Krishnamurti Subtitles

NY83CDS - 記憶、思考と、継続性の幻影 home
ディヴィッド・シャインバーグとの会話
合衆国、ニューヨーク
1983年4月14日


0:19 D.シャインバーグ: いいよ、クリシュナジ。 私が思いついた問いは、 こうです - どうお考えですか・ ・・ 力や 強烈さとは、何ですか。 即時性に伴っていて、 それで、幻影がこうも 即時性を持っているのですが。 言い換えるなら、 その幻影と、 思考が創り出すものは、 なぜ、こうも力とこうも 即時性を、持っていますか。 それが、一つ目の問いです。 それから その線に沿ってどこかにですが、 或る人物は、何が できますか。 そうね、 もし私や、あなたが 私の幻影の中の即時性を見て、 あなたが、私の幻影の 性質を見るなら、 或る人物は、他の人物のために、 何をできますか - 自分の幻影に捕らわれている 人に、です。 それらが、二つの問いです。
1:19 クリシュナムルティ: まず第一に、 あなたが仰る幻影とは、 どういう意味ですか。
1:23 DS: まあ、私が、幻影と いう言葉を使うとき、 私は、私たちが前に行った 議論から、進んでいます - その中で私たちは、思考が実在を 創り出すとの事実について、話しました。
1:35 K: 思考は、幻影を 創り出します。
1:38 DS: で、ゆえに、 幻影があります。 それは、それを 作り上げているからです。 それは、こうも即時性を 持っています。 私たちはみんな、自分の思考に こうも強烈な必要物を、投資します。 私たちは、安全に 投資してきました。 すなわち、それは 何ですか - 幻影や思考における この即時性は、です。
2:02 K: あなたが、即時性という言葉を使う とき、それは、充足したいとの欲求、 何かをしたいとの欲求を、 意味しています。 あなたが即時性という言葉を 使われるとき、あなたがいうそれが どういう意味なのかを、 私はよく理解しません。
2:21 DS: 私は、即時性という言葉を、 実在という意味で、使っています。 こう言いましょう。 それを 二つの水準で、捉えましょう - もし私は、自分自身が壁から 落ちてしまうのを、想像するなら、 私は跳ぶでしょう。 で、その思考とその想像は、 即時性、強烈さを、持っています。
2:53 K: 私たちはそれを、違った ように表現できるでしょうか。
2:57 DS: もちろん。 進んでください。
2:59 K: 私は、あなたが話しておられる ことの意味を、取りつつありません。
3:03 DS: そうね、私は本当は こう言っています - 私たちは、 自分たちは重要性を投資しなければ ならないとの思考を、持っています。
3:10 K: はい。それで 通しましょう。
3:12 DS: さて何が、私たちをして、それに こうも重要性を、投資させますか。 言い換えるなら、 私は本当に、医師としての 私の仕事を、参照しています - そこでは、或る患者が入って くるし、彼はこう言うでしょうね。 もし誰かが死んだなら、 ひどく憂鬱です。 もし彼らの恋人が現れない なら、ひどく憂鬱です。 もし彼らが職を失うなら、 ひどく憂鬱です、と。 それらは、重要性を持っている 思考ですが、この人物にとって、 それは、まるで人生全体が崩壊 してしまったかのようです。 それが、私がいう 即時性の意味です。 切迫性です。
3:57 K: 結局のところ、それは、 充足したいとの欲望の衝動です。
4:03 DS: 私は、そこを 捉えていません。
4:09 K: 私は、あなたの意味を まったく捉えていないからです。
4:12 DS: まあ、別の道を 試させてください。 私たちは、思考が何をするかに ついて、たくさん話します。
4:17 K: はい。 私たちは、思考は制限 されていると、言いました。 思考は、何をしようとも、 テクノロジーの世界においてでも、 心理の世界においてでも、 制限されています。
4:33 DS: そのとおり。
4:35 K: 一日中、自分自身に関心を 持っている人物は - 生に対してと、世の中に対して の自分の態度全体と、です - きわめて、きわめて小さい、 っていうことなんです。
4:49 DS: そうです。さて、 思考が制限されているなら - が、実際に思考は、自らが制限 されていないように、思えはじめます。
5:00 K: それは、観念だけです。 それは、幻影です。
5:03 DS: それは幻影ですが、 それは実際に起きます。
5:05 K: で、すると、あなたの問いは何ですか。 DS: で、何が、それを起こしますか。
5:07 言い換えるなら、何が思考をして、 こうも無制限に見えさせますか。 私たちはそれに、こうも 無制限の美徳を、投資します。
5:19 K: 誰がそれをしますか。
5:21 DS: この世界の、私が 知っている誰もがみな、です。 たとえば、昨日、 私たちの議論の中で、 その人は、自分は休暇を取れるから、 良くなりつつあると、言いますね。 で、或る面で、彼は、自分の 思考を、投資してきました。 私が何を目指しているのか、 お分かりですか。 
5:42 K: いいえ。
5:43 DS: まだお分かりにならない。
5:50 K: 言葉を変更するのは 構わないでしょうか。 投資する、ではない。 これより離れてください。
5:57 DS: いいですよ。私たちは離れましょう。 私たちは、別の道を試しましょう。 私たちは、自分が考えることが 重要であると、考えます。 そこに留めおいてください。
6:08 K: 私たちが重要であると考えるもの - それは、私たちの先入観です。
6:15 DS: 私たちの観念です。
6:16 K: 私たちの観念、私たちの イデオロギー、私たちの経験です。 私たちは、それが重要 であると考えます。
6:22 DS: そのとおり。今、あなたは それを捉えています。
6:24 K: はい。今、私たちは それを捉えています。
6:25 DS: さて、 それは何ですか。
6:28 K: それは何ですか、 ではない。 なぜ、それらは 重要になったのですか。
6:37 DS: でも、それらは 重要って出発します。
6:41 K: 仮に、私は経験をする、 とします。 または、私は、何か 明確な結論に、到ります。
6:49 DS: いいですよ。
6:50 K: 私は、それについて 大変多く考えてきました。 それについて読んできました。 人々へ話してきました。 そして私は、結論へ到ったのです - それは最終的です。
7:03 DS: いいです。
7:07 K: その最終性には、 一定の感覚があります - ついに私は理解した。 これが、私がしなければならないか、 してはならないことである、と。 そして、そこから前進するの です。 
7:26 DS: いいです。
7:28 K: さて、問いは何ですか。 そこから、それを出してください。
7:31 DS: そこから、 問いは、ですね - それは重要である、そして、 それは最終的であると、 あなたが考えるようになったのは、 どうしてですか。
