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ププル・ジャヤカルとアチュット・パトワールダーンとの会話
インド、ニュー・デリー
1981年12月


0:22 ププル・ジャヤカル(PJ): クリシュナジ、 神について、私たちへ 話してください。 幾千年にわたって、 人は探求してきました。 嘆きの中、悲しみの中、 人は、 自分自身の最も深い深みへ、 向かい、 その永遠を探求します - 自分に慰安を 与えるために、です。 あなたは、思考を否定する ように、見えます。 あなたは、神々は人が 作ったと、仰います - そして、あなたが作ってきた神々は、 あなたを作らなかった、と。 それは、 あなたの教えにおいて、 神は存在しない、 という意味ですか。 けれども、あなたは 唯物論者ではありません。 あなたは、この逆説を どう説明されますか。
1:32 クリシュナムルティ(K): 私たちは この対話のまさに最初から、 すっかり明らかであるべきだ、 と思います - すなわち、人が実際に神を 創り出してきたことを、です。 もしも神が、人を 創り出したのなら、 神は、人が腐った生、 悲惨な生を生きることを、 願ったに ちがいありません。 それはきっと、不条理であると、 私は思います。 人は、自分の姿に似せて、 神を作ってきたと、 私は思います - そして、 それを拡大し、 自分が創り出してきたものに、 様々な属性を、与えてきた、などです。 あなたは、こう 訊ねていますか - もしあなたが、 神を拒否するなら - それは、 人が作ったのですが - そのとき、 悲しみの中の人は、 永遠を 探し求めていない、 何か自分自身を 越えたものや、 何か、時のないものを、 探し求めていない。 人は本当は、何か自分に大きな慰め、 深い内的安全の感覚を、 与えてくれるだろうものを、 ほしいのだ、と。 3:03 それが、 彼がほしいものです。 彼は、その瞬間や その悲しみの期間に、 何か時を越えたものを、 ほしがりません。 人が実際に 願望するものは、 何らかの形の安全、 悲しみの 何らかの形の軽減、 何らかの万能薬です。 それが、人がほしいものです。 私たちは、それに 同意するなら、 本当にその問いに 入るべきです - もしあなたが、 私たちがそうするように、 神話全体を、 神の構造全体を、 否定するなら、 あなたが全的に、 それを否定するなら、 - そしてあなたが、どのようにそれを 否定するかが、ものすごく大事です - そのとき、何が ありますか。 それが、あなたが 問うていることですか。
4:16 PJ: 一つのことを、 申し上げていいですか。 あなたはちょうど、神は人を 作ったはずがないと、仰いました。 あなたが仰るそれは、 人の存在は、生物学的、物質的な 過程である、という含意ですか。
4:39 K: そう見えます。
4:40 PJ: すると、 あなたはまた、 人が神々を作ってきた、と 仰るとき、 それは、 こういう意味ですか - あなたは、それを神と 呼ばないかもしれません。 あなたは、それを 実在と呼ぶか、 それを、時がないものと 呼ぶかもしれませんが、 実在がある。 人が作っていない真理が、 ある、と。
5:14 K: そのようなものを、 肯定するには、 私たちは本当に、 見出さなくてはなりません - 思考がいったい 止まりうるのかどうかを、です。 そのときにのみ、あなたは、 何かを発見できます。
5:30 アチュット・パトワールダーン (AP): ですが、あなたに、 あなたの論説を、お聞きする間、 神聖さの香りが、 あります。 あなたが語っておられる間、 或る人物が、 自分のまわりに、 聖性の雰囲気を創り出すことは、 とても奇妙に見えます。 そのとき、あなたは、私たちの神は 私たちにより作られていると、仰います。 それは、或る点まで、真実なのかも しれません - 私たちが作ってきた神々は、 私たちの精神により 作られていることは、です。 が、あなたが仰ったように、 あなたはそのために、思考を 越えていかなければなりません、 私は、訊ねたいと 思います - そういうものが、 ありますか - その本性が、聖性であり、 人にとって、 利用可能なものが、です。
6:36 K: もしあなたが、それがある、 と仮定するなら・・・
