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MA8586T2 - 恐れは愛を破壊する
インド、マドラス(チェンナイ)
第2回公開講話
1986年1月1日



1:54 よろしいです。 たくさん手間が掛かって、すみません。
2:34 平日に、こんなに多くの人たちに会うのは、 なかなか、バカげているでしょう。 あなたたちがみんな、労を執り、 互いに聞くであろうことを、願っています。
2:58 私たちは、前回、ここで会ったとき - それは土曜日でした - 愛とは何かについて、話しました。 あなたはここにいたなら、憶えているかもしれません。 私たちは、ともに探究しようとしています -ともに、ということです。 このきわめて複雑な問題全体の中へ、です。 で、構わないのなら、あなたは、考えなくてはいけません。 同意するだけではない。 「はい、あなたはとても正しい」と言って、 それから、わが道を行くのではない。 で、私たちは、ともに探究しようとしています - 愛とは何かというこの問題の中へ、です。 ともに、です。 語り手が、唯一人、話をする人である、というのではなく、 ともに、私たちは検討しようとしています。 これは講義ではありません。 教示したり、導いたり、手助けするためではありません。 それは、あまりに愚かでしょう。 なぜなら、私たちは、幾世代に幾世代にもわたって、それらの種類の助けを、 受けてきたからです。そして私たちは、今ある私たちです。 私たちは、今ある私たちから、始めなければなりません。 過去に私たちがどうだったのか、ではなく、 未来に私たちがどうなるだろうか、ではない。 未来に私たちがなるであろうものは、今あるあなたです。 ですね? 今ある私たち、私たちの貪欲、妬み、嫉妬、 私たちの大きな迷信、誰かを崇拝したい願望、 「あなたは聖者です」とか、それら戯けたことを言いたい願望。 で、これは講義ではありません。娯楽ではありません。 何かあなたがただ受け入れたり拒否したりすることではありません。 私たちは、二人の友のように、話し合っています。 お好みなら、国境の向こうの敵のように、です。 私たちは、ともに話し合っています。 で、あなたは、自らの頭脳を行使しなくてはいけません - 駆り立て、力をこめ、考えぬかなくてはいけません。
5:59 で、私たちはこの問いに、入ろうとしています - 愛は何でしょうか。 それを深く深く、深遠に探究するには、 初めに探究しなければなりません -エネルギーは何でしょうか。 エネルギー、です。 あなたの行うあらゆる身振りは、エネルギーに基づいています。 語り手に聞いている間、 あなたは自らのエネルギーを行使しています。 ベナレスから、さらに遠くから、長い距離をここに来るには、 たくさんのエネルギーを、使わなくてはいけません。 ですね? 住宅を建てる、 樹を植える、身振りをする、話をする。 子どもの頃から、赤ちゃんから - 赤ちゃんの最初の泣き声は、 エネルギーに基づいています。 当座、母親から供給されたもの、などです。 私はそれには入りません。
7:05 で、私たちは探究しなければなりません -エネルギーは何かでしょうか。 だいじょうぶですか?続けていいですか。 私は続けられます。 語り手は続けられます - 無際限に、です。 なぜなら、彼はそれに六十年、七十年の間、取り組んできたからです - 同じことを、違った言葉に表してきました。 で、あなたが真剣に聞いてくださるのなら - なぜなら、聞こえることは、大いなる芸術であるからです。 おそらく偉大な芸術の一つです。 相手の人が言うべきことを、聞く。 中断させず、「ええ、私は同意します。 他の何かについて 話しましょう」と言わずに、です。 私たちはまず初めに、あなたがそもそも聞けるかどうかを、探究しなくてはいけません。 これは、講義とか教示とか、それらのものではありません。 私たちはともに、検討し、問い、疑っています。 けっして、けっして、語り手が言っていることを、受け入れない。けっして、です。いいですね? 「はい、同意します」と言って、それから、受け入れつづけないでください。 彼は、何の権威をも持っていません。
