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NY71T4 - 心を静めることは可能か?
第四回
ニューヨーク、、アメリカ合衆国
1971年4月25日



0:00 クリシュナムルティ : 今日は皆さんと 非常に複雑な 問題について 宗教的体験そして 瞑想の意味についてお話します 私が察しますには世界中を通して 人間は常に 自身の死を超える何かを模索する様です 自身の抱える問題 耐えうる何か 時空を超える真実 神と呼ばれ あらゆる名前を持ちます 私達の殆どがその種の 何かを信じます 実際に経験する事なくです
2:29 世界中の様々な宗教は ある特定の 伝統儀式や救世主を信じれば ある特定の人生を 送れると確約してきました この不可解な事はどのように 名付けられ呼ばれようともです そしてその人々の直接的な経験とは 彼らの条件を通し 信念 環境的な文化的な影響によるものです インドに生まれたら 様々な神や信念 など様々な 形式が存在します 西洋に生まれたら 過去二千年のプロパガンダに 条件付きます そして人々は様々な信心 定説や儀式に囚われます
4:23 明らかに 宗教は様々な意味を持ちます 宗教戦争が起き続いてますから 宗教は我々の問題解決になりません 宗教は人類を分離してきました カトリックやプロテスタントヒンドゥー教や仏教などと ある種の文明的な影響をもたらしましたが 人間は根本的に変わっていません 宗教的体験 という事について問い始めると その経験とは何か なぜ宗教と呼ぶのか 追求していくには まず明らかに 非常に誠実であるべきです ある特異な信心や原理原則への誠実さではなく 特定の型に委ねず 物事をそのまま見るという事です 歪みなく見ます 外的のみならず内向的にもです 自分を欺く事なくです 欺瞞は容易な事です 仮に何かの経験を欲する場合 宗教と呼ぼうが何であろうと 旅に出るなどと あなたはある種の幻想に囚われます 自分の経験に基づく条件に囚われます
7:13 宗教的体験とは何であるか 自身で見出すには 大きな人間性と誠実さが 必要です つまり 経験を求めず 自分自身に 現実や経験 成果達成を 要求しません 非常に注意深く見るべきです ご自身の欲望 執着や恐怖心 それ全体を理解するのです 心が全く歪む隙の無いよう よって幻想も欺瞞も 存在しません 更に問うべきは 経験の意味です
9:13 この問いを深めた事があるでしょうか 私たちの多くは 日常の経験から 疲れ退屈しています あらゆる事に疲れています 洗練された人ほど 知的な人ほど 今を生きようと願います それが何を意味しようとです そして今についての哲学を発案します しかし経験の意味をご自身で見出すには 言葉自体は体験する通過する 終える最後まで成し終えるという意味です しかし残念ながら 私たちの多くは 全ての経験は傷を残します記憶です 良し悪し問わず よい事だけを残したいと願い スピリチュアルや宗教という種 また超越体験などと 見つけようとしますよね 最もそのような経験が存在するのか またその経験とは何を意味するのか 何かを経験するとき その経験を認識できず 経験が終わるようです 経験の根本的な意味のひとつは 認識です 認識が存在すると 既知となり すでに経験した事です さもなければ認識しようがありません
12:20 宗教的な体験を問う場合 スピリチュアルな経験 誤用されいてるこの言葉 - 超越経験 - 認識できるには既に知っているべきです 日常の経験以外で理論的で事実の 何かを経験しているという 心がその経験を認識できるはずです 認識は既知を意味しますから 新規の事柄ではありません 更に経験を求めるとき 宗教の領域でです それは自分の問題が解決されていないからで 日々の不安や 失望 恐怖心や悲哀 従って何かを更に求めます その更なる要求に欺瞞が存在します 繰り返しですがそれは非常に理論的で真っ当です 理論が必ずしも真実ではありませんが 理論 理由を私は 健康的に健全に使います 理由の限界を知っています 更に幅広く深い要求 更に根本的な経験は この過去の既知の 更なる延長へ誘うだけです それは明確だと思います コミュニケーションを図り共有している事を願います
