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MA8586T1 - 過去や未来を持たない行為
インド、マドラス(チェンナイ)
第1回公開講話
1985年12月28日



2:09 語り手は、知りたいと思います - なぜみなさんは、ここにいるのか、です。 私は本気で言っています。 どんな意図をもち、どんな目的をもち、 どんな種類の想像上や迷信的な概念を 持ってのことなのか。 おそらく、私が大胆に提起してもよろしければ、 あなたたちは、それら観念をもって、それら公式をもって、 来たのかもしれません。 残念ながら、あなたたちは失望するだろうと、思われます。 なぜなら・・・みなさん、聞こえるといいのですが。だいじょうぶですか? みなさんが聞こえることを、願っています。良くなりました。 長い間、世界中で話をしてきました。 七十年間 - それは長い時間です。 そして自然に、あらゆる種類の空想的、迷信的で 想像上の評判を、築き上げてきました。 創り出されてきたそれら評判、 それらイメージは、本当は無意味です。 なぜなら、私たちが話していることは、 講義とは全然違っているからです。 講義は、情報を与えるもの、教示するもの 導くものなどと、されています。 これは講義ではありません。 どうか、私たちはその点が、きわめて明らかでなければなりません。 これは、講義ではありません。 語り手の側には、あなたを導こう、 あなたを助けようという意図は、何もありません - (助けるという)その言葉を使うとして、お許しください。 または、何かあなたが話をしてほしいことについて、情報を与える意図もありません - すなわち、理論的、迷信的、想像上のこと、 いわば固執について、です。 私たちはともに、熟慮しようとしています。 その言葉は、とても深い意味を、持っています - 「熟慮する」。 それは、ともに重みを量る、一緒に相談し合う、 互いに養い合う、という意味です。物理的に養うのではない、と願います。 心理的に、知的に、です。 そして、可能なだけ深く、透徹する - 自らの意識の中へ、 その機能、その考え方、生き方の中へ、です。 これは、理論的な会合ではありません - あるべきこと、なかったことの様々について、 話す会合ではない。ともに、あなたと語り手は、 ともに相談しあおう、ともに物事の重みを量ろうとしています。 どうか、これは、たくさんの言葉だけではないのです。 語り手は、言うことを、本気で言っているのです - あなたがそれを好きでも、好きでなくても、です。 彼は言います - 私たちは、ともに相談しあおう、 ともに物事の重みを量ろうとしている、と。 私が重みを量り、それからあなたに対してそれについて語る、のではない。 むしろ、ともに、あなたと語り手は、 ともに相談しあう。ともに重みを量るのだ、と。 これは、宣伝ではありません。 なぜなら、私たちはともに、 究明し、訊ね、問い、疑っているからです。
7:15 観念と事実は、二つの別々のことです。 事実は、一つのことです。 マイクロフォンは、観念ではない。それは事実です。 で、事実が、私たちが議論しようとしていることです - 事実についての観念、ではない。 これらが明らかであってほしい、と私は思います。 だいじょうぶですか? あなたたちが静かにしているように、私も静かにしていましょうか。 これは真剣な会合です - ただの言葉の交換ではない。 何か、いけないんでしょうか? で、まさに最初から、私たちは、きわめて明らかでなければなりません - これは講義ではない。 私たちは理論について話していない、ということが、です。 長い二百五十万年の進化を通して、 人間たちに何が起きてきたのか、ではなく、 今の私たちです。 私たちは何になったのか、 私たちの未来は何か、です - 人類の、ではない。 私たちみんなの未来は、何でしょうか。 いいですか?その点は、はっきりさせましょう。 私たちは、熟慮しようとしています。 すなわち、ともに相談しあおう、と。 ともに相談しあって、私たちは互いに養いあいます - 知的にも、非言語的と心理的にも、です。 それは、何か知的なことではありません。 これは何でしょうか?ああ、お願い・・・すみません。 誰かが、私の肩越しに手を出しているのかと、思いました。 それは、ロマンチックでなく、迷信的、 想像上などではない。 で、私たちはともに - あなたは、ただそこに座って、「はい、はい」とか、 「いえ、いえ」とか言えませんよ。 あなたは参加しています。 あなたは分かち合っています。 私たちはともに、重みを量ろう、相談しあおうとしています。 ですね?それが、私たちの間で、理解されましたか。
