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NY71T3 - 人間関係
第三回
ニューヨーク、アメリカ合衆国
1971年4月24日



0:33 クリシュナムルティ :今夜は話したい議題が いくつかあります : 人間関係について 愛とは何か そして私達の日々の 生活である人間の存在について 莫大な問題 対立 葛藤 喜びや恐怖心 最大の関心事である死についてです
1:42 先日話していましたが 理論的に理解するのではなく 推論でも娯楽的な概念でもなく 実際の事実として 世界が自分であり私達が世界である事実 私達が世界です そして世界は私達ひとりひとりです それを実感するには それに専念します他の何にでもなく 強い責任感を持つのみならず 断片的でない全体としての アクションです
3:00 我々は忘れる傾向にあります 私達の住む社会育ってきた 継続されてきた文化は 人間が培って来た 努力の結果 人間同士の争いや惨劇苦しみの結果であり 文化と個人と社会が私達であり 我々は別々のものではありません これを実感するには 知的アイディアや概念としてでなく 実際にこの現実を感じるには 人間関係とは何かの質問を掘り下げるべきです 私達の人生 我々の存在は人間関係に基づきます 人生は人間関係の中での動きです 人間関係の意味を理解しなければ 必然的に自己を孤立させるだけでなく 人間同士が分断された社会を造ってしまいます 国家の分断のみならず宗教的そして自身をもです 従って外的にそれが投影されます
4:52 ご自身でこの事について 深く問う事がありましたか 他者と完全に 調和して生きる 完全に許容し 壁が無い 分断の無い 完全なる融合の感情です 人間関係とは関係する事を 意味しますよね 行動の中ではなく 何かのプロジェクトでもなく イデオロギーや概念でなく 完全に結束する つまりそれは 分断が個々人間の断片 二者の間に どのレベルにも存在しません
6:32 この人間関係を見出さなければ 私からみると 世界に秩序をもたらすにあたり 理論的にも技術的にも 人間同志に 深い分断を造るだけでなく 腐敗を阻止する事も出来ません 腐敗は関係の欠如に始まり それが腐敗の根底だと思います 私達の知る人間関係とは 個人間の分断の継続です 個人という単語は 言葉のルーツは 分割できないという意味です 分断分離のない人間自体 それが本当の個です 私達の多くは個ではありません 私達は個人と考えます 従って個の反対がコミュニティと対照し 存在すると考えます しかし私の理解では 辞書的な意味だけでなく 個人という事を深く理解すると そこに分断は全く存在せず つまり心 精神と物理的生命体との間の 完全な調和です そこで初めてその個性がうまれます
9:11 私たちの現在の人間関係は どれだけ密であろうと無かろうと 深かろうと一時的であろうと 非常に注視すると 分断されています 妻や夫娘や息子 それぞれの繭の中で生き 自分の抱く野望に生き 私的でエゴイスティックな探求 羨望などと これらが自身のイメージの 創造に貢献します 従って他者との人間関係はそのイメージを通します よってそこに実質の人間関係は存在しません
10:38 このイメージについてお気づきかわかりませんが もしお気づきなら そのイメージの構造や本質は 自身の周囲と自分の中で築き上げたイメージです そして各自が常にそう生きています その状態でどう人間関係は成立できますか そこに自分のやる気 嫉妬 競争心 欲 それらすべてあらゆる事が この現代社会では維持され誇張されます この状態でどう人間関係が存在し得ますか 各々が自分個人の達成を追い求め 自分の成功を追求する状態です
12:05 皆さんお気づきかわかりません 私たちは非常に条件付いています それを当たり前だと受け止めます 人生のパターンとして 各々が自分の独自性を 自分独自の傾向を 追求すべきと にも関わらず他者との人間関係を確立しようとします そうしていますですよね 自分をよく観察すると そうしています みなさんそうではありませんか 結婚していても オフィス勤めや工場勤務 どんな仕事でも 日々すべて自分の事を追求します 奥さん方は家の中で 彼女たち自身の問題虚栄心を持ち それが起きています 夫婦間の関係はどこにありますか 寝室の中 性関係ですか その関係性は非常に表面的です 非常に限定的で とても制限的で それ自体が腐敗していませんか