14:58 この宗教観の問いにおいて 何が真実かを 見出そうとしています 現実があれば 心の状態が時を 超越するその事が存在すれば 探求は探求者を示唆します ですよね 何を探していますか どうやって 彼の探求した事が真実か解りますか 繰り返しですが 真実を見出したなら 少なくとも彼の考える真実とは 彼の過去や知識から成る条件に左右されます 彼のもつ過去の経験 すると探求が単に彼自身の過去の反映にすぎません 希望 恐怖心 憧れ
16:50 問う心とは 探し求めておらず 問う心とは 経験を欲せず 完全にその二者から自由であるべきです つまり経験を要求する心そして 真実を求める心です 私はなぜかわかります 何かを求めると 色んな先生や本を見つけて 様々なカルト集団に入り グルーと呼ばれる教祖に追従するなど まるで買い物の様に そのような探求は 何の意味もありません
18:04 ですからこの質問を問う際 宗教心とは何か 心の本質は何か もはや全く何も経験しておらず 心は経験を求める事から 解放され あらゆる探求は完結し ただ動機なく目的もなく 調査するだけです 時間の真実 タイムレスという状態が存在するのか それを問うには 信心など全く無く いかなる宗教にも傾倒せず どんなスピリチュアルと呼ばれる組織にも属せず 教祖に追従せず 従って権威といった事は存在しません 特にこの話し手も含めてです 皆さん非常に簡単に影響されます 非常に騙されやすい 皆さんは都会的でしょう 色んな知識をお持ちで 常に熱心で いつも何かを求め 従って騙されやすいのです
20:44 ですから宗教とは何かを 問う心は どんな信心からも自由であるべきです どんな恐怖心からもです 先日お話しました恐怖心とは 歪みの要因です 恐怖心は暴力攻撃性を生みます 従って宗教の 本質を求める心 活動 恐怖心から自由であるべきです それには絶大な誠実さを要します 大変な謙虚さが必要です
21:48 多く人にとっては 虚栄心が主な妨害のひとつです 自分は知っていると考えますから 本を多く読んだでしょうし 自分自身を捧げて あれこれとシステムを鍛錬し とある教祖を追随し 彼らの哲学を斡旋したりと 知っていると思っています 少なくとも少しは それが虚栄心の始まりです 壮大な質問を問う場合 それについて実際に 知らないという自由があるべきです 本当に知りませんよね 何が真実で神とは何でそれは実在するのか また本当の信仰心とは何かご存じありません 読んだ事があるでしょう 人々は何千年も話題にしてきました 修道院を建てましたが それは実に他人の知識経験やプロパガンダの元 暮らしています 真実を見出すには当然それを完全に除外すべきです そうですよね 従ってこの問いは大変に真剣な事案です 楽しみたいのであれば 世間には様々な娯楽があります スピリチュアルと呼ばれる宗教娯楽ですが それらは真剣な心に何の価値も持ちません
24:35 信仰心とは何かを 問うには 昨日お話した通り条件から 自由であるだけでなく キリスト教や仏教ヒンドゥー教などと 五千年も何千年もと 続くプロパガンダから自由であるべきです 観察するにあたり心が完全に自由な状態です 非常に難しい事です人間はひとりになる事を 恐れますから 内面的にも外面的にも安全安定を求めます 従って他人に依存します 牧師や新たな指導者 したり顔に振る舞う教祖 経験したから知っていると言うでしょう ですからご自身で全力で立つのです 孤立ではありません 孤立と完全な自立そこには大きな 違いがあります 不可欠です 孤立とは人間関係が途絶える心の状態で 実際に日々の皆さんの生活や活動の中で 自身の周りに壁を作ります 意識 無意識 問わず 傷つかないようにと その孤立が 明らかに人間関係のあらゆる形態を阻みます 昨晩お話した事ですが 孤独感とは 全く誰にも 精神的に依存しな心で どんな人にも依存しません そこに愛が無いという意味ではありません 愛は執着ではありません 孤独とは 本当に深く内向的に一切の恐れを 持たない心つまり全く葛藤なき心です