8:40 で、私たちは始めましょう -エネルギーは何でしょうか。 これは、科学者たちの疑問の一つでありました。 彼らは、エネルギーは物質である、と言いました。 ですね? しかし、それ以前に、エネルギーは何でしょうか。理解できますか。 それは物質なのかもしれない。 あらゆる種類のものなのかもしれない。 しかし、エネルギーは何でしょうか -原初のエネルギーは? 誰が、このエネルギーをもたらしたのか。 私が話していることを、理解していますか。 はっきりしませんね。 なぜなら、これは、きわめて深刻な問いであったからです。 で、私たちはともに、この中へ、長い旅を行おうとしています。 ともに、です - あなたと私は、同じ流れを歩いて上がっていっています。 あなたは、語り手に付いてきているだけではない。 あなたは、「はい、それはとても良く聞こえる。 ウパニシャッドと ギーターと、彼らが 言ったきたすべても、そうだ。だから、理解できる」と言っているだけではない。 ちょっとそのようなものではない。 まず最初に、大きな疑いを持たなくてはなりません。 いいですね? 大きな懐疑、です。 よろしいですね、みなさん。 いや、同意しないでください。 どうか、同意しないでください。 あなたは、何をも疑いません。 あらゆることを、受け入れます。 で、疑う。懐疑 - あなた自身の経験、 あなた自身の思考、あなた自身の結論を、です。 疑う、問う。 どの書物からも、何一つ受け入れない -私自身のも含めてです。 私はただの通りすがりです。重要ではない。
11:06 私たちは、ともに探究しようとしています。 それがとても重要です - どうか、ともに、です。 それがどういう意味なのかは、ご存じです。 何かを築くよう、何かを探究するように ともに協働する - 何が明らかなのか、 何が疑わしいのか、何が明らかでないかを、見るように、です。 あなたは、私たちとともに、それをしています。 語り手はこれをしてきましたが、あなたが、それをしなくてはいけません。 で、私たちはともに、とても長い流れを、歩いて上がっていっています。 あなたは、その流れを、きわめて強い急流にすることが できます - それは、あなたを押し流し、 岸へ放り上げるでしょう。 または、あなたはそれを扱えます。 で、それには、あなたのエネルギーが、必要とされます。 それには、あなたのエネルギーが、必要とされます。
12:07 で、私たちは訊ねています -エネルギーは、何でしょうか。 あのカラスが鳴いているのは、エネルギーの一部です。 ですね? 樹々、鳥たち、星、月、 日の出と、日の入り。それはすべてエネルギーです。 ですね? たぶんあなたは、それを疑うでしょう。 でも、それは大事なことでもない。 何であれ、あなたが話すことには、エネルギーが必要とされます。 母胎から出た赤ちゃんの、最初の泣き声。 その泣き声は、あのエネルギーの一部です。 いいですね? ヴァイオリンを弾く、話す、結婚する、セックス。 地上のあらゆるものに、エネルギーが必要とされます。 ですね? で、私たちはともに、探究しています -このエネルギーは、何なのでしょうか。 本源は何でしょう。起源は何でしょう。 それはどのように始まったのでしょう。 誰がこのエネルギーを創り出したのでしょう。 どうか、気をつけて。「神」と言って、 それでもって逃げないでください。 私は、神を受け入れません。 語り手に、神はありません。 だいじょうぶですか。それを受け入れますか? あなたは、何でも受け入れるでしょう。 で、大事なことでもない。私はつづけましょう。
13:53 どうか、語り手が言っていることを、 どの瞬間にも、受け入れないようにしてください - 本でも、講話でも、ビデオやそれらの事柄でも。 で、このエネルギーは、何でしょうか。 このエネルギーなしに、私たちはとうてい存在できません。 このエネルギーなしに、地上での存在はありません - 樹々。一番上まで水を吸い上げるには、 ものすごいエネルギーです。何トンも、です。 それは、ものすごいエネルギーです。 航空機を建造するには、 何百の人々が、それに責任を持つ。 月へ行くなど、です。 で、私たちが何をしても、しなくても、それはエネルギーです。ですね? 舞踏家、ヴァイオリン奏者、画家、 寮母、陸軍大将。 あらゆるものが、エネルギーを必要とします。ですね? それは事実です。あなたがそれを受け入れるのか、受け入れないかは、大事なことではない。 私たちは探究しています - このエネルギーは、何でしょうか。 その本源、です。ただ「はい、エネルギーです」と言うだけではない。 または、科学者たちが言うことを、受け入れるだけでもない。 すなわち、エネルギーは物質であるなど、と。 私はそれらに入らないでしょう。なぜなら、語り手は、 この事柄について、彼らの多くに話をしてきたからです。 宗教的な人たちは、「神」と言い、それで終わりです。 または、或る導師がそう言い、それでまた終わりです。 彼らは探究しない。彼らは疑わない。 彼らは問わない。彼らは懐疑的でないのです。 ですね?