14:21 お聞きになるでしょう 職場に行かずどう生きるのかと 自分の野望羨望や 欲望を達成獲得しなければ そうしなければ何をしますかと聞くでしょう それは間違った質問だと思います どうですか 我々は懸念していますからそうですよね 人間の抜本的な変革について 心理の根本的な構造の変革についてです 危機の存在は外的な世界ではありません 危機とは私たちの意識自体にあります その危機を理解せずして 表面的ではなくです どこかの哲学者がや先生がそう言うからでは無く 実際にご自身で深く理解するのです よく凝視し観察する事です でなければ変化は訪れません 私たちは精神的な革新に関心を持ちます 変革とは人間同士の間に 正しい関係の存在が成立して初めて 起こり得ます
16:23 どうその人間関係を生むことができるのでしょうか まずその問題は非常に明らかですよね 私が結婚してたら 責任があり 子供がおりなど 会社に向かいまたは何か仕事をし 一日をそこで過ごします どうか一緒に考えてくださいお願いします あなたの問題です私の問題ではありません あなたの人生です あなたの悲哀や課題 あなたの不安や罪悪感 あなたの大きな悲しみで それが個人の人生で戦いです その説明を 単に聞くと 表面をただ泳ぐだけで なんの問題の解決にならない事に気づきます それが実にあなたの問題なのです 話し手は単に 問題を描写しています その描写が描写されない事を知りながら この問題を共有します つまり 人間はどうあなたと私 この騒動 混乱 ヘイト 戦争 破壊 汚染 世界で起きている惨劇 適正な関係をどう見出すのか
19:14 それを獲得するには 実際に何が起きているのか 何が実際かを精査すべきです どうあるべきではなく 未来のコンセプトに私達の関係を変えるのではなく 実際に今が何かを観察するのです 今を観察する中で 事実 真実 事の実際を観察し そこでそれを変える可能性が生まれます 先日お話しました繰り返しですが 変革の可能性があると偉大なエネルギーが生まれます そのエネルギーを消散させるのは 変えられないというアイディアです
20:29 私たちの関係を見つめるべきです 今 実際を毎日をです その実質を 観察する中で その現実に変化を生み出す方法を発見します ですから実質とは何かを説明しています つまり個々の世界の中のそれぞれの人生 野望の中の世界欲 恐怖心 成功への渇望 ご存じですよね お互いに会うと 夫や妻男女 ベッドの中です それを愛と呼びます 別々の孤立した人生を送り 自身の周りに抵抗する壁を作り 自己中心の活動 各々が心理的な安全安定を求め 各々が他人に依存し 慰めや享楽 親交を求めます 皆各々が深く孤独だからです 愛されたいと望み 大切にされたいと お互いを支配しようとします
23:01 これらを見て - とても可観測な事です ご自身でわかるでしょう自分を観察すると そこに何か人間関係が存在しますか 二者の間に関係が存在しませんから 子供がいたり家があったりするでしょうが 実際には関係していません 共同のプロジェクトがあれば そのプロジェクトが二人を維持しますが それは人間関係ではありません
24:02 この全てを見て そして理解し 二者間に本当の人間関係が存在しなければ 腐敗が生じます 社会の外向的構造ではなく 汚染など 外的な現象ではなく 汚染や腐敗 崩壊とは 実際の人間関係が存在しない時に生じます おそらく 互いに手をつなぎ キスをしたり夜を共にしたり しかし注意深くよく観察すると そこに人間関係は存在しますか 関係するという意味です 互いに依存するのではなく 相手を通じて孤独から 逃げるのでなく 他者を通じて慰めや交友を 見出すのではなくです 他者を通して 慰めを求めると 関係とはそこに存在しますか または互いを利用しているでしょうか 皮肉ではありません物事を実際に観察しています それは皮肉ではありません 関係とは何かを見出すには 他者と関係するとは実際にどういう事なのか 孤独についての疑問を理解すべきです 多くの私たちは非常に孤独です 年を重ねるごとに孤独が増します この国では特にです 年配の方達がどういう状況か気づいていますか 彼らの逃避や娯楽にお気づきですか ずっと働いてきて ある種の娯楽に逃避したいと
