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OJ72T1 - 何が、人類をまとめるのだろうか
第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1972年4月8日



1:54 クリシュナムルティ: あなたたちが注目なさったのかどうか、私は存じませんが、 このような小さな町に- または、市か、村か、 何と呼ぶのか、私は知りませんが - 多くの小さな教会が、あり、 多くの違った神話、 多くの違った、空想的、宗教的な 概念、定式が、あるのです - 人々を分割するものが、です。
2:28 それは、世界中で同じです。 ヨーロッパの、どの小さな村、町、市にでも、行ってください。 それは同じです。
2:42 キリスト教は、それ自体が分裂しています。 異国風の宗教、神話が、 多くの世紀にわたって、つづいてきて、 今、死につつあります。 そして、新しい神話が、形成されつつあります。
3:06 インドやアジアへ行ってみてください。それは同じです。 すべて、壊れてしまい、分裂しています。 各個人が、特定の夢想、神話、 宗教的な概念や、信念や教義を、探し求めています - 自分の特定の気質、 神経症や 空想的、望みのある信念に、応じて、です。
3:51 これらを、賢明に、用心して考え、 これらを見守るとき、 何が人類を、まとめるだろうかと、思われます。
4:11 明白に、信念ではない。 明白に、特定の公式ではない。 それらをめぐって、私たちは、けんかをしたり、異なったり、 弁証法的に議論したりできます。 または、或る指導者、或る導師、 或る異国風の、神話的な輸出品を、 受け入れたりできます。
4:51 世の中が、すなわち、人間たちが、 分割されていることが、見えるとき - 宗教的、民族的、政治的、 経済的に分割されていて、 あらゆる可能な形で、 ほとんど一人一人が、他の一人と、対立しています。
5:20 反逆が、あります。 黒人対白人、 紫対青、などです。
5:30 あなたが、これら、世の中で起きている、 とてつもない現象を見て、 いぶかしがるとき、 何が人を、まとめるのだろうかと、思われます - 何が、人間たちの間に、正しい関係を、もたらすのでしょうか。 私たちがみんな、平和に生きられるように、です。
6:02 なぜなら、そこは、私たちの大地であるからです - キリスト教徒の大地や、 石油の人々の大地や、 実業家の大地ではなく、 カトリック、プロテスタント、メソジスト派、他の何かは知りませんが、 彼らの大地ではないからです。
6:26 あなたが、これを見つめるとき - 長髪、短髪、 ヒッピーと非ヒッピー、 実業家、 芸術家、 司祭者。 様々な冥想集団 - 各々が、自分の特定の形の冥想、道を、主張したり、 自分の信念や教義が、特定の経験と、悟りなどへ、 つながるだろうと、主張します。
7:21 それを見ると、どの真剣な人も、 私がいうその(真剣という)言葉は、人間たちを分割する問題の解消へ 完全に参与している人、という意味です - 人々をまとめようと望んで、 どの特定の集団にも所属しないで、 どの特定の行為にも参与していない。 そういう真剣な人にとって、答えは何ですか。
8:04 そうね、私が指摘してもいいなら、 これは、娯楽ではありません。
8:14 今朝、ともに、ここに座っていて、 私たちは互いに、娯楽で楽しませ合っていません。 私たちは、面白がったり、知的に刺激されたりしていません。
8:36 私は望みますが、私たちは、真剣な人々です - 壊滅的な世界に、 世界で進んでいる恐怖に、関心を持っているのです。 汚染、人口過剰、 経済的拡大 - 世界を破壊しようとしているものに、です。
9:05 あなたは、そもそも真剣であるなら - あなたがそうであることを、私は深く望みます - 娯楽で楽しみたいのではなく、何が正しい行為であるか、 このひどい世界に生きている人間として、 何をすべきかを、見出したいのなら - ものすごい悲しみ、破壊、暴力のこの世界において、です - そのときおそらく、あなたと私は、旅を行えるでしょう - 人間存在と、他の一人への関係の、 この甚大な複雑な問題の中へ、です。
10:09 さて、あなたがこれらを見つめるとき - どの特定の視点からでもない。 アメリカ人として、 カトリックやプロテスタントとして、 社会主義者や社会の名士として、とか、 どの特定の集団に所属しているのでもなく、 人間として、関心を持ち、 特定の概念や定式に応じてそれを解決しようとするのではなく、 これを観察しているとき、 思考が、これに責任があることが、分かります。
10:57 思考は、この世界でとてつもないことを、してきました - テクノロジー的に、 科学的に、経済的に、です。 思考は、とてつもない結果を、生み出してきました - 大きな河を渡る、すばらしい橋を架ける。 月へ行く。
11:34 また、思考は、ひどいことをもしてきました - 戦争の破壊的な兵器すべて、 人々の分割、です。
11:56 で、一方では、思考が、考える機構全体が、 テクノロジーのとてつもない世界を、 生み出してきたのが、見られます - 快適さ、いわゆる文明、です。 また、それは、ひどい結果をももたらしてきました - 人々の中のこの分割を、 民族的に、経済的に、宗教的に、などで、です。
12:46 思考は、人の分割へ責任が、あります。 そして、思考を殺さなければならないと言う人が、多くいます。
13:11 「思考なく、自発的に行為せよ」と言う人が、多くいます。
13:25 「思考はいつも条件づけられているので、
13:33 その思考を、より良く条件づけよう」と言う人が、多くいます - 共産主義者のように、 最新の心理学者と、他の人たちのように、です。
13:51 すなわち、作用中の思考が、 振るまいに、責任があります - その振るまいが、暴力的でも、快くても、 美しくても、醜くても、です。
14:19 思考は、人間の振るまいに、責任があります。
14:31 人間精神を制御し、形作ることを、 固執し、主張している人が、 多くいます - 自らの特定の条件づけに応じて、です。 共産主義者、毛沢東主義者、などです。 それにより、正しい協同的な行為を、もたらし、 私たちが互いにやるひどいことが、 終わりになるように、です。
15:23 私たちがみんな、これに付いてきているのを、望んでいます。 私が言いましたように、私たちはともに、旅を行っています。
15:40 私たちは、旅で見るものを、ともに分かち合っています。
15:50 ともに分かち合うには、私たちはどちらも、強烈に気づかなければなりません - 外的に、世の中で進んでいること、だけではなく、 また、内的に、進んでいることも、です。
16:15 分かち合うとは、私たちが、同じ時に、同じ水準で、 同じ強烈さをもって、出会う、 という意味合いです。 さもないと、分かち合いは、ありません。
16:37 私たちは、不同意もしていないし、 同意もしていません。
16:44 私たちは、この公式も、あの公式も、 この意見も、あの意見も、受け入れていません。
16:51 ともに、私たちは、検討しています。究明しています。 探検しています - 外的な現象とともに、 私たち自身の存在の、内的な過程をも、です。 それらは、どちらも重要です。
17:25 外とともに、内のこの動きが、 私たちが、これら二回の講話の間に、できるなら、 ともに検討しよう、 ともに分かち合おう、見ようとしていることです。 それは、きわめて疑わしいと思いますが、それは大事なことではない - 人間たちの間に存在するこの分割を、 私たちが理解し、 ゆえに、解消するのかどうか、です。 その分割は、外的にも、内的にも すべての抗争、葛藤のまさしく原因です。
18:06 内的に私たちは、断片化し、壊れてしまっています。 外的にもまた、そうです。 進んでいることを、探検し、検討する中で、 私たちは、気づくだけではなく、 また、明らかに見ることが、できなければならない、と 私には思われます.