7:43 K: なぜなら、それが、 私に起きてきたし、 私は、その含蓄すべてを見てきたから です - 事故の含蓄すべて、です。 私は合理的に、それを考えぬいたし、 私は、「このとおりだ」と言います。 しかし、困難は、あなたがやってきて、 「そのとおりではない」と言うのです。 そのとき私は、自分の 結論に、取りすがります。 DS: なぜなら、私は、 そうでないと言うからです。
8:16 それは単純に反動で、だと いう意味ですか。
8:19 K: いいえ。あなたは、そうでない、と言う - あなたの結論は間違っている、と。 私が進んであなたに 聞こうとしているのでなければ - それを検討する。 そのとき、私は、それを 変化させるでしょう。 しかし、私が進んであなたに聞こう、 検討しようとしているのでなければ、 私は変化しないでしょう。 私は、「それが私が考える ことだ」と言うでしょう。
8:42 DS: はい。でも、前にあなたは すでに、それが重要だと、考えました - あなたが考えることが、です。
8:46 K: はい。なぜなら、それが 私に起きたからです。
8:48 DS: で、主題であるのは私です。 なぜなら、それは私に起きたからです。 で、そのときあなたは、私に 重要性を、投資したのですか。
8:56 K: はい。私が、 重要なものになります。
8:58 DS: なぜですか。
9:01 K: 今、あなたの問いは、 全く違っています。 世界中の人間たちは、 なぜ 「私」の観念に、重要性を 与えてきましたか。
9:19 DS: こうも重要性を、です。
9:22 K: ものすごい重要性です。 全世界が、そのまわりを 回転します。
9:26 DS: そうです。で、 それは、何をしますか。
9:30 K: それは、どういう意味ですか - それは何をするのか、とは。
9:32 DS: 言い換えるなら、 なぜ、っていうことです。
9:35 K: なぜ人間たちは、 自らの自己中心的な活動へ、 重要性を与えますか。 いいですか? DS: そのとおりです。
9:45 K: なぜですか。
9:46 それは、彼らが自分たちは 個人であると考えるからですか - 他のあらゆる人より 分離している。 ゆえに、彼らは 個々人であるから、 それは、自分自身のまわりに 壁を築くのに、似ています - そして、他のどの物事にも、あの 中心へ介入させないことに、です。 そのとき自然に、 それは重要になります。
10:24 DS: ちょっと待って。 なぜ自然に、ですか。
10:27 K: なぜなら、それが、私が持っている たった一つのものであるからです。
10:30 DS: で、この壁を作って おいて、そのとき私は、 いわば、私を築き上げている 物事を、取り入れています。
10:36 K: ゆえに、それが、私に残されて いるたった一つのものです。
10:41 DS: 私がこれを 作ってきたから・・・
10:43 K: そうだからだけではなく、 教育をとおし、 宗教などなどをとおして、 私の頭脳は、 私が個人であると考えるよう、 プログラムされてきたからです。 そして、個人であるので、私は自分 自身を、保護しなければなりません - あなたに対して、 環境などに対して、です。 で、私自身を保護する行為の中で、 それは、きわめて重要になります。 その行為は、きわめて 重要になります。 DS: そうです。 で、あなたが また仰っていることは、ゆえに、 私が築き上げるこれらの幻影すべてが そこから発する、ということです。 言い換えるなら、それは必然です - もっと多くの証拠を得るように、です。 で、それは本当はこうです - なぜ これは起きますか。この私は?
11:36 K: 私は、なぜ、と 表さないでしょう - 逆のほうから 表します。 なぜ人間は、 世界中の人間は こうもひどく自己中心的に なったのですか。 それは、正しい問いでしょうか。
12:02 DS: はい。それは良い。
12:04 K: なぜですか。 あなたの訓練から、 あなたの分析的な視点から - 医師と心理療法者 などとして、です - あなたは、なぜ彼らが、この 自己中心的、自我本位の動きへ、 重要性を与えてきたと、 思いますか。 それは、実際に 分離的な動きです。 それは、分割的な動きです。 なぜですか。
12:38 DS: まあ、理由はこう であると、私は思います - 思考は単純に 頭脳の中に現れるし、 その思考は、自己や「私」の 安全を、提供するのです。 言い換えるなら、それは 「私」を創り出します。
12:57 K: はい、ちょっと待って。 私は訊ねています。 「私」を創り出した後 - それは、私が自分自身について 持っているイメージです - なぜ私たちはこれへ、こうも 重要性を、与えたのですか。 私はあなたに 訊ねています。
13:15 DS: なさっているのは知って います。私の答えは、こうです - 私は、安全という言葉を 使うのが、嫌ですが、 「私」は安全を 提供すると、思われます。 さて、問いがあると、 私は思います。 なぜ「私」は、こうも 安全を提供しますか。 または、提供すると 思えますか。
13:29 K: またはそれは、私が根源的に安全を 探し求めている、ということですか。 そして、 私の活動すべては 私自身の経験の区域の中に なければならないとの感情です - 私自身の判断、 私自身の価値 私自身の自我本位の 動き(の区域の中)に、です。
13:57 DS: そうです。 でも、あなたはそこで、戻って いくように、私は思われます。
14:05 K: いいえ。ご覧ください。 もう一度、始めましょう。 世界中の人間たちは、この幻影を 築き上げてきました - すなわち、自己中心的な活動は 自己保護的だ、 防衛的だ、攻撃的だ、と。 そして、自分は その区域に生きるし、 私は、他の何をも 知りません。
14:39 DS: でも、何か訴えが、あるに ちがいありません - または、 人間としての私たちに 本来的な何かが、です。 そして、これが起きるのです。 言い換えるなら、 あなたは、幼い子どもを取られるし、 それは、こうもすばやく起きます。 それは文字通り、私があなたに一回、 ヘロインを注射したのに、似ています。 あなたは、「ああ、私は それが好きだ」と言いました。 あなたは、「私は、もっと それをほしい」と言います。 それは、自己、「私」が 起きるのは、 一回のヘロイン注射に 似ているかのようです。 あなたは少し得る。 それは 即時にただ築くようです。 あなたは、 それに中毒します。 それは本当に中毒です。 それを 中毒として見つめましょう。 K: 中毒とは何ですか。
15:18 DS: 「私」です。
15:19 そして、安全への必要は、 中毒です。 「私」は、ヘロインの 注射に、似ています。 それが、あの薬物を 提供します。 言い換えると、あなたは、 安全に、恋いこがれています。 私がやってきて、 あなたに言います - ほら、私は、少しの「私」を、注射 して、あなたを元気づけよう、と。 私が言う意味は、分かりますか。
15:42 K: 仰る意味は、理解できます。 もう一度、始めましょう。
15:46 DS: いいよ、もちろん。
15:48 K: なぜ私たちは 安全を、探し求めますか。
15:51 DS: 私たちが 不安全であるからです。
15:54 K: 私たちは不安全ですか。 DS: はい。