27:17 互いを利用しない 人生の過ごし方を見つけ知るには 精神的に感情的に 他者に依存せず 自分自身の拷問から逃避する手段を択ばない 自分自身の失望 自己の孤独からです
28:03 それを理解するには つまり孤独とは何を意味するかを理解します 孤独になったことがありますか 意味をお分かりですか 他者と関係が全くなく 完全孤立 皆さん家族がいて 混雑したオフィスにいるかもしれません 孤独は急に襲ってきます 絶望と共に訪れる完全な孤独感 それを完全に解決するまで 人間関係は逃避の手段となり従って 腐敗へ導き 悲劇へ誘います この孤独を理解するには 完全なる孤独感 これを理解するには自分の人生を見つめるべきです 皆さんの全ての行動は 自己中心ですよね 時には慈善的かもしれませんが 時には太っ腹で 動機なく何か行動するかもしれませんが それは非常にまれです しかし実際は 逃避では絶望を解決できません 観察する事で解決します
30:17 自分をどう観察するか 自分自身をどう精査するのか 全くの葛藤なき注視について話を戻します 葛藤とは腐敗であり 葛藤はエネルギーの無駄であり 葛藤とは私たちの人生のバトルです 生まれた瞬間から死ぬまでの戦いです 全くの葛藤なく 生きることは可能でしょうか それにはご自身を観察する術を 学ぶ必要があります 自身の全ての動きを観察する術です 先日その事はお話しました 観察 調和がとれた真実 観察だけが存在するときです 前回お話しましたから繰り返しません むしろ時間の無駄となります もっと話す議題が沢山ありますから
31:51 人間関係のない所に愛が存在しますか 皆さん話します ご存じの 愛 セックスと喜びに関係していますよね 違いますか 違うという方もいるでしょう 否定するからには そこには志なく 競争心もなく 分断はないはずです あなたと私などと 国家の分断はないはずです 信念に分断もなく または信心がもたらす分断もなく 知識から生まれる分断もなく そこで初めてさらに愛を語る事ができます しかし多くの人は 愛はセックスや快楽と関係しており それに伴う苦労 嫉妬 妬み 敵対心 男女間について皆さんご存じですよね 関係が真実で本物でなく深くなければ 完全な調和が無ければ その状態で平和を得ることができますか どう戦争を終結できるでしょうか
34:27 人間関係とは非常に むしろ人生で一番大切な事です つまり愛とは何かを理解する事です 当然ふと思い 不思議と尋ねもせず 自身で何が愛でないかを見出すと 何が愛ではないが すると愛が何かを知ります 理論的や学識的ではなく 言語的にでもなく 実際に自分自身で気づくとき つまり 競争心 野心 何かを求める心 比較や真似 そのような心は愛ではありません
35:52 この世界に住みながら 全くの野心なく 他人と自分を絶対に比較せず生きる 比較する瞬間に葛藤が生まれます そこに羨望や野望が生まれますから すると達成したい超えたいという気持ちが生じます よく聞いて下さい 皆さんの人生についてお話しています
36:42 精神は心はつまり 傷ついた心の記憶 侮辱されたりと 感傷的やどんよりとした気持ちにさせた出来事 そのような心が愛を知っているでしょうか
37:17 愛とは快楽ですか しかし我々はそれを追求していますよね 意識するしない問わず 私たちの神とは私達の享楽の結果です 私たちの信念とは 社会構造は社会のモラルは それは本質的に不道徳ですが 喜びを追求する結果です 誰かを皆さんが誰かを愛すると言う時 それは愛ですか そこには分離はなく 支配もなく 自分勝手でもなく 愛が何かを見出すには それら全てを否定すべきです その不誠実さを理解するという意味での否定です 虚偽を見ると それを事実として受けれますが ありのまま人間として それを理解すると元に戻る事はできません 危険な蛇や動物を見ると 手を付けず 近寄ろうとしません 同様に 愛が何かを見出すと 実際に見て感じると 観察しかみ砕き その中に生きると 完全にコミットすると 愛が何かを知るのです すると慈悲心とは何かを理解します つまり皆への情熱です 私たちは情熱を持ちません 強い欲望や快楽はあってもです
