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OJ77D4 - 知能と智恵 home
公開討論会 第4回
カリフォルニア、オーハイ
1977年4月14日


0:40 K: 今朝、私たちはともに、何に ついて、話し合いましょうか。
0:43 質問者: 自分が、知覚と理解への 扉を、開くのですか。 または、それは、 それ自体で、開くのですか。
0:53 K: 自分が、知覚と理解への 扉を、開くのですか。 または、それは、 それ自体で、開くのですか。
1:08 質問者: 私たちは、本当に教師と いったものが、あるのか、または、 むしろ単純に、学生が学ぶところの環境が、 あるのかを、考慮できるでしょうか。
1:25 K: 学生たちにとって、教師と いったものが、ありますか。 または、彼らが学ぶのを助ける だろう環境が、ないのでしょうか。
1:44 質問者: あなたは、火曜日に こう仰いました - 悲しみと苦しみや痛みに 向き合う中で、熱情が来る、と。 私は、思い惑っていました - あなたは、それについて議論し、 関連や、関連の不足について、議論して もらえるでしょうか - 聞こえていますか。
2:00 K: あまり聞こえません。
2:02 質問者: あなたは火曜日に、仰いました - 悲しみや苦しみや痛みに向き合う中で、 熱情が、来る、と。 私は思い惑っていました - あなたは、それについて議論し、 その観念や事実の関連や 関連の不足について、 議論していただけるでしょうか。 そして、退屈、否定性、 罪悪、自己軽蔑、心配、 批判と、乏しいエネルギーについて、 そしてまた・・・
2:31 K: 一つの問いに、あまりに多すぎる 問いではなく・・・私はほぼ・・・
2:35 質問者: あなたはまた、おそらく精神の 過剰活動が、否定的でも、肯定的でも、 どう止められるのかどうかについても、 議論していただけるでしょうか。 自己探究は、まず第一に、 一番良く始められますか・ ・・ それ自体を問うのか、または、 それが大事なのかどうか、です。
3:02 質問者: なぜ自分は、絶望へ、 逆戻りしつづけるのですか。
3:08 K: 初めに、彼の問いは、こう でした - 熱情とは何ですか。 それは、嘆きと痛みの 中から、出てきますか。 そして、他の問いの残りは、 私は分かりませんでした。 で、あなたが気にされないなら、 一つの問いで、十分でしょう。 そしてまた、他の問いは、こうです。 この御方は、訊ねます - なぜ自分は、しょっちゅう絶望へ 填まり込んでしまいますか。
3:48 質問者: 智恵とは 何ですか。 何により、智恵は、教育者の中と 学生の中に、目覚めさせられますか - 特に、智恵が 結果でないなら、です。
4:02 K: 智恵とは、何ですか。 もし智恵が、結果でないなら、 その智恵は、どうして学生に、 伝達されるか、伝えられるのですか。
4:18 質問者: または、それはどうして、教育者 自身に目覚められるのか、さえも、です。
4:22 K: または、その智恵は、どうして 教育者自身に、目覚められますか。
4:30 質問者: 私たちはさらに、欲望と愛の 間の関係について、議論できますか。
4:39 K: 欲望と愛の間の 違いは、何ですか。
4:45 質問者: 関係です。
4:48 質問者: 私たちは、規律について 議論できるでしょうか。
4:53 K: 規律。あなたは、規律について 議論できるでしょうか。
5:01 質問者: 他の者たちの 苦しみに対する、私たちの関係 - そして、人々と動物と、 どの生き物のも、です。
5:10 K: ええ。人間たちと動物たちなどの 苦しみの間の関係は、何ですか。 私は、それで十分だと 思います。そう思いませんか。
5:32 智恵とは、何ですか。それは 私たちの中に、目覚められますか。 それで、学生がそれを理解する よう、助けられますか。 そして、智恵は、何か 求めて奮闘されるものですか。 またはそれは、自然に来ますか。 それが、あなたたちの問いの一つです。 そして、熱情とは 何ですか。 それは、苦しみと痛みから 花開きますか。 なぜ自分は、しょっちゅう 絶望へ、填まり込みますか。 苦しむ人間たちと、 拷問され、苦しむ動物たちとの 間の関係は、何ですか。 さて、これらすべての 問いの中から、 私たちは、どれについて議論し、それを 取り上げるべきだと、お考えですか。 質問者: 熱情です。
6:42 質問者: そして、苦しみです。
6:45 質問者: 智恵です。
6:49 K: 私たちは、ともにじっくり 話し合うことから、始められますか
6:55 - 私たち自身の間、友だちの間で、 対話を行うことから、ですが、 智恵は何なのか、そして、 それは、どう生じてくるのか、 それは、 養成できるのか、 そして、その智恵は、学生に 目覚めさせられるのか。 おそらく私たちは、その問いに、 十分に入られるでしょうか。 他の問いは、そこに 含まれるのかもしれません。
7:47 知能とは、何ですか。 知能とは、何ですか。 推理し、知覚し、 理解する能力、 言葉や発言の意義を 捉える能力です。 それが一般的に、知能を 意味すると、理解されます。 客観的に、健全に 推理する、頭脳の能力 - それが 可能であるなら、です。 そして、意見と判断に 捕らわれないことです。 それが、知能の 一般的な意味です。 そして、知能の機能や 関係は、何ですか。 私たちのみんなが、それを持って います - 健康的に、不健康に、 正気にか、狂気にか、 推理するその能力です。 知能の、思考への 関係は、何ですか。 9:20 どうぞ、私が一歩一歩、 行っても、構いませんね。 私たちは、そのように 進んでもいいですか。 正気にか、狂気にか、 推理する能力の関係、 思考への関係は、 何ですか。 知能は - 私たちが与えてきた 意味すべて、です - 思考より、異なっていますか。 理解されますか。 思考は、記憶、経験、知識の 動き全体ではないですか。 それの動き全体が、 思考です。 思考は、正確に、理性的に 推理できますか。 ゆえに、知能は、 その思考の一部ですか。 私たちは、互いに出会って いますか。 
10:43 質問者: はい。
10:45 K: はい? 私たちは 進んでいいですか。 どうぞ、私だけで進んで いくのは、何にもなりません - 私たちのどちらも、 それについて議論し、 私たちが話していることを、 理解するのでなければ、です。 私たちは、思考と知能との 間に、そもそも、 違いがあるのかどうかを、 確立しようとしています - そして、知能は、思考の 産物であるのかを、です。 それは、思考の 産物であるなら、 そのとき思考は、正確に、的確に、 正気に推理できますか。 私たちは初めに、それを 確立しなければなりません。 そのとき、私たちは そこより、進行できます - 智恵が何であるかを 理解する中で、です。
11:39 思考は、条件づけられているので、 思考は、断片的であるので、 思考は、時の動きと 度量の動きであるので、 その思考は、 過去であり、 過去の産物や応答ですが、 それはいったい、 現在の動きに、出会って、 それはいったい、理性的で、 正気で、健康的でありえます。 どうなのかな・ ・・これに 付いてきておられますか。 なぜなら、私たちは、思考へこうも 重要性を、与えてきたからです。 ですね? 私たちは、こうもとてつもない 価値を、思考の構造物すべて、 思考の動きすべてに、 与えてきました - それは、神々、儀式、 救い主を、作ってきました。 教会、寺院、神殿、 モスクを、築いてきました。 思考の動き全体が、 知識に、基づいています。 すなわち、 過去に、ですね。 13:19 私たちは、そこから 進めますか。 どうぞ、それは 対話です。 私たちは、何をも 主張していません。 私たちはともに、究明し、 互いに通知し合っています - 考えることの 本性を、です。 で、私たちは、こう言います - 思考は・・・何ですか。