10:08 私たちは、どんな種類の宣伝も、やっていません。 また、あなたを、特定の宗派に加わるよう、招待していません。 ここで私は付け加えなければなりません - 私は、あなたの導師ではない。 あなたたちは、私に従う人ではないのです。 私たちは、新しいカルト、新しい協会を、設けようとしていません - 新しいアシュラム、新しい種類の強制収容所を、です。 これが、私たちの間で、きわめて明らかなら - あなたと語り手は、ともにすべての講話に、加わろうとしている、 ということが、です。未来に講話があるなら、ですが。 それは、身体の体調次第です。
11:11 で、私たちはこの地上に、存在してきました - 科学者、考古学者などによれば、 二百万年以上の間、です。私たちはここにいます。 私たちは、何なのでしょうか。 あなた自身が訊ねてください。 私は、あなたが何なのかを、提起していません。 私たちは、深い洞窟を開こうとしています - 深く潜んでいる原因、 原因の裏に潜む真実を、です。 で、私たちはそれに入ろうとしています - 講話の間に、です。 それが何回あるだろうかを 私は保証できません。 明日、講話があるのかないのか、 後で、話があるでしょう。 または、私は話をする - すなわち今日ですが、 水曜日に質疑応答の会合、 次の土曜日、最後の会合が、あるでしょう。
12:38 で、ともに私たちは、この世界を、見つめようとしています すなわち、私たち自身を、です。 ですね?進んでそうしたいですか。 それとも、怯えていますか。 そして、あらゆる種類の不条理な理論の裏、 あらゆる種類の心理的な皮肉、当てこすりの裏、 人が組み立ててきたすべての裏に、隠れているのか - 宗教と呼ばれるもの、現存の社会のように、です。 それは退廃です - それが、次第に起きている。 すべての都市での汚染。空気を汚している。 そしてまた、腐敗。 これが、私たちが捕らわれているものです。 で、私たちのどこが、いけないのでしょうか。 または、これは、自然な進路でしょうか。 質問を理解できますか。 あなたたちは本当に、これらゴミくずを聞きたいのでしょうか。 あなたたちは、これらを新聞で読むにちがいありません - 彼らが正直であれば、そして雑誌があれば、ね。 もちろん、世界の導師たちすべては、 彼らが望むものを、破壊してきました。
14:22 では、始めましょう。 ですが、どうか、心に留め置いてください -これは講義ではないのです。 あなたたちは、語り手を聞くために、来たのではない。 あなたたちは、自己を聞くために、来たのです - その自己が、どれほど錯綜していても、 どれほど表面的でも、どれほど深くても、です。 私たちは、それらに入ろうとしています。 おそらく、一回の講話の間、ではない。 講話の終わりに、語り手が 生き残っているのかどうかを、見てみましょう。 それが、裏にあることなんです - (講話の後、)語り手が去った後、二、三分間、 静かに座って待つよう、お願いしているんです。 語り手は、明日継続できるかどうかを、見出すでしょう。 それとも、その終わりに彼は、倒れてしまうだろうか。 それはあなたしだいです。なぜなら、あなたは、私の聞き手として、 「はい、はい、それはとても良く聞こえます」とか 「全く良くない」とか言うかもしれないからです。 「それは論理的でない」とか「非論理的だ」などと。 いいですね?
15:38 私たちは、人間として、何なのでしょうか。 こんなに長い時の間、生きてきた者として、です。 なぜ私たちは、今のような私たちなのでしょうか。 質問は理解しましたか。 いいですね?私の質問は、理解しましたか。
16:04 質問者: いいえ。

K: ええ?
16:06 質問者: いいえ。

K: いいえ?
16:09 質問者: 彼は、理解していないと言います。

K: とても単純ですよ。 私は、普通の英語を使っています -専門家の英語ではない。 私はもう一回、言いましょう。 私たちは、これらをともに、分かち合っています。 あなたは単に、語り手から聞いているだけではありません。 私たちは、ともに相談しあっています。 私たちは、熟慮しています。 その言葉は、本当に良い言葉です - 「熟慮する」。 それは、ともに相談し合う、物事の重みをともに量る、という意味です - あなたの先入観、あなたの意見、 あなたの結論ではない。考える過程全体です。 それが、人をどういうものにしてきたのか、などです。 ですね?あなたが理解しないのなら、 すみません。私はそれに戻らないでしょう。 私たちは、普通の英語を話しています。
17:22 で、私たちに何が起きたのでしょうか -私たちの一人一人に、です。 すなわち、私たちは人間として、この地上に生きてきました。 きわめて長い時の間です。それは進化と呼ばれます。 その進化の、経験、知識、思考の間、 人が組み立ててきたすべてのものごと。 彼の迷信、神、様々な帝国を 含めてです。そして、実際の事実へ 降りてくるとき、私たちの一人一人に、何が起きたのでしょうか。 あなたは知りたくないですか。 それとも、私たちは、知るのに怯えていますか。 どちらですか。 やれまあ、どうしちゃったんでしょうか。 一つも反応がない。
18:33 質問者: 私たちは探究したいです。

K: あなたは楽しみたい?