40:07 情熱という言葉は 悲しみの根源に起因します みな悲しみがあります ある種の悲しみです 誰かを亡くしたり 自己悲観 人種の悲観 集団でも個人でも - 悲哀とは何かを知っています - 愛したと思っていたその人の死 その悲しみに完全に留まります 逃避をせず 合理化する事なく 何かを通して逃避しようとせず 言葉でも行動でもなく 完全にそこに留まります 完全にです 全くの思考の動きなく すると悲しみから情熱の訪れを見出すでしょう その情熱は愛の本質を持ちます 愛は悲哀を持ちませんから
42:03 私達の存在についての問いを理解する際 葛藤や争い 自身が送る人生 とても空虚で 非常に無意味であると 知識人達が人生に意味を持たせようとします 人生の重要性をです 自分たち自身もそう見出したいと願います 人生に意味はありません生きるのみです ですよね 常にもがき苦しみ 終わりなく働き 悲哀や苦痛 人生の辛苦 その全てに実に意味はありません 習慣として体験します しかし存在の意義について見出すには 死の意義についても理解する必要があります 生死は隣り合わせだからです その二つは個別ではありません
43:52 ですから死とは何かを 問うべきです それは私達の人生の一部ですから 避けるべき遠い未来の事ではありません 絶望的な病に伏した時だけ直面する 老齢や事故 戦場での死 人生の一部なのです 私たちの人生において 日々の生活の中で なんの葛藤なく生きる それが人生の一部であるように 愛するとは何かを見出す事のようにです それは私達の存在の一部でもあります 存在の領域は単に死で終わるのではありません それをご理解すべきです
45:33 死をどう理解するのか 死んでいくとき理解できるでしょうか その最後の瞬間 無意識でしょうか 恐らく皆さんの生き方 心理的負担心労 野望や意欲 最後の瞬間にそれを 明瞭に認知できません 加齢と 年を重ねる怖さ 心の荒廃 あらゆる事 死について今理解すべきです明日ではありません よく観察しますと 思考は死について考えたくありません 明日の出来事については考えます 橋を構築する 新しい何かの発明 浴室の改築 思考はそういった事を考えようとします 死については考えたくありません 死とは何かがわからないからです そして死の意味とは 思考のプロセスから見出されるのでしょうか 皆さんおわかりでしょうか 共有してください 共有できて この美しさを理解し始めます しかしただ座って話し手の話すまま ただ言葉を聞くだけであれば共有はしていません 共有とは確かな質の配慮関心 愛情 愛を意味します 死とは非常に大きな問題です 若い世代はなぜ気にするのか理解できないでしょう それは彼らの人生の一部だからです 禁欲を理解する事が彼らの人生の一部だからです なぜ禁欲について話すのか それは時代遅れの人のものです 馬鹿げた修道僧の為です しかしそれが人間の問題でもありました 牧師の考案ではありません 近代のカトリックでもなく 五千年もの間の問題です 禁欲とは何を意味するか
49:42 またそれも人生の一部です 心は完全に貞淑でありますか どう禁欲生活を送るか見出せず 禁欲を誓いひどい苦痛を受け止め 生物学的な拷問です それは禁欲ではありません 禁欲は完全に違う意味の事です 禁欲とはあらゆるイメージまた知識から 自由である心の事ですそれはつまり 快楽や恐怖の全容のプロセスを理解する事です それについては先日お話しました
50:51 同様に 死と呼ばれる事を理解すべきです 私たちが最も恐れる事について どう理解を進めるでしょうか 皆さん死を恐れていますよね または喜び勇んで死を選びますか 人生もう十分だと 人生の悲哀も 混乱も見掛け倒しの人生 みじめな口論 虐殺や残虐行為暴力 全ての機械的な流れに囚われ 有難いこれが全て終わるのだと それは答えではありません 死を合理化するのでもなく 生まれ変わりを信じるのでもなく アジア諸国で言われてる - 輪廻 生まれ変わりこの意味を理解するには 次の人生に生まれ変わる 来世に生まれる あなたが未来の存在として生まれる それを見出すには 今の自分を見つめるべきです 今のあたなです 輪廻を信じるなら今のあなたは何ですか 多くの語彙経験や知識 あらゆる文化に条件づいた 自身の人生を認識する様々な事柄 あなたの未来や家銀行口座 経験や喜び痛み それがあなたですよね 事柄の記憶 失敗や希望失望 全てが今のあなたです そして来世に生まれるとは 素晴らしいアイディアですね
