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NY71T2 - 考える事柄が、あなた自身
第二回
ニューヨーク、アメリカ合衆国
1971年4月18日



0:00 クリシュナムルティ:昨日は人間関係の 重要性を考察しました 私達は常に過去に生きてきました そしてその生き方を根本的に変える事が 可能かどうかについて話ました
1:04 そして今日は意識の中に何が潜んでいるか 隠れた心の深層を皆さんと一緒に 精査していきます つまり一般的には無意識と呼ばれる事です 自分自身の中に また社会に抜本的な変革を 生み出す事を懸念します 身体的な変革は 昨今世界中で支持を得ていますが 人間に根本的な変革を生み出しません
2:12 腐敗した社会に変化は必要ですが ここアメリカやヨーロッパインドなどと どこの国でも社会構造の抜本的な変革が必要です 腐敗したままの状態の 人々の活動 どのような社会構造で完璧をな社会を 打開しても 変化は必要不可欠です 私達が変わる事は当然必須なのです
3:01 そしてこの変化は時間の経過により起こり 徐々に達成するでしょうか 徐々の変化を通して または変化は即効的でしょうか この事を今日皆さんと共に考察して行きます
3:37 自分に変化が必要だとする人 より繊細で 機敏で聡明な人は 深く持続的で活きた 変化があるべきだと気付きます 意識の内容は意識で そのふたつを分離できません 植え付けられた事 植え付けられた意識が意識を構成します 意識に変化をもたらすには 表面的にも裏もどちらにも それは分析によるでしょうか 時間によるのでしょうか 環境的圧力によるでしょうか または変化とは 完全にあらゆる圧力 負担 衝動脅迫から 独立しているでしょうか
5:24 これは寧ろ難しい議題です 非常に複雑な議題ですから 皆さんと共に 話を共有できればと思っております この難題をどこから始めるべきかわかりません 非常に真剣に議題に向きあうべきです 面倒であっても深い興味と 情熱を持ってです 私があまり先には進めません 時間や空間の先という意味ではなく ご自身の中で非常に深くです 皆さんの強い情熱と 大きなエネルギーを要します 私達は殆どのエネルギーを対立や葛藤で無駄にします 我々の存在について精察するには エネルギーを要します エネルギーには変化の可能性が伴います 変化の可能性が無ければ エネルギーは無駄になります
7:24 私達は変われないと考えると ただ受入れます すると意気消沈し鬱々しくなり 不安定で混乱します 抜本的に変化は可能です それについて考察していきます 話し手の話が理解できなければ 話し手は言葉を鏡として使いまが 皆さん自身が情熱と 興味と活力そして莫大なエネルギーを持ち 観察し問うのです すると恐らく明らかで どんな努力の必要なく 動機もなく 根本的な変化を遂げる ポイントに到達できます
8:58 昨日お話した通り 自分達について表面的な知識だけでなく 深く隠れた深層の 意識の要素があります それをどう考察しますか 意識の内容をどう露呈しますか 徐々に少しづつでしょうか 徹底的に露出され 速攻で察知し よって分析的過程が終結するでしょうか
10:04 ここで分析について話をします 私 話してにとって 分析は行動の否定です 行動は常にアクティブな現在です 行動とは '行った' ' 行うだろう ' ではなく 行っている です 分析は現在のアクティブな活動を妨げます 分析には時間が関与するからです レイヤー事に徐々に剥がす 各レイヤー事の 内容を分析をします その分析が完璧で完全で事実で無ければ その分析は不完全です 完全ではない知識が 残ってしまいます そして次の未完全な分析が沸き起こります お分かりでしょうか
12:06 例えば私が自分を分析します 自分の分析が完全で事実で無ければ 分析した事は知識となり 次のレイヤーの分析に進みます ですから その過程で各々の分析が不完全となるのです そして更なる葛藤へ導き惰性と繋がります 先に進みますが良いですか 分析には 分析する側とされる側があり 分析者が専門家であろうと 素人でもご自身でも 二重性が存在します 分析者が分析し 自身とは異なると考え何かを分析します 分析者とは 何でしょうか 分析者は過去で 分析された事柄が蓄積された知識です その知識は過去でありながら 現在を分析します