15:56 K: または、私たちは、自分が 不安全であると、想像しますか。
15:57 質問を理解されますか。 私は安全がほしい。 私は 安全を、持たなければならない - 物理的な安全、 衣食住などを、です。 この腐った社会の中で、私は 職を持たなければなりません。 私は、私が自分一人で 静かでいられるところを、 どこかに 持たなければなりません - 自分の家族とか、 何であれ、それと一緒に、です。 なぜ人間たちは - それが、 私の根源的な問いです - 「私」へ、重要性を 与えてきましたか。 私は自分自身を保護しなければ ならないと考えることへ、です。 なぜなら、世界はきわめて 危険であるからです。 それはたぶん、百万年前に 始まりました - そのとき、人が 存在しはじめました。 人は、自分自身を、保護 しなくてはいけませんでした。 17:04 野生動物がいました。あらゆる 物事が、混沌としていました。 で、おそらく、そこから 起源が、始まりました - すなわち、私は自分自身を 保護しなければならない、と。 動物たちはそうします。 ヒョウに追われつつ あるシカ、 彼の本能は、 逃げ去ることです。 不幸にも、 ヒョウのほうが速いし、 シカを捕まえて、 殺す、などです。 また、シカは時々、 幸運にも、逃亡します。 で、そこから私たちは この感覚を、継承してきたのです - 私は自分自身を保護 しなければならない、と。 DS: いいよ、ええ。

K: そして、私は訊ねています - 孤立の中であなた自身を 保護することは、可能ですか。 結局のところ、私自身を 保護するとの観念こそが、 孤立をもたらします。
18:07 DS: そうです。
18:10 K: さて、孤立に 安全がありますか。
18:14 DS: まあ、シカは、 逃げ去るなら、
18:20 それを孤立の中に 探し求めていますか。 K: いいえ。かわいそうに。 彼は生存したいだけです。
18:24 DS: それは可能ですか - それは たぶん、「私」にさせるものです。 彼はただ 生存したいのです。
18:30 K: それは、自然な本能です。
18:33 DS: でも、私は、たぶん 「私」がそうかと言いました
18:35 K: いいえ。物理的に、私は 生存しなければなりません。
18:39 DS: そうです。すると、私たちは 混乱し、「私」が物理的な生存であると 考えるにちがいありません。
18:43 K: いいえ。物理的に私は、衣食住が必要 です。私は生存しなければなりません。 私は、職などを 持たなければなりません - 部屋などを、です。 さて、心理的な生存が そもそもありますか。
19:05 DS: いいえ。でも、 私は、思考を持ったんです。 心理的な生存は ないんです。
19:12 K: なぜあなたは、 そう言いますか。 あらゆる人が、心理的に 生存したいと思うんですね。 「私」が心理です。
19:24 DS: そうです。 でも、何らかの面で、それは 身体と混同されています。
19:32 K: すなわち、 同一視されています。 同一視は、起きます。 なぜなら、同一視に、 私は、根を張るからです。 そして、根を張っているので、 私は安全に感じます。
19:51 DS: そしてあなたは、 自分の身体と同一視します。
19:53 K: すなわち、私の身体、 私の名前です。
19:56 DS: で、私は、私の身体です。 私は、私の名前です。
20:00 K: 私は、私がしていることなど です。 DS: そのとおり。
20:02 でも、それは、シカがしている ことに、類似していませんか - 彼が逃げ去って いるときに、です。
20:08 K: いいえ。シカは、自分自身に ついて、考えません。
20:12 DS: そのとおり。でも、私は、そこに 重なりがあると、言っています。
20:15 K: たぶんシカに、作動 している思考は、ありません。
20:18 DS: いいよ。私たちは それを、受け入れるでしょう。
20:21 K: そうね、それはただ 怯えているし、逃げます。 DS: そのとき、私たちが、この 「私」と同一視に、入るとき、
20:31 K: そのとき、すべての 紛糾が、始まります。
20:34 DS: でも、 それは或る面で、 シカからの一種、間違った 継続ではないですか。 私がいう意味を理解されますか。
20:43 K: あまりよくは。
20:44 DS: まあ、私たちは 生存のためのこの必要を 動物から継承してきたと 仰る意味で、です。
20:51 K: 私たちは、生存する本能を 継承してきました。
20:55 DS: で、私たちは、生存する 本能を、継承してきました。
20:58 K: それは自然です。どうぞ、 一つのことを認めましょう。 生存することは、自然な本能です。
21:03 DS: そのとおり。
21:07 K: あらゆる小さな細胞も、 生存したいのです。 生存するには、私は、物理的な 必要物を、持たなければなりません。 職などを、です。
21:21 DS: たくさんの人々は、 「私」が必要物だと、考えます。
21:27 K: 仰っていることは、 確かですか。
21:31 DS: はい。 K: 「私」は本質的ですか。
21:33 彼らは、「私」が何であるかを 検討したことさえ、ありません。
21:37 DS: ああ、でも、彼らはやはり、 それが本質的であると、感じます。
21:41 K: いいえ。彼らは、「私」に 安全があると、感じますね - 心理に、ですね。 そして私は、私自身の イメージに、縋りつきます。
21:58 DS: そのとおり。
22:01 K: が、私たちは、心理が何で あるかを、けっして検討しません。 何かへ縋りつくことが、あるなら - 私はそれを「私」と呼びます - それは、幻影である かもしれません。 で、私たちは、心理が何であるかを 検討しなくてはいけません。 それは、何か地盤を 持っていますか。 その上に、しっかり 立てるものを、です。 または、それは、ただ動き、 一連の動きだけですか。 付いてきておられるのかどうか、私は 知りません。 
22:43 DS: 付いていっています。
22:45 K: これらの動き、 経験などが、「私」です。 私は、他の何をも 知りません。
22:59 DS: まあ、そこで浮かんで くる、一つの問いは、 経験する行為の中で、 私がそれを見つめていると、 経験の行為の中に「私」が現れる との感覚が、あることなんです。
23:13 K: ちょっとお待ちください。 そうですか。 今朝、私は 経験をしました。 車が私へ 突っ込みました。 それで、私は けがをしました。 そして、痛みが 登録されています。 事故、痛みが、頭脳に 記録されます。 私はそれを 憶えています。 私は、一、二ヶ月の間、 それを憶えているでしょう。 それで私は、あの後、 よく気をつけています - 轢かれないよう、 はね飛ばされないよう、です。 憶えていることは、 継続性を持っています。 その継続性が、自己です。 憶えていること。 過去の物事を 憶えていること - 出来事、事故、 楽しみを、です。 その記憶は、継続性を持って います。 記憶が、です。 そのとき記憶は、「私は この経験をしてきた。 私は気をつけなければ ならない」と言います。 いいですか?