18:42 で、私たちはともに、観察する、見る、というのは、 どういう意味かを、理解しなくてはいけません。 外的に、世界を、です -恐怖すべてをともない、 美しい物事すべてをともない、 戦争、汚染をともなっているのを、 外的に、です。
19:06 そして、内的に、葛藤、 格闘、常なる闘い。 それを明らかに見る。
19:23 明らかに見るとは、観察するとは、どういう意味ですか。
19:35 そのことを理解することは、とても重要であると、私は思います - 観察するとは、どういう意味か。
19:49 自らが築き上げてきた自分のイメージをとおして、 観察します。そうでしょう - 遺伝的にか、個人的にか、 自分の特定の気質、 体質などに応じて築いたものをとおして、です。
20:16 すなわち、あなたが樹を見つめるとき - ここには、麗しい樹が、多くあります - それらの樹々を、見つめるとき、 あなたは、自らがその樹について持っているイメージをとおして、見ます。
20:35 どうぞ、それを試してください。 それを見つめてください。 あなたは、分かるでしょう -あなたが観察するものは・・・ あなたは、その樹を観察しますが、 あなたが取得してきた、植物学的な知識をとおして、です。
20:51 あなたは、あの樹を見つめます - それに名づけ、 それを好きだったり、嫌いだったり、 それで、あなたは、イメージをとおして、見ていますが、 直接的に樹を見つめていません。
21:20 外的なものを、観察することは - 樹や、山や、鳥や、 鷲が飛ぶ、ように、ですが - 比較的、簡単です。
21:34 ですが、内的に進んでいることを、 観察すること、見ること、 それは、はるかに困難になる。
21:47 どうぞ、私たちが話しているとき、そうしてください。 単に、一連の言葉や観念を聞いて、 それから、歩いて行ってしまうのではなく、
22:02 あなたが、今言われつつあることを、実際に実験しているなら、 あなたは、ありのままの自分自身を、どのように、 いつ見つめるのかが、分かるでしょう。 あなたは、イメージを - 伝統をとおし、過去をとおして 自分に手渡されてきたものを - 持っているだけではなく、 またあなたは、自分自身について自らが創り出してきた 様々なイメージをとおして、自分自身を見つめています。
22:40 で、あなたは、けっして「有るもの」を、実際に観察しません。
22:46 あなたはいつも、「あるべきもの」の目でもって、観察しているか、 定式をとおし、信念をとおし、 イデオロギーをとおしてか、 様々な形の条件づけをとおして、観察しています。
23:10 で、それは、とてつもなく困難になります- 実際に自分自身を観察すること、 「有るもの」を、実際に観察することは、です。
23:33 私たちは、分割の中の人間葛藤のこの現象を、 ともに究明しようとしているので、 それが、とてつもなく重要になります - あなたが、そもそも真剣であるなら - 観察の行為を、自分自身で 見出すことが、です。
24:02 なぜなら、あなたが、自分の伝統的な見通しをもって、 自分の条件づけられた応答をもって、観察するなら - カトリックとして、プロテスタントとして、他の何としてか、誰も知りません - 私たちの一人一人が創り出してきた、無数の分割、です。 そのときあなたは、実際に、まったく見えていません。 あなたは、自分が見たいイメージが、見えています - あなたが創り出してきたイメージをとおして、です。
24:40 そういう精神は、観察しようとしていますが、 それ自体に、根本的な革命をもたらす能力が、ありません。
24:59 なぜなら、心理的な革命が、必要であり、 物理的な革命より、経済的な革命や社会的な革命より、 はるかに重要であるからです。
25:22 心理的な革命 - 精神と心の全的な変容が、 必要です。 なぜなら、それが、どの外的な現象と変化の 根本原因でもあるからです。
25:48 人間として自分自身に、深い根本的な変化が、ないのなら、 何でもあなたが外的にすることは、内的な状態により、条件づけられるでしょう。
26:07 あなたが、内的に混乱し、死んで、条件づけられ、狭く、 ごまかしの小さな人間であるなら、 何でも、あなたが外的にすることは、 ごまかしの社会、腐敗した社会を、生み出すでしょう。
26:26 私たちは、外的な変化に、ものすごい重要性を、与えます。 私たちは、外的に変化がほしいのです。
26:38 外的に、社会的に、全的な変化が、なければなりません - それは、相当に明白です。 戦争の終わり、貧困の終わり。 人間たちの、民族性、国籍へ、 主権政府などへの外的な分割の終わり。
27:12 外的に、深い根本的な変化が、なければなりません。
