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MA8586T3 - 創造、本源、始まりは何か
インド、マドラス(チェンナイ)
第3回公開講話
1986年1月4日



1:26 五分間、早く始めても、構いませんか。
1:57 話をしなければならないのだと、思います。 どうか、彼が話していることへ、参加してくださいますか。 してくださいますか。 もし望まれるなら、彼が話していることに、付いてきてもらえますか。 付いてくるだけでなく、ともに、分かち合うのです。 私のいう、それに参加するとは、 ただそれについて考えるとか、普通に注意を払うだけでなく、 むしろ、語り手がこれから話そうとしていることへ、 ともに入る、という意味です、
2:54 一つか二つのことが、きわめて明らかにされなければなりません。 これは、個人崇拝ではないのです。 いいですね? 語り手は、それらが大嫌いです - 誰かを崇拝するというのが、です。 なぜなら、彼が言っていることすべてが、矛盾するからです - あなた自らが個人を崇拝したり、 彼を神にしたりするなら、です。 世の中で起こる戯言(たわごと)のすべて、です。 重要なのは、彼が言うべきことを、聞くことです。 それを分かち合う。聞くだけでなく、 彼が言っていることに、実際に参加する。 あなたは、同意するかも、不同意するかもしれません。 あなたがそうするのは、完璧に正しいのです。 しかし、あなたはここにいる上、語り手はここにいる上は、 私たちは、ともに話し合っています。 私たちは - 忘れてしまいました。 私たちは、生について話しました。 生のまさに複雑さ、 生の始まりについて、です。 私たちは、ともに見ようとしています - 生とは何でしょうか。 このすべての本源は、何でしょうか - 大地、すばらしい大地、 麗しい晩と、朝早くの太陽、 川、谷、山々、 そして土地の輝き。 それは、散失し、損なわれようとしています。
5:20 で、このすべての本源は、何でしょうか。 あなたが「神だ」と言うなら、それで終了です。 すると、あなたは、すっかり幸せに駆け足で行けます。 なぜなら、問題を解決してしまったからです。 しかし、問いはじめ、疑いはじめるなら - そうすべきであるからです - すべての神、すべての導師を、です。 私はその種族に属していません。 あなたは、人が組み立ててきたすべてを、問いはじめるなら - 始まりから、二百万年の 長い進化をとおして、です。シュメール人など、 ユダヤ人、古代エジプト人から、 歴史の回廊を下って、です。 彼らはいつも、この問いを訊ねてきました - 始まりは何だろうか。本源は何だろうか。 このすべては、どうして起きたのか。 あなたがこの質問をしていることを、願っています。 ただ私に、語り手に聞くだけにしないでください -目を見開いてでも、 目を細めてでも、どんな目をしていても、です。 それを分かち合い、ばらばらに引き裂いてください。 どうか、彼の言うことを、何も受け入れないでください。 彼はあなたの導師ではない - ありがたいことです。 彼は、あなたの指導者ではない。 彼は、あなたを助ける人ではない。 いいですね? で、それが、この講話の演壇、すなわち始まりです。
7:40 これは、私たちが入ろうとしているのは、とても真剣な話です。 あなたの頭脳が活動的でないのなら - ただそこに座って、じっと見ているだけでなく、 実際に活動的でないのなら、 残念ながら、あなたは、付いてくることができないでしょう。 するとそれは、語り手にとっても、あなたにとっても、 むだになるでしょう - そこに座って、たくさんの言葉を聞くあなたにとっても、です。 しかし、もしも私たちが一緒に、長い旅をできたなら - とても長い旅を、です。 時ということに立ってではなく、 信念や結論や理論ということに立ってではなく、 私たちがよく気をつけて、私たちの生の道を 検討してきたように、です - 恐れ、不安定、不安全、 そして、人が行ってきた創案、発明のすべて。 