13:51 質問者: あなたは、自分のすることの多くを 思考として、特徴づけるのでしょうか。
13:59 K: あなたは、語り手がしている ことを、思考の動きとして、 特徴づけるのでしょうか。 何とまあ! 私たちは少し後で、それに来られますか。 私はそれを、回避しようとしていません。 私は、ずるく動いて、そこから 離れようとしていません。 私は、それに答えるでしょうが、初めに このことを、理解してください。 なぜなら、私はあなたに、いかに 語り手が機能するかを、語るなら - これらを理解することなく、です - あなたは、こう言うだろうからです - 「あなたは、何について話して いますか。 あなたは狂っている」と。 で、理解することが 重要であると、私は思います - 私が、あの問いに 答えられる前に、です - 考えることが、何であるのかと、思考が 創り出してきた物事が、何であるのか、 そして、思考は、きわめて 制限されているのですが - 科学者たちは、 今、受け入れています。 私は、ボーム博士と他の人たちから、 聞かされました。 科学者たちさえも、 思考のまさに制限を受け入れつつ あることを、です。 15:25 で、私たちは、思考は 断片であると、言っています。 ですね? それが何を創り出しても、 それが何を考えても、 それはやはり、断片化の 分野に、あります。 ですね? で、思考は、けっして 全体を、知覚できません。 なぜなら、思考は、 方向的であるからです。 思考は、動機をもって 動きます。 思考は、思い出でもって、 機能します。 で、それは、間違いなく すべての境遇のもとで、 テクノロジー的でも、 科学的でも、人間的でも、 宗教的でも、迷信的でも、 幻影でも、それは断片的です。 私たちは、この事実が 見えますか。 私があなたに、事実を語るし、 あなたがそれを見る、ではない。 あなたはこれが、事実として あなた自身で、見えますか。
17:00 質問者: 正気と狂気は、あなたが仰って いることに、どこで填まってきますか。
17:18 質問者: 私たちは、知能は理性、論理、 正気であると、言うことから、始めます - 知能の、思考への関係は、 何であるのか、と。 そのとき、私たちは、思考は 断片化であると、言います。 そのとき、そのお方が、訊ねます - 正気はこの絵に、どう填まりますか、と。
17:31 K: 填まりません。 自分は、 推理できます - 表現の道具として 思考を、使って、です。 自分は、推理できて、その推理が きわめて正気だと、考えられますが、 その知能が 神経症的であるなら、 それが何をしようと、 それは、やはり神経症的です。 で、それはけっして、正気では ありえません。 ですね? これに同意されるのか、それを ご覧になるのか、私は知りません。 正気は・ ・・戻りましょう。 「全体的」(ホール)という 言葉は、健康(ヘルス)、 精神の正気を、含意しています - そして、聖なる(ホーリー)もの、 神聖なものを知覚することを、です。 その言葉は、そのすべてに、 及んでいます - 健康、正気と、聖なること、 ホーリーです。 で、思考は、全体を 知覚できますか。 知能は、全体を知覚できますか。 理解されますか・・・ それは、断片的であるから、 けっして、全体を知覚できません。
19:28 質問者: これは、論理と理性が、機械的 であることを、含意するのでしょうか。
19:32 K: やあ! つまり、はい。私は、 アメリカ人に、なりつつあります。 彼が訊ねたことを、理解しましたね? すなわち、思考は機械的ですか。 さて、どうぞ、あなたは、その問いに どう答えるのでしょうか。 私は、はいと、言いました - または、やあ、と。 さて、あなたは、その問いに、 どう答えるのでしょうか。
20:16 質問者: 思考や考えるのは別として、 精神の他の機能は、何ですか。
20:22 K: 初めに、 お待ちください。 あなたは、その問いにどう 答えるでしょうか - 精神は、 頭脳、思考は、 機械的ですか。
20:33 質問者: 機械的とは、 反復を意味しています。
20:35 K: 機械的とは - それは、 幾つも意味を、持っています。 反復 - それを進めつづける 動機が、あるにちがいありません。 それを進めつづける エネルギーが、です。 で、知能、思考は、 機械的ですか。 あなた自身がこれに注目なさったのか どうか、私は知りません - 私たちは習慣の中に生きる、私たちは 習慣の生き物であることに、です。 性的な、栄養的なのや、信念、観念や 理想、結論に傾倒したのです。 そして、いつの時も、その分野に 生きることは、機械的です - 反復し、信じていて、 古代や現代の伝統に 捕らわれています。 で、私たちの存在の過程全体は、 今あるように、機械的です。 よろしいですか?
22:10 質問者: 思考が機械的であろうことは 明白であると、思いますが、 知能が機械的であることについて 私は、さほど確かでありません。
22:20 K: そのお方は、こう仰います - 私が それを正しく理解したなら、ですが - 彼は、知能もまた 機械的ですか、と仰います。
22:30 質問者: 過去において、思考は、 機械的であるでしょう。 なぜなら、あなたは物事を、たびたび 思い起こしているからです・・・
22:35 K: 知能もまた、 断片的ではないですか。
22:40 質問者: もしそれが、真の 智恵であるなら、そうですか。
22:42 K: 私たちは、それへ来ようとしています。 ゆっくり、それへ来ようとしています。 一歩一歩、行ってください。 それで私たちが どちらも、的確に話して いるのを、理解するように、です。
22:55 質問者: 知覚として、思考の 使用なしの合理化としての 智恵について、話すと、 それが可能だとしてですが、私は あまり定かではありません。
23:11 K: 私は、よく 理解しておりません。
23:13 質問者: 彼は、智恵と知能を、 混同しています。 それらの間の区別を、 見ていません。
23:19 質問者: 私は、間を 区別しようとしています。
23:21 K: 私が正しく理解するなら、彼は、 知能は智恵であると、言います。
23:29 質問者: または、訊ねています。ええ。 K: 彼は、訊ねています。
23:30 どうぞ、私はあなたに言いました。私は、 思考は断片的であると、言いましたね? 知能は、断片的であるに ちがいありません。 知能は、理性、理解、 物事を掴む能力ですが、 その知能は、全体を 知覚できません。 なぜなら、それはやはり断片的であるから、 なぜなら、思考が、機能しているからです。 思考が機能しているとき、それが、 知能をとおして作動しても、 理解の手段として 知能を使っても、 思考は断片的なので、それが 知能を使って、何をし、 産出しようとも、知能は、 やはり断片的です。
24:34 質問者: それなら、正しい道理について 語るとかは、何を意味するんでしょうか。
24:40 K: 私は、それに来ようと しております。
24:43 質問者: 知能と思考の間の 違いは、何ですか。
24:51 K: 知能と思考の間、ね。 知能と思考の間の 違いは、何ですか。 そうね、私が、すべての 問いに、答えていますよ。 なぜあなたが、それに 答えませんか。
25:06 質問者: 知能は、思考の応答です - 私たちがそれを知っているように。
25:14 K: 知能は思考の応答であると、 ご婦人は仰います。
25:23 質問者: 思考に 奉仕して、です。
25:29 K: 思考に奉仕して。 知能は思考に奉仕する、と ご婦人は仰います。
25:40 質問者: でも、それは、自分が取得 してきた蓄積された知識すべてを、 使います。 自分が生きる過程の 中で取得してきた合理化を、 思考に答えるために、 でしょう?
