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NY71T1 - 私達の過去を認識する
第一回
ニューヨーク、アメリカ合衆国
1971年4月17日



0:00 クリシュナムルティ:照明が強すぎませんか 皆さんが見えません
1:01 どこから始めるべきかわかりません 私達の問題は山積しており 増加しているようですから しかし人間はその解決策を 見出せないようです 様々な方法やシステム哲学を試してきました スピリチュアルや政治的指導者達に 追随してきました そして常にこの大混乱と悲劇の 逃げ道を見出そうとします
2:11 最初に指摘致しますが 何かの哲学を提案ではありません 哲学とは真実の愛を指す事を除いてです 真実とは類型化する何かではなく 説明されている事というものでもありません そしてこの真実の愛は長い訓練や 特異なシステム信仰や信念を 受入れる事によって 得るものではなく むしろ非常に明確に何の歪みなく 観察する能力を持つ事です そこで初めて実際に何かを理解出来ます 何であるかが真実でそしてその先を超える為にです
3:45 この4回の話の中で この事を観察し学び 理解し 掘り下げて行きます 私達の心理と心が自ら作り出した 悲劇や苦労といった あらゆる混乱を超えられるかを見ていきます
4:31 殆どの方はある期待や何か刺激や インスピレーションを求めここにお越しでしょう または何か新しい方法やシステムに追随したい もしくは話し手が遠くインドから来るからなどと ロマンチックな考えで 感傷的な問題解決策を見出そうと希望をお持ちでしょう 話し手はパスポートを持つ事以外 インド人ではありません 哲学を持ちません 何かのプロパガンダでもなく 皆さんに受入れや否定賛同反対させるのでもありません 内向また外向的に実際に 何が起きているのかを共に精査するのです つまり共有します 共有がコミュニケーションです コミュニケーションについて私達は騒ぎたてます 問題の共有とは 私達が精査する為に自由であるという意味です 偏見からの自由条件からの自由 アメリカ人やキリスト教プロテスタントやヒンドゥー教 政治家やビジネスマン科学者などと 共に自由な状態で共有します 物事の重要性と意義を 共に精査し共有するのです それがコミュニケーションの意味であり共有です ですから共に考え精査する場合 皆さんも話手の心も自由であるべきです 何かを甘受否定せず非常に入念に観察します 問題全体を何の歪みなく 観察するのです
7:26 私達の心は歪んでいます なぜなら日々を分断の中で生きるからです キリスト教徒だビジネスマンだ 科学者 人類学者だ政治家だと ご存知ですね 分断分裂です 内外共に我々は分断されています そして問題全体を一断片的な目を通して見ます 理性的や感情的にまたは完全に無視し それをそのまま受入れ続行します そして何らかの形で時間や外的な事柄 政治的行動組織的行動を通し 物事が通常に健全 好調になると望みます しかしそれは叶いません どれだけ完璧な組織でも どんなに見事に官僚的な組織運営でも または科学者らが提示する策も 明らかに人間の問題を解決しません
9:05 この国でも欧州 インド アジアでも 人間として私達の問題は共通します なぜなら互いに共感できるからです 共通点は共感され共有されます ですから話し手について造られた 全てのイメージをまたは皆さんがもつ ご自身のイメージを破棄すべきです 共に観察し本当に理解し 多くの問題の解決策に私達の心を注ぎます
9:59 ですから最初から明確に致します 私達は何かの解決策の提供やすべき事を 伝えるのではありません 即ちそれは権威の強調ですから 権威が存在すると恐怖心 競争心模倣や服従が存在し それら全てが精査を否定します 私達は非常に入念にためらいがちに 人間として直面する大変な諸問題を精査するのです 科学者としてでなく政治家としてでなく ビジネスマンや労働者としてでもなく 人類としてです
11:14 自分自身の中に精神そのもの 存在の構造自体の完全なる革命を もたらす必要があります 昨今皆さんは外的な変革について話します 身体的革命 エネルギーを全て集め社会的革命を起こす 常に外的な事について考えています 環境の変化