24:47 DS: いいです。
24:48 K: で、記憶の継続より 他の要因は、ありません。
24:57 DS: 次回、私が経験をする時、 何が起きるのか以外に、です。 私はそれに、 付け加えます。
25:02 K: もちろんです。継続的な 付け足しか、差し引きです。 さて、記憶は、 それは実際に 継続性ですが、 それは、どんな価値を 持っていますか。 技能を別として - 医師ですが、 あなたは、継続的な記憶を 持っていなくてはいけません - 私を診察する ためには、です。 いいですか? 一連の時、一連の蓄積、 知識などです。 あなたは、医師です。 で、私は言っています - 記憶の継続だけが、ある、と。 それがすべてです。 記憶は、「私」です。 記憶より分離した 「私」は、ありません。 それが私に、安全を 与えてくれます。 DS: それは何ですか。
26:16 K: 何が、ですか。
26:17 DS: その記憶において 得られる安全、です。
26:17 K: 知識です。
26:21 私の事故、 私の痛みや楽しみ、 過去の物事の知識です。 すなわち、経験と知識に 基づいた記憶の構造です。
26:40 DS: 分かります。
26:46 K: それは、継続の感覚をもたら します - それが、「私」です。 「私」は、何か記憶より 分離したものではありません。 で、記憶は、継続する ただ一つのものなのです。 DS: それが安全です。
27:03 K: 当然です。
27:06 いいえ、ご覧ください。 継続性を持つものは、 安全を与えると見える ように、思われます。
27:20 DS: それが問いです。 見かけとは何ですか。
27:25 K: 記憶は、継続性を持つ、私たち の生での、ただ一つの要因です。
27:34 DS: はい。 K: 理解されますか。
27:36 そして、記憶は 何ですか。
27:43 DS: それは、蓄えておくこと です。それは、過去です。
27:45 K: 過去の物事ですね。 未来の、ではない。
27:49 DS: ええ。それは 過去だけです。
27:55 K: 私たちは、何かとてつもない ことを、発見しようとしています。 すなわち、過去は 継続性を持っています - 修正されたが、 過去は、継続します。 いいですか?
28:08 DS: いいです。
28:09 K: で、修正されても、 継続性を持つものは、 安全のたった 一つの起源です。 何でも 砕けてしまうもの、 死・ ・・ 死としましょう。 死を取り上げましょう。 あの継続性を終わらせるもの。 で、私はそれに怯えています。
28:39 DS: そのとおり。何でもあの 継続性を中断させるもの、です。
28:45 K: で、記憶は 心理の中心です。 その記憶は、継続性を 持っています。 ゆえに、一連の動き、類似の 動きを、持っているもの - 私は安心だと感じます。 それは、安心、安全の 感覚を、もたらします。 で、記憶は、安全を もたらします。 DS: そうです。
29:14 K: ちょっと待って。
29:16 それは、安全ですか。
29:23 DS: それが、私が訊こうと していたことです。 私は知りません。それは、安全では ない。それは、安全ではありえない。
29:29 K: 私たちが何をしてきたのかを ただ見てください。 私たち人間は、継続性を ほしがります。 その継続性を、私たちは 記憶に、見つけます - 憶えていることに、 頭脳の中の記録に、です。 それは、継続性を 持っています。 それで、恒常性の感覚が あるだけではなく、 また、記憶の中に、 大きな安全の感覚も、ある。 さて、記憶とは 何ですか。 憶えていること。 アメリカやフランスでは道路の 右側を通るのを、憶えているが、 イングランドでは それは、道路の左側です。 私が来なくてはいけない 住所を、憶えている。 で、記憶は何か・ ・・進んで ください。究明してください。 何が起きつつあるかを 見てください。 記憶は、過去の出来事から 組み立てられています - 死んで、去っている ものから、です。 私は、自分の兄弟、自分の 息子を、失ったのです。 彼らは、去って しまいました。 火葬されたか、埋められました。 終了しましたが、 記憶は残っています。 記憶は、実際のもの ではありません。 DS: ええ。実際のものは、 不在です。 
31:11 K: 去りました。
31:13 が、私は、マントルピースの上に 息子の写真を持っています。 私は、それを 見つめつづけます。 画像は、兄弟、 息子ではありません。 記憶は、息子や 兄弟ではありません。 で、記憶は・ ・・ 何ですか。 DS: いつも戻っていく。
31:38 K: いいえ。
31:41 私は、息子や兄弟を失いました - 母親か、何であっても、です。 マントルピースの上には、思い起こさせる ために、彼らの写真が載っています。
31:54 DS: また記憶を 目覚めさせるために、です。
31:56 K: ええ。私は、それについて 考えつづけます。記憶です。 私たちは、記憶で通しましょう - 当面は、思考ではなくて、です。 で、その記憶は - その記憶は、何か去った、死んだ、 終了したものを、表示しています。 で、記憶は、 実在ではありません。 付いてきておられるのかどうか、 私は知りません。 
32:25 DS: はい。
32:26 K: よろしいですか。記憶は、実際 の息子や兄弟ではありません。 で、記憶は、継続性を 持っていると見えるけれども、 それは、死んだものです。 で、私は、何か死んだものに 安全を、探し求めます。 いいですか。
32:54 DS: ええ。
32:56 K: もしも、私の息子や 兄弟が、生きていたなら、 私は、彼らと一緒に 安全を、見つけました。 私は、彼らを愛していました。 彼らは、私を愛していました。 私は、彼らと一緒で安心でした。 彼らは、私を保護してくれたでしょう。 彼らは、私の老後を、見届けてくれる だろう、など - 私は安心です。 が、彼らは去ってしまい、 二度と戻ってきません。
33:20 が、彼らの記憶は 残っています。ですね? それは、死んだ、過去の ものの記憶です。 で、記憶は、継続性を 持っていると見えますが、 死んだものなのです。 実際の生きている兄弟と 息子ではない。 DS: そうです。 
33:45 K: で、 私は何に縋りついて・・・