53:51 もしくは永遠の魂があると考え 永遠のあなたという存在 あなたの中に何か永遠のものがありますか 永遠の魂があると言う瞬間 永遠の存在 その存在はあなたの思考の結果です または希望の結果です なぜなら莫大な不安を抱えるからです 全ては流速の動きの中で儚い よって永遠の何かがあると言う時には その永遠とはあなたの思考の結果です そして思考は過去のものです 思考とは絶えません何でも好きな事を考案できます
54:59 よって来世を信じるのであれば 今の生き方によって未来が条件付いている その事を知るべきです 今している事 考え方行動の仕方 倫理観 ですから今のご自身今おこなう事 それが非常に重要です しかし来世を信じる人達は 今起きている事に気を留めません 信念に重きを置きます
55:59 どう死の意味を理解しますか 活力を持って生きる エネルギーあふれ健康に 心身の調子を崩したりアンバランスではなく 過去ではなく - 今です どうやって見出すのか 生物は必然的に尽きることを知りながら 機械のように使い古されていきます 残念ながら自分達をないがしろにします ですよね では死の意味をどう解明するでしょう 物理的な生体に終わりが来る事を知りながら 考えてみたことがありますか 思考 - 考える事ができません - 試したことがあるでしょうか 精神的に 死ぬ事の意味です内面的にです 不死の発見ではありません 永遠とはタイムレスとは今です 遠い未来ではありません それを追求するには 時間の問題について理解が必要です 時計による時系列の時間ではなく 思考が発明した時間です 徐々の変化の過程としてです
58:31 どうこの不可解な事を理解するか 皆いずれにせよ直面する事です どう理解しますか 人は精神的に死す事はできますか 既知の事全てに死すことができますか 例えば あなたの喜びに死す 執着に死す 依存に 終える 口論なく合理化せず 逃避する方法や手段を探そうとせず 質問を理解していますか あまり ? 死ぬとはどういう意味でしょう 物理的にではなく心理的にです 内向的に それは 継続性を終える事です わかりますか あなたの野望を終結させる 死ぬときにそうなりますよね 神様の隣に座って 持ち続けられません 実際に死ぬとき あらゆる事を終えなければなりません 口論なくです 死に対して待てと言えません 仕事を終えさせてくれと 本を読み終わってから終わらせて無い事があると 他人に与えた 傷を癒してからと そんな時間はありません
1:01:19 ですから 今を今日を生きる つまり常に終わりがあります あなたの始めた事全ての終わり 当然皆さんのオフィスではありません 内面的にです集めた知識すべてを終えます 経験となった知識記憶や心の傷 心痛 誰かと比較する人生 自分自身を他人と常に比較する生き方 それを毎日終えます すると翌日は新鮮で新たなものです そのような心は傷つく事がありません それが純真です
1:02:42 ですからご自身で死ぬ事の意味を 見出すべきで 従って恐怖心は無く よって毎日が新しい日々です 真剣に言っています これが出来れば あなたの心は目は 人生を全く新しいものと捉えます それが永遠です それがこの永遠の 状態から起こる心の本質です 毎日死す事の意味を知っているからです その日集積した全ての事柄においてです するとその中に確実に愛が存在します 愛とは毎日新しいものです しかし快楽は違います 快楽は継続性を持ちます 愛は常に新鮮です 従って独自の存在です
1:04:24 質問はありますか
1:04:31 質疑者: 自分を完全に客観的な目で見ると 自分は強欲でみだらで 自分勝手だなどとわかります そんな生き方の善悪を善良の先入観を 持たずしてどう判断できるのでしょうか もし先入観を持つと 自己観察から導き出されます
1:05:06 K: その通りです
1:05:07 Q: するとまた困難が見つかります あなたは共有を信じるようですが 同時に仰るには 愛するふたり夫と妻などと 癒し慰めを互いの愛のベースにすべきではないと 互いを癒し合う事が間違っていると思えません それが共有だと思います