12:02 すみません 最後に質疑がありますから お待ちください
12:21 質問者:階段から立ってください
12:29 K: 進めて良いですか
12:31 観衆: はい
12:36 Q: 立ってください先に進めません
12:44 K: 何ですか
12:53 Q: 係員が観客をフロアに座らせません
13:04 K: いいですか これは娯楽でも スピリチュアルでも有識者でもない 非常に真剣な事を話しております 皆さんが真剣でなければ 皆さんと私がここにいる意味がありません 浮かない顔つきや その言葉のもつ特殊性を意味するのではなく 真剣とは本気でひたむきに 解決策があるかどうか 個々の注意を一心に向ける事です あらゆる狂気や暴力残虐行為からの出口です
14:06 ご婦人 お聞きなさい
14:13 私達は問題を抱えています この社会構造の変革の為に常に 外的な事を議論します 暴力または平和的手段を通してです 問題は単なる社会的環境的変化より更に深く 生態系や経済でもまた社会的道徳でも無く 社会的道徳は不道徳ですから 私達は人間の問題を懸念します なぜなら実に我々が我々の社会だからです 社会が 世界が私達です 我々の人間関係行動 私達の恐怖心歓喜や絶望 精神的な安全への欲望や依存 従って世界が私達であり私達がこの世界です 抜本的な変革をこの世界に起こすには 私達が変わるべきです 単に環境だけでなくです
16:05 本や哲学や政治家は更に溢れ 科学者も同様に 世界の外的な変化を懸念します 抜本的な内向的変革を懸念する人は 明らかに殆どいません 我々が変わらなければ私達が腐敗すれば 完璧な社会構造が何になりますか 私達が腐敗させます 非常に明確で理論的だと思います
16:53 我々はこの事を忘れる傾向にあります なぜなら共産主義者達の様に 環境を変え構造を変えろ と考えます 政治的に経済的に社会的にと そして人間はその構造に自身を順応させます 道理的になり 非暴力となり 平和に生活するでしょう 強制的にも平和的にもあらゆる方法で 過去試されてきました しかし人間は明らかに何千年も以前としてそのままです 強欲 嫉妬 攻撃的残忍で自己中心的 あらゆる苦悩を垂れ流しています
18:07 ですから世界は 内的にも外的にも世界は私達で それを私達が造ってきたのです あなたと世界には世界と自分に 分断は在りません これが根本的にご理解すべき基礎だと思います 個々人ではなくコミュニティ 社会私達が世界です ご自身を精査するとお判りでしょう あなたはご自分の文化 自分の造った環境 または先祖の創って来た環境の結果です 皆さんは過去の結果です 過去全てを過去の全構造を 変える事無く 外的な事を変えたいといいます 良い浴室や月に行くゴルフをする 月に醜い国旗を立てるなど そしてあなた方は技術的に非常に 進んでいると考えます 多分そうでしょうが それは人間の惨劇や争いを解決しません 私達のとてつもなく鈍感な心 そして愛と慈悲の大きな欠如 この現実が見えれば 理論としてではなく 私達が順応する推論としてでなく 私達自身がこの世界であるという事実 私達が我々の生きている文化の結果で その文化は私達が創り上げてきた事実
20:29 私達が過去です 違う生き方をするには違うように生きるべきです 全く異なる意識と心を持ち 私達自身を理解すべきです どんな哲学者や心理学者による理解ではなく 実に私達は何かを理解します それには観察が必要です 理論的にではく 知識的に事実を受入れず 皆さんが世界であり世界があなたである という事の理解です 他者との人間関係の中で文化を創ります あなた方は完全に 戦争や悲劇社会的不正 我々の周りにおこる全ての出来事 混沌や苦悩に責任があります しかし明らかにそれを直視したくありません それが私達の難題となるでしょう 非常に賢く狡賢く私達自身を宗教や 哲学を通し娯楽を通じ その娯楽が宗教であろうとサッカーであろうと 逃避してきました 私達は逃避の回路を持ち非常に迅速に滑り落ちます そして逃避する故に非常に多くの不満を持ちます その不満の中で多くが崇拝し あらゆる文学ドラマや芸術を生み出します それは決して人間の日々の存在の解決にはなりません そして私達が懸念する事は 少なくとも話し手の懸念は 私達自身の中に起きている事を観察するだけではなく 私達自身の意識と 心と脳細胞の構造の中に 心理的に 根本的な変革をもたらす事です それが唯一の変革であり他には存在しません 単なる物理的変革は非常に原始的です 良い社会をもたらす名目で 人々を傷つけ破壊します 良い社会をもたらす為人を殺すという 矛盾であり愚かさです そしてそれを受入れます 静観また暴力的に この哲学を受入れ まず外的に変わるべきと言い そして知識人や経済人によって 確立されたパターンに猿のように人間は 順応しはじめます