とてつもないコンピューターなどを含めて、です。 あなたがこの中へ長い旅をするのなら、 私たちは、二百万年の果てに、どこにいるのでしょうか。 私たちは、どこに行こうとしているのでしょうか。 何かの理論でなく、 何かお粗末な本の言うことでなく -それがどれほど神聖であっても、です。 私たちはみんな、どこに行こうとしているのか。 そして私たちは、どこで始まったのか。 それらはどちらも、互いに関係しあっています - 私たちがどこに行くのか、どこで始まったのか。 始まりは、終わりなのかもしれません。 理解できますか。 私が話していることを、あなたが理解するのかどうか、私は知りません。 同意しないで、見出しなさい。 始まりもなく、終わりもないのかもしれません。 私たちはともに、それを究明しようとしています。 それでだいじょうぶですか。それらに賛同されますか。 あなたが賛同しようとすまいと、大事なことではない。私は行きます。
10:41 時の始まりから、人は いつも宗教ということに立って、探し求めてきました。 ですね? 古代エジプト人には、彼らのイシスとオシリスと、神々すべてがありました。 古代ユダヤ人などと、 ずっと現在、今日に到るまで、です。 宗教とは、何でしょうか。 質問を理解できますか。 宗教とは、何でしょうか。 なぜ私たちは、そんなに傾倒しているのでしょうか。 または、していなくて、 「私は何も信じない」と言うのでしょうか。 しかし、人はいつも、この世界以上の何かを、探し求めてきました。 人々は、星、太陽、月を崇拝してきました。 そして、自らの創造物を、です。 それは、ものすごい尽力、 努力、エネルギーでした - 古代の寺院、神殿、モスクに つぎ込んできたのです。 もちろん教会も、です。 人々はこれに、ものすごいエネルギーを、つぎ込んできました。 それらの幾つかは、たいへんとてつもなく美しい。 また、幾つかは、おぞましい - 角を曲がると、それらが見られます。 私たちは訊ねています - 世界を越えた何かを 探し求めた人の精神は、何なのでしょうか。 今日の苦悶、苦労、仕事、 工場へ、オフィスへ行く、 成功のはしごを登る、お金を儲ける、 人々に印象づけようとする、命令しようとする - 上から下まで、 それらを越えた何かを、です。 いいですね?それには同意されますか。 あなたが同意しても、しなくても、それは事実です。 あなたたちは皆、何らかの形で権力を、探し求めています。 物事の中心にいたいのです - デリーでも、ここでも、他の所でも。 人々はそこにいたいのです。
13:21 しかし、私たちは訊ねています -宗教は、何でしょうか。 人をして、寺院、神殿などに莫大な財宝をつぎ込ませたり、 財宝を供えさせてきたのは、何でしょうか。 何が、人をして、これらをさせてきたのでしょうか。 私たちは一緒に話し合っていますか。 はい? はい? 誰かが私に、少し言ってください。 やれまあ、あなたたちは、たくさん小突かれないといけないんでしょうね。 何が、人にこれらをさせたのでしょうか。 これらに注がれるエネルギーは、何だったのでしょうか。 恐れだったのでしょうか。 天国からの褒美を探し求めることや、地獄だったんでしょうか - それを何と呼びたくてもいいですが。 褒美を探し求める。 それが本源だったんでしょうか。 なぜなら、人は、あなたのように - あなたは、褒美がほしいのです。 引き替えに、何かがほしいのです。 あなたは、一日に三回か五回か、祈ります。 あなたは見返りに、何かの実体が何かを与えてくれるだろうと、願っています - 冷蔵庫から、車へ、もっと良い妻や もっと良い夫まで。 または、恩寵を待つ - 何かあなたが願えるもの、すがりつけるものを、です。ですね? これが、すべての宗教の歴史でした - ですね? 組織された宗教の、です。ここの近くの、ティルパティと言われる寺院を、ご存じですね。 あなたたちは、きっとそこに行くと思います。 構いませんよ。 そこでは三日ごとに、百万ドルを稼ぐのだと、私は思います。 ですね? ですね?いいえ? で、神とお金はいつも、一緒です。 そのようにして、カトリック教会は築かれたのです - そこには、ものすごい財宝です。 とてつもない、価値ある宝石と、それらです。 で、あなたたちもまた、ここにそれを、持っています - 様々な寺院に、そして、 供養と礼拝のすべて、些細なことのすべてに、です。 それらは本当に、戯言(たわごと)です。