33:49 思考が縋りついている のは、何ですか。 何か死んだものへ、 縋りついている。 私が、何か去ったものへ 縋りついているのを、発見する。 橋の下の水ほどに(去ったもの へ)、です。  

DS: そうです。 K: で、記憶に 安全は、ありません。 しかし、それを見出す - 私たちは 進んでそうしようとしません。
34:32 DS: そこで、ね。その進んで したがらないのは、何ですか。
34:38 K: それは習慣、伝統です。 私は、ここ二千年の間、 プログラムされてきました - イエスと呼ばれる象徴を 崇拝するように、です。 またはインドでは五千から一万年で、 私はそこに、填まり込んでいます。
34:52 DS: クリシュナジ、それには もっと多くがあると、思います。 さらに、それに 少し入りましょう。 私はプログラムされて きましたが、またもや、 私が、何らかの形で プログラムされてきたのなら、 私は、何かがそれをそこに 保っているのを、見つけます。
35:07 K: 何がそれを保っていますか。 プログラムだけです。
35:09 DS: いいえ。それは もっと多いと思います。
35:10 K: それに入りましょう。 ちょっと待って。 私は、オランダ人として プログラムされてきました。 いいえ。 私たちは、 カトリックを取り上げましょう。 なぜなら、そのほうが はるかに精確であるからです。 私は二千年の間、ローマ・ カトリック として、プログラムされてきました。 象徴、十字架を崇拝するよう、 儀式に従うように、 洗礼を受けるように、 教皇に従うように、です。 それが、 私の条件づけです。 すなわち、脳細胞は、それへ 条件づけられてきました。 DS: はい。
35:49 K: ですね?
35:51 そして、私の息子や 私の孫、そして、玄孫 - 私は、彼らがそのように条件 づけられるべきと、主張します。 なぜなら、「私たちは皆カトリック である」と言う社会の中で、 私は安心を感じるからです。
36:07 DS: そうです。
36:10 K: ですね?  そのプログラムは、記憶です。 私が、自分はカトリックだと 言うとき、 二千年の記憶すべてが、 そこにあります。 いいですか?
36:26 DS: いいです。
36:27 K: で、私は、何か去ったものへ、 縋りつき、取りすがっています - 妥当性を 持たないものへ、です。 イエスは、存在しなかった かもしれないが、 私たちは、原罪を 考案してきました。 あなたは、それより 逃避できません。 他の誰かだけが あなたを、救えます。 私は、それへプログラム されてきました。
36:50 DS: でも、あなたは そうしています。
36:52 K: 私はそうしています。なぜなら、 私は、自動的な機械であるからです。 そこに、これが 関連していますが、 ビジネス世界では、私は 自動的な機械ではありません。 DS: ええ。
37:08 K: 理解されますか。 そこで、私は活動的です。 私は 変化しています。私は動いています。 DS: あなたは、あきらめつつあります。 あなたは、記憶の上で作動していません。 が、ここであなたは、記憶で もって作動しています。
37:13 K: ここで私は、伝統の上、 プログラムの上で作動しています - 脳細胞を条件づけてきた プログラムの上で、です。 ですね? それは機械的です。 DS: が、あなたはそうして います。 
37:28 K: 私は機械的です。
37:30 コンピューターは、機械的です。 それは、そうしています。 それは、生産しています。それは あなたに、何をすべきかを語ります。
37:38 DS: あなたにそうさせている ものが、何かありますか。
37:41 K: いいえ。プログラム自体が 私に、そうさせています。
37:45 DS: 単純に自動的だ。私は それについて、知りません。 それについて、何かあなたに 訴えるものが、あります。
37:52 K: ちょっとお待ちください。 気をつけて見つめてください。 私は、ローマ・ カトリックとして プログラムされています。 あなたは、仏教徒としてプログラム されています - 仮定しましょう。 私たちのどちらも、 そうではない。 私はカトリックであるよう、 プログラムされていない。 あなたも、仏教徒ではないが、 私がローマ・ カトリックとして プログラムされていると、 仮定しましょう。 または、私はイスラム教徒です - イスラム崇拝です。 あなたは - それがお好みなら - キリスト教徒です。 さて、私は千四百年の間、 プログラムされてきました - イスラム教徒であるよう、コーランを 読むよう、それに従うよう、 西を向いて跪くように、です。 38:41 私は、プログラムされてきました。 プログラムは、働いています。 プログラムの働きが、私に 「私」の安全を、与えてくれます。 「私はそれをしている」 等です。 あなたは、違った形で、 同じことをしています - 毎日曜日、教会へ行き、 屈従しています。 カトリックの位階制度に 服従しています。 違った様式で、全く同じ ことです。 
39:14 DS: そうです。
39:15 K: で、作動しているのは、 プログラムです。 他の何でもありません。
39:28 DS: そのプログラムが 作動しているなら、 どうして誰かが、あのプログラムの 中にいないでいられるのでしょうか。
39:37 K: 彼女がやってくるか、彼が やってきて、言います - 「自分がしていることを 見てください」と。 DS: 彼らは聞けるとお考え ですか。 
39:41 K: ええ、彼らが、
39:44 「すまない。私はあなたに聞かない よ」と言うのでなければ、です - 「あなたは、異教徒だ。 悪人だ。黙っていろ」と。 そのとき、もちろん あなたは聞けませんが、 智恵ある、探究する精神の 中には、いつもあります - 少しの疑いの火花が いつも、あります。 DS: そうです。
40:04 K: その人物は私に、
40:07 「あなたが何をしているかを、 ご覧なさい」と言います。 あなたは単に、死んだ記憶の 上に、生きています - それは、プログラムされています。 あなたの生は、機械的です。 あなたの考えるのは、 機械的です。 なぜなら、 あなたは根源的に、 プログラムに沿って 生きているからです。 ビジネスの世界においてさえ、 それは同じです。 いいですか?