27:22 なぜなら、科学者たちもまた言っているように、 私たちは、今のように、進んでいくなら - 経済的に拡大し、 大地、海、空気を汚染し、 人口過剰などですが - 七十年ほど後に、 私たちは、地球と私たち自身を、破壊するでしょう。
27:59 で、それが、なければなりません。 あなたが、そもそも真剣であり、これにきわめて深く入ったことがあり、 この問題を解決しようとしているなら - レーニン、トロツキーやスターリンや毛沢東、 または、何か最新の心理学者に沿って、ではなく、 あなたが、人間として、この問題に深く入っていき、 これをどう解消するかを、見出そうとしているなら、 あなたは、ごらんのように、 各人間に、根本的な心理的革命が、 なければならないことを、見つけるでしょう。
28:45 その二つ、外的と内的な動きは、一緒に行かなければなりません。
28:51 内的な動きは、外より、はるかに重要です。 それは相当に明らかだと、私は思います。 この深い内的な革命を、 自らの意識のまさに深みに、もたらすには、 見る目を、持たなければなりません - 私たち自身を、きわめて明らかに見るように、です。
29:38 あなたは、特定の心理学者の目や、 特定の公式をとおして、見ているなら、 とうてい見られません。 あなたは、共産主義者、社会主義者や - ああ、神様! - その他すべてであるなら、 とうてい見られません。
30:04 またもや、それは相当に明らかで、単純だと、思います。 それはただ、参与していない人、 自由であって見られる人、 特定の意見や、特定の知識や、特定の経験に、 捕まっていない人だけです。
30:30 実際に「有るもの」を観察できるのは、そういう人物だけです。
30:38 あなたが観察するとき、 思考が、中心的な要因になります。
30:55 思考は、知識、経験、記憶の応答ですが、 その思考は、科学的に、などで、 とてつもない世界を、創り出してきたのです。 思考はまた、様々な神と救い主と 神話を、創り出してきました。
31:39 あなたは、キリスト教徒です。 なぜなら、あなたは、そのように条件づけられてきたからです。 それは、特定の文化に 条件づけられている思考の結果です - 特定の宗教的な教義、信念、儀式に沿って、です。 インドで、アジアで、 まさしく同じことが、されているように、です。
32:10 ただそこでは、それが、ヒンドゥー教、仏教やイスラム教と呼ばれているし、 ここでは、それがキリスト教と呼ばれているだけです。
32:19 ですが、それは、人々を分割する同じ現象です。
32:30 分割があるところ - 外的に、だけではなく、内的にも、です - 葛藤があるにちがいないのです。
32:39 いいですか?それは、明らかですか。 私たちは、そこから、一緒に進みますか。 なぜなら、ご存じでしょうが、 このような美しい谷に - ここは、世界で最も美しい谷の一つです。 ここに生きること、 この美しさを見ることと、 この美しさが、人間たちにより破壊されるだろうと、知ること - なぜなら、人々は拡大したい もっと多くのお金、もっと多くの楽しみ、 もっと多くのあらゆる物事が、ほしいからです。
33:41 そして、大地は、破壊されつつあります - 私たちの愚かさにより、私たちの貪欲により、 より大きな楽しみへの私たちの欲望によって、です。
34:01 そして、思考は - それは、きわめて明らかに理解されないなら - 私たちの災難を、もたらそうとしています。
34:18 で、私たちは、思考が何であるか、 思考がいかに重要であるかが、分かります。
34:27 考えることなしに、自らはとうてい、存在できません。 思考なしに、あなたは 正常に、たやすく機能できません。
34:48 あなたの住宅へ、家へ行くには、 バス、列車、航空機に乗るには、 あなたは、考える能力を持たなければなりません。
34:57 で、或る水準での知識は、本質的に、重要になるが、 まさにその知識が、 人々の間に、分割を創り出すように、使われます。
35:21 思考は、自然に、効果的に、 完全に機能しますが、 そのとき、「私」が- それも、思考の別の機能ですが - 実用的な知識に、介入します。
35:55 これは、あなたにとって、まったくちんぷんかんぷんですか。 私たちは一緒に、進んでいますか。 ごらんください。 私たちは、知識が必要です。 世界について、海について、空気について、 科学的なことなど、私たちは、それが必要です。
36:19 ですが、また、思考は、「私」の観念をも、創り出してきました - あなたより異なっている「私」、です。
36:38 思考は、世界を、分割してきました- 「あなた」と「私」、 「我ら」と「彼ら」として、です。
36:51 「私」が、知識の平野で作動し、機能するとき、 それは、過ちを創り出します。ですね?