16:34 で、私たちは、見出そう、ごくごく深く 探究しようとしています - 宗教は、何でしょうか。 明白に、このすべての金儲けのことではない。 ですね? あなたは、私が言っていることに、付き合うのでしょうか。たとえ一時間でも、です。 後であなたは、自分の寺院、祈りへ、自分の・・・へ 戻られます - それは、サンスクリットで何と呼ばれますか。 一瞬の間、私は忘れてしまいました。 それは大事なことではない。 で、私たちは訊ねています -名のないものは、何でしょうか。 それは、至高の智恵であり、 私たちの祈りすべて、私たちの寺院、モスク、教会すべてとは、 何の関わりもないものです。 もちろん、それはすべて、人が作ったものです。ですね?ですね? 神すべて、寺院、モスクなどすべて、 それさえも、それらは人が作ったものです。 ですね? 私たちは、教会を築いてきました - あなたが、ではない。 あなたたちはみんな、オフィスか、他のどこかにいます。 ですが、古代のモニュメント、古代の寺院、神殿、 それらの建設者たち、そして、人々を感心させるための 儀式のすべて、彼らが身につける変わった衣装、 中世の衣装のすべて。 しかし、それらを脇に払いのけるなら - どの智恵ある人も、それらを脇に払いのけるにちがいありません。 祈り、礼拝、供養、 何か偶像へ花輪を供えること - ですね? 司祭者は、幾つかサンスクリットの言葉を、つぶやく。 たぶん彼自身も、それを理解しないのです。 たぶんそれは、彼の伝統です。 それゆえに、彼はたくさんお金を稼ぐ、などです。 あなたがこれらを脇に置くなら - 冷笑的(シニカル)にならず、 単に懐疑的にならず、 本当に探究している頭脳、です。 ですね?探究している頭脳、です。 あなたは、そういう頭脳を持っていますか。 探究する頭脳、活動的である頭脳、 あらゆることを探究する頭脳 - 外側だけではない - それは、科学者たちが、 彼らなりのやり方で、やっています。 世界を、外側の世界を、です。 でも、あなたは、探究している頭脳を、持っているでしょうか - 自らの思考の中へ、自らの意識の中へ、 自らの痛み、苦しみ、その他すべての中への探究、です。 私たちは、そういう頭脳を持っているでしょうか。
20:29 ここで、私たちは、精神(マインド)から頭脳を分離しなければなりません。 構いませんか? 頭脳は、私たちの神経すべて、知識すべての中心です - 私たちのすべての理論、意見、先入観、 専門校、大学の、 それら知識が、 頭蓋骨の中に、集められています。 ですね?すべてがそこにある - 思考すべて、恐れすべてなどが、です。 頭脳は、精神とは違っているのでしょうか。 私を見つめないでください。 私はあなたに質問をしています。 語り手が訊ねたことへ、あなたが真剣に注意を払うなら - 頭脳、あなたの頭脳、 頭蓋骨の内側にあるもの - そして、あなたが集めてきた知識すべて、 あなただけでなく、あなたの祖先たちなどなども、 二百万年の間、です。 それはすべて、そこに収められています。 で、その頭脳はいつも、制限されるでしょう。 ですね? 同意なさらないでください。 これは、あまりに深刻すぎるのです。 精神(マインド)は、これと違っているのでしょうか - 私の意識とは、私の日々の活動とは、 私の恐れ、心配、不安定、悲しみ、痛みとは違うのか。 人があらゆることについて集めてきた理論すべて - それは、そこにあるのです。 ですね? 頭脳は、いや、精神ということですが、 それは、頭脳とは何の関係をも、持ちません。 しかし、それは頭脳へ疎通できるのです。 