6:40 AP: 私は 探究しているだけです。
6:41 K: ええ。あなたが本当に探究していて、 それを述べていないのなら、 そのとき、私たちは、 探究、探検できますか - 神があるのか、神が ないのかを、ではありません。 それは、全く明白に、 かなり不条理です。 私たちは、聖性の本性、 神聖さの本性を、 探究できますか。 私たちが探し求めている 神聖さ、ではなく、 人がほしがる神聖さや 祝福ではない - 幸せに感じるため、 自分は保護されていると 感じるため、 何か頼れるものが あると感じるための、 それではない。
7:39 AP: 私たちが探し求めている 何かが、あります。 そして、探し求めずに、 来るものが、何かあります。 それは、人の制御を、本当に 越えているものです。 人は、それについて 何もできません。
7:55 K: いえ、あなたは、 そのような言語を用いるとき、 気をつけなければ なりません - 人はそれについて、 何もできない、と。 それは、条件づけられてきた 人の意識の、 無意識的か、深い層であるかも しれません。 それらは時折、深みから 自体を投影します。 で、はっきりとさせましょう。 私たちが話しているのは、 何について、ですか。
8:20 PJ: あなたは、こう 受け入れられるでしょう - すなわち、生において・ ・・ 生自体が、神秘であることを、です。 それは、 ものすごい神秘です - 生まれること、 生きること、死ぬこと、 そして、この大いなる、 知りえない真理、です。 それの全体が、神秘です。
8:43 K: あなたがなぜそれを、神秘と 呼ぶのか、私には分かりません。
8:45 PJ: なぜなら、精神は、 それを理解できないからです。
8:49 K: 精神は、知られていないものを 理解できませんが、 精神は、この生きることの 過程全体を、理解できます。
8:59 PJ: 人は、誕生を理解できません。 人は、死を理解できません。
9:03 K: それがすべてです。 人は、死の本性を 理解できません - 死の後に、 何が起きるのか、 時を越えて、何かが あるのかどうか、などを、です。 私たちは、何か知られていない ものを、探究しています。
9:17 PJ: はい。 で、あなたは、 神秘があることを、 受け入れられるのでしょう。 で、私は言います - 私たちは 神秘を探検できない、と。 そのとき、それはもはや・ ・・

K: ・・・神秘ではないでしょう。 PJ: で、人は、神秘を 探できないので、避けて回ります - これへの扉を見つけようと して、です。 
9:39 K: はい。 ですが、人は、それを、知的思考を とおして、見つけられません。
9:46 AP: 人が知的思考をとおして、何かを 見つけられないことは、認めますが、 人は、言葉にするには神聖すぎる 何かの経験を、します。 それは、想像上では ありません。
10:00 K: 私たちは、ひどくはっきりしなければ なりませんよ、アチュットジ。 すなわち、それは、人自身の意識の 深い、未探検の層でないことが、です。 それは、何か安全なものを、 持ちたいとあこがれているし、 その切実な要求を、 何か神秘的なものに、翻訳します。
10:19 AP: 探し求めずに、 それに出くわします。 あなたは、 林の中にいます。 あなたは、ヒマラヤ山脈に 向き合っています。 または、あなたは、 川の畔にいます。 突然に、あの静寂の中、 あの静けさの中、 生じてくるものが、 何かあります。 そして、神聖なものの 感じが、します。
10:39 K: 私はそれを問いません。 私たちはみんな、そうなります。
10:43 AP: それは、見せかけ であるとは、言えませんね。
10:45 K: ええ。 私たちが指摘している すべては、こうです - 私たちは、自分自身を 欺瞞していないように、 よく気をつけなければならない、 ということです。
10:55 AP: それは本当です。
10:57 K: 私たちは、或る種の 幻影に、捕らわれて、 それから、「それが真理である」 とは言いません。
11:03 AP: ええ。私たちは 知らないと、私は言います。
11:11 PJ: あなたは、否定に ついて、語っていました。
