは、テレビで、 私たちは、日本の車が組み立て られつつあるのを、見ました。 コンピューターとロボットが、 ありました。 コンピューターは、ロボットに、車を どう組み立てるのかを、言っていました。 そして、ロボットが 車を組み立てていました。 作業員たちは、白いエプロンと 白い手袋を、着けていました。 突然に、機械全体が、 止まりました。 そのとき、コンピューターが ロボットに、言います - 言語的には、でない - あなたは、ねじをしっかり 回さなかった、と。 54:48 で、ロボットは、即時に ねじを、締めます。 そして、機械全体が、 進みます。 これが、コンピューターの世界で 起きつつあることです。 そのコンピューターは、 人より、よく考えられます。 それは、神々を 考案できます - あなたたちが、神々を 考案してきたように、です。 それは、チェスをできます。 それは、 最もとてつもないことを、できます。 そして、人間の頭脳に、 何が、起きようとしますか。 あなたは、それについて、 考えたことが、ありません。 それは、入るかいが、 ありません。 なぜなら、あなたは、それに 興味を持っていないからです。
55:32 人間の頭脳は、活動、挑戦を 必要とします。 その頭脳は、娯楽で 楽しもうとしているのか - 娯楽産業は、その頭脳を、 引き受けようとしています。 あなたが今、引き受けられ つつあるように、です。 スポーツ、映画、 雑誌、寺院、 それらは すべて、娯楽です。 フットボール、そうね、 クリケットと、その他すべてです。 そのとき、何が 起きようとしていますか。 あなたの頭脳は、娯楽産業により 引き受けられています。 それは今、 されつつあります。 あなたは、それを意識して いないかもしれません。 そして次第に、あなたの頭脳は、 すっかり鈍くなります - すでにそうでない、 としても、です。 あなたは、娯楽で 楽しもうとしているのか。 あるいは、あなたは、全然違った 方向へ、向かいます - 内的に、です。 あなたが、内的に向かうなら、 無量の、無際限の、 果てしなくつづく 安全が、あります。
57:02 で、私たちは、平和について 話しています。 自分自身の中に 完全な平和を、持てます - 精神の平和ではありません。 それは、ばかげています。 生きている平和 - 性質、深さ、です。 ただの表面的な、平和の見積もり だけではありません。 それは、いかなる葛藤もないとき、 起こりうるだけです。
57:36 私たちはまた、宗教とは 何であるかについて、 ともに 話し合うべきです。 それを見出す、それへきわめて 深く入るには、 私たちは、ともに 話し合わなければなりません - あなたと語り手が、 話し合う、会話を行うのです -
57:57 冥想とは何であるかに ついて、です。 「冥想」(メディテーション) という言葉は、熟考する、 じっくり考える、 という意味です。 また、その言葉、「冥想」 (メディテーション)は、 度量を、 意味しています。 じっくり考える、 熟考する。 また、 測量できる能力も、です。 宗教は、 理解されなくてはなりません - 知的に、 ロマンチックに、ではなく、 世の中で進みつつある、 それらのごみ、ではない。 その言葉の充分な意味を、 見出す、発見する、 見ることは、 何も恐れがないとき、 葛藤がないとき、 起こりうるだけです。 そして、見出すには - 見出すのではありません - 何か神聖なものが、 あるのなら、 その真理を見つける - 探求をとおして、ではない。 様々な経験、 様々な導師をとおし、 一つの道楽から別のへ 行くのをとおして、ではない。 それの真理を見るには、 冥想が、なければなりません。 59:42 冥想とは、何ですか。 冥想が一般的に、 理解されているのは - それが、禅であっても、 あらゆる他の形の冥想、 ヒンドゥー、チベット、 仏教のであっても、 それらはすべて、今、体系、 実践に、なってきたのです。 どの体系も、 官僚制であっても、 宗教のであっても、どの体系も、 また、思考、哲学の体系も、 どの体系も、本来的に、 衰え、退廃を、孕んでいます。 それが起きつつあるのは、 見られます。 で、冥想するには、すべての体系より 自由でなければなりません。 ですね? あなたは、冥想するための体系 すべてより、自由になるでしょうか。 または、あなたは、自分の特定の 気に入りの方法を、持っていますか - 頭脳の平静さを もたらすために、です。 すなわち、あなたは、冥想をとおして 鎮静を、見つけたのかもしれません。 1:01:04 理解されますか。 あなた自身を、眠らせた。 反復をとおして、 あなた自身を、催眠に掛けた。 ですね?  で、私たちは ともに、見出そうとしています - 冥想とは何ですか。 語り手は、あなたに、どうやって 冥想すべきかを、語っていません。 「どうやって」という言葉は、 霊的な事柄に、存在していません。 「どうやって」という言葉は、 方法を、含意しています。 あなたたちは、千の方法を 持ってきました。 それで、あなたは、今いるところに 取り残されてきました。