25:57 K: すみませんが、 聞こえません。 いえ、どうぞ、 ただ進んで・ ・・ もしも私たちがともに、一度これを理解した なら、それは、きわめて単純になります。 私たちは、思考は、すべての境遇の 下で断片的である、と言いました。 なぜなら、思考は 制限されているからです。 なぜなら、思考は、記憶の応答であり、 制限されているからです。 あなたは、あらゆる物事について、もの すごい知識を、取得するかもしれません - 世界について、 存在するすべてについて、です。 その学びは、結果的に、 知識になります。 その知識は、けっして完全ではない。 けっして全体的ではない。 ゆえに、その知識から、 応答が思考です。 その思考は、制限されて いて、断片的です。 それが、 第一の原理です。 それが明らかであるなら、思考は 知能をとおして、作動します。
27:18 質問者: 知能をとおして。
27:20 質問者: あなたが仰る、知能を「とおして」 という意味を、私は理解できません。
27:23 K: 思考は、 知能の一部です。
27:27 質問者: 知能は、考える 構造的な能力です。
27:30 K: はい、マダム。私はちょうど、 一流の辞書を、見たところです。 そこには、知能は、 推理する能力、 明瞭に考え、理解し、掴む 能力であると、言われています。 で、思考が、作動中です。 あなたが推理するとき、 思考が、作動中です。
28:01 質問者: では、そのとき、知能は 思考の道具であると言う代わりに、 私たちは、思考は、知能の 道具であると、言うでしょうね。
28:07 K: 思考は - そうね、私たちは本当は、 二つを、分離すべきではありません。 それが、私が目指そうと していることです。
28:16 質問者: 知能は、映画のスクリーンに 似ていると、言えるのでしょうか - そして思考は、それに対して データを投影する - 断片的です - そして、それらが 一緒に働く、と。
28:25 K: ご自身の知能を 使ってください。 ご自身の知能を、使ってください - それは、精神の一部です。 すなわち、私たちは 英語で、話しています。 あなたと語り手は、 英語を、理解します。 で、理解、 言語的な理解は、 知能の一部です - すなわち、思考の、です。 あなたは、英語で 聞こえるものを、翻訳します。 それが、理解になります。 言われつつあることの 言語的な理解に、です。 で、思考が、知能です。 で、知能は、けっして・ ・・ 全体を、知覚できません。 知能は、自分は できると、考えます。 思考は、自分が全体を 見られると、考えます。 ちょっと お待ちください、マダム。 いいですか? ですが、私たちは、 思考は、断片的であり、 けっして全体を 見られないと、言っています。 よろしいですか。
29:48 質問者: 私は、あまり 明らかではありません。
29:52 K: あなたは、あまり 明らかではありません。
29:54 質問者: 知能は、概念、言葉と イメージの操作以外の何ですか。
30:00 K: そのとおりです。 そのとおりです。
30:02 質問者: それが、そのすべてですか。 K: それが、そのすべてです。
30:04 概念 - 概念の操作、 信念、理想、反応、想像、 そのすべてが、 知能の機能です。
30:21 質問者: 論理については どうですか。
30:26 K: 論理は、その一部です。 質問者: 論理は、操作です。
30:28 K: もちろんです。 論理は、思考の操作です。
30:30 これが明らかであるなら - 私がそう言うからではない。 なぜなら、私は、あなたの 権威ではないからです。 私は、何の権威をも 持っていません。
30:51 質問者: あなたは、思考は、知能の一部で あると、仰いました - 或る時点で、です。
30:58 K: ええ。思考は、 知能のあの部分です。
31:00 質問者: でも、それから、あなたは、 思考は知能であると、仰いました。
31:03 K: はい。 思考は、知能です。
31:04 質問者: もし思考が、知能の部分 であるなら、それは・・・
31:08 K: いいですよ。私たちは、 それを変更しましょう。 私は「部分」を 取り下げます。 私は、言います - 思考は、知能の本質である、と。
31:20 質問者: 何も違いが、ありません。 それらは、同じ一つのものですか。
31:22 K: 何もない。あなたは、それを 自分自身に、観察します。 私はあなたに言います - 「美しい日ですね」と。 あなたは、言葉を聞きます。 言葉は、一定の応答を伝えます。 あなたの記憶の中に、ですが、 それが、思考になります。 そして、あなたは、「ええ、 うるわしい一日です」と、言います。 それは、思考が作動している、伝えて いる、その他すべてだ、という意味です。 で、思考は、 知能の動きです。 思考は、すべての境遇の下で、 制限されている - それが、テクノロジー的でも、 切望しているのでも、 神がいると想像しているか、イエスが いるとか、あれやこれやを 想像しているのでも、それは 本質的に、制限されています。
32:18 質問者: 思考と精神の間の 関係については、どうですか。
32:27 K: 私にとって精神(マインド)は・・・ 私は、間違っているかもしれません。 どうぞ、それを問い、 それに入ってください - 精神(マインド)は、 知能、思考、感情、 神経の応答、反応、 人間の思考の構造全体、 内容全体です - それが意識です。 精神(マインド)です。 その中で、苦しみ、 痛み、心配、恐れ、 楽しみの追求、 死の恐れ・ ・・ それの全体が、意識です。 それが、精神です。
33:14 質問者: そのとき、冥想の 機能は、何ですか - 意識への関係に おいて、です。
33:24 K: 私は来ようとしています。冥想 - 冥想の機能は、何ですか。 意識への関係において、です。 冥想の機能は、 何ですか - 冥想への関係において・・・ すみません。意識への、です。
33:55 質問者: 大きな飛躍が あるようです。
33:57 K: 冥想は、意識の内容を 空っぽにする過程です。 意識の内容を、 空っぽにする。 すなわち、内容が、 意識を作ります。 空っぽが、あるなら - すべての 内容を空っぽにすることが、です - 私たちが知っているような 意識は、存在していません。 それは、全然 違った次元です。 今、私たちは、それについて 議論しないでしょう。 なぜなら、それは、ものすごく 複雑な問いであるからです。 私たちはおそらく、それに 土曜日か日曜日に、入るでしょう。
34:45 質問者: 意識の内容が、 思考ではないですか。
34:49 K: はい。意識の内容は、 思考がそこに置いてきた 物事すべてです。 どうぞ、許してください。 私たちは それに入らないでしょう。 なぜなら、それは、 違った・ ・・ 私たちは、別の機会に それをできます。
35:07 質問者: 精神は、それを 悟るとき、止まりませんか。
35:11 K: 私たちはまだ、 そこに来ておりません。
35:15 質問者: 私たちはそれを、この ように、訊ねられるでしょうか - もし意識が、ただ、 概念、イメージ、象徴、 記憶、経験の操作 だけであるなら、 それはいったい、それ自身で 何かを見ますか。 K: いいえ。
35:26 質問者: いいです。
35:29 K: で、見てみましょう。 私たちは今、出発します。
35:32 もし、みなさんがこれを、現実として見る なら - 私があなたに語るからではない - すなわち、思考は、根源的に 制限されているし、 何でも、それが意識の 区域の中ですることは、 やはり制限されている ことを、です。 それは、意識が天空ほど 広いと、想像できますが、 それはやはり、 思考の産物です。 それは、最も麗しいものを、想像できます が、それはやはり、思考の産物です。 それは、「神がいる」と言えますが、 それはやはり、思考の産物です。 それは、何でも言えます - 幻影の、事実のを、ですが、 それはやはり、意識の分野の 中にあります。ですね?