しかし、頭脳は、それと疎通できません。 私は、あなたにとって、何かを明らかにしていますか? 質問を理解できますか。 どうか、同意なさらないでください。 それは一番すべきでないことです -私に同意することは。 語り手は、言っています -頭脳は、私たちの意識すべて、 思考すべて、恐れすべてなどなどを、 保っているものである、と。 すべての神、神についてのすべての理論、 すべての不信者 - すべて、そこにあるのです。 誰も、それに異議を唱えられません -少し変でなければ、ね。 「変だ」という言葉を、知っていますか。 それは、ちょっと、ということです。 すべて、そこにあるのです。 しかし、この頭脳は、知識により、経験により、 伝統などにより、条件づけられていて、 それは、あのものと、何も疎通できません - 全的に頭脳の活動の外側にある、あの精神と、です。 あなたがこれを受け入れるだろうかどうか、私は知りません。 でも、構わない。それについてただ考えて、見てください。 しかし、あの精神は、頭脳と疎通できるのです。 しかし、頭脳は、あれと疎通できません。 なぜなら、頭脳は無限なものを想像できるからです。 頭脳は、名のないものを、想像できます。 頭脳は、何でもできます。 理解できますか。 あれは、あまりに無量にすぎるのです。 なぜなら、それはあなたに所属していないからです。 それは、あなたの精神、あなたの等々ではない。
25:24 で、私たちは、究明しようとしています。 ともに、です。どうか、いつも、心に留め置いてください - ともに、です。 宗教の本性だけでなく、 また、コンピューターをも、探究します。 コンピューターが何かを、ご存じですか。 知っていますか。ええ。 それは機械です。 それは、それ自体をプログラムできます。 それは、自らのコンピューターを、もたらせます。 親コンピューターが、自らの子コンピューターを、持つ - 親よりも、子のほうが、はるかに良い。 これらを理解できますか。 これは、受け入れなくてもいい。 それは公的です。 それは、何か秘密のことではない。 で、気をつけて、見守ってください。 そのコンピューターは、人ができることを、ほぼ何でも、できるのです。 それは、あなたの神すべてを、創案できます - あなたの理論、儀式すべてを、です。 あなたがいつか、それにうまくなるのより、さらにうまく、です。 で、世の中に、コンピューターが、現れてこようとしています - 工場の中だけでなく、 それはまた、あなたたちの頭脳を、何か違ったものにしようとも、しています。 すなわち、あなたは、遺伝子工学について、聞いたことがありますか。 なんとまあ、これらすべてのことを、聞かないんですか? あなたが好きであろうが、なかろうが、それらは、 あなたの行動全体を、変化させようとしています。 それが遺伝子工学です。 それらは、あなたの考え方を、変化させようとしています。
27:54 私のいう意味を、理解できますか。 ああ、私をじっと見つめないでください。 彼は今・・・ あなたは、行って、他のどこかに座ってもらえるでしょうか。どうでしょうか? あなたは、行って、他のどこかに座ってもらえるでしょうか。 なぜなら、あなたはいつの時も、私をじっと見つめているからです。 そこに座ってくれるでしょうか。

質問者: それは私の眼差しだけなんです。
28:18 K: 分かります。分かります。それでいい。 そこに座っていただけますか。 よし。 ありがとう。