18:39 質問者: 探究したい。
18:45 K: あなたが何について話しているのか、私は理解できません。 あなたは、残りの世界です - あなたが苦しむこと、あなたが経て行くこと、日々の退屈、 自らの生の些細さすべて。格闘、痛み、 心配、悲しみ、 怠慢、気の緩み、無頓着。 これは、人類すべてが分かち合っています。 ですね? 誰もがみな、これを経て行きます。 あなたの導師 - あなたにそれがいるとして、です。いないことを、私は願っています。 あなたの導師は、そもそも目覚めていて、そもそも 全うで、理性的であるなら、ですが、彼もこれらを経ていきます。 王や大臣たちも、これらを経ていきます。 痛み、心配、不安定、 悲しみ、死、未来に何かを望むこと。 すべての人間は、どこへ行こうとも、 どれほど文明化していても、いなくても、 あらゆる人間が、これを経ていきます。 ですね? あなたは、その事実を疑っていますか。 それを疑いますか - すなわち、世界中の あらゆる人間がこれらを経ていく、ということを、です。 これが、私たちの意識を作り上げるのです。ですね? 私たちは、互いに理解しあっていますか。 ともに歩んでいますか。 私たちはともに、究明していますか。 それとも私が、あなたたちを導き、助けているんでしょうか。そうではない。 どうか、一つの事実を確信してください。 私は、あなたを助けたくないのです。 私は、あなたの導き手や助け手ではない。 するとあなたは、訊ねるでしょう -なぜ私は、ここに座っているのか、と。 あなたはたぶん、好奇心から、または、自らが聞いたことや 本で数行を読んだことから、ここに座っているんでしょう。 または、「行って、あいつから聞きなさい」と言われた - 見出すことになるでしょう。 で、どうかはっきりさせてください - 語り手は、あなたを導いていません。 あなたを助けていません。 彼は助けないでしょう!なぜなら、あなたたちは、助けてもらってきたからです。 幾時代をも通じてずっと、あなたたちは、助けてもらってきました - 救い主、 導師、マハトマ、それらの一覧表を、すっかりご存じでしょう。 彼らはみんな、あまりに進んで、あなたを助けようとします - アシュラムでもって、財団でもって、です。 ここを含めてです。 あなたは、助けてもらってきました。 何か厄介があると、導師へ駆け足で行く。 または、寺院へ、助けを求めに -それは、祈りと呼ばれます。 あなたたちは、助けてもらってきた。 導いてもらってきた - 政治的、宗教的、精神医学で、です。 そのすべての終わりに、私たちは、今の私たちなのです。
23:08 で、語り手は言います - どうか、これを深刻に受けとってください。 彼はあなたを導いていない。 彼はあなたを助けていないのです。 反対です。 ともに、私たちは同じ小道を、歩んでいます。 ともに、私たちは分かち合い、養い合っています。 私は、「養う」という言葉を、知的にも、心理的にも、 用いています。互いに食べさせ合うことはできません。 あまりに多くの人々が、います。
23:45 で、いつの時も、それを心に留めてください - あなたと語り手は、ともに、 この問題全体を見つめている、ということを、です。 私の悲しみ、あなたの悲しみ、 あなたの心配、不安定だけではない。 それは、地上のあらゆる人間が、分かち合っているのです。 そしてあなたの意識は、人類の意識です。 ですね? あなたは、同意しないかもしれません。 でも、究明してください。たとえ知的に、 論理的にでも、です。情動的にではない。 それでは、迷ってしまいます。 論理的に、全うに、それを見つめる。 先入観、意見をもってではなく、見つめる。 あなたは苦しむ。ロシアの人も、そうです。 あなたは不安定です。シナの人もそうです。ですね? で、あなたの意識は、人類すべてが分かち合っているのです。 で、あなたは人類です。ですね? あなたは人類です。スミスさんとか、ラオさんとか、 何らかのものではない。 それがあなたに示されるなら - 受け入れるのでなく、 それが論理的に示されて、ともに究明し、 ともに分かち合うなら、私たちはどうするのでしょうか。 質問は 理解できますか。質問は理解できますか。 これらが見える。 人類がいかに国家、民族、分派、宗教へ 分割されてきたのか - 「私の導師はあなたの導師より良い」 などと、です。 この分割、この分離は、世界中に存在しています。 それが、戦争の主な原因の一つです - 国籍です。 ですね? しかし、あなたは、自分の国家主義、民族主義をつづけるでしょう - 自分のヒンドゥー教、伝統を、 語り手が言っていることにも関わらず、です。 ですね?ですね? みんな、同意です。うれしいです。 すなわち、私たちは、前のように続けていくだろう、ということです。ですね?