40:35 DS: でも、そうね、 或る人物にとって 自分のプログラムを 見ることは、きつい。 例えば、おそらく、もっと実用的な ことを、取り上げましょう。 ビジネスマンを取り上げましょう。 ビジネスマンは、 金儲けをするということに立って 考えるよう、プログラムされています。 または、医師を取りましょう。 彼は自分自身を、患者より 分離していると考えるような 水準で、プログラムされています。 または、彼は、知識ということに立って 考えるよう、プログラムされています。 あなたは、知識を 見過ごしますが、 その知識自体のこと全体が、 良い所々において、そこでは それがうまく働きますが、 他の所々の中へ、 プログラムの中へ入ります。 私がいう意味を、ご存じですか。
41:19 K: 理解できますが、 私たちがどちらも、 同意するか、 私たちの心理全体がプログラム されつつあるとの事実を、見るなら - 私は当面の間、心理に ついて話しています - すなわち、私はカトリックです。 私はユダヤ人です。 私はアラブ人です。 私はヒンドゥー 教徒です、などなどなど、です。 共産主義者です。 それらは すべて、イデオロギーです。 いいですか? イデオロギーです。
41:48 DS: そのとおり。
41:50 K: イデオロギーは、思考により 組み立てられてきました - 利巧な思考、曲がった思考、 不合理な思考など、です。 それは、やはり 思考です。 ですね? さて、その思考は、 プログラムされてきました。
42:10 DS: 確かに。 こうも深く、です。 K: 明白です。
42:14 DS: 「私」自体ってことね。
42:15 K: 一万年と五千年の後、
42:17 あなたは、深くプログラム されざるをえません。
42:23 DS: が、この「私」という 意味で、こうも深く、です。 そこから私たちは 出発しました。 私たちが戻って、再出発するなら、 です。 
42:27 K: プログラムは「私」です。
42:29 DS: そのとおり。さて、 プログラムは「私」です。 「私」である行為こそが、 プログラムされています。
42:40 K: はい。
42:41 DS: でも、それは、 現象的なものです。
42:43 K: 私は、コンピューターの ように、行為しています - 私がプログラムされている ものに沿って、です。
42:52 DS: まあ、それを見ることは、 現象的に困難ですね。
42:54 K: これの重要性を 見てください - それがどんなに深く 根づいているかを、です。 相続、 伝統、 遺産、遺伝。 そのすべてが、動物などから 生まれていて、次第に人へ、です。 そのすべてが、大きな経験、 知識などです。 それは過去です。 そして、頭脳は 過去に生きています。 そして、過去はプログラムです。
43:39 DS: はい。 K: 過去に生きる行為こそが、 プログラムです。 DS: 過去に生きる行為が、 プログラムです。 頭脳は、プログラムです。 「私」は、プログラムです。
43:48 K: ゆえに、人間は、これを 悟るとき、何をしますか。 それは、自由がない、 という意味です。 あなたは、意志の自由とかに ついて、話すかもしれませんが、 それは戯言です。 それは、機械に似ていますが、 もっと利巧で、もっと微妙で、 もっと発明できる、などです - 頭脳は、ですが、 それは、条件づけられています。 それは、プログラムされています。 自分があの区域に生きるかぎり、 何も自由はありません。 それは、利巧な機械に、 似ています - それは、様々な要因、印象など などに、すばやく適応しますが、 それはやはり、 プログラムされてきた、 ただ考えられるだけの 頭脳です。 ですね? そして、考える ことは、制限されています。
44:50 DS: はい。それは、まさに プログラムの中にある。
44:53 K: それがすべてです。 まず第一に、それを悟ることは、 私にとって、ちょっと衝撃です。 先日、私たちは、 数人の有名な学者と 科学者などと、 議論していました。 学者は、自分の知識により 条件づけられていました。 いいですか?