25:12 ですから初めから 再度繰り返しになりますが 非言語的に非理論的に気付き 実際に見てください ご自身の空腹に気付くように あなたが世界であり世界があなたです 本当にそれを理解すれば それが人間に起こり得る最も素晴らしい事です するとあなたは強く責任感を持ちます 自分の人間関係だけに留まらず ご自身と自然との関係にもです 自然破壊や動物の殺傷
26:20 先日テレビで アザラシの赤ちゃんが殺される場面を目にしました 鳴き声が聞こえます 皆さんのキリスト教では 愛 親切心 平和を語ります なのにか弱いものを殺し 毛皮を着たりなどします 今は 20 世紀です 文明的で知的のはずです 後は皆さんにお任せします
27:07 自身が何であるかに実際に気付く時 その気付きが注視されるべきです 注意深く精査する事なく 気付く事はありません 精査するには歪みが全く存在すべきではありません 断片的であれば認知の歪みは 必然的に起ります ご自身の一部が断片的であれば 観察する事柄を容認また非難します ご自身の一部が他の残りの断片を観察すると その部分が他の断片を修正する権限を持ち その権限は残るかまたは断片を維持します 従ってそこに 正当化や非難言い訳や合理化といった 権威をもつ分断間に 矛盾が存在します 私達の中にこの分断がある限り そしてその断片は意識的なレベルのみならず 私達の存在の深層にも存在しており これらの断片 分断は 私達の生きる文化の結果のみならず 特殊の分野も また私達自身にも存在し 我々は断片化された生き物です ご自身が世界であるというこの現実 そして我々の生きる文化は我々の活動や行動 思考信念また国籍や宗教の分断によって 私達が創って来た結果である事に気付けば これを理解し 観察する事を学ぶべきです 私達が目にする事は静止しません 固定される事ではありませんから 永遠の屍でなく生きる物です この生きる生物があなたです 矛盾や混乱 罪悪感 悲劇 苦闘 苦痛 全て生きています その生きている物を過去の目で観察します ご自身を顧みた事がおありか分かりませんが 私達は過去に生きますから 永遠の現在や今について語るでしょうが それはある聡明なインテリが 提案する単なる空論的思考ですから 私達は過去の中に生きます私達が過去です 再度それは事実です あなたはキリスト教 ヒンドゥー教 あなた方は過去の数千年のプロパガンダの結果です
31:25 ありがとうございます それは良いアイディアです
31:50 私達はプロパガンダの結果であると 幼少期から信じろ信じるななどと 言われて来た事の結果です ですから過去を理解すべきです 過去現在未来はまた断片的です 二千年後に社会がどうなるかと 科学者達がするように私達は投影します 二千年ではなく40 50 90 年と 将来どうなるかとです 未来がどうなるか技術的には完璧に 描いてきました よくお判りの通りその未来は今の皆さんです 皆さんの今が皆さんの過去の結果です 皆さんが過去を理解せずして 皆さんの今と過去に 抜本的な変化を遂げるなどと 時間は解決致しません
33:19 それは偉大な策略の一つです 時間 それはまた断片であり 奇跡的な活動を経て 非常に類い稀な人類を生まれました
33:42 外的にみて長生きするでしょう より良い下水道のシステムがあるでしょう 清潔な街並みや澄んだ空気 科学的にこれらを造る事ができます それには時間が必要です しかし私達自身の計り知れない完全なる 変化変革に時間は必要でしょうか この問題について話していきましょう 時間は思考断片は 人間の心を変えるのか 条件付いた心を 過去を持つ脳細胞記憶や経験 何千年もの間に及ぶ知識です これをご理解すべきです 理解するには一心に心を注いでください