26:47 あなたたちは、へんてこりんな群衆です。 で、実際に、 この事実、すなわち、あなたは全人類であるということを 実際に悟るとき - 物理的にでなく、 心理的に、です - そのときあなたは、間違いなく、質問をするにちがいありません - 私は何をすべきであろうか。ですね? 私があなたに言うのを、待たないでください。 私たちはともに、分かち合っています。 私たちは、ともに相談しあっています。 これは講義ではありません。 私はこれを、繰り返さなければなりません。 なぜなら、あなたは講義に慣れているからです - 誰かが、あなたのために情報を注ぎ込むことに、です。 で、私たちは、理性的で全うな事実、すなわち、私たちは全人類であることが、 見えるなら、何をするのでしょうか。 いいですか? もちろん、あなたはこれが、見えません。なぜなら、 あなたにとって、個人性を持つことが、とても重要であるからです - 「私はあなたとは分離している」と。 もちろん、あなたは物理的に、私から分離しています。 あなたは女です。私は男です。私のほうが背が高い。 あなたのほうが背が低い、その他すべてです。 生物学的な分割は別として、意識、 私たちの意識、すなわち、記憶、経験すべてをともない、 あこがれとその他すべてをともなう「私」ですが、 その意識は、あらゆる人間が分かち合っているのです。 ですね?あなたは、これらに同意しないでしょう。 大事なことではない。私は進みましょう。 あなたは聞きたいのなら、 聞きなさい。でも、あなたが聞くのか聞かないのかは、大事なことではない。 鳥たちのように、です。彼らは歌いつづけます。 風、雨、雷と光の大きな美しさに
29:10 満たされた嵐のように、です。 で、実際に、 理論的や知的にではなく、悟るなら - すなわち、何かを悟る。コブラは有毒である、 ガラガラヘビは有毒である、というように、です。 で、それには近づかない。 それは単なる結論ではない。 それに近づくなら、死んでしまいます。 で、物理的に私たちは、蛇へ条件付けられています。 ですね? で、あなたは、自らが分離した人間であるとの観念に、 条件付けられ、形づくられ、はめ込まれてきました。 あなたは分離した魂を持っている -キリスト教の観念全体です。 あなたは、自分が人類であることを悟るなら - あなたがそれを問うのかどうかではない。現にそうなのです。 あなたがそれを気をつけて見つめ、慎重にそれに入るなら - それを回避しない -あなたは、自分が苦しむこと、 他の人が苦しむこと、彼が妻や子どもとけんかすることが、 分かります。日常生活のその他です。 で、何をするのでしょうか。いいですか? あなたは、何をするでしょうか。 あなたの行為は、何でしょうか。 結論ではない。理解なさりますか。 なぜなら、結論は事実ではないからです。 あなたは、事実から結論を、導き出すかもしれません。 しかし、結論は事実ではない。
31:25 私は、これらに反応しないらしい人々の 海の真ん中に、います。 あなたの宗教全体が、個人性に基づいています - あなたの祈り、礼拝のすべてが、です。 大事なことでもない。続けましょう。 で、何をするのでしょうか。 この社会に生きていて、私は何をすべきでしょうか - とても断裂、腐敗している社会、です。 私は何をするのでしょうか。 私が何をしようとも、それは社会に影響するでしょう。理解できますか。 それは、私の隣人に影響するでしょう。 月にいる人にではないが、ロシアの人には、です。 で、私は訊ねなくてはいけません -誰がこの社会を、創り出したのでしょうか。 いいですか? あなたはそもそも、一緒に考えているのでしょうか、いないのでしょうか。 やれまあ、あなたが反応しないなら、何かを嗅ぎとってくれないなら、 私は何をすべきでしょうか。 で、私たちは訊ねています - 誰がこの社会を、創り出したのでしょうか。 それは、非道徳的で、腐敗しています。世界中で、です。 それは、人を破壊しつつあります。 それは、退廃しつつあります。ですね? それは、全世界を汚染しつつあります。 私はこの社会に影響するように、何をするのでしょうか。または、しないのでしょうか。 質問を理解できますか。 で、私は自分自身に訊ねます - 私は社会と異なっているのでしょうか。 ですね? 誰がこの社会を、創り出したのでしょうか - 私たちが、その中で生きるものを、です。 いいですか?あなたは、自分自身にその質問をしていますか。 それとも、ただ私に聞いているだけでしょうか。 あなたは、その質問をしていますか。 あなたの答えは、何でしょうか -あなたが、頷いているだけでなく、 本当に頭脳を使っているなら、です。 あなたの答えは、何でしょうか。 何かの神ではない。

質問者: 何かのものが・・・