37:08 すなわち、精神はどのように、 知識の平野において、効果的に、真実に機能し、 「私」、自我、人物、個人を、 外しておくことになりますか。 世界の紛糾すべてを作っている、小さな実体、 その実体を、知識の平野での作動から、 完全に外しておくのです。
37:52 私が話していることが、分かりましたか。 私の話は、明らかになっていますか。 あなたたちは- 講話の終わりに、と願いますが - あなたたちは、質問をしようとしています。それで、私は進むでしょう。
38:09 あなたたちが、注目したことがあるのかどうか、私は知りません - 私たちはいかにひどく利己的であるのか、 私たちの活動が、いかにひどく自我中心的であるのかに、です。
38:33 この活動に、根本的な変化がないのなら、 あなたは、新しい世界を、とうてい創り出せません。
38:48 ゆえに、 イデオロギーの人たちは、こう言ってきたのです - 「私」は、とうてい変化させられないので、 「私」を創り出す思考をして、 自体を、より大きなものと同一視させよう、と。 すなわち、神と、 すなわち、国家と、 すなわち、民族性、国籍と、 すなわち、特定のイデオロギーと、です。 それで、「私」が行為に介入しないように、です。
39:32 で、イデオロギーは、特定の「私」が行為するのを、阻止するために、 とてつもなく重要になったのです。
39:46 理解されましたか。 世界に過ちを創り出し、 永続的に、楽しみを探し求めている「私」、 怯えていて、罪があり、 挫折し、心配している「私」。
40:12 そして、どの宗教も、どの社会も、 その問題を解決したことが、ありません。
40:22 彼らは、「私」を、天国へ移行させてきました - 神の隣に座ることや、救われること、などなどに、ですが、 「私」は、やはり継続します。
40:35 で、彼らは、それを解決していません - 宗教、文化や、どの特定の社会的な活動も、です。
40:49 彼らは、共産主義的に、それを解決しようとしています。 彼らは、「あなたではなく、国家が重要だ」と言います。 「国家に仕えなさい。 人民に仕えなさい」と。 あなたは、そうしないなら、シベリアへ送られる、 精神病院へ送られるか、あるいは、粛清されます。
41:15 脅迫の圧力が、取り除かれるとき、 「私」は、再び作動しはじめるでしょう。 で、これらが見えるとき -
41:31 明らかに見る。 ぼやけた目でもって、ではなく、 それを解決したいと望まずに、です。 なぜなら、そのときあなたは、それを解決できないなら、 絶望に陥り、憂鬱になるからです。
41:50 ですが、あなたが、ありのままに、それを実際に見るとき - 私たちが今、そうしていることを、願っています - そのとき、私たちは、見出そうとしています。 自分自身に質問しようとしています - 思考は、どうすれば、 大変、効果的に、客観的に 機能できますか - いつの時も、「私」なしに、です。
42:31 「私」は、全的に解消できますか。
42:39 「私」は - 自我、人物、個人は、 自分自身を表現したくて、 ゆえに、充足せず、みじめで、不幸せで、自我本位ですが - その「私」は、終わりになりえますか。
43:05 幾つもの時代をとおして人間たちは、この疑問を、 様々な道で、解消しようとしてきたのを、知って - 神の崇拝をとおして、 特定のイデオロギーとの同一視をとおして、 「私」が、脇に置かれるように、です。 家族をとおし、共同体をとおし、 コミューンをとおし、国家をとおして、です。 私たちは、あらゆる道を試してきました。
43:43 それを抑圧する。制御する。 それに規律を課する。 それを破壊する。
43:51 あらゆる道を、私たちは試してきました。 私たちは、そうすることができなかったのです。
44:01 この国では、 「私」は、とてつもなく重要になってきました。
44:10 なぜなら、観察してきたなら、この裕福な社会で、 あらゆる人が、より大きな楽しみを、 もっともっと多くの楽しみを、探し求めているからです - それは、「私」の追求です。
44:29 その楽しみが、じゃまされるとき、 暴力、怒り、挫折があります。
44:37 この楽しみへの探求の感覚は、 世界中で、拡がりつつあります。
44:46 で、私たちが言っていましたように、 人間たちは、あらゆる道で、この「私」を、解消しようとしてきました。 彼らは、成功したことがありません。
44:59 おそらく、これに出くわすには、別の道が、あるのでしょう。 私たちは、この問題への異なった接近を、 究明しようとしています。
45:12 理解できますか。 すなわち、葛藤があるところ、分割がある - 内的に、外的に、です。
45:29 調和があるところ、葛藤はありません。
45:38 さて、何が、分割をもたらしますか - 外的とともに、内的にも、です。
45:49 なぜなら、この分割が解消できるなら、 葛藤は、確かに、終わりになるからです。
45:57 矛盾としての分割 - 自己矛盾。 比較的である分割。自分自身を他の一人と比較すること、 ゆえに、その比較において、葛藤がある。
46:17 これらに、付いてきていますか。 測量があるところ- それは比較です。 私と他の人との間です - そこに、分割がある。
46:27 そして、分割があるところ、葛藤がある。
46:34 すなわち、私が自分自身を、あなたと比較するとき - あなたのほうが、智恵がある。 利発だ、もっとあれやこれだ、と - そのとき、私には分割がある。 その分割は、攻撃的になり、 劣っていると感じ、怒って、 競争的になる - あなたのようになるため、です。 で、この分割は、内的に、葛藤をもたらします。ですね?
47:14 さて、あなたは、これが見えますか。 または、あなたは、それが言語的な叙述として、見えますか。
47:30 質問を理解できますか。 私の話は、明らかになっていますか。 あなたは、それが実際に、自分自身で見えますか - 語り手があなたのために、創り出してきた言語的なイメージなしに、です。 そのイメージをとおして、あなたは、それを見ます。 または、あなたはそれを、直接的に、非言語的に、見ますか。
48:00 それが直接的に、非言語的に見えるなら、 あなたの行為は、即時です。
48:20 ごらんください。 あなたは、危険が見えるなら、 即座に行為しますね。
48:30 あなたが、ガラガラヘビを見るなら、行為が、あります。 その行為は、条件づけをとおして、もたらされてきました - すべてのガラガラヘビは、有毒である、 危険であるとのことから、です。
48:46 で、あなたの条件づけられた応答は、 危険の前で、即座に行為することです。ですね?
48:59 あなたの条件づけられた応答は、自我、「私」が、 充足しなければならない、行為しなければならない、 分割しなければならない、というものです。
49:11 それが、あなたの条件づけられた応答です。 「私」は、あなたにとって、とても重要です。 あなたたちの文化全体が、それに基づいています。 で、あなたは、自分の条件づけの危険が、見えません。ですね?