35:23 特にやる事のない暇なある昼間に ここに来て座り 拳を握り人生全ての望みを持ち 理解する事ではありません 人生を捧げてください 心をです この事を理解する為に全てを捧げてください あなたの人生ですから これを理解しなければ 極楽の境地や恍惚道理的行動を どれだけ探しても全く価値がありません
36:18 よってそれが最初の質問の一つです 質問とは心は 過去の結果であり 過去数千年の時間の進化の結果で 絶大な危機に直面し 外的世界の危機のみならず私達の生活の危機 人間関係において生き方において その危機は真に答えられるでしょうか 断片的でなく徐々にではなく 完全に徹底的にです 何の対立葛藤なく生きる事ができるようにです 人生において何の闘争もなく 生まれた瞬間から死を迎えるまでの間です 常に苦闘し苦しみ恐怖に怯え絶望します
37:44 ですから精査すべきです 私達の心は 思考です 知性の能力です 知力 明らかに皆さん熱意を持ち崇拝します 知力は精査の機器です 知力 それは知識や経験何千年に及ぶ探求の 蓄積です この惨劇と混乱から抜け出すには 解決すると考える知性 または精査し先を超える能力を持つ事 その知力とは知識です 使用の正誤に関わらず 知力は批判や観察精査や合理化する 能力です適正 不適切であろと 理論的 非理論的であろうとです その知性が客観的に観察する能力です しかしその知力は全体のほんの一部です そうですよね 私達は知性だけで生きていません 感情で生きます 愛や喜び苦しみに生きます 知力が思考の縮図として 人生の舵をとる時 人生に大きな矛盾をもたらします
40:41 人生は大きな出来事です それは心因性の反応で 心の反応です 心理 心理が何かそれ以上を求めています 私達は人類です ただ知的や感傷的 知性の否認でなく 感情のずさんさのような中でのみ生きます
41:29 ご自身の中でこの矛盾を理解すべきです それは時間の矛盾です 昨日 今日 明日 過去 現在そして未来 多くの問題の解決手段としての時間 数千年もの間蓄積してきた知識 過去でありその上に左右されます 今が私達の過去で知識は過去です 現在の中に知識は存在しません コミュニケーションが図れていますか?
42:39 A : はい
42:41 K : 何度も繰り返しお尋ねしません 互いにコミュニケーションがとれているのか 一度だけ確認したかったのです 話し手とコミュニケーションしなければ 話し手が皆さんと問題を共有する意味で 伝達していません皆さん次第です 話し手は可能な限り明確に理論的に 健全にお伝えします それを共有したければ共有し 共有しなければ共有しないのです これはプロパガンダではありませんから それが美しさです 納得したり信じたり新しい信念を持ち帰る事は 一切在りません 思想観念は不毛の収穫です あなたは笑いますがあなたは思想と生きています あなたにとって思想観念は人生に非常に重要な事です 言葉でまとめられたアイディアだけでなく 思考が造った型や概念として まとめられたものです それはご自分を見てください皆さん過去に生きています 皆さんの心 知識脳細胞 ご自身のイメージ 全てが過去であり未来の中に生きます 理想 概念何かの信念 時間は過去であり 過去現在未来を分断します そしてあなた方は常に過去を忘れようと 未来に向かっています しかし皆さんのルーツや あなたの思考の全ての過程は過去に根付いています この深い根底をつまりご自身を理解せずして 素晴らしい社会を将来創造しようと試みます
45:50 先日科学技術の劇的進化がどうなるか 議論されていました 新しい技術がどう新しい社会を創造するか 明らかに新しい社会を造るでしょうが 我々人間は過去数千年もの間 同じままです 私達が変わらなければ更に矛盾の中で 更に深い苦痛 そして互いの人間関係は最悪となります
46:38 ですからこの問題に共に取り組みます 時間により経験を通して 条件づいた心 その経験を通して得た知識に条件づき 信じる宗教により条件づいた心 カトリックやプロテスタント プロテスタントの無数の宗派 ヒンドゥー教イスラム教 世界中の全てのナンセンスサーカスです 私達は過去によりプロパガンダにより条件づいています 私達はそれら全ての結果です お気づきですか