28:04 そして初めて先に進む事ができ 規律の意味を見出します 多くの人にとって 規律とは練習や 反復の形式です 障害を乗り越える 抵抗や抑圧 コントロール具現化や順応 規律という言葉はそういった意味を示唆します しかし元来の意味は学ぶ 学ぼうとする心です 順応同化ではありません 学ぼうとする心は好奇心が強く 強い関心を持つ心です 既に何かを知る心は学ぶ余地がありません 言葉を学びたい時は その言語を知らずに学びます 従ってあなたの心は学んでいます あなたが学んでいる時 規律という言葉の意味する事は 練習ではなく 反復でもなく 機械的でなく 同化でなく 抑圧でもコントロールでもありません それを学んでいます 従って学びの中に秩序が存在します 互いに理解しあえているでしょうか 先を進めていいですか お互いにコミュニケーションを取らなければ すみません 非常に壮大な議題ですから 進めていきます 規律とは根本的には学ぶという意味です なぜコントロールするのか なぜ抑圧するのかなぜ恐怖心が存在するか なぜ同化し比較するのかを学ぶ そして葛藤が存在します 学びの中に秩序があり その学び自体が秩序をもたらします 模型やパターンによる秩序ではなく 問い自体にです 混乱や無秩序を問う心 そこに秩序があります 多くの人は混乱しています 様々な理由からですが ここではお話する必要はありません 混乱について学ぶには 自分の送る無秩序の人生を学ぶには 混乱の中に順序を持ち込もうとせず 無秩序の中に秩序を見出そうとせず ただ無秩序を学びます 混乱を学ぶのです すると学びの中に秩序が生まれます
33:03 秩序とは生きたもので機械的秩序ではありません 秩序は当然美徳です 無秩序の心は高潔ではありません 混乱し同化模倣する心は 秩序がありません 葛藤の中にあります 葛藤する心は無秩序です そのような心には美徳はありません 学ぶ心にのみ秩序が存在します 無秩序を学ぶ心 同化同調を学ぶ心など この問い 学ぶ心から秩序が生まれます 従って秩序は美徳です 社会のモラルではなく 社会的モラル御覧の通り全く不道徳です 世間体が良いかもしれませんが 世間体がよいとは一般的に無秩序です どうかご自身で観察してください 自分がどうなのか 自分の人生を 非常に無秩序で 混乱して 機械的です その状態の中でモラルを見出そうと 秩序ある真っ当な生き方を見出そうとします 混乱 同化 模倣しようとする心がどう 秩序を美徳を 持つことができますか 秩序は必要です 秩序があって初めて完全な行動が生まれます 進めてよいですか もう尋ねません先に進めていきます 行動とは人生です 私たちの行動が無秩序を生みます 政治的活動宗教的活動 ビジネスや家族分断された活動です 当然そういう活動は矛盾しています あなたはビジネスパーソンで 自宅では親切な人間だと 少なくともそう取り繕います 矛盾があり 従って無秩序です 秩序のない心は 美徳を理解する余地がありません 昨今では あらゆる事に対する寛容性があると 美徳や秩序が否定されます 信仰心とはこの秩序を持つべきです ご自身や他人から定められた パターンや型に従うからではなく その秩序とはご自身がその無秩序を 理解して初めて生まれる道徳的な潔白さです 混乱や人生の面倒な事
38:30 それら全てが瞑想の 基盤として据えられます 基盤を据えなければ 瞑想とは逃避となり そういった類の瞑想で永遠に遊ぶことになります 殆どの方がそうしています 一般的で混乱した面倒な人生を送り どうにか角をみつけて静かな心を得ようとし 静かな心を提供しようとする人が大勢います その意味がなんであろうとです
39:44 実直な心にとって これは非常に真面目な議題です遊びではありません あらゆる信仰からの 自由を持ち 全ての献身からの自由 人生全てに責任があります ある断片的な人生だけでありません 多くの人は革新に身体的変革に傾倒し または政治的や宗教的活動 宗教的禁欲生活など様々に傾倒します それら全て断片的です 自由について話しています ご自身を献身できる ご自身の全エネルギーを活力と情熱を捧げる自由 全人生にです 一部分だけではなくです そこで瞑想の意味を 問う事ができます