36:31 質問者: 思考は、何へ 制限されていますか。
36:38 K: いいえ。思考は、 それ自体が、制限されています。 それは、何かへ制限されて いません。 何とまあ! あなたは、一番目のことを ご覧になっておられません - すなわち、思考は、記憶の 応答であることを、です。 記憶として頭脳に蓄えられている。 それは、経験の結果と 知識の蓄積です。 で、 それは、制限されています。 神様! どうぞ、そこで止まって ください。それを進めましょう。
37:12 で、そのとき、 智恵とは、何ですか。 理解されますか。 思考が断片的であり、それで、知能も また断片的であるなら、ですが、 智恵は、この断片化の 一部ですか。 そうでないなら、断片化は、 全体へ、何の関係もありません。 すなわち、私が、「私は ヒンドゥーである」と言うとき、 それの主張は、記憶に、 基づいています - 条件づけ、 迷信などに、です。 で、思考の産物である 条件づけが、あるかぎり、 何でもそれがすることは、やはり制限 されて、断片的で、幻影のようです。 で、そのとき問いは、こうです - 智恵とは、何ですか。 このすべてが、智恵でないなら、 智恵とは、何ですか。 質問を 理解されますか。 私たちは互いに、どこかで出会って いますか。 
38:45 質問者: はい。
38:47 K: オーク・グローヴで、ではなく、 異なった水準で、ですか。
38:50 質問者: はい。
38:52 質問者: 智恵は、思考の 制限への認識でしょうか。
39:01 K: そうです。 そうです。
39:06 質問者: が、それはただ・・・ K: あなたはまだ、聞いておられません。
39:08 私たちは、自分の結論で、こうも占有 されています。私たちはほしがります・・・ 彼は、思考の制限を悟るのは、 智恵ではないか、と仰います。 私たちは、「はい」と 言いました。 で、私たちは、 智恵とは何かの問いに、 入ろうとしています - 辞書の意味とは別に、です。 なぜなら、辞書の意味は、 智恵(インテリジェンス)は、 行間を読む能力である、 と言うからです。 理解されますか。 (語源の)レジェレ - 私はそれに、入らないでしょう。 行間を読む。 それは、あなたが、 二つの思考の空間の間に 起きることを、観察しなければ ならないことを、意味しています。 私が、それを翻訳しています。 辞書には、そう言われていません。 40:11 それは、(語源の)レジェレという 言葉、「読む」から、来ています。 読む。 違った意味で、読む。 心理的に読む。 そして、 客観的に、「あるもの」を読む。 そのすべてが、その言葉「智恵」 (インテリジェンス)に、 含意されています - 辞書によれば、です。 私たちは、その言葉「智恵」を、 その意味では、使っていません。 なぜなら、そのすべては、思考を 含意するからです。 理解されますか。 よく気をつけて、 行間を読むことは、 思考をとおして言われていない ことに、透徹することです - ページに印刷されていない ことに、です。 あなたは、行間に何が あるかに透徹するには、 思考を行使しなければなりません。 お分かりになるのかどうか・・・
41:11 で、私たちは、言っています - 智恵とは何ですか。
41:26 質問者: 知能と思考の完全な 統合なのかもしれません。
41:30 K: 見出してください。 それに入ってください。 思考が制限されているなら、何でもそれが することは、条件づけをもたらします。 私が、「私は友愛を持たなければ ならない」と言うとき、 それは、 条件づけの一部です。 で、何でもそれがすることは、制限 されていて、ゆえに条件づけます。 さて、智恵は 思考の産物ですか。 質問者: いいえ。
42:08 K: 理性の産物ですか。
42:10 質問者: 智恵は、 思考の停止です。
42:14 K: それは、あなたにとって事実 ですか。または、観念だけですか。
42:26 そうね、そういうわけで、 私はしたくないんですが・・・ 思考が、そうでないなら、思考は 智恵を、もたらせますか。
42:42 質問者: いいえ。
42:44 K: または、智恵は、全的に 思考より、独立していますか。 そして、全的に独立しているなら、 智恵は、思考を使えますか。 逆に、ではありません。
43:07 K: どうぞ、ただ聞いてください。 許してください。 私は、辛抱できないのではないが、 どうぞ、ただ聞いてください。 すなわち、私たちは、思考は制限 されて、断片的であると、言いました。 それは、 時の動きです。 私たちは少し後で、それに入る でしょう - 時の問いに、です。 そうであるなら、私たちは、 訊ねています - 思考は・ ・・ 思考は、智恵を もたらしますか。 もたらすなら、その智恵は やはり、断片的です。 ですね?  ゆえに、それは、 智恵ではありえません。 待って、待って。 で、 智恵とは、何ですか。 もし私たちが、思考は智恵を もたらせない、と言うなら、 そのとき、智恵は、全的に 思考より独立しています。
44:15 で、あなたは、これを聞いていて、 これら二つの事実を掴んだか、 それに洞察を 持っていますか。 洞察 - すなわち、これの真理を見る。 すなわち、思考は制限されているし、 思考は、どの境遇の下でも 智恵をもたらせない、 智恵を養成できない、と。 どの境遇の下でも、です。 ゆえに、思考は、智恵に 関係していません。 私たちはこう言います - 智恵は、全体を見る能力である。 思考の動きの 全体を、です。 それを見る能力。 45:16 思考が制限されているのを 見る能力。 洞察を持つ - その洞察が、 智恵です。 どうかな、と・・・ よろしいですか。 さて、ちょっとお待ち ください。ちょっとお待ちください。 ゆえに、智恵は 分析できます。 思考は、 断片的であるから、 何でも、それが分析することは、 やはり、断片的であるでしょう。 ところが、 分析する智恵は、いつも、 全体の背景をもって、 分析しているでしょう。 これらをご覧になるのか どうかと、思われます。 いいですか? 質問者: 全体とは、何ですか。
46:08 K: 全体とは、何ですか。
46:09 質問者: そういったものが、 ありますか。
46:11 K: お訊きしてもいいなら、マダム、 あなたはなぜ、お訊きになりますか。
46:14 あなたは、なぜ その質問を、されますか。
46:24 質問者: どうすれば、全体の 背景から、作動できますか。 どうすれば、何の背景からでも、 作動できますか。
46:33 私たちは、思考は一定の区域で 必要であると、言いました - テクノロジーの区域、 通信、言語的な伝達の区域、 記憶が機能しなければ ならない区域で、です。 テクノロジー的、言語的です。 どう自転車に乗るのか、 車を運転するのか、 などなどなどです。 そこでは、記憶が 作動しなければなりません。 さもないと、あなたはどこかを 知らないでしょう・ ・・ よろしいですか。 それは、 かなり狂気になるでしょう。 さて、私たちは、こう言っています - その思考こそは、 知識に基づいており、 必要なのですが、 その思考が、「私は、人の構造全体を 理解できる」と言うのだ、と。 で、何でもそれが検査し、究明する ものは、やはり、断片的でしょう。 ですね? これをご覧になるのか どうかと、思われます。