15:58 で、ここで私たちは言っています -あなたがそれらを放棄できるなら、 あなたの書物、サンスクリット、古代の人々の言ってきたこと、 それらを放棄し、道端に残しておきなさい。 そして、私たちはともに、旅をするでしょう。 あなたは、それらを脇に置けないとか、 道端に残しておけないのなら、語り手に付いてこられません。 語り手を理解できません。いいですね? わざわざ彼を理解しようとしないでください。 大事なことではないのです。 でも、不幸にもあなたは、たくさんの言葉が聞こえます。 そして、「ええ、合理的に聞こえる」などなどと言うのです。 私たちは、言葉を扱っていません。 言葉は、山ではない。 「山」という言葉は、山ではない。 ですね? 「K」という言葉は、Kではない。 これらは理解できますか。 で、あなたの名前は、あなたではない。 あなたを認識するため、です。 でも、あなたの名前はあなたではない。 これを理解することが、重要であると、私は思います。 言葉は現実ではない。ですね? それは明らかですか。 言葉は、樹ではない。 「樹」という言葉は、あれではない。 ですね? で、私たちは今、よく気をつけなくてはいけません - 言葉に絡みとられないように、です。 あなたはこれらに、付いてくるのかどうか、と思われます。よろしい。 私は進められます。なぜなら、友だちが合図をしてくれたからです。 古い友だちです。
18:07 私たちは、何かへ入ろうとしています - あなたのエネルギーすべて、頭脳すべてを 必要とする何かへ、です。 頭脳は物質です。 それは、百万年の蓄積された経験です。 その進化すべては、エネルギーを意味しています。ですね? で、私は、言っています・・・私自身に訊ねています。 あなたは、あなた自身に訊ねています。 で、私は、自分自身に訊ねはじめます - 収容されたり、刺激されたり、知識の分野に 保たれたりしていないエネルギーが、あるのでしょうか。 理解できますか。知識の分野の中に(保たれていない)、です。 すなわち、思考の分野の中に(保たれていない)、です。 どうか、それに同意しないでください。 私は、自分に目隠ししたいですよ。 なぜなら、あなたたちは、あらゆることに同意するからです -くだらないことが、起きています。
19:27 で、私は自分自身に訊ねます - 思考により、組み立てられ、刺激され、配置されていない エネルギーが、あるのでしょうか。 理解できますか。 思考はあなたに、大変多くのエネルギーを与えてくれます。 毎朝、9時か、8時30分にオフィスへ行くために、 思考が、あなたにそのエネルギーを与えてくれます。ですね? 私は、もっとお金を稼がなければならない、私はもっと良い家を持たなければならない、と。ですね? 思考、考えることが、エネルギーを与えてくれます。 月へ行くロケットを建造するには、二、三百か 三千の人々が掛かったのだと、思います。 ですね? で、そのすべてが、エネルギーを必要とします。 あなたと握手する。「いかがですか?」と言う。 古い友だちを認識する - 向こうに座っています。 彼らが場所を見つけたのが、うれしいです。 私たちは、互いが見えます。 で、私は自分自身に訊ねます - 私は、思考、考えることを知っている。 過去について考える、未来について考える、 現在のために計画する - それが、ものすごいエネルギーを与えます。 ですね?よろしいですね? 考える - 私は、家を建てなければならない、と。 それで、私は建築家へ行く。 私は彼と合意する、などなどです。 そして、あなたは教育されるために、大変多くのエネルギーを必要とします。 ですね? 無知から - いわゆるそれです。 私は、それが無知であるとは言っていません。 数学を知らないことから、次第に学ぶ。 そして、専門校、大学へ行くエネルギー。 それから、或る種、何らかの者になる。 そして仕事を持つ。人生の毎日、それへ行く。 または、若い年齢で退職、そして死ぬ。 で、思考は - どうか理解してください 。 とても重要です - もしよろしければ、ですが。 思考は、このエネルギーを創り出します。 航空機を建造するには - それに何が注がれたのかを、考えてみてください。 数百人の人々が、それに取り組んできました。 一歩一歩一歩、そして、それを構築しました。 そして、(大型のボーイング)747とか、何であれ、生産されました 決しておかしくならない、最もすばらしい機械です。 人がそれをおかしくするかもしれない、などなどです。 で、思考は、エネルギーを創り出す、とてつもない器具なのです。 ですね? つづけてもいいですか。よろしい。
23:08 それが、実際の事実として見えないのなら、 あなたは的を外れています。ですね? それを、実際の事実として見えないのなら - すなわち、思考は、ものすごいエネルギーを創り出す、ということを、です。 あなたは、お金持ちになりたいと思う。 お金持ちになるために、せっせと働く。ですね? 或る種の狂った宣伝をしたいと思う。 そして、一生懸命働く。 あなたは集団、分派、導師、その他すべての事柄へ加わる。 で、思考は、エネルギーを生成する とてつもない器具です。ですね? 思考がエネルギーを生成する。 ですね?同意しないでください。