49:37 あなたは、ヘビの危険が、見えます -
49:43 自分の条件づけのため、 幾千もの世代が、「ヘビに気をつけろ。 彼らは危険だ」と 言ってきたからです。 そして、幾千もの世代が、 「私」はとても重要だ、と言ってきました。
50:09 ですが、あなたは、この条件づけの危険が、見えません - 重要な「私」としてのそれが、です。分かりますか。
50:23 一方向で、条件づけは、あなたに、危険を警告します。 別の条件づけは、「それは危険だが、継続しなさい」と言います。
50:42 これは、明らかで、単純ですか。 さて、あなたは、それが見えますか。 または、それは、単に、知的な理論として、とか、 受け入れるべき観念として、見えますか。 または、あなたは、見えるものを、自分の夢想に応じて、翻訳しますか - 同意したり、不同意したりです。 または、あなたはそれが、実際にものすごい危機として、見えますか。
51:22 あなたはそれが、危機として見えるなら、 生は、とてつもなく単純になります。
51:33 なぜなら、私たちの条件づけすべては、これに基づいているからです - すなわち、精神は、人間の振るまいにおいて、適切に機能するために、 条件づけられなければならない、と。
52:06 そして、幾世代もの間、精神は、 「私」のみが重要だとの観念に、 条件づけられてきました。
52:24 精神は、条件づけられているので、 それが、いかに危険なのかが、見えません。
52:34 これは分かりましたか。
52:42 なぜなら、私たちが言いましたように、 分割があるところ、葛藤があるにちがいないからです。
52:53 あなたは、この葛藤を忍耐するかもしれません。 あなたは、「まあ、それが、葛藤の中にいることが、人間の本性だ」と 言うかもしれません。 葛藤をとおし、緊張をとおして、 あなたは、様々な形の文学を、生み出すでしょう。 この緊張、この矛盾をとおして、 生み出されるものが、創造的だと呼ばれます。
53:34 それは、創造的ですか。 または、それは、破壊的な精神の結果ですか。
53:51 で、あなた自身で見出すことが、それのみが、重要になるのです - あなたがそもそも真剣であるなら、ですが - あなたは、どう観察するのか、 あなたは、覗き込んでいる外側の者として、「私」を観察するのか、 上位の自己からのように、「私」を観察していて - これらに付いてきていますか - ゆえに、分割を受け入れているのか。 または、この現象全体が、 非言語的に、動き全体として、見えますか。
54:57 ゆえに、あなたは、それが非言語的に、 非イデオロギー的に、見えるとき、 あなたは、危険なものと、直接的に接触しています。 ゆえに、あなたは即時に、行為します - 未来の日に、ではない。
55:19 それが、私たちの条件づけの一つです。すなわち、 私たちは、行為の段階的過程を、受け入れます。
55:32 すなわち、私たちは自分自身に、こう言います - 「私は後で、次第に変化するだろう。
55:41 即座に変化することは、不可能だ」と。 教会、宗教、心理学者、分析者は、これを受け入れます - あなたは、即座に変化できない。 あなたは、時間を掛けなければならない。
55:59 天国へ行くには、時間を掛けなければならない、と。 だが、その間、過ちの種子を蒔くのです。
56:13 で、あなたは、それを、自分の文化の一部として、受け入れます - それは、怠けを、エネルギーのむだを、 破壊的な活動を、 いつの時も、誘発します。
56:36 それで、その問いを訊ねることが、とてつもなく重要になります - あなたは即座に、自分自身に、心理的に 変化をもたらせるのかどうか、です。
56:53 あなたが見るように、それは、即座にできます。 あなたは、危険が見えるとき - 思考により創り出された、人と人との間の、この分割の危険。 すなわち、「私」の、です。 それで訊ねます - この世界に、「私」なく、生きられますか。
57:24 質問を理解できますか。
57:31 野心的である「私」、
57:35 競争好きである「私」、 権力、地位、金銭、セックスをとおして、 果てしなく、楽しみを追求している「私」。
57:52 私たちは、あなたは楽しみを追求してはならない、と言っていません。
58:00 楽しみの現象を、観察する - そこに、何が関与しているのかを、です。
58:11 そうね、楽しみ、楽しさと喜びの間には、 大きな違いが、ありますね。
58:27 あなたは、美しいものを、見るとき、 その美しさの完全な楽しさが、あります。
58:37 夕暮れの光の中の山々を、見るとき、大きな歓喜が、あります。 あの丘に照る、あの光の美しさへの 大きな、十分な楽しさが、あります。
58:51 ですが、その楽しさが思考により、追求されるとき - 明日、それを反復したいと思うとき、それは、楽しみになる - あなたが、性的にそうするように、です。
59:20 楽しみは、喜びといかなる関わりも、ありません。 喜びは、自然に、予期せず、 十分に、来ます。
59:36 ですが、それが来て、去ったとき、思考がそれを、拾い上げて、 「私は、それを追求しなければならない。 私は、喜びを持たなければならない」と、言います。 ゆえに、それは楽しみになる。
59:53 で、あなたは、これらが明らかに、 何の選択もなく、見えるとき - というのは、混乱があるときだけ、選択は、存在するからです。 あなたは、明らかに、この谷の美しさが、 美しく保たれなればならないことが、見えるとき、 選択はないのです。
1:00:23 あなたは、それを保つために、あらゆることをします。 正しい人物を選挙する、などなどです。
1:00:32 それは、あなたが、明らかでなく、混乱しているときだけです - そのときあなたは、選択します。 その選択の中から、あなたは、葛藤を創り出します。
1:00:49 で、何の歪曲もなく、明らかに 見ることが、大いに重要です。 そして、「私」 - すなわち分割するもの - が、あるとき、 歪曲がある。 いいですね。
1:01:07 さて、あなたたちは、質問をしたいと思われるのでしょうか。
1:01:15 質問者: 私は質問があります。
1:01:17 K: ちょっと、お待ちください。 一息ついてください。 そうね、質問をすることは - 語り手に、だけではない。 あなた自身に、質問をする。 そして、正しい質問をする。
1:01:49 正しい質問をする。 あなたは、正しい質問をするなら、正しい答えを得ます。 あなたは、間違った質問をするなら、もちろん、それに答えはありません。
1:02:06 で、正しい質問をすることが、そして、なぜあなたが、 その質問をするのかを、見出すことが、とても重要です。 なぜなら、まさに、正しい質問をする中にこそ、 正しい答えが、あるからです。