14:05 その過程で葛藤対立があり 分析に順応または 無理強いしもがきます 分析には 夢を見る過程があり ご自身で追求した事がおありでしょうか または誰かの本を読んだり それは非常に不運な事です 誰かの言う事を繰り返すだけですから どんな専門家でも有名人でもです そんな啓発本を読んでなければ 私は読んでいません非常に退屈です 読んでなければご自身で探求してください すると更に興味深くなります オリジナルで直接的で真実です
15:30 分析の過程において 夢という世界が存在します 夢は必要に応じ受入れます 専門家は夢を抱くべきだと さも無ければ取乱すと言います ある部分は事実ですが 夢とは何ですか 私達が考察しているこの事は 根本的な私達の 変化変革の可能性についてです 世界には大変な混乱や惨劇 憎悪と残虐行為が起きており 慈悲心はありません みな大変真剣に問うべきです 単に知的な興行ではなく実際に私達が 変わる事ができるか それを真剣に問うのです 我々が何者であろうと変わる可能性が分る時 どう浅はかで表面的で 反復や模倣であろうと 根本的変革の可能性を理解すれば 変わるエネルギーを持ちます 不可能だと言えばそのエネルギーは消失します
17:34 ですからこの問題について問うのです 分析が抜本的変革を生み出す事ができるのか それとも分析とは単なる知的なエンターテインメント 行動の逃避でしょうか お話した通り 分析は夢の世界への導入を示唆します 夢とは何ですか 夢がどのようにして現実になりますか この事について考察した事がありますか もしそうであれば 夢とは日々の生活の継続です 日中に行う事です 悪さや腐敗 嫌悪や過ぎ去る享楽 野望や罪悪感などとです それは継続します 夢の世界の中で ただ象徴として 映像やイメージとして継続します そのイメージや画像は解釈され そのあらゆる騒動や虚構が生じます
19:58 なぜ人は夢を抱くべきかと問いません 夢を人生の一部に必須だと受入れます 私と一緒に問いましょう なぜ夢を抱くのか 完全に静かな心で 床につく事が可能でしょうか その静かな心だけがそれ自体を刷新します 全ての内容が空になります 新鮮で幼く 断固とうろたえません
21:03 夢が日常の継続であれば 我々の日々は混乱や不安 安定を望み 執着し 象徴的な型に 夢を預ける事が 不可避となります 明確ですよね 私が問うのは 夢を見るべきか 脳細胞は静かになれるでしょうか 日々の問題を持ち越さずにです
22:07 それを見出すには 実験的に 話の内容を受入れるのではなく お願いですから絶対にそうしないでください 私達は共有しています共に精査しています 実験的にそれを見出すには 試してみてください 一日の中でしっかりと気付く事です ご自身の思考 意図 話 歩き方や話し方にです とても注意深く見るのです 深い層の無意識の胸の内です するとご自身を晒し 隠れた意図を見出します 不安などとです 無意識の中身をさらけ出します 眠りにつく際に ご自身の心 脳内を含めてその時に 非常に静かな休息を見出します 日中に行っていた事を終えるのですから
24:01 ご自身で試した事がおありでしょうか 寝る時にその日を 振り返る しませんかその日の振り返り こうすべき すべきで無かったなどとです こう言えば良かった言わなければよかったなどと つまり 日に起きた事を棚卸し 順序付けようとします どうか注意を向けてみてください 寝る前に序列を付けています 寝る前にそれをしなければ 脳がそうしようとします 寝ている際にです 脳は完璧に序列を追って機能するからです 無秩序ではなくです 非常に効率的に機能します その完全な序列が在れば 神経過敏でも合理的でもです ご理解していますか 神経症にも 不均衡にも 順序が在り 脳はその序列を受入れます
26:10 そして その日の出来事を寝る前に 棚卸しすると その序列をもたらす事になります よって睡眠中にその序列を生む事はありません 起きている時に終えるからです 序列を日中の間常に持っていると つまり 何が起きているか全てに気付くと 内向的に外的にもです どうですか ある意味外的にあなたの無秩序 残虐さや無関心無神経さ 腐敗浅ましさや口論 政治家のごまかし 全て起きている事ですよね あなたの夫婦関係においても 子供達でも 日中気付いてみてください 修正するのではなくただ気付くのです 修正しようとする瞬間混乱が起きますが 単にそのままを観察すると その事を それが秩序です