41:33 瞑想の意味を深く吟味した事がありますか 何人かはいるかもしれません 思考をコントロールしようと 様々なシステムに追随する しかしそれは全く瞑想ではありません その追従するシステムを放棄すべきです 提供されたシステムや組織 禅 超越瞑想 インドやアジアからこちらに持ち込まれた 型や仕組みです 様々な人がのめり込んでいます よってシステムや方法について問うべきです 皆さんもそうあって欲しいです この問題を一緒に共有しています
42:54 追従するシステムがあると 心に何が起きますか システムや方法とは何を示唆しますか 教祖 - なぜ教祖と呼ぶのかわかりませんが - 教祖という言葉全てを 否定する強力な言葉が見つかりません 権威者です 彼らは知っていると考え 知っていると言います そんな人に限り知りません 真実を体験したなどと言う人もいます 完全なる不信の対象です システムを提供する人達です システムとは練習を示唆します 追随 反復 実際の事を否定します 従ってご自身の葛藤を更に増加させます 極楽の境地や悟りを約束するシステム 考えてみてください 悟りの開きを誰かに約束する 従って教祖や 知識人を頼り 他の教祖はもっと知っていると言い そして信者間で争います 私の教祖があなたの教祖より優れているなどと これを観察すると システムとは心を機械化し 皆さんに自由を与えません 最後に自由を約束するかもしれませんが 自由とは始まりであり終わりではありません 始めに自由なくして どんなシステムでもその真実を問うにあたり そのシステムに束縛されてしまいます 従って心は巧みさ 迅速性や繊細性に欠けます あらゆるシステムを完全に排除する事で 心が本当に問い 本当に学んでいます システムによってではなく 哲学でもどんな教祖でもなく 自由であるべきです 何が起きているかと見るにあたり 心は 何千年もの思考の結果です 心 思考はとりとめがなく その心 思考を整えようと特異なフレーズや 象徴やアイディアなどに頼りそして思考は取り留めがありません コントロールしなければと またバトルの始まりです 心を何かで整えようとしつつ しかし今日運転するルートを考えてしまい そこに葛藤が存在します
47:46 大事な事は思考のコントロールではなく 思考の理解です 従って思考の起源を理解します 思考の始原 それはあなた自身です つまり 脳が記憶を蓄積します ご自身で観察してみて下さい あれこれ本を読む必要はありません ご自身の脳が記憶を蓄積します 記憶を蓄積しなければ考える事ができません その記憶とは経験や知識の結果です ご自身や社会家族のものであろうと 民族のものなどとです その記憶の備蓄倉庫から思考が湧き出します 思考とは決して自由ではなく常に古いものです 思考の解放など存在しません 思考自体は自由ではありません 自由について語り表現する事は出来ても 思考自体は過去の記憶の結果です 過去の経験や知識従って古いのです ですよね 押し付けるべきではありませんね 人は知識の蓄積を持っています ではければ機能せず何もできません お互い話すこともできません 家に帰れませんし知識は必須です
50:32 瞑想において知識に終わりがあるのか これを問うべきです 既知からの自由があるのか もし瞑想が知識の継続であれば つまり人間が これまで蓄積した全ての継続です するとそこに自由はありませんよね 自由とはそこに 知識の機能の理解と 既知からの自由があり 初めて存在します
51:56 知識の領域について 問います それ自体の機能 それ自体が更なる問いの障害となる事についてです 脳細胞が 機能し続ける場合 知識の領域の中でのみ機能が可能です なぜなら脳細胞はそれしかできません 時間の領域の中で既知の経験を維持します つまり過去です 既知の事柄から汚染されない 領域があるかを見出す事 それが瞑想です 皆さんどうですか 要点が分かりますか
53:25 私が瞑想する際に 既に学んだ事既に知っている事を 継続する場合 過去に生きています 自分の条件づいた領域の中に生きています 既知の領域に生きている そこに自由は存在しません 自分の生きる檻を飾る事はでき その檻の中であらゆる事をするでしょうが しかし未だ限界壁があります よって何千年も渡り知識を発達させてきた 脳細胞が静かさを得ることが出来るか 見出すべきです 完全なる静けさです その未知の領域に応答する つまり 心は完全に静かになり得ますか