34:10 K: しばらくの間、私が話をしています。 気になさらないなら、 少し後で。気になさりますか? 質疑応答の会合があるとき - それがあるとしてですが、あなたは私に、あらゆる種類の質問をできます。 で、誰がこの社会を創り出したのでしょうか。 私の父親、あなたの父親、 私の祖母、あなたの祖母、 ですね? 彼らがみんな手伝って、この腐敗した社会を、築き上げたのです。 その中に私たちは、生きています。 で、私たちが、この社会を創り出した者たち、 この社会を築いた者たちです - 私たちの野心をとおし、 私たちの恐れ、安全への願望をとおして、です。 私の関係で、私の仕事、権力、地位での安全への願望、です。 ですね?私たちはみんな、それが欲しいのです。 ですね?私は、真理を言っているんでしょうか。 それとも、何か想像上のことでしょうか。 で、私たちが、この社会を築いた者たちです。 社会は、私とは、私たちとは、異なっていません。 なぜなら、私たちは野心的であり、私たちは貪欲であり、 私たちは怯えていて、私たちは地位、権力、特権が欲しいからです。ですね? 私たちはこれらが欲しいのです。時折、神をも、です。 で、神もまた、私たちが創り出したものです。 あなたは、同意しないかもしれません。 同意しないでください。究明してください。 分かち合ってください。 西洋世界は、あの特定宗教に 捕らわれています。 そして、そこから荒廃を起こしています。 いや、すみません。そう言ってはいけません。 彼らは、神とお金を、うまく付き合わせています。 あなたは、一番小さい厄介があっても、誰か助けてくれる人が、ほしくなる - 情動的、性的、心理的な助けです。 いつも寺院、神殿、モスク、教会があり、 そこには、便利な司祭者がいます。 私は冷笑的(シニカル)になっていません。 私は、あなたに事実を示しているだけです。 で、私は何をすべきでしょうか -
37:03 私が、Kさんではなく、残りの人類であることを、知って、です。 質問を理解できますか。 私は、残りの人類である人間として - 私は、人類はいずこへ、人類はどこへ行くのか とは訊ねません。なぜなら、私は人類であるからです。 あなたは、この重要性が分かるのか、と思われます。 あなたは、その深さ、その美しさが分かるのか、と思われます - その無量性、その責任能力が、です。 残念ながら、分からないようです。 なぜなら、あなたは本当に分かったなら、 自分の兄弟へすっかり責任を感じ、 隣人へすっかり責任を感じたなら - 彼に干渉しようとか、彼の頭を叩くとか、 彼に、すべきことを言うとか、ではない。 あなたが隣人です。 あなたが、兄弟の番人です。 あなたはこれらが分かるのか、と思われます。
38:26 そのとき、私は何をするのでしょうか。 私は、あなたの助けを求めていません。 私は、祈りをとおして求めていません - 全能の神が導いてくださるように、です。 全能の神がいるとして、ですが。 私はこの質問をしています。 私自身にこの質問をしています。 あなたが、そうしなければならないように、です。 あなたがそうすることを、願っています。 私は、自らが残りの人類であることを知って、何をするのでしょうか - 私は人類です。 私は女や男だったり、背が高かったり低かったり、褐色や 何色なのかもしれません。色は重要ではありません。 重要なのは、頭蓋骨の中にあるものです。 で、私は何をするのでしょうか。 私が何をしようと、それは社会に影響するでしょう - それは私なのです。 理解できますか。 社会は私です。 私は社会から、自分自身を分離しました。 しかし、事実は、社会は人により組み立てられてきたということなのです。 人は、安全がほしいとの願望から - 資産をとおし、確信をとおし、 公式などなどをとおして、 恒久的な安全がほしくて、あらゆることをやってきました。 ですね? 彼は、教会を築いてきた。モスクを築いてきた。 寺院、神殿を築いてきた - この国にだけでない。 アメリカにも持って行こうとしています - 不幸にも。 で、私は何をするのでしょうか。 私は、社会から分離していない。 私は、残りの人類から分離していない。 で、何であれ私がすることは、無量の意味と責任を、持つのです。 ですね? 無量の、です。 で、私の責任は、何でしょうか。 いいですね?あなたの答えは、何でしょうか。 そこに座って、私を見つめないでください。 それに対する私の最初の応答は、こうです -行為というのは、どういう意味でしょうか。 いいですか? 私は、何かをしたい - 一人間としてだけでなく、 私は社会に影響したい。 私は社会を変化させたい。 私は、起きている退廃を、止めたい。 あなたは、世の中で何が起きているかを、ご存じです。 私はそれらには入りません。 で、私はどんな行為をするのでしょうか。