28:33 で、遺伝子工学と、コンピューター。ですね? 二つが出会って一緒になるとき -まもなくそうなろうとしています 二年後に、です - あなたは、何なのでしょうか。 私が訊ねていることを、理解されますか。 あなたは何でしょうか。 人間として、あなたは何でしょうか。 あなたたちの頭脳は、変更されるでしょう。 あなたの行動の仕方は、変化させられるでしょう。 ですね? すっかり恐れは取り除かれ、悲しみは取り除かれ、 あなたの神すべては、取り除かれるかもしれません。 そうなりますよ。ご自分をごまかさないでください。 なぜなら、それはすべて、戦争か死かに終わってしまうからです。 ですね? で、これが、世界で実際に起きつつあることです。 一方には遺伝子工学と、 他方にはコンピューター。それらが出会うとき - 必然的にそれらは、出会おうとしているからです - あなたは、人間、機械として、何でしょうか。 実際、今、あなたの頭脳は、機械です。 あなたはインドに生まれて、「私はインド人だ」と言います。 あなたは、それに収まっています。 または、ロシアに生まれて、またもや、などとです。 あなたは機械です - どうか侮辱と取らないでください。 私は侮辱していません。あなたは機械です - 繰り返しに繰り返す者、または、「違っている」と言う者です。 そうね、コンピューターのような機械です。ですね? 自分の中に何か神聖なものがある、と想像しないでください - それは、すてきでしょうね - 何か聖なる、永久のものが、です。 コンピューターもまた、あなたに対して、それを言うでしょう。
31:03 で、人間は、どうなろうとしているのでしょうか。 あなたは、どうなろうとしているのでしょうか。 私たちはまた、探究しなくてはいけません - これはとても深刻な主題です。 同意や不同意をしないで、 ただ聞いてください。あなたはたぶん、 それに参加できないでしょう -創造は、何でしょうか。 質問を理解できますか。 少なくとも、私の問いを理解しますか - 創造、です。 赤ちゃんを創ることではない。 それはとても単純です。 何らかの新しいものを、創造することでもない。 創案、発明は、創造とは全然違っています。 創案は、知識に基づいています。 ですね? 私は改良でき・・・技師たちは、ジェット機を改良できます。 改良は、知識に基づきます。 創案、発明もまた、知識に基づきます。 で、私たちは、創造より、創案、発明を分離しなければなりません。 そうなさるでしょうか。いや、いや、同意なさらないでください。 これは、あなたの全エネルギーを、必要とします - ただ「はい、はい」と言うだけでなく、透徹する能力を、です。 創造と、創案、発明との違い - 違いを理解できますか。 創案、発明は本質的に、知識に基づきます。ですね? 私は、時計を改良する。私は、新しい小道具を持つ。 なぜなら、古い小道具を、私は使ってきたが、 私は、何か新しいものを見つけた。 新しいものを、創案、発明した。 で、創案、発明すべては、知識に基づいています。 - いいですか? - 経験に基づいています。 創案、発明は必然的に、制限されています。 なぜなら、それらは知識に基づいているからです。 ああ、後生ですから、誰か目覚めてください。 で、知識は常に制限されているので、 創案、発明はいつも、制限されるにちがいないのです。 未来には、ジェット機はなく、他の何かがあるかもしれません。 それは、デリーからロサンジェルスへ、二時間で行くでしょう。 それは、以前の知識に基づいた創案、発明です - それは、一歩一歩、また一歩、改良されてきたのです。 でも、それは、創造ではありません。ですね? 私は、何も言わないそれらの顔を見ていて、 かなりうんざりします。
34:39 で、創造は何でしょうか。 で、生は何でしょうか。理解できますか。 樹の生命、小さな芝の命。 科学者の生 - 生、です。彼らが創案、発明するもの、 彼らがすることではない。生の始まりです。 あなたが理解されるのか、私は知りません。 命、生きるもの。 あなたは、それを殺すかもしれません。 でも、それは、他のものにも、やはりある。
35:20 で、私たちは訊ねています -同意や不同意をしないでください。 頷かないで、私たちが探究しているのを、見てください。 生の本源が何かの中へ、です。 (フランス語で)よろしいですか? 私と同じですか? すみません。止めましょう。 で、私たちは、探究しようとしています - 絶対の、何か本当に驚くべきものの中へ、です。 褒美ではありません。 それは家に持ち帰って、「私はそれを使おう」とは言えません。