1:01:50 で、冥想とは何ですか。 訊ねて、見出してください。 私たちは、互いに助け合うでしょう。 すなわち、初めに、何も 権威が、あってはなりません - 教示者、 あなたを導く人が、 誰も、です。 ゆえに、あなたは、とうてい 誰にも頼れません。 あなたの生と過去の世代すべてが、 指導者に、頼ってきました - 政治家に、導師に、 司祭者に、です。 それで、人は、その終わりに、 どこに、取り残されてきましたか。 人はまだ、混乱の中、 まだ、葛藤の中に、います。 で、冥想の真の意義を 見出すことは、 権威すべての 全的な放棄です - 知識の権威をも 含めて、です。 1:03:21 これを 理解されますか。 それで、あなたの頭脳は、完全に 条件づけられていない、 伝統すべてより、 なっていく感覚すべてより、 全的に自由である ように、です。 すなわち、私たちの頭脳は、 なっていくのをとおして、 条件づけられています。 あなたは、事務員から 経営者へ、なりつつあります - 見習いから、 大工の名人に、 工学の大学生から、 あなたは、工学部長に なりつつあります。 物理的に、あなたは、そこで なろうとしてきました。 同じ動きが、心理的に、 拡張されます。 1:04:32 そこで私たちは、何かに なろうとしています。 私は良くないが、 私は良くなるだろう。 私は、覚りを 開くだろう。 覚りは、 時のではありません。 覚りは、あなたの生の 終わりに、ありません - または、様々な実践を とおしても、です。 覚りは、明瞭な頭脳を 持つことです - 散らかっていない。 知識により、思考により、 散らかっていない。 それで、頭脳は、 自由であるのです。 そして、それが冥想です。 それで、何も測量が、ないのです。
1:05:29 測量の問いへ、入られたことが あるのかどうか、私は知りません。 西洋の全体は、 西洋のテクノロジーの 世界全体 - あなたたちは、ここで それを真似していますが - それは、測量に 基づいています。 もしも、測量がなかったなら、 テクノロジーは、ないでしょう。 ギリシャ人、古代ギリシア人たちは、 測量に、関心を持っていました。 そして、彼らは、爆発しました。 彼らの哲学と彼らの発見、 数学などが、西洋中に 爆発しました。 インドは、言いました - 古代の人々が、です。 私が正確に聞かされて きたなら、です。 なぜなら、語り手は、これらすべての 書物を、読まないからです。 ありがたい。 で、彼は、知識、伝統の 重荷を、負っていません。 1:06:34 彼は、物事を、ありのままに 見つめられます。 インドは、測量は幻影であると、 言いました。 あなたは、 宇宙、万物を・ ・・ - 語り手が、こう 言っています - あなたは、宇宙、万物を 測量できません。 あなたは、言葉や思考でもって、 測量不可能なものを、測量できません - または、すべての時を 越えているものを、です。 それの甚大さを、理解する - 全く自由である頭脳の、 壮大さ、美しさ、 強さと、 無量の生命力を、です。 それは、ものすごいエネルギーを 持っています。 テクノロジーの世界で、 発明、考案し、探求し、 訊ね、探検している 人たちのように、です。 彼らはそこで、無量の エネルギーを、持っています。 が、頭脳は、自己、「私」より 自由であるとき - それは、本質的に、 エネルギーのむだです。 自己中心的な活動は、 です - それより自由が あるとき、 頭脳は、無量の、計算不可能な エネルギーを、持っています。 そして、そのエネルギーが、 なければなりません。 1:08:15 - 思考により 組み立てられたのではない。 あなたの頭脳の中の いわゆるセンターと、 クンダリニーの様々な 形の目覚めと それらの種類のもの とおして、でもない。 語り手は、それらについて、 幾らか知っています。 彼はそれを、全的に 無視します。 ところが、葛藤より 自由があり、 内的に、大いなる静寂が、 あるなら、 冥想は、それです。 企てられ、 操作されたのではなく、 静寂 - すなわち、思考により 組み立てられていないもの、です。
1:09:18 静寂は、空間を 含意しています。 頭脳は、空間を 持たなければなりませんが、 思考が作動しているとき、 それは、空間を持ちません。 なぜなら、思考は、 制限されているからです - すべての知識が 制限されているように、です。 で、絶対的な静寂と空間が、 なければなりません - それは、測量がなく、 なっていくことが、ないとき、 起こりうるだけです。 その静寂が、 あるとき - 二つの物音の間の 静寂ではありません。 二つの戦争、二つの葛藤の間の、 静寂や平和ではありません。 静寂は、何か、物音に、全然 関係していないものです。 その静寂があるとき、 神聖なものが、 あります - 言葉により 測量可能でないものが、です。 これが、冥想です。 そして、 これが、宗教です - それは、私たちの日々の生活と 全的な関係を、持っているのです。
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