47:40 それが最初の質問です: 我々の条件付いた過去に気付く事です 気づきと言う言葉は非常に単純な事を意味します 複雑化しないでください ミャンマーの修道院に行かないで 気付くとは何かについて残りの人生学び過ごして下さい 気付きを実践して下さい それはありふれた陳腐な戯言です ただ気付くのです薔薇の色に気づきます 水を持って来たその男性に気付くのです お隣の方に気付くのです その色会場のバランス 自身の周りに起きている事に気付くのです 卑劣さ 汚さ 貧困 人間が造って来た醜さ 身の回りにある残忍な事 気付き意識するのです
49:11 ここで困難が始まります 気付く事はできます非常にシンプルです 環境に気付き 通りを歩くと汚れに気付く ニューヨークがどんな所か私より良くご存知でしょう 気付く事 気付いたら何が起きますか? 話について来てください 非常に単純ですからご自身で簡単にできます 皆さんと共有しています 私はあなたの教祖ではありません ご理解ください 共にこの旅路を歩き考えています 私は指導していません ありがたい事に私の信者ではありません その関係はお互いを破滅させます ここに指導者はいません あなたのみが指導者であり弟子です あなたが監視者であり学習者なのです ですから一息で全ての教祖をさて置き 全ての追随あらゆる権威を捨て置き 警察の権威ではなく 法の権威でなく 法律を変えるには存在する法を変えるには ご自身をまず変えるべきです 外的な法律を変えたいと あなたの作った あなたによる偏見欲 強欲 安定を求める欲求 ご自身を変えずして法律を変えたがります あなた方は世界平和を求め 戦争なき世界ノーモアベトナムと しかし皆さん心の中に闘争を持ち 戦争が起きるのは必至です
51:55 外的な事に気付くだけでなく 雲や 木の美しさ 鳥の俊敏な動き 水面の光 そういう事の認識は簡単です触れられませんから 何か外の遠くでの事ですから 自身に気付くとなると困難が始まります ご自身を自分だと認識すると それは嫌いだ醜い美しいなどと言います これは保管し それはしないなど あなたは選択し合理化し 非難や正当化し比較します その比較正当化や非難の状態の中で あなたは気を取られており気付いていません あなたは過去から持ち出した イメージに覚醒します その過去のイメージを通して現在を見ています 従って歪んでいます明確でしょうか すみませんお尋ねできません皆さん次第ですから
53:30 もう一度別の言い方で繰り返します 木や鳥また雲の中の陽を観察する時に よく観察すると 直ちに言葉が浮かびますね 名前をつけますあれはきれいな雲だと それについて詩を書きたいその趣味があればですが 誰かに伝えたいと 言語化は気を散らします その間あなたは見ていませんから 言語化が雲のそのイメージです それは昨日見たもので そのイメージがあなたと実際の雲の間を反映します 即ち言葉という画面を通して雲を見ています 知識の画面を通して 昨日の記憶の画面を通してです 全くその事に気付いていません そして内向的に起きている事を同様に観察します 選択という動きが全くない気づきです 困難に直面すると 過去のイメージを通して観察する為 自身の中に分断が生じます 観察者と観察される側です この話の間皆さん観察していますか つまり共有です ご自宅に戻ってから考えるのでなく 聞きながら実際に観察します 共有ですそれが共有の美しさです 家に持ち帰って話をするのではなく つまり気付く事です ご自身の中で起きている事に実際に気付く事です 誰かによってではなく この選択無き気付き何が実際であるかを 観察するのです つまり心は非難せずそれに名前をつけません 単に観察します つまり自分は暴力的だと自覚します それは様々な形の暴力性です 性や言葉やジェスチャー 人生への自分の態度 暴力的で分離的です また暴力は自分の恐怖心の結果です 自分の暴力性に気付く それに気付いて 自分は暴力的だと言います 嫉妬深いまたは貪欲だと 名前を付けそれを通して世界をみます 世界は過去です 即ち過去を通して物事を見る際 あなたは所謂暴力を強化しています 実際に起きている事を過去に関連づけるからです 過去とは多少なり私達の持つ強固な物です よって暴力や怒りと名付けると 怒りについて得た知識を強化しているのです 従ってそれを新たに見てはいません 過去により歪んだ目で その出来事を見ているのです 続けますか