36:12 あなたにとって、冥想は何でしょうか。 どうか、教えてくださいますか。 あなたにとって、冥想は何でしょうか。 あなたは冥想します。 あなたたちの何人かは、するでしょう。 しない? ああ、神様、何です? あなたたちの何人かは、するでしょう。 冥想は、何でしょうか。 その言葉は、ふつうの言語です。辞書では、 「じっくり考える」、「よく考える」、「集中する」 という意味です。何かに集中するのを学ぶ。 頭脳を至る所にさまよわせない。 ですね? ですね? それが、あなたの言う冥想ですか。 単純であってください。正直であってください。 それは何でしょうか。 毎日、一定の時間を掛ける。 部屋へ行って、静かに座り込み、 十分間か十五分間、冥想する。ですね。 ですね? それに同意なさいますか。なさいませんか。 それでは、あなたにとって、冥想は何でしょうか。 集中ですか。 何かとても高尚なことについて、考えることですか。 あなたは、これらの問いすべてに、答えられません。
37:58 で、私たちはまず初めに、冥想が何かを、探究しようとしています。 冥想しようとのどの意識的な努力も、 オフィスでのあなたの修練の一部です。 なぜなら、あなたは、「私は冥想するなら、静かな精神を持つだろう」とか、 「別の状態に入るだろう」とか などなどと言うからです。 「冥想(メディテーション)」という言葉はまた、「測量する」という意味です。ですね? 測量する。それは、比較するという意味です。 ああ、神様。 で、あなたの冥想は、機械的になる。ですね? なぜなら、あなたは、画像、イメージ、観念へ 集中するよう、エネルギーを行使しているからです。 その集中が、分割します。 ですね? 私の言う意味を、理解できますか。 集中はいつも、分割です。 ちがう? 私は、あれに集中したい。 でも、思考は逸れて行ってしまう。 すると私は、「逸れて行ってはいけない。 戻ってこよう」と言う。 あなたはそれを一日中、反復します。 または、三十分間です。 それから、出てきて、「まあ、私は冥想をしたな」と言う。 この冥想は、導師みんなが、提唱しています。 そうですね、在俗の弟子たちみんな などなどが、です。 キリスト教の観念は、 「私は神を信じている。私は神に対して自己を犠牲にしている」というものです。 私が言っていることを、理解できますか。 ゆえに、私は、私を救ってくださるよう、祈る - 私の魂を救ってくださるよう等々、です。 これらは冥想でしょうか。 教えてください。私は冥想について、何も知りません - 少なくとも、この種のは、知りません。 教えてくれますか。 これが冥想ですか。 言ってください。怯えないでください。 私は、あなたの導師とか上役とかではない。 これが冥想なのかどうか、言ってください。 それは、達成に似ています。 ですね?それは達成です。 私は三十分間、冥想する。 なんともはや、私は明るく感じる、と。 または、全然違った種類の冥想が、あるのでしょうか。 よろしいですか?全然違ったものが、です。
41:21 私はあなたに訊ねています。でも、あなたが答えようとしない上は、私が答えなければなりません。 「冥想(メディテーション)」という言葉、 それは、私が言ったように、測量です。 それは、達成の比較です。 それは冥想ではありません。 私は言います - 語り手の言うことを何も、受け入れないでください。どんな付けを払っても、と。 語り手は、それは全く冥想ではないと、言います。 それは単に、達成の過程です。ですね? あなたは、或る日、集中することができなかった。 一ヶ月を掛けて、「よし、できた」と言う。 それは、事務員が経営者になるのに似ています。 ですね? で、違った種類の冥想が、あるのでしょうか - 努力でなく、度量でなく、 決まった行程でなく、機械的でないものが、です。 私が言っていることに、どうか注意を払ってください。 そこに比較の感覚がない冥想が、あるのでしょうか。 または、褒賞や処罰がないものが、です。 これらを理解されますか。 で、思考に基づいていない冥想が、あるのでしょうか。 思考は、度量、時、それらです。 質問を理解できますか。 度量を持たず、達成を持たない冥想を、どうやって 説明できるでしょうか - 「私はあれになろう」と言わないものを、です。 「私はこれであるが、あれになろう」と。 「あれ」は、神や上の天使です。