55:03 この事は世紀を渡り あらゆる宗教人の間で問題でした 非常に静かな心を 持つべきだと気が付くからです 自分だけに見えますから 心がざわついている 心が常に動いています 様々な事を考え 当然見えませんし完全に聞くことができません シンプルです 聴く事 観察するには 心は完全に静かであるべきです ですからコントロールしろ コントロールし持ちこたえろと 訓練しろと 檻の中に入れろと なぜなら彼らは 心を完全に静かにする方法を知らないからです コントロールと言います 欲望を抑え 女性を見るなと 男性に目を向けるなと 美しい丘を木を見るなと 地球の美しさを それが男や女を思い出させるのだと 従ってコントロール 我慢しろと 集中しろと言います それを全て実行し集中する 地球の美しさ空や雲に 目を向けません あなたは葛藤の中です よって更にコントロール更なる服従です これは何世紀も続いてきました 何千年もの間です 彼らは静かな心を保つべきと気づいたからです 心はどう静かになりますか 努力なく コントロールなく 鍛錬なく 追随や形成なく 境界なく 心をどう作るか - どうではなくどうと聞く瞬間に システムを導入しますから 方法ではありません
58:45 心は静かになりますか 皆さんどうするのか私にはわかりません 問題が目の前にあると 必要性がある場合 静かで繊細で 賢い心 それは非常に静かです どうすればいいですかどのように起こりますか そのような心が本当の 宗教心です 人生を一体としてみるのはそのような心だけです 一体としての動作です分裂した心ではなく そのような心の活動が 分離的でなく静粛における完全なる活動です
1:00:20 どうすればいいでしょうか それが瞑想の問題です 昨日お話しました 人生の完全な人間関係の 基盤を敷きました 秩序ある人生故に美徳 非常に内向的にシンプルな人生 よって完全に厳格な人生 牧師のいう野蛮で厳しい厳格ではなく 深くシンプルである故の厳格さ 心に葛藤のない状態です そしてその基盤を持つと 容易に努めず 努力をしようとする瞬間から あなたは葛藤します その事実を目のあたりにし 事の実態の見識が 抜本的な革新をもたらす
1:01:52 知覚すると 心がはっきりと見ると 静かな心のみです 脳細胞は 世紀に渡る記憶を運びまます それは静かであるべきで必要な時に応答する そうあるべきです 課題がある時にのみ反応するだけです それ以外は静粛を維持します
1:02:37 それが問題なのです 静かな心のみ完全に穏やかで 静粛な心だけが理解できます その静かな心の中の動きは全く別物です 別の領域で異なる質です 言葉で表現ができません 言い表せない事だからです 表現できることはこの時点までです その時点とは基盤をひく段階です 必要性を理解し 静かな心の真実と美の必要性の理解です
1:03:36 多くの人は 美とは何かの物です 建物や雲や 木の形や美しい顔 美はそこに存在しますか それとも心の質ですか 自己中心的な活動のない心 喜びのように 美は瞑想に必須です 美の理解 美とは完全に 自己を排除する事です 自分を排除した目です 木をみてその美を見る事ができる目 雲の美しさを見る目 つまり自分という中心がない時です 皆さん経験がありますよね 美しい山々をみて 突然目の前に現れる山々 そこにある 全てをおいて 丘の壮大な美だけが残ります 丘や山々木々があなたを魅了します
1:05:55 子供と玩具のようにです 玩具が子供を魅了します 玩具が壊れると 子供は元の遊びに戻ります いたずらや泣いたりなどと 私たちも同様です 山々を見る 丘の上の木 それに魅了されます 何かに魅了されたいのです アイディアや 活動や何かにコミットするなど 信念や 他人に影響される つまり 子供と玩具のようにです
1:07:14 美それは繊細さを意味します 繊細な身体 正しい食生活 正しい生活 それについては時間がありません そういう生活を持ちそこまでたどり着いたなら 皆さんそうでありそうしていると願います すると必然的に自然に無意識に 静かになります 心を静かにする事はできません それは皆さんがいたずらの元だからです ご自身が困惑し不安で混乱しています どう心を静かにできますか しかし静寂とは何かを理解する時 混乱と何を意味するかを理解する時 悲哀とは何か 悲哀に終わりはあるのか 享楽を理解する時 そこから甚大な静寂の心が訪れます 探す必要はありません 最初に始めるのです そしてその最初のステップが最後のステップです それが瞑想です