11:21 K: 私は、こう 言っていました - 人は、 自らが心理的な知識として 蓄積してきたすべてを、 拭い去れますか - 全的に、完全に それらを否定する。 それは、まず初めに 可能ですか - 可能であるなら - 探究することが、です。 理論的や、 抽象的や、知的に、ではなく、 生において実際に、 自らの条件づけ全体を 否定することが、です。 その否定的な状態 - すなわち、最も 肯定的なものです - そこにおいて、 何か人が作っていないものを、 見るか、それに出くわす。 神聖であるかも しれないものを、です。 それは、可能ですか。
12:37 PJ: 動いて、この否定の平野へ 入るには、 その言葉を探究することが、 必要です - 「否定する」。
12:48 K: 否定する。 拭い去る、離れる。
12:54 PJ: 否定の本性は、 何ですか。 否定するとは、 どういうことですか。
13:06 AP: あなたが、幾世紀もの 心理的な知識すべてが 拭い去られなくてはいけない、と 仰ったとき、 私は、これはただ、事実の 明言であると、言うでしょうね すなわち、私たちが、 この聖性の性質は何かと、 自分自身に訊ねることに なるとき、私たちは、 それについて何も知らないとの事実に 向き合わなくてはいけません。 あなたは、「私は知らない」と 言わなくてはいけません。 その単一の認識は、きわめて 単純であり、 私はこれらの本性を知らないと いうことですが、 その中で、自動的に、あなたは あらゆる物事を否定したのです。 あなたが、「私は知らない」 と言うか、または、 自分の知らない何かを 感じるとき、です。
13:51 K: いいえ。ププルジは、 訊ねていました - 拒否するとは、 どういうことですか。
14:00 AP: 私は、それは理性的なこと ではないと、言っています。 それは、理性が単に事実を 受け入れるところの何か、です - 自らがその制限に 至ったとの事実を、です。
14:08 K: ええ。それは、自らをつなぐ 縄の端に、至ったのです。
14:11 AP: いいえ、あなたはただ、 私は知らないと、仰います。
14:14 PJ: 河や山に向き合うことに ついて、話さないでおきましょう。 きわめてふつうの状況の 組み合わせの中での 否定について、話しましょう。 なぜなら、 ふつうの状況の組み合わせの中で、 否定を理解しないなら、 とてつもなく強力な何かを 見つめるときに来る否定、 それはただ、その力により、自分自身を 引き継ぐことなのかもしれないからです。
14:46 K: ププルジ、あなたは 訊ねていますか。 あなたは、否定の本性は 何であるかを、訊ねていますか。
14:55 PJ: はい。
14:58 K: それは相当に単純であると、 私は思います。 自らが執着しているなら - 或る人物や、或る信念や、 或る結論に対して、です。 歴史的でも、弁証法的でも、です。 それを否定する。 すなわち、「私は それを持つまい」と言うのです。 私は、自分の精神の中から、 それを完全に押し出します。
15:23 PJ: が、あなたは、 意志を拒否されます。
15:25 K: ええ、私は 意志を、拒否します。
15:26 PJ: で、それを 押し出す手段は・・・
15:32 K: ・・・知覚です。
15:35 PJ: 通常、人間の精神において、 それは意志です。 K: ええ。
15:38 PJ: そのようにして、 通常、否定は起きるのです。
15:41 あなたが、自分はそうしたいと 仰るとき・・・ K: 私は持たないでしょう。
15:48 PJ: そこには、したがることが、ある。
15:49 K: ええ、因果作用が、 あります。
15:50 PJ: 因果作用が、 あります。
15:52 そして、そのものを 脇に置く意志の作用、です。
15:57 AP: ですが、ププルジ、 別の形の否定も、ありますよ。 或る人々が、腹の底から、共産主義を 信じているように、です。 そして、彼らは、その特定の観念や イデオロギーをとおしては、 自由で平等な人たちの 新しい社会秩序を 持てないとの真理に、 出くわします。 さて、そのイデオロギーは、意志なしには その妥当性を、失ってしまいます。 あなたは正直です。 知的にあなたは、正直です。 そしてあなたは、これは 落ちてしまったと、言います。
16:32 PJ: たぶんね。でも、あなたは、 信念より自由ではありません。