1:02:25 そして、あなたは、誰に質問をしていますか。
1:02:31 あなたは、答えを得るために、語り手に質問をしていますか。 または、あなたは、ともに究明するために、質問をしていますか。
1:02:48 あなたが、ともに究明するために、質問をしているなら、 私たちは、ともに疑問を分かち合っています。
1:02:56 それは・・・疑問が分かち合われたとは、それが強烈な疑問である、 それは問題である、という意味です。
1:03:09 分かち合うとは、私たちが指摘しましたように、 あなたが、同じ水準に、同じ時に、 同じ強烈さをもって、いなければならない、という意味合いです。 さもないと、問いは何の意味をも、持ちません。
1:03:20 あなたは、それを分かち合えません。 このすべては、どうぞ、あなたが質問をするのを、阻止しません。
1:03:29 が、あなた自身で、深く見出す - なぜ自分はその質問をしているのか、 それは、表面的で、何気ないのか、 または、あなた自身の心と精神の中から行為を要求する真の疑問なのか、です。
1:03:49 いいですね。進行しましょう。
1:03:51 質問者: 私はお訊きしたいのですが、 私はここに座っていて、お話をされるのを、聞いていると、 あなたが私たちに、理解してほしいことは・・・(聞き取れない) 私たちに理解してほしいという願望なのだという、感じがします。 あなたは実は、仰っていることを、私たちに理解してほしいのだと、 いうことに、私は思い至ります。
1:04:10 それを続けていくことは・・・(聞き取れない)

K: ちょっと、お待ちください。 鐘の音のほうが、大きいです。
1:04:47 質問者: 今、声が聞こえますか。
1:04:51 K: あなたは、言語化せずに、あれらの鐘を、聞けますか。
1:04:59 ただ、響きを聞く。 それが、カトリック、プロテスタントの教会や、あれやこれである、 ということではなく、響きの美しさを、ただ聞きます。
1:06:21 よろしいです。
1:06:23 質問者: すみませんが、私は質問を忘れました。
1:06:35 K: あなたは、これまで・・・ あなたたちの幾人かは、たぶん、超越冥想と呼ばれるものを、 実践しています。 そうでないですか。 あなたたちの幾人かは?
1:06:52 すなわち、マントラの反復をとおして - それは響きです - 浮き上がって、何かの中へ流れ込む。
1:07:11 私たちは、この冥想の問い全体には、入らないでしょう。 おそらく、私たちは、明日の朝、そうするでしょう。
1:07:25 響きは、とてつもない重要性を、持っています。
1:07:32 結局のところ、音楽は、響きです。
1:07:39 何の解釈もなく、歪曲もなく、 きわめて明らかに、 何かが聞こえることは、 すばらしいことです。
1:07:55 他の一人が話すのが、聞こえて、何の解釈もなく、それを聞く。 そのとき、あなたは、その語り手と直接的に関係しています。
1:08:14 おそらく、あなたたちの幾人かは、今朝、 解釈せず、比較せず、聞きました - 彼は自己矛盾しているかとか、あれやこれだと、 言わずに、実際に聞く。 あなたと語り手との間に、何のイメージもなく、です。
1:08:40 そのときあなたは、ひたむきに聞くなら、 そのとき、聞いているし、そして、その聞く行為が、 問題すべてを解除することが、分かるでしょう。
1:08:57 さて、質問は何でしたか。 はい?
1:09:04 質問者: 私はまったく、自分の質問をしませんでした。
1:09:06 K: あなたはそれを忘れてしまったと、私は思いました。
1:09:08 質問者: いえ。それはただ・・・私はそれを忘れませんでした。 私が問いたかった質問は、こうでした - 私は、今日ここに座って、お話を聞いていて、 あなたが、言うならば、こう強調なさっているとの感じを、受けました - あなたが、仰るべきことを、私たちに分かってほしい、 あなたは、自らが伝達しようと試みていることが、何であるかを、 私たちに理解してほしい。
1:09:29 あなたと、おそらく私の内側に、何かが、あります - このメッセージを伝えたいと願う何かが、です。
1:09:37 あなたは、動機づけを持っています。 あなたは、霊感を持っています。 あなたは、自分の内側に、衝動を持っています - あなたをして、今日ここに来たいと思わせるもの、 あなたをして、ここに座り、私たちに語りたいと思わせるもの、 あなたをして、私たちと意思疎通したいと思わせるものが、です。
1:09:50 その「私」への関係で、あなたは、どこに立っていますか。
1:09:57 K: あなたは、今朝、動機をもって来ます、と 質問者は言われます。
1:10:04 あなたは、自分が言っていることの何かを、私たちに理解してほしい。 で、それは、動機になる。
1:10:13 あなたは、自分の言いたいことを、強調している。 その動機と「私」との間の関係は、何ですか - そして、私の中の「私」と、では、と。 いいですね。
1:10:31 まず第一に、私たちがいう意思疎通とは、どういう意味ですか。
1:10:39 「疎通する」とは、分かち合う、 ともに考える、 ともに創造する、 同じ瞬間に、同じ強烈さをもって、 同じ水準にいる、という意味です。 さもないと、あなたは、言われつつあることを、理解できません。
1:11:10 それが、「疎通」という言葉が、意味していることです。 あなたは、辞書でそれを探すなら、見つけるでしょう。 さて、問いは、こうです - 「今朝、あなたをここに来させる動機と、 あなたが来る中で、持っているにちがいない「私」の間で、 関係、または疎通は、何ですか。
1:11:44 それが質問ですか。
1:11:46 質問者: ええ、それは正確です。

K: それが質問です。
1:11:52 K: さて、なぜ私は今朝、来ましたか。
1:11:58 動機は何ですか。 まず第一に、動機がありますか。
1:12:07 動機、「動機」という言葉は、動く、という意味です。 何が、私をして、ここに来るように、動かしましたか。
1:12:23 さて、今朝、もし私が、ここに・・・ 語り手は、ここに来ましたが、 もしも、高揚感を得るため、 あなたたちへ話をすることから、一定の形のエネルギーを集めるためだったなら、 すなわち、自分自身のために、あなたたちを利用するためだったなら - これらに付いてきておられますか - そのとき、それは、特定の種類の動機になります。
1:12:58 すなわち、あなたたちへ講話をする中で、語り手は、満足を得る。 そのとき、それは、動機であるにちがいありませんが、
1:13:10 語り手は、話すことから、強さや興奮やエネルギーを集める 欲望や意図を、何も持っていないなら、 そのとき、そこには何も動機がない。そうでしょう。