24:07 すると、私たちは探究しなくてはいけません - 思考のまさにその本性こそを、です。ですね? 「まあね」と言う - 言い訳すべて、ではない。
24:19 これを気に掛けないでください。 私は昨日倒れて、けがをしました。それだけです。 それは過ぎ去りました。 あなたは、他の何かへ注意を向けられます。
24:34 で、思考は、この社会を計画してきました。 世界を分割してきました - アジアとヨーロッパ、 共産主義者、社会主義者、資本主義者と 民主党員、共和党員 - そのすべては、思考により創り出されます。 単純です。 陸軍、海軍、空軍 - 殺すため、です。 輸送のためだけでなく、殺すためにも、です。 これは明白でしょう。 で、思考は、私たちの生において、とても重要です。 なぜなら、思考なしには、私たちは何もできないからです。 ですね? あなたが遠方から、ここに来るには、 計画、調整、列車、航空機、 バスに乗ること等々が、必要でした。 そのすべてが、あなたが考えることの一部です。 ですね?で、考えるとは、どういうことでしょうか。 私に聞かないで、あなたがしっかり出してください。 考えるとは、何でしょうか。 あなたは、一定の考えることなしには、生きられません。ですね? 計画する、家へ戻る、 仕事に戻る、など。あなたは、結婚している。 セックスなど。あらゆることが、思考の過程に収容されています。 で、考えるとは、何でしょうか。 語り手は、それについてたくさん話をしてきました。 で、彼の書物に戻らないでください。 「ええ、私は前にそれを聞いた」と言わないでください。 ここであなたは、書物すべて、 読んできたことすべてを、忘れます。 なぜなら、私たちは毎回これに、新たに接近しなければならないからです。 で、考えるのは、知識に基づいています。ですね? もしも知識がなかったなら - ここにどう来るのか、 バスに乗るとか、あれこれですが -あなたは、ここにいないでしょう。 で、知識、記憶、思考です?ですね? 私たちは、ものすごい知識を蓄積してきました - いかに互いを売るのか、 いかに互いを利用するのか、 いかに橋を架けるのか、 いかに神と寺院、神殿を創り出すのか -私たちは、それらをしてきました。 様々なアシュラム(修道場)、そこで彼らはみんな・・・ それらの事柄は、ご存じでしょう。 或る種の強制収容所です。 で、思考がこれらをやってきました。 陸軍、海軍、航空機を創り出してきました。 思考はまた、知識をとおして、寺院、神殿、 それらの事柄を、創り出してきました。
28:02 で、経験なしに、知識はありません。 ですね? みなさま、論理的であってください。 一定の点まで、論理は必要です。 論理なく、明晰さなしに、始めるなら、 あなたは迷信深くなります。 想像たくましくなり、結論に至り、 寺院を建てる、その種すべての戯言(たわごと)になります。 で、経験なしに、知識はありません。 科学者たちは毎日、何か新しいものを、付け加えています。 どうか、気をつけて、付いてきてください。 もし構わなければ、ですが。 経験は制限されています。ですね。 なぜなら、私たちはそれへますます多くを付け加えているからです - 知識をとおして、です。 経験、知識。頭脳の中に、記憶として蓄えられる。 それから、それが思考の始まりです。 ですね? 私は正しいでしょうか。それとも、あなたが正しいでしょうか。 どう仰りますか。 なんと!何も感じないんですか。 で、経験はいつも制限されています。ですね? なぜなら、あなたは、ますます多くを付け加えているからです - 毎日、科学の世界で、 あなた自身の生活で、です。 あなたは、もっと何かを学びます。 で、経験は制限されています。 ゆえに、知識は制限されています。 記憶は制限されています。 ゆえに、思考は制限されています。 ですね? 私は、まともでしょうか、まともでないのでしょうか。 私たちは思考によって生きます。 で、私たちはけっして悟りません - 思考は、 一番とてつもない天国と地獄を、想像できるが・・・ ギリシャ人たちのオリンポスの神々、エジプト人たちの神々。 あなたは、それらについて、何かを知っていますか。 いいえ。それは大事なことではない。
30:28 で、あなたの思考は、いつも制限されています。 あなたの神々、すなわち思考が創り出したものは、 いつも制限されるでしょう。 ですね? あなたがこれを気に入らないのは、存じています。 が、聞かないでください。 で、あなたの神々、あなたの思考は、どれほど広くても、 どれほど狭くても、これらは制限されています。 この制限から、私たちはエネルギーを見つけようとします。 私が言っていることを、理解できますか。 私たちは、本源を、創造の始まりを、見つけようとします。