16:35 AP: ええ。あなたの信念が、 事実の直面でもって、終わるとき - それら(事実)は、あなた自身が 創り出したのではない - 否定が、あります。 正直な人は、自らの信念が妥当しなく なったことを、見なければなりません。
16:49 PJ: ですが、アチュットジ、 私がこう言っていいなら、 有ること(存在)は、 否定を、創り出します。 それは、「私」としての 自己の否定です。 行い、動き、推進する過程は、 けっして起きないからです。
17:08 AP: 私は、その言葉、 「けっして」を、使わないでしょう。 それは、あまりに 絶対的であるからです。 私は、自らは、或る信念の 非妥当性に、出くわすようには、 それに出くわさないと、 言うでしょう。
17:21 PJ: なぜなら、それの本性は、 全然違っているからと、私は思います。
17:25 K: 私たちは、何について 話していますか。
17:27 PJ: 私は、 その否定の本性は - それは、自分の存在の 多くの様相において、 なっていくことを 見ること、ですが - 自らの自己の深みで、 深く否定すること - その過程は、なっていく ことの動きです。
17:53 K: 否定という言葉を、 使わないようにしましょう。 私たちは、この、なっていく こと全体を、理解できますか - けっして終わらない葛藤 すべてとともに、 人間の心配、さびしさ、それらの 苦労すべてとともに、です。 それは、私たちが捕らわれている ところの、永続的な動きです。 ちょっと待って、 話を終了させてください。 そして、それを見る。 それの実際を見る。 そして、意志を行使することなく、 それの真理を見る。 その真理へのその知覚こそが、 その過程を、終わらせます。 それが、私が否定と 呼ぶものです。
18:36 PJ: そのとき、否定は、 なっていくことが 終わることですか。
18:43 K: いいえ。否定は、なっていく ことの真理への知覚です。 何が関与しているか、そのなっていく ことの帰結を、見ることです。 その動き全体への知覚こそが - その中に、時、あのものの 全体が、関与しています - なっていくことを、 終わらせます。 それが、私が言っている すべてです。 終わらせるのは、知覚です - 意志などではない。
19:14 PJ: 私は、何か少し微妙なことを、 訊ねています。 真理は、見る中に、 ありますか。 または、なっていくのを 見ることに、ですか。 その事実や現実は、 どこで起きますか。 それは、見ることの本性の中に、 ありますか。
19:42 K: いいえ。現実は、 精神の中で起きます。 知覚が、あります - 例えば、執着について、です。 私は、意図的に、 それを取り上げています。 地位へ、人物へ、 何らかのものへの執着。 さて、究明なく、分析なく、 考えるこのすべての過程なしに - それが、私がいつの時も 言っていることです。 なぜ自分は執着しているのかの 原因を探し出しているとか、 理由を分析している、 などなどではない。 なぜあなたは、 真理を持ち込みますか。 私は、真理という言葉を、 執着の真理、という意味で、 使いました - その執着の含意、帰結、 ということです。
20:38 PJ: いいえ。私が 取りかかろうとしていることは、 それを理解することですか。
20:49 K: いいえ。
20:51 PJ: それらは、分離していません。 K: ええ。
20:52 が、私たちは、 理解しなければなりません -
20:53 理解というのは、どういう意味か、 理解の意義は、何なのかを、です。 私は、知覚するとは どういう意味かを、説明しましょう。 それは、 相当に単純です。 すなわち、過去なしに 知覚する - 過去の記憶などなどなどにより 条件づけられている 精神の本性なしに、です。 単純に、直接的に知覚する。
21:22 AP: 仰ることは、理解しますが、 私たちの困難は、私たちにおいて、 それはいつも、部分的過程、 断片的過程であることです。 私は、民族、民族性、 国籍へのこの執着が、 いかに愚かで、有害であるかを、 見るかもしれません。 民族性、国籍は、私たちの テクノロジーの時代において、 時代錯誤に なってしまいました。 さて、私はこれが、民族性、 国籍に関して、見えます。 なぜなら、私はそれへ 精神を注入したとき、 民族性、国籍が、全的な時代錯誤に なったことが、分かるからです。 が、私は指摘しています - 私たちの精神は、いつも、 制限された平野の中で 機能している、ということを、です。 あなたは、こう 言っています - お話を聞くと、あなたにおいて、 それは全的な知覚である、と。