1:05:30 K : そうですね ご質問は 善良の概念を持つべきか でなければ なぜ個人の野望 欲や羨望などとあきらめる必要がありますか これは最初の質問の一部です 何が善良であるかの概念を持つべきです 善良の公式 より良い事の概念または定型を持てますが 何が良い事かの概念を持つことができますか
1:06:36 Q : はい そう考えます
1:06:39 K : この方はそうお考えだと... 思考が善良とは何かを生産できますか
1:06:51 Q : いいえ概念です善良の概念という意味です
1:06:54 K : はい 善良の概念は思考の産物です でなければ何が善良かをどう思いつきますか
1:07:06 Q : ですが概念は自己省察からは 導き出せません
1:07:10 K : それをただ指摘しています そもそも善良の概念を持つべきですか
1:07:17 Q : では私の人生の善悪をどう理解するのですか
1:07:22 K : では人生の善し悪しがどうわかるかと 質問をよく聞いてください 善良の概念を持たなければ どう自分の人生の良し悪しを判断できますか 何が葛藤かお分かりですか 葛藤がない事の概念を持っていますか 葛藤を理解する以前に葛藤を認識する以前に 葛藤とは何かを知っています 苦痛 苦闘対立 葛藤なき状態を知らずともそれを知っています そこで善良とは何かを定型に当てはめると 私の条件に基づいてその概念を形作ります 私の考え方や感情 自分の独特な特異性など 文化的条件 そして善良とは思考に反映され その思考が自分の人生の善悪伝達するのですか もしくは善良とは全く思考とは関係のない 型とは関係ないでしょうか 良い事とはどこで開花 花開くのですか 教えてください 概念は未来のアイディア 理想ですか それは未来です概念とは未来明日を意味します 非常に遠いかも近いかもしれません しかし時間の中にあります 思考に反映される 概念を持つと 思考とは記憶の応答であり 蓄積された知識の応答です ご自身の育った文化によります 思考により想像された善良を 未来に見出しますか または葛藤や苦悩 悲哀を理解しだす時見出すのでしょうか
1:10:52 事が何かを理解する中で こうあるべきと比較をせず ただ実際に何かです するとその理解の中で善良が開花します 当然 善良は思考と全く関係がありませんよね 愛は思考と関係がありますか 自分の愛の理想を語らい愛を育む事ができますか きれいに型にはめ育むのですか 愛を育むと何が起きるかご存じですか 皆さんは愛していません 誰かを愛をするだろうとお考えでしょうが その間にも皆さんは暴力的などと 善良が思考の産物であれば 愛は経験の産物ですか 知識の産物ですか 次の質問をどうぞ
1:12:24 Q : 癒し合う関係の共有について 質問をしました
1:12:32 K : 共有 仲間意識 何を共有するのですか 今何をシェアしていますか 死について話しました 愛について話ました 完全なる革新の必要性について話をしました 精神的な変革です根本的な変化です 苦闘や苦難の古い型やパターン 模倣や追随と型にはまるのではなく 人間は何千年もそう生きてきました この非常に悲惨な世界を造ってきました 死についてお話しました それをどう共有しますか 理解を共有するのです 言葉の共有ではなく 描写や説明の共有ではなく それら全ては口頭です共有するとは何を意味しますか 理解を共有し真実を共有します 真実とはこの事の理解を伴います では理解とは何を意味しますか いつ理解しますか みなさんが何か 極めて重要な事を私に話します 自分に関連する重要な事です それを私は聞きます 注意深く聞きます非常に自分にとって重要ですから とても注意深く聞くには私の心は静かであるべきです 雑念があったりどこか他所を見たり 自分の知る事と話し手の内容を比較しながらでは 心は静かではありません 心が完全に静寂で初めて聴くことができます そこで理解が存在します 物事の真実を理解します それを共有します さもなければ共有できません 言葉は共有できません 事の真実だけを共有できます 皆さんと私が何かの真実を理解するには 皆さんの心がその観察に完全に 没頭する時にのみ可能です