42:04 で、私は、その質問をする前に、または、その質問をする中で、 行為とは何かを、探究しなければなりません。 私に言ってみてください。行為とは何ですか。 行為するとは? 公式に応じて行為することは、まったく行為ではありません。 ですね?なぜなら、反復するからです。 その反復は、私たちの安全の一部です。 その反復は、一定の幸福感を与えてくれます。 私たちは安定している、私たちは堅実である、と。 で、行為は、一定の記憶、一定の知識、 一定の過去の経験などに、 基づくのでしょうか。 行為は、何でしょうか。 行為するとは、どういうことでしょうか。 私は行為するだろうとか、私は行為したとか、ではない。今、行為すること、です。 質問を理解できますか。できない? あなたたちはみんな、とても良い教育を受けているでしょう。 学士(BA)、修士(MA)、エンジニア、博士(Ph.D)とか何とか、MAD(狂人)などです。 あなたたちはみんな、良い教育を受けていますが、たぶんあなたは、この問いを 自分自身にしたことが、ないでしょう - 私は、自分が全人類であること、その責任、 その偉大さを悟って、何をするのでしょうか。 で、私たちは訊ねています - 行為は何でしょうか。 行為する - 未来に、ではない。それは行為ではない。 「私は行為した」ではない - それは過去です。 で、過去や未来を持たない行為は、何でしょうか。 入ってください。これは、ものすごく重要な問いなのです。 あなたが行為を過去に基づかせるなら、それはまったく行為ではない。 それは反復です - 修正され、少し変化しています。 しかし、それはやはり反復です。ですね? 神さま!あなたたちは、どこで教育されているのですか。
45:08 で、行為があるのでしょうか - どうか、私はたいへん真剣に、この質問をしています - 過去に依存していない行為、または、 未来の様式に順応していない行為は、あるのでしょうか。 理解できますか。 または - これはもう少し難しいですが、 または、全く行為は、ないのでしょうか。 私たちは、それに、はるかにゆっくりと、入らなくてはいけないでしょう。 あなたは、これらつまらんことを、聞きたいのでしょうか。 それとも、じっと座って冥想をしたいのでしょうか。 あなたが何を冥想と呼ぶのか、私は知りません。 それは、至るところで口にされている 言葉の一つです。 カリフォルニアの小さな村に行ってみると、 彼らは冥想の話をします。 私は、「あなたのその言葉は、どういう意味ですか」と、訊ねます。 彼らは知りません。でも、「私たちは冥想しようとしています」と。 私は今、それには入りません。
46:39 で、時に依存していない行為、です。 これを理解されますか。 いや、気をつけてください。 言われていることに、同意なさらないでください - 後生ですから。 動機、利己なく、褒美を獲得しない 行為が、あるのでしょうか。 質問を理解できますか。 このすべては、時を含意しています。 私は、自分の良い仕事に対して、褒美を受けるだろう。 私は、祈れば、報いられるだろう - 冷蔵庫を。 - なぜ、いけないんです?それは、神さまぐらい良い。神より現実的で、 神より実用的です。 で、利己や結論に基づかない行為は、あるのでしょうか - これには、あなたの情動でなく、 頭脳を本当に使うことが、必要です - あなたが目指して働いている結論に、基づかない行為、です。 で、あなたは究明しなくてはいけません -時は、何でしょうか。 理解できますか。 なぜなら、私たちは時の中、機能するからです。 話は退屈ですか? どうか言ってくだるでしょうか -話にあなたは、退屈しているのかどうかを、です。
48:28 質問者: いいえ。

K: 分かっています。分かっています。 相変わらずの答えです - 退屈していません、と。 でも実際に、話に退屈していますか? で、あなたは、時の本性を、覗きみなくてはなりません。 いいですね?時とは、何でしょうか。 日の出、日の入りによって、ではない - それには、自らの様式があります。 優しい空の新たな月。 そして満月 - 私は先日、それが、 海から昇ってくるのを、見ました。すばらしかった。 日の出と、夕べの星。 そのすべてが、時の一部です。 そしてまた、小さな子ども、赤ちゃんが成長して、 大人になる時も、あります -それは、たくさんの時を必要とします - 二十年、三十年、九十年、と。 それもまた、時を意味しています。 私たちは、時とともに生きます。 あなたは、朝、一定の時に起き、 料理、その他すべてをしなくてはいけません。 で、私たちは、時の制限の中で生き、機能し、行為します。 私たちにとって、時は、とてつもなく重要です。 ここでは、5時30分から会合がありました。 あなたは、5時30分にここへ着くために、 あらゆる種類の手配をしなくてはいけません。 語り手もまた、そうでした。 で、私たちは、時の中、生きます。 科学者たちの時、ではない。 それは、あまりに錯綜しています -私はそれには入らないでしょう。 私たちは、時により生きます。しかし、また、物理的な時があり、 そして、心理的な時があります。 ですね?すなわち、私は今こうだ、私はああなるだろう。 私は嫉妬深い、不安定だ、野心的だ、充足したい。 はしごを登りたい。その他すべてです。 はしごを登るには、時が要ります - 一歩、一歩、一番上へ着くために、です。ですね? で、心理的な時と物理的な時が、あるのです。 これは明らかですか。どうか、同意しないでください。 あなたは、私に同意しようとしていません。 これは事実です。 あなたは、この種の考えに、慣れていません。 それが、あなたの困ったところです。 あなたは、誰とも、何をも、分かち合いたくないのです。