1:09:26 ご質問がおありですか はい
1:09:45 質問者 : 山々や丘美しい空の 類推を仰いましたそれは人 その例示は人の為ではなく その類推が汚れです
1:09:59 K : そうですNYCの街の汚れの類推 汚れの類推 みすぼらしさや貧困スラム街や戦争 私たちが作ってきたもの 私たちが寄与貢献してきました 皆さんそれぞれベトナム戦争の責任があります 中東戦争パキスタン戦争 それぞれ皆責任があります そう感じないでしょう ご自身を分離させ自身を 孤立させていますから 他人と何も関係を持たず あなたは腐敗します 従って腐敗が世に広まる事も許しています だからこの腐敗や汚染戦争やヘイト 何かのシステムで止められません 政治や宗教どんな組織でもです あなたが変わるのです わかりませんか 皆さんがご自身を完全に止めるのです 意思を通してではなく 瞑想とは心の意思を空にする事です すると全く異なる活動が行われます はい
1:12:19 Q : もしある個人がそれに気づく事ができれば 完全な覚醒と言いましょう 条件づいた他の人をどう助ける事ができますか とても深く鬱積した恨みを持つ人たちを 受け入れ覚醒させるには
1:12:38 K : 仮にこの完全なる気づきに恵まれたなら どう周りの人たちを手助けするかと なぜその恵まれるという言葉を使うのですか 気づく事の神聖さや名誉とは何ですか 自然な事ですよね気づくという事 ご自身の条件に気づけば 混乱や不祥事卑劣さ 戦争やヘイト 世界で起きている事ご存じですよね 悲哀 殺された貧しい人々の悲しみ 子供や母親全てです その全てに気づき 他人との人間関係を完全なものと確立します 他人と強固に関係している時 あなたは世界中全ての人と関係しています わかりますか 自分の妻や夫だれかと完全に繋がりを持つと アイディアやイメージだけでなく完全にです すると世界中全ての人々とつながります 他人を傷つけないと理解する事ができます 彼らは自身を痛めています すると その事を伝え話し 誰かを助けたいという欲望を持ってではなく それは非常にひどい言い方です誰かを助けたいなど あなたは何者ですか話し手も含めてです
1:15:03 木や花々の美はそこに存在し あなた方を助けたいと思いませんただそこにあります 薄汚さや美しさを見るのはあなたです それを見ることができなければ なぜかを見出してください なぜそうも無神経で冷淡になったのか 浅はかで空虚 それを見出せば あなたは水の流れる 人生の状態に至ります 何もする必要はありません
1:16:11 Q : 物事のありのままを 見る事と意識の関係とは何ですか
1:16:17 K : ありのままを見ることと 意識の関係 意識 それが内容です 意識の内容は意識です 全て説明する必要がありますか シンプルな事です あなたの意識の内容が欲 羨望 意欲 比較 苦悩 苦労 悲しみそれら全てが意識です その内容が意識を構成しますから 内容を取り除くと 皆さんご存じの意識が存在しますか ありませんよね 内容があってこそ意識を知ります その意識が世界で起きている事態です 皆さんその一部です それを全部空にしてください その意識を持たないのではなく完全に異なる次元です 憶測できない次元です 憶測は科学者や哲学者に任せ 私たちの出来る事は 我々の心の条件からの解放の模索です 気づくことで 完全に注意を払う事でです
1:18:33 Q : 愛 真実 神が何か私はわかりませんが 愛は愛ではなく愛が神だと仰る時 なぜ愛が神だというのか説明してください
1:18:43 K : 愛が神だとは言っていません
1:18:45 Q : あなたの書籍に書いてありました