22:11 K: ええ。もちろんです。 それは明白です。
22:13 AP: が、特定から一般へ、 いかに動くのですか。
22:19 K: あなたは、問いを拡大して いますね。アチュットジ、 私がそう言って、ご注意を 申し上げていいなら、です。 私たちは、 訊ねて、始めました - あなたが、人が作ったもの としての神を、拒否するなら - そして、儀式すべてと、 宗教の名において進んでいく サーカスすべてを、です。 あなたは、内的に、それの不条理を 見るなら、それを片付けます。 そのときあなたは、 偽善者にならないでしょう。
22:48 AP: 私が、共産主義に触れたとき、 私が、民族主義に触れたとき、 私は、現代の神を、 取り上げていました。
22:54 K: ええ、もちろんです。
22:56 PJ: クリシュナジは、 こう言います - それへ来るには、 精神であるすべてへの否定が、 なくてはいけない、と。
23:06 K: ええ。そうなんです。 その一つのことで通しましょう。 そして、進行しましょう。私たちは 逸れてゆきつつあります。
23:12 PJ: ゆえに、 否定の本性へ入る中で、 私たちは、知覚へ 来ました。 私は今、知覚を、 探査しようとしています。 彼に訊ねています - 知覚の行為は、 すなわち、 見ることであり、 精神作用なしですが、 理解は、いかに 生じますか。
23:41 K: ああ、そこに 理解はありません。 思考の過程全体なしに、 見ることです。 その見ることこそが - それは、洞察ですが - その洞察が、 幻影すべてを、消し去ります。 そうね、私たちは、一歩一歩 進んでいませんよ。 私たちは、こう 言っています - 理解する。 理解するとは、 どういう意味ですか。 私は、自分たちが 使っている言語を、理解します。 私は、理由を理解します。 が、理解は、 単に言葉が聞こえるのと、 言葉に翻訳するのと、 言葉へ反応するのより、 はるかに深い何かです。 理解は、完全な受容を、 含意しています。 または、何かあなたが言っている ことを、完全に受け取ることです。 私は、それを理解します。 私は、それを捉えたのです。
24:49 PJ: ええ。それは、 闇があるなら、 突然、光がそこへ当たり、 それが開示されるようなものです。
24:55 K: ええ、それで すべてです。
24:57 PJ: 存在しているものの 開示が、あります。
24:59 K: ええ。それをさらに 錯綜させないでください。
25:04 PJ: で、知覚は、その意味で、 開示するものです。
25:09 K: ええ。 PJ: そう表してもいいなら、です。
25:10 K: それは、どの因果作用のも、 過程全体を、開示します。
25:11 PJ: で、それは、 精神作用なしの知覚ですか。
25:21 K: そうなんです。 手がかりです。
25:25 PJ: 手がかりですね。 K: ええ。
25:30 そうね、それが、 私が言っていることです。
25:32 例えば、
25:33 私は、否定してきました。 組織、 制度は、どのようにも、 永遠に真実であることを、了解する、 到る、知覚するよう、 けっして人を 助けないだろう、と。 私は、それを 言ってきましたね。 さて、それは、 私の中にあります。 私は、幾千の 制度、伝統の結果です。 私は、制度の 宣伝すべてです - それは、宗教、 政治家などなどです。 私は、 そのすべてです。 すなわち、私は、 過去、現在と未来です。 26:40 私の中に、そのすべてが、 あります - それが、私です。 さて、私は、 精神は、その円輪より、 動いて、離れられますか - なっていくこと、すなわち、 私としての過去、現在と未来、 その方向へ 動いていくことより、です。 私たちは、幾千年に幾千年もの間、 そうしてきたのですが。 私たちは、 精神は、見られますか・ ・・ その隷属を拒否し、 他の何かを発見することが、 できますか。 結局のところ、それが、新しい精神です - 新しい何かを発見することが、です。