1:16:11 夕陽の美しさを友人と共有する 美しい丘を見る 木陰や月光 どう共有しますかただ伝えますか あの素晴らしい丘を見てと 言うでしょうが それが共有ですか いつ実際に共有しますか 他者と何かを共有するという意味です お互いに同じ強度で 同じ時間に同じレベルで でなければ共有できませんよね 両者ともに共通の興味を 同じ強度で同じレベルで 同じ情熱でさもなくばどう共有しますか パンは共有できます私のパンを半分差し上げます しかしそういう話ではありません
1:17:44 一緒に見るという 共有するとはお互いが 賛成反対なく見るのです 実際に何かを 私やあなたのもつ くだらない条件づいた解釈ではなく 何であるかを共に見ます 共に見るには 自由でなければ 聴くには自由であるべきです つまり偏見がありません 私がヒンドゥー教から完全に幕引きすべきです そこで初めて 愛の本質共有が存在します
1:18:55 Q : どうやって心を静めるのですか 過去の妨害からどう心を解放するのでしょうか
1:19:02 K : 質問を理解されましたので繰り返しません 時間があるかわかりません 心を静める事はできません それはトリックです 薬の摂取で心を静める事はできますが 心は当然ながら 静めることはできません あなたがその心ですから ですよね 私は心を静めますとは言えません 従って瞑想について 理解すべきです 実際は昨今言われている馬鹿げた瞑想 その瞑想とは異なります 心は静寂を得るか これを見出すには どう静めるかではなく それには知識の全容を 理解すべきです 脳を含めた心とは 脳細胞 過去の記憶が集積されている脳 その脳細胞は完全に静粛を得ることができるか そして必要時に機能し 不必要時には完全に静まる事が可能か これについては明日 瞑想とは何か明日議論しましょう 時間を要しますから
1:21:41 Q : 質問があります
1:21:43 K : すみません
1:21:49 Q : 質問があります 経験の共有についてお話されましたが 私は性経験の共有を信じています それについてどうお考えか教えてください 結婚という生き方と 不特定多数と性交する生き方です
1:22:16 K : 質問の意味がわかりません すみません もう少し明確で端的に話をして下さい
1:22:28 Q : 性交経験の共有を信じています 誰かと夕陽を見るように 誰かとセックスをするという経験を共有する 私の知りたい事は 結婚という形での 人生の共有を信じますか
1:22:59 K : 皆さん解りましたか私はいまいち - セックスの共有 セックスを共有しているそうですよね 質問の意味がわかりません
1:23:12 K : 何ですか
1:23:14 Q: 禁欲とは愛の条件でしょうか
1:23:18 K: 何ですかQ: 質問があります
1:23:21 K: どうぞ何でもご質問を
1:23:27 Q: バルコニー側ですが質問よろしいでしょうか
1:23:37 K: どうぞ
1:23:38 Q: なぜ時間が存在するのですか 宇宙愛のリズムでしょうか
1:23:47 K: すみませんが科学者に聞いてください ただ聞いてください 大きな敬意を表しお願いします 理論的な事を聞かないでください
1:24:11 Q: 人間関係について話すとき 常に男女男の子 女の子と仰います 人間関係について仰る事は 男性同士女性同士にも適応しますか
1:24:25 Q: 同性愛
1:24:27 Q: そう表現されるならはい
1:24:34 K : 愛について話すとき 男性同士であろうと女性同士や男女間 何か特異の関係についてではありません 人間関係の全容について話しています ひとりや二人ではなく人間の関係全体です 世界とどう関わっているかお分かりではないですか あなたが世界だという感覚 アイディアとしてでなくそれは最低です 実際にご自身に責任があり その責任にコミットする それが唯一のコミットメントです 何かの爆弾や 特殊な活動にコミットするのではなく あなたが世界で世界があなたである事です ご自身が根本的に完全に変わらなければ ご自身に革新をもたらさなければ 外的に何を行っても人類に平和は訪れません ご自身の中で感じると 質問は全部現在に関連します この今現在に変化をもたらします 何かの推論や馬鹿げた理想論ではありません すみません