47:43 質問者: それができる最善のことは、 公式化や結論を、思いつく、 ということではないですか - 人の構造全体や、全体について、です。 K: が、それは全体ではありません。
47:51 質問者: それは全体ではありません。
47:52 K: で、叙述は、 叙述されたものではない。
47:53 言葉は、そのものでは ないのです。ですね? 質問者: それができる最善のことは・・・
48:04 K: それが、それにできるすべてです。
48:05 質問者: ・・・叙述です。
48:06 K: 思考は、山が何であるかを 叙述できますが、 叙述は、実際のもの ではありません。 質問者: 言い換えると・・・
48:17 K: 待って。
48:19 「言い換えると」、ではない。 ただ事実を見てください。 いいですか。私たちは、そこから 動けますか。 
48:29 質問者: はい。
48:32 K: やれまあ。長い時間が、 掛かりますね。
48:43 で、智恵とは、何ですか。 智恵は、思考が制限されている との真理を、見る能力です。 その能力は、どうして 生じてきますか。 理解されますか。 それが、 あなたの問いでした。 それが、生じてくるのは、思考が ・ ・・待って。分かりました! 収める芸術があるとき、それは、 生じてこられるだけです - 思考を、その正しい所に 収めることが、あるとき、です。 何かを 分かりましたか。 すなわち、私は、話すために 思考が必要です - 私が、ではない。 私は今すぐ それに、入ろうとしています。 その問いに、です。 あなたは、どう・・・ あなたに、言語的に伝達するには、 私は、思考を使わなくてはいけません。 いいですか? なぜなら、言葉は、 頭脳に蓄えられてきたから、 50:04 その他すべて、です。 しかし、思考は、こう考えます - 「私はまた、全体をも知覚できる」と。 ふりをし、想像し、構想しますが、 それは、全体ではありません。 で、私たちは、全体の知覚が 智恵であると、言っています。 その知覚は、どう生じますか - それが、もたらす・ ・・ それが、智恵です。 ですね? これは明らかですか。
50:37 質問者: はい。
50:39 質問者: 私たちが考えぬいて、全体へ 出てゆけることに、私は同意しません。
50:49 質問者: 私たちが考えぬいて、 全体へ出てゆけることに、です。
50:53 K: 私は、言ってきて おります - 私は、 あなたが考えぬいて、全体へ出て ゆけると、けっして言いませんでした。 反対に、私はこう言いました - 思考は、けっして 全体の知覚へ、繋がらない だろう、と。それは、単純です。
51:06 質問者: でも、あなたは、智恵が そうするだろうと、仰いました。
51:11 K: でも、私は、 けっして・・・
51:14 質問者: でも、智恵の定義に ついては、問題が、あります。 このお方にとって、ですが、 それが問題です。
51:19 質問者: 思考が秩序だっているとき、 それは止まるし、智恵が作動できます。
51:26 K: いいえ、マダム。 ゆっくり行ってください。 ああ、あなたは、何をも 聞きもしませんね。 ほら、私は世界を、断片として見ます。 私は、断片化した世界を、見ます。ですね? 私のまわりの世界 - 私、あなた、我ら、彼ら、 ヒンドゥー教徒、仏教徒、キリスト教徒 - 断片化し、砕けてしまっています。 そのすべてが、思考の 作動です。 明白です。 私が、「私はヒンドゥーだ」と言う とき、それは、思考の作動です。 それで、いつでも思考が作動するとき、 それは断片化を、もたらせるだけです。 それは、 絶対的な事実です。 私は、それについて、戻らない でしょう - 反復し、反復する。 で、思考はけっして、進んで、 智恵へ辿り着けません。 で、この智恵は、どう 生じてきますか。
52:36 質問者: 思考の、思考として、 そして断片だけとしての認識が、 智恵の始まりですか。
52:45 K: 何ですか。
52:50 質問者: 思考の、思考として、 そして断片だけとしての認識が、 智恵を、もたらします。
52:57 K: 私はそう言いました。私たちは ちょうど今、そう言いました。 彼は、その質問をされました。 あのお方が、あの質問をされました。 私たちは、「やあ!」 と言いました。
53:12 さて、進みましょう。 思考は、秩序をそれ自体に もたらせません。 質問者: それは、自分がもたらせると、 考えます。 
53:24 K: 違いを見てください。
53:26 思考は、自分がそれ自体に 秩序をもたらせると、考えます。 しかし、思考は、制限されており、 その秩序は何であれ、制限されています。 私は論理を使っています - 単純です。 で、思考を、その正しい所に 収める能力が、智恵です。 すなわち、私は、知識、 経験を、必要とするのです - それは、私に知識を 与えてくれるでしょう。 ゆえに、記憶と思考、それら です。 それは、明らかです。 で、それを正しい所に 収めることが、智恵です。 で、その智恵は、思考が 自分はできないと・ ・・ 何でも自分がすることは、制限されて いると悟るときにのみ、生じてきます。 それが、自らの制限を 悟るとき、です。
54:33 質問者: 思考は、悟ります。
54:35 K: 思考 - ああ、 はい、思考が、です。 思考は、自分の制限を 悟られますか。 ですね? K: あなたは、訊ねていますね?
54:43 質問者: はい。
54:44 K: あなたは、 何と仰いますか。
54:45 いいえ、あなたは何と仰いますか。 これについて、考えてみてください。
54:51 質問者: それは やはり、思考です。 思考が、自分の制限を 悟るなら、 それはやはり、思考の一部です。
54:58 K: もちろんです。
55:00 質問者: また、 苦しみも、です。
55:02 K: いいえ。どうぞ、苦しみを 持ち込まないでください。やれまあ!
55:08 で、私たちは、こう言っています - 思考は、産出できない、 進んでいったり、智恵を 養成したりできない、と。 思考が見るとき、 智恵は、生じてきます - ここで私は気をつけなければ なりません。 
55:30 質問者: はい。
55:38 K: で、私は、当分の間、他の 何かへ、入っていいですか - 私が言っていることに、 全面的に関係して、です。 山を観察するには - あなたは 山を、どう観察しますか。 それらが、あります - もやの中に、 です。 それを見守ってください。 それを見守り、見つめてください。 初めに見つめてください。 あなたはあの山を、どう観察しますか - 「山」と呼ばれる、あのものを、です。 あなたは、それを どう見つめますか。 あなたの眼を別として、 あなたの視覚、神経を別として - 網膜など、神経などが、 山の形を、頭脳に伝える、 それらですが - あなたはそれを、 どう見つめますか。
56:30 質問者: 私たちは、イメージをもって 山を見つめます - すなわち、 「山」という言葉をもって、です。
56:42 K: はい。言葉が、映像を創り出します。 そして、映像が、それは山である ことを、表示します。ですね?