27:52 その事を変えようとするとそこに無秩序が存在します 過去に得た知識を元に 変えたいと思うのですから 知識は過去です 過去ではないその事を自分が学んだ過去に従って 変えようとします 従って矛盾ねじれ 混乱が生じます
28:31 話し手と同様みなさんも真剣に向き合ってください 上着を脱いでも構いませんか
29:02 日々の中で皆さんの思考の動きに 気付けば 動機 偽善 調子のいい事を言う ある事をする別の事を話し考える ごまかし仮面をかぶります 様々な手口です すぐ届く手段は非常に容易です 日常の中でそれに気がつけば 眠りにつく時に日々を’振り返る必要がありません 常に秩序を持つからです すると眠りにつく際 過去を記録し保存する 脳の細胞は完全なる静寂にある事に 気付くでしょう すると睡眠が 全く別のものとなります その眠りの中で 心という単語これは 脳を含めます 全神経組織です 愛情 人間の全構造が心です その単語を使う時それら全てを指します 個別ではありません その単語の中には知性や心臓 神経組織全てを含みます 眠る際に 分析の過程は完全に終わります そして目が覚め 物事をありのまま見ます あなたの解釈ではなく変えたいという欲望でもなくです
31:59 分析とは話し手にとって 活動を阻害します 活動は当然必須です では この抜本的な変化を見出す為には 分析が手法ではありませんね 話し手の言う事を受入れないで下さい ご自身で観察してください 学んでください 私からではなく自身を見て学ぶのです 分析のあらゆる含蓄をです 時間 分析者とされる側 分析者が分析されます 分析は合致すべきです でなければ次の分析を歪曲します 分析の全ての過程を理解する事 内観であろうと知的分析であろうと それは完全な誤りです それが出口ではありません ある意味不均衡な人には分析が必要かもしれません おそらく私達はみな不均衡でしょう つまり分析は逃げ道ではありません
33:56 観察をする方法を 見出すべきです 意識の全容を 分析者なく見るのです わかりますか 追求すると非常に興味深いのです 人類が言って来た事全てを 一蹴するからです 笑わないで下さい ご自身で 見い出してください 真の本物の真実です どこかの教授や心理学者分析者などに 依存するのではなくです
35:01 分析なく観察する方法を見つけるべきです それについて話します 皆さん構いませんでしょうか
35:22 聴衆: 構いません
35:24 K: グループセラピーではありません 公開懺悔でもありません 話し手が皆さんを分析したり変えようとするのでもありません または皆さんが驚異的な人になるのではありません ご自身ですべきです 私達殆んどは使い古した人間ですから 非常に難しい事です 専門家達によって 型を付けられた心を完全に取り払う 宗教家でも科学者でもなく 自身で見出すべきです
36:22 分析は出口ではありません 私が知る限りそうではありません 話し手は合理的に説明致しましたから ではどうやって 意識の全貌を 精査し観察するのでしょうか 全容とは何でしょうか 意識の内容とは何ですか 誰かの言う事を反芻しないでください あなたの全容は何ですか 見た事が考えた事がありますか 考えた事があれば 内容とは記録された事件 出来事 喜びや不快感 様々な信念 伝統 様々な個々人の 追憶や記憶 民族や家族の記憶 育ってきた文化 それが中身ですよね ヒンドゥー教としてインドで生まれ バラモンなどと あらゆる伝統や独断主義の 偶像崇拝や信仰心 何千年も蓄積されたあらゆる文化 そして日々の 出来事記憶 様々な痛み苦しみ 不憫や事件侮辱など全ては 記録されます 私の意識の全容はその全てです あなたの意識の全容です カトリックやプロテスタントこの西洋での生活は 更にもっと何かを求めて 驚喜の世界 娯楽 富 絶え間ないテレビの音 映像 残虐 その全てがあなたであなたの内容です
40:25 それがどう曝されるか 露呈される中 各出来事は精査され それぞれの出来事や伝統 傷や痛みなどと それ各々を見るのか全体を見るのでしょうか わかりますか ひとつづつ徐々に精査されるならば 分析の世界に突入します そしてそこに終わりはありません分析し死を迎えます 分析者に莫大なお金を払います それがお望みでしたらです もしくは全体を考察しますか
41:40 この様々な断片の見方についてお話します 断片とは意識の内容で全容です 分析的にではなくです コミュニケーションが図れていますか