59:23 A: はい
59:30 K: 知識として過去は 常に現在を妨害します 侮辱された 褒められたと それは心に印をつけます それが知識です 敵か味方を問わずあなたに会う際 あなたは以前の出来事を元に判断します 私は常に人生に出会います この甚大な人生の動きです 過去である知識 知識は過去です しかし知識は必要です でなければ自宅に帰れません 認識が出来なくなります 自分の夫や妻が認識できません 話したり読んだり技術的にも色々な事で 機能しません ですから莫大な知識が必要です しかし危険を目にすると この知識が傍観者と される側に分離します 常に言葉を変えてすみません 古い同じ事を繰り返せませんから つまり 木を見ます 木を見るとイメージがあり 木についての植物学知識 その木を好む好まないと また木材業者なら利益を目算したり その木のイメージがあります そのイメージがあなたと木を別ける要因です それは木とあなたとの間に距離が在ると言う事です 空間的距離と時間的距離です ではイメージが無い場合 すると全く違う方法で木を見ます あなた自身を木で認識しません 木になれませんからそれは非常に馬鹿げています しかし空間的差異 あなたと木の距離は無くなります 木という物を人生で一度も見た事が ない様に見ます 葉の美しさ枝の曲線 軽さや形が非常に重要になります
1:03:18 ではご自分を見ると 髪をすく際の鏡に映る自分を見るだけでなく 自分を見るときにご自身の持つ 自身についての知識を持って自分を見ます 自分についてのイメージです こう在るべき そう在るべきではない 将来は違う何かになるだろう この何かになるという動き これは知識の結果です その知識の中で自分のイメージを持ちます ですから自身を見る際に 自分の過去のイメージの目を通して見ています ですから実際には見ていません 選択なき認識は観察者なき観察です 観察者は過去で イメージを造ります いいですか 続けますか
1:04:51 A: はい
1:04:53 K: お聞きください 聞き方をご存知ならあなたは全てを尽くしました 何もする必要はありません 聞く努力をする必要はありません 変える努力をする必要はありません それについて後ほど時間があれば話します 変える事の必要性それが可能なのか そしてどうするかです
1:05:31 聞く事 私達はちゃんと聴きません なぜなら私達は聞く時に別の事を考えています もしくは彼の言う事を好まないと または他の誰かとその人の言う事を比較します 奥さんや旦那さんの話を聞いた事がありますか? 笑わないでください時間の無駄です 拍手も時間の無駄でエネルギーの無駄です どうかやめて下さい どうしても拍手がしたければ私のいない時にどうぞ 聴いた事がありますか 本当に聴くのです 過去のない状態で聴く 小言を言ってきた妻の過去 支配的な夫の過去など その先は必要はありませんね この全てが続く結婚という惨事です そして過去なく聴く すると人間関係は完全に違う物となります ふたつのイメージ間の関係ではありません あなたが描く妻のイメージまた妻が持つあなたのイメージ 人間関係は二つのイメージの間で 従ってそれは人間関係ではありません 人間関係について問い考えた事がありますか 世界で起きている事を見ると オフィスに向かう 問題を抱えるオフィスです 野望を抱き 上司からの侮辱や恐怖に耐え 家族や恋人から 何時間も離れ その家族や恋人もまた自身の問題を抱えます 自身の悲しみや混乱 野心狭量 粗悪さあらゆる事柄です 家に戻ると 寝室に入りますそれがあなた方の関係です あなたも奥さんも孤立し 性生活を通しある種の関係を見出そうします 一つになると- 家族を愛する
1:09:00 それは理解されるべきです 異なる社会を造るとは 人間同士異なる関係を持つ事です あなたと奥さんご近所との間にです 過去が人間関係の基盤であれば 記憶や侮辱小言 過去相手に持つイメージ 美醜 愚かさ非合理 歪曲と 人間関係は一切存在しません これに気付くには 時折でなく 気付くのです イメージからではなくです この後まもなくお話致します 造り上げたイメージの解放についてです 質問をご理解されていますか さあ参りましょう