31:29 で、思考は、恐れを創り出してきました。 ですね? 創り出していないですか? あなたは、二年後に起こりかねないことに、怯えていませんか。 いませんか? あなたは、職を失うことに、怯えていませんか - 試験に通らないことに、はしごを登らないことに、です。 はしごを登るというのが、どういう意味かは、知っていますね。 もっともっと成功を収めることです。 あなたは、充足できないことに、怯えています。 あなたは、一人で立つことができないこと、 自分自身で強くないことに、怯えています。ですね? あなたはいつも、誰かに依存しています。 そのすべてが、ものすごい恐れを生み育てます。 ですね? 私に目配せしてもらえないでしょうか。 で、私たちが怯えた人々であることは、日常的な事実の一つです。 ですね? そのごく単純な事実に、同意されるでしょうか - 私たちは怯えた人々であるということに、です。 私たちが安全が欲しいとき、恐れが生じます。 ですね? あなたたちは、聞くだけです。 よろしい。私はつづけましょう。 気にしない。私はつづけましょう。
33:18 恐れは愛を破壊します。 愛は・・・ 恐れがあるところ、愛は存在できません。 恐れは、それ自らで、とてつもないエネルギーです。 愛は、恐れと何の関係も、ありません。 それらは全然、離別しています。ですね? で、恐れの本源は、何でしょうか。 愛の本性に聡(さと)くあるように、 これらは、理解されるべきです。 これらを理解されないのなら、 去って、何でもご自分のしていることを、続けて行ってください。 それに喜び、楽しくやってください。 お金を稼ぎ、地位やら何やら、やってください。 でも、あなたが、よく気をつけて、これに入りたいのなら、 考えるとは何かを検討しなくてはいけないだけではない - 機械、コンピューターは、それをすばらしくやっています。 あなたたちは、何も知りません。最新のもの、です。 私は、語り手は、インドに来るすぐ前に、 イングランドで数人の教授たちに話をしました。 後へ先へと考えられるコンピューターが、あるのです。 それがどういう意味なのか、理解できますか。 それらは、例えば私が・・・ 6時に起きなくてはいけない。 ゆえにそれは、6時に起きる計画を、立てなくてはいけない。ですね? そして、6時の後、何をしなくてはいけないのかを、です。 私が思うに、それは何と・・・ 忘れてしまいました。また思い出すでしょう。 で、機械が - どうか、これを理解してください - 機械、すなわちコンピューターですが -あのジョークをご存じですか。 神様に対して祈っています。 隣に、膝元に、コンピューターがあります。 コンピューターは言います -「誰に向かって祈っているの?神はここにいるよ」と。 いや、あなたは、それがどんなに深刻なのかを、ご存じない。 で・・・アーキテクチャー。それがその言葉です。 私はこれを近頃、学んだだけです。 間違っているかも、正しいかもしれません。 コンピューターは、起きたこと、起きるだろうことを、考え、 未来のための計画を立てられます それは、頭脳がやっていることです。理解できますか。 あなたは、ここに来るよう計画します。 多くのお金、多くの時間を使います。 それから、戻るか、先へ進みます。 で、コンピューターは、後へ先へと考えられるのです。 それは、アーキテクチャーと呼ばれるのだと、思います。 今では、名前が変えられたかもしれません。 私は、ここの専門家の一人に訊ねるでしょう。
37:01 で、考えることが、恐れを創り出してきました。 ですね? 未来について考える。過去について考える。 環境へすばやく 適応することができない、などなど。 それで、思考と時です。ですね? いや、あなたは理解しません。私は進みましょう。 明日について、何が起きるかもしれないとの思考。 私の妻が、去るかもしれない。死ぬかもしれない。 私は、さびしい男だ。そのとき私は、何をすべきだろうか。 私は、幾人も子どもがいる。 で、私は結婚したほうがいい。 誰かしらと再婚したほうがいい。 なぜなら、少なくとも、子どもたちは世話をしてもらえるから、などと。 それが、未来について考えることです - 過去に基づいて、です。ですね? で、考えるのと時とが、これに関与しています。 ですね? 未来について考える。 未来は、明後日とか明日とかです。 それについて考えることで、恐れが生じます。ですね? で、時、思考が、恐れの要因です。 私たちは、知っています - 私たちは、思考を検討してきました。 時を検討してきました。 時は、過去、現在、未来です。 日の出と日の入り。 種子を植えるのと、大木になること。 それは時です。 私たちはまた、内的な時をも持っています。 私はこうであるが、豊かな億万長者になるだろう。 私は貪欲であるが、時間をくれ、私はそうでなくなるだろう - おそらく来世には。 などなど、です。 で、時と思考が、恐れの中心的な要因です。
39:22 私は時計を探しています。
39:27 聴衆: 6時10分です。
39:44 K: ありがとう。 で、私は一時間十五分間、話をしたのでしょうか。
40:02 聴衆: 四十分間です。
40:11 K: それだけですか。おあいにく! で、これを終了させましょう。 もう二十分間、与えてください -もし構わないなら。 構いませんか? あまり長居はさせません。 あなたが聞こうが聞くまいが、あまり違いは出ないでしょう。 あなたは、全く同じやり方で、続けていくでしょう - これまで生きてきたように、です。 あなたは、変化しないでしょうし、何一つしないでしょう。 なぜなら、あなたは、轍(わだち)に、溝に、様式に、はまり込んでいるからです。 あなたは続けていくでしょう。 そして、死があるのです。 ですね?