42:03 回答 : はい
42:08 K: 完全に全く分析の無い 考察についてお話して行きます つまり全てを見てきました木や雲 ご自身の奥さんや旦那さん娘息子さんなど 全て観察者として観察される側とです ですよね どうか注意深く見てください 自身の怒りを観察しました 欲や嫉妬何でもです 観察者が欲を見ます 観察者が欲です しかし観察者を分離させます 心は分析のプロセスに条件づいていますから 従って常に木や雲など人生の 全ての事柄を観察者と観察される物として見ます お気づきですか ご自身の奥さんを 自分の持つ奥さんのイメージを通して見ます そのイメージが観察者です そのイメージは過去です そのイメージは時間を通してまとめられました そして観察者は時間で それは過去であり 蓄積された様々な過去の出来事や事件 経験などという事柄です つまり観察者は過去です 観察される事を 観察する事と分離してしまいます
44:42 では観察者なく観察できますか つまり木を見る事ができますか - お聞きください - 観察者として過去を持たず木を見る事ができますか つまり観察者が存在すると 観察者とされる側の間に空間が生まれます 木との間にです その空間は時間です そこに距離が在りますから その時間とは観察者の属性であり それは過去で 蓄積された知識です それは木だ 自分の奥さんのイメージだと言います では観察者なく観察できますか
46:10 つまり木だけではなく 妻や夫をイメージを持たず 見ることができますか これには大変な自制を要します 規律や統制自制とは 一般的に 服従 訓練 真似 衝突を示唆します その事と在るべき形との間にです 自制の中には葛藤があり 抑圧や克服といった事が起こります その全てが単語の意味です しかし自制心とは学びを意味し 服従でも 抑圧でもなく 学ぶ事です そして学ぶ心の質は それ自体に秩序がありそれが規律です 観察者なく観察する事を学びます 過去なくイメージなくです ' それ自体 ' を観察する際 そのものは実に生きている物で 死んだ物として見なすのではありません 過去の事柄や過去の知識により 認識できます
48:33 更にシンプルにしてみましょう 私が傷つく事をあなたが言うとします 心を痛めますその痛みは記録されます その記憶は続き 更なる痛みがあると それをまた記録します よって痛みは幼少期から強化されます 一方で痛みがある際 私にとって苦痛な事をあなたが言うと 完全に観察すると傷として記録されません ご理解できていますか 傷として記録する瞬間から 記録は続き 残りの人生あなたは傷つきます その傷を追加して行くからです これに対し痛みを観察すると 記録せず痛みを完全に観察すると ご自身の注意全てをその痛みの瞬間に注ぎます これを実行していますか
50:50 散歩に行く際 様々な騒音が通りを取り囲んでいます 叫び声や 下品や残虐さ この殺到する騒音は非常に破壊的です 繊細であればある程この騒音が破壊的となり あなたを傷つけます そしてその傷に対抗しようと よって壁を造ります 壁を造ると自身を隔離させます よってあなたは隔離を強化しています 更にもっと傷ついてしまいます 一方その騒音を観察すると その音に注意を払うと 組織体が傷つく事がない事に気がつくでしょう
52:12 この根本的鉄則をご理解できたら 非常に甚大な事を理解したと言う事です そこに観察者は居いません 自身を観察者とされる側に分離すると そこに対立が生まれます ご自身で見てくださいそこに観察者と 観察される側との分離がある限り対立が葛藤が存在します 分離がある限りです イスラム教とヒンドゥ教と分離がある限り 対立が存在します カトリックとプロテスタント分離が存在すれば 対立が存在します お互い我慢をするかもしれませんが 知性が忍耐をカバーしています 黒人や白人と分離がある限り 紫や青黄色や黒と そこには対立が存在します
53:28 ご自身と奥さんの間に分離がある限り そこには対立が存在します 対立は根本的に観察者と 観察される事が分離する限り存在します 自分の怒りと自分は異なるという限り 怒りをコントロールすべきだと怒りを変えるべきと 自分の考えをコントロールすべき変わるべきだ 何をすべきだと その分離の中に従って葛藤が存在します 葛藤は抑圧服従や模倣を示唆し それら全てが関係します この本来の美を本当に理解すると 観察者が観察され そのふたつに分離はありません すると意識の完全性を分析なく観察できます そして全容を瞬時に把握します