1:10:33 単純な事実を例にします: あなたが私を褒めます 褒められると喜び それは心に印を残します脳内の細胞にです 即イメージが造られ あなたは自分の好きな友達だと あなたは私を褒めたのですから では私を侮辱したとします:それもまた印が残ります あなたが私の友達ではないとそうイメージを残します それが事実ですよね これは日々常に行われています 好き嫌いと美人だ美人ではない あなたは頭がいい等とです 常にイメージを造っています では褒められた際に その瞬間に完全に気付きます 受入れでも拒絶でもなく 起きている自分の反応をただ見るのです 完全に注意し全て注ぎ見ると そこに歪みは無くイメージを創造しません やってみてくださいわかるはずです 非常に単純な現象です複雑にしないでください 注意をはらい認識する 侮辱でも称賛でもその瞬間にです その瞬間には選択は存在しません ですからイメージはできません すると毎回新鮮に会います それが本当の無垢です 無垢とは傷つかない心を意味する言葉です 殆どの人が子供の頃から傷ついて来ています 両親や学校学校の先生などと 傷ついています その傷は様々な知識の貌です それを死ぬまで持ち続けます 記憶として過去を持ち続けます 時間は解決をしません 時間はそれを強化するだけです 一方この過去である全てのイメージと 知識の動作を認識すると あなたの心は侮辱を記録しません どんな心の傷もです 従って他者との人間関係は 根本的に変革します 私達は互いに関係していますから ベトナムに住む人であろうと インドやヨーロッパアメリカや中国 私達は関係しています私達はみな人類です 自分達を傷や苦痛恐れなどのイメージで 自身を隔離すると または非常に強い競争心 それは不運にもこの国では奨励されています すると人間関係は苦しみとなります あなたの人間関係は生きた美しい瞬間ではなく 過去だけとなります この過去の動きについて気付くべきです 意識的レベルだけでなく深いレベルにおいてもです
1:16:01 今何時でしょうか
1:16:04 Q: あと 10 分です
1:16:09 K: これは非常に複雑な問題です 私達は過去に 世紀に渡り得た知識と生きますから その知識が我々を破壊しています その知識が私達を分離し分断し その知識がイスラム教ヒンドゥー教 キリスト教 カトリックやプロテスタントなど 国家間を分断します 全て過去に基づいています この過去という甚大な問題を理解するには 知識の表面を 寧ろ簡潔に見るだけでなく 無意識の部分これは一般的に使う言葉ですが 私達のとても深い根底に留めてある 知識の全てについて 理解するべきです 知識が必須な事はわかっています 絶対的に必須ですさも無ければ何もできません しかしその知識が人間関係の 歪みの原因となる事もわかっています 人間関係は人生に最も重要です でなければ平和に暮らせません 愛が何かを知る事ができません よって相関する事とは ふたつの過去のイメージの間ではなく 本当に関係する事とはイメージが造られる中心が 存在しない事を意味します
1:18:52 どのように無意識を観察するかについて 話すには時間が足りません どう無意識の内容を明らかにするか 分析ではなく曝します 非常に注意深く進むべきです 今日ではなく明日午後に話ましょう 少し時間が残っています ご質問がおありでしょうか
1:19:30 質問はありますか
1:19:34 Q: はい
1:19:36 K: 質問の前に少しお待ちください 質問についてお伝えした事があります まずなぜ質問するのですか 質問すべきではないと言う事ではありません あらゆる疑問に疑念を抱くべきです しかし懐疑心は綱につけ うまくその手綱を操作し 質問をするとは 話し手が質問に答えると期待しています またはご自身に問うています 共に答えるのでしょうか ? それは質問がでるその瞬間 その答えは質問の中に在ります その質問の見方を知れば答えはそこにあります ですからご質問の際心に留めて下さい 正しい質問をするだけではなく 話し手が質問を妨げるという 意味ではありません 正しい質問をする 質問の裏には深層があります 正しい質問には甚大な深みがあります 浅はかな質問は間違った質問です 非常に表面的ですから ご質問の際にご認識下さい 質問をする際ご自身を自身に曝しています それがご理解できたらご質問をどうぞ