41:07 で、私たちは、何かを探究しています - あなたはそれを理解しないかもしれないが、それは大事なことではない。 時、思考は、私たちの生の主要な要因です。 そして、内的に時は - 「私はこれであるが、あれになるだろう」とか、 「私はこうだったが、ああなるだろう」、「こうであるが、ああなるだろう」 - それらには、時が関与しています。 時は思考です。それらは、二つの分離したものではありません。 それらはどちらも動きです。 そのとき死は、どんな持ち場があるのでしょうか。 理解なさりますか。 私の生において、死は、苦しみ、痛み、心配、さびしさは、 どんな持ち場があるのでしょうか - 私が経てきたそれらひどいことすべては、です。 ありがとう。
42:15 時計を貸してくれた人は、 取っておかれるほうがいいですよ。 私はそれを無くしてしまうかも、あなたはそれを無くしてしまうかもしれません。
42:26 理解なさりますか。どうか、よく気をつけて、これを理解なさってください。 時、思考は、生の中心的な要因です。 私たちは言っています - 思考と時が、恐れの要因である、と。 それは事実です - あなたがそれを、好きでも好きで無くても、です。 で、苦しみは、時とどんな関わりがあるのでしょうか。 これらに付いてきていますか。 苦しみ、痛み、心配、さびしさ、絶望と、 人が経てゆく苦労すべて。 それは・・・それが、私たちの生のすべてでしょうか。 私がお訊ねしていることを、理解できますか。 私たちはともに、旅をしているのです。 あなたは、ただそこに座り、 たわけた語り手から、聞いているだけではない。 私はあなたに訊ねています。 これがあなたの生です。ですね?想像でなく、事実です。 あなたは生まれた。教育された。学士や修士、 博士、その他すべてに、はまり込む。職を得るためです。 または、偉大な首相や、大臣 などになる。後生です。理解なさりますか? これがあなたの生です。 これがあなたの意識です。 あなたの意識は、あなたの恐れ、知識、時から 構成されています。そうね、意識です。 あなたの知識、あらゆるものごとが、あなたの意識に入っています。 その意識から、あなたはあるのですが、その意識を、あなたはいつも、 あなたのである、私のであると、考えてきました - 「私の意識」と。 質問を理解できますか。
44:41 脚を組まないで、さっきのように、安楽に座ってください。 私はあなたを見ていますが、急に変えないでください。
44:51 あなたの意識は、よく気をつけて検討するなら - 判断、評価をとおし、知っていることを とおして検討するのではない。 よく気をつけて検討するなら、 あなたの意識は、その内容から、できあがっています。 ですね?私が言っていることを、理解されますか。 あなたが何を考えるのか、伝統は何か、教育は何か、 どれほどの恐れか、妻を新しい妻に 取り替えたいのか、一定の寺院に行くのか。 そのすべて、さびしさ、恐れが、あなたなるものです! あなたは、自分は内側が神聖であると考えるかもしれない。 それでもやはり、あなたは考えています。 あなたが、「ええ、私の中に神がおられる」と言うとき、 それはやはり、思考の産物です。 で、あなたの意識、すなわち、あなたなるものですが - 物理的にでなく、 心理的、内的にです。すなわち、あなたの意識は、 人類の意識です。 気をつけて聞いてください。彼が言うことを、何も受け入れなくていいい。 この地上のあらゆる人間は、それを経てゆきます - 悲しみ、痛み、心配、不安定、不安全、 けんか、なだめすかし、これが欲しい、欲しくない。 そのすべてが、あなたなるものです。 あなたが、自分は神の化身であると想像するなら、 それは思考の一部です。ですね? 思考は、私たちが指摘しましたように、制限されています。 で、あなたの意識、あなたなるものは、 残りの人類です。 あらゆる人が、これを経てゆきます。 あらゆる女も、あらゆる人間が、これを経てゆきます。ですね? あらゆる人間が、です。 あなたの隣人、あなたの父親、あなたの祖父と、 世界中の過去の世代。 で、あなたたちは、個人ではない。 これは一撃です。受け入れないで、 検討してください。「ばかなことだ」とか、「それは事実ではない。 ギーターが何かを言うから」とか、「ウパニシャッドが何かを言うから」とか、 「バイブルが何かを言うから」と言わないでください。 それは事実です。すなわち、あなたの苦しみ、あなたの痛み、 あなたの心配、あなたのさびしさ、あなたの知識は、 共通であるのです - 私は、「共通」という言葉は、使わないことにしましょう。 あらゆる人間により、分かち合われているのです。 ですね? で、あなたは、分離した魂、分離したアートマンではない。 あなたがこれを好きでないのを、私は知っています。 なぜなら、あなたは 起きていることを、何でも飲み込むよう、育てられたからです。