1:13:28 これらに、付いてきておられますか。 私は、あなたたちを利用するために、来ませんでした。 語り手は、人々へ話をする中で、自分自身のために、 一定種類のスリルを招来するために、ここにいません - そうなら、利用になるでしょう。
1:13:50 いいですか? で、彼が来たのは、その種類の動機のためではありません。
1:14:00 すると、彼はなぜ、来ましたか。 そして、誰が、この質問をしていますか。 あなたは、そこに座っていて、 「なぜあなたは来ましたか」と言っています - 「これらの手間暇を掛けて、私たちに講話する理由は、何ですか。
1:14:23 その意味は、何ですか」と。 あなたは、もしも、美しい花が見えたなら、その質問をするのでしょうか。
1:14:36 あなたは、「なぜあなたは存在しますか」と、言うのでしょうか - 「あなたの動機は、何ですか。 「なぜあなたは、そんなに美しいのですか。 あなたは、何と麗しい香りを持っているのですか」と。 あなたは、その質問をするのでしょうか。 しないでしょう。 あなたはただ、見るでしょう。 あなたは、「何と美しいのか。 何と麗しいのか」と、言います。 そのとき、あなたが見つめるものは、あなた自身の美しさです。
1:15:10 それで、すべてです。 あなたは、答えを理解されましたか。
1:15:15 質問者: はい。
1:15:18 質問者: あなたが樹を観察するときの感じの幾らかを、 私たちと、分かち合っていただけるでしょうか -
1:15:27 K: あなたが樹を観察するときの感じの幾らかを、 私たちと、分かち合ってもらえるでしょうか - あなたが、山を観察するとき、 鳥の動きや、水面の光や、 微笑みを浮かべた本当に美しい顔を、 観察するときの感情の幾らかを、です。 あなたの感情とは、何ですか。
1:15:54 それを、私たちと分かち合ってくださいと、そのお方は、お訊きになる。
1:16:04 私は本当に知りませんが、私たちはやってみましょう。
1:16:14 まず第一に、あなたは、樹を観察するとき、 自分自身を、樹と同一視していません。
1:16:31 何かとの同一視は、分離のもう一つの現象です。いいですか?
1:16:41 私は、自分自身をあなたと同一視します。 なぜなら、私は、あなたより分離しているからです。
1:16:50 私は、自分自身を神と同一視します - または、観念と、または、何かの美しさと、です。 私は美しくないから、自分自身をそれと同一視します。
1:17:02 さて、私が、樹を見つめるとき、 語り手が、樹を見つめるとき、 樹との同一視は、ありません。 彼は、樹になりません。 ありがたい!
1:17:13 いいですか? もしも彼が樹になったなら、それは不条理でしょう。ちがいますか?
1:17:22 で、同一視が、ありません。 そのとき、あなたが、非言語的に観察するとき、 何が起きますか。
1:17:33 すなわち、「非言語的に」とは、イメージなしで、という意味合いです。 いいですか? 私はこれに、とても深く入ろうとしています。 あなたは、これに向き合おうとしています- 今すぐ、あなた自身が、です。
1:17:48 観察者と観察されるものとの間に、何が起きますか。
1:17:58 観察者がイメージに満ちているなら、 そのとき、観察されるものは、 観察者と何の関係をも持ちません。ですね?
1:18:12 それは、錯綜しつつあります。
1:18:19 思考者としての観察者が、あるのなら、 観察者と観察されるものとの間に、分割がある。
1:18:30 それは、明らかでしょう。 よろしいですか。 さて、あなたは、観察者なく、樹を観察できますか。
1:18:43 観察者は、イメージ、 知識、言語的な声明です - 「あれは、オーク(の樹)だ」と。
1:18:53 すなわち、あなたは、何のイメージもなく、樹を観察できますか。
1:19:02 そのとき、何が起きますか。
1:19:10 あなたが前に見たことがない樹の知覚が、あるのです。
1:19:20 意思疎通が、あります - 樹と分かち合うことが、です。 樹の美しさ、樹の姿、 木の葉、特定の葉への日の光。 よろしいですか。 あなたは、分割なく、その総体が、見えます。 それは、薬物を摂るのとは、全然違った感情です - それは、あなたと樹との間の分離を、破壊します。
1:19:47 私たちは、それに入らないでしょう。 さて、少し先へ動きましょう。 あなたが、自分の友だち、妻や夫や、 自分の彼氏、彼女を、観察するとき、 あなたは、どのように観察しますか。
1:20:04 イメージをもって観察しませんか。 あなたが、彼女や彼について、築いてきたイメージをもって、です。そうしませんか。
1:20:22 明白です。 そのとき、何が起きますか。
1:20:28 そのとき、あなたと、あなたが観察している人物との間に、 分離があります。
1:20:37 で、あなたは、その人物をまったく見ません。 あなたは、自分がその人物について持っているイメージをとおして、 その人物を見ているだけです。
1:20:48 あなたは、この現象に、注目したことがないですか - 夫と妻の間、 しばらくの間、互いに知り合ってきた人々の間で、です。
1:20:59 あなたは、 イメージをとおして、その人物を見つめています - 二十年か、五年か、一日でさえ、その期間に、 あなたが築いてきたイメージをとおして、です。
1:21:10 で、あなたは、その人物と、けっして意思疎通していません。 で、何のイメージも形成されていないときだけ、
1:21:24 あなたは、他の一人と関係したり、疎通したりできます。
1:21:32 そうね、これは、全く難儀な課題です - 特に、あなたが、来る日も来る日も、誰かとともに生きているとき、 その人物について、イメージを創り出さないことは、です。
1:21:48 あなたが、「私はあの人物を知っている」と言うとき、 それは、あなたが彼を知っているとか、 あなたが知ってきたとか、 十日前か、十年前に知っていた、という意味です。
1:22:03 あなたは、今あるとおりの彼を、知りません。ですね? で、イメージがあるところ、分割があるにちがいない。
1:22:15 イメージがあるところ、 あなたと他の一人との間に、何も疎通は、ありえません。
1:22:24 そういうわけで、私たちの互いとの関係は、腐りきっているのです。
1:22:31 そういうわけで、私たちは、永続的にけんかをしているわけです。
1:22:41 そういうわけで、あなたは、実在について、真理について、 神について、測量不可能なものについて、イメージを持っているなら、 あなたとそれとの間に、分割がある。
1:23:00 そうですね?