43:53 で、指摘してもよろしければ、それは、 あなたが受け入れたり、拒否したりすることではなく、ただ指摘しています。 意志と何の関わりもない冥想が、あるでしょうか - 「私は冥想しなければならない」と言うエネルギーと(の関わり)、です。 努力と全く関わりのない冥想、です。 語り手は、ある、と言います。 あなたは受け入れなくていい。 彼は、あほかもしれません。 戯言(たわごと)を話しているかもしれません。 でも彼は論理的に、普通の冥想は自己催眠で、自己欺瞞であることが、 見えるのです。 欺瞞するのを止め、機械的過程すべてを止めるとき、 違った種類の冥想が、あるのでしょうか。 不幸にも、語り手は、「ある」と言うのです。 それは、あなたが、「ええ、同意します。私は冥想しよう」 と言うべきことではありません。 努力をとおして、それには到りません - 自分の全エネルギーを、何かへ向けることをとおして、です。 それはできません。理解できますか。 それは、何か絶対的に静寂でなくてはならないものです。 今、静寂を達成しないでください。 冥想で座らないでください。 どうか、しないでください。それはできません。 まず第一に、とても謙虚に始めなさい。 ごく、ごく謙虚に、ゆえに、ごく優しく、 ゆえに、押さず、駆り立てず、「これをしなければいけない」と言わずに、です。 それには、ものすごい感覚が必要とされます -ひとりというだけでなく、 感覚は・・・私はそれを叙述してはなりません。 私はそれを叙述してはなりません。 なぜなら、そのときあなたは、叙述に依って、逸れていくからです。 私がそれを叙述するなら、叙述は本物ではありません。 ですね? 月の叙述とか、ヒマラヤの描写、叙述は、 ヒマラヤではありません。ですね? で、私たちは、叙述するのを止めましょう。 あなたが、それを玩ぶのか、玩ばないのか、です - わが道を行き、冥想などをとおして 自分の特有の達成をする。 褒美、その他すべてです。 で、冥想は、絶対的に努力でなく、 達成でなく、考えるのでない。 そのとき、頭脳は静かです。 理解できますか。 意志により、意図により、結論やそれら戯言(たわごと)により、 静かになったのではない。静かです! 静かであるので、無際限の空間があるのです。 あなたは、私が探検するのを、待っていますか。 私が探検することを、飲み込むのですか。 神様、あなたたちは、何という種類の人々なんでしょうか。
48:22 で、あなたの頭脳はいったい、静かでしょうか。 私はあなたに訊ねています。 あなたの頭脳、考える、恐れる、自分のオフィス仕事、 自分の家族について考える - 彼らが何をするだろうかと、息子と娘たち。 考える - それは時と思考です。 あなたの頭脳はいったい、静かでしょうか。 どうか教えてくださるでしょうか。
49:10 質問: (聞き取れない)
49:13 K: 何でしょうか。 神経質にならず、言いたいことを、 言ってください。言えないのなら、忘れてください。 あなたの頭脳はいったい、静かでしょうか。 薬物により、あらゆる種類の誘導により、静かになったのではない - ウイスキーや様々な形での自己の薬物漬け。 あなたは信じているとき、自己を薬物漬けにします。 自己を薬物漬けにして、「そうだ。これは完璧に正しい」と言う。 「ブッダがそう言った。だから、正しいにちがいない」と。 あなたはいつの時も、自己を薬物漬けにしています。 ゆえに、あの種のエネルギーが、ないのです - 何か無量なものへの透徹を要求する ものが、です。