55:14 つまり観察者が考える人である そして私達は思考に非常大きな重要性を与えてきました そうですよね 思考によって生きます 思考に基づき行動します 思考に基づき人生を計画します 私達の活動は思考に動機づいています 思考は世界中を通して崇拝されています 何より最も重要な事としてです 思考は知性の一部です
56:26 思考とは - どうかよく聞いてください - 思考は考える人と分離されてきました 考える人が言いますこの考えは良い悪い 彼はこの方がその理想よりもより良いと この信念があの信念よりも良いと これらは全て思考の産物です 思考はそれ自体を考える人と 経験者として分離し断片化します 思考が高尚だ下等だと自分自身を分離させます インドではアートマンと呼ばれます ここでは精神や我などと呼ばれます しかしそれは未だ作動中の思考です 明確ですよね 理論的であり非合理ではありません
57:43 では非合理的な側面をお見せします 本や文学などと私達は生きてきました 全てこれは思考です 私達の人間関係も思考に基づきます 私の妻 - 私には居りません - 私の妻とは考えから造り上げたイメージです その考えは小言などから纏められます 夫婦の間に繰り広げられる事お分かりですよね 喜びや性生活イライラや排除 それら全て 全て分離した強い動機が続きます 私達の思考は 人間関係の結果です では思考は何ですか 思考は何かと聞かれたら皆さんどうですか 誰かの言う事を繰り返さず ご自身で探ってください 思考とは何ですか 思考は疑いなく記憶の反応です 知識としての記憶 蓄積されてきた経験としての記憶 脳細胞の蓄積されています よって脳細胞自体は記憶の細胞です 思考しないのであれば記憶喪失の状態です ご自宅に戻れません
1:00:26 よって思考とは知識や経験として蓄積された 記憶の反応です 自身のものや受継いだり共同のものであったりと つまり思考は過去の反応です それ自体を未来へと反映もするでしょう しかし現在を通りすがり未来として修正しますが 未だそれは過去でしかし過去なのです 続けますか よって思考は自由になる事はありません どうやって可能でしょうか 自由が何かをイメージは出来ます 自由の在るべき姿を理想化出来ます 自由のユートピアを想像できます しかし思考自体が過去のものです よって思考は自由ではなく常に古いものです ですよね これは話し手に賛同するか否かではありません それは事実です 思考が我々の生活を体系化します 過去に基づいてです そしてその過去に基づく思考が明日がどうあるべきかを反映します そこに葛藤が生まれます
1:02:43 そこで質問が浮上します それは殆どの人々にとって 思考は非常に大きな喜びを与えてきました ですよね 喜びが私達の人生の最たる主導です その正誤についてではありません 精察しているのです 享楽が私達が最も欲する事です - この世界スピリチュアルな世界 天国があればですが- 喜び享楽 あらゆる形の享楽 : 宗教的な娯楽 ミサに参加するなど宗教の名の下行われます 喜びの為のあらゆる行事 日没でも性的でも 感覚的喜びでも 記録され繰り返し考えます ですよね 喜びとしての思考が私達の人生に絶大な部分を占めます 昨日何かが起ったと 良い出来事でとても幸せだと 記録されます 思考が出てそれを繰り返し考え続けます また明日繰り返したいと 性的でもその他の事でも 終わった出来事に思考が活力を与えます ご理解してるでしょうか
1:05:16 記録のそのプロセスが 知識であり過去です 思考は過去です よって享楽としての思考は持続します お気づきでしょうか喜びは常に過去です または想像した明日の喜びで 未来に反映した回想です - 過去です
1:06:06 また喜びの存在する場所喜びの探求について 観察する事が出来 恐怖心を助長します お気づきでしょうか 昨日してしまった事の恐れ 痛みの恐れ 先週あった身体的な痛み それを考える事で恐怖が持続します その痛みに終わりはありません 終わった時が終わりです しかし考える事でそれを持ち越します
1:07:10 従って思考は喜びも恐怖心も持続し 助長します ですよね この責任は思考にあります 昨日うれしい事があったと それが明日また起って欲しいと 何かしてしまったり痛みがある 身体的な苦痛 それは望まない酷すぎると 考えてみてください 現在の恐怖心だけでなく未来も 死の恐怖未知の恐怖 - 非常に多くの恐怖心 - 満ち足りない事の恐れ 愛されない事の恐れ愛されたい 全て機械的な思考です したがって思考には合理性も 非合理性も存在します わかりますか