1:23:02 質問者: クリシュナムルティ・・・

K: ちょっとお待ちください。
1:23:06 質問者: 私は、あなたがご自身への言及において、 なぜ、「私」という言葉の使用を、忌避されるのかを、知りたいと思います。 私は、あなたを観察するとき、困惑しています。 例えば、あなたは、「私は」と仰るとき、ご自身を訂正されます。

K: 大事なことではありません。 それは、重要ではありません。
1:23:20 質問者: あなたは、ご自身を訂正して、「語り手は」と仰ります。
1:23:23 K: それは、確かに、重要ではありません。 よろしいですか。
1:23:28 質問者: クリシュナムルティ、 私は、生まれることに、選択が、ありませんでした。
1:23:35 私は・・・(聞き取れない)選択がありません。 私は、死ぬことに、選択がありません。
1:23:43 私は、存在を創り出しませんでした。 私は、・・・(聞き取れない)・・・選択がありません なぜ今、世界の問題は、私の問題なのですか。
1:23:56 K: 私は、生まれることに、選択がありません。 私は、死ぬことに、選択がありません。 私は、存在する問題すべてに、選択がありません。
1:24:08 なぜ私は、これらすべての問題の重荷を、負っていますか。 よろしいですか。 それが、問いなのでしょう。
1:24:19 質問者: 完全には、そうではない。 私は、世界で起きつつあることに、鈍感ではありませんが、 世界は、私が創り出したものではありません。
1:24:32 K: 世界は、私が創り出したものではない。 私は、世界に鈍感ではない。
1:24:38 質問者: (聞き取れない)

K: 問いは、何ですか。
1:24:51 質問者: なぜ、そもそも存在ですか。

K: ああ!
1:24:58 K: なぜ私は、そもそも存在しますか。 事実は、あなたが存在している、ということです。 なぜあなたが存在するのかより、 あなたの存在を理解することのほうが、はるかに重要です。
1:25:16 私は存在する。あなたは存在する。 世界は、存在する。
1:25:23 世界は、私です。 私は、世界です。 あなたはひとたび、これを理解するなら - 言語的に、ではなく、実際にそれを感じ、 それを知り、それを理解する - あなたは世界である、と。 なぜなら、あなたが、世界を創り出してきたからです - あなたの貪欲をとおし、あなたの野心をとおし、 あなたの競争をとおし、あなたの妬みをとおし、 あなたの暴力をとおし、あなたの充足したいとの欲望、その他すべてをとおして、 あなたが、この世界を作ってきました。
1:26:00 あなたが、あなたの父母が、あなたの祖父母が、文化が、です。 あなたが、この世界を作ってきました。
1:26:08 もし、あなたが、「私はそれに責任はない。 私の祖母が責任がある」と言うなら、 それは、何の意味もありません。
1:26:18 私たちは、それに責任があります。 ゆえに、責任があるので、私たちが、それを解消しなくてはなりません。 私たちが、それについて、何かをしなくてはいけません - ただ「私たちは世界である」と言うだけで、ただ座り込んでいるだけではなくて、です。
1:26:33 で、世界が何であるかを見ることは、 私たち自身を見ることです。
1:26:43 私たち自身を理解する中で、 私たちは、一人の人間の問題だけではなく、 世界の問題を、解消するでしょう。
1:26:54 質問者: (聞き取れない)

K: 理解できますよ。
1:27:10 私は、あなたから聞きたいのです。 そういうわけで、私は今朝、来たのです。 ですが、私の精神は、長い期間、維持できません - その間ずっと、私は聞けますが、それは、さまよってしまいます。
1:27:22 私は、何をすべきでしょうか。 そういうことですか。 何もしないでください。 いえ、どうぞ、聞いてください。 あなたの精神が、さまよっていくなら、さまよわせてください。 それは、あなたは本当は、聞くことへ興味がない、という意味です。
1:27:44 ですが、あなたが、「まあ、私は聞きたいけれども、 それはさまよってしまう」と言うなら、あなたは葛藤を、創り出します。 理解されますか。 それを、さまよわせてください。 樹を見つめてください。 あなたが、樹を見るとき、それを見てください。
1:28:03 あなたの存在すべてでもって、それを、見てください。 あなたは、維持できません・・・ あなたの存在すべてでもって、三十分間、樹を見つめる - それで、あなたの精神は、さまよってしまいます。 分かりませんが・・・テニスについて、考えてください。
1:28:20 そのとき、それについて、考えてください。 「私は考えてはならない。私は聞かなければならない」と、言わないでください。 それで、あなたは聞きたいとき、できる長くだけ、聞いてください - 完全に、十分に、です。
1:28:40 思考が、他の何かへ逸れるとき、それをもまた、見守ってください - それで、いかなる葛藤もないように、です。
1:28:52 創造的な精神であるのは、 完全に、葛藤なしである精神だけです。 それで、十分です。