1:21:40 Q: すみません 本当に自分を愛さない人は 他人が自分を愛せるように 手助けすべきでしょうか誰でも他人を助けるべきですか
1:21:54 K: 誰でも他人を手助けすべきか 手助けとはどういう意味でしょうか 医者はあなたを助けます 良い医者であればですが よい栄養士 行き順を書く道路標識 それら全て手助けですよね しかし他人を助けると想定すると すでに定位置を取っています よってその定位置は権威的で 従ってあなたは謙虚さの感覚を破壊します 手助けとは道ばたの花の香りのようです そこに在ります 香り色や甘美さ 開花する静かな感覚 そこに在ります香りたければ香り そうでなければそう それが手助けです 何かを与えたければ 与えていると知らないまま与えます ですよね
1:23:35 Q: お聞きしたいのですがもちろんご自身を 偉大な人だとお考えでしょうが 仏陀についてどうお考えですか
1:23:50 K: 勿論私が偉大な人間だと 仏陀についてどう考えるか 仏陀は 紀元前5世紀インドの宗教の先生でした まず私は自分が偉大でも 小さいとも考えません 本当にそうです それは無意味な質問です 仏陀についてどう思うかと言うと 仏陀について考えません 思考は理解の分野に介入しません 愛が在る所に思考は存在しません そこに愛があればその心の状態があれば 思考の動作が無ければ そこに比較が在りません
1:25:19 Q: 注意散漫についてお話ください
1:25:24 K: 注意の散漫
1:25:27 Q: 例えば誰かの話を聞いていて そこに音が鳴ると ふたつの音が対立します 選択は存在すべきでないと しかし心はどちらかに向かい...
1:25:47 K: ご質問は分りました 気が散る どうして散漫と呼ぶのですか 彼の言う事を聞きたいと 数秒または1, 2分聞き 気が散ります なぜそれを散漫と呼びますか なぜ聞きたい事 聞きたくない事を比較しますか ではそれが散漫だと言う事によって あなたは既に葛藤しますよね 話を話しているか聞きたいから 数分自分の注意を払います そして自分の心は注意を継続できません それを散漫とは言わず途切れたと言います なぜその方向に途切れたのかを問いましょう 私は固定された注意ではなく注意そのものに興味があります あなたに耳を傾ける注意 または気持ちが散る注意です 散漫と呼ばれるその事は 散漫ではありません 注意があればそこに散漫は存在しません お判りですか 心が完全に注意を払ってないだけで そのような心は散漫です そして気が散ってしまい どう元にもどるかと言います そこにバトルがあります 言われている事と途切れる心に 注意を払ってください 注意を払う事がファクター すると対立はありません 人の最大の罪は自分の中に対立を持つ事です その対立自体が外の世界を表現するからです ヘイト 妬み 退屈 敵意残忍性 殺傷 対立も何もない 生き方を見出すには 全く異なる生き方をする事です それについては明日話しましょう
1:29:04 Q: 常に何かに恐れています 自分を見つめ仰る事に直面しようとします 充実した生き方を送ろうと でも過去が常にそれを妨害し 怖すぎて自分と人生を見れません
1:29:25 K: 恐れ入りますがご質問を理解できません どなたかお解りですか 思考が阻害する ?
1:29:34 Q: 恐怖心が思考を生みます
1:29:36 K: 恐れ 思考と恐怖心が阻害すると いいですか思考と恐怖心は 非常に深く追求すべきです 明日話しましょうか なぜなら単純にその思考を取り除く または恐怖心を取り除くと言う事ではありません それは非常に馬鹿げています 恐怖の問いの全容を理解すべきです この思考とは何か なぜ思考がこう人生に非常に重要なのかについて 問わなければなりません 思考の場所はどこか この数分で話ができる内容ではありません 明日話してもよろしいですか よろしいでしょうか 今日はこの辺りで終わりましょう 確か会場は7:30 まででしたね