51:56 で、私たちは時に縛られているのでしょうか。 理解できますか。 「私は貪欲です。でも、少し時を私にください。 私は、貪欲でなくなるでしょう」、「私が非暴力になるよう 少し時をください」と。ですね? で、私たちは時を、賞罰の手段として使うのです。 ですね?あなたはこれらが見えるのかどうかと、思われます。 あなたは新聞を読みますか。 そこでは、あらゆることについて情報を与えてくれます - 編集者に応じて、起きているすべてについて、です。 あなたは、新聞で言われていることすべてを、吸収します。 しかしここで、あなたは吸収していません。 あなたは実際に、考えているのです。 あなたは、考えたくないのなら、立ち上がって、家にお帰りなさい - そのほうがはるかにいい。 しかし、考えたい、見出したいのなら、 あなたは、頭脳を使わなくてはいけないだけでない - とてつもなく活動的な頭脳を、です。 あなたは、お金が欲しいなら、それを得るために、むちゃくちゃ働きます - 地位、権力がほしいなら、です。 なんとまあ、彼らを見てください -手放しで働いていますよ。 あなたは、時のない行為があるのかどうかを、 見出したいのなら - 質問を理解できますか。 過去、現在、未来という時に基づかない行為、です。 で、物理的な時は別として、時は何でしょうか。 時は、過去を含んでいます。ですね? 知識、すなわち、科学者たちが、一歩一歩、 経験ごとに、試行錯誤で 取得してきた知識のすべて- 着いてきていますか? - すでに知られていることへ、ますます多くを付け加える。 ですね? 私が言っていることを何か、理解できますか。 よろしい。
54:43 で、時は過去です。 時は現在です。 時は未来です。 これが、私たちがその中に捕らわれている循環です。 私は、自分の経験を憶えています- 私は何とすてきな時を過ごしたか。 それは記憶です。 それから、ひどかったあの日。 私はそれを憶えています。 で、私の頭脳は、過去の記憶、現在と未来に 満たされています。 で、未来は、今ある私です。ですね? よろしいですね? どうか、後生ですから、同意なさらないでください。 お分かりにならないのなら、それは大事なことではありません。 しかし、あなたはここに来るために、わざわざ労を執ってきたからには、 聞かないのなら、 時間とエネルギーのむだです。 これらの本当の内的な物語を、捉えないのなら、 あなたは、ご自分の時間、エネルギー、お金を、むだにしつつあるのです。 で、時は、過去、現在、未来です。 科学者たちは、何か他のことを言うでしょう。 私はこの問題を、彼らと議論してきました。 彼らは、自分たちの結論をもたらすために、 あらゆる種類の策略を、ほしがります。
56:36 さて、過去は時です - 記憶すべて、知識すべて、経験すべて、 痛みのすべて、心配、さびしさ、絶望、 不安定 - そのすべてが、過去です。 それが現在、行為、作用しています。ですね? 修正され、わずかに変化したが、 過去すべてが、今、作用しています。 あなたが、十年前に考えたことが、 わずかに修正され、いまだに続いているのです。 あなたは、神を信じています。 で、その信念は、あなたに一定の安全を与えてくれるのです。 明日、あなたはやはり、神を信じているでしょう - それが幻影や空想や戯言であっても、です。 で、過去が現在において、自体を修正するのが、 未来になるのです。ですね?明らかですか? とても単純です。で、未来は今なのです。 いいえ? なぜなら、今のあなたなるものに、明日、あなたはなるだろうからです。違いますか? あなたは根本的に変異をもたらさないなら、です。 私が言っていることを、理解できますか。 あなたたちは、みんな眠っています。 ベッドへ行きたいんでしょうか。 たぶんあなたは、これらについて、考えたことがないのです。 それに入ったことが、ないのです。 わざわざ労を執って、究明したことがないのです。 時間を掛けたことがないのです -昼の間、少しの時間をとり、 「やれまあ、これらはどういうことなのか。 これら生きるとは、どういうことなのか。 この戯けた生き方の意味は、何なのか」と言ったことがない。 で、もしもあなたが今、十分間を掛けられたなら - 注意を向け、見出そうと心を向ける。 単に知的な、言語的な行為ではなく、 それへ、あなたのすべて、あなたの心を向けるなら、 あなた自身で、ごくすばやく見出すでしょう。 そのとき、神はなく、司祭者はなく、国はなく、 権力、地位はなく、そのすべては完全に消え去ります。 それらはすべて、無意味です。