56:51 質問者: それは、 真実ではありません。
56:52 K: ああ、何と! 彼は、「それは 真実ではない」と仰います。 あなたが、彼と議論なさってください。
56:57 質問者: それは、真実です。
56:58 K: 進んで、それについて 議論してください。 それは真実であるとか、真実でない とか言わないでください。 彼と対話をしてください - 仲の良い対話を、です。
57:05 質問者: あなたはイメージを見ます。その ときあなたは、それが山だと、見ます。 初めにです。 が、あなたは、初めに、 何も言葉が関与せずに、山を見るなら、 あなたはそれを、今において見るだけ です - それは、一つの土地である、と。 あなたは、それが一つの土地である ことについて、考えさえしません。 あなたはただ、山を見ます。 過去に 関与したイメージが、ありません。 ただ現在においてのみ、 そして・・・(聞き取れない)
57:25 質問者: それは何ですか。 まあ、私があなたに、 それは何かを訊ねるなら、あなたは それに、名付けなくてはいけません。 が、それを見つめるだけなら - それが何であるかを訊ねなくて、 今において、それを 見つめるだけなら、あなたは、 それが何であるかや、それが何になろうと しているかについて、考えていません。 あなたは、見つめているものを 考えているだけです。 あなたは、見つめているものを 考えてさえいません。 あなたは、ただ 見ています。 何も思考が 関与していません。
57:56 質問者: 痛みと智恵の間の 関係は、何ですか。
58:01 K: 私たちは、それに 来てさえいません。
58:07 質問者: 私は、こう訊ねました - あなたが イメージなく、山を見つめられるなら・・・
58:12 K: あなたは、イメージなく、山を 見つめられると、そのお方は仰います。
58:16 質問者: はい、見られます。
58:17 K: もちろん、見られます。ただ 観察する - 映像なしに、です。
58:22 質問者: でも、 私の問いは・・・
58:23 K: ちょっと・・・それは、あなた たち二人が、決定したことです。 それは、どういう意味ですか。 言葉なしに観察する。ですね? 私たちが、山として構想してきた 映像なしに、です。 ですね? 山々があなたに目覚めさせる応答 なしに、です。 ただ観察する。 質問者: 観察者は、観察される ものです。 
58:52 K: ただ観察する。
58:55 その観察の中、あなたと、あなたが 観察するものが、あります。 で、あなたと、あなたが観察するもの との間に、距離があります。 ですね? そして、距離は時です。 そこへ行く、などですね? その距離は、分割を もたらします。 ですね?  さて、あなたは、見られ ますか - どうぞ、聞いてください - あなたは、自分の彼氏や、夫や 妻を、見つめられますか。 あなたは、名前なく、映像なく、 イメージなく、観察できますか - あなたと彼女や、彼女とあなたの間で 起きてきた動きすべてなしに、です。 すなわち、分割なしに、ですね? どうぞ、進んでください。 あなたは、距離なく 観察できますか。 質問者: 何なしに?
1:00:16 K: 距離、時、間隔、です。
1:00:18 それは容易い - 山を見つめて、 「はい」と言うことは。 ですが、あなたは、自分の妻や彼氏を、 または何をでも、見つめられますか - 言葉なく、イメージなく、です。 すなわち、あなたの格闘、痛み、 侮辱、口やかましいこと、 楽しみ、恐れ、支配、 執着すべての結果なしに、です。 そのすべてが、分割を もたらします。 ですね? 分割は、観察者が あるとき、起きます。 ですね?   彼は、過去です。 で、あなたは、そのすべてなく、 自分の妻や彼女を、観察できますか。 進んで、それを 見つめてください。
1:01:17 質問者: あなたは、そうする なら、観察は、ありません。
1:01:26 K: 反対です。 そのお方は、仰います - あなたが そうするなら、観察はない、と。 このすべてが、あなたが観察するのを、 阻止しています - 実際のことを、です。 ですね?  ですね? それを見守ってください。 私に問わないで、それを自分自身、 あなた自身に、見守ってください。 社長、会長になりたいとの私の野心は - 私のビジネスにおいて、とか、 それが何でも、ですが - 私を彼女 より、分離しつつあります。 ですね? なぜなら、私は、自分自身に 関心を持っているからです。 彼女は彼女自身に、 関心を持っています - 彼女の充足、彼女の 何やらかんやらに、です。 で、観察が、ありますか - どうぞ、これを聞いてください。 なぜなら、私は今すぐ、それを関係 させようとしているからです・ ・・ 言葉、イメージ、映像など なしに、観察が、ありますか。
1:02:43 質問者: はい、あります。
1:02:45 K: 「はい」や「いいえ」を 言わないで、見て、見出してください。 そのとき、何が起きますか - あなたと 彼女の間に、分割がないなら、です。 それは、思考、記憶、 思い出、結論の分割です。 あなたたちの間に、それがどれ一つ、 ないとき、何が起きますか。
1:03:16 質問者: 純粋な同一視です。
1:03:19 K: あなたは初めて、彼女や 彼を、観察しています。いいえ? で、同じように、思考の 動きを、観察してください。 思考の動きに、 気づいてください。 それで、この気づきが、思考を その正しい所に収めるように、です。 理解されますか。 この気づきは、選択なしです。 なぜなら、選択があるなら、 即時に思考が、あるからです。 この気づき - それに透徹してください。 ますます、その気づきの中で、です。 それは、注意に なりますね? 1:04:27 あなたがこれに、付いてきて おられるのかどうかと、思われます。 もちろん、来ておられません。 あなたは、けっして・・・ で、注意は、何を 意味していますか。 記憶、結論としての中心が、ない とき、 注意は、起きうるだけです - すなわち、すべて思考の 動きであるもの、なしに、です。 で、注意は、「私」としての中心が まったくないことを、含意しています。 「私」は、思考により 組み立てられています。 で、「私」がないとき、 注意は、智恵です。 私と戦ってください!