1:08:33 行動の中で思考のエクササイズが行われてるはずです 技術的にもオフィスでも 料理中食後の片付けの最中 知識は完璧に機能すべきです 合理性思考の理論は存在します 行動の中でです しかし思考は全くもって非合理的にもなります 享楽や恐怖心を維持する時にです しかし思考は喜びを手放せないと しかし思考は繊細で自覚があれば そこには痛みが共に在る事を知ります
1:09:33 従って機械的な思考のあらゆる動き 複雑で微妙な動きに気付く事 これは難しくはありません これはそう難しい事ではありません 全く違う生き方を模索すべきです 葛藤の無い生き方 それが本当に求める事であれば 喜びとしての強い要望 それが断固たる情熱的な欲求であれば 内的にも外的にも人生を送る中で 対立も葛藤も全く無い人生 可能性を見出す事が出来ます 説明した通り 分離があると対立が存在します あなたと私との間 ヒンドゥーとキリスト教 共産主義や社会主義と 世界中でおこる騒動 それを理解すると 言語的や知的だけの理解ではなく あなたが実際に気付くと 観察者と観察される側に分離がないという事実 考える人と思考の間に分離がない するとそのものを実際に観察すると そのもの事の実際を理解すると あなたはその先を超えています その事に留まらず その事に留まるのは 観察者とその事が異なる場合のみです お分かりですか お待ちください 何時か分りません聞いてみます
1:12:21 これを理解してください 寧ろ複雑ですが本当は実に単純です
1:12:27 A: 最後の部分をもう一度話してもらえませんか
1:12:32 K: 最後の部分を繰り返すと 何を言ったのか分りません 笑わないでくださいショーではありません 本当に覚えていません違う表現で繰り返します 異なる言い方をしてみます 私達は自身と他者と分離してきました 私達や彼らなどとです 地理的に国家的に宗教的に家族と 分断です この分断が不可避的に行われてきました 観察者が観察される事と異なる場合です 自身を見ると 自分が観察者として観察される事と異なる その事が私が変えたい事で 抑圧したり乗り越えたいと 自分の考える在るべき姿に順応しようと 観察者として自分の反映する理想の姿にです そこに葛藤があります その事を観察者なく実際に観察すると それは過去であり時間であると 実際にその事を凝視すると その事がとてつもない変化を遂げます なぜならその事はあなたの考えるその事でなく 完全に何か新しい事だからです この後お話します 例が必要ですか例え話が得意ではありません お分かりですよね 互いに理解していますか
1:14:54 Q: 質問があります
1:14:58 K: 話がまだ在りますその後にご質問をどうぞ 何時でしょうか 今夜話した事は非常にシンプルで 自身の中でどのようにあらゆる 葛藤を取り除くかです そして初めて愛が何かを知ります 自分の完全な中身を 観察する事でしか起りません 分析的でなくです 観察者が存在すると分析が起ります 分析する考える人 しかし考える人分析者観察者が分析されます 分析される事柄が彼が分析する事です それは思考です 従って観察者と される側との間に完全な分断が終結すると その事がその事では無くなり あなたはその先を超え心はその先を超えます ではご質問は何ですか ご質問は何でしたか
1:16:33 質問者 : 仰る事は分るのです 観察者とされる側との間の分離についてです 朝起きて自分のする事を観察していると 自分が気付きそこに 観察される物がある場合 - つまり私が観察者でそこに私が観察する物がある - これを変えるにはどうすれば良いですか 基本的に仰る事が理解できるのですが その点については分りません
1:17:02 K: ご質問は分ります 朝起きて 疲れている - なぜ笑うのですか - 怠いと自分が観察します 起きて準備をする気がしないと どうしますかそれが質問ですか
1:17:39 Q: 必ずしもそう感じているのではなく 朝起きた時に 事を観察したいという気持ちとの分離がみえますが しかしそれは状況で認識されます どうすればいいのか この現象をどう変えるのか解りません 観察者とされる側 変えていいのでしょうか はいそうですと単に賛同できないのです 何かをしなければなりません