1:26:28 Q : 前回お話された内容ですが 誰かが非常に辛い経験を持つとします 完全に向かっていないか避けられている場合 断片として無意識に入ります こういった苦痛や恐怖の体験 これらの断片から過去に支配される事なく どう自身を自由にするのでしょうか
1:26:46 K: どうやって条件づいた自分を自由にしますか
1:26:53 Q : はい辛い経験からです
1:26:56 K : はい 条件づいています 終わりましょうかQ: いいえ
1:27:10 K: 条件づいた自分をどう解放させるか いいでしょうお答えします 自分をどう自由にするか 自分の条件から それは自分の生まれた文化 ヒンドゥー教バラモン教などと カトリック プロテスタントやバプテスト等と大変様々です この壮大なプロパガンダから自分をどう解放するか まず自分が条件づいている事実を認識すべきです 誰かに言われたからではありません 違いがわかりますか 私はお腹が空いたと誰かが言うと 自分が実際に空腹な事と異なりますよね ですから自分の 条件付いた事実を認識します つまり自分の条件を認識し 表面的ではなく 深いレベルでです つまり完全に認識すべきです まず認識するとは その条件を超越するのではありません その条件から解放しようと試みるのではありません 実にその事自体を見るべきです 自由になりたいなど他の要素を持ち込むのではなく それは現実からの逃避となりますから わかりますか ですから認識が必要ですそれはどういう意味ですか 完全に部分的ではなくです 自分のユダヤ人やヒンドゥー教仏教徒などとしての条件 共産主義などと様々に 心は非常に繊細でなければなりません さもなければ認識できませんですよね 自分を非常に注意深く観察するのです 自分の周り全て 色や深み 人の本質 自分の周囲です 選択肢を持たず認識します 自分の条件とは実に何かについてです できますか 解釈しようとするのではなく 変えようとするのでもなく その先を行こうとせず自由になろうとせず ただ完全に認識するのです 先を進めますか
1:30:58 K: 時間と余力が残っていますか
1:31:00 A: はい
1:31:01 K: 拍手は不要です進めましょう 木を観察する時 そこにあなたと木があります 時間と空間がありますよね それに木についての知識があります 植物学的な木の知識 木とあなたとの距離 それは時間です 木とあなたとの分離は木についての知識に由ります 知識なく木を見るには 時間の質なく見るには 自分を木と同一視する意味ではありません 木を見る つまり非常に注力して木を観察します そこに時間の境界は訪れません 時間の境界はその木についての 知識を持つ瞬間に訪れます わかりますか 複雑化していますでしょうか
1:32:39 Q: いいえ
1:32:41 Q: はい
1:32:52 K: もっと身近な例を出します 奥さんや友達子供でも 彼女でも彼氏でも誰でも - 笑って時間を割かないでください 無駄です - イメージなく見るには イメージとは過去ですよね 思考によって集められた過去です 小言やいじめ支配や侮辱など 相手に対して創るイメージです 喜びなどと様々に ではイメージなく相手を見るには 抱くイメージが分離を生みます 抱くイメージが距離を時間を 創ります よってイメージが知識で 過去として蓄積したものです ではそのイメージなく見るには イメージなく木や花雲やご自分の奥さん ご自身の旦那さん息子や男性などと イメージなく見ます それができれば 自分自身の全条件を観察する事ができます 過去の染みなく実直な心で見ます 従って心は条件付くことから自由になります 自分を見るにあたって 一般的に 見る側と見られる側が存在します 自分が観察され観察する人が見るという具合です 観察する側とは知識です 過去であり時間です 蓄積された経験です 観察される自身をする側と分離します では観察者なく見る そうするには 完全に全力で注力するのです 注視するとはどういう事かお分かりですか 注意を学ぶ為学校に行かないで下さい ここで注力するのです聴くのです 解釈なく判断なく ただ聴きます 聴いているとそこに境界はありません あなたが聞いているのでなく聴くという状態だけが存在します 自分の条件を観察する際 条件の存在は観察者が存在する時です 観察される側ではなく ですよね 観察者なく自分なくただ見ます 恐怖心や心配など するとご自身が 全く異なる側面を見出します