27:39 PJ: そうね、私たちは、 この点に来ます。 この地点の後、私があなたに する、どの質問も、 あなたは、否定するでしょう。
27:51 K: 確かに、もちろんです。 ですが、ププルジ、 人の経験の真の関係は - 心理的に、ですが - それは、拭い去れますか。 それが、拒否することです。 それが、否定することです。 あなたが、どう 否定するのかが、大事です。 なぜなら、その否定こそにおいて、 肯定的なものが、起きつつあるからです。 どうかな・ ・・ いいですか? そうね、それは・ ・・ あなたが、神を否定するとき - 神という言葉や、 神の感じや、 人が作った神々を、です。 全くの空っぽ、 全くの無の恐れが、 ありますか。 それが、私たちを阻止している ものです - それへの恐れが、です。 それが、私たちが虚偽を 拒否するのを、阻止しています。 私たちは、虚偽を 拒否しません。 私たちは、虚偽を維持するための 理由を、見出しています。 ですが、あなたが、虚偽を 拒否して、見るとき・・・
29:23 PJ: こう見えるでしょうね - 私たちが、神聖なものと 感じるもの、 私たちが、聖性の基盤と 感じるものは、 拒否されなくては いけない、と。
29:40 K: ああ、はい。 絶対的に、です。 なぜなら、それは、私たちの奥深い衝動、 欲望であるかもしれないからです。
29:50 AP: それは、去らなくてはいけません - 信じようとの意志は、です。
29:51 K: ええ。 何もありません。 それは、魂の闇と、 それらの種類のものではありません。 が、絶対的に何も無いことを 見ることと、 思考はそこに、まったく何の所も 持たないとの、 その点に来ること、です。 その無とともに、 留まりなさい。 これが、明らかになっているのか どうか、私は知りません。
30:26 AP: 際限なきものが、 何か、ないのですか - すなわち、永遠であり、 私の意志と何の関わりをも、 私であるものと、私でないものと 何の関わりをも、持たないものが、です。 K: ええ。が、なぜあなたは、仮定しますか。
30:43 AP: いいえ。私は、仮定していません。
30:45 私は単に言っているだけです・・・ K: ・・・問うている。
30:47 AP: ・・・私たちは今、一つの道を 行っていることを、です。
30:48 私は、別の道を行き、言いたいのです - 何かが、ないのか・・・
30:49 K: あなたは、どうして、 それを知りえますか。
30:59 AP: 私たちは、それについて 知りません。私が言うことすべては・・・
31:01 K: すると、探究してください。 AP: あなたは、どのように探究しますか。
31:03 K: 私はどのように探究するかは、 私が知っているすべてを
31:05 拭い去ることです。 心理的に、です。
31:06 私たちは、同じ点に 戻ってきます。
31:15 AP: 戻ってきます。
31:16 PJ: そうね、 興味深いことは、 または、 きわめて困難なことですが、 思考と呼ばれるもの、 なっていくことの、 否定を、了解します。 が、神聖なものの この感じは・・・
31:43 K: そうね、或る地点が あります。 結局のところ、あなたが寺院へ 行くとき - きわめて古い寺院です。 あなたは行ったにちがいありません。 きわめて古い寺院です - あたりに、 とてつもない雰囲気が、あります。 なぜなら、何百万の人々が、そこに いて、崇拝してきたからです。 それはすべて、 幻影であるかもしれませんが、 何か人を作ってきたものを、 崇拝する、 この感覚が、あります。 その崇拝の中から、 その崇敬の中から、 あの信心の感覚の中から、 あなたは、とてつもない 雰囲気を、創り出します - とてつもない 聖性の感覚を、です。 が、その聖性、 その雰囲気、その崇拝は、 すべて、人間たちの 甚大な仕事の結果です。 それは、 神聖ではありません。
32:40 PJ: あなたは、 太古の所へ行くことと その感じを得ることに ついて、話してこられました。 あなたの講話の一つに、 自分が座り、 あなたが話をされるとき、 大いなる神聖さの感じが、 あります - 精神へ降下してくる ものが、です。 まるで、それは、あの所の全体を 保っているかのように、見えます。 それもまた、この幻影の 過程の一部であるなら・・・