59:35 で、未来は今です。理解できますか。 なぜなら、私は今、こうであるからです - 私は貪欲である、妬みぶかい。 私は幾人も敵を持っている。 私が、ではない。仮に、私は敵を持っているとします。 それは私の国だ。それは私の神だ。 私の導師は、あなたの導師より良い。 その他すべての戯言(たわごと)です。 で、あなたがそれらを脇に置けるなら - 意見、判断、評価を置いて、事実に向かい合えるなら - すなわち、あなたは、二百万年の後、今あるあなたであるということに、です。 怯えている、さびしい、憂鬱だ、心配だ、不安だ。 それが、今の、今日のあなたなるものです。 明日、あなたは、まさしく同じものになるでしょう - わずかな修正。でも、あなたは、まさしく同じものになるでしょう。 で、未来は今なのです。あなたはこれが見えるのかどうか、私は知りません。
1:00:57 で、そのとき問いが生じます - 変化は、何でしょうか。 理解できますか。 私は今、貪欲である、または怒っているなら - 私は、妬んできました、嫉妬してきました。 私は、大変多くの傷を持っています。 今、根本的な変異が無いのなら、 私は明日、まさしく同じものになるでしょう。 それは論理的で、全うです。 ゆえに、私は自分自身に訊ねます - 変化は、何でしょうか。理解できますか。 変化といったものが、あるのでしょうか。 これらを理解できますか -少なくとも、あなたたちの何人かは? 私たちは、「変容」という言葉を使いますが、それは、様態を変化させる、という意味です。 私はこれである。でも、私はあれに変化しようとしている、と。 それはやはり、同じ様式です。 ですね? あなたたちにとって、「愛」という言葉は、どういう意味でしょうか。 あなたは、その質問をしたことがありますか。 神の愛、絵画の愛、文学の愛、 私は妻を愛している。 それは、かなり疑わしいかもしれません。 私は文学を愛している、などと。 その言葉は、私たち一人一人にとって、どういう意味でしょうか。 あなたは、答えるのを待ちたい、時間を掛けたいのでしょうか。 それとも私は、それを進行させましょうか。 理解できますか。 あなたは、その問い、「愛は何か」に答えたいと思うでしょうか。 それとも、私に、語り手に、それへ入ってほしいのでしょうか。 語り手がそれへ入るほうが、はるかに簡単です。 するとあなたは、はい、いいえを言う。 それは、とても重要な問いです - 愛は何でしょうか。 あなたはどのように、見出すでしょうか。 あなたは、その事柄の真理を、あなた自身でどのように見出すでしょうか - ロマンチックな価値すべて、ではない。 それらのことはご存じでしょう。 私がしなくてもいい。 で、愛であるのは、何でしょうか - それは、情動ではない。 それは、性的な応答ではない。 それは、想像力豊かな・・・のではない。 それらのことは、ご存じでしょう。 で、あなたにとって、愛は何でしょうか。
1:04:34 質問者: 静寂です。

K: 静寂。 それが、愛ですか - 静寂。 あなたが、奥さんを叩いたり、からかったり、 奥さんに何かをするとき、あなたは静寂ですか。 この国では、何でも起きるんです。ですね? 聖者すべて、導師すべて、 最新の奇跡を行う人すべてと、それらです。 あなたは、あらゆるものを吸収します。ですね? 誰かが、本を書く。あなたは、 「そうです。私はそれに同意します」と言う。 誰かがやってきて、それに反論する。あなたは、 「そうです。私もそれに同意します」と言う。 あなたたちは、この国からブッダを追放しました。 または、「はい、彼は私たちの一人です」と言う。 で、あなたの頭脳は、真実そうに見えることに同意して、 ゴミを吸収する能力があるのです。 あなたは実際に、これらをしませんか -あなたが事実に向き合うなら、です。 しませんか? あなたの頭脳は、 宗教の名で起きることを何でも、吸収でき、 - 純粋なごみをも、です - 一番とてつもなく真実なことをも、吸収できる能力がある。 このごた混ぜ、このまぜこぜ - それが、あなたの生です。ですね?
1:06:38 で、私は止めなくてはいけません。 で、愛は、何でしょうか。 私は今、止めなくてはいけません。 私たちは、水曜日か、明日か、次の土曜日かに、 これに入らなくてはいけないでしょう。 いいですね?それでだいじょうぶですか。 かまいませんか。
1:07:13 質問者: 明日です。

K: あなたはそのほうがいいんですね。なぜです? おふざけをしないでください。 なぜあなたは、それを明日にしたいんですか。 それがあなたにとって、好都合なのでしょう。
1:07:39 質問者: 明日は好都合です。
1:07:41 K: 明日は日曜日です。そのとおりですか? で、あなたにとって、好都合です。 仮に、私にとって好都合でないとしたら、どうですか。(笑) あなたたちは、真剣でない。 何でも起きる。今、分かりますか。 で、止めたほうがよろしいでしょう。 ナラヤンさんが、私は明日講話をするのか、それとも水曜日かを、 発表するでしょう。 それで、よろしいでしょうか。
1:08:25 質問者: 彼に発表してもらいましょう。 私たちは、彼からの発表を待ちましょう。
1:08:38 K: みなさん、さようなら。