1:18:12 K: そうですね そこに認識がないのです 自身を観察されると認識すると それは未だに思考のパターンですよね
1:18:28 Q: まさにどう抜け出しますか
1:18:32 K: ご説明しましょう 抜け出すのではありませんこれからお話します 観察者と される側この真実は理解していますね その真実事実で理論です その真実が見えています そうですよね
1:19:15 Q: ただ未だコメントが浮かびます 真実は存在しないと
1:19:24 K: 事実は存在しないと
1:19:26 Q: そうです賛同するという意見が出てきます
1:19:30 K: 賛同しないでくださいその事実が見えるのですよね 賛同や反対しないでください これは非常に真面目な問いです 瞑想についてお話したいのですが今ではありません この件を示唆しています お待ちください話を終わらせてください 重要性を見てください 事実は私自身が怒りです 私は怒りと違うのではなく それが真実ですよね それが事実ですよね 私が怒りです怒りと別物ではありません 嫉妬する時私は嫉妬する 嫉妬心と自分が別物ではありません 嫉妬心と自分を別個にするから その嫉妬心をどうにかしたくなり 維持するか除こうと正当化しようとします または飽きてします何であろうとです しかし真実は私が嫉妬です それが事実ですよね
1:21:07 嫉妬する時どう行動するか ' 私 ' が嫉妬である時にです 以前は自分と嫉妬を 分離し行動すると考えました どうにか出来ると考えました 抑圧する正当化する逃避する 様々な事をします 何かをしていると考えました でも何もしてないと感じます つまり私が嫉妬すると言う時 動けないと感じます そうですよね ご説明します ふたつの活動について見てみます 行われる活動 自分が嫉妬心とは異なると認識する時の活動 嫉妬の終わりがありません それを逃避したり抑圧するでしょう 脱却したり逃避したりなどと しかしそれは戻ってきますそこに常に在ります そこにご自身と嫉妬心の間の分断が在るからです では全く別のアクションが存在します そこに分離が存在しません 即ちそこに観察者とされる側 自身は何もできません その前は何かしようとする事ができましたが 当惑し イライラし何もできません 観察者がされる側であれば 何もできないとは言えません 彼がそのものです 彼自身が嫉妬心です では彼が嫉妬するとき何がおきますか どうぞ
1:23:59 Q: 何かを理解します
1:24:01 K: 見てください 少ししばらく見てみてください 自分が自分の嫉妬心と 違うと気付く時 どうにか出来ると感じます その中に葛藤が起きます では一方で真実に気付いたら その ' 私 ' が嫉妬で観察者がされる側である 何が行われますか
1:24:41 Q: そこに対立は存在しません
1:24:44 K: すると何が起きますか 対立の要素は終止符を打ちますよね 対立の要素は終止します 葛藤が存在する葛藤は存在しない その葛藤は嫉妬心 分りますか 私の話す事をよく見てください 時間をかけてください なぜ拍手するのですか
1:25:25 Q: 質問して良いでしょうか
1:25:27 K: 待ってください 葛藤がありました その葛藤は自分の人生の一部であると その葛藤と共に生きて来た 生まれた瞬間から死に至るまで 葛藤しか知らないと 観察者がされる側であれば 考える人がその思考で そこに対立葛藤はありません そこに対立がなければ嫉妬心もありません 嫉妬は葛藤ですよね
1:26:11 Q: はいある意味
1:26:15 Q: 質問よろしいですか
1:26:17 K: これを理解されましたかQ: はい
1:26:21 K: そこには完全なアクションが在ります そこに全くの努力がない活動です 従って完全で完結し二度と戻りません
1:26:42 Q: 質問ですK: はい
1:26:51 K: 何をお聞きになりたいのですか
1:26:55 Q: 分析は致命的な思考のもしくは意識の ツールだと仰いました 完全に賛同します脳内に断片があり 議論を発展させると説明されようとしました または思考や意識は反分析的であると その思考の話について展開して頂けますか
1:27:23 K: その何ですか
1:27:26 Q: 思考の断片は 対立や葛藤を構成しないとおっしゃいました それは反分析的と ...