45:21 K: 彼は、大変多く 読んできました。 アジアの哲学と西洋の哲学、 宗教などを、です。 彼は、ものすごい知識を持っていて、 それが、彼を条件づけてきました。
45:34 DS: そのとおり。
45:37 K: で、あなたは、そのとき こう言います - 「どうぞ、 何かについてのあなたの知識 すべてを、脇に置きましょう。 知識の観念全体へ 入りましょう - それがどう束縛 するのかに」と。
45:51 DS: 彼は、何と 言いましたか。
45:54 K: 彼は、少し時間を掛けました。 彼は、拒絶しました。 それから彼は、ブロノフスキと他の 人たちを、引用しはじめました - 「知識は、人が向上するのを 助ける」と言う人たちを、です。 で、ですね、 知識は人が向上するのを 助けるとの、この概念全体は、 私には全く戯言に 思われます。 なぜなら、私たちは、幾千年もの 戦争を行ってきたからです。 それは私たちに、甚大な 知識を、もたらしてきました - 石で殺す。 矢で、 それから、銃で、などと。 ついに今、私たちは 原子爆弾を持っています。
46:35 DS: ええ、そのとおり。私たちは 知識を増大させてきました。
46:38 K: 知識を、です。 私たちは、また一万年を 掛けるでしょう - もっともっともっと 多く付け加えて、です。 おそらく私たちは、地上全体を 拭い去ることができるでしょう。
46:49 DS: 私たちは、それほどの 知識を、持つんでしょうね。
46:54 K: で、論点はこうです - 私はプログラムされています。 私はそれを受け入れます。仮に、私が それを完全に受け入れる、とします。
47:04 DS: あなたはそれを 受け入れますか。
47:06 K: 仮にと、私は言いました。 当面の間です。
47:08 あなたがやってきて、 言います - ご覧なさい、友よ、あなたは ここに、自由を持っていません。 あなたは ただの機械です。 とても利巧で、 智恵ある機械です。 あなたはそうです。 頭脳は機械です。 それは反応できる、 その他すべて、です。 頭脳が、あの区域に 留まっているかぎり、 それは、けっして 自由ではありません。 そのエネルギーは 制限されています。 その能力は 制限されています - テクノロジー的に、あなたたちは 前進してきたけれども、です。
47:58 DS: ええ。私たちは、 ここで一目、見られますか。 私は、自由を持っていません。 私のエネルギーは、制限されています。 さて、そこには、 含蓄があります - すなわち、私は、もっと 自由を持つとか、 もっとエネルギーを持つかに ついて、考えることになる、と。
48:14 K: 待って。あなたが、もっとについて 考えるとき、それは同じ動きです。
48:20 DS: 同じ動きです。で、それは、 私の機械化への私の知覚と、 私のエネルギーの制約への 私の知覚です。 それが主題です。そうで ないですか。 
48:29 K: はい。 それだけが、 主題ではありませんよ。 このように表しましょう。 仮に、私は自分がプログラム されていることを悟る、とします - 私のすべてが、生物学的にも、 また心理的にも、です。 あなたは、私へ来ます。 なぜなら、あなたは、はるかに 究明してきたからです。 あなたは医師です。 あなたは その主題へ入ってきました。 様々なことを 研究してきました。 あなたは言います - 「ご覧なさい。 友よ、あなたは自由を持っていません。 あなたは、とても良い 微妙な機械に、似ています。 それは自動的で、制限 されているから、そこに あなたは、自分自身に、無際限の 紛糾を、創り出しています 自分自身に、痛みを、 自分自身に、葛藤を、です。 そしてあなたは、この社会を 創り出してきました。 ゆえに、あなたと社会は、地上に 地獄を創り出しています。
49:33 DS: 私たちがその内側で 回っていくように、です。 K: その制限の中で、です。
49:35 DS: そうです。
49:37 K: あなたは、それを 私に、指摘します。
49:38 そのとき私は、言います - 「どうぞ、私は事実が見えます。 私がそれを突き抜けるのを 助けてください」と。 いいですか?
49:50 DS: いいです。
49:52 K: あなたは、私に言います - 「いいえ。 私はあなたを助けないでしょう。 なぜなら、あなたは、これの真理を 見なくてはいけないからです」と。
50:02 DS: あなたが私に助けを 求めること自体が、体系です。
50:05 K: ええ。で、あなたは 私に語ります - 「そうしないでください。 私の助けを求めたり、 誰の助けをも求めたりしないで ください。神を含めて、です」と。
50:16 DS: ちょうどそこで 止まれますか。 あなたが私に、助けてくれる よう頼むとき、それが本当は、 私の条件づけを示す別の道だけ であるのは、どうしてですか。 K: はい。私は認知したのです。
50:24 DS: そうなんです。
50:26 なぜなら、あなたは 本当は、あなた自身を 私が直すべきものに しつつあるからです。
50:31 K: いいえ、私は、自分がプログラム されてきたことを、認知したのです - 罠に捕らわれている、と。 そして、私は 抜け出せません。 私は、自分が 抜け出せないと、考えますね。
50:44 DS: で、私は、あなたの ために、何をできますか。
50:45 K: ゆえに、私はあなたへ来ます - 待って - 私はあなたへ来ます。 あなたは医師、心理学者、 心理療法者です。 あなたは有名であるとか、 何とかかんとかです。 私はあなたへ来ます。 私は、「どうぞ、 これが私の状態です」と言います。 私は、こう悟ります - 自分が、死んだものの 上に、生きるなら、 それは狭くなり、 制限される、と。 ゆえに、私は、葛藤を 創り出しています。 私と妻と、社会との間に、 だけではなく、 私は、葛藤の中に生きます。
51:18 DS: そうです。
51:20 K: 私が記憶の本性を 理解するのを、助けてください - プログラムを、 葛藤の根を、です。 そして、このひどい穴から抜け出すのを 私に示すか、助けてください、と。 それが、私たちのみんなが 求めていることです。
51:43 DS: そのとおり。
51:44 K: 彼らは、その目的のために 教会へ行きます。 寺院へ、です。 お祈りですね。 私を助けてください。 ああ、神様 - 思考により創案されたのです - 私がこれを抜け出すのを 助けてください、と。 これまでは、誰も 助けてくれませんでした。 千万年か、五百万年の後に、です。 誰も私を、助けてくれませんでした。 が、私は、誰かが私を助けてくれる だろうと、祈りつづけます。 それは狂気です - 理解されますか。 それは神経症です。
52:11 DS: まあ、それは何であると お考えですかね。 プログラムについて、それは 何であると、お考えですか - 助けを求めることを 生み育てるものは、です。
52:22 K: いいえ。それは、助けを 求めることではありません。 あなたがやってきて、 プログラムされることの 制限を、私に指摘するとき、 そのとき私は、それを 見つめはじめます。 DS: でも、そのとき、 あなたは、私に助けを求めます。