1:05:19 質問者: あの・・・
1:05:22 K: いえ、初めに、あなたは 何かを、理解されましたか。 どうぞ、ちょっと・ ・・ あなたが私を攻撃する前に、 私は、初めに、その質問を しなければなりません。 ちょっと待って。 ちょっとお待ちください。 あなたは、私に跳びかかる前に、私が 言ってきたことを、理解しましたか。 明らかであってください。 さもないと、あなたが言うことは、 私が言っていることに、何の 関係もないでしょう。 ですね? 私は言いました - 私は、気を つけて、反復するでしょう - 私は言いました - あなたは、 自分の妻や夫を観察する、と。 あなたが観察するとき、観察者は、 過去から作り上げられています。 過去は、彼女についての、 あなたの思考、あなたの記憶、 あなたの思い出、 それらです。 1:06:08 さて、あなたは、彼女を 見つめられますか - これらすべてのイメージ、映像と、 その他すべてなしに、です。 思考の動きへの大きな気づきが、 あるときだけ、それは可能です。 ですね?  あなたは、 自分の妻や、それが何でも、 思考の動きなく、 観察できますか。 思考の動きは、選択がある ときだけ、発生します。 私は、「はい。 彼女は私に良くして くれた」と言い、それに取りすがります。 または、取りすがって、「ああ、 彼女は、こうだった」等々と。 で、選択があるところ、 何も気づきは、ありません。 なぜなら、それはやはり、 思考の作動であるからです。 1:07:08 で、観察者なしに 観察することは、 彼女、私、あなたに 全的に気づくことです。 で、そのとき、その気づきの 中に、何も選択がないとき、 至高の注意が、あります。 「私」としての思考の動き - 私の映像すべてと、その他 すべてを、ともなったもの - が、 何もないとき、 注意は 起こりうるだけです。 それが、智恵です。
1:07:50 さて、あなたは、 私の発言を、理解しましたか。 あなたは、同意しないかも しれません。 あなたは、「それは何やらだ」と 言うかもしれません - 何でも、お好きなことを、ですが、初めに、 私が言うべきことを、理解してください。 質問者: その気づきは、どう生じますか。
1:08:05 K: どうかは、お示ししましょう。
1:08:07 私は、気をつけて、指摘して きました。山を見つめてください。 あなたは、山を見つめられますか - 映像なく、言葉なく、象徴なく、 それを見ることから、反応すべてが 生ずることなしに、です - 美しい、醜い、 「ああ、私はあれが好きでない。 私は 好きだ」と。よろしいですか。 で、あなたは、あれを観察できますか。 それは、相当に容易いが、 あなたは、自分の妻や、自分の 彼女や彼氏を、観察できますか - イメージ、名前、すべての蓄積した 楽しみ、などなどなしに、です。
1:08:47 質問者: 私たちは、短い空間の 間、そうできます。
1:08:49 K: あなたは、短い空間の 間、そうします。 あなたは、一時的に、 短い空間の間、そうできます。 そのとき、それは 戻ってきます。 で、何が起きますか。 進んで、ただ、 気をつけて、それを見守ってください。 あなた自身において、 それを、見守ってください。 一時的に、あなたは、この気づきを 持つかもしれません。 そのとき、他のものが、 溢れ出ます。 あの一時的なものは、 記憶になります。 ですね? 私はそれを、一秒間、 持っていた、と。 その思い出は、思考をして、 もっと多くを、要求させます。 その一時的な思い出を、 もっと多く、ほしがります または、一時的であった あの思い出を、です。 理解されますか。 お示ししましょう。
1:09:52 なぜ私は、みなさんのために、 働いているのですか。
1:09:59 質問者: 私たちは、一緒に働いています。 K: ああ、あなたは、そうしていません。
1:10:00 質問者: 私たちの中のどんな性質が、 掛かりますか - この気づきを使うには。
1:10:02 K: 私はそれをお示ししています。 マダム、「どんな性質が」ではない。
1:10:06 あなたは、言葉なしに、山を 観察できますか。ただ観察する。 それは、相当に容易い。 そうですね? あなたはできます。 あなたが、観察が何であるかを、見出す ことに、興味を持っているなら、 あなたは、 そうできます。 が、今、それを、あなたの妻に応用 してください。 あなたの夫や妻に、です。 あなたは、彼女や彼を、 見つめられますか。 名前なく、 思い出なく - よろしいですか - それらなしに、ですが、できますか。
1:10:45 質問者: 理解は、智恵の一部ですか、 知能の一部ですか。
1:10:51 K: 何ですか。
1:10:57 質問者: 理解とは、何ですか。 それは、知能ですか、智恵ですか。
1:11:00 K: 理解は、あなたの思考が作動中 でないときだけ、起こりえます - あなたが、静寂に、初めて 聞いているとき、です。 質問者: もし私が、山を見つめるなら・・・
1:11:13 K: ほら、彼は逸れています。
1:11:15 あなたは、語り手がちょうど今、その 問いへ言ったことが、聞こえましたか。 私の精神が、おしゃべりしている なら - あなたが、話をしていて、 私に何かを語っている間に、です - 私はあなたを理解できません。 ですね? なぜなら、私は、他の何かに ついて、考えているからです。 しかし、私は、他の何かに ついて考えるのを、止めて、 あなたが言うべきことを、聞くなら、 私はあなたを、理解します。
1:11:52 質問者: 私たちが、「私は考えるのを 止められるか」と言うとき、
1:11:57 私たちはどうやって、 考えるのを止めますか。 K: いいえ。 私はよく 気をつけて、申しました。 私は、「私は、考えるのを 止めるだろう」と言いました。 それは、すべて間違っています。 私はこう言いました - どうぞ。 あなたは、一歩一歩、付いてこられ ません。そういうわけで・・・
1:12:08 質問者: いえ。 私は分かります・・・
1:12:10 K: 私は、静かに聞いて ください、と申しました。 許してください - 私が、この お願いを、主張するなら、です。 私は、初めに山を見つめて ください、と言いました。 あなたは、言葉なく、 山を見つめられますか。 おそらく、観察、見ることの問いへ 入ってきた、あなたたちの 幾人かは、これを 理解するかもしれません。 そして私は、次のことは、 こうだ、と言いました - あなたは、親密な友、あなたの 妻や夫、彼氏や彼女を、 観察できますか。 観察する - どうぞ、聞いてください - 彼女を観察することは - または、彼を、ですが - 記憶、結論、彼女について 思考が築いてきたイメージ すべてが、休止中である ときだけ、可能です。 そのとき、あなたは、彼女を 見られます - ありのままに、です。 ですね?  私はこれを言ってきました。 きわめて明らかで、きわめて単純です。 あなたが思考の動きに、気づいている とき、それは来られるだけです。 それが、私が言ってきたすべてです。 気づく。はい?
1:13:19 質問者: あなたは、こう仰って いますか - 私が、他の誰かの妻を 見つめているときだけ、 智恵は、私の中に作動する、と。
1:13:26 K: 何ともはや! 私は、あなたの妻、 あなたの彼女、と言いました。 他の誰かの妻や、他の誰かの 男を、ではありません。 これは、あまりに 不条理です! あなたは、真剣であるのか - あなたは、真剣であるのか、 あるいは、これをピクニックに 変えつつあるのか、です。
1:14:00 質問者: 私は、しようと していますが・・・
1:14:01 K: どうぞ、あなたが、 面白いことを、ほしいのなら、 私は、出て行きます。 私は、興味がありません。
1:14:07 質問者: いいえ。ここには、 幾人か、真剣な人々が、います。
1:14:15 質問者: ここには、幾人か、真剣な 人々がいることを、保証いたします。 さて、あなたは、こう仰います - 思考のあの動きを観察するか、 気づくことにより、あなたは、 見つめられるし・・・
1:14:26 K: いいえ。あなたは聞いて・・・私が 言ってきたことを、聞いてください。 私は、こう言ってきました。 あなたは、 思考の動きに、気づいているなら - 思考の動きに、気づく。 それがどう機能するのか、 それがどう作動するのかに、 です。よろしいですか。
1:14:42 質問者: それは、思考を止めること ではありません。あなたが・・・
1:14:44 K: いいえ。私は、それを観察して ください、と言いました。
1:14:49 それは、それを止める、と いう意味ではありません。 質問者: それは、きれいに晴らされ なくてはいけないと、私は思います。 なぜなら、あなたが、 山を見つめるとき・・・
1:14:52 K: 私は、言います - どうぞ、 あなたはそれさえ・・・神様!