1:27:39 K: 繰り返してます質問は何ですか
1:27:43 Q: 断片が反分析的という話について 進めてほしいのですありがとうございます
1:27:56 K: 先ほど説明しました 観察者と観察される側が 異なるふたつである場合分裂し断片化すると 説明しました 違いますか これは議論ではありません 展開させるものでもありません かなり精密にお話しました 勿論もっと時間を割く事はできますが 更に深く追求する程更に気付きます 多くの断片に人生を別けてきましたよね 科学者ビジネスマンや芸術家 主婦などと この断片の基礎は何ですか この断片のルーツは何ですか この断片のルーツは見られる側と見る側にあります 自身が分断し自身が人生を分割します 自分はヒンドゥー教だあなたはカトリックだと 私は共産主義であなたは資本主義だと 従ってこの分断が常に起っています この分断はなぜなのかと問います 分断の原因は何ですか 外的な経済や社会構造に限らず 更に根深いこの分断の原因は何でしょうか この分断が断片を生み出します 自分と他者 他者より優れているもっと有名にと野心を持ち もっとより良い ' あなた 'とは異なると つまり自己が観察者で その自己とは過去です それが現在を過去と未来に分裂させます よってそこに観察者 経験者や考える人がいる限り必然的に分断が生じます 一緒に見てきました そこに分断が在れば嫉妬があり 嫉妬と葛藤します 嫉妬の中で対立が持続します 観察者が観察されると葛藤が終結します 従って嫉妬も終結します嫉妬は葛藤だからです 嫉妬は葛藤ですよね
1:31:06 Q: 嫉妬は人間の摂理ですか
1:31:15 K: 嫉妬は人間の摂理か 暴力は ? 強欲は人間の摂理ですか
1:31:24 Q: 他の質問をお尋ねしたいのですが 仰った事を元に 簡潔に申し上げると 人は心で考えます 思考をみて経験から利益を得ます
1:31:49 K: 何ですか 仰る事がよく理解できません 質問は何ですか
1:32:15 Q: 人は心で考えます 思考に注意すべきですよね そして過去の経験から利益を得るべきだと
1:32:25 K: そう言いました考える通りがあなた自身です それだけです あなたが考える事それがあなたです あなたの考える事あなたは他人より優れていると あなたは他人より劣っていると あなたは完璧だ美しくない 怒っている- 考える内容があなたです シンプルですよね 思考の合理的な機能で 人生を送るれるのか非合理的な思考 これについては 明日話します 来週末ではありません
1:33:27 Q: 嫉妬と同様の筋で続けると 嫉妬が私であれば私が嫉妬で 自分が嫉妬に気がつき嫉妬との葛藤が終結する しかし街の通りの雑音を聞くと 自分が雑音で雑音が自分である 雑音が永遠と続くのにどうこの対立を終えられますか
1:33:53 K: 非常にシンプルです ご質問は : 道を歩いていると非常に煩い騒音が聞こえます その音が自分であると言う その騒音は終わらず続きます それが質問ですね その音が自分だとは言いません 雲が自分だとはいいません 木もそうです なぜ騒音が自分だと言うのですか 笑わないでください なぜ馬鹿げた事を笑うのか解りません 先ほど指摘した通り観察すると その騒音を聞くと 完全に聞くのです 抵抗せず すると騒音は永遠に続いてもあなたに影響はしません 抵抗する瞬間つまり ご自身を騒音と分離する事です 騒音をもってして自分を認識しない事です 違いがお分かりでしょうか 騒音は続きます 音に抵抗する事で切り捨てたり 自分と音の間に壁を造ると 何が起きますか 抵抗すると何が起きますか 対立 葛藤です そうですよね 抵抗なくその騒音を聞く事はできますか
1:36:01 Q: はい一定の時間内に騒音が終わると知っていれば可能です
1:36:05 K: いいえ それは未だ抵抗の一部なのです
1:36:11 Q: つまり街の騒音を一生聞き続ける事が 可能という事ですか 難聴になる可能性もあると...
1:36:21 K: いいえ 全く異なる事を私は申しています 抵抗がある限りそこに葛藤が存在します 妻に夫に抵抗するか 騒音に吠える犬に 街の騒音にとそこに対立が存在します では対立なく音を聞くには 騒音が延々と続くか続かないか問わず 終わると希望を持たず しかしどう騒音を葛藤なく聞くのか それについてを話しています 心が自由である時にその音をいかなる抵抗もなく 聞く事ができます 騒音のみならず人生全てにおいてです ご自身の旦那さんや奥さん子供 政治家に対してもです 何が起きますか 聞く事が更に鋭くなります 更に繊細になります 従って騒音は単なる一部となり それが世界全てではなくなります 騒音より聞くその事自体が更に重要となります 聞く事そのものが重要となります 騒音ではなくです
1:38:10 これで終わりにしましょう7 時 10 分を過ぎました