50:21 で、私たちは今、戻って、創造とは何かを、見出そうとしています。 理解できますか。創造は何でしょうか。 なぜなら、それは創案、発明とは何の関わりもないからです。 それは、去りました。 で、創造、本源、始まりは、何でしょうか。 生は何でしょうか。 教えてください。あなたたちが、それをどう思うのかを、言ってください。 生は何でしょうか。 オフィスへ行く、その他すべてのこと、 セックスと子ども、または、子どもなしでセックスなどなどではない。 生は何でしょうか。 セメントのあの草の葉に、生命を与えるのは、何でしょうか。 理解できますか。 私たちの生命は、何でしょうか。 私たちが経て行くすべてのこと - 権力、地位、威信、名声、または名声でなく恥辱 - ではない。 で、それは生ではない。それは、私たちが生を取り扱い損ねたことの一部です。 しかし、生は何でしょうか。 質問を理解できますか。 理解なさいますか。
52:05 なぜあなたは、私から聞いているんでしょうか。 そもそも聞いているとして、何が、あなたをして、この人に聞かせるのでしょうか。 あなたが聞く裏の動機は、何でしょうか。 あなたは何が欲しいのでしょうか。 あなたの動機は、何でしょうか。 欲望の裏には、動機があります。ですね? で、欲望は何でしょうか。 初めに、気をつけて、すばやくそれを検討しましょう。 欲望は感受の一部なのでしょう。 私は、美しい時計か醜い時計を見る。それは感受です。 見ることで、感受が引き起こされます。 ああ、これは通常ですよ。どうか・・・ その感受から、思考が来て、それをイメージにします。 すなわち、私はこの時計を見る。なかなかすてきだ。 私はそれを持ちたいなと思う。 見る感受、 それから、思考が来て、その感受のイメージを作る。 その瞬間に、欲望が生まれます。 とても単純です。でしょう? で、頭脳 - あなたの頭脳ですが、 環境により、伝統により、社会、その他すべてにより、 ごた混ぜになり、汚れていない頭脳が、あるのでしょうか。
54:01 で、生の本源は、何でしょうか。 あなたは、私が答えるのを待っていますか。 あなたは、語り手がその問いに答えるのを待っていますか。 待っていますか。 そうかそうでないかを、どうか教えてくださりますか。 私は待ちましょう。 教えてくれるなら、私は進みましょう。 これは、あなたが玩ぶには、あまりに深刻な主題です。 なぜなら、私たちは、 何か名がなく、終わりがないものへ入ろう、探究しようとしているからです。 私はあの鳥を殺せますが、他の鳥がいます。 すべての鳥を殺せません。 世界には、彼らはあまりに多くいるのです。 で、私たちは、何が鳥を作るのかを、 探究しようとしています - このすべての裏の創造は、何かを、です。 ですね? あなたは、私がそれを叙述するのを、それに入るのを、待っていますか。 そうですか。 あなたは、私にそれへ入ってほしいのですか。なぜです?
55:40 質問者: 理解するため、です。

K: 何を理解するのですか。
55:45 質問者: (聞き取れない)
55:50 K: あなたの頭脳をとおして、ですか。
55:57 質問者: (聞き取れない)

K: 私がそれを訊ねたからですか。 そうですね、またもや、あなたは・・・ごめんなさい。 どの叙述も、合いません。本源をそもそも叙述できません。 本源は、名がない。 本源は、絶対的に静かです。 それは、ぶんぶん音を立てて、飛び回っていない。 創造は、たいへん聖なる何かです - 生の中で最も神聖なものなのです。 あなたが、自らの生をめちゃくちゃにしたのなら、変化させなさい! 明日ではなく、今日、変化させなさい。 あなたが不安定であるのなら、なぜかを見出し、安定しなさい。 あなたの考えがまっすぐでないのなら、まっすぐ、論理的に、考えなさい。 そのすべてが準備され、そのすべてが落ち着かないならば、 あなたは、この世界、 創造の世界へは入られません。 終わります。
57:57 これが最後の講話です。 しばらくの間、一緒に静かに座りたいですか。 よろしい、みなさま、しばらくの間、静かに座りましょう。
59:18 もう立ち上がって、行ってもいいですか。