33:18 K: いえ。そうでもない。
33:20 PJ: では? K: 私はそれを、 説明しようとしています。
33:21 まず第一に、語り手は 一定の評判を、持っています。
33:23 それが正しいのか、間違っているのか、 それは、論点ではありません。 彼は、一定の評判を、 持っています。 で、聴衆は、その人物について イメージを、創り出してきました。 また、そのイメージは、条件づけられて います - 彼らの宗教的精神により、 彼らの伝統主義、冷笑癖、 それらによって、です。 で、創り出された雰囲気が、 あります。 さて、 語っている人物は、 彼らが彼について創り出してきた イメージより、活力を持っていますか。 それで、イメージは、 何の価値もないのです。 34:10 よろしいですか。 語り手が本当に、 尋常でなく慈悲深くて、 その他すべてが、彼の言語に、 彼の感じに、関与しているなら、 それは、自らのとてつもない 雰囲気を、創り出します。 で、その人物は本当に、深く、 ただただ正直であり、 自らが言っていることに、 そういう誠実さを、持っているなら、 それ自体が、 他へ向かう勢いです。
34:45 AP: それが、正確に、私が 目指そうとしていたことです - 何か際限ないもの、 了解不可能なもの、 私の意志なく 生じてくるものが、 ある、ということです。
35:00 K: いいえ、いいえ。
35:02 AP: 私は、それの暗示、と 言いました。
35:04 K: 私は、 様々な人々が言うのを、 聞いてきました - すなわち、導師がいて、 私は彼とともに 静かに座るなら、 彼の面前において、私は完全に 居合わせていると感じる、と。 私はそれを問います。 あなたは、違った言葉で 同じことを、付与しています。
35:28 AP: いいえ。私は今、それが何かへの 関係にあることを、言っていません。 私は、こう言っています - 何かが、ありますか・・・
35:36 K: あるかもしれませんが、 私や、あなたや、ププルジが それに出くわすのです。 それがある、それを設定する、 それから、それが 何であるかを、想像する、 それから、「はい、私はそれを 受け取りました」と言うのではない。 それは、すべて幻影です。
35:56 AP: ええ、それは 全く明らかです。 私たちは、幻影を 追求していません。
36:01 K: ええ。事実から事実へ、 事実へ追求しています。
36:06 AP: ええ。
36:09 K: 事実は、こうです - 私は拒否できますか。 私は、一つずつ 否定するのか。 あるいはまた、全体を 了解する知覚が、ありますか。 全体へのその知覚は、 そのすべてへのまさしく拒否です。 全包括的な知覚です。
36:42 AP: 私はこう 言いたいです - あなたが語ってこられた、 この全包括的な知覚は、 それはただ、一歩ずつの 理性的な過程ではない、と。
36:55 K: ああ、はい。 そうではありません。
36:57 AP: それはまた、その中に、 深い感じをも、持っています。
36:59 K: もちろんです。 深い慈しみ、愛、慈悲。 それが、知覚です。 それが、智恵です。 そうね、アチュットジ、 私が指摘してもよろしければ、 もう少し私が、これに 入っていいなら、 そうね、私たちは、 否定しませんよ。 私たちはいつも、 話しています。 ゆえに、事実と非事実との間に、 いつも、この遊びが、あります。 私は言います - 私は そのゲームで遊ぶまい。 それは、子どもっぽいから。 私が、包括的に 否定するなら - それで、絶対的に、 何も無いように、です。 心理的に、です。 37:56 私は、あのランプを拒否できません。 私は、あのランプや あのランプに潜む テクノロジーを、否定できません。 が、なっていく過程全体を、 完全に否定する - それで、あなたの精神が、過去に 捕らわれていないように、です。 私が持つ、学ぶ、などしなくては いけない過去に、です。 私たちは、そう できますか。 私はそうしないなら、永遠の神、 時のないものについて、 話をすること - それは、無意味になります。
38:47 PJ: 精神は、 今日、今、 動きなく、休みますが、 それは、 言われた言葉を聞くことが、 必要ではないですか - 知りえないものの本性に ついて、です。