1:14:58 質問者: 仰ることは、理解しますが、 あなたが山を見つめるとき、 思考が入ってきて、 それは山である、と・・・
1:15:03 K: そのとき、あなたは、 山を見守っていません。
1:15:05 質問者: こう考えるかもしれません - まあ、私はそれが山であることについて 考えるのを止めて、山を 見つめなくてはいけない、と。 それを言うことにより、あなたは、 山を見つめるのから、離れます。
1:15:14 K: 今、山は放って おいてください。 私は、あそこに石炭や石油がないのが、 うれしいです。 山は放っておいてください。 あなたは、自分の妻や、自分の 彼女を、見つめられますか。 または、あなた自身を、です。 そのほうが、はるかに良い。 あなたは、あなた自身を 見守れますか - 自分が何を考えるのか、自分が何を 感じるのか、自分が何をほしいのか、 あなたの性的な楽しみが 何であるのか、セックス。 あなたは、自分自身を見つめられ ますか - 何も以前の結論なく、 「これは良い。 これは悪い」と 言うことなく、です - 「私は美しい。 私は醜い。私は、あなた ほど智恵がない。これだ。あれだ」と。 ただ、あなた自身を 見守る、見つめる。 まるで、あなたが、あなた自身を 鏡に、観察しているように、です。 1:16:11 なぜなら、鏡は 歪曲しないからです - 鏡が歪んでいるのでなければ、 鏡は、歪曲しません。 同じように、あなた自身を見つめて ください。 あなたはそれをできますか。 それは、こういう意味です - あなたは、 自分の思考の動きに、気づけますか。 何も歪曲なく、です。 歪曲が起きた瞬間、 思考が、作動中です。
1:16:45 で、私たちは、そこから 進行しました - 気づく。 そして、あなたが、気づいて いるなら、選択がありますか。 その選択は、観察を 歪曲します。 もしあなたが、「私の鼻は、まっすぐで なければならないな」と言うなら、 あなたは、鏡を 見つめていません。 で、選択があるところ、 気づきは、歪曲する要因です。 選択がないとき、 それは、こういう意味です - その気づきの中、あなたは、 思考の動きに、気づいている。 動きに、です。 それを 止めることではない。 その気づきは、思考に、 正しい所を、もたらします。 1:17:43 思考に、 正しい所を、です。 あなたが透徹するなら、 もっと深く透徹が、あるなら、 その気づきは、注意です。 その注意の中、あなたが、注意を してくるところの中心が、ありません。 中心があるなら、それは 思考の動きです。 あなたは、見られます - どうぞ、ただ聞いてください。 あなたが何かへ、注意 すべてを注ぐなら、 何も中心が、ありません。 ですね?
1:18:24 質問者: 何が、その注意を、現実化 しますか - あの至高の注意を、です - 中心が何もないなら、あなたが それに気づいていなくても、です。
1:18:35 K: いいえ。あなたは、歩み全体に 付いてきておられません! あなたは、全体像に、 付いてきておられません。 私たちが言ってきた こと全体に、です。 何も誘因は、ありません。 何も動機は、ありません。
1:18:50 質問者: ええ、私は それを悟ります。 私は、何がそれを発生するよう、現実化 させるのかを、訊ねているだけです。 あなたは、今、今において至高の 注意があると、仰っていますか。
1:19:00 K: あなたは、発言を 聞かれるのでしょうか - それを観念にすることなく、 それを歪曲することなく、 それを結論にする ことなく、です。 私は、発言をするでしょう。 私は、こう言います - 悲しみが終わることが、 智恵が始まることである、と。 それを聞いてください。 ただそれを 聞いてください - 結論を導くこと、 それを抽象化する ことなく、です。
1:20:01 で、私たちは、見ます・・・ 今、何時ですか。
1:20:04 質問者: 12時20分です。 K: 20分ね。そうね・・・
1:20:06 質問者: 彼がいう意味は、こうだった と、思います - あなたの頭の中で
1:20:09 批評を見つめているものは、何ですか - それらへ批評することなく、です。 彼は、あのものの名前は、何で あるかを、知りたいと思います - あなたの頭の中で、批評へ批評すること なく、批評を見つめているもの、です。
1:20:25 質問者: 思考を見て、思考の制限を 見るのは、何ですか。 それは、思考、 それ自体ですか。
1:20:32 K: それが、思考の一部であるなら、 それはやはり、制限されています。 あなたは、まだ、事態の 根を、捉えていません。
1:20:44 質問者: 私と、私が観察してきた ものとの間隔、空間ですが、 私が、自分はあれを知覚すると 信ずるとき、何が起きるのか。 または、私が、あれを 事実として知覚してきて、 そのとき、私の思考が、もう一度、引き 継ぎはじめます。その時点で、ですか。
1:21:26 質問者: 私は、彼の言葉が 聞こえたと、思います。
1:21:29 K: どうぞ・・・私は、 彼の言葉が聞こえました。
1:21:32 質問者: 単純に、思考が完全に静寂 であったと、私は信ずるのです。 それはもはや・ ・・ 思考は、作動中です。 それが、 私の行き詰まりです。
1:21:56 質問者: なぜ静寂は、継続しませんか - 彼は 訊ねていて知りたいのだと、私は思います。 彼は、それが持続的であって ほしいと、思います。
1:22:05 K: あなたは、こう訊ねておられ ますか - 智恵は、持続的ですか。 ですね? それで、一瞬間、 あなたは、智恵を持つ。 残りの一日、あなたは、 智恵を持たない。 で、あなたはこう言います - この智恵は 維持でき、幾日間も長持ちできますか。 それが、あなたが 訊ねておられることですか。 あなたが、その質問を してきた瞬間、 その問いは、智恵ある 問いではありません。 なぜなら、あなたは、「私はそれを 一日中、持たなければならない」 と言う思考を、導入しつつある からです。 
1:22:58 質問者: はい。
1:23:01 K: ああ、あなたは、これらの 美しさを、見ません!
1:23:06 質問者: 気づきが、思考に 透徹するとは、どういう意味ですか。
1:23:16 K: いいえ。私は、 そう言いませんでした。 私は、こう申しました - どうぞ、 聞いてくださるでしょうか - 私は、止めなければなりません。 なぜなら、みなさんは、 これを、一時間半、 維持できないからです。 あなたたちの頭脳は、 これに耐えないでしょう。 私は、こう言いました - あなたは、気づけますか。 あなたが、その樹に気づくように、 あなたが、自分が着ている服装の色、 隣に座っている人物と、 空、樹々に、気づくように、 あなたは、思考の動きに、 気づかれ、それを見守れますか。 そのとき、あなたは、「誰が 見守っているのか」と、言います。 思考が、それ自体を見守っている なら、それは、動きを止めます。 これを理解されますか。 
1:24:14 質問者: それは、きわめて明らかです。
1:24:17 K: 私が、私自身が怒っているのを、 見守るなら、私は、怒るのを止めます。 ですね?  私は、私自身が幸せであるのを 見守るなら、幸せは、止まります。 で、あなたは、自分の思考の 動きに、気づかれますか。 この気づきは、思考と 同一視されません。 ただそれを見守る。 このマイクロフォンを 見守るように。それを見守る。 ですが、私が、「それはマイクロフォンだ。 それは、あの色だ。これだ。 後ろに誰が座っているのか。 誰が話している のか」と言うなら、私は見守っていません。 で、私は、こう言います。 あなたは あなた自身を、見守られますか。 まるであなたが、歪曲しない鏡を、 見つめているかのように、です。 1:25:15 私はこう言いました。この 鋭敏な見守りが、あるとき - それは、その中に 選択がない気づきです - それが、動いて、 注意になります。 その中で、あなたが注意し はじめる中心が、ありません。 で、完全な注意が、あるとき - あなたの心をもって、 あなたの精神をもって、あなたが 持てるすべてでもって、注意する。 そのとき、その智恵は、 作動しはじめます。 いいです。
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