52:36 K: そのとき私は、あなたに 助けを求めます。
52:37 DS: でも、それは、あなたの プログラムの一部です
52:39 - 私に助けを 求めることは、ね。
52:41 K: いいえ。それは、私の プログラムの一部ではありません。
52:43 DS: いいえ? K: いいえ。 はい、一定の面では、はい。
52:46 それは部分ですが、私は その中から動いて、抜けました。 私は、助けを求めて、あなたへ 来ます - ただ聞いてください。 あなたは、「それは、あなたの嫌らしい プログラムの一部です」と言います。 私は、「はい。 全く そのとおり」と言います。 「が、それでもなお、 それを探究しましょう。 どうぞ、ともに行きましょう」 と。よろしいですか。
53:07 DS: ええ。で、私たちは ともに話し合えます。
53:11 K: ともに、です。 それは、あなたが、 私が穴を登って抜けるのを 助けていない、という意味です。
53:18 DS: そうです。私たちは ともに、ここにいます。
53:21 K: ともに、です。それは どういう意味ですか。
53:25 DS: 私たちは、どちらも プログラムされています。
53:26 K: 私たちはどちらも、 自分たちがどちらもプログラム されているのを、悟ります。 私たちは、穴の中に いています。 じっくり話し合い、見つめ、 究明することにより、 私たちは、あなたを 助けようとしている人が 誰もいないのを、 見はじめます。
53:43 DS: または、 あなたが、です。
53:44 K: 誰も、私やあなたを助けようとして いません - 私たちをどちらも、です。 ですね?  それは、 どういう意味ですか。 私は、自分のプログラムに 留まります。 DS: 私たちは、ともに そこにいます。 
53:57 K: ええ。
53:59 私たちは留まります - そのように表しましょう。 私たちは、穴の中に 留まります。 なぜなら、私は、それをどう 抜け出すのかを、知らないからです。 あなたもまた知りません。 私たちは 穴の中に留まります。ですね? ですが、何が 起きたのですか。 私が助けを受け入れて こなかった、 私は誰をも、頼みにしていない ときに、です。神も・・・
54:26 DS: まあ、ちょっと 待ってください。 私がやってきました。私は、あなたに あなたのプログラムを、示しました。
54:33 K: はい。
54:34 DS: 私はあなたを助けて あげましたか。 K: いいえ。
54:35 DS: 助けませんでしたか。 あなたはそれを見ませんでしたか。
54:36 K: 私はそれを見ませんでしたが、 あなたは、私を揺るがしました。
54:38 DS: で、私はあなたを 助けましたか。
54:40 K: いいえ。あなたは、雷雨の ように、私を助けてきました。
54:42 雷雨は、あなたに たくさん与えます・・・
54:48 DS: 私は、あなたを 少し揺すぶって起こします。
54:50 K: いいえ、雷が 土へ窒素を、です。
54:55 DS: そうです。私たちは、 あと三分間、持っています。
54:58 K: あなたは、雷として作用 しました。それは自然な出来事です。 私たちは、たまたま 会いましたし、 私たちは、「ご覧。これに 入りましょう」と言いました。
55:10 DS: 私は、プログラムから 抜け出していますか。 私はあなたのプログラムを 見られたから、 私は、プログラムから 抜け出していますか。 私は、あなたのプログラムを見られます。 私はやはり、プログラムの中にいます。
55:20 K: もちろんです。私たちは どちらも、その中にいます。
55:22 DS: 私たちはどちらも その中にいます。いいです。 私はあなたに、あなたの プログラムを、示してきました。
55:26 K: そして、私へ 話すことにより、あなたは、 自分もまたプログラムされて いることを、発見したのです。
55:29 DS: そのとおり。ああ、 それは全くの発見です。
55:33 K: もちろんです。私たちの どちらも、それを発見します。
55:38 あなたは見ない、ではない。 DS: 私が、ではない。私はこの 洞察を持つか、私はそれを見た。
55:45 K: 私は、自分がプログラムされて いるのを、悟るとき - 事実を、です - 私は、すべての人間がプログラム されているのを、悟ります。 いいですか? 私はそれを 見守ります。そのとおりです。
55:57 DS: すべての人間は プログラムされています。
55:59 K: もちろんです。「すみません。 私はプログラムされてきました。 私は抜け出ています」と 言う人たち以外は、です。 頭脳は、もはや 条件づけられていません。 それは、全く 長い過程です。 過程ではない。 それは、 ものすごい究明が、必要です。 すなわち、冥想とそれらです。 私はそれらに入らないでしょう。 が、記憶は継続性を 持つとの事実 - その中で、それは、私たちに 安全を、与えてくれます。 継続性は、私たちに 安全を与えてくれます。 記憶は、死んだものです。 生きているものではない。 56:42 生きているものについては、 記憶を持てません。 で、私は、死んだ物事とともに、 生きています。 理解されますか。 私が、過去の記憶の上に生きるとき、 私は、死とともに生きています。 去ってしまった物事と ともに、です。 私は、それらの記憶に 縋りつきます。 なぜなら、それは私に、一定の慰め、 安全などを、与えてくれるからです。 が、それは、死骸に 取りすがるのに、似ています。 で、私はそれを悟り、実際に それの真理を見るなら、 脳細胞に、変異が あります。
57:24 DS: ええ。そして、私たちが ともに話し合うにつれて、
57:28 私たちの間に 変異が、あります。 K: はい、脳細胞に、です。 ゆえに、自由である ことが、可能です - 穴から全的に登って 出ることが、です。 終了しましたか。 私は、何か新しいものを 見つけたのです。 DS: 何と仰いましたか。 
57:57 K: 私は 何か新しいものを見つけたのです。
57:59 DS: 私もです。
58:01 それは、クリスマスみたい ですね。プレゼントです。
58:11 K: はい。そうね、 私の頭脳は、きわめて 選択的です。 選択的な記憶 - きわめて、 きわめて選択的です。 私に起きてきたこと すべては、 去った。 文字通り、去った。 記録は、残っているが、 記録の内容は、残っていない。
58:45 DS: それは、内容は残って いるが、選択的な器具は、 って、ことですか・・・
58:49 K: いいえ。逆のほうです。 話させていただくなら、それは、 一分間で、お分かりになるでしょう。 あなたは、車を運転するために、 記憶を持たなくてはいけません。 彼らが私にしたことすべて、 それは記録されましたが、 その記録は、 深さを持ちません - お分かりになるのかどうか ・・・何も感情はない。
59:19 DS: 填まり込みはない。それに 填まり込んだものは、何もない。
59:22 K: それは、あまりに汚い。 で、頭脳は今 - 私は注目したのです。 私は入ったのです・・・
🢁