48:32 で、恐れから、自由がなければなりません - 傷から、 人間たちが組み立ててきた、あらゆる種類のことから、です。 自由がなければなりません - 理解できますか。 ただの言葉、ではない。 「インドは残りの世界から自由でなければならない」 それはただの戯言(たわごと)です。 誰も、自分たち自身では生きられません。 友だちが要るし、誰か助ける人が要るんです。
49:14 で、私たちは、見出そう、探究しようとしています -愛は何でしょうか。ですね? 私たちは言っています - どの種類でも恐れがあるかぎり、 生物学的に、 執着の恐れ、損失の恐れ、 どの種類の恐れでも、です。他は存在できません。 どの種類でも執着があるのなら、 他は存在できません - 他は、愛です。 で、私たちは探究しようとしています。 時間が許すなら、です。 これらを見て - 始まりから、赤ちゃんから大人へ、 世の中がどうであるかを見て、 死が何かを、探究していきます。 なぜ私たちは、こんなに死に怯えているのでしょうか。 理解できますか。死ぬとはどういう意味かを、ご存じですか。 あなたは、何十人もの人々が死んだり、傷ついたりしたのを、見たことがないですか。ないですか。 ない? あなたたちは、変な人たちですか、何ですか?(笑) 別の惑星に属しているんですか。 私たちは、死を見てきました。 私たちは、死が何かを、本当に深く探究したことがありません。 それは、生が何かと同じく、とても重要な問いです。理解できますか。 私たちは、生はこれらである、と言いました -腐っています。 生は、知識、学びであると、言いました。 そうね、それらのことです。 毎日、9時か10時に、決まり決まってオフィスへ行く。 けんか、闘い、 これが欲しい、欲しくない。付いてきていますか? 私たちは、生きるとは何かを、知っています。ですね? 一連の行為(作用)が、一連の反応(反作用)を生産する。 そして、悲しみ、痛み - それが私たちの生です。 そのとき、それが生きることであるなら - そうなのです。「いいや、生きることは、 とてつもない上の段階だ」と言わないでください。 これが生きることです - けんか、離婚、闘い。 でも私たちは、死が何かを、けっして真剣に探究したことがないのです。 私が何について話しているか、理解できますか。 私たちは、生きるとは何かを知っています -あなたが正直であれば、です。 あなたは、何でも好きなことを想像できます。 でも、これが生きることです。 あなたは、天国はそこにある、神様が世話をしてくれる、あらゆる願いが叶えられる、 と想像できます - それらの腐ったことを、です。 少なくとも、私にとっては、語り手にとっては、です。 しかし、私たちはけっして真剣に、死ぬとはどういうことかを、探究したことはないのです。 よろしいですか?
52:58 死ぬとは、どういうことでしょうか。 死ぬのは、とてつもないことにちがいありません。ちがいますか? とてつもないことです。 あらゆるものごとが、取り去られてしまったのです - あなたの執着、あなたのお金、あなたの妻、子ども あなたの国、あなたの迷信、あなたの導師、神々。 あらゆるものが、去ったのです。 あなたはそれらを、別の世界へ持って行きたいと願うかもしれません。 でも、あなたは、お金を、銀行口座を、持っていけません。 ですね?自分の執着、導師、寺院を、です。 あなたは、あちらに寺院を創案するかもしれません。 死後でなく、生きている間に、地上の神すべてを創案できます。 しかし、死は来るとき、言います - 「ごらんなさい。 あなたは何も持って行けない。 あなたの執着すべて、愛情すべて、 傷すべて、人生で集めてきた物事すべてを、 あなたは、持って行けない。 そのための空間はない」と。 ですね? で、死は言います - 「全的に無執着でありなさい」と。ですね? 死が来るとき、それが起こることです。 あなたは、頼る人物も、誰も、何も、持ちません。ですね? これを理解されましたか。 あなたは、自分は来世、輪廻転生するだろうと、信じていることはできます。 それは、とても慰めになる観念です。 しかし、事実ではないかもしれません。 それは、あなたの想像、 あなたのあこがれなのかもしれません - 「私は、 妻から離れられない。 息子のためには、多くを残してきたが、 来世で彼に会うだろう。だから、叱りつけるだろう」などと。
55:26 で、私たちは、死ぬとはどういう意味かを、見出そうとしています - 生きている間に、です。自殺を遂げるのではない。 私は、その種の戯言(たわごと)について、話していません。 私は、死ぬとはどういう意味かを、見出したい。 川へ跳び込むとか、ヒマラヤへ行ってしまい、そこで死ぬのではない。 私がいうのは、そういう意味ではない。 私は、死ぬとはどういう意味なのかを、自分自身で見出したいのです。 それはこういう意味です - 私は、人が創り出してきたすべてから、全的に 自由になれるでしょうか。 私自身が創ったものを含めて、です。 イタリアにジョークがあります。 繰り返してすみません。 「全世界が死ぬだろう。おそらく私も含めて、だ」。 で、私は、実際の事実が何かを、見出したいのです - 死が「もう十分だ」と言うときの、です。いいですか? あなたは、見出したいのでしょうか。いいえ。 あなたは本当に、見出したいのでしょうか。