39:27 K: 何ですか。 あなたは、できますか。
39:30 PJ: 私は、言いました - 精神は止まっている、と。
39:35 K: それが、すべてです。
39:37 PJ: さて、 その止まった精神は、 時がないものの本性について 聞くことが、 必要ではないですか。
39:57 K: 精神は、 止まって、静かです。 けっして静けさを達成しない。 止まっている。 誘引していない。 実践していない。 言葉でもって、 それを追いかけない。 その精神の気づきの中で - それは、自らが本性の中にあり、 それが法則であり、 それがおしゃべりしている ことが、見えます。 そして、見ます - その全くの ・・・ 
40:30 PJ: ええ。 が、人が作っていない 神について、 語りうる人が、いるとの 状況があるとき・・・
40:55 K: 気をつけてください。私は、 神という言葉を、使いませんでした。
40:58 PJ: 私は、「神」という 言葉を、使っています。
41:02 そうしないようにしましょう・・・ K: 言葉を玩ばないようにしましょう。
41:04 PJ: 或る人が、います。
41:07 精神が 止まっているとき、 その声が語るのを、聞くことが、 必要でないですか。
41:17 K: もちろんです。 あなたは、聞けませんが。 あなたは、私に、 物語を語っています・・・
41:23 PJ: が、私は、あなたに 言っています。 私はそれを、大いに・ ・・ 言っていて・・・ あなたは、私たちに、 語られますか。 K: 何について? 
41:36 PJ: 時がないものについて、です。
41:44 K: それを言葉に表すことは、可能 なのかどうか、私は知りません。
41:52 私たちは、言葉でもって、 測量不可能なものを、測量しています。 それが、全論点です。
42:06 PJ: 私は、測量したくありません。 そういうわけで、私は言ったのです・・・
42:10 K: さて、ちょっと 待ってください。 あなたの精神は、 実際に静かであり、 絶対的に 静寂であるなら - 誘引したのでなく、 この会話において、あの静寂を 捉えようとしていない。 が、聞いた後、実際に、 深く、内的に静寂です。 あの静寂があるとき、あなたは、 その質問をできません。
42:44 PJ: 私は、 その質問をできます。
42:46 K: あの静寂が ないときだけです。 進んでください。 理解できます。
42:55 PJ: 私は、 あなたを見ます。 そして私は、 そうしたくありません。 それは、あなたが仰っていることを、 私は捉えたい、ということではない。
43:07 K: ええ。そういうわけで、私たちは きわめて明らかでなければならないのです。
43:09 PJ: それは、あなたが仰っていることを 私は捉えたい、ということではない。 私は、感じます - 精神の静けさが、あるとき、 精神を越えてあるものが、 聞こえる・・・
43:35 K: ごらん、ププルジ。私は、あなたの 問いが何なのかを、よくよく理解します。 アチュットジとあなたも、 聞いています。 または、私は、あなたたちに 聞いています - 大きな、深い・ ・・ 完全な慈しみをもって、 あなたが言っていることを、です。 その注意こそが、 静寂です。 そのときあなたは、 私に語っています。 または、 私に伝えています - 静寂より、はるかに 際限なき何かを、です。 あなたはそれを、 言葉で伝えられますか。 または、あなたの存在こそが、 その存在こそが、 私に印象づけています。 そして、私は 静寂になります。 44:51 待ってください。 このとてつもない静けさが、あるなら - 何も原因を持たないものが、です。 ゆえに、空間であるのは、 まさにその静寂です。 時がなく、 際限がないのは、です。 この無際限さが、 宇宙、万物です。 ゆえに、宇宙は、 何の原因をも、持っていません。 ですが、私の生すべては、 原因に基づいています。 私は、一つを理解できますか。 一つの原因を理解する中で・・・ ・・・私は、際限ありません。 私の頭脳は、際限ありません。
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