1:18:47 K : 本当にすみません読まないでください その単語は多く使われてきました 人類の絶望や希望を詰め込み 神を持ちます 共産主義にも神がおり フル装備です ご提案ですが 愛は何かを見出してください 愛が何かを知るには愛ではない事を知る事で 見出すことができます 知識的に知るのはなく実際の人生においてです 愛ではない事をさて置く 嫉妬 野心 欲 人生においての全ての分断 あなたと私 私たちと彼ら黒人 白人などと それをしませんよね 残念ながら 実行するにはエネルギーを要しますから ありのままを見る時エネルギーが生まれます 逃避ではありません ありのままを見ると それを観察する中で 先を超えるエネルギーを得ます 逃避しようとしたり解釈しようとしたり 乗り越えようとすると超える事はできません その実際のありのままをただ見るのです すると豊かなエネルギーを得ます そして初めて愛が何かを見出せます 愛は喜びではありません それを見出すには 自分の中で自身でそれを見出します 愛は喜びではありません その意味が分かりますか そこに恐れはありません そこに執着はありません 依存も存在せず 分断のない人間同士のつながりのみです
1:22:05 Q : 社会における芸術家の 役割についてお話を頂けますか 自身の機能を超えた機能を果たしていますか
1:22:33 K : 芸術家の社会での役割 芸術家とは誰ですか 誰が画を描き 詩を書きますか 画を通して表現したいご自身は誰ですか または本や演劇など 誰が芸術家とその他大勢を分けるのですか 知識人とその他大勢と なぜこの分け目があるのでしょう それは知能をあるレベルに据えて おそらく芸術家は高いレベルにいるのでしょう そして科学者も同様に高いレベルで そして彼らの社会の役割をと問います 質問は彼らの役割ではなく 社会での役割は何かです 皆さんがこの惨劇をつくってきました あなたの役割は何ですか 見つけ出してください つまり 卑劣で悲惨で憎悪に満ちたこの世界に生きるのですか 琴線に触れないのでしょう
1:24:33 この四日間話を聞き 共に議題を共有しました 深く理解された事とそう願います すると皆さんは 正しい人間関係の中心となり 従ってこの悲惨で腐敗し破滅的な社会を 変えるのは皆さんの責任なのです
1:25:09 終了時間ではありませんか 今何時ですか 7 時 15 分です
1:25:25 他に質問は
1:25:28 Q : 精神的な時間についてお話をお願いします
1:25:35 K : はい わかりました これが最後の質問です この質問が最後です ご質問者は時間について知りたいと 考えてみましょう 時間とは古い年月です 時間は悲しみであり 時間は皆さんに気を留めません 時間とは何ですか 時計の時系列的な時間があります それがないとバスにも乗れませんし 料理をできないなどと様々ですが 私たちが受け入れてきた他の種類の時間が存在します つまり 明日はどうであろう 明日は変わろう 明日はどうなっていたい 精神的に時間を創造してきましたよね 明日はと 精神的に明日は存在しますか この疑問に真剣に向き合うのは最も不快です 皆明日が欲しいからです 明日また会うと 明日また会える喜びを得る 明日は理解する 妻は明日は変わるだろう 明日は光を見出だし悟るだろう 従って私達の人生で明日が非常に重要になります 昨日セックスをしたその喜びと興奮と どんな混乱があろうと 明日が欲しいと願います その喜びをまた明日繰り返したいのです
1:28:19 ご自身に尋ねてくださいそして真実を見つけてください つまり明日は存在するのか - どうかご理解ください - 思考は明日を反映します よって明日とは思考が時間として作り上げた発明です 精神的な明日は存在しません 今日の生活はどうなりますか 明日がなければ今日はどうなりますか 心理的にです すると絶大な革新が存在しますよね すると皆さんの行動は抜本的な変化を遂げます ですよね すると完全に今を生きます そして過去を反映せず 現在未来を反映しません つまり毎日を生き 毎日死す ご自身で見出してください 完全に今日を生きる それが愛ではありませんか 明日愛するとは言いませんよね そう言いますか 愛するか愛しないかです 愛に時間はありません 悲しみだけが時間を保持します 悲哀は喜びとしての思考です ご自身で時間とは何かを見出してください 明日がなければどうなるか見出してください するとそこに永遠の人生があります 永遠は時間を持ちませんから