57:07 死ぬとは、どういう意味なのでしょうか。 あらゆる物事をあきらめる。ですね? 犠牲にするのではない。 それらバカな言葉を、使わないでください。 それは、ごくごく鋭い剃刀でもって、あなたを切り離すのです - あなたの執着から、あなたの神々から、 あなたの迷信から、快適さ、来世への あなたの願望などなどなどから、です。 で、私は、死は何を意味するかを、見出そうとしています。 なぜなら、それは、生きることほど重要であるからです。 で、私はどうすれば、理論的にでなく、実際に、見出せるでしょうか - それについて評価し、協会を結成するのでなく、です。 それらサーカスはご存じでしょう。 しかし、私は実際に見出したい。 あなたが見出したいように、です。 私は、あなたに代わって語っています。 だから、眠りに就かないでください。 で、死ぬとは、どういう意味でしょうか。 とても健康であり、身体は機能している。 何の病気もない - Kのように、です。 九十一歳で、彼は何の病気も、痛み等々もない。 なぜなら、専門家、医師たちに診てもらってきたからです。 で、死ぬとは、どういう意味なのでしょうか。 その問いを、あなた自身にしてください。 私から聞かないでください。 あなたは若い間、または、ごく年老いたとき、 この問いは、いつもそこにあるのです。 ですね? それは訊ねています、要求しています -死ぬとは、どういう意味なのか、と。 あなたは、これに興味がありますか。ありますか。 ああ、いいえ、首を振らないでください。 それはどういう意味かを、ご存じですか。 全的に自由であること、全的に無執着であること - 人が組み立ててきたすべてに対し、 または、あなたが組み立ててきたものに対して、です。全的に自由である。 執着はなく、神はなく、未来はなく、過去はない。 そのすべてがどういう意味かを、あなたは知りません。 あなたは、それの美しさ、 それの偉大さ、それのとてつもない強さが、見えません。 で、生きている間に、死んでいく。 それがどういう意味かを、理解できますか。 あなたは、生きている間、毎瞬間、死んでいくのです。 で、生涯をとおして、あなたは何一つにも執着していません - あなたの妻、父親、母親、祖母、 あなたの国・・・何にも、です。 なぜなら、それが、死が意味するところであるからです。 ですね。 あなたは、来世を願うかもしれません。 それはすべて、あまりに安易、あまりに単純、あまりにばかばかしいのです。
1:01:06 で、生きることは、死ぬことです。 言っていることを、理解できますか。 生きることは、あなたが、自らの執着しているすべてを、 毎日、放棄しつつある、ということを、意味しています - あなたが崇拝するもの、考えること、考えないこと、 あなたの神、あなたの国。何も無い! これをできますか。 これをできますか。 とても単純な事実です。 ですが、それは、ものすごい意味合いを含んでいます。 そのため、毎日が新たな一日です。 理解できますか。 毎日、あなたは死んでいき、生まれ変わりつつある。 ああ、あなたは理解できません。 そこには、ものすごい活力、エネルギーがあるのです。 理解できますか。 なぜなら、あなたが恐れていることが、何もないからです。 傷つきうるものが、何もないのです -傷つくことは、存在しません。 思考は、制限されています。ゆえに、何の重要性も持ちません。 私は五分後に立ち上がり、去らなくてはいけないから、 それは重要性を持っています。 しかし、時、思考、恐れ、執着と、 人が組み立ててきたすべての物事は、 全的に放棄されなくてはいけません。 それが、死ぬことが意味するところです。 神さまが、天国であなたを救うよう、待っていてくださるかもしれない - それはすべて、滑稽に聞こえます。 で、あなたは、それができるでしょうか。 それを、やってみるでしょうか。 実験してみるでしょうか。 一日間だけではなく、毎日、です。 いや、あなたはそれができません。 あなたたちの頭脳は、このための訓練をされていません。 あなたたちの頭脳は、教育により、 伝統により、書物により、教授たち、 その他すべてにより、重く条件付けられてきました。 これには、愛が何かを見出すことが、 必要とされます。愛と死は、伴います。 なぜなら、死はこう言うからです - 「自由であれ。執着するな。 あなたは何も持って行けない」と。 愛は言います・・・ それには、言葉がありません。 で、自由があるときだけ、愛は存在できるのです - あなたの妻から、新しい女の子へ、新しい夫へ、でなく、 完全な自由の、感じ、 甚大な強さ、活力、エネルギー、です。
1:05:09 次回、お会いするとき、 私たちは、宗教と冥想について、話すでしょう。 それでだいじょうぶだと、願っています。 講話が三回だけあるのは、残念です。 でも、語り手は続けてゆけません。 理解できますか。 彼は九十一歳ですし、それで十分です。 終わりましたよ。